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東日本大震災 その時、相双地域等の福祉施設で何が!(PDF:8.9MB)

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東日本大震災 その時、相双地域等の福祉施設で何が!(PDF:8.9MB)
2011年3月11日
午後2時46分頃、東北地方太平洋沖で発生した地震は日本の観測史上最
大のマグニチュード9.0を記録し、福島県では最大震度6強(中通り、浜通
り)の激しい揺れのため、県内各地で家屋倒壊など地震の被害は広範囲に及
びました。
さらに東北地方の太平洋沿岸に最大39.7メートル、本県沿岸部には最大
21.5メートル高の津波を誘発し激甚な被害をもたらしました。
〔本県の被災状況
(平成26年8月5日現在)〕
死 者
3,567人
行方不明者
3人
住宅被害
255,156棟(全壊、半壊、一部破損)
加えて、大津波に襲われた東京電力福島第1原子力発電所(以下、
「 福島
第1原発」
)
が電源喪失状態となりました。冷却機能を失い制御不能となった
原子炉は暴走して炉心融解(メルトダウン)を起こし、3月12日(土)から
15日(火)にかけて相次いで各号機で水素爆発、火災が発生して国際原子力
事象評価尺度による暫定評価で最悪のレベル7の事故となり、大量の放射
性物質を外部環境に放出して広範な地域を汚染しました。
▲相馬市の津波被害
(2011.3.22)
▲いわき市小名浜地区被災状況(2011.3.12)
政府は福島第1原発から半径20キ
ロメートル圏内を立ち入り禁止区域に
指定するとともに、放射線量の高地域
を計画的避難区域とするなど地域規制
を行い、浜通りの町村を中心に全町村
▲避難所となったビッグパレットふくしま(3F)
挙げて地域外に避難を余儀なくされる
事態となりました。
現在もなお、避難指示区域は避難指
示解除準備区域、居住制限区域、帰還
困難区域と形を変えながら継続してお
り、住民の避難も続いています。
▲ビッグパレットふくしま(1F)
〔避難の状況〕
県内への避難者数(平成26年6月30日現在)
81,340人
県外への避難者数(平成26年7月10日現在)
45,193人
避難先不明者
合 計
50人
126,583人
本大会の会場である「ビッグパ
レットふくしま」も避難所となりま
した。
ピーク時には、富岡町、川内村
などの約2,500人の住民が避難し
ていました。
▲避難住民であふれかえる通路や廊下(ビッグパレットふくしま)
(2011.3.26)
最後まで一緒だよ!
県内の社会福祉法人
(施設)
も甚大な被害を受けました。特に双葉郡を中心
とする法人・施設等は原発事故のため避難を余儀なくされ、全町村挙げて住
民が避難する混乱の中、避難先を求めて県内外に数回にわたり移動します。
突然の避難命令により、着の身着のままで移動を強いられ、介護設備もな
い不十分な環境の中で避難生活は利用者そして職員にとって大変過酷なもの
でした。職員自らも被災者でありながら、不眠不休の中で利用者の命を守り
続けました。
〔震災直後の会員施設の状況〕
東京電力福島第一原子力発電所事故による避難の状況
会員施設
(入所)
警戒区域
緊急時避難準備区域
計画的避難区域
避難指示
3月11日
3月12日
3月14日
3月15日
14:46
19:03
20:50
21:23
5:44
15:36
18:25
11:01
5:45
9:00
11:00
4月22日
9月30日
地震発生
(マグニチュード9.0)
原子力緊急事態宣言発令
原発半径2km圏内に避難要請
原発半径3km圏内に避難指示
避難指示区域半径3kmから半径10kmに拡大
1号機で水素爆発
避難指示区域を半径20kmに拡大
3号機で水素爆発
2号機で爆発音
放射線量最大値を観測
半径20kmから30km圏内に屋内退避指示
計画的避難区域指定
半径20kmから30km圏内緊急時避難準備区域指定
半径20km圏内警戒区域に指定
緊急時避難準備区域解除
【半径20km圏内】
緊急時避難
準備区域
計画的避難区域
飯舘村
長寿荘
いいたてホーム
特別養護老人ホーム
養護老人ホーム
デイサービスセンター
特別養護老人ホーム
養護老人ホーム
デイサービスセンター
特別養護老人ホーム
デイサービスセンター
6施設
1施設
10施設
6施設
1施設
8施設
1施設
2施設
施設外に避難する利用者
(サンライトおおくま職員撮影)
30㎞
福寿園
川俣町
川俣町
俣町
竹水園
南相馬
南
相馬
相馬市
馬市
20㎞
梅の香
尾村
尾
村
オンフール双葉
都路まどか荘
浪江
浪
江
江町
町
10㎞
せんだん
双葉
双葉
双葉町
葉町
町
田村市
田村
市
大熊町
熊町
熊
福島第
福
福島第一原発
島第一原発
島第
第一原発
第一原
第
原発
サンライトおおくま
舘山荘
川内村
会員施設の状況
警戒区域
万葉園
富岡
富岡町
岡町
岡
町
東風荘
福島第
福
福島第二原発
島第
第二原発
第二原
二原発
原発
原
発
葉町
葉
町
リリー園
花ぶさ苑
広野町
広野
広野町
野町
10㎞
翠祥園
いわき市
大熊町の避難指示により、町保健センターへ
サンライトおおくまの第1回目の避難
(大熊町保健センター、3月12日午前1時46分職員撮影)
<避難のための移動は観光バス>
「とにかく早くバスに乗れ!」白い防護服の男が大声を
上げた。
「どうやって身体が不自由な人たちを観光バスに乗せる
のよ!?」
志賀の脇から顔を真っ赤にした横山が防護服の警官に
双葉病院から移動する患者
葉病院 ら移動する患者
食ってかかった。
寝たきりの利用者は、まず、毛布などでぐるぐるに巻き包み、四肢を固定させた。その状態の
まま、職員が3人がかりでバスの乗降口の上まで担ぎ上げ、バスの内部で待機した職員2人
に受け渡し、上体と下肢をそれぞれ抱えながら座席に移動させた。
∼
「避難弱者」
より∼
サンライトおおくま 避難の経緯
「とにかく介護する側も、
不眠不休で体力的にも限界なんですが、
それ以上に利用者は過酷な状
況なんです。
私たちではもう、
どうすることもできないんです」
受話器の向こう側からすすり泣く音が聞こえる。
「俺らでできる限りのことはする。
最後は俺がケツを拭くから。
明日にでも受け入れるよ」
みぞれも降る寒さの中、
ジャンパーを羽織ることなく、
5日前に避難してきたままのジャージは
ところどころ汚れていた。
あまりに過酷な避難状況の中で戦っているサンライトおおくまの職
員の姿に胸が締め付けられ、
自分が当たり前のように羽織っていたジャンパーが急に着心地が
悪くなった。
目頭が熱くなり、
たまらず、
ジャンパーをサンライトおおくまの職員に手渡した。
涙で目の前の職
員の顔が見えなかった。
∼「避難弱者」より∼
ṯཎК᫱ᜱᎊʴἭὊἲ ἇὅἻỶἚấấẪộίᵖᵎʴὸ
ᵑᵍᵏᵏḵᴾᵟ ӑᓶထ
ᵑᵍᵏᵐḵᴾᵠ ဋ஭ࠊ
ᵑᵍᵏᵒḵᴾᵡ ဋ஭ࠊ
ᵑᵍᵏᵕᵋᵏᵖ
「特別養護老人ホームサンライトおおくま」
は県内の避
難所を大熊町町内、
田村市、
会津と介護の設備もない
ᵡ
ᵟ
ᵠ
18
避難所を転々とします。
3月15日、
県老施協に利用者
の受入れ施設の調整を依頼。
被害の少なかった会津方
30km
面の高齢者施設に利用者は避難しました。
「このままでは
命にかかわる!」
避難の状況を語る県老施協会津支部
はあとふるふくしま(2011 年 7 月号)
何とか避難したものの、底冷えのす
る寒さの中 、 一 般の人と同じ体 育 館
(図1)
※ 県 老 施 協 とは ⋮ 県 内の特 別
養 護 老 人 ホ ー ムや デ イ サ ー
ビスセンターといった高齢者
施 設︵ 3 0 9 施 設 ︶
で構 成 さ
れている 県 社 協の内 部 組 織
です。
﹁このままでは命にかかわる!﹂
浜通りの高齢者施設を支援した
県老施協会津支部の決断
震 災 時、
いち早 く 行 動に移し、避 難した施 設 入 所 者のために支 援 物 資
を 届け、受 入 先の確 保に奔 走したのが、県 老 施 協の会 津 支 部でした 。 比
較 的 被 害が少なかったとはいえ、物 資 不 足などの問 題には直 面した会 津
地方。そんな中でも自らの施設の業務をこなしながら、老施協会津支部
の役員として浜通りの施設支援に尽力した二人に話を聞きました。
浜通りの施設が大変なことになって
一緒に避難していたのですね。
る船引工業団地に、一般の人たちと
もう悲鳴に近いんです。田村市にあ
か携帯で連絡を取ってみたら、声が
まず、特別養護老人ホームのサン
ライトおおくまの施設長に、なんと
に 早 く 、 必 要 な 物 を 届 けるか﹂が大
と 判 断 し ま し た 。 大 災 害 で は﹁ い か
らが不足していましたが、米沢には
ことでした。会津若松市内にはこれ
ャージのようなズボンがほしいという
とんどない。とにかく、 オ ム ツ や ジ
たとこ ろ、オムツや下衣の替えがほ
山形に買いにいったんです。
3月 日 ㈬には、すぐにでも必要
じょくそう
と聞いた褥瘡防止用のエアマットや
いると聞きました。
清拭用品、経管栄養用のとろみ剤な
事で、時期を過ぎると、 物 資 は ム ダ
日㈮に
あると聞き割高でも買った方がいい
避難された施設に連絡を取っ
ど を 、 私 の 法 人 職 員 3人 が 届 け に 行
になってしまうのです。
渡部
きました。
は、まず那須甲子青少年自然の家に
避難していたオンフール双葉に物資
県老施協会津支部として、今
渡部
﹁なにかできることはないですか?﹂
を届けにいきました。
と県社協に連絡を入れました。その
支援物資を届けるのが第一歩
﹁迎えに行ってよかった﹂
回の震 災 で 被 災 さ れ た 会 員 の 施 設 に、
燃料が手に入りにくくなって、職員
日㈪には食糧が入ってこないし、
の通勤がままならない状態でした。
時、すでに小林さんとやりとりをはじ
必要な物資を一日でも
一時間でも早く
さて、どうするかな⋮と自分たちの
会津は地震による被害はほと
小林
めていると聞いて、小林 さ ん と 連 絡
小林
せん。県老施協から活動のための資
のですが、それでもまだまだ足りま
てもらおうと呼びかけて随分集めた
各施設から少しずつ物資を持ち寄っ
まずは支援物資集めを始めました。
るみど りホームに置くことにして、
小林
ども、あのまま避難所にいたら入所
然、会津の施設でも余裕はないけれ
け入れは、部分的に
絡を入れていきました。施設での受
﹁どうにか受け入れてほしい﹂と連
行して、会津支部の施設すべてに
ます。物資を避難所に届けるのと平
きる受入先の確保が必要になってき
で、そ れから入所者が安全で安心で
金を提供されたので、渡部さんは、
者の命にかかわりましたから、こち
日㈭から。当
自分の車をつかっていろんな物資を
活動の拠点はうちの法人であ
にしました。
日㈭
対策を考え始めた頃に、県社協から
小林
を と り 、 第 1回 目 の 打 合 せ を
んどあ りませんでしたが、週明けの
ですが、思いの外ライフラインの被
大 熊 町 の人を採用しています。介護
ったからです。そし て 今 回 は 老 施 協
おくわけにはいかない﹂
という状況だ
者をどう支援していけばいいかとい
ています。潜在的にいる要援護高齢
特養の 入所待機者も、避難生活をし
小林
した。最初はみんな自分の持ち場の
任者を 集めて災害対策会議を行いま
小林
不安が職員に広がってしまいます。
私の施設では毎日各部署の責
員自身が変わっていくのです。人ごと
ではなく、支援していかなければと
いう思いが広がりました 。 私 に は 、
先の大戦で辛苦してきた高齢者の
4
2011.7
特集
東日本大震災で社会福祉施設の避難は、
どのように行われたのか
∼マニュアルよりも役立った〝ネットワーク〟の力∼
を得なかったりと、ケアを必要とする
あらゆる面で
﹁想定外﹂
とされた東日 本大震災で、支援が必要な社会福祉
設入所者の避難は困難を極めました。震災から4カ月、当時の状況を振り
施
返ります。
利用者とともに避難所を転々と⋮
利 用 者を守りながらの避 難には大 変
3月 日に発生した東日 本大震災
では、社会福祉施設等で生活していた
などの避難所で過ごすこととなった施
私の施設では、大熊町からの
害が大きく、日が経つにつれ会津で
職員が足りないので避難した施設職
方々に再びつらい思いをさせたくは
員をぜひ雇いたいという声があるの
渡部
ないという思いもありました。
受け入れなければならない現実が見
害はは じめてで、マニュアルはあっ
会津地域の施設長さんたちは、
一丸
となって受け入れに応じ、高齢者を
えてきました。避難先の現状を目の
ても機能しない。その場に応じた動
守ろうと一緒に動いてくれま し た。
ですが、
なかなか連絡がとれない状態
きをするしかない。だからこそリー
当たりにしたら、
﹁出来る人が何か
渡部
ダーがどう考え対応するのかを職員
なにしろこれだけの規模の災
ると、 浜通りの方にとって雪も負担
これから先、在宅で冬を迎え
小林
に感じると思います。仮設住宅での
雪まじりの寒風の中、避難所
まで迎 えに行って
﹁最初は正直言って
のつながりが、大きな力になりまし
うこともあるし、避難所などで動か
心配をするのですが、県内で起きて
ます。
た。高齢者の命を守っている施設同
ないでいると廃用症候群や認知症が
いる問題を共有することで、だんだ
﹁どうなってしまうのだろう﹂
という
士 、 顔 見 知 り の 施 設 長 だ か ら﹁ な ん
進んでしまうこともあります。避難
例 え ば 大 熊 町 に 1 2 0人 い た
と か 助 け た い ﹂と い う 気 持 ち も 強 く
生活が長期化することで深刻な事態
ん全体的にどうするかという視点に職
いました。
﹁ あのまま入所者を置いて
なるわけです。
にならないか心配です。
自分の組織にも
メッセージを
日が経つにつれて、ともかく逃げ
なくてはいけない時期を過ぎ、避難
の長期化がはっきりしてきました。
みんな使命感で一生懸命やっている
けれども、
これから先は職員の過重労
働など、
また別の課題が出てきます。
社会福祉施設は無くてはなら
い社 会 資 源 で あ り 、 避 難 地 域
な
が復興する際には社会福祉施設
の 存 在 が 欠 か せません。そのた
めにも、避難した施設が存続し
ていくことが重要です。
県社協では、
6月1日から、
専門の
相談員を配置し、避難した施設を
定期的に訪問して経営や職員の雇
用問題などに関する相談に応じて
います。今後も変化する課題に対
応できるよう支援していきます。
今回実感しました。そうしないと
負担に感じていたけれども、行って
だそうです。どこかの機関で上手くマ
18
その意欲と信念は本当に誇りに思い
ッチングできないかと思います。
17
双葉町
16
にもきちんと伝えることが大切だと
をやらないと﹂いう気持ちになって
私共の施設でも4月から二人、
避 難 者 を一人採用しました。
渡部
避難している
介護職員の雇用
今回の震災では、
「 必然的に動かなくてはい
けない」
と行動したという小林さん。
「 重度の
人から引き受けます」、
「 もっと引き受けられ
ます」
と言ってくれた会津方部の施設長の申
し出がうれしかったと話します。
物資が足りない、届かない⋮
多 くの高 齢 者や障 がい児 者も被 害を
設がほとんどです。
さらに、
3月 日に原発から半径
∼ ㎞圏内に屋内退避が呼びかけら
れたことで物流が止まって食糧が十分
に確 保できなくなったり、ガソリン不
らも必死です。各施設の食堂やリビ
ングも全部つかってもらうようにし
当初、ある程度中通りの施設
て、受け入れを進めました。
渡部
こばやし きんきち
くるものだと思います。
でも受 け入れられると思っていたの
小林 欽吉 さん
な困難を伴いました。
受けました。
地震や津波以上の困難となったのが、
東京電力福島第一原子力発電所の事故
㎞に避難指示が出され
です。次々と避難地域が拡大し、
3月
日には、
半径
足により職 員 が 通 勤できなくなるな
ど、避難せずにすんだ施設においても
たことによって、
多くの施設が緊急的な
避難を強いられることとなりました。
陥りました。
利 用 者のケアが 継 続できない事 態に
避難区域の拡大とともに避難先を
転々としたり、向かった 避 難 所 がいっ
通常、入所施設では数日分の食糧の
がいに対 する 理 解 不 足 からトラブル
14
孤独死といった問題も出てきます。
阪神淡路大震災、新潟県中越沖地震でボラン
17
ティア活動をした渡部さん。
「 災害があった
時、支援につながる流れはある程度決まって
いても、その中身はそれぞれに違ってきま
す。その場に応じたその時のリーダーの行動
力や決断が必要です」
県老施協会津支部 元 施設部会長
(社福)博愛会常務理事
老人福祉施設統括・在宅事業所長 よ か っ た ﹂と 話 し て く れ た 施 設 長 が
わたなべ ていいち
ぱいで入れず別な避難所へ移動せざる
備 蓄を行っていますが、
これほどの事
になることもありました。
ならない状況であり、避難時に勤務し
しかし、避難時に勤務を外れていた
職 員 が避 難 所に合 流することはまま
入所施設では、通常、職員は交代制
で勤務しています。
被災しながら
勤務を続ける職員
団で
﹁避難﹂
した施設もあります。
障がい児者施設の中には、避難所へ
入ることが困難なため、県外施設へ集
態は各施設が整備していた防災マニュ
アルでも想定されておらず、
まさに未
曾有の出来事です。最終的には、 ㎞
圏内の入所施設はすべて避難すること
となりました。
︵図 1︶
他にも、
ライフラインの被害や物流
の影響を受け、
サービス提供が困難と
なった施設は県内に多数ありました。
避難すること自体が難しい
施設の入所者の多くは、自力で移動
することができません。
時 間 体 制で利 用 者へのケアを 続
ていた職員が交代職員不在のまま、
ほ
ぼ
けることとなりました。
もちろん、職員自身も被災者です。
自分の家はどうなったのか、家族と連
絡が取れなかったり、別々の場所に避
難したりと、不安を抱えながらも、﹁利
用 者のために﹂
、その 一 念で多 くの職
員が勤務を続けました。
しかし、一般の避難所でケアを続け
るには職員、利用者ともに限界があり
ます。行政を始め、
関係者が右往左往
渡部 悌一 さん
●いわき市
老施協会津支部の小林会長に連絡し助けを求める
(※この夜は、施設内で244人が過ごす)
竹田ほほえみデイサービスセンター所長
県老施協会津支部在宅部会長 特別養護老人ホーム オンフール双葉(140人)
救護施設 浪江ひまわり荘(100人)
3月17日 (木) 18:30 自衛隊からご飯が届くが不足
●川内村
一般7名 計155人
●浪江町
下着・スエットなどの衣類、
オムツなどの物資不足が深刻に
め、警察官に事情を説明
特別養護老人ホーム せんだん(70人)
※現地に入所者114人 職員34人 特別養護老人ホーム リリー園(80人)
)
障害者支援施設 あぶくま更生園(46人)
透析のため一旦病院に戻る
特別養護老人ホーム 翠祥園(85人)
養護老人ホーム 東風荘(75人)
特別養護老人ホーム 舘山荘(80人)
知的障害児施設 東洋学園児童部(80人)
障害者支援施設 東洋学園成人部(49人)
知的障害者支援施設 東洋育成園(50人)
障害者支援施設 光洋愛成園(40人)
17:00 自衛隊を呼び止め食事がないことを伝える
下の表 は 、浪 江 町 にあ る 特 別 養 護
老 人 ホ ームオンフ ール双葉の実際の
避難の状況です。今回の震災は規模が
大きく、緊急的に避難が必要となって
も、大人数がすぐに移動できる手段を
確保することができませんでした。
また、避難のためにバス等の移動手
段の確保ができても、寝たきり状態の
高齢者にとっては、移動するだけで身
体に大きな負担がかかります。
さらに十分な設備や資材の無い避難
所での生活を強いられることは、身体
する中で、
いち早くそのような避難施
設へ支援の手を差し伸べた、福島県老
状態の悪化にもつながります。高齢者
の場合、避難所で出される食事をその
人 福 祉 施 設 協 議 会︵ 以 下﹁ 県 老 施 協 ﹂
という︶
会津支部の活動を次にご紹介
します。
2
:30 相双保健福祉事務所で放射線のスクリーニング後、広島
❷ ❽❾
❸
❹
20㎞
❼
❺
※30㎞圏外でもライフライン等の被害により避難した施設あり。
30㎞
南相馬市
2
2011.7
2011.7
3
2011.7
5
東日本大震災で社会福祉施設の避難は、どのように行われたのか
特集
まま食べることができない方もいます。
障がい者の場合、慣れない環境で状
態が不安定になり、
また一般の方の障
23:00 病院の避難者67人のうち30人を町バスが迎えにくる
● 葉町
)
13:00 約束の時間にバスが到着せず。病院からの30人は人工
いわき市
務所
(南相馬市原町区)
へ
ン車でピストン輸送する
●富岡町
3月16日 (水) 15:00 公衆電話を探しに職員が町に出る。途中、パトカーを止
はいわきへ。残りの患者と施設入所者は相双保健福祉事
22:00 老健の避難者を二次避難先に翌日 2:00までかけてワゴ
●双葉町
特別養護老人ホーム 花ぶさ苑(36人)
葉町
施設へ
2つの病院の入院患者、
計200人の受け入れ要請がある
特別養護老人ホーム サンライトおおくま(80人)
3月15日 (火)
2病院の患者、職員など計275人が過ごす
)
(
8
:30 浪江町役場の指示で避難準備
●大熊町
※この夜は、施設内でオンフール双葉入所者、
(
9
:00 西郷村の那須甲子青少年自然の家到着 3月13日 (日)
広野町
21:00 県警のバス到着。全員搬送完了は深夜1
:30。病院の患者
18:25 20㎞圏内の避難指示。職員体制42人
内へ入れない」
と足止め。県警に交渉しパトカー先導で
9
:00 浪江町役場から、
介護老人保健施設
(以下
「老健」
)
の入所者と
●広野町
県警のバスに乗り換えて西郷村へ
富岡町
川内村
❷養護老人ホーム 南相馬市高松ホーム(100人)
❸特別養護老人ホーム 長寿荘(70人)
❹特別養護老人ホーム 福寿園(80人)
❺特別養護老人ホーム 梅の香(50人)
❻特別養護老人ホーム 竹水園(60人)
❼知的障害時施設 原町学園(30人)
❽知的障害者授産施設 原町共生授産園(50人)
❾知的障害者通勤寮 原町学園アフターケアセンター(23人)
食糧
(パン)
を確保して施設に戻る途中、
「3号機爆発で町
3月12日 (土)
11
福島
第一原発
大熊町
●南相馬市
10:00 職員が町長に会い、自衛隊の搬送が来ない状況を伝える
浪江町
❶特別養護老人ホーム 都路まどか荘
(50人)
4
:30 搬送先不明のまま自衛隊による搬送が決定
20
田村市
❶
14:46 大震災発生。様子を見るため、
職員を交代で自宅に帰す
尾村
●田村市 3月14日 (月)
3月11日 (金)
15
❻
3.11から
1週間の動き
12
30
飯舘村
福島第一原発事故に伴い避難した
30㎞ 圏内の社会福祉施設
福島第一原子力発電所から11㎞ にある
特別養護老人ホームオンフール双葉のケース
20
30
24
※入所施設のみ ※( )内は施設の定員
ZOOM
UP
東日本大震災で社会福祉施設の避難は、どのように行われたのか
特集
<特別養護老人ホーム舘山荘>
富岡町にある施設は帰還困難区域内にあります。
草は覆い茂り、ひっそりとしています。
あの日から
時間は止まったまま
今もなお、福島県に引かれたその線は
形を変えながら、故郷への立ち入りを許
していません。
そして、2011年3月11日から時間が
止まったままです。
<デイサービスセンターゆずのさと>
福島第1原発から15キロメートルの
葉町にあるデイサービスセンター。
避難指示解除準備区域にあり、日中は住民の立ち入りは認められていますが、
夜間の宿泊は認められていません。
▲ベランダにあった車椅子。
誰を乗せることもなく、
草が絡まったまま・・・
▲玄関には
「避難しています」
の張り紙が・・・
▲送迎車の周辺には草が人の背丈ほど
にまで伸びています。
<特別養護老人ホーム サンライトおおくま>
大熊町にある施設は福島第1原発からわずか2キロメールの帰還困難区域内
にあります。現在も放射線量が高く許可なくして立入ることはできません。
▲玄関は普通に見えますが建物の中は避難したあの時のままです。
▲天井の壁も大きく落下、あちこちに物が散乱したまま。
▲書類が散乱し、机が倒れている
▲屋上から間近に見える「東京電力福島第1原子力発電所」
(サンライトおおくま屋上から撮影)
▲書棚が倒れたままの介護ステーション
避難施設の今
現在、避難した施設で仮設の施設で事業を再開した会員施設は、
「 養護老人
ホーム東風荘」のみとなっています。
他の避難施設の事業再開は、土地の確保や建設費の高騰、人材の確保といった
課題に直面し困難を極めています。
避難した施設の一部会員施設では、仮設住宅地内でのサポートセンターの運営
により避難住民の支援にあたっています。
仮設住宅の暮らしは、これまで日々の暮らしにあった畑仕事や庭いじり、近所づき
あいの機会が奪われ、さらに見知らぬ土地での生活は身体機能の低下、認知症の進
行など要介護者となるケースが危惧されています。サポートセンターでは、高齢者
の身体機能の維持、また住民間のつながりを守るため、大切な役割を担っています。
▲郡山市に仮設施設で事業を再開した
「養護老人ホーム東風荘」
▲仮設住宅地内に建つサポートセンター
浪江町から避難している
「一樹デイサービスセンター」
が運営。
▲仮設住宅地内にあるサポートセンター
「オンフール双葉」
▲元気に町に戻るその日まで。
避難することなく留まって利用者の支援にあたっている施設もあります。
居住制限区域にある「特別養護老人ホームいいたてホーム」
です。
利用者が避難することのリスクを考え「避難をしない」
ことを選択しました。
全村避難となった飯舘村にある「いいたてホーム」の職員は村外から片道30キ
ロ以上かけて、施設に通勤しています。
職員の不足により、利用者定員を増やすことができない厳しい状況が続いてい
ますが、職員一丸となって利用者の笑顔を守っています。
▲利用者の方は避難することなく、
普段と変わらない生活を続けています。
「特別養護老人ホームいいたてホーム」
▲おいしそうな「とうもろこし」。
皮をむくのはおてのもの。
▲
「きもちいいべ」
「んだな」
▲100歳おめでとうございます!
職員の笑顔が利用者の笑顔を支えています。
あの時も、今も、たくさんのご支援に感謝しています。
ふくしまから
「ありがとうのメッセージ」
2012∼2013
朝日見て
きっと ぞ
浪江町
宮代応急仮設住宅
自治会役員一同
(浪江町)
あたたかい心に
「ありがとう」
を
伝えたい
昨年
昨
昨年
年 8 月からこの仮設住宅で生活をしてい
いわき高久第10応急仮設住宅
ます。こ
ます。これまで住民みんなが元気で過ごせた
( 葉町)
自治会長 髙木 昌 まさ き
のは、多
のは、多くの方からのたくさんの支援があっ
たおか
かげ
たおかげです。
私は、
避難当時は、寒い中での移動
避難当時は 寒い中での移動
避難当時は、寒い中での移動の繰り返しで大変苦労をしましたが、
葉町の「デイサービ
スセンターゆずのさと」の経営
そんな時でも 炊き出しや物資
そんな時でも、炊き出しや物資、お風呂の提供など、知らない方々
に携わってきました。昨年 3 月
にいつも支援をしていただき、簡単な言葉では表せない人間のつな
がりを感じました。
11 日の大地震の翌日から、原
最近、近くの高校の美術部の生徒が仮設住宅の壁に絵を書いてく
発事故による避難指示を受け、
れました。これまでとても冷たい印象だった仮設住宅の色が、ぬくも
利用者の皆さんほか、従業員と
りのある華やかな印象にかわりました。「海から昇る太陽」、「浪江の
その家族約 40名と共に、転々と
花コスモス」を描いてい
避難を余儀なくされました。
ただき、ありがとうござ
います。
これからも浪江町に帰
るという「希望」と「目標」
を持ち、夜明けを信じて
現在、私はいわき市の仮設住宅に避難していますが、その過
程で突然の避難者受け入れのお願いを快く引き受けてくださった
同市の特老「高砂荘」さんと、
千葉県市原市の特老「辰巳萬緑苑」
さんの皆様に、心から「ありがとう」とお礼を申し上げます。
いきたいと思います。
東日本大震災を経てお世話になった方への『ありがとう』の気持ちを、ぜひお寄せください。
投稿方法など詳細は県社協ホームページをご覧ください。
東日本大震災を経てお世話になった方への『ありがとう』の気持ちを、ぜひお寄せください。
投稿方法など詳細は県社協ホームページをご覧ください。
▲はあとふるふくしま7月号
宮代応急仮設住宅自治会役員一同
▲はあとふるふくしま8月号
いわき高久第10応急仮設住宅自治会長
私たちは南相馬市の海水浴場近くに祖父母、
私
私た
た
両親、子
「広野はがんばっているよ!」
と
伝えたい
どもの4世代で住んでいましたが、
自宅は津波で流され
ども
もの
の
てし
しま
ま
てしまいました。
避難した学校の3階から、水没した地域
広野町有志の会
「がんばっ会」
を見たときはとても信じられない気持ちでした。
を見
見た
た
鈴木 すみ(広野町)
指示で、平田村の公民館へ避難しました。平田村の
方に本当に良くしてもらいました。4 月、2 次避難
所に移動した直後、大きな余震で建物が壊れ、別の
場所に移りました。そこでも地元の方の厚意をいた
だき、感謝しています。
インターネットのつながりやボランティア活動を通して、県外の多くの方
が心配をしてくれました。今でも地震があるたびにメールをくれます。
心も体も温まりました
館に避難しました。次の日には「南か西へ」の避難
館に避
緑川 亜紀子・遥斗︵南相馬市︶
地震直後、津波が来るからと町の高台にある公民
地震
震
避難先の学校の体育館の床に直接マットを引くだけ
避難
難
で、大
大変
大変寒いなかで5日間ほどを過ごしましたが、その地
域の婦
域の婦人会の方々が毎日炊き出しをしてくれて、温かい
食べ物をいただくことができ、心も体もあたたまったこ
とが今でも忘れられません。屋内退避指示が拡大するな
かでも、炊き出しを続けていただいたことには本当に感
謝しています。そして、今思い返しても温かいお風呂を
貸していただいた友人にも、ありがとうの気持ちが沸き
上がります。
その後、4カ月ほど福島市の親戚宅に避難をし、その
間、子どもたちも福島市内の学校にお世話になりました
いろいろな人から励ましをもらっています。だから「これからは私たちが
が、息子も友達が毎日遊びに誘って
がんばらないと」
「自分たちでも動かなければ」そんな思いをもつ有志で「が
くれてうれしかったことを今でも
んばっ会」を作り、さっそく学校や駅などのゴミ拾いをしました。広野町の
お母さん、これから広野町でお母さんになる人たちの不安を和らげる取り
組みもします。
広野町へ戻ってきて思うのは、やはり自分のふるさとが好きということで
す。
「広野はがんばっているよ」と多くの方に伝えたいと思います。
東日本大震災を経てお世話になった方への『ありがとう』の気持ちを、ぜひお寄せください。
投稿方法など詳細は県社協ホームページをご覧ください。
▲はあとふるふくしま10月号
広野町有志の会
「がんばっ会」
話します。そして、昨年8月から南相
馬市に戻り、子どもたちは仮設住宅
から元の学校に元気に通っていま
す。仲のいい友達と毎日過ごしてい
る様子に母親としてホッとしてい
ます。
東日本大震災を経てお世話になった方への『ありがとう』の気持ちを、ぜひお寄せください。
投稿方法など詳細は県社協ホームページをご覧ください。
▲はあとふるふくしま1月号
緑川亜紀子
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