...

ビアビエンテ誕生の歴史

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

ビアビエンテ誕生の歴史
ビアビエンテ誕生の歴史
誕 生まで の 1 2 年 の 歳 月
1991 - 2003
クレッグ・キーランド
創立者
リチャード・カトラー博士
国立老化研究所
マーク・ペダーセン博士
製品開発・考案者
ハービー・アシュミード博士
アルビオン研究所
1991年 – ビアビエンテの創設者兼会長であるクレッグ・キーランドは、
「より長く、若々しく生きるために、老化現象の速
度を遅くすることはできないものだろうか。」
という素朴な疑問を抱きました。そこで、彼と彼のスタッフ達はこの事柄に
対しての研究を始めたのです。
しばらくして彼らは、世界中の老化に関する話題と、老化現象を遅くすることができると
考えているこの分野の専門家達を探し出し、その論文をまとめました。その研究の過程において、多くの論説の中に登
場する、国際老化学研究所のリチャード・カトラー氏という一人の博士がおりました。彼の専門研究分野は抗酸化科学で
あり、
これがどう老化現象を抑えるのかについてということでした。そこでこのカトラー博士と接触することを何度も試み
、ついにクレッグは博士との対談を実現したのです。
クレッグは、
メリーランド州のボルティモアにある老化開発研究所
まで博士を尋ねたところ老化の速度を抑え、若々しく長く生きたいという考えにおいて、非常に意気投合したのです。
研究の結果クレッグは、エネルギーを保つための秘訣は、体内のミネラル吸収率に左右されるということを発見しまし
た。その後彼はまた、
この分野において再三に渡りその名前が上がっている、マーク・ぺダーセン博士というもう一人の
人物が存在することに気がつきました。
このぺダーセン博士は最近、キレートミネラル (体組織中のミネラル吸収率を増
加する作用を持つ) において50以上もの特許を収得したアルビオン研究所の創設者、ハービー・アシュミード博士の研
究に加わるようになっていました。
このアシュミード博士も、ぺダーセン博士の長年の栄養学の研究に一目をおいてい
たのです。
またぺダーソン博士は、ネイチャーズサンシャイン社において、同社の製品の考案者として10年間を費やして
おります。彼は、数多くの栄養補助食品考案者の中でもより良い相乗効果を引き出すためには、ビタミンとミネラル、そ
してハーブをどのようにブレンドすればよいのかを本当に理解していた数少ない人物のひとりです。
やがてアシュミード博士の研究人生も終盤を迎えようとしていた頃、同じくしてぺダーセン博士はその人並み外れた才
能を周りの人々から絶賛されるようになっていました。
クレッグは、ぺダーソン博士、そしてアシュミード博士と共に色々
な機会で会合を重てゆくうちに、若々しく長生きがしたいという同じ希望を抱いていることから、お互いの友情もより固
くなっていったのです。
この課題を成就するすべての方法は、神によってこの世に備えられており、
自分達の成すべきこ
とは、ただそれを探し出しまとめ上げることだけであると、彼らは心から信じていました。そしてある時、
アシュミード博士
は、過去10年以上もの間、彼の机の上に眠っていたある論文をクレッグに手渡しました。モートン・ウォーカー博士によ
って書かれたその論文のタイトルは"若々しく長寿をまっとうするための秘法" というものでした。
この中でウォーカー博
士は、1973年1月出版の ナショナルグラフィック誌 に記載された、ハーバード大学のアレキサンダー・リーフ博士による
ビルカバンバについての論説に関して説いています。その内容は、64人に1人が100歳以上で、
しかもすこぶる健康であ
るという、エクアドルのアンデス山脈の高地に位置するビルカバンバ地方の村について書かれてあります。
ここでは100
歳以上の男性が、
まだ子供を授かっているのです。
ウォ カー博士は、ビルカバンバに3ヶ月滞在し、人々がどのようにし
てそんなに長く若さを保つことができるのかを分析しました。そして彼はその"秘密" を探し出し、
この地を後にしました。
それは結局、
クレッグが追い求めていた、彼の考えが正しかったということを示す証拠となるようなものでした。
1992年 - クレッグは、彼の"若々しく長生きする" という理念に賛同する、世界nの名だたる博士達によって構成された、最
強チームを結成しました。そして、
カトラー博士の抗酸化物質の研究と、ぺダーセン博士のハーブとビタミンに関する知
識、そしてアシュミード博士のミネラル吸収率の専門技術、
また、
ウォーカー博士が探し出した"秘密"などの発見が、老化
の速度を抑え若々しく長生きするということを実現させるために結集されました。
このようにして真の"夢のチーム" が出
来上がったのです。
クレッグはやがて、直接ビルカバンバの村民達と会ってみたいと望むようになりました。そして、エクアドルのグアヤキル
1973年1月号
に飛び、ビルカバンバから約72.5キロ離れたロハ市まで赴くために小型機をチャーターしました。
クレッグは、
このグア
ナショナル・ジオグラフィック誌 ヤキル空港で 彼と同じくしてロハ市になんとか向かおうとしているハイミ・メンドーサという人物に会いました。そこで
クレッグは、彼に「ご一緒しませんか」
と声をかけ、短い旅を共にすることとなりました。そして飛行機の中で、ハイミはビ
ルカバンバの市長であり、
ウォーカー博士がビルカバンバの"秘密" についての研究のため10年前にここを訪れた時、宿
泊先をお世話した人物であるとわかりました。
クレッグは、ハイミと彼の妻のドゥルガーと一緒に過ごし、彼らを通してた
いへん長生きをしながらも完全な健康を保っている人々の姿を目の当たりにすることができたのです。そこでは、心臓
病や老人性痴呆症、
ガン、そして肥満症などは皆無なのです。その上、人々はたいへん幸せそうで人生を謳歌しています
。
このビルカバンバの村は、かつて目にしたことがないほどの澄みきった青い空と深緑に囲まれ、今まで飲んだことのな
いような、甘く、最高に美味しい"秘密" が隠された水が流れている、一年を通した平均温度が約22度の楽園です。
アレキサンダー・リーフ博士
ハーバード大学院医学部
09-05
私達は単なる会社にとどまらず、
大義のために奉仕します。
®
1993年 - ぺダーセン博士、
カトラー博士、
アシュミード博士、そしてウォーカー博士によって結成された"夢のチーム"
によって、体に元気を与え、老化の速度を抑え、若さをより長く漲らせてくれる製品を考案し、形成することができる
モートン・ウォーカー博士 と、
クレッグは知っていました。
この製品は“若さの泉”のドリンクを開発するというクレッグの夢を叶えるでしょう。
ス
研究者・著者
ペインの探検家である、ポンセ・デ・レオンがなし得なかった試みが、今ここで達成されたのです。
クレッグは彼の最
終目標のために、"夢のチーム" に次のような事柄を採用するように依頼しました。1)風味のよい飲み物にすること
、2)ビルカバンバの"秘密"(興味深いミネラル形成と高い吸収率)を採り入れること、3)抗酸化作用が高いこと
(最
も高い抗酸化作用値を示す果物を世界中から探し出すこと)、4)高品質のハーブを加えること、5)高い有効性と可
能な限りの清潔さの保持を実現させるために、製薬研究所において製造すること。
またある時クレッグは、
カリフォ
ルニアのビッグサーにある、
ライナス・ポーリング博士のお宅に招かれました。
クレッグはかねてから、
ノーベル賞を
(単独で)2度獲得した世界でたった一人の人物である博士の、ビタミンCの効果の発見とその事実について常に高
く評価していました。
この時ポーリング博士は、すでにかなりお年を召しておられましたが、同じ夢を持つ者同士、2
モートン・ウォーカー博士 人はすぐさま心を通わせることができました。
そしてクレッグは、博士の望み通り彼の名を“夢のチーム”の一員とし
未発表論文
て加えたのです。その6ヶ月後、ポーリング博士は92年の生涯の幕を閉じられました。
(興味深いことに、
クレッグは博
士にとって最後の訪問者だったのです。)
ハイミ・メンドーサ
ビルカバンバ大使
ビルカバンバ
「パラダイス」
何の痛みも伴わず、
もっと元気に若々しく長生きするというクレッグの夢の製品の作成は、
この時点ではまだ不十分
でした。
しかし、彼は夢を追うことをあきらめませんでした。その後の10年間、ペダーセン博士とカトラー博士もまた
、他の博士達と共に、
クレッグの夢を追い続けました。
この間、
アシュミード博士は他界されましたが、研究はさらに
続けられたのです。
2003年 - 12年の歳月を越え、製品考案の先導者としてぺダーセン博士は、
クレッグと夢を現実へと導きました。"秘密
" のミネラルの味を良くし、その有効性を維持させるために、新しい技術を考案する必要がありました。
カトラー博士
と同僚の研究者達は、特定の果物の中に含まれる抗酸化物質について検査する方法を作り上げました。
この検査で
使用されるO.R.A.C値基準は今や世界の規格となっています。ぺダーソン博士とクレッグがビルカバンバの旅をして
いたとき、エクアドルの熱帯雨林のはずれに生息している、ある果物を発見しました。
これらのフルーツの抗酸化値
をO.R.A.C値基準に基づいて検査した結果、その数値が群を抜いていることが判明したのです。その後、
クレッグはこ
の果物を入手するための手続きをとりました。収穫されたこの果物は、すぐさま冷凍保存にて合衆国まで輸送され、
テキサス州ダラスにある製薬研究所に届けられました。
こうしてクレッグの夢は実現しました。彼はこれを「Alive with Youth(若く生きる)」、
と最良のひと言で表現し、その
言葉の意味を包み込んだ、
「ViaViente (ビアビエンテ」という特別な名を世に送り出しました。12年もの長い歳月の
間、彼は決してあきらめることなく、多くの犠牲を払いながらも夢を追い続けました。そして今や、彼はその成果を世
界中の人々と分かち合っています。ビアビエンテは世界中の人々の人生を変えているのです。
この製品は今現在、
ア
メリカ、
カナダ、
日本、オーストラリア、ニュージーランド、
フィリピン、香港、
シンガポール、台湾で手に入れることがで
きます。そして、今後5年の間に50の国々にまで拡大してゆく予定です。ビアビエンテは、年齢や国籍性別を問わず、
人間にもっと元気を与え、抗酸化作用、及び抗炎症作用が含まれた、世界中の人々が捜し求めていた健康飲料です。
FO
S CHI L D R E
NS
DE
AN
ライナス・ポーリング博士
ノーベル賞二回受賞
"夢のチーム"を率いるぺダーセン博士は「抗酸化作用の効果を維持するミネラルの味のため、味を良くするという
ことには無理があるようだ。」
という結論を今一度出しました。
これでは、
カプセルを使用しなければなりません。
こ
の時点では、果物は単なる“果物”であり、その効能や有効性に関しての基準がありませんでした。言い換えれば、二
つのリンゴの違いを測る術がなかったのです。その頃、
ミネラルの"秘密" を採り入れたいくつかの製品が製薬研究
所において製造されていましたが、それはみなカプセル状のものばかりでした。
UNDATION
アンデス児童基金は、ビルカバンバ渓谷の
人々に恩返しをする意味を込め、2003年にク
レッグ・キーランドによって設立されました。
これによって、
コンピューターやソフトウェア
の寄付がされ、現地の3つの学校において教
師のための訓練が行われています。
さらに、
ひとつの学校に、新しい机とイスが贈呈され
ました。そして年に2度、教育普及活動のた
めにボランティアの人々が同村を訪れ、生徒
達にコンピューターの使い方指導やアート、
クラフト
(美術・工芸)指導、緊急医療訓練、
ス
ポーツ指導などを行っています。
Fly UP