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「既成概念の再検討 ――帝国主義の概念を中心として――」 江口
33脚 誤 NF即カア rlR Fτ τ 日本 国際政治学会 N。 34 Jonuory 1986 既成概念 の再 検討 ― ―帝 国主義 の概念を中心 と して 一― 江 口 朴 郎 (津 田塾 大学 ) 最近 の 諸学会 が直面 して い るとされ るひとつの共通 の れの側 か らも把握 されて い る結果 ,政 治 の意味 こそが重 問題点 は ,そ れぞれの方法 に従 って きわめて精細 な実証 要 にな って い る段階 であろ う。端的 に言えは ,民 族運動 的分析が進 む一方 で ,全 体 と しての展望が失われが ちで を との よ うに操作 すれば人衆 が分裂 して強 国 に従 属 させ る ことが できるか とい う問題が深刻化 しつつ あ る。 その あ る こ とが危惧 されて い る ことで はなか ろ うか ? 私 fFll 人の立場か ら言 えば ,一 応国際関係 論や国際政治史 に対 ことは1867年 のオ ース トリア ニハ ンガ リーニ重 王国 の成 応 しなが ら.常 に国 際関係 の研究 は ,ひ とつの専門分野 ― ドイツ語 でい うファッハ ーーではな く,諸 々の イデ 立や汎 ス ラヴ ィズムの動 きなど に代表 され る し,ま た土 地改革 を どの程度行 えば ,農 民 は どの程度保守化す るか オ ロギ ーや新 しい現象 に応 じた分析方法 を相互 に確め合 とい うことが重 要 な問題 となる時代 であ る。 その意 味 で う「場 1で あると考えて きたので ,そ の ことの意味が ま 民族 の 問題 とともに農民の問題 は単 なる農 業 の 問題 では , す ます 大き くな った もの と して ,む しろ学問の在 り方 の な くな って い る。 ここで新 た 1/帝 国主義が問題 になると 健全 さを物 語 って い るのではな いか と楽観的 に解釈 して い うことは ,既 存 の原則 を新 しい視野か ら見 なお さなけ い る3 その意 味 で最近半年 はか りの 諸学会 で見聞 した ことに れは な らな い とい う ことを意味 して い る。 その意味 で こ れ らの学会 では ,ロ シアは もとよ リハ プス ブル ク王朝の ついて私 な りに感想 を述 べ させていたた くことと した い。 問題 か らイ タ リアの発展 ,さ らにオ ントマ ン帝 国 の状態 たまたま本紙 の前号 には小 日英郎氏の「帝 国主義 Jへ の 言及が あ るので ,多 少 ともそれ に即 した問題提起 ともな にまで及 ぶ 実 に綿密 な実証的研究の成 果が あ らわれて い た。 これを全体 と して 「周辺地域 か ら見た帝 国主義 Jと ,年 々定期的 に行 な って い る 纏 め られて いた。 この会 合の終 り近 く,意 見 を求 め られ 日ソの歴 史学研究者 の シンポ ジウムが あ り,そ こでは帝 たの で ,研 究 の成 果 に敬服す るとともに ,特 に第 一次世 と て考 え る場合 ,ア メ リカの地位 の変化 界大戦 を中,と 、 るか も しれ ない。 この 5月 国主義の問題が 11題 であ ったが ,日 本 ,ロ シア , ドイツ tン のそれぞれの帝国主義 の比 較 に重要 な問題 や関心が あ っ と ,ま た経済政治 両面 で軍事的要因 を無視 出来 ない こと たよ うに思 われ た。私個 人は ,実 は ,そ のよ うな見方 に が今後の研究 へ の展望か も知れ ぬ ことを率直 な感想 と し 疑 間 を持 つ者 であ るが ,我 々 は レー ニ ンの帝 国主義論を て述 べ た。 前提 と して研究 して い るのだ と当 り障 りのないあい さつ 特 に西洋史学会 の 場合 ,別 に個別研究 と して世界大恐 を してお い た。 しか し,こ の帝国主 義論 のよみ方 その も 慌時代 の ジーメ ンス社 の営業活動 につ いての報告 もあ っ のが 日本 の近現代史 の 大 きな課題 と して発展 しつつ あ る たの で ,前 世 紀 に科学者 ,技 術者 と しての ジーメ ンスー よ うに思 われ る. 家 が ドイ ッチェ・ バ ンクと して育成 され ,バ グダ ー ド鉄 また ,今 秋土地制度 史学会 及 び (東 北大学 の )西 洋史 道 の経営 に当 り,戦 後 ドーズ案・ ヤ ング案等 に見 るよ う 学会 のいずれ で も,「 帝国主義 Jの 研究が重要 な共通の 課 に否応 な く,ア メ リカに従属す るに至 る過程等 は帝 国主 題 とな って いた こと 自体 ,注 目すべ き動 向であ る。本来 , 土地制度史学会 の問題観 は少 々大 まか に マル ク ス主義的 義研究上 の重 要 な展望 を示す もの と思われ た。 に表現すれば ,経 済的 土台 の 上に「上部構造 Jが の って この よ うに現代史 の発展 は ,西 欧 その ものを「周辺地 Jと しつつ あ るか も知 れな い とい う点 で ,多 くの既成 域 い る とい う発想 に基 づ くとい うべ き もの であろ う。 とこ 概念 の再検討 の必 要が 「帝国主義」を め ぐる諸問題 の発 ろが 19世 紀後半以後 はその よ うな事実が保守 ,革 新 いず 展 の 中か らも窺え るのではなか ろ うか。 -1- 1945年 の段階で英国 には ,(a)は じめか ら日本占領 への 秋 季 研 究大会 概 況 参加を断念する,(Ы 占領 に参加 して応分の役割を果たす (C)英 国 の力 の限界を認識 して徐 々に撤退する,の 三つの 共 通 論 題 「 占領 の 比 較 研 究 」 I:「 連 合 国 の 占領 政 策 」 道があ ったご結局は外務省 の意見を中心 にlb)を 選ぶが 時の経 つ とともにlC}の 道を歩む ことになったことが興味 第 1次 大戦後の米国及び連合国の占領政策は,日 独伊 三国の政治 。経済 。社会の内部に「占領革命 │の 名に8、 さわ しい巨大な国内変革をもたらした。本研究大会の共 深 く述べ られた。 報告者はさらに「占領研究Jの 今後の あ り方 にも触れ ,と くに理論枠組構築の必要 と人物研究 の推進が強調 され た。 , , 石井明会員 (東 京大学 )は ,「 中国の対 日基本政策 J 通論題は,戦 後四十Fギ 間に公開された多 くの新資料と それ らに基づ く内外の占領政策研究の業績をお、 まえて , , 占領 した側 (連 合国)と 占領された側 (日 独伊)双 方 に おける政策 とその実態 を比 較検討 してみ ることによ って , われわれ にとって 占領 とは何 であ ったかを会 員諸氏 とと もに 考えてみ ることを意図 した もの であ る。報告 は ,1: 「連 合国 の 占領政策 J,■ : 1日 独伊 にお け る 1与 領 J,Ⅲ :「 占領 の イ ンパ ク トJの ニ セ ッ ションに分 けて行われ について ,国 防最高委員会審議参考資料 「日本問 題処理 意見書 │(1945,8,12)な どを参照 しつつ ,中 国 の政策 が ,ポ ッダム宣言の厳格 な執行を求め ,軍 備工業 ,財 閥 の解体は もとより,一 般 の工業 もきわめて低 い水準 に制 限 し,日 つ 日本EINl内 の資産 はできるだけ賠償にあて るよ う主張す るきわめて厳 しい ものであ ったことを紹介 , し か も中国はその蒙 った被害が他 の連合国 よ りも大きい こ は , │ア メリカ とを理由に賠償の比率 も大き くなることを求 めたが , 当 時の中Ll政 府は国内にたかまる共産党勢力への対応 に追 占領政策形成 の輪 郭 I1 1945年 4月 ∼ 8月 の転換 (ヤ ル タか らポツダ ム ヘ ), われ ,つ いに日本 占領 のため約束 した軍隊の派遣 も行 い えず ,そ の対 日要求は次第に後退を余儀 な くされていっ Ⅲ.日 本 の 早期降伏 と占領政 策 の性格 ,の 構成で報告が た過程が明解に説明され興味を惹 いた。 あ ったc連 合国 の なか で 日本 占領 に中心 的役害1を 果 た し た米国 の 日本 占領政策 に も,無 条件 降伏 ,大 国 によ る管 最後 に有賀貞会員 (一 橋大学 )よ り三報告 に対す る適 切な コメン トが行われ ,フ ロアか らの多様な質問 ,意 見 理 ,日 本 の無力化 と変革 を主 張す る介 入変革論者 と,友 をいただ く内に,3時 間半 にわたる第一 セ ッションは終 好国 と しての国 際復帰 ,日 本 の安定 と復興 を支持す る立 った。 た。 ここでは第一 セ ッシ ョンの報告要 旨等 を紹介す る。 先ず五 百旗頭真会員 (神 戸大学 )力 )ら の 日本 占領政策 Jに ついて , I , 場か らの介入慎重論あ るい は積極誘導論派の間の綱 引 は 激 しく,結 局 は ス テ ィム ソ ン陸軍長官 の イニ シ ャチ ブで 「無 条件 降伏 Jと い う既定方金│が 実質 的 に修正 され ,積 極誘導論 に寄 った ところで最終 方針 が決定 され た ことに 力 点 をおきつつ ,さ らに い くつ もの興味深 い指摘 が行わ 員 (国 際大学 )か らは , “Wari Ⅱ :「 日 ,独 ,伊 に お け る 占 領 」 ① Fl本 占領 (天 川晃会員)の 報告 アメ リカは占領政策のプランニ ングを進めて いたが , 裁量を大きくし,そ れ にマ ッカーサーの個性が結びつい て ,「 マ ッカーサーが解釈 したワシン トンの政策Jが 実 Occupatio11lPeace;Current IDerspectives On Britain and the Allied ttccupation of Japan, 1945-1952" をテ ーマ に次 の構成 で英語 での報告 があ っ た。 施 された。それを具体的に実施 したのはマ ッカーサーの 側近 =参 謀だが ,各 部局 の権限・ 政策は並列的 で ,そ の ため ,そ れ らの間 で対立が生 じた。 とくにニ ューデ ィラ (│)The gradual collapse of British influence in east Asia during the 20th century,(11)British fOreign policy options in 1945,(i)Anglo― I司 会者 。松本三郎) 降伏が予想外 に早 く,占 領 は「突然Jに ,し たが って軍 事 占領 としては じめ られた。 この ことは 占領軍司令官 の れた。 Roger Buckley会 (共 通論題 Ameri_ ーの シビ リア ンは ,本 国の意図を超えて民主化を進めた。 日本側 は ,上 か らの改革を担 う伝統を もつ官僚が GHQ に対応 した。 GHQと 緊張関係が起 ることもあ ったが can cooperation and con■ petition during the occupation era, lv)Future agenda for occupa_ , tion studies,(∨ )Case studies of Occupation per― sonnel i The expert in ヽ Vashingtoni Sir George Sansom 日米の共同利益 の観点 で協力 しあ った。 ② イタ リア占領 (豊 下楢彦会員)の 報告 米英 のイタ リア占領は最初ナポ リ以南だけで,以 北は The man On the spoti Sir Alvary Gascoigne ドイツの支配だ った。その状態で ,降 伏 イタ リアは ,旧 敵国か ら対独共同参戦国へ ,そ して同盟国へ と地位を向 ハ Fhitehalll Sir Esler Denillg The official in ヽ The poet in Tokyo: Edmund Blunden,(vI Con― 上させようと願 った。また内政問題で保守勢力 と革新勢 力が対立 し,そ して英は前者を ,米 は後者を支援 して い clusionI Bold clailns and lilnited resources -2- 好報告 ぞろいだ ったので ,他 のテーマの研究者 に も有益 な刺激を与えた ,と 信 じて いる。 た。その中でソ連が 占領 への参加を要求 したが,結 局「軍 事 支配[Jが 実権を もつJと のイタ リア方式が確立 され , 佐藤報告は ,従 来の東京裁判研究 で空白となって いた 後 に東欧 にも適用 された。米英の対立 は ,米 が ,救 援物 資を与えることで ,有 利 に解決 して いった。 こうした間 イギ リスの役割 に焦点をすえ ,主 役 はあ くまでアメ リカ であ り,イ ギ リスは端役にすぎなか ったことを強調 しつ に,占 領国 と結びついた者が権力を もつ という戦後外交 のパ ター ンが生 まれた。また トリア ッチは ,西 側世界 の つ ,な お1945年 段階で天皇を訴追 しない,A級 被告を20 策を模索 した。 人程度 に しばる方針であ った点を重視 し,米 英が方向 と しては一致 していたことを示唆 した。46∼ 48年 の公文書 O が公開されれば,こ の点はよ り明確 になろう。 ン てい く方 中で,ソ 連型 とは違 う型で,人 民勢力を結集 ヒ ドイツ占領 (三 宅正樹会員)の 報告 細谷報告 は ,財 閥解体がその後の 日本経済に与えた イ パ ン ク トについて ,従 来 の諸論を手際 よ く整理 したのち ドイツは米英仏 ソ四カ国で占領 されたが ,ソ 連は別 と して も,西 側諸国間にも占領政策 に対立があった。最初 , , その総 合評価 は簡単に決め られないが ,一 定 の成 果があ , ったこと,お そ らくはアメ リカの意図 に反 して近代化を は仏が最 も異を唱えたcま た英が企業の社会化を求め 自由企業論を貫徹 させよ うとする米 と対立 した。結局 米主導 の対 ソ対決 に収れん してい くが ,そ れはパ ク ス・ ブリタニーカか らパ クス・ アメ リカーナヘの転換 で もあ った。また アメ リカの政策 も,反 ファシズ ム=懲 罰政策 か ら西独 の経済利用 二冷戦政策への移行 に混乱があ った。 1946年 のバ ー ンズ演説はそのまま貫徹 されず ,47年 にク 禁 lLの 網を くぐる財閥側 の部分的抵抗 を紹介 した部分は 興味深か った。 増田報告は ,非 ナチ化に関わ ったスタッフが 日本の公 職追放 に も参加 したが ,G― Jlと の対立 もあ り,最 終案 レイ将軍は対 ソ和解をはか っている。 移行完了は ソ連が ドイツ分裂 を固定化 させてか らであ った。 は G項 を加えた リメモ ランダム追放を利用す るなど SC AP独 自の方式 に変化す る経過を追跡 した点は印象的 で (質 問・ 討論) 比較 の基準 は ? 被 占領国 にオ ース トリアや朝鮮 など を入れ′ るべ きだ : アメ リカが 事前 に準備 して いた ドイ ツ占領政策 プ ランと実施政策 の関係は ? 促 し競争力を高 めたことなどを指摘 した。 いわゆる「逆 コースJ期 以降 も,こ の政策は進行 したが ,商 標 ,商 )j あ った。 三輪報告 は ,被 占領者 日本の「占領協力Jと い う側面 を ,ジ ャーナ リズムの果た した役割を中心 に観察 した も 経済復興化政 策 と冷戦政策 との論理的関係は ? 再教育 の差異は ? などの質問 。主張が出されたが ,時 ので ,そ れが占領政策転換のため ,自 動的 に 「抵抗 ドイツtf.教 育 と日本 (レ ジスタンス)の ように見えてきた こと,付 随的に戦争責 任 (と くに対中国)の 追求が アイマ イにされて しま った 間がな くて論議を発展 させ ることができなかったc (共 通論題 Ⅱ司会者・ 福田茂夫) ことなど,思 想史的立場か らの17T新 な指摘があ った。 こ うした広 い視野か らの研究が今後の 占領研究 に必要 であ Ш :「 占領 のイ ンパ ク ト」 このセ ッションは 2日 日 (10月 20日 )の 午後 2時 か ら ることをあ らためて痛感する。 ・ 秦 有β 彦) (共 通論題 Ⅲデ ィスカ ッサ ント 6時 まで ,多 数 の傍聴者を集め ,熱 気の溢れた報告 と討 論が行 なわれた。 報告 テーマ と報告者は次の通 り。 「東京裁判J 佐藤恭三 J 「公職追放 J 細谷工宏 1財 閥解体 お 詑 び と訂 正 1985年 度秋季大会御案内に以 下のよ うに少 なか らぬ誤 増田 弘 「ジャーナ リズムJ 三輪公忠 Iが 占領者である連合国側の政策形成を,■ が 占領 さ れた者の立場 (日 本 , イタ リア , ドイツ)│か ら見た占領 の実態を扱 ったのに対 し,Ⅲ は ,占 領下日本の諸問題を 新 しい視角か ら接近 し分析 しようとす るもので ,い わば , 「 日本占領 の遺産 1を 論 じたと言えよう。 取 りあげてよい対象は ,大 小 とりまぜ ると数えきれぬ ほどであるだ けに ,そ のなかか ら4つ をえ らんだだけで は到底全体像 に迫 るのは無理であろうが ,い ずれ も問題 意識が鮮明で,最 近発掘 された新 しい情報を盛 りこんだ -3- ンた0深 くお詫び中 し上げます ととも 記 ,誤 植があ りま ヒ に今後は間違 いの生 じませんよう工夫 ,努 力 いた します。 (以 下 ,矢 印の方向 に訂正)<日 本外交史部会 >1930年 代の 日米経済関係 → 日露戦争後の 日米経済関係――財界 の対米認識を中心 として ,李 畑詰 →李 畑詰 ;<移 民 史部会 >島 岡 完 →島岡 宏 ,第 2次 世界大戦 と北米の 日本人 →第 2次 世界大戦 と北米の 日系人 :<共 通 論 題 Ⅱ>中 央大学教授 三宅正樹 →明治大学教授 三宅正樹。 (事 務局) 〔田 岡 良 一 先 生 略 歴 〕 田岡先生の こと 1898年 高知県生 まれ。国際法の権威。京大 ,東 北大名 誉教授 ,学 士院会員。67年 よ り常設仲裁裁判所 (ハ ーグ) 高 坂 正 尭 (京 都大学) 裁判官を務める。68年 ,勲 一等瑞宝章。著書 に『国際法 田岡良一先生は本格的な ヨーロ ッパ の香 りのする方で 学大綱』『国際法上の 自衛権』なとがある。当学会顧問。 あ った。 もっとも,趣 味は日本舞踊 であ り,そ れ も名手 だった し,着 物姿か とで もよ く似合 ったか ら,私 の表現 (こ の ほど宇野重 昭会員か ら以下の追悼文が寄せ られ ま したの で ,こ こに掲載 します。 一 ―編集委員会 ) は一面的であるだろう。私は京都大学法学部 の助手 に残 って研究生活を始めた最初 の二年間 ,ヨ ーロッパ の外交 坂野正 高教授 を悼 む に関するさまさまな話を して いただ き,そ の知識 の深 さ と正確 さに驚 いたので ,そ の時 イメージが決定 して しま 宇 野 重 昭 (成 瞑大学) ったか も知れない。あるいは最初 に御馳走 になった西洋 深 い学識 と軽 妙 なユ ーモ アで知 られ た坂野正高先生 料理 の際のテーブルマナーが実に しっくりしていたこと が死去 され た。 誠 に哀 惜 の念 にたえ な い。先生 は1916 年 ニ ュー ヨー ク生 まれ ,は や くか ら欧米の文化 とア ジ か原因であろうか。 それはともか く,田 岡先生 の学風が本格的 ヨーロ ッパ アの文化の谷間 で苦闘 され た。先生 が後年 ,欧 米 に対 風であ ったことは間違 いない。「規範を ,之 を発生せ し めた社会的 。政治的事情 と関連せ しめてT里 解Jす るのが す る清末官僚 の心理 と行動 の研究 に集 中 され たの も 先生 の研究方法であ り,そ れ│ま『国際法大綱 吐)』 のおび ただ しい註の数 によ く現われている。 しか も先生 の註は 頃私達 の共通 の恩 師植 田捷雄先生が坂野大先輩 を最 初 , , 幼少 期 の体験 が反映 して いたのか も しれ な い。 1952年 に紹介 して くだ さった時 ,「 国 際 法 をやれ と言 ったの 読んでいて実 に面白か った し,そ れに惹かれて外交の歴 史を研究 してか ら読み直す と,簡 に して要を得て いるの に心理 学 で外交史 をや ろ うと して い る人物二 と言 って 大笑 され た。 しか し坂 野先生 は ,心 理学 だけではな く に驚かされるとい う類 いの ものであ った。 そ うした研究方法は ヨーロ ッパ で外交 に関する学問が 先生 の 代表作『近 代 中 国 外 交 史 研 究 』 (岩 波書 店 出現 した1-七 世紀か ら十 八 tt紀 にか けて ,も っとも基本 に ,政 治学 ,経 済思想 ,文 学 などあ らゆ る分野の古典 , 1970年 )の 「あ とが きJで 自 ら明 らか に しているよ う たのである.条 約 と,そ れがどのよ うな 的な ものとされ′ 的名著 を読破 してお られ る。 ヒ ´か も読 まれ る時 に│ま 背景 の 下でどのような取 り引きによ r)で 作 られたかを研 究するのが ,外 交を理解する王道 と考え られ た し,ヨ ー 能 な限 り原典 で徹底 的 に読 まれ たこ その学識 の 豊か な ロ ッパ の秀れ た外交官 はそのよ うな訓練 によって作 られ た。 しか し先生 の最大 の特徴 はなん とい って もその厳 │■ ことは浅学 の私 に とって まぶ しい くらいの ものであ っ た。 密 な史料考証 にあ った。特 に清末外交史 の 製 本 史 料 それにもま して田岡先生 の生 き方が ヨーロッパ 的 であ 『等辮 夷務始末』を読み こな して中国最 句の近 代的外 った。先生 ほど,自 分 の研究や発言が他人 にどう受 けと られ,る かを気にせず ,自 らの研究 と判断力 にすべてを託 交機関 1総 理衛 門 された人を私は知 らない。 昭和 十二年 に出版 された『空 襲 と国際法』 は,軍 事的必要 の考慮 のみによって動か さ yα 777`″ │の 設立過程 を解 明 したεカル7α α,2′ 2θ ル 7θ ∫′ 1858∼ 1861:rttθ O″ lgノ ″sOブ レ′ ′ ttι `71gノ (Httvard University Press, 196411ま ,匡 │ 際的 に も高 く評価 され る不朽 の名著 とい う ことが でき れる人 々が増え始 めていた時代 に燦然 と輝 いてい る。戦 よ う。理事 や評 議員 とい ったよ うな ものに就 くことを 後 に書かれた『国際法 Lの 自衛権 』もそ うで,先 生は時 代の風潮に流 されたような法律概念 の拡張解釈を厳 しく 好 まれず ,本 学会 で も常 に縁の下の力持 ちにな ること に終始 され たが ,そ の学恩 を こ うむ った 会員 │ま 数多 い。 ここに心か ら哀悼 の意 を表 したい。 排斥 された。 私 にとっては1960年 の日米安保条約 の改訂 に際 して 先生か 1日 条約よりも新条約 の方 かまだ秀れていると して , , 改訂 に賛成 された ことも深 く印象 に残 っている。それは 当時の 日本の学界ではや り易 いことではなか った.こ う <お 知らせ> した ことには もちろん勇気がいったが ,私 はそれ以上に スタイル と誇 りの産物 であったと思 う。世 の大勢に流 さ 最近 ,当 学会 と海外 との交流が さまさまな レベル で活 発化 しつつあ りますので,国 際交流委員会 を拡充 し,次 のメンバ ーで運営 されることにな りま した。 れるとか ,そ こまでいかな くて も気を使 うといったこと 細谷 千博 (主 任), は,先 生 には恥づか しくてできなか ったのである。 中嶋 嶺雄 , -4- 百瀬 有賀 宏 貞 , 学会 活 動 報 告 倉1立 30周 年 記 念 事業 の 進行 状 況 に つ いて (1985年 7月 ∼10月 ) (記 念事業関係は別欄 に掲載) 運営委員会開催 (金 沢 スカイホテル) 10月 19日 -20日 1985年 度秋季研究大会開催 (金 沢大学), 出席者約 240名 。懇親会出席者約 130名 。 10月 18日 学会創 立30周 年記念事業の実施 も9か 月余 に迫 りま し た。そこで準備の進行状況を随時 この『 ニ ューズ レター』 でお知 らせすることに します。 a シンポジウム 1986年 9月 5□ ∼ 8日 の横浜国際 10月 19日 機関誌『国際政治』第80号 を配布 10月 19日 理事会開催 (金 沢大学) 会議場 における開催が確定 し,神 奈川県か らも援助を受 ける ことにな りま した。現在 サブ・ テーマ と,日 本人・ 外国人報告者 の人選が固ま りつつあ り,次 回の『 ニュー 10月 20日 運営委員会開催 (金 沢大学) ズ レター』 には ,そ の概要 を発表する予定 です。またこ れ と並行 して第 1日 ∼第 4目 の具体的 日程をお知 らせ し 出席希望者 のア ンケー トをお こないます。 海外 交換論 文 の決 定 , b.式 典 と講演会 86年 10月 1985年 度 の ,外 国学会 との交換論文候補作が次のよう 18日 に青山学院大学 の会 に決定をみま した。 BISAへ の推薦論文 場 で開催する予定 で ,午 前中に式典 と記念講演 ,そ して 当選論文受賞式 ,午 後 に外国人の講演 2∼ 3を 計画 して いますG現 在 K」 Holotiと 野村昭夫「l■l際 経済体制の変化 とその展望 一― 相互 依存の変化の視点か ら一-1(『 国際政治』76号 ) Susan strange両 教授 の講演が決 ま っています。 なお第 2日 は通常の秋季研究 大会をお こな う予定 です。 C 募金活動 学会員 にお願 い してい る募金は10月 現 で 在 431□ 215万 円余です。 その後や ヽ伸 び悩んでお り ますので,12月 に中間報告 (第 1次 )を 兼ねて再度の依 頼状を発送 しま した。他方 ,学 会員外の企業その他 にた ISAへ の推薦論文 信夫隆司 「中国が締結 した二国間条約 の数量国際 政治学的考察 J(『 国際政治』78号 ) 編集委員会 だよ り いす るお願 いは85年 11月 か ら実質的 に開始 しました。 d.記 念懸賞論文 1986年 3月 31日 が期限です。でき るかぎ り優秀 な多 くの応募論文を期待 してお りますので 各研究会分科会責任者 にも協力・ 推薦 を依頼 してお りま 主任 編集冨」 , す.詳 細 は『ニューズレター』第32号 を御参照 Fさ い。 黒 柳 米 司 先の秋季大会 に際 して『国際政治』第80号 1現 代の軍 縮問題 │(本 村修三会員責任編集)を 配布 いた しま した。 ひきつづ き,第 81号 「ソ連圏諸国の内政 と外交 (伊 東孝 之会員責任編集)の 印刷工程が進行中で ,1986年 1月 に 〔 備考130周 年記念事業 委員会組織 配本の予定 です。 なお ,第 86号 (1987年 9月 刊行予定)の 編集責任者 で [糞 [湾 :i印 峯 皇 丼 巽 f田 T貢 曇 禽 あ った田北亮介会員は ,事 情 により辞任 され ,代 わ って 石川一雄会員が同号の編集 にあたることになりま した。 秋季大会の際 に開催 された編集委員会 において ,『 国 国 際戦 略研 究 所 (II SS)研 究 員プ ログ ラム 国際戦 略研 究所 は ,毎 年約 10名 の研究員 を募集 して い ます。期間は ,通 常 10月 か ら次年 9月 までの 12カ 月以 内 際政治』の特集論文 とは別個に掲載 されるいわゆる「独 立論文 │に ついて ,以 下のよ うな基本方針が確認 されま した : で ,若 千 の生活費 と研究室 スペ ー スが提供 され ます。 テ 11,原 ーマは ,Sレ rυ ι υαι誌 11/12月 号 に毎年発表 され ,研 究者 121「 と IISSの 間 で と り決 め られ ます。 応募 の締切 は 毎年 1月 下旬 で ,研 究 プ ロポ ー ザル・ 研究計画・ 履歴書 ・ 推 υαι誌 11 薦者 の 氏名 などが要求 されます。詳細 は ,Sarυ じ /12月 号 を御覧 になるか ,下 記 に問 い合わ せて くだ さい。 Dr. Reinhard Drifte, Assistant Director, IIS S 則として 「独立論文Jを 毎号掲載する 独立論文Jの テーマは限定せず ,特 定の締切日も 設定 しない ; ; 稿枚数は 400字 詰 50枚 以内 (註 を含む); に)会 員か ら応募原稿は ,同 該分野の専門家 2名 による 13)原 厳正な審査を経て掲載の可否 を決定する。 会員諸兄姉 の応募 を歓迎 いた します とともに,審 査を ご依頼 いた しま した折 にはよろ しくご協力 くださるよう 23 Tavistock Street,London MFC2E 7NQ, , あ らか じめお願 い申 しあげます。 -5- 伊豆見元会員の協力を得 なが ら,よ リ ー 層活気のある分 科会活動を進めてまい りたいと思 いますので ,従 来 と変 研 究分 科 会 の近 況 ヨー ロッパ 国際政治史分科会 百 5月 18日 浜口 小国部会 宏 瀬 (津 田塾大学) 学 (国 学院大学 )「 フ ランス両大戦 間 期 東欧同盟体制 の軍事 的側面 ―軍事史文 書館 (ヴ アンセ ンヌ)の 史料か らJ 6月 15日 吉武 信彦 (慶 応義塾大学大学院 )「 デ ン マー クの同盟外交一 NATO加 盟初期 の 基地問題 を中心 と して J 7月 27日 菅原 淳子 (津 田塾 大学 )「 1878年 ブル ガ わ らぬこ協力をお願 いいた します。 なお ,昭 和 61年 の第 1い 1研 究会 を ド記 の要領 で実施 い ヽ た しますので,ご 関′ のある会員の積極的なご参加をお し 待ちいた します. 報告 :O Wolf M endl氏 (ロ ン ドン大学教授) 「西欧 と日本 にとっての安全保障上の共通課題 J ②伊豆見 元会員 (平 和 。安全保障研究所 ) 「チーム・ ス ピ サッ ト演習 と朝鮮半島情勢J 日時 :昭 和 61年 1月 27日 げ])午 後 3時 半∼ 8時 場所 :参 議院第 2別 館 2階 第 1会 議室 (連 絡先 :> 佐 藤 栄 一 リア公国の成 立に関す る一考察 J 9月 28日 〒 園子 (津 円塾 大学 大学院 )「 ラ トヴ 志摩 ィア共 和国臨時政府 1917-1920J 研究会 の通知 も しくは報告 を ご希望 の方 は ,下 記 にご 山 187 東京都小平 市津 田町 2-1-1 津 □塾大学国際関係学科 百瀬研究室気付 ヨー ロ ッパ 国際政治史分科会 小国部会 電話 0423-41-2441 政策決定・ 国際政治経済合 同分科会 渡 辺 昭 夫 (東 京大学) 921-2253 数 量政 治分科 会 連絡下 さい。 〒 電話 177練 馬 区大泉学園 2-30-6 本 吉 宣 (埼 玉大学) 数量政治分科会 の会合は ,主 として春 と秋の学会 の大 会 に行な ってお ります。最近の会合は ,本 年の 10月 20日 , 金沢での大会の分科会 の 1つ として行なわれ ,国 際的 な 公共財 について ,概 念の可能性 と若千の数理的な展開が た。また ,こ れまでも,政 策決定 の シ ミュ 議論 されま し´ レーション,ヘ ゲモニーの数理的 な分析などをとりあげ て議論 してきてお ります。 いわゆる「脱行動論 │が いわれてか ら,す でに10年 以 1985年 10月 20卜 J(■ )金 沢大学 において FI本 国際政治学 の 会 大会が開催 された機会をTl用 して ,石 井修会員 (広 上を過 ぎてお りますが ,本 学会 の会誌 『国際政治』 をは じめ ,数 量的 ,あ るいは数理的 な方法が使われる論文が 島大学)の 報告がなされた。石井会員 の報告は「アイゼ ンハ ワー政権 の通商政策 と日本Jの テーマで,こ の時期 の米国通商政策を互恵通商延長法 と対中国禁輸政策 の二 つの異なった側面か ら眺めなが ら,日 本 に対 して持つ イ 着実 に発表されて いますc今 後 とも,着 実 ,気 長 に部会 を持 っていきたいと思います。 名古 屋 国 際政 治史 研究会 ンプ リケーシ ョンを考察 した。 日本の経済復興 に腐心 し ていたアイゼ ンハ ヮー政権 は,司 時 に,対 中国禁輸政策 を日本 に強 いるという矛盾 に苦慮 して いたc報 告は ,大 統領以下 ,J.F.ダ レスその他の閣僚 の間での これ らの 問題 に対す る微妙な考え方 の相違や ,行 政府 と議会の関 係 などを ,最 近利用 II能 となった一次史料を使 いなが ら 検討 した。 田 茂 福 夫 (名 占屋大学) 当研究会が昨年来受 けた報告は以 下の通 りです。 (な お毎回の報告要 旨を月一回発行の『び じょん』に掲載) 第47回 (1984年 6月 6日 )ヨ ーロ ンパ共同体 の政治 ― 金丸輝男『 ヨーロッパ議会』を手がか りに一― (太 田正登 :愛 知学院大大学院) 薦 。他薦 )は ,渡 辺昭夫会員ま たは山本満会員まで中し出て ください。電話 ,葉 書 いず 第48回 (7月 4日 )ジ ョンソン大統領 の不出馬表明 とべ トナム戦争政策 (山 田敬信 :名 大大学院) でも結構 です。 第49回 (9月 12日 )K.Subrahmanyam, Ldι αれ Sc― υas,1982に ついて (吉 田修 :名 大 cげ y Pび sρ acι じ なお ,報 告希望者 (自 jι 安全保障分科会 大学院) )国 連平和大学長 カラソ氏 の講演を手 掛 りとして (草 間秀三郎 :愛 知県立大 ,松 下 洋 :南 第50回 (10月 17日 佐 藤 栄 一 (新 島学園女子短期大学 ) この度 ;安 全保障分科会の運営責任者が佐藤栄一から 山本武彦会員 に変わ りま したのでお知 らせ いた しますc 山大) 第51回 (11月 14日 6T )最 近 のベ トナム戦争研究 (福 田茂夫 :名 大) である。同誌 は 研 究 所 創 設 以 来 欠かす ことな く続 いて 第 52回 (12月 12日 )イ ス ラム にお ける社会 と社会 的精神 お り,す でに第 33巻 に及ん でい る。 これ には研 究所員 (ア ル タ フ・ ホセ イ ン :名 大大学院 ) 第53回 (1985年 1月 23日 寄稿 を求 め ,L■J際 問題 ,各 国事情 な どにつ いての研究 )ソ 連 の 世界平和戦 略 と日ソ共 産党会 談 につ いて (高 山英男 :名 大大学院 ) 第54回 (2月 27日 )中 川文雄 。松下 洋・ 遅野井茂雄 (共 著 )『 ラテ ンアメ リカ現代史 ■ ラタ地域 』 (山 川 出版社 田 , 拓殖 大学 の教 員だ けでな く,学 外 の各方 面 の研 究者 に も , 記事 を掲載 してお り,拓 殖 大学学生 や関係方面 に配布 し て い る。最近の特集 の テ ーマ は「 ラテ ン・ アメ リカ ,三 つの顔 J「 中束 の現状 J「 新 しい ソ連 Jな どであ る。 ア ンデス・ ラブ 昭和 60年 )を 一 読 して (野 また 「開かれ た大学 Jと して ,社 会 との交流 ,国 際知 隆 :愛 知県立大 ) 識 の普及を 目指 して ,毎 月 1回 研究所 にお いて 「公開講 。加藤正男著 『現代国際 座 Jを 開 いて い る。 これ には学外 の 専門家 を講 師 と して 政治 '40s∼ '80s』 (亜 紀 書房,1985年 )の 合評 (佐 藤 招 いて ,米 ソ関係 ,中 東情勢 ,ア ジアの近 代化 など ,種 信一 :静 岡大 ) 々の問題 につ いて 話を聞 いて い る. 第55回 (4月 17日 第 56回 (5月 22日 愛知県立大 )柳 沢英 二郎 )ア メ リカの国連論争 (草 間秀 二 郎 研究所 の 紀要 と して年 1回 発行 されて い るのが 「海外 : 事情研究所報告 Jで ) 第 57回 (6月 12日 )モ ス ク ワ・ 天津・ ダ ンツ ィ ヒー人戦 ,昭 和 61年 春 に第 20号 が 出 る予定 で あ る。 これ には研 究所 員 の研究 の成果 であ るア ジア ,中 前夜 の イギ リス外交 ― (佐 々木雄 太 :名 大 ) 第 58101(7月 10日 )1940年 の ヒ トラーの政戦略決定過程 東 ,南 北 アメ リカその他 の地域研究 の他 ,最 近 の号 では 「米・ ソ対決 ,中 国・ ベ トナ ム対 立下 にお ける東南 ア ジ 博 :名 古屋市立 大) 第 59回 (9月 18日 )柴 田三千雄 。木谷 勤著『世界現代 史』 (山 川 出版社 ,1985年 )の 合評会 (義 井 博 :名 アの現状 と問題点 Jな どの共同研究 の報告 を掲載 して い , と口独伊三 F■l同 盟 (義 井 る。 こ うした研究所 内におけ る海外情勢や諸問題 の調査 第601111(10月 23日 , 研究の他 ,積 極進取 の精神 にそ って海外 に活躍 し′ ,と り 古屋 市立大 ) )ア ン ドリュー・ M・ ス コ ッ ト著 (草 間秀 三 郎訳 )『 相互依 存 の ダイナ ミックス』 (南 窓社 1985年 )の 合評会 (福 │¬ , 茂夫 :名 大 ) わけア ジアの独 立と繁栄 の ため働 く青年 たちを生 み出す こ とを期 し,研 究所 は マ レー シア ,タ イ ,ネ パ ール な ど に若 い在外研究員 を置 き ,こ の よ うな人材 の育成 に資す 第 61回 (11月 20日 )フ ィッシ ャー論争 と西独歴 史学界 (滝 田 毅 :藤 田学園保健衛生大 ) る ことを 目指 して い る。 研 究機 関・研 究 プ ロ ジ ェク ト紹 介 海 外 研 究動 向 ウ ドロー・ ウィル ソン国際学術研究 セ ンタ ー 拓殖大学海 外事情研究所 杉 川 本 和 孝 (拓 殖大学海外事情研究所・非会員) 拓殖大学海外事情研究所 は昭和30年 6月 に創設された。 当時の矢野貞治総長執筆の設立趣意書は ,「 アジア的魂 に触れて ,ア ジア諸民族 の悲 しみ悩みを知 り,そ こに欠 山 恭 (青 山学院大学) 昨年 の 7月 か ら 9月 にか けて ,「 対外 文化政策 の比 較 研究 Jを 行 うため ,ワ シン トンの ウ ドロー・ ウィル ソ ン │]際 学術研究 セ ンター (The Woodraw Wilson ln_ ternatiOnal Center for ScholaIS)に 客員研究員 と し けて いるもの ,求 め られて いるものを探 り,ア ジアの貧 て滞在 した。同 セ ンター は ,第 28代 ア メ リカ大統領 ウ ド ロー・ ウ ィル ソ ンを記念 して ,「 学問研究 と政策 の掛 け 困 ,人 口過剰 ,耕 地不足 ,封 建性 ,植 民地性 など一切の 困難を克服 して ,ア ジアの 自立 と繁栄 のための建設方策 橋 の機能 を果 たす Jこ とを 目的 に ,1968年 ,連 邦議会 の 立法措置 によ って設立 され た学術研究機関 で ,フ ェ ロー を探求す る │と い う方向を明 らかに して いる。 シ ップ・ プ ログ ラムの実施 ,各 種研究集会・ 学術会 議 の こうした立場か ら,「 建学 の精神 に則 り,広 く内外 の 関係 と呼応 して海外事情および国際問題を調査研究 し 開 催 ,学 術 出版物 の刊行等 をその主 な事業 と して い る。 フェ ロー シ ップ 。プ ログ ラムは ,ま ず研究 テ ーマ を主 もって学術 の進歩 と日本の国益 ,地 域 の共栄 ,な らびに 世界 の平和 と発展に寄与するJこ とが研究所の目的であ 体 に ,世 界各地域 の 大学 ,研 究機関等 か ら客員研究員 を 年間40名 程度募集 し,こ れ らの人 々に奨学金 を与 え ,数 る。 力月 か ら約 1年 間 その テ ーマについて 自由 に研究 させ る ものであ る。客員研究員 の選考 は ,セ ンター内での予備 , 研究所 の活動 のひとつ は,月 刊『 海外事情 』誌の発行 -7- 審査 の 後 ,外 部専「 号家 によ って構成 され る選 考委員会 の 新 入 会 員 審査 を経 て ,「 1セ ンター理事会 の フェ ロー シ ップ小委員 会 によ って最終 的 (lo月 19肥 事会承認 岡1(拓 殖大学 ),金 大内 穂 (ア ジア経済研究所),小 城 l 行 われ る。 ) 子芳樹 (慶 応義塾大学大学院博士課程 ),小 杉 泰 (国 際 ウィル ソ ン・ セ ンター にお ける研究活動 は ,歴 史・ 文 化・ 社会研究 ,ロ シア研究 ,ラ テ ン・ アメ リカ研究 ,国 大学),小 林恵美子(大 阪大学 ),斎 藤 際安全保障研究 ,ア ジア研究 ,ヨ ー ロ ッパ 研究 ,ア メ リ カ社会 。政治研究 の 7部 門 を中心 に進 め られ ,フ ェ ロー 究所), 下田道敬 (大 阪大学大学院博士課程 ),車 谷 卓也 シ ップ・ プ ログ ラムを含 む総 てのプ ロ ジェク トの企画・ 士課程),滝 田祥子 (東 京大学大学院博士課程), 張啓雄 (大 阪大学大学院博士課程 ),朱 恵卿 (東 京大学大学院博 (東 京大学国際関係論 ),中 排 運営 は ,各 部門を担 当す るプ ログ ラム・ セ ク レタ リーの 仁 (国 士館大学), 長谷 川潤 (北 海道湧別高等学校),濱 下武志 (東 京大学 ),朴 龍 (朝 鮮大学校),平 間洋 一(防 衛 大学校),藤 井正博 (神 戸 責任 とな ってい る。 ア ジア部門が近年実施 したプ ロ ジェ ク トには ,エ ネ ルギ ー問題 ,人 工知 能開発 ,科 学技術協 力 ,日 本 の産業政策 ,中 国 の農業政策 ,韓 国 の経済開発 岡1(防 衛庁防衛研 山手女子短期大学),松 本重治 (自 由民主党本部事務局), , 南 ア ジアにお けるイ ス ラム教 とマル クス主義の葛藤等が 三 L貴教 (大 阪大学大学院博士課程),望 月敏弘 (嘉 悦女 あ る。 子短期大学),山 本真弓(大 阪大学大学院博士課程)。 ウ ィル ソ ン・ セ ンターにおける研究 活動 の動 向 と して 「 注 目され るのは ,ま ず第一 に ,従 来 の 地域研究的 Jア プ ローチの 占め る比重 が少 な くな り,代 って ク ローバ ル 以上 21名 (順 不同 ,敬 称略) 物 故 会 員 このた び ,下 記の会 員が ご逝去 され ま した。 つつ しん な問題意識の中か ら特定 の地域 に焦点が 当て られ るよ う にな って きて い る ことであ る。 日本 に関す る研究 に して でご冥福 をお祈 り中 し上 げます。 も,日 本 の政治 ,社 会 ,文 化を包括的 に取 り上げるの で 田岡良一 (1985年 5月 29日 逝去 ,京 都大学名誉教授 ,当 はな く,エ ネル ギ ー ,通 商 ,通 貨 ,安 全保障問題等 の特 学会顧 間) 坂野 正高 (1985年 7月 10日 逝去 ,国 際基督教大学大学院 定 の分野 にお ける 日本 の行動 を全地球 的 な視野 か ら分析 ンよ うとす る「機能主義的 J接 近方法が取 られ るよ うに ヒ 教授 ) な って い る。 栗本 弘 (1985年 10月 14日 逝去 ,東 海大学教授 ) 第 二に ,同 セ ンターで は ,ウ ドロー・ ウ ィル ソ ンの例 に倣 って ,学「Elq的 深みを もった研究 と一般的関心 とを融 編集後記 合 させ るよ うな研究活動 を行 う ことを 目指 してお り,基 礎研究 と応用研究 ,理 論 と実践 とい う既存 の枠組 を乗 り 越 えて ,人 類社会共通 の問題 について理解を深 め ,現 実 的 な解決策 を究 明す る ことに重点 を置 いて い る。 このよ 本年最初 の『ニ ューズ レター』をお届け します。今号 は ,85年 度秋季研究大会 の概況を中心 に編集 いた しま し た。 ベー ジ数 の関係 上,分 科会関連 の原稿数篇を次号掲 載 にさせて いただかさるをえませんで した。ご執筆 いた だい た会員の方 に,深 くお詑 び申 上げます。 うな学問研究 の実用性 の 強調 は ,ア メ リカ固有 のプ ラグ マ チズ ムの伝統 か ら生 まれて い る もの と思 われ るが ,わ tノ (文 責・ 伊豆見 ) が国の実 情 に比 較 して大 きな違 いが 見 られ る。 第 二 に ,ウ ィル ソ ン・ セ ンターでは ,学 術研究 の国際 <ニ ューズ レター委員会 > 化 ,特 に ,研 究者 交流 の推進 を重視 し,そ の拡充 強化 に 中嶋嶺雄 (正 ), 毛里和子 (副 ), 宇佐美滋 努 めて い る。1970年 の活動 開始以来 ,1司 セ ンターが 招聘 した内外 の研究者 は全部 で 900人 を越 え るが ,こ れ ら「元 ウィル ソ ン・ フェ ローJは , 伊豆見元 , 井尻秀憲 , 矢島文絵 (編 集事務 ) ,今 日,相 互 に人的 ネ ッ トワ 1986年 1月 10日 発行 ー クを形成 し,国 際的 な学術交流 の促進 に重 要 な役割 を 日本 国 際 政 治 学 会 ニ ューズ レター委 員会 果 た して い る。研究 の発展 は ,異 なる経験や思考 を も っ た人 々の間 の交流 によ って触発 され る こ とが少 な くな く , 国際的か つ学際的 な研究活動 は ,学 術研究 の特性か らし て ,必 要 か つ不 可欠 の要素 であ る.ウ イル ソン・ セ ンタ 〒 114 東京都北区西 ケ原 4-51-21 東京外国語大学 中嶋嶺雄研究室 内 Tel.(03)917-611l ex.322 ー での研究生 活 を振 り返 って ,わ が国 にお いて もこの よ 発行人 うな国際的 な学術研究 セ ンターを設置す る ことの重要性 編集人 中嶋 が改めて痛感 され る。 印刷所 東洋 出版印刷株式会 社 -8- 永井 陽之助 嶺雄