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第 1 章 産業構造変化の要因:理論と実証
樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 第1章 産業構造変化の要因:理論と実証 橋口 善浩 要旨: 産業の構造変化はどのようなメカニズムで起きるのか。本稿は産業構造変化の要因に関 する既存研究の議論をまとめたものである。最近の理論研究はその要因として消費の所得 効果と相対価格効果の重要性を指摘している。一方,実証研究については,近年,この 2 つの効果の相対的な重要性を計量経済学的に検証する論文が発表されている。本稿は,は じめに経済成長と産業構造変化の基本モデルをつかって,これら 2 つの効果と産業構造変 化の関係を説明した上で,この分野の計量経済学的な実証研究を紹介し,その成果と今後 の課題を整理する。 キーワード: 産業構造変化,消費の所得効果,相対価格効果 1. はじめに 経済発展と産業構造に関する議論の起源をたどれば,アダム・スミス(Adam Smith)が 生まれるおよそ 1 世紀前,ウィリアム・ペティ(William Petty)の時代まで遡ることがで きる。1691 年に出版されたぺティの著書『政治算術』の中で,当時のオランダの一人当 たり所得が他のヨーロッパ諸国よりも高かったことを解釈するときに,ペティはオランダ の人口の大部分が製造業や商業に雇用されていることに着目し,経済的に豊かな国ほど農 業労働者の比率が製造業や商業よりも低いことを指摘した(クラーク, 1953, p. 374)。そ の後,1951 年にコーリン・クラーク(Colin Clark)が多数の国・地域の産業別就業者比率 のデータをつかってペティの仮説を分析し,その結果,経済が発展するにつれて産業構造 が第 1 次産業中心から,第 2,第 3 次産業中心へと移っていくことを明らかにした。1) これ が有名なペティ=クラークの法則である。クラークの研究以後,Kuznets (1979),Syrquin (1984),Chenery, et al. (1986),Timmer and Szirmai (2000) などが産業構造変化と経済成 長の関係を分析しており,彼らは産業間での生産要素の再配置が経済成長の重要な要因で 1) ペティの仮説とクラークの実証分析については,クラーク (1953) の第 9 章を参照。 1 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 あることを実証的に明らかにした。 では,産業の構造変化は一体どのようなメカニズムで起きるのか。この点について,ク ラークは 2 つの要因で十分に説明できると主張した(クラーク, 1953, pp. 409–410) 。1 つ は消費者側の需要の相対的な変化,すなわち,一人当たり所得が上昇するにつれて,消費 者の需要が相対的に第 1 次産業から 2 次,3 次産業へと移っていくことである。もう 1 つ は産業間の労働生産性成長率の差である。クラークは農業の労働生産性の成長率が相対的 に高ければ,農業からの労働力の移動が生じると主張している。 産業構造変化の要因については,1990 年代初頭から経済成長論の分野でも理論研究が 進んでおり,たとえば,Matsuyama (1992),Kongsamut, et al. (2001),Ngai and Pissarides (2007),Acemogle and Guerrieri (2008),Alvarez-Cuadrado, et al. (2012) などがある。こ の分野の文脈でいえば,クラークが挙げた 2 つの要因はおそらく消費の所得効果と相対価 格効果に分類できるが,2) 最近の理論研究は数理モデルをつかってより精緻に構造変化の 要因を追究している。一方,この分野の実証研究については,十分な蓄積があるとはいえ ない。産業構造変化を引き起こす要因については,理論研究によって複数の説が示されて いる。現実妥当性の高い説を特定するためにも,計量経済学的な研究のさらなる蓄積が必 要である。 本稿は,産業構造変化の要因に関する最近の理論および実証研究の成果を整理し,この 分野のおおよそのフロンティアを把握することを目的としている。まず次節では,経済成 長と産業構造変化の基本モデルをつかって,産業構造変化を引き起こす要因を説明する。 その後,この分野の計量経済学的な実証研究を紹介し,その成果と問題点を整理する。 2. 理論研究:所得効果と相対価格効果 本節では,経済成長と産業構造変化の基本モデルを示し,それをつかって産業構造変化 の要因と言われている「所得効果」と「相対価格効果」を説明する。3) 2.1 基本モデル 財・サービスの消費を通じて効用を得る家計と,労働と資本をつかって財・サービスを 供給する企業を考える。家計の効用関数は U= ∞ ∑ βt log Ct (1) t=0 とする。βt は t 期の割引率,Ct は t 期の消費をあらわす。家計は 1 単位の労働時間と初期 資本 K0 を持ち,それらを供給することによって収入を得るとする。Ct は農業 a,製造業 2) 3) 消費の所得効果と相対価格効果については 2 節で説明する。 本節の内容は Herrendorf, et al. (2013a) によるところが多い。 2 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 m,サービス業 s の 3 産業の消費から構成されていると考え,それらはつぎの CES 関数 で集計されているとする:4) [ 1 ] ε 1 1 ε−1 ε−1 ε−1 ε−1 Ct = ωaε (cat − c̄a ) ε + ωmε (cmt ) ε + ω sε (c st + c̄ s ) ε (2) cit , i ∈ {a, m, s} は各産業の消費をあらわし,ε > 0,ωi ≥ 0,c̄a ≥ 0,c̄ s ≥ 0 はパラメータ である。ε は財間の代替弾力性に影響を与えるパラメータであるが,上式には c̄a と c̄ s が 存在するため,代替弾力性と等しくはならない。ωi は各財のウェイトパラメータである。 c̄a と c̄ s の意味については後述する。 企業は労働 n と資本 K を使って,3 産業の財・サービスと投資財 Xt を生産していると 考える。生産関数はコブ・ダグラス型 cit = kitθ (Ait nit )1−θ , i ∈ {a, m, s} Xt = kθxt (A xt n xt )1−θ (3) とする。Ait , i ∈ {a, m, s, x} は産業 i の労働拡大型生産技術,θ は分配パラメータであり, ここでは θ はすべての i ∈ {a, m, s, x} で等しいと仮定する。 t 期の総資本と総労働力は Kt = kat + kmt + k st + k xt 1 = nat + nmt + n st + n xt (4) (5) であり,労働と資本は産業間を自由に移動できると仮定する。資本の蓄積方程式は Kt+1 = (1 − δ)Kt + Xt (6) とする。消費財の価格は投資財の価格を 1 としたときの相対価格 pit , i ∈ {a, m, s} として表 現する。労働の賃金率と資本のレンタル価格はそれぞれ Wt ,Rt と表記し,産業間の労働・ 資本移動が自由であるため,これら要素価格は産業間で均等化する。 t 期の各部門の利潤を πit = pit kitθ (Ait nit )1−θ − Wt nit − Rt kit , π xt = 4) kθxt (A xt n xt )1−θ − Wt n xt − Rt k xt i ∈ {a, m, s} (7) 本稿は Herrendorf, et al. (2013a) と同様に,産業を農業,製造業,サービス業と表記して分類したが,こ れはいわゆる第 1,第 2,第 3 次産業と読み替えても実質的な問題はない。 3 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 とすると,利潤最大化の1階条件より,次式が得られる: ( )θ kit Wt = pit (1 − θ) A1−θ i ∈ {a, m, s} it , nit ( )θ k xt = (1 − θ) A1−θ xt n xt ( )θ−1 kit Rt = pit θ A1−θ i ∈ {a, m, s} it , nit ( )θ k xt =θ A1−θ xt n xt (8) この 2 つの式より kit θ Wt = , nit 1 − θ Rt i ∈ {a, m, s, x} (9) が得られ,(4),(5),(9) 式をつかうと,総資本 Kt は θ Wt (nat + nmt + n st + n xt ) 1 − θ Rt kit = , i ∈ {a, m, s, x} nit Kt = (10) と表現することができる。すなわち,利潤を最大にする資本-労働比率はすべての i ∈ {a, m, s, x} で総資本 Kt と等しくなる。消費財の相対価格は (8) と (10) 式より ( )1−θ A xt pit = , i ∈ {a, m, s} Ait (11) となる。ここでは分配パラメータ θ を産業間で等しいと仮定しているため,産業間の相対 価格の差は生産技術の差に依存する。 (10) 式を生産関数 (3) 式に代入し,(11) 式を使うことにより,企業の総供給額 Yt は Yt = pat cat + pmt cmt + p st c st + Xt = Ktθ A1−θ xt (nat + nmt + n st + n xt ) = Ktθ A1−θ xt ( )θ θ Wt = A1−θ xt 1 − θ Rt (12) となる。 家計の効用最大化問題は次のような動学的最適化問題: max {cat ,cmt ,c st ,Kt+1 }∞ t=0 s.t. ∞ ∑ ] ε [ 1 1 1 ε−1 ε−1 ε−1 ε−1 ε ε ε ε ε ε β log ωa (cat − c̄a ) + ωm (cmt ) + ω s (c st + c̄ s ) t t=0 pat cat + pmt cmt + p st c st + Kt+1 = (1 − δ + Rt )Kt + Wt 4 (13) 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 として書くことができるが,この問題は 2 段階に分けることができる。すなわち,家計は 所与の価格のもとで,まず総所得の消費と貯蓄への支出額を決定し,つぎに前者の消費支 出額を 3 つの消費財(cat , cmt , cmt )へ配分すると考える。その場合,第 1 段階の問題は max ∞ {Ct , Kt+1 }t=0 s.t. ∞ ∑ βt log Ct t=0 (14) Pt Ct + Kt+1 = (1 − δ + Rt )Kt + Wt − pat c̄a + p st c̄ s となる。Pt は消費財の価格指数である。1 階条件より消費に関するオイラー方程式を 得る: −1 Ct−1 Ct−1 = (1 − δ + Rt ) β Pt−1 Pt (15) 第 2 段階は静学的な最適化問題 [ 1 ] ε 1 1 ε−1 ε−1 ε−1 ε−1 max Ct = ωaε (cat − c̄a ) ε + ωmε (cmt ) ε + ω sε (c st + c̄ s ) ε cat , cmt , c st s.t. (16) pat cat + pmt cmt + p st c st = Pt Ct − pat c̄a + p st c̄ s となり,t 期の総消費支出の cat ,cmt ,cmt への配分を決める。1 階条件より 1 1 1 1 1 1 Ctε ωaε (cat − c̄a )− ε = λt pat 1 Ctε ωmε (cmt )− ε = λt pmt 1 (17) Ctε ω sε (c st + c̄ s )− ε = λt p st 1 を得る。λt は t 期のラグランジュ乗数である。上の 3 つの式を足し合わせ,価格指数 Pt を ( )1 1−ε 1−ε 1−ε Pt = ωa p1−ε + ω p + ω p a mt a mt at (18) とすると,λt = P−1 t を得る。これを (17) 式に代入すると,各財の最適需要量を表す式が 得られる: ( )−ε pat cat = c̄a + ωa Ct Pt ( )−ε pmt cmt = ωm Ct Pt ( )−ε p st c st = −c̄ s + ω s Ct Pt (19) ここでパラメータ c̄a と c̄ s の意味を考える。c̄a は消費にまわす所得の大きさに関係なく消 費する量をあらわし,これが正であるということは農業財が必需品的な特性をもつことを 5 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 意味している。一方,c̄ s が正(すなわち,−c̄ s が負)であるということは,わざわざサー ビス業への消費支出をしなくても,それを代替するサービス供給(たとえば,家事・育児 など家庭内での自給的サービスなど)が利用できることをあらわす。これはサービス業へ の支出が奢侈品的な特性をもっていることを意味している。このように本稿の効用関数 (2) 式は農業財を必需品,サービスを奢侈品と想定した関数形となっている。 2.2 所得効果と相対価格効果 消費の所得効果は,相対価格が一定のもとで,消費にまわす所得(総消費)の変化が消 費にもたらす効果であり,一方,相対価格効果は,総消費が一定のもとで,相対価格の変 化が消費にもたらす効果のことを指す。この節では前節の基本モデルをつかって,この 2 つの効果と産業構造変化の関係について説明する。 2.2.1 所得効果と産業構造変化 相対価格が一定のもとで,総消費が変化したときに,各財の需要量の比(cit /c jt , i, j ∈ {a, m, s}, i , j)が変化しない効用関数は相似拡大的(homothetic)な関数と呼ばれ,その ときの所得-消費曲線は原点からの直線となる。基本モデルで採用した効用関数は,じつ は非相似拡大的(Non-homothetic)であり,所得-消費曲線は直線にならない。そのこと が原因で,所得効果が産業構造変化を引き起こす要因となる。以下,基本モデルをつかっ て,効用関数の非相似性と産業構造変化の関係について説明する。 各財の需要量の比は (17) と (19) 式より ( )ε ( )−ε cat c̄a pmt ωa pat −1 = Ct + cmt ωm Pt ωm pmt (20) ( )ε ( )−ε c st c̄ s pmt ω s p st −1 =− Ct + cmt ωm Pt ωm pmt ( ) ( ) となる。相対価格が一定の場合,d ccmtat /dCt < 0,d ccmtst /dCt > 0 となるため,総消費 Ct の増加は農業の消費シェアの低下とサービス業の消費シェアの上昇をもたらす。したがっ て,所得-消費曲線は直線ではなく,cat − cmt 平面では cmt 軸の方へ,c st − cmt 平面では c st 軸の方へ向かって曲がることになる。c̄a = c̄ s = 0 のとき,需要量の比は相対価格のみ で決まるため,所得-消費曲線は直線になる。したがって,効用関数 (2) 式の非相似性は c̄a と c̄ s の大きさに依存している。 cit , i ∈ {a, m, s} の供給量は (3) と (10) 式より cit = Ktθ A1−θ it nit , 6 i ∈ {a, m, s} (21) 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 であり,その比は ( )1−θ cat Aat = cmt Amt ( )1−θ A st c st = cmt Amt nat nmt (22) n st nmt (23) となる。(11) 式より生産技術の比は相対価格の関数であるため,需給が一致していれば, 相対価格が一定のもとで,総消費 Ct の増加は農業部門の労働シェアの低下とサービス業 の労働シェアの上昇をもたらすといえる。このことは労働だけでなく,財の供給シェア pit cit /Yt についてもいえる。したがって,(2) 式の効用関数のもとでは,所得効果は産業の 構造変化をもたらすといえる。 2.2.2 相対価格効果と産業構造変化 次に相対価格の変化と産業構造変化の関係について説明する。相対価格の動きに焦点を あてるために,ここでは c̄a = c̄ s = 0 として議論を進める。その場合,(20) 式は ( )−ε cat ωa pat = cmt ωm pmt ( )−ε c st ω s p st = cmt ωm pmt (24) となる。(11) 式をつかえば,相対価格は ( )1−θ Amt pat = pmt Aat ( )1−θ p st Amt = pmt A st (25) となるため,相対的に技術進歩率が高い産業ほど相対価格が低下する。この式を (24) 式 に代入し,名目の消費シェアで表現すると ( )(ε−1)(1−θ) pat cat ωa Aat = pmt cmt ωm Amt ( )(ε−1)(1−θ) p st c st ω s A st = pmt cmt ωm Amt (26) となる。さらにこの式に財の生産関数 (21) 式を代入し,労働比率で表現すると ( )(ε−1)(1−θ) nat ωa Aat = nmt ωm Amt ( )(ε−1)(1−θ) n st ω s A st = nmt ωm Amt 7 (27) 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 となる。技術進歩率を Ait+1 /Ait = 1 + γi , i ∈ {a, m, s} とすると,0 < γ s < γm < γa かつ ε < 1 の場合,nat /nmt と pat cat /pmt cmt は減少し,一方で n st /nmt と p st cat /pmt cmt は上昇す る。すなわち,農業の技術進歩率が相対的に高い場合,農業の労働シェアと名目消費シェ 5) アは相対的に低下する。 このように,産業間における技術進歩率の差は相対価格の差を意 味し,それが産業の構造変化を引き起こす要因となる。 この相対価格効果について,Acemogle and Guerrieri (2008) はたとえ技術進歩率が産業 間で同じであっても,生産関数の分配パラメータ θ が産業間で異なれば,それによって, 産業の構造変化が起きることを示した。彼らの説は本稿の基本モデルの生産関数を i cit = At kitθi n1−θ it , Xt = i ∈ {a, m, s} x At kθxtx n1−θ xt (28) と変更することで示すことができる。この生産関数をつかうと,利潤最大化の 1 階条件は ( )θ ( )θ x kit i k xt Wt = pit (1 − θi )At = (1 − θ x )At nit n xt ( )θx −1 ( )θi −1 k xt kit = θ x At Rt = pit θi At nit n xt (29) (30) となり,さらにこれを書き換えると Wt 1 − θi kit = , Rt θi nit 1 − θ j k jt 1 − θi kit = , ∴ θi nit θ j n jt i ∈ {a, m, s, x} (31) i, j ∈ {a, m, s, x}, i , j (32) を得る。産業間で θi が異なるため,資本-労働比率は産業間で等しくならないが,その 成長率は等しくなる。(32) 式を kit /nit で解いて (29) 式に代入し,相対価格 pit /p jt , i, j ∈ {a, m, s}, i , j で表現すると ( ) ( ) 1 − θj θ j 1 − θi θ j kit θ j −θi pit = p jt 1 − θi 1 − θ j θi nit (33) となる。資本-労働比率の成長率は産業間で等しいため,相対価格の成長率は分配パラメー タ θi と θ j の差に依存する。すなわち,θi < θ j の場合,相対価格の成長率は正,θi > θ j の 場合,相対価格の成長率は負となる。仮に θa > θm > θ s とすれば,農業の相対価格 pat /pmt は減少し,サービス業と製造業のそれぞれの相対価格 p st /pmt , pmt /pat は上昇する。この ように,技術進歩率が等しくても,分配パラメータに差がある場合は相対価格のふるまい に差がうまれ,その結果,産業の構造変化をもたらすことになる。 5) この場合,実質の消費シェアは逆の動きすることに注意が必要である。 8 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 Alvarez-Cuadrado, et al. (2012) は,技術進歩率や分配パラメータだけでなく,労働と資 本の代替弾力性も相対価格に影響を及ぼすことを示した。本稿では詳細に取り上げない が,彼らの説によれば,Acemogle and Guerrieri (2008) が示した相対価格効果は,資本と 労働の代替弾力性が小さいときほど,より重要になる(逆もまたしかり)。 3. 実証研究 前節の理論分析は以下のように整理することができる: A. 消費の所得効果: a. 家計の効用関数が非相似性をもち; b. 生産技術が産業間で一様に成長する場合; ⇒ 経済成長は消費の所得効果を通じて,産業間の経済活動を再配分する。 B. 消費の相対価格効果(1): a. 家計の効用関数が相似拡大的で; b. 生産技術が産業間で不均一に成長する場合; ⇒ 経済成長は消費の相対価格効果を通じて,産業間の経済活動を再配分する。 C. 消費の相対価格効果(2): a. 家計の効用関数が相似拡大的で; b. 生産技術は産業間で等しくかつ一様に成長するが; c. 生産関数の分配パラメータと生産要素の代替弾力性が産業間で異なる場合; ⇒ 経済成長は消費の相対価格効果を通じて,産業間の経済活動を再配分する。 ⇒ 生産要素の代替弾力性が小さいときほど,この効果は大きくなる(逆もまたし かり)。 A は家計の効用関数の形状,B と C は企業の生産関数の形状が産業の構造変化を引き起 こす主たる要因となっているため,所得効果は需要サイド,相対価格効果は供給サイドの 要因と考えることができる。既存研究の多くは,所得効果あるいは相対価格効果のどちら かに着目して理論モデルを構築している。たとえば,Kongsamut, et al. (2001) は非相似 的な効用関数をつかって所得効果の重要性を強調している。一方で,Ngai and Pissarides (2007) は相似的な効用関数をつかって,相対価格の変化が構造変化に及ぼす影響を分析し ている。 このように,産業構造変化の背後にあるメカニズムについては複数の説が存在している が,現実の経済現象を説明する上で,一体どのメカニズムが相対的に重要なのだろうか。 9 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 3.1 Herrendorf, et al. (2013b) の研究 この問いに答えるために,Herrendorf, et al. (2013b) は米国の 1947∼2010 年のマク ロデータをつかって,本稿の基本モデルにある CES 型効用関数 (2) 式を非線形 SUR (Seemingly Unrelated Regression)推定し,所得効果と相対価格効果の比較をおこなった。 以下,彼らの分析手法を説明する。 モデル: 彼らのモデルは本稿の基本モデルとほぼ同じであるが,効用関数の推定を目的としている ため,家計行動のみを定式化している。家計の効用関数は ∞ ∑ 1−ρ t u(cat , cmt , c st ) β −1 (34) 1−ρ t=0 であり,ρ は異時点間の消費の代替弾力性をあらわす。各期の効用関数 u(cat , cmt , c st ) は本 稿の基本モデルと同様に非相似性をもつ CES 型: ε ε−1 ∑ 1 ε−1 u(cat , cmt , c st ) = ωiε (cit + c̄i ) ε (35) i=a,m,s とする。ここで,c̄m = 0 とするが,c̄a と c̄ s はとくに制約を与えずにデータから推定する。 基本モデルでも示したように,家計の最適化問題は 2 段階に分けられるが,効用関数の 推定式は 2 段階目の静学的な最適化問題: ε ε−1 ∑ 1 ε−1 ωiε (cit + c̄i ) ε max Ct = cat ,cmt ,c st (36) i=a,m,s pat cat + pmt cmt + p st c st = T Et ∑ から得られる。T Et は総消費支出であり,T Et = Pt Ct − j=a,m,s pit c̄i である。一階条件よ s.t. り,消費シェアの式が得られる: ∑ ( ) ωi p1−ε pit cit pit c̄i j=a,m,s p jt c̄ j it 1+ =∑ − , 1−ε T Et T Et T Et j=a,m,s ω j p jt i ∈ {a, m, s} (37) Herrendorf らはこの需要体系(Demand system)を非線形 SUR の方法をつかって推定し ている。 産業構造変化に対する所得効果と相対価格効果の比較方法は次の 2 つが採用されて いる: (1) パラメータの有意性と情報量基準 非相似性を表すパラメータ c̄i , i ∈ {a, m, s} の統計的有意性と,c̄i = 0, i ∈ {a, m, s} としたときの情報量基準(AIC)の数値や理論値(fitted value)から所得効果の重 要性を判断する。 10 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 (2) 変数の固定 (i) 相対価格を 1947 年時点で固定して理論値を計算し,実際のデータとの乖離を計 算する;(ii) 総消費支出を 1947 年時点で固定して理論値を計算し,実際のデータと の乖離を計算する。乖離の大きさは平均二乗誤差を使って計算する。乖離が大きい ほど,固定した変数の重要性が高いと解釈する。 データとモデル解釈の問題: (37) 式を推定するとき,1つの重要な問題が生じると Herrendorf, et al. (2013b) は指摘し ている。それは,効用関数 u(cat , cmt , c st ) に現れる独立変数(cat ,cmt ,c st )の定義が2通 りあり,それに応じて使用するデータも変わることである。もし,本稿の基本モデルの ように,付加価値ベースの生産関数 cit = fit (kit , nit ) との整合性を考えるならば,効用関 数の独立変数は付加価値ベースの消費(cVatA ,cVmtA ,cVstA )となる。一方で,消費者行動の 分析でよく使用されるのは最終消費支出であり,この場合,効用関数の独立変数は最終 FE FE ,cFE 支出ベースの消費(cat ,cmt st )となるが,これは基本モデルの生産関数と整合的で はない。産業 i の最終消費財の生産は自産業だけでなく,他の産業の付加価値も中間投 入の段階で貢献していると考えられるため,それを考慮した生産関数を用いる必要があ る。Herrendorf らは前者を consumption value-added approach,後者を final consumption expenditure approach と呼んでいるが,本稿はそれぞれ VA アプローチ,FE アプローチと 呼ぶことにする。 両アプローチの違いについて,Herrendorf らは綿シャツの消費を例に挙げて説明してい る(Herrendorf, et al., 2013b, p. 2754)。FE アプローチの場合,綿シャツの消費は製造業 FE の最終消費 cmt にカウントされる。一方,VA アプローチの場合,綿シャツの消費は 3 産 業すべての消費 cVatA ,cVmtA ,cVstA にカウントされる。なぜなら,綿シャツという最終消費財 は農業,製造業,サービス業からの付加価値(例えば,農業から raw cotton の供給,製造 業での加工・製品化,サービス業での小売りなど)で構成されているため,それを消費を することは 3 産業のすべての付加価値を(綿シャツの中間投入構造に応じて)消費してい ることを意味しているからである。 両アプローチの違いは,端的に言えば,財・サービスへの消費支出をどのような形で cat ,cmt ,c st の 3 つに集計するかという点にある。効用関数と生産関数が整合的であれば, どちらのアプローチ(集計方法)も理論的に正しく,また,どちらが良い悪いという判断 もできない。Herrendorf らは,それぞれのアプローチから所得効果と相対価格効果の重要 性について計量分析をおこない,結果を比較している。 11 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 推定結果: Herrendorf らは,アメリカの最終消費支出データや産業連関表などをつかって citFE と cVit A の両方のデータを作成し,それらをつかって (37) 式を推定している。FE と VA アプロー チの推定結果はともに良好で,どちらもデータの動きを十分に説明していたが,パラメー タ推定値や所得効果・相対価格効果の相対的重要度については,両アプローチで結果が大 きく異なっていた。彼らの推定結果は以下のとおり: • FE アプローチの推定結果: – 代替弾力性 σ の推定値は 0.85 で統計的有意。 – c̄a は負,c̄ s は正でどちらも統計的に有意であり,c̄a = c̄ s = 0 の制約下で推定 した場合,情報量基準(AIC)が大幅に悪化した。したがって,所得効果は統 計的有意に存在しているといえる。 – 相対価格と総消費支出の変数を 1947 年に固定してそれぞれの理論値を計算 し,実際のデータと比較した;その結果,総消費支出を固定したときの方が理 論値とデータの乖離が著しく大きかった。このことから Herrendorf らは所得 効果の相対的な重要性を主張している。 • VA アプローチの推定結果: – 代替弾力性 σ の推定値は 0.002 で非有意。σ = 0 の制約下で推定したとき, AIC の数値は改善した。 – c̄a は負,c̄ s は正でどちらも統計的に有意であり,c̄a = c̄ s = 0 の制約下で推定 した場合,情報量基準(AIC)はやや悪化した。したがって,所得効果は統計 的有意に存在しているといえる。 – FE アプローチと同じ方法で理論値とデータを比較したとき,相対価格の変数 を固定したときの方が理論値とデータの乖離がやや大きかった。このことから Herrendorf らは,VA アプローチの場合,相対価格効果がより重要であると主 張している。 FE FE ,cFE このように,FE アプローチでは cat ,cmt st 間の代替性が強く,所得効果が相対価格 効果よりも比較的重要であったのに対し,VA アプローチではまったく逆の結果となって いる。この違いについて,Herrendorf らは直感的な説明と数式を用いたフォーマルな説明 の両方をしているが,ここでは後者は割愛し,前者の説明を簡単に紹介する。 説明のために,2 つの消費行動: (A)スーパーで食料を購入する, (B)レストランで食 FE 事をする,を考える。FE アプローチの場合,(A)は農業の消費 cat ,(B)はサービス業 の消費 cFE st にそれぞれカウントされ,両者は代替的と考えられる。一方,VA アプローチ の場合, (A)と(B)の消費行動は cVatA ,cVmtA ,cVstA の 3 つすべてにカウントされ,その 3 つの内訳は(A)と(B)の財・サービスを生産するときの中間投入構造に依存する。この 12 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 例では, 「food」という点で(A)と(B)の中間投入は共通しているため, (A)と(B)の 違いが cVatA ,cVmtA ,cVstA に現れにくい。すなわち,FE アプローチでは(A)と(B)の消費 VA FE 行動は cat と cFE st の代替関係として捉えられたが,VA アプローチではその代替性が cat , cVmtA ,cVstA に反映されにくいといえる。このような両アプローチの違い(すなわち,消費の 集計方法の違い)が代替弾力性の差をもたらしたと考えられる。 所得効果の相対的重要度の違いについても,この例から考えることができる。FE アプ ローチの場合,(A)は必需品,(B)は奢侈品への支出と考えるのが自然であり,その結 果,非相似性のパラメータ c̄a は負,c̄ s は正となると考えられる。一方,VA アプローチの 場合,必需品(A) と奢侈品(B) の両方に農業財のインプットが使用されるため, (A)と (B)のどちらを選択しても農業消費 cVatA の増加に反映される。すなわち,所得が拡大し, (B)の奢侈品のシェアが上昇しても, (A)の必需品との中間投入構造が類似していれば, cVatA ,cVmtA ,cVstA のシェアはさほど変化しない。したがって,VA アプローチで集計された 消費は財・サービスの非相似性をとらえにくいといえる。 Herrendorf らの研究の貢献は, (i)複数産業モデルをベースにした実証分析をするとき, 効用関数の独立変数(消費)の定義は FE アプローチと VA アプローチの 2 つがあること を示したこと, (ii)産業構造変化に対する所得効果と相対価格効果の相対的重要性は,ア プローチ(消費の集計方法)によって変わることを示したこと,そして(iii)その原因を 数式等を用いて明らかにしたことである。彼らの発見は,複数産業の一般均衡モデルを ベースに計量分析するとき,生産関数のアウトプットおよび効用関数のインプットの定義 とそれぞれに使用するデータとの間に,一貫性をもたせることの重要性を示唆している。 3.2 その他の実証研究 Herrendorf, et al. (2013b) は効用関数の構造パラメータを推定することによって,構造 変化に対する所得効果と相対価格効果の相対的な重要性を実証的に分析した。一方で,本 稿の基本モデルは,生産関数の 3 つのパラメータ:技術進歩率 γi ,分配パラメータ θi ,生 産要素の代替弾力性 σi が産業間で異なることによって財の相対価格に変化が生じ,そ れが産業の構造変化をもたらすことを示唆している。それでは生産関数のどのパラメー タがどの程度,産業の構造変化に寄与しているのか。この問題を実証的に分析したのが Herrendorf, Herrington, Valentinyi (2013) の研究である。 彼らは米国のマクロデータをつかって,産業別(農業,製造業,サービス業)に CES 型 およびコブ・ダグラス型の付加価値生産関数を推定し,産業間での生産関数パラメータの 違いを比較している。推定の結果, (i)労働拡大型技術進歩率の大きさは,農業 > 製造業 > サービス業; (ii)資本の分配パラメータ(θ)の大きさは,農業 > サービス > 製造業 13 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 (iii)労働と資本の代替弾力性の大きさは,農業 > 製造業 > サービス業; となった。(i)は生産技術の進歩が農業の相対価格を低下させること,(ii)は技術進歩率 が産業間で等しくても,資本-労働比率が上昇したときに農業の相対価格が低下すること を示している。どちらも農業の相対価格の低下,さらには農業から製造業・サービス業へ 経済活動がシフトすることを示唆している。一方, (iii)の結果は,農業の代替弾力性が比 較的大きいため,それにより(ii)の相対価格効果は弱まることを示している。Herrendorf, Herrington, Valentinyi は,生産関数の推定結果を比較分析した結果,米国の産業構造変化 をもたらした(供給サイドの)主要因は,(i)の技術進歩率の産業間格差にあることを明 らかにした。 4. おわりに 以上,本稿は,産業構造変化の要因に関する基本的な理論モデルと最新の実証研究の成 果を紹介した。この種の理論モデルの研究はまだいくつか発展の余地(たとえば,貿易を 考慮したモデルへの拡張など)はあるものの,基本的には,家計の効用関数と企業の生産 関数の特性が経済活動の産業間シフトをもたらす重要な要因であることは間違いなさそう である。しかし,構造変化の要因については理論的にも複数の説が存在する。現実の産業 構造変化を説明する上で,一体どの説がもっともらしいのか。この問題に答えるにはデー タに基づく実証分析が必要であるが,現時点で十分な研究蓄積はないようである。 本稿は 2 つの実証論文を紹介したが,両方とも 1947 年以降の米国のマクロデータを 使った実証分析であるため,すでに工業化を終えた経済を対象にした実証研究といえる。 工業化を終える前のデータをつかって分析するには,米国以外の国(おそらく発展途上 国)を分析対象にする必要がある。また Herrendorf, et al. (2013b) の推定方法には内生性 を考慮していないなど,いくか改善すべき点が見られた。経済発展と産業構造変化に対す る我々の理解をさらに深めるためにも,今後は,分析手法の改良と途上国を含めたより多 くの国や地域を対象にした実証研究の蓄積が望まれる。 参考文献 Acemoglu, Daron and Veronica Guerrieri. 2008. “Capital Deeping and Non-Balanced Economic Growth.” Journal of Political Economy, 116: 467–498. Alvarez-Cuadrado, Francisco; Ngo Van Long; and Markus Poshke. 2012. “Capital-Labor Substitution, Structural Change, and Growth.” Manuscript. McGill University. Chenery, Hollis; Sherman Robinson; and Moshe Syrquin. 1986. Industrialization and Growth: A Comparative Study. New York: Published for the World Bank by Oxford University Press. 14 樹神・川畑 編 『開発途上国と産業構造変化』 調査研究報告書 アジア経済研究所 2014年 クラーク,コーリン. 1953. 『經濟進歩の諸條件』下巻. 大川一司ほか譯篇. 勁草書房. Herrendorf, Bethold; Christopher Herrington; and Ákos Valentinyi. 2013. “Sectoral Technology and Structural Transformation.” Manuscript. Arizona State University. 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