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5年間の森づくり報告 - 森びとブログ ~山と心に木を植える

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5年間の森づくり報告 - 森びとブログ ~山と心に木を植える
に木を植えよう
心
と
山
5年間の森づくり報告
ふるさとの木によるいのちの森づくり
NPO 法人
5 年間の森づくりを振り返って
NPO 法人森びとプロジェクト委員会は法人設立から 5 周年を迎え、この間の活動の報告書ができました。
月日の経つのは本当に早いものです。まさに“光陰矢の如し”です。詳細は報告書に譲ります。
今、世界も日本も「文明の岐路」に立っていると言っても過言ではないような歴史的な転換期を迎えていま
す。あらゆる分野で価値観の転換や「パラダイム・シフト」が起きています。
その最先端に位置するのが地球温暖化と自然破壊といういわゆる「環境」問題だろうと思います。人類や生
物、生態系の生存にかかわる基本が危機に瀕しています。同時に、二酸化炭素(CO2)の大幅な削減による温
暖化防止のために、化石燃料から自然エネルギー、再生可能なエネルギー、バイオ・エネルギーなどへの転換
一方で同人、会員の旺盛なチャレンジ精神とボランティア精神にも支えられてきました。良き指導者と良き
仲間、良き理解者があってこそと思い、すべての関係者の皆さまに心から感謝申しあげます。
多くのインストラクターも育ち、それぞれの地域、職場で活動の輪を広げていることも嬉しい限りですし、
あの石川啄木の絵本『サルと人と森』がいまなお読者を増やしていることは感動的でさえあります。さらに最
近は「山と心に」のうち「心に木を植える」活動が新たなステージに入ったことを強く感じています。
それは昨年 11 月の「森と生きるキャンパスフォーラム in 早稲田」での緊急提言が大きな契機になりました。
“世界の森が危ない、日本の森が危ない!”をスローガンに森林を救い、守り、元気にすることを訴える活動
というエネルギー革命は、間違いなく世界と日本の産業革命を促すことは避けて通れません。すでに自動車、
鉄鋼、電力、電機、セメントなど、日本の基幹産業の足元でそれは起きています。
こうした時代には的確な状況判断と「先見の明」が求められます。否応なくそうした判断を求められる場合
に大きくシフトしました。政府、政党、経済界、労働界そして各種団体にも呼びかけや請願を続けています。
私自身も民主党幹事長室に細野豪志現幹事長代理や林野庁で島田泰助長官に直接会って、提言書を手渡しまし
た。また、何と言っても私たちの要請に応えて民主党の今野東参議院議員を会長に設立された「日本の森を元
もあります。いずれにしても“山と心に木を植えよう”を合い言葉に、公害の原点といわれる足尾銅山跡と八
幡平の松尾鉱山跡で植林に汗を流してきた森びとの活動は、間違いなく次世代のパイオニア的な役割を果た
し、パラダイム・シフトを確実に進めるだろうとの予感を強くしています。方向は決して間違っていなかった
気にする議員連盟」の設立総会では、“炭撒きの効用”と緊急性について宮下正次理事とともに参加し、話をさ
せてもらいました。
森びとのお陰で私も政治評論だけでなく、植林や環境問題から文明論にいたる講演の依頼も来るようになり
と確信しています。
思えば“世界の宮脇”
“植林の巨人”宮脇昭先生と出会い、その厳しくも優しいご指導を受けたことは好運で
した。
「不可能と思われる困難な場所だからこそ“本物の森”が育つんだ。そんなへっぴり腰でどうする。苗も
木も生きるのに必死なのだ。植える人間が命がけにならなければ木が可愛そうだ」。
こうした宮脇先生の言葉を信じ、その生き様に触れたからこそ、ここまでガンバってこられたんだと思いま
す。この間、いわゆる「宮脇方式」の思想と方法は国際的にも国内的にも急速かつ確実に浸透しました。国や
自治体、企業、地域、学校などの植林活動に革命的な変化をもたらしました。直弟子、愛弟子を自認する森び
と同人としては大変な喜びであるとともに励みにもなっています。
ました。もう 40 年も前になりますが、佐藤栄作内閣の末期に公害国会を担当し、新たに設立された「環境庁」
(当時)の名付け親になったことの縁と森びととの不思議な巡り合わせを強く感じています。
大きな時代の転換期にあって森びとの思想と活動は間違いなく時代の要請に沿った理にかなったものと確信
を深めています。おそらくすべての同人、会員の方々も同じ思いを強くしていると思います。その責任もまた
重いものがあると思います。
NPO 法人各種団体との連携、協働を通じて日本の素晴らしい森林を、その歴史や文化、伝統とともに後世
に残したいと願わざるを得ません。より一層の高みを目指して一緒に全力を尽くしましょう。
理事長 岸
井 成 格
目 次
■ 5 年間の森づくりを振り返って
・2P〜3P 理事長あいさつ
■ふるさとの森づくり
・4P〜5P 足尾の森づくり
・6P〜7P 八幡平の森づくり
・8P〜9P 小さないのちの森づくり
■森づくりの評価
・10P〜12P 宮脇 昭(社団・国際生態学センター
所長・横浜国立大学名誉教授)
・13P〜16P 青木淳一(横浜国立大学名誉教授)
■自然環境に関する文化事業
・17P 森と生きるキャンパスフォーラム
・18P 日本の森を救う緊急提言提出
・19P “平成の花咲びと”日本の森を元気にす
る仲間たち
・20P〜21P 大人の絵本 :『サルと人と森』
自費出版
■教育養成事業
・22P “山と心に木を植える”森びとインストラクター
・23P 始まった「どんぐり教室」
■情報収集事業
・24P 心の森探訪
■森びと仲間たちとの連携事業
・25P アジア・アフリカ国民との交流
■日本の森を救う緊急提言
・26P〜27P 緊急提言
■今後の展望
・28P 21世紀の進路はいのちの森へ
2
3
足尾・ふるさとの森づくり
足尾・ふるさとの森づくり
いのちが息づく 足尾の森づくり
2005年・秋
2010年8月
私たちが森づくりをしている場所は鉱毒や山火事に
の柵に開いた小さな穴でも柵内に浸入し、幼木の枝や葉
本一本に対する思い入れがあることを感じた。地球の現
安心して棲息できる森づくりをしている NPO 法人の皆
よって岩山と化した斜面です。この斜面は今から約 60
を食べてしまいました。そこで、食害防止策として、福
状を変えるには同じ問題意識を持ち、活動する人や意思
さん、日本の森林と鉄道を守り働いている労働組合の皆
年前から緑化事業が進められていますが、その多くはア
島県の漁民の方から使わなくなった漁網を頂き柵の外周
表示する人を増やしていかなくてはならない」という感
さん、木の文化を伝え守っているアイヌの皆さんと宮大
カマツ、クロマツ、カラマツ、ヤシャブシ、ヤマハンノ
に張りました。周囲約 700m の柵に漁網を張ったこと
想が寄せられました。
工の皆さんから学び、絆を深めています。
キが植えられています。私たちが植樹している場所は足
で鹿の食害は殆ど無くなりました。ウサギ、サル、ネズ
こうした育樹・育苗活動を支えてくれているのはボラ
育苗のボランティア活動に参加してくれた方は、
「一
尾町の皆さんが植生盤を背負子で背負って急斜面を登
ミの食害は少ないものの完全に防止することはできませ
ンティァの皆さんです。労働組合の皆さん、学生の皆さ
度破壊した自然環境を再生するまでには長い年月がかか
り、植生盤を岩に取り付けて草木が生える環境づくりを
ん。私たちは無理せずにこの動物達と共に森をつくりだ
んそして市民の皆さんが年間延べ約 1 千人が現地を訪
るけれど、人間がこつこつと植樹を継続していくことが
してきた所です。そこに涵養林として栃木県が 2001 年
しています。こうした育樹活動は多くのボランティアに
れ、その作業日数は年約 100 日程にもなっています。
大事だと思った」
、
「植樹をしながら少しばかり環境問題
に植えた所です。
支えられています。
5 年間の森づくりから教えられたことは第 1 に、現場
に関心が芽生え、自分も温暖化ストップに参加している
宮脇昭先生とその場に立ったのが 2004 年です。こ
の地を見あげると墓場をススキ等の草木が覆っているよ
各地で根を張る苗木たち
もっていることを意識することでありました、
第 2 には、
うな所でした。木の添え木
(竹)
だけが草原に刺さってい
私たちの森づくりは収集したドングリをポットに蒔き
森づくりは人間の生活の都合に合わせられないことであ
る様子は何千本の卒塔婆が刺さっている墓場に見えまし
ドングリに命を吹き込みます。芽吹いた幼木が大地に根
り、そこには慣れや惰性は禁物だということでした。全
た。大雨が降ると斜面には土砂が流れ落ちることもあり
を張れるように育苗しています。育苗活動の主な作業は
ての生物が必要としている生産物を唯一生産している植
ました。
また、
禁猟区ということで狩猟が解禁になる冬か
秋に蒔いたドングリが乾燥に負けないようにマルチング
物は、どんな異常気象下でも必死になって生きようとし
ら春にかけては多くの鹿が越冬する場所でもあります。
と撒水、強風と寒さに耐える苗床の管理です。春には若
ているエネルギーから生かされていることを私たちは忘
この地で 2005 年春からいのちの森をつくるぞと始
葉をつけたドングリの幼木をワンポットに一本の苗木に
れてはならないということでした。
まった足尾・ふるさとの森づくり。早速、宮脇昭先生と
分け、ポットに引っ越した動けない幼木が他の草との競
足尾町周辺の植生調査を行い、ふるさとの木を探し当て
争に負けないための草取り、夏には週に 1 回の撒水を
心にも芽吹く命を大切にする願いと実践
ました。「木は根、根は土」という指導の下、幼木が大
行います。
私たちの合い言葉は“山と心に木を植えよう”です。
地に根を張って巨木に育ち、森の機能が発揮できるいの
苗分け作業と除草作業は梅雨から真夏の蒸し暑い季節
私たちが願っているのは木を植えるという体験だけで森
ちの森づくりを開始しました。
での大変な作業ですが手を抜くことはできません。苗木
づくりを終わらせるのでなく、毎年参加してくれた皆さ
大量の黒土や腐葉土を、バケツリレーで運び上げ、急
にとっては光合成と水で栄養分を吸収し、大きく生長す
んと共に森の有り難さや協働の喜びを共有することで
斜面に掘った 1 千個以上の穴に幼木を植えてきました。
る大切な時季です。それは他の草も同じです。短期間で
す。そして森づくりを通じて出会いを大切にし、森と人
森づくりの回数を重ねる毎に植樹会場は上になり、限界
やらなければならない作業には多くのボランティアの協
との結びつき、人と人との絆を強めることができれば幸
になったバケツリレーを止めて手作りの背負子で土や腐
力を得て進められています。手を抜かずに育てた苗木た
いです。
葉土を上げました。梅雨が明けて夏が訪れると植物の競
ちは温室育ちの八頭身ではありません。スマートな苗木
足尾ふるさとの森づくりでは高校生や大学生が足尾の
争が始まり、この競争に幼木が負けないように草刈りを
と比べれば見てくれはよくありませんが、冷たく強い北
森に集まり、彼らの学園での研究・発表などに活かされ
しました。草刈りは秋にも行い、
強風と雪の寒さに耐え、
風と厳しい寒さに耐えた苗木の足腰は頑丈そのもので、
ています。企業の皆さんは社員研修を継続し、その結果
鹿の食害に遭わないように柵の補強を行ってきました。
ポット内の根もしっかりと充満しています。3 年生き抜
を企業の CSR に活かしています。また、
ハンディキャッ
真冬には雪の中の急斜面を上り下り、幼木が鹿などの動
いた苗木は新潟県と山形県に嫁ぎ、大地に根を張ってい
プのある皆さんの自立に結びつく場として森づくりが活
物から食べられないように植樹会場のチェックをしてき
のちの森を形成しつつあります。
かされています。さらに、5 周年を記念した“オオムラ
ました。
苗分け作業に参加してくれた方からは、
「一度壊した
サキが舞う森づくり”を提案してくれた NPO 法人の皆
動物達は必死に生きようとしていますのでスチール製
自然を元に戻すことの大変さに驚き、スタッフは苗木一
さん、日本の伝統建築を未来に継げている皆さん、熊が
(森)に立って自然は想像もつかないほどに偉大な力を
自覚をもった」という感想が寄せられました。
< 治山事業の歩み >
1610 年
足尾銅山が発見される。
1884 年
産銅量が増加し、森林の伐採、煙害が進む。
1887 年
祭の火が原因となって山火事が発生し、約
1100㌶を焼き尽くす。
(松木の大火)
1893 年
ペッセマー式製錬法の採用により鉱煙害が発
生し、荒廃が進行。
1897 年
農商務省訓令により東京大林区署が「足尾官
林復旧事業」を開始。その後「足尾国有林経
営事業」
「足尾国有林復旧事業」として継続。
1950 年
前橋営林局直轄足尾治山事業所を新設。
1952 年
山腹工に植生盤を導入。
1956 年
製錬に伴う有害ガスから硫酸をとり出す施設
が完成し、ガスの被害が絶たれる。足尾ダム
上流の本格的復旧が始まる。
1964 年
植生袋を導入。
1965 年
人力で施行することが困難な場所にヘリコプ
ター使用による緑化法を導入。
1973 年
足尾銅山閉山。
1989 年
40 年に及ぶ地道な努力と熱意によって、国
土保存に努め公務の信頼確保に寄与したとし
て「人事院総裁賞」を受賞。
2003 年
足尾荒廃地の特徴を備え、治山事業施工地と
の比較対照も可能な松木沢の右岸部約 400
㌶を観測監視地区に指定。
『足尾の治山』(日光森林管理署・足尾治山事業所 発行)
4
5
八幡平・ふるさとの森づくり
八幡平・ふるさとの森づくり
善意がつく る雲上の森
2010年7月
厳しい自然環境下での森づくり
れらを運ぶ車両や土壌を掘り起こす機械が欠かせませ
学び、人間の都合に合わせた苗づくりではドングリに命
私たちは化学薬品を使わない食害防止を同年から始めま
八幡平のふるさとの森づくりをすすめているのは「み
ん。八幡平・ふるさとの森づくりには地元の多くの皆さ
を吹き込むことが難しいことを肝に銘じて育苗活動に取
した。小動物が嫌う音、臭い、杉の葉等で自然に優しい
ちのく事務所」です。植樹会場は松尾鉱山跡地です。こ
んからの善意が届けられています。この善意に支えられ
り組んできました。当初 30% の発芽率を 2008 年には
食害防止ができないかと試験を行っています。
の地は標高 1 千メートルの高地で、冬季期間は約半年
た事務局とスタッフは育樹・育苗作業に汗を流し、腐葉
58% まで高めることができました。
先生と児童、労働組合や市民の皆さんが命を吹き込ん
もあり、積雪は 2 メートルを超え、強風が吹き荒れる
土作りや炭作りを毎年続けています。
苗づくりには地元小学校の校長先生と児童、旧松尾鉱
だミズナラ、コナラの苗木は、2006 年から 2010 年の
厳寒の自然環境です。その上、粘土状の極酸性土壌を中
無償で提供された黒土を小型ダンプで何十回も運び、
山中学校卒業生そして市民、労働組合の皆さんが毎年参
間に、13,000 本以上が東北各地に嫁ぎ、雪と北風に耐
和させながら植樹しなければならない地です。森づく
同じく毎年無償で提供されているパーク肥料や貝殻の運
加しています。八幡平市では平舘小学校の校長先生と児
えて大地に根付き、いのちの森の主木になろうとしてい
りを進めていく自然環境は厳しいですが、自然の力か
搬、さらに重機で植樹会場を耕し、そこに土を盛る等の
童が校庭のトチノキの実を拾い集め、ポットに蒔き、命
ます。命を吹き込んでくれた皆さんに感謝します。
ら様々なことを学びつつ北東北の大地に植樹していま
作業は雪国の短い期間中に手際良くしなければならない
を吹き込まれたトチノキを植え続けています。2006 年
す。現在、松尾鉱山跡地では東北地域環境研究会と岩手
作業です。この作業は企業や労働組合の協力を得て進め
に 3 年生だった内藤君は 4 年生になって、「苗の植え替
NPO センター、森びとプロジェクト委員会みちのく事
られ、回を重ねるごとに事務局、スタッフの絆も太くなっ
えの時は色々とお世話になりました。トチの苗を見たと
務所の三団体で「松尾鉱山跡地再生の森協議会」を結成
ているようです。
き立派に育っていました。木がどんどん大きくなってい
くのを待っています。水(苗に)をかけてもらって感謝
して植樹をしています。
< 松尾鉱山の歴史 >
1882年
(明治15年)
旧松尾村の佐々木和七・和助兄弟
が硫黄鉱床大露発見
1928年
(大正 3年)
横浜市出身の中村房次郎氏が「松
尾鉱業株式会社」を設立
自然炉 20 基を設置して硫黄の精
錬が開始される
1953年〜55年
(昭和28〜30年)
4 千 人 が 働 き、 家 族 含 め 1 万 5
千人が生活していた。
山の最盛期であった。
1958年
(昭和33年)
硫黄の主要な需要先の化学繊維業
界の不振のあおりを受けて、経営
が悪化していく。
1965年
(昭和40年)
重油脱硫による安い回収硫黄によ
り、
経営は決定的な打撃を受ける。
再生の森協議会が連携をして進めています。2008 年に
1971年
(昭和46年)
硫黄の採掘を中止する。
幸三所長)とのかけ声の下で、事務局、森びとスタッフ
は、この三者間で「松尾鉱山跡地における森づくり及び
自然の掟と向き合った食害対策
は森づくりに汗を流しています。
体験活動に関する協定書」を締結しました。厳しい自然
発芽率を高めて多くのドングリたちへ命を吹き込んで
環境の中での森づくりの教訓などを共有しあい、多くの
きましたが、現在私たちは、自然の掟は人間の都合の良
「松尾鉱業株式会社」が鉱業権を
放棄する。
1972年
(昭和47年)
北上川は、
「死の川」と呼ばれ大
きな社会問題となる。
ボランティア参加者との輪を広げています。
い方向にはいかないものだということを実感していま
連携と地道な育樹活動
しています。
」という手紙を事務所に届けてくれました。
元山堆積場に植えた苗木の生長はヤマハンノキ、シラ
2008 年の夏、あるスタッフは事務局から真夏の撒水
2006 年、本格的な森づくりを始める前に試植を行い、
カンバ等のパイオニアが良く、トチノキ、ミズナラ等の
作業をお願いされました。旧盆と重なっていたためその
強風や積雪による苗木の影響を調べることにしました。
生長は鈍いようです。しかし、枯れてしまう苗木は少な
人はやりたくないと思っていたそうです。ですが、友人
その後、他団体の皆さんのアドバイスを頂きながら、厳
く、活着率は 90% を超えています。15 種もの木を植
を誘って苗床現場にでかけてくれました。目の前に現れ
しい自然環境下で苗木の生長は鈍いが土壌改良(極酸性
えるとそれを餌にする小動物が集まり、2009 年には食
たのは真夏の暑さに幼木たちは参り、幹や枝がぐったり
土壌の中和)
に挑戦しながら森づくりを進めることにし、
害に遭いました。これには自然の力をもって対策を講じ
している苗床で、この様子を見た途端、「水やりをめん
2008 年から植樹を始めました。
「木を植えても不安が
ています。
どうだと思っていた自分、しかもスタッフの一員でもあ
いっぱいあるし、植えた木が枯れるかもしれない。しか
森づくりは植樹会場の地主・盛岡森林管理署、管理責
る自分が、とても恥ずかしくなった」と後日語ってくれ
し、それは無駄ではない。枯れても土に還ってそれは未
任者の岩手県そして私たちも参画している松尾鉱山跡地
ました。
来につながる。なにもしないと何も変わらない」
(角岸
「何もしないと何も変わらない」
多くの善意が支えとなって
す。3 年間も同じ場所で育苗していると小動物はそこに
極酸性土壌の改良は腐葉土、貝殻、木の皮、粉炭、黒土、
6
土を盛る(2008年)
バーク肥料を混ぜ合わせてきました。そこに高さ 40㌢
人の心も養う苗づくり
美味しい餌があることを感知するようです。2009 年の
程の盛土を作って苗木を植えています。その結果、土壌
苗づくりは 2005 年の秋から青森で始めました。翌年
春、八幡平の苗床に生きている幼木たちは小動物によっ
の酸性濃度は pH3 〜 pH5 が pH6 に改善されています。
からは八幡平でも始めました。2005 年に撒いたドング
て食べられてしまいました。トチノキとクリはほぼ全滅
極酸性土壌の所で森づくりを進めていくには多くの費
リは翌年、約 6,000 本を発芽させることができました。
に近い状態でした。糞などから推測するとネズミのよう
用などがかります。黒土、バーク肥料、粉炭、そしてこ
発芽率は 30% 程でしたが、私たちは森(自然)の掟を
です。そこで様々な皆さんのアドバイスを受けながら、
1977年
(昭和52年)
旧松尾鉱山から流出する、PH2
の強酸性水の中和処理施設建設工
事に着手する。
1981年
(昭和56年)
中和処理場(約 62 億円)貯泥ダ
ム(約 31 億円)が完成する。
1982年
(昭和57年)
中和処理施設が稼働し、北上川の
視線が取り戻された。
現在も施設の維持管理費用は、
毎年約 5 億円が必要である。
7
小さないのちの森づくり
小さないのちの森づくり
生態系ゆ たかな森
年
2005
2006
2007
2008
2009
2010
小計
合計
年
2006
2007
2008
2009
2010
合計
植樹本数(本)
足尾
八幡平
3,650
6,780
122
4,826
1,170
5,717
2,166
6,679
2,328
2,886
2,204
30,538
7,990
38,528
年
2005
2006
2007
2008
2009
2010
小計
合計
植樹面積(㎡)
足尾
臼沢の森 松木の森
八幡平
1,800
3,000
2,900
2,500
3,200
3,500
2,800
6,500
16,200 10,000
26,200
16
100
700
600
560
1,976
1,976
ポット苗発芽本数(本)
年
足尾
八幡平
2005
2006
13,435
5,877
2007
19,312 22,253
2008
30,240 33,971
2009
20,680
9,912
2010
3,160
2,691
小計
86,827 74,704
161,531
合計
ポット苗搬入植樹先
足尾
八幡平
樹種
搬入先 本数(本)
樹種
搬入先 本数(本)
青森県
1,500 ミズナラ、コナラ
0
青森県
0
1,500 ミズナラ、コナラ
新潟県
435 ミズナラ、コナラ 岩手、青森県
3,530 ミズナラ、コナラ、トチノキ
岩手、青森県
0
2,490 ミズナラ、コナラ
岩手、秋田県
0
4,504 ミズナラ、コナラ
435
13,524
足尾・臼沢の森における苗木の生長
2005年
樹種
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
ミズナラ
コナラ
トチノキ
カツラ
ケヤキ
ヤマモミジ
クヌギ
ウラジロガシ
アカガシ
ヤマザクラ
コブシ
樹高
幹径(根元)
(㎝)
(㎝)
(㎝)
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
50~80
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
約0.5
500超
500超
230
450
430
320
500超
230
140
450
310
7.4
6.5
3.1
4.6
3.9
3.4
6.8
2.1
4.8
4.8
4.8
5m超の木々
NO
2010年
幹径(根元)
(㎝)
樹高
(2010年9月現在)
炭を混ぜたポット(左)
岩手県の苗木たち(2010年)
山形県の苗木たち(2010年)
8
5 年前から私たちが植樹している足尾臼沢地区は栃木
枝や葉を餌とする昆虫が集まり、これを捕食する蟻やト
す。青木淳一先生のササラダニ類調査によると、
「植栽
県が 1995 年から土壌作りを行い、2001 年に植樹(8
カゲ、小鳥たちが生きていける森になりました。木陰が
後 5 年を経過した A 地点はすべての点で最も評価が高
種類)した斜面です。6 年前にこの地に立った時は苗木
できた小さな森には蜂、アオダイショウ、キジ、野ウサ
く、植栽後 1 年目の B 地点よりもはるかに良好な状態
の支柱(竹)だけが草地に刺さり、それは卒塔婆を思わ
ギ、アナグマ等が生息し、夏には蟻の巣を求めてツキノ
になっていることを示している」という結果になってい
せる荒れ地でした。
ワグマの親子が出没しています。地中では落ち葉や枯れ
ます。
この地に立った宮脇昭先生と私たちはこの草地を掘
枝を分解する土壌分解動物(ミミズ、ダニ、微生物など)
木は土壌中の菌根から毛根を通じて窒素を吸収し、菌
り、土の臭いを嗅ぎ、舐めてみました。宮脇昭先生から
が増え、これを捕食するモグラやネズミ等が目立つよう
は毛根を通じて木からデンプン等の栄養を吸収している
「本気でやるなら、ここでやろう!」と突きつけられた
になってきました。当然、この小動物を捕食する猛禽類
ようです。今後、私たちは若木が巨木へ生長していくに
私たちは本物の森づくりを推進する決意をしました。そ
(フクロウ、トンビ等)も目立ってきています。2009
つれ食物連鎖が更に豊かになって、生態系が豊かになっ
の後、多くの皆さんのご支援に支えられながら 2005 年
年からはクリが実を付けていますので猿、他の生物の餌
ていくことを願っています。私たち人間の地道な育樹・
の春から始めた足尾・ふるさとの森づくりは今年(2010
となっていることでしょう。このように若木が光合成に
育苗活動と科学的基礎に基づいた森づくりによって食物
年)で 5 周年を迎えることができました。
よってつくりだした栄養が生物の間を次から次へと別の
連鎖が活発になり、それを基盤にして生態系が豊かに
5 年前に植えた幼木の樹高は 50㌢〜 80㌢、幹の太さ
種のいのちを育んでいます。
なった小さな森は本来の森の機能を果たす可能性を秘め
は 5㍉程でした。この幼木はこの荒れ地に根付き、樹高
また、5 年前の臼沢地区では大雨が降ると砂地が流さ
ているようです。これは山に木を植えている私たちのこ
は 5㍍を超え、幹の太さは大人の腕ほどの若木に生長し
れていましたが、今日の局地的集中豪雨があっても砂地
ころにも木が植えられていることに繋がっています。
ました。この若木は毎年枝を伸ばし、多くの葉を付け、
は流されていないようです。木の根が大地をガードして
根も大地に深く広く張って元気に育っています。この小
いるように考えられます。幼木が若木に生長できる要素
さな森は木陰ができるほどになり、毎年春になると小
は土壌に住むダニや微生物の働きであると言われていま
9
宮脇昭先生の評価
宮脇昭先生の評価
びとプロジェクト委員会を立ち上げられた。最初は職場
仲間の JR 東労組の皆さんたちが多かったが、今では全
国規模で多くの企業、市民の方が参加している。そして
最初に飛び込んだのはこの足尾の森の再生である。地主・
足尾の森に関する評価
古河機械金属(株)や地元の企業の協力を得ながら、森
づくりをふもとから進めていった。
海抜 800m 前後で植物生態学的には、常緑広葉樹林
のカシ類の上限、ミズナラーブナ林下限まで生育してい
るアカガシ、ウラジロガシ、一部シラカシを含めて、常
緑広葉樹のポット苗を、それから上部はコナラ、ミズナ
㈳国際生態学センター所長 宮脇 昭
第一期生とその仲間たち(2005年)
ラ、ブナ、ケヤキ、ヤマモミジなどを含めてポット苗を
つくった。第 1 回の植樹祭は 2005 年の 5 月に、およ
した。現地は想像以上で、これが日本の国土かと思われ
などを植えるのではなくて、土地本来の、かつての足尾
そ 14 種類を土壌条件を良くしてから、長さ 1m、幅が
るほど見るも無残な赤茶けた急斜面から土砂崩壊して、
の山でも自生したような、しかし、元にもどすのではな
50㎝から 1m、深さ 60㎝から 1m の穴に 3 本づつ違う
現在日本各地でも木を植えて緑化するという活動が一
それが渓流の水までも汚染していた。そして緑といえば
くて、足尾が様々な人間活動の影響によって変えられて
樹種の苗を植えた。生き物は厳しい条件では徒党を組ま
部の省庁や地方公共団体そして NPO など多くの組織で
お墓やかつての集落の跡と思われる廃屋のまわりにヘビ
いるが、今すべての人為的干渉を停止したと仮定したと
せたほうがよいからである。そして生物的な多様性のた
それぞれの目的に対して行われている。今までの植樹は
ノネコザというシダ植物が繁茂していたくらいであっ
きに、
そこの自然環境の総和が支え得る現在の自然植生、
めに常緑、落葉も含めて、3,650 本植えた。
多くの場合ひとつの目的にしぼって行われてきた。たと
た。これは土壌中に重金属などが含まれている土地に生
すなわち土地本来の本物の“ふるさとの木によるふるさ
幸いにも不可能と思われた常緑広葉樹のアカガシやウ
えば日本で最も一般的に行われてきたのは、木材生産と
える植物であり、重金属指標植物と呼ばれる。ヨーロッ
との森”
、エコロジカルには潜在自然植生にもとづいて、
ラジロガシ、シラカシもさらに一緒に植えたケヤキ、ト
しての針葉樹の単植造林である。特に第二次大戦後は都
パをはじめ北半球の各地、ドイツの廃鉱跡などでも繁茂
その主木群の根群の充満した幼苗を主とした自然に近い
チノキ、コブシ、ミズナラなども生育して喜んだ。とこ
市部の木造家屋が全焼壊したために、国家的な必要に迫
していた。当時からも色々な緑化が試みられていたが、
森をつくることを提案した。
ろが、ひと冬越して見てみると常緑のカシ類はシカに
られて画一的にいわゆる針葉樹の拡大造林が全国的に行
今でも箱根の大涌谷などのいわゆる硫黄酸化物の蒸気が
しかし、気候条件は同じであるが、土壌条件が鉱山活
よって完全に地上部を、時には根まで食いちぎられてい
われてきた。
噴き出すところのまわりに部分的に見られ、強酸性土壌
動によって極めて劣化している。まずこれを解決するた
た。この結果を踏まえ、翌年からはまわりをシカ防除網
その後次第に復興が進み、鉄筋コンクリートなどの非
に生えるススキなどが局地的に残っているにすぎなかっ
めに機械が入らない山の急斜面を人力によって、地表か
で囲って、さらに進めていった。だんだんと標高が上っ
生物的な材料による建物が建ってきて都市が発展すると
た。
ら 1m 以上土を掘って、そこに今わずかに生えている草
てゆくので作業は厳しい。植える樹種も次第に変えて、
や低木などの有機物を焼かない、
捨てないで土を混ぜた。
主に落葉広葉樹、さらに土壌条件のよい標高 800m 以
それでも不十分であるから、落ち葉や下草などでつくっ
上のところはブナ、ミズナラ、コナラ、ケヤキなどを中
エコロジカルな森へ
美化的緑も必要になってきて、いわゆる緑化が進んだ。
どの緑も大事である。しかし、今、最も大事なのはその
土地本来の木による土地本来の森をつくることである。
それから年月がたち 2004 年ごろ、JR 東労組の高橋
た有機土壌を皆さんで 4㎏くらいづつ袋に入れて、担い
心にして植えていった。この植樹祭は毎年継続して行っ
つまり地域的には防災・環境保全林、特に荒廃している
佳夫さんが中心になって立ち上げた森びとプロジェクト
で、バケツリレーで手渡しして、堀った穴の中に、発生
ており、JR 東労組の皆さん、その OB の方々をはじめ
ところでは斜面保全林、水源涵養林である。これらの防
委員会から、足尾銅山あと地の森の再生に取り組みたい
土、まわりの草木などと混ぜて豊かな有機土壌を形成さ
関東地方を中心に遠くは仙台、大阪などからも参加者が
災・環境保全林が、成長して大きくなった老大木は、必
から協力してほしいと依頼があった。すでにそれまでに
せた。
ある。植樹後はどうしても最初 2 〜 3 年は草が生える。
要に応じて択伐して、焼かず捨てないで、積極的に利用
各省庁や多くの団体が各地で、いわゆる緑化を試みてい
すれば地域経済と共生する、第 3 のエコロジカルな森
たが、大部分は土留めの柵と先駆植物のヤシャブシ、ヤ
づくりになる。やっと日本でも現在林野庁も含めて災害
マハンノキなどが一部生育している状態で、土地本来の
次はポット苗づくりである。実は高橋佳夫さん
(現在、
続けてきた。そして 5 年後の 2010 年には 21 種類、2,886
跡地などに潜在自然植生にもとづく広葉樹の植林が広く
木を植えたのは全滅に近かった。またかつて栃木県が
本会の副理事長)とは足尾より前に北海道大沼でポット
本近いポット苗が植えられ、いずれも着実に活着してい
行われている。
およそ 30 度のかなり急な凹状の広大な斜面のところに
苗づくりを行っていた。今から 11 年前にさかのぼるが、
る。
色々と植えていたが、必ずしも成功していなかった。
1999 年ころ北海道の大沼国定公園のまわりのかつての
私はこのような厳しい環境条件で NPO の皆さんが最
国鉄時代にゴルフ場を計画した 50ha の放置された荒れ
森びとプロジェクト委員会が進めているのは、鉱害な
初に取り組むのはたいへんであると考えた。しかし厳し
地の現地調査を依頼された。見るとそこには部分的に土
どによって壊滅的に森が消滅し、立地が破壊されている
い条件で生き物は実力を発揮する。もし本気でおやりに
地本来のミズナラが生育している。私はそのドングリを
足尾銅山あと地に、潜在自然植生にもとづく土地本来の
なるのであれば協力しましょうと言って現地植生調査に
拾って、
荒れ地に森づくりを提案した。翌年から 3 年間、
森を再生すること。
中でも土砂が崩壊し、
一般にはほとん
入った。雨の多い日本の国土は長い時間をかけて大部分
JR 北海道と JR 東日本が協力して、
毎年ドングリを拾っ
ど回復が不可能と言われていた荒れた山地の急斜面に森
の重金属が流されて、川の水も水生生物が一部生存でき
て根の充満したポット苗づくりを進めてきた。このプロ
を再生しようというプロジェクトである。
る状態になっていた。しかし、今まで植えられた木の多
ジェクトは今も行われていて、JR 北海道では 11 年目
私と足尾の最初の出会いは今から 30 数年前の 1977
くは支柱が残っている程度であった。植生調査をした結
の現在も北海道全域の土地本来の森の再生をめざして、
年ごろである。当時は植生調査のため日本各地を飛び
果、私は森の再生を進めるなら、従来のクレメンツの遷
労使ともに毎年 3 〜 4 万個のポット苗をつくり、また
回っていたが、その一環として無植生に近い荒れ地とし
移説にしたがって、まずパイオニアのススキやイタドリ
全道に配布し植えている。
て有名であった足尾銅山鉱毒被害跡の荒廃地も植生調査
の種を播いたり、先駆植生のヤシャブシ、ヤマハンノキ
高橋さんはその当時のノウハウをふまえて、その後森
緑回復不可能な荒地に立つ
10
潜在自然植生にもとづく森づくりに挑戦
荒地に根づくふるさとの木々
したがって森びとプロジェクトの皆さんは休みの土曜
日、日曜日にボランティアで活動され、たゆまぬ努力を
11
宮脇昭先生の評価
土壌分解動物
未来志向で森の掟にそった本物の森
足尾植栽地の
ササラダニ類
不可能のように一般に言われていた場所、あるいは賽
の河原の石積みのようにいろんなところでいわゆる木を
植える活動は行われているが、木を植えることに喜びを
感じている方が多く、実際はなかなか育っていないこと
が多いようである。あえて正しく評価結果を言わせても
らえば成果は無残な場合が多い。
横浜国立大学名誉教授 青木淳一
ところが森びとプロジェクト委員会の試みは科学的な
見地からみてもまさに奇跡に近いほど着実に育ってい
る。2005 年、2006 年に植えられた幼木はシカに地上
[評点]さまざまな環境における全国的な調査に基づい
部を食われても、根が残っていたアカガシなどはすでに
て、選定された 100 種のササラダニ類を環境への人為
1m 以上に育っていて、確実に森づくりが成功している。
的干渉に対する耐性の弱い順に 5,4,3,2,1 点を与え、そ
この成果は多分国際学会などで発表しても、本番兼実験
の出現状況によって環境診断を試みることを提案した
のよい成果があがっていると評価されるはずである。
心となりながら、努力されている。足尾より土壌条件が
(青木 ,1995)。平均評点が高いほど、その場所の自然
足尾廃坑あとの谷部など、条件のよいところで、どこ
より厳しいので、かなり困難を極めているが、時間とと
性が高いことを示す。
でも生える早生樹のヤマハンノキ、ヤシャブシなどを植
もに同様にまちがいなく土地本来の森が再生できると確
樹することは簡単である。また厳しい条件で生育するカ
信し、期待している。
[MGP 分析 ] ササラダニ類を下等なものから高等なも
ラマツもちゃんと対応すればできる。しかし森びとプロ
森びとプロジェクト委員会の皆さんが、足尾銅山跡、
のへ M・G・P の 3 群に分け、どの群が最も多く出現す
ジェクト委員会は先駆種や針葉樹でなく、土地本来の潜
そして八幡平の鉱山跡など日本の厳しい条件のところか
るかを調べる。種数において M,G,P 群のどれかが 50%
在自然植生にもとづいたエコロジカルな知見にもとづい
ら、よりよいいのちと心と遺伝子を守る未来志向の防災・
を超える場合、それぞれ M 型、G 型、P 型と呼んだ。
た、しかも土壌条件は自ら皆さんが 1 年中厳しい条件
環境保全の機能を持つ、国土保全林、水源涵養林、景観
M 型は湿原、G 型は森林、P 型は都市植栽、どの群も
下の足尾で、土を耕したり、有機土をつくり、その腐葉
林をつくっていただき、また観光資源、そして、さらに
50% を超えない O 型は草原を指標する。一般に、植生
土をかついであがって、植樹地の土壌条件を整え、また
地球規模ではカーボンを吸収・固定し、生物多様性を維
遷移が進むにつれ、植栽当初は P 型、やがて O 型から
シカに体当たりされたり、下から野兎が入ってきたりし
持するため、森つくりを世界に発信していただきいと今
G 型に移行する。
て、葉っぱを食べられないように絶えずまわりの柵や網
までの成果を評価し、今後のさらなる活発な活動を願っ
を補強しながら、育てている。今まで鉱山の鉱毒後は再
ている。
ホソツキノワダニ
チビゲダルマヒワダニ コガタイブシダニ
ヒロズツブダニ
キュウジョウコバネダニ
ヨスニダニ
イチモンジダニ
ナミツブダニ
チビゲフリソデダニ
考 察 : 植栽後 5 年を経過した A 地点はすべての点で最
生不可能とさえ言われてきた。先駆植生によるいわゆる
も評価が高く、植栽後 1 年目の B 地点よりもはるかに
表面的な緑化しかできないといわれてきた。しかしこの
良好な状態になっていることを示している。しかし、未
足尾銅山では、確実に土地本来の“ふるさとの木による
植栽の C 地点が予想に反して高い評価を示しており、
ふるさとの森づくり”が進めてられている。
その理由は、この地点が全くの裸地ではなく、一度植栽
多分日本ではもとより、世界でも数少ない成功例で
を行って失敗した場所であり、一時的にせよ樹木が存在
ある。ドイツの重金属で汚染された鉱山跡でも 100 年
し、その枯れた部分が土壌中に残存し、土壌がかなり成
200 年単位で最初に先駆植物の樹種を植えて、時間を
熟していたことを示していると思われる。この地点で今
かけて将来土地本来の森にしようと進めている例はあ
後植栽が成功すれば、かなり早い時期に良好な環境を取
る。しかしいきなりクレメンツの遷移説による極相とい
り戻す下地が出来ていると考察される。
われるような、未来志向で現在の潜在自然植生の主木群
ケタバネダニ
マルタマゴダニ
クワガタダニ
ホソフリソデダニ
ワタゲジュズダニ ヒメヘソイレコダニ ヒョウタンイカダニ
(2010 年 4 月 24 日調査)
のポット苗の幼木を自然の森のおきてに沿って混植、密
植していくやり方で、確実に育っている例は、初めてと
いってもよいと思う。
この足尾銅山跡のふるさとの森づくりは今では企業や
ヨーロッパツブダニ ケバマルコソデダニ ムチフリソデダニ コンボウオトヒメダニ
行政からも評価されてきている。日本人は飽きっぽい。
熱しやすく冷めやすいとよく言われるが、願わくば、今
後もぜひ継続して、さらに地元企業、行政、多くの国内
海外の皆さんと協同して、未来に向かって確実に進めて
ほしい。40 億年続いているいのちは、未来に続かせな
ければならない。
ハルナフリソデダニ
なお同様に八幡平の鉱山跡の森の再生は角岸所長が中
12
13
土壌分解動物
土壌分解動物
植栽 5 年目
A1
A2
植栽 1 年目
B1
B2
未植栽
C1
C2
評点 5
ホソツキノワダニ
○
○
ケタバネダニ
八幡平植栽地の
ササラダニ類 評点 4
ヒロズツブダニ
キュウジョウコバネダニ
ヨスジダニ
○
○
○
横浜国立大学名誉教授 青木淳一
○
○
コガタイブシダニ
チビゲダルマヒワダニ
○
○
○
○
○
○
評点 3
イチモンジダニ
○
○
マルタマゴダニ
○
ホソフリソデダニ
評点 2
ナミツブダニ
チビゲフリソデダニ
クワガタダニ
ワタゲジュズダニ
ヒメヘソイレコダニ
ヒョウタンイカダニ
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
ヨーロッパツブダニ
ケバマルコソデダニ
○
○
評点 1
ムチゲフリソデダニ
コンボウオトヒメダニ
○
○
○
○
ハルナフリソデダニ
○
○
○
○
モンガラダニ
オトヒメダニ属の一種
ナガコソデダニ属の一種
岩手県八幡平の標高 1200m を超える寒冷地の草原に
然草原に近い状態であり、それに植栽のために人手を入
おいて、
森づくりのための樹木苗の植栽が行われている。
れた植栽区(①)はむしろ一時的に環境の破壊が行われ、
その植栽事業が森を育てるために成功しつつあるかどう
その後は環境回復へと向かってはいるが、さらに環境が
か、その評価は土壌中の生物相の変化を追跡することに
良好になって未植栽区に追いつき、さらに追い越すまで
よって、ある程度判定できることが分かっている。土壌
に至っていない状態と考えられる。したがって、年数の
生物の中でも特にササラダニ類[註 1]は生物指標とし
経過に伴って樹木による地面の被覆、落葉の堆積、根系
て有用である。かれらは生態系の中にあって広い意味で
の発達が進むに従って、生態系としての豊かさを指標す
分解者の役割を担っており、ササラダニ類の種組成が豊
るササラダニ群集も、必ずや高い評価を示すようになる
富になることは、環境が豊かな方向へ向かっていること
であろうと思われる。
を示している。
そのような視点から、平成 22 年 6 月 5 日、植栽の行
(3)植栽地周辺の自然植生であるダケカンバ林が種数、
われている元山地点、A 地点、B 地点およびこのあたり
評点ともに最も高い値を示したのは当然であろう。ダケ
の自然林を代表するダケカンバ林において土壌サンプル
カンバ林のみに見られた種は 5 種あり、これらの種は
を採集し、その中に含まれるササラダニ類をツルグレン
やがて植栽地にも出現するようになるであろう。
したうえで顕微鏡を用いて種名を判定した。
[註 1]ササラダニ類。日本に生息するダニ類約 2000
種のうち、もっとも種類が多いササラダニ類は 660 種
○
○
○
○
○
○
○
コンボウマドダニ属の一種
オニダニ属の一種
フリソデダニ属の一種
○
○
ミゾナシハラミゾダニ
エダゲツブダニ属の一種
ホソコイタダニ属の一種
ツブダニ属の一種
○
○
○
○
○
○
○
○
2.結果
に達する。彼らは決して人畜を吸血することなく、土壌
その結果、各地点に出現したササラダニ類は表 1 に
表層に生活し、もっぱら森林や草原の植物遺体を栄養源
まとめたようになった。元山地点、A 地点、B 地点のう
とし、その分解に寄与している。普通、地面 1 平方メー
ちで、それぞれ①は植栽を行ったところ、②はまだ植栽
トルあたり数万匹が生息し、環境の変化に敏感に反応し
を行っていないところを示す。一般に、裸地に近い環境
て種組成を変化させる。
に植栽を行うと、樹木の生育に伴って土壌中のササラダ
○
○
種数平均
15.5
8.5
11.5
評点平均
2.60
1.70
2.45
MGP 分析 MGP 分析
G・O
P・O
G・O
上
下
中
総合評価
(2)未植栽区(②)はいわゆる裸地ではなく、ほぼ自
装置[註 2]によって分離抽出し、プレパラート標本に
○
無評価
マドダニ属の一種
1.はじめに
(2010 年 4 月 2 日調査)
ニ群集が豊かになっていく。しかし、八幡平における調
[ 註 2] ツ ル グ レ ン 装 置。 ス エ ー デ ン の 生 物 学 者
査結果を見ると、ササラダニ種数は元山地点で植栽によ
Tullgren が考案した土壌動物の抽出装置。熱源に白熱
る増加がみられたものの、
B 地点ではほとんど変わらず、
電球を用いて土壌サンプルを乾燥させ、土壌中の昆虫や
A 地点ではかえって減少している。ササラダニ類の評点
ダニなどの節足動物を下受けのエタノール液の中に落下
[註 3]を見ても、B 地点で植栽によって評点平均がや
させて集める仕掛けになっている。
や高くなっているが、元山地点ではやや下がり、A 地点
では明らかに低下している。
[註 3]評点。青木(1995)の提案で、日本産ササラ
なぜ、このような結果になったかの解釈は難しいが、
ダニ類 660 種の中から、環境の変化に明瞭な反応を示
以下のように考えることができよう。
す 100 種を選定し、最も良好な自然環境に生息し、環
境の悪化に敏感に反応して消滅してしまう種群に 5 点、
(1)高冷地であるため、植栽後の年数が浅い場合、樹
逆に環境の悪化に強く、最悪の環境にも生き残る種群に
木の生長が遅く、環境が豊かになるまでにはまだ年数が
1 点、その中間の種群に 4,3,2 点を与えた。出現したサ
必要なこと。
サラダニの種の点数を平均したものを全体の評点として
環境の自然性を評価する。
(2010 年 6 月 5 日調査)
14
15
土壌分解動物
自然環境に関する文化交流事業
ダケカンパ林
評点 5
リキシダニ
ヤマサキオニダニ
オオアミメオニダニ
ヒワダニ
トールオニダニ
評点 4
ホソマルタマゴダニ
ヒラタオニダニ
評点 3
マルタマゴダニ
フクロフリソデダニ
ヒトツメアミメオニダニ
ナギナタマドダニ
オオシダレコソデダニ
ヤマトコバネダニ
評点 2
ヤマトモンツキダニ
エンマダニ
ヒメヘソイレコダニ
ヒョウタンイカダニ
コブヒゲツブダニ
クワガタダニ
ナミツブダニ
チビゲフリソデダニ
評点 1
コンボウオトヒメダニ
モンツキダニ
無評価
マドダニ属の一種
コンボウマドダニ
マルヤハズダニ
フリソデダニの一種
ニセイレコダニの一種
アラメイレコダニ
ホンシュウコバネダニ
種数合計
評点平均
1
2
○
○
○
①
1
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
A
②
2
○
○
○
○
16
3.07
①
2
②
1
○
○
②
2
○
①
1
①
2
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
②
1
②
2
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
①
1
森と生きるキャンパスフォーラム
B
○
○
○
○
○
○
元山
①
②
2
1
○
○
○
15
2.71
○
5
2.75
○
○
○
7
2.00
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
2008 年から始めた「森と生きるキャンパスフォーラ
これをベースにして当委員会は「日本の森を救う緊急提
ム」は、地球温暖化防止策が自由市場経済の持続を最優
言」
(26 ページに掲載)を作成しました。
先させ、本来、最優先すべき人間をはじめとした全ての
フォーラムの準備・運営は早稲田大学の「一学一山実
生物を守る防止策でないことに危機感を抱き、この問題
行委員会」
の学生たちと事務局、森びとインストラクター
意識を共有して変革のための意思を固める場として継続
が行いました。学生の皆さんは早稲田大学キャンパス内
しています。
でのビラ配布や立て看板設置、本番では総合司会や活動
報告を担ってきました。
●第 1 回
「森と生きるキャンパスフォーラム in 横浜」
2010 年の第 3 回「森と生きるキャンパスフォーラム
2008 年の第 1 回フォーラムでは、①世界各国の自然
in 慶應」は 11 月に開催予定。日本の森を元気にする運
環境破壊の現状②問われる私たちの意識改革とジャーナ
動を拡げ実行していくための報告・討論を計画していま
リストの役割③林業の衰退は若者の進路を阻む一要因。
す。
教育現場に求められていることは、森林プロの人材育成
*ー*ー*ー*ー*
と魅力ある労働現場の創造④本物の森は人間を変える力
< 第 1 回フォーラム >
を持っている⑤森づくりを進めていく上での壁は行政に
○
○
10
2.57
○
13
2.83
○
○
13
2.78
あること⑥国会内では国有林野事業の解体、分割、独立
行政法人化の議論が進められ、国有林改革関連法案が今
年の国会で提案される状況⑦自然環境問題は極めて政治
的な課題である。ゆえに有権者の問題であり、子どもた
ちの未来のために大人はその責任を果たさなければなら
ない⑧持続可能な社会とは人間は森と共存して生きると
いう文化を形成すること、等が明らかにされました。 リキシダニ
ヤマサキオニダニ
オオアミメオニダニ
ヒワダニ
トールオニダニ
ホソマルタマゴダニ
ヒラタオニダニ
マルタマゴダニ
●第 2回
「森と生きるキャンパスフォーラム in 早稲田」
2009 年に開催した第 2 回では、森と共生する日本人
の木(森)の文化の再創造を図る講演を受け、私たちの
常識が実は非常識であることを学びました。全体討論で
は、日本の森の現状と若者たちの活動報告を受けて討論
を深めてきました。
フクロフリソデダニ ヒトツメアミメオニダニ ナギナタマドダニ オオシダレコソデダニ ヤマトコバネダニ ヤマトモンツキダニ
エンマダニ
ヒメヘソイレコダニ
報告では、①日本の森は土壌の酸性化で悲鳴をあげて
いる、森を元気にしないと大変なことになってしまう、
②若者は様々な視点から森づくりに参画しなければなら
ない、ということが提案されました。討論では、レモン
汁のような極酸性の土壌には炭のパワーをかりて、根を
元気にして栄養を吸収できる環境をつくりだそうとなり
ヒョウタンイカダニ コブヒゲツブダニ
16
クワガタダニ
ナミツブダニ
チビゲフリソデダニ コンボウオトヒメダニ
モンツキダニ
第2回フォーラム
○
○
○
第1回フォーラム
ました。この主旨を「フォーラム宣言」として採択し、
・実施日 2008 年 7 月 27 日(日)
・会 場 横浜国立大学・教育文化ホール
・参加者 171 名
・講 演 藤原一繪(横浜国立大学教授)
足立旬子(毎日新聞社記者)
・報 告 盛岡農業高校(近藤修三教諭 他)
東海大学付属望星高校(宮村連理教諭 他)
進和学園(出縄貴史)
森びとインストラクター(水落一郎)
座長 : 髙橋佳夫(森びと常務理事)
・シンポジウム
パネラー : 安田喜憲(国際日本文化研究センター教授)
宮脇 昭(横浜国立大学名誉教授)
岸井成格(森びと理事長)
コーディネーター : 村田久美(森びと理事)
< 第 2 回フォーラム >
・実施日 2009 年 11 月 29 日(日)
・会 場 早稲田大学国際会議場「井深大記念ホール」
・参加者 280 名
・講 演 浦川治造(東京アイヌ協会名誉会長)
ロア・ウイリアム(宮大工修行中)
・報 告 柴諒斗(早稲田大学学生)
小川眞(大阪工業大学客員教授)
宮下正次(森びと理事)
・討 論 大森禎子(元東邦大学教授)
小川眞、浦川治造、ロア・ウイリアム、宮下正次、柴諒斗、
岸井成格
座長 : 髙橋佳夫(森びと副理事長)
(敬称略)
17
自然環境に関する文化交流事業
自然環境に関する文化交流事業
日本の森を救う緊急提言
平成の花咲びと : 日本の森を元気にする仲間たち
ミズナラの胴ぶき(会津若松市)
議連設立総会
群馬県の炭まき(桐生市)
島田泰助林野庁長官訪問
当委員会は定款第 3 条(目的)と設立趣意書の実現
のために、2009 年 3 月、理事会内に「日本の森を守る
提言作成会議」を設置しました。今、森づくりをしてい
佐渡市のナラ枯れ(2009 年 6 月)
る私たちは何をすべきなのかを日本の森に入って、その
私たちは第 1 回キャンパスフォーラムの宣言を受け
つを提言にまとめる。②この提言を社会に広げていく。
て、2009 年 6 月は新潟県佐渡市、7 月には山形県小国
③提言の核心点は世界各国の二酸化炭素削減対策状況に
町、9 月には福島県会津若松市のナラ枯れを調査しまし
対する私たちのスタンスを明確にする。④その上に立っ
て森と生きていくためには人間社会の中で何が課題なの
かを明確にしていく。⑤その課題に向けた私たちの実行
指針を明らかにしてそのための運動を推進していく、と
いうことでした。
作成会議ではまず、二酸化炭素の吸収源である森林は
ンパスフォーラムに報告し、日本の森を元気にしていく
方策を探っていくことにしました。フォーラムでは“木
は根、根は土が命であるから酸性化した土壌を元気にす
るために炭を撒いていこう”となりました。具体的には
ナラ枯れの広がる森へ炭を撒いて広葉樹が元気になる実
証実験をしていくことにしました。日本の森の衰退を憂
た。6 月には佐渡市のナラ枯れ調査、7 月には山形県小
う方々との連携を求め、さらには政府に対してナラ(広
国町そして 9 月には福島県会津若松市でナラ枯れ調査
葉樹)枯れ対策を実施することを求めていくことにしま
大森貞子先生と学習会
ること、
その原因は土壌の酸性化であり虫ではないこと、
森を元気しないと日本は取り返しのつかない状況に追い
込まれる、ということでした。
調査結果は第 2 回「森と生きるキャンパスフォーラ
ム in 早稲田」
(2009 年 11 月開催)で報告・討論し、
した。
ました。この炭撒きは日本熊森協会群馬県支部、森林(や
< 調査結果の特徴点 >
ま)の会の皆さんと当委員会の三者で立ち上げた「日本
・ナラ枯れの木はカシノナガキクイムシが穿孔している
の森を元気にする仲間たち in 群馬県」が実施しました。
木とそうでない木が現存していたこと。
・森にはこずえ枯れ、胴ふき、葉が小さく葉の付き具合
が少ない等があり、森が衰退していること。
4 月と 8 月には参加者を募って観察会を開き、炭の効用・
実証調査を行ってきました。神奈川県では山崎誠衆議院
議員政策チームと森びと神奈川県ファンクラブの皆さん
日本の森を元気にする取り組みを訴えてきました。同
・森林所有者の証言 (「15 〜 17 年前から木が弱ってき
が丹沢のブナ枯れ調査を始めました。一方、
「日本の森
年 12 月に開催した第 3 回理事会ではその提言を「日本
た。ナラ枯れで舞茸が取れなくなる。
」) と木の成長が
を元気にする議員連盟」は 8 月中旬、宮城県と山形県の
鈍っていることが年輪調査によって解り、立ち枯れ
ナラ枯れ現場を視察し、その後の学習会を積み重ねてい
した時期が同時期であることが判明した。
くことにしているようです。
の森を救う緊急提言」とし、岸井理事長を先頭にして担
18
た。調査結果は下記の通りでした。この結果は第 2 回キャ
どのようになっているのかを調査していくことにしまし
を行ってきました。調査結果は、日本の森が衰退してい
学生との炭まき(佐渡市)
●日本の森が衰退している
的には、①地球温暖化防止に向けた効果的な対策のひと
七ヶ宿現場視察(上・下)
現状に対する提言をまとめていくことにしました。具体
当理事と事務局は会期末のぎりぎりまで積極的に国会議
れた「日本の森を元気にする議員連盟」
(9 月現在・衆
員、民主党に要請してきました。各政党にはその提言を
参で 52 名が会員)は 6 月、大森禎子先生(元東邦大学
郵送して、提言に対する賛意を伺ってきました。
教授)を招いた第 2 回学習会を開催、8 月にはナラ枯れ
2009 年末には今野東参議院議員が「日本の森を元気
現場(宮城県、山形県)視察を実施してきました。
・行政や下請け業者が薬などによって防除していたが、
講じていただけるように働きかけていきます。この過程
にする議員連盟」の立ちあげを準備してくれました。ま
群馬県では「日本の森を元気にする仲間たち in 群馬
伐裁された間伐材が無残に残されていたこと。実際
では伝統建築を世代に引き継ぐ大工さんなどとの連携を
た、環境委員会委員の山崎誠衆議院議員は通常国会中の
県」(日本熊森協会群馬県支部・森林の会・森びと群馬
に森を見て、広葉樹の立ち枯れや森の衰退はストッ
強め、日本の木の文化の素晴らしさを全国に広めていき
委員会でこの提言主旨に関した質問をされ、平山誠参議
県ファンクラブ)が 2 月に炭撒きを実施し、その後の
プしていないことが明確になったこと。
ますが、この障害となっている建築基準法の見直しも求
院議員からはアドバイスをいただくことができました。
調査活動を行っています。神奈川県では山崎誠衆議院議
・マツタケ取りを楽しみにしている米沢町民は松枯れや
さらに国家戦略室にも提言の主旨説明を行い、担当者か
員と森びと神奈川県ファンクラブが丹沢のブナ枯れ調査
ナラ枯れを心配していたが、原因は「虫だ」という声
今後は各県でも“平成の花咲びと”
・
「日本の森を元気
らのアドバイスを頂戴しました。
を 8 月に実施し、炭の効用調査・研究に着手しました。
に支配されていたこと。
にする仲間たち」
に集っていただき、間伐材で炭を作り、
2010 年 1 月には島田泰助林野庁長官にもお会いして
この運動は日本の森の衰退を憂う多くの皆さんとスクラ
●実証実験 : 炭撒きをはじめる
その粉炭を撒いて森を元気にする運動をつくりだしてい
提言の主旨説明を行ってきました。5 月 20 日に設立さ
ムを組んでやっていきたいと願っています。
私たちは 2010 年 2 月、群馬県桐生市で炭撒きを始め
きます。
・小国町の民有地のクリ林のクリは全てカシナガの穿孔
跡は無かったが衰弱していたこと。
私たちは実証実験をさらに各県で進め、その結果を関
係省庁に働きかけるとともに政府に対してもその対策を
めていきます。
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自然環境に関する文化交流事業
自然環境に関する文化交流事業
アジアの学生の 心に木を植える
大人の絵本 :『サルと人と森』を自費出版
「過去 - 現在 - 未来」
フン トゥイ リーン
現在、環境問題は世界的な問題になってきました。世
界中の国々が環境破壊という問題を抱えています。それ
で、環境を守る対策をすぐに実行した方がいいと思いま
す。環境を保つことは私たちの未来を守る鍵となるもの
です。
従来、環境問題について書かれた文学作品は多かったで
すが、『サルと人と森』という絵本は本当に特別な本だ
と思います。この本は環境問題にせまる本ですが、口語
第 17 回足尾・ふるさとの森づくりに参加した玉超さん
体で書かれているため、とても分かりやすいです。です
から、この本を通して、読者は作家の言いたいことが分
かります。私は、この本を読んだとたん、過去 - 現在 未来の関係をつくづく考えました。なぜなら、文中のサ
生活に大きな被害を及ぼしています。人間は自分の未来
石川啄木が『林中の譚』の中で猿に扮し、自然界を支
至りませんでした。しかし、“山と心に木を植える”私
ルが言った言葉をずっと考えていたからです。
を壊しているのではないでしょうか。
配してきた世界の人類に警告しているエッセイは現代社
たちとしては自費出版をしてでも啄木のメッセージを社
その言葉は「過去を忘れた者には未来はないだろう」
サルの言ったことは本当に深い意味を持っています。
会に生きる私たちの学ぶところが大だとして大人の絵
会に拡げ、多くの皆さんの心に木を植えていくことを決
です。実際に人間はサルの子孫だといわれます。かつて
人間が間違いなく未来を生き延びるためには、もっと森
本 :『サルと人と森』を自費出版しました。出版につい
意しました。石川啄木記念会館学芸員・山本玲子さんに
人間と動物、あらゆる地球上の生物が共生していまし
や自然に謙虚でなくてはならないという意味でしょう
ては、大手出版社に働きかけてきましたが、実現するに
原文の翻訳を、絵は鷲見春佳さんにお願いしました。約
た。しかし、人間は進化とともにどんどん自然を離れて
か。
1 年間の編集作業の後、2009 年 3 月 31 日に発刊でき
生活したり、自然を破壊したりします。そういうことは
人間が自分の未来のいのちを考えるならば、森のいの
ました。
過去を忘れたということではないでしょうか?
ちの再生を目指して、木を植えなければならないという
その後、岸井成格理事長を先頭にして『サルと人と
現在の生き方は未来を決定します。ですから、現在の
ことが著者の言いたいことでしょう。人間が自分の祖先
森』を社会に拡げてきました。2010 年 7 月現在、第 8
人間が自然を破壊すれば、未来の人間はどうなるかが今
を忘れ続ければ、今に自分で自分の未来を失ってしまい
刷(8000 部)発行となりました。読者からは私たちへ
私たちには分かるようになりました。人間は木を倒し、
ます。ですから、私たちの未来を守るために、皆様は私
の激励、感想文が届けられています。なかでも日本語を
山を削り、川を埋めて、道路や都市などを作ってきまし
と一緒に木を植え、ごみを処理して、いろいろ環境保護
学ぶアジアの学生を支援する NPO 法人アジアの新しい
た。「人間はすでに祖先を忘れ、自然にそむいている」
という活動に参加しましょう。山と心に木を植えましょ
風からは、石川啄木の心に共鳴したアジア学生の感想文
とサルが言いました。その結果は地球温暖化や洪水やオ
う。
が送られてきました。今後も私たちは、多くの皆さんへ
ゾン・ホールなどです。人間のせいで、それらの自然災
この絵本を紹介し、
“人間が未来を生き延びていくため
害が度々おきました。そして、その自然災害こそ人間の
にはもう少し森や自然に謙虚でなくてはならない”とい
岸井成格氏から、絵本『サルと人と森』の目 録を受け取る林雄二
郎理事長(2009 年度の総会)
感想文へのコメント
日
アジアの学生が日本語で書かれたこの
絵本を読んで感想を書くということは大
変な努力が必要だと思います。日本語の
意 味 は 勿 論、103 年 前 の 石 川 啄 木 が
未来を見据えて書いたエッセイから啄木
の心を読みとることは大変なことだった
と察します。
私が選ばせていただいた 1 位〜 3 位
の感想文は、啄木の心をつかみ、何か実
践していこうという気持ちに立っている
読者が書いたものです。この絵本を編集
した者にとって、こんなに嬉しいことは
ありません。日本には多くの啄木ファン
がいますが、啄木のメッセージを現代社
会に活かし、実践していこうという方々
は ど の く ら い い る で し ょ う か。 け れ ど
も、
貿易大の学生の感想文は、啄木のメッ
セージを現代社会に活かそうという立場
が鮮明でした。
世界各国の人びとが文明の岐路に立た
されている現代。そこに生きる私たちは
森から生かされているという原点を振り
返り、世界の人びとが森と共に生き、支
え合い分かち合って生きていく社会を築
けよ、と啄木は世界の人類に呼びかけて
いると思います。この心をアジアの学生
達と共有できたことを喜び、
感謝します。
2010 年 2 月
NPO 法人森びとプロジェクト委員会
副理事長 髙橋佳夫
20
27
う心を耕してほしいと願っています。
3 月の初めに、小林先生からのメールが着きました。先生は「リー
ンさんは二位ですよ。おめでとう。賞は 1 万円です」と書いてありま
した。私は本当に嬉しくて、
驚きました。自分の作文は良くないと思っ
たからです。
1 万円である賞は学生にとってはすごく多いお金です。賞を受けた
後、ベトナムのお金に交換し、210 万ドンをもらいました。私はその
お金を利用して、学費を納めて、両親にプレゼントを買いました。本
当に嬉しいです。アジ風からの賞のおかげで、いろんなことができま
す。本当にありがとうございました。私にとって、今回の読後感想文
コンテストは日本語を練習する機会だけでなく、おかげさまで、賞を
受けました。だから、これからももっと日本語を頑張って勉強しよう
と思います。
もう一度、心から感謝しております。
21
教育養成事業
教育養成事業
心に木を 植える試み
地域、職場で“山と心に木を植える“インストラクター
森びと那須ファンクラブ
第一期修了生(2005年)
実践ゼミナール(2010年8月)
森びと塾(2009年
月)
10
●「森びと親子自然教室」
私たちは未来の子供たちに大切な地球を引き継ごうと
森に入って子供たちと学んできました。2005 年から始
まった「森びと親子自然教室」では森の中での二泊三日
を「遊・働・学」
(遊んで・協働生活をして・学ぶ)の
場として実施してきました。
初日は、3 日間のキャンプ生活で使用するランタン、
森びとインストラクター養成は 2005 年から 2008 年
京事務所及びみちのく事務所の事務局員の任に就いて、
箸、お皿、カップを竹で作り、2 日目は、片道 4㎞の森
までの 4 年間行ってきました。修了した 120 名の皆さ
森づくり事業運営や事務所運営に携わっています。
の中を歩いて約 1 千年も生き続けているミズナラやト
んは日本各地で宮脇昭理論に基づくいのちの森づくりを
2009 年からは「森びと教室」を修了した 120 名を
チノキに触れ、私たちは森に生かされていること実感し
実践・追求しています。
対象にした「塾」、2010 年には「実践ゼミナール」を
てきました。夜には、キャンプをしている他の皆さんに
九州では、故郷の荒れ放題となっていた里山を本物の
開講して、ほんものの森びとを目指し森びとインストラ
声をかけての「森のミニ・コンサート」(Choj・チョー
森にしたいと同級生達と汗を流している方。関東地区で
クターの心を耕しています。
ジさん)、森を歩いて感じたことを灯籠に書いた灯籠を
は一方で、埼玉県、神奈川県、栃木県、東京都で「森び
修了生は、宮脇先生から「世界中が閉塞感に陥ってい
星空の下で流れる川に流してきました。3 日目は、落ち
とファンクラブ」を結成して地域の森づくりとインスト
る時には悲観するのではなく、未来へ向かってプラス思
葉や枯れ木を分解している土壌分解動物・ダニが大切な
ラクターの絆を強めています。他方では、勤めている会
考でいかなくてはならない。そこで大切なことは人間の
有機物生産をしていることを身体で感じとりました。そ
社や地方自治体、労働組合の森づくりを企画立案し、お
感性を磨き、知恵を出し合って前向きな人たちがひとつ
れをスケッチブックに記録してきました。
客様との、市民との、組合員参加による森づくりを実施
になっていくことだ。そうすれば環境は良くなり戦争も
この教室は 2008 年で休校し、その後は 4 年間の教
しています。
また、
東京都下ではインストラクターであっ
なくなる。常に、トータル的な視点から現場に立つとそ
室で培った森に入って学ぶことの大切さを「どんぐり教
た母親の遺志を継いた娘さんは地域の森づくりに参加し
こからは本質が見えてくる。本質を見極める森びとイン
室」として実施しています。
ています。東北地区では、奥州市や八戸市で、青森市で
ストラクターたれ」(2008 年 11 月の最終講義)
、との
自治体や企業の森づくりを推進し、森びとインストラク
激励を受け、このことを肝に銘じて、本物の森びとを目
ターとして“山と心に木を植えて”います。さらには東
指しています。
< 学習内容 >
・宮脇昭理論
・足尾銅山跡地の緑化事業
・足尾銅山の歴史
・土壌分解動物の役割
・地球の異常気象と地球温暖化
・鹿の食害対策
・実習 : 苗づくりと植樹
・植生調査と生物多様性 等
< 講師陣 >
宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)
青木淳一(横浜国立大学名誉教授)
22
森田正光(気象予報士)
藤井 暁(TV 朝日アナウンサー)
大石正道(北里大学専任講師、理学博士)
辻岡幹夫(栃木県職員)
村上壮亮(元林野庁職員、森びとアドバイザー)
宮下正次(元林野庁職員、森びと理事)
矢ケ崎朋樹(国際生態学センター研究員)
宇梶静江(アイヌ古布絵作家、詩人)
桐山正治、山内和夫(千葉県森林インストラクター)
小室良雄(足尾歴史研究人)
白藤力(八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会)
関根依智朗(新潟県央森林環境センター代表)
(敬称略)
●「どんぐり教室」の始まり
●高校生の環境学習のサポート
2009 年から始まった「どんぐり教室」は、川崎市立
みちのく事務所の森づくりは極酸性土壌地で行われて
古川小学校 1 年生 87 名の自然教室をサポートすること
います。2006 年から土壌改良と試植を繰り返し、自然
になりました。
さらに市立保育園の自然教室にも招かれ、
の力を信じて旧松尾鉱山跡地で植樹を行っています。地
親子の「どんぐり教室」を行うことができました。
道に真面目に進めているふるさとの木によるいのちの森
古川小学校の自然教室では近くの公園の森を森びと
づくりは地元の方々にも受け入れられ、2009 年には八
インストラクター 9 名と散策し、どんぐり等の森の宝
幡平市教育委員会から首都圏の生徒たちを対象にした教
物を探しました。探し当てた宝物は画用紙に貼り付け、
育旅行(修学旅行)をサポートしてほしい、と提案され
拾ったドングリは 3 日後の授業でポットに播きました。
ました。同年、旅行会社と教育委員会の皆さんは松尾鉱
2010 年の春から初夏にかけては 2 年生になった児童の
山跡地で植樹を行い、現在、
「松尾鉱山環境学習プログ
皆さんは、芽を出したどんぐりに触れていのちを吹き込
ラム」の準備が進められています。
んだことを実感し、大きく育ってほしい願いを込めて
2008 年からは労働組合の新入組合員研修を行い、人
苗分けを行いました。来年には地元 NPO 法人の企画に
は森に生かされていることを学んでいます。この研修は
よってこの苗木が大地に植えられることでしょう。
現在も継続されています。
23
森びと仲間たちとの連携事業
森びと仲間たちとの連携事業
探訪先で培う心の財産
いていくことの大切さを強く感じ、世界の森の現場に
んとの連携も追求しています。国内では日本の森の危機
立ってきました。そこでは森にかかわってきた人たちの
的な状態をなんとかしようという皆さん、NPO 法人、
歴史とその人々の生き方を学んできました。観光旅行で
任意団体、労働組合そして国会議員、様々な方々との連
はなくこれからもこの地球上でともに生きていく私たち
携によって“平成の花咲びと”を目指しています。
の心を耕す場として実施してきました。
ドイツ訪問では行く先々の街は森に囲まれており、森
● JICA 研修サポート
を中心に生活が営まれていたことに感心させられまし
アジア・アフリカ人との学習・交流
た。森が中心となって街づくりが行われている基底には
2007 年から「アジア・アフリカ地域における荒廃地
ドイツ国民の自然環境に対する意識の強さがあることを
植生回復」研修(JICA 横浜主催)のお手伝いをしてい
学びました。また、この環境意識は政治にも反映させら
ます。
れていることも実感しました。ドイツトウヒ、ヨーロッ
アジア・アフリカの一部では先進国の企業による「開
パアカマツなどの針葉樹の森を潜在自然植生であるヨー
発事業」によって自然(森)が破壊されています。それ
ロッパミズナラ、ヨーロッパブナの森へと土地本来の広
によって 1 千万人以上の人民が環境難民に追いやられ、
葉樹を中心とした森づくりをしていました。環境意識の
緑が奪い取られ荒廃地となった住居地では多くの自然災
強さはゴスラーの街で行われていたドイツ人の環境教育
害による被災者を出しています。その悲惨な現状は私た
現場でも感じました。そこでは幼稚園児と先生そして街
ちが森づくりをしている栃木県日光市・足尾銅山跡地と
の消防署職員が楽しく、小川に入ってゴミ拾いをしてい
岩手県八幡平市・松尾鉱山跡地の歴史を彷彿とさせます。
ました。
毎年の「アジア・アフリカ地域荒廃地の植生回復研修」
ドイツ訪問を振り返ると、環境意識は“木を切るとタ
の受講者は 8 カ国の公務員、研究者等 12 名ですが、そ
タリがある”とか、
“山神様から怒られる”という感覚
の受講姿勢にはやる気と熱心さが感じられます。特に、
的なところで育まれるのであればそれは限界である、と
足尾での緑化事業のノウハウには関心があり、研修後、
いうことを学びました。また、
「1 本の木を切ったなら
帰国したマレーシアとフィリピンでは研修で学んだ方法
3 本の木を植える」という法律や条令で人の欲に縛りを
を基にしたアレンジで森づくりをしている報告がありま
かけて、森とともに生きていくことの大切さをドイツ人
した。
は文化として築いていました。
私たちができることは荒廃地・足尾での緑化事業の歴
国内での森探訪では、森の力は人間をはじめとした全
史と教訓、そして森づくりの実践内容を知ってもらうこ
ての生物のいのちを育んでいることを改めて実感しまし
とです。急傾斜の階段を登って植樹道具を運び上げ、ス
い活動が存在しているということでした。白神山地では
村の水を守り抜くために県が計画していた青秋林道工事
を止めさせた皆さん、西表島ではマングローブの森を守
り抜いている皆さん、母島では人間の都合で植えたアカ
ギによる島の固有種の危機を脱するためにアカギ伐採に
<2005 年 > コップで穴を掘り、黒土や腐葉土そして炭を混ぜて木を
植えてもらいました。2 時間ほどの植樹でしたが国境を
・訪問地 ドイツ・ドイツ北部の森
越えた人間と人間との心のつながりが創りだせている
・参加者 21 名
と実感しています。日本でいえば国家公務員や地方公務
<2006 年 >
・訪問地 秋田県白神山地ブナの森
・参加者 15 名
員そして学者の皆さんですが、毎年の交流を積み重ねる
と森づくりは国境を越えて人と人との絆を太くする力を
<2007 年 >
もっていると感じています。今年(2010 年)も 12 月
い活動が地元の観光に、生活に活かされていることを学
・訪問地 西表島・マングローブの森
にお手伝いをしますが、今後はこれまで以上に学習・交
んできました。
・参加者 16 名
流が深められる機会となるようと願っています。
心の森探訪で培った心の財産は森とともに生きる私た
<2008 年 >
・訪問地 ドイツ・1000 年の森
・参加者 8 名
●フィリピン NGO との心の交流
の森探訪にお付き合い下さった皆さん、宮脇昭先生をは
<2009 年 >
NPO 法人 WE21 ジャパンの依頼を受けてフィリピ
じめとした関係者のご指導・アドバイスに感謝申し上げ
・訪問地 小笠原諸島母島・固有種の森
ン・ ル ソ ン 島 で 活 動 し て い る NGO の 皆 さ ん と 2 回
ちの糧として、森づくり事業へ反映させてきました。心
ます。
・参加者 6 名
<2010 年 >
・訪問地 アメリカ・セコイア国立公園大樹の森
・参加者 12 名
2009年研修生
汗する島民の皆さんがいました。この皆さんの地道で辛
□こころの森探訪
雪にビックリ!(2007年)
携を大切にしています。日本国内はもとより世界の皆さ
帰国後マレーシアで植樹
私たちは自然環境と人間の命を大切にする方々との連
本物の森づくりを目指している私たちはその見識を磨
足尾で植樹(2009年)
●「こころの森探訪」
た。また、このいのちが守られている歴史には地道で辛
24
国境を超えるいのちの森づくり
(2007 年、2009 年)交流してきました。この NGO の
交流会では、炭による荒廃地の土壌改良等を議論してき
皆さんは海外企業の大規模鉱山開発による村の荒廃地と
ました。また、記念の植樹及び森びとインストラクター
村人の人権侵害を回復しようと活動しています。
この間、
との交流を創りだしてきました。
25
日本の森を元気にしよう
日本の森を元気にしよう
「日本の森を救う」緊急提言
【緊急提言】
1997 年、環境庁は湖の酸性化を確認した後、樹
木の立ち枯れの原因を酸性雨とし、初の警告を発表
1.農薬散布によるマツ枯れ、ナラ枯れ防止対策を抜本
しましたが、自民党は政策を見直しませんでした。
的に見直し、
「炭」等を土に施すことによる土壌対
原因究明には縦割り行政の弊害がつきまといま
策へと政策転換を求めます。よって、
「森林病害虫
す。酸性雨の測量は主に環境省が担当し、マツ枯れ、
等防除法」の見直しを求めます。
ナラ枯れ対策は林野庁が行っています。しかし、酸
性雨などが土壌に堆積し、生態系への因果関係を調
2.衰弱した木を蘇らせ、衰退した森を元気にするため
には「炭」を土中に埋めると有効です。立ち枯れた
木、適正な時季に間伐した材そして竹を自治体と市
査・研究する部門はどの省庁にも見あたりません。
そこで政府は「樹木の立ち枯れは虫が運ぶ病原菌が
原因」と特定し、今日に至っています。
民が協力して「炭」を作り、その「炭」を衰退した
2004 年には「マツ枯れの農薬散布 1 兆円分は効
森に撒きます。この「炭」で元気な森づくり運動を
果なし」とする公的事業評価が出ましたが、農林水
国民的な運動として創りだしてください。そのため
産省はナラ枯れもまたカシノナガキクイムシが病原
の「炭焼き、炭撒き・炭埋め」のモデル地区を指定
菌を運んで枯らしたと主張し、効果の薄い防除対策
日本の森は衰退し、多くの生きものの「命」が失わ
希望をもって働くことができる安定した社会をつく
し、実施してください。その上、現行の「緑の雇用」
に税金を使っています。
れていくことになります。マツ林に関してはすでに
る政策につながっていくと信じます。
に炭作りと炭撒きを取り入れ、速効性のある雇用対
策としてください。
新庄市内のナラ枯れ(2007 年 8 月)
そうなっているかもしれません。炭撒きによって森
2.このまま森の衰退を放置すれば、森林は二酸化炭素
を元気にすることができれば、世界的に重要課題と
の排出源にかわり、地球温暖化防止の「25% 削減」
なっている「生物多様性」の問題にも大きく貢献す
境支援にも大きな期待が寄せられています。現在、
3.森を救うためには縦割り組織の弊害を無くした「日
どころか、CO2 換算に組み込んでいた数量が減少
ることができます。
日本(国際善隣協会が中心となって)は中国重慶市
本の森を元気にするプロジェクト」
(仮称)を国家
することになります。枯れ木や間伐材を放置した状
鳩 山 新 政 権 が 掲 げ る 地 球 温 暖 化 防 止 の た め の
戦略室内に設置し、政府・自治体・NPO 法人等に
態で、森林整備を行い、それによって二酸化炭素の
「25% 削減」政策と合わせて、日本が地球規模での
ご存知のように中国人民の多くは燃料を石炭、練
よる樹木保護対策、
温室効果ガス削減「25%」対策、
吸収量が増加するか否か、早急に検討し直す必要が
環境問題のリーダーシップをとることができる斬新
炭、豆炭などに頼っています。この燃料を燃やすと
雇用対策等の人類が森とともに生きていく総合的な
あります。
な政策になると思われます。
二酸化硫黄が多く含まれる大気汚染物質が排出され
と共同で二酸化硫黄を減らす研究を進めています。
ます。
政策を求めます。
3.日本は世界でもまれにみる緑滴る島国で、水と豊か
5.また、
土壌に暮らす微生物や動物は豊かな森を育み、
共同研究はこの汚染物質排出時に、二酸化硫黄を
な土に恵まれています。森は土に支えられています
森の物質循環機能を高め、緑のダム機能を強化しま
削減するものです。研究内容は、「豆炭や練炭を生
排出される二酸化硫黄等を削減する燃料の生成技術
が、土の中には無数のカビやキノコ、バクテリア、
す。山に「炭」を撒くことは、川に流れだす水を浄
産する過程で、消石灰、石灰石等のカルシウム化合
支援をアジア各国へ行ってください。
小動物などが暮らし、植物と共生して森林の物質循
化し、将来に渡って安心して「水」が飲めるだけで
物と籾殻や大鋸屑などのバイオマスと呼ばれる成分
環を支えています。この土の世界に、今、異変が起
なく、漁業資源のもとになる沿岸の水質を浄化する
を混ぜます。それを高圧で豆炭や練炭を成形する技
5.日本の伝統建築技術と木の特性を活かした 100 年
ころうとしているのです。多年にわたって化石燃料
ことにもつながります。したがって、
炭を自然修復・
術を普及・発展させる」ものです。
住宅を促進させるための環境を整えてください。具
の燃焼に伴って発生した窒素酸化物や硫黄酸化物な
再生に用いる方策は環境政策にとても重要な意味を
体的には、建築基準法の見直しを求めます。
どの汚染物質は土の中で複雑な化学変化を起こし、
持っています。
4.化石燃料(石炭、豆炭、練炭など)が燃焼する時に
【提言の理由】
1.日本海側の海岸線のマツ枯れ被害は近年急速に拡
大し、防災機能が懸念されるほどになりました。
1970 年代以来、農林水産省はマツノマダラカミキ
えている恐れがあります。窒素酸化物は土壌中でキ
ノコなどの共生微生物の働きを阻害し、硫黄酸化物
はアルミを溶かして植物の根に害を与え、養分吸収
を阻害している恐れがあります。
一方、
「炭」はこれらの有用な微生物の活性を高め、
「石灰は石炭が燃えているときに、硫黄分を石膏
として固定してしまい、排ガスに二酸化硫黄が出て
こないようにすることができます。石灰分の量を調
これらの微生物や小動物、樹木の根などに障害を与
6.本提言書は、鳩山新政権の緊急課題である雇用対策
に役立ちます。
整すると 90% 以上の効率で排ガスから SO2 を除く
ことができています。同時に、20% 程度添加する
今、失業率は 5.1%(総務省発表 10 月の完全失
バイオマスは、豆炭の火付きを良くするとともに、
業率)、15 〜 24 歳は 9.3%、大学生、高校生の就
個化剤として豆炭の強度を上げる働きをします。」
職率が過去最低など、未来に希望を持てない若者が
また、石炭に関しては「乾式選炭」という方式があ
リが運ぶマツノザイセンチュウが原因として農薬散
植物の根が成長するのを助けます。これらの研究成
増え、人々と社会全体のエネルギーが失われようと
り、
「水(汚染排水を出さずに)を使わず、静電気
布を 30 年以上も続けてきました。しかし、枯れる
果は欧米では知られていることであり、日本でも少
しており、自殺者も増加しています。働くことは生
や超音波で石炭を選別しようというもの」が研究さ
範囲は北上し、誰の目にも枯れが停止したとは言え
数の研究者が取り上げてきましたが、まだ十分とは
きることです。安心して働ける環境を作り出せない
れています。
(畠山史郎氏・東京農工大学教授)
ない状態になっています。1990 年代に入って日本
言えません。従来の見方を転換して、これらの土壌
不安定な社会は安心もなければ未来もありません。
海側の森林地帯では広葉樹(ナラ、シイ、カシ類や
中の生物の働きを重視した画期的な政策・研究が必
「炭」を撒くためには森林整備や炭化事業が必要
ブナ、クリ、サクラなど)の枯れが進行し、その範
要です。
囲は 27 府県にわたり、太平洋側へも影響が広がっ
ています。スギ花粉症の流行に見られるようにスギ
の衰弱が拡大し、竹も枯れ始めました。
26
7.国際的には、COP15 で公約した日本の具体的な環
以上
となり、地域に新たな雇用を生み出します。森と共
に暮らし「木」の文化を育んできた日本は、伝統的
2009 年 12 月 13 日
4. また、森は多様な生きものの住処でもあります。こ
な知識と技術を有しており、世界に誇りうる地域社
特定非営利活動法人森びとプロジェクト委員会
のまま薬剤による防除事業を続けていけば、急速に
会を再生させることができると信じます。将来への
理事長 岸井 成格
27
故・大野三治さん(右)を偲んで
■今後の展望
21世紀の進路はいのちの森へ
2010 年の日本の夏は異常気象でした。気象観測史上初の猛暑日、熱帯夜が日本各地を襲い、多
くの犠牲者がでました。また、局地的集中豪雨によって首都圏や各地の住民は洪水や土砂流出に遭
いました。洪水の犠牲に遭ったのは日本国民ばかりでなく、中国、パキスタンの何千万人もの国民
がその犠牲になっています。
今、地球上では想定外の自然災害が各国で起こっていますが、その被害を防ぐ対策として森づく
り(生物多様性)を基本に進めていくことが私たちに求められています。利益優先ではなく生物の
いのちを守ることを優先にした森との相利共生社会を築き上げていくことではないでしょうか。
今後、私たちは 5 年間でつくりだしたいのちの森を生態系豊かな森に育み、同時に、森づくり
を通じて得た自然環境と人間の生命を大切にする皆さんとの絆を大切にして、
“山と心に木を植え
る”事業に汗を流していきます。また、今後 5 年間は“日本の森を元気にする”運動を創りだし、
多くの皆さんと“心に木を植える”ことを追求していきます。
■お礼
“山と心に木を植える”を合言葉にした 5 年間の森づくり報告ができましたことは、
(財)イオ
ン環境財団、三井物産環境基金、
(社)国土緑化推進機構からの助成金、会員の皆様をはじめ、多
くの団体、個人の皆様方のご理解とご支援の賜です。心より御礼申し上げます。
最高顧問 宮脇 昭 顧 問 伊野雅晴 青木淳一
理 事 長 岸井成格 副理事長 髙橋佳夫 監 事 髙橋利明
理 事 稲葉卓夫 角岸幸三 千葉美佐子 宮下正次 村田久美
『5 年間の森づくり報告』(『森びと通信』別冊) 2010 年 9 月
NPO 法人
〒 114 − 0013 東京都北区東田端 1 ー 12 ー 24
二美ビル 201号室
TEL・FAX 03 ー 5692 ー 4900
http://www.moribito.info/
E-mail [email protected]
(みちのく事務所)
〒020-0045 岩手県盛岡市盛岡駅西通2-16-31
TEL&FAX 019-623-1014
E-mail [email protected]
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