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﹁銀河鉄道の夜﹂を読む︵Ⅰ
The Tsuru University Review , No.73(March, 2011) ﹁銀河鉄道の夜﹂を読む︵Ⅰ︶ A Study of Night Train to the Stars (Part I) 関 口 安 義 し、 ﹁初 期 形﹂と さ れ る 第 三 次 稿 を は じ め、一 部 が 残 る 第 一、二 次 説 く よ う に、ま ず は 最 終 形 の 第 四 次 稿 を 味 読 す る と こ ろ か ら 出 発 大幅に加筆した結果成立した第四次稿を収録している。第十一巻の に収録し、第十一巻には、作者が晩年の一九三一∼二年頃、さらに ﹃新校本宮澤賢治全集﹄は、第一次稿から第三次稿までを 第 十 巻 うことである﹂という傾聴してよい見解を示す。そうした考えを十 ﹁銀河鉄道の夜 ﹂は、新たな ﹁銀河鉄道の夜 ﹂に変貌して行ったとい わ れ た 推 敲 で は な く 、 賢 治 の 創 作 意 識 の 変 化 に よ っ て 、そ の 都 度 行われた ﹁銀河鉄道の夜 ﹂の改稿は、決して最終稿完成のために行 (1) SEKIGUCHI Yasuyoshi 夜 ﹂推移概念図﹂という第一次稿から第四次稿への変化の様子︵ 改 宮 沢 賢治﹄で ︵ ︶ 稿過程︶を図示したものまで付す。そこで、ここではこれら新資 料 宮沢賢治の代表作とされる﹁銀河鉄道の夜﹂は、テクスト決定の の 世 話 に な り つ つ も、原 子 朗 が﹃ 鑑 賞 日 本 現 代 文 学 困難な作品となっている。一九二四︵ 大正一 三︶年 夏 か ら 一 九 三 三 の変化﹂に く わ し い。そ の 論 の﹁お わ り に﹂で 西 田 は、 ﹁く り 返 し しては、西田良子の﹁四つの ﹁銀河鉄道の夜 ﹂︱︱改稿にみる創作意識 なお、第一次稿から第四次稿に及ぶ四つの﹁銀河鉄道の夜﹂に関 作者生前未発表、しかも未完成作品ゆえ、決定稿は決め難い。強い ︵ ︶ て言うなら、その折々の定稿が未発表で残ったのである。 次稿から第四次稿までが現存し、それぞれが存在を主張している。 稿をも適宜参照するという形で、論を展開することにする。 1 ︵ 昭 和 八︶年 の 没 年 ま で、ほ ぼ 十 年 間、繰 り 返 し 改 稿 さ れ た。第 一 はじめに 1 3 校 異 篇 に は、加 筆・省 筆 の 様 子 が 細 か に 検 討 さ れ、 ﹁﹁銀 河 鉄 道 の 2 第73集(2011年 3 月) 都留文科大学研究紀要 北方で漁をしていて留守、母は病気がちという不幸な条件のもと、 テクストはジョバンニという孤独な少年を中心に展開する。父は るまい。作者宮沢賢治は、最終章に相当する﹁九、ジョバンニの切 鉄道の夜﹂の何と半分を占めるのだ。整合性が問われても致し方あ 枚という長い長い章もある。九章は百二十枚ほどの第四次稿﹁銀河 紙三枚というきわめて短い章があるかと思うと、九章のように六十 夜﹂は、書き込みを加算し、おおめに見て百二十枚ほどの分量であ 少年ジョバンニは勉学に励む。彼は星祭りの夜に、慕っている友人 符﹂の章を細分化し、章立てをもっとすっきりさせたかったに違い る。そうした枚数のテクストにあって、二章と五章のように原稿用 カムパネルラと銀河鉄道をめぐる夢をみる。が、夢から覚めて現実 ない。また、三や五の章をふくらませ、他の章とのバランスをとり 分吸収しながらも、ひとまずは第四次稿を対象に、そのテクストの に還ると、カムパネルラの犠牲の水死を知らされる。最終形の﹁銀 構成を見ることにしたい。 河 鉄 道 の 夜﹂の 章 立 て と、そ れ ぞ れ の 章 の お お よ そ の 枚 数︵ 四 百 字 たかったろう。第一次稿から第四次稿までで変わらないのは、孤独 いうプロットである。 ムパネルラと銀河鉄道に乗って旅をし、一人現実世界に舞い戻ると な少年ジョバンニが、ケンタウル祭という銀河の祭りの夜、友人カ 詰原稿用紙︶を示すと以下のようである。 二、活版所︵ 三枚︶ 本作が未完成作品であることは、右に見たようなテクストの分量 立 し て い る。そ こ で、以 下 に ひ と ま ず 第 四 次 稿 を も と に、 ﹁銀 河 鉄 配分という点からしても言える。けれども基本的にはテクストは成 五、天気輪の柱︵ 三枚︶ 授業風景 ﹁ではみなさんは、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流 全集﹄から引用する。 る。テ ク ス ト の 冒 頭﹁一、午 后 の 授 業﹂で あ る。 ﹃新 校 本 宮 澤 賢 治 第 四 次 稿﹁銀 河 鉄 道 の 夜﹂は、次 の よ う な 授 業 風 景 か ら は じ ま 一 道の夜﹂を読み進めることにしたい。 四、ケンタウル祭の夜︵ 九枚︶ 三、家︵ 六枚︶ 一、午后の授業︵ 五枚︶ ]で括り、数字 六、銀河ステーション︵ 九枚︶ 七、北十字とプリオシン海岸︵ 十二枚︶ 八、鳥を捕る人︵ 十二枚︶ 九、ジョバンニの切符︵ 六十枚︶ ﹃新校本宮澤賢治全集﹄は、章を示す数字の前後を[ の後に読点を打つなど、テクスト再生の工夫が凝らされている。が、ここ では﹃新修宮沢賢治全集﹄に倣い、右のような簡明な表記に統一した。 章立てのタイトルと原稿枚数にざっと目を通しても、かなりアン バ ラ ン ス で あ る こ と が わ か ろ う。最 終 形︵ 第 四 次 稿︶﹁銀 河 鉄 道 の (2) わからないといふ気持ちがするのでした。 本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよく したが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、 した。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだので た。ジョバンニも手をあげやうとして、急いでそのまゝやめま カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげまし を指しながら、みんなに問をかけました。 い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなところ ん た う は 何 か ご 承 知 で す か。 ﹂先 生 は、黒 板 に 吊 し た 大 き な 黒 れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほ ないといふ気持ちがする﹂からだと語る。 を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわから ジ ョ バ ン ニ の 手 の あ げ ら れ な い 理 由 を、 ﹁毎 日 教 室 で も ね む く、本 だ と い う こ と は 分 か っ て い な が ら で あ る。テ ク ス ト の 語 り 手 は、 ジョバンニも手を挙げようとするが、自信がない。それがみんな星 ム パ ネ ル ラ が 先 ず 手 を あ げ る。そ れ か ら 他 の 級 友 四 五 人 が 続 く。 リなどがいる。テクストを支える三人の名が、早くも登場する。カ 問いかける。教室には先生の他にジョバンニとカムパネルラとザネ ら下へ白くけぶった銀河帯のやうなところを指しながら﹂説明し、 通 の よ う で あ る。先 生 は 黒 板 に 大 き な 黒 い 星 座 の 図 を 吊 し、 ﹁上 か 先 生 は ジ ョ バ ン ニ が 消 極 的 な の を 見 抜 き、 ﹁ジ ョ バ ン ニ さ ん。あ な た は わ か っ て ゐ る の で せ う。 ﹂と 問 う。そ の 後 の 叙 述 は、ジ ョ バ ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。 すっとわらひました﹂の一文は、その後のザネリの役割を暗示して ﹁ジョバンニさん。あなたはわかってゐるのでせう。 ﹂ い る か の よ う だ。先 生 は 助 け 舟 を 出 し、 ﹁大 き な 望 遠 鏡 で 銀 河 を ンニの苦しみをよく語っている。ザネリといういじめっ子の登場も か ら ふ り か へ っ て ジ ョ バ ン ニ を 見 て く す っ と わ ら ひ ま し た。 よっく調べると銀河は大体何でせう﹂とまで言ってくれるのだが、 ジョバンニは勢よく立ちあがりましたが立って見るともうはっ ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまひました。 自信を失ったジョバンニはそれが星だと分かっていても、答えられ 印 象 的 だ。 ﹁ザ ネ リ が 前 の 席 か ら ふ り か へ っ て ジ ョ バ ン ニ を 見 て く 先生がまた云ひました。 ない。教室での生徒の心理をよくつかんだ描き方だ。 きりとそれを答へることができないのでした。ザネリが前の席 ﹁大 き な 望 遠 鏡 で 銀 河 を よ っ く 調 べ る と 銀 河 は 大 体 何 で せ ん﹂と名指しするとカムパネルラも、もじもじ立ち上がったまま、 こ の 後、先 生 は 眼 を カ ム パ ネ ル ラ に 向 け、 ﹁で は カ ム パ ネ ル ラ さ う。 ﹂ やつぱり星だとジョバンニは思ひましたがこんどもすぐに答 教室の授業風景は、天の川の説明にはじまる。天の川︵ 銀河︶と のだと言い、 ﹁ジョバンニさんさうでしょう﹂と同意を求める。ジョ 星座を指し、望遠鏡で見ると、それはたくさんの小さな星に見える てが分かっていたのであろう。急いで﹁では。よし﹂と言いながら へることができませんでした。 は、銀河系の渦巻きの周辺が、地上からは、天上を流れる川のよう 答えない。ジョバンニのことを慮ってのことであった。先生には全 に見えることからきた名である。銀河を川に見立てることは世界共 (3) 続く。 バンニはなぜ素直に答えられなかったのか。テクストは次のように にあったとされる。ジョバンニのサイドから語る語り手は、ジョバ ら﹂かったためであり、勉強に身が入らないことからくる自信喪失 ジョバンニはまっ赤になってうなづきました。けれどもいつか ている。 ﹁じぶんもカムパネルラもあはれなやうな気がする﹂とは、 返事をしなかったのだ﹂と考えるジョバンニの気持ちも推し量られ が先生に問われて答えなかったのは、自分を﹁気の毒がってわざと ンニの肩を持ちながら、その苦渋な心境を検証する。カムパネルラ ジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。さうだ もちろん 僕は知ってゐたのだ、勿論カムパネルラも知ってゐる、それは 共同体意識に目覚めた者のことばである。 模型を眺めたり、星座表をいつも携えていたという。そうした作家 天体に関心の深かった賢治は、屋根の上で星を観察したり、星座の 以下に述べられる天の川に関する先生の説明は、要を得ている。 いつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラと カムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書[斎] の関心がよく生かされている。授業は理科の時間で、課題は天の川 いっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどころでなく か ら 巨 き な 本 を も っ て き て、ぎ ん が と い ふ と こ ろ を ひ ろ げ、 で あ っ た こ と も 明 か さ れ る。 ﹁天 の 川 が ほ ん た う に 川 だ と 考 へ る な と天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまる おほ まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつ で細かにうかんでゐる油脂の球にもあたるのです。そんなら何がそ ページ までも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈もなかっ ら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒 き遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云はないやうになっ の川の水にあたるかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さ はず たのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝に にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっ たので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事 おほ も午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきは をしなかったのだ、さう考へるとたまらないほど、じぶんもカ で伝へるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでゐるの ここでジョバンニが、なぜ先生に素直に返答できなかったが明か 河を牛乳の流れにたとえることで、続く箇所での牛乳との関連が生 の説明は、太陽系を巧みにとらえた上での発言である。しかも、銀 です。つまりは私どもも天の川に棲んでゐるわけです﹂という銀河 す ムパネルラもあはれなやうな気がするのでした。 される。ジョバンニとカムパネルラは気が合う仲のよい友だちだ。 じることになる。 まれている。理科の時間は﹁銀河のお祭﹂︵ ケンタウル祭︶とかか わ みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい﹂という一文が書き込 一 の 章 の 終 わ り に は、 ﹁で は 今 日 は そ の 銀 河 の お 祭 な の で す か ら それ故先生の質問に答えられなかったジョバンニを、カムパネルラ 手を差し伸べたのであった。ジョバンニがなぜ知っていながら先生 は見捨てない。そして自身も答えないことで、ジョバンニに救いの の 問 に す ぐ 返 事 が 出 来 な か っ た か は、 ﹁朝 に も 午 后 に も 仕 事 が つ (4) でも宗教裁判所に捕らえられ、やがてローマに送られた﹂とある。 ナポリで宗教裁判にかけられた。その後パトヴァに移ったが、ここ 〇二︶の著者として知られる﹂とあり、さらに﹁異端の嫌疑をうけ さて、ここで早くも登場した三人の子どもに光をあてよう。まず 以 後 も 反 乱 の 罪 で 捕 ら え ら れ、長 い 獄 中 生 活 を 余 儀 な く さ れ て い 政治が行われる理 想 的 な 共 産 主 義 社 会 を 描 い た﹃太 陽 の 都﹄︵ 一 六 は ジ ョ バ ン ニ で あ る。そ の 命 名 は、 ﹃新 約 聖 書﹄に 登 場 す る 洗 礼 者 る。 ﹃新 宮 澤 賢 治 語 彙 辞 典﹄で は、カ ム パ ネ ル ラ の 命 名 と し て、他 り、子どもの関心と深く交差するよう考えられたものだったのであ ヨハネ、それに﹁ヨハネによる福音書﹂の記者であり、三つの﹁ヨ る。すぐれた授業である。 ハネの手紙﹂および﹁ヨハネの黙示録﹂の著者で、十二弟子の一人、 に教会堂の側に立つ鐘塔を Campanella と い う こ と か ら、こ れ も ヒ ントとして考えられるとある。本作のキリスト教的雰囲気は、登場 ﹁一、午后の授業﹂に出て来るいま一人の少年ザネリの命名は、ど 人物の命名に早くも顔を出しているのである。 ゼベダイの子ヨハネにあやかるのではないかとの連想を呼ぶ。もと もとヨハネ︵ ︶は、キリスト教国において、もっ と も 多 い Johannes 洗礼名である。ジョバンニは、そのイタリア語︵ Jiovanni ︶の 読 み である。 こからくるのか。 ﹃新宮澤賢治語彙辞典﹄には、 ﹁その名の出所は、 ︵ ︶ ﹃新宮澤賢治語彙辞 典 ﹄ に は 、 ﹁ジョバンニ﹂の項目があり、中に かだが、今のところはっきりしない。ザネリはどこにもいる意地悪 バリトン歌手R・ザネリ︵ Zanelli ︶がヒントになって い る の か も し れない﹂とあるが、推定の域を出ない。聖書の人物でないことは確 な 子、い じ め っ 子 で あ る。 ﹁一、午 后 の 授 業﹂で は、後 に ザ ネ リ が ﹁ [銀河鉄道の夜]の場合、十字架や讃美歌︵↓ Nearer My God ︶ 、 神をめぐる議論、ハルレヤの唱和、ラッパの声、神々しい白いきも ジに彩られており、それが ﹁ヨハネ黙示録 ﹂の新天地の幻想的な描 演じる大きな役割を、それとなく暗示している。ここまでがテクス かである。賢治のことゆえ、何かに着想を得ているだろうことは確 写︵童 ﹁銀河鉄道の夜 ﹂に鳴り響くドヴォルザークの ﹁新世 界 交 響 のの人など、銀河鉄道のめぐる天上界は美しいキリスト教的イメー 曲 ﹂の影響源でもある︶と深く結びついていることを考えると、迫 トの導入とも言えそうである。 ジョバンニの孤独 テ ク ス ト は、次 に ジ ョ バ ン ニ の 孤 独 を と り あ げ る。第 四 次 稿 の 二 害によりパトモス島に流され、その地で黙示的幻想を見てこの書を 記したとされる使徒ヨハネが、賢治のジョバンニ命名の念頭にあっ 作者賢治が深く信仰した法華経よりも、キリスト教の世界に近いの た と 考 え る こ と が で き よ う﹂の 言 及 が あ る。 ﹁銀 河 鉄 道 の 夜﹂は、 次 に カ ム パ ネ ル ラ の 命 名 は、イ タ リ ア の 哲 学 者 で 詩 人 で あ っ た である。そのことは追い追い述べることにしたい。 れ、放課後の風景がまず描かれる。 ﹁星祭り﹂の準備だ。 ﹁ジョバン 二、三、四の章が相当する。二には﹁活版所﹂のタイトルが添えら ︵ 一五六八∼一六三九︶によると考え ら れ る。 Campanella, Tommaso ︵ ︶ カ ム パ ネ ル ラ は 、 近 年 の ﹃ 岩 波 キ リ ス ト 教 辞典 ﹄ に よ る と 、 ﹁神 政 4 (5) 3 ウルとは、星座のケンタウルス座のことで、夏の夕方、南の地平線 四の章のタイトルともなる﹁ケンタウル祭﹂のことである。ケンタ に 行 く 相 談 ら し か っ た の で す﹂に は じ ま る。 ﹁ 星 祭 ﹂と い う の は 、 それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取り ラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました。 ニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネル ん﹂とする説もあるが、貧しい長屋住まいのジョバンニの家からす だ。ケールはキャベツの一種の青野菜である。観葉植物の﹁葉ぼた 入口﹂とあるから、三軒長屋の一つがジョバンニの家であったよう 日 覆 ひ が 下 り た ま ゝ に な っ て ゐ ま し た﹂に は じ ま る。 ﹁三 つ 並 ん だ 紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって小さな二つの窓には 町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に ﹁三、家﹂の章は、 ﹁ジョバンニが勢よく帰ってきたのは、ある裏 では常食野菜である。が、当時は珍しい野菜であったはずだ。植物 ると、青野菜とした方がよい。アスパラガスは言うまでもなく、今 に詳しかった賢治のテクストにふさわしい扱いだ。この章は、ジョ 上に上半分が見える星座である。子どもたちは今夜の星祭に、川に が、ジョバンニは彼らの仲間に加わらない。加わることができな 流す烏瓜を取りに行く相談をしている。 いのである。ジョバンニは家にも帰らず、町を三つ曲がったところ バンニとその母親との対話で進行する。 ﹁お母さん。いま帰ったよ。工合悪くなかったの﹂というジョバン ぐ あひ にある大きな活版所に行き、活字を拾うアルバイトをする。午後の ニのことばから、母と子の対話ははじまる。 ﹁いま帰ったよ﹂の﹁い 授業を終えた後、すぐ走って行き、六時過ぎまでというから、労働 時間は三時間ぐらいになる。そこでは﹁小さなピンセットでまるで ま﹂は、夕方六時をはるかに過ぎた時間である。ジョバンニは﹁六 て い る の で あ る。 ﹁声 も た て ず こ っ ち も 向 か ず に 冷 く わ ら ひ ま し わらひました﹂との一文も挿入されている。ジョバンニは嘲笑され に﹁今日は涼しくてね。わたしはずうっと工合がいゝよ﹂と答えて お仕事がひどかったらう﹂と、まずはジョバンニの様子を問い、次 病 を 心 配 し て い る の だ。そ れ に 対 し て 母 は、 ﹁ あ ゝ 、ジ ョ バ ン ニ 、 の母は病んでいる。その母をいたわり、ジョバンニは帰宅早々母の 時をうってしばらくたったころ﹂まで、活版所で活字拾いのアルバ 粟粒ぐらゐの活字﹂を﹁何べんも眼を拭ひながら﹂拾うのだ。きび た﹂には、活字労働者の忙しさと、人のことなどかまっていられな いる。続いての親子の対話の中では、結婚し、近くに住んでいるら しい労働である。テクストには﹁青い胸あてをした人がジョバンニ いという雰囲気も伝わる。ジョバンニは、教室では授業にうまく参 し い 姉 が い て、母 の 日 中 の 面 倒 を み て い る 様 子 が 扱 わ れ る。姉 が イ ト を し て い た の だ か ら、帰 宅 は さ ら に 遅 れ る の で、六 時 半 頃 で 加できず、放課後もアルバイトのため仲間と行動を共に出来ない、 作ったトマト料理とパンを食べながらジョバンニと母との対話が続 あったに違いない。初夏の候なので、外はまだ明るい。ジョバンニ さらにはアルバイト先の活版所では、活字工たちから﹁冷たく﹂笑 く。父と友人カムパネルラを話題とした対話は、以下のように展開 ますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷く われているのである。ジョバンニの孤独の背景は、次の﹁三、家﹂ の う し ろ を 通 り な が ら、/ ﹁よ う、虫 め が ね 君、お 早 う。﹂と 云 ひ の章で、より顕在化される。 (6) る。 する。父の不在とカムパネルラとの関わりにふれた大事な箇所であ る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラの つれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰 思ふよ。 ﹂ ﹁ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると ら、缶がすっかり煤けたよ。 ﹂ た ん だ。い つ か ア ル コ ー ル が な く な っ た と き 石 油 を つ か っ た 信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるやうになってゐ 七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついてゐて うちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを ﹁あゝあたしもさう思ふ。けれどもおまへはどうしてさう思ふ ﹁さうかねえ。 ﹂ ここでは、まずジョバンニの父の不在が話題にされる。父は北の すす の。 ﹂ 海で漁を仕事としている。長く家を空けているのであった。が、母 かま ﹁だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書 ﹁あゝだけどねえ、お父さんは漁へ出てゐないかもしれない。 ﹂ 親は﹁お父さんは漁へ出てゐないかもしれない﹂という。それに対 いてあったよ。 ﹂ ﹁きっと出てゐるよ。お父さんが監獄へ入るやうなそんな悪い 豹をとる、それも密漁船に乗ってゐて、それになにかひとを怪我さ 次 稿 テ ク ス ト に は、 ﹁ジ ョ バ ン ニ の お 父 さ ん は、そ ん な ら っ こ や 海 はず ことをした筈がないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ し て ジ ョ バ ン ニ は、 ﹁監 獄 へ 入 る や う な そ ん な 悪 い こ と は し て い な る教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で [以下数文字分空白] せたために、遠くのさびしい海峡の町の監獄に入ってゐるといふの かに ﹁お 父 さ ん は こ の 次 は お ま へ に ラ ッ コ の 上 着 を も っ て く る と でした﹂との具体的説明がある。続いて、ジョバンニの父はカムパ おほ 寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかひの角だの今だってみんな い﹂と言う。やや唐突に父と監獄のことが出て来るが、草稿の第三 いったねえ。 ﹂ ネルラの父と、 ﹁小さいときからのお友達﹂であったため、以前ジョ あざ 標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかはるがは ﹁みんながぼくにあふとそれを云ふんだ。 ﹂ バンニは父に連れられて、その家に遊びに行ったことなどが回想さ が ﹁おまへに悪口を云ふの。 ﹂ れる。 け ﹁うん、けれどもカムパネルラなんか決して云はない。カムパ らし ネルラはみんながそんなことを云ふときは気の毒さうにしてゐ ﹁あの人はうちのお父さんとはちゃうどおまへたちのやうに小 手 は、 ﹁ 一 、 午 后 の 授 業 ﹂ で の ジ ョ バ ン ニ の 孤 独 や 、自 信 を 失 い 、 イトをし、彼は家計を助けているのであった。ここまで読んで読み 配達している。夕方の活版所での活字拾いとあわせ、二つのアルバ ジョバンニは、朝の新聞を配達している。カムパネルラの家にも さいときからのお友達だったさうだよ。 ﹂ るよ。 ﹂ ﹁あゝだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへも (7) 授 業 に 入 っ て い け な い 状 況 が 理 解 で き る。朝 夕 の ア ル バ イ ト で 疲 ﹁ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云 うザネリは向ふのひばの植った家の中へはいってゐました。 母親の﹁今夜は銀河のお祭だねえ﹂のことばに触発されて、ジョ にもしないのにあんなことを云ふのはザネリがばかなからだ。 ﹂ ふのだらう。走るときはまるで鼠のやうなくせに。ぼくがなん ねずみ れ、授業どころではなかったのである。 バンニは﹁うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ﹂と言い、出か 見 て く る と い う の で あ る。ジ ョ バ ン ニ は﹁一 時 間 半 で 帰 っ て く る 年に捕獲が禁止され、保護動物に指定された。が、密漁が多かった 皮がコートとして人気があるため乱獲さ れ、一 九 一 一︵ 明 治 四 四︶ らっこはアイヌ語である。イタチ科動物で体長一メートル余、毛 けようとする。母の牛乳が届いていないので、取りに行くついでに よ﹂と言って、 ﹁暗い戸口﹂を出る。 ﹁暗い戸口﹂は、ジョバンニの 子ザネリ、それにジョバンニにとってのあこがれの少年カムパネル 時代にもどこにも必ずこういう子は出現する。宮沢賢治はいじめに ザネリは典型的ないじめっ子である。子どもの社会には、いつの 四・一五︶にも、らっこは上等の外套となる動物として出て来る。 と い う。賢 治 作 品 で は﹁氷 河 鼠 の 毛 皮﹂︵﹃岩 手 毎 日 新 聞﹄一 九 二 三・ さびしく、やり切れない気持ちとオーバーラップする。 ジョバンニの孤独、いや哀しみがいっそう深まるのは、友だちと ラとの対応が描かれる。この章は﹁ジョバンニは、口笛を吹いてゐ 敏感な作家であった。いじめを扱った作品は数え上げられないほど む﹄で、いじめ問題を常に意識して論をつづった。索引として抽出 事典﹄にも﹁いじめ﹂の項目はない。わたしは前著﹃賢治童話を読 上 着 が 来 る よ。 ﹂そ の 子 が 投 げ つ け る や う に う し ろ か ら 叫 び ま て し ま は な い う ち に、 ﹁ジ ョ バ ン ニ、お 父 さ ん か ら、ら っ こ の ﹁ザ ネ リ、烏 瓜 な が し に 行 く の。 ﹂ジ ョ バ ン ニ が ま だ さ う 云 っ 園 林﹂﹁フ ラ ン ド ン 農 学 校 の 豚﹂﹁風 の 又 三 郎﹂﹁セ ロ 弾 き の ゴ ー の星﹂﹁よだかの星﹂﹁猫の 事 務 所﹂﹁雁 の 童 子﹂﹁祭 の 晩﹂﹁虔 十 公 め は 作 の 構 成 要 素 と し て 浮 上 す る ケ ー ス が、き わ め て 多 い。 ﹁双 子 担 う。 ﹁ジ ョ バ ン ニ、お 父 さ ん か ら、ら っ こ の 上 着 が く る よ﹂の こ ザネリはいじめっ子として、ジョバンニの心を波立たせる役割を テクストの重大要素となっているのである。 シ ュ﹂な ど、す ぐ に 思 い つ く。 ﹁ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹂ も ま た 、い じ め が ジョバンニは、ぱっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと した。 鳴るやうに思ひました。 ﹁何 だ い。ザ ネ リ。 ﹂と ジ ョ バ ン ニ は 高 く 叫 び 返 し ま し た が も (8) のかかわりにおいてである。 ﹁四、ケンタウル祭の夜﹂は、いじめっ るやうなさびしい口付きで、檜のまっ黒にならんだ町の坂を下りて あ る。が、残 念 な が ら﹃新 宮 澤 賢 治 語 彙 辞 典﹄に も、 ﹃宮 沢 賢 治 大 付き﹂という表現に、その孤独の形象が読み取れる。例のザネリが し た 項 目 に は、い じ め・い じ め の 構 図・い じ め の 実 態・い じ め 物 ︵ ︶ き た の で し た﹂に は じ ま る。 ﹁口 笛 を 吹 い て ゐ る や う な さ び し い 口 暗い小路から街燈の下に突然現れ、ジョバンニとすれちがう。その ︵ ︶ 時の様子は、次のように描かれる。 5 語・いじめ問題などがある。実際に賢治テクストを調べると、いじ 6 とばに込められた、棘はなにか。それはジョバンニが﹁三、家﹂の 所である。引用する。 店で﹁黒い星座早見﹂を見出す。後の銀河鉄道の旅の伏線となる箇 とげ 章 で、 ﹁お 父 さ ん が 監 獄 へ 入 る や う な そ ん な 悪 い こ と を し た 筈 が な や 海豹 を と っ て い る と い う う わ さ が あ り、 ﹁ひ と を 怪 我 さ せ た た め も引用したように、ジョバンニの父親は﹁密漁船に乗って﹂らっこ がそのまゝ[楕]円形のなかにめぐってあらはれるやうになっ がその日と時間に合せて盤をまはすと、そのとき出てゐるそら それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのです ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。 いんだ﹂と母親に返答したことばと響きあう。第三次稿では、先に に、遠くのさびしい海峡の町の監獄に入ってゐる﹂とされていた。 て居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけ ものではなかろう。子どもの世界では、相手に配慮しない残酷なこ むろん、ザネリのからかいは、いじめとして特別にひどいという 本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立ってゐました でもあげてゐるやうに見えるのでした。またそのうしろには三 むったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気 あざらし ザネリはとかくジョバンニをからかい、その心を傷つけているので とばはよく発せられるからだ。が、ジョバンニの置かれた境遇は、 しいちばんうしろの壁には空ぢ[ゅ]うの星座をふしぎな獣や ん で 走 っ た り、マ グ ネ シ ア の 花 火 を 燃 や し た り し て 遊 ん で い る。 ぐ り の う た の 口 笛 を 吹 い た り、 ﹁ケ ン タ ウ ル ス、露 を ふ ら せ﹂と 叫 (9) ある。 それが鋭い矢として彼の胸に刺さるのである。悲しみの形容をテク 蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかってゐました。ほんた びん ス ト は、 ﹁ジ ョ バ ン ニ は、ぱ っ と 胸 が つ め た く な り、そ こ ら 中 き ぃ うに こ ん な や う な 蝎 だ の 勇 士 だ の そ ら に ぎ っ し り 居 る だ ら う か、あゝぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたり さそり ん と 鳴 る や う に 思 ひ ま し た﹂と 表 現 す る。 こ の 表 現 は﹁猫 の 事 務 所﹂に お け る か ま 猫 の 悲 し み を、 ﹁か ま 猫 は も う か な し く て、か な を してしばらくぼんやり立って居ました。 ほほ しくて頬のあたりが酸つぱくなり、そこらがきいんと鳴つたりする のをじつとこらへてうつむいて居りました﹂に通じる。悲しみのた カムパネルラ と い っ し ょ に 読 ん だ 雑 誌 で ジ ョ バ ン ニ は 銀 河 を 知 っ 銀河鉄道への夢がふくらむところだ。最初はカムパネルラの家で ジョバンニのザネリを評したことば、︱︱﹁走るときはまるで鼠 た。次に学校の教室で、理科の授業として銀河を学んだ。そしてい め﹁そこら中きぃんと鳴る﹂とは、巧みな表現だ。 ま時計屋の星座の図で、ジョバンニは銀河を確認したのである。 ジョバンニはここで母の牛乳のことを思い出し、牛乳屋へ行くこ のやう﹂という一句に、ザネリのぬかりないやり方や、人を出し抜 とになる。町を行く子どもらは新しい折のついた着物を着て、星め く よ う な 性 格 ま で 連 想 す る こ と が で き る。ザ ネ リ は 子 ど も の 世 界 枚で売ったユダ的人物だ。 の、いや、人間世界と言った方がよいか、どこにもいる悪賢い人物 ザネリの存在があってはじめてジョバンニは、人生の哀しみを深く である。あえて言うなら、イエスを銀 体験することができるのである。次にジョバンニは、町の時計屋の 30 ぐのでした。 ] ﹂には、ジョバンニの孤独が投影している。 ぎやかさとはまるでちがったことを考へながら、牛乳屋の方へ[急 ﹁けれどもジョバンニは、いつかまた深く首を垂れて、そこら の に ジ ョ バ ン ニ の 気 持 ち は、そ う し た 祝 い の 席 か ら 遠 く 離 れ て い る。 とも云へずさびしくなって、いきなり走り出しました。 橋の方へ歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なん カムパネルラもまた、高く口笛を吹いて向ふにぼんやり見える ましたら、ザネリがやはりふりかへって見てゐました。そして ザ ネ リ の 嫌 が ら せ は、級 友 全 体 に 波 及 し、み な が 口 を そ ろ え て 町 は ず れ の 牛 乳 屋 で ジ ョ バ ン ニ は、牛 乳 が 配 達 さ れ な か っ た の で、貰いに来たと言う。が、 ﹁どこか工合が悪いやう﹂な女の人は、 哀しみ、孤独感はピークを迎える。 ﹁ジョバンニ、らっこの上着が来るよ﹂と言うに及び、ジョバンニの ジョバンニの夢 じ め は と り あ っ て く れ な い。母 が 病 気 で あ る こ と を 言 う と、 ﹁で は 三 ﹁いま誰もゐないでわかりません。あしたにして下さい﹂として、は もう少したってから来てください﹂とのことなので、ジョバンニは お辞儀をして店を出る。牛乳屋はジョバンニの夢への導入的役割を 果 た す の で 大 事 な 存 在 だ。店 を 出 た ジ ョ バ ン ニ は、烏 瓜 の 燈 火 を ジョバンニはこれまで見てきたように、うぶな少年である。父は 持 っ た 級 友 た ち に 会 う。 ﹁ジ ョ バ ン ニ は 思 は ず ど き っ と し て 戻 ら う と﹂するが、 ﹁思ひ直して、勢よく﹂歩いて行き、 ﹁川へ行くの﹂と 北方海域で漁に携わっているはずなのであるが、なかなか帰ってこ な い。う わ さ で は、牢 に 入 っ て い る と も い う。 ﹁お 父 さ ん が 監 獄 へ 言 お う と し て、の ど が 詰 ま っ た よ う に 思 っ た 時、ザ ネ リ が ま た ﹁ジョバンニ、らっこの上着が来るよ﹂と叫ぶ。他の同級生も続く。 入るやうなそんな悪いことをした筈がない﹂とジョバンニは打ち消 を 余 儀 な く さ れ る。同 じ ク ラ ス の 仲 間 や 子 ど も た ち が、 ﹁み ん な 新 ジョバンニは父親不在のため、また、母の病気ゆえ、貧しい生活 ンニをいじめる。母親は病気で床に伏している。 上着が来るよ﹂と言っては帰ってこない父親を暗に揶揄し、ジョバ す。が、ザ ネ リ や 他 の 級 友 ま で も、そ の う わ さ を 信 じ、 ﹁ら っ こ の ジョバンニの辛い思いは、次のように描かれる。 ジ ョ バ ン ニ は ま っ 赤 に な っ て、も う 歩 い て ゐ る か も わ か ら ラが居たのです。カムパネルラは気の毒さうに、だまって少し ず、急いで行きすぎやうとしましたら、そのなかにカムパネル わらって、怒らないだらうかといふやうにジョバンニの方を見 らしい折のついた着物を着て﹂祭に行くのに対し、ジョバンニはそ ルラのせいの高いかたちが過ぎて行って間もなく、みんなはて ジョバンニは、遁げるやうにその眼を避け、そしてカムパネ 彼は朝は新聞配達のアルバイトを、そして授業の終わった午後から 祭の晩なのに、ジョバンニはぼろぼろのふだん着のまま﹂とある。 れ が で き な い。第 三 次 稿[初 期 形]に は、 ﹁た の し い ケ ン タ ウ ル ス に てゐました。 んでに口笛を吹きました。町かどを曲るとき、ふりかへって見 ( 10 ) ので、授業はおろそかになっている。かつてはあんなに親しくして 夕方六時過ぎまでは、活版所で活字拾いをしている。仕事がきつい ん な か ら か ら か わ れ て い る ジ ョ バ ン ニ を 見 て、 ﹁気 の 毒 さ う に、だ ニを意識してのことであった。また、ケンタウルス祭の夜には、み に 彼 は、 ﹁も じ も じ 立 ち 上 が っ﹂っ た も の の、答 え な い。ジ ョ バ ン それだけに、ユダ的存在のザネリなどといっしょにいるカムパネル カムパネルラはジョバンニにとって、あこがれの存在であった。 まって少しわらって、怒らないだらうかといふやうにジョバンニの だ。ジョバンニは母との対話の一節で、カムパネルラとのかかわり ラに対し、許せない思いを懐く。父と一緒に生活していたころは、 一 方、カ ム パ ネ ル ラ の 父 は﹁博 士﹂で、 ﹁書 斎﹂の あ る 大 き な 家 いたカムパネルラともこの頃は遊ぶこともない。 を 語 っ て い た。す で に 引 用 し た と こ ろ に 含 ま れ る が、 ﹁お 父 さ ん は 学校帰りにたびたびカムパネルラの家に寄り、遊んだのに、いまは 方を見て﹂いる。カムパネルラは配慮があり、弱者への同情が持て ぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころは アルバイトに忙しくてできない。カムパネルラの眼は依然ジョバン る少年なのである。それが物語後半の悲劇を呼ぶ。 よかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのう ニ に 同 情 的 で あ る。が、ジ ョ バ ン ニ は﹁遁 げ る や う に そ の 眼 を 避 に住む。ジョバンニの父とは、 ﹁小さいときからのお友達﹂である。 ちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車 そ の 関 係 で ジ ョ バ ン ニ は、カ ム パ ネ ル ラ の 家 に よ く 行 っ て は 遊 ん があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や け﹂る。カ ム パ ネ ル ラ の 一 団 は、口 笛 を 吹 い て 橋 の 方 へ 歩 い て い 同情的である。それは冒頭の﹁一、午后の授業﹂に早くも現れてい ムパネルラをまん中に相談がされる。カムパネルラはジョバンニに り に 行 く 相 談﹂も、 ﹁校 庭 の 隅﹂に 生 い 茂 る﹁桜 の 木﹂の 下 で、カ があり、彼を中心として同じ組の者が集まる。祭の日の﹁烏瓜を取 質問に真っ先に手を挙げる優秀な生徒であった。仲間の中では人気 カムパネルラは﹁せいの高い﹂子である。また、教室では先生の こされる。以下のようになっている。 ﹁黒い丘﹂である天気輪の柱に向かったジョバンニの姿から書き起 遺物に目をとめ、物語の展開に巧みに用いているのだ。五の章は、 言う。石造りの柱が多い。賢治はそうした地域に見られる一寸した に影響のある天候を祈るものであって、お天気柱・天気輪の塔とも かわる地蔵車説である。それは村境や寺や墓地に柱を立てて、農業 いる。中でもっとも根拠のありそうなのは、東北地方の風習ともか 治の描写が具体性を欠くため諸説がある﹂として、数説を紹介して イトル名の﹁天気輪﹂とはなにか。 ﹃新宮澤賢治語彙辞典﹄には、 ﹁賢 ﹁五、天気輪の柱﹂は、四次稿でたった三枚の章である。章立てタ くつか巧みに張られている章なのである。 信号標もついてゐて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなる すす く。 ﹁四、ケ ン タ ウ ル 祭 の 夜﹂は、以 後 展 開 す る 物 語 の 伏 線 が、い かま やうになってゐたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油を つかったら、缶がすっかり煤けたよ﹂という箇所だ。この箇所を見 て も カ ム パ ネ ル ラ の 家 は 経 済 的 に 恵 ま れ、 ﹁ア ル コ ー ル ラ ン プ で 走 たのを想起したい。先生の問に答えられないジョバンニに対し、カ る汽車﹂を子どもに与えることさえできたのである。 ム パ ネ ル ラ は 同 調 す る。 ﹁で は カ ム パ ネ ル ラ さ ん﹂の 先 生 の 名 指 し ( 11 ) おほぐまぼし 牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、 北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えまし た。 ない。が、活版所でのアルバイトがあって、放課後の烏瓜捜しに参 加できなかった。当然﹁烏瓜のあかり﹂も持っていない。だから﹁岸 それが途中で﹁烏瓜のあかり﹂を持った級友に会い、またまた、 から見るだけ﹂にしたいと考えていたのだ。 川へ行くのが嫌になってしまう。そこでジョバンニは、天気輪のあ る﹁ゆるい丘﹂へと向かったのである。そこは﹁天の川がしらしら ﹁らっこの上着が来るよ﹂の合唱でひやかされ、すっかり気落ちし、 と南から北へ亘ってゐるのが見え﹂る場所で、頂上は﹁北の大熊座 ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、 に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く の下﹂にある。級友から、そしてカムパネルラからも疎んじられた どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形 星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴ と思ったジョバンニは、ひとり星の祭を楽しむために、星座のよく からす うり か 青 び か り を 出 す 小 さ な 虫 も ゐ て、あ る 葉 は 青 く す か し 出 さ ンニの孤独は、ここにきてクライマックスを迎える。いま少しテク 見える天気輪の立つ丘を選んだことは、理解できることだ。ジョバ れ、ジ ョ バ ン ニ は、さ っ き み ん な の 持 っ て 行 っ た 烏 瓜 の あ か には の林を越えると、俄かにがらんと空がひ なら りのやうだとも思ひました。 ストを引用しよう。 ぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷されました。 え て 来 る の で し た。風 が 遠 く で 鳴 り、丘 の 草 も し づ か に そ よ ( 12 ) そのまっ黒な、松や わた ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするか 町の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきのやうにと やみ らだを、つめたい草に投げました。 ジョバンニは、なぜ﹁黒い丘﹂に向かったのだろうか。ジョバン ジョバンニは町のはづれから遠く黒くひろがった野原を見渡し もり、子供らの歌ふ声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞 ニも子どもだから﹁銀河のお祭﹂を見たかったに相違ない。事実、 そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は 彼は家を出る時、母と祭の話をしていた。 ︿﹁ぼく牛乳をとりながら 一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥 ました。 ﹁あゝぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってく る よ。 ﹂ ﹀と い いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考へますと、 む う対話があったことを思い出す。ジョバンニも他の級友とともに川 りんご へ 行 き、 ﹁烏瓜のあかり﹂︵烏瓜の小さな提灯︶を流したかったに相違 見てくるよ。 ﹂/﹁あゝ行っておいで。川へははいらないでね。 ﹂/ 通って行きました。 し た と い ふ や う に 咲 き、鳥 が 一 疋、丘 の 上 を 鳴 き 続 け な が ら ぴき か野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだ また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねさう らけて、天の川がしらしらと南から北へ亙ってゐるのが見え、 ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をそ という異空間への入口、そして出口の役割を担わされていたかのよ 輪の柱は、現実世界と夢の世界とを結ぶもの、つまりファンタジー も重要﹂としてよいのである。 ︵ ︶ 天気輪の柱によって境された異空間を舞台に展開される部分が、最 うだ。すでに上田哲も指摘 し て い る よ う に、 ﹁﹁銀河鉄道の夜 ﹂は、 らに挙げました。 ジョバンニは、いま孤独の真中にいる。彼はザネリをはじめとす る意地の悪い級友たちから、町の十字路で一種の魔女裁判を受けて りした三角標の形になって、しばらく螢のやうに、ぺかぺか消えた は、 ﹁そ し て ジ ョ バ ン ニ は す ぐ う し ろ の 天 気 輪 の 柱 が い つ か ぼ ん や ﹁六、銀河ステーション﹂は、天気輪の変貌 に は じ ま る。冒 頭 に た。ジョバンニは何らの言い訳もしなかった。否、できなかった。 い た 自 身 を 想 起 す る と、や り 切 れ な い 思 い に と ら わ れ る の で あ っ ただ言いようもなく寂しかったのである。ザネリをはじめとする仲 にたちました﹂とある。天気輪の柱が﹁三角標の形﹂になるという り と も っ た り し て ゐ る の を 見 ま し た。そ れ は だ ん だ ん は っ き り し のは、測量に際して山頂に築く櫓を連想させる。これは三角法を応 て、たうたうりんとうごかないやうになり、濃い鋼青のそらの野原 ジョバンニは級友と放課後の交わりを持ちたくとも、その暇はな 間の冷たい視線、その上、尊敬し、信頼していたカムパネルラから かった。活版所のアルバイトは、彼から級友と交わる時間を奪って 用して行うもので、各点を三角網でつないで行う。精度が高いとさ さえも、憐れみの目で見下げられるほど、彼は孤立していた。 いた。教室での授業では、前のように自信を持って手を挙げること れる測量である。 し か っ た。川 に 行 き、カ ム パ ネ ル ラ や ザ ネ リ を は じ め と す る 級 友 く﹂なる。光の洪水である。気がつくと列車の前の席には、カムパ ション﹂と叫んでいる。すると、いきなり﹁眼の前がさあっと明る て い る。ど こ か で 不 思 議 な 声 が、 ﹁銀 河 ス テ ー シ ョ ン、銀 河 ス テ ー さて、ジョバンニはいつの間にか夜の軽便鉄道︵ 銀河鉄道︶に乗っ も 出 来 ず、先 生 か ら さ え 不 審 の 目 を 持 っ て 眺 め ら れ る 始 末 で あ っ が、 ﹁烏 瓜 の あ か り﹂を 流 す の に 加 わ れ な く と も、せ め て﹁岸 か ら ネルラも乗っている。その箇所を引用する。 た。彼は孤立せざるを得なかったのである。ジョバンニは無性に寂 見る﹂ことにしようと考えていたのだが、それも途中で烏瓜の燈火 かくてジョバンニは、天の川に近い﹁黒い丘﹂へと急いだ。丘の のならんだ車室に、窓から外を見ながら座ってゐたのです。車 んたうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈 ンニの乗ってゐる小さな列車が走りつづけてゐたのでした。ほ 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバ を持ったザネリらに会い、父のことでひやかされ、その気を失って しまう。彼の行くところは、地上の川でなく、天の川きりなかった 頂の﹁天気輪の柱﹂の下に体を休めたジョバンニは、下に広がる町 室の中は、青い天鵞絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、 のである。 の 様 子 を 眺 め る。眺 め て い る う ち に 列 車 の 近 づ く 音 が 聞 こ え て く び ろ う ど る。現実がファンタジーへと移行する先触れである。丘の上の天気 ( 13 ) 7 しん ちゅう 向 ふ の 鼠 い ろ の ワ ニ ス を 塗 っ た 壁 に は、真 鍮 の 大 き な ぼ た ん この箇所は、カムパネルラがザネリを助けようとして水死したと すぐ前の席に、ぬれたやうにまっ黒な上着を着た、せいの高 はっきりする。 ﹁ぬれたやうに﹂は、カムパネルラの水死を暗示し、 の高い子供﹂とは、カムパネルラであることは、すぐ後の記述でも い う 事 件 の 伏 線 で あ る。 ﹁ぬ れ た や う に ま っ 黒 な 上 着 を 着 た、せ い い 子 供 が、窓 か ら 頭 を 出 し て 外 を 見 て ゐ る の に 気 が つ き ま し よ う。 ﹁み ん な は ね ず い ぶ ん 走 っ た け れ ど も 遅 れ て し ま っ た よ。ザ ﹁まっ黒な上着﹂が不吉なイメージであることも、やがて理解 で き が二つ光ってゐるのでした。 た。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのある ネリもね、ずゐぶん走ったけれども追ひつかなかった﹂にも、カム やうな気がして、さう思ふと、もうどうしても誰だかわかりた パネルラ一人の水死の様子を思わせることばが、散りばめられてい には くて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出 ジ ョ バ ン ニ は、級 友 カ ム パ ネ ル ラ と 銀 河 鉄 道 に 乗 り 合 わ せ て い る。 さうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを それはカムパネルラだったのです。 見ました。 る。鉄 道 は 賢 治 の 好 ん で 用 い た 作 品 舞 台 で あ っ た。 ﹁月 夜 の で ん し んばしら﹂﹁氷河鼠の毛皮﹂﹁シグナルとシグナレス﹂などが、すぐ ( 14 ) ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からこゝに居たのと 云はうと思ったとき、カムパネルラが 想起される。 いって人生の縮図みたいなもの﹂と言う。確かに鉄道は、そうした ︵ ︶ 小 沢 俊 郎 は﹁銀 河 鉄 道 の 夜﹂を 論 じ て、 ﹁鉄 道 と い う の は 簡 単 に ﹁みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネ リ も ね、ず ゐ ぶ ん 走 っ た け れ ど も 追 ひ つ か な か っ た。 ﹂と 云 ひ ました。 道は人々のあこがれの対象でもあった。ジョバンニはいまあこがれ 側面をもつ。まして、鉄道が最先端の文明であった時代である。鉄 て出掛けたのだ。 ︶とおもひながら、 の対象である鉄道列車に、あこがれの友、カムパネルラと乗り合わ 歓びは、カムパネルラから﹁円い板のや う に な っ た﹂星 座 地 図︵ 星 せているのだ。町の十字路で話もせずに別れたカムパネルラと、い 座早見︶を示されるところで、頂点に達したかのようである。地 図 ﹁ど こ か で 待 っ て ゐ や う か。 ﹂と 云 ひ ま し た。す る と カ ム パ ネ カムパネルラは、なぜかさう云ひながら、少し顔いろが青ざ には﹁一条の鉄道線路が、南へ南へと﹂続く。そこには﹁一一の停 ルラは めて、どこか苦しいといふふうでした。するとジョバンニも、 まジョバンニはいっしょに乗り合わせている。孤独なジョバンニの なんだかどこかに、何か忘れたものがあるといふやうな、をか 車場や三角標、泉水や森﹂が描かれている。以下にテクストを引用 する。 しな気持ちがしてだまってしまひました。 ﹁ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎ひにきたんだ。 ﹂ ジョバンニは、︵さうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそっ 8 ﹁この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねぇ。 ﹂ ジョバンニが云ひました。 ﹁銀河ステーションで、もらったんだ。君もらはなかったの。 ﹂ ﹁あゝ、ぼく銀河ステーションを通ったらうか。いまぼくたち の居るとこ、ここだらう。 ﹂ まざまにならんで、野原いっぱい光ってゐるのでした。ジョバ ンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。すると く三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫へ ふる ほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞや たりしました。 でいちめん、風にさらさらさらさら、ゆれてうごいて、波を立 と、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすゝきが、もうまる ﹁さ う だ。お や、あ の 河 原 は 月 夜 だ ら う か。 ﹂そ っ ち を 見 ま す を指しました。 を表現する情景描写も見事で、自然と人事の一体化した描き方は素 きはめやうとしました﹂の一文によく示されている。そうした歓び 口笛を吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見 て、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの の で あ る。ジ ョ バ ン ニ の 歓 び は、 ﹁は ね 上 り た い く ら ゐ 愉 快 に な っ ジョバンニは、カムパネルラといることでうれしくてたまらない ててゐるのでした。 晴らしい。 ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北 ﹁月 夜 で な い よ。銀 河 だ か ら 光 る ん だ よ。 ﹂ジ ョ バ ン ニ は 云 ひ せんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれい やうとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしま ながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きはめ つ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹き ひるがへる中﹂を、汽車はどこまでもどこまでも走って行く。銀河 紀 の 無 公 害 車 を 先 取 り し た 乗 物 と い え よ う。 ﹁そ ら の す ゝ き の 風 に た乗物ではない。それは﹁小さなきれいな汽車﹂である。二十一世 想定されているのだ。それゆえ銀河鉄道の乗物は、石炭の煤で汚れ コールか電気だらう﹂と答える。公害のない乗物として銀河鉄道は 汽車石炭をたいてゐないねえ﹂という問に、カムパネルラは﹁アル 銀河鉄道の乗物は、石炭で走るのではない。ジョバンニが﹁この な水は、ガラスよりも水素よりもすきとほって、ときどき眼の 鉄道の旅は、少年ジョバンニの夢であった。それは北十字とされる ながら、まるではね上りたいくらゐ愉快になって、足をこつこ 加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうに 白鳥座にはじまり、南十字に至る異空間の旅である。ジョバンニは ノーザンクロス ぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野 愛するカムパネルラとの夢の旅を通して、孤独は次第に癒されてい サザンクロス 原 に は あ っ ち に も こ っ ち に も、燐 光 の 三 角 標 が、う つ く し く りん くわう 立ってゐたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠 いなづま く。 ある いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかす んで、或ひは三角形、或ひは四辺形、あるひは電や鎖の形、さ ( 15 ) ﹁ほんたうの幸﹂とは く の は、そ こ に キ リ ス ト 教 的 世 界 が 大 き く 広 が っ て い る こ と で あ る。次の引用を見てほしい。 ﹁銀河鉄道の夜﹂の﹁七、北十字とプリオシン海岸﹂は、 ﹁ほんた やうな、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちも と、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめた 俄 か に 、 車 の な か が 、ぱ っ と 白 く 明 る く な り ま し た 。 見 る 四 うの幸﹂をめぐってのカムパネルラとジョバンニとの対話にはじま なく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した には る。カムパネルラが﹁思い切ったといふやうに﹂切り出すこの課題 一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派 きたじゅうじ は、以後何度も問われることになる。ジョバンニとカムパネルラ二 さ 人の銀河鉄道の旅の目的は、 ﹁ほんたうの幸﹂を求めての旅となる。 な眼もさめるやうな、白い十字架がたって、それはもう凍った ルラの自問は、級友ザネリを助けようとして自身が溺死し、母を悲 ﹁ハ ル レ ヤ、ハ ル レ ヤ。 ﹂前 か ら も う し ろ か ら も 声 が 起 り ま し をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。 北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光 しめませることになったことを暗示している。カムパネルラは﹁泣 た。ふりかへって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっす ﹁おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか﹂とのカ ム パ ネ ﹁ほんたうの幸﹂とはなにか? きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした﹂との語り手 ぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶 幸﹂を求めての旅となる。そしてカムパネルラは﹁誰だって、ほん に祈ってゐるのでした。思はず二人もまっすぐに立ちあがりま の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せてそっち だれ の こ と ば も あ る が、以 後 二 人 の︿銀 河 鉄 道 の 夜﹀は、 ﹁ほ ん た う の した。カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやう りんご たうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ﹂とその決意を告 どの山脈ができ、日本列島などもこの時代に形づくられたという。 草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思はれ 息でもかけたやうに見え、また、たくさんのりんだうの花が、 すきが風にひるがへるらしく、さっとその銀いろがけむって、 向ふ岸も青じろくぼうっと光ってけむり、時々、やっぱりす ました。 そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行き にうつくしくかゞやいて見えました。 げる。 ここで章題の一部に用いられた︿プリオシン海岸﹀のプリオシン について説明すると、プリオシン︵ Pliocene ︶と は、地 質 年 代 で 言 う第三紀を指す。約六五〇〇万年前から一八〇万年前までの時代で 賢治は﹁イギリス海岸﹂や﹁青木大学士の野宿﹂にも、この時代の ました。 ある。哺乳動物が栄え、火山活動が盛んで、アルプスやヒマラヤな こ と を と り あ げ て い る。 ﹁ 銀 河 鉄 道 の 夜 ﹂ で は 、天 の 川 上 の ︿ プ リ きつねび オシン海岸﹀という見立てで物語を展開する。読んでいてまず気づ ( 16 ) でさへぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えま それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列 と し て い る。 ﹃新 宮 澤 賢 治 語 彙 辞 典﹄は、 ﹁ハ レ ル ヤ︵ 筆原稿を見ての記述である。写真原稿からしても、そのことは歴然 と 書 き か け、 ﹁レ﹂を 削 除 し﹁ハ ル レ ヤ﹂と 改 め て い る と あ る。自 と唱和するが、このコーラスは、この作品のもつ十字架から十字架 人たちが、北十字到着と南十字到着の時に ﹁ハルレヤ、ハルレヤ ﹂ ︶ hallalujah をもじった賢治の造 語 か﹂と し、 ﹁﹁銀河鉄道の夜 ﹂では、車中の旅 したが、ぢきもうずうっと遠く小さく、絵のやうになってしま なってしまひました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っ ひ、またすゝきがざわざわ鳴って、たうたうすっかり見えなく てゐたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼 なお、辻千鶴は、あるコラム欄で﹁﹁ハルレヤ ﹂は ﹁ハレルヤ ﹂に ︵ ︶ へというキリスト教的イメージの一端を彩っている﹂とある。 つつし かことばか声かが、そっちから伝はって来るのを虔んで聞いて さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、まだ何 ゐるといふやうに見えました。 よく似ている。人々が、その言葉を讃美し感激しながら唱えている 様子は ﹁ハレルヤ ﹂の使われ方と同じである。しかし、﹁ハルレヤ ﹂ は ﹁ハレルヤ ﹂ではない。つまり車中の人々の宗教はキリスト教に サザンクロス よ く 似 て い る が、現 実 の キ リ ス ト 教 と 全 く 同 じ に は 書 か れ て い な ノーザンクロス ﹁銀河鉄道の 夜﹂は、 北十字 と さ れ る 白 鳥 座 に は じ ま り、南十字 一 九 一 七・一︶で、 ﹁は る れ や﹂と 平 仮 名 表 記 で 用 い て い る 用 語 で に 至 る 異 空 間 の 旅 で あ る こ と は 先 に 指 摘 し た 。 こ こ に ﹁白 い 十 字 も あ る。例 え ば﹁空 に 十 字 を 描 き 候 う て は、 頻 に は る れ や と 申 す い。/これは現実とはちがう虚構の ﹁幻想第四次の銀河鉄道 ﹂の世 ヘブライ語で、神を讃美しなさい、の意味である。旧約聖書の﹁詩 語を、 現の如く口走り﹂と か、 ﹁手 に 手 に 彼 く る す、乃 至 は 香 炉 様 架﹂が登場し、テクストはキリスト教の世界に次第に染め上げられ 篇﹂に、こ の こ と ば は し ば し ば 登 場 す る。 ﹁詩 篇﹂一 一 三∼一 一 八 の 物 を 差 し か ざ し 候 う て、同 音 に は る れ や、は る れ や と 唱 へ 居 り が、 ﹁ハルレヤ﹂は、芥川 龍 之 介 も﹁尾 形 了 斎 覚 え 書﹂︵ ﹃新 潮﹄ は、一般に﹁ハレルヤ詩篇﹂と呼ばれるほどこのことばの繰り返し 候﹂と の 文 例 を 示 す こ と が で き る。こ の 小 説 中 で は、 ﹁は る れ や と 界を描くためのアイデアだったと思われる﹂との指摘をしている。 が多い。新約聖書の﹁ヨハネの黙示録﹂十九章の﹁ハレルヤ、全能 申し候は、切支丹宗門の念仏にて、宗門仏に讃頌を捧ぐる儀﹂と説 ていく。さらに﹁ハルレヤ、ハルレヤ﹂の声が起こる。 ﹁ハレルヤ﹂ 者であり、わたしたちの神である主が王となられた﹂は、ヘンデル 明されている。すると賢治は、芥川同様の南蛮文学書︵吉利支丹文 で な く、 ﹁ハ ル レ ヤ﹂で あ る こ と に 注 意 し た い。ハ レ ル ヤ の 原 語 は 作曲﹃メサイア﹄の﹁ハレルヤ・コーラス﹂の基になった句である。 書︶にふれていたのであろうか。平岡敏夫は﹁尾形了斎覚え書﹂に しきり かつての十字屋書店版全集︵一九三九︶や筑摩書房版全集︵一九 うつゝ 五 六︶で は、 ﹁ハ ル レ ヤ﹂を 誤 記 と し て﹁ハ レ ル ヤ﹂に 置 き 換 え た 化でなまったのだろう﹂とする。けれども、わたしには賢治の﹁ハ おける﹁はるれや﹂は、 ﹁﹁はれるや ﹂が子供あるいは日本化、地方 ︵ ︶ こともあったが、現在では﹃校本宮澤賢治全集﹄以後すべて﹁ハル ( 17 ) 9 レヤ﹂に戻している。 ﹃校本全集﹄の校異には、賢治は一度﹁ハレ﹂ 10 ルレヤ﹂と併せ、何らかの南蛮文学書からの転用と考えるのが自然 北上川のイギリス海岸に立脚していたのである。 ン海岸が成立することになる﹂とするが、賢治の想像力は、現実の く。旅 人 た ち は 静 か に 席 に 戻 り、二 人 も、 ﹁胸 い っ ぱ い の か な し み る。銀河と汽車との間はすすきの列でさえぎられ、白鳥の島は遠の か の よ う だ。ジ ョ バ ン ニ と カ ム パ ネ ル ラ の 二 人 も 思 わ ず 立 ち 上 が せ、祈っている。白と黒の対比に、人間の永遠の課題を託している を胸に当てたり、水晶の数珠をかけたり、つつましく指を組み合わ 島の﹁白い十字架﹂に、車中の人々は立ち上がり﹁黒いバイブル﹂ 続 く﹁八、鳥 を 捕 る 人﹂は、車 中 風 景 に は じ ま る。 ﹁こ こ へ か け の世界、異空間の一コマを表現するのにふさわしいレトリックだ。 てかけれると、ジョバンニは思ひました﹂と示す。ジョバンニの夢 くなりませんでした。/こんなにしてかけるなら、もう世界中だっ は、 ﹁ほ ん た う に、風 の や う に 走 れ た の で す。息 も 切 れ ず 膝 も あ つ て、汽 車 に 遅 れ な い よ う 白 い 岩 の 上 を 走 る。そ の 状 況 を テ ク ス ト カムパネルラのことばで、ジョバンニは大学士に丁寧にお辞儀をし 立 っ て い る テ ク ス ト な の で あ る。 ﹁も う 時 間 だ よ。行 こ う﹂と い う 交差する。もともと﹁銀河鉄道の夜﹂は、夢と現実のあわいに成り 第三紀のプリオシン海岸を持ち出したことで、賢治の夢と現実は と思われる。いずれその典拠を明らかにしたいが、今はここまでき り言えない。それにしても﹁ハルレヤ﹂の声は、キリスト教の﹁ハ に似た新らしい気持ち﹂を何気なく、そっと話し合う。その内実は レルヤ﹂を踏まえていることは、否定できまい。 記されていない。白鳥の停車場は近づき、やがて列車は、停車場の そ こ に は、 ﹁プ リ オ シ ン 海 岸﹂の 標 札 が あ り、五、六 人 の 人 が 遺 跡 か、一人も見えない。二人は汽車から見えたきれいな河原に行く。 二 人 は こ こ で 一 時 下 車 す る。先 に 降 り た 人 た ち は ど こ へ 行 っ た ジョバンニの感性が対象に敏感に反応しているのである。商売が鳥 ら﹁なにか大へんさびしいやうなかなしいやうな気﹂がしている。 げの中でかすかに笑う人を前に、ジョバンニはその仕事を知る前か て肩に掛け﹂ている。彼は﹁鳥をつかまへる商売﹂をしている。ひ 少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分け てもようございますか﹂という﹁大人の声﹂が、二人のうしろで聞 の発掘に携わっている。大学士らしい人が﹁くるみが沢山あったら とりであることを明かしたその人は、何の鳥を捕るのかの少年たち 大 き な 時 計 の 前 に 来 て と ま る。時 刻 は 十 一 時 で あ る。 [二 十 分 停 う。それはまあ、ざっと百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸 の 問 に、 ﹁鶴 や 雁 で す。さ ぎ も 白 鳥 も で す﹂と 答 え て い る。鳥 捕 り こ え、 ﹁ 赤 髯 の せ な か の か が ん だ 人 ﹂ が 来 る 。 そ の 人 は ﹁茶 い ろ の でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れてゐるところに、 車]と時計の下には書いてある。 そっくり塩水が寄せたり引いたりしてゐたのだ。このけものかね、 と二人の少年は、以下のような会話をする。 ﹁居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのです ﹁鶴はたくさんゐますか。 ﹂ こ れ は ボ ス と い っ て ね、 ﹂と 説 明 し て く れ る。 ﹃新 宮 澤 賢 治 語 彙 辞 典﹄には、プリオシン海岸を賢治の﹁イギリス海岸﹂という随筆的 北上川の水の流れが結びついて、天の川上のプリオシ = 作 品 と 結 び つ け、 ﹁イ ギ リ ス 海 岸 の く る み の 化 石 出 土 の イ メ ー ジ と、天の川 ( 18 ) ﹁いゝえ。 ﹂ か。 ﹂ なさい﹂と鳥捕りは言い、雁の足を軽くひっぱると、きれいにはが え、少 し 平 べ っ た く な っ た 雁 を 見 せ る。 ﹁ど う で す、少 し お あ が り も っ と 売 れ る と 言 い、別 の 包 み を 解 き、鷺 と 同 様 く ち ば し を そ ろ うジョバンニの問に、毎日注文がある、しかし雁の方が柄がよく、 ﹁鷺 で す。 ﹂ジ ョ バ ン ニ は、ど っ ち で も い い と 思 ひ な が ら 答 へ ﹁鶴ですか、それとも鷺ですか。 ﹂ ﹁鶴、どうしてとるんですか。 ﹂ うな音が聞えてくるのでした。 の星﹂の主人公よだかとも重なる。ここに原罪の問題が浮上する。 し て ま で も こ の 世 に 生 き な く て は な ら な い と い う 点 で は、 ﹁よ だ か の淵沢小十郎などとも重なるところがある。また、他の生き物を殺 て来る男は、同じ賢治作品の﹁なめとこ山の熊﹂の主人公、すがめ である鳥を捕獲し、加工して売る仕事である。その意味でここに出 鳥捕りは、職業としては猟師である。その仕事の内容は、生き物 もっとおいしい﹂と思う。 れ る。ジ ョ バ ン ニ は ち ょ っ と 食 べ て み て、 ﹁チ ョ コ レ ー ト よ り も、 がん ﹁いまでも聞えるぢゃありませんか。そら、耳をすまして聴い すましました。ごとごと鳴る汽車の てごらんなさい。 ﹂ 二人は眼を挙げ、耳を ました。 ひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くや ﹁そいつはな、雑作ない。さぎといふものは、みんな天の川の 後 の 章 に な る が、 ﹁ほ ん た う の 幸 せ﹂に 思 い を い た す ジ ョ バ ン ニ バンニの語らいがある。次の﹁鷲の駅﹂に着く寸前のジョバンニの だ ろ う。 ﹁ 九 、 ジ ョ バ ン ニ の 切 符 ﹂ の は じ め の 方 に 、鳥 捕 り と ジ ョ ざふさ 砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ が、次のような思いを懐くのを、先取りして示しておく必要もある ふ風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかな 思いで、ジョバンニの成長が語られる箇所である。 こご 帰りますからね、川原で待ってゐて、鷺がみんな、脚をかうい いうちに、ぴたっと押へちまふんです。するともう鷺は、かた ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥 まって安心して死んぢまひます。あとはもう、わかり切ってま さあ。押し葉にするだけです。 ﹂ ﹁鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。 ﹂ 捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまへてせいせ と 首 を か し げ る。す る と 男 は、 ﹁お か し い も 不 審 も あ り ま せ ん や。 不思議なことを言う鳥捕りに、カムパネルラは﹁おかしいねえ﹂ でもなんでもやってしまひたい、もうこの人のほんたうの幸に 鳥捕りのために、ジョバンニの持ってゐるものでも食べるもの たり、そんなことを一一考へてゐると、もうその見ず知らずの ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあはてゝほめだし いしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、 そら﹂と立って、網棚から包みをおろして中身を示す。鷺は平べっ ﹁標本ぢゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。 ﹂ たくなって、浮き彫りのように並んでいる。鷺はおいしいのかとい ( 19 ) を見上げて鷺を捕る支度をしてゐるのかと思って、急いでそっ 荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそら そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上には白い 出し抜けだから、どうせうかと考へて振り返って見ましたら、 しいものは一体何ですか、と訊かうとして、それではあんまり てももう黙ってゐられなくなりました。ほんたうにあなたのほ 立って鳥をとってやってもいゝといふやうな気がして、どうし なる な ら 自 分 が あ の 光 る 天 の 川 の 河 原 に 立 っ て 百 年 つ ゞ け て 日、二五六ページ、 ﹁カンパネッラ﹂の執筆は、浦一章である。 三六一∼三六二ページ 3 四月一〇日、二二六ページ 西田良子編著﹃宮沢賢治 ﹁銀河鉄道の夜 ﹂を読む﹄創元 社、二 〇 〇 三 年 2 原 子朗﹃新宮澤賢治語彙辞典﹄東京書籍、一九九九年七月二六日、 大貫 隆他編﹃岩波キリスト教辞典﹄岩波書店、二〇〇二年六月一〇 渡部芳紀編﹃宮沢賢治大事典﹄勉誠出版、二〇〇七年八月一〇日 務・伊 藤 関口安義﹃賢治童話を読む﹄港の人、二〇〇八年一二月二四日 上 田 哲﹁﹃銀 河 鉄 道 の 夜﹄︱賢 治 の 異 空 間 体 験︱﹂萬 田 一ページ 九八七年三月一四日、二一一ページ 小沢俊郎﹃小沢俊郎宮沢賢治論集1作家研究・童話研究﹄有精堂、一 して売る。それは﹁よだかの星﹂でのよだかが、知らずにいたとは 河鉄道の夜 ﹂を読む﹄創元社、二〇〇三年四月一〇日収録、一八九ペー 8 い え、小 さ な 羽 虫 や 甲 虫 を 食 べ る こ と で 生 き て い た の と 同 様 で あ ジ 平 岡 敏 夫﹁母 を 呼 ぶ 声︱﹁南 蛮 寺 ﹂か ら﹁点 鬼 簿 ﹂ま で︱﹂﹃芥 川 龍 之 辻 千鶴﹁﹁ハルレヤ ﹂は ﹁ハレルヤ ﹂か﹂西田良子編著﹃宮沢賢治 ﹁銀 る。いずれにせよ、それは悲しい現実、︱︱原罪の世界としかいえ 子朗﹃鑑賞日本現代文学 三〇日、一四二ページ 原 せ、次章以下でも考えたい。 注 宮沢賢治﹄角川書店、一九八一年六月 こ の あ と す ぐ に 出 て 来 る 苹果 に よ っ て 象 徴 さ れ る 原 罪 問 題 と 合 わ りんご ︿賢治童話を読む﹀の主要なテーマともなる。弱者への眼 で あ る。 鳥捕りの不幸を思いやるジョバンニ、︱︱この問題は、わたしの とにジョバンニは思い至っている。 ないような現象である。生まれながらにして負っている罪、そのこ 鳥捕りは、自身が生きるために生き物である鳥をつかまえ、加工 西田良子﹁四つの ﹁銀河鉄道の夜 ﹂︱改稿にみる創作 意 識 の 変 化︱﹂ ちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすゝき 4 き の波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませ 眞一郎編﹃作品論宮沢賢治﹄双文社出版、一九八四年七月一〇日、二六 5 とが んでした。 6 1 3 の入らない[ ]は省略した。 漢字に﹃新修宮澤賢治全集﹄第十二巻を参照し、ルビを施した。また、文字 二五 初版第一刷︶収録のものを用いた。ただし、読者の便を図り、一部の テクストは筑摩書房版﹃新校本宮沢賢治全集﹄第十一巻︵一九九六・一・ 介と現代﹄大修館書店、一九九五年七月二〇日、一八六ページ 10 ( 20 ) 7 9 1