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なぴあ75号 - 長崎県国際交流協会

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なぴあ75号 - 長崎県国際交流協会
長崎県国際交流協会広報誌
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AS RN SOC
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ながさき国際協力・交流フェスティバル 10 月 28 日(日)☀
41 の国際交流団体が出展しました。来場者数は約 3500 人。晴天に恵まれフェスティバル
は盛況のうちに幕を閉じました。
第4回 外国人による日本語弁論大会
いろいろな国のことばのおはなし会
11 月 17 日(土)場所:長崎外国語大学
11 月 10 日(土)場所:長崎市立図書館
今年は5ヶ国より32名の応募がありました。予選審査
を通過し本選への切符を手に入れたのは 13 名。入賞者は
5名、大舞台では自分の持てる力を発揮しました。
イギリス・中国・韓国の方が、母国語で絵本の読み聞かせをし
ました。どの絵本も読み手が幼い頃に大好きだったものです。
子供たちには外国のお話がどのように映ったでしょうか♪
公益財団法人長崎県国際交流協会です。
ホーチミン市ー長崎友好交流 池坊いけばな展 in ベトナム …… 2
お気軽に遊びに来て下さい♪
青少年国際理解講座 こすもぽりたん教室………… 2
国際理解講座…………………………………………… 2
国際協力の現場を見て(JICA) ……………………… 2
至浜町
・カレンダー・手帳のリサイクル市 …………………… 3
・留学経験者との交流会 ………………………………… 3
第4回外国人による日本語弁論大会………………… 4
出島
ローソン
◀至大波止
ホンダクリオ
駐車場
長崎税関
長崎県
国際交流協会
私の住むボリビア多民族国 ~サンファン日本人移住地~ …… 7
異文化への憧憬~さるく旅から……………………… 8
出島ワーフ
長崎県美術館
▶
至戸町
長崎市民病院
もっと知りたい外国のこと…………………………… 6
長崎国際テレビ
至出島バイパス▶
▶
これから開催されるイベント情報…………………… 2
(2)第 75 号
な ぴ あ
2012年12月
ホーチミン市―長崎友好交流 池坊いけばな展 in ベトナム 10月22日~25日
5年前に長崎県海外技術研修員として来崎し、当協会で 1 年の研修を経て帰国したベトナム人のファン・
テイ・ミン・グウェトさんからの依頼で、ホーチミン市でいけばな展が開催されました。講師として白羽の
矢が立ったのは、ファンさんが研修員時代に交流のあった田中由紀子先生です。田中先生の呼びかけで、渡
辺暁美先生、島典子先生、福田穂積先生の4名が、ホーチミン日本国総領事館と NPO 法人長崎ベトナム友好
協会のご協力を得て一緒にベトナムへ渡り、このいけばな展が実現しました。
写真は、ホンバン大学での生け花交流、学生体験研修、ホーチミン婦人会生け花展の様子です。参加者は
延べ 290 人で、ファンさんと田中先生の個人的な交流が、ホーチミン市との大きな文化交流に繋がりました。
青少年国際理解講座 こすもぽりたん教室
長崎県立諫早東高等学校で韓国修学旅行事前研修を実施しました。講師は裵相
賢(ぺサンヒョン)国際交流員で、生徒 86 名と職員 6 名が韓国の基本情報や食
事のマナーや文化の違い等について学びました。
国際理解講座
五島市観光関連事業者 22 名を対象に韓国人観光客受入接遇研修会を開催しま
した。講師の金英泰(キムヨンテ)氏が、旅行のキャンセル、対人関係、入浴時
の習慣などの韓国と日本の違いについてや、ホテル・観光施設で使える韓国語に
ついて講義をしました。
国際協力の現場を見て
国際協力レポーター2012による写真展
ODA(政府開発援助)の現場を見て報告をする<国際協力レポーター>。
JICA( 国際協力機構 ) が毎年募集し、全国から多数の応募がある中、今年度は長
崎県より山口佳奈子さんが選ばれました。山口さんは県内の短大に勤務する女性
で、趣味はサルサ!元気を分けてくれる笑顔の持ち主です。山口さんが 9 人の仲
間と訪れたのは、スリランカ。8日間の ODA 現場視察を紹介する写真展が、交
流フロアで開催されました。(2012 年 11 月 28 日~ 11 月 30 日)
スリランカの体験を語る山口さん
山口さん「ODA には人を通じた技術協力とお金やモノを通じた協力があって、
どちらの現場も視察しました。供与された機材を使用する現場では、経年による
故障や不具合は避けられない一方で、技術協力により育った人材は、その国の宝
となり、ずっと残っていきます。私も人を育てる教育機関に勤務し、留学生の支
援も担当しているので、
共感したり、
考えさせられる場面がたくさんありました。
」
>> JICA 専門家や青年海外協力隊の活動場所を訪れ、現場の人と直接話した感
来場者にていねいに説明
想はいかがでしたか ?
山口さん「どうしたら相手に伝わるかという工夫が印象的でした。<講習会を開いて人を集める>のではな
く、<人が集まる場所に出向いて講習会を開く>など、現場に合わせた柔軟な姿勢が印象に残っています。
隊員任地で突然停電し、真っ暗になることもありましたが、途上国ならではのいい思い出です(笑)。」
山口さんのパネルは、
「写真とともに簡潔な説明文があってわかりやすい」と大変好評でした。今後も県内
各地で展示し、ODA 現場を伝えていきたいとのこと。展示を希望される方は、< JICA デスク長崎>まで!
な ぴ あ
2012年12月
第 75 号(3)
これから開催されるイベント情報
(詳しくはホームページをご覧ください:http://www.nia.or.jp/)
カレンダー・手帳のリサイクル市
このリサイクル市は、学生国際 NGO BOAT が主催し、国際貢献の為に収益金を寄付する目的で開催さ
れます。企業や団体からご提供いただいた素敵なカレンダーや手帳、この他にも世界のカレンダーを販
売します。
今回の収益金は、NPO 法人フレンド・ウィズアウト・ア・ボーダー JAPAN を通してカンボジアのアンコー
ル小児病院へ寄付されます。
カンボジアでは未だ衛生環境が整っておらず、病気の蔓延する可能性が高いままです。そのため、多
い日には1日にこの病院に 600 人の患者が訪れることもあります。患者たちに平等な治療を 24 時間体制
で提供するこの病院は、カンボジアで信頼をおかれる存在です。
このリサイクル市を通して国際協力をしてみませんか?
日 時:2013 年 1 月 18 日(金)
~ 20 日(日)10:00-16:00
場 所:出島交流会館4F 会議室1・2
問合先:学生国際 NGO BOAT E-mail [email protected] Tel 090-2088-6419
電話受付時間:月・火曜日 17:00-20:00 木・金曜日 12:00-14:30
留学経験者との交流会
これから留学をする方や留学を迷っている方に、ぜひ参加していただきたいのがこの交流会です。留
学経験者の体験談を聞いた後、個別に話す時間をたっぷりとっています。留学の目的を達成するための
現地での過ごし方、留学に踏み切れないなどの悩みを留学経験者に相談してみませんか?
日 時:2013 年2月 27 日(水)14:00-15:30
場 所:出島交流会館
申込方法:メールまたは電話でお申し込みください(E-mail: [email protected] TEL:095-823-3931)
協会からのお知らせ
外国のコイン
当協会の事業に賛同し協力してくださる方を随時募集しています。
外国のコインをユニセフに寄付し
○特 典○ ています。ご協力いただける方
年5回発行する「なぴあ」をお届けします。
は、当協会へお持ちください。
協会が主催する事業や講座をご案内し、優先的に参加していた
CIRと話そう
だけます。
毎週水曜日の 16:00-17:00 にイギ
○年会費○
リス、中国、韓国出身のいずれか
個人会員/1口3,000円 法人会員/1口10,000円
の国際交流員とお話が出来ます。
スケジュールは HP でご確認くだ
さい。
な ぴ あ
(4)第 75 号
2012年12月
第4回 外国人による日本語弁論大会
「平和への願い」
りく
さんさん
長崎ウエスレヤン大学 陸 珊珊
最優秀作品
皆さん、海を隔てた隣人であり、また二千年の長きに及ぶ交流の歴史
がある日本と中国の関係についてどのようにお考えでしょうか。歴史上
日中両国はともに今ほどアジアや世界の安定と発展に貢献できる力を
持ったことはないでしょう。日中両国国民の友好往来は 2000 年以上に
わたっています。これは世界民族交流の奇跡とも言えるのではないで
しょうか。
今年はちょうど日中国交正常化の 40 周年を迎えます。しかし誰も思
いがけないことが発生しました。尖閣諸島の問題に関して中国と日本の
対立はだんだん激しくなってきます。中国ではデモや暴動があり、日本
に関するものの多くは壊されてしまいました。私自身、中国人としてみ
ても中国での行動は激しすぎると思います。
しかし、同時に私は日本の人たちはやり返すのではないかと思い、中国で暴動があった直後は毎日不安で
居ても立っても居られませんでした。母も中国から電話がかかってきて、早く帰ってきなさい。日本人が仕
返しをしたらどうするのと言いました。同様に中国にいる友達もメールをくれました。日本の生活は大丈夫?
いじめられてないの?と、私のことを心配してくれました。私の中国の友達は日本語学科なので、中国での
風当たりが強いようでした。
中国の家族や友人が心配するので私も学校に行く時ちょっと不安でした。しかし、周りの日本人たちは友
達でも先生でも、みんな今まで同様、変わらずに親切にしてくれました。尖閣問題の直後でも違う目で見ら
れることはありませんでした。私はほっとひと安心しました。そこで、中国の友達に心配をかけないように、
私は日本の様子をブログに書きました。「日本の人たちは皆、中国でのような過激な行動をしていません。
実はみんないい人です。」と書きました。すると知らない中国の方からこうコメントされました。「この裏
切り者!なんで日本の仲間になるのか!」私はこの言葉に傷つきました。私はここ長崎での生活を事実に基
づいて書きましたが、なぜ理解してもらえないのでしょうか。なぜ中国の人は日本に対してそんな誤解をし
ているのでしょう。愛国者が機に乗じて騒ぎ、同じ中国人でも暴徒化していない人々は呆れながら眺めてい
ます。
今回の騒ぎが大きくなったのは歴史的なこともありますが、尖閣諸島近海の漁業権の奪い合いがポイント
なのだろうと思います。
この話をすると先日、友人とうちでした焼肉のことを思い出します。スーパーで肉を買ってきて焼肉をし
たのですが、友人も私も肉が大好きだったので、だんだん肉を食べるペースが速くなり、友人はまだ少し赤
い肉まで食べはじめました。もう少し焼いたほうがおいしいだろうと私は思いましたが、しかたがないので
私も赤みのある肉を取りました。
もし二人が肉の奪い合いをしなければ、もっと肉本来のおいしさを味わえたと思います。またゆっくり食
べれば楽しくお腹がいっぱいになったと思います。
この焼肉体験と今の日中関係はよく似ているように思います。今、中国では日本製品の不買運動をしてい
るようですが、中国国内の日系企業がその影響を受け、中国人の社員の給与に影響があったり、解雇に繋がっ
たりしているそうです。結局この運動は日本にも中国にも双方にとってダメージがあるようです。
私は日中がもうこうした奪い合いから脱却し、一緒においしい焼肉が食べられる大人の関係になればいい
なと思います。日本と中国がこうした良い関係を築くことは世界全体にとっても非常に歓迎されることだろ
うと思います。ご清聴ありがとうございました。
な ぴ あ
2012年12月
第 75 号(5)
「飲みニケーションで深まる国際交流」
ち
かんふん
長崎総合科学大学 智 光薫
日本に来て5年目となり一人で何でもやるようになりました。そんな
私は居酒屋でも一人で行きます。居酒屋に一人で行くのはいろんな人々
2位作品
と出会い語り合うことができるからです。
居酒屋で話す内容は普通の日常の話題がほとんどですが、外国人であ
る私にとっては、普通のことでもとても興味深く意味のあることばかり
です。
私は日本に留学しているからできるだけ韓国のことをみんなに伝えた
いと思っています。ですから、居酒屋で知り合った方とも韓国での生
活や食べ物のことについて話します。日本は今韓流ブームですが、実は
間違って伝えられたこともたくさんあります。そこを正しく伝えたいと
思っています。例えば、日本には「キムチチゲ鍋」という韓国料理があります。「チゲ鍋」という言葉が間違っ
ています。チゲは韓国語で「鍋」という意味です。「鍋鍋」とはさすがに変ですね。それを聴いた日本人は「へ
え、知らなかった」とびっくりします。普通のことですが酒を少し飲みながら話すと楽しくなります。
居酒屋には地元の方々がよくいらっしゃいます。ですから方言をよく聴きます。「ばってん」「すうすう
すっ」など居酒屋で教えてもらいました。方言は未だにわからないものも多いですが、日本での生活に必要
なので積極的に学ぶようにしています。
また、居酒屋では私を韓国人とは扱わず、日本人と同じように接してくれます。そのため居酒屋にいらっ
しゃった日本人とすぐ仲良くなれます。ある方は私の父より年齢が高い方でしたが、一緒に飲むことになり
ました。私は今まで自分の父と一緒に酒を飲んだことはありません。その方と一緒に飲むのはまるでお父さ
んと飲んでいるかのようだったので私は礼儀を気にしながら飲みました。お酒をついでもらうとき両手でも
らったり、両手でついであげたりしました。すると、その方は「こういうことがあるから韓国人は好きだよ」
ともう一杯お酒をついでくれました。
日本ではあまりしませんが、韓国人は自分より目上の方と飲む場合は礼儀をしっかり守ります。その方は
韓国にも行ったことがあるということでした。そのときも私みたいに、その方より年下の韓国人が礼儀正し
く行動したそうです。韓国では当たり前のことだったので少し照れました。また、「今の日本人はだめだ」
ともおっしゃいました。昔とは違う、今の若者や今の日本を憂えてのことでした。私もまだ若者ですが、そ
の意味はわかります。日本だけではなく韓国も同じだからです。いろいろなことを語り合いながらその方の
考えや気持ちがちゃんと伝わってきました。国籍・年齢を超えて本当によい時間を過ごすことができました。
今、日本・中国・韓国の間に様々な問題が起こっています。政治的・歴史的問題なので簡単には解決でき
ないのかもしれません。私たち一人一人にできることも限られているでしょう。しかし、お互いに自分の国
のことだけを考えるのではなく、他国のことも理解するように語り合ってみてはどうでしょうか。決して難
しく考える必要はないはずです。日常の何気ない話題の中で、一人の人間として接し交流を深めれば、お互
いを理解し合うことができるのではないでしょうか。小さな一歩ですが、それがみんなの平和につながると
私は信じています。
たまにはネクタイを緩めて、飲みながら語り合ってみてはどうですか?もちろん飲みすぎないように!
な ぴ あ
(6)第 75 号
2012年12月
も っ と 知 り た い
外 国 の こ と
<自己紹介>
古代より「一衣帯水」というのは、
『帯のように細かい水によって、隔てられ
近接していることを云う』の意味で、よく日本と中国両国について使われる言
葉ですが、長い伝統的友好の歴史を有することを表します。隋、唐時代からの
日中両国の盛んな交流によって、それぞれの文化は急速に高められました。今
日も文化だけでなく、両国の貿易もとても頻繁に行われています。
私は中国の武漢市から来ました。武漢から長崎までは飛行機で約 3 時間かか
張 慶洋
(チョウ ケイヨウ)
長崎ウエスレヤン大学
外国語学科1年
ります。長崎は中国本土と一番近い都市だと思います。日本に来たのは大学の交流プログラムのためです。
今は長崎ウェスレヤン大学外国語学科の学生です。主に日本語と日本文化を勉強しています。学校の先生方
は親切で、留学生に丁寧に教えてくれます。日本に来てもう半年過ぎました。だんだん日本の生活に慣れて
きました。将来は日本語を生かして、日本に関わる仕事で活躍したいです。
<武漢とは>
私の出身地は中国中部の武漢(ぶかん)です。武漢は「漢」と略称し、
中国湖北省の省都、人口が約 970 万人、華中地域の最大の都市、中国大陸
の七大中心の都市の一つです。世界第三の大河揚子江とその支流漢水は市
内に横切って流れ、武昌、漢口(かんこう)、漢陽(かんよう)三つに分
けられ、
「江城」という別称があります。清代末時期、武漢は経済が繁栄で、
中国内陸最大の都市になり、
「東方のシカゴ」という美称があります。また、
武漢が中華民国の誕生地であり、優れた地理的位置に恵まれていて、昔か
揚子江大橋
ら「九省に通じる所」と称えられるように交通はとても便利です。3500 年の歴史を有す
る歴史文化の都市として、自然と人文の観光資源は極めて豊富です。一番有名なのは黄鶴
楼と武漢揚子江大橋です。三国志で有名な「赤壁の戦い」は武漢の南 100Km にあります。
ここから揚子江に沿って上がれば三峡(さんきょう)や神農架(しんのうか)などの観光
地に行けます。北アジア熱帯湿潤気候に属し、日照と降雨量が十分で、四季がはっきりと
分けられています。夏は酷暑となり、重慶、南京と並んで「三大火炉」と呼ばれ、酷暑の夏、
酷寒の冬は観光が避けられます。
<日中比較>
黄鶴楼
私から見て、日本人には次の三つの特徴があるように思います。
一つ目は、日本人の人間関係です。日本人はよく相手の気持ちを考え、相手の立場を考え、本当の気持ち
を直接に口に出そうとはしません。それに対し、中国人は自分の気持ちを隠さず、好き・嫌い、賛成・反対
などをはっきり言います。しかし、両方の性格にはいいところもあるし、悪いところもあるため、中国人の
性格と日本人の性格、どちらが良い悪いとは言えません。これは、この二つの民族の性格の特徴であり、魅
力でもあるからだと思います。
二つ目は、日本人は上の人によく従うことです。いつも後輩は先輩に「はい。
」「わかりました。
」「かしこ
まりました。」と言います。日本では上司から指示を受けた時、それが実は自分の業務範囲でなくてもやる場
合がほとんどです。反対に中国では、効率を考え、基本的に自分の業務範囲でなければ実行することはあま
りありません。
三つ目は、日本人はまじめでよく働くことです。仕事に対して、大変まじめだと思います。日本人は毎日
遅れないように会社に通っています。また、早く家に帰ることは恥ずかしいことと思い、残業することは当
たり前だと思っています。必ず会社のルールを守って、自分が自分のなすべき仕事をきちんと完成する責任
感があります。中国では、全体的にそのような厳しさが日本ほどありません。
このように、同じ事柄でも両国の人が取る態度が違うのは文化の影響だと思います。
2012年12月
な ぴ あ
第 75 号(7)
私の住むボリビア多民族国
~サンファン日本人移住地~
海外技術研修員
岩 瀬 理 香
<はじめに>
ボリビア多民族国は、日本の真裏の南アメリカにあります。北から東に
かけてブラジル、南はアルゼンチンとパラグアイ、西はチリとペルーに囲
まれ、南米の中心にあります。そのため、ボリビアには海がありません。
気候は大きく 3 つに分かれます。年間を通して暑い日が多く湿気のすごい
地域(平均気温が 20℃~ 25℃)、暖かい地域(平均気温 15℃~ 20℃)、標
高 3000m 以上で年中寒冷の地域(平均気温 15℃以下)があります。面積は、
昔は広かったですが、周辺国との戦争に負け続け、現在は最大時の半分の
1,098,581km2 です。人口は、日本の 12 分の 1 で 9 千 90 万人程です。国旗
運動会で騎馬戦
の色は、赤・黄・緑で、赤は祖国への愛、黄色は富や天然資源、緑は自然
を表します。中心にはボリビアのシンボルとして『コンドル』や『リャマ』
などが描かれている『エスクード』があります。公用語はスペイン語です。有名な観光地として『ウユ
ニ塩湖』や『チチカカ湖』等が知られています。
ボリビアの物価は日本と比べると安いです。主食は米、パン、ジャガイモ、トウモロコシ。副食は主
に鶏肉と牛肉です。食事は、ご飯とおかずが一皿に出されることが一般的です。ボリビアで生まれた人
や2年間以上滞在をした人は、ボリビアの国籍を持つことが出来ます。
<ボリビアの生活と日本の生活>
長崎で生活していく中で、ボリビアとは違うなと思うところがたくさん
あります。
まず、環境が良いところ。長崎は海があって、山があって空気がとても
きれいな所です。ゴミの分別もきちんとしています。ボリビアではあまり
ゴミの分別に厳しくはなく、まとめて出すことが多いです。ペットボトル
などは、貧しい人達がゴミ箱等から捜し出し集め、リサイクル会社に売り
に行きます。ボリビア人は、平気でゴミを道端に捨てます。バスや車など
の排気ガスがひどく、環境はあまり良くないです。また、政府に対する問
運動会でお弁当
題や不満があると、抗議をする為、道の真ん中にタイヤ、木、石を置き、
それらを燃やしたりします。時には車やバスを置いて誰もが通らないよう
にします。一般の人を巻き込むことで政府の迅速な対応を望めるからです。
私から見た日本人の良い所は、人間関係と時間を大切にしているところです。本当に礼儀が正しい国
です。相手に失礼のないように行動し、言葉を選び、心優しい人たちです。近所の人とすれ違う時に軽
く会釈をする、落とし物をしたら声をかけます。時間はきちんと守ります。一方、ボリビアの日常生活
はのんびりしているので、少し時間に遅れてもあまり気にしません。相手に直接はっきりと言いたいこ
とを言いますし、落とし物で声をかける人は少ないです。
ボリビアで挨拶をするときは、男性同士では握手をし肩を軽くたたく、女性同士と男女では頬と頬を
あてキスをするのが日常です。
国民性は、ボリビアの人は熱いです。自己主張が強く、自分のことを自慢したがり熱く語る人もいま
すし、相手のことを積極的になんでも聞いたりする人がいます。また、サッカーが大好きな人が多く、
遊ぶことにも観ることにも情熱的です。日本では、女性からでも男性からでも告白をするようですが、
ボリビアでは、女性から男性に告白をするのがあまり無く珍しいことで、女性が好きな男性にアピール
をしつつ、男性からの告白を待ちます。
私が生まれ育った『サンファン日本人移住地』は、サンタクルス州イチロ郡サンファン市にある小さ
な村です。人口は、現地に住むボリビア人を加え約 1,000 人です。スペイン語と日本語を日常的に話し
ます。
最初に移住した日本人は、50 年以上前に色々と苦労をされました。森や
林だらけの移住地を開拓したのです。現在は、私のような日本人の血を持
ちボリビアで生まれ育つ日系人がたくさんいます。
サンファン移住地では農牧総合協会組合があり、主に米、大豆、マカダ
ミアナッツ、果実を生産していて、養鶏、養牛、養豚も行っています。耕
地が豊かなため、農業をしている人が多くいます。
サンファン学校での運動会や遠足などの行事、成人式、大晦日、イベン
ト等を高校生会・青年会・婦人会などで協力し合いながら、日本と変わり
成人式
なく行っています。日本文化を愛し守りながら生活しています。
な ぴ あ
(8)第 75 号
2012年12月
異文化への憧憬~ さるく旅から
(④クリスマス市を愉しむ)
欧米で最も心躍る、ワクワクするクリスマス時期の最大のイベントはクリスマスマーケットであろう。ア
ドヴェントと呼ばれるクリスマス前の約 4 週間にヨーロッパ各都市で開かれ
る市である。アドヴェント(待降節)とは、キリストの降誕を待ち望む期間
のことで、クリスマスを迎えるため、この 1 年を反省、感謝し、心の平安を
取り戻すための時期とされている。しかし、実際は、街はごった返し、人々
はブレゼントを買うのに必死で心の平安はなかなか取り戻せない。欧米では、
クリスマスは家族と過ごし、正月は友達や恋人と過ごす。会社や学校はクリ
スマス休暇(10 日~ 2 週間)に入るため、離れていた家族が帰省してくる。
クリッペ(ドイツ語で飼い葉桶)
/ルクセンブルク
24 日の午後からは店やミュージアムも全部閉まって街は淋しく、静かになる。
クリスマスのディナーが終わったら家族で教会の深夜のミサに出かける。日本
も今は『恋人たちからのクリスマス』から『家族団欒のクリスマス』が主流の
ようだ。クリスマスマーケットには雰囲気を楽しむ、飲食、買物を楽しむイベ
ントの総合的な魅力がある。寒く暗い時期なのに街を幻想的に彩り、昼間から
賑やかで、お祭り気分が満喫できる熱気ある雰囲気を演出している。ドイツの
屋台などは地域的にオリジナリティーに富み、思い思いに趣向を凝らし、そこ
でしか手に入らないもの、その特色を競い合うことで、魅力が高まる。日本では、
祭りの時の屋台は軽食店が多いが、ヨーロッパでは、クリスマス市はホットワ
シュトゥットガルト
インの立ち飲みの社交の場であり、またドイツでは、単なる雑貨品や土産品
の販売ではなく、匠の技が生み出す精巧なクリッペ(キリスト生誕の馬小屋
の情景を再現した模型)
、オーナメント類、陶器、木工芸品等の芸術作品を手
頃な価格で購入できる場所と思う。ドイツやストラスブール、ウィーンなど
の「クリスマスマーケット」はその集客力と経済効果もあってイギリスなど
や日本の大都市に 10 年以上前からビジネスモデルとして輸出されている。異
国情緒の残る長崎でも本格的な市が開催されないものかと思う。2011 年のク
リスマスのデコレーションにかかった出費はドイツ国内だけで、約 30 億ユー
シュトゥットガルト
ロに上るそうだ。
ヨーロッパの多くの街の中心部には教会や市庁舎などに囲まれた広場があ
り、クリスマスや収穫祭などの市が立ち、四季折々のイベントが開催されて
いる。そこは、地域住民の交流の場であるとともに、観光客と地域の触れ合
いの場として重要な役割を果たしている。日本にはこのような広場はないが、
歩行者天国の活用などで街の中心地に臨時の広場は可能である。ヨーロッパ
の街は広場や市場を中心に栄えてきた。道路歩道等の公共空間を活用した仮
設市場の開催や多様な移動販売車が発達するための規制緩和は、街中に交流
や賑わい、活き活きとした空間を創出し、地域活性化の手段として必要である
と思う。物販、飲食だけでなく、地域住民によるステージ、アーティストによ
るワークショップやパフォーマンスが自由に行われる場所が必要である。
ケルン
リエージュ
シュトゥットガルト
1692 年から続いている。地元の業者の
みの屋台約 300 と観光客毎年約 450 万
人で世界最大のクリスマスマーケット。
屋台の屋根がてんこ盛りに装飾。
クリスマス時期のデパートの動く
ディスプレイ/フランクフルト
薪で動く仮設の蒸気機関車
/シュトゥットガルト
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