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A.5.15 遺伝子工学時代の倫理
A5.15 〔参考訳〕 数年前、あるカップルが子どもを、しかも耳の聞こえない子どもを好んで持とうと決め た。両親とも聾で、そのことに誇りを持っていた。聾であることに誇りを持っている他の 人達と同様、Sharon と Candy は、聾を文化的なアイデンティティであると考え、治療さ れるべき障害だとは考えていなかった。「聾は一つの生き方だ」「私たちは聾として様々な ことを感じるし、そういった人たちの集団での素敵な側面、すなわち所属・絆の感覚を子 どもと共有したいと考えている。聾として豊かな人生を送っていると真に実感しているの だ。 」と Sharon は言っている。聾の子どもを持ちたいとう希望のもと、5 世代に渡り聾の 家系から精子のドナーを求めた。そして、うまくいった。息子の Gauvin は聾の子として生 まれた。 新しい両親は、ワシントン・ポスト紙に掲載されたこの話が幅広い批判を受けた際に、 非常に驚いた。怒りのほとんどは、二人が意図的に我が子へ障害を強制したという非難に 集中した。Sharon と Candy はレズビアンのパートナーであったが、聾が障害であるとい うことを否定し、単純に自分たちと同じような子どもがほしかったのだ、と主張した。「私 たちは自分たちがしたことを、多くの異性愛者のカップルが子どもを作るときにしている ことと大きく異なることだとは考えていない。」と Sharon は言っている。 計画的に子どもを聾にさせるのは誤りか?もしそうなら、なにゆえに誤りか?聾だから か、それとも計画的だからか?議論のために、聾は障害ではなく際立ったアイデンティテ ィであるとしよう。それでも、自分たちのそういった子どもを選び出すという両親の考え に、何らか誤ったところがあるだろうか?あるいは、相手を選ぶ際、そして現代では新し い生殖技術を使う際に、いつも両親はそういうことをするのだろうか? 聾の子を巡る議論のちょっと前に、the Harvard Crimson やその他のアイビーリーグ学 生新聞にある広告が載った。自分たちで子どもを作ることができないカップルが、卵子の 提供者を求めていた。しかも求めていたのはただの卵子提供者ではなかった。背が高く、 体格が良く、家系に大きな病気がなくて、学期試験で良い成績をとるものでなければなら なかったのだ。この条件に見合う提供者からの卵子に対する見返りとして、広告では 50,000 ドルの支払いが示されていた。 優れた卵子に対して大金を申し出た両親は、おそらく自分たちに似た子どもが欲しかっ たのだろう。またはより良い子どもに変わることを望み、自分たちより背が高く頭の良い 子どもを得ようと試みたのだろう。いずれにせよ、その度を越した申し出は、聾の子を欲 した両親が被った公衆の批判を引き起こすことはなかった。身長や知能、身体能力は、子 どもが耐える必要のない障害である、と反対する人は一人としていなかった。だが、その 広告には何がしか、道徳的な不安が後に残るものだ。たとえ危害がないにしても、特定の 遺伝的性質を持つ子どもを両親が望むことについて、何か問題はないのだろうか? 聾の子、あるいは試験の成績が良い子を得ようとすることについて、ある重要な側面か ら自然の生殖と同じとして、それを擁護する人もいる。すなわち、両親がその機会を多く するためにどんなことをしようとも、彼らが望む結果について保証されていないという点 である。いずれの試みも、まだ遺伝子の宝くじのなすがままのものだというのだ。この擁 護論は興味深い問題を提起する。予測不可能性という要素が若干あることで、なぜ道徳的 な差異が生じるのか?バイオテクノロジーにより不確実性がなくなり、子どもの遺伝的特 徴を設計することができるようになったと仮定してはどうか? この問題について考えるにあたり、子どものことはしばらく置いて、ペットについて考 えよう。意図的に作られた聾の子についての喧騒が過ぎて 1 年ほど後、Julie というテキサ スの女性が愛猫の Nicky を亡くした悲嘆に暮れていた。そんな時彼女は、猫のクローンを 作るサービスをしているカリフォルニアのある企業について読み知った。2001 年、その会 社は最初のクローン猫の作製に成功した。Julie はその企業に Nicky の遺伝子試料を、必要 な料金 50,000 ドルとともに送った。数か月後、大変喜ばしいことに、彼女は遺伝的に同じ 猫である Little Nicky を受け取った。「全く同じ。何一つ違うところなど見いだせない。」 その会社のウェブサイトは以降、ネコのクローン作製について、値下げを発表した。また 返金可能の保証も発表された。 「もし子猫が遺伝子の提供者と十分には似ていないと感じた ら、理由を問わずに全額返還します。」一方、企業の科学者は新しい製品ライン、つまり犬 クローンの開発に励んでいる。犬は猫よりクローンを作成しづらいので、企業はその料金 を 100,000 ドル以上に設定する予定である。 猫や犬の商業的クローン作製に関して、何か奇妙だと感じている人はたくさんいる。ち ゃんとした家を必要としている多くの動物がいる中で、大金を費やしてオーダーメイドの ペットを作成することは、道徳的に誤っていると不平を述べる人もいる。成功したクロー ンを作成する試みにおいて、その妊娠中に多くの動物が亡くなることを危惧する者もいる。 しかし、これらの問題が解決されたとしよう。それでも、猫や犬のクローン作製は不安を 催すものだろうか?ヒトクローンの作製についてはどうか? 遺伝子工学の技術の進展は、我々に期待と問題をもたらした。期待とは、すぐにでも多 くの病気を治療・予防できるようになるだろうというものである。問題とは、遺伝学に関 する新たな知識により、我々自身の性質を操作することができるようにもなるだろうとい うことだ。つまり、筋肉や記憶、気分を向上させたり、子どもの性別や身長、その他の遺 伝的性質を選択したり、自分の身体的・知的能力を高めたり、自分をより良くするといっ たことができるようになるだろう、ということである。多くの人は、少なくとも遺伝子工 学の一部について不安を抱いている。しかし、その不安のもとをはっきりさせるのは容易 ではない。道徳的・政治的論説でおなじみの言葉のために、我々の性質を再設計すること の何が誤りであるか述べるのが難しくなる。 もう一度、クローン作製についての問題を考えよう。1997 年に作られたクローン羊であ るドリーの誕生は、クローン人間作製の見込みについての懸念を爆発させた。懸念に足る 正当な医学的理由もある。多くの科学者は、クローン作製は危険であり、深刻な障害や先 天性欠損を抱えた子どもが作られる可能性が高い、という点で一致している(ドリーは早 死にだった) 。しかし、クローン作製技術が改善して、こういった危険性が自然妊娠と同じ 程度であるくらいになったと仮定しよう。それでもヒトクローンの作成は受け入れられな いものか?両親のいずれかと、あるいは残念ながらなくなった年上の兄弟と、ついでに賞 賛された科学者、スポーツのスター選手、セレブと、遺伝的に双子である子どもを作成す ることの、何が本当にいけないのか? クローンの作成は子どもの自律性に関する権利を侵害するという理由でそれに反対する 人がいる。子どもの遺伝的構造を事前に選び出すことで、両親は、先人たちの陰にある人 生へと子どもを仕向けさせ、それにより、開かれた将来に向かう子どもの権利を奪うとい うのである。自律性からの反対論は、クローン作製に対してだけではなく、両親が子ども の遺伝的性質を選ぶことを可能にするあらゆる遺伝子工学に対しても、与えることができ るものである。この反論によると、遺伝子工学に関する問題とは、「デザイナー・チルドレ ン」が完全に自由ではない、ということである。すなわち、好ましい遺伝的増強(例えば 音楽の才能や運動能力)であったとしても、子どもは特定の人生の選択に仕向けられてし まい、その自律性が損なわれ、自身で自身の人生を選ぶ権利が侵害されるということだ。 一見したところ、自律性の議論は、ヒトクローンの作成やその他の遺伝子工学について、 問題を引き起こす事柄を捉えたように思われる。しかし、これは 2 つの点で説得力に欠け る。第一に、両親の設計なしで、子供が自由に自身の身体的性質を選ぶことができるとい う、誤った意味を含むからである。しかし、我々は誰ひとりとして自分の遺伝を選ばない。 クローンの子どもあるいは遺伝的に増強された子どもに代わるのは、その将来に圧力がか かっておらず、特定の才能に縛られてもいない子どもではなく、遺伝子の宝くじのなすが ままに生まれた子どもである。 第二に、自律性についての懸念によってオーダーメイドの子どもを作ることについての 心配が、いくらか説明できたとしても、自身で遺伝的増強を求める人達に対する道徳的な ためらいを説明することはできないからだ。全ての遺伝的介入が世代を通して伝わるわけ ではない。筋細胞や脳の細胞といった非生殖細胞に対する遺伝子治療は、欠損した遺伝子 を修理・交換することで機能する。そういった手法を病気の治療ではなく、健康を超えた ところまで拡張し、身体的・知的能力を増強して、標準を超えたところに自分を持ってい くことに使う際に、道徳的ジレンマが生じる。 この道徳的ジレンマは自律性の侵害とは無関係である。卵子や精子、あるいは生殖系列 への遺伝的介入だけが、続く世代に影響を与える。遺伝的に筋肉を増強した運動選手は、 増したスピードや強さを子どもに伝えることはない。子どもを運動選手としてのキャリア に向けさせるような不必要な才能を、子どもに押し付けたと責められることもあり得ない。 それでも、遺伝的に改変された運動選手の将来について、何がしか落ち着かないものがあ るのだ。 美容整形外科のように、遺伝的増強は、病気の治療や予防、怪我の修繕や健康の回復と いったこととは無関係ない非医学的な目的に、医療的な手段を使うものである。しかし美 容整形外科と異なり、遺伝的増強は単なる美容ではない。皮膚よりももっと深いものだ。 身体の増強は子どもや孫には伝わらないものであろうが、これであっても道徳的な難問を 提起する。老けたあごや眉に対する美容整形外科に自信を持てないなら、より強い身体、 より優れた記憶、より高度な知能、そして幸せな心持を志向する遺伝子工学には、一層悩 まされることになる。問題は、問題を抱えることが正しいことか、もしそうなら何を理由 にそうなのか、ということだ。 今日のように、科学の進展が道徳的理解より速い場合、人々は自分の不安について説明 するのに苦労する。自由主義の社会では、自律性、公平性、個人の権利といった言葉に、 まずは手を伸ばす。しかし、こういった一部の道徳的語彙では、クローン作製、デザイナ ー・チルドレン、そして遺伝子工学によって引き起こされる最難問に応えていく準備がで きない。これが、ゲノム革命がある種の道徳的問題をもたらしてきた理由である。遺伝的 増強の倫理に取り組むためには、現代社会では視界からほとんど消えてしまった問題、す なわち自然の道徳的地位に関する問題、そして既存世界に対する人間の適切な姿勢に関す る問題に向き合う必要がある。これらの問題は宗教的理論に密接に関係しているので、現 代の哲学者や政治理論家はこの問題を避けたがる。しかし、バイオテクノロジーという新 たな力は避けることを許さない。 〔解答例〕 1 fairness, individual rights 2 しかし、クローン作製技術が改善して、こういった危険性が自然妊娠と同じ程度であるく らいになったと仮定しよう。それでもヒトクローンの作成は受け入れられないものか? 3 ・人間は実際には遺伝的形質を選択できないが、子どもが自由に身体的性質を選べるとい う誤った考えを与える可能性があるから。 ・病気の治療ではなく知的・身体的増強などのための遺伝子治療は認められるかという、 人々の道徳的ためらいを説明できないから。 4 遺伝的に筋肉を増強した運動選手は、増したスピードや強さを子どもに伝えることはない。 子どもを運動選手としてのキャリアに向けさせるような不必要な才能を、子どもに押し付 けたと責められることもあり得ない。 5 前者は盲目という障害を故意に子どもに負わせることになると非難されたが、後者は身長 や知能や運動能力は耐えなければならない障害ではないという理由で異論が出なかった。 6 ロ 7 ハ 8 ロ 9 今日の科学の速い進歩に伴う不安を自律性や公正さという道徳的語彙で説明しようとして も、クローン技術や遺伝子操作が提起する難問には対処できない。これに対応するために は、現代社会から姿を消した自然の道徳的地位や既存世界に対する人間の適切な姿勢とい った問題に取り組むことが求められている。