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1 コンチネンタル・タンゴ?、それとも アルゼンチン・タンゴ?

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1 コンチネンタル・タンゴ?、それとも アルゼンチン・タンゴ?
コンチネンタル・タンゴ?
それともアルゼンチン・タンゴ?
齋藤 冨士郎
TANGUEANDO EN JAPÓN 誌上でヨーロッパ・タンゴを話題にすることはこれまでは熱心なタンゴフ
ァンから「いかがなものか」と受け取られる心配があった。故芝野史郎氏は本誌の 2001 年 1 月号 No.7
から中断を挟んで 2013 年 1 月号 No.30 に至る迄の 15 回(最終回は遺稿)にわたってヨーロッパのタン
ゴ楽団についての評伝を執筆され、筆者などはそれで大いに勉強した方であるが、これに対して始めの
頃、当会の初期のメンバーの某氏から「機関誌の誌面を無駄にするものである」といった意見が寄せら
れたということを仄聞している
(*)
。しかし、今日ではアルゼンチンと日本の複数のタンゴ楽団がコンチ
ネンタル・タンゴを演奏することも珍しくなくなった。我が国では小松亮太氏やアストロリコ楽団がコ
ンチネンタル・タンゴを演奏曲目の中に取り入れている。また小松真知子&タンゴ・クリスタルはコン
チネンタル・タンゴだけの演奏プログラムをしばしば組んでおり、チケットの売れ行きもその方が良い
と聞いたことがある。こうしたことを考えれば、コンチネンタル・タンゴを当会機関誌上で話題にして
も今更お叱りを受けることもないだろう。
一般には「コンチネンタル・タンゴ」という呼び名は戦前のあるレコード会社が作り出したものとさ
れている(大岩祥浩、島﨑長次郎、中島栄司、「タンゴ入門」、
(音楽之友社、昭和 48 年))
。しかし榛名
静雄氏によれば、厳密には「戦前」ではなく、昭和 17 年春に某社が発売した 3 枚組タンゴ・レコ-ド・
アルバムの付録解説書に「コンチネンタル・タンゴ」の表題が付けられていたのが最初のようだ(日本
コロンビア:想い出のコンチネンタル・タンゴ名曲集(1962 年)別冊付録)。ただ、昭和 10 年代に英国
の社交ダンスの先生たちが世界選手権大会に出場したドイツ、フランス、デンマークの選手の踊り方を
批評した記事の中で“continental tango”という表現を使ったという話もある(榛名静雄、前出の別冊付
録)
。
「コンチネンタル・タンゴ」という言い方は外国では通用しない。しかし便利な言葉ではあるので、
ここではヨーロッパで演奏された/演奏されているアルゼンチン・タンゴ(アルゼンチンで作曲された
タンゴ)以外のタンゴをコンチネンタル・タンゴと呼ぶことにする。ところでこの「タンゴ入門」では
コンチネンタル・タンゴの特質について述べた後で、コンチネンタル・タンゴはアルゼンチン・タンゴ
と比べて
①
演奏に迫力が無い、
②
単純で面白さに欠ける、
③
作品が少なく、演奏も個性に乏しい、
と言っている。言われてみればその通りであるが、それはアルゼンチン・タンゴの一流楽団や代表作品
と比較しての話で、二流、三流の楽団・作品も含めれば、そこまで否定的になることもないのではない
かと思われる。コンチネンタル・タンゴにも名曲や名演はある。しかしアルゼンチン・タンゴが今日な
(*)
この話はこれまでは「裏話」であったが、芝野氏も故人となり、某氏もかなり以前に当会を退会されてい
るので、もうオープンにしてもよいだろう。
1
お生きている音楽であるのに対し、コンチネンタル・タンゴは今日では音楽としては過去のものである
ことは否定できず、そこが弱みである。
コンチネンタル・タンゴとアルゼンチン・タンゴは、同じくタンゴと呼ばれても生まれ育った環境も
時代も異なる。それを同列に比較して優劣を云々してもあまり意味がないのではないだろうか。似たよ
うな例を挙げるならば、モダン・ジャズとディキシーランド・ジャズの優劣を論ずるようなものである。
考えてみれば、我が国のタンゴファンの中で 1940 年頃より以前に生まれた方々の多くはコンチネンタ
ル・タンゴやヨーロッパ楽団の演奏によるアルゼンチン・タンゴを聴いてタンゴが好きになったという
方々は少なくないはずである。伝聞であるが、高山正彦氏もマレク・ウェバー(Marek Weber)楽団の“ア・
メディア・ルス”を聴いたのがタンゴの道に入るきっかけであったそうである。
一口にコンチネンタル・タンゴ、あるいはヨーロッパで録音されたタンゴといっても第 2 次世界大
戦の前後でその実態は一変している。第 2 次世界大戦以前に盛名を誇った Barnabás von Géczy 楽団、Peter
Kreuder 楽団、Adalberto Lutter 楽団といった楽団は、戦後は短期間に姿を消し、それらに代わって Alfred
Hause 楽団や Ricardo Santos 楽団のような新興のコンチネンタル・タンゴ楽団が勢力を伸ばした。しかし
音楽の性格は大きく変わり、イージーリスニングのためのムード音楽に近くなってしまった。例外は
Malando 楽団で、この楽団だけは戦前のコンチネンタル・タンゴの雰囲気を残しているように見える。冒
頭紹介したコンチネンタル・タンゴに対する①~③の見解は戦前と戦後の両方のコンチネンタル・タン
ゴを含めてのものと思われる。戦後のコンチネンタル・タンゴは正直言ってあまり面白くないので、こ
こでは戦前、それも 1920 年代中ごろから 1940 年代初頭までのヨーロッパ・タンゴに話を絞ることにす
る。また、これと比較する意味でのアルゼンチン・タンゴも同時代の演奏に話を絞りたい。
1920 年代中ごろから 1940 年代初頭までコンチネンタル・タンゴとアルゼンチン・タンゴの大きな相違
と言えば、それが演奏された場所ではないだろうか。アルゼンチン・タンゴの場合は高級キャバレーや
ナイトクラブから映画館や場末のカフェーまで、その活躍の舞台は幅広いが、コンチネンタル・タンゴ
の場合は高級キャバレーやナイトクラブ、又は高級ホテルが主な活躍の場であったと考えられる。言い
換えれば、アルゼンチン・タンゴは元をただせば欧米からの移民や土着のクリオジョのような富裕とは
縁遠い世界から生まれたタンゴであるのに対して、コンチネンタル・タンゴは世界から集まった富裕な
人々を対象にしたタンゴであるということもできるだろう。
我々が普通にコンチネンタル・タンゴと呼んでいるものは、実際には当時ヨーロッパで行われたタン
ゴ音楽の一部だけを指すと考えた方が良い。そしてヨーロッパ・タンゴでカバーされる内容は実に多様
である。それでここでは、乏しい資料に基づいたものではあるが、ヨーロッパで録音されたタンゴの大
雑把な分類を試みた。その結果は (A)から(D)までの4つのグループに分類できそうである:
(A) スペイン語以外のヨーロッパ言語(独、仏、英など)のタイトルを持つタンゴ
(B)
アルゼンチン風の雰囲気を出すことを狙って、ヨーロッパで作られたスペイン語のタイトル(例
外はある)を持つタンゴ
(C) 渡欧した南米出身(大部分はアルゼンチン)音楽家が現地で作曲したタンゴ
(D) ヨーロッパのダンス楽団・タンゴ楽団が演奏したアルゼンチン・タンゴ
(A)
スペイン語以外のヨーロッパ言語(独、仏、英など)のタイトルを持つタンゴ
結論を先に言うと、我々が従来コンチネンタル・タンゴとして馴染んできた曲目の多くはこのグルー
2
プに含まると考えられる。そしてヨーロッパ言語(独、仏、英など)のタイトルを持つタンゴは結構多
いようで、我々が良く知らないだけであるらしい。このグループを敢えて命名すれば「いわゆるコンチ
ネンタル・タンゴ(Llamado “Continetal Tango”)
」とでも言えるであろうか。
代表的な曲目としては、
碧空 (Blauer Himmel (J.Rixner)), 奥様、お手をどうぞ(Ich küß ihre hand, Madam (R. Erwin)), 小さな喫茶
店(In einer kleiner Konditorei (F. Raymond)), 夜のタンゴ (Tango Notturno (H. O. Borgmann)), ジェラシー
(Jalousie (J. Gade)), イタリーの庭 (A Garden in Italy (R. Erwin-Beda)), 黒海のほとりにて (By the Black Sea
(Rodi)), 小雨降る径 (Il pleut sur la route(*) (H. Himmel-R. Chamfleury)), 夢のタンゴ (Le Tango de reve
(Malderen)), 薔薇のタンゴ (Il tango delle rose (Schreier-Bottero-Reisman)), オー、ドンナ・クララ (Oh, Donna
Clara (Peterburski))
などがあり、またこれほど有名ではないが、
黒い蘭の花 (Schwarze Orchidden(**) (W. Richartz)), 思い出のタン
ゴ (Ein Tangomearchen (J. Rixner)), 恋せし時は乙女美し(Frauen sind
schön, wenn sie lieben (Plessow)), 別れの手紙 (El Abschied Brief), ブ
リタニーの赤い屋根(Red Roofs of Brittany (Watson, Denby, Scott)),
などがある。フランス語のタイトルを持つタンゴは「小雨降る径」
以外は日本では殆ど知られていないが、アリナ・デ・シルバ(Alina de
Silva)が歌っているものに
昔のように (Comme autrefois (M. Aubray-Learsi-Valsien)),
私はあな
たを待つ (Je vous attendais ((M. Aubert-H. Poussigue))
などがある。
フランス語のタイトルを持つタンゴは実は結構あるようで、例えば Qintin Verdu 楽団や Ramon
Medizábal 楽団はフランス語のタイトルのタンゴだけの LP(25cm)を出している(それぞれ Decca
FS.123.524 及び BelAir 321045)
。しかし戦前と戦後の作品が混在しているようなので、ここでは取り上げ
なかった。
一口にコンチネンタル・タンゴと言っても、ドイツ・タンゴ、フランス・タンゴ、英国タンゴはそれ
ぞれ独特の性格を持っており、一括りには出来ないところがある。又、歌われる言語によって我々が受
ける印象もまるで違う。ドイツ・タンゴは背景にヨーロッパ古典音楽の伝統を感じさせるものがあり、
英国タンゴはわかり易いと言えるだろう。これがフランス・タンゴになると何となくシャンソン風に聴
こえてくるから妙である。
(B)
アルゼンチン風の雰囲気を出すことを狙って、ヨーロッパで
作られたスペイン語のタイトル(例外はある)を持つタンゴ
これは Tango Simulado al Estilo Rioplatense とでも命名できるであ
ろうか。これらの中では、確かにアルゼンチン風の雰囲気を出して
(*)
この曲は元々は原題を“Auch in Trüben Tagen(曇った日々においてもまた)”というドイツの曲である
が、今日では殆どの人がフランスの曲と思っているようだ。
(**)
この曲はかつて日本で服部良一の編曲によって「蘭の花(歌:二葉あき子」)として歌謡曲化された(久
敬二氏のご教示による)。
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いる曲もあれば、タイトルはスペイン語でも中身は殆どコンチネンタル・タンゴであるものまである。
また、これらの曲目の作者の国籍も判別は難しいので、曲によっては(B)に入れるべきか(C)に入れるべき
か判然としないものもある。
このグループに属するもので最も有名なものはタヒチ (Tahiti(これは地名)(A. J. Pesenti))で、アルゼ
ンチン・タンゴの雰囲気をよく出した曲として知られている。オレー、グアパ (Olé Guapa (Arie Maasland))
も良く知られているが、雰囲気はスペイン的である。
その他のものとしては、
小さな頭(†) (Cabecita (G. Filippini)), タンゴ・ボレロ (Tango Bolero (J. Llossas)), 愛のせせらぎ (Arroyito(*)
(J. Ghirland-J. Giberlti)), 最後の歌 (La última canción (G. Filippini)), 悲嘆 (Amargura(**) (F. Joselino)), 我
を許せ (Perdoname (Winkler)), グラン・チャコ(Gran Chaco (Steinbacher)), パムピータ (Pampita
(Porschmann)), トーナメント(馬上槍試合) (Tournier (Winkler)), 娘さん(Papusita (Brodman-Alfaro)),遊び
人 (Farrista (P. Brodman))などがある。
(C) 渡欧した南米出身(大部分はアルゼンチン)音楽家が現地で作曲したタンゴ
アルゼンチン音楽家とせずに南米出身としたのはホセ・ルケッシ(José María Lucchesi)のようなブラ
ジル系フランス人もここに含まれると考えたからである。
これらのタンゴはヨーロッパで作曲されたものではあるが、曲の雰囲気は殆どアルゼンチン・ÏÏ タン
ゴであり、ヨーロッパ製アルゼンチン・タンゴ(Tango Euro-Rioplatense)とでも呼べるものである。これ
の属するタンゴには我が国で知られたものも多く、アルゼンチンのタンゴ楽団も演奏している。これら
は勿論コンチネンタル・タンゴではない。有名なものとしては
追憶 (Remembranza(s)(Resouvenace) (M. Melfi-M.Battistella)), ポエマ (Poema (M.Melfi-E. Bianco), 祈り
(Plegaria (E. Bianco)), 黄昏(Crepúsculo (E. Bianco)),エル・ガロン (El Garrón (Al Garrón と表記されることも
ある) (C. Ferrer)), モンマルトルの夜(Noche de Montmartre (Nuite de Mongtmartre) (M.Pizarro)), エル・ガロ
ンの一夜 (Una noche en el Garrón (M.Pizarro)), 魅せられし心 (Lo han visto con otra (H. Pettorossi)), 秋
(Otoño (H. Pettorossi))(***)などがある。
M. ピサロ(M.Pizarro)、E. ビアンコ(E. Bianco)、J. デアンブロッジオ「バチーチャ」(J. Deambroggio
“Bachicha”) にはこれら以外にも多くの作品がある。有名曲ではないがターノ・ヘナロ(“Tano” Genaro)
にもいくつかの現地作品がある。
ここで注意すべきは、アルゼンチンでは本国人の、ヨーロッパでは渡欧したアルゼンチン音楽家の作
品になっている事例があることで、その例として、ヨーロッパではバチーチャ作になっている Aserrin
Asseran が実は R. フィルポの El ahorcado と同じ曲であることが挙げられる(CD-1193 参照)
。この様な例
(†)
ルンファルド辞書によれば Cabecita とは「ブエノス・アイレスの外で生まれた人」、「黒い髪と褐色の皮
膚のブエノス・アイレス住民」、「好景気の時にブエノス・アイレスにやって来た地方人」を意味するらしい。
(*)
S. Castriota の作品とは同名異曲。作者の 1 人の J. Ghirland は渡欧したアルゼンチン人の可能性もあり、も
しそうならこの曲は(C)のグループに入る。
(**)
C. Gardel-A. Le Pera の作品とは同名異曲。
(***)
この 2 曲はアルゼンチン・タンゴとして扱われているが、1925 年に渡仏した H. Pettorossi のそれぞれ
1928 年と 1929 年の作品と言われているから、ここに入れた。
4
はほかにもありそうだ。又、高場 将美氏によると、フアン・デアンブロッジオ「バチーチャ」(Juan
D’Ambroggio “Bachicha”)の作とされる Bandoneon Arrabarelo は実はエンリケ・マシエル(Enrique Maciel)
の作品で、それにオラシオ・ペトロッシ(H. Pettorossi)がパスクアル・コントゥルシ(Pascual Contursi)
に依頼して歌詞を付けて「バチーチャ」に買ってもらい、
「バチーチャ」名義で著作権登録をさせたもの
だ、という(Tangolandia, 2013 年秋号)
。こういう例もあるから、どの曲をこのグループに入れるべきか
という判断は中々難しい。
渡欧したアルゼンチン音楽家の中で M. メルフィ(M. Melfi) はやや特異な存在である。元々、彼はバテ
リア奏者で、渡欧してから「バチーチャ」の奨めでバンドネオンを習得し、遂には自分の楽団を持つま
でに至った。彼には上記のようにアルゼンチン・タンゴを指向した作品もいくつかあるが、それ以外に
フランス語のタイトルを持ち、フランス人歌手がフランス語で歌うタンゴを多数録音し、作曲もしてい
る(愛のギター (Guitare d’Amour), 貴女を愛させて (Laissez-moi T’Aimer), 貴方だけ (Toi seule)など)
。こ
れらは曲想としては(A)のグループに入れても良いとさえ思える。面白いことに、彼が戦後録音ではアル
ゼンチン・タンゴのスタイルに復帰している。
(D) ヨーロッパのダンス楽団・タンゴ楽団が演奏したアルゼンチン・タンゴ
これらは勿論れっきとしたアルゼンチン・タンゴである。ヨーロッパ出身の音楽家によるアルゼンチ
ン・タンゴの録音数は実はあまり多くはない。例を挙げれば
交わす盃(Tomo y obligo)
演奏楽団:Barnabás von Géczy 楽団
私のタンゴ(Tango mio)
演奏楽団:Barnabás von Géczy 楽団
(この2曲の録音には歌なしと歌入りの2つのバージョンがある。)
ラ・クンパルシータ(La cumparsita)
演奏楽団:Geraldo’s Gaucho 楽団
センチミエント・ガウチョ(Sentimiento Gaucho)
演奏楽団:Adalbert Lutter 楽団
赤い蝶々(Pato cua… cua…)
演奏楽団:Adalbert Lutter 楽団
(邦題の「赤い蝶々」は勿論、原タイトル(アヒルがガァ… ガァ…)とは全
く関係が無く、当時の日本のレコード会社の担当者の苦労が偲ばれる。)
淡き光に(A media luz)
演奏楽団:Adalbert Lutter 楽団、
Marek Weber 楽団
小径(Caminito)
演奏楽団:Marek Weber 楽団
ランゴスタ(Langosta)
演奏楽団:Varaldi Tango Band
タバリスの小娘(La piba de tabaris)
演奏楽団:Julian Fuhs 楽団
(この曲は日本では全く知られていないが F. カナロ(F. Canaro)が 1924 年に歌なしと A. マイサニ(A. Maizani)
の歌入りで録音している。)
往時(Tiempos viejos)
演奏楽団:Julian Fuhs 楽団
などがある。
アルゼンチンではタンゴを演奏する楽団はほとんどすべてがタ
ンゴを専門としている(1930 年代後半になるとタンゴ以外の曲種の
5
演奏も増えてくるが)
。しかしヨーロッパの場合はタンゴを演奏する楽団は大雑把にいって下に示すよう
に3つのグループに分かれそうである。
(a)ヨーロッパ出身者が主宰する、ダンス楽団で、演奏曲目の一部にタンゴが含まれるもの
例を挙げれば、
Barnabás von Géczy 楽団, Dajos Bela 楽団, Peter Kreuder 楽団、
Heinz Huppertz 楽団, Roberto
Renard 楽団, Eugen Wolff 楽団, Robert Gaden 楽団, Adalbet Lutter 楽団, Juan Llossas 楽団, George
Boulanger 楽団など多数がある。これらの楽団の多くは Tanz-Orchester や Salonorchester、あるいはそ
れに類した楽団名を名乗っており、演奏曲目もタンゴ以外のダンス音楽が圧倒的に多い。
(b)
「タンゴ」楽団を名乗る、ヨーロッパ出身者が主宰する楽団
例えば、Juan Llossas mit seinem Tango Orchester, A. J. Pesenti et son Orchestre de Tango, Geraldo’s
Gaucho Tango Orchestra(†), Varaldi Tango Band, Savoy Tango Orchestra, Orchestre de Tango Pippo Rache
(*)
, Orquesta Típica Brodman-Alfar o(**)などがある。
Varaldi Tango Band. セルーチョ奏
者が 2 人いるが、通常はそれぞれギ
ターとドラムを担当していたと思わ
れる。(http://www.gettyimages.co.jp)
但し、これらの楽団が「タンゴ」楽団と名乗っているのは、あく
までレコードのレーベル面の記載に基づいての話であって、彼らが
日常的にそのように名乗っていたということではなく、同じ楽団が
ダンス楽団と名乗ることもあっただろう。
(c)渡欧した南米出身(大部分はアルゼンチン)音楽家が主宰する楽団
この場合、M. Pizarro や E. Bianco, “Bachicha”のような有名音楽家は別として、レコード/CD の記載事
項以外に詳しい情報がない音楽家に関しては、彼が実際に南米出身者か、ヨーロッパ人が南米風の芸名
を使っているのか、の判定が難しい。辛抱強く調査を進めるしかない。
(A)~(D)を縦軸に、(a)~(c)を横軸にして表の形にすると表 1 のようになる。この表を眺めると、いわ
ゆるコンチネンタル・タンゴは大まかに言ってこの表で影を付けた欄に収まるのではないかと思われる。
所蔵されるヨーロッパ・タンゴのレコードがこの表の何処に入るかを考えてみるのも一興であろう。
ヨーロッパ・タンゴを調べるにあたって一番不便なのは、アルゼンチン・タンゴの場合と比べて、資
料が極端に少ないことである。ディスコグラフィに関しては、ドイツにおいて Deutsche Nationale –
(†)
この楽団を主宰する Geraldo Bright は別な名前で(タンゴ以外の)ダンス音楽楽団も主宰している。
この表記は芝野氏の記述による。レコードによっては Pippo Racho と表示したものもある。
(**)
楽団名に「タンゴ」は入っていないが、Orquesta Típica と名乗っており、演奏曲目もタンゴ主体である
のでここに入れた。
(*)
6
Discographie : Discographie der deutchen Tanzmusik なる数巻にも及ぶディスコグラフィが出版されており、
Amazon.com での購入可能のようである。しかし余りにも大部すぎる上に、タンゴはそのごく一部と思わ
れるので、道楽が過ぎるような気がして未入手である。タンゴ演奏家・歌手だけに絞ったその他のディ
スコグラフィについての情報は持ち合わせていない。曲に関してもレコードや CD の形で日本に紹介さ
れているものは数が限られていて、ヨーロッパ・タンゴの全貌を把握するには程遠い。冒頭に引用した
①~③の意見もこういう事情を背景にしてのことと考えるべきで、もっといろいろなことが知られて来
れば、意見もまた変わってくるだろう。
表 1 第 2 次世界大戦以前にヨーロッパで録音されたタンゴの分類
楽団の
ヨーロッパ出身者
アルゼンチン
リーダー
演奏されたタンゴの
楽団の
タイプ
性格
出身者
ダンス楽団
タンゴ楽団
タンゴ楽団
(a)
(b)
(c)
ヨーロッパ言語(独、仏、英など)の
代表例:
代表例:
代表例:
タイトルを
B. von Géczy 楽団‐
Geraldo’s Gaucho 楽
M. Melfi 楽団‐
Blauer Himmel
団‐Red Roofs of
Il pleut sur la route
持つタンゴ
(A)
(Llamaddo “Continetal Tango”)
Brittany
アルゼンチン風の雰囲気を出すことを
代表例:
代表例
代表例:
狙って、ヨーロッパで作られたスペイ
P. Kreuder 楽団‐
A. J. Pesenti 楽団‐
?
Amargura
Tahiti(地名)
代表例:
代表例:
代表例:
Robert Renard 楽団‐
A. J. Pesenti 楽団‐
E. Bianco 楽団‐
Poema
Poema
Plegaria
代表例:
代表例:
多数
B. von Géczy 楽団‐
Brodman =Alfaro 楽
Tomo y obligo
団‐Mala Junta
ン語のタイトル(例外はある)を持つ
(B)
タンゴ
(Tango simulado al Estilo Argentino)
渡欧したアルゼンチン音楽家が現地で
作曲した
(C)
タンゴ
(Tango Euro-Argentino)
アルゼンチン・タンゴ
(D)
参考資料
芝野 史郎、
「タンゴ、もう一つの祖国」
、TANGUEANDO EN JAPON, No.28 (2011)~No.31 (2013)
夏目 十郎、
「コンチネンタル・タンゴの楽しさとつまらなさ」、中南米音楽 臨時増刊「タンゴのすべ
て」
、昭和 42 年 11 月
日野 忠、
「ヨーロッパ・タンゴ 最新情報」
、同上誌
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