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努力と運と友情に - さくらメディカル株式会社

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努力と運と友情に - さくらメディカル株式会社
発 行
さくらメディカル(株)
第 20 号
’08・10・10
Tel(025)522 − 3391
創業 20 周年記念号
〒 943̶0141 上越市子安 1378 番地
題字
編集・協力
武藤社長、 年の軌跡を語る
つらい介護からやさし
の整備目標数が発表され、 い介護へ! 毎回好評の
少しずつ商売が広がって
﹁北 欧 式 ト ラ ン ス フ ァ ー
北欧式トランスファーテクニック︵移乗技術︶体験記
のが難しく、福祉の方で
特徴を出していこうと考
︱
昭 和 六 十 三 年 四 月、
当 時 不 惑 の 年︵四 十 歳 ︶
実技指導の先生方
践したい︵高田訪問介護
課 武藤真由美︶。
﹁目 か ら ウ ロ コ の 体
験だよ﹂と聞いていた
が、ほんとうにそうだっ
た。小柄な私は、大柄な
以下に受講者の体験記を
取り組まれている。一方、
が悩みだった。しかし﹁ら
が多く、腰を痛めること
方を介助するときは苦労
越地区のデイサービスセ
私たちの国では、毎日の
なり驚いた。この技術は、
ナーで習得した技術を実
を強く感じて、マニュア
ルをゼロの状態から勉強
しながら作成した。身体
般的ではなかったが、﹁感
染予防﹂としての必要性
したいと感じた︵高田訪
問介護課 深石可奈子︶
。
今後のサービスでも応用
くらくシート﹂を活用す
ると腰への負担が簡単に
ように介護の厳しい現状
や課題ばかりが浮き彫り
になっている。日本が一
ご紹介します。
介助方法の原則から全
く異なる現実に驚かされ
者と介護者双方にとって
良いケアが受けられ、提
ってほしい﹂と戻ってく
る。それを新品同様にし
た。デンマークでは利用
生 ま れ た の が、 当 時 は
誰も手がけていなかった
的にも大変な時期で出張
下血︵血便︶し、
医療器械の営業をして
ある日、
﹁が ん ﹂ を 覚 悟、 仕 事 や
いた時に、開業医の先生
者の状況変化に対応でき
︱
日も早く福祉先進国の一
員となれるように、セミ
もっとも
﹁レンタル﹂だった。
の往診に同行し、在宅の
るというメリットがある。 へいくのが辛かった。
︱
身辺の片付けをはじめ
寝たきり老人の状況から
独学でシルバー
︱
真剣に、
介護ベッドのレンタル 平成7年、このような
が市町村の給付事業とな
必死の思いによって、シ
って少しずつ認知された。 ルバーマークを取得した。
︱
まじめに
仕事を通して﹁本当に
働いたところから真実が
︱
介護保険の対象品目に
介護ベッドが適用される
生まれる﹂ことを痛感し
た。ただし、自分が一生
︱
ようになった。介護保険
以前は、介護ベッドの給
懸命なだけでは足りなく、
お 客 様 の た め に 真 剣 に、
真面目にやることが大切
マーク取得
れ、それを使ってみると
床 ず れ が 治 っ た。 だ が、
付事業の業者として市
町村から指定されるには
﹁ シ ル バ ー マ ー ク︵ 消 毒
で、追い詰められると知
恵がでることも体験した。
ことも多かった。
回収後の消毒や保管が問
題となり、エアマットの
レンタルは中止となる。
工程管理認定﹂の取得が
必要だった。当時はまだ
﹁消 毒 ﹂ と い う 概 念 は 一
その頃、あるメーカー
からエアマットが発売さ
また当時、介護ベッド
は販売しても利用者さん
が亡くなると﹁誰かに使
んでもない﹂といわれた。 エアマットのレンタルを
この頃に身体に無理をか
会社に提案した。
けたと思われる。
仕事のことを気にすれ
ばするほど症状がエスカ
レートし、仕事中に倒れ
たこともあった。
﹁必死﹂
当時はともかく
だった。お客様もその姿
をよく見ていて注文で助
平成二年
けていただいた。
︱
︱
医療機器や福祉用具の
レンタルを開始
せっぱつまった状況で
昔は、寝たきりになる
と す ぐ に 床 ず れ が で き、
そのまま自宅で亡くなる
た。
ところが診断では﹁な
や長岡市での前例がとて
も参考になった。
困難だった時期
て貸し出す今日のレンタ
ルの形ができた。レンタ
ルには資源の節約と利用
村 の 情 報 を キ ャ ッ チ し、
行動した。特に、新潟市
備品などを提案して立ち
上げを支援する。ゴール
ドプランや新潟県の市町
ンターの開設にかかわり
セミナー﹂が、今年も六
月三十日に新潟ユニゾン
プラザで開催されました。 供できるように国全体で
きた。
在宅向けに紙おむつ
の配達を始める
が単価が安く、利益には
繋がらなかった。
平成三年、当時はまだ
個人商店であったが、上
えた。
︱
︱
立つ
十坪のプレハブでスタ
ー ト。 机 と 電 話 を 設 置。
丁度その頃、介護者が
重いオムツを買いに行く
のが大変だということに
着眼して、オムツの配達
と扇風機のみだった。
一年目は、売上金額が
ほとんどなく、手持資金
労 や 心 労 で 体 調 を 崩 す。
それでも年間売上金額は
その後、紙おむつが市
町村の給付事業として制
度化され、ようやく利薄
︱
デイサービスセンター
や在宅介護支援センター
スタート
どなくなってしまったが、
平成元年
厚生省
中には、今までどおりの
︵現厚生労働省︶の
開業医の先生もいて随分
﹁ゴールドプラン﹂が
助けられ、お世話になっ
た。だが、医療器械の販
売は、既存の状況を崩す
︱
に医療器械の販売が中心。 なサービスに徹した着眼
が生きるようになった。
独立後、今までのお客
様とのつきあいはほとん
倍増した。前職︵医療器
械の営業︶の経験をもと
平成 20 年 9 月 20 日、湯沢・NASPA ニュー
オータニ「設立 20 周年記念大会」で社員を前
に語る武藤社長
を始めた。仕事は増えた
エアコンなし、ストーブ
︱
の一大決意で起業を思い
20
が半年でゼロになる。二
支えられ
年目も必死に働くが、過
努力と運と友情に
たかだ越書林
Medical & Wel fare
杉 みき子
読み易さに配慮し、本文にユニバーサルデザインフォントを使用しています
当社設立二十周年記念にお二人の講師をお招きした記念講演を九月二十日
︵土︶
、湯沢のNASUPAニューオータニで開催しました。講師はシルバー産
業新聞社の安田勝紀編集長とヘルパーの地位確立と体系作りに尽力した畔上加
り、この件はなかったこ
ままくるくると新聞紙に
﹁食 べ て な い ﹂ と い う 証
使っていたらどうなった
けですから、誰を疑うで
し ょ う。 私 で す。
﹁先 生、
私と本人の二人。ないわ
いるからできるんだとい
う驕りにたくさん気付き
見えているから、動けて
くるんでしまいました。
明ができない私に一言も
口をききませんでした。
明 日 に な っ た ら 当 然、
溶けてありません。隠し
そういう中で、ずっと
た場所を知っているのは
私は施設で働いて、私が
い取り調べを受けたので
ろうと思い、その頃本当
に貧弱だと言われた福祉
とにしてくれと虫のよい
ことをいいます。ふとそ
の時に、私が検事の娘と
いう立場でなくて黙秘を
すが、新聞記者の兄に身
分を明かされ助けられま
の道に踏み込んだのです。
代子様。今回は、畔上様の講演の抜粋を掲載します。
ルパー協会の会長の時に、
した。勿論、警察は平謝
ました。えらい仕事始め
て、引き返せないなって
私が挫折をして鬱になり
いうふうに思いました。
や な ﹂。 彼 女 は そ れ か ら
たのに、先生、食べたん
食べたんやな。おいしい
からとっておくって言っ
かけた頃に出会い元気を
もらったので
井上千津子さんとの出会い
武藤社長と私は社員さ
んが , 人位の頃に出
会いました。私の会社に
訪問入浴で何人か研修に
ない方は形がわかりませ
煙の姿はどんな形
若い頃は驕り昂ぶるも
独りよがりの﹁感動﹂?
そのうちに結婚して今
度は役所に勤め、今でい
れられたところは、嘔吐
しそうな悪臭と銀蝿が群
がり、風呂など入れても
らえない、ような少女が
おりました。
A子です﹂と
﹁こ れ が
おばあちゃん。彼女の異
様に白い歯が私を見て二
コリと笑いました。私が
何者か知らないのに笑っ
て私を迎え入れたという
のがものすごい感動だっ
た。お湯を沸かしてもら
い、手も足もガタガタ震
えながら綺麗にすること
役所の冠をかぶってい
た私はこんな目に遭うと
は思っていなかった。丁
ました。物の名を教える
と実物を見たいというふ
うに発展します。私は彼
て し ま い ま し た。
﹁溶 け
ちゃうよ﹂って言いまし
そこで脳性小児マヒの
A子ちゃんという女の子
が、辺鄙な町に住み、就
ゃんだということがわか
きながら、彼女を負ぶっ
す。武藤社長、
井上さん、私
ん。手に触って、その感
じで物を確認できるかも
しれませんが、煙などは
まったくわからないので
す。例を挙げて説明しよ
うとするのですが、比較
えば厚労省の委託事業み
たいな感じで、学校に行
けない人のところへカリ
重にご挨拶をうけて﹁よ
うこそ⋮⋮﹂などと言わ
れると思っていたのです。
女をおんぶして、庭のま
わりを巡り実物を見せま
した。そうしたら、私の
所などいらんから来ない
に専念しました。
彼女は非常に感性の発
でいい﹂ということです。
達 し て い る 子 で、 五 十
音を教えるとすぐに覚え、
語彙が重なるようになり
キュラムを持って行って、
教育委員会と連携しなが
ら教育指導をするという
でも塩をぶっかけられた
のです。それでもまだ意
味がわからなかった。
お仕事をいただきました
私は過去の失敗なんか
を払拭するようにそれに
のです。私は五体満足で
すので、生まれつきの障
たが、施設に冷蔵庫はあ
学していないという事例
没頭したのです。
と強いネット
ワークを感じ
害を持った方の施設に勤
りませんし、氷は氷屋さ
たまま見えない世界を見
とりあえず訪問は失敗。 背中にぽつん、ぽつんと
彼女の家族構成、生い立
温かいものが落ちてきま
ちなどを再点検しました。 した。嬉しいと言って泣
主たる介護者がおばあち
いている。私も一緒に泣
ます。
務いたしました。そこは
り、農業の父母と兄、高
るで⋮⋮先生と私しか知
らないから大丈夫や﹂と
いうことで、彼女はその
に 塩 を ま き ま し た。﹁役
て、挨拶もそこそこに塩
壷を抱えてきて、私の頭
おばあちゃんに招じ入
今度は農家の忙しい時期
に再度訪問しました。
いうことを感じました。
動を分かち合った時に最
も生命力がわくものだと
だけいる時に行けと思い、 のです。人というのは感
て嬉しかったその感動を
共感しました。共感する
と同時に自分の役割がと
ても大事なように思えた
にあいました。もっけの
﹁先 生、 煙 っ て ど ん な 大
きさかい﹂と聞かれまし
た。生まれつき目の見え
校生の妹さんがおられる。
じゃあ、お母さんに塩を
まかれたんだから、主た
る介護者のおばあちゃん
んにいかなければないと
で、父に迷惑を掛けると
困ると思い黙秘権を使い
ました。その結果、厳し
れてもすぐ辞めてしまう
いう時代だったから、溶
幸いのいい事例を見つけ
して預かっておりました。 ようなところでした。
けるということが教え
たという気持ちです。
ら れ な か っ た。
﹁食 べ ち
若さゆえの頑張りで働
それで意気揚々と玄関
いていたのですが、ある
ゃ い な ﹂ っ て 私。
﹁い や、 を開けましたら、
四、五十
日、全盲のお子さんから、 おいしいから明日も食べ
歳くらいのご婦人が出き
大阪の大学の時に安保
闘争にまき込まれ検挙さ
れました。父が検事なの
過酷な勤務状況で、雇わ
んで机の引き出しに入れ
キャンディを新聞紙に包
できません。ある日、民
生委員から貰ったアイス
ける﹂ということが理解
するものも分りません。
もう一つは知恵遅れの
女性で、彼女は氷が﹁溶
会長 畔上 加代子様
お見えになったころから
でございます。
社長は一口で言います
と、柔らかい面と硬い面
の二つ持って、絶対に自
分の考えたことは貫徹す
る と い う 方 で あ り ま す。
そんな社長と私を結びつ
けたのが、介護道では第
一人者の井上千津子さん
︵現京都女子大教授︶
。彼
女は、中学校の先生をし
ヒューマン・ケア・ネットワーク
講師
ていたある日、突然子ど
もさんから﹁老いるって
どういうこと?﹂と聞か
れ て 答 え ら れ な く、 先
生を辞めてヘルパーにな
ったという変り種ですが、
彼女が新潟県のホームヘ
官権と福祉 道
私の父は検察庁の検事
で、売春婦を取り締まる
部署におりました。父も
母も優しい人で売春婦の
子どもを、多い時には十
――私の半生記――
8
人も家で、ミルク代を調
達するため質屋通いまで
介護福祉、草創期を語る
7
ざいたくしんぶん/ 2
08・10・10
うか本当はわからない。
完全に打ちのめされま
した。
と言われて、一週間くら
の誕生になったのですが、
さんは当時わずかしかい
という三十代のヘルパー
の資格を作らなくてい
ちがそれをやるから介護
が、実際に作業は千津さ
んと私と金子さんが行い
ました。カリキュラムを
ら応援はしてくれました
ちは非常に有名でしたか
︻お こ と わ り = シ ル バ ー 産
井上千津子さんに介護道
ということを習ったもの
です。
うに働いています。それ
なかったのです。私は自
分の我を通しました。
いと主張して譲りません。
資格はつくらなくてもい
いというようなことを言
作って、養成学校を作る
作りをしようということ
いるという上下関係じゃ
な い。 パ ー ト ナ ー で す。
オムツを替えるにも専門
長の講演は次号に掲載し
ための働き掛けもやりま
で、私と井上さんと金子
テルさんという埼玉県の
ヘルパーの会長の三人が
性がいる。人の体に触れ
るのですから、倫理がい
ります。ちゃんとそれを
ます︼
した。そういう中で私は
厚労省の古い建物の中で
ヘルパーさんの学習体系
を作りました。
私たちが学術的に体系に
業新聞社の安田勝紀編集
がしていたのですが、彼
女のその様子を見て、
﹁明
日また来るからね﹂と﹁明
後にこれが介護福祉士
ショップ便利用品ご案内
はくこともできます。生
ーで開くようになってい
て、着脱やおむつ替えが
て中間の空気層が保温効
果を高めてくれます。
地が2枚構造になってい
千津さんはまた次の家 着心地や肌触りに気を
に行く。こんな雪の日に、 配った﹁オーガニックコ
しやすいやさしい設計に
安全・快適な﹁オーガニックパジャマ﹂
ットン﹂の自然素材を採
よくやれるものです。
用しているパジャマ。
秋から冬に向かって寒
くなるこの季節におすす
めのパジャマです。
たね﹄
﹃今度ね﹄って﹂
日﹂があるんだというメ
ッセージを残しているこ
とに感動しました。
﹁お 年 寄 り に サ ヨ ナ ラ
って言っちゃだめよ。﹃ま
でもこれは、看護師さ
んの下にヘルパーさんが
われました。
しましょうということで、
い滞在しました。
が生きていると、お父さ
んとお母さんは毎日喧嘩
を見て、私は本当に自分
がやってきた世界とまる
で違った﹁老い﹂という
高齢者福祉課という窓
口ができた始めの頃だっ
ったことは、私が本当に
A子ちゃんを救ったかど
それからずっと訪問を
続けていました。これも
はっきり言えば一人での
をします。お父さんはお
そこで、やめようと思
った時に、井上千津子さ
ものを見た気がしました。
たので、そのうちに体系
福祉は重荷
ぼせていたんですが、あ
酒を飲むとお母さんの髪
の 毛 を 引 っ 張 っ て、
﹃お
んと出会いました。
﹁新潟
私は自分の福祉の世界で、
ありません。お姉ちゃん
る日、バスを降りました
ら 二 十 五、六 歳 の お 兄 さ
前の血が悪いからこうい
に来てみなさい﹂と声を
﹁老い﹂というのを差別し
その時に、一番大変だっ
講師の先生方をはじめ多
たのは看護師さんでした。 くの人たちにも手伝って
看護の人たちは、自分た
いただきました、彼女た
んに﹁先生、明日から来
う子ができたんだ﹄と言
うんです。
お母さんは
﹃ご
掛けられ、彼女がホーム
私は九州生まれの大阪
喧嘩する。お姉ちゃんが
いなかったらお父さんと
育ちですから、雪なんて
お母さんはこんなことな
いうのはまるきり縁のな
いんです。
﹂
い世界で、雪の中を家庭
一生懸命、泣きじゃく
訪問しているという現実
りながら言いました。﹁私
が全然わからない。
も友達をよびたい。
﹂と。
千津さんが訪問してい
私がやってきたその福
た家は、彼女が最初に雪
祉道で、助けると思って
を掻く人でした。雪を掻
いてやっと玄関をあけて、
おばあちゃんの清拭をし
終わったら、お味噌汁を
作って⋮⋮と独楽鼠のよ
私はその時三十代でし
た。全国に登録してある
ないでくれ﹂といきなり
言 わ れ、
﹁何 で ? ﹂ と 私
めんなさい、ごめんなさ
ヘルパーをしている現場
に行く決心がつきました。
﹁老い﹂を差別する自分と
﹁明日﹂に感動する自分
は訊きました。だって自
い﹄と這い蹲って謝って
いる。いつもそうやって
ていたのです。どうして
もやっぱり高齢者福祉は
やりたくないという思い
分はいいことをしている
と信じていましたから。
A
﹁ 子が長生きすると
困るんだ﹂と言われまし
た。結婚話があり、農家
を継いで二人で牛の世話
などを頑張りたいと思っ
ている彼は、私が訪問す
ると彼女が長生きして自
分が面倒をみなくちゃな
らない。それでは結婚相
やっていた事が、本当は
違う形で、違うところで
やっぱり誰かに重荷を与
えているのじゃないかと
いうふうに思いました。
なっています。ファスナ
ーを使用せずにそのまま
ーガニックコットンを
一〇〇%使用しています。
定価 8,925円(税込)∼
手も困るだろうと言われ
ました。
どちらがいい、悪いじ
ゃない。でも、弱者を邪
魔にしている。その彼も
弱者かも⋮⋮。これは老
オーガニックコットン
は、農薬や化学肥料をま
それでもまだ、訪問を
続けていたのですが、お
ヘルパーの学習体系
︵カリキュラム︶を作る
人福祉の問題にもそっく
ったく使わない有機栽培
ばあちゃんの死に直面し
る。何でもいい、伝える
り置き換えられる事じゃ
割を自分たちはしている
んだよ﹂それから、
﹁畔ち
ズボンの両脇がファスナ
﹁悪 い ん だ け ど、 ヘ ル
パーさんてね、学問的な
で作られた綿です。お肌
ました。断末の苦しい時
にやさしい素材﹂です。
役なんだよね。そうする
ないかって思いました。
に立ち会って、遺書を渡
されました。わら半紙に
裏づけがないのよ。
﹂
文書で残すという伝達
技術がなかったのです。
も勿論大事よ。会話もね。
私たちは、ここで見た光
ゃん、仕事やってみなよ﹂
図のパジャマでは、肌
に触れる内側の素材にオ
っ て 私 に﹁あ り が と う ﹂
景を見られない人に伝え
いうものを続けていく役
﹃一緒に道を歩きましょう
ね﹄ということで、命と
の弱い方や乾燥肌の方に
も着ていただける﹁身体
また何ヶ月か経って今
度はセーラー服の女の子
鉛筆で﹁A子に会ってく
﹁こ れ じ ゃ 絶 対 駄 目 だ
と思うのよ。掃除、洗濯
ことによって﹃今度は一
緒に景色を見ましょうね﹄
とバス停で会いました。
れてありがとう﹂と書い
てありました。八十二歳
というメッセージを下さ
のおばあちゃんが死をも
やはりまた﹁来ないで
下さい﹂と。そして続け
ます。
﹁私 は 学 校 の お 友 達 を
一回も家に呼んだことが
オーガニックパジャマ
(婦人用)
08・10・10
3 /ざいたくしんぶん
新潟県の南西部で日本
海に面して位置する上
越市は、平野部と山間部、
海岸部があり、とても変
化に富んだ地形と美しい
景観や多様な自然に恵ま
れています。
さくらメディカルの
﹁本 社 ﹂ は、 夜 桜 で 有 名
な高田公園や県立中央
病院の近くにあり、と
てもわかりやすく足を
運んでいただきやすい
場所にあります。
昭和六十三年四月に
南高田で設立された当
社は、平成十一年八月
に本社社屋を現住所に
移転し、今年で会社設
立二十周年の節目を迎
えました。
現在、本社営業部に
は営業課と医療営業
本
社
『イワシの
つみれ焼き』
「介護食」とは特別な食事ではありません。ちょっ
とした調理のワザ、例えば切り方を工夫したり、加
熱しても硬くならない魚を利用したり、季節感あふ
れる食材や柔らかさが自由自在になるたまごや栄養
価の高い大豆など利用して、「サラサラ」「パサパサ」
ぶせる硬さで、喉ごしのよい食事にすることが大切
です。今回は旬を迎えて美味しくなっているイワシ
を使って「つみれ焼き」を作ってみましょう!
介護ベッドの最大手で
あるパラマウントベッド
が新生産ラインを本格稼
動! こんな情報を聞い
て早速、六月十三日に武
藤社長以下総勢十三名で
話題の最新鋭工場を視察
してきました。
同工場では今回の再編
に伴って、自動車メーカ
ーの生産システムを参考
にした﹁同期・同調一貫
6時間に大幅短縮するこ
とが実現できたというこ
とです。
生産ライン﹂を導入した
のが最大のポイント。専
門的になりますので、ご
く 一 部 を 紹 介 し ま す と、
例えば今まで5日間もか
工場内では大きな設備
やロボットも稼動してい
ましたが、やはり主役は
作業員でした。一人ひと
りが﹁品質﹂と真剣に向
れ、Ⓐの材料と一緒によく揉んで小判形にする。
Ⓐ(ねぎのみじん切り:大さじ 2、しょうがのみじ
ん切り:大さじ 1 より少なめ、青じそのみじん切り:
大さじ 1、みそ:小さじ 1、溶き卵:3 分の 1 個、し
②油を熱してフライパンで両面を焼く(強火にしない
のがポイント ! )
。
③たれ(水:1 カップ、砂糖:小さじ 2、しょうゆ:大
き合い、一つひとつの作
業を行なう姿に﹁さすが
プロだ﹂と感心しました。
﹁こ れ が 介 護 ベ ッ ド の
●作り方( 10 人前)
の中に両面を焼いたイワシを入れて、くずれない
ように気をつけながらさっと煮る。
※片栗粉でトロミをかける時は、一旦イワシを取り
出してからトロミをつけます。
さくらメディカル(株)高田訪問介護課 板倉寛子(介護食士)
日でした。
ちがきちんとお客様にお
届けする﹂という気持ち
になった貴重な初夏の一
で働く人たちの想いがい
っぱいに詰まっている介
護ベッドを﹁今度は私た
しました。そして、工場
最初の状態です﹂と説明
された鉄の塊も工場内を
歩いていくうちに段々と
見慣れた姿になり、介護
ベッドへの親しみが倍増
さじ 1、顆粒だし:少々 ) を鍋にかけて煮たて、そ
をはじめ妙高市や糸魚川
市のお客様を担当してい
ます。
上 越 に は、 営 業 部 の
他に介護部︵居宅介護支
援・ 訪 問 介 護・ 訪 問 入
浴サービス︶もあります。
これらのサービスとも連
携しながら、上越全域の
皆さまの住み慣れたご自
宅での生活を支援できる
ように、今後も﹁地域に
密着した福祉貢献﹂を目
標に全スタッフが一丸と
なって取り組んでいきま
す。︵上の写真は本社営業部・
総務部のスタッフ︶
旬の食材で
新生産ラインが完成した
パラマウントベッド千葉工場
介護簡単メニュー
かっていた工程がなんと
ょうゆ・砂糖・みりん:少々、
、片栗粉 : 大さじ 1 )
㊦介護ベッド
の最初の姿
(ロ ー ル 状
の鋼板 )
課、福祉住環境課、営業
支援課があります。また、
一階の介護ショップでは、
多くのお客様にご来店・
ご利用いただいています。
さらに本社総務部とし
て総務課と経理課があり、
本社全体では総勢三十一
名のスタッフで、上越市
工場視察
レポート
①イワシの尾を手開きし、包丁で身をたたいて袋に入
㊤パラマウン
トベッド千
葉 工 場。こ
こでベッド
が誕生して
います。
「バラバラ」「ベタベタ」にならないように、舌でもつ
「同期・同調一貫生産ライン」
自動車メーカーのシステム導入
本社営業部・総務部
〒943‐0141
上越市子安1378 番地
TEL(025 )
522‐3391
FAX(025 )
522‐2755
さくらメディカル(株)本社社屋
ざいたくしんぶん/ 4
08・10・10
Fly UP