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ミシェル・レリスの「新生」――『フィブリーユ』
ミシェル・レリスの「新生」 ──『フィブリーユ』におけるもうひとつの円環── 谷 口 亜沙子 2003 年の秋に出版されたミシェル・レリスのプレイヤード版は、自伝的連作『ゲームの規則』 全四巻を初めて一体のものとして刊行した校訂版である。編集責任者ドニ・オリエは、第三巻 『フィブリーユ』を執筆していた頃、レリスが『失われた時を求めて』やミシェル・ビュトールの 『心がわり』のような「閉じた回路」を備えた作品に興味を抱いていたという記述から序文を書き 起こしている。 現にこうした形式への関心は、 『フィブリーユ』刊行の際に行なわれたレイモン・ベルールによるイン タヴューにおいて、レリス自身によってはっきりと認められている。この作品によって生まれている 「完全な円環」の印象について尋ねられたレリスは「それは完全に意図したものです。すべてが再び自 分自身に帰着することに私はあくまでも固執しています」と答えている(1)。 このように引用されている限り、レリスの返答はオリエの言っているような形式的な円環性に 関わるものであり、あたかも『フィブリーユ』にはレリスが意図的にしつらえた円環小説式の回 路が備わっているように聞こえる。実際、ドニ・オリエの序文は、レリスによって「はっきりと 認められている」という円環形式への関心をめぐって展開されてゆく。だが、レイモン・ベルー ルが「完全な円環」という言葉を用い、レリスがそれに同意しているとはいっても、彼らが問題 にしていた「円環性」とは、オリエが念頭においている円環性と必ずしも同じものを指していな かったように思われるのだ。二人の対談は次のようなものであった。 ベルール――この本を読んでいると、何かあらゆるレベルで有効に機能するひとつの数字(暗証番号) があるような印象をうけます。書物が書物それ自体の体験の中に言語のはたらきのすべての所与を見 出している。 レリス――それは故意にそうしているわけではないんです。といっても、意識していなかったわけで もないのですが。私は『フィブリーユ』の中で自分のバロック趣味について話しています。それはひ --- 65 --- とつの嗜好でもあるし、存在の在り方でもある。私はふだんの行動においても、迂回によってことを 進めます。それで私の言語と私の行動がひとつの同じ図式を描いているとおっしゃられたのですが、 それは私が意識していることではあっても、わざとそうなるようにしむけていることではないんです。 ベルール――おそらくそのために、我々は完全な円環の印象を受け取るのですね。 レリス――あ、それについては完全に意図しています。すべてが再び自己自身に帰着することに私は あくまでも固執しています(2)。 きわめて密度の高い対話であり、各人が何を念頭におきながらこれらの言葉を発していたのかを 断定することは難しいし、そもそも両者のあいだで互いの言わんとしていたことが完全に了解され ていたのかも決して自明ではない。だがそれでも、二人の問題にしている円環性が書物の形式に関 するものではなく、むしろ中味に関わるものであることは確認できるように思う。 ベルールが「あらゆる水準で働いている暗証番号があるような印象」と言うと、レリスはすぐに 「それは故意にしていることではない」と一種の保留を加える。なぜならベルールの言う暗証番号 とは、(レリスが了解したことによるならば)レリスが自由に決めたり編み出したりできるような 性質のものではなく、レリス本人にもどうにもならない隠れた法則(彼の行動と彼の言語の双方を 密かに統轄し、彼の存在の一貫性を保証するような何か、すなわちレリスの探究している「ゲーム の規則」であると同時に、作品『ゲームの規則』をも統治しているような何か)を指しているから である。そのひとつの例として、レリスは自分のバロック趣味を挙げ、自分は行動の上でも、文章 を書く上でも直線的に進まないという同じ好みを持っているが、それはそうなるようにわざわざ選 んでいるわけではない、と言う。この点について明確にした上で、ベルールがそこに唯一の図式を 見出したことについては同意する。そしてベルールがさらに、その図式のために、完全な円環の印 象を感じることができるのですね(C’est à cela [à ce même schéma], je pense, qu’on doit une impression de circlarité absolue)と言うと、今度は、ああ、それについては意図してそうしているんですよ (Cela, c’est tout à fait voulu)と答えるのである。 この会話の流れを追う限りでは、ベルールが喚起し、レリスが肯っている円環性とは、円環小説 におけるような明白で形式的な円環性のことではなく、レリスの言語(作品)と行動(作品の素材、 内容)が相似の関係にあることから生まれる一種の循環性、つまり、ベルールのような読者がそこ に共通の図式があることを読み取った時に受け取る円環の印象である。自分があらゆる水準で同じ 図式を描いてしまう、という事実そのものは、ある内的な必然性によるものであるにしても、その 事実の解明を主たる目的とする作品を組み立てる段階では、そうした循環性を感じ取ることができ るように執筆を進める、それは意識してそうしている、そういうことではないだろうか。 だが、この対談におけるやや特殊な円環の概念が、円環小説におけるような一目瞭然の円環と結 びつけられてしまうのは、『フィブリーユ』の中に実際にそうした円環を喚起する一節が存在する ためでもある。第三部の末尾において「ゲームの規則(=詩人であること)」の定義を試みたレリ --- 66 --- スは、人類の遺産である言語というものを用いる以上、詩人はあらゆる他者の運命および政治に無 関心な人間ではありえない、という結論を導き出す(3)。言語は個人的なものであると同時にどこま でも社会的なものでもあり、人は話をする以上は常に他者に向かって話をするからだ。だが、この 言語の二面性という問題は、連作第一巻の第一章において、レリスが最初に確認していた真理でも あった。「…かった!...Reusement !」ではなく、「よかった! Heureusement !」と言わなければなら ないと悟った時、幼児レリスは、自分に親しいものである言語が同時に個人を超えたよそよそしい 存在でもあることを発見しているからだ。そこでレリスは、『フィブリーユ』第四部の冒頭で、ど うやら自分は出発点に回帰してきてしまったようだ、と告げる。レリスの円環性としてドニ・オリ エが取り上げているのは、この宣言の箇所である。 レイモン・ベルールは、『フィブリーユ』の第四部、『ビフュール』の最初の章における題材となって いる「…かった」が「よかった」に直された、という遠い昔の子供時代の体験、 「言語をそれそのもの として」認識した体験にレリスが回帰している箇所を参照していたのだ。 「してみると、私はどうやら ほぼ最初の出発点に戻ってきてしまったようだ」とレリスは明記している(4)。 「完全な円環の印象」に触れたベルールは『フィブリーユ』の第四部における回帰の箇所を参照 していたのだ、とドニ・オリエは言うのだが、同プレイヤード版にも全文が再録されているこの対 談を確認すると、実際には、ベルールによる『フィブリーユ』第四部への言及というのは、どこに も存在していない。言及しているのは、ベルールではなく、レリスである。しかも円環性について の箇所とは異なる文脈においてであり、その内容はオリエの主張と矛盾さえしかねないものである。 レリスは、第三巻『フィブリーユ』を書いた時、第一巻と第二巻を読み直さねば、と思ったが、あ まりの嘔吐感のために果たせず、そのために重複が排除されていない、という話の流れの中で、第 四部の冒頭に触れているのだ(5)。つまり、第四部での回帰は、作者が「完全に意図していた」もの であるどころか、一種の生理的な反応に端を発する忘却によって生じた「重複」であったと言われ ている。むろんテクストの生成過程についての作者の証言を必ずしも鵜呑みにする必要はないし、 言語の二面性という問題が過去の作品を読み返さないというくらいのことで忘れてしまえるような 性質のことだとも思えない。だが、いずれにしても、レリス自身が読み直しに耐えられなかったた めに偶発的な重複がある、という言い方をし、円環という言葉を出したベルールが回帰の箇所をま ったく参照していない以上、この対話に依拠した上で、第四部での回帰がレリスによって「はっき りと認められている」「円環形式への関心」から生まれたものだとすることはできない。 これが単に二人の対話者の取り違えというようなことであったならば、わざわざ指摘するほどの ことでもないだろう。だが問題は、この誤謬を含んだ参照の手続きによって、第四部での冒頭回帰 こそが円環性へのレリスの関心の表れであるとするオリエの見解が、作者自身の発言を証拠とする かたちで、決定的に裏付けられていることである。しかもオリエがこのように話をすすめるのは、 --- 67 --- そのレリスの回帰が結局はどれほどみすぼらしいものであったかを語るためである。「だが、この 円環性がプルーストやビュトールにおいては、新たな開始、〈新生〉vita nova への活力を注ぎ込む ものであるのに対し、レリスにおいてはそのようなものは一切生じない。出発地点への回帰を経て、 レリスは二十五年たっても自分が少しも前に進んだわけではないことをまざまざと悟るだけなの だ。すべては堂々巡りに過ぎなかったわけだ」。そしてレリスの引用が続く。「してみると、私はど うやらほぼ初めの出発点に戻ってきてしまったようだ。円は完全さの象徴であるからして、私はこ のように円環を閉じ得たことに誇りを感じてもよいはずだ。だが私が悔しさと疲労感とこみ上げる 嫌悪感をもって認めざるを得ないのは、一つの出口を探しあてようとして何年もかけた挙句、単に 論理的なだけでほぼ何の射程も持たない、しかもそもそもの初めからわかっていたことの結論を導 き出したのに過ぎないということである」。いかにも結論めいた調子の一節であり、傍証はこれで 十分、とばかりにドニ・オリエは段落を改めて、別の話題へと向かっている。 だが、この失意の一節の持つ結論的な機能は、もっと両義的で、曖昧なものである。なぜなら、 ここだけ切り出してしまうとわからないのだが、この一節が置かれているのは、同じく「してみる と Donc」を冒頭に据えた段落が次々と立ち現れ、約二ページ半にわたって実に七回までも繰り返 されるという極めて特殊な言語環境においてだからだ。結論は、結論であると同時に暫定的な結論 でもあり、次の結論、その次の結論へと自らを追い立てるかのように展開しながら、その先に現れ るであろう「本当の結論」をかすかに予感させている。つまり、ここで引用と議論を打ち切ってし まったのでは、幕がおりる前に劇場から出ていって、大詰めをのがすようなものなのだ。果して、 レリスの回帰において本当に〈新生〉が生じていなかったのかどうか、我々はこのテクストの続き を読んでいってみることにしたい。 Donc まず注目するべきであると思われるのは、接続詞 donc が繰り返されるこの二ページ半の一節が 置かれている位置である。レリスが冒頭への回帰(言葉を使う以上、詩人は他者の運命に無関心で いることはできない、という発見)そのものにゆきあたるのは、第三部の最後においてである。だ が、その時点ではそれが『ビフュール』第一章で明かされていた真実の再発見であるとは述べられ ない。それがいかなる意味において冒頭への回帰だと考えられるのかが解説されるのは、ページを 改めて第四部に入ってからである。問題は、自分の発見を自分で解説するというメタ・ディスクー ルに入ると同時に、レリスの語調が変化し、次第次第に演劇的な様子を帯びてくることである。深 刻でありながら微妙に滑稽で慎重そのもの、という基本のトーンは変わらない。だが、その滑稽さ と生真面目さの度合いがやはり誇張されているのではないか。回帰=挫折宣言の後に続く各段落の 始めだけを追ってみても、レリスがここにおいて、ことさら自虐的に、ことさら一途に、どうにも --- 68 --- 始末に終えないところまであえて自分を追い込んでいっていることが感じられる。 「というわけで Donc、私は片付けるべき問題が山積みになっているのを見てたじろぎ、気落ちし……」 「それ故 Donc、参った、降参する、と親指を立てて合図をするのであり……」「したがって Donc、ま た新たな材料にもとづいて私の黄金律の探究をやり直すなどというのはむろん問題にもならず……」 「だからもう Donc、どんなふうにこの作品の中途において私が自殺を遂行したか(申し分なく小説的 なエピソード)を語るなどという贅沢を自分に許し、その上でそもそもの問題に立ち戻ったのちに、 結局はもうそれについては考えないということを決意し……(6)」 レリスは自分の挫折と失望をどこまでも議論の余地のないものとして――文頭に置かれた Donc のこれみよがしな論理性と客観性のために、ますますいっそう救いようのないものとして――差し 出している。レリスの回帰は見せかけのものではないし、彼の失望は真正なものである。だが、そ れは同時に、あくまでも上演された回帰であり、上演された失望でもある。そしてこの Donc の繰 り返しは、そのことを自ら明かそうとするテクストの身振り、つまり、この一幕が何よりもまず儀 式的な性質を孕むものであることを告げる信号のようなものではないか。 Donc、Donc、Donc という駄目押しの連続によって、できるかぎり周到に、念入りに自滅してゆ こうという舞台設定だけでも、この一幕のパフォーマンス性はすでに十分感じ取れるのだが、その 印象は第二段落での疑問文の畳み掛けによってさらに強められる。「ゲームの規則」の探究が一巡 して、とりあえずの結論は出たが、それは出発点にもどったことに過ぎなかった、本当の問題はま だ全然片付いていない、と述べるレリスは、その様々な問題を疑問文の列挙によって次々と数えあ げてゆく。あらゆる他者に開かれてゆくために自分を投げ出すとは言っても、結局のところは初め から味方であるような僅かな人々に向けて書いているならば、それを自己からの脱出と呼ぶことな どできるのだろうか。人々に聞いてもらうために口を開くということは、あまりに特異で粗野な私 自身の「…かった」を「よかった」に取り替える義務があるということではないのか。読者からの 手紙に返事を書かないことがあるのに、その中には私の目的が果されたことを告げるように思われ るものも含まれているというのに、私が人々との「交感」のために書いているなどと言うのは根拠 があってのことなのか。別の誰かでもありうるように自分自身のことを語ることによって、特別に 心弱い気持ちでいるような誰かが、自分のことをより深く知るための手助けになっているというこ ともあるいはあるのかもしれないが、それは意義のあることなのか、結局はゼロに等しいことなの か。たとえ完全に超脱したものであったとしても、誠実かつ自由な詩は、自由と真実の時代の到来 に役立ちうるものなのか。あらゆる人が一人のこらず尊重されるための努力をするようにと私に命 じるものが詩の本性であるならば、本来はそうした立場こそが私の文学的テーマとなるべきではな いのか。詩人やドン・ジュアンとは違って、護民官は単に個人のごく内的な炎をかき立てるために 感動させるだけでなく、人民を守るというより大きな目的のために実際に人を動そうとするのだか ら、本当は彼の方が詩人などよりもずっと遠くへと行けるのではないか。もし正義が回復されなけ --- 69 --- ればならず、革命が正義のための唯一の手段であるとしても、それを分かつ内部の陣営の紛争につ いて何も確固としたことを口にしないまま、私が革命を引き合いに出したりしてもよいものなのだ ろうか。自分自身にふるわれる暴力については非常に恐れているくせに、革命における暴力に同意 する資格が私のどこにあるというのか――。これらの問題は確かに問題ではあるが、ここでおそら く一番問題なのは、そうした問題がどこまでも連繋しながら次々にレリスに降りかかってくるとい う叙述の印象である。そこでレリスは第三段落に進む。 というわけで、これほどにも答えるべき問題が山積みになっているので、私は恐れをなし、意気を そがれ、事態があまりに飽和しているためにこの調子で続けていったところで論証の錯綜の中で踏み 迷うだけであるのが確実なので、今は自分が手にすることのできた僅かな獲得物、つまりなんとか到 達しえたささやかな確信だけで満足しておこうと思う。これまであちこちに残してきた幾つかの象徴 的な指標に比べると、確信とはいってもおよそ色あせたものと見えるが、そうした指標を再び参照す るだけの元気が今の私にはないので、ただ記憶にたよりながら思い起こしてみると、つまり、「彼方」 と「此方」の溶解をふいに実現するかのような魔術に私がどれほど熱烈に執着しているとしても、そ のために――巣から落ちる小鳥の不幸はどのような園丁にも回避し得ない種類の棘であり、私の本性 が赴くのがむしろクマシの側にあるバロック的な(くっきりとした容赦のない赤ではなく、親密な朱 鷺色の光を溜めた)光と影の襞の方であるにしても――北京の側を打ち捨てることは自分にはできな い、という確信である。 問題が飽和しているので今は手をつけないことにするが、でもこれだけは最小限言えること、と いう一番確かな結論だけが述べられる箇所であり、この段落は『フィブリーユ』全体の最も濃縮し た「まとめ」になっている。だが、いかんせん濃縮の度合いが高すぎて、ここまで『フィブリーユ』 を追ってきた人でないと、一体何がどうまとまっているのだか、殆ど意味がつかめない。この一節 を丁寧に註釈してゆくとそれだけで『フィブリーユ』全体をたどりなおさねばならないことになる ので、これらの象徴的な指標が本来持っている生々しさを消してしまうのを承知の上で、思い切り 簡略化して話を進めてゆくと、レリスがここで示しているのは、社会主義革命に共感を抱く文学者 として自分がどのような態度を取りうるか、という問題である。 「クマシの側」「北京の側」と言われているのは、レリスが実際に体験した二つの祝祭日に関わる 表現であり、『フィブリーユ』における最も象徴的な二極を示している(ただしこの二極は正確に は対をなさない)。1945 年に民族誌学の調査のためにガーナ(当時ゴールドコースト)に赴いたレ リスは、中部の都市クマシで復活祭のミサに参加した際、様々な人種の人々がひしめく教会の熱気 の中で、ある圧倒的な昂揚感におそわれる。それに対して「北京の側」とは、1955 年 10 月 1 日、 つまり社会主義国家としてようやく歩みを整えはじめた頃の中国に招待され、建国記念日の大祝祭 に参列した時のことを参照している。北京の側とはすなわち毛沢東の側、有用性、共同性、現代性 の側であり、「倫理と科学の側」である。それに対して、かつてのアシャンティ王国の王都であっ --- 70 --- たクマシの教会の側は、原始的な陶酔、郷愁、夢、神話、想像力など、レリスの「感覚と無償の好 み」が赴く側である(7)。 したがってレリスの結論とは、どれほど自分の本性が自然に惹きつけられるのがクマシ(詩)の 側であるとしても――「此処」と「彼方」を溶かし合わせる魔法、すなわち詩および詩的体験への 執着がどれほど熱狂的なものであったとしても――やはり自分は北京(倫理)の側を忘れることは できない、というものである。「くっきりとした打ち抜き型のような赤」とは共産主義の赤を指し、 バロックの襞が孕んでいる「親密な朱鷺色」とはレリスが詩的理想としている「赤み」に通じる赤、 第三部の鍵語でもある熱狂(fureur)の陰影に富んだ赤を示している。そして、どれほどすぐれた 園丁にも一羽の小鳥がその巣から落ちないようにすることだけはできない、とは、いかなる理想的 な政治形態によっても罪のないものが被る痛々しい不幸は常に存在すること、生まれてきた以上は 死ぬ運命にあるという生そのものの抱える苦しみはいかなる社会形態よっても癒されえないことを 表している(8)。それは十分に承知しているが、それでも、自分はやはり北京の側を捨て去ることは できないという結論が確認されている。 というわけで、私は今、もしこうして浮かび上がってきた問題に取り組んでいれば、またもや樹液 を欠いた言葉――つまり〈したがって〉〈さて〉〈そもそも〉〈しかし〉〈そうは言っても〉などのつな ぎの道具、〈とすれば〉〈というのは〉〈なぜなら〉〈だが一方〉〈ほとんど〉〈ほぼ〉〈それほど〉〈少な くとも〉、それからちょっとした隙間を調整して攻撃にさらされないようにするためのその他いろいろ な便利な手段――を大量に消費せずにはすまなかったような事態を回避しえた安堵感と共に、親指を たてて降参の合図をする」 。 「したがって donc」という語も含めたつなぎの道具への苦言が呈されているが、現に今レリスが 使っている Donc は決して「樹液を欠いて」などいない。ここで使われている Donc は収束と結論 の donc ではなく(あるいはそうであると同時に)仕切りなおしと再開の donc であり、反復はむし ろこの語の豊かさを引き出すものとなっている(そのため訳語も一定させていない)。論述はもう 終わりだ、というレリスはさらなる Donc を重ねる。 だからもう、また新たな材料にもとづいて私の黄金律の探究をやり直すなどというのはむろん問題 にもならないということだ。重要なのは、詩学と道徳律を練り上げたりすることよりも、とにかく手 元にある手段をことごとく使って、賢人と熱狂者の混交物、真実の告知者と詩人と呼ばれる奇術師の 混種たらんと努めること、そして他者に対する態度に関しては、自分自身を傷つけないための狭量さ や卑しさをできるかぎり排除した上でこれに向き合うことではないだろうか。あるいは私は、いつの 日か完全に確信に満ちて、以下のように考えるようにさえなっているかもしれない。すなわち、私の 行なっているゲームにはそもそも規則など存在せず、いずれ勝敗の決着はつくにせよ、私はチャンス を増幅できるようないかなる方法も見出せぬまま、さらには自分が勝ったのかどうかすらもよくわか らないまま、とにかく勝ったり負けたりするのだというふうに。 --- 71 --- こうして、連作『ゲームの規則』を仮にも貫いていた「ゲームの規則」(客観的な推論によって導 き出されるべきであった自分独自の行動方針、詩学と道徳律を混交するもの)の探究についてさえ 再開がありえないことが宣言され、こうなった以上、レリスにはもう筆を擱く以外にすべきことは ない。 というわけで、どんなふうにこの作品の中途において私が自殺を遂行したか(申し分なく小説的な エピソード)を語るなどという贅沢を自分に許し、その上でそもそもの問題に立ち戻り、しかもその 問題についてはもう考えないということを決意までした以上、私に残されているのは退出の挨拶をす ることのみである。この道化役者(イストリオン)の身振りを私が思いついたのは、あのような小休 止によっていったんは中断されていた作品に、最後のピリオドだけは落ち着き払って打つということ の奇矯さを――仕事を再開したのちに――察した時のことであった。それは私がなすであろう退出、 半ばすでに死後のものである退出に伴いうるような身振りとして思いついたのであり、ちょうどドイ ツロマン派のグラッベの喜劇の終幕を飾るような幾分スペクタクル性を持った身振りに似たものでも あった。グラッベ本人が森の奥から登場し、彼の生み出した人物達のいる部屋のドアを叩き、ランタ ンを手にして入ってくる。これを私に移しかえると、私は複数の登場人物の出てくる喜劇ではなく、 長々と続いた独白を終えて、今ようやく灯りを点けるのではなく、消したところである。そういうわ けで、ここにハムレット主義が課されるとするならば、私の舞台の幕が下りるのは次のような方法以 外にはありえない。すなわち、顔には鼻めがね、手には万年筆の筆者がお辞儀をするためにページを 破って飛び出してくるのだ。 だが、この段落に続いて印刷された文字列の向こうからレリスが出現するという事態がありえな いことがレリス=イストリオンの限界である。『トゥーランドット』作曲中に「ここでマエストロ は息を引き取った」という一行を書きつけて実際に死んでいったプッチーニのようにも、『冗談、 諷刺、反語、ならびにより深い意味』の最終幕に現れて一気にナンセンス喜劇に決着をつけるグラ ッベ(を演じる役者)のようにも、レリスは書物を終わらせることができない。結局作家レリスに とっての退場とは、そのようなシーンを言葉によって再現することでしかなく、そこで七つめの、 最後の Donc が現れる。 というわけで、今まさに私がこのような舞台演技を虚構的に行ない、それによって最後のピリオド が打たれた、ということにしよう。 disons que(……ということにしよう)というこの言語遂行的な一文と共に、実際に――だが虚 構的に――イストリオンの演技が行われ、最後のピリオドはここで本当に打たれてしまう。だが、 自分自身の失敗劇をここまで次々と演じてきたレリスが、ついに鼻めがねをかけて退出の挨拶に登 場するなどというなんとも馬鹿馬鹿しい事態にまで至った以上、もはやこのあとに期待されるもの --- 72 --- はたったひとつの出来事しかない。最終ステージでのぎりぎりの逆転である。 というわけで、今まさに私がこのような舞台演技を虚構的に行ない、最後のピリオドが打たれた、 、、、、、、、、、 ということにしよう。だがそうだとしても――皮肉には皮肉が重なるもので――自殺の試みが未遂に 終わり、もうひとつの偽の退出の滑稽をものともせず、いったん暇を告げた今、まだ中国から帰りき 、、、、、、、、、、 、、、、、、、、 らない時の私の精神状態を物語るある些細な事柄について再び話を始めることは、やはりまだ十分に 、、、、、、、 可能なのである(傍点引用者) 。 『フィブリーユ』第一部の執筆の途中で自殺(=偽の退場)をしてみても死にきれなかったレリ スは、いくら言葉の上で暇を告げてみたところで(もうひとつの偽の退場)、自分がまだ書き続け ることができるという皮肉に向き合わざるをえない。仮にここでレリスが書く事をやめて、あとに は白いページが続くばかり、という事態が生じていたのであれば(たとえ「飛び出すレリス」不可 能であったにしても)それは虚構であっても、実際の退場となりえたかもしれない。だが、再び話 を始めてしまうのであれば、このイストリオンの挨拶もまた決定的に偽の退場となり、その滑稽さ は拭いようもないものとなる。だが未遂に終わるような自殺を試みたことがすでに十分滑稽である 以上、偽の退出の滑稽を真正面から引き受けて、道化役者の演技をせめて完璧にやり抜くことだけ が滑稽を乗りこえて真実に達するための唯一の方策なのではないか。未遂に終わった自殺について 語る書物が、書物としての自己消滅を図るが、それもまた未遂に終わる。本当の終わりにならなか った終わり、すなわち自殺未遂という出来事をその核に持つ『フィブリーユ』という作品中に、も うひとつの「本当の終わりにならなかった終わり」、すなわち書物の終わりを告げる道化役者の身 振りがしつらえられているのだ。 「したがって、私は最初に見出していた真理に再び戻ってきてしまったようだ」という診断を皮 切りに次々に容赦なく打ち込まれた七つの「したがって donc」に対して、たった一つの「だがそ うだとしても reste que」が辛うじて対峙している。レリス的「新生」の活力は、この「だがそうだ としても」の一語から始まるのだ。この語と共にレリスは donc の金縛りから解放され、一行あけ て構えなおしてから、再び通常の叙述のトーンを取り戻すだろう。今度こそ本当に『フィブリーユ』 を終わらせるためだ。だが、そのためには、この二ページ半にわたる Donc の一節がどうしても必 要であった。 そこでようやく語り出されることになるのが、中国旅行からの帰国の際に偶然寄港することにな ったコペンハーゲンでの出来事である。なぜ他の話ではなく、この話なのかというと、それが他で --- 73 --- もない『フィブリーユ』冒頭で提起されていた問題、すなわち「場合によっては第二の祖国にして もよいとさえその時は思った一国家(=中国)に対する私の曖昧な気持ち(9)」を根本的に解き明か すものだからである。『フィブリーユ』の冒頭は次のように始まっていた。「1955 年 11 月。私はま た新たな旅行から帰ってきたところだ。今度の旅行の舞台は、我々の国のブルジョワ寄りの新聞が 相変わらず〈鉄のカーテン〉と呼んでいるものの向こう側にある極東の一国であった。これまでに 行なったすべての遠出のうちでも、この旅行はおそらく最大の満足を私に与えるものであった。だ が、私をこれほどにも満ち足りた気持ちにした旅行が、同時に、帰国してみると、どうやら私を最 も途方に暮れさせている旅行でもあるというのは、一体どうしたわけなのだろうか(10)」。 この疑問を解き明かす出来事は、まさに旅行中とも旅行後とも言うことのできない一地点、コペ ンハーゲンという寄港地において起っていたのだ。「ある些細な事柄」と言われているように、さ したる事件が起ったわけではない。中国での稠密なスケジュールの数週間を終えて、コペンハーゲ ンに降り立ったレリスは、他の友好使節団のメンバー二人と共に街の散策に出かける。手近なバー に入り、古いジャズを聴き、地方特産の酒を飲むと、すっかりくつろいだ気分になり、さらに何軒 かのバーに立ち寄ったのち、夜は最上階のレストランで港に浮かぶ帆船を眺めながら大変すばらし い食事をした、というそれだけの話である(それが非常に詳しく語られている)。なんということ のない、軽薄といっていいほどの出来事なのだが、まさにそのなんということのなさ、軽薄さこそ が問題となる。 なぜなら、中国に対するレリスの両義性とは、中国における共同体のあり方をどれほど頭で賞賛 していても、自分の体がそのように反応しきらない、ということだからである。共産主義国家の建 設のために力を合わせ、自分たちを気持ちよく迎えてくれた中国の人々に、たった今、ほとんど目 に涙さえ浮かべながら別れを告げてきたというのに、レリスの体は資本主義国家における個人主義 の象徴であるバーのような場所でこそ、完全なくつろぎを覚えてしまう。自分が我が家にいると感 じることができるとしたら、それは資本主義における一都市においてであることを、コペンハーゲ ンの街はレリスに確信させてしまう。バー、アルコール、時代遅れのジャズ。そうしたものが、共 同体的な立場からすると、無用で浮薄な泡沫に過ぎないことはわかっている。それでも中国が自分 にとって確かな価値でありつづけることもわかっている。だが、事実はひとつだ。自分はこの泡沫 を愛している。中国への信頼、中国へのレリスの昂揚した思いは、こうしてその帰路における初め の一歩、資本主義圏におけるひとつめの都市に足を踏み入れた途端に、決定的に傷つけられ、屈折 したものとなってしまう(11)。 西欧の近代文化における最も軽薄な一側面にレリスがこれほどまでに心を打たれてしまうのは、 それらの文化のあまりにも明白な虚しさが生そのものの虚しさを鋭く意識させ、その上で、同毒療 法的に作用する麻薬のように、その意識を鎮めるからだという。もちろん、レリスがここで引き出 しているのは、だからこそ自分は資本主義を選ぶのだ、という答えではない。だからこそ、自分は 中国について語ることにあれほどの困難を覚えていたのだ、という『フィブリーユ』冒頭で示され --- 74 --- ていた気後れについての解明が行なわれるのであり、最終的には、どれほど自分が骨の髄から西欧 人であり、資本主義のもとに育ったためにそこにおける安逸を捨てきれないのだとしても、やはり 自分は中国への忠誠を守るのだ、という決心のようなものが導かれている。 レリスの中国滞在と同じ機会に、ジャン = ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワール もまた、個人の資格において招待を受けていた。ボーヴォワールはこの時の体験から『長い歩み』 (1957)を執筆した時のことを後の回想録において次のように語っている。「帰国するや否や、中国 について書こうという私の決心は固まった。十分な栄養を与えられて育った西欧人は、たとえ一瞬 であれ自分の肌(=習性)から抜け出せるものではないと私にはわかっていたし、今もわかってい る。だがそうはいっても、彼らを脅かしている無知――でなければ彼らが装っている無知――に私 は呆気に取られたのだった(12)」。ボーヴォワールが極めて簡潔な一行によってさらりと確認してお くことのできる前提、すなわち西欧人はどこまで行ってもついに西欧人以外ではありえない、とい うことを口にするために、レリスは『フィブリーユ』まるまる一冊、ほぼ十年間を必要としたよう なものだ。それはコペンハーゲンでの体験がレリスにとってはそれほど個人的な痛みとして感じら れていたということでもあるし、そのことを自分にさえ認めてしまいたくないほど、彼の中国への 思い入れが強かったということでもある。その正体のわからない居心地の悪さ、何かはっきりとし ない一種の後ろめたさと共に『フィブリーユ』は書き出されていた。自分は何故これほどにも中国 について潔く語りえないのか。その無力感の根底に潜んでいたひとつの出来事について十分に語る ことができるようになった時、レリスは自分が中国に対してどのようなスタンスを確立するべきか を決められるようになる。この変化は『フィブリーユ』を貫く縦糸のうちの重要なひとつであり、 その意味でも「Donc の一節」によってコペンハーゲンの体験が導入されていることの意義は大き い。 終わる、かと思わせてやはり終わらない、という自殺未遂的な壊れたリズムはレリスのエクリチ ュールの醍醐味の一つである。ある一定の方向に振れるだけ振れておいて、ぎりぎりのところで再 び身を立て直す。一刀両断にするのではなく、わずかな、ほんの少しでも一刀両断にすることをた めらわせるような躊躇の中にこそ本質的なものがあるのではないかと疑うこと。このリズムはあた かも――円環や入れ子というよりも――フラクタクル図形(自己相似図形)のようにして、あらゆ る水準で彼の作品を彩っている。 譲歩に譲歩を重ね、まさかこのまま主文が現れずに終わってしまうのではないのではないか、と 不安にさせるほど反対の主張を積み重ねた上で、だがそれでもやはり、と本当に自分が守りたいも のをようやく口にするといったタイプの文章(フレーズ)が仮にその最小単位であるとすると、例 --- 75 --- えば Donc の一節のようなテクストにおいて、それと同様の運動が反復される。逆に、何かひとつ の事柄についてずいぶんと詳しく細かく話していると思ったら、だがそんなことは本当のところは どうでもよいのだと突然言い放ち(どうでもよいと言われつつ、それでも語られていることが重要 である)、その後でどうでもよくないらしい別の話をおもむろに始めるというのも『成熟の年齢』 以来のレリスの常套手段である。 そうした脱臼的なリズムは、ディスクールの水準だけでなく、例えばいくつかの指標的な体験に おいても反復されている。落ちた兵隊の人形が壊れていないことを確認して「…かった!」と叫ん だ「私」の混じりけのない喜びは、「よかった」と言うようにと訂正された途端に、なんとも正体 のよくわからない不安の感情に変質してしまう。中国での素晴らしい旅行が終わり、あと少しでフ ランスに帰りつこうかというその直前に、何か僅かに、だが決定的にその昂揚感に水をさすような 出来事が生じる。そして、それについて語られているのが、まさに、イストリオン=レリスによっ て閉じられそうになった書物が結局は閉じられることなく、再び開かれてゆく最初の地点である。 「言語と行動が同じ軌道を描いている」と言われていた現象の一例をここにも見ることができる。 思い起こせば、第一巻『ビフュール』においても、すでにそのような軌道が描かれていた。やは り巻末近くになって、レリスはこれまでの仕事を振り返って「もはやぐずぐずすることなく、一切 を投げ出してしまおう」と決心する。だがこの決心そのものについての検証を終えたのち、「けれ ども、こうした断念の中にはどこかしら十分ではない、恥ずべきものがあるだろう」と踵を返し、 最終的には「少なくとも、私を沈黙へと誘う真の動機についての自己満足抜きの検討をすることだ けは避けることができない」として、その検討を契機としながら、再び書くことへと向かっている(13)。 巻末一歩手前の総点検と悲観的な結論、それを梃子にした語りの再開、という流れが第一巻と第 三巻の終わり近くに共通して確認できるとすると、第四巻『微かなる響き』の終末部で起っている ことがいっそうの興味を引く。とうとう見つけた「ゲームの規則」(かと思ったら、やはり偽物で あったと判明する奇妙なフレーズ)の分析が行なわれているのが、やはり巻末からほんの少し手前 であるためだ。夢と眠りの狭間で聞き取られたその奇妙なフレーズは、初めは圧倒的な輝きと均衡 を備えたものと思われるが、分析と検証を重ねてゆくうちに、実体は極めてたよりない、不安定な 紛い物であることが判明する。当初はこれこそが自分の求めた黄金律だとさえ思っていただけに、 レリスの幻滅は深く、詩的言語一般に対しての懐疑の念が表明される。そうして断章中の負のエネ ルギーが最大限に高くなったところで(それがやはり断章それ自体の終わりよりも少し手前にあた っている)「だが」の一語が発される。「このような動揺にも関わらず、ただ一つのことが確かであ る」として、レリスは「揺れ動くこと」すなわち、不安定性そのものを活力とする結論へと赴いて いる(14)。 「意識はしているが、故意にそうしているわけでない」というだけあって、このような反復性に は、周到な計算などから作り出しうるような法則性とは一味ちがった、何か矯正の効かない癖のよ うなものが感じられる。最後から少し手前におけるクライマックス(あるいは反=クライマックス) --- 76 --- と、そこで生じる(場合によっては負の)エネルギーを燃料とした新たな収束。そして、こうした 反復の印象が最も大きな水準で立ち現れてくるのが、『ゲームの規則』という連作全体を見渡した 時だろう。すなわち、第三巻『フィブリーユ』が発表された時、当時の人達は『ゲームの規則』は もうこれで完結したのだと思ったのだ(15)。「ゲームの規則」の探究は行き着くところまで行き着い てしまったようだし、「詩(ポエジー)」の一語と共に締めくくられる『フィブリーユ』はいかにも 終わりを飾るのにふさわしい。それに、最終ページにおいて、予定されていた第四巻はもう書かな くてすみそうだ、ということまでが述べられている。だが、それにも関わらず、第四巻『微かなる 響き』がやはり発表された。終わりが終わり自身に一致してしまわないために、レリスは虚構の終 わりを終わりの一歩手前に――知ってか知らずか――構築し、本当の終わりの裏をかきつづける。 それはレリスの生そのものの要請でもあり、 『ゲームの規則』の規則のひとつでもある。 すべてが自分自身に帰着することにあくまでも執着しています、と答えたとき、レリスがあるい は――それまでの対話の流れからは外れてゆくような形で――円環小説におけるような円環を思い 浮かべていたという可能性も皆無ではない。だが、それはいずれにしても円環という図式が重要だ ったわけではなく、作品がひとつの自律した全体となることを重要と考えている、という意味だっ たのではないか。Donc の一節をこえて、『フィブリーユ』冒頭での問いかけが再帰してくる時、必 ずしも円環という印象は生まれないが、作品がひとつの統一体として自らを作りあげてゆこうとす る時の力学のようなものは感じられる。だが、批評でもフィクションでもない『ゲームの規則』の 場合には、作品が作品自身へと送り返されるだけではおそらく十分ではなかった。さらに作品が言 葉をこえて生へと送り出され、生が再び作品へと送り返されるような、書物を超えた円環性が生み 出されなくてはならなかった。 おそらく、だからこそ『フィブリーユ』の最終ページにおいて、レリスは第一部の執筆中に起っ た自殺未遂の痕跡としての、頸部の傷痕のことを語り始めるのだ。レリスの首に傷があるというの は、何も自分で喉を掻き切ったからではなく、睡眠剤を多量摂取して意識を失ったのち、病院にか つぎこまれて気管の切開手術を受けたためである。 くだらない虚栄心のことはさておき、この傷は、やはり、私にとってのフィビュール(数センチにわ たって切り裂かれた私の喉の二枚の肉唇のように、放っておけばばらばらに離れてしまう二枚の布の 端を合わせて衣服を閉じる留め金、あるいはブローチとしての装身具)を構成しているように思われ る。私の体にじかに描きつけられた記号であり、私の心の中の問題はすべてそこに収斂し、このフィ ビュールがあるおかげで、私はもう、あちこちに散らばっていた見解をきっちりと結びつけて一瞥の --- 77 --- もとに眺められるように企図されていた『フィビュール』のうんざりするような執筆をしなくてもす むだろう――だがこれは、誰にも先のことはわからないのだから未来のことについて断言しない方が よい、という話の一例であるかもしれない(16)。 レリスの喉の引き攣れた傷痕が、バロックの襞を寄せ集めるフィビュール(留め金)のイメージに 重なり、書物全体がこの一段落の中へ、この傷口の中へと吸い込まれていくかのような一節である。 もしもこの傷痕がなく、レリスの一命がとりとめられることがなければ、この段落も存在せず、こ うして『フィブリーユ』が閉じ合わされることもなかった。レリスの「心の中の問題」、つまりこ 、、 れまでに書き付けられてきたこと、あるいは書き付けられなかったこと、だがいずれにしても書物 、、 、、、 の側にあるもののすべてが、現実のレリスの身体の傷口の中へと収斂してゆく。そしてその縫合の 痕が、これから書かれるはずであった連作の続巻『フィビュール』の代わりを果す、というのだか ら、ここにおいて生と書物の混交の印象はかつてなく強烈なものとなる(17)。 傷は、ひとつの行為の跡である点で、エクリチュールに似ている。だが、レリスの頸の傷痕が 『フィブリーユ』の最終ページで喚起されることがこれほどにも切実であるのは、その青黒い手術 の痕がインクの跡と重なり合うからだけではない。縫合、結び合わせることが、他でもない『ゲー ムの規則』を貫きつづけた執筆方法であったからだ。自分に関するばらばらな事実のカードをどう 、、、、、、、 、、、、、、、 にかして生きた一つの全体となるように結び付けてゆくこと、途切れないこと、結びつけることこ そが『ゲームの規則』におけるレリスの最も根源的な情念=受難であったからだ。縫い合わされて いなければ裂けていってしまうレリスの喉の薄い皮膚のように、レリスはばらばらに見える過去や 体験や現在の出来事、夢やそれに関する考察や意見をなんとかしてつなぎ合わせることによって、 自分の生を確認しようとする。第四巻のために企図されていた「フィビュール」は、よく言われる ように「断念」されたのではなく、おそらくここにおいてその任を果たし、必要がなくなったのだ。 『フィブリーユ』を締めくくる最後の段落を読んでみよう。 この印、その奇妙にも引き攣れた鉤爪の形のために、我が喉ぼとけのすぐ下に象嵌された六つ足の 昆虫のようにもみえる印は、私にとっては見るたびにぞっとする恐怖の体験の痕跡ではなく、むしろ 自尊心――結局は行為半ばで挫折しただけであることを思えば度を過ぎた自尊心――の糧でありつづ けていた(実際、挫折したのでなければ、そのような自尊心だの恐怖だのについて語る「私」は影も かたちもなくなっていたのであり、ただ幾人かの人がその様子を記憶しているだけの「彼」が残って いたわけだ)。他には何も大きな冒険をしたことがなく、ことによっては自分の負った傷の痕を人に見 せることが好きでさえあるために、自分が戦争に行った時の話を飽きもせずに繰り返す在郷軍人さな がら、私は、それがほぼ何の波乱もなかった私の人生行路において、唯一自分があえて犯した主たる 冒険、最も危機的な一瞬であったかのように、我が自殺未遂へと立ち戻る。そしてまた、まさにあの 瞬間にこそ、生と死、酔いと研ぎ澄まされた意識、熱狂と否定とを添い合わせながら、私は、決して 完全に手に入れることができずに常に追い求めなくてはならないあのもの、それが女性名詞によって 示されているのは何か訳あってのことではないかと思いたくなるあの魅惑的なもの――詩(ポエジー) --- 78 --- ――をどこまでもきつく抱きしめたように思われるのだ。 第三部の初めで、レリスは中国の昆明西山で目にしたある彫像にまつわる伝説から、「愛・死・芸 術」についての考察を展開していた。愛する妻に先立たれ、仕事に没頭することによってその悲し みを埋めようとするが、ついにその甲斐なく、眼下の断崖に身を投げた彫刻家の伝説は「愛と死と 芸術が溶け合った物語」としてレリスに強い印象を与えた。実際には睡眠薬を飲んでベッドに倒れ こんだレリスの自殺未遂が、『フィブリーユ』においてしばしば投身自殺を思わせる語彙で語られ ているのは、ひとつにはこの彫刻家とレリスとの一体化が暗示されているからでもある。「偉大な 詩がつねにトータルなもの(生と死を結びつけるもの)でしかありえないのなら、どうして、死の 入り口に、少なくとも靴の先端くらいは踏み入ることなくして、生と詩を一致させることができる だろうか(18)」という一ページ手前の問いかけにもあるように、レリスの自殺未遂は、死への接近に よって、芸術(=詩)に身を差し出そうとした行為として語られている。とすると、愛と死と芸術 の三位一体に欠けるものは、もはや愛のみとなる。だからこそ、この最後の一節が抱擁のイメージ において語られるのであり、 「詩」が女性名詞であることへの言及がわざわざなされているのだ(19)。 この結末は『フィブリーユ』のさまざまな地点に我々を送り返す。自殺した彫刻家にならって、 限界のない交感の領域に身を投げ出してゆくことへの顕揚で閉じられていた第三部の末尾。死に近 付けば近付くほど生の緊張が高まるという主題が最も即物的に顕わになる場所、すなわち病院をめ ぐって展開していた第二部の後半。フェノバルビタール剤を飲んで意識を失ってゆく場面が描かれ た第一部の末尾。だが、さらによく考えるならば、レリスの喉に傷を残した気官の切開手術が行な われたのは彼が完全な昏睡状態にあった間のことなのだから、この結末がおそらく最も正確に指し 示している地点とは、第一部の末尾のさらに後、しかも第二部の始まる手前、つまり、四日間続い 、、、、、、、、、、、、、、、、、 たレリスの昏睡状態をほとんど物理的に体現している第一部と第二部との間に置かれた断絶なので はないだろうか。レリスの昏睡は「そして(我が証人の話によるならば)そう言ったあとで、私は 本当に暗黒の中へと落ち込んで行ったのだった」という第一部の最終行と、病院で意識が戻り始め たときの混濁した感覚のことを語る「マカロニ……」という第二部の一行目を分かつ切断の中にの み書き込まれている。詩とレリスとの熱狂的な抱擁がおこっていたという「あの瞬間」、つまり、 レリスが現実的な問題として生と死の境目にいた暗黒の四日間については、決して言葉にされない。 第一部と第二部の間の切断、というすでに書物の内とも外とも言えない地点、書物の内であると同 時にどこまでも外であるような一地点、そこにこそ、生と書物の混交を目指した『フィブリーユ』 の結末は、我々を送り返している。 --- 79 --- 『フィブリーユ』における円環の印象とは何であったのかについて、我々はようやく問い始めた ところだ。それがレリス自身が念頭に置いていた円環と同じものであるか、別のものであるかはわ からない。だがそれは、少なくとも、ある時点において作者が第一巻冒頭のエピソードに再び立ち 戻るというような、そんな安直な構造において実現されようとしたものではないし、まして、それ がいかなる躍動ももたらさないという挫折においてパロディのように無償に変奏されているわけで もない。『フィブリーユ』とは、そのような形式的な円環性が積極的に壊されることによって、語 りのエネルギーが取り戻され、ついにはレリスならではの独自の円環性が実現されてゆく作品であ る。それはビュトールやプルーストによっては実現されることのなかった円環性――『ゲームの規 則』が過激なまでにノン・フィクションであろうとしたことと密接に関わる円環性――であり、生 と書物が互いの中へと果てしなく帰り込んでゆくような、もうひとつの円環性である。 注 (1) Denis Hollier, « Préface » à Michel Leiris, La Règle du jeu, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 2003, Paris, p. IX. (2) « Entretien avec Michel Leiris » par Raymond Bellour, réédité dans ibid., p. 1279. (3)『ゲームの規則』は巻が進むにつれて、章分けが少なくなり、一章づつが長くなるという構成を持っ ている。第一巻『ビフュール』には八つの章、第二巻には『フルビ』には三つの章があり、それぞれ タイトルがつけられている。第三巻『フィブリーユ』ではそれがたった一章になり、第四巻『微かな る響き』になると章立て自体が消滅し、すべてが断章となる。第三巻における単独の章といういささ か奇妙な現象は、これがたとえ I から IV までの数字によって区切られているとしても、この巻が元来 はひとつながりのテクストであることを示す重要な指標であり、このローマ数字の付されたひとまと まりを「章」と呼ぶわけにはゆかない。そこで、これを「部」と呼ぶことが慣例になっている。 (4) Denis Hollier, « Préface », La Règle du jeu, op. cit., p. IX-X citant ibid., p. 772. (5) 正確には「フィブリーユの最後」という言い方しかしていないが、「自分の発見がそもそもの初めか ら見出していたものの再発見にすぎなかった」という言葉から、第四部冒頭のことだと同定できる。 再読を怠ったことによる偶発的な重複に関しては、草稿のひとつにも同内容の記述が見出せる (Fibrilles [1966], La Règle du jeu, op. cit., note 14, p. 1551)。また、プレイヤード版のこの箇所には、内容 に関わる誤植が含まれている。初出の『レ・レットル・フランセーズ』では「私は『フィブリーユ』 の最後で自分の発見したものについて語っていますが、これは私がそもそもの初めから見出していた ものに過ぎませんでした(ne...que)」となっているが、プレイヤード版では「これは私がそもそもの初 めから見出していた発見ではありませんでした(ne...pas)」となっており、辻褄が合わない(« Entretien avec Michel Leiris » par Raymond Bellour, op. cit., p. 1279)。 (6) Michel Leiris, Fibrilles, op. cit., pp. 773-774. 以下、第四部冒頭の二ページ半からの引用については注を 省略する。 (7) クマシの復活祭については Fibrilles, op. cit., p. 721 以下に、北京での大祝祭については ibid., pp. 533- --- 80 --- 538 に詳しい。括弧内の表現は ibid., p. 741 より引用。 (8) 『フィブリーユ』第一部で詳しく解説されている夢の話および第一巻『ビフュール』で語られている、 遠い昔に巣から落ちて震えていた一羽の雛を見たことによって「生そのもの」を感じ取った時の体験 を参照している(Biffures, La Règle du jeu, op. cit., pp. 123-125 ; Fibrilles, op. cit., pp. 576 et 744)。 (9) Fibrilles, op. cit., p. 775. (10) Ibid., p. 523. (11) コペンハーゲンは、その国際商業都市としての性格や歓楽街の存在から、レリスにとってはクマシ の街路の活気を思い出させる都市でもある。バーで流れていた音楽が二十年代のジャズ(黒人文化へ のレリスの関心の端緒となったもの)であったこともこの二つの都市を結び合わせ、コペンハーゲン での出来事は、「北京の側」への傾倒が「クマシの側」によって引き戻されるという象徴的な意味合い において叙述されている。 (12) Simone de Beauvoir, La Force de choses II, 1963, Gallimard, coll. « Folio », p. 94. (13) Biffures (1948), op. cit., pp. 271-272. (14) Frêle bruit, La Règle du jeu, op. cit., pp. 1043-1053. この断章については、「ミシェル・レリス〈偽=ゲ ームの規則〉の発見」として『フランス語フランス文学研究』第 90 号において詳しい考察を行なって いる。 (15) « Notice » de Fibrilles, op. cit., pp. 1494-1495. (16) Fibrilles, op. cit., p. 797. (17) 『フィブリーユ』と共に『ゲームの規則』は完結した、と思ったのは、誰よりもまずレリス自身で あった。だがレリスは『フィブリーユ』の最後をぴったりと締め切ってしまわずに「あるいは何年か して、何ヶ月かして、もっと距離が取れて、幾つかの事をさらにもう少しはっきりさせたいと思った 場合のために、ドアをほんの少しだけ開けておきました」と語っている(« Entretien avec Michel Leiris » par Raymond Bellour, op. cit., p. 1280)。このレリスの発言は、この段落のダッシュ以下の部分を 参照していたのかもしれない。続巻『留め金(フィビュール) 』はもう書かずにすむだろう、と言った 上で、でも先のことは誰にもわからない、という慎重な付け足しがある(原文では「泉よ、お前の水 など飲まない、と言うなかれ」という慣用句の一部が使われている) 。今度こそ閉じられるかと思った 円環の端が、またほんの僅かにずらされている。この細く開けられた隙間から『留め金』ならぬ『微 かなる響き』が生み出されてゆくだろう。 (18) Fibrilles, op. cit., p. 796. (19) おそらく、ここでの動詞 embrasser には、職業・信仰などを自分のものとして選び取る、引き受ける、 そのものに身を捧げる、という時の比喩的な意味も込められている。詩を抱きしめた、というのは、 詩に自分の身を差し出した、喜びをもって詩を選び取った、ということでもあるだろう。あるいは、 こちらの意味が主であり、語がたしかに比喩的に使われているのに、同時に、その語の本来の意味が あまさず回復されている、ということなのかもしれない。 --- 81 --- --- 82 ---