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エネルギー革命期における産業構造変化の政策的効果について~常磐

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エネルギー革命期における産業構造変化の政策的効果について~常磐
地域活性学会 第 8 回研究大会 発表論文
エネルギー革命期における産業振興政策の効果について~常磐炭鉱と空知炭鉱をモデルケースに~
東 大史(一橋大学イノベーションマネジメント政策プログラム:IMPP)
Keyword: 地方創生、産業構造、イノベーション
【問題・目的・背景】
【研究・調査・分析結果】
近年、
「地方創生」が政策的イシューになる一方で、既存
常磐炭鉱においては、石炭の質が比較的粗悪であり、
の産業振興政策など、地方に対して実行された補助事業の
また首都圏に近いという地域条件から、1950 年代の早期
効果が不十分なままに議論されているように感じる。新た
より労使協調による非採算炭鉱の閉山や炭鉱労働者の職
なばら撒きと揶揄され、数値目標の達成が覚束ない現状に
業紹介、首都圏への転出といった産業構造の変化が進め
おいては目先の交付金事業を消化することに終始して、本
られた。とくに産炭地域振興臨時措置法により、1966 年
質的な「おまかせ民主主義からの脱却」という、中央政府
に 14 自治体が合併して現在のいわき市が誕生、それに伴
主導のやり方を転換するまでに至っていない。
って全国総合開発計画における新産業都市の指定を受け、
とくに産業構造の変化を伴うような、イノベーションを
志向する地域振興が政策目標としては掲げられているもの
の、実態は見えてきていない。
工業化が進められた。
空知炭鉱においては、質の良い石炭が産出された地域
条件から、現在でも露天掘りでの採掘が続けられている。
今回、1950-70 年代の国家的なエネルギー政策の転換に
しかし坑道堀りについては労働条件悪化や相次ぐ事故に
伴って、産業構造や労働環境、地域振興といった急激な変
よって廃れ、1980 年代には相次いで閉山となった。しか
化が起こった産炭地域を対象にして、政策効果と地域条件
し炭鉱労働者の高齢化とバブル経済崩壊と重なったため
のそれぞれの要因分析を行なう。とくに常磐地域と空知地
に、労働者の転出は思うように進まず、地域内には老朽
域という、同じ産炭地域にあってその後の産業構造変化に
化した炭鉱住宅と年金暮らしの高齢者が残された。現在
差異が発生した結果について、ケーススタディを通じて比
は道営住宅への住み替えなどによるコンパクトシティ化
較する。
が進められ、行政サービスの合理化が行なわれている。
【研究方法・研究内容】
【考察・今後の展開】
常磐地域と空知地域を対象に、まずは時系列における
常磐炭鉱において労使協調による産業構造転換が進め
産業振興政策の導入とそれに伴う効果を分析する。この
られたのは、炭鉱を経営する地元資本と労働者の心理的
2つの地域を選定した理由としては、常磐地域において
距離感の近さ、労働組合出身の政治家による政策導入と
は労働者数や地域経済規模といった各要素が、炭鉱が中
いった、地域密着型のアプローチが挙げられる。
心であった頃よりも産業構造転換が起こった後の方が増
一方で空知炭鉱においては、旧財閥系資本と労働者の
大しており、効果があったと考えられる。一方で空知地
確執が表面化し、待遇改善を求めるストライキやまだ石
域においては、労働者の減少とそれに伴った過疎高齢化
炭が産出できるという残余価値に対する保守的な考えに
が顕著となっており、地域経済規模も急激な縮小がみら
よって産業構造転換が遅れた。
れた。その差異について、政策的要因と地域条件的要因
を切り分けて分析することを試みる。
実際のケーススタディをもとに、政策実施に向けた合
意形成プロセスや労使交渉のあり方、炭鉱労働者の職業
地方創生政策においても、中央集権的なアプローチは
あまり奏功しておらず、また比較的資源に恵まれた地域
においては構造転換が起こりづらいといった状況がみら
れる。
斡旋と転出先の状況、工場や発電所といった第二次産業
誘致の進め方といった定性的な分析を行なう。それとと
【引用・参考文献】
もに投下された資本に対する経済効果や雇用創出といっ
岩本直(2010)
「特定地域振興政策の政策効果に関する研究」
た各種定量データの可視化を行なうことで、地方創生分
早稲田大学文学部社会学研究室(1958~ )
野における政策目的の策定と数値目標の整合、あるいは
「炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再形成」
与件としての地域条件に対する知見を見出したい。
嶋崎尚子(2011)
「石炭産業の終焉過程における常磐炭砿」
一橋大学イノベーションマネジメント政策プログラム(IMPP) 東 大史([email protected])
地域活性学会 第 8 回研究大会 発表論文
常磐炭鉱と北炭夕張炭鉱の比較
国の石炭産業スクラップ&ビルド政策によって、空知地域にある北海道炭礦汽船の北炭夕張炭鉱はビルド鉱として大規模
開発が進められ、常磐地域にある常磐炭鉱はスクラップ鉱として閉山と撤退が進められた。夕張炭鉱においては国の積極
的な関与の下、鉱脈探査や新技術導入など生産性を高めるための集中的な取組が行われた。常磐炭鉱においては民間企業
主体の産業再構築が進められ、国の新産業都市などの政策を導入するための市町村広域合併や、制度融資を利用した金融
機関借入れといった手法が採られた。
常磐炭礦は首都圏に近接し、また鉱山採掘技術から発展した日立製作所などの工業に対する労働需要が増していたことも
あり、早期の産業構造転換に積極的であった。また炭鉱においては悩みの種であった温泉も観光資源として活用し、常磐
ハワイアンセンターを開業するといった異業種参入を進め、常磐興産へと改組して現在に至っている。その後はゴルフ場
開発や首都圏での不動産賃貸業、あるいは海外からの輸入炭の卸売りといった多角経営化を進めており、バブル期には一
時経営状態が悪化したものの企業業績は堅調に推移している。
北海道炭礦汽船は国の関与の下、主に夕張や深川といった空知地方において大規模炭田の開発を進めるも、深度への探索
や岩盤・地下水脈といった技術的課題に直面しなかなか計画が進展しなかった。グローバル環境においては、為替相場の
影響や石油をはじめとしたエネルギー転換の推進を受けて競争力が低下し、また炭鉱労働者や周辺住民への鉱公害補償と
いったリスク要因も増大していった。国が定めた生産合理化計画を全うするために、無謀な生産目標と鉱山開発を進めた
結果、大規模な爆発事故が相次いで閉山を余儀なくされ、1982 年に負債総額約 1200 億円で経営破たんした。
地域資源としての石炭の質においては、空知地域が常磐地域に比べて高品位な瀝青炭を生産し、実際の石炭生産額も北海
道炭礦汽船は常磐炭礦の 2 倍の規模であった。その後、石炭産業という斜陽産業に対する国家的な政策支援が行われ、大
規模生産合理化を目指した空知地域においては急激な石炭産業の終焉とその影響による産業空洞化、そして夕張市の財政
破たんと現在においてもその影響が続いている。常磐地域においてはインフラ整備や低金利融資といった面においては国
の財政支援を受けるも、基本的には民間主導による産業振興が図られ、結果的には石炭産業期よりも大きな経済規模と多
くの労働者を抱える構造転換へと成功したと言える。
一橋大学イノベーションマネジメント政策プログラム(IMPP) 東 大史([email protected])
地域活性学会 第 8 回研究大会 発表論文
常磐炭礦(常磐興産)と北海道炭礦汽船の経営状況の推移
常磐炭礦は国のスクラップ鉱の指定を受けていち早く産業構造転換を図り経営多角化、結果として石炭産業の頃よりも事
業規模が大きく発展した。北海道炭礦汽船はビルド鉱の指定を受け、国の支援の下大規模化・生産性向上を目指したが、
劣悪な労働条件での人災事故が相次ぎ、閉山を余儀なくされた。
一橋大学イノベーションマネジメント政策プログラム(IMPP) 東 大史([email protected])
地域活性学会 第 8 回研究大会 発表論文
Research Question:
政策は地域振興にどのような効果をもたらしたのか?
■傾斜生産方式
①石炭産業構造転換の必然性の指摘
太平洋戦争後の経済復興を目指すため、鉄鋼生産とそれ
石炭鉱業調査団による石炭の競争力低下に関する答申か
に必要な石炭の重点的な生産力増強が図られた。1947 年
ら、1960 年代の段階で石炭の石油に対する価格競争力が
に日銀引受による復興債を原資とした復興金融公庫から
失われることは、経済学者を中心とした分析から明らか
の融資を受け、炭鉱は戦後復員の労働者を集めて活況を
になっていた。1962 年にはブレトン・ウッズ体制が崩壊
呈するも、1950 年代にはすでに構造不況に陥った。
し、輸入炭への価格競争力が著しく低下する。その後「石
■石炭対策大綱
炭対策大綱」が閣議決定され、石炭鉱業合理化臨時措置
1964 年に閣議決定され、石炭火力発電所の増新設や原料
法を含む石炭関係 11 法案の改正・制定が進められた。
炭の確保、それに伴う供給価格安定と雇用促進が図られ
②スクラップ&ビルド政策による選択と集中
た。また石炭生産の近代合理化が進められ、地域別炭田
国策によるエネルギー革命推進と為替・自由化といった
毎の生産計画および開発目標の策定が実施された。炭鉱
マクロ経済環境の変化が地域におけるミクロ経済に大き
離職者に対する職業紹介や離職金の設置、産炭地域振興
な影響を及ぼし、中小・非効率炭鉱の閉鎖と大規模炭鉱
計画の策定による地域振興策の推進が取り決められた。
への集中が図られた。常磐炭鉱はスクラップ鉱に、空知
■産炭地域振興計画
炭鉱はビルド鉱に指定された。それぞれ石炭鉱業合理化
産炭地域の産業基盤整備のため、道路の建設、工業用地
臨措法に伴った再編が進められる。
の造成、工業用水等の合理的開発について対策を進める。
③「黒い羽根運動」による労働者・鉱害/公害への補償
工場や企業誘致に対して助成するため、政府系金融機関
⇒全国的に炭鉱労働者の劣悪な労働環境が喧伝され、ま
との調整を図りつつ産炭地域振興事業団の融資機能の強
た健康被害が取上げられる。鉱業法改正による鉱害賠償
化、資金枠の拡大を図った。
規定の制定と、公害対策基本法による規制がかかる。た
■石炭鉱業合理化臨時措置法
だでさえ経営状況の悪化していた石炭産業にとっては、
スクラップ&ビルド政策によって石炭鉱業審議会が設置
さらに訴訟や補償のリスクを抱えることになる。
され、大規模合理化を促進するビルド鉱と石炭鉱業整備
④空知炭鉱に石炭鉱業合理化事業団による制度融資
事業団による買上げ整理を進めるスクラップ鉱を峻別す
⇒1200 円/t の炭価を目指した合理化・機械化に向けた国
る。国内石炭鉱業に対して、石油等の輸入エネルギーに
庫負担とエネルギー税制による補償を定めた石炭鉱業構
対抗しうる競争力をつけることを目標にしている。
造調整臨措法が 1955 年に制定され、ビルド鉱である空知
■石炭鉱業構造調整臨時措置法
炭鉱に対する公的資金投入が進められる。北炭夕張炭鉱
国内石炭価格の安定化と構造転換を進めるために、標準
では 5000t/日を目標とした生産計画が策定されるも、労
炭価制度導入による買取価格への補償と、低利融資によ
災事故や労使問題が起こる。
る経営多角化支援が行われた。炭鉱離職者に対しては積
⑤常磐炭鉱は 1980 年代まで生産を継続
極的な職業訓練と就業斡旋が進められ、構造転換の影響
⇒スクラップ鉱に指定された常磐炭鉱だが、常磐火力と
を最小限にするための労働者への配慮が為された。
いう安定消費先を確保して生産を継続。煤塵等の公害に
■公害対策基本法
よって周辺住民との訴訟リスクを抱えるも、石炭鉱業構
炭田周辺の煤塵や重金属による大気・水質汚染が顕在化
造調整臨措法による国庫からの補償を受けて累積赤字を
し、また石炭火力発電所周辺においては光化学スモッグ
解消しながら産業構造を転換することに成功した。
等の公害が広く認知されるようになった。それに伴って
⑥新産業都市を活用したいわき市の都市計画と大合併
公害対策基本法が制定され、地域住民の権利を守るため
⇒1962 年に制定された新産業都市建設促進法に郡山とと
の対策が進められることとなった。
もに手を挙げ、全国に先駆けて 14 市町村の広域合併を実
■鉱業法(鉱害賠償規定)
行した。地方債や公共事業誘致を進め、高速道路や港湾
「黒い羽根運動」を通じて炭鉱労働者の健康被害に対す
整備による都市構造の変化をインフラ整備によって実現。
る補償が定められ、全国で労使対立が激化する。構造転
結果として内郷・湯本地区は観光業、小名浜・平地区は
換を図る経営側と雇用保障を求める労働者側での議論が
製造業が発展した。
行われた。
一橋大学イノベーションマネジメント政策プログラム(IMPP) 東 大史([email protected]
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