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環境行政の展開 - 東京都環境局

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環境行政の展開 - 東京都環境局
第4部
環境行政の展開
過去から未来へ
115
第
4
部
1
戦後東京の環境行政は、経済復興にともなって生じた公害に対する規制から始まった。それからすでに半世紀をす
ぎ、様々な経験を積んできている。そうした経験を着実に生かしていることもあれば、せっかくの試みや萌芽を、十分、
現在につなげることができずに来たものもある。今、20世紀の終わりにあたり、新しい世紀での環境行政の展開への
教訓を得るため、東京都の環境行政のこれまでを振り返る。
経済復興と公害規制
(昭和20年代∼30年代半ば)
東京都の環境行政が第一歩を踏み出した時期であ
いては、公害対策を一括して担当する部局がなかった
る。戦後の経済復興に伴い、工場からのばい煙、騒音、
ことも、実効ある対策を推進する上で大きな障害とな
悪臭への苦情が多く寄せられるようになり、スモッグの
っていた。
発生、工場排水による河川の汚濁、地下水のくみ上げに
よる江東地域の地盤沈下などが大きな問題となった。
これに対し東京都は、昭和24年(1949年)、他の自
治体に先駆けて全国初の公害規制法規として、
「東京都
工場公害防止条例」を制定した。工場からの騒音、振動、
粉塵、有臭・有害ガス、廃液などを規制対象にして、工場
の新設や設備変更の際に、知事の認可制度を導入した。
また、この条例は、学校,病院,水道源等に近接して工場
を設置することを制限したものであった。この条例以
外にも、街頭騒音の防止のために、
「騒音防止に関する
条例」(昭和29年)を、また主として都心部のビル暖房の
煙害防止のために「ばい煙防止条例」(昭和30年)を制
定するなど、公害への取組が開始された。
しかしながら、工場公害防止条例は、工場公害につい
ての基準を具体的に定めておらず、また、立ち入り検査
等を実施するための行政側の体制が十分ではなかった
ため、規制を徹底させて目覚しい効果を挙げるまでに
はいたらなかった。一方、ばい煙防止条例も目に見える
黒煙のみを対象にし、他の大気汚染物質については考
慮されていないという限界があった。
昭和33年(1958年)には、本州製紙の江戸川工場
に漁民が乱入するという事件をきっかけに、国のレベル
で「公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全
法)」
「工場排水等の規制に関する法律(工排法)」が定め
られた。しかし、水域指定や基準の設定が遅れたこと、
都に委譲された監督権限がメッキ業など中小企業に限
られたことなどから、排水規制の実質的開始は、30年
代の後半を待たねばならなかった。さらに当時、都にお
116
このように、この時期、公害対策の制度は一応つくら
れたものの、まだ不充分であり、経済成長に拍車がかか
り、東京への人口・産業の集中がさらに進行すると、規
制の効果は一挙に減殺されてしまった。
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
公害行政の体制整備・拡充期
(昭和30年代後半∼40年代終わり)
東京電力との覚書の締結
東京都公害防止条例の制定に先立って、都は、昭
和43年(1968年)、東京電力との間に「火力発電
所の公害防止に関する覚書」を交わした。当時を良
く知る人によれば、都は、東京電力との協定ができ
たことで、公害防止条例の実現性、実効性を確信し
たという。既存の火力発電所は、都内における亜硫
酸ガスの最多排出工場の一位と二位を占めており、
昭和30年代に入ると、東京への人口集中は加速し、
工場数も増加、東京の環境は目に見えて悪化していっ
適切な公害防止対策を立てることなく、大井の埋立
地に火力発電所を新設することは、公害防止条例
た。大気汚染物質は、石炭使用による黒煙から、石油燃
の制定を視野に置いて対策を進めている東京都に
料によるばい塵や硫黄酸化物へと変化し、加えて、自動
とって、認められないことであった。
車排出ガスによる窒素酸化物、炭化水素も問題化した。
当時、東京電力と東京都との折衝経緯は、逐一、
国のレベルでは、昭和42年(1967年)に公害対策基
マスコミに報道され、さながら公開論争の様相を
本法が制定された。これは後に批判の対象となった
呈した。結果として、覚書には、東京電力が亜硫酸
「経済発展との調和」条項を含むもので、規定内容は、
ガスの排出量を新旧火力発電所あわせて削減する
まったく不充分なものであった。
自治体が条例で先行していた個別の分野でも、法律
制定が相次いだが、これらも内容的には限界が大きか
った。たとえば大気汚染対策では、
「 ばい煙の排出の規
制 等 に 関 す る 法 律( ば い 煙 規 制 法 )」が 昭 和 3 7 年
(1962年)に制定されたが、対象施設の規模、規制基準
等が不十分であり、自治体が規制対象を拡大できる横
こと、低硫黄原油の使用の義務付け、東京都の立入
検査権、公開の原則、また監視役としての東京都公
害防止委員会の設置などに同意することを記載し、
締結された。
この覚書締結の後、都は東京ガスとも同趣旨の
覚書を結んだ。条例制定前に、規制の重要な対象と
だし条例の制定を認める条項が追加された。水質につ
なる相手方と、内容を先取りする形で協定を結ぶこ
いても、前記のいわゆる水質二法が定められていたが、
とで、実質的な公害防止の実現に大きな一歩を踏
指定水域の指定と水質基準の設定が遅れ、都内の全河
み出したといえる。
川(境川を除く)が指定水域となったのは昭和42年
(1967年)であった。
先駆的な覚書を締結できた背景にあるのは、社
会的な同意であり世論の支援である。東京電力との
この時期は、法律の整備は一応行われたものの、国の
覚書に関しては、東京電力側の公害対策に対する理
施策では、当時深刻化していた公害を防止することは
解も大きな要素であった。しかし、その論争が公
できず、東京都が独自に積極的な施策を展開した時期
であった。東京都は、汚染発生源に対して法律より厳し
い排出削減を求め、昭和43年(1968年)、東京電力と
の間で大井火力発電所に関する公害防止協定(覚書)
開でなされ、それに都民が注目するという構図がな
ければ、東京都は交渉力を得ることができなかった
だろう。
を結んだ。次に東京ガスとの間でも同趣旨の覚書を交
わすなどの、積極的な行政指導を進めた。
117
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
東京電力との公害防止協定の成立という成果を踏ま
え、昭和44年(1969年)には、量的、質的に拡大した
公害問題に対処するため、公害関係の既存3条例を統
合し、公害行政を体系的に整備する「東京都公害防止
条例」を制定した。この条例の制定は、自治体の総合的
な公害対策法規の先駆けとして、全国的にも大きな意
義があった。
東京都公害防止条例は、法律の規定が不十分である
ため、都独自の施策が必要であることを明確にし、自治
体の条例制定権の徹底した活用により制定したもので
あった。具体的な規定としては、先行した工場公害条例
における工場・事業場の認可制度を継承し、認可対象を
その他の作業場等にまで拡大した。また、法律よりも厳
しい燃料基準、設備基準の設定などを制度化した。この
条例の制定は、他の多くの自治体での公害規制条例の
策定や、国の法律改正、制定にも大きな影響を与えた。
昭和46年(1971年)には、分野ごとの目標を明ら
かにし、発生源対策とともに、関連施策を総合的、計画
的に実施するための長期的な総合計画として、
「都民を
公害から防衛する計画−1971」
(計画期間10年)を策
定した。この計画は、公害規制にとどまらず、道路・住
宅・下水道など都政全体を公害防止の観点から、総合し
ようとしたところに重要な意義がある。その他、この時
期には、昭和47年(1972年)の「東京における自然の
保護と回復に関する条例」の制定など、自然保護の分野
でも、基礎的な制度の整備が進んだ。
この時期のもうひとつの画期的な環境関係の施策と
して、51年度排ガス規制の実施に向けての活動がある。
昭和47年(1972年)、中央公害対策審議会から段階的
自動車排ガス規制が答申された。しかし、石油ショック
が事態を転換させ、自動車業界からの反対により51年
度規制の実施を長期間延期しようとする国の動きが顕
在化した。これに反対して、東京都を含む7大都市首長
懇談会は、調査団を組織し、51年規制の達成が技術的
に可能であるとの結論を得て、環境庁長官にその完全
実施を要請した。その結果、2年は延期されたものの、
排出ガス規制は、53年度から実施された。
118
公害対策から環境保全対策へ
(昭和50年代)
2度の石油ショックを経験し、経済の安定成長期を迎
大気汚染に関しては、工場・事業場からの総量規制が
えたこの時期、都外への工場移転の効果も相まって、そ
実施され、汚染物質の排出はかなり削減された。特に硫
れまでに見られたような公害現象は改善されていった。
黄酸化物は昭和45年(1970年)以降は減少傾向をた
しかしながら、東京への産業その他の機能集中は、止ま
どった。これに対して問題化したのが二酸化窒素など自
ることなく続いており、それにともない環境問題も多様
動車を主な発生源とする大気汚染である。国の排出規
化し、複雑化していった。
制は、昭和48年(1973年)から実施され、段階的に強
東京都では、この時期に、これまでの実績をもとに、
化されたが、ディーゼル車への緩い規制など、問題が多
より総合的な環境保全対策の展開が意図された。その
く、東京都は国に対し、規制の強化を働きかけてきた。
代表例が環境アセスメントである。アセスメント制度設
水質汚濁についても、河川の水質が大幅に改善して
立の背景には、環境問題の解決には、すでに発生してい
きたことに比べ、東京湾の水質改善は進まなかった。昭
る公害の除去だけでなく、環境悪化を未然に防止してい
和53年(1978年)の水質汚濁防止法の改正で、総量規
く対策が重要であるという認識が高まってきたことが
制方式が導入され、東京湾に流入するCOD量は大きく
ある。国では何回かアセスメント法の立法が試みられ
削減された。しかし、富栄養化状態は続いており、1都
たが、最終的には閣議決定で、各省が要綱により部分的
3県2市で統一した窒素、りんの削減指導などを実施し
に実施するにとどまり、法律制定にいたらなかった。し
ているが、現在に至るまで、なかなか効果が上がって
かし、都では昭和55年(1980年)に、いち早く環境影
いない。また、この時期から有害化学物質等による地下
響評価条例が制定された。
水等の汚染が問題となっている。
119
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
総合的な環境管理の推進
(昭和60年代∼)
東京都の環境問題は、依然、自動車による大気汚染、
水質改善の足踏み状態、自然環境の喪失など、多くの課
題を抱えている。こうした環境の課題に対応するには、
従来の公害防止という観点だけでは効果が望めず、より
総合的な環境管理が必要になっている。また、市民の環
境意識の高まりを反映して、環境に対する考えも多様化
し、自然・歴史環境の保全や、景観等への関心が高まっ
てきた。
これらの動きを背景に、東京都は、昭和62年(1987
年)、東京都環境管理計画を策定し、施策の体系化をは
かった。一方、地球環境問題への関心の高まりは、都の
施策にも反映され、新たに省資源や省エネルギー問題
等に対応し、環境への負荷の少ないまちづくりを実現す
ることで地球環境の保全に貢献するため、平成4年
(1992年)に、環境管理計画を改定した。
国では、平成5年(1993年)、環境行政の総合的かつ
計画的な推進を図るため、環境基本法を策定した。東京
都は、これを受けて、また、多様化、複雑化した環境へ
の 要 望 に も 積 極 的 に 答 え て いくた め に 、平 成 6 年
(1994年)、東京都環境基本条例を制定し、その計画的
推進のために、平成9年(1997年)に「東京都環境基本
計画」を策定した。
120
東京都の環境行政を振り返って、最もドラスティック
な施策が展開されたのは、第2期の後半、昭和40年代
である。この時期に制定された「東京都公害防止条例」
と「東京における自然の保護と回復に関する条例」は、
ともに当時の国の環境行政をリードする先駆的なもの
であった。両条例とも、制定以来、東京都の公害・環境行
政の中核として重要な役割を果たしてきた。
この時期にこのような先進的な政策を形成し、国と
対抗してまで東京都独自の条例制定を進めることを可
能にしたものは何だったのだろうか。
都民の支援
第一に、その時代の社会的意識、都民の支援が大きな
の後押しは、東京を含む7大都市調査団の担当者を力づ
意味を持ったであろうことは想像に難くない。公害の脅
けるだけでなく、国に要請を行う段階で、少なからぬ影
威を身近に感じた都民が、その防止のための政策に有
響を及ぼしたと考えられる。また、公害防止条例の制定
形無形に支援を与えていたからこそ、短期間で大きな
に先立つ東京電力との公害防止協定の締結では、覚書
施策展開が可能になった。
の成立までの経過とやり取りが逐一報道され、都民監
たとえば、自動車排出ガス51年規制の完全実施を国
視のなかで公害防止計画が提案され、合意が成立した。
に求める活動は、多くの住民運動団体の間に広まり、大
規模な要請活動が行われた。こうした都民からの施策へ
121
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
政策形成能力
第二に、行政側の政策形成能力の強化があげられる。
との協働作業で、東京都の組織が活性化し、職員と研究
当時の公害局は設立して日の浅い若い組織であったが、
者のよりよい相乗作用が生まれたことが指摘されてい
そこでの政策形成は、多くの活発な議論のもとに進め
る。
られた。また、東京都公害研究所が設立され、さまざま
な専門分野の研究者が集められた。
122
政策形成能力を強化する上では、海外情報の積極的
な取り込みと活用も大きな意味を持った。公害研究所
公害、環境問題は、ひとつの分野では収まりきれない
は、公害防止技術という点で、先進的な技術を持つ海外
多くの分野を含むものである。大気汚染の規制を検討
の情報を積極的に収集するとともに、研究結果の発表
するにも、汚染のメカニズムを知る化学者、規制の経済
は英語版も作成し、英語による発信を心がけたという。
効果を調べる経済学者、条例を作成するための法律の
当時のアメリカへの調査団派遣は、多くの環境関連の知
専門家、自動車エンジンの技術がわかる機械の専門家
識、技術を得るきっかけになった。光化学スモッグが
が必要である。この時期には、東京都の施策形成を支援
発生した際、当初原因がわからずその対応に苦慮して
する、多様な専門家集団が外部にアドバイザーとして存
いたが、調査団が訪れたロサンゼルスが同様のスモッ
在していた。彼らの存在は、都の政策形成において、非
グを経験しており、そのときの情報が原因を究明する端
常に大きなメリットであり、こうした外部の専門家集団
緒となったといったエピソードもある。
環境と経済
環境に良いことは経済にも良い
戦後の環境行政の歴史を振り返ると、環境と経済
環境対策は、被害が生じる前に予防的に行えばコ
の関係について様々な議論がなされ、この議論の行
ストは低くて済み、
その支出は決して不経済ではない。
方が、環境行政のあり方に大きな影響を与えてきた
むしろ、最近ではPPP原則 ※の浸透から、十分な予
ことに気がつく。これからの環境行政の展開の中で
防をしていない企業にとっては、環境汚染を除去す
は、
「環境に良いことは経済にも良い」という認識を
る費用等の環境問題のリスクは非常に高いものとな
持つことが大切である。
っている。したがって、ダメージを未然に防ぐ、ある
アメリカ環境庁(EPA)では、大気浄化法(Clean
いは緩和するための環境保全・対策コストは、リスク
Air Act)の費用対効果分析を行っている。これによ
を回避する意味で、経済不況の中にあっても積極的
れば、大気汚染を防止する施策の効果は、健康影響
に支出されるべきであるし、そうした考え方が定着
の減少、農産物の被害の回避などから、2010年1
してきている。
年間で260 億ドルから2700億ドルの範囲に見積
また、省エネルギー関係の支出のように、先行投
もられ、中間推計値は1100億ドルである。一方、施
資をしても、その後のエネルギー費用の節約といっ
策を実施することによってかかる費用は、2000年
た還元により、ある程度の期間をみれば、経済的に
の段階で約190億ドル、2010年では、約270億ド
プラスとなる環境対策もある。さらには、世界中が
ルと計算される。この結果、1990年から2010年
環境配慮技術を求めている中で、率先して投資をし、
までの累積の利益(便益から費用を差し引いた金額)
先端的技術を開発、提供していけば、国際的な競争力
は、5100億ドルにのぼるという。
がもたらされるということも、多くの事例が証明し
ている。
(写真撮影:熊谷 正)
※ PPP原則(Poluter Pays Principle):汚染者負担の原則
123
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
環境と経済
環境ビジネスの興隆
他方、環境関連ビジネスの市場も大きく膨らんで
を設置する住宅が急増している。太陽熱を利用した
いる。従来から、公害防止装置、技術の分野では、日
温水器は370万台普及しており、太陽電池を設置
本は先進的な地位を占めているといわれている。
した施設は220万戸に上っている。その他、新エネ
1970年マスキー法に基づく自動車排ガス規制がア
ルギーやリサイクル、緑化、環境コンサルティング
メリカで実施されようとしていたとき、先陣を切っ
など、様々な分野に環境ビジネスは拡大しており、
て技術を完成させ、基準を達成したのは、日本のメ
その市場も膨大なものとなっている。
「良い環境は、経済にもいい。Good Environment is
good for Economics」
とは、オックスフォード大学マイアーズ教授の言葉
である。環境ビジネスが興隆している現在、環境対
策を進めることで、日本の経済成長がさらに落ち
込む、あるいは特定の企業が苦境に立たされると
は考えにくい。むしろ、環境施策からの制約や、研究
費の投資によって、環境関係の先端技術が進展し、
世界市場でも競争力の高い産業が生まれる可能性
が大きいのではないだろうか。
ーカーであった。その技術によって、アメリカ市場を
席巻することになった経緯は、まだ記憶に新しい。
現在、公害防止、環境装置市場は、大きく伸びてき
ており、全国では、1兆4,697億円に達している(図
表4-1:環境ビジネス市場の伸び)。さらに、1996
年に閣議決定された「経済構造の変革と創造のため
のプログラム」では、今後の環境産業の将来展望と
して、2010年の雇用規模は140万人程度、市場規
模は37兆円を見込んでおり、現在の2倍以上の伸び
を予測している。
また、近年では環境共生がマンションの重要なセ
ールスポイントとなったり、個人住宅でも太陽電池
図表4-1 環境ビジネス市場の伸び
(億円)
16,000
騒音振動防止装置
14,000
ごみ処理装置
水質汚濁防止装置
大気汚染防止装置
12,000
10,000
8,000
6,000
4,000
2,000
0
1976
1980
1985
(資料)社団法人日本産業機械工業会
124
1990
1995
1998(年度)
2
東京の環境行政は、いま新たな飛躍の時期を迎えている。石原知事は、平成12年の都議会第一回定例会での施政
方針の中で、
「今後、東京の経済、社会の仕組みを、持続的発展が可能な環境優先型につくりかえていくため、東京から
の環境革命を全面的に展開していく」と述べている。東京が直面する環境の危機に挑むためには、従来からの延長線
上には留まらない、思い切った政策の展開、すなわち「環境革命」の展開が必要である。
昨年8月から展開している「ディーゼル車NO作戦」は、まさに環境革命の第一弾としての意義を持つものである。
東京都の取り組みは、全国に大きな反響をよび、ディーゼル車排出ガスの新長期規制の前倒しを実現するなど、既に
国と産業界を動かす巨大な役割を果たしている。環境白書2000の最後に、都の環境行政のこれからの展開にあたっ
ての基本的な視点を確認しておこう。
都民の健康を守る
環境の危機の核心は、都民の健康への危機である。特
集で紹介したディーゼル車排出ガスがもたらす大気汚
染による健康被害は、今もっとも緊急な対策が必要な
ものだが、それだけではなく、有害化学物質による環境
汚染、オゾン層の破壊など、都民の健康に影響を与えか
ねない環境問題が多く存在している。
都民の平均寿命は、かつて高い生活水準を背景に全
国でも最長寿を誇っていたが、80年台以降、相対的に
低下してきている。もう、東京での生活は、人がうらや
むような健康的な生活とはいえなくなっている。都民の
健康という環境問題の核心部分に、黄色信号がともって
いる現在、私たちは、身の回りの環境の状態を再検討し、
その健康への影響を真剣に考えなければならない。
環境が及ぼす健康への影響は、因果関係としては明
確に捕らえにくく、それが完璧に証明されるまで対策が
行われなければ、健康被害は取り返しのつかないところ
まで広がってしまう可能性がある。
今こそ都民の健康を第一に考え、予防原則のもとに、
環境保全施策をとることが必要である。昨今では、企業
が環境汚染の予防対策に取組むことが、環境リスクを
避ける合理的行動と評価されるようになっている。環境
行政が、都民の健康問題を前面に据えて、事前対策に取
組むことは、それにもまして、必要不可欠である。都民
の健康を守ることを、東京の環境政策を考える際の原
点とすべきである。
125
第4部 環境行政の展開:過去から未来へ
環境情報の公開・提供と
コミュニケーションの活性化
東京都環境基本計画では、市民、NGO、事業者、行政
れに関する情報を提供し活発な討論を呼びかけること
がパートナーシップを形成して、環境問題に取組むこと
で、各主体間のコミュニケーションが活性化し、その中
をうたっている。環境問題を解決し、持続可能な東京を
から新しい施策展開が実現してくる、という姿である。
実現していくためには、行政以外の様々な主体の協働が
ディーゼル車NO作戦の成果を踏まえ、情報公開と情
不可欠であるという認識に立っているからである。
環境革命の第一弾と位置づけられるディーゼル車
報提供を徹底し、コミュニケーションを深めることを、
これからの環境行政の基本としていく。
NO作戦は、パートナーシップの形成という点でも、そ
の具体的な形を提示するものになっている。 作戦の
一環として行われている「インターネット討論会」には、
様々な立場から多くの人々が参加し、専門的見地から
の提案や、生活に根ざした意見など、活発な発言が飛び
交い、都が施策を形成していく上での大きな力となっ
ている。
また、ディーゼル車NO作戦を開始して以来、東京都
には、ディーゼル車排出ガス浄化に取り組む企業、低
公害車の導入を率先的に進める団体などから、施策の
将来動向を見極めるために重要な技術情報が提供さ
れている。さらに、海外で同様の自動車対策に取組む
都市や、国内外の専門家からも、先進的な取組事例や
海外でのディーゼル車排出ガス規制に関する最新の
情報が、頻繁に寄せられている。こうした情報は、都が
ディーゼル車対策を推進する上で、欠かせないものと
なっている。
ディーゼル車NO作戦に、このような多くの人々、団
体・企業の参加を得ることができた要因のひとつは、
多様な機会をとらえて不断に情報を発信し続けてきた
からであろう。これまでインターネット討論会に加え、
ホームページでの情報提供、論点を示す「グリーンペ
ーパー」の発行、公開討論会、ウオーキングツアーの開
催など、積極的な情報提供を進めてきた。特に、インタ
ーネットの発達により、双方向の情報交換が、より容易
に、低コストで可能になったことの意義は大きい。
パートナーシップという言葉は、最近、各所で多用さ
れているが、その意味合いは様々で、時に不明確である。
しかし、ディーゼル車NO作戦は、環境政策の展開にお
けるパートナーシップの一つの具体的なあり方を示し
ている。すなわち、行政側が明確な問題提起を行い、こ
126
条例制定権をよみがえらせる
東京都は、今年、
「東京都公害防止条例」と「東京にお
ける自然の保護と回復に関する条例」の30年ぶりの大
改正を予定している。この二つは、前に見たように昭和
40年代に制定された、全国に先駆けた先駆的な条例で
あった。
第2部で見たディーゼル車の排出ガス規制の実態に
代表されるように、国の法規制だけでは、東京の環境の
危機を克服することは望めない。都民の健康を守るた
め、安全な生活環境を回復するため、また東京の自然を
回復し豊かにするため、今、東京都はその条例制定権を
徹底して活用すべき時期を迎えている。国の法制度を先
導していく都独自の仕組みや、全国一律の法制度では対
応しきれないものについて、東京の地域特性を踏まえ
た仕組みを作り上げていく。
都政の中心に環境をおく
将来にむかって持続可能な東京を実現するという目
平成12年(2000年)2月、東京都は、新宿庁舎にお
標を達成するには、都政全体が変わらなければならな
いて、ISO14001の認証を取得した。その他の都の事
い。施策の立案や実施において、環境への影響を考える
業所でもISO認証を取得するところが増えてきてい
という行政スタイルを、都政の隅々にまで浸透させる
る。ISOは、認証取得がゴールではなく、認証取得後の
ことが必要である。現在でも東京都環境基本条例には、
環境マネジメントシステムの運用こそが、その真の目
「都は、環境に影響を及ぼすと認められる施策を策定し、
的である。その意味で、いま都庁は環境自治体にむけ
及び実施するにあたっては、環境基本計画との整合を
てのスタート台に立ったといえる。これを契機に全て
図るものとする」との規定を置いており、その一層の徹
の分野で、環境配慮を優先させる都政を実現していく。
底を図っていく。
ISO登録証
127
Fly UP