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Aグループ Bグループ 複数のペンネームを使う理由

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Aグループ Bグループ 複数のペンネームを使う理由
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大多数の作家はペンネームを持っていますが、中には2つ以上のペンネームを使いわけている作家もいます。好きな作
家の本は、全部読まなければ気がすまないという方、制覇したつもりの方も、もう一度確かめてみてはいかがですか。
Aグループの同一人物がBグループの中にいます。誰と誰が同一人物でしょう
ギデオン・フェル博士(肥満
Aグループ
① 栗本 薫
②
③
④
⑤
⑥
⑦
堺屋
辻井
折口
天童
安野
尾辻
太一
喬
信夫
新太
光雅
克彦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
馳 星周
スティーヴン・キング
アイザック・アシモフ
カーター・ディクスン
エド・マクベイン
西川 勢津子
⑭ ケン・フォレット
⑮ コーネル・ウールリッチ
Bグループ
(ア)ウィリアム・アイリッシュ
(イ)堤 清二
(ウ)赤瀬川 原平
(エ)中島 梓
(オ)ポール・フレンチ
(カ)釈 迢空
(キ)ストーン・ブレイン
(ク)古 神陸
(ケ)エヴァン・ハンター
(コ)ザハリィ・ストーン
(サ)ジョン・ディクスン・カー
(シ)池口 小太郎
(ス)栗田 教行
(セ)リチャード・バックマン
(ソ)桑井ゐね
体・丸顔で口ひげをたくわえ
ている) VS ヘンリー・
メリヴェール卿(禿げ頭、べ
っこうぶちの眼鏡をかけ、ポ
ーカーの達人)
これは、カーター・ディク
スンがペンネームを使い分
けて書いた作品に登場する
探偵役の主人公の名前です。
ジョン・ディクスン・カー名
義でギデオン・フェル博士主
人公のものを25作品、カー
ター・ディクスン名義でヘン
リー・メリヴェール卿主人公
のものを 24 作品書いていま
す。
複数のペンネームを使う理由
作家が複数のペンネームを使う理由にはいろいろあるが、アメリカ出版界では、一作家の作品は同一出版社か
ら出版するという慣例なので、他の出版社と契約した場合は別の名義を使うことが多い。また、売れない作家が
出版社との契約を打ち切られ、ペンネームを考えて「新人作家」として再デビューする場合、雑誌に2作以上の
作品を発表する場合などがある。日本ではスタイルが全く異なる作品を執筆する場合(小説は栗本薫、評論は中
島梓のように)などに使いわけている。
作家・画家・路上観察学会員 本名、赤瀬川克彦
アメリカの小説家。本名、コーネル・ジョージ・ホ
昭和35年、画家仲間である荒川修作・吉村益信・
篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー
ズ」を結成し、前衛芸術家として活動をはじめる。そ
の際、本名の「克彦」では弱々しいと考え、生命判断
のアドバイスに従い、一画ふやして「原平」を名乗る
ようになったと言う
プリー=ウールリッチ。別名コーネル・ウールリッチ、
ジョージ・ホプリー。1926 年にコーネル・ウールリッ
チ名義でF・スコット・フィッツジェラルド風なジャ
ズ・エイジの青春小説『カヴァー・チャージ』を出版。
40 年、原タイトルにBlackを冠した「黒のシリー
ズ」の第一作『黒衣の花嫁』は、ウールリッチ・ブラ
主な著作に『東京路上探検記』
『ライカ同盟』
『贋金
づかい』
『超貧乏ものがたり』
(以上、尾辻克彦名)
『老人力』
『老人力2』
『純文学の素』
『超芸術トマソ
ン』
(以上、赤瀬川原平名)
昭和54年、
「尾辻克彦」の名で発表した小説『肌
ざわり』で中央公論新人賞受賞、その2年後には『父
ンドを強く読者に印象づける長編であった。アメリカ
人作家にしては珍しく、甘い感傷性と溢れるような悲
哀に満ちた雰囲気作りがサスペンスにマッチし、日本
とフランスで人気作家となった。
その一方で筆力のある彼は同時期にアイリッシュ
名義で『幻の女』を書き上げた。この作品は彼の最高
が消えた』で芥川賞を受賞し、作家として華々しくデ
ビューする。
「赤瀬川原平」名ではなく、
「尾辻克彦」
名で小説を書くようになったのは、作品を白紙の状態
で読まれることを望んだためである。祖父の姓と本名
を組み合わせて作家「尾辻克彦」が誕生した。
最近では「ほぼ100冊目」に当たる近刊『全面自
傑作となった。この他に、ホプリー名義でゴシック・
ロマンスの色彩が強い小説、長編『夜は千の目を持つ』
と『恐怖』を書いている。彼は本質的には優れた短編
小説作家だった。日本でも『アイリッシュ短編集』な
ど独自に編集されている短編集も多い。
最近出版された作品には、
『マンハッタン・ラブソ
供!』
(赤瀬川原平名 晶文社)を刊行した。
「作家のペンネーム事典」創拓社
ング』2001.4、
『見えない死』1999.11、死後発見され
た『夜の闇の中へ』1994.11 がある。
「海外ミステリー事典」新潮社
答え:①―エ、②―シ、③―イ、④―カ、⑤―ス、⑥―キ、⑦―ウ、⑧―ク
⑨-セ、⑩-オ、⑪-サ、⑫-ケ、⑬-ソ、⑭-コ、⑮-ア
市川ゆかりの人
星野 道夫(
写真家)
昭和二十七年市川市に生まれる。昭和四六年、慶応大
学の学生だった時、エスキモーの村を撮影した一枚の写
真との出会いをきっかけにアラスカへ渡る。そしてシシ
ュマレフ村のエスキモー一家と3ヶ月過ごした。この体
験が忘れられず卒業後は写真家になってアラスカを撮
影することを志す。
昭和五三年アラスカ大学野生動物管理学部入学。以後、
アラスカの人々・自然・野生動物を撮り続け、
『アニマ』
『National Geographic』等、国内
外の著名な雑誌に作品を発表した。
昭和六十年写真集『グリズリー』
(平凡社)刊行。昭
和六一年第3回アニマ賞受賞。平成二年第十五回木村伊
兵衛賞受賞。平成三年「アラスカに魅かれて」と題して
市川市動植物園で講演。同年、写真集『アラスカ 風の
ような物語』
(小学館)刊行。平成六年、写真集『アー
クティック・オデッセイ』
(新潮社)刊行。
「続・市川まちかど博物館」エピック
平成八年カムチャッカでヒグマに襲われ逝去。
(享年
四三歳)
主な作品
「イニュニック」新潮社
「アラスカ 極北・生命の地図」朝日新聞社
「アラスカ 光と風」六興出版
「グリズリー アラスカの王者」平凡社
「ナヌークの贈りもの」小学館
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