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貴方達は主の中で光です
主 題: キリストの光となる人生 日 付: 2010年 1月 17日 本 文: エペソ 5:8-10 礼拝区分: 主日礼拝 (3部) 貴方達は主の中で光です < 御言葉> あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子 どもらしく歩みなさい。──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです── そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 <始まりの挨拶> <始まりの挨拶> 聖歌隊の賛美に感謝します。イエス様を愛しますか?イエス様は、いつも変わりません。愛の 主がこの時間、この場に供にされます。信じますか?隣の方と挨拶しましょう。「イエス様が 我々と共に去れます。」もう一度挨拶します。「イエス様が貴方を愛してます」皆さんの告白 通りになります。二週間の間、「十二個の籠」早天祈祷会を通して一緒に祈り、神様に栄光を 戻した皆さんに感謝します。新年を向かえて胸を張って神様の栄光の為に生きる主の子供とな らなければなりません。私達の信仰の告白で賛美を捧げます。私達が今日も祈るときに国と民 族の為に祈ります。今、韓国の国論が二つに分かれて激しい葛藤と対立の中にあります。 天の父なる神様、お互いの対話の中で一番良い結論が出るように導いてください。一つの心と なって国の発展が成し遂げられるように導いてください。政治が安定し、景気が回復し社会の なかの葛藤がなくなるように導いてください。労使の間で問題が起きなく、地域感情がなくな り、イデオロギーの葛藤が消える様に導いてください。 休戦ラインが崩れ統一させてください。ヨイド純福音教会に恵みを注いでくださり今年も大き なリバイバルを赦してください。独立した弟子教会もリバイバルを施してください。地方の教 会も特に開拓した教会の大きなリバイバルを下さい。 チョ-先生の健康を守ってくださり、「愛と幸せを分かち合う財団」を通して益々、貴重な働 きがありますよう導いてください。教会の各機関毎にリバイバルさせて下さい。礼拝を捧げる 度に大きな恵みを施してください。 今日は、エペソ5章8節から10節までの御言葉で「貴方達は、主の中で光りなさい」と 1 言う題目で御言葉の恵みを分かち合います。 皆さん、我々全てイエス様を信じて身分がハッキリと変わりました。普通の人ではな く神様の祝福を得た子供なのです。私達がイエス様を信じる前は罪の中で産まれて、 罪の中で生きながら、罪の中で死んでいく罪の奴隷でしたが、イエス様を信じた瞬 間、我々の身分は神様の子供と変わったのです。祝福を受けた子供と変わったので す。 コリント第二5:17です。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過 ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 「みよ、全てが新しくなった」 古き物は過ぎ去りました。絶望の中、悲しみの中、苦しみの中、辛さの中で生きて生 きたふるい姿は過ぎ去りました。これで私達全てが新しく生まれ変わった神様の子供 として、祝福を受ける神様の子供として胸を張って神様の栄光の為に献身する人生を 生きなければなりません。新しく創り替えられた神様の子供として日毎に新しい歴史 を築き上げて行く働き人とならなければなりません。ところが私達に語られてます。 新しい存在になれと。 1. 古き物を脱ぎ捨てろ 古き物を脱ぎ捨てなければなりません。 エペソ5:8です。 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子 どもらしく歩みなさい。 “ は やみでした” と言いました。 以前 暗 私達がイエス様を信じる前までは、暗闇のなかにいました。暗闇のなかで罪の奴隷と して産まれ暗闇を好みながら生きてきました。そんな人生には何の喜びも満足もな かったのです。いつも暗闇によって生きながら暗闇のなかで罪を犯し、さ迷いながら 生きてきたのです。世の新聞やニュースを見るといつも事件や事故で覆われていま 2 す。明るいニュースよりも暗いニュースが多いのです。悪霊達の勢力が支配している から、私達は馴れてきてるのです。 肯定的な話、明るい話、美しい話は、一番隅っこに隠れています。新聞記者に向かっ て「もっと明るい話で新聞を飾ってはどうですか?」と言うと「ならば誰も読まない でしょう」それぐらい暗闇にとじ込まれているのです。暗闇の本性は、否定なので す。いつも否定的な事だけをみつめ、否定的な事を話し、感謝せず、ねたみ、いつも 批判と嘆きをするのがふるき人の姿なのです。いつからこうなったのでしょうか?ア ダムとエバが罪を犯し、不義で堕落して以来、暗闇が世を覆ったのです。その罪を犯 した瞬間に暗闇が覆ってしまったのです。神様がアダムを呼ぶときに彼は隠れまし た。愛の神様が、良きなる神様が彼を呼んでるのに恐れに閉じ込められています。彼 の息子であるカインはどうでしたか?憎しみと妬みで満されてました。だから弟のア ベルの生け贄を受けるが自分の生け贄は受けないので、その腹いせに弟を殺害しま す。暗闇に閉じ込められるので殺人を犯すのです。 ノアの時代に見ると人々は淫乱と放蕩に閉じ込められていました。ノアだけが神様の 御前で義人と呼ばれたのです。だから洪水で裁かれてしまったけれどノアの家族だけ は、救われた事をよく覚えております。私達が、その様な暗闇にとじ込まれた人だっ たのです。これで暗闇の姿を脱ぎ捨てなければなりません。罪の衣を脱がなくてはな りません。 エペソ 4: 22~24です。 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって 滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくさ れ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべ きことでした。 「新しく生まれ変われ」 罪の奴隷として生きてきた古い姿を脱ぎ捨てよと仰せられます。偽りの衣、憎しみの 衣、怒りの衣、汚れた衣を脱ぎ捨てなければなりません。その心の中に淫乱と放蕩と 貪慾の衣を全て脱ぎ捨てなければなりません。その代りに私達は真理の衣を着なけれ ばなりません。愛の衣なのです。 3 コロサイト 3:12です。 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情 心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 ハレルヤ、父なる神様、もうこれで新しい人と生まれ変わり慈しみと慈悲と謙遜と温 和と長く耐える衣を着させてください。皆さんは、今どんな衣を着ていますか?古い 衣を着てませんか?新しい衣を着てますか?まだ古く汚れた衣を着てませんか?そし て、心の中に憎しみと怒りで道溢れていませんか?そうであるならば早く、その衣を 脱いでください。その衣を十字架の下に降ろして新しい衣に着替えてください。神様 が価無しに下さった衣なのです。 前の見えない盲人、バルテマイがイエス様が呼ばれるときに持っていた唯一な財産 は、上着でした。それを投げ出してイエス様に走っていきました。その上着は、彼の 全財産でした。雨の時には、雨着、夜には、布団にもなるのです。物乞いをする時に 物乞いをする道具にもなるのでした。上着一つが色々な役割をするのです。でもどん なに汚いでしょうか?雨風、ほこり、一度も洗ったことがなく、雨に濡れることが洗 濯でした。ですから、色あせて汚かったのでした。臭く、汚い上着でした。でもそれ が唯一な財産でした。ところがイエス様が、「来なさい」と呼ばれるときにその衣を 投げ捨ててイエス様に走って行ったのでした。 皆さん、皆さんが今、古い人としての衣をまだ着ていますか?脱ぎ捨てて下さい。今 日も罪が私達を誘惑してます。昔の古い衣を着させて堕落させようとします。どう やってこの衣を脱ぎ捨てる事が出来るのでしょうか? ガラテヤ2:20です。 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、 キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、 私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているので す。 ここに秘訣があります。「私がキリストと共に十字架に釘づけられました」 自分の欲が、自我が死ななければなりません。古い自分は死んでしまいました。イエ ス様が来られたときに古い自分は全て死んでしまいました。いつも憎しんでた姿も消 4 えて悪かった習慣もなくなり、悪口を言っていた習慣も終わりました。私は、新しく 生まれ変わりました。過去の人は、死んでしまいました。昼夜も無しに自分勝手に傲 慢で生きるのではなく頑固な古い私は終わりました。古い姿は終わりました。何故で すか?死んだからです。「私がキリストと共に十字架に釘づけられたからです」だか ら皆さんが、もう新しく生まれ変わった人として生きてください。 2. 主の中で光になれ 二番目に私達はどんな人ですか? 主の中で光になれ。私達は主の中で光となる人生を 歩まなければなりません。 エペソ5:8です。 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子 どもらしく歩みなさい。 暗闇の衣を脱ぎ捨てて、光の衣を着なければならない。救いの衣が必要なのです。 イエス様を信じてからはハッキリとしたアイデンティ-を確立しなければなりません。 自分は誰なのか? 私は、光の子供だ。 私は、祝福をうける神様の子供だ。これ以上、絶望と悲しみと苦難と呪いと苦痛、悲 しみの様な古い存在とは全く関係ない。私は生まれ変わった。新しく生まれ変わっ た。少しばかり問題と苦しみが迫ってきてもそれは、私を良くしてくださる神様の導 きの課程の中であるのです。これ以上、古い自分の姿に引きずられながら生きてはな りません。否定的な自画像に引きずられてはならないのです。罪を繰り返しながら犯 さず、問題を繰り返し引き起す、繰り返す嘆きの中に生きてはならないのです。新し い姿で生きてください。古い姿は、私達を絶望に落します。恨み、不平をこぼし、他 人を批判したり、妬んだりします。"主よ、日毎に自分の中の自分を殺してくださ い。日毎に私の中の自我を殺してください" 光のなかで生きるとはどういう意味でしょうか?神様の御前で、人の前で何も恥ずか しい事のない姿で生きていくという事なのです。 光に照らされると全てが明るくなります。皿を洗ってくれる機械があります。機械の 中に使ったお茶碗や皿をいれると綺麗に洗ってくれます。でも隅々までは綺麗になり 5 ません。人の手で洗ってこそ綺麗になれるのです。光の子供とは何でしょうか?神様 の光が照らされて恥かしくない姿になるのです。この様に神様の御前で恥かしくない 姿で生きましょう。「神様に認められる姿で生きましょう。父なる神様、神様の祝福 をうける貴方様の子供として生きるよう導いてください。」 初代教会のクリスチャン達は、光の子供として生きてました。彼等は、言い表せない 迫害を受けました。ネロ皇帝以後、10人のローマ皇帝達は、200年間もクリスチャン を殺してきました。ローマ市民がクリスチャンになると市民権を剥奪し、財産を奪い 追放しました。貴族達がクリスチャンになると、平民となって追い出されました。こ の様に彼等は迫害されながらももっと強く信仰を守り光の子供として生きてきたので す。墓地の隣の洞穴で暮しながら、発覚されてその場所で殺され墓地の中で死んでい く彼等でした。カタコンボと言う所に行くと今でも何十万という遺骨が洞穴の中にあ ります。ところが彼等は信仰を守り続けました。世紀313年、ローマのコンスタンチ 皇帝がローマを統治する時にローマの未来を見ると道徳に堕落し完全に崩れる寸前で した。ところがなぜかクリスチャンだけは光を保っていました。この様に200年間、 クリスチャンは殺されながら迫害されたけれどキリスト教は、益々リバイバルしてい きました。当時の人口で8%がクリスチャンだったのです。だから313年にキリスト 教を国教として認めたのです。8%のクリスチャンがローマを変えたのです。 我が韓国も25%のクリスチャンがいます。もし、全部が光となれば韓国は引っくり返 るでしょう。新しく生まれ変わるのです。昼も夜も霊的戦争で闘い恥かしい姿は跡形 もなく消えてしまいます。"父なる神様、私達が光です。光として生きるように導い てください。" 第一ヨハネ3:21~22です。 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることがで き、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神 の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。 私達が光となって恥かしくない姿になればこの様な恵みが臨まれるのです。 ウィリアム・ホールマンハントと言う人が<世の光>と言う画を書きました。この 人はヨハネの黙示録3章20節に"見よ、門の前で待ちます"と言う御言葉で画を描き ました。この画を良くみると門にドアノブが書いてありません。そして、イエス様は 灯りを持っています。救いの灯りを描いてるのです。中からドアを開けてこそ入れる 6 のです。この閉ざされた門が何なのか?人間の心を表しています。この世のたくさん の人々が心の門を閉じたまま暮してます。"イエス様を信じましょう。イエス様を信 じましょう。" いくら語り書けても固く門を閉じたままです。イエス様が灯をもって 暗みを照らし、命の灯火、救いの灯火、癒しの灯火、赦しの灯火を下さることを願っ てるのに扉を閉じたまま、門を開けてくれません。イエス様は、今も門を叩いていま す。皆さん。主が門を叩かれる時、早く門を開けてください。そうすれば主は、灯火 を照らしてくれます。命の灯火、救いの灯火、癒しの灯火、赦しの灯火を下さり、神 様が癒しと奇蹟の救いを充満に満たしてくださるのです。たくさんの人々が心の門を 閉じたまま生きていきます。皆さんが福音の証人となって信じない家族を先ず、伝道 し、信じない隣人を主に導き驚くばかりの奇蹟を成し遂げる事を主の御名でお祈りし ます。主が自ら、"私は世の光"と仰せられました。 ヨハネの福音書 8:12です。 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、 決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 イエス様についていくと命を得ることが出来ます。救いを得ることが出来ます。霊が よくなるように全てにおいてよくなり、健康になる恵みを得ることが出来ます。どの くらい感謝かしりません。 ある日、一人の女性がイエス様の前に引っ張られてきました。髪の毛は、乱れ、服は あちらこちらが破れてホコリだらけの女性が、姦淫の場を捕らえられました。この女 性を石で殺そうとするユダヤ人とバリサイ人も石を持ってついてきました。"この女 をどうしましょう? どうしましょうか? 石で打ち殺しましょうか?" イエス様はど う語られるでしょうか? 手に持ってる石は、女性を殺すためでもありますが、イエス 様を打つためでもあります。イエス様があまりにも人気があるので、人々がイエスの 言うことを良く聞くので、心に妬みと嫉妬が溢れたのです。当時の宗教指導者である 祭司、バリサイ人、書記官達は、「どうしましょうか?」 逃そうと言っても問題になり、殺そうと言っても問題になります。だからどうしよう もない状況に追い詰めて石を持ったままイエス様と女性に向かって立っているので す。ところがイエス様は、語られます。「貴方達の中で罪のない者が石で打ち殺しな さい」と地面に書きました。全てが心に罪意識を受けて石を降ろし離れていきまし た。その女性は、「二度と罪を犯すな」と言われ主から赦しを受けたのです。 7 イエス様に出会うと罪の赦しの恵みを受けることが出きるのです。その心の中にある 絶望が消えて神様の恵みの祝福が臨まれるのです。暗闇の人々が今も我々の後をつい て回っています。ところがイエス様の光が照らされると石をおいて生まれ変わった姿 で生きるようになれるのです。 アフリカのウガンダと言う国でイディーアミンが統治した国がありました。独裁者で あった彼は、国を治めながらどんなにたくさんの人々を殺したのか分かりません。とに かく人殺しを繰り返してました。どんなにこの独裁者が悪の行いをしたのか記録に見る と大変な人物でした。だから人々は言います。「もし、神様がいきているなら何故こん な事があり得るのでしょうか?」全てのクリスチャンが祈り始めました。 「父なる神様、私達を哀れみてください。哀れみてください。」 皆さん、問題にぶつかるときには祷らなければなりません。 「哀れみてください。哀れみてください。私を、私の家庭を哀れみてください。」 エイズという病気があります。この病気には、まだ薬がありません。エイズにかかった ら死ぬ時間がいつかと問題であって、いつかは必ず死にます。WHOの記録によると 1997年までにウガンダの人口の3分の1がエイズでしぬと言われます。何人かの内、一 人がエイズの患者です。だから国が絶望の中だとは明らかな事だったのです。 彼等がひざまづいて祷りました。「父なる神様、わが国を変えてください。癒してくだ さい。癒してください。」そして、教会に集まって涙で祷りました。この時に神様の恵 みが臨まれました。エイズの患者たちが祈り、癒され始まったのです。 その証を聞いてると驚きです。何故ならば、医者たちは信じませんでした。確かにエイ ズの患者だったのに後で検査してみるとエイズ菌が完璧に消えてしまったのです。皆が ハレルヤで神様に栄光を戻しました。その奇蹟の体験を持って人々に伝道し始めると7 人の教会が、2万人までにふくれあがったのです。これで大きなリバイバルが起きたの です。 1999年12月31日に大統領を始め、全てのリーダー達と国民がスタジアムに集まりまし た。そして、主の御前で賛美を捧げ礼拝を捧げました。そして、神様を宣布しました。 ファーストレディーが宣布し始めます。「この国を神様に捧げます」ハレルヤ。 主の主権がこの国を捧げる全ての民の前で宣布され、その次に神様がこの国を回復させ る大きな恵みが臨まれるのです。 この様なリバイバルが起こったのは、主が招待されたからです。その映像のエン ディングには、“He was invited.”"主が招待された"主が、その国に訪れたのでエイズが消 えて、病と貧しさが離れていって教会にリバイバルが迫ってくるのです。 主が仰せられます。"貴方達は、世の光になりなさい" 8 マタイの福音書 5:14-16です。 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あか りをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれ ば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝か せ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるよ うにしなさい。 私達は、世の光です。光が進んでいくと暗闇は退きます。私達が死んでいく絶望に落 ちた命を救いの光を照らさなければなりません。癒しの光を照らさなければなりませ ん。赦しの光を照らさなければなりません。立ち上がって光を照らさなければなりま せん。私達の周囲には、見渡しすれば絶望に落ちて嘆く人々がいます。光を放ちま しょう。そして、彼等を変えましょう。絶望のの中に、悲しみの中に喜びを、病のあ る所に癒しを伝える我々になりましょう。何よりも心に憎しみが溢れる中で赦しの光 を放ち、変化して、癒し、新しい人となり奇蹟が溢れることをお祈りします。 3. 光の実を実らせよ 三番目に私達は、光の実を実らせなくてはなりません。 エペソ 5:9です。 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです "父なる神様。光の実を実らせる人生を導いてください。全ての賢さと義、真実な姿 で生きるよう導いてください。" ピリピ1:11です。 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄え と誉れが現されますように。 皆さん、何よりも賢くなってください。"先生、今の世の中、賢く生きると損をみる ばかりです"それでも賢く生きてください。 この様に生きると損をする気分です、他人が自分を無視する様です。弱く見えたりし 9 ます。だけど神様がその人生を責任取って下さるのです。それで私達は賢く優しく生 きなければなりません。 デサロニケ第一 5:21です。 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 皆さん、私達、一人一人が賢く優しくならなければなりません。この世が暗闇のなか に落ちています。どのくらい人々が争いながらお互いを傷つけあっているのでしょう か? 数日前に新聞である記事を見て大ショックを受けました。21歳の警察官が飲酒運転の 取締をしている最中に酒を飲んで運転した人を取り締まろうとするとその運転手は、 警察官を車につけたまま700メートルを逃走しました。引きずられる内に体の半分が 地面にこすれて傷だらけになってしましました。意識不明のまま病院に運ばれてきま した。私は、この記事を見て悲しくなりました。21歳の若い青年が酒飲運転手によっ て人生が悲惨になってしまいました。"人間という存在は、悪い存在だ。どうやって あんな悪いことが出きるのか?" 人をぶら下げたまま車で700メートルを走るなんて 人は悪い存在なのです。皆さん、だから私達が賢くて悪さに勝たなければなりませ ん。悪に悪で立ち向かってはなりません。善で悪に勝たなければなりません。 聖書は、バナバを非常に誉めています。 使徒の働き11:24です。 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が 主に導かれた。 “ 彼はりっぱな人物” 自分の財産を全て教会に捧げて哀れな人達を助けたのです。その次にバナバが一番大 きな手柄をたてたのは当時、サウルと言う青年がイエスキリストを信じる人達を迫害 する中でダマセクでイエス様に出会って聖霊のバプテスマを受けて変化されたました が、誰もこの青年を認めなかったのです。 "あの人は、教会を迫害してクリスチャンを牢屋に投獄し、ステパノを殺すときに証 人までにもなったのです。" 10 あの人に近づくな。"誰もサウルに近づかず、認めてくれません。サウルは、故郷で あるダソに行ったときバナバは、サウルの可能性を見てサウルを連れてアンテオケ教 会につれていき牧会をしたのです。" そして、サウルが使徒パウロとして大きく用いられる為に助けました。大した方で す。正直、自分はアンテオケ教会の担任牧師です。パウロは、まだ新任なのにも関わ らず使徒パウロを立てました。 聖書に見るとバナバがパウロを立ててからは、バナバが段々消えていきました。その 代りに使徒パウロが段々表われて使徒の働き後半部からは、使徒パウロに覆われま す。それをバナバがしたのです。普通なら、他人の成功を妬むのが自然かもしれませ ん。何とかその人を引きずり降ろそうとします。或いは、弱点を発見して攻撃しま す。残念な事ですけれどこれが私達です。 国会の聴聞会を見ると過去のホコリを全部、引き出します。アメリカは、その人の能 力を聴聞会で扱いますが、韓国はその人の過去を聴聞会で扱います。過去を問わない という歌もあるのに国会は、過去を問い続けます。過去に生きる人は暗闇を好む人で す。皆さん、未来に向かって生きてください。光のなかで生きてください。善で生き てください。"あの人は、イエス様を信じる人なんだって、やっぱりそうなんだ。あ んなに善なる人生だとは" この様な話を聞く人となりましょう。でも反対に"あの人がイエス様を信じるなんて あり得ない"この様になったら大変な事です。 皆さん、イエス様を信じる人々は、善で生きます。善で生きなければなりません。愛 を分かち合わなければなりません。イエス様が良きなる方だったので善で生きてくだ さい。さればかりではなく義で生きなさいと仰せられました。義で生きるとはどんな 事でしょうか?不義を許さない事です。神様の前で正しく生きる事を表わします。 ミカ書6:8です。 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。 【主】は何をあなたに求めて おられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とと もに歩むことではないか。 真実で生きていき、不義と妥協せず生きていかなければなりません。 でもたくさんの人々が不義を行います。不義とは何でしょうか?自分の有益の為に正 11 しい事を捨てて、偽りと妥協する事です。罪と妥協する事です。偽りと知りながらも 嘘を言うのです。面白話で良く言われます。クリスチャンがしてはいけない職業があ ると。それは、中古車の販売です。事故車にも関わらず全然、新品ですと言います。 勿論、冗談です。信じないひとは、まだ分かります。それは、不義と妥協する人のせ いで被害者が生まれるという事です。全部がそうではありませんが、一部の人のせい で全体が評価されるのです。ですから生きるときに"義で生きる"と決心しなければ なりません。義として生きると決心さえすれば主が助けてくださるのです。その次に 真実で生きなければなりません。真実に、真実に、ところが悪魔の奴隷達はいつも偽 りのなかで生きます。 ヨハネの福音書 8:44です。 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲 望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立って はいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさ わしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるか らです。 ですから罪の中にいきる人々は、いつも偽りの中に生きます。ところが神様は真実な 人を高めて下さいます。それで最近、韓国社会が変わってきました。義として生きて いき、真実で生きようとします。リコールという制度ができました。自動車を売って おしまいではなく、問題が起きたら何万台でも工場に持っていって修理するのです。 大きな変化です。昔は、故障しても知らん顔でした。でも今は、故障してもないのに 問題が起きそうなので持ってきてくださいと連絡してきます。 だから私達がこの世を生きる中で真実に生きなければなりません。義で生きると主が 責任を問ってくださり高めてくださります。これが主を喜ばす事なのです。 エペソ 5:10です。 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 これで皆さんの人生が主の喜びとならなければなりません。皆さんの家庭で、皆さん の職場で、皆さんの事業場で、皆さんの学校で、神様の喜びとなってください。"主 だけ、栄光を受けてください。栄光を受けてください。" 12 ヨハネの福音書8:29です。 わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはあ りません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」 イエス様は、いつも神様の喜びとなる人生となってください。それで使徒パウロは勧 めます。 デサロニケ第一 2:4です。 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜 ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るので す。皆さんは、エノクを覚えてますか? 死を見ることなしに天に召されました。主の喜びと なったからそうなったのです。 へブル人への手紙 11:5です。 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見 えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていま した。 "父なる神様、新年を迎えて神様の喜びとなる人生に導いてください。神様を感動させ る人生になる事を願います。短い人生が神様の為に、神様の栄光の為、神様の喜びの為 に生きて神様が召される時に主の御前に立てるのです。" ジョン・ハーバード牧師と言う人がいます。この牧師は、31才の時に肺結核で亡く なった人です。幼いときに父親がなくなり、母親は再婚しました。新しく父親になった 人がお金持ちでした。財産家でした。ところがジョン・ハーバードは、"アメリカに 行って訓練を受けて神様の尊い御志を成し遂げたいと願います。"イギリスからアメリ カに渡ってきて勉強して神様の御国を立てる事を願いましたが肺結核にかかって死んで しまいました。 それで彼が死ぬ前に財産の半分を近所の学校に寄付しました。"私の尊い夢をここの卒 業生達が引き受けていくことを願います。"そして、自分の持っていた本を寄贈し 1938年に世を去りました。 この学校は1936年にたてられましたが、1938年に財 産を遺産として譲り受けて学校を拡張して、名前をハーバードの名前をとって ハーバード大学になりました。ハーバード大学は、神学校から始まりました。 世界的な名門になったのです。アメリカで初の黒人大統領もこの大学の出身で す。ジョンハーバード牧師の志が今日まで引き継がれ世界的な大学と発展した のでした。 皆さん、何かで神様の喜びとなれる人生になってください。 13 "私の人生、終わるまで父なる神様、私の人生が主の栄光の為になるよう導いてくだ さい。主の喜びとなる人生になる事を願います。主よ、受け止めてください。神様の 御志が成し遂げられる様、導いてください。" この様に光の子供として生きる時に皆さんを通して神様の栄光を天下に渡り表わして ください。皆さん、今年、一年を光で生きるようになりますようお祈りします。 <祈祷> <祈祷> 愛と恵みと慈悲深い父なる神様。私達が暗闇の奴隷となって生きてきましたが、イエス 様を信じてからは、光の子供となりました。私達が短い人生を歩む間、光なる神様、愛 の光、救いの光、命の光を伝える主の働き人と導いてください。イエス様の御名でお祈 りします。 アーメン 14