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非中東 OPEC 主要国の石油情勢と国際石油市場への影響に関する調査

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非中東 OPEC 主要国の石油情勢と国際石油市場への影響に関する調査
IEEJ:2004 年 7 月掲載
非中東 OPEC 主要国の石油情勢と国際石油市場への影響に関する調査∗
第3章
リビア
総合エネルギー動向分析室
研究員
山中
裕之
1
ロッカビー事件)、翌 1989
テロ支援国として、また 1988 年のパンナム機爆破事件(以下、
年のフランス UTA 機爆破事件2へのリビアの関与疑惑などから、アメリカや国連による経
済制裁が科されて以降、リビアは豊富な天然資源を有しているにも関わらず、その開発は
事実上停止していた。
しかし、1999 年にリビアがロッカビー事件の容疑者 2 名を国連に引き渡し、2003 年 4
月に同事件に関する責任を認める発言を行って以降、状況は大きく変わりつつある。まず、
2003 年 9 月に国連制裁が完全に解除された。さらに 12 月にリビアが大量破壊兵器
(Weapons of Mass Destruction:WMD)の放棄を宣言したことを受け、2004 年 2 月にア
メリカがリビアへの渡航禁止を解除するなど、リビアの国際社会への復帰は着実に進みつ
つある。
本章では、国際社会への復帰を果たすことで今後天然資源開発のホットスポットとなる
可能性の高いリビアの、石油開発および同国が抱える不確実性、同国が石油市場に与える
インパクトについて考察する。
∗
本報告は、平成 15 年に経済産業省資源エネルギー庁より受託して実施した受託研究の一部である。この
度、経済産業省の許可を得て公表できることとなった。経済産業省関係者のご理解・ご協力に謝意を表す
ものである。
1 パンアメリカン航空 103 便が、スコットランド、ロッカビー村上空で爆破された事件。乗客乗員 259 人
と村人 11 人が死亡した。
2 フランス UTA 航空 772 便がアフリカ・ニジェール上空で爆破された事件。乗客乗員 170 人が死亡した。
1
IEEJ:2004 年 7 月掲載
(出所) リビア ムハンデスのホームページ
以下では、まず第 1 節でリビアの主要な経済データに触れ、次いで第 2 節で同国がテロ
支援国として永らく国際的な制裁に耐えてきた国家であることから、現在のリビアが成立
するまでの略史、政治、経済、そして国家を支える天然資源の概要について述べることと
する。さらに第 3 節において、リビアの石油産業の概況、石油開発の現状と展望を整理す
る。その後第 4 節においてリビアが抱える不確実性を指摘し、最後に第 5 節においてリビ
アの石油開発が国際市場に与えるインパクトをまとめることとする。
3-1. 基礎データ
正式名称:社会主義人民リビア・アラブ・ジャマヒリヤ
(Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya)
人口:約 560 万人(2003 年推計:EIU3)
国土面積:176 万 km2
首都:トリポリ
民族:アラブ人、ベルベル人
宗教:イスラム教
国家元首格:ムアンマル・アル・カダフィ大佐(Muammar Al Quadhafi)
首相格:シュクリ・モハメッド・ガーネム書記(Shukri Mohamed Ghanim)
GDP 総額(2001 年):148.0 億 LD4(97 年価格)[参考:112.4 億 US$]
3
Economist Intelligence Unit:ロンドンを本拠とした研究機関で、各国の政治、経済、ビジネス問題な
どの評価、予測などを行っている。
4 LD:Libyan Dinar(リビアン・ディナール)
。なお、US$への換算は 1.317LD/US$(2004 年 3 月 19
2
IEEJ:2004 年 7 月掲載
一人当り GDP(2001 年)
:2,735LD(97 年価格)[参考:2,077US$]
GDP 成長率(2001 年):3.3%
表 3-1-1 GDP 総額、人口、一人当り GDP の推移
1998
1999
2000
2001
GDP 総額
億 LD (97 年価格)
138.6
138.8
143.2
148.0
人口
千人
5,059
5,172
5,290
5,411
2,740
2,684
2,707
2,735
0.4
2.1
3.2
3.3
一人当り GDP LD(97 年価格)
GDP 成長率
(出所) Central Bank of Libya
石油価格が上昇に転じた 1999 年以降、リビア経済は堅調に成長しており、2001 年は対前
年比 3.3%の経済成長となった。
表 3-1-2 一次エネルギー消費
伸び率 GDP 成長率 GDP 弾性値 一人当り消費 GDP 原単位*
総消費
(石油換算千トン)
(%)
(石油換算トン)
1999
12,254
-31.4
2.1
−
2.37
88.3
2000
16,438
34.1
3.2
10.66
3.11
114.8
2001
15,992
-2.7
3.3
−
2.96
108.1
(%)
* エネルギー総消費(石油換算千トン)/GDP(億 LD・97 年)
(出所)IEA Energy Balances of Non-OECD および Central Bank of Libya より作成
2001 年の 1 次エネルギー消費は、石油換算 1,599 万 2 千トンで、対前年比 2.7%減となっ
た。
表 3-1-3 一次エネルギー需給バランス(2001 年、石油換算千トン)
原油
石油製品
ガス
その他
合計
69,174
−
5,047
143
74,363
輸入
−
29
−
−
29
輸出
50,392
7,379
629
−
58,400
−
−
−
−
−
18,782
7,351
4,418
143
15,992
国内生産
在庫変動他
一次供給
(出所) IEA Energy Balances of Non-OECD 2003edition
日現在のレートで換算)
3
IEEJ:2004 年 7 月掲載
リビアは、エネルギーの純輸出国であり、石油製品のごく一部が輸入されているのみであ
る。2001 年の輸出量は石油換算で 5,840 万トンとなり、2000 年の 5,750 万トンを約 1.6%
上回った。
表 3-1-4 エネルギー源別最終消費動向(石油換算千トン)
石油
ガス
その他
合計
1999
6,255
1,744
1,860
9,859
2000
6,599
1,764
1,924
10,287
2001
6,953
1,835
1,989
10,778
(出所) IEA Energy Balances of Non-OECD 2003edition
経済成長に伴い、エネルギー最終消費も堅調に推移している。1999∼2001 年間では年率
3.0%で増加しており、石油、ガス、その他共に増加している。なお、エネルギー源別の構
成比は、2001 年時点で石油 64.5%、ガス 17.0%、その他 18.5%となっている。
表 3-1-5 エネルギー資源(2002 年末)
確認埋蔵量
世界シェア(%)
可採年数
石油 (億バレル)
295
2.8
59
ガス (兆立米)
1.31
0.8
100 年以上
(出所) BP Statistical Review of World Energy 2003
リビアは、石油とガスを豊富に保有している国であり、特に石油は世界第 9 位の埋蔵量と
なっている。
表 3-1-6 エネルギー源別生産動向(石油換算千トン)
石油
ガス
1999
7,919
4,197
136
12,254
2000
12,052
4,246
140
16,438
2001
11,431
4,418
143
15,992
(出所)
その他
合計
IEA Energy Balances of Non-OECD
2001 年のリビアのエネルギー源別生産は、石油は対前年比 5.2%減少しているものの、ガ
スとその他エネルギーは各々4.1%、2.1%増加している。全体では、石油生産の減少により
2.7%の減少となった。
4
IEEJ:2004 年 7 月掲載
3-2. リビアの略史・政治・経済
3-2-1. リビアの略史
リビアは北アフリカに位置しており、北は地中海に面し、東はエジプト、スーダン、南
はチャド、ナイジェリア、西はアルジェリアとチュニジアに囲まれている。面積は日本の
約 5 倍で、地中海性気候5に属し比較的温暖な地域であるが、領土の南半分がサハラ砂漠に
覆われていることもあり、人口の約 80%が沿海部に集中している。人民の 90%以上はアラ
ブ人で、5%程度がベルベル人と言われる砂漠の土着民で構成されている。
同国は、1912 年から 1942 年まではイタリアの植民地であり、第二次大戦中は国土が戦
場となっていた。戦後、1951 年に「リビア連合王国」として独立するまで、イギリスとフ
ランスの軍政下に置かれた。
リビアはキュレナイカ(Cyrenaica)、トリポリタニア(Tripolitania)、フェザン(Fezzan)
の 3 地域で構成されている。この 3 地域は砂漠で仕切られていたことにより、各地域毎に
独自性を有している。北西部に位置するトリポリタニアは、トリポリを主要都市として、
過去何世紀にも亘り交易などの要衝の地であった。文化的にはマグリブ(Maghrib)6との
結びつきが強く、外国による支配の影響から近代リビア統合について最も強い意識を有し
ている。北東に位置するキュレナイカは、トリポリタニアと対照的に沿岸部の一部を除き、
政治的な影響を受けていない地域で、その出自はエジプトなどマシュリク(Mashriq)にあ
る。19 世紀にイスラム教の侵入により民族団結という意識が生まれたことにより、キュレ
ナイカではリビアの独立、統一後も自身の自治権を残すよう求めている。南部のフェザン
は、Maghrib も Mashriq も含まない遊牧民である。彼らは歴史的な背景から、海岸部およ
びサハラ砂漠周辺のアフリカ諸国と強い関係を持っている。
リビア連合王国として独立した後、王としてイドリスが選出されたが、彼がキュレナイ
カの出身であったため他地域の不満を生むこととなり、国家の団結に欠け、政治的、経済
的問題を抱えた厳しい国家運営であった。
その後、石油の発見により国家に収益が入るようになり貧富の差が発生・拡大したこと、
また、イドリス王が西側の立憲君主制を支持し、アラブ諸国と最小限の関係しか持ってい
なかったことから国民の間に不満が高まることとなった。
5
温帯気候の 1 つで、夏は雨が少なく高温のため乾燥するが、冬は降水が多く湿潤な気候。
Maghrib、Mashriq は共にアラビア語。Maghrib は「日が沈むところ」を意味し、モロッコやアルジェ
リア辺りを指し、Mashriq は「日が昇るところ」を意味し、サウジアラビア、シリア、エジプトなどの地
域を指す。
6
5
IEEJ:2004 年 7 月掲載
こうした状況下、カダフィ大佐率いる将校団が、1969 年イドリス王の国外療養中にクー
デターを起こし共和制に移行、王政は廃止された。
その後、豊富な天然資源の開発を通じて国家の発展を図るが、リビアがテロ活動の支援
を行っていたことから、アメリカおよび国連から度重なる制裁(表.3-2-1)を受けることと
なり、国家の発展がままならない状態が続いている。
表.3-2-1 リビアに科せられた制裁
実施年
実施国
制裁内容
1978 年
アメリカ
航空機を含むリビアへの武器禁輸措置
1986 年
アメリカ
全ての品目に対する経済制裁導入
米石油企業のリビアからの撤退7
主要都市トリポリ、ベンガジの空爆
1992 年
国連
リビアの海外資金の凍結、石油、ガスに関連する機材のリビアへ
の販売禁止、および民間人の渡航抑制や武器供給の制限
1996 年
アメリカ
外国企業のリビアへの 4,000 万ドル以上の投資および石油、ガス
部門の 12 ヶ月を超える事業活動の禁止(Iran−Libya Sanctions
Act、以下「ILSA」)
2001 年
アメリカ
制裁期間の 5 年間延長および、投資上限を 2,000 万ドルとするな
どの制裁強化
3-2-2. リビアの政治
カダフィ大佐はエジプトで革命を起こし大統領となったナセル8の影響を強く受けている
と言われ、その政治手法も彼を模したものであるとされる。
カダフィ大佐の立ち上げた新政府は「自由、社会主義、団結」を掲げ、1977 年に国家の
名称を「社会主義人民リビア・アラブ・ジャマヒリヤ」と改称した。
カダフィは、①「自由」については、全市民が参加できる「人民委員会制」という枠組
みを創り、市民の政治への参加を最大化することで、②「社会主義」は、リビアのインフ
7
最初のアメリカ企業の撤退は 1982 年。Exxon と Mobil が、アメリカの禁輸措置を受けて撤退。1986 年
にレーガン政権からリビアでの活動停止命令を受けて、82 年以降もリビアで活動を続けていた Amerada
Hess、Conoco、Grade Petroleum、Marathon、Occidenatal の 5 社が撤退した。
8 Gamal Abdul Nasser(1918∼1970)
。エジプト軍人。自由将校団を結成し、当時、エジプトを植民地化
していたイギリスの掃討、イギリスの傀儡政権となっていた王政の打倒を実施。1956 年に大統領に就任。
その後、政治、経済の改革を進め、富裕化と社会主義と自由を追求し、生産手段の民衆による統制と社会
主義的デモクラシーの実現を目標とする「アラブ社会主義」の実現に努めた。
6
IEEJ:2004 年 7 月掲載
ラや産業の発展を押し進めるべくさまざまな計画を国が主導して立案することで、また、
③「団結」については、実際に何度もアラブ諸国に団結を促したように、アラブとイスラ
ムのポリシーの融合を提唱することで、その政治理念の実現を図っている。
上記の政治理念に基づくリビアの政治機構は、国家元首という概念のない「ジャマヒリ
ヤ9体制」という形を採っている。その体制の下では、カダフィ大佐自身もあくまで国家元
首「格」に位置する。
ジャマヒリヤ体制下では政治は全ての人民の声を取り上げて行うものであるとの思想に
立ち、人民が声をあげる場として「基礎人民会議」を多数作っている。この上部組織とし
て「全国人民会議」があり立法機関の機能を果たしている。また、2003 年よりシュクリ・
ガーネムを首相格とする「全国人民委員会」が行政機関として設立された。
過去には 24 省庁が存在したが、2000 年 3 月と 10 月に大規模な組織改革が行われ、「経
済・貿易省」
「外務省」
「財務省」
「司法・治安省」
「企画・計画省」
「観光省」の 6 省に統廃
合された。従来あった省庁は地方分権の名の下に公社化され、地方自治体に委譲された。
その後、2004 年 3 月にエネルギー省が新設され(図.3-2-1)、Fathi bin Shatwan 氏が大
臣として任命された。これに伴い、NOC の総裁も Abd al-Hafiz Zleitini 氏から Abd Allah
al-Badri 氏へと交替した。こうした一連の動きは、凍結されていたアメリカ石油企業との
リビアへの再参入交渉を円滑に行うための布石であると見られている。
図.3-2-1 リビアの政治機構(2004 年 3 月現在)
カダフィ指導者
革命委員会
(Revolutionary Comand Council)
基礎人民会議
基礎人民会議
基礎人民会議
(Basic People's Congress)
治安機関
全国人民会議
(the General People's Congress)
全国人民委員会
(the General People's Committee)
(書記局)
・首相格
・副首相格(総括)
・副首相格(サービス担当)
・副首相格(生産担当)
9
(7省)
・経済、貿易省
・外務省
・財務省
・司法、治安省
・企画、計画省
・観光省
・エネルギー省
新しく造られたアラビア語。「大衆の国家」「民衆の力」「民衆の権威」などと意訳される。
7
軍
IEEJ:2004 年 7 月掲載
3-2-3. リビアの経済
北アフリカにあってリビアの経済は独特である。アルジェリア、エジプト、モロッコ、
チュニジアなどが膨大な人口を抱え、農業国としての高いポテンシャルや安定した産業基
盤を有しているのに対し、リビアにはそういったものがない。それは、リビアの人口が列
記した国々に比して少ないことと、国土は広いものの砂漠に覆われていることで、有用な
地域が沿岸部とオアシス地域のみに限られていること、そして水不足に起因している
(表.3-2-2)。
独立当初のリビアにとって、農業が雇用の 70%、GDP の約 30%を生み出す非常に重要
な産業であった。その後、石油開発に伴い石油収入が増加し始めると、農業収入の相対的
重要性は著しく低下し、2001 年実績では GDP の 10%程度を占めるに止まり、今や食料の
75%は輸入に依存する状況となっている。しかし、リビアでは他産業の成長があまり進ん
でいないことから、農業は未だ相当の雇用を担う重要な産業であることに変わりはない。
次に、石油産業についてであるが、石油産業はリビア経済にとって外貨収入の 90%以上
を占める極めて重要な産業である。1992 年の国連制裁、および 1996 年の ILSA により大
きなダメージを受けたリビア経済は、1998 年まで続いた石油価格の低迷の影響も受け、石
油からの収益が著しく低下した。その後、1999 年以降の石油価格の上昇により石油の収益
は急速に改善しており、1998 年に 60 億ドルと言われた石油収入は 2001 年には 110 億ドル
にまで上昇している。
好調な石油収入をよりどころとして、上述のとおり、1999 年以降 2∼3%の経済成長を遂
げリビアの経済は好転しているといえる。しかし、着実な経済成長にも関わらず、リビア
では依然として失業率が高い状態10が続いている。
カダフィは石油しか経済を支える産業がない状況を以前から懸念しており、
「石油依存体
質からの脱却」を目指してさまざまな産業の育成に取り組んでいる。近年、GDP に占める
石油収入の比率は徐々に低下しつつあるものの、未だに GDP の約 30%を占めており、そ
の位置付けは依然として極めて重要である(表.3-2-3)。
石油以外の産業として現在政府が力を注いでいるのが、農業、観光業などの育成である。
特に農業については、沿岸部の水不足を解消し、自国の食料自給率の引上げを図るため、
オアシス地帯の地下水を沿岸部までパイプラインで輸送する Great Man Made River
(GMMR)という 300 億ドル規模のプロジェクトを 1980 年から実行している(図.3-2-2)。
10
経済は順調に成長しているにも関わらず、失業率は約 30%と言われている。
8
IEEJ:2004 年 7 月掲載
また、為替についても、従来
公式レートと市場レートを併用していた 2 重レート制を
2002 年 1 月に廃止し、公式レートを従来の約半分に引き下げた11。この通貨引き下げは、
リビア企業の競争力を高めると共に、外国企業のリビアへの投資を促すこととなった。
表.3-2-2 リビア周辺諸国の人口と国土面積
(万人、万 km2)
リビア
アルジェリア
エジプト
モロッコ
チュニジア
人口
560
3,130
6,920
2,870
946
国土面積
176
238
100
46
16
(出所)外務省(日本)HP
表.3-2-3 部門別 GDP
(百万 LD(97 年価格)、%)
1998
1999
2000
2001
石油および天然ガス
4,513
32.6
4,376
31.5
4,252
29.7
4,369
29.5
貿易、レストラン、ホテル
1,634
11.8
1,551
11.2
1,575
11.0
1,621
11.0
農業、林業、漁業
1,274
9.2
1,237
8.9
1,258
8.8
1,292
8.7
製造業
805
5.8
835
6.0
853
6.0
874
5.9
建設業
661
4.8
721
5.2
960
6.7
1,047
7.1
金融、保険他
251
1.8
296
2.1
327
2.3
347
2.3
4,723
34.0
4,860
35.1
5,096
35.5
5,246
35.5
− 14,796
−
その他
計
13,861
− 13,876
− 14,321
(出所)Central Bank of Libya
11
2004 年 3 月 19 日現在、1.317LD/US ドル。引き下げ以前は、0.647LD/US ドル(2001 年末現在、Central
Bank of Libya)であった。
9
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図.3-2-2 GMMR パイプライン敷設計画図
(出所) Libyen-News.de HP
3-3. リビアの石油開発の現状と展望
3-3-1. 石油産業の概略と現状
リビアは上述のとおり、石油の埋蔵量が世界 9 位に位置する天然資源の豊かな国家であ
る。
この天然資源の開発は 1955 年に始まった。その後、1959 年に最初の油田が発見され、
1961 年には石油の輸出を開始した。翌 1962 年には OPEC(1960 年に設立)にも加盟して
いる。
石 油 部 門を司 る 機 関とし て 石 油省( 1963 年 ) や 国 営企業 で あ る Libyan General
Petroleum Corporation(Lipetco、1968 年)が設立されたが、統廃合を重ね 1970 年以降、
National Oil Corporation(NOC)が担当機関となっている12(図.3-3-1)。
NOC が担っている機能は経済・貿易省、企画・計画省、財務省と重複する部分があるが、
各省からは独立した組織となっている。ただし、従来 NOC が保有していた鉱区開発の権益
付与については、2000 年の組織改革時に政府へと移管されている。
12
設立年については NOC ホームページ(http://www.noclibya.com/eng/page-eng.html)より。ただし、
1968 年、1969 年の設立とする説もある。
10
IEEJ:2004 年 7 月掲載
現在のリビアの石油生産は、NOC の子会社と NOC と外国石油資本との JV との 2 形態
で行っている(図.3-3-2)。
石油開発に当っての契約方式としては、開発開始当初は外国石油会社との間で交わした
Concession Contract(利権契約)に基づいて行っていた。しかし、この契約形態では生産
量を増やしたとしても、石油会社は産出した石油を高く売る分だけ収益が飛躍的に上昇す
るのに対し、産油国は石油会社が開発した石油の Royalty しか得ることができなかったこ
とから、産油国は石油会社に新たに税金を課すなどして収益の向上を図った。このように
利益の配分を巡る問題により、1960 年代後半から、リビア政府と石油会社の関係には緊張
が高まっていた。特にカダフィ登場後、リビア政府は石油会社側への攻勢を強め、徐々に
政府側に有利な条件を勝ち取っていった。石油産業からの収益増加を目論んだリビアは石
油会社との開発契約について、生産分与契約13(Production Sharing Contract、以下「PSC」)
への切り替えを志向し、これを実現するため、まず 1972 年頃より全てのライセンスにおい
て最低 51%の権益を NOC に与えることを主張し、石油産業の国有化・資本参加を進めた。
こうしたリビアの動きに対し、米系メジャーの抵抗はあったものの、最終的には 1974 年に、
当時、リビアの石油開発に参入していた BP、Agip、Occidental、Conoco、Marathon、
Amerada Hess、Exxon、Mobil、Shell から 50∼51%の権益の獲得を完了した14。また、
その後米系企業がリビアから撤退するに至ると、その操業(権益)は基本的にリビア側に
引き渡された。
こうして既存の石油資産を国が管理するようになった上で、リビアは EPSA(Exploration
and Production-Sharing Agreement)と称する PSC を外国石油会社と締結し、開発を進め
ようとした。通常、PSC では生産された石油について、まず開発コスト相当分を「コスト
オイル」として石油会社が取った後、残りを「プロフィットオイル」として産油国と石油
会社の間で契約比率に基づいて分けるのだが、EPSA1 と言われる当時の PSC ではそれを
認めない上に NOC の取り分が 80%以上の高い水準で、石油会社は 20%程度の自己取り分
から開発コストまで賄う必要があった。
EPSA1 導入後、新規油田の開発が進まないことに危機感を強めた NOC は、鉱区の開発
見込みによって段階的に自己取り分を変動させる EPSA2 を 1980 年に導入し、新規開発を
喚起しようと試みた。
しかし、EPSA2 が外国石油会社にとって魅力的な契約でなかったこと、1982、1986 年
13
開発請負契約。従来の利益配分方式とは異なり、生産物自体を産油国と石油会社間で分け合うことが特
徴。
14 Conoco、Marathon、Amerada Hess は Sirte basin の開発に当たり、1962 年にジョイント・コンソー
シアムとして Oasis Group を結成。同グループがリビアを撤退した 1986 年にはグループで 40 万 B/D の
石油を生産していた(リビアが操業している現在、10 万 B/D まで低下していると言われる)
11
IEEJ:2004 年 7 月掲載
のアメリカ石油会社のリビア撤退に伴う石油生産量の減少などを補うため、さらなる外資
導入を目指して導入されたのが 1988 年の EPSA3 である。この EPSA3 では、初めてコス
トオイルの概念が認められるなど、EPSA を国際標準に近づけようとしている(表.3-3-1)。
1990 年初頭から、リビアが EPSA3 をさらに修正した EPSA4 に移行するとの噂がある
が、2004 年 3 月現在、具体的な話は NOC からは何も発表されていない。しかし、これま
での EPSA の変遷が、その成果の是非はともかく、外資の導入を促すことを目的としたも
のであることから、EPSA4 は、EPSA3 からもう一段、外資にとってインセンティブのあ
る契約になるものと思われる。
EPSA と共にリビアの石油開発を担っているのが NOC の子会社である。現在 4 社存在す
る NOC の子会社が誕生したのは 1980∼1986 年頃で、それまで油田のオペレーションに当
っていた外国企業の資産を「国有化」して設立された(表.3-3-2)。
図.3-3-1 NOC の活動
Natiional Oil Corporation
上流開発
輸送および付帯事業
下流部門および石油化学
沖合い開発および付帯事業
図.3-3-2 NOC の上流開発構成(2002 年現在)
上流開発および生産
100%子会社
Agoco
37.1
Waha
23.2
Sirte
10.8
Zueitina
6.2
小計
77.3
(万B/D)
EPSA等で操業する外資
Agip
18.3
Repsol YPF
15.5
Wintershall
10.2
Veba
8.1
Total
1.9
OMV
0.2
小計
54.2
12
IEEJ:2004 年 7 月掲載
表.3-3-1 EPSA の変遷
発行年
EPSA1
1974 年
特徴
目的
契約期間は 35 年。5 年で商業生 リビア石油開発への生産分与契
産に至らなければ契約終了。
約の導入。
生産量の NOC 取得分は、海上開
発で 81%、陸上開発で 85%。
EPSA2
1980 年
鉱区の開発見込みが高ければ、 新規油田開発の促進による埋蔵
NOC の取り分は 85%、中程度な 量の増加。
らば 81%、低い場合は 75%と段
階的な取り分を設定した。
EPSA3
1988 年
石油会社のコストオイルを認め、 米企業の撤退による生産減、石油
金銭の支払いを迅速化するなど、 価格の低下、経済の低迷などの打
EPSA を国際基準に近づけ外資 開。新規油田開発の促進。
誘致の促進を図った。
表.3-3-2 NOC 子会社の成り立ち
会社名
Agoco
Waha
Sirte
Zueitina
設立年
1980
1986
1981
1986
前身
・Ageco
・Oasis holdings ・Exxon
・Oasis holdings
Es Sider
Zueitina
・Umm Jawabi
Oil Company
生産油種
Brega
Sirtica
Sarir
3-3-2. リビアの石油生産について
1961 年の石油輸出開始以降、リビアの石油生産量は順調に増加し、1970 年には 336 万
B/D のピークに達した。しかし、1969 年のカダフィ登場以降、リビアが外国操業企業に強
硬姿勢をとるようになったことから、企業側はリビアへの投資を抑制・削減するようにな
った。さらに 1970 年以降のリビアを含む産油国による石油価格の引上げや第一次石油ショ
ックなどによる石油価格の高騰から石油需要が低下したこともあり、1975 年にはリビアの
生産量は 150 万 B/D 程度にまで急激に低下した。その後、1981 年には 200 万 B/D を超え
るレベルまで生産量は回復したが、アメリカとの関係が悪化し、1982 年に Exxon と Mobil
がリビアから撤退して以降再び生産量は低下し、アメリカ系石油会社が完全に撤退した
1986 年前後にはわずか 100 万 B/D レベルにまで石油生産量は減少した。その後石油価格の
暴落により石油需要が回復し、それに合わせてリビアの石油生産量もある程度回復したも
のの、1990 年以降は概ね 140 万 B/D 前後で推移している(図.3-3-3)。
13
IEEJ:2004 年 7 月掲載
リビアの主要な堆積盆地(basin)としては、陸上部ではチュニジア国境辺りの Ghadames
basin、ナイジェリア国境辺りの Murzuk basin、Sirte 湾を囲む形でリビア中央部に位置す
る Sirte basin、その東側の Cyrenaica basin、チャド国境近くの東部砂漠地帯の Kufra basin
がある。その中でも特に開発が進んでいるのが Sirte basin である(図.3-3-4)。
Sirte basin は、Exxon や Oasis グループなどによって開発が進められ、1959 年には Sirte
や Zelten(後に Nasser と改名)、Dahra、Amal といったリビアで最初の大規模な油田が
発見された地域である。1960 年以降も、Waha、Sarir、Gialo など多数の油田開発が進め
られ、上述のとおり 1970 年にはリビアの石油生産のピークとなる 336 万 B/D を記録した。
その後、制裁の影響から石油生産の維持管理を行う資機材の入手が困難になり、リビア
の石油生産は著しく減少した。そうした減少を 1985 年に発見された Murzuq basin などか
らの生産によって補い、140 万 B/D 程度の生産を維持している。しかし、主要な油田は既
に 40 年にも及ぶ操業を行っており、制裁の影響も加わり、相当に老朽化が進んでいると言
われている。
また、石油生産量については OPEC の加盟国であることから、基本的に OPEC の国別生
産枠に基づく生産制限(調整)政策の影響を受けることになる。1998 年以降についてリビ
アの生産枠と実際の生産量の関係を見ると、
①
基本的に生産枠の増減に合わせて実際の生産量も同方向の動きを示していることか
ら、OPEC の決定をある程度尊重している。
②
生産枠が低く設定されている場合には、相当大幅な生産枠超過となる傾向がある。
③
2002 年以降は生産能力の増加に合わせて、生産量そのものが増加しつづけるトレン
ドとなっている。
等の傾向が見て取れる(図.3-3-5)。
③で述べたとおり、最近は増産傾向が続き、生産枠の超過が目立っており、リビアはナ
イジェリア、アルジェリアなど他のアフリカ OPEC 産油国と共に、OPEC に対して生産枠
の見直しを要求するに至っている。
14
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図.3-3-3 リビアの生産量推移
(万B/D)
400.0
335.7
350.0
300.0
250.0
200.0
150.0
100.0
50.0
(出所) BP Statistical Review of World Energy
図.3-3-4 リビアの主要な堆積盆地
(出所) American Association of Petroleum Geologist “Explorer 1999 Aug.”
15
01
99
20
97
19
95
19
93
19
91
19
89
19
87
19
85
19
83
19
81
19
79
19
77
19
75
19
73
19
71
19
69
19
67
19
19
19
65
0.0
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図.3-3-5 リビアの生産枠および生産実績(1998 年 1 月∼2004 年 2 月)
(万B/D)
160
150
140
130
120
110
生産実績
生産枠
9
04
/1
5
9
03
/1
5
9
02
/1
5
9
01
/1
5
9
00
/1
5
9
99
/1
5
98
/1
100
(出所)IEA Oil Market Report などからエネ研作成
3-3-3. リビアの石油需給バランスと原油輸出について
リビアは第 1 節で示しているとおり、エネルギーの純輸出国である。2001 年実績15とし
て、原油は 138.9 万 B/D の生産量の 73%に当る 101.2 万 B/D を輸出した。石油製品につい
ては、リビアは 34.3 万 B/D の精製能力を保有しているのに対し、石油製品需要は 22.7 万
B/D で供給力が需要を上回っている。実績においても、600B/D と極わずかに輸入を行って
いるものの、国内に 14.7 万 B/D を供給し、14.8 万 B/D を輸出した。
リビアの原油は Bouri を除き、そのほとんどが軽質・低硫黄のいわゆる「スイート原油」
である(表.3-3-3)。現在はアメリカの制裁が残っているためアメリカへの輸出はなされて
いないが、イタリアやドイツを中心にヨーロッパからの需要は高い(図.3-3-6)。輸出は、
生産の中心である Sirte 湾沿岸の Ras Lanuf や Es Sider、Marsa El Brega、Zueitina とい
った積み出し港を軸として、トリポリ西側の Bouri や Cyrenaica basin の Marsa El Hariga
などからタンカーによって行われている。
輸出・販売は基本的には NOC が担当しており、大半は期間契約で主に Agip、OMV、Repsol
15
第 1 節の表(3)の数値を BP 統計の換算係数(1 トン=7.33 バレル)で換算し、暦日数(365 日)で
割り戻して算出。石油製品も便宜的にこれに準じた。
16
IEEJ:2004 年 7 月掲載
YPF、Turpas(トルコ)
、Total 等の欧州系石油会社に販売されている。また、ジュネーブ
に拠点を置くリビア自身の欧州販売ネットワーク Oilinvest へも期間契約ベースで原油が販
売されている。
1986 年に OPEC がその価格形成として市場連動制を受け入れたことにより、リビア原油
の取引もそれに準ずることとなった。ヨーロッパが取引の中心であるリビア原油は 1987 年
以降、ブレントとリンクしており、市場取引の中でブレント価格からプラスもしくマイナ
スの補正を行って取引されている。なお、リビア原油の中で他油種に比して少し性状の異
なる Bouri のみは、イラニアン・ヘビーとのリンクで取引されている。
表.3-3-3 リビア原油の基本性状
リビア原油
Amna
Bouri
Brega
Es
(参考)
Sarir
Sirtica
Sider
API
硫黄分
Zueiti
WTI
Dubai
na
36.1°
26.0°
39.8°
37.0°
37.6°
42.2°
41.5°
39.6°
31.0°
0.15
1.80
0.20
0.27
0.16
0.40
0.31
0.24
2.04
(出所) EIG The Petroleum Crude Oil Market Handbook 1999-2000
図.3-3-6 リビア原油の主な輸出先(2002 年実績)
フランスおよびモナ
コ
4%
ギリシャ
3%
オーストリア
1%
スイス
5%
イタリア
ドイツ
スペイン
トルコ
スイス
フランスおよびモナコ
ギリシャ
オーストリア
チェコ
スウェーデン
オランダ
ベルギー
トルコ
9%
イタリア
45%
スペイン
15%
ドイツ
18%
出所 Blackwell World Oil Trade 2003edition
17
IEEJ:2004 年 7 月掲載
3-3-4. 石油開発について
前述したようにリビアの石油生産量は、1980 年代前半の約 100 万 B/D から最近では約
140 万 B/D 程度にまで増加してきた。しかし、生産量はかつてのピーク(336 万 B/D)に
は遠く及ばない水準であり、1990 年代以降でみると生産量はほぼ横ばいにとどまっている。
こうした生産量の低迷・停滞をもたらした最大の要因は、アメリカおよび国連によって科
された経済制裁により外貨導入が制約を受け、開発資機材の入手も困難となったことであ
ると考えられる。
よって、リビアにとってはこうした要因を取り除き、外資導入を進めていくことが石油
開発を促進していく上で最も重要な条件であるといえる。その意味では国連制裁が完全解
除されたことに加え、アメリカも制裁解除にこそ至らなかったもののリビアの WMD 廃棄
宣言を評価するなど、リビアの国際社会への復帰、すなわち外資導入による石油開発の促
進に向け条件は整いつつあると思われる。
リビアの石油確認埋蔵は 295 億バレル16である。同国が保有する油田は、10 億バレル以
上のものが 12 ヶ所、5 億∼10 億バレルのものが 2 ヶ所あるとされている。Amna、Sarir、
Waha などを含む北部の Sirte Basin が主な生産地域であるが、いずれも 1960 年前後から
生産を続けている油田で、生産開始から 40 年以上経過しているものもあり老朽化が著しい
と言われている。特に、アメリカと国連の制裁発動後は、行うべき油田の保守整備が十分
に行われていないため、現在の石油回収率は 20∼30%に留まっていると言われている。ま
た年 7∼8%程度の自然生産減も進んでいる。
しかし、視点を変えれば、生産開始後 40 年以上もの長期に亘って生産を継続している油
田のポテンシャルはかなり高いとも言われており、リビアはこうした既存油田へ EOR
(Enhanced Oil Recovery)を積極的に行うことで回収率を 40∼50%にまで引上げること
を計画17している。
現在のリビアの石油生産能力はおよそ 150 万 B/D と言われている。リビアはこの生産能
力を 2010 年までに 200 万 B/D まで増加する計画を有している。ちなみに、この生産能力
増強を達成するには 300 億ドル強の投資が必要とも見られている。さらに、優れた外資の
技術を導入することにより、こうした目標がより効率的に達成できるものと考えられてい
る。この生産能力増強のため、従来から開発されている Sirte basin、Ghdames basin、
Murzuq basin の中での新規油田の開発と共に、未開発鉱区の Kufra basin と Cyrenaica
16
BP Statistical Review of World Energy 2003
本調査のために実施した現地ヒアリング調査においても、NOC から EOR による既存油田、生産維持・
増加の重要性がたびたび指摘された。
17
18
IEEJ:2004 年 7 月掲載
bain の開発を優先的に進めるとしている。現在、リビアで開発が進められている主要な開
発件名は以下のとおり18。
表 3-3-4 リビアの主要な石油開発プロジェクト
件
名
El Bouri
概
要
1976 年に発見されたリビア沖合開発で最大の油田。確認埋蔵
量は 20 億バレル。Eni が開発主体。1990 年に生産を開始し、
1995 年には 20 万 B/D に達するも、制裁に伴う投資不足で生
産が減少(現在 6 万 B/D)。今後の投資で、元の水準近くま
で戻す計画。
El Sharara
Murzuq basin の中で、トリポリの南、サハラ砂漠に位置す
る。埋蔵量は 20 億バレル。Repsol YPF を主要オペレーター
として OMV、Total が開発。現在の生産量は 17 万 B/D。当
初の計画では既に 20 万 B/D に到達している見込みだったが
未達。
Elephant
トリポリの南 465 マイル(約 740km)、Murzuq basin に位
置し El Sharara に近い。1997 年に Lasmo(英)、Eni、韓
国のコンソーシアムによって発見された(Lasmo は Eni が買
収)。現在は、Eni が開発主体。可採埋蔵量は 7 億バレル。当
初、2000 年には 5 万 B/D で生産開始予定だったが出荷ルー
トの認可が得られず未達。2004 年には生産を開始し、2006
年に 15 万 B/D まで増産の予定。
Al Jurf
Total と Wintershall による沖合い開発で、2003 年 8 月に 4
万 B/D の生産を開始。
ブロック NC-186
Repsol YPF を主体として、OMV、Total、Saga Petroleum
によって 2001 年 12 月に発見された。
同年 11 月には 4 万 B/D
の生産を開始。2004 には別途 3.5 万 B/D の生産も開始され
る見込み。
探鉱ブロック入札結果
・ Sirte、Murzuq、Kufrah basin
Repsol YPF および OMV(9,000 万ドル)
RWE-Dea(5,700 万ドル)
・ Sirte、Ghadames basin の 2 ブロック
ONGC(印)
18
経済制裁等のため、リビアでは探鉱が進んでいないと言われている。その分、今後の探鉱によってさら
に埋蔵量の追加も期待されている。
19
IEEJ:2004 年 7 月掲載
および Turkish Petroleum Overseas Co.(3 億ドル)
・ その他数鉱区
Woodside Petroleum(豪)、Repsol YPF および
Greece’s Hellenic Petroleum(1 億ドル)
WLGP(後述)
Gabe 湾のブロック NC-41 と陸上の Wafa でのガス開発プロ
ジェクト。コンデンセート 7 万 B/D の生産も見込まれている。
Libya-Tunisian Border Gabe 湾北部の石油とガス埋蔵地域の境界について、1988 年
に両国で合意。同地域には推定埋蔵量として、石油が 37 億
バレル、ガスが 12Tcf あると考えられている。NOC とチュニ
ジアの ETAP で 50:50 出資の Joint Oil Company(JOC)
を設立し、開発。1997 年 2 月、全ブロックをサウジの Nimr
Petroleum とマレーシアの Petronas のコンソーシアムに譲
渡。
(出所)EIA Country Briefs「Libya」等より作成
NOC はこれらの主要プロジェクトと前述の EOR が順調に進めば、200 万 B/D への増産
は達成可能であると比較的楽観視している。
上記以外にも、鉱区開放や石油法の改正の計画も発表している。鉱区開放は 2000 年 5 月
に 137 鉱区、2003 年 11 月に 39 鉱区の開放計画が発表されたが、現状では前述のとおり
2000 年開放分のうち、Repsol YPF および OMV と 90 百万ドルの石油ガスの開発、ドイツ
RWE-Dea の 57 百万ドル開発契約の締結等、契約の締結状況は限定的で、2003 年分は具体
的な進展を見せていない。また、石油法については、外資にリビアへの投資を促進するイ
ンセンティブを与えるべく改正が検討されており、当初 2000 年末までには改正案が成立す
る予定とされていたが、未だ実現されていない。
また、中東専門誌 MEES、2004 年 3 月 22 日号によれば、今年の第 2 四半期末には EPSA4
に則った上流部門の新しいライセンス供与交渉を始める見込みである。
このように、リビアは新規開発や外国企業の投資を促すことを目的とした施策も行って
はいる。しかし、これらの計画は今後の外資による実際の投資状況に左右され、米国との
関係改善の動きやリビアにおける外資導入にむけた条件整備の度合い(後述)によって影
響を受けるものと見られる。
3-3-5. 天然ガス開発について
石油開発と共に重要な案件が、天然ガスの開発である。リビアの天然ガスは非随伴ガス
20
IEEJ:2004 年 7 月掲載
と随伴ガスがほぼ拮抗しているが、全体としての埋蔵量は 1.31 兆立米で世界全体の 0.8%
のシェアを持つに過ぎない(第 1 節参照)。しかし、リビアは、1964 年に世界で初めて LNG
を輸出したアルジェリアに次いで 1971 年に LNG の輸出を行うなど、天然ガス開発には古
くから関わっている。
リビアが天然ガスの開発を進めようとするのには 2 つの要因が考えられる。1 つは、開発
した天然ガスを国内消費に回し、それによって生じる石油の余剰を国際市場に販売するこ
と。もう 1 つは、欧州に近い立地条件を活かし、ガス化が進んでいる欧州に積極的に進出
することである。
現在リビアが最も力を注いでいる天然ガス開発計画は Western Libya Gas Project
(WLGP)と言われており、中西部の Wafa エリアの陸上開発とトリポリの北西に位置する
Bouri エリアの海上開発で得られるガスを一旦 Melitah に集め、パイプラインを経由して、
イタリアのシシリーに輸送・販売しようとするものである(図.3-3-7)。開発はイタリアの
Eni と NOC の JV で行っている。開発費用は 46 億ドルで、Wafa から 4Bcm、Bouri から
6Bcm、計 10Bcm のガスを生産し、そのうち 8Bcm を「Green Stream」と名づけたパイプ
ラインを通して、イタリアに販売する計画で、2004 年末に一部生産が開始される予定であ
る。本計画でイタリアに輸送されるガスは、既にその半分をイタリアの Edison Gas が、残
りをイタリアの Energia Gas とフランスの Gaz de France が 2 分割して購入することが決
まっている。
石油開発と同じく、経済制裁の影響からリビアの天然ガス開発もあまりすすんでいなか
ったが、リビアとしては今後開発を進めることで 10∼50%程度の埋蔵量の増加も期待して
いる模様である。
21
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図 3-3-7 WLGP の概説図
(出所) Fantoft Process Technologies HP
3-4. リビアの抱える不確実性
前節までは、リビアの石油開発の現状および今後の計画を述べてきた。上述のとおり、
国連の制裁も解除された今、リビアの石油開発が比較的順調に進展する可能性が浮上して
いる。
本節では、リビアの石油開発の促進に対する制約要因あるいは不確実性を高めている要
因について、対外的な要因と国内要因に分けて、それぞれに考察を加えることとする。
3-4-1. 対外的要因
①アメリカの経済制裁の解除
リビアの石油開発にとって大きな障害であったアメリカと国連の制裁のうち、1992 年に
科された国連制裁は 1999 年のロッカビー事件容疑者引渡し、2003 年 4 月の同事件への責
任認知発言により、同年 9 月に完全解除された。
残るアメリカの経済制裁については様々な側面が残っているが、そのうちも重要なもの
の 1 つ ILSA については、2001 年に第 1 期(1996 年∼、5 年)の期限を迎え、制裁の更新
を巡る是非についてアメリカ議会で審議が行われた。その結果、ILSA は 24∼30 ヶ月の期
間で延長(最短の満了は 2003 年 8 月)されることとなった。投資金額の上限が 4,000 万ド
ルから 2,000 万ドルへと厳しくされたのも、この時である。2003 年には、再度制裁期間を
見直すこととなり、今後は 1 年ごとに制裁を延長するか否かの判断を下すこととなった。
22
IEEJ:2004 年 7 月掲載
こうした状況下、リビアは 2003 年 12 月に WMD の放棄を宣言した。これは、ILSA の
解除と国際社会への完全な復帰を狙ったリビアの外交努力であると思われる。結果的には
アメリカ政府は対リビア制裁の解除を見送り、今後のリビアの動向・対応を見守ることと
した。しかしその一方で、2004 年 1 月には下院軍事委員会副委員長のウェルドン議員を団
長とする 6 名の議員団がリビアを訪問し、カダフィとの直接対話も行われるなどの動きが
あった19。こうした状況下 2 月にはアメリカ人のリビアへの渡航禁止が解除され、両国の関
係は着実に回復に向かっていると見られている。
アメリカの石油企業は、以前自らがリビアの権益を有していたこと20、国連制裁の解除後
に既に欧州石油会社が開発に乗り出していること、リビアが石油開発地域としてポテンシ
ャルが高いことなどから、早期のリビア再参入を望んでいる。前述のとおり、アメリカと
リビアの政治関係は着実に改善しており、その中で既に Oasis グループは、リビアでの操
業は未だ禁じられているものの、長期的な開発計画の話し合いを行うことについては国務
省から承認を受けて、交渉団を派遣した模様である。また、Occidental も、再参入を模索
しているアメリカ系企業の中で最初にトリポリに事務所を開設すべく、再参入の準備を進
めている。
このように、経済制裁の解除と両国の関係修復に向け事態は着実に進んでいるように見
えるが、一方で一部には、現段階での制裁解除はまだ補償金の支払いがなされていないこ
とや遺族感情などを考慮すると時期尚早で、その段階での制裁解除は手ぬるい施策とする
強固な反対意見もあり、また、WMD の放棄も実行されていない現状では、かなり政治リス
クが大きいことから、ブッシュ政権にとって早期の決断はし難い状況にあるとも思われる。
こうした情勢から、アメリカの制裁解除は早くても 2005∼2006 年頃になるのではないか
との意見もあり、それまではアメリカ企業によるリビア石油開発への参入は本格化できな
いと思われる。このように状況は、リビアにとって好転しつつあるとはいいながら、最大
の不確定要因であるアメリカの対リビア政策(経済制裁)の先行きにはまだ予断は許され
ない。
②ロッカビー事件等の完全かつ円滑な解決
2003 年のロッカビー事件への関与認知に続き、総額 27 億ドル(被害者 1 人当り 1,000
万ドル)の賠償金が 2004 年 4 月にも遺族に対して支払われることになっており、リビアの
国際復帰を阻んでいた障害が 1 つクリアされつつある。しかし、1989 年の UTA 機爆破事
19
2004 年 3 月 23 日にも、バーンズ国務次官補がリビアを訪問し、カダフィ大佐と面談。WMD の廃棄促
進を促すブッシュ大統領の親書を手渡した。
20一部は、撤退時に「Standstill agreement」を締結し、権益の維持を図っている。
23
IEEJ:2004 年 7 月掲載
件に関しては、当初リビアが事件への関与を認めなかったこと、見舞金を支払うことは決
定したものの総額 3,400 万ドルとロッカビー事件との差があまりに大きいことなどからフ
ランスの反発を招き、国連の制裁解除に関する安保理決議に際し、フランスの抵抗を受け
ることとなった。
この問題は、
結果的に被害者 1 人当り 100 万ドルの補償金とすることで決着をみており、
リビアの抱える不確実性として重要度は低くなりつつあると思われるが、完全な解決まで
は国際的な影響力を持つ問題である。
3-4-2. 国内要因
リビアはイスラム国家であるが、現在の国情を見ると周辺イスラム諸国に比べて治安面
では比較的安定している。それは、カダフィ大佐の「指導力」と同時に、一時よりは強権
的でないものの強い支配力を持って国民を統制しているからであるとも言える。
カダフィ大佐は非常に「状況判断」に優れており、特に自分の身に及ぶ危険には極めて
敏感であるとの評がある。今回のロッカビー事件への関与認知、WMD の放棄宣言といった
一連の政治判断は、イラクのフセイン大統領の失脚や北朝鮮へのアメリカを中心とした圧
力を目の当たりにして、断を下したとも言われている。
こうしたカダフィ大佐一個人の判断に負っている部分が大きいリビア政治において、ポ
ストカダフィが将来的には非常に重要な問題になるとは思われるものの、カダフィ後を想
定するのは長期的課題であり、現状で見る限りリビアの政治体制は比較的「安定」してい
ると考えられる。
しかし、外資にとっては投資対象はリビアだけではない。むしろ、メジャー等の国際石
油会社にとっては、様々な産油国の政治、経済、石油情勢を比較して、最も良い条件を備
えた国、プロジェクトに投資を行うものである。その意味でリビアは、他の産油国と外資
獲得を巡って競争をしているとも言える。特に、近隣のアフリカ諸国とは主な市場が欧州
であるということからも競合関係が強い。
リビアの石油開発に関しては、法制、税制面でも他の産油国と競争することになるが、
EPSA についても現状ではまだ外資にとって魅力的でない面があると言われており、そうし
た点を踏まえ EPSA4 の導入が検討されているのである。
また、法制の整備とは別に、運営・管理面での改善も重要である。
24
IEEJ:2004 年 7 月掲載
リビアは、
「ジャマヒリヤ」として掲げている理想(人民による決定)とも関連して、NOC
も含め、諸所の体制は極めて官僚的で、万事責任者の決定には時間を要する。このことは、
石油開発に対しても、外国石油会社が開発計画を検討・提出してから認可が下り開発にか
かるまでに長い時間を要するといった悪影響を与えている21。
厳しいビジネス環境下でサバイバルを図る石油会社にとって、この問題は非常に影響が
大きく、本調査で実施したヒアリング調査においても外資が対リビア投資を行う上での問
題の 1 つとなっているとの指摘も見られた。
なお、リビア政府が 2004 年 3 月にエネルギー省を復活させ、首相府直轄だった NOC を
これに帰属させた背景には、こうした問題への対処も含めて、組織系統を明確にして意思
決定の迅速化を図れる体制を構築するとの意図があるものと考えられる。
3-5. リビアの石油開発が国際石油市場に与えるインパクト
前節までリビアの石油開発計画やその遂行に影響を与える要因について整理してきた。
それを踏まえて、本節ではリビアの石油生産が拡大していく場合の影響について、対 OPEC、
対アメリカ、対ヨーロッパ等、地域別に考察する。また、終わりに当たって、リビアの石
油開発の今後の見通しを総括する。
3-5-1. 対 OPEC 関係
リビアの OPEC における生産枠は、2004 年 3 月現在で 131.2 万 B/D(同年 4 月より、
125.8 万 B/D へ削減)である。これに対する生産実績は 145.0 万∼148.0 万 B/D で生産枠
を 15 万 B/D 前後超過している。OPEC 加盟国内に占めるリビアの生産比率は約 5%程度で
ある。
2004 年 3 月時点で WTI 原油先物価格が 35 ドル/バレルを上回っており、旺盛な需要を背
景に需給は引き締まった状況にある。そのため、リビア(を始めとする OPEC 産油国)の
生産超過は需給バランス上、そして OPEC の結束という面で大きな問題とはなっていない。
しかし、多くの石油専門家は、中長期的に見ると、非 OPEC の増産が堅調に続く場合、
OPEC 原油への需要の伸びは極めて穏やか(場合によってはほぼ横ばい)になると指摘し
ている。しかも、今後イラクの石油生産が、当初期待されたほど急速ではなくとも着実に
増加する可能性があることを考えると、OPEC10 カ国の生産調整は厳しい状況を迎える可
21 NOC は、開発計画を受理した後、政府に伺いを立て、その許可取得に数ヶ月から半年かかることもあ
ると言われている。さらに開発費を自ら負担できない NOC は、政府の許可取得後リビア側の資金獲得に
動くこととなり、国内資金調達の審査などにさらに数ヶ月を費やすこともあるという。
25
IEEJ:2004 年 7 月掲載
能性もありうる。
その時に重要な意味を持ち得るのがリビア(およびその他 OPEC)の増産計画とそのイ
ンパクトである。第 3 節でも述べたとおり、リビアは石油生産能力を 2010 年までに 200
万 B/D まで増加する計画を有している。
ここで重要なのは、外資の導入により、実際にどの程度の能力増強がなされるのかとい
う点と、能力増強が達成された時に、リビアが OPEC 加盟国としての生産枠をどの程度遵
守するのかという点である。
200 万 B/D までの能力増強は、欧州企業による現在の計画でも十分達成可能と見られて
いる。しかし、アメリカ系企業が石油開発に参入すれば開発が活発化し、リビアは計画し
ている 200 万 B/D 以上の生産能力を獲得する可能性もなしとしない。最近の行動パターン
を見ると、リビアは恒常的に生産超過し、ほぼ生産能力に近い生産をしており、OPEC に
対し生産枠の拡大を要求するなど増産意欲が強い国である。従って、今後の生産能力増強
が進んだ場合、そのまま生産拡大政策を採り、OPEC 内の結束を乱す主要因の 1 つになる
可能性は十分にあると思われる。
3-5-2. 対米関係
アメリカによる制裁開始前の 1980 年頃まで、リビア原油はアメリカの石油輸入量の約
10%を占めており、アメリカの石油需給バランスにおいて一定の役割を担っていた
(図.3-5-1)。しかし、1981 年にアメリカがリビアに対し禁輸措置を採ったことで、1982
年のごく僅かな石油輸出実績を最後にアメリカとの石油取引は途絶えている。その後、リ
ビア原油は、その輸出量の大半がヨーロッパに向けられ(後述)、同時にアメリカも他の産
油国からの輸入でリビア原油を補完した。このようにリビア原油の「流れ」は変わったが、
その局面で大きな混乱・問題は特に発生していない。今後、アメリカの対リビア制裁が解
除されることになれば、過去の流れを逆転させる変化が生じることになると思われる。
まず、リビア原油のアメリカ向け輸出再開についてであるが、過去、リビアで権益を保
有していたアメリカの石油企業はリビアへの参入を強く望んでいると言われており、リビ
ア側もアメリカとの関係修復と共に、アメリカ資本の参入を希望している。こうした外資
導入の結果、リビアの生産量が増加すれば、まずリビアにとって輸出余力が拡大する。リ
ビア原油は軽質・低硫黄のスイート原油であり、市場での引き合いも強く、過去にはアメ
リカも相当量リビア原油を輸入していた。そしてアメリカでは、石油需要の増加が続く一
方で、国産原油の生産低下により輸入が拡大しつつある。しかも、中東依存度の上昇に直
面して、アメリカとしても供給源の多様化の可能性には関心が高い。こうした状況から、
26
IEEJ:2004 年 7 月掲載
アメリカの制裁が解除され、アメリカの石油企業のリビア参入が実現すれば、リビアの石
油開発が一段と進み、最終的にはアメリカへのリビア原油の輸出が再開・拡大していくこ
とも考えられる。仮に、制裁以前のようにリビア原油がアメリカ市場で一定の比率を占め
ることになれば、リビアは世界の 2 大石油市場での重要なプレイヤーとしての地位を持ち
得る可能性がある。
次に上流開発の面であるが、これは上述のアメリカの参入によるリビア石油開発の促進
である。すなわち、アメリカが参入するという可能性が、従来リビアの開発に関わってい
た欧州企業の進出を促し、その上で実際にアメリカ企業がリビアに進出すれば、欧州企業
による開発とも併せてリビアの石油開発が一段と活性化される可能性もある。
以上のように、アメリカとリビアの関係は相互に重要で、石油市場に大きなインパクト
を与える可能性を秘めている。前節でも述べたとおり、既にリビアへの渡航解除を受けて、
アメリカ石油企業がリビアへの再参入に向けて交渉を始めているとも言われており、今後
の両国の関係は注目する必要のある非常に重要な問題である。
27
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図.3-5-1 対アメリカ向け原油輸出と比率の推移
(万B/D)
800.0
12.0%
700.0
10.0%
600.0
8.0%
500.0
400.0
6.0%
300.0
アメリカ輸入量
リビア輸出量
リビア比率
4.0%
200.0
2.0%
100.0
0.0
0.0%
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
(出所) Blackwell World Oil Trade
3-5-3. 対欧州関係
リビア原油が主に欧州市場で取引されていること、現在のリビアの石油開発を担ってい
るのは欧州系石油会社であることなどから、リビアと欧州の結びつきは強い。
アメリカの禁輸措置が発動される以前は、リビアの石油輸出量の約 40%はアメリカに向
けられていた。しかし、その時でもドイツやイタリアを中心に 50%以上を欧州が輸入して
おり、アメリカがリビアとの関係を断った 1982 年以降、リビア原油の 90%以上を欧州が
輸入している(図.3-5-2)。欧州の中ではドイツ、イタリアの輸入量が特に多く22、リビアへ
の国連制裁導入に当たって、アメリカがリビア原油の禁輸を提唱したが、両国はそれを拒
否するなどの経緯が見られた。
前述のとおり、現在、アメリカ系石油会社もリビア再参入の機会を窺っている。そのた
めアメリカの制裁が解除されれば、欧州企業とアメリカ石油会社との間で本格的な競争が
展開される可能性がある。しかし国連制裁発動後、リビアの石油開発を支えたのはイタリ
アの Eni やスペインの Repsol YPF などの欧州企業であり、リビアと欧州は今後も重要な
リビアとイタリアは、リビアがイタリアで製油所(9.5 万 B/D)を保有したり、リビアの石油製品輸出
の約 40%をイタリアが占める(2002 年実績)など、下流部門の結びつきも強い。
22
28
IEEJ:2004 年 7 月掲載
パートナーとして、その関係は基本的には強固なものであり続けると思われる。
今後のリビアの上流開発と外資導入に関して「欧州」という観点から注意を払うべきも
う 1 つの点は、最近までリビアに投資していなかった他の欧州石油会社、すなわち BP やロ
イヤル・ダッチ・シェル(以下、
「RD/シェル」)の動向である。これらの欧州系メジャーが
リビアの開放やアメリカの再参入をにらんで新たな動きを見せる可能性はある。しかし、
BP、RD/シェル共に、その投資ポートフォリオ戦略の中で、リビアがどの程度の重要性を
占めているかは不明である。従って、今後の展開は不透明な状況にあるといってよいであ
ろう23。
以上のとおり、リビアの石油生産を巡る欧州との関係では、アメリカ系石油会社や新規
にリビアに参入するかも知れない欧州系石油会社と、従来リビアで開発を続けていた欧州
系石油会社との間の「競争関係」が 1 つの注目点であろう。それによってリビアの増産が
さらに拡大するならば、欧州市場向け(一部はアメリカ市場向け)の輸出が拡大し、石油
市場の需給緩和を促進するインパクトを有している。
23
2004 年 3 月 25 日、イギリスのブレア首相がリビアを訪問しカダフィと会談。同日、RD シェルもリビ
アの上流開発について Heads of Agreement を締結したと発表した。LNG プロジェクトに少なくとも 2 億
ドルを投資する見込み。
29
IEEJ:2004 年 7 月掲載
図.3-5-2 リビアの石油取引と欧州比率の推移
(万B/D)
180.0
120.0%
160.0
100.0%
140.0
120.0
80.0%
100.0
60.0%
80.0
60.0
40.0%
その他欧州
トルコ
イギリス
スペイン
イタリア
ドイツ
アジア・アフリカなど
アメリカ
欧州輸入比率
40.0
20.0%
20.0
0.0
19
77
19
79
19
81
19
83
19
85
19
87
19
89
19
91
19
93
19
95
19
97
19
99
20
01
0.0%
(出所) Blackwell World Oil Trade
3-5-4. 対アジア関係
従来、リビアとアジアは、輸送距離による経済性の制約から石油取引は非常に少なかっ
た。特に、アメリカが制裁を科した 1982 年以降は取引はなされておらず、現状では、リビ
アとアジア地域の関係は石油貿易の面ではあまり深くないと言える。
しかし、2002 年には中国の China National Petroleum Corporation(CNPC)が Wafa
と Melitah を結ぶ 2 億 3 千万ドルの石油とガスのパイプライン建設の契約を結び、2003 年
12 月には完工している。現在、中国は世界各地の天然資源の権益獲得に動いており、この
パイプライン建設もリビアとの関係を築く一端なのではないかと推測され、今後、石油取
引が開始される可能性も取りざたされている。
また、日本においても、リビア原油の輸入はないものの、ここ数年アフリカ原油の輸入
が増えている(図.3-5-3)。これは、ターム契約ではなく、中東原油などに比し、経済性が
あるタイミングで調達を行うスポット取引だと言われているが、その重要度は増してきて
いると思われる。
以上のように、リビアが上流部門の開放に向かいつつある現在、外資参入による開発の
30
IEEJ:2004 年 7 月掲載
進捗具合、欧州、アメリカなどの需給環境次第では、リビアが需要拡大が期待されている
アジア地域を原油の売り先として注目する可能性があると思われる。
図.3-5-3 日本の石油輸入実績(中東地域を除く)
(千kl)
70,000
60,000
その他
その他アフリカ地域
スーダン
ガボン
エジプト
アンゴラ
ナイジェリア
中国
ロシア
アメリカ地域
南方地域
50,000
40,000
30,000
20,000
10,000
0
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
(出所) 石油資料
3-5-5. アフリカ域内関係
リビアのアフリカ域内との関係については、以前は、内戦に乗じたチャドへの侵攻、エ
ジプトとの関係悪化などが懸念されていたが、国連の仲裁などにより、現在では、こうし
た問題は一応の決着をみている。
また、1999 年にカダフィ大佐が唱えたアフリカ諸国の結束を呼びかける「United States
of Africa」という構想も、2001 年、2002 年と繰り返し提唱されたが、ほとんど進捗を見せ
ておらず、2003 年 1 月の南アフリカサミットにおいては、アフリカ諸国の外務大臣から拒
否されている。
以上のように、リビアによるアフリカ諸国に対する政治的な影響は、現状では「小康状
態」を保っていると言える。
エネルギー問題については、アフリカ諸国には、自身が石油以外にも天然ガスや石炭と
いった天然資源を産出し輸出する国が多いため、リビアの石油生産がアフリカ諸国と競合
するという側面がある。
31
IEEJ:2004 年 7 月掲載
特にナイジェリアやアルジェリアなど OPEC に加盟する国の他にも、アンゴラやガボン
など非 OPEC 産油国にも増産を目指している国があり、こうした国々との競争が激化する
可能性はある。特に、ナイジェリアとアルジェリアは、リビアと同様に OPEC に対して生
産枠の拡大を求めており、リビアとは競合する関係にある。
アフリカ原油は立地上、欧州が主要な市場で、その欧州市場は北海油田や、ロシア、カ
スピ海からも原油を調達している。リビアのみの増産ならば、欧州市場で増分が吸収され
ることになると思われるが、アフリカ諸国や先に挙げたロシアやカスピ海周辺の産油国も
同様に増産を行えば、欧州市場の需給バランスが緩むことは必至である。
3-5-6. 総括
国連制裁が解除され、アメリカも渡航解除を決定するなどリビアの国際社会への復帰は
着実に進みつつあると思われる。このような状況下、リビアは自国の油田の持つ高いポテ
ンシャルと産出するスイート原油の需要の高さから、今後、石油開発のホットスポットと
して注目を要する国家である。
石油開発を進めるに当ってリビアに必要なのは、外国石油企業の持つ資金と技術である。
これらを導入していくに当って問題となるのは、
①
アメリカとの関係
②
外資導入に向けたリビア側の条件整備
ということになると思われる。また、実際に増産がなされた後は、
③
OPEC 政策への対応
という問題も生じることとなる。
これらの問題の中で最も重要なのは、①のアメリカとの関係である。アメリカ系石油会
社のリビア開発への再参入に向けた動きは、リビアの石油開発に関わってきた欧州系石油
会社を刺激することとなり、実際に、アメリカ系石油会社が参入することになれば、リビ
アの石油開発が計画以上の成果を上げる可能性もある。さらに、アメリカ系石油企業もリ
ビアへの復帰を望んでおり、リビアも外資の中でもとりわけアメリカを待望している観が
ある。このように相互に密接な関係を持つ両国であるが、現実には未だ制裁は解除されて
おらず、リビアには今後とも関係修復に向けた外交努力が求められると思われる。
ここで問題となるのが②のリビア側の条件整備である。周囲の産油国との外資獲得競争
という状況も存在する中、EPSA の改定など法制面での改善も検討課題である。また、官僚
主義的なリビアの政治機構の下では、方針決定に非常に時間がかかると言われており、石
32
IEEJ:2004 年 7 月掲載
油開発の事業においても、これは外資にとって非常に大きな問題となる。今後、鉱区の開
放を進め、外資の導入をより推進するのならば、意思決定の迅速化が非常に重要になると
思われ、そうした点では復活したエネルギー省の果たす役割が注目される。
最後に③の仮に増産がなされた後の OPEC への対応についてであるが、従来、リビアは
OPEC の定めた生産枠を基本的には遵守する方針を示してきた。確かにリビアは増産意欲
を持ち、OPEC に対しても生産枠の見直しを求めているが、基本的には、カルテルに属す
ことで石油市場への影響力を保持しようとする姿勢は継続されるものと思われる24。
しかし、外資導入による開発のペースと増産の規模、その時点の市況によっては、OPEC
の結束に深刻な影響を及ぼす行動を採る可能性も否定はできない。基本的には、スイート
原油であるリビア原油は、その市場価値が高く、需要も高い。一方、地中海周辺では北ア
フリカ諸国やカスピ海周辺諸国、ロシアなど、増産を目論んでいる産油国があり、こうし
た国々の増産の動向次第では、リビアの増産分も含めて、欧州の石油需給、ひいては世界
の石油需給を緩めることも考えられる。また、その場合には、その時の石油市況次第で、
リビア原油がアジア市場に流れてくる可能性も否定できない。
このように、今後のリビアの石油開発のペースと規模次第で国際石油市場には様々な影
響が発生すると考えられる。
お問い合わせ:[email protected]
24
OPEC 内部での生産調整およびそれを巡るサウジアラビアの対応については、第 2 章 5-1(P.88)でも
見解を述べている。
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