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マイクロフィルム版 岡松 参 太郎 文書 原 本:早稲田大学図書館所蔵 「岡松家旧蔵文書資料」 8579 点 フィルム:35 ミリ ポジティヴロール 122 リール 目 録:『岡松参太郎文書目録』 解説・浅古 弘(早稲田大学大学院法務研究科教授) B5 判 820 頁 価 格:2,562,000 円+税 (目録のみ別売可。詳細はお問い合せ下さい) 本資料は、岡松参太郎自身が蒐集整理し保管していた資料であり、没後も約 80 年間、自宅書庫に研究者の 目に触れることなく保管されてきた、岡松参太郎とその父甕谷二代にわたる資料である。 幕末 ・ 明治を代表する儒学者 ・ 教育者の一人である父甕谷の資料の中には、中江兆民ら多彩な人材を輩出 した紹成書院関係の資料や「遺集第二集日記」などがある。参太郎に関わる資料からは、法学者としての参 太郎の足跡と、彼が深く関わった台湾の植民地統治 ・ 満鉄の創設の歴史を余すことなく知ることができる。 本資料には、法律学者、台湾旧慣調査会・満鉄関係者からの書簡、未公刊の論文原稿を含む著作原稿、ノー トはもとより、裁判所に提出した鑑定書の写し、台湾や法律取調委員会での法案の起草原稿、植民地統治に 関する政策立案の下書きや旧慣調査会の組織 ・ 運営に関する公文書の類からドイツの商品カタログや留学 中の請求書や領収書まで様々なものが残っており、法制史や法律学、植民地史に限らず、政治史 ・ 経済史 ・ 社会史 ・ 教育史 ・ 図書館史 ・ 技術史などの研究資料としても活用できる資料群である。 【収録概要】 分 類 資料数 リール数 金 額 分 類 資料数 リール数 A 岡松甕谷関係 112 4 ¥100,000 H 独商 ( カタログ類 ) 71 1 ¥25,000 B 書 簡 749 4 ¥100,000 I 拓殖関係 10 2,235 20 ¥500,000 J 欧州紀行関係 648 2 ¥50,000 544 8 ¥200,000 K ノート類 121 C 台湾関係 D 南満洲鉄道関係 E 裁判関係 201 4 ¥100,000 L 原稿・論文 F 大学関係 417 5 ¥125,000 M 弔事関係 28 G 立法関係 454 9 ¥225,000 N その他 631 L975-2 大調査機関設立ノ議(後藤新平著の冊子) L975-3 同上(岡松参太郎筆の草稿) 2,358 D2-2 金 額 15 ¥375,000 40 ¥1,000,000 10 ¥250,000 南満洲鉄道株式会社ノ性質 関東都督府官吏ノ性質 Y-08043 G.C.: 15362 (0821) 14-Jun 岡松参太郎文書の公刊について 早稲田大学図書館長 加藤 哲夫 早稲田大学図書館には、寄贈された多くの貴重な書籍、文書が存在します。これらの歴史的な価値 は言うに及ばず、なお現代における社会の方向性にもさまざまな面で少なからず影響をもたらします。 その意味で、このたび、岡松家より早稲田大学図書館に寄贈された岡松参太郎博士所蔵の書籍、文 書を雄松堂の協力を得て、このような形で公刊することにいたしました。岡松参太郎博士はわが国の 民法学研究の嚆矢であり精緻な研究の足跡は今日でもなお民法改正論議に参酌されています。また、 戦前における台湾の法制度にかかる研究にも多大な功績を残しています。このような貴重な資料を広 く公開し研究の用に供することは、大学図書館の使命と考えています。研究者のみなさんをはじめ多 くの方に活用していただければと念じています。 (右)D10-1 満鉄(保 3) 意見書原稿一ノ二 南満鉄道会社ノ性質 四〇年三月廿四日稿の袋 (左)D14-1 満鉄 意見書 原稿二 四一年 - 四三年の袋 C41-4-1 台湾ノ制度ニ関スル意見書 ■ 岡松参太郎 略歴 ■ 明治 4 年 (1871) 岡松甕谷の三男として延岡(現在の宮崎県延岡市)に生まれる 東アジアの「近代」を知る万華鏡のような史料群 明治 19 年(1886) 第一高等学校に入学 明治 24 年(1891) 帝国大学法科大学英法科に入学 東京大学大学院総合文化研究科 准教授 川島 真 明治 27 年 (1894) 卒業後大学院に進学。東京専門学校法律学科(現早稲田大学法学 部)で証拠法を講じ、東京法学院(現中央大学)などでも民法や 英法を教授 日本の近代そのものを、法や制度の側面から、また東アジア全体への空間的な広がりをもって深く考 明治 28 年(1895) 岡松家家督を相続 察することのできる岡松参太郎文書が、意を尽くした解説と、きわめて精緻な目録とともに、史料とし 明治 29 年(1896) 文部省より派遣され欧州へ留学(ドイツ・フランス・イタリア)。 民法・国際私法を研究 て広く研究者に利用されることとなった。 周知のとおり、岡松はドイツ流の法解釈を日本に紹介した京都大学の民法学者であるが、台湾の後藤 明治 30 年(1897) 『註釈民法理由』全 3 巻(上巻:総則編)(中巻:物権編)(下巻: 債権編)を刊行 新平民政長官に請われて臨時台湾旧慣調査会の活動に参与し、また後藤の満鉄総裁時代には満鉄の理事 明治 32 年(1899) 留学より帰朝、京都帝国大学法科大学開設とともに民法の教授に 任ぜられる。関西法律学校(現関西大学法学部)、京都法政学校 (現立命館大学法学部)講師を兼任。児玉源太郎台湾総督及び後 藤新平民政長官から台湾旧慣調査を委嘱される となり、東亜経済調査局を兼任するなど、幅広く活躍した。文書群の中には、ドイツ留学時代の法学関 明治 33 年(1900) 台湾に初赴任、旧慣に基づく台湾の諸法案の起草と審議を主導。 この台湾赴任中に『台湾旧慣制度調査一斑』、『台湾私法』など をまとめる なく、台湾史研究からも研究対象として注目されているが、この文書群は新たな研究領域を育み、また 連のノート、「法律第六十三号ニ関スル意見書」などといった台湾での法制整備の過程を示す文書、ま た満洲での満鉄附属地や租借地での制度設計を示す文書などがある。岡松は、すでに近代法制史だけで 定説に疑義を呈する上での豊富で画期的な内容を含むと言える。中でも後藤新平との関係は注目に値す C41-3-2 法律第六十三号ニ関スル意見書 明治 34 年(1901) 法学博士となる。臨時台湾旧慣調査会委員を仰せつけられ第一部長と なる 明治 39 年(1906) 清国、韓国へ派遣される 明治 40 年(1907) 後藤に乞われ、南満洲鉄道株式会社理事に就任、調査部を担当し、満 鉄創設期の政策立案に尽力。法律取調委員会委員を命ぜられる る。たとえば、従来後藤の意見書とみなされていた「大調査機関設立ノ議」が岡松の手によるものであ ることがうかがえる。 この史料の魅力はこれにとどまらない。未発表のものを含む、岡松自身の著作や論文の下書きなどと ともに、その父であり、昨今注目されている儒学者・岡松甕谷関連の史料、たとえば「文靖先生年譜」 に含まれない日記などがある。岡松家は、明治以 降、多くの著名な官僚を輩出する名家となるが、そ 明治 41 年(1908) 帝国学士院会員となる のファミリー・ヒストリーを考察する上でも重要な 大正 2 年 (1913) 京都帝国大学教授を辞す 史料となろう。このほか、明治期の留学を対象とし 大正 3 年 (1914) 南満洲鉄道株式会社理事を退官 た教育史、学士院研究等の近代日本学術史にかかわ 大正 5 年 (1916) 『無過失損害賠償責任論』刊行 大正 8 年 (1919) 中央大学教授に就任 大正 10 年(1921) 『臨時台湾旧慣調査会第一部蕃族調査報告書』『臨時台湾旧慣調査会 第一部番族慣習調査報告書』完結。 逝去(満 50 才)。『台湾番族慣習研究』刊行 る文書も少なからず含まれる。 以上のように、この文書群の可能性は万華鏡の如 きものであり、これを繙くことで、岡松という法学 者の周辺で展開した日本近代がうかがえるであろ う。今後、多様な分野の研究者に幅広く活用され、 C34-1 台(13) 第三草案 台湾親族相続令案 大正三年案の袋 また岡松自身の研究も進むことを期待したい。 N126 写真 台中事務所にて