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2008年度 卒業論文 主査氏名 梅原 利夫 論文題目 授業「カネミ油症」を
2008年度 主査氏名 論文題目 卒業論文 梅原 利夫 授業「カネミ油症」を作る 05D040 佐藤 生 論文のキーワード カネミ油症事件 2 世被害者 公害は被害者にしかわからない 宇井 純 病気のデパート 1 目次 序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P.4 1 何故この授業をしたのか 2 この論文で伝えること 3 論文の流れ 一章 カネミ油症事件をどのように教えたのか・・・・・・・・・・・・・ P.7 1 第一回授業 題」・・・・ 「カネミ油症事件を知る 生み出された未認定患者の問 P.8 (1)カネミ油症の概要を教える (2)PCBとは何かを教える (3)ポイント いつから PCB の危険性がわかっていたのか (4)カネミ倉庫はどのようにして PCB を利用していたのか (5)カネミ油症の基本的な原因 (6)ワークショップ 2 第二回目授業 「前半 被害者と医者になる 食中毒問題という視点 話」・・・P.19 (1)前回の復習 (2)病気のデパート 2 後半 実際の被害者の (3)誰(どこまで)を認定すればよかったのか? (4)VTR を見る (5)被害者としての自分を語る (6)カネミ油症との出会い (7)被害者(私)の徹底的な孤独 (8)水俣病がうらやましい (9)YSC(油症支援センター)の人たちと話した時のこと (10)ワークショップ「私はカネミ油症の2世です」 このことは彼女に伝えるべきか。 (11)生徒たちからの意見を振り返って 3 第三回目授業 「ダーク油事件から裁判和解までの流れ」 ・・・・・・・・・・・ P.29 (1)ダーク油事件を教える (2)農林省の立ち入り調査 (3)油症被害者が国などを相手にした裁判 (4)カネミ油症裁判で採用された事件の原因説 (5)仮払金問題 (6)授業の最後 二章「高校生は何を学んだのか」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P.36 (1)生徒たちに配布したコメントペーパー (2)生徒たちからのコメント (3)生徒のコメントから ・コメントの特徴 3 ・予想していたコメント ・予想もしなかったコメント (4)生徒たちに今後どのように考えてほしいか 終章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.50 ○参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P51 ○授業配布した資料 (1)第一回目 授業プリント (2)第一回 ワークショップ (3)第二回目 プリント 授業プリント (4)私の中のカネミ油症事件 (5)第三回目 授業プリント (6)社会科授業案 4 授業「カネミ油症」を作る 佐藤 生 序章 1 何故この授業をしたのか 1968年10月10日に初めて、カネミ油症事件が新聞報道されてから今 年でちょうど40年がたった。現在、被害者や後援者たちを除いて、世間の私 と同じ世代のほとんどの人はカネミ油症事件のことを知らない。このときの知 らないというのは、ある程度の情報を持ち、その上で本質はわからないなどと いうレベルのものではなく、始めから名前も、どこで起こったのか、病因物質 は何なのかなど一切の知識を持たないことを指している。 私はそのカネミ油症の2世被害者である。今から2年前、私は母親が「カネ ミ油症の未認定患者である」という事実を母自身から伝えられた。その時には 私自身、カネミ油症がどのようなものであるかという知識は一切持たなかった (他の人と同じように)。しかしその後、自分ごととなって調べたところ、自ら の置かれた悲惨な立場を私はまざまざと知ることになる。その日から私はカネ ミ油症のことを考えなかった日は一日としてない。 本論文はそのカネミ油症の実際の2世被害者の私が2008年、埼玉県にあ る母校、 「私立 自由の森学園高等学校」で教育実習をし、受け持った高校三年 の生徒3クラスに対し、 「カネミ油症」を題材に授業をした内容、そして、生徒 たちがどのようなことを学んだのか、そしてこの授業の意義を書いたものであ る 5 2 この論文で伝えること まず以下に、私がこの授業を作るきっかけになり、その授業の中心となった 文を記す。 数字や言葉で公害の全体が表現できないということは、公害の被害者ならよくわか ります。どうしてもそんな言葉だけじゃなくて、現におれはつらいのだというものが あります。 差別の時には第三者はないのだということは、みなさん、おわかりになると思いま す。差別する側と、される側しかない。自分は知らないと言えば、それは気づかずし て差別する側に回っている。 ところが、公害の時にも、私、十年調べてまいりまして、現在ようやく辿りついた 結論は、それは差別と同じ構造であって、被害者から出発しなければ公害というもの はわからない、むしろ公害というものを認識しているのは被害者だけである、という ことです。 加害者の認識というものは常に部分です。もし数字だけを見て自分が全部を認識し たと思えば、それは逆に結果からいって加害側です。まだなにかあるはずで、それは 本人に聞いてみないとわからないという認識を忘れてしまったら、皆さんも加害側に たつ。そういう点では公害に第三者はないのです。 宇井 純『私の公害闘争』 (潮新書、1971 年) より この文は、私がこの授業を作るきっかけともなったものである。 カネミ油症は同時期に起こり、そして教科書等にも載っている水俣病やイタ 6 イイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病などの事件と比べ、認知度は非常に 低い。 あるクラスで「水俣病を知っている人。」と、手を挙げてもらったところ、ク ラスの大多数が手を挙げた。しかし、続けて「何を知っていますか?」と聞い たところ名前や、原因物質を知っているといだけのことであった。しかし,そ のうちの何人かは長い文にして水俣病のことを話すことができたのだが、しか し、それは事件の表面的なデータによる知識を知っているに過ぎない程度のも のであった。 水俣のことにずっとかかわってこられた宇井 純氏は、著書「私の公害闘争」 のなかで、公害というものを本当に分かっているのは被害者だけだと書いてい る。被害者たちこそがその病気や、痛み、不安、差別を実感しているからであ る。それ以外のものは、本などのデータを見ているに過ぎず、 「知る」という事 などは到底不可能である。 しかし、知ったつもりにはなれる。現代の点取り教育では、事件のその名前、 起こった年号、特徴的な症状が重要視される。それさえわかっていたら点数は 付き、答えは正解なのである。だが、その情報を知っていることが、その事件 を知っているという事になるのかという事は問題にはならない。 私は、自分自身が被害者になる前にも、公害というものを勉強したつもりで あった。しかし、その知識もデータを覚えている程度の状況であった。発生し た年、症状や裁判のことはわかっていたのだが、そこで思考は止まり、どこか 壁があって、自分とは違う世界の国の出来事だと思っていた。 今回の私の授業では、カネミ油症を実際に感じている私が、生徒たちにカネ ミ油症の授業をし、どれだけデータを知ったとしても、被害者以外の人間は「カ 7 ネミ油症を知っている」という事は出来ないという事を授業のメッセージとし て伝えた。 データ化されたものを見て簡単にわかったような気持になる授業ではなく、 いくら調べてもわからないという事をメッセージにした授業。それを受けて生 徒たちはどのような印象や感想を持ったのか見ていこうと思う。 今回の私の 授業を受けた生徒たちは、その公害問題の名前を知るにとどまらず、何らかの (私が生徒だった時には得ることのできなかった)物を感じることはできたの だろうか。実際にした授業と、生徒たちからの感想文からこの論文に記してい く。 3 論文の流れ 一章 カネミ油症をどうのように教えたのか この章では、実際に行った授業3回の内容を実際に生徒たちに配ったプリ ントをもとに丁寧に記す。 (配ったプリントについては、論文の最後に資料とし て送付してあるのでそちらを参照のこと) 二章 高校生は何を学んだのか この章では、3回目授業の最後に配り回収したコメントペーパーをもとに、 生徒たちが何を学びとったのかを考察する。 8 一章 カネミ油症事件をどのように教えたのか 本章では、行った授業を一つひとつ整理していき、生徒たちに何を教えた のかという事を確認することを目的としているが、その前に私の行った授業の 特徴を簡単に整理しておこう。 特徴1 授業では教科書に沿った授業をしない この理由には二つあるが、一つには、私の行った実習校「自由の森学園」で は、多くの授業で教科書を使わないことが理由としてあげられる。私自身、自 由の森学園に中学から数えて6年間通った経験からいっても、教科書を授業で 扱った記憶がない。教員の多くは自身でプリントを作成し、毎回の授業を行っ ていた。この方法に生徒たちは慣れ親しんでいるため、私の授業をする際にも 同じようにした。 もう一つの理由としては、カネミ油症が主な内容として取り上げられている 教科書は存在していないということだ。文献についても数は少なく、カネミ油 症事件のことを授業で扱う際、テキストのような形で使えるものはなかった。 以上の理由により、授業では教科書を使用せず、自身が一から作成したプリ ントを使った。 特徴2 穴埋め式授業 穴埋め式授業とは、プリントの中の重要な点が空白になっており、授業が進 むにつれてその穴が埋まっていくというものである。生徒からのコメントペー パーを振り返ってもわかるが、自由の森学園の授業ではこの穴埋め式の授業を 行っている教員は少ない。それにも関わらず、私がなぜこの方法をとったのか と言えば、それは私自身の高校時代の経験が元になっている。 9 高校時代、私の書いた字は本当に汚く、そして書くスピードも遅かった。教 師が黒板に書けば書くほど私の興味はそがれ、集中力がなくなった。そして、 何とか出来上がったノートも、見栄えはひどく悪く、振り返えることもためら うほどだ。そのノートたちの中で、現在残っているものは一つもない。 実際、生徒から回収した感想文を見れば一目瞭然だが、字を書く力には大き な差がある。 授業によって字を書く力をつけさせるという事が、授業の一つの目標になるこ ともあるとは思うが、今回の授業では授業にいる全生徒に内容の認識を高める こと、そしてその認識を振り返ることを目標としているために、筆記の負担が なるべくかからないプリント型授業を用いた。 しかし、穴を埋めることだけに注意させ、それだけに集中した授業をしたわ けではもちろんない。生徒には授業の初めに「僕はプリントを使うけど、その 内容は僕の話す内容の全部じゃないから、新しくわかったことはどんどん余白 に書いてね。」と指示した。 そのためにプリントの構成も考え、余白を大きくとったプリントにした。 特徴3 絵カードの多様 授業中に資料(写真など)を貼った厚紙を黒板に張り(背面に磁石が付いて いる)、生徒たちに説明することを多用した。生徒に渡したプリントにもたくさ んの写真を載せたが、その写真を見せるだけだと生徒の顔はプリントのほうに 落ちてしまうので、なるべく前を向かせるために、プリントと同じものでもな るべく黒板に張ってみせる様にした。 教師だけがただ朗々と語る授業ほど退屈なものはない。しかし、カネミ油症 10 はほとんど生徒たちにとって全く0地点からのスタートとなるために、ある程 度生徒から意見を引き出すまでには教師が話さなくてはならない。その時に耳 からの知識だけだと生徒たちの関心がそがれてしまう恐れがあると考え、絵カ ードの使用や、また時に演技調に授業をしたりなど、なるべく変化が起きるよ うにした。 受け持った3クラスに行った授業のタイトルは、以下のとおりである。 ○「カネミ油症事件を知る ○「前半 生み出された未認定患者の問題」 食中毒問題という視点 後半 実際の被害者の話」 ○「ダーク油事件から裁判和解までの流れ」 (各90分) 1 第一回授業 「カネミ油症事件を知る 生み出された未認定患者の問題」 この第一回目の授業は、カネミ油症のことを全く知らない(名前も聞いたこ とのない)人を対象としている。実際、受け持った3クラスの生徒たち(90 人)に「カネミ油症を知っていますか?」と投げかけたところ、その内容を捉 えていた生徒は0人であり、かろうじて名前だけを聞いたことがあった生徒は 2人である。この状態の生徒を教えるという事は、ある意味で教師という立場 の私にとって好都合に思えた。生徒たちの最初の一歩がほぼ同じ所から始めら れるからである。しかし、被害者という立場の私にとってはそのことが、自ら の孤独へと直結し、複雑な気持ちにならざるを得なかった。 この第一回の授業では、私は自分がこの公害問題の被害者であることは、生 徒には最後まで言っていない。あるクラスでは、授業の終わる5分ほど前に、 11 私の母親の出身地を伝え、実際に問題のカネミ油を家庭で使っていたことを話 した。 最初の授業であえて自分が被害者であることを最後まで言わなかったのは、 自分が被害者であるという事を前面に押し出して生徒に聞かせてしまったら、 生徒は公害が特別なことのように感じてしまうのではないかという事を思った からである。今回の私の授業の目的の一つには、公害の被害者には誰もがなる 可能性があるという事、また、なった時にどのようになるのかも想像してほし いという事があったために、自分だけが被害者という事を全面に押し出すこと は意図的に辞めた。 (1)カネミ油症の概要を教える まず私は、カネミ油症の概要的なことを生徒に教えた(資料プリント NO.1 の左)。具体的には何年に起きた出来事で、どのような特徴があり、新聞報道で はどのように扱われたのか、ということである。 しかし、すぐにプリントの穴埋めには入らない。生徒たちに1968年とい うカネミ油症が初めて新聞報道をされたこの年をイメージさせることも、授業 を展開していく際、また、生徒にこの授業に入ってこさせるためにしなくては ならないと感じたため、毎回の授業の初めに、当時どのような時代であったの かを生徒たちに口頭で紹介した。 具体的には当時が高度経済成長期の真っただ中であったという事、当時に始 まったアニメ等漫画の話、当時デビューした、現在の大物歌手は誰か、などで ある。 12 紹介したものを少し挙げると、 「ゲゲゲの鬼太郎(アニメ放送開始)」 「タイガ ーマスク(アニメ放送開始)」「巨人の星(アニメ放送開始)」「週刊少年ジャン プ(創刊)」「和田アキ子(歌手デビュー)」「マーティンルーサーキング暗殺」 などがある。 近年では、過去のアニメの再放送や、特集なども多くのテレビ番組でやるよ うになったために、これらの情報を与えた際の生徒の反応はよかった。 ただ、これらの情報はただ生徒たちに面白おかしく説明するため、笑いを取 るために行ったわけではない。もちろん、生徒にとって堅い話だけよりも親し みやすいものであり、その効果は非常に大きかったと考えている(特に教室に 少年ジャンプがあった時には、生徒から笑いが起きた)が、これらを説明する という事で、生徒たちは当時の家庭を想像し、頭の中に思い描くことができる のである。この他に、三種の神器、3Cのこと、企業戦士という言葉がこの時 に生まれたという事などを話した。 さらに、カネミ油症の最初の新聞報道は、今からちょうど40年前である。 という事は、テレビや漫画、週刊誌などは必ずと言っていいほど40周記念企 画を今年行うと私は考えた。そういったものを見た際にリンクして、カネミ油 症のことを少しでも思い出す生徒がいてくれたらと思って、とにかくたくさん の例を挙げた。 そしてその後、生徒たちにはプリントの方へ目を移してもらう。 このプリントの半面で目指したものは、私の考えるカネミ油症事件の最低限の 情報を紹介するということである。その最低限の情報は、 「年度」、 「加害企業名」、 「注目を浴びた特徴的な症状」、「初の新聞報道」、「病因物質」、「カネミ油症が 食中毒事件であるという事(ここでは食中毒事件と言っているが、実際にはそ の判断は非常に難しいところである、このことについては第二回目の授業で詳 13 しく生徒に説明する。)」である。授業が終わった後でも、このページを見れば カネミ油症のことを思い出していけるようにとこのページを作った。多くの公 害問題で問題となる、 「認定患者数」、 「未認定患者数」のことは、今回の授業の 最後にやるワークショップで、多くの被害者たちが認定されなかったことを生 徒たち自身に体験させるため、あえてここでは紹介はしなかった。 以上のことを紹介した後、カネミ油症の原因の企業、「カネミ倉庫」のこと、 現在も営業を行っていることなど簡単に話した。 この段階では(当時のアニメの話などをしている時も含む)、生徒たちに私と いう人間に興味を持ってもらうため、笑えるような説明を多くした。指導案に も書いたことだが、 「誰でも入れる明るい玄関」という事を教室イメージにした。 しかし、その明るい玄関は、カネミ油症の象徴と言われているものは何か。 というところで形を大きく変える。「黒い赤ちゃん」、その言葉を聞いた時、生 徒たちの何人かから「えっ…。」という言葉が聞こえた。そしてそのあと「どの くらい黒いのか」、「今もその人は生きているのか」という事が、生徒からの自 発的な質問として挙がってきた。私はその黒かった子供には、亡くなった人も いるが、生きている人もいることを伝えた。しかし、その2世である人から生 まれた子供(3世)もまた、色素の沈着した黒い赤ちゃんとして生まれたとい うことも分かっていることを生徒に伝えると、生徒たちからはまた、驚きの声 が上がった。この時に2回目の授業では VTR をみること、そしてその中で黒 い赤ちゃんのカラー写真も見られることを話した。生徒たちの何人かからまた 「えっ…。」と声が上がった。 この黒い赤ちゃんの話をしている時に、あるクラスの生徒が「黒人の赤ちゃ ん?!」と冗談めかして発言をした。その教室には笑いが起こった。この生徒 14 の発言には、私は驚いたが問題はないと考えている。このタイミングでは生徒 たちはカネミ油症のことは全然知らないし、黒い赤ちゃんと紹介されたとして も、全く想像できないだろうからだ。 しかし、私が興味を持ったのはこの「黒人の赤ちゃん?!」と発言した生徒 が、最後の授業で書いてくれたコメントペーパーだ。この内容については、 次 章の生徒はなにを学んだかのところで詳しく記したいと思う。 話を授業の流れへと戻そう。黒い赤ちゃんの他に、もうひとつカネミ油症の 症状の一つとしてこの時点で、 「塩素ニキビ(クロルアクネ)」のことを挙げた。 生徒たちには最初に若い女性のうなじの写真を出し、 「これは何かわかる?」と、 質問をした。生徒たちは最初のうちはわからなかったのだが、だんだんと首、 うなじという意見がちらほらと出てくる、そのあとに背中一面の塩素ニキビの 写真を出した。生徒からは驚きと、 「えっ、これどうなっているの?」という質 問が返って来た。背中一面に空いた穴、家族で車座になって背中にできたニキ ビをつぶしていたという話をした。この塩素ニキビができたことで、ひきこも りになった青年の話や、 「最初に見せた写真はみんなとおなじくらいの若い女性 の首だよ。」という話をした時、教室には最初の和やかな話の雰囲気はもう全く なくなっていた。 (2) PCBとは何かを教える カネミ油の中に入った PCB(ポリ塩化ビフェニール)について 15 次に、カネミ油の中に混入した工業用の油 PCB(ポリ塩化ビフェニール、以 下 PCB と書く)のことを生徒に話した。 当時の人であればPCBとは何かと言った時に、身の回りに使われていたた めに、特に取り立てた説明は必要なかっただろう。しかし、1972年、一部 を除く日本でのPCBの生産、使用が中止された現在では、生徒たちはPCB というものについて何も知らないため、PCBがどのような性質をもったもの であり、そして何故、日本で生産中止になったのかをわかりやすく話さなくて はならない。 私が社会科研究室で打ち合わせをしていた時のこと、社会の教員に「おれた ちの子供の時だったら、これがPCBだ!!って、直接見せられたのになぁ。」 と言われた。そう、現在では実際に生徒たちに目の前に持ってきて見せること も出来ないために、生徒たちには口頭でその特徴の難分解性、水に溶けないが 油に溶けることを、プリントで順を追って説明した。 最初のうちはその特徴が活かされ、非常に重宝された化学物であったことを 説明し、実際に当時使われていたものの一覧の一部を紹介した。プリント上部 の「 」の化学物質の中に何が入るのか、生徒たちに考えさせたところ、 「最 高」、「最強」、「日本」…など、様々なものが上がった(正解は「夢」)。 そしてこの後、PCBの特徴をわかりやすく4つに分けて紹介した。まず、 プリントの特徴を読ませ、そのあとに口頭で補足していった。 プリントに書いた特徴は①熱によって分解しない。②腐敗しない(微生物が 分解できない)。③水に溶けないが油に溶ける。④電気を通さない。という4つ である。この①、②を合わせて、PCBの特徴には難分解性があることを話し た。 16 次に、夢の化学物質とまで言われ、以上のような特徴をもったPCBは、実際 にはどんなところで使われていたのかという事をプリント中央に、使われてい たものの一覧として「これは使われていたもののたった一部だけど。」と注意を 加えて紹介した。 (カネミ油症被害者支援センター 『カネミ油症 過去・現在・未来』 (緑風出版、 2006 年))これを見ると、本当に様々なところでPCBが当時使われていたこと がわかる。 しかし、生徒たちにそのあと1つのグラフを提示(川名英之『実は危険なダ イオキシン』2008年、緑風出版)し、「このグラフから何がわかる?」と 投げかけた。生徒たちは「急にグラフが下がっている。」 「日本生産中止。」と答 える。 そう、このグラフからわかることは、PCB という物質がある時期を境に生産 が急降下し、その後日本では生産中止されていることがわかる。そして、その 理由として「カネミ油症事件」、「環境汚染」が原因であったことを生徒に説明 する。 ここで、PCB の最初に説明した、特徴を逆に考えてみる作業をする。特徴①、 ②の難分解性のことを説明したが、実際 PCB の焼却処理には1000度から 1400度が必要とされているため、きわめて分解することが困難である(通 常の焼却炉では不可能)。もし低温で償却しようとした場合、大量のダイオキシ ンが発生するのだという事を生徒たちに話した。また特徴③の、水に溶けない が油に溶けるという説明をするために、 「もし僕が PCB を飲んだとしたら、水 に溶けずに脂肪に溶けるというPCBの特徴から、PCBは僕の体の中の脂肪 と溶け、体の外に排出することが困難になるんだ。」を話した。 さらに、もしこの難分解性を持ったPCBが環境の中に入っていったらどう 17 なる?と生徒に想像させ、微生物が分解できないという事で、いつまでもPC Bがそこに残り、環境破壊になるという事を説明した。 この2ページにわたって何度も繰り返し、印象づけたのは、カネミ油(ライ スオイル)は食用の油であり、PCB は当時様々なものに使われた工業用の油で あるという事だ。なぜ、常識で考えれば混ざりようもないその2つの物質が混 ざってしまったのだろうか、という事、またそして、工場用の油を食べた人は どのような症状になったのかという事も、授業のなかで紹介していく(最初に 紹介したクロルアクネや、黒い赤ちゃんなどは症状のほんの一部でしかないこ とを注意しつつ)と、生徒に話した。 (3)ポイント いつから PCB の危険性がわかっていたのか プリントを裏返すと、いったい PCB の危険性が明らかになっていたのはい つからなのかというところに焦点をあてる。日本で生産中止になった PCB で あるが、いったいどのくらいの時期にその危険性が日本で問題視されていたの かは非常に重要なところである。この内容は、川名英之『検証カネミ油症事件 (2005、緑風出版)』に載っているのだが、日本で PCB の健康被害につい ての研究が発表されたのは1954年の段階であり(「労働科学」に野村茂博士 が発表)、さらに、PCB 製品を扱う工場には従業員の定期的な健康診断、そし て職場の空気中の PCB 濃度の測定の実地が要望されていたことが書いてある。 つまり、PCB のその危険性については、カネミ油症が新聞報道される196 8年の、10年以上前に発表されていたのである。 もちろん、カネミ倉庫はそのどちらも行ってはいない。また、カネミ倉庫に PCB を売っていた鐘淵化学工業もその使用方法に関する細かな注意は行って 18 いない。後にも書くことだが、そのため、カネミ倉庫で働く従業員たちは PCB の危険性を細かくはほとんど知らなかったという事がいくつかの本に書かれて いる。 生徒たちにはこの油症の症状が出た従業員の中に「自分はカネミ油症だ」と 最後まで訴えなかった人がいたことを話した。自分のいる会社を訴えられない という心からであろうか、その他に何か理由があったのかどうかは、もう誰に もわからない。 ここでは早くからその危険性が指摘されていたにも関わらず、その使用を抑 止すること、またその使用の注意には繋がらなかったのだという事を生徒に話 した。 (4) カネミ倉庫はどのようにして PCB を利用していたのか なぜ食用油に工業用の油が混ざったのか。そのことを理解するためにはこの 部分が一番重要であった。どのようにして明らかに人体に有害であるとわかる であろう PCB が、混ざってしまうほどに食用油の近くで使われていたのかと いう事である。プリントの言い番始のページに、PCBは「熱媒体」として使 用されていたという事の説明がこの部分に当たる。 この部分は、私自身、授業準備をしている段階で一番苦労したところの一つ でもある。なぜなら、カネミ油症の病因物質のことや被害者のことを書いたも のは比較的に見つけやすいが、カネミ油を作っていた工場の、機械のシステム まで書いたものはほとんどない。書いてあったとしても、2行程度でさらりと 書いた物が多い。文献自体が少ないので、私自身、この授業をする前に理解す ることに非常に苦労をした。 多少仕組みが複雑になるため、この部分を生徒に教えるときには、文章だけ 19 では教えず、黒板に絵を描きながら、また絵カードを多用して教えた。プリン トにも、説明するための図を用意した。 生徒たちには、プリントに書いた文章も使い、次の内容を伝えた。 カネミ倉庫が作っていた米ぬか油は、米ぬか自体に独特の臭いがあるため、 そのままでは使えず、温めて脱臭する必要がある。しかし、火によって直接に 温めれば、その一部だけが集中的に温められてしまうため、油自体が変質して しまう恐れがある。そこで、一度 PCB を250度まで加熱し、脱臭塔(カネ ミ油を脱臭するために使われた塔)内にある蛇管(ホースのようなものがバケ ツの中に入っている様子をイメージしてもらう)の中に入れる。そうすること で一部だけが変質することはなく、全体をいっぺんに温めることができる。 この用法を使う事によって、カネミ倉庫は米ぬか油のにおいを見事に取り除 くことができたのだが、食用の油と工業用油のこのときの壁は鉄のパイプ一つ、 だれがどう考えても危うさが感じられるのではないだろうか。と生徒たちに投 げかけた。 (5) カネミ油症の基本的な原因 1枚目のプリントの最後の面になるが、このページの題名にこのようなまど ろっこしい名前を付けたのには理由がある。いや、この題名でも問題を含んで いることと感じる。 なぜなら、カネミ油症の原因とは何かと考えた時に、その原因は一言では言 えないのである。それは、カネミ油症が発生した時(それもあいまいだが)か ら今まで、充分な事件の究明も、研究もされてこなかったことに他ならない。 しかし、現在ではカネミ油症の発生した原因は、いくつかの要因が重なったも 20 のであるという考え方がされている。 この第一回目の授業で生徒たちに説明したのは工事ミス説である(本時では、 それ以外の原因と思われることは、ちなみにという程度に、口頭で説明するこ とにとどめた)。 カネミライスオイルの脱臭塔にある、ライスオイルの温度を測る、温度計に 問題が発生したために行った、外側からの溶接工事。その際に使った溶接棒の 先が蛇管に接触し、そこに穴があいて PCB が漏れだし、カネミ油と混ざった というものである。 そして、穴があいているとはわからない工場員たちは、蛇管から不自然に減 っていくPCBをどんどんと継ぎ足していく。カネミ油症被害者支援センター 『カネミ油症 過去・現在・未来』 (緑風出版、2006 年)の中では通常1か月 間で脱臭塔に足すPCBの量は、工事ミスが起きた後の1ヶ月間に足されたP CBの量と比べて数倍の量にも及ぶと書かれているという事を生徒に話した。 このときの量を聞いて生徒たちからはあきれが入った笑いが起こった。 さらに、カネミライスオイルの中にPCBが混入していると工場内で分かっ た後であっても、再脱臭してしまえば問題ないと工場長が指示する(ここは演 劇調に説明した)。そして再脱臭を実行するのであるが、その再脱臭したことに よって PCB から PCDF が生成され、より毒性の激しいものを全国に売ったと いうのが、大きな原因の一つだとされている。これが今回の授業で生徒たちに 話した原因だ。 しかし、ものによるとカネミ油症と同じような症状を持つ被害者は、この工事 ミスによって PCB が混ざった時期よりももっと前にも存在している。つまり、 工事ミス説では説明できない機関に被害者が見つかっているのだ。そのはっき 21 りとした理由は原因の究明がされなかったために言う事は不可能だが、例えば 工場での PCB の扱いはかなり荒いところがあったという事がいくつかの本に かれている。例えば刑事裁判の法廷で検事がカネミ倉庫の脱臭係に尋問してい る時のものがあるのだが、PCBを脱臭塔に補給するためにはバケツを使って いた(職員の間ではガンガンと、方言で言われていた)、何とそのバケツと同じ ものでカネミライスオイルを掬っていたという事が矢野トヨコ「カネミが地獄 を連れてきた」(1987)の中に書かれている。それによってどの程度のP CBがカネミライスオイルに混入したのかはわからないが、要因の一つになっ ていないと断言することもまた難しい。このため、原因は一つとはっきりは言 えないという事を生徒たちに話した。 また、授業では3回目の時に生徒に伝えたのだが、今回生徒たちに伝えた「工 事ミス説」は、1980年に初めて明らかになった事実であり、それまでの間 はまた別の説によってライスオイルの中にPCBが入ったという事とされてい た。この説については、第三回目の授業の内容で記す。 こうなると、いったいどこが原因なのかというところは非常に不透明である。 そして、被害者たちのほとんどは、問題のある診断基準によって切り捨てられ、 認定被害者に関し ても、しっかりとした原因究明、調査は行われていない。 言葉を重ねるが、生徒たちにもここには原因と書いてはあるが、これがすべ てではなく、そのほかにもたくさんの要因があったという形でこの時に伝えた。 工場長が「再脱臭をすれば問題ない。」という指示をするところを、生徒たち の前で寸劇のように行ったところ、感のいい生徒たちは大きな反応をした。そ う、この前段階で PCB の難分解性のことを学んだ生徒たちは、PCB が再脱臭 したところで消えるなんてことはあり得ないという事を分かったのである。 22 (6) ワークショップ 被害者と医者になる どのクラスも一日目の最後に行ったこのワークショップだが、このワークシ ョップこそが、全三回の授業の要ともいえるものであった。 カネミ油症事件での問題の一つに、油症研究班たちが早期に作った油症診断 基準がある。この油症診断基準は、カネミ油症が新聞報道された「1968. 10.10」からわずか9日で出来上がっているのだが、この診断基準には非 常に問題点が多く含まれている。その問題点を生徒たちには実際に体験しても らおうという事だ。 ワークショップの内容 ① 医者役、患者役に分け指示する。 第一に、クラスを4人、または5人のグループごとにわけ、その生徒たちの 中で代表を一人決めさせる。そしてその代表の一人が医者役になる。残りの人 は患者役になるのだが、その患者約の人たちには、ひとり一枚ずつ全員が違う 症状の書いた紙を取ってもらう。そこに書かれた症状が自分の症状になり、医 者役の生徒に訴えることになるのだが、ここに書かれている症状は、私が読ん だ文献の中に出てきた実際の症状を組み合わせて作ったものである。なので、 生徒たちは実際の被害者たちの症状を医者に訴えることになる。そして、患者 約の生徒たちは皆等しく問題のカネミライスオイルを使っていたという設定に した。 ② 医者役だけに患者を診断する際の注意点を指示する。 ワークショップを始める前に、医者役の生徒たちを教室の外に集め、診断す 23 る際の注意事項を説明する。説明している間、患者約の生徒たちには、自分た ちの与えられた紙に書いてある病状を見ていてもらうように指示した。本当に 様々なものが症状として出ているのがわかるので、生徒たちの何人かからは驚 きの声が上がっていた(論文の最後に資料として実際に配ったものを載せたの で見ていただきたい)。ただ、このプリントの作成時に注意したことは、驚きを 生むような特徴的な病状だけを取り上げないようにしたことだ。 カネミ油症の実際の被害者たちの症状は、本当に偏りなく様々なものがある。 その中には、通常の食中毒に見られる、吐き気や頭痛などという、いわゆる特 異ではないものもたくさんあった。 それはカネミ油症が「病気のデパート」と言われていたことからもわかる。 カネミ油症の被害者たちは、大小さまざまな病気に苦しめられていたことに、 生徒たちに気が付かせるために、生徒によっては一見他の生徒と比べて重度の 病気とは見えないものも織り交ぜた。生徒たちは私が医者役と話をしている間、 お互いの紙を見せ合って驚いたこえをあげていた。 医者役への指示 医者役の生徒には、診断用のプリントを自分の班の人数分渡し、診断に入っ たら一人ずつ呼んで診断すること、そしてまず患者の生徒の名前を聞き、医者 側から3つの質問をするようにという指示をした。その質問は以下のとおりで ある。 1★座瘡様皮疹(ざそうようひしん)があるか? yes no →顔や体にできる塩素ニキビがあるか 2★眼脂(めやに)の増加があるか? 24 yes→場所 yes no 3★爪の変化が見られるか? yes no →爪の色が黒くなっていたり、変形していないか そして、この3つがそろって該当しなかった患者は、カネミ油症には認定し ないという事を医者たちには強く言った。これは、厳密にいえば実際に行われ た診断とは異なっている。なぜなら、油症診断基準には、必ず三つという言葉 は存在しないからだ。カネミ油症被害者支援センター 『カネミ油症 過去・ 現在・未来』 (緑風出版、2006 年)の本でもこのことは問題とされているのだ が、必ずと書いていなく、どれか一つとも書いていないのだ(つまり、症状が andなのかorなのかが明示されていない)。そしてそのことによって当時1 969年7月2日の段階では、14627 人の訴え出た被害者のうちの 913 人を認 定するという悲惨な結果へとつながった(現在においても認定された患者の数 は、訴えた約 1 万 4000 人中 1900 人だ)。認定書数 参考 『今 なぜカ ネミ油症か』(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク、2000 年 「」の本には実際、三つのうちの一つの症状塩素ニキビができて来診した青年 が、ニキビは若さの象徴だと言って医師に返されたとい事例も書かれている。 今回のワークショップでは、実際の診断基準の認定者の割合と近づけるため に、約30人中3人という割合で3つの症状が全て当てはまる患者が出るよう にした。 生徒たちがワークショップをやっているところは、いろいろな光景が見られ た。医者役になった生徒がサバサバと患者を見ていくところや、親切に他どん な症状があるのかと一人一人に長い時間をかける生徒もいた。私は実際の病院 25 や保健所でも同じように、その時に見た医者によって違う対応になったのでは ないかとおもいながら生徒たちを見ていた。 生徒たちは非常に楽しんでいるようであったが、医者役の何人かは途中で不 安そうな顔をして、私にこっそりと確認をした。 「全然当てはまる患者がいない んだけど…。」私は、その時にはとにかく最後まで終わらせるように、と指示を した。患者役の生徒には、自分の診断が終わってもすぐには結果を知らせない ようにした。最後の一人が終わるまで待って、そのあとに自分の医者から一斉 に認定未認定の書いた紙を渡すようにしたのである。患者約の生徒たちは自分 たちが認定されるのか、されないのかは、この時点では全く分からない。また、 医者役の生徒たちも自分の班では認定される患者はほとんどいないが、他の班 ではどうなったのかという事はわからないという事になっている。 全員の診断が終わったところを見計らい、医者役の生徒たちに診断書を配る ように命じた。何人かの生徒から声が漏れた。そう、自分はカネミライスオイ ルを食べ、そのあとに体調が悪くなったのに、診断は未認定なのである。生徒 たちに「認定された人、手をあげてください。」というと、全クラス中三人、ま たは二人の生徒が手を挙げる(ランダムに紙を配るため、欠席者などの関係に よってずれが生じた)。生徒たちの顔は困惑している。 ここで、認定患者の生徒たちに自分の症状を言ってもらう。そして、続いて、 医者役の生徒たちにどういった患者を認定にしたかを言ってもらった。「でも っ。」という声が何人かの生徒からあがった。この時、未認定の患者の生徒の何 人かに、自分の症状を言ってもらった。頭痛や下痢、腹痛といったものから、 倒れたというものまで、未認定であっても本当にひどい症状があり、そしてそ の種類は様々であることを生徒たちはわかったであろう。しかし、重病であっ ても認定されてない者がいる。このクラスの中にいるものは全員がカネミ倉庫 のライスオイルを使ったのにも関わらず。 26 黒板に、被害者の届け出た数と、認定された数を書く。そして、この他にも 届け出なかった人たちがいるという事。さらに食堂などで油が使われていた場 合、カネミ油を食べていたと気付かなかった場合もあるだろう。など、届け出 た人数は、イコール被害者数ではないことを確認した。 さらに、本当の被害者たちは、カネミ倉庫が工事ミスをしたことも、診断基 準がどういった風にできているのかも知らないという事を説明し、 「みんなもも し医者から違うって言われたら、ああ、そうなんだ。よかった、自分はカネミ 油症とは違うのかって安心しない?」と、話した。何人かの生徒はうなずいて いた。 そして、少数ではあるが認定された人にはどのような対応がされたのかとい う事を生徒に説明した。もちろん未認定になった生徒たちには、 「はい、皆さん には今後一切の補償などはありません。医療費や大変になるのであろう生活は、 自分で何とかしてください。」とはっきりと言った。すると、生徒から、「でも カネミ油を食べてからこうなったんだよ…。」と質問が出た。私は、「でも、あ なたたちは国が作った専門機関から、カネミ油症の被害者ではないという事を はっきりと言われたのですから、そこに書かれている症状はカネミ油症が原因 ではなく、他の何か別の理由があるのでしょう。カネミ油症として国や企業が 何かすることはありません。」とその説明に対して答えた。 カネミ油症は認定されたからといって、たくさんの補償があるわけではない。 加害企業の「カネミ倉庫」は、経営難を理由にして1万円の見舞金を一度送り、 限られたものにしか適応されない油症手帳というものを認定患者に配っただけ だ。この油症手帳は、医療機関などでかかった費用(カネミ油症が原因と許可さ れたものだけ限り)など、一度被害者が負担した後、カネミ倉庫に被害者自身が 27 申請するというものであるが、交通費が出なかったり、細かい点で申請しても 問題となったりと、かかる医療費をすべて出してくれるというものではない。 このように、けして認定患者となっても、安心できるものではないということ である。もとより、自分の症状として配られた紙を見た生徒たちは、どのよう な対応をとられたとしても、もう安心などはできないという事はわかっている だろうが…。 ここで、生徒たちに問題提起をしてみた。では、いったいどういった人(範 囲)を認定被害者に認めたらよかったのだろうか?と、そうすると、生徒達か らはいくつかの意見が出た。 「被害を申し出たすべての人を認定にすればいいんじゃないか?」「いやでも、 そうしてしまったら誰でも彼でも被害者にするってことじゃないか!?」 「とり あえずみんな認定しておいて、細かい調査をしたらいいんじゃないか」 「すぐに みんな認定という判断をせずに、いったんどんな被害者が出たのかを集計した らよかったんじゃないか。」等等。 しかし、実際には多くの被害者を切り捨て、自分たちの決めた油症診断基準 というあいまいなもので「認定被害者」というものを作り上げ、それ以外を排 除したのである。なぜたった9日間で認定基準を作ったのか。そして、いくら カネミライスオイルを使っていても、診断基準に収まらなければその患者はカ ネミ油症の患者にはならない。 いや、むしろ「カネミ油症ではない」と医者たちからのお墨付きをもらうの である。どんなに症状が苦しくても、どんなにおかしいと訴えても。 このあたりで第一回の授業が終わるのだが、前記した通りクラスによって次 の授業のへの紹介の仕方を変えた。あるクラスには「次の授業では、カネミ油 症事件の実際の被害者がこのクラスにゲストとして来てくれるので、必ず次の 28 授業では遅れないで来て下さい。」と、次の授業の紹介をした。この時点でこの クラスの学生は、私がカネミ油症の2世被害者であるという事はわからないま まに第二回目の授業に入る。 また、別のクラスには、ここで私がカネミ油症の被害者であることを知らせ た。 「ここまで、カネミ油症のことを勉強してきましたが、実は私の母親は福岡 県北九州市の生まれです。○○くん、北九州市とはどこだっけ?…カネミ倉庫 のある場所だよね、そう、私の母親はカネミライスオイルを食べました。当時 小学生だった私の母親は、背中いっぱいに塩素ニキビができて、私のおばあさ んに背中のニキビをつぶしてもらっていたそうです。つまり、私はその母親か ら生まれたカネミ油症の2世被害者という事です。次回の授業では、カネミ油 症の被害者の人たちの活動や、実際の被害者の症状はどのようなものがあるか、 もう少し勉強したいと思います。」と、こうしたことで、ここにいる生徒たちは 少なくとも次の授業に来るだろうと思った。何人かの生徒から授業が終わった 後に「本当に…?」という困惑した質問が飛んできた。またそれ以外にも、カ ネミ倉庫の事や、国がした対応の事など、どのクラスでもいくつかの質問が飛 んでくることとなった。その質問は、ある生徒とは帰りの電車にまで及んだ。 また、別の授業では、私自身がカネミ油症の被害者であるという事は言わず に、 「次回に実際の被害者が教室にゲストとしてくるので、絶対に遅れないよう に…。」と、間接的に被害者が来るという事を伝えた。こうした場合、最初の自 分自身が被害者だと告白するものとはまた少しイメージが変わったであろう。 しかし、言葉は変えてみたが、ゲストが来ると言った時も、私自身が被害者だ と言った時も、生徒たちは黙った。 生徒たちがどのように感じ、どのようなところに注目したのか、印象が残っ たのはどこか等は、第二章の「高校生は何を学んだのか」に細かく書くことに 29 する。 2 第二回目授業 「前半 食中毒問題という視点 後半 実際の被害者の話」 2回目の授業は、クラスによってかなり1回目との期間があいた。この回の 前半では、前回の授業ではカネミ油症の概要的なことを学んだのに対し、今回 はさらに突っ込んだ話へとなっている。例えばカネミ油症では「認定」 「未認定」 で患者を分けたが、もし違う見方をしていれば、カネミ油症に未認定というも のはなかったのではないか?というものや、後半ではさらに実際の被害者たち の生の声、体、生活に中心をおき、単なる本からだけでは得ることのできない 感覚を生徒たちに感じてもらおうというのが目標である。 (1) 前回の復習 まず、1回目の授業に来なかった生徒のためにも、最初は復習から始める。 今回もプリントで穴を埋める形にはなっているが、実際には穴の数以上、生徒 たちに質問し答えさせる。生徒たちの知識の定着度と、今日の反応を見た後、 前回の授業のワークショップのことを細かく確認する。そして、多数の未認定 患者が生まれたメカニズムを確認した後に、プリントに右側のページに移る。 ちなみに、ゲストが来ると伝えたクラスには、授業の後半で実際の被害者に 来てもらう事になっているから、と伝えた。 (2) 病気のデパート 30 カネミ油症の被害を届けた患者たちの多くは未認定患者となったことは、前 回の授業、そして、今回の復習で生徒たちの頭の中に入れた後、実際の未認定 被害者たちはどのような病気になったのかをここでは表によって確認する(も ちろんこれが全てではないと言ったうえで)。生徒たちは、前回の授業で実際の 一被害者になって医者に症状を訴えたが、ここではじめて少し距離をとった状 態で全体の被害を見る。 このページの一番上には「デパート」という文字が入る。カネミ油症は病気 のデパートと言われるほど、被害者の症状は多肢にわたる。人が毒を食べたと き、その症状の出方は人によって違う事、そしてそれが当然であること。しか し、油症研究班は詳しく調べることもせず、奇病とし、早期に油症診断基準を 作ったことを重ねて話した。 また、ダイオキシンは油に溶ける性質があるため、被害者の体内の脂肪と溶 けあい、体外に排出されることは難しいことを確認した。そしてその全身に症 状が現れるカネミ油症を背負い、今も何の対策もないまま苦しんでいる人たち がいるという事を、生徒たちに話した。 (3) 誰(どこまで)を認定すればよかったのか? ここで、少し視点を変えて、もし当時に違った対応がとられていたという事 を生徒たちに話した。カネミ油症を通常の食中毒問題ととらえたらどうかとい うものである。 カネミ油症被害者支援センター 『カネミ油症 過去・現在・未来』(緑風出版、2006 年)の本に は、カネミ油症事件は、食用の油を食べて体調が悪くなったのだから、食中毒 事件である。通常の食中毒事件には診断基準などありえない。問題となった油 31 を食べ、何らかの症状があらわれていたら被害者なのである、と書かれている。 しかし、このことを生徒たちに説明した後に、通常の食中毒問題とはなれな かった理由を生徒たちには口頭で説明をした。その理由とは、まず通常の食中 毒の事件であれば、その食品そのものが変化、劣化等して食べた人に何らかの 異常をきたすのであるが、カネミ油症の場合は、ライスオイルを作る過程での 工業用の油が混入したものであるから、通常のものとはあてはまらない。 さらに、プリント右側の西日本新聞(2002・10・24)の記事の中で は、 「カネミ油症の被害者を食中毒患者として届け出たい」と、福岡県久留米市 の保健所に届け出た医師の話が書いてある。その結果はどのようになったかと いうと、 「患者認定は国の審査基準に従った協議したい、との説明があった。 「食 中毒」の訴えが未認定の壁を破ることはできなかった。〈本文のまま〉」実際の 医師が直接に保健所で訴えを出しても、保健所は門前払いを行ったのである。 カネミ油症は、十分に調査もされないままに「国の審査基準」を作り、その審 査基準は不十分でありながらも他の意見を完全に否定したのである。 さらに、重ねて生徒たちにはプリント左下の油症診断基準(1969)の前 文の問題点を紹介した。生徒たちには、2行目の「特異な病状を呈して発症し た特定疾患(いわゆる「油症」)に対してのみ適用される。」というところにア ンダーラインをひかせた。この文章は実際の油症診断基準の原文のままのもの であるが、理解したうえで読むと非常に恐ろしいことが書いてある。 まず、 「特異な病状」とは、つまり通常の食中毒の際に必ずと言っていいほど 現れ、カネミ油症の被害者たちにも例外なく多く現れた、下痢、めまい、吐き 気などの症状(いわゆる得意ではない)に対しては、もちろん適用されないの である。 ここで言っている特異な病状とは、もちろんこの前の回にやったワークショ 32 ップの際、医者役の生徒に指示をした三種類のものである。塩素ニキビ(クロ ルアクネ)、爪の変色、大量の眼や(マイボーム線の異常)がそれなのだ。 (4)VTR を見る この VTR は NNN ドキュメントで 2007 年 3 月 11 日に放送された番組「覚 めない悪夢 カネミ油症 39 年の空白」である。このビデオには、前回の授業 の時に話した黒い赤ちゃんのカラーの写真や、実際の被害者である人たち、ま た、現在のカネミ倉庫がしている対応について取り上げられている。 生徒たちにこのVTRを見せた理由は、この第二回目のこの場面では、少し でも、一つでも多くの被害者のことを知ってもらうことを目的としていたから だ。 ビデオを見ながら、補足を加えるところでは一時停止をしながら説明をして いった。 ガンの手術の後が生々しい被害者や、子供の時にカネミ油症となっていじめ られた被害者など、生徒たちは息をのんだようにTVの画面を見ていたが、中 でも生徒たちの表情が変わったのは、黒い赤ちゃんの写真である。 うつぶせになっていて赤ちゃんの顔を見ることはできないのだが、その肌の 色は青黒く、ところどころ紫色の肌をしているのである。その写真からは生き たように感じることができず、生徒からも「これは生きているの?」という質 問があった。 この写真の時には、長く見ているのはつらかったが、意識的に映像を一時停 止した。高校3年生にもなれば、自分の子どもを考えたこともある生徒がいる だろう。その生徒に見てほしかったからだ。自分が被害者であるからなのかは 33 わからないが、あの子供を見てほしかった。そして、ここで生徒たちに少しだ け話をした。 「僕の友達も何人かは子どもが生まれているけど、子どもが生まれるときっ て、おめでとう!という感じに子どもを迎えるでしょ、でもさ、もしみんなの 子どもが黒い赤ちゃんだったら、みんなの友達の子どもができて、生まれた子 どもが…、しかもそれが自分のせいじゃなかったらどんな気持ちになるんだろ う。」 重苦しい空気がわかりやすいほどに教室に流れたのを覚えている。でも、こ の場面では、被害者のことを一つでも多く見てもらうことも目的であったため、 カネミ油症の被害者が亡くなった時、カネミ倉庫が2万円を被害者の家へ置い て行ったと、家族が苦しい声で言っていた。今も体が苦しいと、カネミ油症の 一世が言っていた。その言葉一つひとつ、生徒たちはどのように考えていたの かはわからないが、教室は音もなく静まり返っていた。 (5)被害者としての自分を語る 突然の授業変更 迷い VTR が終わった後、授業の時間を30分ほど残して、私は教師としてではな く、自分が被害者として生徒たちに語ることとした。一回目の授業で、実際の 被害者が来ると聞いていた生徒たちは、このタイミングで私がカネミ油症の2 世被害者であることを知った。 私は、自分が被害者であるという立場の話を生徒たちにしようかどうか、こ の二回目の授業の最初のクラスのぎりぎりまで考えていた。その理由は前章に 34 も少し書いたが、あまり自分が被害者というものを前面に出してしまえば、生 徒たちの中で公害というものが得意なものになってしまうのではないか、とい う事を気にしていたのだ。 しかし、授業をしていて自分の中に違和感が立ち込めた。自分が本当に苦し んでいる公害というものを生徒たちに壁をなく伝えたい、そう思って毎日何時 間も頑張って準備してきたのに、自分は公害というものを数字や、本に書いて ある知識で生徒たちに常に客観的に伝えているのである。これは本当に公害と いうものを伝えているのだろうか、公害の病因物質、被害者の数、被害者の病 状、未認定問題、公害の被害者たちと支援者たちがした抗議運動、国の不完全 な対応、これらのことを生徒に伝えるという事で、生徒たちは公害というもの を考えることができるのだろうか、知ることができるのだろうか。このままい ったら、生徒たちには私でない人が公害の授業をするのと同じことになってし まうと思った。 私は思い切って、生徒たちに、「授業の進路を変えてもいいかな…」と話し、 授業を被害者となった自分のことを話すことにした。ちなみに、残りの2クラ スには、後半の約30分、最初から被害者の話をするという事にして授業をし た。 この時間、自分が今までになった病気、YSC(油症支援センター)に行った ときのこと、悩み、また一番求めていることなど、自分が被害者になったこと を気付かなかったらきっと一生知れなかった感情や思いを生徒に話した。 私は被害者の話という事でこのとき生徒たちに話したが、この時に言った被 害者とは、私のことであって、他の被害者の人のことではない。 今回、生徒たちに話した内容は、質問の内容などでクラスによって多少異なっ 35 ている。ここでは、どのクラスにも言った私の「一人の人間」として伝えたか ったことについて書きたいと思う(一人の教師としての立場ではなく)。 (6)カネミ油症との出会い まず、私の最初のカネミ油症との出会いを生徒たちに説明した。これは生徒 たちにプリントとしても渡したものだが、最初からプリントでは説明せず、口 頭で話をする形にして説明した。 その内容は、まず私が最初に自分がカネミ油症の被害者であると知ったのは、 今から1年前の大学3年生の頃だったという事だ。 その時、私は母親と居酒屋にいっていて、お酒を飲みながら最近のトピック だとか、その時の彼女の話を話していただけだったのだが、私が「もし子ども が出来ない体だったら(私、もしくは将来の私のパートナーが)、養子を取って でも子どもは欲しいな…。」と子どもの話した時に、母親から突然にこの話が始 まった。 「九州で、私は小さい時に、カネミ油症事件というものにあっていて、よく わからないのだけど、カネミ油症の被害者は生殖器関係の病気にたくさんなる みたいで、生(私の名前)はもしかしたら子供ができない体かもしれない…。」 私は普通に将来のたわいもない話をしたはずだったのだが、母親からの突然 の告白があり、何とも言えない空気へと変わっていった、その時の私はカネミ 油症のことは何も知らなかったために、 「気にしなくて大丈夫だよ…、だってお 母さんのせいじゃないし、子どもは養子でも大丈夫だから…。」と、自分でも意 味のわからないことを言っていた。これが私の一番初めのカネミ油症との出会 いであった。このときの以前には、カネミ油症という事件を全く知らなかった 36 のだが、それが一瞬にして立場は被害者になってしまった。 そのあと、インターネットなどでカネミ油症のことについて調べたり、何冊 かの本を読んだりしてみた。そしてそこで、カネミ油症の被害者がなる病気が、 本当にたくさんあること、そして母親が言っていた、生殖器関係の病気も多い ことがわかった。 そして、私がそのことに妙に納得したのは、自分が今までなってきた病気に 非常に生殖器関係のものが多いことである。次に生徒たちにはそのなってきた 病気を説明していった。 さらに、今も陰嚢水腫という病気に左の睾丸がなっていて、手術をしなくて は治らない病気だという事を説明した。 デリケートなところの病気に何度もなることの何とも言えない苦しさ、そし て次に何の病気になるのか分からないことの不安など、生徒たちに話していっ た。生徒たちにも何度も言ったがカネミ油症は「病気のデパート」と言われた 病気である。次になるのがいつなのか、もしかしたらもうならないのか、重い 病気なのか、軽い病気なのか、全く分からないことの苦しさは、同じ被害者に しかわからないし、他のことでまぎれさせ、考えないでいられるほど小さいこ とではない。 (7)被害者(私)の徹底的な孤独 次に、自分がカネミ油症になってから、徹底的な孤独感に落ちたことを生徒 に話した。私自身がカネミ油症のことを全く聞いたこともなかったことも理由 としてあるが、逆に考えれば、自分と同じ世代の人はカネミ油症のことを聞い 37 たとしても、何のことか全くもってわからない。私が母に聞いた時と同じ状態 になるのだ。まぁ、たとえその人がカネミ油症事件を、名前として知っていた としても、自分の不安や苦しさには何の関係もないこともあることはわかって いるのだが、それにしても、あまりにも知名度の低いこの現状に苦しんだ。 毎日毎日と、カネミ油症のことを考えていて、本当にめいっていた時、私は 何度か友だちにこの話をしたことがある。しかし、そういったときは決まって 友達を困らせただけであった。 「えっ、カネミ油症って(何)…。」 「そうなんだ ぁ…つらいねぇ…。」と、友達は皆一様のリアクションをした。 カネミ油症事件のあったころに生きていた年代の人たちは、名前を知ってい る場合もあるが、そのことをひけらかす人もいた。「あれっていうのはね…。」 と始まって、最終的にはそういった人は国家批判につながっていくのだが…。 まぁ、よく考えれば、突然にそんなことを言われたって、誰も何とも言えな いのはわかったようなものだ。でも、そういったのを落ち着いて考えられるよ うになったのは、最近になってからであり、自分がカネミ油症だと気付いたば っかりのころは、なんでもいいから、誰でもいいから聞いてほしい、どんなこ とでもいいから知ってほしい、何か言ってほしい…と、泥水でも飲みたいほど、 自分の何かが乾いていたことは紛れもない事実だ。 医者に行って、 「自分はカネミ油症の被害者の2世だ」と言っても、医者はわ かったような顔をして「そうですか…。」とうなずくだけだし、あまり家族にも この話はできない(それは逆に家族を攻めることになってしまうから)。 あの頃の自分は本当に孤独にまみれ、よくわからないことになっていたと生 徒に話した。 38 (8)水俣病がうらやましい このことは何人かの生徒から批判を受けたことでもあるが、私はカネミ油症 は名前すら知られていないという事を言った後に、「水俣病がうらやましい。」 と言った。 水俣病は「四大公害病」として、学校の教科書にも載り、その本の数や、研 究所も膨大である。しかし、それに比べてカネミ油症は、自分の体のことを知 るために本を探すことも難しく、しかも、その研究はほとんど進んでいないの である(それは、カネミ油症の被害者たちが今も放置同然に扱われているから に他ならないが)。 そのことから、不謹慎ではあるが、私は正直言って水俣病がうらやましいと 生徒に話した。 (9)YSC(油症支援センター)の人たちと話した時のこと 自分がカネミ油症だという事を知ってから、私は大きな不安に襲われて、ど んな小さなことでもいいから知りたいと、インターネット等で情報を探してい た。そして、ある時に見つけたのがYSC(油症支援センター)のページであ る。 その時に私が見たのは、カネミ油症の最近の新聞記事などの情報であった。 そのページにコメントが書き込めるようになっていたので、私は正直に自分の 置かれた情報について書き込み、 「カネミ油症のことについて聞きたい、連絡し てください!」と自分のメールアドレスを載せた(この時期、他にもいくつか 39 のところに同じ様にメッセージを残したが、しっかりと返答があったのはここ だけであった)。 1日か2日経って、代表のSさんからメールが来て、私の話を聞かせてほし いといわれたので、私も「是非お願いします」とYSCの集まりに参加し自分 の現在の症状や過去になってきた病気のことを話した。また、それ以外にも、 YSCが活動するときに何度か参加させてもらったり、被害者一世の飲み会に 参加させてもらったりもした。 その時に会ったYSCの方々、また他の被害者の方々に私が感じた以外な印 象を生徒たちに話した。 私が感じた意外な印象とは、そこに来ていた人達が本当に終始明るかったこ とだ。はじめ私はそういった団体に行ったことがなかったために、その場の空 気がどのような状態なのか、どういった話が話し合われるのかという事を全く 考えることができなかった。いや、むしろ明るい会話というものが来るとは本 当に想像していなかった。 でも、その時に何と言うか私も考えさせられたところがあった。いつまでも カネミ油症のことばかり考えていられないという事だ。カネミ油症の苦しみは 確かにあるし、その症状も、考えるだけで嫌になってしまうが、そのことだけ にとらわれてしまっては、人生がとても暗いものになってしまう(その当時の 私はずっとそのことばかり考えていた)。 その考えが、カネミの他の被害者の人に会ったことで、または被害者の家族 を持った人の話を聞くことで思った。 そして、私自身本当にうれしかったという実感があることを生徒たちに話し た。今まで、他の人に行ってもわかってもらえない、言うだけ自分が苦しくな って、後悔もするし、その先に何もなかったのに対し、YSCの人たちと話し 40 た時には、目の前にいる人が被害者だと、もう何も言わなくてもお互いに苦し いこともあったことが分かりあえるような気がしたのだ。徳に細かい話をしな くても、「大変だったね。」と言われるだけで、その言葉にその人の大変であっ た経験が乗っていて、私はその時に救われたような気がした。 生徒たちにこのことを話している時に、私の心はどんどんと締め付けられて いるような気持になった。苦しくて、話していることもつらくなってしまった。 この時間は被害者として話すことを生徒たちにしたのだが、それは、教師とは 離れた所にある自分の正直な気持ちを話すことをできたと思う。そして、生徒 たちもしっかりとその話を聞いてくれたと思う。 (10)ワークショップ 「私はカネミ油症の2世です」このことは彼女に伝えるべきか。 2回目の授業の最後には、10分程度時間を残して生徒たちに作業をしても らった。 その題材は、 「私には現在付き合っている彼女がいる。しかしその人には私がカ ネミ油症の被害者であることは言っていない。言ったほうがいいですか、言わ ない方がいいですか。」 というものである。 自分が被害者であると言えば、そのことによって恋人は離れてしまうかもし れない。子どもができないかもしれないし、出来たとしてもその子どもに何か 悪いものを受け継いでしまうかもしれない、私自身が何の病気にこの先なるか 分からない。働いていくことがこの先困難になるかもしれない可能性だってあ るし、正直、大きな病気にかかって長く生きられるかどうかもわからない。カ 41 ネミ油症の被害者の研究がはっきりとされていないことから、どういった可能 性があるのか、全く分からないのである。 逆に、自分が被害者であるという事を、このまま(現段階では言っていない) ずっと言わないという選択もあるだろうと生徒に言った。そうすれば言わずも がな、自分が病気にかかった時に罪悪感や、隠していることにつらさもあるだ ろうという事も付け加えて、生徒たちはどう思うかという事をコメントペーパ ーに書かせた。 生徒たちからは、本当に多種多様な答えが返ってきたのだが、そのうちのい くつかを紹介する。 「彼女に自分がカネミ油症だと話した方がいい」という意見 生徒(女) これからも長い間、一緒に居たい人なのだったら、打ち明けるべきだと思う。 と、それは私の立場だから言えることなのだ、ということを承知の上で。本当 は何も言いたくない、言えないという気持ちが大きいのだけど(書かないで退 出したい気持ちが確かにある)。 生ちゃんが一生懸命伝えてくれて、それに言葉で答えなければと思った。 もし私だったら言わないかもしれないと実は考える。打ち明けて一緒にいる より、打ち明けずに一緒にいないという選択をしてしまうかなと。どうしても 生チャンの立場で考えることが私にはできないから、どうしても軽々しい言葉 になっている。私もカネミ油症を名前だけしか知らなかった。そのことにズキ ズキします。 42 生徒(女) 私は言うべきだと思う。まず、云々言う前に、この質問をされた時には、 「言 わない」という選択は、私の中には生まれなかった。一回も。 私はいたって健康であるし、おそらく、つーか絶対カネミの被害者でもない。 だから、生ちゃんの立場で考えることはできないけれど、私が生ちゃんの彼女 さんなら絶対に言ってほしい。私にも大切な人がいます。その人は油症なんか と比べたら全然軽いんだけど、やっぱり苦しんでいるというのは変わらなくて、 私にできることなんか何にもないんだけど、それだからこそ言ってほしいです。 だって何も出来ることが、せめて愚痴だったり相談だったりでもいいから教え てほしい。「お前なんか何も知らないくせに!!」って、当たってくれたって、 それでいい。うあー何が言いたいのか分からなくなってきた!つーか泣けてき た。 生徒(男) 僕はこの事件を聞いて、被害者は被害者なんだから、彼女に言っても、自分 は悪くない。そう思います。本当に好きなら、絶対に言います。それで幸せに なれたら、それでいいじゃないですか? 先のことは考えると怖いかもしれないけど、親もちゃんと産んでくれたわけ だし、これから先、本当に彼女に言おうと決心したら、詳しく話してあげれば、 すっきりすると思います。 生徒(男) もし自分のこととして考えると、というかこう考えることがすでに失礼かも しれないけど、打ち明けるべきだと思います。 そのことを隠し続けたとしても、もし赤ちゃんが生まれたとき、もし流産し 43 てしまった時、傷つくのは自分だけではないから、だからちゃんと話すべきだ と思う。 でも、僕は当事者ではないので、このことを背負う事は出来なくて、だから 何を書いても無責任なことになります。すいません。 生徒(女) 私ならすぐに打ち明けられない。もし、離れていってしまったら、もし、嫌 われたら…って考えるから。でも、打ち明けないっていうも不安になる。油症 であることを隠し続けるのは無理。 油症からの症状が出たとき、お互い原因が油症であるとわかっているのなら、 不安にはならないと思う。もし、話していないと自分は油症が原因と分かるけ ど、相手は何が原因か分からなくて不安になる。 「何が原因なの?」って聞かれ たとき、嘘を付くのは嫌だ。 ある程度時間が経ってから打ち明ける。それで離れてしまったら…嫌だけど。 嘘をつき続けるのはもっと嫌。 「自分には何とも言えない」という意見 生徒(女) わからぬ。言って悪いことはないと思う。言わなくてもいいと思う。無理に 伝えなくてもいいぐらいかな。話の空気を読んでとか。言う人自身が相手の反 応をどうとらえるかでだいぶ変わる。 生徒(男) 僕には重い質問なので、軽いことは書けないです。でもこのことを生徒に話し 44 たという事は、佐藤さんの中に彼女に打ち明けなくてはいけないんじゃないか っていう意識があるんじゃないでしょうか?そうであったら話したほうがいん じゃないかと思います。 生徒(男) よくわからない。はじめは言うべきだと思った。全部打ち明けて、それでも いいよっていう女性を見つければいいじゃんって、でも、そんな簡単な事じゃ ないよね。言うたびに傷ついちゃうと思うし。 でも、言わないっていう選択 肢もないような気がする。もし子供を作るなら、言ったほうがいいんじゃない のかなぁ、その時は一人じゃなくて参院の問題になるんだし、うん、でも正直 よくわからない。 生徒(男) 正直どっちにするかなんてわからないと思う。自分がカネミ油症だったらど うするのだろう、生君もすごく悩んでいるんだと思う。何か言葉にするのが難 しい。本当にこんな短時間で、どっちにした方がいいなんてわからない。生君 の授業は、生君事態が授業をしていて本当につらそうに見えた。笑ってなきゃ、 やっていられないような感じがしたよ。 俺と生君には決定的な違いがあって、俺には生君の感じてきたこと、思ってき たこと、考えたことがわかんなくて…。なった人と、なっていない人の間には すごい違いがあるよね。 生徒(男) 自分が打ち明けるべきだと思えているのは、その立場にいないからであり、 45 その立場にいたら、打ち明けろという意見を言う相手に対して、相手に無責任 さを感じると思う。 自分がそんな状態では、あなたには打ち明けろ、打ち明けるな、などとは言 えないですね。これも結局無責任だけど。 「彼女には自分だったら言えない」という意見 生徒(女) 私にはどんなに想像してみたって,生さんの気持の爪の先ほどもきっと理解 できないです。それでもこの質問に何とか、答えることができないにしろ、何 か言いたくて、悩んで考えました。私ならこうするという形式を土台に書きま す。私だったら言えません。きっともう、恋人との間にできた楽しい幸せな空 気を壊さないように言いません。 でもきっと一生言わないという事はないと思う。どっちだ。 すごく卑怯臭 いというか、アレな手段だとは思うけど、結婚してから(自分のものにしてか ら)言う。 (もしくはこの人は絶対に自分のことを拒まないと確信を持てたとき) 相手にもよるかな。結婚とかの重い話になる前に打ち明けたら、多分何を言わ れても傷は浅くてすむ…とも思うけど。相手が自分に対して真剣であると思え たら、きっといつ打ち明けても受け止めてくれる。絶対に受け止めてくれると 思う。 生徒(男) 言わなくてもいい気がする。次期がたったら打ち明ければいいと思う。いく 君のお母さんが、いく君が20歳の時に打ち明けたみたいに…。 46 生徒(男) 打ち明けるべきかな…かな?自分だったら言えないと思ってしまうけど、ま ぁ結婚して、病気になってから打ち明けると、俺はしょうがないと思うけど、 世間的に無責任になってしまう気が…それが、悲しい。言ったほうがいいと思 うけど、おれは言わない、病気になるまで…彼女には悪いかなー、いや誰に悪 くないはず、病気には誰にでもなるもん…かなー、うーん、言えないなー。 (11)生徒たちからの意見を振り返って 私はこの問題を生徒たちに答えを見つけさせようと思ってやったわけではな い。私自身が生徒たちの意見によって、自分がこの後このことについて考えを 変えるという事もない。しかし私がなぜこのことを生徒たちに考えさせたかと 言えば、生徒たちがどのような視点からこのことを考えるかを知りたかったか らである。生徒の意見の中にもあるように、絶対に被害者の立場と重なること は不可能だが、それを分かった上で「もし」と投げかけられたとき、生徒たち がどのような反応をするのかを見てみたかった。 生徒の反応は大きく分けて3つにわかれた、しかし、その線の境目はあいま いで、はっきりとは言い切ることができていないものも多い。 どの意見を言うグループにも共通して複数あった言葉には、「無責任だけど …」や、 「自分は被害者ではないから、簡単には言えないけど…」というものが あった。 自分がもしカネミ油症だったらと考える生徒や、自分の彼氏彼女がこういっ た事件の被害者だったらと考える生徒、または自分の視点のままに私のパート ナーの事を考えるものなど視点もいろいろであった。 47 3 第三回目授業 「ダーク油事件から裁判和解までの流れ」 全3回授業の締めくくりとなるこの授業では、今までに触れてこなかった裁 判の問題や、カネミ油症事件を考える上ではかかせないダーク油事件、そして、 締めくくりに被害者の救済の問題と、わたしがこの授業を作るきっかけともな った、宇井純氏の一文を紹介した。 (1)ダーク油事件を教える カネミ油症が 1968 年の 10 月 10 日に新聞報道されるその約7か月前、西日本 一帯で、鶏約「」羽に奇病が発症し、そのうちの約 40 万羽が大量死する、ダ ーク油事件が発生する。そしてその原因は、カネミ倉庫(株)が飼料用に販売 していたダーク油の中にPCBが混入していたという事であった。 ここで生徒には、プリントの図を見ながら、ダーク油はカネミライスオイル の制作過程で生まれる飛沫油やあわ油を使用して作るという事を説明し、つま りダーク油事件の原因となったものと、カネミ油症事件の原因となった米ぬか 油はもとが同じであり、事件発生はあの工事ミスによって混入したPCB、そ してそれが変成したPCDFが原因であったという事を生徒たちに伝えた。 (2)農林省の立ち入り調査 2月から3月の時にダーク油事件が起きたのだが、そのすぐ後の3月22日 に農林省の飼料課がカネミ倉庫に立ち入り調査へ行ったのだ。 48 立ち入り調査をした際、農林省はまずダーク油の精製過程についての説明を 受けた。つまり、食用のカネミライス油と、飼料用のダーク油が同じ油から生 まれたという事はこの段階で分かっている。 そしてその上でカネミ倉庫に対して、 「食用の油(カネミライスオイル)は大 丈夫か。」と口頭で質問した。すると、カネミ倉庫側は「ライスオイルは問題な い。」 「自分たちも毎日使っているから大丈夫。」などと返答した。農林省の飼料 課は、カネミ倉庫の合意で立ち入り調査をしていることや、食用油は厚生省の 管轄であり、農林省の管轄外であったことから、それ以上の追及はしなかった (日本行政が縦割り型の性質をもっていた)。 しかし、この時点で農林省がカネミライスオイルの危険性を考え、出荷停止 まで踏み切っていたら、カネミ油症事件は大規模になることはなかった。 生徒たちには、農林省の役人とカネミ倉庫側のやりとりを劇のようにして教 えた。そしてここまでの段階で質問がないかを確認し、授業は次の段階へと進 んでいく。 (3)油症被害者が国などを相手にした裁判 ここからは、カネミ油症で争われた裁判について説明をする。カネミ油症で は、カネミ倉庫へ立ち入り調査をしたにも関わらず、カネミ油症事件を防ぐこ とができなかった国(農林省)の責任問題を含め、カネミ倉庫にPCBの危険 性を十分に説明せずに売った鐘淵化学工業、カネミ倉庫に対して民事訴訟、刑 事訴訟など合わせて9件の裁判が争われた。そして1970年の裁判では、国 への責任が認められ、原告829人に対し、約27億円(1人300万円)の 49 仮払金が支払われた。 生徒たちにそのことを話した上で、ここでいう原告とは被害者のことであり、 被害者たちは、みんなが最初の授業で驚いていた症状を持ちながら裁判を行っ ていたという事を話した。そして、300万という額だが、被害者たちは様々 な病気になり、しかもその治療方法は40年たった今も見つかっていないこの 時に800人余りが受けった額というのも消して高くないことを生徒には伝え た。 300万円を国から手にした原告、このまま原告勝訴で話が終わるかと思え ば、1980年になってカネミ倉庫の「工事ミス隠ぺい」が発覚するなどして、 最終的に国と鐘淵化学工業の責任に関する判決は揺らいだ(このことを生徒に はプリントの絵や黒板に絵を描いて説明した)。 (4)カネミ油症裁判で採用された事件の原因説 生徒には最初の授業では、カネミ油症の主要な原因は、工事ミスであると言 っており、その内容については説明した。しかし、その時生徒には「このこと がわかったのは、そのあと12年たった1980年なんだ。」という事しかいっ ていない。つまりその間の原因については話していない。それをこのタイミン グで説明する。 工事ミス隠ぺいが発覚するまでは、ライスオイルにPCBが混入した原因は、 「ピンホール説」だと思われていた。→ピンホール説とは、PCBから高温に よって塩素ガスが発生され、その塩素ガスが水と合成して塩素になったものが 蛇管に穴を開けたという説である。 そして、ピンホール説を生徒に説明した後、鐘淵化学工業の責任が、原因説 50 が変わることでどのように変わったのかという事を生徒に話した。ピンホール 説が原因だとされていた場合には、そんな危ないものをカネミ倉庫に売り、食 用油のすぐ近くで使わせて、注意もなかった鐘淵化学工業に対しても責任を認 めていた。しかし、工事ミスであればそんなずさんな工事をしていたカネミ倉 庫に問題があるため、PCB製造企業の鐘淵化学工業にまで責任を拡大するべ きではない。と判決が動いていったのであった。 そしてついに、福岡高裁はカネミ倉庫と同社長には責任があるとしたが、国、 鐘淵化学工業には責任がないとした。 最高裁を前に裁判官が「このままだと、最高裁で国に責任がないといわざる を得ない」と、原告敗訴の可能性が濃厚であることを伝えると同時に双方に和 解工作をし始めた。 このあたりから、何人かの生徒から「でも…。」と、納得がいかないという声 が聞こえた。いくら原因が変わったからと言って、責任が亡くなるなんてこと にはつながらないのではないかという事であった。 さて、ここで実際の原告側はどのような態度をとったかというと、それは今 回は一時裁判を取り下げるというものであった。それは一度負けてしまえば2 度とその結果は覆らないという事と、もしこのまま進んで裁判に勝ったとして もカネミからしか賠償金をもらう事が出来ないからである。 そうしてカネミ倉庫と鐘淵化学工業と原告団は和解する。そして、国への訴 えを取り下げた。この取り下げたというのは、和解をしようとしたが、国がそ れに応じなかったための苦肉の策である。結果、すべての民事訴訟は和解に終 わり、原告約700人は鐘淵化学工業から和解金300万円、カネミ倉庫から の和解金500万円を約束した。しかし、この和解金に関しては、カネミ倉庫 は経営難を理由にして未だに払っていない。 51 (5)仮払金問題 ここでプリントは、ひときわ大きい穴あきのポイントがある。そのポイント には、 「あれ? は?」と書いてあるのだが、このポイントに入る言葉 は、プリントとの1ページ前に勉強した「仮払金」がはいる。そう、この仮払 金は国から原告が裁判によって得たものである。しかし、訴えが取り下げられ た今、この仮払金がどうなるのかという事が、カネミ油症で大問題となった。 その原因は、その時原告弁護団が下した判断にも問題がある。原告弁護団は 「最高裁が原告の敗訴判決を下したのではなく、原告から訴訟を取り下げたの ですから、国の変換要求は何ら法的根拠を持ちません、払わない姿勢で行きま しょう。もし仮に変換要求を出すのであれば国が被害者に対して裁判を起こさ なくては言えませんよ。」 と、仮払金に心配する被害者たちに安心をさせたのだ。 しかし、原告弁護団の判断とは違い9年後、国からは債権管理法に基づいて 被害者家に督促状が送られた。仮払金の支払われた額は一人につき約300万 円だから、もし家族三人そろって原告となっていたら、その一家は1200万 円の借金を背負ったことになる。生徒たちには、まず債権管理法とは何かを説 明した。特に注意して説明した点は、債権管理法には返還に機関に時効がなく、 もしその本人が亡くなった場合にもその債権は子孫へと引き継がれるという事 である。 生徒たちには、痛む体に苦労しながら裁判に向かった人たちに、この額の負 担がいかに辛いものだったのかという事を想像させた。そして、この仮払金の 52 返還の問題が出た時に、家族への負担を減らそうと考えて自殺をした男性がい たことも話した。しかし、その自殺は家族への負担を減らすことにはならない。 自分の子供へと300万円を引き継いだことにすぎないからだ。 この時にまず、最初に被害者に安易に安心させた原告弁護団には責任がなか ったのかという事を確認させた。そして同時にその弁護士に対する責任につい ては問われていないという事を話した。 さらに、なぜ国は9年後になって突然に債権管理法を縦に被害者に請求をし だしたのかという事も生徒に投げかけた。民事的な金銭の貸し借りの時効は1 0年である。そして、被害者は安心しきって仮払金は医療費や生活費に使って しまっていた人もあるだろう。そのさなかに突然に国から来たのが督促状、出 した国は後に、 「判決後すぐに督促状を出すという事は、被害者に鞭を打つこと になる」と言っている。生徒からは、 「この時にだって、鞭を打つことになるよ …。」と声が出た。 なお、この300万円の仮払金のことはカネミ関係の本では、多くの本が「仮 払金問題」として取り上げている。この返済金の返済金は、払えなくても毎年 督促状が来てカネミ油症の被害者たちを苦しめたが、2007 年 5 月に返済は免除 になった。そのことを生徒に話したが、しかし、そのことがいったいどんな意 味のあることなのかという事を話した。被害者の救済は依然として0に等しい。 (6)授業の最後 授業の最後では、これまで勉強してきたことを振り返り、ただ消費者として カネミライス油を食べた被害者たちがどのような目にあったのかを振り返らせ 53 た。彼らはいつもと同じように買い物をして健康用の油を買い、そしてその中 に問題物質が入っていた。 生徒たちにこの人たちは一体何をしたのか…と改めて話した。油を買っただ けでなんでこの人たちはここまで苦しまなくてはいけないのか、そしてなぜ、 この人たちが苦しんだ事に対する企業や国からの謝罪も、そしてしっかりとし たその保証もなく、それどころか痛めつけられているのか。 彼らのことを国も、企業も、彼らの弁護士も傷つけることになってしまった。 私はここで生徒たちに対して「さぁ、ここまでカネミ油症を勉強してきました。 よくTVのドキュメントや他の授業などで、【今私たちは何ができるのか】や、 【被害者たちを救うにはどのような方法があるだろうか】などという事が言わ れますね。このカネミ油症の人たちに私たちができることとは何でしょう。被 害者たちを救う方法はありますか。」と質問した。 原因企業や国からは保障されず、理解しようともされず、責任のなすり合い の中に被害者達は苦しみながらそこにいて、しかも友達にも恋人にも話せない 孤独な状態です。体の中には人体への危険性の明らかになっていないダイオキ シンが入っていて、その毒性は調べようともしてもらえない。 自分はカネミ油症かもしれないと、病院や保健所に行った。自分たちは保障 される権利があると、裁判も行った。しかし、それも向き合ってはもらえなか った。そして今、40年の月日が経っている。放置されたままに長い月日が経 ってしまった。彼らを今、救う方法などあるといえるのだろうか。 この質問をした時に、生徒達はどのクラスも黙りました。この八方ふさがり になっている実際の状態を知った時に、そう簡単に言えることはない。 しかし、あるクラスではこのことによって生徒同士の論争になった。そのこ とを少し紹介する。 54 まず、ひとりの生徒が、カネミ油症の知名度の低さも、被害者たちを孤独に している要因の一つにあるだろう。と、カネミ油症のことをもっとTVなどで 特集を組んで、たくさんの人にまずカネミ油症のことを知ってもらう(問題意 識を持ってもらう)のはどうだろうか、と言った。 すると別の生徒が「でも、TVでやっていても人がそのTVを見なくちゃ何 の意味ももたないんだよ」と言い返した。 すると、別の生徒が、 「でも、まずはやらなかったら伝わらないわけだし…。」 と、言葉を重ねた。教室の中は発言が飛び交ってしばらくの時間が過ぎた。授 業の時間の関係で止めざるを得なかったが、もし時間が許すのであれば、この ことを題材にして一つの授業を作ってもよかったとも思う。 実行可能なことなのかどうか、だからと言って放置できるものなのか、実現 したとしても意味があることなのだろうか…と、生徒たちは一人一人悩んだ顔 をしていた。 この私が投げかけた、 「被害者を救うためにはどうしたらいいのか」というな げかけには、私は答えを用意はあえてしていない。というより、私自身にも答 えが見つかるものではなかったし、何より「じゃあ私たちでこう、これから考 えていきましょう。」などというよくある教科書的な軽い答えが出る問題ではな いからだ。 生徒たちに、この問題は託したまま授業を進めたのであるが、ここの部分に ついてかなりの生徒がコメントペーパーに意見を書いてくれた。 そして最後に、私がこの授業を作るきっかけともなった。宇井純氏の「私の 公害闘争」の中の文を引用し、生徒たちに読んだ。 「数字や言葉で公害の全体が表現できないということは、公害の被害者ならよく わかります。どうしてもそんな言葉だけじゃなくて、現におれはつらいのだというも 55 のがあります。 差別の時には第三者はないのだということは、みなさん、おわかりになると思いま す。差別する側と、される側しかない。自分は知らないと言えば、それは気づかずし て差別する側に回っている。 ところが、公害の時にも、私、十年調べてまいりまして、現在ようやく辿りついた 結論は、それは差別と同じ構造であって、被害者から出発しなければ公害というもの はわからない、むしろ公害というものを認識しているのは被害者だけである、という ことです。 加害者の認識というものは常に部分です。もし数字だけを見て自分が全部を認識し たと思えば、それは逆に結果からいって加害側です。まだなにかあるはずで、それは 本人に聞いてみないとわからないという認識を忘れてしまったら、皆さんも加害側に たつ。そういう点では公害に第三者はないのです。」 宇井 純『私の公害闘争』 (潮新書、1971 年) より 公害には第三者は存在しない、無知であればその時点で第三者などというあ いまいな立場ではなく、問題を放棄し、被害者たちの現状を見ようとせず、孤 独にさせる加害者になってしまう。 そして、公害の問題は被害者にしかわかっていない。わかりえないというこ と。公害を日々体に感じ、その恐怖を体に感じているのは被害者以外に存在し ないからだ。加害者の視点とは常に部分にしか過ぎず、その部分を提示してい るだけのことにすぎない。もし、その部分をみて、公害を知っていると言えば、 それは被害者のことを全く見ない、これもまた加害者の一人になっているとい う事だ。 この、 「わかりえないという事を知る」という事こそ、この前3回の授業でも っとも伝えたかったことであり、授業の中心に置いたことである。 56 二章「高校生は何を学んだのか」 (1)生徒たちに配布したコメントペーパー こうして、私のしてきた前三回の授業の内容は終わる。ここからは、この内 容に生徒たちがどのような反応を示したのかを、いくつかのコメントペーパー をもとに紹介したいと思う。 生徒たちに最後のまとめとして配ったコメントペーパーの内容は以下のとお りである。 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 ④ その他、自由に感想 生徒たちにはあえて、どんな読み方も出来る大きな質問を与えた。生徒たち によってコメントを返してきたところが違うのと、人によっては①のスペース から③のスペースまで同じ内容を残していたりと、自由な書き方をしているた め、ここではすべての生徒のすべてのコメントを取り上げるのではなく。 なるべく全三回の授業を受けた生徒の意見を拾い出していこうと思う。 (2)生徒たちからのコメント 生徒1 女 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 私は授業の最後(被害者をどう救うのかというところで)、あれこれと言った 57 けど(物的なことで)、結局はすべて救える方法はない。もしくは自分で見出す しかない。 交通事故にあったとして傷や痛みが治ったり、お金をもらっても、きっと車 にトラウマがあるし、一度起こった心の傷はいえない。それはすべて同じこと なんです。 だから人間は一度やったことがどれほど重いか知るというか、心に残すこと が必要。金を払えばセクハラの心の傷はいえない。 人を殺してお金を払っても、その人は帰ってこないんだ。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 沢山カネミをどんなに被害者の声を聞いても、同じ立場の気持に完全に立て ないけれど、立っている立場で授業をしてくれて本当に心にドシっときまし た!!一つ一つの言葉に重みがあるのを感じた。 生徒 2 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? カネミ油症がどれだけ被害者の気持ちを傷つけたのか、傷つけているのかわ かった。 そして、 「知らない」ってことで人を傷つける事があるってことを知った。カネ ミ油症の問題で日本という国が、弱い人を、苦しんでいる人をなんでそんなに いじめるのか良くわからなかった。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? コーラベイビーかな。メラニン色素が定着して青黒い子どもが生まれたら、 その母親はショックだろうな。いや、ショックどころじゃないだろうな。 58 ダイオキシン、ダイオキシンって名前ばかり聞いていて、プラスチックを燃 やすとダイオキシンが出るから燃やしちゃいけないって、そういう事は知って いたけど、ダイオキシンが実際どういうものか知らなかったし、そのダイオキ シンの毒の塊を食べのみ、そして苦しんでいる人たちがいるなんてことは全く 知らなかった。 ④その他、自由に感想 授業はすごく勉強になった。ダイオキシンの毒は2世にも3世にも、ずっと ずっと続くのかと思うとすごく苦しいだろうなと思う。 でもその苦しみや、痛みは、僕には想像することしかできない。どんなにそ のことを勉強しても、勉強しても、勉強しても僕は想像することしかできない です。だから僕は生君が、油症の被害者のひとたちがどうしてほしいのかわか りません。それは悲しいことですね。 最後につぶやきというかなんというか…、人は誰でも多かれ少なかれ悲しい ことや、苦しいことがあると思います。僕の苦しみや悲しみは、生君や油症の 被害者の人たちにとってはなんてことないと思うし、僕もそうだと思います。 でも、 「四日市ぜんそく」 「水俣病」 「イタイイタイ病」の人たちも苦しい、痛い、 辛いと思います。だから、うらやましいなんて言う風に言わないでください。 ちょっと悲しかったです。 生徒 3(男) ②授業で一番印象に残ったことは何ですか? 佐藤さんの親もカネミだったこと ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 59 授業は和やかな感じで楽しかった。回数が少ないからしょうがないと思うけ ど、プリントちょっと多いと思う、自森の教員になってくれたらちょっと嬉し かもしれない。 ④ その他、自由に感想 最初にカネミ油症のことを知ったときに、これは自分の親ももしやと感じた んだけれど、まあ言われたことないから大丈夫かなとなんか思った。聞こうか なとか考えたけど、言いたくないなら別に聞かなくていいかなー。知ったとこ ろで何か世界が変わるってことでもないし。 最後のプリントのうらの、□の中に入れろってとこ(被害者を救うにはどう したらいいのか、のところ)は、たしかに難しい問題だけれども、話すことか ら変わっていくと思う。じゃなきゃ悩み過ぎて大変なことになる。だいたい考 えていても、あんまり変わらないってのが今まで生きてきて俺が感じたことで、 もちろん悩むこと自体は悪くないし、良いともう。ただこれは、悩むだけで解 決できることじゃない。 まず自分から話すことが大事だと思う。何かぶつぶつ言ってくる奴にはいわ せとけよと、 思ったわけです。俺は□の中に書かなかったけどそう思ったわけです。 でもやっぱりそれは俺が思っただけだから、他の人も違う考えを持っていて、 それだけじゃなんか違うんだよね。 俺はどっちかってーと、文を書いているのが苦手だから何かいてんだよとか 思う事があるところもあると思う。でもこんなに長く自分の気持ちを書くなん てのはまあ、あんまりないことだよね。 もし俺の周りの人から打ち明けられた時受け止めることができるか分からな いけども、今日までの授業を受けなきゃまず受け止めきれなかったと思う。で 60 もまあこれで受け止められるかな。 やっぱり悩んでいるものを打ち明けられるってのは嬉しいもんだよ。打ち明 けたほうも楽になるし、打ち明けられた法も信頼されているんだなーと感じら れるから。 なんかよくわかんなくなってきたから終わります。本当に短い間だったけど 楽しい時間でいい気分になれました。 生徒 4(男) ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? まず、カネミのことがわかった。そして、カネミの被害者への国などの対応 のあまりのひどさ。明らかにライスオイルを食べてから苦しんでいるのに未認 定にされたりさ。 そして、カネミ倉庫の適当な行動。脱臭すればいいでしょみたいなさ。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 黒い赤ちゃんが生まれるってことかな。 ふざけて、黒人の赤ちゃん?っていったことに後悔したから。 実際に自分の子供が黒い赤ちゃんとして生まれてきたら、どう思うんだろうっ て考えたら、すごく怖くなった。 そして、何よりも生君が自分もカネミ油症の被害者です。って言ったのがす ごく衝撃的だった。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 生君の授業は、生君が感情的に話をしたりしてて、すごく、こっちの胸まで 伝わってくる。そして、色んな事を投げかけてくるのがいいと思った。どう思 61 う?みたいなの。たくさん考えた。考えられる授業って良いと思うんだ。答え は出なかったけど、考えさせる時間をくれてありがとう。 ④ その他、自由に感想 カネミの被害者の人たちは、何を感じ何を思い生きてきたんだろ?どんなに 考えても 俺には分からない。 カネミの被害者と俺には違いがあるから。おれは被害者ではないという大き な違いがある。どんなに話を聞いて、どんなにカネミのことを調べても、被害 者の気持ちを100%理解することができない。 でも授業の中で沢山考えたよ。考えても考えても、やっぱり被害者の気持は わからないよ。もしわかってる人がいるのなら、いやいないね。カネミの被害 者になってない人にはわかるわけない。そー思う。なんだか、すごく難しいな。 生君にとって、辛い内容、そして重い内容だったのに授業で扱ってくれた。 お疲れ様。最後に、今日やった被害者の人に何をしてあげたらいいかみたいな の、してあげたらいいか分からなかったよ。 生徒 5 女 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? カネミという言葉、その意味 0だったものを41くらい教えてもらったんで、書ききれない。 でも、もしかしたらまだまだ全然わかってないのかも。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 生ちゃんがカネミ油症の被害者という事。 62 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 出来るだけ、素直なことを書きたいと思う。3回目の授業で、今日になって 初めて「カネミ油症」の重さを感じた。今までは興味のほうが先行していて、 失礼だけど「楽しい」と思っていた。カネミについてもっと知りたいと思った。 でも絶対に理解し得ないのだとわかった瞬間、 「もう いや」と目をそらしそ うになった。 どう救うか?と聞かれたら、絶対にいいこと言ってやるっ!!って思ってた。 でも私が、カネミ油症ではない人間が“いいこと”を言うたびに、どんどんド ツボにはまる。最後に書かれていた人の文を読んでそう感じた。自分に嫌悪し た。 でもお昼食べて考え直したら「じゃあ私たちはどうしたらいいのよ!?」と いう気持ちになった。私が“良くない”ことを言っているのはわかるけど、で も素直な気持ちを書きたいから…。 どうしようもない現状を私たちに押し付けている。 「そういうけど、あなたに本当のことなんてわからないでしょ?」って。もう、 カネミ油症よりはましだけどすごく苦しかった。 Aと話していて、Aが考え深いことを言っていた。 「俺達はどうすれば救われ るのかな?」って、油症被害者ではなく、私たちが許されるためにはどうすれ ばいいのか? 何書いてんのか分からなくなった。これも逃げかなぁ(笑) 生徒 6 女 63 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 結局、人っていうのは自分が一番可愛い。国や鐘淵やカネミは責任逃ればか りで被害者の人のことを考えてない。世の中は冷たいね…。でも油症のことを 知れてよかった。 何かを作る時、儲けだけを考えたりしてたらあかんのですなー。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? いくちゃんが、YSCに行った時の話。 友達はポカーンって感じで、病院に行っても何も知らなくてYSCに行った時 はじめて油症のことを知ってる人がいてすごく嬉しかったって。 私にはわからない位の孤独を感じてたのかーと思った。他にもいっぱいある。 ってか全部印象に残っている。被害者の写真を見たのはかなりショックだった。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 授業自体は、テンポ良かったし色々考えさせられる内容ですごく良かった。 でも、すごくツライ話をしているのに明るくしゃべるいくちゃん見るのはちょ っと嫌だった。明るくないとやってらんないんだろーけど。 被害者のことももっと知りたかったな。現状どう感じているかとか当時どん な思いだったのか詳しく聞きたかった。 ④ その他、自由に感想 なんだかんだ言ったって、私は被害者の気持はわからないしこの先この問題 をどうしていったらいいのかわからない。 でも、もっといろんな人に油症のことをちゃんと知ってもらうべきなんだな と思った。「油症」って言葉だけじゃなくて中身もちゃんと。 64 どうしていくとかは、まず世の中に「油症」知ってもらう事からだと思う。 でもそれが難しいんだよね…。 ちなみに、私の父・母は「油症」を知ってたよ。どーいう事かもなんとなく。 傍観者にならないことが大事。 生徒 7 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? カネミ油症というものがあり、今も多くの人が苦しんでいるという事。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 黒い赤ちゃんの等の出てきたビデオ、黒い赤ちゃんは印象的だった。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 疲れ様でした。 ④ その他、自由に感想 カネミ油症が治らない今、カネミ油症の人たちがどうしてほしいのかはよく わからない。だから自分たちに今できるのはカネミ油症のことを知ってあげる こと事だと思った。 生徒 8 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 知らないってことは、時に人を傷つけてしまうんだな…。間違っていること を認めるってすごく難しいけど、企業だったり団体、ましてや国になるともっ 65 ともっと難しくしちゃうんだね。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 最終的に責任の押し付け合いだなと思ったとこ。だれが悪いとかじゃなくて、 それぞれに責任があるのになーって思う。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 (私はノートを取るのが好きだから)、プリントは資料程度がいいなと思った。 でも書き込み式はわかりやすくてよかった。 ④ その他、自由に感想 「公害」って言葉は忘れるぐらい身近になくて、だから苦しんでる人を知ら なかった。でもそれじゃいけないのかなって思った。 自分が何できるかな?ってまだ良くわからないけど見つけたい。 生徒 9 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 俺自身、カネミ油症ってものを初めて知った。授業聞きながら自分がカネミ 油症だったら、自分に身近な家族や親せきでカネミ油症の人がいたらと思うと いてもたってもいられない気持ちになった。 ただ、知ってるだけじゃ誰も救えないのかなって思った、なぜそれを行動に 移すことが大切なのかってようやくわかったような気がする。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 被害者に対して、カネミ倉庫の対応っていうか、何でそこまでしらんぷりみ たいなのができるのか。国のカネミ油症の対策や、被害者を救おうっていう気 66 持ちのなさにはすごくショックだった。そんなことがあってはいけないはずな のになんでそんなことができるのか、被害者を見捨てるのか、怒りさえ覚えた。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 わかりやすくておもしろかったと思う。生君自信のこととかにちなんでこの テーマにしてたのがすごく印象的だった。これからも頑張ってください。 ④ その他、自由に感想 公害の事って実際に体験したわけじゃないから分からないし、その被害者の 心の傷とかもわからない、でも授業の中とかだけでは難しいことだけど、でい るだけ想像してみることをよくやるんだけど、それだけでもすごくショックを 受けるし、辛い思いをするけど、被害者に比べたらたかが知れてるんだなって、 いつも思う。 本当にその人の気持ちになんてなれないって…、でも、出来るだけその気持 ちを分かろうとすることが一番大切なんだと思う。 生徒 10 女 ④その他、自由に感想 私はこの授業で知ったことを知っているとは、言わない。分かっているのは その事件にかかった人だけ、この事件にかかわらずどんなことでもその事件に かかわった人だけにしかわからない。 特に驚くことはなかった。被害者から自分の病を告白されても、私は特に何 も変わらない。 こんなことはいつでも起こる気がするだから今日のことを知ってよかった。 知っていれば防ぐことができるから。 67 生徒 11 女 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? カネミ油症について知って、知られずに苦しんでいる人たちについて少しだ けど考えることができた。1回目の授業を受けたとき「カネミ油症って知って る?」と聞いてみたら、少し知っているようだった。けど、今の人たちに知ら れていないから生君の言っていた「水俣病の人たちは知られている」という現 実を知った。複雑な気持ちだった。 今、食の問題など沢山あるけど、被害者の立場になって責任問題について考 えてくれるようなところはあるのか…と考えたらカネミ油症の被害者たちの信 じることができなくなったというのが少しわかったと思う。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 生君がカネミ油症について授業をしたこと。被害者の立場から話してくれた ので水俣病よりもずっと印象に残ったし、考えた。 それと同時に「水俣病があったんだ」と教科書で知ったことはそのことしか 知らなかったんだ…と、複雑な気持ちになった。だから、生君の授業そのもの がすごく印象に残った。 一番というのは特にない。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 私はわかりやすい授業だと思った。生徒への問いかけが良かった。 なぜなら、考えるきっかけになったし、深く色々と思ったから。3回の授業で まとめているなと思ってすごく良かった。忘れない(記憶に残る)授業だと思 う。 68 お疲れ様でしたありがとう。 生徒 12 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 自分は公害というものは全く知らなくて、このカネミ油症も初めて知ったけ ど、どれもが衝撃的だった。 ダイオキシン類がこんなにも危険だったという事、そして14000人も届 け出があったのにたったの4000人しか認定されなかったことや、その影響 が次の世代にも残ることなど、考えさせることが多かった。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? どれも印象に残っているけど、生くんが油症の2世という事はびっくりした。 黒い赤ちゃんの映像を見たとき、まるでモノクロのようだったことにも驚いた。 そして14000人も届け出が出たのに、最初900人しか認定されてないと 知ったとき、なんて言っていいか分からなかった。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 自分はいい授業だったと思う。とても考えさせられて、自分にはない辛さが 油症の人にはあって、それは自分にはどうしようもないことがとても悲しかっ た。 ④ その他、自由に感想 何言ったらいいのかわからないけど、日本にこれだけつらい思いをしている 人がいて、それでも自分は何も出来ないという事が自分の中にあって、そんな こと今まで考えたこともなくって、どうしたらいいか分からなくなった。 69 この3時限はとてもいい時間になったと思う。 生徒 13 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 考えて発言をしなくてはと思った。何も考えないで思ったことをパッと言っ たら、その言葉で人が気づついたりするし第3者から見ても不快だと思う。 軽々しく発言した自分に嫌気がさした。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? すべて、「カネミ油症事件」自体が衝撃的だった。 カネミ倉庫→カネボウとなっても堂々と活動しているカネミが非常に不快だ。 生徒 14 女 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? カネミ油症という存在を初めて知った。国、カネミ倉庫、鐘淵化学工業どれ も無責任だ。 ダイオキシンの豆知識はびっくりだった。カネミ油を使ってない子にもずっと 影響があるのは驚いた。 ②授業で一番印象に残ったことは何ですか? 生君が2世であるといったのが一番印象に残った。資料や映像では伝わらな いリアリティーがあった。この事件は忘れない。 恋人に自分が油症患者と伝えるべきかをかを考えるのは悩んだ。あらゆる可 能性を考えるとぐちゃぐちゃになって、何を書いたんだろうね。最終的には言 うって書いたけど、まだ悩んでいる。 70 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 生くんのキャラがいいからとっても引き付けられる授業だった。漢字のミス が多かったけど(笑)でも、集中できたし、楽しかった。 ④ その他、自由に感想 国やカネミ倉庫、すべてに「え!?」と感じる。やっぱり、自分たちが一番 大切で被害者のことはあまり頭に入っていないんだろうね。でも、この事件を 知らなかった国みたいなものかな? 最後の「彼らを救うには…」のところで何も浮かばなくて自分にびっくりし た。宇井純さんの言葉で被害者から出発しなくてはわからないってあったけど、 もっともだと思う。いくらこの授業で知ったからって、一番知っているのは被 害者だし…。でも、少し手をさしのべることは可能かな…。まだよくわかんな い…。 生徒15 男 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? とりあえずこの事件のことを全く知らなかった状態から学んだので、カネミ 油症のすべてではないが、どんな事件だったのかという質問があった時に、そ の質問した人がわかる程度には理解できたと思う。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? やっぱりカネミ油症の事件の知識。つまり今日の授業で言っていた参考資料 などの本を見ただけでは14000人の知られざる被害者がいるという事がわ かっていない。しっかりと認識することはできないという事もわかった。 71 世間のひどさかな…、あと国から被害者への手当というか保証をしっかりし てあげてないこと。特に一番つらい思いを背負っていかなきゃならない被害者 の思い、でも、自分は被害者じゃないからどれほど辛いかはわからないけど。 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 他の授業と違って、何か違う空気みたいなのがあって、多分一番飽きない授 業だったなと思う。正直2回目の最後のあたりは重いなと思ったけど、それで も、印象に残る授業だったと思う。 ④ その他、自由に感想 3回の短い授業だったけど、こういう全くと言っていいほど知らなかった事 件を知れてよかったと思う。短い間だったけどありがとうございました。 生徒16 女 ① 授業を受けてどんなことがわかりましたか? 「カネミ油症」という事件があったという事。たくさんの被害者がいるとい う事。今も悩んでいる人、苦しんでいる人がいるという事。でも、知らない人 がいるっていう事実。 ② 授業で一番印象に残ったことは何ですか? 生君が被害者だったという事。一線引いて遠くから見ている自分がいた(1 回目の授業)。知ることはいい事。でも、被害者にしかわからない事の方がい っぱいある。 実際の症状とか聞いた今は、前よりも身近に感じられる気がする。 72 ③ 授業者へのコメント、アドバイス。 「カネミ油症事件」って名前すら知らなかった。家で親に聞いてみたんだけ ど、「知ってる?」って。40過ぎてるけど、知らないって言ってた。 子どもの時のことだから、知らないってことなのかもって思ったけど、40 過ぎてる人でも知らないっていう事実に驚いた。 (3) 生徒のコメントから ・コメントの特徴 生徒のコメントには、 「どんなに被害者の声を聞いても、同じ立場の気持に完 全に立てないけれど」や、 「その苦しみや、痛みは、僕には想像することしかで きない。どんなにそのことを勉強しても、勉強しても、勉強しても僕は想像す ることしかできないです。」といった意見。そして、「考えても考えても、やっ ぱり被害者の気持はわからないよ。もしわかってる人がいるのなら、いやいな いね。カネミの被害者になってない人にはわかるわけない。そー思う。なんだ か、すごく難しいな。」、 「私はこの授業で知ったことを知っているとは、言わな い。分かっているのはその事件にかかった人だけ、この事件にかかわらずどん なことでもその事件にかかわった人だけにしかわからない。」など、被害者の気 持には自分はどれだけ勉強してもなることはできないことを書いた生徒がいる これは、被害者の置かれた状況を今まで勉強してきて、その立場で考える、 「その公害を分かる」なんてことは、どれだけデータを集めても、被害者にな っていない自分たちがわかることなどはできないという事を、生徒自身が見つ けたということがいえる。 そして、 「じゃあ私たちは一体どうしたらいいのよ」、 「絶対に理解し得ないの だとわかった瞬間、 「もう いや」と目をそらしそうになった。」 「知ってるだけ 73 じゃ誰も救えないのかなって思った」など、そしてそのことを見つけたうえで、 次にどうすればいいのかを悩んだ意見も多かった。 また、「「水俣病があったんだ」と教科書で知ったことはそのことしか知らな かったんだ…と、複雑な気持ちになった。」と、今まで受けてきた公害の授業を 立ち戻って考える意見もあった。 ・予想していたコメント 国や企業への批判・不信 生徒たちのコメントの中で、こういったものが来るのではないかと元々予想 していたものに、「国への批判・不審」や、「企業の対応への批判・不審」が多 く書かれるのではないかと考えていた。その予想は当たり、「被害者に対して、 カネミ倉庫の対応っていうか、何でそこまでしらんぷりみたいなことができる のか。国のカネミ油症の対策や、被害者を救おうっていう気持のなさにはすご くショックだった。」といったものや、「カネミ油症の問題で日本という国が、 弱い人を、苦しんでいる人をなんでそんなにいじめるのかよくわからなかっ た。」など、原因企業やそれに対する国の対応に関するものが多くの生徒たちか ら上がった。 私が被害者であったことへの驚き 質問項目の中に、「授業で一番印象に残ったことは何ですか」というものが ある。そこにたくさんの生徒が、 「生くんが被害者であるという事が一番驚いた」 ということを書いていた。そして、そのことがこの授業にさらに生徒をひきこ ませた理由になっているようだ。 実際に他の様々な授業でも、被害者自身また、そのことを実際に体験した人 74 が話しているというものは学習者への伝わり方が違うだろう。 「被害者の立場で 喋っているのを聞いて言葉に重みを感じた」といったようなコメントがいくつ ある。 自由の森学園らしいコメント 「生君の授業は、生君が感情的に話をしたりしてて、すごく、こっちの胸まで伝わ ってくる。 (中略)いろんなことを投げかけてくるのがいいと思った。どう思う?みた いなの。沢山考えた。考えさせる授業って良いと思うんだ。答えは出なかったけど、 考えさせる時間をくれてありがとう。」 自由の森学園ではテストをほとんどしない。社会科の授業ではある問題を考 え、自分や他の人がどのようにとらえるのか、それを知っていくことをする授 業が多い。授業の中で、生徒は答えのない問題を真剣に、頭を抱えてグルグル と行ったり来たりする。 上のコメントはそんな授業を今まで受けてきて、その時間を楽しんできた生 徒のコメントだと私は思う。答えが用意されていて、それをただ暗記するので はなく、その「答え」を自分の中で、相手の意見と混ぜながら振り返りながら 出してみる。でも、その「答え」ではまた物足りなくてまた考える。その感覚 を自由の森学園で、私自身が味わってきた授業の楽しさであったので、こうい ったコメントを見た時に(あぁ、自由の森だな)と思わず思ってしまった。 ・予想もしなかったコメント 生徒たちのコメントには、当然だが私が全く予想もしなかった物があった。 いくつかのものを紹介したいと思う。 自分の発言に後悔したというコメント 75 論文の途中でも少し書いたが、授業の一番はじめ、黒いあかちゃんのことを、 カネミ油症の象徴的な症状として説明していた時のこと、ある生徒が「黒人の 赤ちゃん!?」と発言した。そしてクラスのは笑ったのだが、その発言をした 生徒の書いたコメントに、私は強く印象を受けた。それはその生徒が「授業で 一番印象に残ったものは何ですか?」という質問に対して書いたものだった(以 下 そのコメント)。 「黒い赤ちゃんが生まれるってことかな。ふざけて黒人の赤ちゃん?って言 ったことに後悔したから。実際に自分の子どもが黒い赤ちゃんとして生まれて きたら、どう思うんだろうって考えたら、すごく怖くなった。」 授業の途中では、黒い赤ちゃんというものがただの文であって、この生徒の 中では現実にはなっていなかったのだろう、しかし、それがもし自分の子供で あったらと考えた時に、この生徒の中では現実となった。そして、自分の発言 に後悔している。私はここに学びの段階が見えるように思えて、非常にうれし く思った。 社会の授業の中で、悲惨な事件や、状況は多々出てくる。しかし、それを簡 単に忘れてしまうのはなぜだろうか。それは、その文章が紙に印刷されたただ の記号であり、現実に降りていないからだと私は考えている。想像でしかない が、この発言をし、後悔をした生徒はおそらく簡単にはこの事件の事を忘れな いのではないかと思う。 明るく話す私を嫌だったというコメント 「授業自体はテンポ良かったしいろいろ考えさせる内容ですごく良かった。 でも、すごくツライ話をしているのに明るく話す生ちゃんを見るのは少し嫌だ った。明るくないとやってらんないんだろーけど。(生徒のコメント)」 私は自分が被害者であると生徒に話した後も、授業は話す前と変わらずに話 76 した。自分にいくらつらい事実であっても、そのことを感情に任せて話してし まっては生徒に正確に伝わらないと考えたからだ。被害者であることを伝える 前と同じように、時には生徒を笑わせ、劇のように動いたり、声の調子を変え て、生徒たちの興味が途切れないように注意をした。 しかし、このコメントをしてくれた生徒は、被害者である私にとって辛い話 であるこの「カネミ油症」を、明るく話す私を見て、私の気持ちを辛いと感じ ている。生徒のその優しい視点は授業を作っていて私は考えもしなかった。 このコメント以外にも、 「生君にとってつらい話なのに、授業してくれてあり がとう。」など、被害者である私と、授業者である私を見てコメントを書いてく れた生徒がいる。 (4) 生徒たちに今後どのように考えていってほしいか 生徒たちには今回、カネミ油症という話題で授業を行った。そして、その中 のメッセージで大きくしたものは、 「公害問題は被害者にしかわからない」とい うものだ。そのことは授業の結びに持っていき、特に印象づけた。 繰り返しになるが、その事件を知っている、わかるという人間は被害者以外 にはいない。そのことを今回の授業を受けた生徒たちには、カネミ油症以外の、 様々な問題にも当てはめて考えてくれたらと思う。 例えば「いじめ」の問題にしても、被害者の問題は被害者以外に絶対にわか ることはできない。それ以外の人間、教師や友達がそのいじめを分かることは 決してできないし、よく「その人の気持ちになって考える」なんてことを簡単 に言うが、そんなことは不可能である。それを簡単に「わかる」と自分の中で 認識しないでほしいと強く思う。 77 「わかる」という事はその体験者にならない限り一生自分には訪れないこと であるから。 そして、どんな問題においても、解決策というものは簡単に提示できるもの であるとは考えてほしくない。カネミ油症の被害者でいえば、いくら金を払わ れたところで自分の健康な体は帰ってこないし、亡くなった人も帰ってこない。 裁判も起こした、病院にも行った、でも今も置き去りにされている被害者た ち。これからも苦しんでいかなければいけない被害者たちに、わかっていない 人間がいたずらに解決策を語る状況、それを少しでも考えてくれたら、そんな に容易なものではないという事がわかるだろう。そういったこと、メッセージ はたくさんあるが、そのいくつかが生徒たちに少しでも伝わっていたらと思う。 78 終章 授業で生徒に伝えようと意識したのは、まず私がこの授業を作るきっかけと もなった一つの文章にあった、公害問題とは被害者以外の人間には「知る・わ かることができない」という事を伝えることだ。苦しみを抱えている被害者を 前にして、公害問題を「知っている」という事が出来る被害者、被害者の家族 以外の人間とはどんな人間であろうか。そんな人間はいない。それは、一度気 付けばそんなに難しいことではないだろう。 しかし、そういったことに注目視しないテストや教科書などの方法では、こ の問題ははかることはできない。なぜなら、あくまでも暗記の繰り返しで分か ることは、データでしかないからである。いつ起こったのか、原因の企業、原 因物質、裁判の判決、そのようなことは○か×で判断ができる。しかし、その ○がわかったところで、そのことがその事件を「知ったこと」には全くならな いという事、それを題材にしたのが今回の授業であると言ってもいいだろう。 その今回のカネミ油症の授業では、本で読めばわかるデータだけに偏らず、公 害の被害者から発信されたもの、そして被害者の現状を発信した。さらにその 被害者たちに今までしてきた国、行政、企業の対応を批判しながらも、それを 救う方法が存在しないということを授業で展開した。そして最後には、決して 被害者以外の人間には公害を分かることはできないという事を話した。 そのことが私自身わかるようになったのは、被害者になったからに他ならな い。 「事件を知っている」と言う被害者と、それ以外の人間の同じ言葉の重みの 違い。それを生徒たちの何人かが少なからず気がつけていることがコメントか らわかる。 79 「私にはわかることはできない」、という生徒たちの授業コメントを見て、授 業を通してこの視点を与えることができたと考える。したがって「知る、わか る、とは本当のところどういう事なのか」という問題提起にはなっていると考 える。 80 ○参考文献 長山淳哉 『コーラベイビー』 (西日本新聞社、2005 年) 川名英之 『検証・カネミ油症事件』 (緑風出版、2005 年) 川名英之 『実は危険なダイオキシン』 『今 止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク 栗一太・赤峰昭文・古江増隆 留雄 水俣学 室田武 河野裕昭写真報告 山本茂 なぜカネミ油症か』(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク、2000 年) 編『油症研究 カネミ油症被害者支援センター 泉 30 年の歩み』(九州大学出版、2000 年) 『カネミ油症 和田喜彦 過去・現在・未来』(緑風出版、2006 年) 『テキストブック 『カネミ油症』 (インデックスコミュニケーションズ、2007 年) 『環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか』 レイチェル・カーソン 『沈黙の春』 環境と公害』(日本評論社、2007 年) (西日本新聞社、1976 年) 『環境問題を知り尽くす本』 武田邦彦 (緑風出版、2008 年) (洋泉社、2007 年) (新潮文庫、1974 年) 加藤八千代 『カネミ油症裁判の決着』(幸書房、1989 年) 矢野トヨコ 『カネミが地獄を連れてきた』(葦書房、1987 年) 宮田秀明 『ダイオキシンの現実』(岩波ブックレット486、1999 年) 宇田和子 『カネミ油症問題年表 1881-2005』(法政大学社会部研究費プロジェクト、2008 年) 宇田和子 『カネミ油症における行政組織の問題放置のメカニズム』 (法政大学 2007 年度修士論文、2008 年) 原田正純 福島菊次郎 宇井 『水俣病』 (岩波新書、1972 年) 『日本の戦後を考える 公害日本列島』(三一書房、1980 年) 純『私の公害闘争』(潮新書、1971 年) ○授業配布した資料(次ページから) 81 (1)第一回目 (2)第一回 (3)第二回目 授業プリント ワークショップ プリント 授業プリント (4)私の中のカネミ油症事件 (5)第三回目 授業プリント (6)社会科授業案 【 事件】 NO.1 (1)どのような事件か? 『1 』年、福岡県北九州市小倉北区に本社があるカネミ倉庫(株) で作られていた、ライスオイル(米ぬか油)に熱媒体として使用されていたP CB(ポリ塩化ビフェニル)が混入し、それを食べた人々が、様々な健康被害 を訴えた。 妊娠中に油を摂取した女性から『2 』が生まれ、そのニュースは 全国に衝撃を与え、事件の象徴となった。 1968.10.10 の朝日新聞に 『西日本一帯に 82 奇病発生』と報道される。 →油を使っていた人々が連日の報道を聞き、自分が最近体調悪いのはもしか したら…と保健所や医療機関に詰めかける。 1975.4.2、九州大学の長山淳哉が「カネミ油症の主な原因はこれまで考えら れていたPCBではなく、それが変化したPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン) である」と発表。 PCDFは、『3 』の一種であり、つまり『4 『PCBと5 は、 』 』が混入した油の経口摂取による 食中毒事件である。 写 左 右 カネミの 1.8 リットル瓶(『今 なぜカネミ油症か』止めようダイオキシンネットワーク、2000 年 ) カネミ製缶入りライスオイル(『カネミが地獄を連れてきた』矢野トヨコ、1987 年) 健康食品としての宣伝文句 「髪油にそのまま使えます、皆様ぜひお試しください」 「一日一杯飲むと高血 83 圧に効く」 (2)商品の中に入ってしまった物質について知りましょう PCBって何!? ・PCB ポリ塩化ビフェニル 1881 年、ドイツで合成法が開発される。『6 』の化学物 特徴: ① 熱によって分解しない。 難分解 ② 腐敗しない(微生物が分解できない) ③ 水に溶けないが、油に溶ける。プラスチックと混合できる。 ④ 電気を通さない ≪使われていたものの一例≫ 絶縁油 新幹線などの車輛、鉱山などの変圧器、地下設備 熱媒体 冷却装置、船舶の燃料油予熱、ボイラー、パネルヒーター 紙等 カーボン紙、感圧紙 その他 毛織物、金属、陶器、防水剤、つや出し(マニキュアなど) 等 上の例を見てわかるように、PCBは様々な分野でその特性を活かし利用さ れた。 しかし! →『7 』年、『8 』 84 理由:カネミ油症事件や環境汚染 が問題となったから。 ① ~④の性質を逆に考えてみましょう。 この物質が体・環境中に入ったら どうなる…? 完全な分解には 1000 度~1400 度の高熱を必要とする(低温の焼却処理では ダイオキシンが発生する)。 ★ポイント PCBの危険性は、労働科学研究所が 『9 』年に、PCBの毒性と健 康被害について精細な研究結果を発表した。 そして、 『10 』年にPCB製品を 取り扱う工場には従業員の定期的な健康診 断、職場の空気中のPCB濃度の測定の実 地を要望している。 85 (カネミ倉庫) (3)カネミのPCBの利用の仕方 カネミ倉庫が製造していた米ぬか油は、特有の臭いがあるために食品として 使う場合は「脱臭」が必要だ。しかし米ぬか油を直接熱すると米ぬか油が変質 する恐れがある。そこでPCB(商品名・カネクロール 400)をまず 250 度ま で加熱し、その加熱したPCBを脱臭塔内のステンレス製の蛇管に送り込み、 蛇管を通して米ぬか油を間接的に温め脱臭する方法をカネミ倉庫が開発した。 写真・文 『カネミ油症 写真 川名英之 左 脱臭塔の外観 『検証・カネミ油症事件』 右 脱臭塔の内部 (緑風出版、2005 年) 86 カネミ油症被害者支援センター 過去・現在・未来』(緑風出版、2006 年) カネミ油症事件の基本的な原因 (4)『 11 』 『12 』、脱臭塔の温度計の調子がおかしかったため工事。 その作業中に溶接棒の先が蛇管に接触する工事ミスが発生、蛇管に穴があいて カネクロール(PCB)が漏れ始めた。しかし、まさかに穴があいているとは 思わない職員達は、不自然に減っていくカネクロールをどんどんと足していく。 そして、カネミ倉庫はそのカネクロールに汚染された米ぬか油を『1 3 』し、『14 』なものと混ぜて出荷した。 ※カネミ倉庫は徹底的な事故隠しを行い、工事ミスの真相が明らかになったのは 1980 年であ る。 図:脱臭塔の構造図 87 川名英之 『検証・カネミ油症事件』 (緑風出版、2005 年) さて…その油を食べた人たちはどうなったのか?そして、どのくらいの人がカネミ 油症の被害者となったのかを「認定・未認定ワークショップ」で動きながら学びまし ょう 油症診断をされる先生方へ 1968 年にカネミ油症が新聞で報道されてから、皆さんのもとに「カネミライ スオイル」を家庭で使用したというたくさんの患者の方が来院しているかと思 います。 今回、九州大学付属病院「油症研究班」では、カネミ油症事件の患者数を正 確に判断すべく、「油症患者診断基準」を作成いたしました。 先生方には「カネミライスオイルを食べた」という患者に対し、診察をして もらいます。そして、その患者がカネミ油症の「認定患者」なのか、「そうで はない」のかを、患者さんの症状を見て判断していただきます。 88 注意事項 ① 診断書を絶対に患者さんに見せないで下さい。 ② 患者さんに、「認定」されたかどうかの結果は後で知らせます。 →往診が終わったら、患者さんには「では結果は後ほど知らせます」と、自分 の席に戻ってもらってください。 ③ 沢山の患者さんがいます、1 人の患者さんに対し、かかっても 3 分までにし てください。 ではその判断方法を説明します。油症診断基準の紙を見てください。 Ⅰ 患者さんの名前を聞き、「患者名」のところに書いてください。 →そして最初に、カネミライスオイルを使っていたかどうかを聞きましょう。 Ⅱ「油症診断基準」の質問をして紙にチェックしましょう。 ★の質問を患者さんに聞いてください。 ★の yes が 3 つそろえば一番下の認定に○を付けてください。 Ⅲ 患者さんに「何かほかの症状はないですか?」と聴き、メモして下さい。 ↓ 終わったら患者さんに席に戻ってもらいましょう。 89 1968.10.19 作成 油症診断基準 患者名 ① 「家でカネミライスオイルを使用していましたか?」 yes no ② 「症状が出たのはいつごろですか?」 →本年の 4 月以降という患者が多い。 4月以降である ではない ③ 「★の質問をしてください」 ★-1 「体のどこかに異常なニキビが出来ましたか?」 yes no yes→場所 ★-2 「眼脂(めやに)がたくさん出て困ったりしてませんか?」 yes no ★-3 「爪の形が変わったりしてませんか?」 no →爪の色が黒くなっていたり、変形していないか 90 yes 「他に何か症状はありますか?」と聴いてください。 ③ その他よくみられる症状(参考程度 患者に話してもらい、当てはまれば ○を付ける) ・上瞼の腫れ ・食欲不振 ・四肢の脱力感、またはしびれ感 ・脱毛 ・関節痛 ・吐き気 ・嘔吐 ・皮膚症状 ・歯茎に色素沈着 が見られる ・家族にも同じ症状があらわれているか 患者の自覚症状(メモ) どちらかに○をつけてください→ カネミ油症事件 → 未認定 NO.2 (1)どのような事件だったか? 事件が起きた年 認定 1 91 2 同年、放送開始 、3 4 。 が歌手デビュー。 カネミ油症事件とは、 5 原因企業 → 原因物質 →7 (株)6 県 が変成した8 。 妊娠中に油を摂取した女性から9 被害者の症状はどこに出たか? 届け出患者 11 できなかった患者 - 認定患者 が生まれた。 → 10 。 +届け出ることをしなかった、 人 (知らなかった者を含め) 12 人 (2)病気の「13 = 」 92 多数の未認定患者 カネミ油症の全身症状 図 『今 なぜカネミ油症か』(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク、 2000 年) 油症の被害者は現在わかっているだけでも「14 」類以上の病気に かかっている。そしてその原因、ダイオキシン類という物質は現代でも危険性 がはっきりとわかっていない。 93 少しだけ前回の続き、 (3)誰(どこまで)を認定すればよかったのか? ≪カネミ油症は食中毒の対応がなされるべきだったという視点もある≫ カネミ油症事件は、食用の油を食べて体調が悪くなったのだから、食 中毒事件である。通常の食中毒事件には「15 」などあり えない。問題となった油を食べ、何らかの症状があらわれていたら被害 者なのである。 → カネミ油症は、食中毒問題とした場合不可欠な、届け出、調査、対 策が全くなされていない。このために早期に食い止められることもなく、 被害が大きく広がったのである。 油症診断基準(1969 年) 本基準は、西日本地区を中心に米ぬか油使用に起因すると思われ る特異な病像を呈して発症した特定疾患(いわゆる「油症」)に対 してのみ適用される。従って、食用油使用が発症要因の一部となり うる全ての皮膚疾患に適用されるものではない。 (原文のまま) どういうこと? 94 私の中のカネミ油症事件 佐藤 生 母から告げられたカネミ 自分自身がカネミ油症の被害者であることを知ったのは2007年の夏のこ とである。母と二人居酒屋で、私が彼女の話や、自分の将来の子供の話をして いる時、母親が言った。 「実は私はカネミ油症ってのに小さい時になっていてな…、どうもその病気 は油症の人の子供にも病気がいくみたいで、生殖器系の病気になるみたいなこ とを前に本で読んだ…、もしかしたら生は子供が作れんかもしれん。」 その時私の頭の中では、カネミ油症事件について何も知らなかったため、 「まぁ、M(母)のせいじゃないからしょうがないさぁ。子どもが出来なか ったら養子ということも出来るだろうし…。」と、母に答えた。 私のなった病気 カネミ油症事件の事を調べているうちに、私とおなじ二世の事を書いたもの も、その数は非常に少ないが見つけていく、そこには一世と同じく沢山の症状 や、油症を隠して結婚した人のこと、生殖毒性に苦しんで自殺した人のことな ど、沢山の悲惨な現実があった。 私はまだ22年しか生きていないが、ここでこれまで私が患ってきた大きな 病気や、油症と関係があると推測される症状を羅列する。 95 出生時 ・子宮内胎児発育不全 ・停留睾丸 小学校 ・睾丸捻転 小学2年 救急車を呼ぶが自然に元に戻る ・精索静脈瘤 小学5年 左の睾丸の血管がゴロゴロと浮き上がる。 手術、2ヶ月間入院 大学 ・陰嚢水腫 大学1年 手術が必要だが、治療に数日必要なため、 現在は注射器で陰嚢にたまった水を抜いている(1か月 に1回程度)。 ・皮膚疾患 突然に手や足の指先、掌、足の裏、腕、肘などに発疹。 激しい運動や、物に引っかかったり、指先に力を入れる と皮膚が割れ出血する。 この様に症状を並べていくと、それが子宮内胎児発育不全、皮膚疾患を除い て生殖器に集中していることがわかります。さらに油症患者、二世ともに皮膚 疾患がみられることを考えれば、私のなってきた病気を振り返ると、否が応で も「油症」との関係があるように思えて仕方がありません。 ★さて、ここで皆さんに考えてほしいことがあります。これは現在、私が真剣 96 に悩んでいることであり、場合によってはこれからの人生が変わるようなこと なのです。 現在、私には恋人がいます。まだ自分が「油症」であるとは打ち明けていませ ん。 これから先、私は自分が油症だと恋人に打ち明けるべきでしょうか? ・油症には生殖毒性があります。 ・また、子どもにダイオキシンをつないでしまう可能性があります。 ・私自身いつ大きな病気にかかり、動けなくなるのか、死ぬのかがわかりま せん。 皆さんはどう思いますか、自分の意見を自由に書いて、私に提出してくださ い。 97 カネミ油症事件 NO.3 図:カネミ油症事件の構造図 鐘淵化学工業 PCB製造 カネミ倉庫 社長: 加藤三之輔 飼料販売 食用油販売 カネミ油症事件 事件 98 ・1968年 6 月 ・1968年2~3月 「 3 歳の女児、座瘡様皮疹と診断さ 」発症 (内、約 40 万羽近くが大量死) れる(最初の油症被害者) ・3.22 同月、被害が深刻化、医療機関に 農林省「 に立ち入り調査 」 皮膚症状等の訴え多出 →★に続く 」 新聞報道「 ・6.14 「連日の報道を見た被害者が保 家畜衛生試験場: 健所や医療機関に詰めかける」 事件の原因は「油の変質である」、と発 表。 ( 2008 授業者 作成) ダーク油って何? ≪ダーク油事件≫ カネミ油症事件の被害者が続出する少し前、1968年2月~3 月に、西日本一帯で、ニワトリ約「 し、約「 」に奇病が発生 」が大量死するダーク油事件が発生する。そ してその原因は、カネミ倉庫が飼料用に販売していたダーク油の中 に、「 」が混入していたことであった。 99 ダーク油は、カネミ倉庫が作っていた食用油(ライスオイル)の、 精製過程で発生した油滓(カス)や飛沫油を利用して作られたもの である。 ★農林省の立ち入り調査 3 月 22 日に飼料を管轄する農林省がカネミ倉庫に立ち入り調査 する。 ダーク油の精製過程の説明を受けた農林省の飼料課長は、 「 」 という質問をしたところ、 カネミ工場長や社員が 「ライスオイルは問題ない、生でも飲める。」 100 「毎日使っているから大丈夫」などと返答。 資料課長はカネミ倉庫の合意で立ち入り調査をしていることや、 食用油は「 」の管轄であり、「 たことからそれ以上の追及をしなかった 」の管轄外であっ 日本行政が 縦割り型の性質を持っていた問 題 でももし!この段階で、 ライスオイルの危険性を考え、出荷停止まで踏み切 っていたら、カネミ油症事件は大規模になることは なかった。 国などを相手にした裁判 カネミ油症では、民事訴訟、刑事訴訟など合わせて9件の裁判が 争われました。そして「 」の裁判では、国への責任を 認め原告829人に対し、約27億円(1人300万)の「 」 を支払わせるなどをした。 (27億円) 国 原告(被害者) 「農林省」 そして、そのまま原告勝訴の流れが決まったかと思われました。 101 しかし、1980年になって、カネミの「工事ミス隠ぺい」が発覚 するなどして、最終的に国と鐘淵化学の責任に関する判決は揺らぎ ました。 ↓カネミ倉庫の過失責任が大きくなる。 国「農林省」 カネミ 行政責任 過失責任 鐘淵 製造物責任 ※ 工事ミス隠ぺいが発覚するまでは、ライスオイルにPCBが混入した原因 は、 「ピンホール説」だと思われていた。 → ピンホール説とは、PCBから 高温によって塩素ガスが発生され、その塩素ガスが水と合成して塩酸となった ものが蛇管に穴を開けたという説である。 ≪裁判で採用された説≫ ピンホール説(1986年以前) そんな危ないものを食用油に使わせて、注意もしなかった鐘淵化学工業にも 責任がある。 工事ミス説 (1986年以降) そんなずさんな工事をしたカネミ倉庫に問題があるため、PCB製造企業の 102 カネカにまで責任を拡大するべきではない。 「 」、福岡高裁はカネミ倉庫と同社長には責任があるとし たが、国、鐘淵化学工業には責任がないとした。 最高裁を前に裁判官が「このままだと、最高裁で国に責任がない と言わざるを得ない」と、原告敗訴の可能性が濃厚であるというこ とを伝えると同時に双方に和解工作を始めた。 このまま裁判を続けても国に負ける! ・カネミからしかお金がもらえない ・国に責任がないと判決が出た場合、 2度とその判決は覆らない。 最終的に原告らは、 「 」年にカネミ倉庫と鐘淵化学工 業と和解し、国への訴えを取り下げた。これは、さらに国から和解 に同意が得られなかったための苦渋の選択であった。 結果、すべての民事訴訟が和解に終わり、 原告約700人は 鐘淵化学工業からの和解金 300万円(1人につき)を受け取り、 103 カネミ倉庫からの 和解金 500万円(1人につき)を約束した。 あれ?「 ポイント 」は? 弁護団の判断ミス 原告弁護団は、 「最高裁が原告の敗訴判決を下したのではなく、原告から訴訟を取り下げたの ですから、国の返還要求は何ら法的根拠を持ちません。払わない姿勢で行きま しょう。もし仮に返還要求を出すのであれば国が被害者にたいして裁判を起こ さなくてはいけませんよ。」 と、仮払金に関して被害者たちを安心させた。 「 」年後、 ・しかし国の判断は違い、 「 」に基づいて被害者 の家に督促状を送った。 最後に こういった経緯があり、カネミ油症の被害者たちは 104 国も、 企業も、 自分たちの弁護士ですら、 信じることができなくなりました。 さぁ、彼らを救うにはどういった方法がありますか? 私は、人類にたいした希望を寄せていない。人間は、かしこすぎるあまり、 かえってみずから禍いをまねく。自然を相手にするときには、自然をねじふせ て自分のいいなりにしようとする。私たちみんなの住んでいるこの惑星にもう 少し愛情をもち、疑心暗鬼や暴君の心を捨て去れば、人類も生きながらえる希 望があるのに。 E・B・ホワイト レイチェル・カーソン「沈黙の春」(1974、新潮文庫)の冒頭より 人類という言葉、人間という言葉、そして、自然という言葉を別なものに変 えてみましょう。 人類、人間 → 国、 企業、 自然 → 国民、市民、被害者 105 第三者(傍観者) 参考文献 長山淳哉 『コーラベイビー』 (西日本新聞社、2005 年) 川名英之 『検証・カネミ油症事件』 (緑風出版、2005 年) 川名英之 『実は危険なダイオキシン』 止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク 栗一太・赤峰昭文・古江増隆 『今 留雄 水俣学 室田武 河野裕昭写真報告 山本茂 なぜカネミ油症か』(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク、2000 年) 編『油症研究 カネミ油症被害者支援センター 泉 (緑風出版、2008 年) 『カネミ油症 和田喜彦 過去・現在・未来』(緑風出版、2006 年) 『テキストブック 『カネミ油症』 (インデックスコミュニケーションズ、2007 年) 『環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか』 レイチェル・カーソン 『沈黙の春』 環境と公害』(日本評論社、2007 年) (西日本新聞社、1976 年) 『環境問題を知り尽くす本』 武田邦彦 30 年の歩み』(九州大学出版、2000 年) (洋泉社、2007 年) (新潮文庫、1974 年) カフカ 『変身』 (新潮文庫、1952 年) 加藤八千代 『カネミ油症裁判の決着』(幸書房、1989 年) 矢野トヨコ 『カネミが地獄を連れてきた』(葦書房、1987 年) 宮田秀明 『ダイオキシンの現実』(岩波ブックレット486、1999 年) 宮田秀明 『ダイオキシンから身を守る法』(成星出版、1998 年) 宇田和子 『カネミ油症問題年表 宇田和子 『カネミ油症における行政組織の問題放置のメカニズム』(法政大学 2007 年度修士論文、2008 年) 原田正純 『水俣病』 福島菊次郎 1881-2005』(法政大学社会部研究費プロジェクト、2008 年) (岩波新書、1972 年) 『日本の戦後を考える 公害日本列島』(三一書房、1980 年) 佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく 宇井 3,4 巻』(講談社、2003 年) 純『私の公害闘争』(潮新書、1971 年) YSC『家族の食卓』 YSC『Ysho ニュース NO.1~NO.22』 106 数字や言葉で公害の全体が表現できないということは、公害の被害者ならよくわかります。 どうしてもそんな言葉だけじゃなくて、現におれはつらいのだというものがあります。 差別の時には第三者はないのだということは、みなさん、おわかりになると思います。差別 する側と、される側しかない。自分は知らないと言えば、それは気づかずして差別する側に回 っている。 ところが、公害の時にも、私、十年調べてまいりまして、現在ようやく辿りついた結論は、 それは差別と同じ構造であって、被害者から出発しなければ公害というものはわからない、む しろ公害というものを認識しているのは被害者だけである、ということです。加害者の認識と いうものは常に部分です。もし数字だけを見て自分が全部を認識したと思えば、それは逆に結 果からいって加害側です。まだなにかあるはずで、それは本人に聞いてみないとわからないと いう認識を忘れてしまったら、皆さんも加害側にたつ。そういう点では公害に第三者はないの です。 宇井 純『私の公害闘争』(潮新書、1971 年)より 社会科授業案 2008 年 6 月 20 日(金) 授業者 佐藤 生 1.単元 現代社会 2.教材 食品公害学習 3.対象 高校 カネミ油症事件について 3年3組 →ほかに受け持った2つのクラスに対して、疑問など意見が飛び交う事は極 端に少ない。しかし、問いを投げかけ、紙に書かせてみると非常に考え込んで 107 いる生徒が多いことに気づかされたクラスである。 4. 授業計画 ①「カネミ油症事件を知る ②「前半 生み出された未認定患者の問題」 食中毒問題という視点 ★③「前半 後半 実際の被害者の話」 ダーク油事件から裁判和解までの流れ 後半 第三者という名の加害者(本時)」 5.本時に対する思い 生徒たちにとって公害問題とは過去のこと、または他人事になってしまって いる。カネミ油症に関していっても、世の中に事件が知れ渡ったのは40年前 であり、その混入物質のPCBはもはや生産もされていない。しかし、当の被 害者たちの苦しみは鎮まることはなく、まさに「今この瞬間」に問題を抱えて いることが現実にある。 その温度差を縮めることは出来ないものかと授業を作っていた。しかし作っ ていくうちに頭の中で、被害者と第三者の関係性はどんどん離れていく。それ どころか第三者という概念自体が公害・差別の問題において被害者をさらに苦 しめていることに気づく。 「公害の問題において第三者は存在しない。自分は知らないとした時点で、 それは気付かずして加害側にまわっている」と、水俣に深く関わり、後にカネ ミの運動にも関わった宇井 純氏は「私の公害闘争」の中で書いている。 私たちカネミ油症の被害者をもはや政治的には解決することはできない。そ うなったとき、生徒たちはどのような被害者を助ける方法を考えるだろうか。 108 最後の授業となる本時、そういった行き止まりになった被害者の状況を理解さ せようと試みる。 これまでの授業 NO.1 目的 「カネミ油症事件を知る 生み出された未認定患者の問題」 一回目の授業では、現在の日本では全くと言っていいほど注目されてい ないカネミ油症事件を、生徒が大まかに知ること、興味を持つことを第一目的 とする。 内容 ① カネミ油症事件がどこで、いつ起こったのか ② 混入してしまった物質について ③ 認定・未認定の振り分けについて 授業の最後には「油症診断ワークショップ」をする。それによって油症の患 者たちの病気の多様性や、 「油症研究班」の作った「油症診断基準」の問題点を 探る。また、一人一人全く別々の症状を持った患者になり、医者に症状を伝え る(自分というフィルターを通す)という作業をすることによってその症状の 深刻さを感じる。 気をつけたところ 暗くしようと思えばどこまでも暗くなる内容だが、入口で 109 興味をそがれてしまえば何にもならない。興味を引くための小芝居やワークシ ョップなどを取り入れ、この授業の中には「笑い」も多くする。 空間イメージ 入口の広い、明るい玄関(誰でもが入りたくなる)。 心地のいい底なし沼。 NO.2 目的 「 前半 食中毒問題という視点 後半 実際の被害者の話」 生徒の大半は第三者という視点で見るこの公害という問題。しかし、水 俣病に深く関わった宇井 純氏も「私の公害闘争」の中で言っていることだが、 公害というものを考えようとした時、加害側(国、企業、第三者)のデータや 数字だけでは不十分で、被害者にしかわからない面が存在する。幸いにも私は 授業者であると同時に、カネミ油症の2世被害者であるから、この面を伝える ことができるのではないだろうか。 内容 ① 食中毒として対応していたらどうなったのか? ② 映像「NNNドキュメント 覚めない悪夢」 ③ 私の話・問「私はカネミ2世です。彼女に伝えるべきですか?」 授業の前半は、前回に「認定・未認定患者」の問題(どこまでを認定するの か)をやったことと関連して、カネミ油症を食中毒の問題としてとらえたらど うか?ということをやる。食中毒の問題には、認定制度などというものは存在 しないということを説明した後に、カネミ油症ではそういったとらえ方をしな 110 かったという実例を出し、説明する。 映像資料「2007 NNNドキュメント 覚めない悪夢」を見せ、自分た ちが今まで学習してきたことをもう一度振り返ると同時に、被害者の生々しい 傷や声、黒い赤ちゃんのカラー写真を見る。 ③ の、「私の話・問」では、実際被害者の私が背負っている不安や、関わって いる団体 の話をする。本やTVでは感じることの難しい被害者の現実を伝えたい。 最後に「私はカネミ油症の2世ですが、このことは恋人に打ち明けるべきか?」 という質問をし、クラス全員の意見を紙に書いてもらって終わった。 気をつけたところ 知った情報はさらに深く、そして幅は広くなる、 「すり鉢」 を大きくする授業になるように。被害者としての話をする際には、被害者の感 情や訴えを殺さず、しかしそれだけにならぬように留意した。 空間イメージ 食いついた魚を一気に引っ張る。底なし沼の中に入ればプラネ タリウム。 息の音を立てられない感じ。 留意点 1回目の授業を受けている時には、生徒たちは私が被害者であることを知ら ない。その知った時の衝撃で、事実関係を大きな視点から学ぶことを忘れてし まっては困るからだ。三回の授業すべてにおいて留意していることは、 「被害者 111 の訴え」だけに偏らないようにすること。ある事件に対して、第三者が被害者 になることはできず、また、被害者が第三者に戻ることはない。そしてその意 識には歴然とした差がある。そのため被害者は理解を求めた孤独の叫びに陥っ てしまうが、今回は被害者の孤独の理解のみが目的ではないので、そこは2回 目で触れるだけにする。 その他工夫した点 普段学校にいない教育実習生が、授業時間のみで生徒との関係をつくること は困難であるからして、授業時間以外での生徒との関わりをとことん重視した。 積極的に生徒たちと話す、部活に参加するなどして、授業する前から「この人 の話なら聞いてみるか…」という状況に持っていけるように努力した。 ※参考文献は本時プリントに記載 112