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貨幣需要と流動性選好, そして日本経済

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貨幣需要と流動性選好, そして日本経済
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
貨幣需要と流動性選好, そして日本経済
Author(s)
張, 韓模
Citation
経営と経済, 82(1), pp.47-70; 2002
Issue Date
2002-06-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/29270
Right
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47
経営と経済第82巻第1号2002年6月
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
張韓模
………流動性選好と貨幣需要の峻別という後戻りを
許されない理論的分岐を閲明し,かつ貨幣経済には
内在的な不安定性と管理不全の蓋然性がほぼ不可避
となる理由を開示すること………内外の研究者たち
によって,この道がさらに広められていくことを期
待したい(伯井泰彦,1996,p.33)。1)
Abstract
Japan's economic situation, in spite of the policy of zero interest rate
and monetary easing have been adopted in the 1990s, is extremely severe and it is very likely that the economy has entered the deflationary
spiral. And then an economist insists that it is necessary to adopt measures that would achieve further quantitative easing and the minus interest rate. Probably Silvio Gesell was the first economist that gave it a
theoretical explanation about the zero interest rate policy, it is called as
the prescription of stamped money. But J.M.Keynes argued in his
General Theory that the policy was unrealizable, because Gesell was unaware that money derived its importance from having a greater liquidity
1)2001年3月27日に逝去された伯井泰彦英士は貨幣需要と流動性選好を区別することの
重大さを我々に示し日本における貨幣論研究の新たな幕を開いた。流動性選好をめぐる
今までの消耗戦を一掃し流動性選好と不確実性を出発点とした生産の貨幣理論の再構築
は我々に残された課題である。
4
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経営と経済
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目 次
l 現実と理論
2 ゲゼルの提案
3 貨幣需要と流動性選好
4 各経済主体の流動性選好
5 結 び
現実と理論
本稿は,物価下落と景気後退の連続的な悪循環という現日本経済の状況を
念頭に置き,流動性選好概念の拡張及び再定立を目的とするものである。
ケインズは『一般理論』で,
r
利子率の低下は,他の事情に変化がない限
り,有効需要を増加させ,有効需要の増加はやがて一つあるいはそれ以上の
半臨界的な点に達し,そこからは賃金単位が非連続的な上昇を示し始め,物
9
3
6,訳 p
.
3
0
7
) と,利
価に対して相応の効果を及ぼすのである J (Kenyes,1
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
4
9
子率の低下が及ぼす景気刺激効果を詳しく説明する。経済学界におけるこの
ようなシナリオは大体意見の一致しているところである。しかし上記の引用
文のなかに, I
他の事情に変化がない限り」という言葉に注目する必要があ
ろう。
日本経済の限りない低迷を目前に控え,政策当局が今まで打ち出した回復
のシナリオは,企業部門の収益改善が,雇用環境改善を通じ家計所得の増加
及び、個人消費の回復につながるということであった。それで企業部門の収益
改善を図るために企業体質の構造改革を打ち出し,もう一方ではその企業を
金融面から支援するために金利並びに量というこつの側面において超金融緩
和策を展開してきた。ところが,依然としてその効果を確認することはでき
ない。
この状況を踏まえて,最近劇薬処方とも言えるより大胆な政策を要求する
声が高まっている。すなわちデフレを反転させるためには,貨幣を空からより
たくさんばらまく必要があり,それでもデフレから脱出できない場合はすべ
ての金融資産からマイナス金利を作り出すという政策である 2)。このような
議論の裏には M.フリードマンの思想と教えが堂々と流れる。ところでそも
そも資本主義経済においてマイナス金利を作り出すことは可能であろうか。
このような要求に対して日本銀行の速水優総裁は日本銀行のできる政策は
やり尽したと述べる。つまり今まで大規模な金融緩和政策をとり続けてきた
結果,現在のコールレートはゼロ金利政策の時より低し、 0
.
0
0
1-0.
003%まで
低下しており, 1
年物の国債金利もほぼゼロに近い 0
.001%を記録している。
さらに金融政策目標を量的緩和に変更し,日銀のバランスシート上の当座預
金残高を大きく増やすなど世界の中央銀行の歴史に前例のない政策を展開し
2)量的緩和は,日銀法を改正してオペ対象を債権から有価証券全般に拡大すると共に日
銀が投資信託などの資産を毎月数兆円の規模で購入する手段を通じてであり,マイナス
利子を作り出す手段は国債及び地方債,郵便貯金などの預金,現金に税金を課する手段
を通じてである。詳しくは深尾光洋 (
2
0
0
2
) を参照されたい。
5
0
経営と経済
た3) (速水優, 2-3ページ)。しかし彼は,この政策の効果は理論的にも経
験的にも裏付けてないと述べたのち 4),I
物価を上げることだけが目的であ
れば,財政支出を大幅に拡大させて J(
同p
.
7
) という方法もあるけれども,
より根本的なことは税制改革を中心とした構造改革であると主張する(同
pp.
45
)。つまり速水氏は現在状況下での金融政策の効果は期待できないの
で減税を通じて民間需要の拡大を図る方法を考えている。しかし減税により
現金収入が増加すると,例えば人々はその分消費量を増やすのであろうか。
我々がストーリーの出発点に流動性選好を置いたのは高度な抽象理論とし
て興味をもったためではない。戦前デフレを克服する目的で実際に導入され
たことのあるゲゼルのスタンプマネーについて,ケインズはその思想を高く
評価しながらも,流動性選好と流動性プレミアムという概念をもってその成
果の可能性を否定した。貨幣にマイナス利子を制度的に作り出し消費拡大を
図ろうとしたあの健全な思想は,一般化されることなく結果的にケインズの
分析通りになった。それなら現在のデフレ状況から抜け出す出口は流動性選
好と流動性プレミアムの世界に秘められているはずである,と考えたからで
ある。
3)この結果, 日銀の当座預金は l年前の 3倍に膨らみ,マネタリーベースも 27%増加し
たものの,実体経済は依然として無反応である(~日本経済新聞.n
2
0
0
2年 3月 1
9日
)
。
4)つまり. [""そもそも金融政策は,需要を直接作り出せるものではありませんし J(速水
優. p
.
3
)
. [""実体経済と物価との関係は,実体経済の動きが先行し,・・・物価も変動する
ものです。景気が良くなってから物価が上がるのであって,まず物価が上がり,それか
ら景気が良くなる訳ではありません J(
同p
.
6
) と述べ,金融政策そのものを否定してい
る。続けて,それでも金融緩和政策を強行した理由については. [""しかし私は,中央銀行
としてできる限りの政策努力を重ねた上で,その効果を十分に発揮させるためにも構造
問題の解決が必要不可欠であることを,強く訴え続けていくべきであると考えました。
いわば,構造改革に一歩先んじる気持ちもあって,前例のない思い切った金融緩和を決
同p
.
6
) と説明する。
意した訳です J(
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
5
1
流動性選好論が導入されてからケインズ経済学の本質的理論としてそれを
据え置くために,ミンスキー (
Minsky,1
9
7
5
),チック (
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),デ
ヴィッドソン (
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),クレーゲル (
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7
),ダウ&ダウ
(Dow& Dow,1
9
8
9
),レィ (Wray,1
9
9
0
),カーヴアロー (
C
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r
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h
o,1
9
9
2
)
などによる興味深い研究が行われてきた 5)。これらの研究を通じ,流動性選
好の概念及び他の理論との整合性などについてはたくさんの成果が収められ
たが,しかし流動性選好そのものが政策的な意味合いにおいてどのような関
わりをもつのか殆ど未開拓のままである。
2 ゲゼルの提案
反マルクス社会主義者の奇人 (
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) としてしか認められなかったシル
6
2-1
9
3
0
) の学問世界を利子論という形で紹介したのはケ
ビオ・ゲゼル(18
インズである。ゲゼルの全研究がドイツ語で書かれたために英語圏への紹介
はそれだけ後になったと言える。英語での翻訳出版は『自然的経済秩序』
(TheN
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lEconomicOrder:以下 NEOと略す)であるがめ, ドイツ語
版からである 7
)。
の第 6
ゲゼルの出発は,我々と同じく,物価下落という経済危機の問題であった。
当時彼の認識した危機の原因は次の三つの点であった (
G
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l,p
.
1
8
9
)。ま
ず金の供給が商品供給に必要な貨幣の需給調節ができないとき,つまり貨幣
5)流動性選好論に関する日本の研究としては,ポストケインジアン研究に限って言えば,
青木達彦(19
9
0
),渡辺良夫(19
9
8
) などがあげられる。
6)ゲゼルの著作に関しては『一般理論』でも紹介している。日本語での翻訳出版はまだ
確認できてないが,岩井(19
41)は,第 1
章において,TheNaturalEconomicOrderの部
分的翻訳研究を行っている。
一般理論』
7)ドイツ語の第 6版と第 7版の英訳が行われた。ケインズの参照したのは, w
で紹介しているスタンプマネーの年率などの数字から推測すると第 6版の英訳であると
いう (Branc,
p.
481
)
。
5
2
経営と経済
不足の問題である。次に商品生産が上昇するにつれて実物資本も増加するが,
実物資本の利子率(ケインズのいう資本の限界効率と理解される)が低下す
るときである。最後に金属貨幣の溶解が行われるときである。続いて以上三
つの原因のうち,どれか一つでも現実化した場合には他の二つが十分条件と
なりデフレ・スパイラルに入ると分析した 8)。
以上の分析から当然、の処方築であるが,ゲゼルは貨幣供給の不足問題を解
決するために紙幣(信用貨幣)制度を主張し,さらに資本の限界効率の低下
を防ぐために企業家のコスト削減策として金融費用つまり利子を引き下げる
必要があり,最後に民間による退蔵を防止するために貨幣に持ち越し費用を
f
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emoney)
かけることを提案したのである。それで生まれたのが自由貨幣 (
である。つまり実物資本の成長は貨幣利子率によって阻まれているので貨幣
利子率をゼロまで抑える必要があり,これは貨幣に持ち越し費用をかける制
度によって可能であると分析した 9)。
ゲゼルは資本主義メカニズムの中心に利子論をおいてその解剖に臨んだ。
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これを NEOの第 5章の自由貨幣利子論 (
で展開する。この章の導入部において,ロビンソン・クルーソと漂流のため
上陸してきたある訪問者との商取引の会話を取り入れ,貨幣経済においては
所有者が優位になる理由を,そして非貨幣(商品)経済においては所有者が
不利になる理由を分かり易く説明している。つまり「マルクスにとって貨幣
は交換手段であるが,しかし貨幣は単なる「商品を購入し支払う」というこ
と以上である。契約の過程で債務者が利子の支払いを拒むと,銀行員は金庫
8)ゲゼルの貨幣論,さらにケインズとの比較については別稿を準備している。ゲゼル関
係の資料を愛媛からまたケンブリッジから送付してくれた愛媛大学の松永達氏にこの場
を借りてお礼を申し上げたい。
9)ケインズの用いた「スタンプ付き貨幣」という用語はフィッシャーのスタンプマネー
(
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pMoney
,NewYork) から来ていると思われる。ゲゼルは自
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emoney) という用語を用いている。
分の提案した貨幣制度を指して自由貨幣 (
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
5
3
のドアをぴしやりと閉めることができるが,商品(資本)の所有者は苦しめ
られる。それが問題の根源である J(
同p
.
3
0
2
)。彼はここで持ち越し費用の
概念を導入し貨幣利子率と実物利子率を区別することによりマルクスを含め
た古典派の利子論を斥けたのである。
彼の提案した自由貨幣の仕組みは『一般理論』でケインズの紹介した通り
である。つまり例えば額面 1
0
0ドルの自由貨幣の場合,毎週土曜日に 1
0セン
トの印紙を郵便局及び銀行で買って貼るときに額面の価値を維持することが
できる。年度末に印紙の全部貼られた紙幣は新年度用の紙幣に交換する。年
間の印紙代は 5
2x10=5.2ドルとなり,課される持ち越し費用は 5.2%である
(
同p
.
2
1
6
)10)。
この提案はヨーロッパ各地で大きな反響を呼び起こし,オーストリアの
W
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r
g
l
地方の実験をはじめドイツの 1
5地域で導入するに至った。またフィッ
シャーはゲゼル論の実験をルーズベルトに訴え,のちにデフレ克服策の法案
として国会に提案されたが通らなかった。さらにイギリス,カナダなどでも
このシステムの導入をめぐりたくさんの議論が行われ,特に 1
9
3
0年代にフラ
ンスのリースでは,フランス銀行による禁止令が出される前まで,約 2年間
にわたり機能していた (
B
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c,p
p.
47
6
4
7
7
)。この思想は現在 LETSという
0
0
0地域で導入または実験中である 11)。
運動として約 2
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.
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rの第 8版では紙幣の価値減価を月 0.5%,年率 6 %に引き
上げているという。ケインズは 5.2%が高すぎると述べたが,ゲゼルは年間 5 %程度のイ
ンフレを念頭においた計算であった(Bla
n
c,
p.
48
1
)
。
1
1
) LETSというのは L
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mのことであるが,運用システ
2
0
0
0)を参照されたい。ゲゼルの自由
ムはさまざまである。詳しくは,森野栄一監修 (
貨幣のポイントは,消費を促進し貨幣流通速度を速めることと,所得の発生した地域で
消費してもらうことである。しかし現在行われている LETSのほとんどの仕組みは所得
の発生した地域で消費させるところに重点をおく。この場合,共同体意識は高まること
があっても地域経済を促進させることまでには望めない。 LETSが一般化に失敗してい
る理由の一つであると思われる。つまり今のシステムでは決済のバランスを維持するこ
とは困難であり,債務より債権の方がより多く発生するはずである。
5
4
経営と経済
ケインズは『一般理論』の第 1
7章において, 1"貨幣に人為的な持越費用を
っくり出すことによって救済策を求めようとする改革論者たちは,正しい軌
道に乗っているのであって,彼らの提案の実践的価値は考慮に値する」
(Keynes,1
9
3
6,訳 p
.
2
3
2
) と述べ,ゲゼルの提案を高く評価している。続
いて,第 2
3章においては, 1"それ(ゲゼルの著書)は,自由放任主義に対す
る一つの反動ではあるが,その上に立つ理論的基礎が,古典派の仮説ではな
くてその否認の上に立ち,競争の廃止ではなくてその解放の上に立っている
点において,マルクスの基礎とはまったく異なっている。将来の人々はマル
クスの精神よりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶであろうと私は信
じる J(
同p
.
3
5
6
) とまで述べている。ケインズの認めているように,ゲゼル
は古典派経済学を否定した理論体系をもってデフレから抜け出すための政策
提案を行ったので、ある。
ところがケインズは以下の二つの点においてゲゼルを指摘する。一つは流
動性選好概念であり,もう一つは流動性プレミアムの概念である。まずケイ
ンズの指摘を引用する。「彼(ゲ、ゼ lレ)は貨幣利子率が大部分の商品利子率
と違って負になりえない理由を与えながら,貨幣利子率がなぜ正であるかを
説明する必要をまったく見落としており, (中略)これは流動性選好の考え
を彼が見逃しているからである。彼は利子率の理論を半分構成したにすぎな
いJ(
同p
.
3
5
7
),続けて, 1"貨幣の重要性は他のいかなる財貨よりもより大
きな流動性打歩をもつことから生じる,ということに彼は気づかなかった。
したがって, もしスタンプ制度によって政府紙幣から流動性打歩が取り去ら
れるとしたら,一連の代用手段-銀行貨幣,要求払い債務,外国貨幣,宝石,
貴金属一般などーが相次いでそれにとって代わるであろう J(
同p
.
3
5
8
)。
『一般理論』でケインズは流動性選好の概念について次のように説明する。
つまり「保蔵 (
h
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g
) の概念は流動性選好の概念に対する第一次近似と
みなしてよい。もちろん, 1"保蔵」の代わりに「保蔵性向 (
p
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p
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o
同p
.
h
o
a
r
d
) という言葉を使うなら,それは実質的に同じものになろう J(
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
5
5
1
7
2
),である。ゲゼルの英訳の文献を検討すると,今のところ,退蔵 (
h
o
a
r
d
i
n
g
)
という言葉はあっても,確かに退蔵性向という言葉は見当たらない 12)。
ケインズの「利子率がなぜ正なのか」という話は,利子率がなぜゼロにも
ならないかを意味する。ゲゼルの提案の終着駅は利子率をゼロ%に誘導する
ことであった。利子率のゼロ%への誘導はすでに利子率が正であることを前
提としている。ゲゼルはこの部分の理論構成を省略し実践運動に入ったこと
になる。しかしケインズの「退蔵性向」という言葉だけでは利子率がなぜゼ
ロにならないかの説明にはつながらない。この理論的分析は意外にも流動性
プレミアムの説明で確認することができる。
ケインズの自己利子率,つまり q-c+Qにおいて ,Qが流動性プレミアム
に該当するが,その概念を, I
潜在的な便益あるいは安全性のために,人々
が喜んで支払おうとする額J(
同p
.
2
2
4
),と与える。そして貨幣は ,q-c+
Eの自己利子率において ,q-cは無視できるほど小さく ,Qは非常に大きい
という特徴をもっている。したがって q-c+Qは常に正であるということに
なる。したがって,ゲゼルが流動性選好の概念をもっていなかったために利
子率が正であるという説明ができなかったとするケインズの指摘は誤解であ
り,正確にはゲゼルは流動性プレミアムの考えがなかったために利子率が正
であることの説明を与えることができなかったということであろう。
ゲゼルの提案は ,q-c+Qにおいて, cにより多くの費用をかけ,全体を
ゼロ%に誘導することであった。この問題についてのケインズの指摘は,貨
幣の q-.c+立がゼロ%になれば,人々は流動性プレミアム(Q)をより多く
する一連の代用手段(外国貨幣,宝石,貴金属など)を相次いで探し求め貨
幣価値の減価防止に全力で走る, ということである。この点こそがゲゼルの
見逃したポイントであろう。すなわち資本主義経済においてはマイナスある
いはゼロ%の利子率を作り出すことはできないのである。
1
2
) ゲゼルは退蔵と欲望を混ぜて使用している。しかし貨幣需要 (demandf
o
rmoney) と
d
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fmoney) は同じではないことは明らかにしている (
G
e
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l
l,
p.
15
6
。
)
貨幣欲 (
5
6
経営と経済
ケインズ、の行ったゲゼル評価を検討することを通じ,我々はケインズの論
じた流動性選好と流動性プレミアムの概念にいよいよ接近することができ
る。ケインズは流動性選好の概念に退蔵性向という言葉を与えた。退蔵とい
う行為は,現在の支出または消費を,富の安全性(減価防止及び価値増殖)
のために,控えることである。富の安全性のパラメータとなるのが流動性プ
レミアムであろう。
ところで,安全性を維持するためには,上記の q-c+Qにおいて ,Qを大
きくする選択のみならず ,qに期待する選択も可能である 13)。要するに退蔵
という行為の決定関数は
tだけではなく ,q-c+Qの全体が関数となる。し
たがって退蔵性向のプレミアムも』のみを意味するものではなく ,q-c+Q
の全体を意味するのである。ここで我々は流動性選好の概念をより明確にす
ることができる。つまり流動性選好というのは, A という富の q-c+Qと B
という富の q-c+立との間での選択の論理であり,その選択結果は実物経済
の刺激につながる現在の需要(消費需要,生産需要)を抑える形態としてあ
らわれる。言い換えれば欲求を最大化するための選好なのである。
ケインズが『一般理論』で用いた理論分析は ,q-cと tの比較であった。
「債権を保有するか貨幣を保有するか」という表現がまさにそれである。
iq-cと Eの比較」という方法をとった場合,当然ながら貨幣は流動性を
指し,貨幣需要は流動性選好と同意語にある。ケインズの『一般理論』での
説明は,分かり易くするために,このことが後日より多くの困難をもたらす
ことになったが,非常に単純化したモデルであった。
計算貨幣論を採用したケインスにとっては貨幣の概念は当然、いくらでも広
げられる。このとき貨幣が必ずしも流動性である必要はまったくない 14)。つ
1
3
) 例えば常に銀行の保管所に入っている骨董品及び絵画などの退蔵形態がこれにあたる。
1
4
) ミクロネシアのヤップ島で使われた石貨はよい例である。詳しくは次の第 l
章を参照さ
れたい。 FriedmanM. (
19
9
2
),MoneyM
i
s
c
h
i
e
,
f 粛藤精一郎訳(1993), ~貨幣の悪戯~,
三田出版会。
5
7
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
まり持ち越し費用のかからないものも貨幣になるが,持ち越し費用の非常に
かかるものも貨幣になるのである。上記のように流動性選好を定義すれば,
貨幣需要というのは現在の需要を満たすための性向を意味する。つまり貨幣
需要と流動性選好は逆のベクトルを示すものである(伯井, p
.
1
3
)。貨幣需
要と流動性選好の差異点を,我々とは異なる論理で最初に展開したのはレィ
(Wray,1
9
9
0
) であった。
3 貨幣需要と流動性選好
多くのケインジアンの研究において流動性選好の概念は貨幣需要とほとん
.
1
2
)。流動性選好関数と貨幣需要関
ど同義語として使われてきた(伯井, p
数をほぼ同一視してきた理由は,先にも述べたように, ~一般理論』おける
モデルの単純化に起因する。例えば,
r
利子率は特定期間流動性を手離すこ
とに対する報酬である。なぜなら,利子率はそれ自身,一定貨幣額と,その
貨幣に対する支配力を債権 (
d
e
b
t
s
) と交換に特定期間手離す対価として獲
得される額との聞の,逆比率にほかならないからである J(Keynes,
1
9
3
6,
訳
p
.
1
6
5
) と述べ,利子を生む貨幣と利子を生まない貨幣とのモデルを決定的
にした。この場合,言うまでもなく貨幣は流動性と同意語である。
また『一般理論』第 1
3章で導入した流動性選好概念について,第 1
5章では,
「問題はときおり貨幣需要という題目のもとに論じられてきたものと実質的
同p
.
1
9
4
) としながらも,この章においてもまた同じ分類を
に同じである J(
行っている 15)。つまりケインズは,貨幣需要と流動性選好が異なるものであ
1
5
) しかしケインズ自身はこの動機区分について,
r
われわれは,与えられた状況における
個人の総貨幣需要を,多くの異なった動機の合成的結果ではあるけれども,単一の決議
として考察することができる一このような考察の仕方は分割的に考察する仕方と同じよ
K
e
y
n
e
s,1
9
3
6訳p.
l7I)と述べたのち,
うに正当であるし,おそらくいっそう正当である J(
しかし分析にあたっては項目を設けた方法が便利であるからと言う認識を示している。
つまりケインズにとって流動性選好の動機を細かく区別することは大きい意味を持って
いなかった。
5
8
経営と経済
ると認識していたにもかかわらず,その違いを具体的に示さずに『一般理論』
を完成したのである。さらに貨幣供給に関しては,
r
利子率は部分的には流
動性選好に(すなわち流動性関数に)依存し,部分的には賃金単位によって
測られた貨幣量に依存する。(中略)中央銀行の行動によって決定される貨
幣量J(
同p
p
.
2
4
4
2
4
5
) と説明し,明らかに貨幣の外生的供給論を用いた。
以上のようなケインズの単純化したモデルを忠実に再現したのがテキスト
版 IS-LM曲線であろう。当初からヒックスのケインズ理解に幾つかの反論
は出されたものの 16),次第に IS-LM曲線はケインズ経済学を代表するもの
として位置付けられるようになった。これには二つの理由が考えられる。一
9
4
0-5
0年代を通じ政府支出拡大政策を支持する
つは学派の違いと関係なく 1
結論に概ね同意していたことと,もう一つは同じ時期にアメリカ経済は非常
に安定した成長を成し遂げたことである。この状況を IS-LMが見事に説明
しているのなら,ケインズの本質を取り入れているかどうかという問題は自
然的に副次的になってしまうわけである。しかし 6
0年代のアメリカのインフ
レ問題と共に,マネタリストとの間で繰り広げられた「貨幣の中立性」の論
争はもう一回ケインズに還るきっかけを提供した。つまりポストケインジア
ンの誕生,生産の貨幣理論の復活である。
彼らが最初に取り組んだのは内生的貨幣供給論である。カルドア (
N
.
K
a
l
・
d
o
r
),ミンスキー (HymanP
.Minsky),チック (
v
.C
h
i
c
k
),デヴィッドソ
ン (
P
.D
a
v
i
d
s
o
n
) などは 7
0年代に初期ポストケインジアンを形成した人物
である。しかし,彼らの研究流れはケインズ経済学の本質をめぐって大きく
二つに分かれた。これは主に流動性選好論をケインズの理論体系から捨象
1
6
) 例えば流動性選好をめぐってのヒックスに対するタウンジエンドの反論,利子率をめ
heE
c
o
n
o
m
i
cJ
o
u
r
n
α
l
ぐるシャツクルの議論などがこれにあたる。このような議論は主に T
を通じて行われた。 TownshendHugh(
19
3
7
),
“
L
i
q
u
i
d
i
t
y
P
r
e
m
i
u
mandTheoryo
fV
a
l
u
e
",
TheE
c
o
n
o
m
i
cJ
o
u
r
n
a
l
,Vo
.
14
7
.S
h
a
c
k
l
eG
.L
.S
.(
19
4
6
),
“I
n
t
e
r
e
s
t
r
a
t
e
sandt
h
ePaceo
f
heE
c
o
n
o
m
i
cJ
o
u
r
n
a
l
,Vo
.
15
6
.
I
n
v
e
s
t
m
e
n
t
",T
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
5
9
するのかそれとも核心的概念として取り入れるのか,同じく『一般理論』の
世界を排除するのかそれとも拡大解釈するのかの問題である。主として前者
B
.
]
.
M
o
o
r
e
),ラヴォア (
M
.
L
a
v
o
i
e
) のラインで,後
はカルドア,ムーア (
者はミンスキー,チック,ダウ&ダウ (A.C.Dowa
ndS.C.Dow),クレーゲ
ル C
J
.
A
.
K
r
e
g
el
),レィ(L.R.Wray) のラインで現在に至っている 17)0 8
0年
代を通じ長く展開されたこの論争に終止符を打ったのはレィであった。 1
9
9
0
年に出版された彼の研究は, I
内生的貨幣供給論と流動性選好論を統合した
.
l
l
)。我々
最初の理論家」など各界から極めて高い評価を受けた(伯井, p
のテーマに関連して言えば,彼の貢献は,貨幣と流動性の区別,貨幣需要と
流動性選好の区別を行ったことである。
まず彼の貨幣の概念を検討する 18)。ポストケインジアンの展開する貨幣概
念は大きく四つの観点がある。ケインズによる計算貨幣,またたくさんの人
々が強調してきた信用貨幣,ミンスキーの発展させた債務貨幣(資産ポジシ
ョンをファイナンスするために発行されるもの),最後に安全資産としての
貨幣である。資産をファイナンスする過程で貨幣が創造されることを受け入
れれば,当然ながら貨幣は債務償還に受領されるために,貨幣は安全性を提
供する。このような貨幣の諸概念は貨幣が内生的に供給されることと整合的
9
9
0,p
p
.1
l1
2
)。
な定義を与える(羽Tray,1
レィは以上のような貨幣概念をもって, I
信用貨幣経済では多くの支出が
1
7)デヴィッドソンの場合はこの論争に直接的には参加していないが,誰よりも早く『一
般理論』と内生的貨幣供給論を整合的フレームワークで把握することに努めた。つまり
ファイナンス動機による貨幣需要は内生的に供給されると主張した 1
9
6
5年の論文(“Keyn
e
s
'
sF
i
n
a
n
c
eMotive",0
φr
dE
c
o
n
o
m
i
c
sP
a
p
e
r
s
,1
7,March) がそれである。利子率を
めぐる内生論者聞の論争については,伯井(19
9
6,p
.
1
4
) を参照されたい。
1
8
) レィ (Wray,1
9
9
0
) は伯井泰彦氏による未出版の全訳がある。本文でのレィの引用は
この訳を使用したことを断っておきたい。
6
0
経営と経済
バランスシートの両側に関わってくる。すなわち支出者のバランスシートの
負債側は借入額だけが増加し,資産側は購入した財貨・サービス・資産の金
額が増加する。銀行のバランスシートの資産側は,借り手の借用証書の金額
分が,負債側は借り手の支出をファイナンスするために発行された要求払い
預金額だけが増加する。(中略)貨幣とは一つのバランスシート項目,ない
し一個の計算単位であり,支出フローをファイナンスするものである J (
同
p
p
.
1
2
1
3
) と定義する。貨幣に対するこのような定義を与えると自然的に流
動性とは区別される。つまりバランスシート項目の中には流動的な項目もあ
れば非流動的な項目もあるからである。
続けて貨幣需要については次のように説明する。貨幣需要とは,企業が何
かを購買するために進んで積極的に自社債務を増やそうとし,銀行も意欲的
に自行債務を相手企業債務に代位することであり,これは貨幣需要と貨幣供
給も共に増加することである(貨幣需要と貨幣供給は独立しているわけでは
ない)。したがって貨幣需要は第一にフローに結びついている。一方企業が
自発的に債務状態に入ったことは流動性のより低いポジションを取得したこ
とになるので,流動性選好が低下したことになる(同 p
p
.
1
8
1
9
)。それから
バランスシート上の変更,つまりバランスシートの拡張及び縮小などの変化
が生じた場合を流動性選好の変化と把握する。バランスシートそのものはス
トックなので,ストックの変化は利子率に影響を与えることになる。貨幣需
要が高まり,銀行がバランスシートの拡大を通じて貨幣供給に応じた場合は,
第 2次的に流動性選好の変化,つまり流動性選好の低下につながり,利子率
は下落する。逆の場合のプロセスも同じく,つまり流動性選好の高まりとい
うのは,債務を返済してバランスシートの規模を縮小させるか,バランスシー
ト項目をより流動的な項目に入れ替えることを意味する(同 p
p
.
1
6
3
1
6
5
)。
レィは,以上のように貨幣需要と流動性選好を区別することを通じ,内生
的貨幣供給論と流動性選好論を同じ理論構造に納めた。彼が強調したもう一
つの主張は利子率も内生的に決定されるということであったが,しかし「内
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
6
1
生的」という具体的なプロセスを示すことはできなかった 19)。この問題につ
いては深く入ることを避けるが,現在ポストケインジアンの多くは「利子率
L
a
v
o
i
e,p
.
1
5
0
)。しかしこ
は外生的である」ことに一般的に同意している (
の研究を通じてレィの出したメッセージは,不安定性そのものが資本主義に
内在しているために中央銀行はより積極的に介入する必要があるということ
である (Wray,1
9
9
0,p
.
2
9
7
)。我々は,このようなメッセージと彼の示した
バランスシート論を全面的に支持する。それから貨幣というのはバランス
シート項目を構成するものであり,貨幣需要というのはバランスシートを拡
大させるかまたは膨らませることである,という彼の議論にも賛同する。
しかし流動性選好については同意することができない 20)。彼が貨幣需要と
流動性選好は必ず逆のベクトルを示すと主張すれば,我々との間で違いは生
じない。流動性選好の高まりは,債務返済などによりバランスシートが縮小
(貨幣需要の低下)されるか,バランスシート項目の中でより非流動的資産
からより流動的資産に入れ替えるか,であるとレィは説明した。前者の場合
は確かに流動性選好と貨幣需要は逆の方向を示す。ところが,後者の場合は
バランスシート全体規模の変化は生じない。
我々の疑問は,バランスシート上において流動的またはより流動的という
資産の分け方が果たして可能だろうかということである。流動性選好をめぐ
って今までの議論を見ると大きく二つの流れがあったように思われる。一つ
1
9
) レィはのちに利子率決定内生論を次のように説明する。「利子率の決定は,銀行,借り
手,富の所有者の流動性選好,及び適切なレヴァレッジ率に関する金融機関の経験則,
諸金融機関の競争,金融革新,中央銀行介入,将来の収益性と利子率に関する期待に依
存している。また貨幣供給もこれらの諸要因のすべてに依存している J(Wray,1
9
9
2,p
.
1
1
6
6
)。ところでレィは流動性そのものについては景気循環に依存すると説明し (Wray,
1
9
9
0,p
.
1
7
),外生性を与えている。
2
0
) これ以外にも,貨幣需要と貨幣供給が必ず独立ではないという前提は議論の余地を残
していると考える。
6
2
経営と経済
は資産の時間性であり,もう一つは資産の流動性度合いで、ある。例えばモッ
トは,流動性選好は企業の収益性に支配されるものであり,それは短期資産
を保有するか長期資産を保有するかの欲望の理論であると説明する (
M
o
t
t,
p
p
.
2
3
0
2
31)。この場合も同じく,我々が長期と短期という言葉を明示的に
示すことができても,具体的に資産を分けることになったら,その作業は簡
単ではない。
9
3
7年にロパートソン宛に送った手紙で,流動性選好という
ケインズは, 1
用語が,非活動的Cin
a
c
t
i
v
e
) バランス需要と活動的バランス需要に関わる
9
7
3,p
.
ものではなく,全体の貨幣需要に関わると明言している (Keynes,1
2
2
3
)。つまり欲望ということを前提した場合,長期資産なのか短期資産なの
かは決定的な変数にはなりえない。さらにミンスキーおよびクレーゲルの分
析でもあるが, I
ある種の資産間の非流動性の度合いの差異は,各資産から
期待される貨幣収益に格差を生み出し,それらの現行価格を決定する」
(
C
a
r
v
a
l
h
o,1
9
9
2,p
.
9
8
) と資産の流動性度合いが一つの基準を提供する 2。
)
1
貨幣の概念をバランスシート項目にまで広げ今までの発想を逆転させたレ
ィが,流動性選好から流動性度合いを取り除けなかったのは不思議なことで
ある。計算貨幣を採用し,今の発達した金融システムを考えれば,資産取引
の過程で流動的なのかより流動的なのかはそれほど重要な問題ではない。流
動性選好の高まりは,資産をより流動的な資産にシフトさせ,その結果必ず
バランスシートの縮小につながると言うならば,我々の主張と違いはない。
しかしこの場合においても,ミンスキーの伝統を受け継いでいることは理解
できるが,すべてがバランスシートの縮小につながるのであるならば,結果
的に非流動的資産から流動的資産へという過程を設定する意味はないのであ
る。我々はここでレィから離れる。つまり貨幣需要の高まりはバランスシー
21)長期資産と短期資産の議論と流動性度合いの議論は,それぞれ『一般理論』の第 1
5章
7章の分析に基づいている。
と第 1
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
6
3
トの膨脹を意味し,流動性選好の高まりはその反対概念であるが,バランス
シート項目の性格,つまり長期資産なのか短期資産なのか,さらに流動的な
のか非流動的なのか,という区分は行わない。
代わりに四つの経済主体,つまり個人,企業,銀行,政府といった各経済
主体の流動性選好を区分することを主張する。なぜならば現実的にそうであ
るし,またより効果的な分析ができると判断するからである。
4 各経済主体の流動性選好
今まで我々は貨幣需要と流動性選好は逆のベクトルを示すことだけを語
り,両者の因果関係については具体的に言及することを避けてきた。これか
らは流動性選好が貨幣需要を左右する,つまり貨幣需要が流動性選好を左右
するものではないと仮定する。この仮定の下でまず各経済主体の流動性選好
問題を議論する。
ケインズは,
w
一般理論』を出版した後で書いた論文のなかで,流動的に
なりやすい民間の欲と非流動的な傾向を示す銀行との相互作用が利子率を決
9
7
3,
2
1
9
)。ここで確認できる
定するという意見に同意している (Keynes,1
のは,民間と銀行の流動性選好は同じものではない,ということである。し
かし今までの研究において,経済主体別流動性選好はほとんど無視されてき
た。その中,ダウ&ダウの研究 (Dow&Dow.1
9
8
9
) は注目に値する。先に
も触れたように,内生的貨幣供給論を展開するポストケインジアンの多くは
流動性選好論を棄却していたが,ダウ&ダウはこのことに気づき,内生的に
供給される貨幣(信用貨幣)がいかにして流動性選好と整合的であるかを証
明しようとした。この過程で彼らは消費者の流動性選好,企業の流動性選好,
金融機関の流動性選好という概念を導入している。つまり流動性選好を排除
する内生的貨幣論者の考えでは流動性選好というのは結局信用需要のことで
あると分析する。ダウ&ダウは,流動性選好に変化があった場合の信用供給
は決して完全にアコモデート (accommodate) されない,という論理で内
6
4
経営と経済
生的貨幣供給論と流動性選好が相互に依存し合っていることを論じた(同
p
.
1
4
9
)。
現行利子率の下ですべての信用需要が満たされ得るならば,結局遊休残高
需要も満たされ,投資家に対しても必要な分だけファイナンスが行われるこ
とになる。ここで最初に,消費者の流動性選好に変化が生じた場合,まず考
えられるのが消費低下である。この消費低下は企業のストックを増加させ,
究極的には新規の投資計画をファイナンスするための信用需要も低下するこ
とになる(同 p
.
1
5I)。このようになって企業の流動性選好が高まれば,金
融のポートフォリオをより流動的な形態で保有しようという欲望があらわ
れ,このことは企業の金融構造も変化させる。つまり債権および株式よりは
短期の銀行ファイナンスへ依存を高め,次に銀行のこれら企業に対する高い
リスク評価につながり,信用供与を拒否する場合もある。ここまで来ると,
金融機関自身の流動性選好が高まり,銀行もより流動的資産へ入れ替え,例
えば外貨保有を増やすなどの行動をとる(同 p
p
.
1
5
2
1
57
)22)。
我々がダウ&ダウに注目するのは,目的は異なっても各経済主体の流動性
選好を区別したことである。彼らが示した影響の経路,つまり家計から企業
そして金融機関への波及効果は一つのケースとしてありうる。しかしテキス
ト版マクロ経済がミクロ基礎に基づいていると非難するポストケインジアン
2
2
) 彼らは流動性選好の高まりが結局信用供給に影響を及ぼすという結論を導くが,その
影響は信用供給と遊休残高需要との相互関係であると説明する。つまり「信用需要およ
び信用供給は遊休残高需要への変化しつつある性向を観察することによって高められる。
流動性選好がなくても一つの説明は与えられるが,しかしそれは弱い J(Dow& Dow,
1
9
8
9,p
.
1
6
2
) と述べて,流動性選好は利子率を説明するために必要であることを明らか
にしている。つまり彼らにとっては遊休残高需要と流動性選好はほぼ同じ意味である。
d
l
eb
a
l
a
n
c
e
s
)の定義は以下である。予測における信認の欠如か,
彼らの与えた遊休残高Ci
流動性の低い資産の価格下落を堅く期待するかの結果として,富のストックをより流動
9
8
9,p
.
1
5
0
)。
的な形態で持とうという事前の欲望を指す(同 1
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
6
5
にとって,ストーリーを個人から展開するのは論理の矛盾である。貨幣供給
を議論するときに「内生的」という言葉はある程度私的部門によって決定さ
れるという意味で用いられる。そのためなのか,分析の過程で「政府」とい
う視点が全く欠けている。この点も我々が同意できないところである。
したがって我々は,四つの各経済主体において,流動性選好が現実的に存
在すると考える。つまり政府の流動性選好,銀行の流動性選好,企業の流動
性選好,家計の流動性選好がそれである。政府は常に低い流動性選好を示す
傾向がある。これは毎年拡大予算を編成することからも簡単に理解できる。
それから,先に引用したケインズの指摘のように,正常な状態であるならば,
銀行は比較的に低い流動性選好ポジションをとり,民間の流動性選好が高ま
る傾向を示す。
重要なのは現在日本の各経済主体の状況である。家計の流動性選好の高ま
りは消費抑制という形態として表面化する。企業の流動性選好の高まりは債
務返済または投資額縮小という形を取る。銀行の流動性選好の高まりは新規
貸し出しの抑制,つまり貸し渋りという行動として表われる。政府の流動性
選好の高まりは緊縮政策として表面化する。以上回つの経済主体は,貨幣供
給という観点から見た場合,内生的供給なのか外生的供給なのかとは関係な
く,貨幣を供給する側と貨幣を需要する側に分けることができる。先に述べ
たケインズの見解,つまり民間と銀行の流動性選好の逆ベクトルは,我々の
理解では安定した社会を想定した場合に必要なバランスのことである。
ここで四つの経済主体の流動性選好が同じ方向を走った場合をイメージし
たい。まず流動性選好の低下である。第 3節でも述べたように,流動性選好
の低下は貨幣需要の上昇を意味する。政府は財政拡大及び金融緩和政策をと
り,政府の流動性選好の低下は公定歩合も引き下げる。銀行の貸し出し査定
は甘くなりかちであり,積極的に企業のファイナンスに応じる。企業はより
攻撃的投資を行うことに迷わなくなり,この過程で銀行と企業のバランス
シートは膨らみ,貸出金利も引き下げ傾向を見せる。家計は当然ながら消費
6
6
経営と経済
を拡大し,貨幣需要を満たすために進んで負債を組む口
次に流動性選好の高まりである。政府の流動性選好の高まりは引き締め政
策と共に公定歩合を引き上げる。民間は将来の不安でまず消費を抑制する。
企業は債務の返済,在庫処分などに走り,バランスシートの縮小を図る。銀
行は企業と同じくバランスシートを縮小する経営戦略をとるが,まず具体化
するのが貸し渋りである。貸出金利は上昇する。以上想定した二つのケース
は普通ではなく異常事態であろう。先も述べたように,政府の存在する意味
は経済界のバランスを維持することであり,正常に考えると,政府の流動性
選好は民間のそれとは常に逆のベクトルになるのである。
我々がここで主張したいのは現在の日本経済は四つの経済主体がすべて同
じ方向,つまり流動性選好の異常な高まりを示しているということである。
家計の極端な消費の抑え,企業の投資意欲の低下,さらにバランスシートの
縮小を目差す構造調整,銀行の貸し渋りと高い貸出金利設定, 1
0年間も発信
し続けている日本政府の構造改革論,すべてが流動性選好の高まりを裏付け
る材料である。
流動性選好は「内生的」ではなく「外生的」に創造されるものである(伯
井
, p
.
1
3
)。つまり民間が今の状況で進んで消費を増やすことはできない。
地域振興券の例からも証明されたように空からお金が撒布されればされるほ
ど将来に対する不安は増幅する。民間の流動性選好の高まりを抑えるために
は,日本政府の強力な意思表明が必要である。それは今の政策とは正反対の
ことを意味する。
韓国は 1
9
9
7年に IMF管理下に入ったが現在そのことは歴史としてしか認
識されていない。つまり民間の高騰した流動性選好を強力な政府の意 思表明
d
で抑えることができた。それらは帳消しを伴った公的資金導入, 1"各家庭コ
ンビュータ一台」というスローガンで莫大なコンビュータ購入資金の貸し出
し,などすべてが短期間で行われた政策であった。日本の正統派経済学者は,
構造改革というのは競争原理を導入することであると力説する。またそれは
貨幣需要と流動性選好,そして日本経済
6
7
自由化及び規制緩和を通じて達成できると信じているようである。しかし我
々は,いままで日本政府の適切な流動性選好政策,つまりコントロールがあ
ってこそ競争に専念することができたと考える。超低利政策が全く機能して
ない状態を鑑みると,現在導入しようとする減税政策は結局のところ政府の
財政を圧迫する効果しか得られない。民間の流動性選好の高まりを少しでも
和らげるためには,大手都市銀行の固有化は避けられないと思われる。
5 おわりに
本研究は,流動性選好というキーワードを取り上げ,その概念の拡大とそ
れを用いて現在の日本経済を説明することを試みた。現在のところ,流動性
選好という概念は抽象的な学問のレベルでさえ確実な位置を占めているわけ
ではない 2
3
)。ケインズの直系であることを主張する多くのポストケインジア
ンも,内生的貨幣供給論と流動性選好論を整合的にする理論論争を繰り広げ
るのみである。例えば流動性選好が内生的貨幣供給論と整合的であるという
結論のみで満足するならば,古代ある時代,つまり事実上商品貨幣しか流通
しなかった時期は流動性選好そのものが存在しないことになる 24)。
このようなことは,ハインゾーン&シュタイガーも指摘しているように
2
3
) ポストケインジアンの研究をサーベイすると,ケインズの本心はどこにあったのかと
いう議論が多いのではと思われる。例えば,ローチョン (
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7
) の研究もこの
流れの代表的な研究であるが,引き出した結論は,ケインズは『一般理論』を著したの
ちに徐々に『一般理論』の世界から離れたので,ケインズは水平主義に近いし,結局ムー
アの議論がより正しい,ということであった。このような議論は深めて行けば行くほど
現実の世界を度外視することになろう。
2
4
) 本稿では詳しく議論することができなかったが,流動性選好論をケインズ理論体系の
出発点にした場合,内生的貨幣供給論と整合的なのかどうかの議論は殆ど意味を持たな
い。というのは,求められる分析は,流動性選好のどのような作用が内生的貨幣供給を
引き起こすのか,ということになるからである。
6
8
経営と経済
(Heinsohn &Steiger,p
.
3
9
7
),~一般理論』の記述にも見られる。つまり
「将来の利子率について不確実性を感じないような社会J(Keynes,1
9
3
6,
訳
2
0
6
) においては流動性選好そのものが存在しない。しかしケインズの述べ
たように,流動性選好を「欲望」という線上で捉えた場合,それは人聞社会
そのものに常に内在するものであり,その変化及び具体化が不確実性をより
深化させると分析しなければならない。
我々は日本経済を説明するために,四つの経済主体の流動性選好からなる
フレームワークを提示した。これは,例えば「保蔵したいと欲する総量と現
存の現金量とを均等化させる利子率 J(
同p
.
1
7
2
) という世界に滞在してい
ては,現実世界に一歩も足を踏み入れることができないからである。とは言
え,フレームワークを示しただけでは,それが利子率決定にどのように関わ
ってくるのか,各流動性選好はどのような相互作用を演じるのか,さらによ
りポイントになることであるが政府の流動性選好に強力な影響を与える海外
部門をどのように盛り込むのか,すべて残された課題である。
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