Comments
Description
Transcript
多言語主義から複言語主義へ - 外国語教育論講座
資源の共同管理政策から始ま った ヨーロ ッパの多言語主義 言語と社会の関係について、ヨ ー ロッ パでは叩年以上前からさま、ざまな取り組 みが行われています 。﹁ 多 語主義﹂と 一 いう 言葉は日本でも 叩年ほ言 ど前から聞か れるようになり 、近年では﹁複 言語主義﹂ という 言葉 も現れるようになりました 。 この 二 つはどう違うのか 。 これを歴史的 観点から考え、 言語教育思訟としてそれ が意味するものを 一緒に 考えてみたいと 思います。 多言語主義はそもそも欧 州連合︵E U︶ から生まれました 。欧州連 合 の起源は1 951年 にさかのぼります。 この前身で ある欧州石炭鉄鋼共同体は、フランス、 西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギ ー、ルクセンブルグというヨ ー ロッパ 6 カ国で結成されました 。過去3度の戦争 の重要な要因にな った、国境をまたぐ鉄 鋼・石炭資源の共同管 理によ ってヨ ー ロ ッパに平和をもたらすことが、この共同 体の 重要なテl マだ ったのです。そして この共同体の結成にあたり、加盟国すべ ての公用語、つまりフランス語、ドイツ 多言語主義から複言語主義ヘ ヨーロッパの言語教育思想の展開と深化 京都大学人間・環境学研究科 外国語教育論諮座准教授 西山教行 語 、 イタリア 詩 、 オランダ語の4言語を 共同体の公用語にすることが多言語主義 の出発点にあた ります。 ここに、それぞ れの加盟国が対等 の資格で共同体に関わ っていったという、いわば民主主義 の原 理があるわけです。 し、町年に欧州石炭鉄鋼共同体、欧州経 幻年には ロl マ条約によ って欧州経済 共同体ならびに欧 州原 子力共同体が成立 済共同体、欧 州原 子力共同 という コ一つの 共同体が統合して欧州共同体 ︵ E C︶が できます。竹川年の第l次拡大でイギリス、 アイルランド、デンマ ークが加盟し公用 語は6言語 になり、その後も別年、総年、 何年、旧年と拡大が行われ、町年には第 わり、アイルランド諾が公用語としての 6次拡大でルーマニア、ブルガリアが加 加盟申請をしたために公用語は計幻 言語 になりました 。 このように加盟国の埼加 にしたが って共同体の公用諮が増えてい き、多言語主義 が拡大するというプロセ スが認められます。 言語聞の民主主義 公用 語が舶唱えていくことは多言語主義 の現われと 言えますが、ここには、加盟 44 国の各国語が平等であるという原則が働 いています。 ヨーロ ッパには﹁ヨ ー ロッ パ諾﹂という言語はなく、ある特定の国 の言語を公用語にすることもしない 。加 問国がすべて同じ資格で 参加することが 担とな っています。総額ではとて つもな あり、現在5他人弱と 言われるヨ ー ロッ パ市民の 一人当たり、年間2ユi ロの負 この通訳コス ト は大変に大きなもので 今後、欧州連合はどんな方向に行くの 語 のシェアの下がる状態が国際社会の中 に認められます。 のシェアは次第に上昇し、英語以外の 言 でしょうか 。加担国の増 加 につれて公用 の補助金がl頭あたり約2ユl ロと 言わ も含 め て 加 盟 申 請 を 検 討 し て い る 国 は あ 通訳の数が抽唱える 。現在幻 言語です から、 通訳の可能性だけを考えると400通り 以上になる 。それが 今後はさらにトルコ 語が鳩えるわけですから、それに伴って れています。 −顕 の牛と 言諮 問題とに対 一人の市民がそれぞれ2ユl ロを が惚鮒になる 。経済的に高いものになる 。 い数字 ですが、これを高 いと 考えるか安 いと 考えるのかは非常に微妙なところで す。農業国の多いヨ ー ロッパでは、牛へ は自国語で発 言 でき、 E U市民は自国語 でE Uへの政治参加 ができる 。 それによ して、 果たして 、そこまで民主主義 のコストと 民主主義の原理である 。とりわけ加胤国 ってE U域内に暮らす市民は、 平等 に誰 もが同じような政治情報あるいは経済情 主主義 とは非常にコストがかかるものな 払 っている 。 ヨー ロッパ人によれば、こ れこそが民主主 義のコス トなのだと 。民 妥当 だと考えられますが、その場合どの 言語を 主要言語として選ぶのかと いう点 が非常に難しい 。人口商で 考えると、英 公用諸にするというのは非常に 合 組的で います。ただ、いくつかの 言語を選んで そこで欧 州議会は﹁ピボッ ト言語﹂と いう、英仏独 による通訳体制を提案 して きるのか 。 いうものを通訳や翻訳に費やすことがで も受 けますが、 実態は必ずしも多言語主 す べて の言語 は平等だ﹂ として機 義は ﹁ 能しているわけではありません 。 ヨー ロ これだけを見ると非常に理想的な印象 今なお続く英独仏の3言語体制 のです。 るわけで、抽唱えれば増えるほど 一 言 語 問題 欧州委員会の全体会議は、公用語すべ 報を入 手 できる 。 ここに民主主義 の原則 があるという考え方です 。 ての通訳を配置しています。ただし、小 さな 委員会 にまですべての 言語が同じよ うに発 言する機 会を設けるには通訳コス トが膨大なものになりまずから、 実際の 作業レベルでは、英語、ドイツ語、フラ ンス語の 三 つの 言語が作業諸になって い ッパ統合初期の初年近くはフランス諮が 〆 \ ます。全体の欧 州委員会や全 体会議 では 公用語すべての適訳を配置しているた 45 語の母語話者数はけっ して 多くあ りませ り 重要な 言 語でしたが、年を追うごとに英 語 が州唱えていき、対照的にフランス語は 複 言 語 主 義 減 っていく。グロl パリゼl シヨンの展 言 め、回年のデ ータによれば毎日700人 の通訳と、それについて110通りの組 主 義 か ん。 では、ヨ ー ロッパ内に限って考えれ ばよいのかと 言うと 、位界的に見た場合 、 明らかにスペイン語の母語話者が多い 。 語 み合わせがある 。 この通訳の問題はE U ω年代の前半から後半にかけて英語 . . JP 開する近年はますます英語が地えていま ヤ す。 チ の運 営上、非常に 重要な 問題とな ってい レ ます。 . ク う考え方で、それはヨ ー ロッパの 言語文 加 盟 国 す べ て の 言語を公用語とするとい E U全 体 の 公 用 語 問題は 当 面のところ、 はされておらず、 委員会は英独仏の3言 語 に よ る 体 制 を 支 持 し て い く よ う で す。 できていないため、この提案はまだ決定 持っている 。 言 語数を決める基準が解決 ポルトガル詩も非常に大きな母語話者を 第 一は多言 語主義です。 ヨー ロッパ市 民は母諮に加えて、複数の 局請によるコ あります。 は言語教育につ いて 、次のような原理が な多言 語主義が導入されている 。 そこに 使用されますが、いずれにしても選択的 ではドイツ語、イタリア話、ロシア語も の み を 公 用 語 と し て い ま す。 議 員 の 会 議 異なり、欧州評議会は英語とフランス語 すべての 言語を公用諮とする欧州連合と 第 二 に、相互理解という問題がありま 言 語 状 態 に あ る と 言 って い い と 思 い ま す。 と主張するのです。 いわば条件付きの 多 中で、すべての 言 語は等しい価値をもっ つまりヨーロッパの多言 語 状 態 は 、 い わ ば整備された多言語 状 態 な の で す。 その 範囲で考えるならば、ほぽインドと同じ して 言詩的多様性 。 ヨー ロッパをE Uの 一 一 一 ミュニケ ー ション 能力を獲 得 し ま す。 そ るためのものでとりわけ現在では社会統 教育、雇用、移動など機会均等を確保す 言諮社 会の民主 化 や社会化に関与するこ と が で き ま す。 一 言語学習は、 個人の発展、 と で あ り 、 市 民 の 多 言語 能 力 に よ っ て 多 す。一言語教育の目的は 互 いを理解するこ 化の 豊 かさにつながるのです。 次 に 、 欧 州 評議会の 言 語教育政策につ があるインドの 言 語 的 多 様 性 と 比 べ る と く ら い の 大 き さ で す。200以上の 一吉請 社会政策として の 言語教育プ ロジェク ト の発展 いて見てみまし ょう。欧州評議会は欧州 合と いう観点から、 一言語教育の果 たす役 割がますます大きくなっています。 つま 連合に先立って1949年に結成されま ほとんどが椋準化され文字 化されている 一 一 = かとい うと、印あるヨーロッパの 言語の の言語は約印と 言われています。 なぜ 口語的多様他を 一つの特色にする 欧州文 化協 定 が 締 結 さ れ ま す。 これは教 設立の経綜から出発して、 ことが多いのです。 育政策 は社 会政策の一環 として 諮ら れる り移民の問題が重要になってきているの です。 つま り欧州評 議会の場合 、言語教 たが 、欧 州評議会はその理念をある程度 戦後に 実 現してい ったもので、現在では 言 語 で あ る と い う 点 と 関 連 が あ り ま す。 育・文化 ・背少年スポーツに関する協力 明らかに少なく、ヨ ー ロッパの中に 土 着 旧ソビエ ト の国々を加えて必カ国が加閉 かつては文字化されていなかった 言語も した 。第 二次段界大戦中にチャ ー チルは ヨー ロッパ合 州国という観念を諮 りまし しています。結成の目的は、民主主義と 現 在 で は 文 字 化 さ れ て い ま す 。 それに対 の促進の 三 つです。 この欧州部議会こそ 域 で 同 じ 大 き さ の 地 理 的条 件 を考 え た 場 語 は 文 字化されていない 。 してインドや アフ リカであれば、閉じ地 各国の 塁 間 ・歴史・文明の学習、自国の 一 き 言諮 ・歴史・文明の研究を奨励するもの 政策の枠組みを決めるもので、加盟国に 1954年に このような政治文化的観点から、また パの文化的アイデンティティ ー と多 様 性 法 の 支 配 の 保護 、 人権の保護、ヨ ー ロッ が戦後ヨ ー ロッパの中で、さまざまな 言 言 一 合、多くの 語教育政策を提出してきムました 。加 盟 国 46 相互の 言 語学習の振興を求めて いる。原 です。すなわち文化協定を締結した国に、 題となって いきます。 ー シヨンというものが 言語教育の中で諜 る上で非常に重要な役割を果たし、コ ミ ユニ カテイブ・アプ ロー チの原理になっ ユニケl シヨンへ 向けた 言語教育を統べ 第H則は引 年から打年に かけて で、こ 引年から邸年の第 田期には、教員養成 プ ログラムや学習目椋の設定、自律学習 国語を 利用するにはどのような能力を身 国語と して 東側の位界 へ入っ ていく 。西 欧 、 旧社会主義 の国が扉を聞いて見知ら ぬ資本主 義の 社会へと歩み 出すことによ り 、 口諮教育 がい っそう民主化をすると 一 平 一 − いう ことと深い関係にあります。 ソビエ ロッパ文化協定 に調印す る時代 です。 これは何を 意味していたか 。中欧 ・東 ンの壁の崩附械を受 けて、中欧・東 欧諸国 が自由主義社会 へと 参入 し、次 々にヨ ー ンタ ーがオ ー ストリ アのグラl スに 開設 されていま す。 この年代は的年のベルリ という問題が出ています。的年から引年 は第W期。 mM 年にはヨ ー ロッパ現代 詩 セ ていくわけです。 の時代に ﹁ ス レシ ョールド ・レベル ﹂と いうものができ、非常に重要な問題とな ってきます。 これ は 一一 概念 ・機能 舶 の ﹁ 理的には、隣国の 言語、加加国相互の 言 語を学ぶ とい う発惣 が非常に 強い 。 それ は相互理解という問題と深く関わ ってき ます。 このよ うな文化協定に基づ いて 印 特殊概念、そして機能としては、挨拶を する、道を尋ねる、闘い物をするなど、 シラパス﹂です。概念と しては 一般概念、 年代以降 、さまざまな 言語政策がプロジ ェク ト形式で展開していきます。 コミユニカテイブ・アプローチの 発展と言語教育の民主 化 まで繰り広げられたもので、 語教育の 言 一 民主 化の推進に関わります。 ヨー ロッパ 個人が 行う外国語によるコミュニケー シ ョンの、最小レ ベルが 記述さ れてい ます。 パルレ ベルを超えた機能的なレ ベルで 外 さまざまなスピ ーチアク トに 言語が分類 されて います。 これは 学習者 が、サパイ では 長 い間 、言語教育、外国諮教育は 一 第I期のプロジェクトは回年からη年 部の少数エリートのためという観点が強 これは後ほど触れますが、﹁ヨ ー ロッパ 言語共通 参照枠﹂のB lレベルにあたり、 側の 言 問 の 学 習 者 が 一挙 に拡 大 したた 主 義 か 複 り 語 主 義 白 戸、 育がなくなり、代わりに西側の 言語 が外 言 語 g y が外国語を身につけるということはあま ヤ り問題になりませんでした 。それを さら チ 一般の人々 叶 rgrgEF 2丘、訳すと﹁ しき い倒 ﹂ といいます。イ メージと し ては、学習者 が外 国語の 肘 界 へ 行 く に は 敷 居 が あ る 。 につけたらよいかを記述する資料集で、 か った。外交官の ような 専門職や学者な それを越えて外の 聞 界へ行くと、外国詰 め、少な い教師でいかに成果をもたらす のか とい った、自律学習という問題が重 レ ど特殊な人のためのも ので、 ャ請などの古典語 ではない 、現代 語教育 に民主 化するために 、ラテン語やギ リ シ を使って自 由 にさまざまな所 へ行けて 何 かができる 。敷居というのは、自分が今 要にな ってきます。そこで 引年のス イス でのシンポジウ ムにおいて 、﹁ヨl ロツ ト の崩峻とともに衛星国 ではロシア語教 を推進 し、そのために教 授法を整 備しま した 。また印年代から叩年代にかけては いる母諮の世界と 岡 県 語の 世界を隔てる 一 oEEFq止が 、コミ 扉です 。 この叶rgr言 47 オー ディ オ・ビ ジュアル ・メソッ ドが附 苅されま した 。 このころからコミュニケ . ク パ言語共 通参照枠﹂と ﹁ヨーロ ッパ言語 ポlト フォリオ ﹂の作成が決定されます。 これが 重要な出来 事 にな っていきます。 言語能力の可視化をねらった ﹁ヨーロッパ言語共通参照枠﹂ このヨ ーロ ッパ言語共通 参 照枠が作 ら れた 目的は 、各国 の教育機関の協力を促 進する 、 語教育 における各国の 評価を 言 一 相互承認 する 、学習者、教 師、教育関係 者などのそれぞれの行動の位置付けを助 ける、とい う3点でした 。 ヨーロ ッパは次第に 一つになり つつ あ りますが、教 育 の問題はそうはいきませ ん。例えば留学を制度的に行うためには 、 受け入れ校と 送 り出し校との聞に協定 が なければなりません 。 しかし 教育制度 は 国によ って違うため、相手国に留 学 した 場 合 の 成 果 を ひ と た び 承認することは 、 け っして 容易 なことではありません 。言 語教育の レベルに ついても 、それぞれの 国の機関がさまざまな 評価体系をも って います。 そこで能力の可視化を図ろうと したのが 参照枠の 一つの目的です。参照 枠は個別の 言語を取り扱 ったものではあ りません 。文法用語など 一 言語教育 を諮る 一 吉諮教育 について論じる 場合 に共通 言語 がなか った。そ こで 参 照枠とい う共通 言 語を作り、各国 の相互理解を促そうと企 てたのです。 一 言葉 は各言語 によ って異なります。一言語 教育 の概念も、国 が異なれば必ずしも同 じではない 。 これまでヨ ーロ ッパ の中で 際に自分の能力を外部に 示すことなどが トフォリオの役割には、就峨時の困接の 誼 で、人的移動の促進を目的とします 。 ざまな 奥言語学習を促進し、複言語 、 さま 、 復文化学習 の側値を 高めて相 互理解を促 し、自律学習、自 己評価を進める 。ポー ては ﹁ヨー ロ ッパ 言語ポlトフォリオ ﹂ があります。 これは 自己評価に関わる装 す。 それが 学習者 に向けられたものとし 人員 の交流や評仙の 透明化が根本 にあ 一つの具体的な関心としてあり得ます。 る参照枠を 、教育学 上、とりわけ評側の レベルで 展開したものが ﹁ 共 通参照レベ 多言語主義と複言語主義との違い プルリリンガリズム 主義ご ではなく、 ﹁ 句 ︵ ZL5mEZBH複 言語主義 ご と い う た ﹃ヨーロ ッパ 言 語 共通 参 照粋 ﹄ の中 では 、 欧 州 連 合 の 進 め て き た ﹁マルチ リ ンガリズ ム ︵ 玄己門医ロ宅とおヨ H多言語 ル﹂と 白われ るものです。3段階のレ ベ − − 一 ルに分 類し 、それをさ ら に2段階に 分 け る。技能に ついては 五つ に分類 した 。5 技能が6段階に対応しています。共通 参 照枠の 重要な目的の 一つは多言語教育 で す。したが って 一つの言語だけに ついて 、 例えば4技能ないし5技能を 完壌 にネイ 概念 が提 示されています。 これはフラン 取 州 評 議 会 が 進 め て き た 言 語 政策、 と り わ け2000年 、 引 年 に 刊 行 さ れ テ ィブ のように 習得 することは目的にし ていません 。複数の 語 に ついて、自分 印年代以降使われて きました 。 ︶ガリズムは2言語使用で ン です。 パイリ﹂ すが 、﹁プ ル リ ﹂ とは2言語 以上の 言 語 ス 語 で 、 ﹁パ イ リ ン ガ リ ズ ム ∞ 二5mEFB と非常に類比的な概念 ︵ − 言 一話 せるが 読むこと はあ る言語 に ついては はできない など、 さまざまな 言語 のレ パ ー ト リ ー を 地 やす こ と を ね らっ ていま す。 しかし ﹁ 言語共 通参照枠﹂ は学 習者 に 向けられたも のではなく 、カリキュラム を使用する個人や共同体という 意味で、 を 考 え る先 生 な ど に 向 け ら れ た も の で 48 敵州連合の政治空間においては、複数 リリンガリズムは人間の 手 がむしろ加え られた状態です。 まで存在するものがマルチリンガルだと をつくり得るかという視点は、パイ リ ン プ ルリ﹂とは複合的で 度管理できる 。 ﹁ 共存しているその能力を、自らがある程 文化的に も双方向的行動が可能である 。 つまり複数の 言語や複数の文化がさま ざ まなレベルで、個人の中で共存している 。 数の 言語を習得し複数の文化経験をも っ 行為者、学習者につ いて 諮るものです 。 言語によるコミュニケ ー ションが取れ、 ガリズムの研究から諸制を得たもので 言われてきています。 それに対してプル の言語 の平 等 な 共 存 が 調 わ れ て き ま し た。 それは 一つの主義主張という意味で マルチリンガリズムです。一 個人が複数 の言語を使用するという意味では 多言語 使用とい った意味にも使用されます。す ると、プルリリンガリズムとマルチリン す。 これまでの社会言語学では、複数 言 語があった場合には優位に立つ 言語と劣 しかしパイリンガリズムの研究を通じ 複数 一 言語が個人の中でどのような能力 、 カリズムはあまり変わらないのではと思 うかもしれません 。印年代以降にフラン る言語があると考えられてきましたが、 プル リリ ンガリズムは、力関係というも ので必ずしもとらえないのです。 例年段 階の ﹃ヨー ロッパ 言語参照枠﹄ ではマル チリンガ リズムやマルチカルチュア リズ て、人間の顕の中で、 言語というものは 必ずしも引き出しのようにそれぞれが個 義と 言 った場合は、頭の中が英語の部屋、 フランス語の部屋、ドイツ語の部屋など に分かれている 。互いの部屋は干渉しな いと考えられていました 。 あり、複層的であることです。多言語主 ス語の文脈で使われてきた意味では、複 dq河J 、 ムという い方をしていました 。 これら 一 はいずれ言 も英絡にある、既存の概念でし 合的・複層的に組み合わさっているもの であり、それらはけっして全部が均等な チ ヤ &P ! 言 り 、 主 義 去五 r 数言語がいわば 制御されていない 、人間 の手 がそこに加えられていないようなま た。プル リリ ンガリズムという概念は初 年になってようやく複言語 ・複文化能力 という研究の中で考えられ、その成巣は 能力として組み合わさったものではない ことが明らかになりました 。頭の中に複 別 に入っているわけではなく、むしろ複 ﹃ 参 照枠 ﹄ に継承されていくことになり ます。 数の 言語があった場合、そ れらは混じり 49 人間の実態に即した複言語主義 高 あ った状態で存在している 。一 つの 言語 を学ぶ場合、﹁読む、書く、 聞く 、話す﹂ 複 外国語教育の 中で複言結・複文 化能力 か という4技能が均等に 伸 びることはない という前提です。例えばある 言語につい 語 主 義 と言 った場合、そ れはネイティブをめざ すものではなく 、さまざまな レベルで 桜 . レ ク 観、外国語学習観で した。読めるが話 せ ティブの話者をモデ ルとした外国語教育 4技能を均等に育 てるというのはネイ って多様な 語を積極的に学ぶことを考 言 一 えた方がいいのではないかというわけで す。 ついては限定的ある いは 部分的に使用さ れるものがあり 、そ れを 認めること によ ン活動を仔細に観察すると、 言語能力に 読めればいい 。人間のコミュニケ ー ショ う よ う な 言 語 教 育 観 を 考 え ているので 度には、 比較的 短時間で 習得できると い 性が非常に 高 い一言語です。だ いたい意味 が分かればとりあえず困らないという程 べば読 めるよ うになるわ けで 、相互理 解 点として、互いに 近いもの です。少し学 ーロ ッパ諮の場合、フランス語、 イタリ ア語、スペイン語などはロマンス請を原 で部分能力という問題が積極的に評 価 さ れ るようにな ってきました 。 とりわけヨ 語学習 を進めようと 調ってお り、その 中 欧州評議会では複言語主義のための 言 ます。文化をどのように評価するか 。部 ませ ん。ただ し、さまざまな問題もあ り はな いため、新たに振興しなければな り このような言諮教育観は 既存のもの で 可能にしようというわけです 。 尊重 しようと いう態度が見られます。 こ れによ ってヨ ーロ ッパで移民との共生を 複文化・ 複言語能力を進める場合、移 民 ヨーロ ッパでは考えられて います。また、 学ぶこ とは 自民 版中心 主義を克 服しやす く 、 個人 全体の 学習能力が 強 かになると が考えられています。 ないのはだめだと いう、コンプレックス す。 ては話せればいい、ある 言語については を抱かせるような 言語教育観だったと思 被 言諮主義はそ れ自体と して級文化主 義の 一部ですか ら、複文化 の方が大きな の﹁参照枠﹂の中で諮ら れてい る文 化 の 上位概念としてあ り、その 中に 言語も 一 つの 概念と して現れています。 そしてこ いて言語教育を行 い、そ れを標 準化とし ヨーロ ッパ諸国 がもし 一つ の基準に 基 づ 験制度はどうするのか 。人間の 言語能力 が複合的だとすれば 、試験 の中でどのよ うにプ ルリリ ンガ ル な 能 力 を 問 う の か 。 分能力と文 化 の問題や教師、あるいは試 複言語主義振興上の問題点 などが持ち込んだ 言語も継承言語と して いま す。プル リリ ンガ リズムは、もはや ネイティブをモデルとして 語 教 育 を 行 一例えばレス いません 。 ヨーロ ッパでは、言 問題は、 言語と文化 に見られる異質性に や価値 そのものが、すべて 職業能力に還 て提供 す ると、 語教育の も つ複層性 や 言 一 人間の中に複数の 言諸があると いう状態 言 語活動はできるが、おそらく文字の読 み書きはできない 。客と交わす会話や部開 あり、ウェ イタlが複数の 一 言語を話すこ とが あります。彼はメニューに ついての ト ランのメニュ ーが 複数の 一 言語で 書 いて とは、文化を通じてその 差異を学ぶこ と 関わるもので、相 手 の学習言語 ・学習文 化が自分の 母一裕 ・文化と 異な って いるこ きて いますが、複 言語主義 は英語を 排除 ヨー ロッパ では英 語 の地位が高ま って 元さ れる恐れもあります。 設は非常 に限 られたものなので、料理に が重要なのだと 一 言 って いるわ け です。英 語だ けを 学ぶこ とは ステ レオタイプや先 入観を逆に強めてしまう。複数の 一 言語を ついて複数の 言語 で説明できればいい 。 いわば口 頭の 言語能力があればいいわけ で、そういうものをモデルとして複数の 言語に取 り組 めばよ いのではと いうこと 50 学習目 的は英語ができると社 会的上 昇 で するものではありません 。ただ、英語の でしたが、その教育の展望を探ると いう 二外国語、それはとりあえずフランス語 には東アジアあるいは極東アジアという え方を、ヨ ー ロッパとは関係ない日本が 巣たして受け入れられるのか 。 そのため はできますが、日本は仮に敵 州評議会の オブザーバーであ ったとしても、ヨ ーロ ッパの 一国ではありません 。 したが って するアンチテ ーゼともなりました 。 しか 言語主義 を欧州評議会 が諸り始めるのは 2009年9月 同 日 、 大学 言 語 文化教 ︵ ていくと思います。 共同体の中で 言語問題をどう考えて いく のかが 、おそらく 今後 のポイントにな っ ヨー ロッパ統合の中から生まれてきた考 し欧州教育界の 複言語主義 は、まだこの きるなど、非常に現代的な表象に結びつ いていることが多い 。とりわけ問題なの は、英語を勉強すれば他の 崩諮 は学 ばな 雪 一 くていいという考え方を、英語学習 が進 時代には取り上げられていなか った。複 ものでした 。 それが自然に 言語教育だけ ではなくて思想的なものへと広が ってい ったと同時に、英語の単 一言語支配に対 習とは何か﹂﹁複数の 言語を学ぶことに めやすいことです。 したがって﹁ 言語学 幻年からです。 日 本 で 多 言 語主義を取り 議室︶ 第 引回京 間辺ランゲー 育 研究センタ ー ﹁ ジ ・セ ミナ ー﹂ での講演 。嗣業館第1会 上げたころに、ヨ ー ロッパでは複言諦主 通参照枠﹄ が翻訳されました 。今年 は京 都大 学 で参照枠をめぐる研究集会や複言 義とは何かが論じ始め られたという、い わば 一期遅れの状態がそこにはありまし た。 日本では、例年に ﹃ヨー ロッパ 言諮共 はどのような価値があるのか ﹂ と い う 問 題 も 合 わ せ て 教 え る 必 要 が あ り ま す。 ヨ ー ロッパは 言語教育の多械化が 重要だ と 訴えて いるわけですから、 言語教育その も の に は 相 互 理 解 や 民 主 的 な 社 会の 構 築 、 社会統合に役立つなど、社会政策的 な意義があることを訴えて行く必要があ ります。 51 略歴 霊主 語 ・複文化等 諮教育の 附究集会 が行わ 一 れ 、 多 言語 の 言 問題が論じられていた 状態 主 義 、 ハ 日本における 複言語主義教育の将来 り から 今 、 複 語を論じる時代へと変容し 一 。 つつあ りま言 日 本 が ヨ す ー ロッパの 諮 一 教育忠制却を輸入し始めていることは言 問迎 複 最 後 に 、 日 本 で 多 言語 主 義 な い し は 複 言語主義はどのように 受 け入れられてき 言 いありません 。 か たのでし ょう か。 ﹁多文 化主義﹂ は以前 からかなり論じられていましたが 、 多 言 言 諮 主 義 が 論 じ ら れ るの は 叩 年 代 後 半 で 語 に し や ま の り ゆ き ︶氏 西山教行 ︵ 1 961年生まれ 。明治大学講師、新潟 大学 助教授などを経て2005年度より 現峨。日本フ ランス語教育学会 理事、日 本フラ ンス諮教育学会誌 編集長、国際ジ ャーナル編集委員、日本 言語政策学会理 事。フランス語教育学、 言語政策 、 外国 諮教育学などを専攻。 主 義 で多言語主義 と複言語主義を論じること & 〆 多言語主義 から複 語主義への移行 は 言 一 欧州統合の 問題と切り 雌せません 。日本 ヤ す。多行制下必を制 り始めた趣旨は 、 ヨ チ ー ロッパの経験を 生 かして、いわゆる第 . レ ク