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第 3 回「MBA から 15 年」 - 法政大学ビジネススクール イノベーション
法政大学ビジネススクール イノベーション・マネジメント研究科 オープン講座 シリーズ企画「女性のキャリアと生き方を考える」 2010 年度 第 3 回講演 第 3 回「MBA から 15 年」 ファイザー株式会社 草野 弘子 氏 エスティ ローダー株式会社 渡辺 由佳 氏 日時:2010 年 11 月 5 日 19 時 00 分~21 時 00 分 於:法政大学経営大学院 101 教室 講 演 要 旨 講師紹介 草野 弘子 (くさの ひろこ)氏 ファイザー株式会社西東京医薬支店 支店長。女性 MR の第 2 期生として入社。福岡支店で 10 年間営業職を務めた後、女性社員としては初めて MBA(経営学修士)コース留学制度に名乗 りを上げ、慶応ビジネススクールで MBA を取得。 渡辺 由佳(わたなべ ゆか)氏 エスティ ローダー株式会社 アヴェダ マーケティング部 部長。株式会社三菱総合研究所を経 て、慶応ビジネススクールで MBA を取得。外資系化粧品会社マーケティング部門にて消費者 調査、製品開発、CRM、ブランドマネジメントなどを担当。2007 年エスティ ローダー社に入 社、以来現職。 高田 朝子(たかだ あさこ)氏(司会・コーディネーター) 法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科准教授。モルガン・スタンレー證券会社 勤務の後、慶応ビジネススクール MBA・博士号取得。高千穂大学経営学部専任講師を経て、 法政大学へ。専門はミドルの活性化とネットワーキング、特に女性ミドルの有機的な活用。 講演要旨 1. 講師紹介 高田:今日は、 「MBA15 年」というテーマで、MBA というくくりで、女性のキャリアについ て考えるセミナーです。今回は、ゲストとして、私と慶応ビジネススクール(KBS)で同級生 だった草野弘子さんと渡辺由佳さんをお呼びして、トークセッションとさせていただきたいと 思います。このセミナーは法政のビジネススクールの主催ですから、本来なら法政の卒業生の お話を伺うのが筋なんですが、このイノベーション・マネジメント専攻は、設立されてまだ 6 1 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 年と歴史が浅いので、自分の出身校である KBS で MBA を取得されたお二人をお招きしまし た。私たちの頃は、日本にはまだビジネススクールが尐なく、法政は当時、夜間コースしかな く、あまり選択肢がありませんでした。 草野:はじめまして。草野弘子と申します。ファイザー株式会社の西東京医薬支店 支店長 を務めております。東京の西側半分を担当しています。高田先生と同級生で、KBS を卒業し て 15 年になります。今日はどうぞよろしくお願いいたします。 渡辺:こんばんは。渡辺由佳と申します。エスティローダー株式会社のアヴェダ事業部で、マ ーケティングを統括しております。「アヴェダ」は新しいブランドで、日本での認知はまだ 10~20%程度ですが、そのブランド育成を担当しております。私も高田先生、草野さんと同期 で、慶応ビジネススクールで MBA を取得しました。今日はそういう繋がりで参りました。よ ろしくお願いします。 2. なぜ、社会人になって大学院に行ったのか? 高田:はじめに、社会人になってから大学院に行かれた経緯と動機について、お聞かせいただ けますか? 草野:私は、1983 年、ファイザーに MR として入社しました。男女雇用機会均等法が施行さ れる前でしたが、当時から男女差なく採用してもらえました。外資系ということで、そういう 面では進んだ会社でした。MR というのは、製薬会社の営業職です。かつてはプロパーと呼ば れていました。私は、2 期目の女性 MR として採用されました。当時はまだ男性社会で、かな り珍しい存在でした。 MR の頃は、医師や薬剤師の先生方にお会いすることを、楽しく感じていました。いつか本 社で仕事をしてみたいという漠然とした思いはありましたが、具体的に何をしたいのかという キャリアプランは、考えていませんでした。 MR の仕事を続けて、10 年近く経つうち、若い女性 MR が次第に増えてきて、初めての女性 MR 全員を集めた研修が開催されました。その研修で、私は「女性 MR の鑑(かがみ) 」とし て扱われ、戸惑いました。それは光栄なことではありましたが、私自身としては、伝えられる 知識やスキルが欠けているように感じたのです。 このままではいけない、 もっと勉強がしたい、 と思うようになりました。 その後、高血圧の治療薬の有望製品の発売を控え、マーケティングの担当者との接点が増え ていくうちに、華やかなマーケティングの世界に憧れを抱くようになりました。どうしたらマ ーケティングの方向に行けるかを考えていたところ、MBA 取得を勧めてくださる方があり、 ファイザーの社内留学制度に挑戦することを決意しました。KBS の卒業生がマーケティングで 華やかな活動をしているのに憧れた、というのが MBA 志望の動機でした。 私が応募する以前には、女性がこの社内留学制度を利用したことはなかったそうです。男性 の志望者 5 人に対し、私 1 人だけ女性でした。当時は女性を受けさせることには議論があった そうですが、社長の理解があり、会社の制度を利用して、KBS に行かせていただきました。社 内制度では、応募は 33 歳の春までという年齢制限がありましたが、私はちょうどぎりぎりで 2 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 した。 渡辺:私は、平成元年に、新卒で三菱総合研究所に入社しました。就職に関しては、バブルが はじける前で、あまり将来のことを深く考えずに入社した面があります。雇用機会均等法は施 行されていましたが、私が入社した頃には、女性にはまだお茶汲みの仕事がありました。自分 はどうやって仕事を続けていくのかなと考え、入社後数年間は、悶々としながら過ごしていま した。 そうしているうち、中途採用で、三浦展(みうらあつし)さんが入社されました。三浦さん は、後に『下流社会』などの著作を発表されたマーケティングの研究者です。彼と二人のチー ムで、レポートを書いたり、コンサルティングや調査のサポートをしたりしながら、マーケテ ィングのおもしろさを教えていただき、自分のモチベーションが上がってきました。その頃の クライアントには、化粧品会社や消費財メーカーや、官公庁がありました。社内の研究員試験 に合格し、仕事はおもしろかったのですが、一度マーケティングを体系的に学びたい、自分で も論文を書きたい、と感じるようになりました。そうして自分なりに勉強しているうちに、嶋 口充輝先生の本に出会い、嶋口先生の下でマーケティングを本格的に勉強したいと思って、他 校と比較もせずに、KBS に応募しました。私の場合は、会社派遣ではなく、自費で KBS に行 きました。 高田:私は、最初、アメリカで MBA を取りました。私は、大学を出て 4 月に米国の証券会社 に入社しましたが、10 月にブラックマンデーが起きました。働いていた会社が吸収合併になっ て、周りのおじさんたちはベソをかいていました。私は吸収したところとは別の投資銀行に呼 んでもらったんですが、その時、アメリカ人から、 「自分の身は自分で守るんだよ」と言われた ことが印象に残っています。 上司からは、 「自分の値段は自分で上げるんだよ」 「この会社では、 、 MBA を持っていないと、絶対に上に上がれないよ」と言われました。それはよくないと思い、 ビジネススクールに行くことにしました。 その時の動機は、資格が欲しかったということです。 日本に帰ってきてから、結婚して出産しましたが、専業主婦になるのは向いていなかったよ うです。いずれは博士課程に行きたいと思っていましたので、日経新聞で見た KBS の募集を 見て、MBA の修士課程に進学しました。 3. ビジネススクール時代 草野:KBS では、ハーバードと同じく、ケースメソッドを採用していましたので、最初の 1 年間は、午前と午後の 2 つの授業で、それぞれケーススタディがありました。A4 で 20 ページ もあるケース資料を、毎日 2 つずつ読んで、分析します。まず 10 人くらいのグループでディ スカッションして、その後、授業で先生が講義して、クラスでディスカッションします。授業 の前日にケースを読んで、ノートに取って、予習して参加しました。平日は毎日しっかり予習 しますが、それでもクラスについて行くのは大変でした。他の人の発言を聞いて、すごいなあ と感心するんですが、自分が発言するのは難しかったです。 渡辺:KBS は、1 年目は基礎課程で、ケーススタディの授業もあります。ケースメソッドを書 いた冊子の他に、与えられる参考資料が多く、大変な量の文献を読むことになります。入学後、 3 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 全員が 2 年生に進学できるわけではないと聞き、私は休職して自費で通っていましたので、プ レッシャーがかかりました。結局は、プレッシャーがプラスの方向に働いたと思います。 私の場合、モチベーションの源泉は、マーケティングでした。嶋口充輝教授の研究室でマー ケティングを専攻しました。海外のウォートンやハーバードのようなビジネススクールに負け たくなくて、マーケティングの本だけは、ほんとうにたくさん読みました。その分、生産管理 や財務、簿記など、ビジネススクールで必要とされる他の分野の勉強は、尐し手を抜いた面も あります。ビジネススクールでは、金融系、財務系をはじめ、いろいろな分野の出身の方がい らしているので、クラスメイトには助けられましたし、彼らから学ぶことが多かったです。 高田:ビジネススクールの良さは、勉強だけではなくて、今まで会うことができなかったよう な人たちに会えることが挙げられると思います。これは、どんなビジネススクールでも同じで はないでしょうか。 私の場合、KBS に入学した時は、子供がまだ 4 カ月で勉強時間が圧倒的に足りず、行き帰り の電車の中などで、必死でケースを読んで勉強していた記憶があります。 4. MBA 取得後 草野:KBS で MBA を取った後、希望していたマーケティング部門に移ることができました。 KBS に行く前に発売になっていた、有望な高血圧治療薬の担当になりました。当時は No.1 の シェアを誇った製品でした。最初は、KBS でのマーケティングの知識を生かせると思ったんで すが、医薬品のマーケティングは、学校で勉強したような消費財のマーケティングとは、かな り勝手が違います。薬価制度があり、いろいろ規制が多い中で、マーケティング戦略を立てて いかなければなりません。メディカルデータをそろえて資料を作ることが、仕事の中心になり ます。KBS で勉強したマーケティングはおもしろかったなあ、と感じることもありました。そ うは言っても、大きな製品を担当し、海外のプロダクト・マネージャーとの会議にも参加させ ていただいて、とても勉強になりました。 5 年経った頃、営業部門で女性のラインマネージャーを置くという方針が発表されました。 営業の経験があってかつ管理職である人材が尐なかったものですから、候補の一人のとして声 がかかり、8年前、営業所長として営業部門に戻りました。その後、営業部長、社長室企画推 進部長を経験し、 現在は東京都の西半分の 9 つの営業所、 総勢 122 名の組織を統括しています。 今は、どちらかというと、人材育成に、楽しみややりがいを感じています。特に、女性の MR を定着させることに力を入れています。 KBS で学んだことがどう役立っているかというと、いろいろなキーワードやフレームワーク を学んだので、調べたいことはどこに聞けばいいか、アンテナが広がっていること、そして相 談できるネットワークもできていることが、やはりよかったなと感じています。 渡辺:私は、KBS を卒業した後、休職していた三菱総研に戻るか、新たに就職するかどうかと いう選択肢がありました。KBS でマネジメントも含めて勉強した後、シンクタンクで物事を外 から見てコンサルティングをするより、事業会社に入ってビジネスを体感したい、と感じるよ 4 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 うになりました。そこで、日本ロレアルに入社しました。外資系の化粧品会社は、普通、非経 験者は採らないと言われますが、MBA を取得していたことで、うまく採用されました。個人 的には、化粧品か車関係の企業に行きたかったので、希望が叶ったことになります。 日本ロレアルは、 「ランコム」 「メイベリン」など、大きなブランドを多数抱えています。私 は、ロレアルで 10 年間働きました。担当したブランドは「ランコム」が長かったです。 「ラン コム」では消費者調査、CRM プログラム開発、スキンケア製品開発、E-コマースプロジェク トを担当しました。その他、 「ケラスターゼ」では、美容室流通での高級ヘアケアブランドの確 立に従事しました。 現在は、エスティローダー社に移り、 「アヴェダ」のマーケティングを担当しています。転職 しようと思ったのは、10 年間、同じ会社にいて、もう化粧品マーケティングはやりつくしたと いう感じがあったからです。MBA 時代もがんばりましたが、外資で仕事をするようになって、 競争が激しいということと、仕事自体がおもしろかったこともあって、死ぬほど働きました。 周りの女性も、周囲に求められるよりももっと高い理想をもっている方が多かったです。仕事 中毒になってしまうようなところがあり、10 年やって、やり尽した、燃え尽きた、という感じ がありました。化粧品以外の会社に移る道もありましたが、今の「アヴェダ」に移ったのは、 日本ではまだ始まったばかりの小さいブランドだったので、 自分で育てられると感じたことと、 ブランド自体が環境とビジネスの両立を目指したユニークなものだったからです。燃え尽きる のとは違う形で、モチベーションを保ちながら働けるのではないかと思い、転職しました。 「アヴェダ」は、植物由来成分、オーガニックにこだわった、プロフェッショナル流通のヘア ケア、スキンケアなどのブランドです。エスティローダーの中でも新しいブランドで、美容室 対象のビジネスの比率が高いです。現在の仕事は、日本におけるマーケティング戦略、日本発 の製品開発、プロモーション、PR、美容ジャーナリストや美容師を対象としたイベント開催、 環境保全を中心とした CSR 活動(きれいな水を守る環境保全活動や、有機農業体験などの企 画運営)などを行っています。 今年 6 月には、ペンシルヴァニアの大学で、1 週間、エスティローダーの幹部研修に参加さ せていただきました。世界各国から 60 名が集まり、日本人は 1 人だけでした。ハーバードや その他の大学から教授が来て、エスティローダーのために講義をしてくださり、MBA 取得以 来のとても刺激的な機会でした。 MBA を取得したことが、実際の仕事にどう生かされたかを考えてみると、考え方のフレー ムワークが変わったということが言えると思います。ビジネススクールでは、ケーススタディ を通して、ある事象の当事者になって、ある状況の中で、自分だったらどうするか、どう解決 するかという訓練をさせられます。そのおかげで、実際の社会に出てビジネスをする時、いろ いろなパターンが見えてくるようになりました。マーケティングには、カスタマー・リレーシ ョンシップ・マーケティングなど、いろいろなトレンドがありますが、ビジネススクールでの 経験があったからこそ、そういうトレンドを、いい意味で、仕事に活用できたと思います。 5 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 5. キャリアを通じてのモチベーション・グラフ 草野:ここで、キャリアを通じてのモチベーション・グラフをご紹介します。JWC(Japan Women’s Council)という組織があります。若いポテンシャルの高い女性を育て、働きやすい 環境を作っていくことを目的とした組織で、GWC(Global Women’s Council)というグロー バルな上部組織に属しています。そのウェブサイトにメンバー紹介のページがあり、指定のフ ォーマットで、キャリアのモチベーション・グラフを作成することになっています。 図表 1 草野さん モチベーション・グラフ 図表出典:講義資料 草野:私は、ずっとモチベーションが高かったんですが、ちょっと下がる時もありました。同 期の女性 MR が結婚退職した時、それから KBS 時代は、入学時は高かったんですが、1 年生 の 1 年間が辛かったので、この頃には尐しモチベーションが下がっています。その後はずっと モチベーション 100%の状態でしたが、PREVET 大作戦という新製品の全国行脚の後、燃え尽 きて、この時はテンションが落ちました。その後、CNS(中枢神経)と CVS(循環器)の営 業所長就任の話が来て、またモチベーションが復活していきました。とはいっても、MR を統 率するのが営業所長の仕事で、新入社員からベテランの MR17 名のベクトルを合わせるのは、 たいへんエネルギーのいる仕事でした。いろいろなことが起こります。辛い時期でもありまし たが、人事や組織に関する勉強をして、この仕事を通して、人と一対一で話すことの重要性を 学びました。この後、営業部長、社長室の企画推進部長などを務めました。現在は支店長です。 営業部長時代は、 疾患領域別にマネジメントすればよかったのですが、今は支店長の立場で、 対医師会や対特約店など、顧客ごとに個別のアプローチが必要になります。それまでとは勝手 が違う面があるので、勉強しているところです。 支店長というと固いイメージがありますけれども、自称「パッション・リーダー」として、 6 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 ちょっと軽いノリも加えて、仕事に取り組んでいます。 図表 2 渡辺さん モチベーション・グラフ モチベーション グラフ 120% KBS入学。卒業後 外資化粧品会社へ 100% 80% 仕事パワー全開 結婚、出産 三浦 展氏とチームに 研究員試験合格 現外資化粧品会社へ転職 ブランド育成、チーム育成や マネジメントにほどよい意欲 モチベーション度 燃え尽き症候群 異業職種転職を検討 60% 新卒で シンクタンク入社 40% 20% age 0% 20 25 30 35 40 45 図表出典:講義資料 渡辺:私の場合は、新卒でシンクタンクに入社した後、三浦展さんと一緒のチームで仕事をし、 また研究員試験に合格したこともあり、この頃、モチベーションが急上昇してきました。KBS のときは、やる気満々の状態でした。ビジネススクールを卒業してロレアルで働くようになっ て、30 代に入る頃には、仕事パワー全開でした。30 歳くらいで結婚したんですが、出産の前 後も、最低限の休みだけ取ってほとんど休まず、出産 3 週間前まで働いていました。競争が激 しかったので、長く休むと、自分の仕事がどうなってしまうかわからないという不安もありま したが、とにかく、自分はずっとフルで働きたいという気持ちが強かったです。 それが、35 歳くらいで、モチベーションがすとんと落ちてしまいました。充実はしていたん ですが、仕事ばかり、という状態がずっと続いていたからです。オンライン・ショッピングを 始めたり、顧客のロイヤリティ・プログラムの導入など、新しいことにどんどん挑戦していた 時期です。夜中、時には朝まで、仕事、仕事の毎日で、さすがに燃え尽きてしまいました。 40 歳になる頃、今の会社に転職し、今は、自分のチームやブランドを育成することに対して、 また、マネジメントに対しても、ほどよい意欲を感じているところです。子供も小学生になっ て、生活も尐し落ち着いてきました。 7 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 <出席者とのディスカッション> 平石:私は、起業して 19 年になりますが、大企業の組織社会をほとんど知らないので、今日 の話は興味深く伺いました(注:平石 郁生氏。法政大学大学院イノベーション・マネジメント 研究科兼任講師、株式会社ドリームビジョン代表取締役社長) 。 まず、草野さんに伺います。感情の起伏があまりなさそうな方とお見受けしますが、組織が 大きくなればなるほど、不合理なことや理不尽なことも起きますよね。外資といえども、男性 社会ですから、女性で支店長という高いポジションにいらっしゃると、仕事のできない男性は やっかむことも多いのではないかと思いますが、そういう会社のポリティックスには、どう対 峙されていらっしゃるのでしょうか? 草野:社内では、周辺に何人か、男勝りというか、強いパワーのある女性たちがいます。だか ら、 「おかしい」と思ったことは溜め込まないで、誰にでも言いますし、会議でも、何でも発言 させてもらえる環境があるんですね。入社以来、長くこの会社にいますから、社内では遠慮す ることがありませんし、不満も口にしますから、溜まることはないですね。 高田:会社を辞めようと思ったことはありませんか? 草野:一時、自分で調剤薬局を開いてみたいなと思った時期はあります。でも、実際に開業さ れた方の様子を見ると、なかなか難しそうなので、この案は止めました。それ以来、辞めるこ とは考えたことがないです。むしろ、私は男女雇用機会均等法以前に採用していただいている し、会社には MBA も取らせていただいたので、今は、会社に恩返ししたいという気持ちが大 きいです。 平石:渡辺さんにお伺いします。私はコンサル会社で働いたことがあるんですが、ご自身でも おっしゃっていらした通り、シンクタンクから事業会社に行くと、風土も、組織の構造も違い ますよね。そうすると、自分が発揮するべき能力、期待される能力も違ってくると思います。 違う分野にスライドしていく時に、MBA を取ったことが、うまくギアをかみ合わせるために 役に立ちましたか? 渡辺:シンクタンクにいると、自分が調査したことが(クライアントの)事業会社でどう生か されているのかは、はっきりわかりません。そういうもどかしさがあって、事業会社に就職し たんですが、実際に入ってみたところ、想像以上に全然違った、というのが正直な印象です。 どういうふうに違うかというと、特に外資だったということもあって、人間関係的なところで も、教えてくれる人はいませんし、とにかく自分が結果を出さなければいけません。その時に、 データを説明するだけでなく、業者さんや代理店を動かし、相手に意図を伝え、人に動いても らって結果を出すのは、今までとまったく違う能力が必要で、私は苦労しました。また、組織 内でも、上の人も、下の人も、動かさなければいけません。おもしろかった部分もありますが、 ほんとうに苦労しました。 MBA の経験がなければ、こういう難しさは、乗り越えられなかったと思います。MBA で勉 強したことで特に役立ったのは、考え方のフレームワークだったり、その時点でのマーケティ ング概念については、自分には誰よりも知識があるという自負や勘所だったと思います。それ 8 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 から、MBA の 1 年目ではかなり苦労したので、精神的にタフになっていたということもあり ます。会社では、不合理なことが起こります。誰もが自分が結果を出したいですから、後ろか ら刺されたり、いろいろ足の引っ張り合いがありますが、そういう面でもタフになっていまし た。MBA を取ったことは、知識の面、鍛錬の面の両方で、実務でも、とても役に立ったと思 います。 平石:プランナーにしても、コンサルタントにしても、個人技の世界ですよね。メーカーでは、 良くも悪くも、人やラインを動かさなければいけないという点で、違います。組織を動かすと ころで、橋を渡れる人、渡れない人があります。MBA を取っても取らなくても、溺れてしま う人は溺れますし、渡れる人は渡れます。その資質というかスキルの違いは、どのようなもの だとお考えになりますか? 渡辺:語学やコミュニケーションに長けていて、そこそこうまくやれていても、結局、政治力 といか、泥臭さが必要になる部分が足りなくて、去っていく人もいます。MBA を持っている かどうかというのとは別の問題で、何が違うのか、はっきりとはわかりませんが。 出席者:お二人に共通の点として、人材育成や組織論にご関心がおありのようですが、組織論 を勉強されたことは、ビジネスの上で、実際に役立ったとお感じですか? 渡辺:組織論の本を読んで、それが直接役立ったということは、あまりないですね。自分の経 験が大事です。 草野:私は、部下を持ったのが、大学を卒業してかなり経ってからのことでした。ラインのマ ネージャーになる時に、リーダーシップやコーチングなど、会社でいろいろなトレーニングを 受けるんですが、そこで、KBS で学んだことを思い出しました。体系的に学んだという自負を 持ちながら、受講しました。ただ、個性が違う人を育てていくのは、自分自身が経験しないと できないことです。そのことは、所長時代に痛感しました。とにかく自分で学ぼう、という姿 勢で、周りから吸収したり、本を読んだり、先輩から教えてもらって、自分で身に付けたこと が多いです。社内にはメンタリング制度があり、直接の部下ではない人を担当し、メンターに なっています。人材育成については、その制度の中でも多くを学んで、成長しました。いま、 大阪勤務の女性のメンターになっており、ウェブ・ミーティングをしたり、彼女が上京する時 は会ったり、メールでやりとりを続けたりしています。 高田:私は組織論が専門ですが、リーダーシップ論を 1 週間勉強したとしても、偉人の本を読 んでも、すぐには役に立ちません。でも、学問は、頭の中の「引き出し」を増やしてくれます。 勉強していると、物事に対して別の見方ができるようになりますし、予測の精度や確率が上が ります。家が商売していたりしてビジネスのセンスがある生徒は、手形が落ちるというのは具 体的にどういうことなのかとか、納期に遅れると何が待っているか、そういったことについて の経営的なセンスがあるので、ビジネススクールでも、結構やっていけます。でも、ビジネス スクールでは、そういうセンスが備わっている人でも、そうでない人でも、勉強することによ って、ある程度のレベルまで行けて、引き出しを増やすことができます。 9 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 出席者:ビジネススクールでは、特に 1 年目に苦労されたという話でしたが、それを乗り越え た原動力は何だったのでしょうか? 渡辺:ビジネススクールでの 1 年目は、とくに不得意科目を乗り越えるのに、かなり苦労しま した。なぜ乗り越えられたかというと、私の場合、とにかく卒業しないと、自分の人生が途中 で終わってしまうという思いがあったからです。将来を賭けて入学してきたので、どうにかや り遂げられたと思います。それから、周りの人、いろいろな分野の人がビジネススクールに来 ていましたから、そういう人たちを見ながら、やってきました。 草野:私には、会社のお金で来ているので、ちゃんと卒業しないといけないという、渡辺さん とは違うプレッシャーがありました。その中で、やるしかない、という気持ちでやっていまし た。元住吉に住んで、隣の駅の住吉の学校に通い、図書館が閉まるまで勉強して、家でも勉強 して. . .と、毎日がその繰り返しでした。辛かったんですが、社会人になって 10 年以上経っ ていたので、勉強すれば自分が変わってくるんだな、という感覚を楽しみながら、がんばって いました。 高田:私の場合は、博士課程に入りたいという目標がありました。KBS では、成績上位者は面 接だけで博士課程に進学できる制度があったので、KBS 時代は、とにかくいい成績を取ること に専念しました。アメリカの MBA も大変だったんですが、経営学は絶対的な正解がない学問 で、私には向いていたと思います。 出席者:KBS は、2 年間フルタイムで一緒にどっぷり勉強しますから、学生同士のつながりが 強くなると思うんですが、法政の場合は、仕事をされながら通われている方が多いです。その 場合、クラスのつながりはどんな感じですか? 高田:法政のビジネススクールについてですが、1 年制コースと 2 年制コースがあって、1 年 制の方は、毎日授業があるので、KBS と同じように、学生さんは毎日顔を会わせて仲良くなる みたいです。2 年制の方は、授業は平日の夜と土曜日だけですので、かえって、 「みんなで何か やろう」という意識が強いようです。それから、校舎内に学生共同のフロアがあるので、ブー スで勉強しているうちに親しくなるということが多いと聞いています。 出席者:私も MBA の取得者です(経営学部大学院 12 期生) 。夜間のコースに通い、2 年間、 夕方 6 時半からの授業に出て、講義を受け、レポートを書き、土曜日も授業ですから、時間配 分がタフでした。それでも、自分で充実した時間をとって勉強できたと思います。現在は独立 して、コンサルタントをしています。今日ご出席の皆さんも、まだであれば、ぜひ MBA に行 かれるといいと思います。日本の会社は、専門教育はごく一部の男性にしかしませんし、女性 には、そのチャンスはさらに限られていると思います。MBA で勉強すると、問題の本質が見 えてくるようになりますから、大学院に行く価値はあります。MBA 時代に読んだ本は宝物で すし、原書で読んだものも、役に立っています。ぜひ、皆さんも挑戦してみられるといいと思 います。 出席者:組織の中で昇格していく上で、上司に対して、何か意識して行ったことはありますか? 10 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏 また、育ててあげたいと感じるような部下は、どんな部下ですか?私の場合、仕事そのものは 評価されるんですが、 見せ方の部分が足りないと上司から言われました。 自分は結婚していて、 現在の部署に居続けられるかどうかという点で、今一つ会社に信用されていないと感じます。 女性として、そういう部分をうまくカバーするアピールをされたことがおありですか? 渡辺:私自身は、上司から気に入られたいとか、引き上げてもらいたいという意識はなかった ですね。ただ、自分の責任範囲を広げたいという気持ちは強かったです。私の場合は、数字を 示すとか、具体的な提案をするなど、目に見える形でのアピールを重視しました。売上が上が ったことの見せ方や提案も、言われたことだけでなく、何か付加的なポイントを付けて出すと いった努力をしてきました。 部下を評価する時は、プロセスも見ます。その人が、コミュニケーションだけで、要領よく やっているだけなのか、それとも、きちんと実力をつけながらがんばっているのかどうかを、 見極めるようにしています。部下を持つと、どのようにして評価するかを学ばなければならな くなります。私が意識して行なっているのは、客観的にどういう行動をしたかということ、そ してそれを記録していくことです。感情とは切り離し、実際にやったことや具体的な発言で、 評価します。 草野:私の場合、昇格したいという意識はありませんでした。女性のラインマネージャーを作 るという会社の方針についていっているような感じです。会社には自己申告制度があり、それ を基に上司と定期的に面談し、その中で、自分がどうキャリアを形成したいのか、上司のアド バイスを受けながら、意見交換していきます。 部下については、評価システムがあり、一人では決められません。私の部下の所長たちも交 えて、みんなで一人一人を評価していきます。ですから、私個人の意見だけで、人を引き上げ たりするようなことはありません。所長同士で確認しながら、チーム、周囲との連携、周囲か らの信頼の高さなどを重視します。行動能力考課というプロセスでは、昇格させてもおかしく ないと誰もが思う人を選び、所長の意見をまとめ、慎重に確認してから、評価します。 出席者:将来、子供を持つかどうか、ずっと今の部署で続けられるかということで、私は、会 社の評価を深読みしてしまう傾向があります。自分でも、将来どうなるか言い切れない面があ り、会社はそこを察知していると思うんです。 高田:それは、物の見方だと思います。たとえば、 「私は黄色人種だから、差別されている」 と思うと、何でもそのフレームワークで読めてしまいます。あるいは、 「私は女だから、こうな んだ」と。でも自分が女というのは、変えようがありませんから、そこは、自分で妥協軸を見 つけるしかないですね。人生長い目で見て、今は男の子たちに負けているかもしれないけれど も、10 年後には違うかもしれません。女性だからだめだった、女性だから○○だったと言われ ることもあるかもしれないけれども、そこは自分で割り切るしかないです。自分の人生は、自 分にしか変えられません。変えるためにどうするか、それを考えることの方が大切ではないで しょうか。 (文中一部敬称略)(了) 11 法政オープン講座「女性のキャリアと生き方を考える」 第 3 回 草野 弘子氏・渡辺 由佳 氏