...

Title 近世ロンドンの職業構造 Author 酒田, 利夫 Publisher 慶應義塾

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

Title 近世ロンドンの職業構造 Author 酒田, 利夫 Publisher 慶應義塾
Title
Author
Publisher
Jtitle
Abstract
Genre
URL
Powered by TCPDF (www.tcpdf.org)
近世ロンドンの職業構造
酒田, 利夫
慶應義塾経済学会
三田学会雑誌 (Keio journal of economics). Vol.90, No.3 (1997. 10) ,p.559(91)- 580(112)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19971001
-0091
「
三田学会雑誌」90巻 3 号 (
1997年10月)
近世ロンドンの職業構造
酒 田 利 夫
は じ め に
近 世 ロ ン ド ン の 急速な発展は,世界史上においても極めて ユ ニ ー ク な 発展であり,近年活発な研
究の対象となり, 英国における都市史研究のひとつの中心的な領域となっている。筆者は, すでに
最近の注目される研究を用いて, その人口, 経済および社会的側面について若干の考察を試みたが,
(1)
本稿は,近世ロンドンの職業構造について, より詳細な考察を加えることを目的とする。
(2 )
表1
□ ンドン各地域およびミドルセックスの人口1560〜 1800年
(単位千人)
南部
郊 外 .
年度
シティ
東部
郊外
北部
郊外
西部
郊外
1560
1600
1640
1680
80
100
135
105
10
30
90
140
5
20
50
60
5
10
35
65
10
25
45
65
100
400
1,000
1,200
100
200
700
1,300
100
250
450
650
ロンドン
ミドルセッ
クス農村部
30
85
220
330
110
185
355
435
25
30
40
50
100
285
735
1,100
100
170
325
395
100
120
160
200
27
46
62
76
100
100
100
100
郊外
計
増 加 率 (1560年を100とする)
1560
1600
1640
1680
100
125
170
130
100
300
900
1,400
ロンドン人口に占める比率 (%)
1560
1600
1640
1680
( 1)
73
54
38
24
9
16
25
32
4.5
11
14
14
4.5
5.5
10
15
9
13.5
13
15
酒田(
1 9 9 2 b /9 4 ); (1 9 9 3 b /9 4 );(1 9 9 6 )。尚,近年進展著しいロンドン史研究については, この
他, H arding (1995),酒 田 (
1 9 9 2 a /9 4 )お よ び 坂 卷 (
1 9 9 6 ) を参照。
( 2 ) Finlay& Shearer (1986),p. 45, T able 3 ; 酒 田 (
1 9 9 2 b /9 4 ),148 頁,表 7 - 2 。
9 1
(5 59 )
はじめに,筆者がこれまでに行ってきた近世ロンドンの人口と経済に関する研究のサーヴエイに
おいて, 当該期ロンドンの職業構造の考察のうえで極めて重要と思われる発見事実と論点を,繁を
厭わず繰り返し指摘しておきたい。
まず,近世ロンドンにおける急速な人口の増加について, 以 下 の 3 つの事実を確認しておきたい。
すなわち, 第 1 に, 1550年 - 1700年の150年間にイングランドの人口が301万人から506万人へと増加
したなかで,特にロンドンの人口増加は著しく, 表 1 に示されるように, 1560-1680年 の120年間に
11万人から43万 5 千 人 へ と 約 4 倍もの増加を示したこと。 第 2 に,特にロンドン市郊外における人
ロ増加はさらに著しく, 同120年 間 に 3 万人から33万人へと実に11倍もの増加を示したのに対して,
ロンドン市内,すなわちシティの人口は, 8 万 人から10万 5 千人へと僅かな増加にとどまり, とり
わけ1640- 80年間には13万 5 千人から10万 5 千人へと注目すべき減少を示したこと。第 3 に,かくし
て当該期のロンドンは, 図 1 に示されるように,物理的にも大きく拡大したのであり,特に17世紀
における東部および西部郊外め発展は極めて著しいものであったこと, 以上である4。
)
次に, 近世ロンドンのイギリス経済発展に果たした役割について,や は り 以 下 の 3 点について確
認しておきたい。 すなわち, ま ず 第 1 に, その発展が農村の発展に寄生するものとの従来の一般的
理解に対して, フィッシャーおよびリグリィが, 消費中心地としての成長促進的役割を評価する有
力な主張を行っていること。 第 2 に, さらにバイヤーが, 消費中心地としてのみならず,生産中心
Finlay (1981),p. 58, Figure 3.4 ; 酒 田 (
1992b/94), 47 頁,図 7 - 2 。但し,原図にあるブラック
フライア橋は,1760-99年に初めて架けられたものであり,削除した。
( 4 ) 酒田(
1992b/94) 。
(3 )
92
(5 60 )
(5)
表 2
ロンドンにおける製造業と商業
(%)
期
間
1540-1600年
職
業
ェ
業
商 業
そ の 他 c
計
1601-1700年
ェ
業
商 業
そ の 他 C
計
市 壁 内
52.9
28.2
18.9
100.0
( n = l,
277)
40.4
35.9
23.7
100.0
( n = 2,660)
市 壁 外
全 教 区 b
70.1
7.5
22.4
100.0
( n = 1,472)
21.6
20.0
100.0
74.3
12.6
60.6
22.0
13.1
100.0
( n = 12,742)
17.4
100.0
58.4
註 (a ) 職業の判明する者のみの比率である。
( b ) 全教区の比率は,市壁外および市壁内の人ロ比率の変化を考慮して加重修
正されている。
( c ) その他には,主として流通• 運輸業,サービス業,専門職および官職が含
まれる。
地としての役割を強調する注目すべき主張を行っていること。 第 3 に, この点に関して, 表 2 が示
すように,生産の 中 心 地 と し て は 郊 外 の 重 要 性 (
シティはむしろ商業中心地として重要)を指摘しうる
(6 )
のであり, その傾向は17世紀に一層深まること, 以上である。
かくして以上からは,近世におけるロンドン市郊外の発展とその重要性が注目されるのであるが,
郊外においても,東部, 西部, 南部および北部郊外の各地域が各々独自の発展を示すと同時に, そ
の役割もまた多様であったと思われるのであり,本稿は, これらの点を, シティならびに各郊外地
域における職業構造を明らかにすることによって,解明せんと試みるものである。 その際, まずは
イギリスにおけるこれまでの研究成果を出来るだけ利用しつつ,筆者の史料分析で出来るだけ補い
たい。
まず,17世紀後半におけるシティの職業構造については,リヴァプール大学のM . J •パウアー
i
博 士が1666年 の 炉 税 報 告 書 (H earth T a x R e tu r n s ) を用いて行った分析によって明らかとなる。 当該
報 告 書 か ら 作 成 さ れ た 表 3 は, むしろ職業と富の関係を明らかにすることを目的にしているが, 同
(5 )
Beier (1986),p. 150, T able 14 ; 酒 田 (
1 9 9 3 b /9 4 ),174 頁,表 8 - 2 。
( 6 ) 酒田(
1993b/94) 。
93
(5 61 )
(7)
表 3 1 6 6 6 年のロンドンにおける職業と居住規模
(20教区)
平均炉数
戸数
商品ないしサービス販売業
1 .商業従事者(
Dealers)
本 屋 (
B ookseller)
仲買人(
Broker)
嫩燭商(
Chandler)
呉服商(
Draper)
食料品商(
Grocer)
小間物商(
Haberdasher)
商 人 (
Merchant)
セ一ルスマン(
Salesm an)
毛皮屋(
Skinner)
計
2 .食料品業者(
V ictuallers)
居酒屋(
A lehousekeeper)
ハ。
ン 屋 (
Baker)
チ一 ズ 商 (Cheesemonger)
菓子屋(
Confectioner)
料理師(
Cook)
魚 商 (Fishmonger)
煙草屋(
T obacconist)
食料品商(
V ictualler)
葡萄酒商(
Vintner)
計
3. 専 門 職 (
Professions)
薬種商(
Apothecary)
理髪師(
Barber)
医 師 (
Doctor)
薬 屋 (
Druggist)
聖職者(
Rector)
公 証 人 (Scrivener)
計
戸数平均炉数
工業
25
18
24
21
18
43
125
11
23
381
4 .5
4.6
4 .6
6 .8
5.4
5.3
8 .0
3 .6
5 .3
6 .4
44
18
10
11
18
23
26
71
22
306
5.4
5.4
4.4
5 .4
5 .8
3 .9
4 .8
5.2
11.9
5.7
25
24
12
27
20
21
176
5 .9
3 .8
8 .3
6 .4
6 .6
5 .5
5 .7
21
19
15
18
89
3 .6
3.2
3.5
3.9
3 .5
W ood)
1. 木 工 業 (
樋屋(
Cooper)
指物師(
Joiner)
計
2. 金 属 加 工 業 (M etal)
金細工師(
Goldsmith)
白蛾細工師(
Pewterer)
蹄 鉄 工 (Smith)
針 金 製 造 エ (W iredrawer)
計
3. 織 物 • 衣 類 製 造 業 (
T extiles)
毛 織 物 仕 上 工 (Clothworker)
靴下屋(
Hosier)
反 物 師 (H ot presser)
婦人帽子屋(
M illiner)
裁縫師(
Sempster)
絹 織 布 ェ (Silkman)
仕立屋(
T ailor)
計
4. 皮 革 工 業 (Leather)
製靴エ(
Shoem aker)
計
5. 雑 工 業 (
M iscellaneous)
宝 石 商 (Jeweller)
家具屋(
Upholsterer)
計
43
26
94
4 .6
3 .8
4 .3
79
13
22
19
194
4.3
4.8
3 .4
4.8
4.2
22
17
18
15
12
48
113
286
4 .5
4.8
4 .7
4.7
4.2
5.1
3 .7
4.2
58
80
3 .2
3 .2
12
18
95
3 .6
5 .3
4 .6
34
64
2 .3
3.2
半熟練職
1 .建築業者(
Builders)
谏瓦積エ(
Bricklayer)
大 工 (
しarpenterj
ガ ラ ス 屋 (Glazier)
左 官 (
Plasterer)
計
註 (a )
2. 運 送 業 者 (
Carriers)
荷担ぎ(
Porter)
計
計には各分類に入るすべての者が含まれている。但し,職業名は10名以上の職業のみが挙げられて
いる。
(7 )
Power (1986),pp. 214- 5 , T able 27.
—
94
(
562)
(8)
表からシティの職業構造の主要な特徴として,以 下 の 3 点を指摘できよう。
すなわち, ま ず 第 1 に, 商品ないしサービスの第一次的な販売業として, 商業従事者, 食料品業
者,専門職が大半を占めていること。 第 2 に,工業について,金細工師に代表される奢侈的商品の
生産者が目立ち,織 物 • 皮革関係が少ないが,織物についても,他の織維労働者よりは豊かな人び
とであった高級品の絹織物エや毛織物仕上工が多かったこと。 第 3 に,半熟練職種というべき, 通
(9)
いの仕事であった建築業者と運送業者は相対的に少ないこと, 以上である。
こうした特徴は, 記載の多い職業を上位13職 ま で 示 し た 表 4 に端的に示されているといえよう。
すなわち,上位 13職中, 商 人 (
第 1 位) , 小 間 物 商 (
第 6 位) , 本 屋 (
第13位)という商業従事者, 食料
品商(
第 3 位) , 居 酒 屋 (
第 7 位) , 煙 草 屋 (
第12位) という食料品業者, お よ び 薬 屋 (
第10位),薬種
商 (
第13位)という専門職で約3 分 の 2 を占め,金 細 工 師 (
第 2 位)お よ び 絹 織 布 エ (
第 5 位)が上位
を占めているのである。
(1 0 )
表4
シティにおける上位13職
(1666年,20教区)
商人
金細工師
食料品商
製靴エ
絹織布ェ
M erchant
Goldsmith
V ictualler
Shoem aker
125
79
71
58
bilkm an
48
小間物商
H aberdasher
45
居酒屋
A lehousekeeper
桶屋
荷担ぎ
Cooper
P orter
D ruggist
Joiner
44
43
34
27
26
Tobacconist
A pothecary
Bookseller
26
25
25
薬屋
指物師
煙草屋
薬種商
本屋
( 8 ) 戸主の職業が明記されている報告書は,以下の20教区のみに関するものであるが,そのうち12教区
は St. M a ry le B o w 教区近辺に集中しており,むしろシティの職業構造の特質を良く示すサンプルと
いえよう。すなわち, A llhallows Honey Lane, A llhallows Steyning, Antholin, Benet Sherehog,
Botolph A ldersgate, K atherine Coleman, G abriel Fenchurch, John the Baptist, M agnus Fish
Street, M argaret New Fish Street, M artin, M artin Ironm onger Lane, M artin-le-Grand, M ary
Bothaw, M ary Bow, M ary W oolnoth, M ichael Royal, P ancras, Stephen W albrook, Swithen の20
教区である。また,職業分類に関しては,多くの困難が伴うとともに,したがって研究者によって様々
であるが,本稿ではロンドン各地域の比較のために,出来るだけパウア博士のそれに従うことにす
(9 )
る。
Pow er (1986), pp. 212-21.
( 1 0 ) 表 3 より作成。
95
(56 3 )
郫 琳 裀 w
凶
(輪
0
2
)
S
o
ブ
|
O
t
|
サ| O
寸 の 卜 | |
oo O I"H |
1—< o O 1—I
O O r-n|
CMl Ol 00 ^
c^j| co\ o o
卿
郴
マ 1-H
槲
o o
i-H i-H
I O 1-H
寸 サ I 1-H col O 卜 | CO
0> i—11 ?-H i—H| i-H i-H |
脚
m
H
I
サ r—i
m
O
I
I
I
t>■の
|
1-H
lo• 卜• o • II
o O CN3
cm• 々• • 卜•| co• • iI
!-H O O I-HI o O
coi■
CMl
0
H
S
I lo o
|
O
O
co
|
O
co t—f |
cc
O
O
I-H
t
O
1-H
呀
|
1-H
o
寸_
o
i
s
0 H
CM t-H
s继
o
1-H CM
s
髮
c^j
co
O O
| cr> | lo cr>
O
ON
CO LO
o
CO
CM
o
o
f 丨*
o
H
卜
OO
<
o
o
S
_
J
s
<x>
oo
^o\
LO
rI
0. i
d
o
o
^
^
6
^
FT
. T
0
8
.
0
8-0
6
_
0
■0
Z
—
1
d
.
I_ I
^
z
I.I
o
o C
S
o
9
d
.寸
Z
d
o
o
「
てマ
9,_
•0
Z
9
.
0
z
.
o
■寸
9
o
o
C
>
>
J 0
§
U 3
1
P
E
;
>
J
<
U
« 0 H
a
j
T
i o o
.
S
u
;JBS
b
o
g u3:>s S
占
M
O
I
I
E J
V
の5
l
s
p
d
e
g
(5 6 4 )
I
Sq s s n u B s
o l p J a l t s ^ s
C
Q
f
e
s
>
»
_
?
sqsEMaMlaJESJBs
s
(
b
o -
P
U
2
0
9
I
U
P
J
B
S
C
o
•
96
9
_
0
^
•
ザ
Z
r
. 0
Z
=
J
の
UJM
Pow er (1986),p. 217, T able 28.
L
O
a;ssjaplvl a I 2 o g
l
m ajes
ipouoo^ajes
.
s
t
i
r
2
_
9
S
'
S
.s
b
o
^
•I
0
0
.
1
o
o
K
J
a UOUIUOJJ g s
C
1
c E l
L
nu
n
a
J
^
-
. S 2 U U B
H
n
T
J
V
s
I
o
q
;
u
v
I P J m pH
s p q B o
ce q A
占
a
u
o iWMOHH
9
t
L
_I
S
F
Z.
.
t
A
v
e
l
p
o
w
J
l
o
o
j
q
m
gu
a
q
d s
cd
.
s
9
.
S
ri
i
;
9
.
9
6
0 &
f
- 1
.
r
rr
^
I拒
L
O
a
j
L
Ou
o
C
o
コ
S
^
00
L
T
i
i
(11)
の | 00
d
s
.
o
^•0
¥
0
— - A - 1 i ®
s瓶
ns
t 郫械3
K
lJ
寸 | o |
col c^ll i-h| O O O Csll !—I
IK
さらに,表 5 よりシティにおける職業分布を詳細に知ることができる。 すなわち, 商人や専門職
は, 市 の 富 裕 な 中 心 地 に 集 中 し て い る (
各々集中度の高い3 教区は,前 者 St. Stephen W albrook,St.
P ancras, St_ M ary Bow 教区,後者 ST_ Stephen W albrook, St. Benet Shere hog, St. M artin Ironmonger
L a n e 教区である)のに対して,食料品業者は,その性格上,すなわち商品の供給源もその市場もテ一
ムズ河畔にあったから, テ ー ム ズ 河 畔 の 比 較 的 貧 し い 教 区 (
ST. M agus Fish Street, St. Pancras, St.
M argaret New Fish Street, St. Michael R o y a lという4 教区)に 集 中 す る 傾 向 を 不 し て い る (
但し, そ
の集中度は上記2 職より低い)
。 また,工業職について, 織 物 . 皮革工業は少ないものの, 後 者 は St.
M a rtin -le -G ra n d 教区に極めて高い集中を示しており, A llh a llo w s H o n ey L a n e 教区に高い集中度
を示す前者は,すべて絹織布エであった。 また, 金属加 工 業 も ,2 教 区 (
St_ M ary W o o ln o th および
St. M a rtin 教区)に高い集中度を示すが, その理由は,皮革とともに環境汚染をひきおこしがちだっ
たからであることがハ。
ウアー博士によって示唆されている。 また,極めて興味深いのは, もっとひ
どく嫌われた皮鞣業や明礬製造業は, これらシティの教区からはまったく追い出され郊外におしや
(12)
られていることである。
i
i
以上が, 1666年の炉税報告書の分析から知られるシティの職業構造の特徴であるが, ハ"ウァ
博士によれば, 中世のロンドンにおいては, ヴァンスの指摘する職業別の住み分けがみられたので
(13)
あり,その職業別住み分けの伝統は,1666年にもなお十分に生きていたように思われるとされる。 そ
して, 16世紀末におけるそうした伝統の残存とその分散過程の状況については, ストウの記述を通
(14)
じてかなり知ることができる。
すなわち, ストウの主要な関心は建築物にあったが, 商工業,社 会 および16世紀のロンドンの成
長と発展に つ い て も かなりの記述がなされており,46の カ ン パ ニ イ . ホ ー ル お よ び 9 の市場に つ い
(12)
(13)
Pow er (1986),pp. 216-8.
V ance (1971); Pow er (1986),p. 216.
( 1 4 ) ジョン• ス ト ウ (
S tow ,
J . ) は,1525年に獣脂蠟燭商の子供として生まれ,市東部オルドゲイト
( A ld g a te ) で仕立商として営業を行い,1570年代にオルドゲイト通り(A ldgate stree t) の別の家に
引っ越して以来学者の道を歩み始め,当初は国家の歴史を勉強していたが,晚年に地方史,特に自分
の生まれ育ったロンドン史に転じ,1598年にイギリスにおける最初の都市の地方史となる極めて詳細
な 『ロンドンの調査』 (Stow 1 6 0 3 /1 9 7 1 )を著したのであり, これと比肩できるのは, ジョン.フッ
カー(
H ooker,
J_ )による『
エクセター史』 (H ooker 1 7 6 5 )のみといわれる。尚, ストウの書はこれ
までに諸版が刊行されているが,ケンブリッジ大学のドブソン教授およびロンドン大学のハーディン
グ博士によれば,K in g sfo rd 版が最良とのことである。また,ストウの記述の殆どはロンドン市内に
あてられ(
各市区に1 章があてられ,全体の約4 / 5 の300頁を占める)
,郊外およびウヱストミンスタ
一 に つ いての記述は少ない(
僅 か 3 章,全部で55頁にすぎない)が,サザークについては市区の1 つ
(Bridge W ithout 区) と し て 扱 わ れ て い る 。 P ow er (1985),p p . 1-5 ; 17- 8 , n. 2 ; H arding
(1995), p _ 3 6 ;酒 田 (
1 9 9 2 c /9 4 ),109 頁 ;(
1993a), 21頁,註12。
97
(
565)
耷
SJSPUexo xe
SJ Mcouo
io ^
SJ MBi9J
一多
S
J
a
s
u
l
\
PA\
A
SJ3alunl
SJalu
J
S
U
B
I
u
I
s
x
q&
酬鬲a
H蓄
SJ3M e )
Ei*
H
'
t
f
械mm
S
J
a
l
p
J
o
m
i
S
Jl
l
9
S
J
3
l
l
l
E
9
q
l
Ja
uOJn
陧 竑缸
1
SJS I 5 J
.
S
J
a
u
s
f埕 套
W Jp l m o 埕 鬆 濉
酬 哩 £
S
J
a- l
o
n
u
u
J
J
ab u
o
l
u
n
s
li炬 农
S
J
a
M
U
O
G
U
O
i
J
酬 荐 娲 】 S
S
P
1
2
3
H
K
J q S M埕
h
S
J
3
」
9
p
j
o
J
a
l
u
gH i
t
□
上 S Efua q e x
SJ9
酬 K 卟h o
SHIIUO
IS
O
里
!
:^ so
SJ >fEES
3S 垣:
s
£ Bo
S
J
3
l
z
e
o
eg
聃 藓 剮J
S
J
a
x
Q
炬圉 K q
S
J
S
d
E
J
Q
xaju
w_
9I
Eno
H 械敦
H £fs
SJ >UIMて Jo。
t
u R
J p nI
SJl s E o o
S
J
0
0
3 i态
f
q涅
u卸銮
«J UOUIas
炬.
Kl-t
smo
i _
锃
SJX M O M
W
J
l
u
s
d
l
w
H
S
J
v
l
l
J
O
M
q
l
o
J
u
wu o J n oJaquEg
J M >J
s tlus>pelg
WJ j o Ja
ズreulls s g
SJ9
SJ ズ e E i u u g
-s
Q
J
J > ues
w w
SJlbuq
es
-I
S 2 S
sul
%
^
ot
J E
陧
£
S J 9 J S M £居H 里 s
H
>uurtJAI
一ieh luEq3J9p^ 炬 扣
sjo
SJ
,、
lCOSBIAT
SJ> o Jp
瑕^?!t 逸榧
nj
sjau
ss
Hiws
S
J
a
l
t
n
d
s
l
a
I
J
M
d
}
l
t
s
S121es ® 刼
里瑶
s q m l s盘 H
H
SJSPPES 埕 0
S
J
9
U
U
I
HD炬珀^
晒
脾相
S
J
a
J
^
s
e
E
SJ 5IEg
SJquln
s C E uq - > o d <
SJ3J3 0 U U Y
OQ
04赚 p
1
UH
tu
aJ <u
SJaAsy^ H 栂 银 耷
SJJ l sぶ
o
dp
S
J
3
l
f
5
u
e
q
u
M
o
l
l
e
H
海§ 置
居 联
(5 66 )
98
oc
-*
o
ol
al
ln bc
a
J
OJ
iJ
<l
ra
oa
<u
o
<I
-K
(o
(a
rr
fc
CM
図
JC
5I
a
)
a
>
L
)
0
Jtf
0
■H
11
ss
•—
<d
(f
qJ
H
Urn
K
iJ
t
u
T
Ja
S Ja qolaJls
v<
-c
•«;
尚
淀
>
.
O
c
d
o
l
w
)t
u
a
l
K
i
g
iL!
0
)
0
>
a>
<u
iK
ai
s
H
描
G
入
ii
0>
ng
Bt
/
C
DH
H
<l
tf
<L
a)
cd -c
p- PH
a>
t
u
a
)
a)
-l
てもすベて述べられているのである。 そして, パウア一博士は, ストウの商工業に関する記述のあ
る地点に つ い て , 興 味 深 い 地 図 (
図 2 ) を作成しているのである。
図 2 から直ちに受ける印象は, 商工業活動が市壁内に極めて集中していることである。 まず,料
理師のホールを除くすべてのカンハ。
ニ イ . ホールが, 市壁内の中心地域に位置している。 すなわち,
22ホ ー ル が チ 一 プ (
C h e a p ) の北側に,そして18ホールがチープの南側,特にテームズ川の近くに位
置している。商業職のホ一ルと工業職のホールが混在しているが, それは, おそらく市壁内の世界
が物理的に狭かったからで, 市壁内のどこに住んでもホールから遠くなることはなかったからであ
る。 また,市場も, ロ ン ド ンがすでに東西に 1 マイルずつ,す な わ ち東はラトクリフ(
R atcliff),西
はウェストミンスター(
W e s tm in s te r)まで拡大していたにもかかわらず, ニューゲイト市門とオー
ルドゲイト市門を結ぶチープおよびコーンヒル(
C o r n h ill)通 り に そ っ て , ニ ュ ー ゲ イ ト
( N e w g a t e ) ,チ一 プ (
C h e a p ) , ス ト ッ ク ス (the S to c k s ) お よ び レ ド ン ホ 一 ル (
L e a d e n h a ll)の 4 食料
品 市 場 (Food m a r k e t ) , 旧 魚 市 場 通 り (Old Fish S t r e e t ) とイ一スト. チ 一 プ (E ast C h e a p ) に 2 魚市
場 (Fish
m a rk e t), ニ ュ 一 ゲ イ ト の シ ャ ン ブ ル ズ (the
て市庁舍(
G u ild h a ll)の 近 く に 2 織 物 市 場 (cloth
S h a m b le s)に 肉 市 場 (m eat
m a rk e t), そし
m a r k e t ) と, 屠殺が行われたスミスフイ一ルド
(17)
(S m ith fie ld )を除き, すべて市壁内にあったのである。
次に, 図 2 にはストウによって述べられた64の職業グループが記されているが, まず商人グルー
プについては, 高級呉服商, 呉服商,小間物商,毛皮商が, 市の中心部,特に主要な通りであるチ
一 プ お よ び ウ オ ト リ ン グ 通 り (W atling S t r e e t ) に支配的であることが注目される。 これに対して市
の周辺では, ラ ド ゲ イ ト (
L udgate) の高級呉服商とロンドン橋上の高級呉服商および小間物商を例
外 と し て 殆 ど み ら れ ず , 市 壁 外 に 現 れ る の は ,S t. B a rth o lo m e w 教 会 近 く の 仲 買 人 と サ ザ ー ク
(S o u th w a rk )の皮革商のみである。 次に, 食料品業者は, おおよそ市場の近くに集住していた。 す
なわち, (
1 ) 肉屋は, ニューゲイトのシャンブルズの近辺, (
2 ) 魚商は, 旧魚市場通りおよびイース
ト• チープの魚市場近辺, (
3 )食料品商はストックス市場の近くのボウルトリィ(
P oultry) 通りに沿
って集住していた。但し, (
4 )パン屋は分散していた。 しかし,職人グループについては,市中心部
にも,例えばチープに金細工師や家具屋, ソ ウ パ 一 横 丁 (Soper Lane) に製革エや製靴エが集住して
いたが, 市周辺に集住することがより普通であった。 すなわち, (
1 ) テームズ河畔に染色エ, (
2) オ
一ルダーズゲイト市門およびクリップルゲイト市門の近くに印刷工, 銀細工師および大工, 後者の
市壁外に弓師および矢師が,(
3 ) オルドゲイト市門に向かって菴製造エ,針金製造エ,大工およびガ
(18)
ラス製造エ, その市壁外に鋳物師および大工が, 集住していた。 かくして, やはり一般的には, 商
5
IX
Pow er (1985),pp. 3-5.
6
7
8
1L- I X
IX
P ow er (1985),p_ 9, Figure 3.
Pow er (1985),pp. 8 ,1 0 .
Pow er (1985), p . 10.
99
(
567)
人が市中心部を占め職人が市周辺部を占めていたとするヴァンス • モデルがみられた, といえるの
である。
図 2 において, さらに注目されるのは, す で に 東 部 市 壁 外 (
イ ースト. エンド)に, レンガ製造
エ,洗 い 張 り 場 (
ten terg ro u n d s),大工,鋳物師および武具師, さらにラトクリフに船大工や水夫の
集住がみられ,西 部 市 壁 外 (
ウヱスト•エンド)に, 法 曹 家 が 属 す る 多 く の 法 学 院 (Inns of Court) が
存 在 し て い る こ と で あ り , ま た 宿 屋 が ,市 内 に 通 じ る ス ト ラ ン ド (
S tran d ) , ホ ル ボ ー ン
(H olborn) , ス ミ ス フ ィ 一 ル ド 近 辺 , ビ シ ョ ッ プ ス ゲ イ ト (
Bishopsgate), オ ル ド ゲ イ 十
(A ldgate), ロンドン橋の南のサザークの本通り(H igh
S treet) といった主要な道路に沿ってみられ
たことである。
かくして,ストウの記述からえられる結論として,パウアー博士は次のように述べている。 「それ
ゆえ,全般的な経済像は, 市の商工業活動の市壁内への極度の集中である。 そして, 商 人 .販 売 業
者が市中心部の主要な街路を占め,職 人 • 手工業者は市周辺部に向かってみられ, すべてが集中化
せ る 填 頭 シ ス テ ム (a concentrated quay s y s te m )によっていた。 こうした経済活動の集中の唯一の例
外は, イ ー ス ト • エンドの工業, ウ ェ ス ト • エンドの専門職グループ, および市周辺の宿屋であっ
(19)
た」と。そして,さらに続けてパウアー博士は,「ストウの証拠を信ずるならば,工業の郊外への移動
(20)
は, 16世紀においてはまだ殆ど見られない現象であった」と述べているが, す で に み た よ う に (
前出
表 2 参照) 16世紀後半においても工業は市壁外において7 0 % を占め,17世紀における郊外の急速な発
展とともにさらにその比率を高めており, その後半にはシティ人口の減少さえみられた(
前出表1 参
照)同世紀には,工業の郊外への移動は急速に進展したと思われる。かくして,次に16世紀末〜17世
紀における東西南北の各郊外地域における職業構造を検討することにしよう。
III
i
17世 紀 の 東 部 郊 外 (
イースト. エンド)の 最 大 教 区 S te p n e y については, 同じくパウアー博士
(21)
が17世紀の教区簿冊を用いて行った分析によって明らかになる。 同簿冊の埋葬薄から作成された表
6 の イ ー ス ト • エ ン ド の S te p n e y 教区の職業分布から, シティのそれと比較しつつ, その特徴とし
(19) Pow er (1985),p . 11.
(20) Power (1985), p . 1 1 . 但し, ストウは,「この町でいろいろな仕事をし物を売っている人びとは, も
っとも都合の良いところを求めてしばしば居住地を変えた」 として,20を越える職種の事例を挙げ,
それらの集住が中世以来のものではないことを指摘しているが,分散したとされるのは,高級呉服商
および小間物商,糊椒商および食料品商,葡萄酒商,料理師あるいは染料商,および弓師の5 事例の
みである。 Stow (1603/1971),Vol. I, p. 8 1 ; Pow er (1985),p . 10 ;(1 9 8 6 ),p. 216.
(21) Pow er (1971),chap. 6.;(1990), pp. 1 0 5 -8 .尚,イースト. エンドは,Stepney および W hitechapel
の 2 大教区からなる。 Pow er (1990),
p. 103。博士論文の複写および利用を許可して下さったパウア
一博士に記して感謝申し上げる。
100
(5 6 8 )
(22)
表 6 1 7 世紀ロンドンにおける職業集団
(%)
ロンドン (
3>
Cripplegare 教区(2)
1654-93
ロンドン (
3)
7
3
9
_8
2
15
_2
20
10
11
12
20
19
41
6
3
3
0
5
6
17
0
3
0
4
9
24
21
3
9
_2
10
_4_
7
_1
33
38
50
42
建築業
5
6
7
6
農業
2
2
0
0
35
_1
36
1
_8
0
11
11
0
_5
_5
12
26
13
6
丽
(n 3087)
丽
(n 12004)
丽
(n 13660)
S tep n ey教区⑴
1610-90
商品ないしサ ー ビ ス 販売業
商 業従事者(
Dealers)
食 料品業者(
Victuallers)
専門職(
Professions)
小計
工業
造船業(
Shipbuilding)
木工業(
Wood)
金属加工業(
M etal)
織 物 • 衣類製造業(
Textiles)
皮革工業(
Leather)
雑工業(
M iscellaneous)
小計
運送業
海運業(
Marine)
陸運業(
Land)
小計
雑職業
総計
2
17
市壁外
市壁内
1601-1700
1601-1700
9
丽
(n 2219)
資料(
1 ) Stepney burial re g is te r s .但し,各10年 間の1 ~ 6 月の記載が分析の対象となっている。G reater
London Record Office (GLRO),P93/DUN.
(2)
(3)
Forbes (1980),pp. 120-7.
Beier (1986),p. 1 4 8 .但し, ロンドン市壁外にはS te p n e y が含まれる。
て以下の点を指摘できよう。
すなわち, ま ず 第 1 に,商品ないし サ ー ビ ス 販売業という都市エリート職グループが1 2 % と, シ
ティ(
4 1 % ) お よ び 郊 外 全 般 ( 1 9 % ) と比較して,極めて少ないこと。 第 2 に,工業グル ー プ に つ い
ても3 3 % と, シ テ ィ (
4 2 % )および郊外全般(
5 0 % ) と比較してやはり低く, また織物•衣類製造業
は通常どの地域においても高い比率を示すが, こ こ で は 造 船 業 が6 % を 占 め て い る こ と (
他は0
% )。他方,金属加工業および皮革工業は,各 々 3 % と他より少ないこと。第 3 に,何よりも顕著な
(22) Pow er (1990), p. 105, T able 7 . 1 . 尚,埋葬薄には,女性や徒弟のような若者の職業については記
載されておらず,青年男子のそれに偏っている。ibid.,p. 106.
1 0 1 (5 6 9 )
表7
S tep n ey 教区における上位7 職
(23)
(1606-10年)
(人)
水 夫
船大工
M ariner
仕立屋
Shipwright
T ailo r
製靴エ
Shoemaker
大 ェ
C arpenter
W eaver
Smith
織布ェ
蹄鉄工
320
51
36
36
29
37
15
のは,運送業が36% ,特 に 海 運 業 (
水夫)が3 5 % と極めて高い比率を占めていることである。
上記の特徴は,1606-10年の教区簿冊の洗礼簿に記載された洗礼受拝者の父親の職業の上位7 職を
あ げ た 表 7 に端的に示されているといえよう。 すなわち, 商品ないし サ ー ビ ス 販 売 業 が ひ と つ も 現
れないのに対して,水夫が320名 と 压 倒 的 な 数 で 第 1 位 を ,次いで船大工が51名 で 第 2 位を占めてい
るのである。 かくして, ハ。
ウア一博士は, 17世 紀 の イ ー ス ト . エ ン ド が プ リ マ ス (
Plym outh) やポ
(24)
ーツマス(
P o rts m o u th ) のような海港都市という特イ匕の特徴を示すと結論しているのである。
i
i
17世紀前半の南部郊外サザークについては,ボウルトン博士の注目すべき研究によって,St.
(25)
S a v io u r お よ び St. O la v e 両教区の職業構造が明らかにされている。
すなわち,前者については教区簿冊の洗礼簿に記された父親の職業, 後者については埋葬簿に記
された本人の職業より, さ ら に 前 者 の バラサイ ド 地 区 (Boroughside d is tr ic t) については1622年の聖
餐 受 拝 者 名 簿 (the sacram ental token b o o k ) にリスト.アップされた世帯主の職業を上言己教区簿冊の
洗礼簿ほかマナ史料や遺言状により明らかにすることによって, 各々の地域の職業構造が明らかに
されているのである。
こ こ ではサザークの中心部分を占めるSt_ S a v io u r 教区 の そ れ を , ハ。
ウアー博士の分類に従って
作 成 し た 表 8 によって,上 述 の シ テ ィ お よ び イ ー ス ト . エンドと比較しつつみるならば, その特徴
として以下の3 点を指摘できよう。 すなわち, ま ず 第 1 に, 食料品業者が1 7 .8% と極めて高い比率
を占めていること,第 2 に工業,特に皮革工業が8 . 8 % と高い比率を示していること,そ し て 第 3 に
運送業,特に海運業が2 3 .9 % と極めて高い比率を示していること, 以上である。
上記の特徴は,さらに同教区をバラサイド地区とクリンクおよび パ リ . ガーデン両特権地域(Clink
and P aris G arden L ib e rtie s )とに分けて各々上位12職 を 挙 げ た 表 9 によって,端的に示されていると
(23) Power (1971),p . 176 より作成。
(24) Pow er (1990),p. 106.
(25) Boulton (1987),pp. 65-73.
102
(5 7 0 )
表8
St S a v io r教区における職業集団
(26)
(1618-25 年)
(人)
商品ないしサ ー ビ ス 販売業
商業従事者(
Dealers)
食 料品業者(
V ictuallers)
専門職(
Professions)
(%)
75
4.0
331
77
483
17.8
4.1
26.0
20
51
83
1.1
2.7
4.5
267
163
74
658
14.3
8.8
4.0
35.4
建築業
61
3.3
農業
28
1.5
444
23.9
169
613
9.1
33.0
17
0.9
1860
100.0
小計
工業
造 船 業 (Shipbuilding)
木工業(
Wood)
金属加工業(
M etal)
織 物• 衣類製造業(
Textiles)
皮革工業(
Leather)
雑工業(
Miscellaneous)
小計
運送業
海運業(
M arine)
陸運業(
Land)
小計
雑職業
総計
いえよう。すなわち, 前者は, イ ン グ ラ ン ド 南 部 か ら 市 内 に 通 じ る バ ラ 本 通 り (the Borough High
S t r e e t ) が貫通し、サ ザ 一 ク 市 (
S o u th w a r k m a r k e t) が こ の 通 り で 週 4 日開かれていた重要なビジネ
ス . 取引センタ一 (an im portant business and trading c e n t r e ) であり, 後者は,各 々 3 千名を収容し
た と い わ れ る ス ワ ン 座および グ ロ ー ブ 座 と い っ た 劇 場 や 熊 公 園 が あ っ た 極 楽 セ ン タ ー で あ っ た こ
とを反映して,前者においては,食料品業者が半数(特に肉屋が第2 位)を占め,後者においては,船頭
(28)
が圧倒的多数を占めているのである。船頭は,殆 ど 後 者 の 娯 楽 セ ン タ ー に シ テ ィ お よ び ウ ヱ ス ト.
エンドの顧客を運ぶ渡し船に従事していたのであり, かれらは1593年に疫病対策の一貫として一時
(26)
Boulton (1987),p. 66, T able 3. 3, pp. 67-8, n. 25, p. 69, n_28 より作成。
(27)
(28)
Boulton (1987), p. 66, T able 3. 3, pp. 67-8, n. 25, p. 69, n. 28 より作成。
Boulton (1987),pp. 62, 64, 69, 7 0 . かくして,食 品 関 係 職 (Food and D r i n k ) は,前者において
全職業の29.7% を占めている(
その内,肉屋が2 5 .6 % を占める)のに対して,後者においては12_9%
を占めているにすぎない。他方,運送. 非 熟練部門(T ran sp o rt and unskilled labour s e c to r ) は, ,
103
(5 7 1 )
表9
St S a v io r 教区における上位13職
(27)
(1618-25 年)
(人)
Boroughside 地区
the Clink and P aris G arden 地区
製靴エ(
Shoemaker)
肉屋(
Butcher)
52
Brew er’s servant)
食料品商(
Grocer)
パ ン 屋 (Baker)
22
17
手袋製造エ(
Glover)
蠘® 商 (
Chandler)
蹄鉄工(
Smith)
16
13
11
ナ 一 ズ 商 (cheesem onger)
10
桶屋(
Cooper)
指 物 師 (Joiner)
10
10
50
食料品商(
V ictualler)
45
仕立屋(
T ailor)
45
織布ェ(
W eaver)
37
醸 造 業 者 (Brew er & (奉公人を含む)
16
船頭(
W aterm an)
織 布 エ (Weaver)
420
46
仕立屋(
T ailor)
41
酸 造 業 者 (Brew er & (奉公人を含む)
B rew er’s servant)
38
蹄 鉄 工 (Smith)
29
食料品商(
V ictualler)
26
手袋製造エ(
Glover)
23
皮革仕上工(
Leatherdresser)
23
籠製造エ(
B asketm aker)
荷担ぎ(
Porter)
製靴エ(
Shoem aker)
ハ。
ン屋(
Baker)
蠘燭商(
Chandler)
22
20
18
15
14
閉鎖されたヘンズロウ劇場の早期再開を請願しており, また17世紀前半におけるいくつかの演劇力
ン パ ニ イ の サ ザ ー ク か ら ミ ド ル セ ッ ク ス へ の 移動がかれらに大きな打撃を与えたことも指摘され て
(29)
いる。 さ ら に 表 9 では, 前 者 に お い て 製 靴 エ が 第 1 位を占めている他に, 手 袋 製 造 エ が 第 8 位を占
め,後者においては各々第11位 お よ び 第 7 位の両職の他に,皮 革 仕 上 工 が 手 袋 製 造 エ と 同 数 で 第 7
位を占めており,サ ザ ー ク が ロ ン ド ン 皮革工業の重要な中心地であったことをよく示して い る の で
(30)
める。
i i i 17世 紀 後 半 に お け る 北 部 郊 外 の St. G iles w ith o u t C r ip p le g a te 教 区 に つ い て は , フォーブズ
(31)
博士が教区簿冊の埋葬簿を用いた研究によって明らかになる。
パ ウ ア ー 博 士 が フ ォ 一 ブス博士の研究を 用 い て 自らの職業分類に従って作成した前 出 の 表 6 , お
よび筆者が作成した100名以上を数える上位18職 を 示 す 表10からは,その職業構造の特徴として以下
前者の10.7% に対して,後者においては46.7% ,船頭だけで39.8 % を占めているのであり,サザーク
内部においても大きな地域的相違を示しているのである。ibid., p. 69.
(29) Boulton (1987),p. 70.
\
( 3 0 ) 皮革工業についても,前者において12.2% を占めたのに対して,後者においては6 .8 % と,地域的相
違がみられるのであるが,後者においては,エドワード4 世以来市内で禁止された皮革仕上職および
水と水運が必要であった皮鞣職が各々同職の32% および8 % を占め,前者においては,陸運と関係す
る鞍師職が同職の10% を占めていた。 Boulton (1987),p. 70.
(31) Forbes (1980),p p .119-32.
104
(5 7 2 )
表10
St. Giles without C ripplegate教区における上位18載
(32)
(1654-93年)
織 布 エ (Weaver)
日雇労働者(
Labourer)
ジェントルマン(
Gentleman)
製靴エ(
Cordwainer)
仕立屋(
T ailor)
荷担ぎ(
Porter)
食料品商(
V ictualler)
手袋製造エ(
Glover)
大 工 (しarpenter)
親方
864
740
623
567
547
476
402
兵士 (Soldier)
蹄 鉄 工 (Smith)
谏瓦積エ(
Bricklayer)
針金製造エ(
W iredraw er)
指物師(
Joiner)
車力(
C arter)
毛織物仕上工(
Clothw orker)
計
996
741
641
583
566
479
425
371
333
247
224
23
38
16
—
176
16
363
224
192
155
150
5
9
18
160
159
157
130
16
14
4
151
146
134
110
1
111
139
135
132
桶屋(
Cooper)
肉屋(
Butcher)
奉公人
132
1
18
16
19
3
の点を指摘できよう。すなわち, ま ず 第 1 に, 織 布 エ (
第 1 位)お よ び 仕 立 エ (
第 5 位)に代表され
る織物. 衣 類 製 造 業 (
毛織物仕上工も第18位に現れている他,染色エも13名で第20位を占めている)が17
% と雑職業を除いて最大の比率を占めている他, 製 靴 エ (
第 4 位)お よ び 手 袋 製 造 エ (
第 8 位)に代
表 さ れ る 皮 革 工 業 も 9 % と高い比率を占め,さ ら に 蹄 鉄 工 (
第11位) ,針 金 製 造 エ (
第13位)および指
物師(
第14位) ,桶 屋 (
第15位)に各々代表される金属加工業および木工業も各々6 % お よ び 5 % を占
め,工業職全体で3 8 % と,何よりも当該地域が織物 •皮 革工業を中心とするかなりの工業地域であ
、
(33)
,
ったことを示していること。 第 2 に,大 北 部 道 路 (the G reat N orthern R oad) に近いといつその立地
からして,既にみた イ ー ス ト .エ ン ド の S te p n e y 教区や サ ザ ー ク の St. S a v io u r 教区と異なり,荷担
ぎ (
第 6 位) ,車 力 (
第17位)に代 表 さ れ る 陸 上 運 送 が8 % を占める運送業の大部分を占めている他,
(34)
雑 職業の比率を高 め て い る 日 雇 労 働 者 (
第 2 位)の多くも陸上運送に従事したと思われること。 第 3
(32) Forbes (1980),pp. 120-26, T able 1 より作成。
( 3 3 ) 特定市区および教区への職業の集中傾向を指摘するフォーブズ博士の当該教区における織物•衣類
製造業および皮革工業の重視は,「
織布エと製靴エ」 という論文の表題によく示されているといえよ
う。 Forbes (1980),p. 128.
( 3 4 ) もちろん日雇労働者の多くは,大 工 (
第 9 位) ,煉瓦積エ(
第12位)に代表される建築業にも従事し
たと思われる。日雇労働者とならぶ当時の賃金労働者の具体的存在形態であった奉公人も,表10のよ
うに多数現れる他,奉公人としてのみ記載される者が314名, そして何よりも醸造業者(
95名で第パ
105
(
5 73 )
に,専 門 職 が 全 職 業 の 8 % という高い比率を占めているが,これは主として623名もの多くを数える
ジェントルマン(
第 3 位)の存在によるものである。後でみるように,ジェントルマンの集住は17世
紀 ウ ェ ス ト • ェンドにおける大きな特徴となるが,市 庁 舎 (
G u ild h a ll) に近く早くから発展し, また
(35)
1666年の大火を免れた当該地域にも多くのジヱントルマンが集住したのであ っ た。
i v
17世 紀 の 西 部 郊 外 (
ウェスト• ヱンド)における職業構造にかんしては, 以上にみた他の郊外
についてと同様の詳細な研究はないが, ス ト ウ の 記 述 に よ っ て (
図 3 参照) , すでに16世紀末におい
て ウ ェ ス ト •エ ン ド の ホ ウ ル ボ ー ン (
H o lb o r n ) お よ び 特 に ス ト ラ ン ド (
S t r a n d ) 通りには, 貴族お
よ び ジ ヱ ン トルマンの邸宅が立ち並ん で い た こ と が 判 明 す る 。例 え ば , 後 者 は バ ー リ ィ 卿 (Lord
B urghley), セ シ ル 卿 (Sir Robert C e c i l ) , べ ッ ドフォ一ド伯(the E arl of B e d fo rd )お よ び 大 法 官 (the
(37)
Lord C h a c e llo r ) 等の大邸宅によって占められていたのである。 さ ら に 図 3 からは,チャンセリィ横
丁 (Chancery L a n e ) 周 辺 に お け る 専 門 職 (
主として法曹家)の集中も注目される。
また,L • ストーン教授の研究が, 17世紀における貴族.ジェントリという地主および専門職のウ
ェ ス ト . ェンドへの集住を明らかにしている。すなわち, 1632年 の 調 査 (
農村への帰郷を命じた布告
につづく調査)によれば, ロンドンに住む貴族は37名 (
全体の4 分 の 1 ),バロネットおよびナイトは
147名 (
同 6 分 の 1 ) , エスクワイアおよびジェントルマンは130名 (
同10分 の 1 以下)であるが, ナイ
ト以上の184名 の う ち 3 分 の 1 の61名が旧シティ内に住んでいたのみであり, 貴族•地主層のロンド
ンへのラッシュが起こった1660年の王政復古以降1695年までには, エスクワイア以上の者でシティ
内に留まった者は一部の市参事会員や商人ナイトを除いて殆どおらず, 貴族はすべて西部郊外に移
(38)
ってしまったという。 そして,専門職がそれに続いたことが示唆され, ジ ヱ ン トルマ ン の 地位を求
めた専門職にとって貴族•ジヱントリと同じ地域に住むことがそれゆえに特に重要であったことが
(39)
指摘されているのである。
また,1677年 の 約 2 千 名 の ロ ン ド ン 商 人 お よ び 金 融 業 者 の 住 所 録 ( D ire c to rie s )によれば,そのう
、19位を占める)の奉公人として624名もの極めて多数が記載されていることが注目されるが,何故に醸
造業者に奉公人がこれほどまでに多いのか,特により年輩と思われる親方の6_5倍を数えるその多さ
(他の職業の場合,親方と奉公人の埋葬比は6 :1 か ら 3 5 :1 である)は,大規模醸造所の存在を窺
わせるが,その確かな理由はなお不明である。Forbes(1980),p. 1 2 7 . 尚,醸造業の立地要因として
は,市壁外においては大量の水および薪の供給が容易であったことが指摘されている。Ibid.
(35)
J • ストウによれば,16世紀末のCripplegate outside the W a lls 市区には,既に1800もの世帯が住ん
でいたのであり, ドブソン博士によれば市の北•西部は, シティの5 分 の 4 を消失させた1666年の大
火を免れたのである。 Pow er (1985),pp. 2 - 3 ; 酒 田 (
1992c/94),109頁。
(36) Pow er (1985), p . 12, Figure 4.
(37) Pow er (1985), p . 11.
(38) Stone (1980), pp. 175-6, 187.
(39) Stone (1980), p . 176-7.
106
(5 7 4 )
(9C)
^ «
W
S
G
A
^
K£
図
(5 7 5 )
107
ち ウ ヱ ス ト • エ ン ド に 住 む者はわずか 4 % にすぎなかったのであり, ロンドン商人は, けっして貴
族 • 地 主 層 と と も に シ テ ィ か ら ウ ェ ス ト • エンドに移ったりせず, シティに留まったといわれ, そ
の こ と は ウ ェ ス ト . エン ド の 幾 つ か の地区につ い て 残 存 す る 地 代 . 家賃の記録からも支持されると
(40)
こ の よ う な 貴 族 . ジ ェントリや疑似ジェントリ的専門職のウェスト• エンドへの集中は,現在筆
者 が 調 査 中 の 当 該 地 域 の 1 教 区 S t. D u n sta n in th e W e s t の教区簿冊からも確認できるのであり,ま
ずは多くの職業記載がなされている16世紀末〜17世紀初めの洗礼簿を用いて上述の他の郊外地域に
(41)
ついてと同様の分析を行ってみよう。
表1 1 St. D unstan’s in the W e s t教区における載業集団
(42)
(1586-1610年)
(人)
商品ないしサービス販売業
商業従事者(Dealers)
308
食料品業者(Victuallers)
専門職(Professions)
164
416
888
小計
工業
造船業(Shipbuilding)
0
18
131
359
199
31
木工業(Wood)
金属加工業(Metal)
織 物 • 衣類製造業(Textiles)
皮革工業(Leather)
雑工業(
M iscellaneous)
(%)
17.3
9.2
23.4
49.9
0
1.0
7.4
20.2
11.2
738
1.7
41.5
63
3.5
2
0.1
1.1
0.8
小計
19
15
34
雑職業(
Miscellaneous)
55
3.1
1780
100.0
小計
建築業
農業
運送業
海運業(Marine)
陸運業(Land)
総計
1.9
(40)
Stone (1980),p. 187.
(41)
P arish Register of St. D unstan in the West, Baptism s 1558-1631,Guildhall Library, M. S. 10342.
当該教区簿冊の利用およびマイクロ • フ イ ルム複写を許可し,便宜を計って下さったギルドホール図
書館のA ssistant A rc h iv istの Ms. Charlie T u rp ie に記してお礼申し上げる。尚,同マイクロ •フパ
108
(5 76 )
仕立屋(
Tailor)
ジェントノレマン(
Gentleman)
(エ ス ク ワ イ ア を 含 む ) (
inc. Esquire)
製靴エ(
Shoem aker)
刃物師(
Cutler)
290
232
(245)
111
88
公証人(
Scrivener)
76
仕 立 商 (M erchant tailor)
鞍師(
Sadler)
73
58
書籍文具商(
Stationer)
料理師(
Cook)
55
50
食料品商(
Grocer)
40
表11および表12から明らかとなるのは, 以 下 の 3 点である。 すなわち, ま ず 第 1 に商業, 食料品
業および専門職グループが,半分の4 9 .9 % とシティよりも高い比率を占めていることである。 これ
は,特に専門職が2 3 .4 % と シ ティの2 倍以上の高い比率を占めていることによるが,ここには232名
のジェントルマン(
第 2 位)と13名のエスクワイアが含まれているのであり, この点が何よりも顕著
な特徴といえよう。 また,雑 職 業 に リ ン カ ン 法 学 院 の 執 事 (a butler of the Licoln's Inn) およびクリ
フ ォ ー ド 法 学 院 の 執 事 (a butler of the Cliffordes I n n ) が現れるが, 同法学院の存在に関連する公証
人 (
第 5 位)お よ び 書 籍 文 具 商 (
第 8 位)が上位を占めていることも他にはみられない当該地域の第
2 の特徴といえよう。 第 3 に,工業職もまたシティと同様に4 1 .5 % と高い比率を占めており,特に
織 物 ■衣類製造業が2 0 .2 % とその半分近くを占めているが, これは主として合わせて290名の多くを
数える仕立屋(
第 1 位)の存在によるものであり, これも上記のジェントリ•専門職の需要によるも
のと考えられる。皮 革 工 業 (
1 1 .2 % ) お よ び 金 属 加 工 業 (
7 _ 4 % )の多さも注目されるが, 各々主とし
て製靴エ(
第 3 位,111名)お よ び 鞍 師 (
第 7 位,58名) , 刃 物 師 (
第 4 位,88名)お よ び 金 細 工 師 (
16名)
によるもので,雑 工 業 職 の 時 計 製 造 エ お よ び 楽 器 製 造 エ (
各 々 8 名および13名) ,雑 職 業 の 楽 師 (16
名)
, 食品関係職 の 料 理 師 (
第10位,50名)と,他の地域ではあまり現れない職業の存在とともに, 同
じく上記の需要によるものといえよう。 かくして, ウ ェ ス ト • エンドの職業構造は, 商業と専門職
\
イ ル ム は, S alt
L ake City の Church of Jesus Christ of L atter Day Saints の Fam ily H istory
D e p a rtm e n tにあり,同図書館の許可をえてそのコピーを入手することができる。
(42) P arish Register of St. Dunstan in the W est, Baptism s 1558-1631,Guildhall Library, M_ S. 10342
(43)
より作成。
P arish Register of St. D unstan in the W est, Baptism s 1558-1631,Guildhall Library, M. S. 10342
より作成。
109
(5 77 )
において対照的であるとはいえ,他の郊外地域よりもはるかにシティのそれに近い特徴を示すとい
ぇょう。
結びにかえて
以上より,近世ロンドンのシティおよびその郊外は, 各々多様な職業を含み, かくしてそれなり
にかなり自立的な経済構造を有していたといえるが,各地域は, また商業•金融中心地としてのシ
テ ィ, 海 運 • 造 船 中 心 地 と し て の 東 部 郊 外 (
イースト • エ ン ド ), レ ジ ャ ー . 飲 食 サ ー ビ ス 中心地とし
ての南部郊外(サザーク)
,工業中心地としての北部郊外,そして銜示的消費中心地としての西部郊外
( ウ ェ ス ト • エン ド )という経済特イ匕を示しており,か く し て 近 世 ロ ン ド ン と は , 5 つの経済的に特化
(44)
した地域(
各々独自の近世都市とよべる)からなる複合都市であったといえるのではあるまいか。
[付記 ]
本稿は, 1996年 11月 1 日に東北大学で開かれた第11回 「イ ギ リ ス 都 市 . 村落共同体研究会」 およ
び同年11月3 0 日に東京大学で開かれた第6 回 「
地域工業化研究会」 における報告に加筆したもので
あり, その要旨は, 1997年 5 月3 1 日に東北大学で開かれた社会経済史学会第66回全国大会における
パ ネ ル • ディスカッションにおいて報告された。 その際,特に貴重なコメントを頂いた上記研究会
の会員の方々に記して厚くお礼申し上げる。 また本稿は, 1996-7年度慶應義塾学事振興資金による
研究補助(
個人研究) の成果の一部である。
(経済学部教授)
文 献 目 録
未刊行史料
Guildhall Library, MS10342, P arish Register of St. D unstan in the W est, Baptism s 1558-1631.
G reater London Record Office, P 93/DUN, P arish Register of St. Dustan, Stepney, Burials 1568-1622.
参 考 文 献
A lexander, J. (1989). ‘T he Economic S tructure of the City of London a t the End of the Seventeenth
C entury’ Urban History Yearbook 1989.
Beier, A. L . (1986). ‘Engine of M anufacture : the T rad e of London’ in Beier & Finlay (1986).
(44)
P • クラーク,P • スラックそしてP •コ ー フ ィ ー ル ド に よれば,16-17世紀に新^ 5市として現れた「
エ
業者P市 (industrial cen tres)」
,「
鉱泉者[5市」 (spa t o w n s ) お よ び 「
造船都市」 (dockyard t o w n s ) は,
18世紀イングランドにおける主要な地方都市類型となるのである。 C lark & Slack (1976),
chap. 3 ;
Corfield (1982),chaps. 2 - 4 .
110
(57 8 )
Beier, A. L. and
Finlay, R., eds. (1986). London 1 5 0 0 -1 7 0 0 : The M aking o f the Metropolis
(L o n d o n ) ; 川 北 稔 訳 『メトロポリス• ロ ン ド ン の 成 立 1500年から1700年まで』 (
三嶺書房,1992
年) •
Boulton, J . (1987). Neighbourhood and Society ; A London Suburb in the Seventeenth Century (Cam­
bridge) .
B rett-Jam es, N. G . (1935). The Growth o f Stuart London (London).
Corfield, P. J. (1982). The Impact o f English Towns 1 7 0 0 -1 8 0 0 (O x fo rd ); 坂 卷 清 • 松 塚 俊 三 訳 『イ
ギリス都市の衝撃1700-1800年』 (
三嶺書房,1989年)。
Clark, P. and Slack, P. (1976). English Towns in Transition 15 0 0 - 1700 (O x fo rd ); 酒 田 利 夫 訳 『
変
貌するインダランド都市1500-1700年 — 都市のタイプとダイナミツクス一一』(
三嶺書房,
1989年).
De Vries, J. (1984). European Urbanization 1500-1 8 0 0 (Cambridge, M ass.).
Finlay, R . (1981). Population and Metropolis : The Demography o f London 1 5 8 0 -1 6 5 0 (C am bridge).
Finlay, R. and Shearer, B . (1986) • ‘Population G row th and Suburban Expansion', in Beier & Finlay
(1986).
Fisher, F. J. (1948/90). ‘T he Development of London as a Centre of Conspicuous Consumption in the
16th and 17th Centuries’, Trans. R. H. Soc., 4th ser” XXX ; later in Fisher (1 9 9 0 );浅 田 実 訳 「16 •
17世紀の街示的消費の中心地ロンドンの発達」 (
同編『
16,17世紀の英国経済』未来社,1971年所収).
------------(1971/90). ‘London as an “Engine of Economic G row th,
”,Bromley, J. S. and Kossman, E.
F.,(eds.), Britain and Netherlands, I V (The H a g u e ) ; later in Fisher (1990)
------------(1990). London and the English Economy, 150 0 -1 7 0 0 (London).
Forbes, T. R . (1980). ‘W eaver and Cordw ainer : O ccupations in the P arish of St. Giles w ithout
Cripplegate, London, in 1654-93 and 1729-43’
,Guildhall Studies in London History, 4.
H a r d in g ,V .(1990) _T h e Population of London, 1550-1700 : A Review of the Published Evidence’
,
The
London Journal, V o l.15,No.2.
------------(1995). ‘Early M odern London 1550-1700’
,The London Journal, V o l.20, No. 2.
H ooker, J. (1765). The Antique Description and Account o f the City o f Exeter , 3 Parts, ed. by
Brice, A .).
Jones, E . (1980). ‘London in the Early Seventeenth Century : An Ecological A pproach, The London
Journal, V o l.6, No. 2.
Keene, D. and Corfield, P., eds. (1990). Work in Towns 8 5 0 -1 8 5 0 (L eicester).
M alam ent, B. C.,ed. (1980). A fter the Reformation (M anchester).
Power, M. J. (1 9 7 1 ).‘T he U rban Development of E ast London, 1550-1700’(London University
Ph. D. thesis)
------------(1985). 'John Stow and his London’
,
Journal o f Historical Geography,V o l.II,N o . 1
------------(1986). ‘T he Social T opography of R estoration London’,in Beier & Finlay (1986).
------------(1990). T h e E ast London W orking Community in the Seventeenth C entury’,in Keene &
Corfield (1990).
Stone, L .(1980) ■‘The Residential Develoment of the W est End of London in the Seventeenth Century’
,
in M alam ent (1980).
Stow, J. (1603/1971).A Survey o f London, ed. by C. L. K ingsford (London).
Vance, J. E . (1 9 7 1 ).‘Land Assignm ent in Pre-Capitalist, C aptalist and Post C apitalist Cities’
,
Economic Geography, 47.
W rigley, E. A. (1967/87) • ‘A Simple Model of London’s Im portance in Changing English Society and
Economy 1650-1750’
,Past and Present, 37 ; later in W igley (1987).
------------(1985/87). ‘U rban G row th and A gricultural Change : England and the Continent in the
111
(
5 79 )
E arly M odern P eriod’
,
Journal o f Interdisciplinary History, XV : later in W rigley (1987).
------------(1986) . ‘B rake or A ccelelator ? U rban G row th and Population G row th before the Industrial
Revolution’,presented to Session 5 : A gricultural Productivity, T ran sp o rtatio n Capacity and
U rban G rowth : Sem inar on U rbanization and Population Dynamics in History.
------------(1987). People, Cities and Wealth : The Transformation o f Tradional Society (O xford).
酒田利夫(1 9 9 2 a/9 4 ).「イギリス中世•近世都市史の諸問題」(
社会経済史学会編『
社会経済史学の諸問題』
有斐閣所収);後 に 酒 田 (
1 9 9 4 )所収.
------------(1 9 9 2 b /9 4 ).「
近世ロンドンにおける人口(
上) , (
下)」 (
『
青山国際政経論集』24,26号);後に
酒田(
1 9 9 4 )所収 .
------------(1992c/94). 「
R _ B _ ドブソン『中世におけるロンドン』
」(
『
比較都市史研究』11卷 2 号);後に
酒田(
1 9 9 4 )所収.
------------(1993a). 「イギリスにおける地方史編集• 叙述の歴史」 (
『
歴史学研究』641号).
------------(1993b/94) . 「
近世イギリス経済発展におけるロンド ン の 役割につ い て 」 (
『
青山国際政経論集』
27号) );後 に 酒 田 (
1 9 9 4 )所収.
------------( 1 9 9 4 ) .『イギリス都市史』 (
三嶺書房).
------------(1996) • 「
近世ロンドンにおける疫病の流行について(
上) , (
下)」 (
『
青山国際政経論集』36, 37
号) .
坂卷清(
1 9 9 6 ) .「
近世ロンドン史研究の成果と課題—
—
(東北大学 Discussion Paper, No. 53).
112
「
危機」と「
安定」をめぐる研究を手がかりに——
(58 0 )
」
Fly UP