...

パ中研10周年を迎えて―「パミール学」

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

パ中研10周年を迎えて―「パミール学」
パ中研10周年を迎えて
−「パミール学」の時代へ−
会長 二宮 洋太郎
パミールを中心とした宏大な中央アジア、その未知の空間のいろいろなパイオニア・ワークをめ
ざしてきた私たちの行動も、さらに諸兄姉との淡々として豊潤な君子の交わりも、何時しか十年の
年月を重ねることになりました。
考えてみますと、この十年間の中央アジアは今までの歴史にない大変革の時代であった事をし
みじみ思わざるを得ません。
1992年に初めてパミールの中央高地アリチュール谷でキルギスの高所遊牧をみた時、ユルトの
陰に必ず自動車があるのを見ました。その時ジェイムズ・シモンズの著書の1節、「中東の砂漠で
すべての天幕の外にフォード車が一台あった」と砂漠の遊牧民ベドウィン族の消滅を嘆いていた
一節を思い出しました。それは誇張して言えば、数千年来の遊牧民の足であり、歴史の大きな役
割を果たしてきたラクダや馬が消え、遊牧が農耕化或いは定住化する歴史的瞬間に立ち会った
思いがしました。
そうした史的変革と同時に、政治的には、92年のソ連解体、中央アジア諸国の独立、アフガンや
タジクの内戦、米国や国連のアフガン・イラクへの侵攻・・・・。
国境を越えたイスラムのテロを含む抵抗、米国や中国の中央アジアへの進出など、たかだか十
数年に激変が続いています。
そうした中で1991年まで入国できなかったパミール南部やワハンも少しずつ可能性が生じ、97
年には当研究会でも有志がヴィクトリア湖へ入る寸前にタジクの国境閉鎖にぶつかったこともあり
ます。2001年からはワハンやパミールへ日本のマスコミの取材が入るようになりました。欧米から
は若者の自転車ツアーも入っています。昨年は観光ツアーも入り、ムルガブでは民宿なども出現
しているといいます。
年輩の日本人の見果てぬ夢であったあのパミールも既に今は夢でなくなり、未知で空白の中央
アジアは大きく変わりました。私達のパイオニア・ワークも時代とともに、質量ともに一層変容するこ
とでしょう。
1993年に「シルクロード学」ということを樋口隆康教授が提唱されています。それはシルクロード
の個々の研究を、従前の学問分野の枠組をこえて人文科学・自然科学との連係を進め、学際的・
国際的な新しい学問分野として確立しようとするものであると云います。地中海に関心を持つ人た
ちの「地中海学」という研究もあります。このような意味では「パミール学」「中央アジア学」という分
野も当然あり得る時代になったのかもしれません。考えてみますと、加藤九祚先生の長年の中央
4
アジアに関する浩瀚な著作は、既に学際的・国際的な立場から眺めてこられたように思われます。
それは先生がロシア語に堪能であり、中央アジアの研究ではソ連の資料が最も豊富であることにも
関係があるのかもしれません。何れにしてもこうした方向に視点をおいて行く必要があるように思わ
れます。
激動の十年間をふり返るこの「十周年記念誌」が坂上光恵、近藤和美両君のもとでまとめられる
ことは、まことに時宜を得たことと云わねばなりません。これらのケルンの上に、新しい十年に向か
ってさらなる発展がなされることを心から期待しております。
2006年 3 月
研究会10年の歩み
ニ宮
洋太郎
1996年4月に有志相集って創立された研究会も、ここに十年を閲することとなった。当時の発
起人会や創立総会の写真を見ると、当時の野心や熱気が今に伝わってくるような気がする。集ま
った人々は登山家に限らず学者、芸術家、教育者、ジャーナリスト、老若男女さまざまだったが、
ただ一点彼の地に何等かの足跡と関心を持つことが共通であった。それは今も変わらず年を重ね
るにつれて世界が広がり、交流と友誼の年輪が加わった。新しい実績のある仲間も増えている。
研究会の今までの事業は「規約」( 頁)にあるようにさまざまだが、活動の中心は例会における
講演であった。そのテーマは、各会員の年間の行動や、内外第三者のパミールや中央アジアに
おける行動や研究のうち、優れたパイオニア・ワークがえらばれている。創立時からのそれらの宝
石のような一つ一つの記録は「パミール・中央アジア研究会のあしあと」( 頁)にまとめられている
ので、掲載の記録写真とともにご一覧ください。
最近の傾向として、講演の際の資料や地図が詳細で充実したものが多く、新しい視聴覚機器も
5
利用され臨場感に溢れるものが多い。居ながらにして得られる情報量は、以前とは正に隔世の感
がある。
講演の後は講師を囲んで恒例のフリート
ーキングの二次会がある。それは内容を
高め交流を深めることとなるが、多少のア
ルコールも入り何時も盛り上がって楽しい
会となるので、この二次会の会員と公言す
るメンバーもいる。
年報の役割をはたす会報も6号まで発
行され、号を重ねるに連れて充実してきた。
会報のほかに、会員の他に例のない記録や研究を集めて中央アジアの辞典のようなもの、或いは
大学の紀要のような調査研究の叢書などをという要望もある。
研究会の大きな関心の一つは、加藤九祚先生のテルメズにおける「佛教遺跡の発掘」であろう。
喜寿をすぎた日本人の学者が殆ど独力で中央アジアの仏跡を発掘し続けて第二期計画に入って
いる。既に成果がでているが、今後どのような展開となって佛教文化や未知の歴史の開明につな
がるか楽しみである。
現地の方の実情もきいたこともある。古来東トルキスタンといわれた中国新疆省のウイグル族の
留学生や研究者から現地の教育事情を聞いた。少数民族の厳しい現状についてのとぎれがちの
報告に、聞いている一同は強い感銘をうけた。
これはウイグルのみに限らず、中国の少数民
族、さらには程度の差はあれ中央アジアの各
民族の現状であろう。
個人の講演や記録、研究等について若干
ふれたいものもあるが、紙数の関係で残念な
がら次の機会にゆずりたい。
ここまで会を育てて下さった多くの会員の
方々、特に会の裏方として会の運営にいつも
にこやかに奉仕を続けて下さる武川事務局長、いろいろお世話いただいた有縁の諸先輩各位に、
この機に心から感謝を申しあげたいと思います。
また会をささえながら道半ばにして逝かれた藤井昭孝、廣島三朗両兄のご冥福を改めてお祈り
したいと思います。
6
2006年3月
Fly UP