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ABK同窓生フォーラムPart2- 2008年10月23日
月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 バンコク会議 − ABK 同窓生フォーラム Part 2− ’ 08 年 10 月 22 日∼ 24 日開催 ABK の将来展望・決議採択 (財)アジア学生文化協会 常務理事 工藤 正司 美しいスパンブリ会場前にて ● 昨年に続く2回目 タイの代表から2回目開催の申し出があって、 当協会主催、タイ側共催(注3)の形で開かれた。 当協会(アジア文化会館・ABKの設置者) 日程及び出席者は、表 1 及び表 2 の通り。 は昨年創立 50 周年を迎えたが、今後のあり方 を探るため、ABK 同窓生有志代表と当協会ス (注1) スパンブリ県:バンコクの北 100km タッフとの対話集会(フォーラム)を、去る (注2)3つのメーンテーマ: 「ABK の長・中 10 月 22 日から、タイのバンコク及びスパン 期計画−大学建設を目指して」担当表責任者・ (注 1) ブリ県 を舞台に開き、24 日決議を採択し 韓英鳩(韓国) 「各国・地域間の文化交流事 て閉幕した。 業の開拓」担当責任者・アレグレ(フィリピン) これは、昨年 10 月初旬の「協会創立 50 周 「ABK 日本語コースと各国・地域の ABK 年記念式」に合わせて開かれたものに続く第 同窓会日本語教室の協力」担当責任者・山田 2回目で、初回が、当協会から「日本語コー 健一(日本・当協会日本語コース事務長) スの学校法人化」を中心とする長期方針を示 (注3)タイ側共催者: 「ABK−AOTS 同窓会 して相互に問題点の指摘や提案を出し合った (タイ) 」及び「TPA(泰日経済技術振興協会) 」 のに対して、今回は提案を3つのメーンテー の 2 団体 マ(注2)にしぼって 1 年間の検討・準備期間を 但し、 「ABK−AOTS 同窓会(タイ) 」は、 おいて、 結論を求めたもの。1 回目を閉める際、 ABK 及び AOTS 受入れの帰国した留学生・ 36 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 研修生がメンバーの同 (表1) 第2回ABK同窓生フォーラム in Thailand 窓会(ピンピライ会長) 。 な お、AOTS( 財 団 法 人海外技術者研修協会) は、 当 協 会 と( 社 ) 日 本機械工業連合会が合 作して 1958 年創設した 技術研修生受入れの団 体で、1982 年に独自の センターを足立区に建 設 し て 移 転 す る ま で、 本部事務所及び東京地 区 の 研 修 セ ン タ ー は、 ABKの将来展望・決議採択 ABK にあった。その間、 各国・各地域に結成さ れ た 同 窓 会 は、 単 に 「ABK 同窓会」を名のっ たが、AOTS のセンター 移 転 後 は、AOTS 独 自 の同窓会の結成に伴い、 名称を、 「AOTS 同窓会」 に変更するところも あった。タイでは、 「ABK ● 心に残るタイ式運営 −AOTS 同窓会(タイ) 」という名称で今日 を迎えている。 又、 「TPA」 (泰日経済技術振興協会・プラ タイにおけるフォーラムは、緊張あり、リ ユーン会長)は、 1973 年タイの「ABK 同窓会」 ラックスありの、心をくだいた運営で、タイ が中心となって、当協会創設者穂積先生とタ ならではの大変印象深いものになった。 イのソムマイ氏(戦前の日本留学生・後タイ 初日 10 月 22 日(水)は、ABK 同窓会の 国大蔵大臣)の尽力を得て、日本の協力の下 活動成果である TPA、TPI 及び TNI(タイ に創立したタイ国法人の技術移転センター。 日工業大学。昨年春開学したばかり)の見 その後、タイ側の自主的運営により、大きく 学で、それぞれの責任者等との懇談に当て 発展し、もう一つの研修センター(TPI)を られた。タイ以外の国から参加した同窓生 設立し、更に2つの活動の成果に立って、昨 有志代表からは、タイ同窓生仲間の親密な 2007 年春、独力で「タイ日工業大学」 (TNI) 協力ぶり、綿密な計画、果敢な取組みに驚 を建設するに至った。 嘆の声がもれた。 37 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 (表2) 会議参加者リスト 38 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 泰日工業大学(TNI)を訪問した参加者 見学の後、対話集会の会場となるスパン いて)外は、殆どタイ側共催者の支弁に甘え ブリへと向かった。スパンブリの会場は、元 ることに。 ● 穂積精神を伝える大学 ライ同窓会長の兄)の所有する会社の保養所 (Khoong Thongdaya)で、自然河川に接する 広大な敷地に純タイ式の骨董家具を配した伝 決議(表3)の中心は、当協会の長期の方 統家屋の点在する別世界。チラパン氏の心象 針に「大学の建設」を求めたことにある。大 風景さながらと思われた。なお、スパンブリ 学は、当協会創設者穂積五一先生の精神を、 に移動する途中、車から川舟に乗りかえ、川 いかに後世に伝え、広くアジアに普及するか 下りの趣向をこらした宴をタイ同窓会のメン という課題を背負ったもので、決議は、当協 バーと楽しむ歓待を受けた。 会にその励行の保証を課したもの。 対話集会は、全体会と分科会の組合せで進 ここでの大学は、「サイバー大学」を想定 められた。23 日(木)午前の全体会の後、中 し て い る の だ が、「 穂 積 精 神 を 伝 え る に は 心の分科会を午後通しで行い、引続き決議を ヒューマンコンタクト(人間の出合い)が不 まとめる起草委員会をもち、24 日午前、全体 可欠であって、サイバー大学でそれが可能な 会で決議文を検討の上、満場一致で採択した。 のか?」という疑問が出され、議論は白熱し また、23 日晩、Khoong Thongdaya 内で、 た。サイバー大学は、ヒューマンコンタクト タイ側共催団体の「ABK−AOTS 同窓会(タ のきっかけを広げる現代的ツールとして有効 イ)」と TPA の主催による歓迎と慰労の野外 と把え返され、ABK 同窓生が各自の専門分 パーティーが催され、仏教の祭「灯籠流し」 野で講師を担うこと等に期待がかけられた。 が行われた後、カラオケも飛び出した。 そして、大学建設へ到達するための中期計 なお、経費は渡航費原則自己負担(当協会 画として「アジア教育文化センター」の運営 スタッフと一部の国の有志代表を除く) 、タイ が定められた。これは、もう一つのメーンテー における経費は、滞在費(ホテル代等)を当 マ、即ち、「各国・地域間の文化交流事業の 協会が負担した(主に他団体から助成金を戴 開拓」と交わることになった。このテーマは 39 ABKの将来展望・決議採択 研修生で ABK 同窓生のチラパン氏(ピンピ 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 り上がった。なお、これには、日本から、来 賓として、AOTS 及び JTECS(注4)の代表(熊 沢敏一 AOTS 専務理事、佐藤正文 JTECS 専 務理事)も招かれた。 (注 4) JTECS:社団法人日・タイ経済協力 協会(前田勝之助会長)。タイの TPA に対す る日本側の協力窓口で、事務所は ABK に置 かれている。 テーマ別分科会の様子 ● 決議採択は行き過ぎ? 元々、アジアの各国・地域が今後も平和な環 境の下で発展を続けられることを願う立場か ら定められたものである。そして、各国・地 ある団体の将来展望を、その団体の事業を 域が互いに文化を学び合うことを軸にヒュー 通じて交わった(外国の帰国)同窓生と団体 マンコンタクトをはかる一般社会人の参加す スタッフが、対話集会で論じ合い、決議まで る旅行の企画・実施が提起された。 採択するというのは、行き過ぎ、ある種、異 当協会としては、現在実施している「アジ 様なことと受け止める向きもあるかも知れな アセミナー」 (アジアの言語・文化を日本市民 い。しかし、当協会にとって、それは、伝統 に紹介する講座の運営が中心)の建直しを目 的なやり方と言ってよい。 指すことになろう。 1960 年6月、当協会が ABK を建設開館し 又、第3のテーマ「日本語教育の協力」では、 た時、真先に取組んだ活動は、 「学生文化会」 日本語講師の交流を重点とする提携協力が唱 (SCA=Student Cultural Association)を結成 われた。これは、各 ABK 同窓会間の親密な することであった。SCA は、在館生(留学 関係を発展させるためにも極めて重要と認め 生・研修生・日本人学生)と当協会スタッフ られたもの。一方、インターネットによる同 から成る自治会で、互いに対等な立場で「自 窓会間交流のシステム作りが求め られた。 最後に、24 日(金)夕刻から、 バンコクのアーミークラブで、在 タ イ の ABK、AOTS 関 係 者 が 一 同に会する懇親パーティーが、当 協会主催、 「ABK・AOTS 同窓会(タ イ)」、TPA 共催で催され、約 300 名の参加者を得て、カラオケやタ イ独特の方式による「ミス ABK コンテスト」も行われ、大いに盛 会場前で記念撮影 40 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 (表3) ABKの将来展望・決議採択 41 月刊 アジアの友 第 472 号 2009 年 1 月 10 日発行 1966 年 10 月 25 日第三種郵便物承認 懇親パーティーの様子 ミスABK! 律的な共同生活」のあり方と運営のあり方を は、ABK 同窓会の疑似代表者会議の久々の 論じ、結論が出たら、スタッフはそれに基づ 開催、ABK の伝統的合議制の復活、正常化 いて仕事をし、在館生はそれに則して自らの と言ってもよいだろう。決議の採択は、討論 生活を律するというもので、門限を何時にす しっ放しでなく、実行に結びつけるため、討 るか、暖房を入れる時間帯、果ては、食堂の 論結果を確認し合うもの。 メニューと各値段まで(従ってその後の値上 ● 後に続く者たちのために げも) 、SCA の話合いで決めたのである。 このような共同生活の体験から、数年後帰 国同窓生が、自発的に同窓会を結成し、3年 今回のフォーラムは、今後増え続けること に 1 度、代表者会議を開いて、同窓会のあ になる ABK 日本語コースの若き同窓生に対 り方を決めると共に、日本への提言、当協 する熱い期待をモチーフとして進展した。長 会と AOTS のあり方に意見を述べ合うのが 期計画として大学の建設を唱ったのも、その 習わしであった。ABK は、このような SCA 現れ。また、更に進んで、「次に続く者たち と ABK 同 窓 会 を 通 じ た 同 窓 生 と ス タ ッ フ に手を差し延べる」スタンスも示されている。 の結びつきによって、特有の性格・質を獲 それは、同窓生募金に関する議論の集約に見 得していったのである。それが、1982 年以 ることができよう。それが、年々の同窓生に 降、AOTS の独自センターへの移転によって よって、くり返し煮詰められるとしたらどう ABK の経営基盤が激変したこともあり、前 だろう。「ABK、後世畏るべし」となるであ 年に、創設者穂積先生の急逝が重なり、同窓 ろうか。 (終) 会の代表者会議の開催は途絶えたのであっ た。その意味では、昨年と今年のフォーラム 42