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Vol.6ダイジェスト

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Vol.6ダイジェスト
新 連 載 錦のミカタ
プーさんと蜂蜜
そのお店の女将さんはわたしのことを『パパさん』と呼びました。
わたしの向かい側には若き俊英な経営者と美しい女性。
真ん中には備長炭の火鉢があり、鮎が焼かれ、生きている車えびが熱の熱さに耐えかねて
足をバタつかせております。
若夫婦と老いたる父親…そんな景色に見えたのでしょうか。
錦三丁目の焼肉屋Sでのできごとです。
お客は続々とやってきます。
外国人が五人ほど混じった団体もやってきました。
若き経営者は時計を気にします。
それはそうです。並んで座っているのは奥方でも婚約者でもなく、錦三のお姉さん。
お客と食事してからお店に入る。いわゆる同伴ですが、これにも決まりがあります。
普通は8時。このお姉さんのお店は8時15分まで。
だからコース料理を随分せかしていただきました。
ついでに書いておくとパパさんと呼ばれたわたしは歯茎を傷めており、まるで噛むことができませ
ん。折角のおいしい料理が台無しです。
帰り際、「ああ。××ですね」と女将さんがお姉さんのお店を言い当てました。
「だってあそこの●●さんは、うちにおりましたもの」
伺えば女将さんは錦で35年もお店をやっていたのです。お店の名前を聞いて驚きました。わたし
が名乗ると「あらあ!!」お互いが「やせたからわからなかった」
××に行くと、そのオーナー部長は隠すことなく「はい。お世話になりましたから」
そうしてさすがは繁盛クラブのオーナーでした。客の顔と素性は忘れない。わたしを見て
「A社のM会長といらしたことがありますから」。
すると偶然にもM会長が来店、わたしの席まで顔を出された。
「今度、本を持参してうかがいます」というと「わたしは本は読まない。遊びに来るのは構わない
かわ
が相談事は持ってこなくて結構ですから」と笑顔で躱されました。
わたしについた女性は30代の落ち着いたホステスさんで、起業を考えているという。
「今度、相談に行きます」ということでメルアドを交換した。というかオジサンですからケータイ
の番号の交換ですね。
後日談。その彼女から二日置いてメールが届きました。
情報戦略研究
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新連載開始
振り返れば微妙な美容師への道のり
その 1
最初の一歩 修行時代
もとのもとこ (美容師)
美容のお仕事に携わって 30 年近くたちました。
ひとつの区切りとして、その30年を振り返ってみようと思います。
わたしは美容師に憧れ、田舎から出て、名古屋のお店でお世話になる事になりました。
これがわたしの美容師への第一歩です。
そのお店は、名古屋市内の閑静な住宅街にあり、私の両親と同世代のご夫婦が経営されて
おりました。私と同い年の息子さんがいたのですが、彼は東京のある有名な先生の美容室
へ修業にでていました。
仕事を始めてまもなくのことでした。
私は元々、丈夫な身体なのですが、新しい環境になじめず風邪をひいてしまいました。
お店を休んだわけではないのですが、風邪っぽい私に向かって女先生 ( 奥様のことです )
から一言「精神がなまっているから、風邪をひくんです!」。
一喝されてしまいました。
親にも言われた事のないきつ ? い言葉でした。
でもわたしは、学生時代にバレーボールの鬼監督 ( この方も女性ですが ) に散々「たわけ!
アホか!」といわれておりましたから、これくらいでは、なんとも感じません。
そんな頃、東京へ修業に出ていた息子君から体調を崩したとの連絡が入りました。
自分の息子にはめっぽう甘い女先生は心配で仕方なかったのでしょう、精神がなまってい
るからだ、と叱責することもなく、折りよく東京に用事ができたことから、いそいそと息
子のもとに出かけました。
そういえば、息子君が里帰りした時、ルイ・ヴィトンの大きなボストンバッグを持ってい
たのが、若い頃の私 ( まだ、ブランド物も良くわからない ) には、とっても印象的でした。
女先生云く、「○○先生のお弟子さんなら、これくらい ( ルイ・ヴィトン ) のバッグを持っ
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てないとだめでしょ」ですって。
バブル真っ只中でしたから、ステータスとして、お手軽にブランドを持つのは普通だった
かもしれません。
お店には、先輩が二人いました。
私より2つ3つ年上の女性でした。
お店が借りている小さなマンションにその先輩たちと一緒に住みましたが、私は2つ違い
の先輩と相部屋でした。
食事は3人が一週間交代で作ることになっていましたが、食事つくりといっても、私は家
では母に言われたことくらいしかやったことがありません。
買い物からして、初チャレンジで、何をどれくらい買っていいものかもわからないありさ
までした。
その頃、
「○○の素」みたいな、肉や野菜に混ぜたりすれば手軽に一品出来上がる超優れ
ものがありましたので、これには随分お世話になりました。
お店の仕事を覚えるよりも、食事作りに必死だったような気がします。
毎日の生活はといいますと、相部屋でしたからテレビはひとつ。寝るための布団はテーブ
ルを片付けてからでないと敷けません。相部屋の先輩は、お腹が膨れるとテレビを観なが
らうたた寝をするのが癖でしたから、先輩が目覚めるのをじーっと待っている日々でした。
もしかしたら、私がうたた寝が大嫌いになったのは、この時の経験がトラウマになったの
かもしれません。
当時お休みは、毎週火曜日の1日のみ。
その火曜日にスキルアッブのための講習に出席すると、結局休みなし。でも、当時はそれ
が当たり前になっていました。
若かったせいか、1日フル回転で働き、仕事終わりに遊びに出かけ、そのまま寝ないで次
の日出勤ということもザラでした。いつだったか、気づかないままに立ったまま寝ていた
こともありました。
そんなこんなで、わたしの修行時代は3年が過ぎていました。
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MR.
ハットリ/占いの研究 第6話
「ほくろ」占いの現状
古い歌で恐縮です。
50年位前、1970年あたりにはやった水原弘の歌です。
その歌詞に「胸にほくろのあるひとは…」があります。
当時まだ未成年だったわたしは、なるほど胸にほくろのあるおんなは…などと生きていく
うえではなんの役にも立たない知識を後生大事にしまいこんだものです。
ほくろ占いなるものは、確かにあります。
しかし、不思議なことにその根拠はどこにもありません。
根拠がない、と書くと語弊が生じかねませんので言い換えます。
わたしはほくろ占いを厳然と言い切るだけの自分なりの根拠を持ち合わせていない。
こう書けばいいかもしれません。
数年前、わたしが街占していたとき、背後に大きな布を掲げておりました。
その布には人間の顔だけが描かれており、ほくろが配置され、そのほくろの意味が書き込
まれておりました。わたしと向き合って椅子に座った相談者はわたしの背後のその絵を見
ながら、「あ,わたしの鼻にあるほくろと同じだ。えっ、そんな意味があるの!」などと
つぶやいていたものです。
迫り来る危機を察知する
占い師といわれる人たちの街占の場所や事務所に行くと良く見かけられたこの人相図は大
体が江戸時代の観相師水野南北の『南北相法』からとったものだと云われております。
身体にはその部位によって名称がついております。
その名称にあわせて鍼灸師は針をうち、灸をすえます。
部位ごとにどこにつながるツボであるかが明らかにされております。
同様に顔にも部位ごとに名称が付されております。
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正中と呼ばれる顔の中心線を中心にして左右に分け、片方ごとに100を超える部位があ
り、それぞれに名称がついております。
その部位が何を示しているかも記されておりますので、その部位の示す意味に対して妨害
なり障害なりが発生しそうだと「急を知らせるのがほくろ」だというのが一説です。
そもそも観相というものは人間の鼻の形がどうとかこうとかを説くものではなく、顔のど
の位置に赤いしみができたのかによって、その人に迫り来る危険が何であるのかを察知し
予備行動を起こすことを促すものなのです。
わかりやすく、手のひらのほくろで説明しましょう。
あるときわたしは右手の人差し指にほくろができているのを見つけました。それが金曜日
だったとします。翌々日の日曜日、「突然ですが、占いコーナーを閉めますから」との連
絡を受けました。人差し指は仕事運をあらわす指です。人差し指の下の手のひらの丘を「木
星丘」と呼び、この丘の肉付きとか、障害線などから「仕事に対するやる気」の有無を判
断したり、仕事運に見放されているなどと鑑定するのですが、ほくろがこの丘に見つかっ
たら、個人商店なら倒産、あるいは大切な取引先が事業を縮小するなどの大打撃を蒙りそ
う、という暗い予兆を意味するのです。
しかしわたしの右手の人差し指のほくろは知らぬ間に消えておりました。
それは閉鎖する占いコーナーに対してのわたしの衝撃が薄れ、対応に奔走することによっ
て、すでにそれは悪しき兆候ではなく、新たなる出発へと向き直ったわたしにとってはす
でに過去の遺物となったからです。
わたしは現在「手相の研究」に没頭し、タロットのリーディングをその次の主要な勉強の
対象としておりましたが、さらにいまでは観相が加わりました。
観相は、本来は顔に生ずる赤いしみによる相談者が抱えている危機の告知を読み取り、ど
のように対応すべきかを考え、助言することにあると思います。
しかし、赤いしみは出たときが勝負です。
その人が赤いしみに気づかねばわたしのところに相談に来ないでしょうし、わたしにも誰
に赤いしみが出たのか気づくすべはありません。
手相は感情線。人相はほくろの鑑定。これがすべて。
そこで一番わかり易い例としてほくろの研究に着手したのです。
手相を観るには感情線をマスターすれば事足りる、というのがわたしの個人的な思いなの
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ですが、それと同様に観相は顔のほくろを鑑定すれば事足りる。というか入門編だと思っ
ているのです。
ところが冒頭に説明しましたように観相におけるほくろ占いには「根拠」がありません。
問題はここにあります。
このコーナーの読者は、、易学を志すものではないし、占いを習得しようとする人でもな
いから、簡単に書きますが、手相には1900年初頭にイギリス人がこれまでの歴史的な
書物からある法則を見つけ出し、あらたに現代風な鑑定術としてまとめられたという歴史
があります。現在使われている「生命線」「感情線」「頭脳線」「結婚線」「運命線」などの
名称もそのとき命名されたのです。
これはタロットカードの場合でもいえるのですが、やはり1900年代にイギリス人の占
星術研究グループ『黄金の夜明け』のメンバーが新たに図柄を考えて作成したリーダータ
ロットデックが「ウエイト版」と呼ばれるものです。
このウエイト版には宇宙の真理が隠されており、たとえ刑務所で終身刑になったとしても
このタロットカード一組を持っていれば監獄内でもの宇宙の真理を解明することはでき
る、と製作者は豪語したとかしなかったとか…。
ところが観相は、といいますと、江戸時代の水野南北翁以来、さしたる進歩はありません。
しかも現在手に入る書物に拠り所を求めようとすると、ことごとくその判断が異なるので
す。
たとえば眉と目の間の部分、ここは観相では「田宅」と呼ばれます。
文字からも想像つきやすいでしょうが、ここは田圃と宅地。旧来の財産のことを表してい
ます。ここにほくろがある場合「親からの相続ができない。できたとしても財産を失う」(佐
藤六龍氏 ) とか「親の財産が何もない人」( 五味康祐氏 )。しかし山口素櫻さんの場合は
「男性では左、女性では右側の田宅は若いころ、その反対側は中年過ぎと見て」判断する
のです。中国算命学では顔には21の重要な箇所があり、そのどこにほくろがあるかで判
断するのだが、あいにくと田宅部分にはなにもない。ついでに書いておくと算命学でのほ
くろで「眉にほくろがある場合」だが、
「比較的順調な人にある。31歳と34歳の間に
事故があるかも知れない」( ライラン・ヤング氏 ) とされている。
小林さんは「眉のほくろは兄弟との関係に問題が」とし、五味康祐さんは「それが小さい
ほど知能の優れた人」としております。
さて先日、若い女性のアイドルグループの番組で、アイドルたち ( 乃木坂 46) が番組司会
者の似顔絵を書いたのですが、このとき描かれた似顔絵の多くには左のほほに大きなほく
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ろがありました。わたしはそれまでその司会者 ( バナナマンの日村さん ) の顔にほくろが
あるなんて気がつかなかったのですが、若い女性は自分の肌がきれいなので、きっと中年
おじさんのほほにあるほくろが気になって仕方なかったのでしょう。
つまり、顔のほくろは意外と気になる存在だということですね。
わたしのように老眼になるとほくろが識別できないばかりか、すれ違う人の顔さえ判別で
きなくて、これまでどれだけ多くの絶世の美女たちからの流し目を受け流してしまったこ
とか…。
閑話休題。
結局人間は外見で判断されてしまう
このほくろの意味を再確認し、現代風に解釈しなおし、そうして、さらに一歩進めてほく
ろ占いの積極的な展開です。
姓名判断という占いがあります。誤解を恐れずに断言するならば、これは戸籍上の名前を
変えることなく通称を変えれば事足りる占いです。
姓名は他人が目にする。つまり姓名判断は他人の目に映る自分の運気みたいなものです。
観相もそうです。
かつてわたしたちは第一印象で他人を判断しました。
それは悪いことをしていると顔にその悪い表情がへばりつくという、無意識の識別能力が
働いたからです。
これはわたしたち人間に備わる防衛能力です。これを収集し、分別し分析したものが観相
の出発点だったはずです。つまり顔もまた、他人の目に映る自分の外観です。その外観を
手直しすれば、運気は変わる。
これは整形美容でもメークでも同じことです。
さらにすすめて、ほくろをつける。
付けぼくろの発想です。そうして運気を変えるメイク。
開運メイク。
いまわたしは、この方向に進もうと準備しております。
成果の発表はしばらくお待ちを!
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