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ソーシャルワーカーズVol.13 PDF
J a p a n C o l l e g e o f S o c i a l 社 大 O B・O G が つ む ぐ 福 祉 の 絆 日本社会事業大学 W o r k ソーシャルワーカーズ 2015 10 Vol.13 月 公益財団法人 鉄道弘済会 総合福祉センター 弘済学園のみなさん 障がいのある人と同じ目線に立ち、 一人ひとりが幸せな人生を歩めるように 自閉症や知的障がいなど発達障がいを抱えている人が安定した生活を送れるよう、 その人に合わせた療育支援をする施設で働くソーシャルワーカーを紹介します。 interview 岩崎 俊雄 社会福祉法人 すぎのこ会 理事長 interview とし お さん いわ さき なつ き 片山 夏希 公益財団法人 鉄道弘済会 総合福祉センター 弘済学園 生活支援員 さん かた やま たと 言います。 ﹁障 害 者 福 祉 論﹂ や﹁社 会 福 祉 援 助 技 術 論﹂では 担 当 教 官 がスク ールソーシャル ワーカーとして現場に立った体験 事 例などを元に解 説され、実 際 の対 処のしかたなど 実 践 的 なア プローチを学べたことが印象深い と片山さんは振り返ります。 そして3 年 目を迎 えた片 山さ んはこの4 月から後 輩 を 指 導 す る 立 場になり、ある 昼 食 後のひ とと きに、ふと、子 ど も たちと 心が通 じ合 えたと感 じることが あった と 明 か して く れ ま し た。 障 がいが 周 囲 から 理 解 され ず、 さらに二次 障 がいを 引 き 起こし て 入 所 した 子 が、ぶつかり 合い ながらも 規 則 正しい生 活を送る うちに少 し ずつ落 ち 着 き、信 頼 関 係が築かれていったのだなあ、 と実感したそうです。 ﹁こんなふうに、日々の仕事の中 で、子どもたちにキラリと育ちを 感じるときがやりがいなのかもし れません。それに、 一生 懸 命にな れる仕事っていいと思うんですよ﹂ と 話 す 片 山 さんの表 情からは自 信と充実感がうかがえました。 9:20 10:00 11:00 12:00 13:30 14:45 遅勤の勤務担当者に引き継ぎ、 勤務終了。寮に戻る 社会福祉学部 福祉援助学科 2013 年 3 月卒業 毎日の生活が安定して送れるよう環境を整え、 わかりやすい言葉と平常心で接する 最 初 は ぶ つ か り 合 い、 少し ずつ心が通じ合えるように ろには、子 どもたちの方 も 新 し い担 当 者に興 味 も 警 戒 心 も 持っ ていま す から、この 先 生 はど ん な 反 応 を するのかな?と 試 しに 大声をあげてみる子もいました﹂ そのと きはつい注 意 する口 調 になってしまったため、子どもが 興 奮 してし まい、先 輩にヘルプ を頼んだそうです。 ﹁私 た ち 職 員 が 常に平 常 心で 同じ態 度で接 することが基 本で すが、どんなふうに伝 えれば相 手にわかりやすいのか、今 も 模 索 する毎 日です。これからも 常 に支 援 内 容を見 直せる自 分であ りたいと思っています﹂ 9:00 洗面所ではイスに 座って順番を待つ 1990 年 香川県出身 2013 年 社会福祉学部福祉援助学科卒業 2013 年 社会福祉法人鉄道弘済会 総合福祉センター 弘済学園入職 現在に至る 子どもたちにキラリと育ち を感じるときがやりがい 片 山 さんが障がい児の支 援に 進 も う と 思ったのは、小 学 校の 同 級 生に障 がい児 童 がいたこと や、中 学 校のとき 障がい者 通 所 施 設で職 場 体 験したことが心に 残っていたからでした。 日本 社 会 事 業 大 学ではどの授 業もすべてとても学び甲斐があっ 8:00 ﹁子 ど も た ちが 穏 やかな 表 情 になり、心が通じ合 えたと思 え るときはうれしいですよ﹂ そう笑 顔で話す片 山 夏 希さん が 勤めているのは、神 奈 川 県 秦 野 市にある知 的 障がいと自 閉 症 児 者 を 支 援 する 公 益 財 団 法 人 鉄 道 弘 済 会 総 合 福 祉 センタ ー ﹁弘 済 学 園﹂です。およそ100 人の入 所 者のうち片 山さんは 歳∼ 歳の女 子8人の生 活 全 般 の支援をしています。 ﹁中には非 常にこだわりの強い 強 度 行 動 障がいのある子 もいま す。子どもたちは繊 細な感 覚を 持っているので、少しでもいつも と違 うことが起 きたりすると情 緒 不 安 定 に なって し まい ま す。 集 団で安 定した生 活を送るため には、毎 日の行 動 を 同 じ 順 序で 行うことが大切なんです﹂ そのため園 内はすべてシンプル でわかりやすい言 葉 や 絵 などで 伝える配慮がされています。 (日によって業務内容は変わります) 10 毎 日 決 ま っ た 動 線 で、 常に 平常心で接することが基本 片山さんの あ る 日 24 片 山 さ ん は 入 職 して 3 年 目。 入職当初から現在の子どもたちを 担当しています。最初は先輩職員 に付いて、次 第に片 山 さん一人に 任されるようになりましたが、子 どもたちとうまく意思の疎通が図 れないこともありました。 ﹁私 自 身もまだ慣れていないこ 7:00 出勤。夜勤担当者から引き継ぎ。 担当している8人の子どもたちを 起こす トイレ、着替え、洗面など。洗面所 では 「お顔を洗います」 と声をかけ 順番に洗顔 食堂に移動して朝食。移動すると きは全員で手をつなぐ。配膳する 間は 「手はおひざに置きましょう」 と声かけ。食事の際は見守り、介 助など必要に応じてサポート 食後の歯磨き、身支度し、同じ棟 内での日課 (授業) に送り出す 午前の日課開始。子どもたちが日 課を受けている間に記録をつけた り居室の掃除など 1時間休憩 昼食の準備。日課を終えた子ども たちが帰寮するのを迎える 食事の介助。食後は子どもたちと一 緒にビデオを見たりしてくつろぐ 午後の日課に送り出す。洗濯担当 から届けられた洗濯物をたたんで 各ロッカーにしまう 6:30 生活の流れを 写真と絵で表示 かた やま なつ き 公益財団法人 鉄道弘済会 総合福祉センター 弘済学園 生活支援員 社会福祉士 片山 夏希 さん 障がいのある人と同じ目線に立ち、一人ひとりが幸せな人生を歩めるように Vol.13 PROFILE パンフレット 1975 年 1976 年 1983 年 1991 年 1998 年 40周年記念誌(左) と 妻の岩崎操さんの 著書(右) 性 麻 痺による 身 体 障 がいを 抱 え た 3 人の先 輩 方に大 きく 影 響 を 受けました。 身 体 障 がい者に対 して当 時 主 流だったのは、障がい者は施 設の 中で支 援 を 受 けながら 生 活 する とい う もので し た。し か し、当 事 者であるその先 輩 たちの主 張 は違っていました。 ﹁俺たちは施 設で保 護されて生 活 す るのではな く、働いて 自 立 して、人 間 らし く 生 き たい。身 体に障がいがあっても、俺たちは 決 して〝かわいそうな 人 たち〟で はないのだ﹂ この強 烈な魂の叫びともいうべ き 声に圧 倒 されて、入 学 間 もな い岩 崎さんは衝 撃を受けました。 大 学の授 業に加 えて、先 輩 たち の 生の 声に応 え よ う と、奮い立 ちます。 ﹁大 学でのこの経 験から、私は常 に、利 用 者の方の視 点に立ってい 1999 年 2000 年 2003 年 2011 年 2012 年 2015 年 利用者の 皆さんと いわ さき とし お 社会福祉法人 すぎのこ会 理事長 岩崎 俊雄さん ﹁人 間 ら し く 生 き た い﹂と いう魂の叫びに圧倒されて ○岩崎さんのあゆみ 現 在はすぎのこ会の理 事 長を 務める岩 崎 俊 雄さんですが、本 格 的に福 祉を目 指そうと決 意が 固 まったのは日 本 社 会 事 業 大 学 に入学してからだと言います。 ﹁入 学 してからの 先 輩 方 との 出会いが原動力になってこれまで 私を導いてくれたのです﹂ 岩 崎 さんが入 学した1966 年は高度経済成長期で日本全体 が活 気にあふれた 時 代で、学 内 でも 福 祉への熱い思いを 抱 く 学 生 が 議 論 を 戦 わせていま し た。 ﹁この 学 校 で 何 を 学 び、何 を し たいのか。先 輩 た ちの 熱い問い かけと議論に必死についていきま した﹂ 中 で も、 ﹁身 体 障 がい 者 問 題 研 究 会﹂に入った 岩 崎 さ んは 脳 1973 年 社会福祉学部社会事業学科卒業 結婚 東京都民生局児童部勤務 都の職員を退職し栃木市に転居 知的障が い児通園施設勤務 社会福祉法人「すぎのこ会」設立 栃木市岩舟町に知的障がい者更生施設 「すぎのこ学園」開設 事務長就任 知的障がい児更生施設「あすなろ園」開設 「すぎのこ会」理事長就任 重症心身障がい児(者)通園センター「はま なす」開設 知的障がい者更生施設「もくせいの里」開設 知的障がい者授産施設・障がい児者デイ サービスセンター「けやきの家」開設 身体障がい者療護施設「ひのきの杜」開設 高齢者・障がい者複合福祉施設「やまと」開設 就労継続支援事業所「けやきの家」 「みずほ の家」開設 「すぎのこ会」 40 周 年 を 迎 え記 念 式 典、 記念誌発行 1970 年 利用者の視点に立っているかと、 常に自分に問いかけてきた 社会福祉学部 社会事業学科 1970 年3月卒業 s r e k r o W l a i c o S PROFILE 1947 年 福島県出身 1970 年 社会福祉学部社会事業学科卒業 東京都民生局、知的障がい児通園施設を経て 1991 年より現職 ひのきの杜 るのかと、自 分 自 身に問いか け 続けてきた日々でした﹂ もっと実践的に障がい者 支 援 を し た い と、妻 の 故 郷で起業 卒 業 後は、行 政に携 わろう と 東 京 都の職 員 として民 生 局に入 職 します。それは 身 体 障 がい者 が 自 立 するためには、ま ず 国 や 行 政が支 援 政 策として身 体 障が い者の雇 用 を 制 度 化 することが 必 要ではないかと 岩 崎 さ んは 考 え たからでした。しかし 配 属 先 では事務的な仕事が中心で、もっ と 実 践 的 な 仕 事に携 わり たいと 焦る 気 持 ちのまま 2 年 が 過 ぎた ころ、知 り 合いから 栃 木 市で 知 的 障がい児の通 園 施 設 を 立 ち上 げるので手 伝ってもらえないかと 打診を受けます。 それは岩 崎さんにとって大きな 分 岐 点でし た。妻の 操 さ んは 大 学の同 級 生で、卒 業 時に結 婚 し て東 京でケースワーカーとして働 いていました。操さんは栃木市出 身で農家の後継ぎでもあったので、 これをきっかけに二人で栃 木を拠 点にする決意を固めたのでした。 小 さ な す ぎ の こ が、や が て大木となる願いを込め て開設 こうして岩 崎 さん 夫 妻は東 京 から 栃 木の操 さんの故 郷に転 居 し、岩 崎 さんは身 体 障 がい児 童 の通 園 施 設の立 ち 上 げに関わり そ こで 働 く よ うにな り ま し た。 こ この 保 護 者 の 方 と の 出 会 い が、後 々の﹁す ぎ のこ 会﹂誕 生 につながることになります。 この通 園 施 設は保 護 者の長 年 の尽 力で 開 園 された ものでした が、子 ど もの 年 齢 が 上 がるにつ れて 切 実 な 声 が 聞 かれるように なっていま し た。 ﹁この 子 た ちは 歳になったら居 場 所がなくなっ てしまう。将 来 が心 配です。入 所 施 設を作れないでしょうか﹂と いう保護者の訴えでした。 この 通 園 施 設のPTA会 長 は 岩 崎 さんに全 面の信 頼 を 置いて くれて、新 しく 障 がい者の入 所 施 設を建 設 することを後 押しし てくれました。一方、岩 崎さんは 学 生 時 代の先 輩 方から学んだよ うに、利 用 者の 視 点に 立って 何 が 必 要 なのかを 常に考 えてきま した。 ﹁私 は 保 護 者 の 方 が 子 ど もの 将 来を思 う 気 持ちも 痛いほど理 解できました﹂ そこで毎 週のように県 庁 をた ずね行 政 側と何 度も話し合いを 重 ねている う ち、岩 崎 さんの背 後に並ぶたくさんの保 護 者の思 いが伝わったのか、認 可が下 り、 1976年に知 的 障 がい者 更 生 施 設﹁す ぎ のこ 学 園﹂開 設 にこ ぎつけることができました。 ﹁学 園 を 始 めた と き 私 た ち 夫 婦はまだ 代でした。小 さなす ぎのこがやがては 大 き な 杉の 木 に成 長 するよう 願いを 込 めて命 名したのです﹂ 岩 崎さんは感 慨 深 げに振り 返 発行:日本社会事業大学 〒204-8555 東京都清瀬市竹丘 3-1-30 電話:042-496-3080(入試広報課)URL :http://www.jcsw.ac.jp 2015年10月 Vol.13 社大OB・OGがつむぐ福祉の絆 ソーシャルワーカーズ 機織り作業は 日課の一つ 幼児期から児童期、青年期において、療育を通して成人期 の自立に向けた支援を行います。 具体的には 24 時間体制で交代制勤務に就き、少人数グ ループを担当して一人ひとりの時期と発達に適したプログ ラムを準備し、必要に応じて医療との連携を取ります。ソー シャルワークの専門性が生かされる仕事です。 り ま す。 以 来 年 、 利 用 者 の ニー ズに合 わせて 制 度 や 施 設 を 作っていこうという姿 勢を貫いて きました。 ソーシャルワークをするのですか? A4▶ Q2▶ 障がい児施設ではどのような Q4▶ 施設内では、子どもたちは どのような生活を送っているのですか? 原則として18 歳までの知的障がい・自閉症など発達障がい のある児童を対象に、一人一人が情緒的に安定できる環境を 作り、生きていくための力を培うことを目的にした施設です。 食事や着替え、排せつなど日常の生活支援や、発達段階に 合わせた作業など日中活動支援を行います。 たくさんの出会いに 支えられてきた恩返し 全国に障がい者支援施設は約6千カ所あります。全国の18 歳未満の知的障がい児は約16万人、 そのうち施設に入所し A3▶ せるシステムが必 要ではないかと 思い至りました﹂ そこで、岩崎さんは障がい者は もちろん 児 童 や 高 齢 者、生 活 困 窮者などが、住み慣れた地域で誰 もが安心して暮らせる場所をつく ろうと、生涯を通じた支援をする ﹁トータルサポートシステム﹂を5 年計画で進めているところです。 今では、す ぎのこ 会は栃 木 市 と日 光 市に障がい者 支 援 施 設や グルー プホームなど 拠 点 事 業 を 手 掛 けるまでになり、岩 崎 さんはすべてを 統 括 する 多 忙 な 日々で す が、職 員 とはメールで 意 見 交 換するなど常に気 配りも 忘れません。 最後に、岩崎さんご夫妻は穏や かな笑顔でこう語ってくれました。 ﹁私たちは今まで、誰かに奉仕し ているという 気 持ちでやってきた わけではあ り ません。障 がい者 の保 護 者の方 やいろいろな 出 会 いの 中で、た く さ んの 方の 力 を 借 りて 支 えられてき たのは 私 た ちです。それをこれから も お 返 ししていきたいと思っています﹂ とは何をするところですか? 40 その後はまさに馬 車 馬のごと く突っ走ってきたという岩 崎さん です。 す ぎのこ 学 園に続いて、入 所 施 設だけでなく 全 国 初の通 所 施 設も開 設。更 生 訓 練だけではな く 生 活のための施 設 も 作 りまし た。組み立て部 品 などの作 業や 野 菜の栽 培 など、今では当 たり 前のことでも、当 時 は 障 がい者 施 設で生 産 活 動をして収 入を得 ることは画期的な試みでした。 ﹁地 域の 皆 さ んと も 挨 拶 を 交 わして、廃 品 回 収 などを 通 して 交 流 することで、障 がい者 施 設 に対 する 偏 見 も 徐々に払 しょく されていきました﹂ さらに﹁小 さ な 施 設 を 地 域の 中 に﹂を モット ー に、グ ル ー プ ホームやケアホームなど、あらゆ るニーズに応 えた 施 設 も 充 実 し ていきました。 そ ん な 2 0 1 1 年 の あ る 日、 岩 崎さんは大 病を患い、自 分 自 身の 身 体についても 深 く 考 える ようになりました。 ﹁私 自 身、いつ障がい者となる かもしれない。明 日は我 が 身 と 考 えると、これからは 障 がい者 だ、高 齢 者 だと 分 け 隔てするの ではな く、誰 もが 安 心 して暮 ら Q1▶ 知的障がい・自閉症など発達障がい児の療育支援施設 子どもたちは、男女別、障がいの状態などによって小グ ループに分かれて生活し、担当職員が 24 時間体制で支 援しています。義務教育年齢にある児童生徒は施設訪問 教育制度の適用を受けます。弘済学園では日課と呼ぶ作 業で機織りや鎌倉彫もしています。 A2▶ 安定した生活が送れるよう、その人に合わせた支援を行います 今回ご紹介した片山さんや岩崎さんが働いている知的障がい・自閉症など発達障がい児の療育支援施設について紹介します。 障がい児施設 とは? ているのは7千人(平成25年10月1日現在/厚生労働省 「社会福祉施設等調査」施設の状況より)、身体障がい児は 約7万8千人で5千人が入所しています (平成27年度版内 閣府白書基本統計より)。 A1▶ せつ し じ しょう 40 ▲ 岩崎さんご夫妻は、 ともに日本社会事業大学の卒業生 s r e k r o W l a i c o S 18 20 12 Q3▶ 全国の障がい児数と施設に入所している児童数は?