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析 分 勢 情 東 中

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析 分 勢 情 東 中
られて,イスラームが殉教精神を伴った好戦的で
中東 情勢分析
非人間的な宗教であるとして,おどろおどろしい
表現で語られるのである!。
このような言説は,イスラームの教義や思想を
正しく表現していないばかりでなく,イスラーム
の「宗教性」を歪曲して,政治的社会的側面のみ
を強調することになりがちである。私もよく使う
表現であるが,たしかにイスラームについて語る
際に,イスラームの「政教一致的」な側面を,そ
文化紹介
の独自性として取り上げることが多い。キリスト
教や仏教のように精神世界と世俗世界とを分離し
て,精神世界を上位に置く,いわゆる政教分離的
な考えは,イスラームでは当初からみられない。
イスラームの理想は,人間がよりよく生きるため
イスラームの人間観…
クルアーンを読み直す!
筑波大学
に,総合的な見地から社会的生物としての自然な
人間観に基づいているからである。
現代のイスラーム国・地域のほとんどは,いわ
ゆる国民国家として近代的な政治体制を採ってお
哲学・思想学系
助教授
塩
尻
和
り,イスラーム社会が一様に政教一致的であると
子
いうことはできない。しかし,武力手段をもって
1.宗教としてのイスラーム
体制批判をおこなったり,社会改革を謳ったりす
昨年の9月1
1日の大事件以降,イスラームの宗
る様々なかたちのイスラーム的集団においては,
教そのものへの批判が世界的に声高に語られるよ
政教一致的な理想論が掲げられる場合が多い。ア
うになったが,最近になってもなお,イスラーム
フガニスタンのターリバーンしかり,アル・カー
を取り巻く環境は厳しさを増しているように思わ
イダしかりである。本来は領土回復のための民族
れる。イスラームは現在の世界で1
3億人を超える
闘争であったパレスチナ問題も,いつしか宗教闘
といわれる信徒数を誇る世界第2位の宗教勢力で
争の様相を帯びてきている。しかも,政治運動に
ある。しかし,イスラームを巡るさまざまなレベ
宗教的理想を持ち込むことによって,戦闘手段は
ルの誤解は,この宗教がユダヤ教,キリスト教と
ますます過激化し,世界を震撼させる事件を招来
同一の伝統をもつセム的一神教として誕生したと
しては,さらに問題が泥沼化し,解決の方途がい
きから生じている。しかも,イスラーム国・地域
っそう遠のくことになる。このような事態を受け
以外の場所においてイスラームが注目されるの
て,宗教としてのイスラームに対する悪意にみち
は,1
4
0
0年の歴史を通じて,この宗教に対する偏
た非難の声が各方面からあがることは,残念なが
見と誤解が頂点に達した時である。昨年の9月1
1
ら当然の成り行きかもしれない。
日の同時多発テロとそれに続く一連の軍事行動
しかし,イスラームはそのような非人間的で残
は,まさに近年まれにみるその「頂点」ともなっ
虐な教義をもち,信者の精神をコントロールして
た。テロや自爆テロという行為,あるいはテロリ
殉教意識を高揚させ,自爆テロなどのテロ活動を
ズムの精神などと宗教教義とが不用意に結び付け
容認する宗教ではないはずである。中世イスラー
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ム史においては,ニザール派のような暗殺者教団
の「創世記」のような独立した物語がみられるわ
が存在したことはあったものの,それは特殊な歴
けではないが!,神が「無」からこの世界を創造し
史的条件下での出来事であり,ごく少数の限られ
たこと,人間の創造にあたっては,泥あるいは土,
た集団の行動である。もしも,イスラームの全体
といった卑しい材料を用いたことなど,神が世界
像が,そのような反社会的なカルト的宗教である
と人間の創造主であることが明確に述べられてい
なら,1
4
0
0年間も続くことはなかったであろう。
る。人間は神の被造物として卑しい物質から創ら
また科学技術の発達した高度の情報社会である今
れたが,この地上でも神の代理人として,あらゆ
日の世界で,信徒数が激増するという事態は決し
る被造物の頂点に位置させられている。
これに関するクルアーンの章句を見よう。本稿
て起こらないであろう。
確かにイスラームは,信仰生活も社会生活も統
でのクルアーンの引用はすべて,日亜対訳『聖ク
合的に取り込む社会システムとして機能するとい
ルアーン』
(日本ムスリム協会)によるが,筆者が
う独自のあり方を展開する宗教である。しかし,
独自に訳した部分もあることをお断りしておく。
信徒数の激増の背景として,考えなければならな
本当にわれは人類を,泥で形作って陶土から
創った。(1
5/2
6)
い点は,イスラームが「宗教」であるという事実
われは泥の精髄から人間を創った。次にわれ
である。私たちは,イスラームについて語る際に,
宗教本来の姿を忘れているのではないだろうか。
はかれを精液の一滴として,堅固な住みかに納
イスラームは特異で特殊な宗教ではなく,そこに
めた。それからわれは,その精液を一つの血の
は仏教やキリスト教などの霊的世界を重要視する
塊に創り,次にその塊から肉塊を創り,次いで
宗教とも共通するものがある。私たちはイスラー
その肉塊から骨を作り,次に肉でその骨を覆い,
ムの宗教性に,改めて注目する時にきているよう
それからかれを外の生命体に創り上げた。
2∼1
4)
(2
3/1
に思われる。
神は段階を踏んであなたがたを創られた。
本稿では,このような立場から,宗教としての
2)
(7
1/1
イスラームを,言い換えれば,イスラームの霊的
な側面を,クルアーンを読みながら考えてみたい
神は人間を,生命のない物質を材料として,段
と思う。そこから浮かび上がってくることは,イ
階を追って変化させ,やがて生命を有するものと
スラームの自然な人間観であり,
人間主義(ヒュー
なし,それに手足を与え,聴力・視力・言語能力
マニズム)である。結論から言ってしまえば,イ
を付与し,他の被造物にはみられない性質と知恵
スラームは決して非人間的な冷酷な宗教ではな
を与えたのである。
ここにはギリシア思想,キリスト教,
ヒンドゥー
く,世界のどの宗教も獲得することができなかっ
たほどの生きた自然な人間性に満ちた「救済宗教」
教のような霊肉二元論はなく,霊的な側面と肉的
なのである。本稿では,2回に分けて,救済宗教
な側面の双方を具えた総合的な生き物としての人
としてのイスラームの側面をクルアーンの人間観
間像がみられる。クルアーンの描く人間は,神と
から考えることにする。
直接向き合う個々人であり,サタンとの戦いを一
生続けなければならない弱い存在でもある。それ
2.被造物としての人間
は,ユダヤ教のような神に選ばれた選民として過
クルアーンが教示する人間はあくまでも神によ
酷な運命を生きるように定められた存在でもな
って造られた被造物である。世界の創造に関する
く,キリスト教のように神の子イエスに従うこと
章句はクルアーン全体に散乱しており,旧約聖書
によってのみ救われる罪深い迷える子羊でもな
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い。そこには自然で総体的で普遍的な人間性の回
ダムよ,それらの名を天使たちに告げよ。
」
0)
(2/3
復が謳われている。イスラームにおいても神秘主
義思想などにおいては,ギリシア的な霊肉二元論
クルアーンによれば,天使たちは人間より先に
が現れてくるが,正統的なスンナ派の思想には,
火から造られていたが,人間の創造に不安を感じ
現在まで霊と肉を分離する二元論は導入されてい
て神に異議を申し立てた。しかし,神は天使たち
ない。
の異議を無視して原初の人間アーダムを創り,彼
たとえば,クルアーンには「霊魂」を示す「ナ
にすべての存在物の名を教え,それを天使たちに
フス」という語がたびたび見られるが,ナフスは
も告げ知らせるようにと命令した。こうして神は
本来,霊魂を意味する言葉というよりも「自分自
地上の代理人となるべく人間を創り,彼を天使よ
身」という意味であり,人間の精神的な側面を表
り上位に置いて被造物の長となしたのである。や
現する用語である。この精神的側面は,その機能
がて,人間とその妻とはサタンにそそのかされて
としては肉体的側面から区別されるものと考えら
罪を犯したため,天国の園から追放されるが,神
れているが,肉体から分離した存在とは考えられ
は彼ら二人の罪を許したので,楽園での出来事は
ていないのである。クルアーンの「人間」が総合
「原罪」とはならなかった。キリスト教のように,
的な人間を指すことに変わりはない。
全人類の罪が原初の人間アーダムの堕罪から生じ
人間が神によって造られた被造物であるという
たという思想は採用されなかったのである。神は
ことは,人間には聖なるもの,大いなるもの,現
人間を許した際に,彼らに御言葉を与えたが,こ
世を越えるものに対する畏敬の念が具えられてい
の「御言葉」とは宗教的な知恵や知識,あるいは
るということを示している。この考えは,すべて
精神性や知性のことと考えられる。人間は楽園を
の宗教に共通する理念でもあり,一神教と多神教
追放されて地上に降り立ち,神の「信託」を受け
を問わない思想であるが,クルアーンでは,極め
入れた。ここから,神が意図した「地上での代理
て明確に人間の被造物性が記述されている。
人」としての人間の役割が開始される。それは地
上に神の意思に従う道徳的秩序を作ることであ
3.人間は神の代理人
り,人間はその責任を負わされたのである。
クルアーンにおいては,霊も肉も具えた総合的
神は諸天と大地と山々に信託を申しつけた。
な存在である人間は,
地上における「神の代理人」
しかし彼らはそれを担うことを辞退し,またそ
である。神は天地の創造を終えると,地上に神の
れを恐れた。ところが人間はそれを引き受けた。
代理人を置こうと考えた。それが人間の創造の前
実に人間は罪深いものであり,無知である。
提ともなっている。人間は神から被造物の名前を
2)
(3
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つけるように命じられたが,これは事物の本質を
「信託」の意味するところは,
「責任」または「責
知る能力を与えられたということになる。この点
任を負うこと」であり,同時にその責任において
についてクルアーンは次のように述べている。
善悪を選択する自由を得ることでもあると考えら
またあなたがたの主が天使たちに向かって,
れよう。善悪双方を自由に選択することができる
「本当にわれは,
地上に代理者を置くであろう。
」
能力は,被造物のなかでは,人間にしか与えられ
と仰せられた時を思い起こせ。かれらは申し上
ていない。天使は神の手足となって働く存在であ
げた。
「あなたは地上で悪を行い,血を流す者を
り,神の意思を体現することしか,つまり善行し
置かれるのですか。
(中略)神はアーダムに凡て
か行いえない。悪魔はこれに反して,つねに神の
のものの名を教え,(中略)仰せられた。「アー
意思に対立しており,悪行しか行いえないもので
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4.人間というパラドックス
ある。ここに人間が被造物のなかでは最高の地位
を与えられた理由がある。
人間は,地上での神の代理人にふさわしく宇宙
したがって人間は神の代理人として,ほかの被
で最も美しい姿に創られているが,同時に人間に
造物が担うことができないほどの大きな責任を負
は最も低い地位が用意されている。もし彼が道を
うものとなるが,その性分としては罪を犯しやす
踏み違えると,その最も低い地位に落とされるこ
く,無知で弱いものでもある。しかし,それは原
とになるであろう。こうして人間という存在には,
初の人間アーダムの堕罪によるものではなく,そ
多くのパラドックスが具えられている。
のような弱いものとしてはじめから創られている
本当にわれは人間を最も美しい姿に創った。
ということができる。弱く不完全な存在であるか
それからわれは,かれを最も低く下げた。
(9
5/4∼5)
らこそ,神は恩恵として導きを与えるのである。
神はだれにもその能力以上のものを負わせら
人間は本当にせわしなく創られている。災厄
れることはない。人間は自らが稼いだもので自
に会えば嘆き悲しみ,幸運に会えば物惜しみに
らを益し,その稼いだもので自らを損なう。
なる。だが礼拝に精進する者は,そうではない。
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6)
(2/2
9∼2
2)
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0/1
全知全能の神は被造物の能力の範囲を熟知して
神から与えられた人間の本質とは,能力と無力,
いるために,人間の能力を超えた遂行不可能なこ
高慢と絶望,自由意志と運命,知識と無知,高尚
とを課すことはありえない。神の命じるところは
と卑俗,などといったパラドックスとして表現さ
人間が責任をもって履行できる行為である。した
れる。人間が本来的に持っている偉大さと惨めさ
がって,神から与えられた指針に従うという決断
という相反する要素は,神に従うことによってバ
!
が自律的な規範として機能する 。
ランスが保たれると考えられる。クルアーンの教
こうして,イスラームでは人間に原罪を認めな
えは,人間に完全に偉大になれというものではな
いが,人間は本質的に心の弱い存在であるとされ,
い。弱く不完全なものとして創造された人間には,
神の命令に服して日々を送らなければならないの
はじめから完璧性は求められてはいないからであ
である。言いかえると,人間は神から与えられた
る。したがって,クルアーンは人間に,高慢と劣
天性によって天使を超えているが,しかし終生,
等感とを,自信過剰と絶望とを,同時に禁じてい
サタンと戦って悪行を避け,倫理的な修業を続け
る。
て義務をまっとうしなければならない。
「御言葉」
われが恩恵を施せば,かれは背き去って遠ざ
を授かり,
「信託」を負うということは,与えられ
かり,災厄が襲えば,絶望してしまう。
3)
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7/8
た知識をもって神の導きに従いながら,自らも生
物としての弱さを自覚して責任を果たすという生
神の情け深いお恵みに決して絶望してはなら
き方が求められているということを意味する。そ
ない。不信仰者のほかには,神の深い恩恵に絶
こには,生まれながらにして罪深い存在であると
7)
望しない。(1
2/8
いう悲観的な人間観でもなく,万物の霊長として
かれらは言った。
「わたしたちは,真理によっ
の優越的な人間観でもない,自然な生物としての
て吉報をあなたがたに伝える。だから失望して
中道的な人間観がみられるということができよ
はならない。
」彼は答えて言った。「迷った者の
う。
ほかには,誰が主のご慈悲に絶望しようか。
」
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人間は順境にあっては,すべてが自分の能力の
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結果だと驕り高ぶるが,ひとたび逆境に陥ると絶
をキリスト教のアガペーにも匹敵する教えである
望してしまうような無知蒙昧のやからである。こ
と断言している%。ラフマーンによれば,神に仕え
のような人間の精神構造はバランスが崩れた状態
ることはタクワーに基づいて行動することであ
であるとみなされ,バランスが崩れた状態は,道
る。
徳の破壊に繋がるとみられている。それは,人間
クルアーンにおいて人間は弱く不完全な存在で
をニヒリズムに陥れ,ついには絶望へと追いやる
あるが,タクワーに基づいて行動することによっ
からである。高慢と絶望は,まさにコインの表裏
て,人間にとって最良であり,しかも許される唯
なのである。クルアーンは,人間が両極端へ走っ
一の道を,すなわち中道を歩むことができる。こ
てバランスを崩すことを禁じているが,特に力点
のようにみてくると,クルアーンは人間に対して
をおいているのは「絶望」の禁止である。人間が
楽観的な立場をとっていることが明らかになる。
絶望することは,慈悲深い神の存在を信じないこ
神はきわめて慈悲深くよく許す神であり,人間の
とであり,神による救済を否定することに繋がる
行為は大罪でなければ,あるいは結果的によい行
からである。したがって,現実にイスラーム世界
為であれば,許されるばかりでなく,死の間際で
では自殺は神に背く大罪とみなされ,忌み嫌われ
なければ,悔悟や反省はいつでも受け入れられる。
る。本稿ではこれ以上は触れないが,昨今,世間
そういう意味では,実用主義的でさえある。
の耳目を集める悲惨な「自爆テロ」は,そういう
クルアーンにみられるこのような楽観的な人間
意味での自殺ではないと考えられている。自爆テ
観は,神に仕える人間を,精神生活も家庭生活も
ロは,絶望による自暴自棄の行いではなく,現世
社会生活もすべて総合的なコンテキストのなかで
的な問題の解決と来世的な救済の双方を信じて,
捉えようとする。言い換えれば,神は人間がかか
神に生命を捧げる崇高な自己犠牲であるとされ,
わるあらゆる次元に介入してくるのである。こう
ある意味で宗教的善行であるとされるからであ
して神の前に立つ人間は個人であると同時に社会
る。
人として,宗教的な救済に与る存在となるのであ
る。
クルアーンが教える中道的な思想は,両極端を
避けることであるが,しかし,それは単なる平均
を求めるものではない。神を恐れ,自らの行動を
註
慎み,神の導きに従うという意味で,創造的な中
" 拙稿「新たなイスラーム理解を求めて
『ジハー
道である。ここでいう「神への恐れ」とは,神が
0
0
2,vol.!,
ド』を考え直す」
(
『中東研究』2
0
0
1/2
恐ろしいから服従するといった安易なものではな
中東調査会,2
0
0
2年)1
3
4∼1
3
6頁。
# 拙稿「コーランにみる『世界の創造』」
(『創成神話
く,人間の弱さを自覚し,自らの行動が規範から
逸脱することを恐れるという意味での恐れであ
の研究』リトン,1
9
9
6年)1
8
2∼1
8
9頁。
$ 拙著『イスラームの倫理』(未來社,
2
0
0
1年)1
1∼
り,服従である。それは,神の導きのうちで,安
定した人格を涵養するという意味で,創造的な中
1
4頁
% Fazlur Rahman,Major Themes of the Qur’an,
(2nd
道となると思われる。パキスタン出身の高名なイ
スラーム学者,ファズルール・ラフマーンはこの
Edition,Minneapolis,1
9
9
4)p.
2
8.
「恐れ」をタクワーというパラダイムで語り,それ
5
中東協力センターニュース(投資関連情報)
2
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