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月の音色である「古賀メロディー」
「 昭 和 歌 謡 」 を 代 表 す る 作 曲 家、 ▽石原さんと同年齢で 古賀政男さん(故人)の作った曲の のどにカミソリの刃を当て らだを癒すメロディーと 傷ついた日本人の心とか 新後の「太陽の季節」で いいと思います。明治維 月の音色、月のメロディーと言って と呼びます。 「古賀メロディー」は カーが「ピュー」と笛を鳴ら 屋」と呼ばれた小さなリヤ の煙管を修理清掃する「ラオ 雨がしとしとふる夜、たばこ て」 。当時住んでいた下宿で 込んで作った詞が「影を慕い そのときの思いをすべて注ぎ 数々を総称して「古賀メロディー」 ました。しかし、死にきれず、 して大衆に受け入れられ しながら通っていくのがやる ね い ろ ていったのではないかと せなく聞こえ、それをギター の 音 に 変 え た と こ ろ、 メ ロ 「影を慕いて」を 代前半の若者が ます。そしてその哀歌を代表する ありますが、基本は哀歌だと思い 大作と古賀さんの「影を慕いて」が めたのも昭和4年です。藤村のこの が「 夜 明 け 前 」 の 連 載 を 雑 誌 で 始 象徴しています。石原慎太郎さん 作ったことが時代の空気や精神を 古賀さんの「影を慕いて」は、太陽 は、同じ時代背景があると思います。 同時期に世の中に送り出されたのに の強い日差しの中で傷ついた日本人 が「太陽の季節」を発表したのも 歳で大学生でした。 のからだと心を月の光で癒そうとし た気がします。 各地の墓地で日露戦争(一九〇四 一 ―九〇五年)に出征し戦死した兵 士たちの慰霊碑をよく目にするので すが、日本は明治維新後、植民地化 を免れるためにたくさんの身内や友 人を犠牲にし、心とからだを傷つけ た人たちがたくさんいたのだと思い ます。 「嘆き」好きの日本人(シリー ズ 参照)には、哀しみに満ちたメ う題名の歌であることが けが「影を慕いて」とい たたくさんある曲の先駆 はじめ、古賀さんが作っ していた当時の人気歌手、佐藤千夜 ▽「夜明け前」と同時期 ギター合奏曲として発表しま ドリン倶楽部の定期演奏会で は、千曲市羽尾地区(旧更級村)在 子さんがレコードにすることを古賀 「影を慕いて」が大流行したのは、 古賀メロディーに関心を持ったの した。演奏会にゲストで出演 古賀さんが自ら命を断とうとするま ぬわが想い」と続き、こ 詞はさらに「月にやるせ した。藤山さんの声によって、古賀 藤山一郎さんが歌うと大ヒットしま ですが、後に国民的流行歌手となる 国に追いつけて追い越せと日本が文 暗い世相は明治維新後、欧米列強諸 ロとして製作を続けています。上水 製作コンテストで優勝し、現在はプ 二〇〇五年の全国アマチュアギター 景にあるのは間違いありませんが、 お つ き あ い か ら で す。 上 水 さ ん は あみげず・きよし ▽風月会の棚田バンド 月夜」 「見ないで頂戴お月様」…。 辺」 「月夜椿」 「月夜の恋」 「 「ギター も月がたくさんあります。 「月の浜 象 徴 的 で す。 「まぼろし さんに勧めました。佐藤さんが歌っ の曲のタイトルにある 化、軍事面ともに「太陽の季節」で さんは一九四五年生まれで、青年期 さんのギター歌曲の魅力が世に広 突っ走ってきた結果の、社会現象で を古賀メロディーとともに過ごしま 「影」は明らかに、月の光 古賀メロディーには「丘を越えて」 もあったのではないかと思います。 した。作るギターの多くはクラシッ まったわけです。 たものです。 古賀さんは明治 (一九〇四)生まれ。この 111 曲を作ったのが昭和3年 原 点 は 昭 和 初 期 の 「影を慕いて」 (一九二八)で、明治大学 の学生のときでした。古 賀さんの自伝「歌はわが 友わが心」の中で、この 歌ができたいきさつにつ いて記しています。 それによると、昭和の 初めは、政府の不適切な 金融政策で不況になって 失業者があふれ、中国で は日本の関東軍による ちょうさくりん 張 作 霖爆殺事件が起き戦 争、動乱への気配が濃く、 暗い世相が日本に蔓延していまし た。弦楽器が好きだった古賀さんは 明治大学に入ると、マンドリン倶楽 部を創設し音楽を楽しんでいたので すが、卒業を間近に控えた昭和3年 の夏、音楽では食べていくことも恋 も成就できない時代だと将来に絶望 ギ タ ー の 音 色 と は 違 い、 古 賀 メ ロ ディーを奏でるのに向いているそう です。 さ ら ん ど 上水さんは旧更級村地区の住民 」の グループ「更級人『風月の会』 結成に当たった発起人の一人で、コ ンサートや講演会など会の催しの企 画・事務局を担っています(シリー ズ 参照) 。古賀メロディーを本格 〒三八九‐〇八一三 長野県千曲市大字若宮一一八四‐六 (旧更級郡更級村) (代表・大谷善邦) 編集 さ ら し な 堂 発行 二〇一〇年 四月五日 す。 モニカを吹いているのが上水さんで 田バンド」の演奏風景。中央でハー のメンバーで結成した音楽仲間「棚 右の写真は、更級人「風月の会」 いたいと思います。 やっていません。いずれやってもら 的に取り上げるコンサートはまだ 61 37 し、宮城県川崎町の青根温泉で自殺 を図りました。 ク ギ タ ー で す。 い わ ゆ る フ ォ ー ク 年 「東京ラプソディ」など快活な歌も シリーズ で取り上げた島崎藤村 でできる影をイメージし した の/影を慕いて/雨に日 古賀さんの作った曲のタイトルに ないでしょうか。 調を帯び、余計、心ひかれたのでは ロディーがギターの音色でさらに哀 78 キ セ ル 思います。 ▽将来への絶望 ディーができたそうです。 20 住のギター製作者、上水清さんとの 23 でに追い詰められた、暗い世相が背 113 に…」で知られる歌です。 たレコードはあまり売れなかったの た「 柔 」 「 悲 し い 酒 」 を 翌年の昭和4年、明大マン 美空ひばりさんが歌っ 月の音色である「古賀メロディー」