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播磨新宮町史』 史料編 I 書評
Kobe University Repository : Kernel Title 『播磨新宮町史』史料編I書評 Author(s) 岸本, 道昭 / 小林, 基伸 / 岩城, 卓二 Citation 歴史文化に基礎をおいた地域社会形成のための自治体等 との連携事業,4(平成17年度事業報告書):153-159 Issue date 2006-03-31 Resource Type Presentation / 会議発表用資料 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002239 Create Date: 2017-03-30 『播 磨 新 宮 町 史 』 史 料 編 Ⅰ書 評 執筆委員 になった研 究者 が、 自治体 史 を学者 とし ての 自己満足や研 究発表 の場 としてはいけない戒 「 播磨新宮町史」史料編 Ⅰを読む めであろ う。少 な くとも通常の基礎学力の ある住 民が読む ことの出来 る歴史、理解す るこ との出来 る歴 史でなけれ ばな らない。そ うでなけれ ば歴 史 1 自治体史 は誰の ものか 2005年 に刊行 され る 「 播磨新宮町史」史料編 Ⅰ の専 門書であって、 自治体史ではない。今 はそ う は、播磨地方で刊行 され て きた これ までの各 自治 い う時代 に差 し掛 かってい るのが 自治体 史編纂 の 体史編纂 の終盤 に登場 し、同時にかつ てない編集 抱 える現代的課題 で ある と私 は思 う。 方針 に よって新 しい試 み が提 示 され る内容 で あ 2 歴史的用語の使用 注意深 く編集方針 が練 られ た こ とを読み取れ る る。す なわち、関係 史料 を機械 的 に網羅掲載 し、 本文編 との対照 に よって読む硬質 で専 門的 な内容 が、実はい くつ か気付 いた点があ る。 日本 史は考 を見直 し、 一味違 う斬新 な編集執筆方針 が採 られ 古学、 占代 史、 中世史、近世 史、近代史、現代 史 たのである。 な どの編 年 的分 野別 が あ り、 また文化 史、社 会 - そ こに貫徹 され た姿勢 は、町 民 に親 しみや す 史 、経 済史 、政 治 史 な どの対 象 的分 野別 が あ っ く丁寧 で分 か りやす い解説 に紙面 を惜 しまず、史 て、通史的な一書 において も統一 的な歴 史用語 が 料 と併載す る実 に周到 な原稿 を準備 してい るこ と 貫徹 され ることは非常 に困難 であ る。 一人 の執筆 である。 これ は、町史の刊行 をもって事業 が終 了 者 にお いてす ら、 日本列 島数 万年 の歴 史を一貫 し す るのではな く、町史 を踏 み台 に して地域 史研 究 た用語 と姿勢 を採 って記述す るこ とは、扱 う史料 の発展 を期待 して町民 自身 に学習意欲 の きっかけ の性格 もあって難 しい。 た とえば、本書 史料編 Ⅰは、概 ね古代 史の分野 を投げかける姿勢である。つ ま り、 これ か らの地 に限定 され てい るに もかかわ らず 、地域 の集 団や 域史の将来 を見通す試み であ る と評価す る。 国 立歴 史 民 俗 博 物 館 長 で あ っ た佐 原 真 ( 故 その長 を指す 言葉 が多様 である。 書 き手は一定の 人) が、伊丹市史の執筆 を していた ときの逸話が 概念 を念頭 に してい るのであろ うが、本来、ある あ る。原稿 を読 んだ市史編集 室の若 い女性職員 が 程度 は歴 史的に同一の ものを指す言葉 が異 な る表 佐原 の原稿 に さん ざん注文 をつ ける。若 き佐原 は 現 をま とってい ることは、読み手 に とっては親切 憤然 として研究者 の返答 を した とき、 「 先生、私 と言 えるであろ うか。 が分 か らない、 とい うこ とは、伊 丹市民が分 か ら そ の言葉 とは、 「 共 同体 首長 」 「 地 方豪族 」 ない とい うこ とです」 と返 され て憤然 とした とい 「 氏族 」 「 郡領 級 」 「 有力豪族 」 「 地元の首長 」 う話であ る。 その後、佐原 は考古学 を分か りやす 「 族長 」 「 神 」 な どであ る。 これ らは、 どの よ う く、や さ しく記述す るこ とを心が けた と述懐 して な集 団や長 を指 して使用 され たのか。集落 なのか い る (「 考 古学 をや さしくしよ う」 『京都府埋蔵 集 団なのか、ム ラ長 なのか、家長 か氏族長か里長 文化財論集 第 1 集』 1 987 。佐 原 の文章 は、確 か ) か、地縁集 団なのか血縁集 団なのか、その規模や に簡潔 で明瞭、実 に読みやす い。 これ は、氏の才 実態 は どの程度考慮 され た使 い分 けがな され てい 能 もあろ うが、 この出来事が強 く影響 したのであ るか、 これ が気 にな る ところである 。 その他 の言葉 として、ヤマ ト政権 、支配、政治 る。 そ して、実 は私 もこの話 に感銘 を受 けたので 勢 力 、影 響 、 同盟 、軍 事援 助 な どの言葉 も現れ ある。 つ ま り、 自治体 史 は住 民 の税 金 に よって事業 る。 こ うした書 き手 と読み手の歴 史的概念や事象 化 され た、本来 は住民のための地域 史編纂事業で としての捉 え方 に差 が生 じて しま う用語の使用 に あるこ とを再確認すべ きなのであ る。編集委員や つ いて、 もっ と煮詰 めて欲 しい と思 うのは欲 張 り 1 53 とい うものであろ うか。 あろ うか。古代官道敷設 の実態 、駅家 の成 立や衰 3 地域 に根 ざす地域史 退 の時期 が考古学 的にかな りの確度 で推 定 され て 地域 史を書 く場合 、 もっ とも踏 まえるべ き点 は い る点 も、古代寺院 との関係や駅家 、里長 との関 地域 史研 究の把握 である。 地元 に密着 した生 きた 係 な どの関連研究 もほ とん ど採用 され ていない。 歴 史は、外部 の研 究者 に とっては一般論 と個別論 こ うした研 究の進 んでい る地域 だけに、ま こ とに の消化 とい う点 で難 しい課題 か も知れ ない。 しか 残念 な こ とである。地域 に根 ざ した地域史研 究の し、地元 を知 らず して地域史は書 けない。安易 な 長所 が生か しきれ ていない例 ではないだ ろ うか 一般論 の引用 は地元 の研 究成果 を無視す る危険性 4 展望 。 を孝 み、現地調査や地方史文献 の見落 としは思わ 辛 らつ な意見 を述べて きたが、本書 にはそれ だ ぬ間違 いを引き起 こす。 また、丹念 に解説 され た けの価値 があるか らで ある。新 しい試み を纏 い、 「 播磨 国風土記」の記載や解説 も複数の執筆者 に 「 播磨新宮町史」史料編 lは輝 か しい第一歩 を踏 よっては精粗 が顕在化 して しまってい る。 み 出す。 自治体史の枠 を超 えた地域史的視 点で関 こ うした事例 を次 に掲 げてみ よ う。 係 史料 を網羅 し、特 に 「 播磨 国風土記」の徹底 的 風 土記 の記載 は概 ね 7・8世紀 の古代 的世 界 を な採録 と読み下 しと解説文 には圧倒 され 、多 くの 描写す るが、弥生時代 の遺跡や古墳 が関連 史料 と 人 々に愛読 され るこ とであろ う。 そ して、 これ が して記 され て い るの は 、や や 問題 で あ る。 100 終わ りではない。 新 しい地域 史研 究の扉 が開かれ 年 、 ま してや 500年 の時間的隔た りは大 きい。 こ た姿勢 を読むべ きである。 た くさんの人が手 に と れ を私た ち考古学や古代史 の研 究者 は見落 として って 、学 ん で ゆ く可能性 が本 吉 に は託 され て い い るのではないか、 とい う違和感 である。 る。 これ が本書 の編集 方針 の大 きな長所 である。 例 えば吉島古墳 は3世紀 半ばの古墳 で あ るが、 自治体史は誰 の ものか、 この間い直 しに本書 は そのふ もとにある新宮宮 内遺跡 はその時期 の遺構 記憶 され るに違 いない。歴 史資料や 文化財 の保存 や遺物 が希薄であ る。つ ま り直接 的 には両者 の関 にはサイ クル がある。 元文化庁調査官の合 田隆史 係 を導 くことは現時点では出来 ないのであ る。 こ の視点であるが、保存 のためには調整 があ り、調 うした事例一つ をみて も、歴 史資料 の相 関を描 く 査があって価値付 けがな され 、価値 を通 して活用 ことの困難 を 自覚す る必要 がある。 また、わず か が展望 され る。 そ して活用 こそが保 存 に反 映す る ではあるが、地名 の間違 いや呼称 の不統一、地域 とい うサイ クル である。 こ うしたサイ クル を鍛 え の最新研 究や調査結果 を採用せず 、明 らかに現地 ることで地域 史は輝 きを増 し、消 えゆ く史料 の保 を見ていない と思われ る記述 もある。私 た ち地域 存 を成功 させ るこ とに繋が る。何 よ りも住民は主 の研究者 は こ うした記述 には大いに不満 である。 人公 であ る。行政や研 究者 の 自己満足 では保存 が 少な くとも外部研 究者 が執筆す る場合 に、 この点 困難 な歴 史資料 で も、 まず は住民 自らが 自分 た ち は気 をつ けす ぎて過 ぎるこ とはないであろ う。 の力で地域 の歴 史を知 り、歴 史遺産 を守 ろ うとす 地域 に根 ざす研 究 とい う強み が確 か に あ る。 る行動 こそが肝要 であ る。住民の声は確 かに 自治 しか し同時にそれ は井 の 中の蛙 に陥 る弱点で もあ 体 を動 かす ものの、それ だ けでは難 しい部分 があ るけれ ど、 自治体 史が地域 と関わ りの薄い研 究者 る。 その専 門的な部分 を、行政や研 究者 は補 う役 に書かれ る場合、 もっ とも恐れ るべ きは こ うした 目を背負 ってい るのであ り、住民 と連携 した、そ 地域 に根 ざ した フィール ドワー クの不足である。 の きっか け作 りのお 手伝 い をす るこ とが これ か ら 一般論 ではない。地域 史特論 なのである. は大切 になるであろ う。 この 典型 とな るの が、 古代道 路 に関す る記 述 「 播 磨新 宮 町 史」 史料 編 Ⅰは 、確 か にそ の一 である。筆者 は 自治体文化財行政 の一環 で駅家や 粒 の種 を播いたのであ る。 古代道路 の調査や研 究 に携 わってい る。残念 な こ とだが本 書史料編 Ⅰでは、 当地域 の古代道路や駅 家研 究の成果 は無視 され てい る。 古代道路 の根拠 〈書評> 『播磨 新宮町史 のない路線変更、駅家 の移転 な ど、地域 では議論 章 中世」 となっていない事柄 が記 され 、 もっ と重要 な成果 史料編 Ⅰ』 「 第2 小林基伸 につ いては記述 され ていないのは ど うした こ とで 1 54 は じめに とによ り、 ともすれば史料編が陥 りがちな平板 さ 兵庫県揖保郡新宮町 ( 現たっの市)は、 日本 中 をまぬがれ ることに成功 している。 世史の世界では冷泉家領越部荘や嘉吉の乱で赤松 各節 には冒頭 に解説 がおかれ、その節 の史料 を 氏が滅 んだ城 山城 の所在地 として知 られ ている。 理解す る うえで前提 となる基本的概念や歴史的背 同町はまた、 『赤松 円心 ・満祐』 ( 吉川弘文館 、 景 な どが述べ られ てい る。個 々の史料 につ いて 1970年)や没 後 『中世播磨 と赤松 氏』 ( 臨川書 は、最初 に綱文によって内容の要点が示 され、史 店、1 991 年)にま とめ られた諸論文な どによって 料本文 (白文)のあ とにこの種の史料編 としては 赤松氏研究の基礎 を築いた、高坂好氏 ゆか りの地 かな り詳細 な解説 が付 され る。節解説、史料解説 で もある。高坂氏が1 960年代 に編纂 した 『新宮町 ともに現在 の研究状況 をふまえつつ平易に苦 くよ 史』全 7巻は、小冊子の体裁 なが ら、信頼できる う心がけ られてお り、ル ビも丁寧である。その う 史料 に基づ くとい う同氏の編集態度 に裏付 け られ え関係 文献が こまめに提示 されてお り、 さらに理 た確 かな内容 と、図版 を豊富に取 り入れ るな どの 解 を深 めよ うとす る一般の読者 に とって も、また 親 しみやす さをあわせ もった町史であ り、その後 専門の研究者 に とって もあ りがたい。ぜいた くを 続 々 と刊行 され ることになる播磨地域の 自治体史 いえば、用語解説 のよ うなページがあれば、なお の先鞭 をつけるものであった。 理解が助 け られたのではないだろ うか。 このたび、その新宮町か ら新 たに 『播磨 新宮 この よ うに、本書 には、 「 序 」 に も述 べ られ 史料編 Ⅰ』 が刊行 され、編集 に携 わった神 ている とお り、高坂氏の意思 を継承 し、全体 とし 戸 大学文学部 地域連携 セ ンター か ら 「 第 2章 中 て町民に親 しみやすい史料編 に しよ うとす る意図 世」 の書評 の依頼 をいただ いた。 本章 は、市揮 が明確 である。 とくに、史料一点一点 に詳細 な解 哲、大村拓生、前 田徹、森 田竜雄 、樋 口健太郎の 説 をつ ける試みは従来の周辺 自治体史にはあま り 5氏が分担執筆 された労作である。成果の大 きさ 見 られなかった編集方針であ り、本書の最 も大 き 町史 に比 し評者 としての力量不足は否 めないが、播磨 な特徴 となっている。 ただ、私の知 る範囲では、 の中世史 を学び、近接地域 の 2、 3の 自治体史 に この よ うな 中世 史料編 は関東 に早 くか ら例 が あ も関わ る者 として、気がついた範 囲の ことを率直 る。 この相違 は 自治体史のあ り方 ( のみに とどま に述べ ることでその責 をふ さぐことに したい。 るものではないが) と して興 味 あ る問題 で もあ 1 る。 . 「 第 2章 中世」の特徴 と成果 「 第 2章 中世」の基本的な構成 は以下の とお り つ ぎに、各節 の成果 を簡略に述べてお く。 第 1節 「 荘園 と公領」。 ,町域 に存在 した荘園 と である。 本 章 には 自治体 史 の 中世 史料編 に多 く見 られ 公領の枠組みに関す る史料 を紹介す る第 1節 は、 る編年 史料編 に相 当す るものはな く、また、いわ 本章のなかで もとくに準備過程での周到 な史料探 ゆる 「 家分 け」的な構成 もとらない。全体は 7つ 索が うかがえる節である。 ともすれ ば後回 しにな の節 に分 け られ、第 1節 「 荘園 と公領」以 下、第 りがちな 『古文書学研究』や 『皇室の至宝』な ど 2節 「 越 部荘 の伝領 」 、第 3節 「 城 山城 と赤松 新宮の禅宗文化」、第 5節 「 地域 氏」、第 4節 「 で単発 的 に紹介 され た文書 (3号 史料 、 6号 史 料) にも目配 りす るほか、尊経閣所蔵文書 (5号 を とりま く交通」、第 6節 「 地域社会の展開」、 史料)な ど独 自の調査で検 出 した史料 も含 まれて 第 7節 「 豊臣期の村落」のタイ トル がつ け られて いる。 とくに播磨の同衛領 を書上げた播磨国国衝 いる。節立ての主 旨と各節 の史料採録方針 は章冒 領 目録写 ( 1 7 号史料 、 『徴古雅抄』所収)は、今 頭の 「この章の手引き」 ( 市揮哲氏執筆)で明 ら 後の国衝領研究 に とって 重要な発見である0 かに され てお り、第 1、 6、 7節 が荘園公領制の 第 2節 「 越 部荘 の伝領 」 で は、冷 泉家文 書や 成立か ら地域社会の展開、そ して近世的村落-の 明月記 を中心に1 6世紀初期 までの越部荘関係 史料 移行 とい う基軸 を構成 し、他の 4節 は新宮町域 に が集成 されている。 また、第 3節 「 城 山城 と赤松 特徴的な トピックを とりあげた もの と位 置づ け ら 氏」では、南北朝期 の築造か ら文献上の終兄であ れている。越部荘 と城 山城 はだれ もが T , 想す る新 る天文 7年 までの城 山城 に関す る史料が網羅 され 宮町の定番テーマであ り、禅宗文化 と交通は本 書 ている。解説や参考文献 とともに今後の研究の基 の新 しい視点 とい えよ う。テーマ別編成 とした こ 礎 が形成 された といえる。 1 55 2.若干の要望 と個別的問題 第 4節 「 新 宮 の禅 宗文化 」。赤松氏 の研 究 に 禅僧 の詩文集 を積極的に取 り入れたのは高坂氏で 前節 で述べた よ うに、 「 第 2章中世」は、編集 あった。その伝統 を引 くともいえるこの節 では、 のあ り方や具体的内容 において大 きな意義 と成果 天隠龍沢関係 の史料 を中心に町域 と禅宗文化の深 を有 している。その ことを十分に認 めた うえで、 いつなが りが明 らかに されてお り、 この地域 と京 こ うすればなおベ ターだったのではないか との観 都 との文化的 ・人的近接性 も知 ることができる。 点か ら、い くつか気づいた点 を指摘 したい。 第 1に、全体 に関わ ることについて。 まず、気 ここで も、建仁寺両足院での原本調査な ど、地道 な準備作業の成果 が反映 されてい る。 第 5節 「 地域 を と りま く交通 」 になることは、各節 冒頭 の解説 と個別 史料解説 の 文字が小 さい ことである。本書の版型 は B 5であ 。新 宮 町域 は 播磨か ら美作に通 じる美作道の通路であ り、その る。史料本文の文字は A 5版 の類書 よ り大 き くな 関連史料 も掲載 されてい るが、 この節 の特徴 をな ってお り、 自治体史の読者 として想定 され る年配 すのはや は り揖保川の材木輸送 に関わる史料であ の方に とってはあ りがたい配慮である。 しか し、 ろ う。 これ までほ とん ど不明であった中世の揖保 一般町民が主 として読むのは解説 のほ うではない 川水運 を解明す る手がか りを提示 し、あわせて材 だろ うか。推測す るところ、ペー ジの視覚的な緊 木産地 としての上流地域の性格 も浮かび上が らせ 張感 を保 ち、かつペー ジ数 の増大 を避 けよ うとし てい る。本節 は、前節 とともに新 しい地域の特色 たのであろ うが、 「 第 1章古代」では史料解説が の抽 出に成功 している といえる。 史料本文 と同ポイ ン トなだけに、中世編で も同様 第 6節 「 地域社会 の展 開」。 ここで は、 「 地 の判断がほ しかった ところである 域社 会 」 を中世 の民衆 の活 動 に よって形成 され また、史料が 7つのテーマに配分 された結果、 た、現町域 を構成す る諸地域の源流 と位置づけ、 相互の時間的関係や全体の流れがわか りに くくな 越部 ・香 山 ・栗栖の三つの小節 を立て る ( 他 に二 っている。 町民は、 自分の町を単位 として全体の 狛野がある)。史料編編集 の観点に 「 地域社会 」 歴 史を適時的に知 りたい とも思 うのではないだろ を導入 した本節 は、本書の もっ とも大きな特色の うか。 史料の編年 目録 あるいは年表 な どを添付す ひ とつである。 れ ば、ある程度 は補 えたのではないか。 各 小節 には中世 の文献 史料 だ けでな く、町域 さらに、 これ も付随的なことが らに属す るか も に残 る銘文史料や近世史料 も収 め られている。銘 知れ ないが、地図 ( p.1 26・246) が見に くい。例 文史料 にも丁寧 な解説 を付 け られてお り、 とくに えば、解説文にも登場す る栗栖川 を地図上 に見つ 著名 な背崎磨崖仏銘 ( 1 65号) は従来 の もの よ り けることは困難 である。解説文 をよ り理解す るた 銘文 も詳 しく解読 され、造像の歴史的背景にも考 めに、 また町民以外の利用 にこたえるためにも、 察 が加 え られ てい る。 また、 「 香 山」 の小節 で は、地元史料の伝来状況やお堂の性格 も含 めて分 地形、河川名、関係寺社 の位置な どがわかる大縮 尺の地図がほ しい。 析 し、村 の指導層であ り赤松周辺の武家の被官で もあった香 山氏の存在形態や近世につながる村 の つ ぎに、内容 に関 してだが、まず第 1節 「 荘園 と公領」では町域 に関連す る荘郷 の史料が年代順 成立 を解 明 している。 この よ うに、町域 内の地域 に配列 されている。 これ は、節解説 の記述 にあわ 認識や地元伝来の資料 に も結びつ く本節 は、町民 せ て領域 ごとに史料 をま とめたほ うがわか りやす に も接点が見つ けやす く、 さらに身近な石造物や いのではないか。 また、第 3節 「 城 山城 と赤松氏」では、嘉吉の 棟札な どの価値 を再認識 し、それ らを保存 してい く意識 を形成す る うえで も効果があるのではない 乱 に関す る史料 が淡 白との印象 を うけた。掲載 さ だろ うか。 れ てい るのは、城 山城 に関連す るものを中心 とす 豊 臣期 の村 落 」 は、第 6節 を うけ中 第 7節 「 るわずか 9点である。嘉吉の乱は中世の町域 でお 世 か ら近世へ の接 合 を意識 した節 であ る。 羽柴 こった もっ とも大 きな出来事であ り、播磨の歴史 ( 豊 臣)秀吉による知行宛行文書や揖保川の用水 だけでな く室町期の政治史的にも大 きな意味をも 相論 関係 史料か ら構成 され 、支配領域の中世的枠 ってい る。 当然町民の関心 も高い と思われ るが、 組みか ら近世的枠組み-の変化 と豊臣政権 の相論 一般 の町民が さま ざまな史料集 に分散す る一次史 -の関与の意義が解説 されてい る。 料 にあたることは困難であろ う。事件 の発生か ら 1 56 いか。坂本の小河氏の同族 が城 山城 に詰 めていた 一応 の終結 までの基本 史料 を掲 出 し、解説 をつな いで読 めば乱の大要が理解 できるよ うに してほ し となると大 きな問題 である。 かった ところである。 なお、第 4節 に掲載 されて 1 03号史料 ( 学衆方年貢等散用) 。 いる慶徳院殿勝岳尊公大禅定門廿五年忌香語 ( 1 4 「 同一国せ イハイ ノタメニ国中二屋形被立候時」の 「 同」は 0号) は、乱時にお ける赤松 時勝 ( 義雅息、政則 「 守護代方 」 ではな く、 日付 と理解す べ きで あ 父)の救 出 と保護 の経緯 を伝 える史料だが、嘉吉 る。 この史料は、岸 田裕之氏の 「 守護赤松氏の播 の乱の解説 に言及 がないの も残念である。 磨国支配 と国衝」 (『大名領国の構成的展 開』、 嘉 吉 の乱 に も関連 して、軍記 史料 の取 り扱 い 1 983 年)以来西播磨守護代である宇野氏の管轄範 についてひ とこと述べてお きたい。第 3節 の嘉吉 囲が一国に拡大 したことを示す史料 として しば し 記 (112号)、赤松盛衰記 (113号)、お よび第 6 節 の長水軍記 ( 1 98号) な どは参考 史料扱 いにす ば使 われてきた。本書の解説では管轄範囲の拡大 を読み取 ることには慎重であるが、 目付であれ ば べきではないだろ うか。 とくに赤松盛衰記 と長水 も とも とそ の よ うな解釈 は成 立 しえない ので あ 軍記 は、解説 で信頼性 に疑義があると指摘 されて る。 また、石見の守護代が応永 7年か らあ らわれ い る。そ うであれ ば、なおの こと表示上 も区別が るとしてい るが、正 しくは応永 5年 か らと考 え ら ほ しい。 まだまだ一般 には軍記類 に基づ く不正確 れ る (『 御津町史』第 1巻 、2001 年)。 な情報が流布 している。それ を改めるために も、 慶徳院殿勝岳尊公 大禅定門廿五年忌香語 ( 1 40 史料の信頼度 の相違が明確 に認識 できるよ うな配 号史料)の解説。嘉吉の乱で赤松時勝 を保護 した 慮 も必要であろ う 僧 は天隠龍沢ではな く、宝洲宗衆ではないか。赤 。 最後に、い ささかあ ら探 しの よ うな気が しない 松盛衰記では天隠が救出 した ことになってお り、 で もないが、個別的な事実関係 な どに関す る疑問 通史類で も従来そのよ うに記述 されてきた。 しか をい くつかあげてお く し、天隠 自身が記 した この香語では、救出 した僧 。 第 3節 の解説 ( p.1 85) や 1 25号 史料 ( 鳩荘引 を 「 老宿」 と呼んでいる。天隠が 自分 自身 を 「 老 付)の解説では、置塩 が赤松政則 の主要拠点であ 宿」 と表現す る とは考 え られ ない。 そ もそ も嘉吉 った よ うに読 めるが、 これ は どうか。置塩 の拠点 の乱 当時天隠はまだ 1 9歳か20歳である。赤松義雅 化の時期 については、石塚太喜三 ・熱 田公両氏が と親 交 篤 い僧 と して は宝 洲 宗 衆 がふ さわ しい (『五 山文学新集 』第 5巻 「 解題 」 、 『御 津 町 長享 2年 7月か ら明応 5 ・6年の間 との考 えを示 し、それ まで通説であった文明元年説 を否定 した 史』第 1巻)。 (「 置塩城 の築城年代 について」神戸大学教育学 1 50号史料 ( 櫛橋字渓居 士賛)。櫛橋貞伊 が 自 部研究集録86、1 991 年)。 しか し、最近依藤保氏 害 したのは城 山城 ではな く、 「与其主人勢陽以限 が、両氏が下限設定の根拠 とした史料の年代 を下 命 」 とあ る とお り伊 勢 にお いてで あ る。 ちなみ げる意見を発表 してお り (『置塩城跡総合調査報 告書 』2002年)、確定 しない。私 は赤松氏の置塩 に、 「 其主」は、伊勢 に逃れて北畠氏に殺 された 赤松教康。 拠点化 を永正初年 と考 えているが、それ は さてお き、政則が置塩 を拠点 としていた ことを示す確実 1 83・1 84号史料 ( 二水託)。史料本文中の 「 明 石」を 「 長行」 に比定す る。解説 にあるよ うに、 な史料 はないはずである。 お な じく、第 3節 の解 説 で城 山城 と越 部守護 この 「 明石」が享禄 4年の浦上村宗討伐 に功 を挙 げた人物 と同一 と考えるのであれ ば、 「 明石修理 屋形 を 「 赤松氏の政庁 」 ( p.1 85) とす るの も疑 問である。管見の限 り、城 山城や越部の守護屋形 記事には 「 明石修理亮」 とあ り、 これ は天文 8年 が政庁的機能 を果た していた史料 はな く、む しろ の 「 明石修理宗阿 」 ( 言 直如上人 目記) と同一 と考 その点にこれ らの施設の特質が現れ ているよ うに え られ る。 明石長行 は天文 8年 当時 「 四郎左衛 門 思われ るのだが。 尉」 ( 太 山寺文書)であるか ら、享禄 4年 の 「 明 宗阿」に比定すべ きである。赤松記の村宗討伐の 石修理亮」 と同一人物である可能性 はない。 95号史料 ( 小河 頼長 申状) の解説。 「 小河氏 が城 山城 に詰めていた」 と述べてい るが、 この小 以 上、い くつ かの疑 問点 を指摘 したが、私 見 河氏が84号史料の解説 に出て くる坂本 の小河氏 と に属す るもの もあるので、その当否 もあわせ一度 同 じか どうか説明 してお く必要があったのではな 検討 していただけると幸いである。 1 57 最 後 に指摘 しなけれ ばな らないの は、本 書 が おわ りに 自治体 と大学 との共同研 究の成果 として刊行 され 「 綱 文 と解説 を読 めば、史料 の概 略 が理解 で きるよ うに心がけた」 ( 「この章の手引き」 p.1 2 た ことである。 しかも、それが神戸大学であるこ 3) とある とお り、第 2章 にか ぎ らず 、本書 は明 との意味は小 さくない と思 う 。 確 に一般 町民 向 けを意識 した史料編 とな ってお 私 の感 覚 で は、新 宮 町規模 の町では、通 常 自 り、今後の 自治体史史料編 のひ とつのモデル にな 治体史の中世を担 当す るのは 1人である。 ところ るもの と思われ る。編集 ・執筆者 の ご苦労には、 が、この新宮町史では、冒頭 に記 した よ うに 5名 率直に敬意 を表 したい と思 う。 ものス タッフが執筆 にあたってお り、 しか も全員 ただ、 あえてい えば、そ こにあ る種 の ジ レン 中堅か ら若手の研究者 である。従来、播磨地域の マ を感 じるの も事実である。つ ま り、町民に とっ 自治体史はある程度限定 されたメンバー を中心 と て解説が親切 なほ ど史料本文 (白文)は背景 に後 して編集体制が組 まれてきた。その結果、内容が 退 して しま うのではないか。歴 史は確 かな史料 に 安定 してい る反面、新鮮 さにかける部分があった 基づ くべ きものであるか らこそ史料編が編纂 され ことも否定できない。今 回、す くな くとも周辺 自 るのであ り、執筆者 も本心ではまず史料その もの 治体史 にない新 しいスタイル の史料編 ができあが を読んで ほ しい と思 って い るのではないだ ろ う ったのは、執筆者 の数や性格 と無縁ではないだろ か。 う。推測す るに、 これ らの ことが可能 になったの だが、一般 の町民 に とって、漢文 で書 かれ 特 は地域連携セ ンターが委託 を うけ、セ ンターの主 殊な用語が頻 出す る中世史料 を読み こなすのは容 導で編集体制 を充実 させ られたか らではないか。 易ではない。 となると、つ ぎの段階 として史料本 そ うであれば、専門スタ ッフを擁 し、学外研究者 文その ものに親 しめる工夫が求 め られ ることにな とのネ ッ トワー クも有す る大学に編集事業 を委託 る。事実、その よ うな例 はすでにあ り、たまたま す ることは、 自治体に とって大 きな魅力 となるに 手元にある自治体史の中では、 『上里町史』資料 違 いない。 これ まで も一部の私立大学で 自治体史 編 ( 1 992年)が史料 中の語句 に注記 をつ け、 さら な どの編纂 をお こな う例 はあったが、神戸大学 と に内容 を簡 略 に解説 して い る。 また、 『福崎 町 い う定評のある国立大学が このよ うな事業 を実施 1 990年)は、全史料 ではないが 白文 史』第 3巻 ( し、す ぐれた成果 を生みだ した となれ ば、今後、 のあ とに訓読文を載せ てい る。 『新座市史』第 1 地域連携セ ンターに 自治体史の編集 を委託す る市 巻 ( 1 984年)では訓読文 と詳 しい解説がついてい や町が次々 と現れて くるのではないだろ うか。 る。具体例 を知 らないが、 これが さらに進 めば現 で は、一方 の 当事者 で あ る神 戸大学 にお いて 代語訳 とい うことになるのだろ う。 どこまでの情 は、独立行政法人 とな り、地域社会-の貢献が求 報 を提供す ることが望ま しく、かつ可能 なのか、 め られ るなかで、 この よ うな事業は どの よ うに認 自治体 史の編集 に関わ る者 が、労力、時間、経費 知 されてい るのだろ うか。専任教員の業務や実績 等 々の制約のなかで常に頭 を悩 ませ る問題 である として、また学部生、院生の教育 との関連 で どの ( こ うした問題 は、第 2節 に述べたい くつかの要 よ うに位置づけ られているのか、ぜひ教 えていた だきたい ところである。 望 とともに、作業の大部分 を外部の研究者 に依存 し専門能力 をもつ専従の職員 をおかない多 くの 自 最 後 にい ささか賓言 を費や して しまったが、 治体の編集体制 とも関わ る と思われ るが、 ここで 本書に対 して述べた ことが らのすべてが、そのま はこれ以上述べない)。 ま 自治体 史に関わる者 としての 自分 自身 に返 って くることを認識 しつつ、 この拙い書評 を終 えるこ いまひ とつ、史料本文に親 しむあ り方 として、 とに したい。 刊行 後 に発行者 が機 会 を提供 す る とい う形 が あ る。私の知 るところでは、三 田市が 「 市史史料編 を読 む会」 を開催 し、執筆者 を中心に講 師 を立 て、具体的なテーマに基づいて史料 を解読 してゆ 自治体史の挑戦 くとい う試み をお こなっている。 これは、史料編 Ⅰ書評会に参加 して- にかぎ らず、 自治体史は刊行 しただけで よいのか とい う問題 に もつ ながる。 1 58 - 『播磨新宮町史』史料編 自治体史編纂 が戦後歴史学の発展 に大 き く寄 与 敬意 を表す る一方で、誰 を読み手 として想定 して した こ とは間違 い ない。 域 内の 関係 史料 を収集 い るのか、私 にはわか らなかった。 史料編 の読者 し、史料編 と通史編 をセ ッ トで刊行す るとい う1 9 には史料 を読む努力 を求めて良い と思 うが、印象 70年代頃に定着 したスタイル は多 くの 自治体史が 論 に過 ぎない とはい うものの、 この解説では結局 いまも踏襲 している。 関係者 の取 り組みによって の ところ相 当な知識 を有 した読者 に しか理解 でき 異なるが、 自治体史編纂 によって どれだけ多 くの ない と思 う。 この史料編 と連 関す る本文編 は刊行 個 人蔵 史料 が消失 の危機 を免 れ たか計 り知れ な されない とのことなので、解説 には本文編 の役割 い。 また私の印象 に過 ぎないが、優れた 自治体史 も担わせたのであろ うが、史料 を全文掲載す るこ が刊行 され てい る地域 の小 中学校 の歴 史副読本 とで しかできない、史料編 な らではの読 ませ る工 は、その叙述 をふ まえた しっか りとした内容 にな 夫 を考 えて も良かったのではなかろ うか。 二つ めは収集 した史料 と非掲載 史料 の情 報 開 っている。分厚 い 自治体史ではあるが、地域の歴 示。ただ これは続 く近代編で叙述予定 との ことな 史認識形成 に貢献 していた ことも間違いない。 ので、 『播磨 ところが刊行 された 自治体史 を振 り返 り、その 新 宮町 史』 には 当て は ま らない 成果 と問題点 を洗い出 して、次 に生かそ うとい う が、かねがね非掲載史料 の情報がない ことに不満 試みは、少 な くとも私 の関係 した 自治体 史ではな を持 っていた。 とりわけ掲載史料 に関連す る非掲 され なかった し、周辺で もほ とん ど耳に しない。 載 史料の情報は記載すべ きだ と思 う。 三つ めは、新宮の現在 を語 ることの必要性。 こ 私が知 るのは 『千葉県史』のみである。 新宮町史』史料編 Ⅰを書評す る れ は本来、本文編で叙述 され るべ きことで史料編 機 会 を与 え られ たが、紹介 で はな く、 自治体史 にはな じまないであろ うが、現在 のその地域の こ の、 しか も史料編 の書評 とい うのは実に難 しい。 とが語 られていない ことが、 自治体史の弱点だ と 史料 の全貌がわか らない以上、 まず掲載 ・非掲載 私 は思 ってい る。 市町村長 、教 育長 の挨 拶 よ り 今回、 『播磨 の取捨選択の妥 当性 がわか らないか らである。 一 も、 ここ十年 の人 口 ・産業 ・自然環境等 ごく簡単 点一点の史料 についての批評 はで きて も、本文編 な要覧的な内容で もかまわない。せ めて現在 どう で用いた史料 の掲載 を主た る 目的 としてい るであ い う地域なのかがイメー ジできる程度の情報で も ろ う多 くの史料編 では、そ もそ も書評、 しか も関 あれ ば、過去の理解 も深 ま り、また一般読者 に も 係者 が集 ま り書評会 をす るな どとい う発想 は生ま その必要性 を認識 して も らえ るのではなか ろ う れ ないであろ う。批判 を恐れず に、編集方針 を明 か。 確 に打ち出 し、 旧態依然た るスタイル か ら脱すべ 最後に、綱文 な ど必要ない とい う乱暴な ことを く果敢 に挑戦 した 自治体史でなけれ ば、 書評 とい 冒頭 に発言 した。 これ な どは私の古代 ・中世史研 う発想 は起 こらない。推察す るに、関係者 の多 く 究-の無理解 さを露呈 した よ うな ものであるが、 が史料ネ ッ トの活動 に真筆 に取 り組 んできた こと ただ歴 史研究者 の中で さえ、他 の時代か らそれぞ が、挑戦- と踏み出 させ た大きな要因なのだ と思 れの時代の 自治体史編纂のスタイルが どのよ うに う。 見 えているのか とい う議論 を どれだけ積み重ねて きたのだろ うか。各時代 の固有性 は もちろん尊重 とす る と、 これ に応 える書評 をす るには、史料 ネ ッ トの長い活動 をふまえなけれ ばな らないので しなけれ ばな らないが、 『播磨 あ ろ うが、それ だ けの力量 は私 にはな く、近世 相 当な激論が交わ された との ことである。 そ うし の、 しか もその一部か ら気が付 いた点 を列挙す る た議論が 自治体史が発展 してい くには必要である に終始 したことをお詫び しなけれ ばな らない。 と ことを知 った ことが、今回の大 きな収穫で もあっ はい うものの書評 を引き受 けた責務 は果た さねば た。 な らないので、当 日述べた細かい点は省略 し、私 が関わる自治体史編纂の今後 に生かすべ く、三つ だけ論点をあげてお きたい。 一つ めは章の手引き、節 ごとの詳細な解説、 さ らに史料 ごとの解説 と、読者が史料 を読 むために 必要な知識 ・情報が丁寧 に叙述 され てい ることに 1 59 新宮町史』では