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黒田一族の出自を探る - 播磨の黒田武士顕彰会

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黒田一族の出自を探る - 播磨の黒田武士顕彰会
播磨の黒田武士顕彰会会報 No.5
播磨の黒田武士顕彰会
あ が
縁
本山 一城
大塚 健洋
(顕彰会 顧問)
(顕彰会 会長)
戦国疾風伝
「二人の軍師」新春ワイド時代劇ドラマ
野外撮影となった、
「英賀の戦い」の戦闘シーンと「中国大返し」の
備中高松城からの反転シーンでは大勢のエキストラに混じって顕彰
会役員メンバーの神澤・新福・大谷の三名が出演し、大いに気勢をあ
げました。撮影はワンシーンを監督が納得のゆくまでくり返され、作
品の完成に必要とするエネルギーを改めて実感したと述懐していま
平成22年9月27日 滋賀県高島市の撮影現場にて
した。
黒田一族の出自を探る
秀吉に天下を獲らせた男たち、と題して戦国の乱世を疾風の如く
人間万事塞翁が馬の諺どおり、官兵衛の
の軍師」が視聴率7.6%で好評だったよ
59歳の生涯は、中原に鹿を追う波瀾万丈の
うである。原作本の元ネタは小生が二十
生き方を強いられながらも、心の安らぎを
二年前に出した「竹中半兵衛と黒田官
求めてか、和歌や茶道にも秀でた戦国武将
兵衛」なのだが、原作者も局も連絡ひと
でもあった。秀吉の天下獲りを支えた軍師
つよこさないので協力はしていない。
で二兵衛と呼ばれている、竹中半兵衛と共
もっとも小生は秋に「なんでも鑑定団」
に世に高名を馳せているが、置かれている
に出演の要請があって番組宣伝に利用
地位を忘我することなく主君に仕えてい
されている。こちらは視聴率12%+再
る。下剋上の世にあって成す機会を有しな
放送で、知らない人にまで声をかけられ
がらも、研ぎ澄まされた知性と慧眼で決し
て、
その影響力に驚いた次第である。
て焦ることなく窺っているその武者姿は
ドラマは請われれば何でも教えたの
猛々しい。絶えず後鹿を拝しながらただ一
に甲冑武具の時代考証が全く駄目で残
度秘めたる天下獲りの野望に燃え自らが
念だった。これに関しては四月から六月
起ち上がった九州関ヶ原の戦いは、東西両
にかけて姫路文学館に開催される特別
軍15万の将兵が激突した天下分け目の
展「黒田官兵衛の魅力」をご覧いただけ
関ヶ原の戦いが僅か一日で勝敗が決し夢
れば幸いである。福岡市博物館所蔵の
は砕けたが、極限まで望みを捨てなかった
黒田家伝来品の他、小生の所蔵するゆ
彼の生き方に納得させられるものがある。
かりの品々も展示されるので、TVや映
私事になりますが、妻は豊前国中津出身
画のスタッフはせいぜい勉強していただ
で、子供3人は福岡で学びそして夫婦共に
きたい。ドラマは年末に再放送されるか
今は姫路獨協大学で共に教鞭を執ってい
11月20日 官兵衛縁の地巡り第10弾(天王山・有岡城・有馬温泉)
に示す興味は深く、顕彰会スタッフの手助けを得ながら着用、帯
ら、
甲冑姿を脳内変換して見るのも一興
る。誠に縁の深い繋がりでより深化させた
11月27日 第2回官兵衛まつり
刀し親子が交替で戦いの場を演出しカメラに収める姿は微笑ま
である。
いと念じている。
駆け抜けた、稀代の名軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛にスポットを
当て、武将として信義や潔さを忘れることなく誇り高く生き抜きなが
黒田家の出自については複数説あり特定することはできないが、最も有力とされる滋賀県木之本
らも最後まで天下を掌中にと極限まで野望を捨てることなく生涯を
町
(現:長浜市)
がほぼ定着しているものの、
多可郡黒田村(現:西脇市)
とする説も依然として存在
賭けた官兵衛と、三木城攻略の最中、不治の労咳のため志半ばで倒
している。
貝原益軒が3代当主の光之から編纂を命じられた「黒田家譜」からも、加えて近代に入り、
れた半兵衛の生涯が七時間に及ぶ長編で見事に活写されており、観
ど、歴史的経緯をもつ。好天に恵まれた晩秋の黒田村字大坪の稲荷神社が、黒田城跡で通称しろ
衛役には山本耕史さん、秀吉には西田敏行さんと豪華なメンバーが
やま
(城山)
と呼ばれており眼下には豊かな水田が広がる。真偽の是非は兎も角約500年前の遠い
配されていました。
(テレビ東京平成23年1月2日放送)
昔に思いを馳せると、
何か納得させられるものがあった。
∼顕彰会メンバーから3人のエキストラ出演∼
てるひめ
で秀吉の播磨平定によって落城。三木城主別所長治が信長に反旗を翻えしたことに呼応し断絶へ
と追い込まれゆく。戦国の世の習いとは言え、親子が互いに反目し合う過去の現実に思いを寄せ
3月20日∼21日 官兵衛縁の地巡り第9弾(佐賀・福岡方面)
4月22日∼6月12日 黒田官兵衛の魅力−天下をねらった播磨の知将
本山一城氏所有の太刀・槍(姫路文学館特別展)
6月1日 第5回定期総会
8月6日 第62回お城まつり協賛歴史パレード
第6回黒田武士まつり
9月7日 黒田武士ゼミ開講(第3弾1回目)
事務局よりのお願い
ずにいられなかった。
編集後記
三木の干殺しと後世に伝わる、
「三木合戦」は、
信長に謀反の城主、別所長治が2年に及ぶ籠城
そっーと差し出された両手には、ピノキオに模したボールペン
が乗っていた。一瞬何のことか理解できず躊躇したが通訳を通し
て「もてなし」を受けたことへの感謝の印とのことで恐縮したも
のだ。成程童話ピノキオの冒険はイタリアの作家によるものだっ
たと思い出した。家族旅行で世界文化遺産・姫路城からの帰りに
立ち寄ったとのことで、兜・刀・槍・陣羽織これら日本の伝統文化
しかった。帰国してからの思い出は更に深まったであろうか。七
継続会員のみなさんには引き続きお願いしますと共に、会員
拡大に向けての働きかけにご協力ください。
化に直接触れて貰える機会が持てたことで疲労困憊は喜こびへ
街に元気を与えるテーマから
同じ、
播磨の黒田武士顕彰会
の皆様に第一回官兵衛通り
まつりにお声をかけていただ
いてチラシのイラストを担当
させていただきました。第一
回という記念の会に参加でき
た事をうれしく思います。
これ
からも同じく街に元気を与え
ていきたいと思っています。
(顕彰会々員)
日光東照宮の入口に高さ9メートルの大きな石鳥居が立っています。この石鳥居は日光東照
宮造営の翌年、元和4年(1618年)に黒田長政が奉納したもので、後水尾天皇宸筆の「東照大
権現」の扁額が掲げられ、柱には「元和四年戌午四月十七日 黒田筑前守藤原長政」と刻まれ
ており、国の重要文化財に指定されています。
長政は前田、島津、伊達、細川といった黒田家よりも石高の多い外様大名を差し置いて、な
ぜ日光東照宮の最も目立つ場所にこのような大鳥居を寄進したのでしょうか?この時期は大名
各種似顔絵・WEDDING・遺影・イラスト
の改易が盛んに行われていたことから、日光東照宮への崇拝の念を表すことにより幕府への
みゆき通り ブドウ工房
忠誠を示す必要があったと思われますが、キリスト教への迫害が強まったこの時期、キリスト教
●問い合わせ…
ブドウ工房 代表 ブドウちゃん
とは無縁であることを示し、黒田家の安泰を図ろうとしたようにも見えます。この石鳥居から
は、豊臣恩顧の大名家として徳川の世で生き残りを図ろうとする長政の思いが感じられます。
長政寄進の石鳥居(日光東照宮)
090-8483-5722(水曜日定休日) 姫路市綿町90 たまちゃん街の駅前路上
戦の末、秀吉に降服自刃し別所一族は果てるが、播磨守護職にあった赤松一族としての矜持は高
く文武に秀でた武将でもあった。
菩提寺の雲龍寺には、
首塚・金天目の湯呑が保存されており歴史
を物語っていた。
平井の陣で病没した軍師竹中半兵衛の墓は人里離れた閑静な地にあり質素な
佇いであり伝えられるとおりの人柄を忍ばせた。
もろびと
今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命にかわる わが身と思えば
(長治公辞世の句)
∼意外なスポット地∼
ふじ わら せい か
儒学者藤原惺窩生誕地
̶三木市̶
月一日から一ヶ月以上に亘る街の駅での官兵衛・長政と24騎展
の一コマで、西欧諸国・アジア合わせて13国からの観光客が異文
思わず浮きうき躍動感を象徴する官兵衛まつりチラシの
イラストありがとう。感謝、かんしゃ
今藤 久夫
くし はし これ さだ
志方城址は今は観音寺と呼ばれ、
官兵衛の妻、
光姫が城主櫛橋伊定の娘として生まれ育った城
「英賀の闘い」の農民姿の新福杉夫・大谷充・神澤輝和(左から)
平成23年の行事予定
黒田村に伝わる系図、
「播磨故事」によると
官兵衛は重隆の御子、職隆の猶子とある
黒田家舊縁の地の碑文にある祖先の黒田左衛門尉大夫判官源宗清(宗満)公墓も発掘されるな
る者に感銘を与えました。主役の官兵衛には高橋克典さんが、半兵
と変化した。芳名帳の横文字のサインは、それぞれの国の違いが
ひめじ観光大使
平成22年11月21日
志方∼黒田庄∼三木/官兵衛縁の地巡り第8弾
TV東京の新春七時間ドラマ「二人
日光東照宮の石鳥居
播磨の黒田武士顕彰会
発行/播磨の黒田武士顕彰会
住所/〒672-8032 姫路市飾磨区妻鹿東海町107
TEL.FA X/079-245-4685
E-mail:[email protected]
印刷/ムトー印刷
平成23年(2011年)
2月10日 発行
あって面白い。大切に保存されている。もう一つ新たな試みとし
て、第一回官兵衛まつりと銘打ち、官兵衛通り一周年記念事業と
して野趣溢れる晩秋の大手前通りで小規模乍らも充実したイベ
ントが多方面からの厚意によって
実現され喧伝できたことも印象深
いものがある。縁の地巡りは九州
から滋賀を経て岡山へ、更に兵庫
県内へと進んだが、その都度参加
者の増員に気を引き締めている。
官兵衛丸が出航してから6年目に
入るが前途の航海は果てしなく永
い。会員・シンパそして多くの市民
のご支援を得て。
理事 山下博文
絵 : 山下博子
しも れい ぜい け
志方城址・観音寺
官兵衛の妻・光姫の実家・櫛橋家の居城
播磨の黒田武士顕彰会
官兵衛の祖々父の地、備中高松城址、
まきび公園を訪ねる
中国大返し凱旋パレード・舞台演舞
観客魅了の神桜舞−しのび−
平成22年3月20日
縁の地巡り第7弾
中単備
田独中
勝踏高
康破松
︵の城
監官か
事兵ら
︶衛京
の都
父天
黒王
田山
職も
とま
隆た
かで
に 2
扮 4
す 0
る㎞
を
平成22年8月7日
妙興寺本堂で官兵衛公407回忌の法要を行う
司馬遼太郎氏の記帳
官兵衛の祖々父 高政公が京都船岡山の戦いで、足利10代将軍
武瀬
久戸
顕内
也市
氏長
の・
ご
挨
拶
義稙の逆鱗に触れ逃れ着いたとされる備前福岡(現:瀬戸内市)に
菩提寺の妙興寺を訪ね、武久顕也瀬戸内市長も同席する中、官兵
衛の命日に当たる当日、岡田行弘住職の慈しみを含んだ法話に耳
を傾けながら往時を偲びました。鎌倉時代から吉井川方と山陽道
いっ ぺん ひじり え
顕彰会発足5周年を記念する、官兵衛・長政と黒田24騎「中国大
返し凱旋パレード」は官兵衛に扮した16代当主長高さまを先頭
に、子供甲冑隊らを従えた約150名が、さながら戦国時代の昔日を
五年目の感動・・
(不要把我忘記!!)
「播磨の黒田武士顕彰会」は本席「歴史祭り」で呱々の産声を上げ
て、5年目を迎えました。以来、未知との遭遇を重ねながら“一意専心”
「NHK大河ドラマ」を目標に鋭意取組んで参りました。
これも、姫路市行政当局を始め、姫路獨協大学及び各企業と多数の
サポーター皆様の強力なご支援の賜と感謝致しています。
近年の活動特色の中に若い層とのジョイントがあります。
(社)姫路青年会議所・100人の子供甲冑隊と躍動美溢れる神桜舞−
しのび−との共同事業をプログラムに取り入れました。
司会進行役を務める理事、山下博文と姫路獨協大
柔道部員サポーターのみなさん(特設舞台)
彷佛とさせる絵巻き行列を披露し、沿道の観客から惜しみない拍
2「官兵衛さんの大きな夢」
:家族で読む歴史書として史実に忠実な絵
本は柳谷 郁子さんにより発刊。挿絵は、顕彰会顧問 本山一城さ
ん。∼広く全国の家庭 に普及されることを祈念∼
「中国大返し」再現:428年の昔(1582年)黒田官兵衛の進言で秀吉
が 実 行したと伝 わる中国 大 返し 。備中高 松城∼京 都大 山 崎 の
240km を6日間で単独踏破。播磨のリンドバークこと中田勝康さん。
二人のトップランナーは休みを知らず明日へと走り続けます。
手・喝采が送られ、歴史パレードの中でも一際目立つ存在でした。
が交差する位置の福岡は、一遍聖絵に描かれているように大いに
これに先だつ、午後1時から大手前公園特設舞台では、豊前国
栄え、七口七井戸七小路と呼ばれる程で、今に残る道路幅員の広
観光ネットワーク黒田の会(中津市)代表 臼田清美さんが率いる
さと碁盤目の条理制の名残りを体感しました。福岡行きに際し、
会員の皆さんが正調黒田武士・女黒田武士を見事に演じ、初参加
市議会議員・平原順二氏にご尽力頂いたことに感謝します。
のスタジオニュージー 神桜舞しのびは、7歳から10歳までの女
秀吉の天下獲りの始まりは、本能寺の変後間髪を置かず、備中
子が忍者(くの一)や侍になり切り舞台狭しとハイテンポな舞い
高松城の水攻めを進言した官兵衛の
「殿、
いまこそ天下獲りの絶好
を見せ観客を魅了しました。
1「大河ドラマ誘致委員長」石見利勝市長は「お城の化粧直し」完成に
“マト”を絞った放映希望を伝達。全国的に要望件数が高く、治乱興
亡・群雄割拠する中で最もベストな選択。
の機会です」と伝えられている。秀吉本陣跡の石井山に登り、今は
城址公園となった本丸跡を望み、湖上の上で自刃する城主の清水
−長高さまを囲んで交流懇親会− 岡山鉄砲隊も初参加
宗治公を偲び、46歳と同じ年齢にありながら、天下獲りに上る者と
■手柄:灘菊酒蔵西蔵にて
死に至る者との余りにも大きな落差に悲哀を感じずにはいられな
この夜全ての行事が終了した、午後8時半か
かった。
備中高松城址/秀吉の本陣、石井山山頂付近から高松城跡を望む
ミスター遣唐使と言われる吉備真備と広峰神社との係りは深
3「黒田官兵衛・長政と24騎甲冑展」
7/1∼8/5日(36日間)
大手前商工会議所「街の駅」にて開催。
来館者4,319名内、外国人1,087名(25%)
「兜と刀、 陣羽織と母里太兵衛の大杯」で記念撮影→ホスピタリテ
シェイシェイニー
ィ発信。 「ありがとう∼サンキューベリィマッチ∼謝謝迩」
其々お国
プ ヤ ウパーウォ ワ ンチ
言葉の謝意・・ 不要把我忘記!!<私を忘れないで下さい・・>
*5年目を迎えた「顕彰会活動」で”特筆大書”されることは、黒田家16
代当主黒田長高さまが連続参加、シンボリックな存在として「力と弾み
と華」を添えていただいていること。
又、気脈相通ずる同じ“想い”の縁の地「顕彰会」諸氏の友情出演。感
謝+感激+感動の連続劇場ing・・
黒田官兵衛と勇ましい24騎軍団に「槍の穂先と軍馬の響」が感知さ
れる位置を得ました。
みとく しっとく なっとく
見得+知得=納得をテーマとした
「知的好奇心探究集団」はホップ・
かて
ステップ・ジャンプ・&・INGを糧として継続・発展・飛翔へと進化します。
(第61回お城まつり黒田武士まつり閉会のあいさつより)
平成22年8月7日 (理事:山里孝治)
か ろ とう せん
”夏 炉 冬 扇 ”
官兵衛に扮する16代当主 長高さまを先頭に堂々の歴史絵巻 黒田筑前守如水の旗手を務める長高さまのご令嬢
歴史研究家
黒田 美江子
(顕彰会理事)
黒田官兵衛には名言がいくつもありますが、その内夏炉冬扇と
や」という問いに対する答えが「夏炉冬扇」という言葉だそうです。
ら縁の地、中津黒田の会員を交えた関係者ら約
いうのは、夏は暑さにどっぷり浸かる、冬は寒さにどっぷり浸かる、
彼の素晴しいリーダーシップは、この様な学問を積み重ねて得た
90人が交流会に相応しい場所の手柄:灘菊西蔵
その事になり切るという事です。これは北条時宗が蒙古襲来の時
徳性の賜物なのでしょう(会報4の私の原稿がファックス送信ミス
まく じき こ
く生誕地の真備町
(現:倉敷市)
を訪ね、
唐招提寺を創建した唐の高
に集い、今回初参加の岡山鉄砲隊28名のみなさ
に師の無学祖元から言われた一言「驀直去」
(まっしぐらに突き抜
で一行抜けています。後から六行目「これが59才の…」となってい
僧鑑真を招聘した功績などを学び天平時代国造りに果たした、ま
ん方からは、今後より絆を深めてゆこうとの力
ける 逃げるな)で後に禅の公案になり「大事到来、いかにしてこ
ますが「これが彼の真骨頂で59才の生涯を閉じる時、彼の残した
きびのスケールの大きさを改めて実感した縁の地巡りとなった。
強い言葉を頂き、輪は徐々に広がってゆくこと
れを避くべきや、酷暑到来 酷寒到来いかにしてこれを避くべき
辞世の歌は今も時空を越えて私達の心を引きつけます」です。
を確認しました。
和やかな雰囲気の交流懇親会(灘菊酒造)
高松城址資料館・江本賢司館長より縄張り、水攻めについて詳しい説明を受けた
官兵衛、長政と24騎甲冑展
”大手前通り姫路商工会議所
「街の駅」に
黒田武士勢揃い”
「ハラキリ」は世界の共通語
平成22年7月1日∼8月5日の36日間
顕彰会発足5周年記念事業として、お城まつり当日限りの武者
最後の訪問地まきび公園
第1回官兵衛まつり開く
官兵通り1周年記念事業
トナムからと国際経済状況を敏感に反映していると感じた。
異文化に対する好奇心は驚く程強く、兜、陣羽織、刀、槍を身に
大塚健洋会長を中心にサポーターとして活躍の姫路獨協大学のみなさん
昨年11月29日官兵衛の誕生日に因んで生まれた「官兵通り」の1周
歓待するスタッフの心が言葉の通じない相手にも手応えの
年を飾る官兵衛まつりを開催し、地元商店街や晩秋の色濃い姫路
あった36日間であった。お陰で国際親善となった外国人は4分の1
城見学の観光客や市民の多くにアピールすることができました。関東
の1087名で全く予想していなかっただけに喜びは大きい。
地方や北海道からの来客者は一様に、官兵衛が姫路生まれで城主
福島県白河市 薄葉 正雄
日本一周の旅に出るとき、漠然としたコースは考えていました
事務局山下氏との出会いでした。会場では丁寧に甲胄の説明を受
魂盛隆士隊ら20人は、本町から駅前を経て、年末の買物客で賑わう
が、具体的な計画は立てないようにした今回の旅でした。しかし、
け、また、NHK大河ドラマの誘致に力を注いでいることが分かり、
御幸通りをパレード。道ゆく人々の盛んな声援を受け、一段と熱が
初めて見たいところとしては伊豆半島、紀伊熊野古道、四国八十
大変熱心に活動を繰り広げていたことが強く印象に残りました。失
入っていました。
八箇所巡りなどでした。また今までに旅して特に印象深かった所
礼ながらこのときに黒田節に縁がある土地柄であることが分かりま
は姫路城、沖縄の郷土食、日本海の夕日などでありなんとなく頭
した。なお、姫路城の改修工事が終わった頃にまた訪れてみたいと
の隅に置いての旅立ちでした。
思っています。
ザック一つに生活用具を詰め込み走り出したのが退職して間
その後も私は旅を続け、九州から沖縄一周、鹿児島に戻り日本
もない2010年4月11日例年に無く寒い年でした。初日から冷
海沿いを青森へ、それから北海道に渡り函館から稚内、旭川から
たい雨に祟られ先々が心配でしたが、太平洋沿岸を南下し、房総
網走へ、再び青森に戻り奥州街道経て自宅に帰還しました。旅は実
半島、伊豆半島、紀伊半島、四国に渡り八十八箇所巡りを順調に6
に210日8300キロに亘り病気も故障も無く、沢山の出会い思い
月30日に終えました。この時点で早82日目で3400キロ余踏
出ができ、皆様に励まされ完踏できましたことを感謝いたします。
査しましたが、日本地図を見て遅々と進まない距離にじれったさを
今回の姫路での出会いが一
感じながら7月1日に姫路市に入りました。
つの思い出としてしっかり心に
焦りみたいなものがありながら、国道2号線から姫路城への寄
残ることと思います。
産として持ち帰ってくれた。武士の切腹は「ハラキリ」と殆どの者
が流暢な日本語で話しており普及されていることに驚いた。
日本一周の旅と黒田武士
一方武具甲冑姿の播磨甲冑倶楽部やたつの市から賛助出演の武
平成22年11月28日
つけさせると大喜びで家族、友人らで撮り合い荷物にならない土
寄 稿
官兵衛を先頭に御幸通り商店街をパレード
官兵衛通りをパレードの武者パレード
姿ではなく、長期間に亘って市民の目に触れ、訪れる国内外から
であったことを知ることができ、再び姫路に興味が湧いたことの感
の観光客にも、との思いで36日の長期間展示に務めた結果4300人
想を語っていました。
以上が訪れ、平均120人を数えた。姫路城が平成の大改修とあって
官兵衛が豊前中津で12万3千石の城主となった縁で交流を深化さ
り道には決断がいりました。姫路城はもう一度見たいとの思いはか
最後になりますが黒田官兵
か帰りに立ち寄る人が多く、北海道から沖縄までと列島全部に及
せている、黒田武士顕彰会からも、しろまる姫より一回り大きな「あ!
なり強く持っていたのですが、姫路城に着くと憧れの城は工事中
衛の大河ドラマ化が成就され
び、外国からはフランス、ドイツ、イタリア、イギリスを中心にス
官兵衛」のゆるキャラの賛助出演を得て、会場は一段とヒートアップ。
で姿は全く見えない状態で落胆しましたが、せめて巨大な石垣でも
ますことと、黒田武士顕彰会が
カンジナビア半島(スエーデン、フィンランド、ノルウェー)デン
街路樹の銀杏の葉っぱが歩道を埋める中、神桜舞−しのび−による
いいと思い苔むした石垣の前で記念撮影して帰ることにしました。
ますますご発展されることをご
マークと西欧諸国が多くを占め、アジアでは韓国、中国、香港、ベ
黒田武士の舞い、温かい官兵衛汁、紙芝居、腹話術、ご当地バーガー
がっかりして戻る道すがら黒田武士顕彰会の方に誘われて甲胄の
祈念申し上げます。
(元白河市職員)
並ぶ甲冑を前に談笑するスタッフ(街の駅)
の出店やグッズ販売もあり終日賑わいをみせました。
豊前中津黒田武士顕彰会賛助出演 あ!官兵衛 戦国乱舞 神桜舞ーしのびーのみなさん
展示会が行われている会場に導かれて、見学させてもらったのが
北海道 美幌駅にて
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