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間3-10-1肝 炎に感染していることを知つた当時の気持ち―その他

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間3-10-1肝 炎に感染していることを知つた当時の気持ち―その他
間3-10-1肝 炎に感染していることを知つた当時の気持ち―その他
たまたま行つた人間 ドックで分かり、使用時から13年も経つていたので、こんなことがあるんだとびっくりしまし
た。 ただ 、吐 き気や倦 怠感 を感 じるこ とが今 まで あ ったの で 、それ が肝 炎 のせ いだ ろ うと分 か り、少 し気持 ちが楽
にな りま した。元 自血病患者 としては 、ま だ病 院 と縁 が切れ な いんだ な と思 いま した。
l 退院 して も、1 0 年後 、2 0 年後 に慢性 にな り、肝 癌 にな つてい きます。 必ず 年 2 、 3 回 検査 を して下 さい」 と病院
の先生 に言 われ ま した。 この ウィル ス が身体 にあ る以上 、 いつか 身体 の 中で 暴れ だ し、肝 癌 で死 ぬんだ と、 日の前
が真 つ暗で した。辛 かったのは、子供 の年 と自分 の命 の長 さが、反比例 していくことで した。子供には絶対に感染
させてはいけないと、心に刻みま した。世間 にも絶対に知 られないよ うに と思 い、後ろ向きな′
さで、家 の 中は暗
か つたです。
、肝癌 そ の他 が 急激 な ス ピー ドで進行 中であ り、そ の治療 を早
に して ほ しい 。 時 間 が な い の で あ る。
肝炎 に対す る知識 が乏 しか ったか ら、本 を読み勉 強 した。 И
の 会 な どが 主催 す る講 演 会 に で き るだ け参加
した。 一 生抱 え る病 と覚悟 し、 うま く付 き合 つてい こ うと、 自分 と家族に言い開かせた。医学は 日進月歩。 いずれ
良 い治療薬 がで きる と思 つた。
ので 、 マ ラ ソン をパ タ ッとや めた。
息子 が 高 1で 、娘 が 5才 (保育園)。 借 家住 ま い 、貯金 な し。働 きたいの にで きな くな るな ど、お金 の な いのが 辛
か つたです。 入院 してい る時、 シー ツに少 し血 液 が付 くと、見舞 いに来 て くれた人 に感 染 る と思 い 、看護 師 に何 度
も取 り換 えて も らつてい ま した。 何故 こん な こ とにな つたのか 、原 因が分 か らないか ら怖 か つた。 ベ ッ ドの 足 元や
血液 J と 書 いて あったの で 、血液 の病気 な の だ と、何 とな く分 か つたためです。 あの時 の気持 ちは、
頭 の所 に、 「
相 当酷 かったです。
い つ そ 、国 が 殺 して
々 あ る。 それ がで きな いの な
して もらい 、国民全員 で この 苦痛 を分 か ち合 えれ ば と、考 えた こと も多 々 あ る。
2子 出産後 の発病だ ったため、途方に暮れ た。 あの 当時のことは 、もう思 い出 したくないほど辛いことだった。
被害を受けたショックよりも、この先 この病気 とどのよ うに向き合 つて生きてい くか、生まれたばか りの息子 と家
族にとって、何 がベ ス トなのか、 しっか り考えなければ とい う気持 ちが、とても強かったように思います。 もちろ
ん 、不安や恐れ でい っぱいの 時 もあ りま したが 、 「
負 けた くな い」 「
病気 に も、弱 い 自分 に も負 けた くな い 」 「
病
気 では死 なな い 、寿命 で死ぬのだか らJ と 、 自分 に言 い 聞かせ ていま した。
4Yr*7-E>tz
したが 、そ の 時は元 の 体 に戻 つたか と思 い ますが、数年後 に 、又 、数値 が上 が り
療。10年、20年と年数が長くなると、進行も早くなると言われました。今後、再発 しないかと不安な日々を送 つて
います。
。子供達が小さかったので、死んで下
い と思 つ た 。
して死 ね な い。
。離婚 した
肝 炎 を発生 してか らま る2 2 年が過 ぎ、 当時 の気持 ちは き っ とこ うだ った と思 う。
か らの十 分 な説 明がなか ったため 、 この先身 体 が どの よ うに変化す るのか 、
活 も落ち込んでいま した。家庭内が 、暗 くなつてお りま した。
で あ り、 毎 日の生
して子 供 がで きてか ら、月
干炎 が分 か つたので 、 ど うや つて家族 を養 つてい こ うか悩んだ。
才で出産 して 、 当時 の 辛 い気 持 ちが答 えをはっ き りで きず 、ア ンケー トの 回答 の訂正が多 くな つて しま った。
D辛 さは、 自分 がだ ら しないか らだ と情 けなか った。 しか も、夢 であ つた職 場 を去 らなけれ ばな らない程 、
がだ るか ったの は 、薬 害 、血液製剤 であ った と知 った 時 は、無念 の 一言 だ った。
T百丁 戸な薫百しないようにセープして生活してきたので、やり残した事がいっぱし
ち るように思う。やりたかつ
た事 、身体優先 のた め、 あ き らめた。 子 育て も精 一杯 で きず 、子供 に とて も可哀相 な思 い を させた こ とへ の 、責念
の 気 持 ちが ず っ と心 に残 つて い る。
、 自血病 だ ったの で、更 に C型 肝 炎 にな った ことで 、本 当に生 きて家 に帰れ るか不安 にな つた。
―
―一―――――一―
らめ
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出産 時 の 出血 で肝 炎 にな つて しま つたた め、そ の 時生 まれ た子供 が 、 lマ マ が病気 にな つたの は私 のせ い ?」 と湛
違 うよ。 そ の時 の 治療 のせ いだか ら、○○ ちゃん のせ い じゃな い よ。 元気 に育 つて く
きそ うな顔 で聞いて きて、 「
れ て嬉 しいんだ よ」 と言 つて 、抱 きあ つて泣 きま した。 そ の 時私 は 、絶対 に肝 炎 では死 なな い (死ね な い)と 思 い
ま した。肝炎 が原 因 で死 ん だ ら、 この子 が 自分 のせ い でママ が死 んだ と自分 を責 めて しま う。 絶 対 に 、そ ん な こと
を思 わせ てはいけない と思 いま した。
にな つた こ とで、
平成 2 2 年 1 月 に は8 3 才 。 高齢 者 です が 、 あ と 2 、 3 年 は頑 張 りた い と思 い ます 。
い て い た よ うに思 い
はないか と、 とて も不安 にな つた こ とを思 い 出 しま した。
が 不 安 に な り、 子 供 も産 め な い の
を患 つた 時期 か ら、回復 の 方 向に進 んでいて も、 10年 間 は 3ヶ 月お きに月
干機 能検 査 を行 って
6ヶ 月お き にな り、2000年 か らは 1年 お きに検 査 を行 つてい る。検査結果 を聞 きに行 くのが怖 くて、不安 が い つぱ
いである。
そ の 当時は 、それ ほ ど重大 な病気 とは思 つてお りませ んで した。
4才 で感 染が分 か り、子供 には病気 の説 明は して こなか つた。 ただ 、 自分 の血 液 は 自分 で始末す るよ うに とだ け
は、十分話 して きた。 歯 プ ラシ 、針 、カ ミソ リ、鼻血 な ど。 中学 1年 の終 わ りか ら 1年 間治療 し、以後 、 ウィル ス
(―
) で 経過 が良 く、部 活動 もで きるよ うにな つて きた。本 人 は今 の ところ、深刻 に考 えて い な い。今 は、
で余裕 が な い よ うです。
ど うして !私 が何 か した ?
結果 の 通知 の宛 て名 を何度 も確 認 したが 、私 の 住所 と名前 に間 違 い なか つた。 主人
は C 型 肝 炎 の知識 が全 くな く、勉 強 しよ うとも しなか つた。 一 緒 に生活す る上 では 、 い ろい ろ意 見 の違 いが 出て き
た。
子供 を死産 した後 、そ の 状 況 か ら自分 が立 ち直 るこ とと、 上の子供 ( 2 才 ) の 世話 で、ほ とん ど余裕 が あ りませ ん
で した。 また 2 年 後 には、次 の子供 を出産 しま したので 、本 当に多忙 な 日々 だ つた と思 い ます。 私 が肝炎 で気持 ち
ヽ
沈んで しまったのは、平成 9年 。落 ち着 いていた血液検査 の結果が悪化 し、再度検査を受け、その際、 C型 肝炎
と診 断 され た時です 。 それ までは、 「も しか した ら ・・・」 と思 い なが ら、他 の原 因で 一 時的 に肝機 能 が 落 ちただ
けだ と、 自分 を ごまか して い ま した。 色 々 な情報 で 、 C 型 肝 炎 は深刻 な病気 とい うことは知 って い ま したので 、 自
がそ うい う病気 だ とい うこ とを受 け入れ るのが、 とて も辛 か つた です。 又 、平成 元年 に次 の子供 に も恵 まれ ま し
たので 、そ の子供 に感 染 したのでは な いか とい う不安 があ りま した。 そ のた め、診 断 を受 けた後 は不眠気 味 とな
り、 2 年 程神経 内科 を受診 してい ま した。 そ の 間 は将来の不安 で、絶 望す るこ もあ りま した。若 い 頃 、看護 させ て
いただいた肝 ガ ンの 患者 さんが思 い 出 され て 、仕 方 が あ りませ ん で した。肝臓破 裂 で腹 部 に血液 が溜 ま り、 亡 くな
られ た方。肝性脳 症 で 、夜 中に突然書道 を していた優 しい患者 さん。 静脈 瘤破 裂 で長期入 院 され ていた方等 、本 当
に壮絶 な闘病 で したの で 、友人 とは、 「
肝炎 だ けにはな らな い よ うに しない とね」 と話 して い ま した。 そ の 方達 と
自分 が重 な り、 自分 か ら逃 げ出 した くな る時 もあ りま した。 主人 と相 談 し、子供 には1 8 才にな った ら ( 高校 卒業)
話 して、検査 を受 けて も らお うとい うこ とに決 めま した。 そ して 、2 0 0 8 年2 月 、大学受験 を終 えた子供 に話 しま し
た。 薬害月
干炎 の原 告 の方 々 が 、国 と和解 した直後 で したので 、子供 も、月
干炎 の 事 を少 しは理 解 して いた よ うで、泣
きな が ら話 を聞 いて くれ ま した。 夏休み に検査 を して 、 ウィル ス は陰性 と うこ とが分 か り、家族 皆 で喜び ま した。
今 は何 かにつ け、相 談 に乗 つて くれ 、励 ま して も くれ ています 。
取 り敢 えず は、母 な し子 にな らな くて良 か つた と思 い ま した。 ただ 、 日が経 つ うちに、子供 が 歩 くまで`
か 、学校 に入 るまで 。・・等 々 、常 に死 と隣 り合 わせ で した。 生 きて い た い と思 い ま した 。
のた めに、 7ヶ 月入院 しま した。 死ぬに死ね な い。 子供達 の こ とを思 うと、入院 中 も泣 いて ばか りの 日々 で し
スL。
当時 、長女 2 才 、生 まれ たばか りの子 を残 し、長期 入 院 して い ま した 。 今 思 い 出 す だ けで も辛 い です 。 身 内 に
迷惑 をか けま した。
発病以来約27年間、月 1回 の割合で通院、検査。薬は毎日飲んでおり、
れ
、天院
を勧 め られ ま したが、費用等 の 問題 があ り、食事療 法 とか漢 方 の針 に通 つた り して 、何 とかG O T 等の値 が 1 0 0 以下に
な り、現在 も通院 してお ります。
とて も シ ョックで 、希 望が な くな り、死 んで しまいたい と何度 も思 い ま した。 しか し、 2 人 の 子供 の ために 、2 0
までは必死 でや つて きま した。今 は、 2 人 とも2 3 才、2 8 才にな り、子供達の事 は 、少 しホ ッと してい ます 。
当時 の 国 の 責任者 も同 じ苦 しみ を味 わ ってほ しい。
、肝 ガ ンに な って死 ん で しま うん だ と、 日の 前 が真 つ 黒 に な り、病 気 と闘 う気 力 が な か っ た です 。
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、知 つ て か ら治 療 を して 、 ウィル ス が 検 出 され な くな つた 期 間 の 中で 、
で回答 しま した。知った当時だ と、肝炎についての知識が少ないのて、 ここに挙げている気持ちのほ とん どが、考
えてはいませんで した。
ただ 、子供 が 3 才 と小 さか つ
肝炎 の 事 は 、ま だ よ く分 か つてい
る と思 つて い
たので 、外 へ 連れ 出 してやれ ず 、 不憫 に思 い ま した。 当時 は 、肝 炎 とい う病気 で も、人 に話す こ とに後 ろめた さは
持 つて い ませ ん で した 。
で きな い !」 と家族 に言 われ た りした。 三度 と治 らな い と知 り、入
見 か け は元 気 そ うに 見 え る の で 、
院 中か ら夫 と不仲 にな り、 自営業 も廃 業。 それ ま でや つていた茶道教室 、 ピア ノ教室 も病気 が 治 る保 障 もな いの で
や めた り、他 に も着付 け、華道 も していて 、 一 部資格 を取得 してお りま した。 書道 も、あ と 7年 位 で教 室 を開 ける
ところまで きて いたの で、思 い 出す と、今 で も悔 しさが込み 上 げて きます。 私達夫婦 と子供の道 も断 たれ た悔 しさ
は 、想像 を超 えます。夫 とは 、急性肝 炎発症 か ら 1年 で離婚 しま した。
で 、ベ ッ ドに横 にな つてい る
こ と しかで きな くて、ひ と りで涙 が こばれ ていま した。 産科 の病棟 に入 院 したので 、同 じ病室 の人達 は、赤 ちゃん
にお つぱい をあげた り、 うれ しそ うに してい るの に 、私 は なん で ? と い う気持 ちで いつぱいで した。 一番 辛 か つた
の は、母 乳 を飲 ませ てあげ られ な い こ とで、母 乳 は出 るの に 、冷や してわ ざ と止 めな くては い けな い こ とで した。
主人 、家族 の人達 、実家 に も子供 はお世話 にな り、迷惑 をか けて 申 し訳 なか つたです。
出産 して lヶ 月検診で、数値が上がっていることが分か り、即入院で した。
こ。 両親 は血圧 が 高 く、血圧 の 心 配 、 又 、伝 染病 と して結
l T 炎と聞 か されて も恐 ろ しい病 だ とは、何 も知 らなか つフ
核、エ イ ズ 、ハ ンセ ン病 と、我 が世 代 は聞か され ていた。 ずいぶん誤 つた伝え方を国民にし、大変 な病気 を引 き起
こ した とい うこ とに、怒 りを覚 え る。
んになるのではと、落ち込んだ時もあつ
に つ い て理 解 して い な か つ
どの くらい あ るのか不安 であ り、
か つた と思 う。 とにか く、何 とか して治 りた い と
当時 は、月
干炎 とい う病気 が どんな
思 つた。 ただ、子供 が小 さか ったので 、子育 てに 夢 中にな り、生 き甲斐 に もな り、励 み にな りま した。 主人 も理解
があ り、家事 な ど助 けて くれ ま した。
lヶ 月 日の 出来事だ つた ので 、上 の子供 と 3人 で死 にた くな りま した。
母 子 感 染 して い る可能性 が 強 い の で 、
査 を受 け る こ とが言 え な い で い る。
安事 にな つてい る と、新聞 、テ レビ報道 で知 りま した。 ど う動 けば いいのか分 か らず 、 たまた
町に肝臓 の専門 の先生が赴任 して きて、色 々相 談 しま した。1ケ 所 では納得 で きず、隣 の県 に行 き検 査 を して 、同
じ結 果 で したので 、近 くで治療 を始 め よ うと決 めま した。 子供 も 1才 半で したので手 もかか り、 自分 の体 の 事 が不
安 で一杯 で した。 イ ンター フェ ロ ン も試験段 階 で 、未知 の もので あ る (試験 的にや つていた方 もい ま した)。 専門
の先生 が いた事 は 、 とて も心強 か つた です。 何 で も話 をす る こ とがで きた こ と、幸せ に思 い ます (今は ご病気 で亡
くな りま した)。
を初 めて知 った 時 は 、 この 先 ど うな る の
の 気 持 ちで い つぱ い で した 。
肝 炎 に感 染 した と知 って 、本 人 は もち ろん 、周 りの人 ( 夫、夫 の実家 、親戚 ) 全 員 か ら、 も う死 ぬのでは な いか と
思 われ 、それ か らず つ と、 「
体 の 弱 い人」 とい う レッテル を貼 られ てい る。 自身 は、肝臓 の勉強 を した りして前向
きに考 え、生 きて きま した。周 りの人 々 か らの変 な 目線や考 えに、何 もか も嫌 にな ったが 、離婚 を して も、 自分 1
人では生 きて い けな い と考 えて、嫌 い な人 々の 中に いて 、耐 え るだ けの今 までの 人生で した。肝 炎 = 耐 え るです。
に 感 染 して しま った 人 は 、 自分 の 事 だ け で は な く、 子 供 の 問題 もあ る の で 、
大変 だ と思 い ます。人生で一 番 幸せ な時期 が 、 一 変 して絶 望 的 にな るのです か ら、それ を受 け入れ て前 向 きに生 き
てい くには、本 当に大変 な こ とで した。 ただ 、私 が 一 番恐れ ていたの は、その事 の実質 を子供 が知 り、罪悪感 を持
つ こ とだ けは 、あ っては な らな い と、 いつ で も明 る く、息子 を授 か つた喜 びや幸せだ けを話 して きま した。
うしてこんなに体調の悪い毎 日が続 くのだろ う?ど うして こんな病気になつてしまったのだろう?自 分が不摂`
を して病 気 にな ったの な らば仕 方 が な いが 、何 も悪 い こ とも していないのに と、悩み ま した。 この 当時 は 、ま だ治
る病気 だ と思 つてい ま した。
出産後 の 突然 の入院 であ り、慢性化 す る と治 らな い と医師 に言われ 、絶望 した。
ガンにだ けはな りた くなか ったので 、47才 にな つた ら死ぬ つ も りで した。 そ のつ も りで、警察 に調 べ られ て もいい
よ うに、 エ コー に書 いた。 そ うした ら、怒 られ た。今 は笑 い話 だ けれ ど、あの時は真剣 だ つた。
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で しま い た い と思 つ た の は 、 I F N とい う辛 い
家族 のお荷物になるだけではないか と考えま した。
に対す る知識 が何 もな く、無知そ の ものであ っ
々思 い 、表現 で きな い く らい で した。 幼 い我 が子 の
では死ね な い との思 い と、 自分 自身 の 心 は
い底 の な い沼 に沈 め られ た よ うな、重 い うつの 時間が増 えて、明 る く振 る舞 うほ ど、孤独感 でい つ ぱ い で した。
)、 高額な治療費 と副作用が厳 しい治療 ′、諦 めな けれ ばな らな
感染 か ら13年経過 して告げ られま したが (2000年
いこ とが悲 しかつた。週 2∼ 3回 の強 ミノの注射は、 2年 間続けたが 、あま り効果はなく、血小板 が減少 した。病
気 に対す る焦 りと不安 が 、 いつ もつ きま とい 、何 かで ごまか していた よ うに思 う。
肝 炎 に な つた こ とを考 えて くよ く よ して も、仕 方 の な い 事 です し、
身体 をいた わ りなが ら、毎 日を過 ご してい きた い と思 つてい ます。
の 事 は考 え な い よ うに 、
てほ しい と思 つた。
になつてしまつたと、悩みに悩んだ。人に
とい う事 と、 5 ∼ 1 0 年で 肝 硬 変 に な る と本 に
いて あ り、恐 ろ しくな つた。 3 人 の 子供 をお いて死ぬ ことはで きな い と思 つたが ・・・。 フ ィ プ リノゲ ンでは な い
と思 つていた し、ま してや 、そ の 事 さえ知 らず にいた。 当時は、人 に感 染す る病気イ コー ル死 と考 えてお り、怖
か つた し、大変 な病気 にな つた と、 ど うしよ うと考 えた。
出産 直後 に体調 不 良で入院。肝 炎 と診 断 され t半 年近 く入院。母 乳 を与 えていたので 、
治療。 2才 の長男 もいたが 、家 族 バ ラバ ラな生活が始 ま る。 病気 の不安 と同時 に 、精神 的 に もす ご く落 ち込 み 、
りの人 々 に も負 担 をか け、 申 し訳 な く思 つた。 子供 に も淋 しい思 い を させ 、 この 頃 は とて も辛 か つた。
全 てが肝 炎 に振 り回 され てい る よ うだ つた。保 存血 1 パ ックの輸 血 で感 染 した と1 つていたの で、 ただ ウィル スが
消 えるこ とだ け を考 え、 ウィル ス が消 えた ら、元の元気 な体 にな る と思 つていた。 小 さか つた子供 達 が 、私 の 体調
をいつ も心配 してい る姿が 、余 計 に辛 い気持 ちだ った。
生まれ たばか りの娘 を残 し ( 2 才 の 息子 も) 、 2 つ の病院 に」
り返 しま した。職 場復 帰す るまで 2年 かか
りま した。 3 6 年前 で 、 C 型 肝炎 としいう病名 もな く、慢性肝炎 、非 Att B型 肝 炎 と言われ てい ま した。 出産 の 際 の輸
血が原 因だ と思 い 、薬 害 で あ る認 識 は全 くあ りませ んで した。 思 い 出す の も辛 い。 思 い 出 した くな い何年 間 です 。
ま さか治 らな い 病 気 だ とは 思 わ な か つた 。
感染 して い るこ とを知 つた 当時 は、家事や子育 てに一 生懸命 で、病気 の事 を詳 しく知 ろ うとも思 わなか つた し、
に至 る恐 ろ しい病気 であ る とは知 りませ んで した。病気 になつた本 人 の気持 ちは、他 人 には分 か らな い と思 い ま
す。イ ンター フェ ロンの副l 作用は とても辛か つた けれ ど、その幸 さも健康な人には分か らないこ とです。家族 のた
めに、妻、母 としてのや るべ き事を毎 日、時には無理 もしたと思 いますが、や って来 られたかな と思 い ます。
に感 染 して い る の を知 つた の は 、 2 2 年 も前 の こ とで 、記 憶 が 多少 ゆ る くな つ て い た
った が 、 ア ンケー
卜を書 いてい く うちに、 い ろい ろ思 い 出 して 、書 き直 して しま つ た。 出産 l ヶ 月 ち ょっ とで急性肝 炎 で入 院 とな
り、それ か ら 6 ∼ 7 ヶ 月 の 長期 入院 ! 結 婚 して1 0 年目で授 か つた娘 とも l ヶ 月で離れ ばなれ で 、毎 日病院 のベ ッ ド
で泣 いて いた よ うに思 う。 子供 にお乳 をあげた記憶 もなけれ ば、抱 つこ した りお んぶ した りも してい な い 、悲 しい
母親 であ る とい う トラ ウマ が あ る。
ン ター フェ ロ ンが どの くらい効 くのか ?こ の先 の肝 ガ ンヘ の心 配 、再発 へ の心 配。
つて 帰 る時 、 そ の
肝硬 変 、肝 ガ ンに もな つたが 、 見た 目が どこが悪 いの ?と い う感 じです 。 軽 い 買 い物袋 ひ
時は十分持 てた つ も りが、夜 にな る と足 が つ り、死 に もの ぐるいで 、夜 中に よ く悲鳴 をあげて い るのが 辛 いです。
1 0 分位 でお さま る時 はいいのです が 、痛み 止 めや湿布等 を して も、 4 ∼ 5 時 間 つ つた ままの時 は、本 当に死 ぬ 思 い
で辛 いです。 当時 は、お酒 も飲 めない私が何 で肝 炎 にな ったのか と、信 じられ な い思 い と同時 に、幼 子 3 人 を育て
なが ら、生活 のため仕事 と育児 で忙 しす ぎて、医師か ら肝炎 の こ とを聞 き、 ど うした らいいか死 にた い気 持 ちにな
りま した。体 が 思 うよ うに いか ず 、辛 か つたです。
まだ独身だったので子供 のい る今 とは違い、守るものがない上、仕事上死 とは背中合わせだ と感 じることもあ つた
の で、病気 にな つた こ と、それ に よ り死 ぬか も しれ な い ことな どへ の 恐れ よ りも、 なぜ肝炎や エ イ ズの 恐れ の あ る
薬剤 が安易 に使 われ たのか とい うこ とへ の怒 りの方 が強 か った。 入院 中の 入院費 も、なぜ 、病 院 で うつ った病 気 な
のに私 が 負担す るのか 、納得 が いか なか つた。 主治医はお見舞 いの 花 を持 つ て きた が 、 ピン トがはずれ てい る と、
腹 が立 った。 主治 医 の上 司は、血液製剤 で感 染 した とは限 らな い とわ ざわ ざ言 いに来 て 、私 を怒 らせ た。 2 4 才の若
い娘 だか らバ カ に してい る と思 つた。 父が医師 ではな く、皆知 らな い人 達 な らば 、訴 えたか った。 そ の病院 の院長
●●●●●●●は きつ い仕 事 だか ら、辞 め るの も潮 時 で しょ う」 と言 つた。 す べ て忘れ られ ませ ん。 父
夫人 は、 「
が 医師 で尊敬 して きた ので 、 日本 の 医療 のお 粗末 さに初 めて気付 か され 、医療 の 質 とは医療 に携 わ る人 、1 人 1 人
の人 間 と しての質 も間われ てい る と思 い ま した。
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で 、急性肝 炎 が分 か りす ぐ入院。lヶ 月 の 子 を親 に頼み半月入院 。 い
下 が り (100台)退 院 した ものの 、疲 れや す く、十分子供 の 世話 が で きなか つた ことが悔 しか つた。母乳 か ら子供 に
感染す るかもと言われす ぐ中止。母乳でヾ健康な子供に育てたい とい う願 いは断ち切 られる。以後、強制的に母乳
を止めたのが原因か どうか分か らないが、乳腺症 にな り、平成19年には乳ガ ンが見つか り手術。抗 ガン剤 、放射線
治療を し、今はホルモン剤服用。その副作用なのか不眠,ホ ッ トフラ ッシュ、気分 の落ち込み、関節痛に悩ま され
る。今は肝炎の数値は一応落ち着 いていますが、20年過 ぎた頃か ら悪 くなるとも聞きます。 これか らどうなるの
か、乳ガ ンを含めとても不安に思 い 、 日々生活 しています。
け、その時に使用されたフィプリノゲン。20年経つた今も病気の怖さから逃げられません。定期的に行 う
腹部エ コー ウィルス検査。病院 と縁が切れません。肝臓ガ ン とい うレールの上 に乗 つています。イ ンター フェロン
治療 と副作用 と高額 医療 で 、決 心 がつ か な い現状 です 。現在 の 医学 で 、安 心 して受 け られ る治療 を望み ます。 薬害
が繰 り返 され な い国 づ く りと、イ ンター フェ ロン治療 費 の 助成額 、期 間 に つ いて 、前 向 きに進 んでいただ きた い。
当時は ウル ソの増減、強 ミノと、
上がらないよ う、治療に先生を信 じて、時間ができると体を休めるよ う心
掛 けて、運動量 も減少 させ て い ま した。
結婚 後 、初 めて授 か った第 1子 流産 の 際 、DICを 起 こ して、 「
命 と引 き替 えの輸血 です。肝炎発症 の 可
すが、了承 してもらえますね」 と主治医に言われ 、輸血 して一命 をとりとめま した。その後肝機能が500∼ と高し
値 に。 強 ミノの点滴投 与 を受 け続 け正 常値 に。 止 め る と1 , 0 0 0 ∼まで数値 ははね上が り、又点滴 ・・・を何度 も繰 り
返 し、入 院 は 7 ヶ 月 に及 びま した。 それ まで、風邪 な ど寝 た ら治 る病気 しか知 らなか つた私 は、治 らな い病気 を受
け入 れ るこ とがで きず 、投 げや りな気 持 ちにな つた こ ともあ りま した。 退院後 も近 くの病院 へ 通院 し、点滴投与 を
ま したが 、数値 は100よ り下が らず 、 医師 に 「
治 らない病気 なん だか ら、 この程度 」 と言 われ た時が 、 一番
シ ョックで した。 兵庫 医大では 「
い く らで も治療 方法が あ る」 と言 つていただ き、希望 を持 つ ことがで きま した。
そ こで 、以前通院 していた病院 で使 われ ていた点 滴 が 、 ミノフ ァー ゲ ンで はな く、 ノイ フ ァー ゲ ンであ ったた め 、
F F 機能 がお さえ られ なか った事 を知 らされ 、通院 して い た期間が無駄 であ つた と悔や まれ ま した。又 、何度 も確認
したの に、 「
強 ミノ と一緒や 」 と断言 し、 ノイ フ ァー ゲ ン を使 用 して いた 医師 に対 して、怒 りさえ覚 えま した。
ξに感染 したのは2 6 年前。お産の ( 輸血) 後 l ヶ 月後に黄疸 と全身倦怠感の症状が出たので、産院 で検診。0 0 T 、
が2 , 0 0 0 程
度あ り、劇症肝炎で した。その後 3 ヶ 月近 く入院。その時は肝炎 の恐ろしさを全然理解 していません
で した。 そ の後 、新 聞や テ レビ報道 で、 この病気 の恐 ろ しさを知 りま した。 近 くの病院 では、その うち いい薬 が 出
ます よ と言 う先生 の話 で 、あま りこの病気 の事 は気 に していませ んで した。
まれ て 3 年 後 には も うC 型 肝炎 ( 感染) だ つたの で 、普通 ` 体力 が どれ くらい な のか分 か らな いので 、つ い頑
つて しまい 、後 が疲れ る。 「も との体 を返 して ほ しい」 の 、 も との体 が 私 にはないので、辛 く思 うこ とがあ りま
。 あ りま した。
げ られ た 時 は 、何 故 私 が ・ ・ ・? ど う して ? と い う気 持 ちで信 じられ ませ ん で した 。 昨年 の 1 月 ま で は 、
自分 は輸 血 に よる感 染 だ と思 い込 んで い ま したが 、血液製剤 に よる訴訟 な らば、 も しか して私 もそ うか と思 い 、駄
目で も ともとで手術 した病 院 に行 き、 カル テが残 つていたの でび っ く りしま した。
ご働 けて い るこ とに、感 謝 していま す。 病気 の ために 、仕事 をな く した らど うし
こ とは 多 々 あ り
すが、働かせていただけて感謝 しています。埼 玉にいたことがあ りますが、歯科 の先生に治療を断 られた時は、悲
しかったです。
私がインフーフェ百ンを始めた頃は、3人 に 1人 の割合でしか効果がないと言われました。でも、先生の
に
治 る薬 がで きる」 とい う言葉 に、全 く不安 はあ りませ んで した。1本 目の イ ン ター フェ ロン後 、あま りの苦 しさに
帰 りたい気持 ちで したが 、絶 対 に 治 る とい う言葉 を信 じて 、乗 り切 るこ とがで きま した。 医者 は技術 だ けでは
な い と痛感 しま した。 私 は、その先生 と出会 えた こ とに よつて、勇気 を もつて病気 と付 き合 うこ とがで きま した。
戻否で匠しい。命の短さに辛い思いである。毎 日毎日
て 生 き て い く こ との 苦 痛 ^ 国 に
られ
た と思 った 。 子 供 に移 植 を願 い 出 ま した が断 られ 、妹 ( 本人 ) も 苦 しん で い た 。 子 供 との 移植 問題 。 互 い に 苦 しむ
と思 う。 も う少 し国 の 力 が ほ しい と思 い ます。 死 を待 つ だ け です 。 医 師 か らも話 が あ り、子 供 も 自分 が 原 因 で あ る
こ とを知 って い る。
である と知 った時 は、子供 を死産 し、その 上三度 と子供 の 産 めない体 にな り、その こ との 方カ
ては シ ョックで、肝炎 に感染 してい る こ とな ど、 ど うで もいい気持 ちで した。
に とつ
の
こ
の
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で
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れ
同こ
ま
自
に最
後
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覆
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雪
動
丁
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言
雪
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曇
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欺
の こ とでの相談相 手 は、感 染 してか ら 1人 もい な い。 自分 の 人生 を、 もとの体 を返 してほ しい。
当時は:葬 五扉百 ど下丁荷更が多F万面5な い病気だとい うことで、不安で しょうがなかった。何をどう治療すればい
いのか 、 どんな事 に気 を付 けれ ばいいのか。 ただ 、高カ ロ リー 、安 静 、点滴 と言われ 、本 当に こんな事 で治 るのか
分 か らなか った。
63
か ったので 、入院費や 普通 に
も う24年 も前 の こ とです が、
して も、検査代 もバ カにな りませ んで した。 イ ン ター フェロン も当時 は保 険 が利 かなか ったので 、 1 回 3 万 円 ×週
3 回 ×月 4 回 × 6 ヶ 月 の お金 はな く、あ き らめていま した。保 険 が利 くよ うにな つた と友人 か ら聞 き、平成 1 3 年に
治療 しま したg 医 療 費 の 自己負 担 の 軽減や 、所得 に よつてです が 、 自己負 担 な しに して ほ しいです。
これまで人に迷惑かけることな く、真面 目に生きてきたのに、どうして とい う思 いで した。それ と同時に、家族 の
誰でもな く、まだ 自分でよか つた と自分を納得 させ る思いで した。経済的不安 もあ り、す ぐにイ ンター フェ ロン治
療 な ど、考 える こ ともで きな か つた。
当時 は死 の恐怖 ( 劇症肝 炎) も あ りま した。子供 も小 さく、母 と して妻 と して嫁 と して 、何 に も役 に立て な い 自分
を責 めて 、イ ライ ラす る毎 日で した。 けれ ど、夫 の優 しさや子 供 の笑顔 、周 りの協力 の お陰 で 、徐 々 に元気 にな り
ま した。 当時 は、検査数値 に も一 喜 一 憂 して、先 の 見 えない治療 に苛立 ち もあ りま した。誠 意 あ る医師 に出会 う
と、涙 していま した。
自分 自身が若 か つた し、子育 て真 つ最 中だ つたの で、病気 の数 字 の こ とよ りも、必 死 で生 きて いた こ
これ まで 1 8 年間 、 とて も疲 れや す く、 いつ も体 がだ る くt 家 電
分 で 怠 け者 だ と思 い 込
いたのは 、そ うで はな く肝 炎 に感染 していたせ いだ と思 つた。 よ く夫婦喧嘩 も した。 時間 を返 してほ しい。
感染 を知 つた 時 、肝炎 か ら肝 がん にな る と言 われ 、あ と何年 生 き られ るん だ ろ うか と絶 望 したが 、他 の病院 で天 寿
をま っ と うされ てい る方 もお られ ます し、悪 くな るまでに、 まだ C型 肝 炎 が 分 か つてか ら 日が浅 いの で 、 良 い薬 が
で きるか も しれ ませ んか らね と言 つていただ き、心が楽 にな りま した。
C 型 肝 炎 に な る前 は 、人 との付 き合 い
ヽ
つた が 、イ ン タ ー フ ェ ロ ン を打 ち治 療 し、 なぜ か それ か ら
力が落 ち、元気 に生活 して い る方 が 羨 ま しか ったです。 お産 の 時 に大 量 出血 し、生命 が 助 か つただ けで もいい と思
わなけれ ば と、 当時 は思 い 、頑 張 つて イ ンター フェ ロン治療 を続 けま した。 毎回高熱 が 出て とて もつ らか つた けれ
ど、 当時 の 会社 と家族 に支 え られ て、頑 張れ ま した。 専業主婦 だ った ら、治療 で きませ んで した (高額)。
インターネ ッ トや本で病気 の事 を調べ た りす ると、つ らい気持ちになつた。 自分には、 「きたない血」 が流れて い
ると思 つて 、落 ち込む こともあ つた。1 人 目の出産 の時の感染なので 、 2 人 目の子供に感染 していた らとい う不安
が あ った。
こ こ数 年 肝 炎 の 治療 を して い な い の で 、 は つ き り した こ とは 分 か りま せ ん が 、気 持 ちは ゆ らい で い る。
ル パ ンチ で 、本 当に希 望 を失 い ま した 。
に な ったの が
原 因 です が 、仕事 も十分 にで きず 、疲 れ るのです。 そ して体 が痒 い。 医者 か らも十 分 注意す るよ う言 われ 、 ビク ビ
クハ ラハ ラの状態 で した。 現在 も不安 です 。肝 炎 にな つた 時 、風 呂の 制 限が あ り苦痛 で した。肝臓 で約 1 年 程 、心
臓 手術 した病 院 に入 院 しま した。 入院 中、展 望が全 くな くて、七転八倒 で あ りま した。 医者 か ら感 染 を伝 え られ た
時は、本 当に絶 望的で した。 心臓 を助 け られ て 、 こん な事 を言 うの も申 し訳 な いの です が ・・・。
に と して も生 きな けれ ば と思 い ま し
、子 供 は 中学 生 と高校 生 で した 。 た だ 、子 供 の た め に何
(特に主人)に 守 られ て 、頑 張 つています。感謝 しています。
肝炎 があ る 自分 とな い 自分 を比 べ るこ とはで きな いの で、現在 の 自分 を丸 ご と受 け入れ て、生 きて い こ うと思 つて
い ます 。疲れ た ら休 む。 ただ ジー ッと して休養 す るこ とで少 し元気 がで て きた ら、動 き出す よ うに して い ます 。 自
分 の 気持 ちを上 げ るこ とを大切 に して 、モ チベ ー シ ョン を下げ る よ うな こ とは、考 えな い よ うに してい る。
い く ら完 全 に治 つた と して も、身体 の 中に ウィル ス が1 0 0 % い な くな る と│
せ ん と言 われ ます が 、 数値 が発症 前 よ り高 いので不安 です。
せ ん。
●高値 を示 していて 、 自分 の知 らな い ところで病気
体調 に変 わ りはなか つたが 、検 査f L は
んで しま うんだ と思 つた。 毎 日、 「自分 が あ と数 ヶ月 の命 しかない 」 とい う夢 を見た。
に
ん進んでい き、
今 は 心配 して くれ る主 人 が い て 心 強 い が 、1 人 に な った ら心細 い 。 又 、 主 人 も体 の 不 調 が よ くで る の で 、 とて
1子 を出産 した ばか りで、 ど うや つて生 きて い つて 良 いか 、強 く不安 に思 つた。 で も、や らな きゃ い けない こ と
が い っぱ い で 、 そ の 気 持 ちが強 か つ た 。
医 か ら、放 つて お けば慢性 肝炎 、肝硬 変 、肝臓 ガ ン と進行 してい く病気 だ と言 われ 、怖 か つた。
64
ま自血病で亡 くな つた娘 の ドナー になるため、検査を受 けま した。検査 の結果、医師 か ら、 「
お母 さんはC
炎 に感染 してい るの で 、ド ナ ー にはなれ ませ ん 」。 とて もシ ョックで した。 そ の 時は、 自分 の 体 よ り娘 を助 けてあ
げ られ な い悔 しさでい っぱいで した。 つ らい治療 に も弱音 をはかず 、 一 生懸命 生 きよ うと した娘 は、H19年 1月 3
日21才で亡 くな りま した。悔 しい。 とて も悔 しいです 。 許せ な い。
生後 す ぐの子 供 を抱 いて 、毎 日点滴 に病 院 に通 い 、そ の 時肝臓 がす ご く腫 れ て いて 、 血液 検査 で もす ごく上 昇 して
いて 、 よ く歩 い て帰れ た と思 つた。 ど うして肝 炎 な のか 、子供 は何 とか健康 に育 て る事 を一番 に考 え、 自分 の 事 は
後 回 しにな った。 出産後 に体調 を崩 したのか と考 えたが、や は り、出産 時 に した点滴が頭 にあ つた。 病院 へ 何 回か
問 い 合 わせ た。 苦痛 を分か つて もらえず 、辛 い 日々 を送 つた。l ヶ 月検診 の 時 、出産時 の病院 へ行 つた 時 に黄疸 が
出 て いて 、小児科 の先生 がび っ く りして、産科 の 先生 に相 談 に走 つて行 つた。 ます ます病院 に不信 感 を抱 いた。 生
活費 、医療費 と生活 が きつ い。
このまま病気 が進行す るの を待 ちなが ら生活するのか ?子 育 てはできるのか ?不 安でたま りませんで
とにか くシ ョックだ つた。 手術 の 1 ヶ月 後 に肝 炎 を発 症 した 。 約 3 年 間 寝 た り起 きた りの 生 活 だ つ
だ つた。 私 も辛 か つた。
に 、長 生 き した か った ら働 きに 出ず に 、 な る べ くグー タ ラ して い な さい と言 われ た の で 、子 供 達 が小 さか っ
ので 、無理 をせず体調 を気遣 い なが ら、子供達 が大 き くな るの を見 よ うと思 つた。
々 な病歴 があ るので 、質問 にあてはま らな い ものが あ ります。1人 の 子供 も失 って 、 自分 も肝 炎 にな つて しまっ
て、何 が言 えます か。 この 質問は、原 告 に とつて失礼 です 。
か ら出ることができるのか と不安
われ た が 、 4 ヶ 月過 ぎて も退 院 で き
出産 時 、胎盤
剥離 で、残 念 なが ら子供 は死産 して 、母親 ( 私) も 相 当危 険 な状態 だ つた と、聞か され てお りま し
、
た。 そ の 当時 、肝炎 の怖 さは 自分 な りに知 って いたつ も りで したが、ひ きか えに命 を いただいた事 に対 して 、犠牲
あつて も命 だ ったのか な と、仕方 な く自分 な りに納 得 してお りま した。
り、 医者 か らイ ン ター フ ェ ロ ン を しな い と、後 に
変 に な り、 そ の 後 は肝 ガ ンに 進 行 す る」
た時 には 、絶 望的な気持 ちにな り、 「
死」 が 常 に頭 か ら離れ な い 日々 で した。 しば らくは誰 に も言 えず、泣 くこ と
しか で きなか つた。 私 な りに少 しず つ本 を読み 、イ ンター フェ ロンが全 てではない と思 うよ うにな った り、 この 病
気 と仲 良 く生 きて い こ うと思 つた り、感 情 に波 が あ りま した。
に か く将 来 の 不 安 が 大 き く、 いつ ま で生 き られ る の か 、 ガ ンに な る の で は , ・ 。と、 いつ
なし
を送 っていた。 せ めて、子供が成人す るまでは生 きた い と思 うことが 、生 きる望み だ つた と思 う。 いつ も検査 数値
に一 喜 一 憂 しなが らの生活 は、苦痛 そ の もので した。
運良 く ( ' ) 急 性肝炎で発症 していることが分 か りま した。 当時、長男 ( 小学 1 年 生) 、 二男 ( 生後 l ヶ 月) と 離
れて、入院生活を していま した。その時の色 々な心配。義母や実姉に子供達 の面倒 をみてもらつていたが、父親 と
子供達 の 関係 も (躾を厳 しく言 う人 だ つたので)心 配 で、居 て も立 って も居 られ ぬ 状態 で した。
まだ 1
、 とて も苦 しか つた です 。
そ うです が 、心 もボ ロボ ロにな つた 時 が あ ります 。 み な さん もそ うだ と思 い ます。何 をす るに も元気 が なけれ
ばで きませ ん。 子供 の運動会 には行 けず 、大人 にな つた子供 に 「
大人 は うそ つ きだ。僕 はそ う思 う」 と言 われ 、返
言葉 もな く。 私 も一 生後悔し て生 き るこ ととな りま した。
死へ の
子供 がまだ小 さか ったの で 、将来 へ の 不安。 ただただ泣 くこ と しかで きな か った。
それ まで病気 を した ことが な く、健康 な体 に産 んで も らつた親 に感謝 していたが 、一 生付 き合 つていか なけれ ばな
らな い病気 にな り、病気 が進行 してガ ンにな るか も知れ な い と思 うと不安 で、親 に 申 し訳 な い気持 ちだ つた。 3人
の 子供 のた めに も治療 を して 、早 く元気 な身体 を取 り戻 した い と思 う反 面 、 ほ とん どが治 らな い病気 と聞 い て、悔
しく不安 な思 いだ った。
どつちみ ち死 ぬの に 。・・。 一 時は 意欲 が な くな つた こ とを思 い 出 した。
て
ヨ蒔百蒋平唸翼壽所罰f扇巧 T新 米ママとして頑張るつもりが、退院後 lヶ月入院。肝炎の病気がどんな病気か知
らず 、す ぐ帰宅 で きる もの と思 つていたが 、数値 が なか なか 良 くな らず 、子供 に も会 えず 、何 で こん な ことに な つ
たのか 、何度 も暗 くな つてか ら泣 いた。 数 ヶ月後 、母 が 会 いたいだ ろ うと娘 を連れ て きて くれ たが 、 この 頃 にな る
と、 うつ る病気 なのか も知れ な い と思 い 、す ぐに娘 を連れ て帰 つて も らつた。 久 しぶ りに見 る娘 は、 キャ リー バ ッ
クい つばい に背 が伸 びていて 、 ビ ック リした。 可愛 い 娘 に何 も してやれず 、 とて もつ らか つた。
め晋蒔百「体調が変イ
ビ百石不万百あて、特に感じなかった。ただ、病院に定期的に検査に行くのが、時間をとら
るの でいや だ った。
65
子校 とい うことで、お金 もすご
ヽ
つて い
自分 の事よ り、 しなければならない事の方が多 かつたよ うに思 います。
C型 肝炎だ と言われても ピン とこない。今度 は、病院で検査 した ら肝硬変。先生 の話 もよく聞こえず、何 を言われ
ているのかす ら覚えていなくて、家に帰 るまでボー ッと怖 くて眠ることができず、あっちこっちの病院 の先生に話
を聞 いて もらい 、や っ と落 ち着 いた。 C型 肝 炎 の 治療 にイ ンター フェ ロンが いい と病 院 に行 つた けれ ど、私 には無
理だ と言 われ た。 だか ら、治療 して い ませ ん。
つ か の 間 、倅調
5 ヶ 月 の 人院生活
贅つた喜 び もつかの
を用 し、 5ヶ
出産 し、親 となつた書
入 院 生 活 を送 りま した。 主治 医か ら告 げ られ た病気 の
、
事。 特効薬 もな く、確 実 に寿命 は10年位 縮 ま るで あろ うとの説 明 に、泣 き崩れ た時の こ とは 、今 で も忘れ られ ませ
ん。ベ ッ ドでの安静生活 の 中、考えるのは 「どうして ? な んで ? こ れか らどうなるの ? 」 、そんな事ばか りで し
た。子供 も抱けずに辛 い 日々で した。 2 1 年以上経 つて も昨 日の事のように思 い出 され る。思い出 した くない出来事
です。
な つて いたんだ な と思 つたが 、親 が肝 炎 にな つてい な い事 は 、す ご く嬉 しか つた。 不安 で仕 方 が なか ったで す が 、
に、周 りが厳 しく、 自分 だけが不幸 じゃな い し、一 番 苦 しいの は母 だ と思 つた。
の よ うな細 か
は特 に な か つ
た と思 う。
1 1 年前 の 出来 事 で 、 現 在 は完 治 して い ます か ら、 あて は ま らな い 答 えが 多 くな り
く、私 の性格 が 明 るいのが 幸 い した と思 つています。
10才の 時 に ど う感 じていたか、正直覚 えて い ませ ん。 ただ、
て 、病 院 で 検 査 を受 け て い
・肝炎になつたのは悔 しかつたが、私 には子供が 3人 いる。なんとかして、子育てをしなければならないとい
持 ちが あ つた。
。話 を聞 いて くれ る友 がいた こ とが救 い だ つた
医療 の進歩に大きく期待 しています。 イ ンター フェロンもその うち内服で済む よ うになれば、痛い思…
て
して治 らなか った 時 、 自分 に も しもの時に 、子供 の 事が心配 だ った。
て の 病 院 に行 く時 、 間診 票 に C 型 肝 炎 と記 入 す るの が い や だ 。 特 に歯 科 、外 科 。
。第 2子 、第 3子 を も う出産 してい たの で 、子供 に感 染 していないか 、 とて も不 安 だ つた
。今 後 、病気 が進行 し、家族 に どの位 迷 惑や 心配 をか け るか不安 だ つた (体調や 金 銭面)。
ィル ス が 検 出 され な か つた の で 、
して い て 、普 通 の 人 と変 わ ら′
で き るだ け進 行 を遅 らせ て 、少 しで も長 生 き を した い 。 子 供 もま だ結 婚 して い な い の で 。
肝 炎 に感 染 してい る疑 いが あ る と知 らされ た時 は、それ ほ ど深刻 な病気 であ る とは思 つてい なか つたの です が 、
疸 が出た りして、苦痛 な病気 だ と思 い ま した。
大工 とい う体 を使 う仕 事 を していた が 、体 を気 づ か うあま り、休 み が ちにな つて しま った。忙 しくて も体 が 思 うよ
うに動かず、仕事ができなくなる不安でいつぱいで した。
S月
干炎になるとは夢に も思 わず、シ ョックで夜 も眠れない 日々が続きま した。 ま して家族 (嫁、孫達)に 理解
して も らえ るのか 、同居 したばか りだ つたので不安 で 、今 で も心配 しています。
66
問 3-10-2最
近数週間の気持ち一その他
職場 の上 司に、この病気 の事を伝 えてある人は何人かいる反 健康管理 σE晋 あ万 が変わるπぴπ丁面可五てτ雇
うのが辛 い。誰 も病気 の事で 「
辞めた方が ・・・Jと 言 う人はいないが、本 当にこの職場にいていいんだ ろ うか ?
自分 か ら辞 め る とい うの を、待 つてい るん じゃないか と、時 々不安 に感 じる時が あ る。
とが怖 いです。
元 気 で 毎 日過 ご した い 。 今 、 3 9
に な つて 17
てい くこ
今 はC O T 、G P T がい い の で 、少 し安
してい る
査 しか な い の で 、 いつ ま で もG O T 、CPTが いい よ うに願 い ます 。
肝炎感 染 が判 明 した 当時 は、炎症 の進行 に よ り、肝硬変 、肝 癌 に移 行す る と して も、 2 0 年以上先 の事 だ と思 つてい
たが 、既 に2 7 年が経過 し、 これ か ら先 ど うな ってい くのか 心配 です 。 エ コー 検 査 の度 に 、癌 がで きて い な いか ドキ
ドキ して しま う。身内に肝硬変 か ら肝癌になって亡 くな つた人が 3 名 い る。 その亡 くな り方を目に しているか ら、
余計に心配である。医療従事者でも、肝炎について正 しい知識が徹底 していないと感 じる。特に、歯科では必要以
上に、医師へ の感染を恐れ られてい る気がする。
会社 勤 め もな くな つたので 、今度 は身体 が悪 くな つた ら安心 して入 院す る こ とに します。
ます 。 とて も嬉 しいです。 いただ けるよ う努力 して下 さつた方 々 に、感 謝 して います。
し続 けて きた国 に対 しての怒 りに、変化 が あ るはず が な い。
イ ンター フェ ロン治療後、 ウィルスが検出されず、半年に 1回 程度 の検査 のため、今は前向きに病気 と付 きあ って
イ ン ター フェ ロンの
つか再発 す るの ではないか とい う不安 は、
釆年 、 イ ン ター フ ェ ロ ン治療 を予
を 定 して い
夕が 、 あ ま りな いの も不 安 の 一 つ です 。
、 とて も不安 です 。 ウィル スがlAと い うデ ー
も成人 し、 これ か らは今 まで私 を育 てて くれ た母 (81才)の
曇いので ( 今の 事 が 分 か
らない、物 の 区別 、分別 もつか な くな つて きて い る) 、 死 ん ではい られ な い が 、内心 は疲れ る。 前向 きに生 きよ う
とい う気 持 ちは十分 あ るが、体力 、気力 が追いついてい けない時 もあ る。
何をするにも根気がだぐ石丁T長 続きせず、飽きつぱくなつてきた。人生の楽しみもなくなり、この先のこ
える と、何 のため に生 きて い るのか 。・。も う、嫌 になって きた。 も う終 末 だ と考 え るこ とが あ ります。
和解金 も、 自分 のためで はな く、家族 のた めに とってお く。 治療 も したいカ
療後 の 仕 事 の ことが心 配。又 、治療 して も完治す る とは限 らな い。
亡 くな りま した。 それ まで、経 済面で支 えにな って くれ て いたのです が 、会
治療 費 と ロー ンで途方 に くれ ま した。 C 型 肝炎 の症 状 で 、経 済力等何 の役 に も立 たない と思 つていま したが 、私 が
や らな けれ ば と掃除 パ ー トを していた ら、少 しずつ底力 が 出 るよ うにな りま した。 しか し、出費 をまかな うこ とは
で きず 、借 り入れ して しま うこ とにな りま した。 今 は 1 人 で、誰 も支 えにな る人 も特 にいませ んが、 自己管理 に努
めていま す が 、不安 がま った くな い わ けではあ りませ ん。
弁護 団 、原告団 の 皆 さん と励
つ 希 望 と元気 をいただ けた。
い なが ら、気持 ちを楽 にで きた と思 う。 治療 の講演会 な どに参加 で き、こ
現在百7フ ア=ヲ I百 ジ蔽 中でウィルスが消えているが、いつまた発症するかもしれない とい う不安はある。た
だ、受 け る前 よ りは、将来 に希望が 持 てた。
れやすい、夜起きていられな再
耳
k寝 るわりには、疲れがとれない。自分がやろうと思った事が、疲れていて
できないことがある。 イライラする。 このサイクルの悪循環で、 ス トレスが たまる。家族 にあたつて しま うことが
ある。そ して落ち込む。最悪。
67
3 回 の イ ン タ ー フ ェ ロン治 療 で 、
ヽ
てい るので 、 この ままであ つ てほ しい と思 つてい ます 。 肝 炎 に な つ
たのが29才で、30代、40代とい う人生で充実 した時期であるはず の時を、肝炎治療中心に過 ごさなくてはな らな
かったのが 、残念 です。子供達 の成長を心 の支えに、頑張 つて きた とい う感 じです。 ですか ら、イ ンター フェ ロン
ママが死ん
でや つ と落 ち着 いた体調が、 このままであってほ しい と切 に思います.治 療中、家族、特に子供に 「
じゃ つた ら」 とい う、他 の子 の しない心配 をさせたことが、可哀相でな りません。今現在 は、家事も こなせている
ので、治療 の大切 さを感 じます。 でも、経過観察中で採血す るたび、数値が気になる生活か ら抜けられないのは 、
負担 に思います。
ヽ
朝 夕夜 中 と体温計 を見 るたび、今 は 良 し、 また熱 か と弱気 にな つて しまい 、 微熟 が続 き、朝 日覚 めた時 は 、今 日も
命 を頂 けた と感 謝 です。 ここ 1 ∼ 2 ヶ 月前 よ り、腹 部 に水 が 溜 ま りは じめ 、 予約 日外 に 、近 くの 医院 に事 情 を話
し、エ コー 、点滴 を受 けて い る。
1 型 と診 断 され 、イ ン ター フ ェ ロンの 治 療 も、高 齢 で 難 しい と医師 か ら伝 え られ て い る。
て きな くな つた ら、 ど うした らいい のか 不安。
、イ ン タ ー フ ェ ロ ン治療 中 な の で 、身 体 的 に は とて も苦 痛 だ が 、希 望 を持 つて い る。
て きた肝 炎 の 本 で 、 同 じ時 期 に C 型 月
干炎 に な つて イ ン ター フ ェ ロン 治療 を受 けた 方 の 経 験 を読 み 、
はイ ンター フェ ロ ンは受 けな い とい う選択 を して 、ま ぁま ぁ元気 で生 活 も楽 しく、親 の介護 を10年や り、子 供 を 2
人育てて これ て 、幸せ な のが分 か つた。 治療 の選択 は、 とて も重要 な事 だ と思 い ま した。
H 2 1 . 5 。 1 よ り 3 回 目の イ ン タ ー フ ェ ロ ンの
療 中です。 7 2 週の 予定です が 、 自血球 、血小 板 、
ギ リギ リの 状態で の治療 です 。 全身 の 倦怠感 、 か ゆみ がひ どく、辛い治療 の 毎 日です。
行 が進 み 、死 を待 つ の み です 。
第 2子 の 男子 が 、 ウィル ス は発 見で きな いが 、体 内で感 染 した こ とがあ る とい うこ とで、少 し不安 に思 つて い る。
展 に希望 を持 ちなが らも、同時 に不 安 を抱 えて い る 日々 です。
験近 、肝臓 が悪 くな つてい るの で 、糖 が2 0 0 位にな つて しま つて 、困 つています。 イ ン ター フェ ロンで は完治 しなし
と聞 きます の で 、私 はや らず に死 の うと思 い ます 。
.
行 具 合 が とて も気 に な る。
にな つて 、急 に気持 ちが変 化す る とい うこ とはあ りませ ん。1日
と して 、肝 炎 の事 を忘れ て過 ごす 日は あ りま
せんが、一時期 の ように、思 い詰めるとい うこともな くな りま した。私 は ウィルス量が多 く、lb型と治 りに くい タ
イプなので、来午行 う予定のイ ンター フェ ロン治療 も、あま り期待 しないようにと、医師に釘を刺 されて い ます。
苦 しい思いを して、治 らなか つた時 のことを考えると、不安にな りますが、チャ レンジ してみようと考えてい ま
す。
子供 も大 き くな りま したが 、欲 は続 くもの で 、孫 を見 るまでは元気 でいた い と思 い ます 。 これ か らは段 々
道 を歩ん でい くで しよ うか ら、少 しず つ 身 の 回 りの整理 も始 め よ うと思 つ て い ます。
イ ン ター フェ ロンの 辛 い治療 を、今年 の 1 月 まで受 けま した。今 は ウィル ス が検 出 され な い状況 です が 、
人か ら、再発 した との情報 も多 々 あ り、私 も再発 す る ことが あ るのか ? 不 安 は尽 きるこ とがあ りませ ん。
に進 も うとい う気持 ちはあ ります。 しか し、一度 再燃 してい るため、不安 はあ ります。
査 をす るた び に 数 値 が気 に な り、 い つ 月
干硬 変 と言 われ るか 不 安 で あ る。 い つ も肩 こ り、
サー ジや気 功 治療 を受 けて い る (年 に 3、 4回 )。 保 険適用 になれ ば 良い と思 う。
非 Att B型 肝 炎 と知 らされ た時 は 、 どの よ うな病気 か ピン とこず 、
て 、 酒 は 週 に 2 回 ビー ル
干炎 と言われ禁酒。食事 も油脂類や塩分、その他肝臓に悪い物は食 べ ない よ う
、 5午 ほど辛抱 しま したが、慢性月
指導 され 、今 も不 自由な生活 を してお ります。
ペ ガ シス 、 コペ ガ スの治療 中だ が 、 ウィル スが なか なか マ イナ ス にな らな い。 lbの 私 は、効果 がないのか と不安 に
な る。肝 硬 変 か ら肝 ガ ンの 治療 をD V D で見 た ら、麻酔 が 効 かない とか。 1 0 分間、地獄 の 苦 しみ を見 て しま った。 ガ ン
が 1 つ で きれ ば、 また次 々 にで きる とかで 、そ うい う話 を開 くと、耐 え られ な くな り、不安 にな り、誰 とも ( 友
達) 付 き合 いた くな くな り、死 ん で しまいた い と時 々思 い ます。2 0 年 も経 ったので 、 とて も不安です。
68
1 6 年前 、 1 回 目の イ ン ター フェ ロン。7 年 前 2 回 目。 イ ン ター フェ ロ ン+ レ ベ トー ル 治療 を受 け、 ウィル ス が マ イ
ナ ス とな り、現在 まで マ イナ ス が続 いてい る。 しか し、 2 回 目は 1 回 日と段違 い に副 作用 が強 く、7 6 本で 中止 しま
した。特に、食物 ア レルギーが極度に悪 くな り、何を食 べた らいいのか分 か らず、ノイ ローゼ状態で した。●●時
の 主治 医が 、 ア レル ギー の 専門医な ので受診。 カモガヤのア レル ギー が血 液検 査 で判 明。 食事指導 を受 け、 ア レ
ルギー対応 の食品を取 り寄せ、●●のア レルギー 専門医に体質改善 と症状緩和の薬を処方 してもらい、少 し改善 さ
れる。 しか し、外食はて きず、家で気をつ けて調理 した もので も、ア レルギー反応 がでて、起きてい られない時が
あ り、勤務交替 してもら うことも時々 あ り、良い方法かないか と探 していた時 、電位治療器 の体験会にであい、40
通 つて 、症状 が今 まで よ り改善 され たの を実感 したので購 入。 自宅 で 1日 1時 間特殊 電子療 法 (フ ッ トケア)を
て い る うち、体力 もつ いて きて 、 ア レル ギー 症状 も前 よ りず つ とや わ らいで きて 、少 しず つ 食 べ られ る食 品が
増えた。漢方薬を飲むことも、少なくな りま した。 しか し、1日 中食 べ る物に気 を使 う状態は続 いています し、特
に、好 きだ つた果物 (りん ご以外)は 食べ られず。甘 い料理、菓子、佃煮等はい まだにダメで、 ビー ト糖 を使 っ
て、自分 で調理 したものでない とダメ。 ウコン、あ くの強 い もの、血合 いの多 い もの等、量 と回数を考えなくては
ならず、 レ トル ト食品、半製品、大豆油を使 つた もの等、まだまだ気に しなくて良い生活にはほど遠いです.老 後
のこ とを考えて (施設では、複雑なア レルギー対応 の食事は作れない)、 自宅でヘルパー に来てもらい、私 が大丈
夫だ と思える食材 と調味料で作 って もらうしかないか なと、老人住宅を建てま した。安保徹 さんのア レル ギー の考
え方、自己免疫力 の本を参考に、主治医は 自分だ と思 うようにな りま した。 しか し、肝炎 にならなかった ら、こん
な ことにはな らずに済んだのにとの思いは、一生消えることはないだろ うと思 い ます。
肝炎 に感 染 した 当時の気 持 ち と今 の気持 ちに、 ひ らきがあ る と思 う。感 染 当時 はまだ若 く、治療薬 の 開発 の期待 が
あ り、まだまだ生 きる意欲 が あ りま したが 、長年 の経過 に よ り ( 2 3 年) 、 自身 の 病状 も一段 と進 み 、 「
い よい よの
時」を意識 し始めて 、絶望を感 じることもあ ります。 ただ 、 この事実を受け入れ るしかないので、い ろいろな感 情
があつて も、前向きに生 きていこ うと思 つています。相変わ らず、家族には迷惑をかけていますが、そのことは
ず つ と申 し訳なく思 つています。 こんな薬害が二度 と起 こらない ように、皆 で知恵を出 し合 つて、薬害防止に取 り
組んでい きたいと思 います。
C型 月
干炎 のC M が気 に な るが 、
るの で は な い か 不 安 。
今、イ
、イ ンター フェ ロン役与中で、
投与中で、 ウィルスは消えています。 でも、イ ンター フェ ロンを終えた ら、また ウィルスが
のでは
活する
と、不安でいっばいです。副作
の を待つてい
復活する
用 もきつ く、止めたい と思 う時もあ り、新薬ができる
。副作用
り
ます
は数値 も平均 にな りま した。や は り、 自分 でイ ン ター フ三 ロン とか治療 に専念 したので 、治 つた と思 い
族 の 協力 な く しては 、で きませ んで した。仕 事 を辞 めた り、子供 に迷 惑 をか けた りした結果 です。
近年は、イ ンター フェ ロン治療などで、 ウィルス を排除できる薬が開発 され、治 る人が増えてきま した。 これから
の薬 のより向上によって、私 も治るのではないか とt 期 待を持 つています。 甲状腺 の異常、 シェー グ レン症候群 を
ず つ と患 つて きま した。それ が原因で、今年 目がぶ どう膜炎に罹 り、緑内障を発症 して しまいま した。失明の危険
を伴 う状態で したので、内科医が慎重にな り、イ ンター フェ ロンの治療は、暫 く見送るとい うことになって しまい
ま した。0 0 T 、C P T の数値は良くなつてい るのですが、肝炎発症 か ら2 2 年の年月は、体に大 きな負担 を与えていると
思 い ます 。
H21年 4月 か
ノファー ゲ ンを毎 日打 つています。今 まで も、数値 が上が る と強 ミノを打 つて
ル ソ も服 用 した時期 もあ りま した。 医者 は、強 ミノが 効 いてい る と言 ってい ます。 金額 もそ うです が 、毎 日通院す
るこ とは、仕 事 に も支障 を きた し、仕 事柄 、人 目を避 けなが らの治療 は 、非常 に辛 いです。 か といつて 、イ ンター
フェ ロン療 法 をす るには、仕 事 を辞 めな けれ ばな らな い状況 にあ り、医者 にイ ン ター フェ ロ ン を勧 め られ ています
が 、現実 は無理 です。 も う、血管 も見 えな くな って きて い ますので、生活 の保 障 が な い限 り、今 の私 には、イ ン
ター フェ ロン治療 はまだ 「
夢 」 です。
一度 は感 染 して肝
炎治療 を しま したが 、治療後 は健康状態 も良 く、数年 前 まで キャ リア と して過 ご して きま した。
いつ ウィル ス が 活動 を始 め るのか 、び くび く しなが ら生活 して きま した。 幸 いに して 、 ウィル ス は現在 マ イナ スで
す が t 絶 対大丈夫 とい う保 障 はあ りませ ん。 これ か らもこのまま ウィル ス がマ イ ナ スの ままであ るよ うに祈 りなが
ら、生 きて い きた い と思 います。
‐
にな って20数 年。 なか な治 らない病 と知 るに つ け、改 めて肝 炎 の 恐 ろ しさを感 じる毎 日です。
今回が3回 目万語療こなるが、過去 2回のインターフェロンだけの治療と雇き
い、薬に体が慣れて、楽になったのと
い 、ひ とつ 副作用 が軽 くな った と思 えば、別 の 病状 が 現れ 、来年 の 8月 一杯 ま で、 この まま仕 事 は続 け られ な く
な るので は ( 時間 も短 い し、周 りに助 け られ なが らや ってはい るが) ? と 、 いつ もそ うい う思 いに な りなが ら、仕
事 を してい る状態 です。 自分 は治 りたいので、 この 治療 を頑 張 ってい るんだ ろ う ? と 、 自分 に言 い 聞 かせ なが ら
も、一 方 では落 ち込 んだ り、精神 的 に不 安定 です。
に、 「うつった ら困るので、孫にキ ス とか 百蒼Fで 下さ]可=Ⅲ「万 夏う下 事を言われた。血液で しか感染 しない
とい うの を、 もつ と伝 えては しい。
イ ン ター フ ェロン治療 をH8年
に 6ヶ 月 、 H18年 に 5ヶ 月受 けま した。 現在 は ウィル スが消 え、
を守 る国 の 責任 上 、支援 法 の 内容が最 も関心 があ る。
69
です 。
懸染時より艮い医帥に恵まれ、完全には治 りませんが、い ろい ろ相談にのってもらい、インター フェロンの治療 も
3 回 受けることがで きま した。主人 にも、精神的に も経済的にも助けられています。やは り、肝臓専門医に診ても
らうのが〔一番安心だ と思います。最新の情報 も教 えてもらつた り、講演会なども開いて もらつています。大変有
り難いです。病気になつてしまつた以上、相談できる人がいることと、経済的な安心が一番の問題だと思います。
がず つと維持でき、生涯終わることが一番ですが、
に低 下す る。 それ が どの よ うな状態 に
なるのか、す ごい不安 です。今は家族 の心配 もでき、安心 してい られますが、進行 した時の 自分は耐えられ るだろ
うか と、今は原告の人達 とメールでお互 いに話 している。今 は、先 の事は考えずに、1 日 1 日 を大切に していま
1年 の イ ンター フェ ロン治療 を、今年 6月 に終 了。 ウィル ス は残` なが ら消えなか つたが 、落ち着 いた現状 が 、
の先ず つ と続 けば いい と思 い なが らも、や は リチ ャ ンスが あれ ば、 ウィル スを完全に消 したい と思 つています。
100%に 近 い完治 ので きる薬 を作 つていただ きた い で す。
ー
、 2 回 目の イ ン タ フ ェ ロ ン を い つ
ヽと悩 ん で い ま す。 主 治 医 に は 、
くな いた め) と 言 われ て い る。 明 日にで も始 めたい気 持 ちだが 、今現在 の よ うな体力 に戻 るのに は、投与 の何倍 も
の月 日がかか るので 、それ でた め らつてい る。 そ の た め 、気持 ちが落 ち込 んでい る。
ー フェ
ロン
ンタ ー
フェロ
ン治療で治癒
ので、 こ う
い う回答 が私にはで きますが ( 間3 - 1 0 - 2 ) 、現在 も病気を抱
したので、こ
イ ンタ
今現在、イ
治 療 で 治 癒 した
うい
えて い る方は、これか ら将来、病気を受 け入れて、前向きに生きていくことになるのです。そ う考えると、 1 日 で
も早 く、1人 で も多 くの 方 に治療 を受 けて も らい 、治 つて いただ きた い と思 い ます。
私 の3 8 年間 を返 して下 さい。 私 の健康 を返 して下 さい。肝 がんの 手術 を 2 月 に受 けてか らは 、検査結 果 を開 くまで
の気持 ちは、以前 とは全然違 います。 切羽詰 ま った 状 態 で、後が あ りませ ん。完治 は考 え られず 、現状維 持 が最善
の方法です。 また 「
がん 」 がで きて いた らど う しよ うとか 、死 へ の恐怖 が とて も強 くな って い ます 。 い ろい ろ考 え
て悩 んで も しよ うが な い。 精 一杯 生 きよ うと考 え る よ うに して い ます。 そ して 、 1 週 間 に 3 回 の ミノファー ゲ ンの
注射 と薬 を飲 み、体力 の 回復 に努 めて い ます 。
完治のため、 2 度 目のイ ンター フェ ロン治療 中です。期間 が 1 年 ∼ 1 年 半 と長 く、体調に波があ り、 しん どい時日
くじけそ うにな ります。 ペ グの注射 を打つ と具合が悪 くな り、高い治療費を払 って、何を しているんだろ うと思 う
時が あ ります。 予約 で も、病院 は とて も混 んで い る し、毎週行 くだ けで疲 れ る。周 囲 の理解 と協力が な い と、治療
を受 け る事 は難 しいです 。
なるよ うにな る。
の60週 目で、 ウィル ス は16週 目よ りず つ とマ イナ スの ため 、 この
、 3 度 目の イ ン タ ー フ ェ ロン
の
療で ウィル ス排 除 に望み をか けて い ます。 主治 医か らも、今 回は著効 で きる と励 ま して も らつてい るた め、精神
的には安定 しています が 、 も し失敗 で あれ ば 、 か な り落 ち込む と思 われ ます ので 、心境 の 変化 は治療結果 に左右 さ
れ るこ とを、付 け加 えたい と思 い ます 。
よ り、国、企業 に対す る腹 立 た しさが強 くな って きた。 これ か ら先の体調 を考 える と
も、治療費 の 無料化 と健康 手 当て の よ うな支給 の 2点 を、是非考 えてほ しい。
に な る。 何 と して
老 いた親 に対す る、子 と しての 貢任 を優先 した い。 一 番必 要 な時期 に 、子供 の 父親 との離別 は、我 が身 か ら下 ろ し
た くな い荷物 なの です が 、そ んな事 情 をお して 、イ ン ター フェ ロ ン治療 に入 る事 を強要 され るかの よ うな助成 費 の
あ り方 には不満 です。 今 の現状 は、各 自の努力 や体力 に よ り異 な るが、国の不備 に よ り、皆 一様 に感 染 させ られ た
のです か ら、一様 に被 害者 と しての手帳 を下 さい。 医療 が何 で あろ うと、肝 炎 のための もの な らば、 費用 が無料 に
なる配慮 を、国で弁 済 して いただ きた い です 。 過 ぎた苦 しみ の 日は戻 りませ んが 、せ めて 、 自身 が受 けたい方 法
を、無料 で選択 させ て も らいたい。
:対策基本 法が成 立 した。 す べ ての方 々 に感 謝 した い。
して治療 に入 れ る 日が、早 く来 るこ とを願 います。
ン ター フ ェ ロ ンが 効 果 の な い 人 に は 、新 薬 の 開発 に力 を入 れ て は しい
・肝 癌 で苦 しんでい る人 の救 済 に 、力 を入れ て ほ しい
・障害 手帳 を交付 してほ しい
。治療費 の無料化 を是 非おね がい します
の 方は現在落 ち着 い てい るが 、少 しず つ進 行 してい るよ うで 、将来 へ の 不安 が大 きい。
一刻 も早 い 治療 を」 と言 つて 下 さる し
弁護 士の先生方 をは じめ、多 くの 方 が 体 の事 を心配 して下 さつた り、 「
、:
分 で も分 か つてい るので すが、 日の前 の家族 ( 夫) 力 S 病気 だ と、 自分 の事 は後回 しにな り、毎 日しん どい 中で、働
くこ とさえままな らな くな る と、 この まま死 ん で しま うのか 、後 に残 った 夫 は ど うな るのだ ろ うと、肝 ガ ンで亡 く
な つた 父 の最後 の 姿 が 浮 かび 、不安 で押 し潰 され そ うにな ります。
イ ンター フェ ロン治療 中で、 5ヶ 月 日に入 つてか ら、抜 け毛 、皮膚 の痒 さな どの副作用 が 出て きて、かな り辛い
日々があ ります。 ウィルスは未検出 ( 4 ヶ 月 目で) に な ったので、頑張 らなければと思います。 あと6 ヶ 月イ ン
ター フェロンを受けるのは、かな りの気力 と体力が必要です。
70
い付 き合 いに な つた し、年 も とつた ので 、 これ も運命 だ つたのか な と、少 しは
しは思 えるよ うに
そ の うち、す ごい薬 が発 明
な つた。肝 炎 の 完治 は無理 で も、 これ か ら先 は うま く共生 して生 きて行 こ うと思 う。 「
され るか も しれ な い な∼ Jな んて 、 ち ょつ と気持 ち的 に も、穏や か になった りしてい る。
、 マ イナ ス にな つて もす ぐにまた プ ラス
の 場 合 、治 りに くい 種 類 の C
にな ります。おまけに太 つてい るので、 ますます治 りに くい ら しいです。 この まま同 じ状態 な のかな と思 つた ら、
辛い時もあ ります。
ン ター フェ ロン治療 を して ウィル ス は消 え、今 もそ の状態 は続 いてい るが 、疲れやす く、無理 がで きな い。
も最低 限 の 量 (時間)で して い る。 本 当は、働 かず にい るのが 良 いのだ ろ うけれ ど、収入 と働 くこ と (社会 生活 ヘ
の参加 )は 、私 には必 要 だ と思 う。 夫 も定年 間近 で、老後 の 不安 も増 して きて、笑 つて 日々 を過 ごせ ていないのが
ン ター フ ェ ロ ン 治療 を受 けま した が 、眼圧 が 上 が り、怖 くな つて
た。今 は強 ミノを週 2 ∼ 3 回 、 ウル ソ、 グ リチ ロン を服用 しています。 これ か ら先 も続 けて い くつ も りです が 、 い
ろん な面で不安 がない と言 えば ウ ソにな ります 。
、残 され た 時 を悔 い の な い 日で終 わ りた
は 、 あ と どれ く らい の 命 な の か 、分 か つた 時 点 で
いで す。 医学 の進 歩 で、肝硬 変 な ど治せ る薬 が 見 つ かれ ば いいのです が 。・・。私 にはイ ン タ フ エ ロン もダメだ
し、いつ 再発す るか。 それ まで に良い治療 が 見つ かれ ば ・・・。 で も、 あま り長生 きす る と、今後 の 治療費 が払 え
な くな り、子供達 に負担 がかか るな らば、早 く死 を待 つ 方が いいです。
イ ン タ ー フ ェ ロ ン 以 外 に完 治 の 方 法 は な い の で しょ うか 。 どの 段 階 でイ ン タ ー フ ェ ロ ン を使 用 した らい い の か 、
作用 は ?又 、 日常 の食 生活 な どで注意す る こ とな ど、気軽 に相 談で きる医療 体制 を確 立 して は しい。
との闘 い を思 うと、全身 の血が 引 く思 いで した。 私 はまだイ ン ター フェ ロン を投与 していませ ん。 副作用が怖 いの
です。 沢 山の 副作用 を考 え る と、治 るよ り、 自分 の人生が ここでまた狂 わ され て しま うのでは な いか と、す ご く不
一
安 です 。年齢 か ら言 うと、イ ンター フェ ロンは3 0 % の 可能性 が ある と言 われ て い ます。 も う 度話 を聞 き、来年度
ー
ロン
にイ ン タ フェ
投 与 と覚悟 を決 めま した。
イ ン ター フ ェロン治療 に よ り、1年 に一度 の健診 で 良 くな ってい る今 の状 態 を感 謝 してい る現在 にお いて 、不安 が
な い わけではな いが 、知 った 時 々 の状況 では 、感 じ方 もだ いぶ 変化 してい るよ うに思 う。
も変 わ り、
出 し、血 小 板 を1 3 万ま で上 げ 、 イ ン タ
ー フ ェ ロ ン に入 り1 6 週 日です。
こ向
か つて頑 張 つてい ます。 まだまだ分 か りませ んが 、笑顔 で楽 しい生活がで きる こ とを祈 つて い ます。
し、イ ン ター フェ ロン治療 を初 めて行 うこ とにな りま した。 効 くか効 か な いか
ち着 いて仕事や 家事 がで きる体 に戻れ るか不安。今 よ り悪 くな らな い こ とを望 んでい ます 。
12/7
元 の 体 を返 して ほ しい と思 つて も、仕 方 の な い こ と。 人生 を狂 わ され た とも思 つて み て も、仕 方がな い。 どの質問
に もそ う思 い ます。 H 月 に考 えた時 と、今 日1 2 月1 4 日に考 えた気持 ち もそ うです が 、 くよ くよ していて も仕 方がな
いの で、明 る く前 向 きに生 きよ うと思 い ます 。 時 には じん どくて、起 きあ が るのが 辛 い 時 もあ ります が 、誰 も皆少
しは苦 しい事 が あ るので ? と 思 い 、 自分 ので きる事 は ( 親の介護 を含 め) 、 や つてい こ うと思 つています。伯 父 が
亡 くな り、伯母 の 事 をみ ていたので、遅 くな りま した。
常に希 望 を持 ち、あ き らめず に治療 に取 り組 んで きた ことが 、完治 につなが つた と思 い ます 。 入院 中に、昭和 か ら
平成 に変 わ つたの で 、闘病生活 は2 0 年に及 んだのか と、今 さ らなが ら、 よ く頑 張 つた と思 わず にい られ ませ ん。 た
だ 、主治医に 「これ 以降 は大丈夫。 で も、 この時点まで に ス イ ッチ が入 つて しまつてい るか も しれ な いので 、経過
観察 はかか さず に J と 言 われ 、完治 したか らと有頂天 にな らず に、油断す るこ とな く、経過観 察 を怠 らな い よ うに
しよ うと、心 に言 い 聞かせ ま した。 あ と、主人 に感染 して い な いか と、主人 が体調不 良 を訴 えるたび 、心配 にな り
ます 。
週 2 回 のインター フェロン、強 ミノの点滴は大変です。点滴後、ひ どい寒気、微熱。や つとの思 いで家路 につ きま
す。 もちろん、家事 一切できる状態ではあ りません。 当日は、何 もか も済ませて病院に出かけます。帰宅 した らす
ぐに床 に入 ります 。 体 の 苦痛 ばか りか 、医療 費 も 1回 1万 5千 円。 それ に交通 費 と、何 もか も大変 です。
ヽら闘 つて こ られ た原 告団 の 皆 さまには、心か ら感 謝 してお ります。
ヽら治 療 は移 植 しか な い と言 われ て か ら、 「
ま さか、 こんなに早 くそ こまで」 とい う思 い
悩 ま しい 日々 です 。
い 生命 保 険 に入れ
い。
に入 れ な
ない
。
いに して 、イ ン ター フェ ロン治療 で ウィル スが 消 えたので、現在 は肝臓 に 関 しては心配 していない。
71
い ¬C
出産の翌日に肝炎の疑いがあると言われ、治療をし続けてもいつこうに良くならず、この子が3才 になるまで、
才になるまで生きていられるのだろうかと、毎日不安でした。自分の体調が悪いのは、もちろん辛いことでした
が 、 こんな体 で主人や 娘 に苦労 をか けて い るこ とを思 うと、胸 が張 り裂 けそ うな思 いで 、 自分 が 押 し潰 され そ うで
した。 金銭 的 な心配 をせず 、治療 に専 念 で きる よ う、そ して 、心 の ケア もで きるよ うな体制 が 、整 って くれ る こ と
を祈 ります。
み て い る の で 、子 供 達 に対 し、
いずれ に して も、国民病 とい う汚名返上。 三度 と薬 害 が 起 こ る こ とのない よ う、願 うのみ です。
、 2度 目の イ ン ター フェ ロン+レ ベ トー ル 治療 中で、今 の ところ ウィル スは検 出
を絶対に頑張 つて、もとの健康な体にな りた いです。副作用 が辛 いですけれ ど、負けません。
元気 な うちに した い こ とを し、 見たい ものを見て、生き
うに月監う。
。残す 6ヶ 月 の
え な い感 じが す る。 将 来 が な い
1 0 月 1 日 か ら 2 回 目 ( 1 回 目は H 7 年 ) の イ ン タ ー フ ェ ロ ン
ところで あ るが、
で 、私 の ウィル ス はイ ン ター フェ ロンに抵 抗性 が 強 いか も知れ な い と主治医か ら開か され た。 一応 1年 半継続 治
療す るつ も りでいた方 が いい との こ とで、治癒 の 可能性 は 、約 7 0 % と も言 われ てい る。 治癒 の 可能性 にか けて、今
後 も治療 を続 ける気 持 ちでい る ものの 、様 々 な副作用 が 見 られ る中で、治療期間最 後 までが んばれ るか ど うか とい
う不安 と、治癒 しなか つた 時 の 失望 を想像す る と、複 雑 な気持 ちで毎 日を過 ご してい る。
将 来 、肝 癌 や 肝 硬 変 に な る の で は な い か と不
に思 つてい
り、ウ ィル スが な くな り、
安堵 しています。
ヒめ 、上司に都合 をつ けて も らい 取 つてい ます。休 日とい つて も、治療 のためだ けの
で 、 自分 の時 間は な く、精神 的 ス トレスが 溜 ま ります 。仕 事 をせず にはおれ ず 、元 々弱 い ところを人 に見せ るの は
嫌 い な人間 なので 、無理 にで も元気 なふ りを してい る こ とに、疲 れ て しま うことが あ ります 。肝 炎 だ と保 険 に加 入
す る こと も難 しく、肝 炎以外 の病気 にかか つた 時 な ど、年齢 的 な こ とを思 うと将来不安です 。
週 1 回 の休 み は 、
は 、身 体 が だ る い の か 、 そ うで は な い 理 由 で しん どい の か 、
半身 マ ヒな ので 、現在 両杖 で歩行 。
`の で 、
こしな い 。 下
いつ肝硬変に進んで しま うのか、毎 日気にな ります。恐ろ しいです。
これ か らの病気 の進 行状態が ,さ配 です 。 C型 肝 炎 が 、風邪 の よ うに治 る病気 で も怖 いのに 、
も知れ な い恐 ろ
しい病 気 を うつ され た らと、思 われ てい るん じゃないか と思 つて しまいます。病気 が分 か つた 時 、主人 に うつ るん
じゃないか心配 だ と言 うと、主人 は笑 つて 、 「うつ るんや った ら、 も うとつ くに うつ って るや ろ」 と言 つて くれ ま
した。知 らず に過 ご して きた時期 があ りま したが 、家族 の 誰 に も うつ つてい な くて幸 いで した。 C 型 肝炎 につ い
て 、国民 の方 々 には 、簡 単には うつ らな い病気 だ と知 ってほ しいです。 私 が言 つて廻 るこ とはで きな いの で、テ レ
ビな どで、広 告 の よ うに説明 を流 してほ しい です 。
2∼ 3年 前 よ り体調 が す ぐれ なか つた けれ ど、最 近 は旅 行 な どに行 き、 いい
り入れ よ うと努 力 して い ます。
今 の ところ ウィル ス は落 ち着 い ています。 また いつ 出 るか不安 です が 、頑 張 ってい ます。病院 の 先生 は大丈夫 と
お っ しゃいますが 、 これ ばか りは分 か らな い と思 い ます 。
い。 自分 か ら死 を選ぶ こ とは した くな い。 病 気 にな つたか らには、
力す るしかない と考え、諸 々の病 と闘つてい く所存でございます。
と うま く付 き合 つ て前 向 きに
不況 に よ り、 自営業 が大変 なのです が ( 経済的) 、 十 分 に仕事 がで きな いの と、体 が十分 ではな いので 、
も
きませ ん。す ぐ疲れ ます。 心臓 も弱 つて きて い ます し、死 んで しまいた いのです が 、母
が99 4 才で存命 中な
、母が
中 ノので 、子
供 と して死ね ませ ん。 体 が弱 い こ とが、本 当に苦痛 です 。 自分 は労働 す るのが好 きな人間な ので す。
H20年 10月 ∼ H21年 3月 までイ ンター フ ェロンの 治療 を受 けて 、現在 ウィル スは検 出 され な い状態 が続 いていて 、
少 し体力が 戻 つて きま した。 ただ 、血小板 は 8万 台 で 、 10万を突破 で きないでい るのが 、唯 一 気 にな る ところで
す。
のため 、病院 以外家 で過 ごす ことが 多 いた め 、 一 時電話 に出 るのがイヤ 、人 に会 うのが イヤ 、 もちろん外 出 も
で きなか つたので 、友達 か らも遠 ざか り、 自分 に 自信 が な くな って きた と思 う。
・ 数 値 が 悪 くな つてい な いか気 にな ります
。イ ンター フェ ロン ( リバ ビ リン) を も う一度 受 け る時期 が 、近 づ い て い るよ うに感 じます
。仕事 の 責任 があ るので、後継者 と して子供 に仕 事 を継 いで も ら うこ とに した
家庭 内の生活の中で感染を考えると、大変気 を使 う。何 かの拍子にに出血 した時 、キズ絆は何時 もポケ ッ トに持つ
て歩 く。 22年 間 1回 も旅 行 に行 くこ とがで きなか つた。 体力 が な くて いかれ な い。
ヽり、早 期 治 療 に よ つて 治 した I れ ど、感 染 した時 に抱 い ていた死 の 恐怖 等 の編
つてい る人達。私 は体 調不 良はなか った けれ どt 普通 に健康 な生活 を送れ な い人達 がい るのは 、
い よ うに心掛 けて い る。
実母 の病状が、最後 の看 とり段階にな つて きたが、 自分 の病状が悪化 した場合の不安。1 人 親で 1 人 娘で
は、最後までお世話
│ま
、最後までお世話 して見送 りたい と切に思 う。私 自身は、周 りの家族やヘル パー さん、その他 に助けられなが
に助けら
ら、楽 しい時 間を少 しでも作るように しているが 、楽 しむ時間の限 りが少なくな つた。 この ごろは、疲れや不安 が
く悲 しい。 つ らい検査や 治療 が怖 い。 死 ぬ こ とにつ いて は怖 くな い。少 しで も子供 の成長 を見 て いた い。
い病状 がでた ら、治療 に入れ ばいいのか分 か らな い。 副作用等 の事 を聞 くと、 この まま でいた方 がいいの
りも、娘 の 事 ばか りで頭 がい つばいです。 まだ悔 しい思 いでいつ ぱ いです。 許せ な い思 い でい つぱい
イ ン ター フェ ロン治療 を受 け る こ とに つ いて不安 が あ るの で 、相 談 にの って くれ るカ ウンセ ラー み たい な人 がほ し
い。 色 々 と不安 な事や 疑間 を解 消 した い:
:
ン ター フェ ロン治療 を受 けて、副作用 に苦 しんで 、 ど うして こんな 辛 い治療 な のか。
でて、
ず細 くな り、他 人が 見 る と病人 と分 か り、電 車 の 中で も避 け られ るよ うに感 じた。 どの よ うに した ら副作用 が軽 く
な るのか。 運動 を取 り入れ た り、食 べ 物 を無理 して食 べ る よ うに したが 、それ で 1 年 間続 けたが、体カ ギ リギ リま
で しない とだ めだ と思 つた。 ウィル ス は とて も強 い。 無理 して元気 なふ りを して きたが 、体 力的 に も精神 的 に も本
当に限界 だ つた。
私 も この数年 の 間に 、イ ン ター フェ ロ ン治療 にな る と思 うけれ ど、
か受 ける決心が つ か な い状態 で あ る。
してお り、
) 配で 、
とにか く体 が だ るい。食欲 が な い。 病気 と うま く付 き合 つてい こ うと、明 る く笑顔 でい よ うと思 つて 生活 してい る
けれ ど、い ろんな事 を考 え る と不安 でたま らな く、気持 ちが落 ち込 んで しま う。 そ の繰 り返 し。 イ ンター フ ェロン
の 治療 を来年 の 夏 か ら始 め よ うと思 う。 けれ ど、副作用 が 体 に どんな影響 が あるのか考 える と辛 い。 ウィル ス を排
す るのが効 かない タイ プだ。 体 力的 な不安 もさる こ となが ら、精神 的 な苦痛 の 方が大 きい。 イ ン ター フェ ロンの
治療 を受 けて、 ウィル ス が排 除 され た ら完治す る と言 われ てい るが、治療 を受 けてみ な い と、治 るか治 らな いか分
か らな い。 自分 の体 を痛 め な い とい けな い治療 を受 ける。何 も知 らない人 に、治療 を受 けな い 人 に 、そ んなに簡 単
に 「
治療 を受 けて完 治す る」 なんて言 つてほ しくない。 副作用 が少 な い治療 法がで きてほ しい と、強 く臨む。
と肉体 と調和 させ て 、生活 してい きた い。 運動 も徐 々 にて きるよ うにな りたい し、や つて い こ うと思 つてい
る。食 事療 法 はます ます進化 させ てい きた い。 生 き方 を 自分 が選択 してい こ うと思 っています。
で入院 してか ら、 つい この ままで慢性肝炎 だ と思 つて 、定期 的に血液検査 を していたのです が 、 こ
がテ レビで大 き く取 り扱 うよ うにな つて 、主治 医か ら、 も つ と詳 しい検査 を した らと言 われ 、そ の結 果 が 自然 治癒
で 、 いつ の 間 にか治 つてい た事 に とて も驚 き、同時に喜 び とホ ッとした気持 ちがあ り、 とて も信 じられ ませ んで し
た。他 の 人 には本 当に 申 し訳 な いの で す が 、今 は死の恐怖 か ら解 き放 され た気持 ちで、第 2 の 人生 だ と思 つて 、大
事 に生 きて い こ うと思 つて い ます。
この質 問は、完 治 してい る人 には
過去 を振 り返 ってい ませ ん。
味 です。 人それ ぞれ い ろい ろな
ィル スの検 査 で:I― で、
の 先 生 方 、原 告 団 、
正
い
常値 な の で、普通 に生活 しています 。
に感 謝 しています。 で も、ま だ和 解 にな ってい な い原 告 もお ります ので 、1日
早 く和解ができるよ うに して下 さい。法案は皆 の努力でできま したが、どんな内容かは、まだ これか らだ と思いま
すので、原告団の 1 人 として、今後 もできる事に参加 させて下さい。私 は、 自身 の足元を、またつ くり直 します。
正直 な気持ち、つ らいです。
精
害肝炎 と知 って力T ら、 密検 査 を受 けた ら、肝硬 変 に進 行 してい るこ とが分 か り、 シ ョ ックで
蜜か つ
た。 運 良 く大学病院 で治験 を受 け るこ とにな り、現在 も治療 中であ る。何 も しないでただガ ン を待 つ よ りも、何か
にす がって 、少 しで も生命 を長 らえたい とい う気 持 ちで い つばいです。検査結果 に ドキ ドキ しなが ら、本 当に ウイ
スが な くな るのか 、不安 の 中で の 生活 です。 通院 のたびに 主人 は仕事 を休 み 、家族 に迷惑 をか けてい るこ とが負
にな る。 これ か らの 生活 も不安 が い つぱ いだが 、 い ろん な人 に支 え られ てい ることに感 謝 しなが ら、前向 きに い
くこ とで しか 、希 望 が持 て な いのがつ らい。 早 くこの病気 が 治 る治療 が 見 つか ることを、常 に願 つてい る。
ガン
が発 見 のた め不 安 です。 今度 の診察 で説 明 が あ る。
はウ牙九形可IIな 7百 三T雨 蕨万百「
…
です (服薬 も含 めて)。
ク ヨす るこ とは あ りませ ん。 うつ症状 に伴 う身体 的疲 労 が しん どい
今で こそ落ち着 いて人生を考えられ る。月 日が流れたせい ?私 のよ うな人が 、 こんなにも多 くい らした現実を目の
当た りに して、他の人 もがんばつているのだか ら、私 もがんばれ るところまで。 この 日で見 られ る、この手の届 く
大切 な人 のために 、笑顔 でや しさくがん ば ろ うと思 い ます 。
ペ グイ ン トロン と レペ トー ル 併用療 法 を受 け、55週 目。 治療 が これ ほ ど里 い とは思 つてい なか つた。 自血球 、血色
素 ともに減少 。 6ヶ 月頃 か ら甲状腺 の機 能低 下 と更進 を繰 り返 してい る。 も し再発 した と して も、 も う治療 は した
くない。治療する前 の方が、体は悪 くて も今 よりは動けた。
に生 きて い きた い と思 う。
現在 は、完治 と言 われ てい るが、果 た して本 当な のか 。・ 。と思 う。 将来 、私が年 を と り弱 つてい くと、又 、肝臓
が悪 くな るん じゃないか と思 つてい る。 この病気 が本 当に完 治 して いた か は、私 が死ぬ時 には じめて分 か るのでは
と思 つてい る。
イ ン ター フェ ロンは 7月 で 1年 間 の 治療 が
日、 6 ヶ 月 日の 検 査 で
の結 果 が 出 て 、 ほ つ
しています。 まだ 3ヶ 月 に 3本 検 査 に行 くのは 、やはリイヤですね。毎月の検査、毎週 の病 院通 いか ら解放 され た
は救 いですね。
こんなに苦 しい病があるとい うことを知 りま した。まるで 、ボデ ィプ ローみたいに後 で効 いて きます。
ン ター フ ェ ロ ン
が 分 か らな くな
いか ったの で、
におい しい もの をお腹 い つぱい食 べ てお けば良か つた。 味 が 戻 るの には 、 たぶん来年 2 月 か ら 3 月 頃 までかか るだ
ろ うと言 われ て い る。 夏 もず つ と 1 年 中皮膚 の 乾燥 、あ か ぎれ 、ひび割れ 、薬、 ク リー ム 、 リバ テ ー プが手放せ な
い。筋 肉 の こわば りもあ るけれ ど ( リウマ チ) 、 食 べ 物 がお い しくな い方 が 辛 い。
複数 の 持病 があ るた めい ろい ろな制約 を受 け入れ 、生 きて きま したが 、 C型 肝炎 とい う病気 が またひ とつ増 え、心
身共 に疲弊 した感 が あ ります。 これ か ら先 、何 年 自分 で動 く こ とが で きるか 、生 きるこ とが で きるか。体調 の悪 い
時 は 、 い ろい ろ と考 えるよ うにな りま したが、病 状 が 悪化 しない よ う、家族 のた め 、 自分 のた め、 自己管理 を これ
か らもや つてい こ う、や らなけれ ば とも思 い ます。
来年 、イ ンター フェ ロン治療 を受 け るた めに 、今 は検 査 な ど受 けてい る ところです。 3 度 目のチ ャ レンジです 。今
回 は近 くのかか りつ け医 と月
干臓 専門医に治療 をお願 い しま した。 や は り、専 門医に診 て も らえるのは、心強 い し安
心です。なんだか治 りそ うな気が しています。頑張 ります。
して い る の で 、 前 向 きに過 ご して い る。
し
ヽ
てい るこ とは とて も嬉 しく、病院 へ の 通院 が とて も
けることも多々あ りま した。
C・
、
で 、
りに
か
のさり」だと思い、いろいるな
分自身しつかり受け入れて、前向きに治療に専念 しています。私自身 「
当は しな くてすんだ こ とですが 。・。)力 菫
今後何 か にプ ラス になれ ば と思 つてい ます。
2 度 目のイ ンター フェロン治療途中より、 つつ状悪に な り、身
翠
状態で歩行 もかな り
困難。会話 も しな くな つています。泣 いてばか りだつたのが 、最近少 しは笑顔 も出始めたものの、身体症状は相変
わ らず な の で 、本 人 は つ らい 精 神 状 態 が 続 い て い る よ うです 。
肝炎 が 完治 してホ ッと して、 2 年 目に乳 ガ ンに な りま した が ( 5 8 才で C 型 肝 炎 、6 0 才で 乳 ガ ン)
く ( 8 年 間) 、 明 る く前 向 きに行 きた い と思 い ます。
現在 は再発 もな
の時にイ ンター フェ ロン を受 けま した。 おかげで今 は健 康 を取 り戻 し、病気
だ つた こ とを忘れ る とき もあ ります。 このア ンケ ー トを見 る と、今 も苦 しんでい る方達 に、早 く健康 にな つてほ し
い と願 うだけです。
ヽ
学校 5 年 生 で告 知 を受 け 、 高校 1
―
―一一 ―一 ― ――一― ―
一 ――一― ―――― ―
―
―一――― ―
現在、ペ グイ ンター フェ ロン治療中。 8週 で ―にな り経過観察中。再燃 を百万百晟蒻両 医者 レー
用 の情報開示が しつか りない と、患者は不安が多い。何で 一の者 が何%あ り、その場合はどうい う治療 を行 うの
か。最悪 の場合 は何 %で 、 こ うい う治療 を行 うな ど、医学書 を事 前 に購 入 (40,000円分)し 、副作用 をあ らか じめ
学 んでいたため 、あ らゆ る副作用 について 、即対応 可能 とな つた。 これ は非 常に大 きい もので あ る。 患者 自身が必
死 に病気 の勉強 を しつか りして 、専門医 と同 じ レベ ル まで も つていか な けれ ばな らな い と、今 日の病気 を通 して感
じてい る。
私 の場合 、
てもう30年程になるけれど、幸い正丁 が覆kTttπ 訂薇涌覇薮蔵蕩蕗疋I牙 ち雇薫「
る程でした「
つ らくて大変 な思 い を してい る方 も知 つてい ます。 自分 は幸せ な方 だ と思 い ます 。
インターフェロンの治療が効かず「否はた
雨
が 一 番 心配 。
生 きて い る事 が不 安 と思 うのは 、 とて も葛藤 であ り、憤 りであ る。
74
巧雇歌爾嘉蒻F百て更所確覇
感が 出てきま した。
へ の 心配 が 募 り、 うつ 病 に な つ
しまいま した ( 一年 前 に診断 され ま した, 。 家族 に も迷惑 をか け、毎 日
毎 日、体が動かないことを悔 しいと思い 生活 を しています 。 こん なに きつい な ら、死ん だ方 が いい と考 え るこ と
もあります。
75
間 6-2フ ィプリノゲン製剤ないし第 X因 子製剤を使用した医師に対して
C型 肝 炎 に感 染す る こ とを知 つていたの な らば、許せ な い。
国か ら許 可が出て いれ ば、使 用 して も仕方 がなか つた と思 う。
当時使 用 した医師 は 、責 め られ な いが 、そ の原 因が明 らかにな つた 今 、素直 に使 用 を認 め 、協力す る医師 であ つて
ほ しい。 ごまか した り、協力 で きな い 医師 は許せ な い。
当時、最 善 の処 置 を して も らい 、命 を助 けて も らつた と思 つて い る。肝炎感 染止血効 果 な しの認識や 、製 薬会
の 関係 が分 か らな いので ・・・。
医者 か ら輸血 で と言 われ 、薬害訴訟 の事 は私 には関係 な い と思 つてい ま した。 平成 20年 に突然病院 か らの 通知で 、
フ ィプ リノゲ ン を使 つた と知 りび つ く りしま した。
るた めの手術 の 際 の事故 な ので 、特別 な感 情 は あ りませ ん。
の 当時 、 山梨 で は使 用 す る こ とが 当 た り前 だ つ た の で 、仕 方 が な い と思 つて い ます ( 私の タイ プ の
み)。 病気 を治そ うと して した こ とでt肝 炎 にな るこ とは皮 肉 な結 果 です が 、病気 は治 ったので感 謝 しています 。
ので、個人的には意見はない。む しろ、命を救つてくれて感謝している。
ミ ドリ十字 は 、色 々 な薬害 を起 こ してい る会社 な の に 、 ど うして ここの会社 と取 引 を していたのか 、聞 きたか つた
命 を救 うた めに 、ベ ス トを尽 く して く
ず。 医師 に対 して、全 く恨み はな い。
リノゲ ンが 有 効
い と感 じた。
国で許 可 したので仕 方がな い。
使 用 した止血 剤 が悪 い事 を、知 らなか つたのです か ? 知 って いた 人 が、近 くに いたの ではないです か ? な どの気持
ちにな るほ ど、心 がひね くれ ま した。
殺 した いほ どの憎 しみが ある。 当時 、体調 の不具合や治験 の診査 を無視 した 医者 に対 して 、せ めて家 に直 に謝罪 を
して ほ しい 。
、 フ ィ プ リノゲ じ
、 どの よ うな結果 にな るのか 、知 っていたので はないか と思 つてい
す
が あ ったか ど うかは分 か らな いが 、止 血剤 と して使 わなけれ ば 、死 亡す る と考 えた ら、やむ を得 なか っ
つ
フ ィ プ リノゲ ン製剤 に対 して の 勉 強 を 、 も う少 し して い て ほ しか った 。
でや む を得 なか つ た と思 う。
ン を使用 しな けれ ば、私 の命 が助 か らなか ったので あれ ば、仕方 が な つた事 で あ つた し、感
るべ きです が、 ちゃ ん と した説 明 が ほ しか つた です 。
の 時 、 フ ィプ リ ノ
出 血 だ った の で 、 止 血剤 を使 用 した の は仕 方 が な い と思 った が 、 なぜ 血 液 製 剤 を選 択 した の か と思 う。 も う少
し、様 子 を見てか ら使 つて も良 か つたの に と思 つて しま う。
当時は、普通 の こ とだ ったのだ と思 う。 そ の後 、肝 炎 の 治療 を親 身 にな って 下 さつたので 、感謝 してい る。
の使 用 、感染 の事 、今 後 の事 に つ いて 、 自らきちん と話 して ほ しか った。厚 労省 の批判 だ けではな く、 自ら医師
としての責任 を、もつと自党 しは しい。
医療 に従 事 され てい る方 々 に、 こんな惨事 は 、 も う三度 と絶対 に起 きてはな らな い事 です 。 これ か ら先 、長 し
の 間に、また同 じ事 が繰 り返 され た と した ら、使用す るのは最 終現場 であ る医療機 関です。 新薬 がで きた ら、ま
ず 、我 が 身我 が子 に置 き換 えてみ て 下 さい。 は つ き りと した、 しっか りと した 安 全、安心 とい うこ とを、人の大切
な命 を預 か つてい る とい うこ とを、お願 い します。
止血 のた めに、 当時は良かれ と思 つて使用 した 」 とい うことで した。 それ で命 拾 い を した こ とは事 実です が 、そ
の 出血 の原 因は何 だ つたのか と今 で も思 います。
76
て い る薬 だ か ら、 医者 は信 用 して使 つて い た と思 う。 別 に 、 医者 は悪 い とは思 わ な い 。
1 9 8 2 年に 出産 に よ り、非カロ熱 製 剤 の フ ィ プ リノゲ ン2 g 使用 。 なぜ 必 要 だ つた の か 、慣 りを感 じた 。 1 9 7 7 年に 、 ア メ
リカでは中止 されてい る。多 くの人 の人生を狂わせて しまった責任は、 どうとるのか。
て くれ た と思 えた の で 、感 謝 して い る。
手元にカル テー式保管 されていた事実を踏 まえて、各種報道機関で公表 されていた ものですか ら、患者側 ヘ
報告 がほ しか った。 当方 の 追求調査 で判 明 した。 医師 へ の信頼感 を失 う結果 となつた。
フ ィプ リノゲ ンの使 用 につ いて は 、一 度 も説 明 が なか つた。 止 血のためにや む を得 ず使 用 した と して も、内容 を正
しく説 明 してほ しか った です 。
「
心臓 は助 か つたのだか ら 。・ ・」 と、先生 はお っ しゃ るけれ ど、 じゃあ肝臓 は ど うな って もよか つたの です か ?
今 も手術 前 に受 けた 「
心疾患説 明図○○大学 医学部第 二 外 科 」 力S 手元 にあ ります 。 フ ィプ リノゲ ン製 剤 の 事 に つ い
ては 、 一切触れ ていませ ん。 書 かれ てい る事 は次の事 だ けです 。
室性 頻拍 → 突然 死 、生活制 限
カテ ー テル テ イ ピン グ 右 ′
さ室 三 尖弁 ∼ 流 出路
フ ィ プ リノゲ ン製剤 を使 用 した に もか か わ らず 、使 用 して い な い と言 われ て しま つ た。 2 0 年 も前 の 事 で 、忘 れ て
ま つたのか もしれないが、 日の前が真 つ暗にな つて しまつた。幸い、別 の病院に入院 した時のカルテがあったの
で、給付金を受けることがで きた。使用 した事を、隠 さずに言 つてほ しい。
私 の 場 合 、医療 ミス で
の で 、 医者 を訴 えた い 気 持 ち。
も薬 の勉強 を してほ しい。
、命 を救 うた めには仕 方 が なか った と思 うが 、悔 しいです 。
投与時、医師iま
危険製剤であることを知 らされず、使用 した と考えられ、責任は間えない と思われる。し か し、そ
の数 ヶ月後 、数年後 に、 フ ィプ リノゲ ンが肝 炎 の原 因 と判 明 し、それ を認識 した時点か ら、投 与 した患者 に対 し追
跡 し、事 後対処 して ほ しか った。
ノンAノ ンBと 言 われ て いた 時代 で 、使 用 は他 に手段 が なか つたので 、仕方 がない と思 う。
医師 に対 しては、命 を救 つていただい た こ とを、非常 に感 謝 してお ります 。 で も、薬害 にな る こ とが分 か つてい
ら、他 の方法で助 けて も らいた か った。
仕方 が な い とは思 い ます が 、使 用 す る に あ た つ て 、説 明 が ほ しか つた です 。
418名 リス トの 中に私 の名 が あ り、肝 炎 になった原 因 が 分 か りま した。院長 には、早 く知 らせ てほ しか つたです。
念 です。 悲 しいです。
7年 当時 に、止血剤 と しては 、仕 方が なか った もの と考 えます。
瓢
百百て て鷲
砕
積
か も しれ な い が 、 医 師 は 、 この 製 剤 の 危 険性 を知 つて いた の か 知 りた い。
t明 は聞 きま したが 、そ の状 況 が 良か つたか ど うかは疑 間 です。
反Tttτ 下分が石てヽ〒こ画面肩 したとしたら、許 しがたいことだと思う。
赫
当時 は 、多 く使 用 され ていた とはい え、他 の薬剤 が あ つた こ とは間違 い な いので 、 も う少 し慎重 であ つて ほ し
か つ た。
当時「而百正血剤はあったのでしIう か。医師の対応がどれほど誠実だつたか、夫は語りぐさにしていました。
は、懸命 に私 の命 を救 つて くれ た。 あの 状 況 で助 け られ 、感 謝 してい る。助産師 は、 日常的 にフ ィ プ リノゲ ン
が使 用 され て い た と話 して くれ た 。
77
こな るか も しれ な い 」 と医師 か ら言 われ た。 しか し、生 きるか死 ぬかの 時 に何 の
択肢 もな い。 医師 は、輸血の リス クを言 つたのか、、 フ ィプ リノゲンの リス クを知つていたのか、 どちらか開いて
み たい と思 う。今後 、医師 は薬 に対す る勉 強 も必 要 か と思 う。
を救 つて くれ た方 です 。感謝 の気 持 ち しかあ り
した ので あ り、
が認 可 され ていたの
出産 時 、出血 が止 ま らな い 中で、医者 はまず 、止 血す る こ とを第 一 に 考 えていた と思 うので 、そ の 時 、医者 が フ ィ
プ リノグ ンは肝 炎 の原 因 にな るか も しれ な い と知 つていて も、使 われ た と思 い ます し、私 を助 け るためだ ったの
で 、医者 には全 く恨 み を持 つてい ませ ん。
に対 しては 、責任 はない と思 う。 そ の 時点 では、 この 方法 しか なか つた ことで しょ うか ら、投与以前 の 問題 だ
と思 い ます 。
こ艮 く効 く薬剤 を使 い 、人命 を救助 したい と考 えるの は、当然 の こ とだ と思 います。 私 の 場合 は、
出血多量で運ばれ、そこで意識低下 した状態 で使 つたので、それは仕方がないこ とで、私を助けてくれた のだ と思
います。それよりも、出産時に、自分の時間の都合で、説明もなく、陣痛促進剤を筋肉注射 した医師が許せないで
す。
人の命を守る立場にある医師が、国、製薬会社 とグルになつて隠ぺい し、私 自身10数年間も放置き雨戻更更Π≡
りを感 じる。 しか も、手術後 の診 察 を、今後 も引 き続 き同 じ医師 に依 存 しな けれ ば な らず 、患者 の弱 さを痛感 して
い る。
フ ィプ リノグ ン を投与 され て しま つた こ とは悔 しい し、悲 しい けれ ど、その 当時 、死 と直面 していた私 を助 けて下
さつた 先生 に 、恨み はあ りませ ん。
が 認 可 した
で、医者 に責任 は間 えない。
じてい な い。
の 出血 量 を考 える と、 1992年 の 1月 、 フ ィプ リノゲ ンの怖 さを承知 していた とされ る ドクター は、無理 に輸血行
為 を しないで ほ しか つた。 意識 は じつか りして いた の で、副作用 を教 えて ほ しか った。
5、 6年 前、初めてC型 肝炎を知り、フィプリノゲンが原因だつたなんて、分かるはずτ下て、意護も朦朧として
いたので す が 、そ の 時 の 医師 は、 フ ィプ リノゲ ン を使 つて は い けな い こ とを、知 っていたの で しょ うか。 今 とな つ
ては遅 いのです。
つ と安 全性 を確 か めてか ら、使 用 してほ しか つた。 危険 な製剤 であ るこ とが分 か つた時点で、す ぐに使 用 をや め
て ほ しか つた。
の時 、止 血剤 と して投与 され た が 、何 の根 拠 があ ったのか。
医師には責任はない と思 う。
的に、初期であるのに手術に失敗 し、退院前 日に大出血 して 、 フ ィプ リノゲ ンを使われ再手術。 お腹はひ どい
血液は汚れ、絶対に人には知 られない ようにと神経 を使 い、病院にも行かなくな り、健康食 品を何種 類 か使 つ
てい る。顔 で笑 って心で泣 いてい るよ うな生活 で した。 手術 した病院 に電話 して 、 フ ィブ リノゲ ン を使 つた 事 を聞
き、 「
辛 い 思 い を させ ま した」 との 医師 の 言葉 を聞 き、涙が出ま した。 私 を担 当 した 医師 ではないの です が 、そ の
は身 体 の 力 が 抜 け ま した 。
大出血で運ばれたため、死の危険があり、当直の医師は助けようと必死なのが分かつていたため、l E
ると思われる製剤を 「
使用 しますよ」 と言われ、任せるしかなかった。仕方がないと思 う。
医師 個 人 で は な く、病 院 に 対 して 貢 任 を問 いた い 。
手術前 の説明で、使用す る可能性 を聞かせてもらつたが、医師 としては、ベ ス トの選択だ つたのだろ う。少 し悔や
まれ るが ・・・。
′
その時の最善の治療を考えて下さつたわけなので。その後、肝炎感染について、書類を提出して下さつたおか:
で、製薬 会社 か ら主治医 に、そ してす ぐ連絡 を下 さ り、早 い 時点 で裁 判 も終 わ り、重荷 を背負 わな くて済み 、感 謝
してい ます 。
は知 らなか つたの で、 しよ うが な い と思 つてい る。
て くれ て、カル テ も残 してお いて くれ て 、今 は感 謝 してい る。
が な い。
78
医帥 は 、危 険 性 を認 識 して便 用 す る べ きで あ り、肝 炎 に な つた 時 、 も つ と適 切 な処 置 を とるべ きだ つた と思 う。
当時は認可 されていたものだったので 、使用 については、仕方がなか つた と思 う面もある。 当時、私は出血多量で
シ ョック状態だ つたた め、生死をさまよい、死産 して しまつた。
命を最優 先 に行 つた こ とと思 つて お ります。
私 は34年 も前 の事 です ので 、命 を救 つて くれ た医師 に対 して は、感謝 してお ります。
他 の方 法 は なか った の です か ?
命を助けていただいたので、感謝は しているが、そ の 後 か ら現在 まで苦 しん だ。 そ の時 、死 んでいた方が 良か つた
と思 います。 生き方を教えてほ しい。
命 を助 けて くれ た医師 に対 しては 、感 謝 の気持 ちの方 が強 い です。 しか し、 フ ィプ リノゲ ンが効果 の な い薬 、危険
な薬 であ る とい うこ とを知 って いたの か ? 聞 い てみた いです。
仕事 上、仕方 がな か つたので は。
8C
本 当に必 要な治療 だ と思 つて点滴 したのか 、聞 いて み た い。
大量 出血 で、命 を落 とす危 険が あ ったの で、や む を得 なか つた と思 う。
フ ィプ リノグ ン製剤 の危 険性 を、 どれ くらい認識 して い たかの 問題 はあ る ものの 、現場 の 医者 と して、少 しは感 じ
る ものが あ った と思 う (多少 な りとも問題 があ る と)。 フ ィプ リノゲ ン製剤 を使 用せず 、治療す る方 法 を考 えてほ
しか つた し、医者 の 姿勢 が 問われ る。
1最近、肝炎になる人が多 いの よ」 と言つていた とい うことは、医師も何 らかの疑間を持 つていたのではないか と
思 います。又、その後、危険だ とい うことで、使用中止になつたのに、何 も連絡 がなかつたことには、少 し無責任
さを感 じています。新鮮血を使用 したことについては説明 もあ り、母子手帳、保険金請求のために記入 して もらつ
た診断書にも記載 があ りま したが 、血液製剤 を使用 した事は、手術中で意識 がない間に使われ たこともあ り、説明
もな く、母子手帳等にも何 も記載 があ りませんで した。 ただ、カルテの手術記録 に残 っていたのが幸 いです。命を
救 うための手術をしていただいた事には、本当に感謝 しています。
許す こ とがで きな い。
産科 の先生 は、早 くに、 フ ィブ リノゲ ンを打 ってい るので 、検 査 を受 け る よ う進言 して くれ ま した。 体調 は 良か つ
たのです が 、 「
悪 か つた ね ∼ 、悪 か つたね ∼ 」 と、何回 も言 われ ま した。 誠意 の ある医師 だ と思 い ます。
私が使用 され た当時 は、医師 も肝 炎 を起 こす とい う認識 が なか つたの で、医師 を責め るつ も りはあ りませ ん。私 の
医師 は知 らなか った けれ ど、ア フター ケア を して下 さい ま した し、訴訟 に関 して も協力 して下 さい ま した` 使 用 し
たか ら、私の命 が助 か つたのだ と、今 で も思 いた いです。
87
26年 前 の 事な ので 、医師 もフ ィ プ リノゲ ン製剤 に つ いて 、 どの程度理 解 していたのか ?説 明がな くて も仕 方 がな
か つた と思 う。
医師 の都 合 で計画出産 させ られ た こ とが 、全て の根 源 だ つた と思 うこ とが あ ります。 「
陣痛 がないの に、入院 して
出産 」 は不 自然 です 。 そ の提案 を拒否 で きなか った こ とが 、今 で も悔や まれ ます。 医師 の 対応 に、不満 、許せ な い
思 い を痛感 しています 。
当時は、出血 の際 、効果 の ある薬 と信 じて使用 していた よ うな ので 、仕方 がなか つた事 と思 いたいで す。
感染 は して しまったが 、 フ ィプ リノゲ ン を使 用 しなか つた ら、命 はなか つたか も しれ な いので 、複 雑 な気持 ちで
す
。
出産 か らず つ と入 院 ( 3 ヶ 月 半) し てい る間 に 、急 に先 生が退職 して しま った こ との理 由、及 び説明が され な いま
ま、今 に至 ってい るこ とが、 とて も不安 です。
92
私 の 場合 、緊急事態 だ つたた め 、 フ ィブ リノゲ ンの 投薬 に関す る説 明 をす る機 会 がなか つたの では と、個人 的 に推
察 しています が 、事前説 明が あって しか るべ きだ と思 う。
止血目的で使用されたことは理解てきる「τttτ:肝 炎が発症する恐れがあることを、きちんと伝えるべきであつ
た
^
説明 もな く投 与 され 、 一 生 を不安 に過 ご さざるを得 なか った こ とに、悔 しい思い を してい る。 半面、命 が助 か つた
ので 、仕 方が ないか とも思 う。
79
9〔
心臓機 能 l l害
■ ( 弁置換) 手 術 を した 当時 は、その薬 、そ の 方法 しか なか つ たのか も知れ な いの で、医師 を恨 む つ も
りは あ りませ ん。
9(
9
1986年10月に心臓 手術 を しま した。約 lヶ 月 の 入院 で した。 退院 の 時 、担 当医師 は、 2、 3ヶ 月す る と身体E証
ので きな い倦 怠感 を感 じるか も知れ ませ んので、その時 は必ず知 らせ てほ しい と言 われ ま した。 しか し、私 にはそ
ん な倦 怠感 は、何 もあ りませ んで した。 それ か ら 6年 目になつて、近 くの 個 人診療所 で、血液 検査 をす ぐに しま
しょ うと言 われ ま した。 心臓 手術 を した 患者 さんは、血液検査 をす る必 要 が あ る と告 げ られ て、その時 に C型 肝 炎
と分 か りま した。 手術 を した医師 は今 は故人 です ので 、 フ ィプ リノゲ ン を許 可 した厚労省 と製 薬会社 に対 して 、強
い憤 りを感 じます。 故人 とな つた 医師 に対 して は、今 は何 も申 し上げ る こ とは あ りませ ん。 む しろ、心臓 手術 の成
功 に感 謝 してお ります 。
薬 を使 用 した事 を説明 してほ しか つた。
9〔
忙方 が な か つた と、 当時 は思 うよ うに しま した 。 そ うで な い と、や りきれ な い 。
9≦
当時は、医師 も安全な薬 と信 じて使用 した と思 う。医師 もある意味被害者だ と思 う。
10(
フ ィプ リノゲ ンの使 用 に ついて 、知識 、技術 が十 分 ではなか つた。
101
手術時、出血が多量だ つた と聞 いてお り、止血に製剤を使用 した ( 製剤 の使用は、知 らされていなかつた) と 思 い
ます。 当時は仕方がなか つた と思い、医師には特に恨みはあ りませ ん。
10乏 l l l L製
液剤 を安 易 に使 用 して い た の な ら、残 念 で す 。
Ⅱ 一
幽
産科 の 先生 か らは、 一言 の説 明 もな か つた。母 子手帳 に も書かれ ていなか った。 一 言説明が ほ しか った。命 が助
か つたん だか ら、良 じと思 い な さい と、 しょっち ゅ う言 われ た。
製剤 の 有効性 を知 っていて使 つたのか ど うか 、聞 いてみ たい と思 うが 、確認 で きな い でいます。
10〔 当時 の 医師 に対 しては、何 とも思 いませ ん。
10〔
光に 亡 くな つてい るので仕方 が な いが 、薬 の リス クを告知 しては しか つた。
107 当時 、使用 した こ とは、仕 方 の な い こ とだ と思 い ます が 、そ の後 、証 明 をお願 い した時 、病院長 が 、病院 が使 用 し
た こ とも、患者 に投与 した こ とも覚 えてい ない と言 つた こ とに、腹 立た しさを感 じま した。
し、輸血 時 の説 明 を全 く しなか つた こ とと、輸血後 の血 液検 査 も行 わなか つた ことは 、医師 と しての
義務 を怠 つた結果 であ り、非 常 に残 念 な結 果 だ と思 う。 人 の命 に携 わ る医師 は 、 きちちん と説明 して は しか ったで
す。
1 0 ( 医師 の判 断 で、出産 時 に使 われ た フ ィプ リノゲ ン製剤。 子供 が誕 生 した喜 びが 一転 して 、そ の後 、爆 弾 を抱 え る と
は思 い ませ んで した。
10〔 私や 家族 に対
殺 した い。
出産 の時の緊急 の止血剤だ つたので 、仕方 がないことか もしれないけれ ど、たった一度 の製剤で、長 い入院生活や
インター フェロン治療など、 とても辛 い人生を送 り、今でもまだそんな生活を しています。
112
投与時は、良かれ と思 つて使 っていた と、その時の医師に聞きま した。肝炎 の リス クは知 っていた けれ ど、止血を
して助けたかつた と、正直に話 していただ き、納得 しま した。
国 と企 業 の 問題 で 、 医師 に対 して の 思 い は 、 良 く も悪 く もな い 。
当時 、医師 も、血液製剤 が月
干炎 と関係 があ るこ とは、判 つてい なか った と思 うの で、恨 む気持 ちはあ りませ んで し
たが、 そ の 後 、 カル テ開示 、薬剤使用 証明 に関 して問 い合 わせ た時の 態度 は 、ま るで非協力的で、嘘 をつかれ た こ
ともあ り、良心の呵 責 はないのか と、腹 が立 ちま した。
使用 しては いけ な い製剤 と知 って使 用 した行為 は、腹 立た しく思 う。
そ の 方法 がベ ス トだ ったの な らば、仕 方が な い とい う気持 ち もあ る。
血液製 剤 をや た ら使 用 し、感 染被 害拡大 した知識 不足。 責任 を感 じて 、 も つ と勉強 してほ しい。
子宮 筋腫 の摘 出手術 は 、それ ほ どの 大手術 とは思 わず 、 l ヶ 月 もすれ ば、 また元の生活 に戻れ る と信 じ、主治医に
託 したの に 、医師 は 、 フ ィプ リノゲ ン製剤 の 恐 さな ど全 く認識 が なか ったの に 、 が く然 と した。
80
多量 出血 のた め 、命 の危険 と比 べ る と、 フ ィプ リノゲ ンの使用 は 、仕 方 がない とは思 つて い ます。 しか し、使 用す
る必要 が確 かだ つたのです か ? 問 いた いで す。
その 当時 は、それ しかなか つたので しょ うか ?助 けて い ただいたの に 、言 え るこ とではな いの で しょ うが。
命を助 けて いただ き、あ りがた く思 つて お ります 。
当時は 、 フ ィプ リノゲ ン を使用す る手段 しかなか つた と思 うし、私 を一生懸命 助 けて くれ たので 、感 謝 の気 持 ち し
かあ りませ ん。
度 つて い い も の か 悪 い もの か 、 よ く確 認 して使 つ て ほ しか つた 。
当時 は 、 そ の 治 療 が 最 高 だ と して 、使 用 した と思 う。
目分 目身 が 、2 2 年前 に C 型 肝 炎 に感 染 した事 を知 らな くて 、つい数年前 の血 液検 査で分 かつた。 そ の 当時分 か つて
いれ ば 、 3 人 目の子供 を、生 まれ て 2 時 間 で 亡 くす事 はなか つた と思 い ます。
亡くな られま したが、事前に、カ ウンセ リングや気になる事 とかの対話 が沢山あれば、違 う方向だ つたか もしれな
い と思います。
出産 時 、危険 な状態 だ つたので 、使用 は仕 方 が なか つた と思われ る。
命を助けるための事なので、 しよ うがない とは思いますが 、もうちょつと考えて使 つてほ しかった。
│
当時は、 これ らの薬 が止血 剤 と して 、優れ た薬 とされ ていたので 、使 用 した こ と自体には責任 はない と思 つて い
る。 しか し、手術後 に血清肝 炎 とな ってい て も、それ とC型 肝 炎問題 が結 び つ かず 、気付 かず にいる患者 もい るよ
うなの で 、使用 した医師側 か らもつ と、働 きか けをお願 い したい と思 つて い る。
帝 王切 開時 、出血多量 で、 l も う覚悟 して 下 さ い 」 とまで 言 われ た そ うです 。 そ の 状 況 を考 えれ ば 、仕 方 の な い 事
だ つた と思 い ます。
私 の 一 生 を、 元 通 りに して ほ しい です 。
そ の 当時 と して は 、仕 方 の な い 事 だ と思 つて い る。
産後 、す ぐに医師 か ら肝臓 障害 を起 こす か も しれ な い と、言 われ ま したが 、 当時 は何 の事だか分か りませ ん で し
た。 そ の 当時 、医師 がその事 を分 か つていた な ら、お産 前 に話 を してほ しか った。
人命 のた め と言 うが 、それ が本心 であ ったのだ ろ うか。
フ ィプ リノゲ ン投与 の 副作用 は、内科 の 医師 に よ り報告 され ま した。 4 1 8 人の リス トに載 つていた とい うこ とで、I
1 9 . H . 2 4 に、病院 よ り話 があ りま した。 出産 時 、 フ ィブ リノゲ ンを投与 した産 婦人科 の 医師 か らは、何 の説 明 もあ
りませ ん で した。 内科 も産婦人科 も、同 じ病院 の 医師 で した。今 ではカル テ もな くな りま したが 、時 々 、病院 で会
う機 会 が あ つて も、 フ ィブ リノゲ ンにつ いて は、 一 切 話 が なか ったです。
ど うして、本 人 の許 可な く使 用 したのか。 前 もつて 、説明 が あ つて も良か つたのでは な いか。
当時 は、医師 に も周知 していなか った とは い え、過去 に疑 いの ある患者 には、積極 的 に知 らせ てほ しか った。
命を救 うか、使用す るのかの選択だ った と言われ ると、納得せ ざるを得ませんで した。
当時…
ては、最良だったのか ?他 の薬ではダメだ つたのか と思 う反面、この薬 で死なずに済んだ と思 う
と、複雑な気持ちです。
141
フィプ リノゲンを度爪 しなから更ら丁薫 はこの世にいません。使用 したことについては、何も言えません。
142
そ の 時の治療 法 と しては、最 善 を尽 く して もらつた と思 つてい ます。
フイブリフフτ弓夢雨こ
¬両及ラ荒亜所憂 万菰
■ttτ…
4
砕 一
納得 したつ も りで した。
孫障が な い と聞か され たの で 、そ の 時 は
命あ画扇憂要霧爾百夏Tア 7 ヲ丁フアフ夏訂百百万ぎる1を
得なった と思います。製剤 に対 しての認識は、どの位あつ
たのかは問いたいです。
フィプ リノゲ ン製剤が体に入つた次の 日力Tら
環薩薫翼画肩TattF夢 デ万1動
言 い ませ ん で した 。 国 で そ う決 めた の で し ょ うか ?
81
不万更て〒丁藻通妻裏野面画面了
した。 「
なぜ、いつ、 どこでC型 肝炎にな つたの ?」
出産後、簡単な処置のみで、通常 よりも多少出血が多かつたか らと、そのままの状態で分娩台の上に放置 し康
にされ 、医師は隣家 の 自宅へ帰 つて しまった。そ の際、見習 いの看護学生 1 人 が残 り、その間、更に出血が続 き、
意識 不 明 の 状態 にな つて 、家族 の 訴 えで慌 てて 治療 にかか らた。 医師 が適切 な処 置、経過観 察等 を して くれ て さえ
いれ ば、肝 炎 にな らず にす んだ はず 。 今 回 の 訴訟 に対 して も、必要 な書類提 出 を拒否 した り、人 間 と して許せ な い
よ うな人 が 、今 で も平然 と医師 を (医療 )続 けて い る こと 自体 が 、絶対 に許せ な い !!他 人 事 の よ うに、人命 を軽
く考 えた国や製薬会社 に対 して も、同 じ気持 ちで あ る。
ったので 、 しよ うがなか つ
に恨 む こ とはあ り
したのだ と思 う。私 の場合 、病院 の金庫 にカル テが保 存 され ていて 、 とて
してい る。
′
の :かJの 字 も、 ミ ドリ十字 の Iミ」 の字 も見た くなか った。何 軒 も医者 を廻 つたが 、
ど驚 き呆れ る対応 だ つた。
助 け るた めに 、国で認 定 した薬 品 を使 用 した医師 に対 しては 、何 も言 うこ とはあ りませ ん。
、 C 型 肝 炎 に感 染 す る とい うこ とを知 らず に使 用 した の で 、仕 方 が な い と思 つて い ます 。
に使 用 した こ とは 、許 せ な い 。
、止 血剤 と して、知 らず に使 用 していたので 、仕 方 なか つ
医師 は 、 よ く分 か つ て い な か つた の で は な い か と思 う。 今 で も、
にな つてい る。
るた めに使 用 され たのだか ら、医師 に対 しては何 も思 わない。
に あ た つ て説 明 な し。 便 用 後 も説 明 な し。 命 に別 状 が な い の に 、 なぜ 第 Ⅸ 因 子 を使 用 した の か 。
の 身 内 に も使 用す るのか 聞 きたいです ね。
の 処 置 と して は 、仕 方 が な か つた か も知 れ な い が 、 き ちん と説 明 して ほ しか った し、肝 臓 に 影 響 が あ る こ とな
ど、詳 しく教 えてほ しか った。薬 害 の事 な ど最近 の情報 を知 った上 で 、治療 に あた つて も らいたい。
助 けて くれ てあ りが と う !
出産直後は、血液製剤 を使用 した事を知 らずに、輸血 したことで肝 炎にな つたのは仕方 がない、治療を して治れば
いいのだ と、楽観的に考えていた。 しか し、肝炎 は急性期 か ら慢性期 へ と 。・・。次第 に不安 でいつぱいにな りま
した。今 か ら先、進行 していく病気 と向き合い、妻 として母親 として、や つてい けるのか。肝炎 は感染症 の病気で
あるがゆえに、その苦悩は筆舌 しがたいものがあった。 この2 0 数年間、助けていただいたことを感謝す るよりも、
こん なに苦 しむのだった ら、なぜあの時に死なせて くれなか つたのだ ろ うとい う思 いです。特に薬は、人を幸せに
も不幸にもするものです。製薬会社 との馴れ合いが 、結果原因 とな ります。私達 のよ うな患者 をださない ように、
取 り組んでほ しいです。
の よ うに使 い 、患者 を無視 し、使 つた事 さえ知 らされ なか っ
フ ィプ リノグ ン製剤 を使 用せず に、救命 す る方法 が なか つたか ど うか を問 いたい。
緊急安全情 報 を早 く知 っていて くれ た ら、使 われ なか ったか も しれ な い と思 うと残 念 です 。 早 く情報 を知
してほ しい と思 う。
され た こ とは、訴訟 を起 こ した時 、カル テ を見て初 めて知 りま した。 とにか く、
で、子宮摘 出 し、生死 の 境 を越 えて の事 で 、肝 炎 も輸血後肝炎 と聞 いていた ので 、医師 に対 しては 、命 を助 けて く
れ た思 いで 一杯 で した。 今 も、医師 に対 しては何 とも思 つてい ませ ん。
当時 、 フ ィプ リノゲ ンで肝炎 が発症 す る こ とを、医師 は知 っていたの ではないか と思 う。 同 じ産 婦人
で 、 フ ィプ リノゲ ンに よる治療 で発症 した人 が 、私以外 に もいたか らだ。 国 が 、使用 中止や男1 の治療 方法な どを迅
速 に、強 く指導 していた ら、肝 炎 の感 染 は防 げた と思 う。 医師 は、人 の命 と直接 向 き合 つてい るのだか ら、安易 に
使 って ほ しくなか つた。
効 く と言 われ て ( 製薬会社 ) 使 用 して 、結果 N G だった 時点で上 へ も ( 国、
早急 に
、
追 した り、今 で も謝罪 で きて い な いのは何 な のか。 それ も大部分 の 医師 が そ の まま とい うこ とは 、人道 的 に も劣
る。
許せ な い 。 恨 ん で い る。
82
1 6 〔 医師か らは、出血を止めるために使用 した と聞きま した。そ う言われると、医師を恨むわけにもいか ない とも思 い
ます。
当時 、医者 は薬害 の認識 はなか つ た と思 うので 、未 来 に向か つて治療法 の研 究等 に、努 力 していただ きたい。
仕方 の な い 事 だ つた の か な ぁ と感 じる。
1987年
後半には、フィプ リノグンの使用中止をしている外科医が大半であったにもかかわらず、不勉強で使用 した
医師、病院に不信感を持つた。
青森 の集 団感 染 の 3 ヶ 月後 に投与 され た こ とに、憤 りを禁 じ得 な い。 医療 現場 での安全確 認 を怠 らな い よ う、徹底
した 下 さい。
フ ィプ リノゲ ンを使 用 しなけれ ば、出血多量 で助 か らなか ったか も分か らな い と思 うと、複 雑 な気持 ちです。
医師 は、 フ ィプ リノゲ ン を打てば肝 炎 にな る こ とは、知 っていた と思 う。 で も、打たなけれ ば患者 が死 ぬか も知れ
な い と思 つて 、打 ったのだ と思 い ます。
当時 と して は 、や む を得 な い処置 だ つた と思 う。 悔や んで も、以前 の体 には戻れ な い。命 を救 つて も らつて感謝す
るべ きなの か な ぁ ?
分か らな い。 本 当に分 か らないんです 。
使用薬剤 に つ いて 、 よ く勉 強 していて ほ しか った。
た とえ緊急だ った としても、副作用 の説明は してほ しかつたと思います。家族 も待機 していたのです か ら、どちら
かを選ぶ とした ら、家族か らの輸血を望んだ と思います。産後退院する時に、医師か ら 「もしか した ら肝炎になる
か もしれない」 と言われま したが、それでは遅す ぎま した。
フ ィプ リノゲ ン
リを感 じる。
われ
′
なけれ ば、手術 がで きな い状態 ではなか った。 安易 な医師 の判断 に よつて使 用 され た。憤
医師 には何 とも思 つてい ませ ん。 私 の場合 は、 C 型 を教 えて くれ た先生 に、 「
治 つたか らいいだ ろ う」 と
が く然 と した。 医者 の 中に も、 自分 の 事 しか考 えていない人 もい るんだ と感 じた。
当時はとて も許せ下丁`
気持ちで したが、今は、医蔽
5意味被害者 だつたのか もとい う思 いにな って きま した。
使 用 後 に 出 血 が始 ま った の だ か ら、 予 防 の た め に と、使 わ な くて も よい もの を体 に入 れ られ たの に 、 「
生命 を助 け
るた め に は 、仕 方 が な か った 」 と言 い 訳 しな い で ほ しい。 生命 を預 か る者 と して 、 責任 を も つて 医療 に従 事 して ほ
しい6
命 を助 けて い ただ いたので 、感謝 しています 。
そ の 当時 では 、仕 方 がなか った と思 う
18〔 フ ィプ リノゲ ン を投与
した時 、それ 以外 に私 の命 を救 う方法 はなか ったのか ど うか 、聞 きた いです。 しか し、3 0 年
以上前 のカル テ を保 存 して くれ たおか げで、和解 で きた のは 良 か つたです。
いつ進行す るのか 、いつ も不安がつ きまとう。イ ンター フェロンの治療を受けるのが怖 い。
その 当時百 、止血剤 としてフィプ リノゲンが常用 されていた と思 うので、仕方ない と思つています。
駁 一
應
使用す る時 に 、明確 に使 えてほ しか った。 良 い薬 が あ るか らだ けだ つた。
昭和4 4 年頃 の 事 です し、その時は医師 も分 か らなか った と思 い ます。 私 の命 を守 るため、仕方 がなか つたのだ と思
い ます。
︲
H 一
9
︲
一
‐
正面万百万百ヲ7刀 フゲフ百覆万層万雇不可てI茄
瓦翼 ]マ
ぎ〒「覆ちていな│デ
れ7ま
丁天理正面頁預荻天TT
たのかも知れません。C型肝炎になって大変ですが、それも運命かなと思います。
‐
m雷
硼
鷹
覇 瑯
爾
而
百 T砺
函 面
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「
甲
吾藤 7爾 蔽
止血のため 、任万がなかったのかな。 でも、も し力丁してi筆う医師であ ったな ら、違 う万法 をとって くれたのか
も ・・。と、ちょっと複雑な気持ちである。
理
出血がひど万≡死罰チこ 鵬雨瑠稲「
だ万更T恵 石覗
83
司
│
出産 中に、何 も分 か らな い時 に言 われ て も ・・・?こ の よ うな医師 、病院 ス タ ッフ を信 じられ ませ ん。
害があ る と解 つた 時点 で、す みや かに使 用 を中止 して ほ しか ったです。 私 の 場合 、時期 が解 りませ ん。
19〔 使用
して肝 炎 にな る人 が 多 いの で、検査 を させ て 下 さい と言 われ たが 、分 か つていた ら使 用 しないで ほ しか った。
191 質問 に答 え て ほ しい 。
この薬を使用 した時は、私の命が危なかつたので、助けてもらい、医師に対 しては、有 り難がつたと思つてい「
す。
当時 の 治療 法 と しては 、最 善方法 だ つた と思 い ます ので 、責任 は問 いかね る と思 います。
医師 は 、患者 に十 分納得 で きる説 明 を してほ しい。
産 後 の 急 な 大 量 出血 た め 、第 1に 救命 、 第 2 に 子 宮 温 存 の た め に 、 あ りとあ らゆる止血方 法 を試 み られ た結果 です
の で 、担 当 医 に は感 謝 して お ります 。
20乏 そ の 当時 と して 、最 善 を尽 く して くれ と思 うので 、憤 りは感 じてはいませ ん。
20〔 当時 と しては 、認 め られ て い た製剤 であ つた し、効 いたのか効 かなか つたの かは分 か らないが 、生命 を助 けて もら
い感 謝 して い る。
当時 は無知 で仕 方 が なか つた。
あの 時代 、 この方 法 しか なか つたの だ ろ うと思 つた りも します。
当時、 もう少 し分 か りやす く本人、家族等に説明 しては しかつた。本人は急だ つたので、家族にはきちん と。
207 当時 は、エ イ ズ も感 染 の 恐れ が あつたのに、予防的 に フ ィプ リノゲ ン を使 用 した こ とに、今 で も許せ な い気持
強 い。 父や夫 が 医師 でな けれ ば、訴訟 も考 えた ほ どです 。
当時 と しては 、 止血 目的 に使 用 したのだか ら、仕方 がなか った と思 い ます が 、使 用 した こ とも告 げ られず 、ま
て 、危 険性 に つい て何 の 説 明 もな か つた こ とにつ いて 、 とて も憤 りを感 じま す。
20( お 医者 様 に は 、私 の 命 を助 けて くれ た こ とに 、本 当に感 謝 して い ます ( す ごい 出血 だ った の で) 。
出血 を 止 め る の に 仕 方 が な か つ た。
2 2 年前 に手術 を受 け、途 中出血多量 のため フ ィプ リノゲ ン を投 与。 医師 か らの説明 もな く、 入院生活 7 ヶ 月。 災難
と思 つて諦 めて下 さいの 一 言 で した。今年 1 月 、肝臓 がんが 見 つか り、 1 / 期干臓 を切 除 しま した。 この怒 りを誰 にぶ
つ けて 良 いの か。
仕 方 の なか つた 事だ と思 うし、 カル テが保存 してあ った 事 、 こ ち らの 申 し出に対 し、病院側 が誠 実な対応 を して く
れ た事 には感 謝 してい る。
国 の許 可で使 用 したの で、仕 方がな い と思 う。
当時 と しては、や む を得 な い と思 う。
5
︲
2
個人 医院 の 医者 も、常 に薬 の事 を勉 強 してほ しい もの で, 。
6
一︲
2
説 明 もな く使 用 され て 、何 十年 も気 が付 か な くて 、 自分 はわがままで身体 が弱 い と思 つて苦 しんで きま した。 それ
も 2 回 も使用 され て 。・・。 先生方 は、 自分 の家族 に も使 用す るのか しら ? と 思 い ま した。 後 で ど うな るのか 分 か
らな い もの を使用す る時 の気持 ちは いかが な のか 、知 りたい と思 つてい ます 。
薬害 が あ る事 を分 か つて使 用 したモ ラル を問 いたい。
使用 した時 は、 この 薬 を使 わ なけれ ば命 が な くな る と思 い 、使 つたのだ と思 います。 ま さか 、 この よ うな事 にな る
とは 。・・。 医師 か らの連絡 で この事 が分 か り、 これ か らの 自分 の 生 き方 を考 える機 会 を、与 えて も らつた よ うに
思 い ます 。
当時使用 した事 実 を隠 さず認 め 、それ を使 用 した患者 に 、少 しで も早 くそ の 事実 を伝 えるべ きではな いか。
医師 は関係 な い と思 い ます。
84
その 当時は、 この 治療 がベ ス トと思われ て処置 され た と信 じて い ますので 、医師 に対 しては 、何 も甲 し上 げ るこ と
はあ りませ ん。
説明もないまま使用 され、感染 した事には納得がいかない。 でも当時、国の対応だ つたことが、一番 の問題 だ と思
います。
出血多量で生 と死 の 間 にあ り、や む を得 な い事 態 だ と思 う。 この件 に対 して 、生命 が助 か つた こ とを感 謝 しな けれ
ばな らな い と自負 してい る。
知 らず に使用 した こ とで、恨 む こ とはで きませ んが 、残念 です 。
妊娠 中毒症 にな り、入院 していま した。 3 4 週 日、少 しず つ 出血 したに もかかわ らず 、外来 が あ るか らと診察 して も
らえず 、点滴 を しなが ら、先生 が来 るの をず つ と待 ってい ま した。 不安で不安 で 。・・。 数 時間後 、突然大出血 し
て吐いて吐いて と悪 化 した ら、や っ と先生 が来 て 、急 遠帝 王切 開 にな つたが 、そ の 時 に フ ィプ リノゲ ン を使用 され
た。 悲 しい こ とに 、や つ とで きた子 は体 内で死 んで しまい、今 で も重 い ものが あ る。 も つ と早 く出 して くれ て いた
ら、生 きて いたの に。 「ドク ドク」 と鳴 つた心 音 が 、今 で も耳に残 つてい る。
担 当医師 か ら、 当時 の止 血剤 と しては フ ィプ リノゲ ンが 一番 良 い薬 だ と開か され 、命 が 助 か つたんです よ と言 われ
た。命 を救 つていただいた ことに感 謝 しています。
産院は、 「
出血多量で死 ぬ より、肝炎でも生きていてよかつたで しょう」 とい う考え、態度だ つた。逆 らえず、と
ても悔 しい思いだった。説明もな く、何 も分か らない まま感染 していた。
フ ィプ リノゲ ン を使 われ ていた事 を、原告 にな るまで知 らなか つたの で、 も つ ときちん と説 明 してほ しか つた と思
つ。
私の 場 合 は 出血 多 量 で 、 も しフ ィ プ リノゲ ン を使 つて い な か つ た ら( 3 8 年 前 に死 に至 って い た と思 つて お ります。
ど うして あの 時 フ ィプ リノグ ン を使 用す るこ と、他 人 の血 が入 つてい る ことを、 言 つて くれ なか つたのか。使 用後
l ヶ 月近 くも高熱 を出 し入 院 していたのに 、原 因不明 の熱 とい うこ とで終 わ り。 本 当に、感 染 を疑 うこ とはなか っ
たので しょ うか。
ず つ と仕 方がな い こ とだ と思 つて きた。 医者 は懸命 に 治療 した とい う思 い は今 もあ るが 、ただ、現場 の 医師 が 薬や
治療 に対 して 、 もつ と学習 した り、疑 間 を持 つ こ とは で きな か つたのだ ろ うか 、 とも思 つた りす る。
薬 の事 は 医師 は知 らなか つた し、私 に薬 害患者 とい うこ とを知 らせ て くれ たので 、感謝 してい る。
治療上 、仕方 がなか った とは思 うが、薬 に対す る知識 を、 もっ と持 つ べ きだ と思 う。
当時の状 況 を考 える と、仕方 がないのか な と思 うが 、 フ ィプ リノゲ ン を使 うことに対 しての リス クが どの程度 あ つ
たのか 、医師 が知 つて いたか ど うか知 りた い。
命 の恩人 です。
投与 した時点 で、肝 炎 の危険性 を知 らせ てほ しか った。 産後 の l ヶ 月検診 で 、す でに尿 が茶 色だ つたの に、助産婦
が検査 したか らか、肝 炎 を発 見 して くれ なか つたので 、治療 が 遅れ た。
︲ 騒
3
一
2
使 わ ざるを得 なか つたのか 、複雑 な気持 ちです。
その 時は、 フ ィプ リノゲ ン を使用す る こ とがベ ス トだ った と思 い ます 。
使用 を許 可 して しま った 国 の 責任 が 重 く、医師 を責 め るこ とはで きな い よ うに思 い ます。
立場上、追跡調査石顧更正戻玩夏戸〒頚】瓦
241
知識 不足 と事なかれ主義 の医師に力鋼く
らざるを得ない状況。安易に、簡単に使用することについて、医師免許を安
定 した高給取 りの免許 とせず 、 日々適性 が判断できる免許 ( 更新制) に しては しい。
242
面肩晋蒔藪い
あのは
て顧石万Tらπあてゃむを得ないが、薬害と知 った時点で、病院全体で通告の要があつた。
瓢あ石雇爾責爾罰研罰百で下雇ち た事で、当然の措置であつたと思います。
本当に必 要 であ つたか 、後 の 事 を考 えて使 用 して ほ しか った。
その 当時 は、仕方 の な い事 だ ったのか も しれ な いが 、使 つた事 に対 しては、悪 い事 を した と思 つてほ しい。
85
私は 当時 、 フ ィプ リノグ ンが ど うい う薬剤 か とい うの を、ま つた く知 りませ んで した。 医師 の説 明 もま つ
ませ んで した。
出産時の大量出血に際 し、命 を救お うと必死に努力 していただいた担当医には、今でも感謝 している。 ただ、 日
医療 の 中で も、最良の医療 を提供 しているのか とい うことを、意識 していただきたい と思 う。
ていただいたので 、感謝 です。
ヽ
つた とも考 え られ るが ・・・。
当時 は、そ の 方法 が 一番 艮 い と思 い使 用 したので あれ ば、仕方 がないのか も と思 う。 カル テ を公 開 して くれ た こと
に感 謝 してい る。
で しま い 、悲 しい 思 い を して い る時 、私 が 助 か つた だ けで も l 感謝 して は しい 」 と言 われ 、す ご く
シ ョ ックで した。
す るた めに、懸命 だ つた と思 い ます。 自分 の状 態 が悪 くて聞 けませ んで したが 、母親 には肝炎 が 出 るか も し
れ な い と説 明 があ つた との こ とです 。 C型 肝 炎 とは知 らなか ったの で、す ぐに治 る と思 つてい ま した。
日) が お 盆 に 重 な るた め 、無 理 に陣 痛 促 進 剤 を使 用 され た 怒 りもあ る。
螢か つた と思 い ます 。
ヽ
を しなけれ ば命 がなか った し、 とて も複雑 です 。
どの 方 で も仕 方 が な か つた こ とで しょ う。 で も、 自分 の 家 族 に は使 つ た で し ょ うか ?
に な つた の は悲 しい事 だ けれ ど、死 ぬ か生 き るか の 手 術 を して い た だ い て 、今 ま で 幸 せ な時 間 を過 ごせ て これ
医師 の言葉 か ら投 薬 に至 るまで、患者 は治 るこ とを信 じて治療 を受 けます。快方 に向か うと信 じて 、命懸 けで
に臨むのです。だか ら裏切 らないで下さい。 こん な悲劇は、 どうか繰 り返 さないで下 さい。
に 関 わ る大 手 術 で の こ とな の で 、仕 方 が な い と思 い ます 。
の 医師 と して は、仕 方がな か つた と思 い ます 。
出産 時に使用 され ていたのです が 、長女 を産み幸せ に思 えます が 、現在 まで病気 との 闘 い はまだまだ終 わ つてい
い ことを、実感 しています 。 死 に至 るまで、娘 2人 に世話 をか け るのです か ら、本 当に胸 が痛 む思 いです。
には今 も診察 して も らつてい る。90%以 上無理 だ つた 手術 が成功 して 、現在 に至 ってい るの で、感 謝 していま
一 時体 がだ る くて寝 てばか りで した。 で も今 は少 し体調 が ま しで、がんば つて お ります (母の介護 )。
じ位 の 出血 だ つた の に 、第 2 子 の 時 に ど う して使 つた の か な ? と 思 うこ と もあ ります 。
した病 院 は 、何 人 もの 肝 炎 思 者 を出 して い る の に 、 漫 然 と同 じ薬 を使 う。 薬 の 使 用 に 、 も つ と責 任 を もつ
べ き だ つた と思 う し、発 症 当時 、 責 任 を患者 側 に押 し付 け 、 責任 逃 れ を した 対応 に 、今 で も心底 怒 りを覚 え る。
f重 く受 け止 め 、丁寧 に説 明 を して いただ きた い。
:の 時 の治療 方針 に文句 を言 う事 もな いが 、医師 に対 して も怒 る気持 ち もな い。
産 時 の 出血 の止 血 剤 と して使 用 した で あ ろ う 。 ・ 。と思 つ て い た の で 、 そ の 当時 は仕 方 が な か つた と思 つて い
いか った と思 うの で 、何 も思 つて い ませ ん 。
命 を救 うた めには 、それ しか なか つたのか な ぁ と、 いつ も思 つています。
て この病気 の 苦 しみや悲 しみ を味わ うのだ った ら、知 らず に去 った方 が 良か つた。
そ の 時は、そ の 治療 がいい と思 つて して下 さつた と思 い ます の で、仕 方 が なか つた と思 い ます。
86
当時 の 医師 は 、 この薬 が危 な い ものだ と分か つていたのか ? 不 明 な の で 、医師 に対 しては何 も言 えませ ん。 私 の 場
合 大量 出血 で、す ご く良いチー ム ワー クで治療 していただ い て、 とて も感 謝 しています。
その時には、その処置が一番良い方法だつたのだ と思 う。その処置のおかげで、私は助かつたのだ と思 うので、医
師に対 しては責める気持ちはない。
使用 前 に説明 してほ しか った。使 用前 にで きなか つた に して も、使用後速や か に患者 に対 し、説明責任 があ つたの
ではあ りませ んか。 16∼17年 も経過 して 、それ を書面 で知 らされ た。 人 の命 を預か る立場 の 病気 、医師 の 質 を問 い
たい^
治そ うと思 つて使 用 したので 、仕 方 がなか つた と思 う。 先生 は知 らなか つた事 で しょ うか ら。
コが認 めていたのだか ら、仕 方 がない と思 う。
28( フ ィプ リノグ ンは 当時 、止血 目的 と して使 用 され たの で、仕 方が な い と思 う。
28
命 を助 けるために投 与 され た もの で、医師 には特 に 責任 はな い と思 い ますが、 当時 は、 C 型 肝 炎 が どんな病気 か分
か らなか ったので 、仕 方が なか った と思 つてお ります 。
281
出血多量で、止血 目的 の治療 を していただ くことには、全 く不満はあ りません。ただ、専門的に知識のある方や 多
くの情報 が集まる機関に対 しては、納得 がいかず残念でな りません。
28( 当時、医師の方 々 も、 この製剤 に関 しては 、た だ必 要 不可欠 な物 と しか認識 していなか ったので 、責 める こ とはで
きな い。
全国的、世界的な問題で、医師に対 しての意見 はあるが 、その薬 の使用を許 した国に対 して言いたいです。
産婦人科 医は、私 の命 を救 うには、 フ ィプ リノゲ ンの止 血剤 を使用す る しか なか つた と言 い ま した。産婦人科 医 も
被 害者 なのか な と思 い ます 。
28( 医者 は皆いい方で した。 現在 もよ く して下 さ り、尊敬 も してい ます。病院 は、素晴 らしいス タ ッフで感謝 です。
寂 一
Ж
281 S62年 当時 と しては、使用 され たの も仕 方 な い と思 う。 少 な くとも、悪意 ではないで しょ う。
Cい ま した。何 の説 明 もな く、検査 もな く過 ぎて い きま し
本 当に必要 な治療 なのか を判断 してか ら、使用 していた
29C オペ の 医者 は最 良 の 手術 で 、早期社 会復 帰 を 目標 に して くれ ま したが 、製剤 問題 の認識 はなか った結果 で あ る。
シ ョ ックが大 きい。
29
残念な結果となりましたが「当時、手術や治療等、一生懸命やっていただき感謝しています。
291
当時は、フオフ丁フアフ璽罰 を使用するとは聞いていなかつた し、まだ分からない時代だつた と思 うので、仕方が
ないとの気持ちもある。心臓手術 の上血剤には、効果があつたということなので、理解はしている。
29〔
当時としてほ…
持たせ ることはできなか った と思 うので、医師に対する気持ちは何 もない。 カルテ等
情報提供に協力的で、好感 が持てた。
既 一
薇
29Z 責任 あ る説 明 が ほ しい 。
入院時に熱がでて [薬 の副lff用ででているのに、製剤使用 が分 かつた。何 で教えなかつたのだ
医師 もよく分かってい石不可更更 思 うので、やむを得ない。
以前は ウィルズ雨ヽ から石か ったので 、仕方 がない と思いますが 、それ より、輸血の し方を変えてほ しいです。ま
ず最初に自分 の血液を2 0 0 c c ∼
4 0 0 c c 取つてお けば、このよ うな問題は減ると思 います。 た とえ使用 しなかつた とし
ても、検査済み の血液だか ら、 ウィルスが あるかないか も分 か ります し、本人にとつても安心だ と思 います。
安全 な もの を使 用 して ほ しか った。
29〔
当時、私の命が助薦 たIと 。ィンターフェロンで、少しは良くなりました。
30(
肝炎に感染する可能性があることを、話 してほしからだ:
87
l 知 つて て使 つた の ? 」 どん な気 持 ち で使 つて い た の か知 りた い 。
301 そ の 他 に 出血 を止 め る こ とが で きな か つた の か ?
本当 に知 らな か つた の な ら仕 方 が な い 。 通 選 を乱発 しす ぎ る国 ( 厚労省 ) の せ い 。
医師 に知識 が あ つて 、 この薬 を使 つたの か 問 いたいが 、 も う他界 され てい て 、真意 は分 か らな い。
30〔 薬 の 副 作 用 に つ い て勉 強 して ほ しい 。 使 用 しな か つた 医師 も い る。
30( 出産 時 に命 は助 けて いた だいたが、今後 な りうるであ ろ う病気 の 事 を、 しつか りと教 えて ほ しか った。
301 も し使 用 して い な か つた ら、 出血 多 量 で死 ん で い た か も知 れ な い し、複 雑 な気 持 ちです 。
使用 す る前 に 、説 明 が な か った の は悔 しい 。
製薬 の 在庫 が あ うたか らと、使 用 して ほ しくなか つた し、説 明 もな しは絶 対 に許せ な い。
医師 に対 しては、何 も思 つて い ませ ん。 当時 の 一般 的 な治療 で あ った と受 け止 め 、精 一杯 治療 していただいた と
思 つています。
生きて い る こ とに感謝 しています 。
︲
3
大動脈瘤 の大手術で、命 を救つて もらえたことに感謝 している。 当時の 医師が フィプ リノゲ ンの危険性 を短覆 さπ
ていたか どうか分か らないので、責める気持ちは全 くない。
︲
一
3
医師も肝炎の重大さが分かつておらず、気軽に使用したと思います。正確な情報が伝わつていたら、使用しなかつ
たか も しれ ませ ん。
出産後 、縫合 不全 で出血 し、再度縫 合 し、出血 量が少 な く、点滴 され て気 分 が悪 いか ら止 めてほ しい と頼 んだが 、
鎮静剤 を打たれ 、 フ ィプ リノゲ ン を打 たれ たのが 、昨 日の よ うに思 い 出 され 、病院 に何 回か連絡 したが 、対応 が悪
く、今 で も不信感 が残 る。
止血 の た め に投 与 した の で 、仕 方 が な い と思 う。
フ ィプ リノゲ ンの投 与 の説 明 が 、 当時 され なか った よ うに思 う。 詳 しく説 明 していただ きた か った。
何故使 用 したのか ?使 用 しな けれ ばいけなか った理 由。
ど うして フ ィプ リノゲ ン製剤 を使 ったのか 、説 明がほ しか った。 出産後 lヶ 月検診 の 際、血液検 査 を して ほ しか っ
緊 急 の 治 療 は 時 間 との 闘 い です が 、 治 療 の 説 明 、 特 に治 療 の リス ク等 の 説 明 、 同意 を取 る こ との徹 底 。
使 用 した 医師 は、 当時 、 フ ィプ リノゲ ン製剤 の危 険性 を どれ だ け認 識 していたのか 分 か らな いが 、投 与す る時 、 リ
ス クの説 明 を してほ しか つた。
手術 をす る前 に フ ィ プ リノゲ ン を使 用す る とい う説 明はなか った。 輸血 は受 けてな い。診療 記録 に出血 の 有無 は記
され てい な い。 私 の 場合 、 フ ィプ リノゲ ン を使 つて止 血す る必要 が あ つたのか 、疑間 に思 う。使 われ た事 が残 念 で
た ま らな い。
仕 方が な い こ とだ と思 い ます
分 か つていて使 つた な らば、人 と して 、医師 と してダメだ と思 う。
当時 はや む を得 なか つた と思 つて い ます 。
優 秀 で誠 実 な医師。 当時 、適切 に治療 して下 さ つた と認識 しています。 ただ 、 フ ィプ リノゲ ン認 定 の1987年 の 認定
時報告 してほ しか つた。
6
2
3
輸血を した時 もフィプ リノゲ ン投与の時にも、本人、家族に何 も話がなか つた。
7
一2
3
出産 時 の 大 量 出 血 だ った の で 、仕 方 が な い と思 い ま した 。
仕方がなかつたのでは。事前に相談 してほしかつた。
88
当時 とすれ は 、止 血剤 が なか つた な らl t、私
‐ は現在 生存 して い なか つた と思 つてい ます。 当時 の先生 は、 この止血
剤 を信 用 して使用 した と思 って い ます 。
外に別 の 薬 が なか つた の か ?
生 きるために使 つた薬 で 、そ の命 さえ もな くな るか と思 つた ら、悔 しか った けれ ど、医師 に対 しては何 も言 うこ と
はあ りませ ん。
生命 を守 るた めの 手術 だ った の で 、仕 方 が な い とは思 うが 、 で きれ ば、 説 明 してか ら使 用 して ほ しか った 。
知つていて使っためが分からないが、当時としては、一番良い治療だと思 つていたのか も。仕方がないかなと思 つ
ています。
33′
当時 と しては 、最 善 だ っためだ ろ うと思 つてい た し、今 まで生 きて来 られ た と思 つてい ます 。
使 用 した時 、 どの程度 の情 報 を知 っていたのか 、正 直 な話 を聞 きた い と思 い ま した。
出産 時 、胎盤 剥離 で、残 念 なが ら子供 は死産 して 、母親 (私)も 相 当危険 な状態 だ つた と、開か され てお りま し
た。 そ の 当時、肝 炎 につ いて 、病気 の怖 さは 自分 な りに知 って い た つ も りで したが、ひ きか えに、命 をいただい た
事 に対 して 、犠牲 あ つて も命 だ つたのか な と、仕 方 な く自分 な りに納得 してお りま した。
出血が止まらないので、フィプリノゲンを受けたので、先生は恨まないが、23年経 つて も悔 しいです。
はつ き り言 つてが っか りしま した。信 用 が な くな りま した。 患者 が 賢 くな つて 、豊 かにならて成長 したい。
悪意が全くない先生なので、医師には恨みはありま運■。
何故 、感染 の危険性 を知 らなか ったのか。 止血 に効果 がない こ とを知 らなか つたのか。 知 る努 力 を して ほ しい。
医師 は誠 実に対応 して くれ てい ます が 、 も う少 し早 く告知 して くれ た らと思 うこ とがあ ります 。
34
34乏 あの時大量出血 して「ヲ7ヲ
います。
…
丁アフフ裏罰てτ幕砺藤葛騒〒更醍両蒔萩五万三
から、使用 しても仕方がなかつた と思
34〔
爾
34Z
命 を救 うための投与だ ったか も しれ ませ ん。 しか し、肝 炎 ウィル ス に感染す ることが分 か つていて投与 され たの
は、 とて も残念 な こ とだ と思 い ます。 医者 が患者 を作 つて はい けない。 とて も悲 しい事実 です。
…
護 繭
ばか りで隠 してしま う。ずるい。
母が姉 を出産 した時 に投 与 され感 染 したのです が 、 当時 、投与後 の検査や 説明がなか ったた めに 、 自分 が母子感染
させ られ た事 に対 しては 、非常 に遺憾 です。 医師 と してなす べ き事 は、 きちん とや ってほ しか ったです。
当時 、現場では、止血剤 と して有 効 とされ ていた製剤 であ る し、私 を助 け よ うと して投与 したのだか ら、医師 に一
切 の 責任 はない と思 う。 一 生懸命 の救命行 為 に感 謝 してい る。
341
「 薩
=
リス クを知 っていたのか ?
︲
5
肛 一
3
感染す る危険¨
た上で、投与 した と信 じたい と思つています。第Ⅸ因子製剤による被害者は、フィブ
リノゲンと比べ ると少ないので 、多 くの被害者が発見 され るよう、努力 してほ しいと思います。
‐
当時 は、
南
情 報 に対 して知 識 が なか ったのだか ら、医師 に対 しては別 に何 とも思 わない。
薗 蔽 所 洒 藤 7万 可 蒙
か つた と思 う。
が覇 憂 頭 顧 受 て 可
天
い ろ い ろ と協力 して も らつた。 出産 時 なの で、仕方 が な
本当に必要な治療方法だったの力`
?当時「私達も輸血の危険性の有無を知らていたので、説 明があれば 拒否 した と
思 う。 医師 の第 二者 的な態度 が 腹 立た しか った。
35[
当時 、製剤 を使用 した事や 詳 しい説 明は受 けた記憶 がな く、命 を救 うためには、仕方 がなか った と思 うしか あ りま
せん で した。
そ の 時は き っ と、命 を救 お うと して使 われ て い る と思 い ます の で、医師 に対 してはあ りが と うございます の心 をな
くさな い よ うに、 自分に言 い 聞 かせ ていま す。何度 考 えて も、そ の 時私 は死 にかけていた よ うで、確 かな事 は 、生
命 を救 つてい ただいた とぃ ぅこ とだ と思 ってい ます。
89
つて 投 与 した の が 分 か つて い る。 しか し、 止 血 効 果 は な か った 。 担 当 医 が 一 番 ビ ック
りして、早急に他 の上血に切 り替 えて (子宮収縮剤)、 命は助けていただいた。裁判 でも証言 してもらった。
産婦人科 の 医師 は 、国 が 認 可 した薬 を使 用 しただ けで、 当然i 任 はないが 、私 が 出産す る前 には、青森 の
で集 団感 染 していた こ とな どの情報 は入 つていた と思 うの で、慎重 な取扱 い を してほ しか った。 しか し、訴訟 にお
いては協力的だったので、感謝 している。
に この製剤 を使 用 して 、本 当に効果 があ る と思 つていたのか 、それ とも、金 も うけのため に使 用 していたの
か。 人 の命 を何 とも思 わ な い 、本 当に無責任 な行為 だ つた と、今 で も医師 を怨 む気持 ちで い つぱ い だ。
で 協 力 して ほ しい。
〕よ うに転院 させ られ た方が い た記 憶 が あ る。
効 果 が な い と思 わ な か つた の か ?
について 、一切 説 明が なか つた こ と、又 、止血 後 に
ス
した こ と。 4 1 8 リ トに該 当 してい るので 、医師 には強 い怒 りを もつい る。 1 9 8 8 年回収 され た時点 で 、投 与 の 事 実 を
告知 して ほ しか つた。 謝罪 して ほ しい。
して ほ しか つた 。 先 生 と して の 自党 が な い。
で ほ しい 。 薬 害 とい う認 識 を学 ん で は しい。
詳 しい 説 明 が なか つた 。 書 留 で 思 い をぶ つ けた の に 、返 事 を くれ な か つ た 。
か ら投与 の事実 を告 げ られ 、検 査 も勧 めて くれ たお 陰で、治療 も うけ る こ とがで き、裁 判 に も参加 で きた こ
を感謝 してい るが 、 フ ィプ リノゲ ン投与 に つい て は 、 当時 と しては 、仕 方 がなか ったのか も しれ ないが、避 けてほ
しか った。
30年 前 は、使 用 した医者 も止血 剤 と して、 フ ィブ リノゲ ン しか なか つたので 、使 用 したのでは な いか と思 い ます。
命を もらつた と思 えば、何 とも言 えな いが 、証明 を受 取 に行 つた 時 、副院長 よ り、 「あなた もや つか い な事 にな り
ま したね。 一 生 もんです ね 」 との 言葉。 何 を考 えて い るのか と思 つた。
よい ま ま使 用 され 、 そ の 後 全 く対応 力『な か った の で 、憤 りを感 じて い ます 。
の 時 は、 フ ィプ リノゲ ン製剤 で止血 で きる と思 われ ていたので 、仕 方が な い と思 う。
て 医者 の 判断 で使 用 したのだが、その時点 で、病 院側 は分 か らなか ったのだ ろ う。 患者 は とて も
しい 。
そ の 先生 が 一番悪 い とは言 い ませ んが 、 ミ ドリ十字 の ●●には、ひ とこと言 いたか った。 自分 もフ ィプ リノゲ ン を
投与 してみ ろ と !
出産後 、肝炎 で あ る と内科 で告知 され 、そ の 直後 に、産科の主 治医 に月
干炎 で あ る と報告 した に もかかわ らず 、後 で
分 か つた 事 で す が 、私 の 後 か ら も同 じ産 婦 人 科 で感 染 者 が で た事 を知 り、 なぜ 、 主治 医 はそ の 時 慎 重 に 対 処 で きな
か ったのか と、悔 しくも残念 に思 う。
用 に は も つ と慎 重 に な って ほ しか つた 。
こ対 して は 、私 の 命 の 恩 人 で もあ ります の で 、使 用 した事 に 関 して は 、何 も感 じませ ん 。 しか し、 副 作 用 が あ
るのなら、説明は してほしかつたです。
使 用 した時の説明が 、 され ていないのは許せ な い (ウィル ス感 染 につ いて)。
使用する前にリスクがあること、使用するとい うことを、親に知らせてほしかった。
んでい な い。
90
38( 医B r p も
私 に対 して 、必ず助 け る との思 いが あ つた と思 う。 で も、F 3 まで肝 炎 が進 んだ。誰 を憎 む のか ? 運 命 と しか
言 えない。先生 、 カル テの保 存 あ りが と うございま した。
381 血液製剤 を使用 した事 を、早 く伝 えて ほ しか った です。
38, 当時 、厚 労省 は 、使用 しない時 期 にな つていたの に 、 ど うして使 用 したのか 、聞 いてみた い。別 の止血 法 はなか つ
たのか ?
当時 はその治療 が最 良 だ と、医師 が した こ とな の で 、悪 くは思 つて い ませ ん。 ただ、その報告 を され ていなか つた
ので 、それ は ? だ と思 い ます。
38ζ
汚染 され た血液 製剤 と知 らず に使 われ た と信 じたい気持 ちです。
38〔 本人 な い し家 族 に 一 言説 明 して ほ しか った と思 う。
命を救 うために使用したと思います。あの時は、仕方がなかつたと思います。
性方 が な い。
38〔
危険 な フ ィプ リノゲ ン を ど うして使 用 したのか ? 使 用 したな らば、最後 まで責任 を持 て。 平成 元年 1 2 月に 、なぜ ま
だ病院 に薬 が残 つていたのか ? ど うして も知 りた い。
使用 したことでC 型 肝炎に感染するのが分かつていれば、使用 しなかつただろうから、病院側もある意味被害者で
はないだろうかとも思 う。
止 血剤 と して投 与 され 、 止 血 しな い と助 か らな か った の で 、先 生 に対 して は何 もな い です 。
感 染 の 危 険性 を、真 剣 に考 えて ほ しか った 。
391
近所にす つと住 んでいたのに、若 い時は引 つ越 しもす るが、もうちょつ と本籍 とかで、早 く私を捜 してほ しかっ
た。
39〔 命を救われたことに間違いはあ りません。あの時手術をしなければ、現在の私はありません。
39Z
使用 され た時期 にお いて 、止血 目的 の使 用 ( 大量 の輸 血 と最初 の 手術 の 次 の 日に再度 開胸 され た) だ ったので 、
方 がない と思 う。病院 にお い て、 フ ィブ リノゲ ンが 常用 されて いた ?
製薬会社 に しつか り確認 を と り、本 当にす べ て 大丈夫 と確認 を。 又 、国 はその こ とを把握 して許可 してい るのか
確認 してか ら、使 用 してほ しい。
39〔 全国的に協力をお願い したい。
先生は、薬や注射を理解 じで便万天吾 。患者は誰を頼ればいいのでしょう。
フィプ リノゲン製剤を使われて3ヶ 月後には、C型 肝炎に感染が判明していたので、早く説明してほしかつた。
出産 時 、出血 が止 ま らな くて、製剤 を投与 しなけれ ばい けない 状態 で投与 され たのは 、やむ を得 な いの です が 、
の 後す ぐに内科専 門医に紹介 してほ しか ったです。
その当時、フィプ リノゲン製剤を硬ち た医師は、本当に危険だと知 らなかつたのか?そ れが知 りたからたです。
リス クの説 明 を して、使 用 してほ しか った。 当時 、肝 炎 の 情報 は医療 機 関全 体 に十 分行 き渡 つてい なか ったが 、エ
イ ズの 可能性 な どの月
干炎 リスクは 、情 報 と して あ つた はず なの で。
402
〇
4
0
一4
40[
自分 の 医師 に対 して は 、 あ ま り恨 み は あ りませ ん 。 結 果 、 こ うな って しま った と い うこ とです 。
医帥 は第 Ⅸ 因子製剤 を使用 した こ とを、知 らせ て ほ しか った。
出産 の何 日か前 に 、 フ ィブ リノゲ ン製剤 を しな くては い けなか つたんだ ろ うか と、今で も思 つてい ます。 出産時 に
出血 が 多 か った ら、 フ ィブ リノゲ ン を投与すれ ば 良 か ったのでは な いか と思 い ます。
許せ な い。
やむ な し。
401
前もって説明 してほ しかった:
91
40〔
随用時は効果があると思 つて使用 したので しょうし、カルテのこ とで連絡 した時、す ぐに快 くカルテ を送つて下
さったので、悪 い感情はあ りません。
40〔
3年 前 に、医師か らフ ィプ リノゲ ン を使 用 した と説明が あ り、 もつ と早 く説 明 してほ しか った。
41(
S 6 2 年 当時は仕方の ないこ とで、医師に対しては何とも思わない。かえつて、原告としての訴訟に協力 してもら
い、有 り難 い と思 つてい る。
411
3 7 年前 長女 を出産す る際 に、出血 多量 で危険 な状態 だ つた そ うで、 フ ィプ リノゲ ン製剤 を投与 され た こ とで 、 C 型
肝炎 にな りま した。 そ の 時代 では、 フ ィプ リノゲ ンは きちん と解 明 され て い なか つたので 、医師 も知 らな くて使 用
した ので は と思 つて います。 そ のた め 、 この よ うな事 が三度 と起 きな い よ う、宜 し くお願 い します 。
412
双胎 弛緩 出血 、腔壁 裂傷 で出血 が 多 く、生死 を さま よいま した。 医師 の お かげで子 供 の成長 を見 る こ とがで きま し
た。 助 けて いただ き、 とて も感 謝 しています。
41〔 薬剤 を使 う時 は 、副 作 用 に対 して慎 重 で あ つて ほ しか つた 。
悪 い感情は持 つていません。現在 もお元気で仕事をしてお られ、カル テはな くな つていま したが 、その時の事 を思
い出 して下さり、協力的で感謝 しています。
帝 王 切 開手術 を し、D I C を起 こ し、 当時止 血のた めには仕 方 がない と思 つてい る。 そ の 頃 、 フ ィプ リノゲ ンが 禁 止 さ
れ ていない事 が 問題。
今後 、絶 対 に薬 害 が 起 き な い よ うに して 下 さ い。
何 と も言 えな い。
41〔
その 当時は、医師 も必要な薬 として使用 していたはずなので、仕方がない。 しか し、 フ ィプ リノゲ ンを使用 した患
者をきちんと調べ て、知 らせ るヽき。 まだまだカルテがなく困つている人は多 い。
そ の 当時 は 、分 か らな か つ た の で は な い か 。
42( そ の 時 は 、安 全 だ と思 われ て い た の だ ろ うか ら、仕 方 の な い 事 だ つた の か な。
私 の命 を救 うた めだ つた と思 う。
421
使 用 時 は命 に関わ る状態 だ つたので 、仕 方 がなか つた と思 い ます 。 助 けて も らつた こ とには、感 謝 してお ります 。
42(
なぜ 、私 が薬害 を受 ける運命 な の か ? 製 剤 を使 わなけれ ば、本 当に命 にかかわ っためか ? な どの疑間 を持 ち続 けて
い ま したが ( 感染発 覚 当時) 、 医師 は定 期 的な血液検 査等 の フ ォ ロー がで きて いたの で 、す ぐに感染 を見 つ け る こ
とが で き、完治 ( 早期治療) に つ なが つたので 、今 とな つては 、感 謝 して い る くらい です。投 与 の 証 明 もす ぐに書
いて くれ ま した。
医師 に対 して は、その 当時では仕 方 がなか つたの だ と思 い ます 。
そ の 当時の医師 は、 自信 を持 って フ ィプ リノゲ ン を投 与 した。今 は フ ィプ リノゲ ン を投 与 した事 を、 自信 を持 つて
肝炎 患者 1 人 1 人 に事実 を言 つてほ しい。
説 明 は何 もされ ていなか つたの で 、手術 の前 日に話 して ほ しか つた。 使用 した場合 は 、何 か症状 が出 るのか。 そ の
後治療 を してほ しい。
当時 と して は 、仕 方 が な か つた と思 い ます。
出産 時 の 多量出血 に よる生死 に関わ る状態 の 中で の 緊急 処置 で したか ら、命 が救われ た こI へ の感謝 だ けで 百だ
( 昭和 4 2 年当時 ) 。
製薬 会社 か ら症状 に効 くと開 か され て 、使 つたのだ と信 じています。 実際使 われ た時期 は、 とて も良 く していただ
きま したので。
3 5 年前 は 、医学的 に仕 方 が な か つたが 、そ の後 の 責任 追及 を しては しい。
使用 され た時がかな り前 な ので 、や む を得 なか つた と思 い ます ( S 4 2 年 使 用) 。 朧気 な意識 の 中で、 「この薬 が
あつて良か つたね 」 と言 う医師 と看 護 師 さん の 声 を聞 きま した。 当時 は、止 血剤 と しては役に 立 ったのだ と思 い ま
。
・
す
.
432 私 の 場合 、出産 した病院 の 先生 の 良心的 な配慮 で、2 0 年前 のカル テが残 され ていたた め、和解 が で きた こ とが、あ
りが た く思 つています。
431
92
その 時は仕 方 が な か つた と思 う。今 生 きて い るこ との方が うれ しい。
43Z 先生 には 、す でに 3人 の子 を取 りあげて も らつていた。 死産 に よ り大量 出血 で、出血 が止 ま らず 、輸 血 と止血剤 を
使 われ た。 母体 を助 けるた めに使 用 され た。 そ の 時 は、命 を助 けて も らつた と思 つていた。 そ の後 、月
干炎 にな つた
事 は とて も シ ョ ックだ ったが 、特 に 、先生 には何 も言 うこ とはな い。
当時 の処 置 と しては適切 だ つた と思 う。や む を得 な い。担 当医師 も薬 害だ とは知 り得 なか った しずだ か ら ・・・。
43[
問題 が生 じた時の対応 な ど、早急 に して ほ しい。 責任感。
手術 のた め使 つたのは理解 できます が 、他 の止血 剤 ではだ めだ つたのだ ろ うか。命 を救 つて もらつたのは 、感 謝 し
ています。
当時 と しては 、仕 方がな い と思 う。
薬剤 を使 用 す る時 に 、 副 作 用 、危 険 度 を認 識 して ほ しい。
出産 の とき 、出血 を止 め るのに、最 善 を尽 く して も らえた のだ と思 うの で 、仕方 がない ことだ と思 います。
l人の命 の 重 さ」 1人の気持 ち」等 々考 え、倫理観 を持 つて しほい。 自分 の 家族 、大切 な人 (親兄弟 、子供等)
が 、 この よ うな被 害を受 け、人 生 が大 き く悲 しい方 向へ転 が つて い くと した ら、 自分 は ど う思 うか を (同 じ医療従
事者 と して)、 倫理観 と共 に深 く反省 し、 これ 以上被 害者 が出ない よ うに してほ しい。
44
44`
医師 に対 しては 、病気 を治 していただ いた こ とに つい て 、感 謝 して い ます 。
44〔
使用す る以外 、命 が助 か らな い状況 だ つた と思 うので 、仕 方 がなか つた と思 い ます。
44Z
今、病気にならπてTttT〒 かく言つても、仕方がない。その時の医者の判断も、苦しかつたと思う (はがゆい時
44[
私 はあ と何年生 きるこ とがで きるの で しょ うか ? あ と何年薬 を飲む の ? 病 院 は いつ まで行 つた らいいの ? 不 安 な毎
日です。 この気持 ち、分 か ります か ?
もあ るけれ ど 。・・)。 ただ 、命 を救 つて くれ 、現在 この世 にい る幸せ は あ る。
当時 は、止血剤 と してそれ を使用 しなけれ ば、命 が助 け られ なか ったのだか ら、仕方 がない と思 う。
生まれ てす ぐに出血 してお り、止血剤 と して ク リスマ シンを投与 され たので 、未熟児 だ らた こ ともあ り、今 、 自分
が生 きて い るの は 、そ の止血剤 のお か げかな と思 うので 、月
干炎 にな つた こ とは、命 と引 き替 えだ つた とい うこ とで
受 け入れ て い ます 。
一
C
5
州 一
4
他 の薬を使用できなかったのか。 とても残 念 です。
れ
患 剤 ま医 興 こ命 を卿 す“
ので九
璽
膵 雹
軍
〔も、初 めて説 明 を受 け る際 に 、今後何 か あ つて も関わ りはな い と言 われ た こ とを撤 回
│ してほ しい。 無理 に書類 に印 、記入 させ られ た。
451 止血 のた め 、命 を守 るために使 用 したので 、医師 に対 しては特 にない。 医師 も被 害者 である と思 う。
45
緊急を要 した深夜 の百粟百更 はぃえ、家族 に連絡 してか ら投与 してほ しかった。医療的には、当時の産科 として精
一杯 の事を して くれた。
45〔処方した医師にI=
454
全 く問題はない。
別になし。私なりに調べた結果、当時はフィブ リノゲン製剤を使用 しなかった医師蔵可 してr
せていた事実があるから。
45〔 画爾 吾 丁[ 夏竃 T T 蛋硯 両 可 T 百
すとい う気持ちのみです。
蔵 じてぃません。生まれたばか りの私を生か して下さつて、あ りがとうございま
医師 は使用す る薬剤 の効果 を十分 に確 認 して、患者 に使 用 して もらい たい。
451
安全性を確認 してから硬研両反薫画面瓦
薬 に副作用下あると承知の上な らば、その後のケアについても責任 を持 ち、使用 してほ しい
45( 仕 方 が な い と思 い ます 。
93
こは 出産 時や 出産 後 、 よ く して い た だ い た 。 出産 後 の l ヶ 月検 診 の 結 果 が悪 い の を、す ぐに
さり、紹介状をもらい、入院 となった。
ょ つ と した異変 に も声 をあげて ほ しい。
い !!と い う気持 ちは あ るが 、汚染 され た
なか つ た な ら、 しよ うが な い 気 持 ち もあ る。
つて もよか つので は。 母子 手帳 に も記載 し
に 関 わ る病 気 を助 けて い た だ い て 、感 謝 して い ます 。 そ の 当時 は 、使 用 す る こ と
かつたと思います。
ん と した説 明 の上で 、理解 を得 てか ら使 用 して ほ しい。
に使 用 したので、仕 方 が な い と思 います が 、私 自身 も、カル テ に記入 され てい るの を見 て実感 しま し
が 多 か つたため 、や む をえなか つた と思 いま す。使 用後 、強肝 剤 の 点滴 を続 けて も らい 、あ りが たか つたで
か らなか つた こ とか も しれ ませ んが 、慎 重 に治療 して ほ しか つた。使 用 した こ とを、な
たのか。 早 く告 自 してほ しか つた。
の な い こ とだ つたか も しれ な いが 、
お こ した原 因 の 方 が知 りた か つ
た命に対 して感謝 の気持 ちも強 いので、 目をつぶつてきた。ふ りか え りた くな い思 い も強 い。
94
薬害 C型 肝炎 の 被害実態 に関する調査
(ご遺族様)
《目 次》
自由記述 「ご意見 、 ご感想 」
問 1-5 職
業 一その他
問 1-6 同
居者 ―その他
問 2-7 感
染原因の薬剤投与 を受けた理由 一そ の他
問 2-7-1 感
染原因の薬剤投与 を受 けた外科的手術
問 2-9 肝
炎 と診断された 頃、身の回 りの世話 をしていた人 一その他
問 2-H 肝
炎診断確定時の症状 ―その他
問 2-12 受
けた治療 一肝癌 に対す る治療
問 2-12 受
けた治療 ―そ の他
問 3-1 故
人 の 闘病 中に故人か ら相談 を うけた こと 一そ の他
問 3-1-1 相
談 を受 けた内容
問 3-2 故
人が肝炎 に感 染 して いる ことを知 った ときのあなたの気持 ち ―そ の他
問 3-3 故
人が闘病 している時 のあなたの気持ち ―その他
問 3-4 故
人の闘病 中か ら死亡 に至 るまで の あなた の行動 ―そ の他
間 3-5 故
人の病気 に関 して感 じた こと一その他
間 4-1・ -1 故
間 6-1 故
問 6-1-1 故
問 6-2 肝
問 6-4-2 故
人が亡 くな られた後 の変化
人に関することで経験 した こと一その他
人に関することで経験 した 内容
炎判明後 に生 じた 問題 ―そ の他
人が肝炎 に感染 した ことに対 して、あなたが した行動 ―そ の他
問 7-3 医
師 に対 して
問 7-3 国
に対 して
問 7-3 製
薬会社 に対 して
え
主》
《
本資料は、原則 として、記載内容をそのまま転記した。但 し、誤字 ・脱字等については訂正 した。
固有名詞は、プライパシー保護のため、実名公表で住所 。氏名記載部分も含め伏字とさせていただいた。
● 自由記述
ご意 見、ご感想
さん完治 され る ことを願 い ますが、私 は、 C型 肝炎 で姉 と弟 の 2人 を亡 くしま した。今 生 きて し
けられたのではと思 うと、とても残念です。アンケー トを書きなが ら、姉 と弟の闘病生活や最後の時が思 い出
され、 とて も辛 い思 いで した。姉はよく 「
私は金食 い虫な の」 と言 って い ましたが、経済的にも大変で した。 これ
らも治療が続く方達が、少しでも軽減があることを願 います。尚、私 自身体調がす ぐれないので、アンケー トに
しても苦痛を伴いました。活動もできずに、申し訳なく思っています。書類が郵送 されることに、何だろうと不
ってしまいます。早く良くな りたいと思っているのですが ・・・。
私は患者ではなく、闘病する患者を支える側の立場だったので、同じ立場の人に対しての思いが強いですが、患者
が重病化し、苦しみを訴え、自分の無力さに空しくなったりする時もあると思います。介護に疲れて、自身の生活
もままならなくなる時もあると思いますが、同じ立場の人や同じ介護を経験した人も沢山います。どのような形で
あれ、必ず トンネルの出回は見えてきます。その日まで、自分を見失うことなく頑張って下さい。
いことが判った。40年残 っている場合がある。
この 世 に姿がな くな った ら、 どう して あげる こともで きませ ん。 1日 で も早 く快復す るよ う、 い ろ い ろ不
るか もしれませんが、自身も努力され、生きる事に執着 して下さい。家族が一番患者を大切 に思っているのです.
医学は 日進月歩です。絶対 に諦めな いことが大切です。
夫が生きて いる間 に、もっと早 く事実が明 らかになって いた らと ・・・複雑な思 いでいっばいです。今 も薬害で
しんでお られる方の救済を、一 日も早 くお願いします。・
の患者さんには、明るい光がさしつつ あると思 います。頑張って長生き していれば、きっと良 い
ると思います。
看病する立場か ら、患者 の状況、看病経験 の実体験を 1冊 の本にま とめて発表すれば (本を作つて出版)、 多 くの
人々に理解が得 られて、役立つと考えてお り、私 自身が原稿を書きた いと思 っている。現在検討中である。闘病中
の人々の声も書き入れた いが 、応募方法は弁護士の方 にお願 いしたい。東京弁護団と して発行す ることを望む.
父は、2 2 年前の心臓バ イパス手術時 の止血剤 ( 凝固因子) の 投与で、 C 型 肝炎 に感染 しました。手術直後 にす ぐに
分か りましたが、その後の闘病生活で、治療に保障がなかったので、十分な治療が受け られず、徐 々に悪化 し、 7
年前無念 の思 いで他界 して しまいました。その後、弁護団、原告団、有志の方 々の力の結集で、保障を勝ち取 りま
したが、まだ満足するものではありません。段階的に、今後 も戦 いは続きます。又、カルテ、資料が見つか らず、
を受けられない方もいます。諦めず、弁護団に相談 して下さい。道は見つかると思います。共に頑張りましょ
の状況等 を把握 して、適切な ご支援 をお願 い
て毎 日を送 って いるか ら、周 りの人が気 を使 って 、な るべ く安心す るよ うに して あげて下 さい。
妻 はC 型 、肝硬変、肝癌 と長 い問闘って いまた
5 1 才で死亡 しました。その間は大変 な闘病生活で した。三度 とこうい う事がな いようにしてほしいです。
● 各設間 の 「そ の 他」欄 へ の自由記述
問 1-5職
業 一その他
問 1-6同
居者 ―その他
問 2-7感
染原因 の薬剤投与を受けた理 由 ―そ の他
1骨髄性白血病治療時の輸血
問2二 7-1感
染原因の薬剤投与を受けた外科的手術
上行大動脈人工血管置換術
狭心症 のバ イ パ ス手術
さ臓 バ イ パ ス手術
十二 帽 腸 潰 瘍
さ臓弁膜症
心臓 バ イ パ ス 手術
大動脈弁閉鎖不全狭窄症、うう血性心不全、大動脈弁置換手術
心臓
右卵管角切除術
1
冠動 脈 バ イ パ ス手 術
湮 合 弁 膜 症 (弁置 換 )
1
ヽス
心臓 ノヽイ ノ
l
解離性動脈瘤
1
冠動脈 バ イ パ ス術
場の 憩 室 炎
1
食堂腫瘍
1
バイ パ ス手術
1
腹部 大 動 脈 層 破 裂
1
い臓
胆 の う摘 出術
心臓 バ イ パ ス
心臓 バ イ パ ス
心臓
僧帽弁 人工弁置換術
さ臓
さ臓バイ パ ス
さ屋lバイ ′ヽス
問2-9肝
問2-11肝
炎と診断された頃、身の回りの世話をしていた人 三その他
炎診断確定時の症状 ―その他
き気、全ての臭いが気になる
らんで いるので、 常 に撫 でて いた
って い る) 、 腹 部 の 膨 満感 、 コ ー ラ
間2-12受
けた治療 二肝癌に対する治療
ラジオ波 、カテ ー テル 、
カテ ー テル 治療
問2-12受
けた治療 ―その他
問3-1故
人の間病中に故人から相談をうけたこと一その他
問3-1-1相
談を受けた内容
1.病気
心臓 の 術 後 、肝 炎 にな つた 理 由不 明
1.病気
悪くな るばか りな ので 、 自殺 した方 が いい と話 して い ま した
1.病気
会社 に復 帰 で き るか ど うか 、 仕事 が で き るか ど うか 心 配 で した
1.病気
疲れやす い体 質 とな った こと
1.病気
FF炎に対する病気 の不安 について
1 . 病気
薬を飲 んだ り、治療を受けて いるのに体調があま り良 くな らな い。何故なんだろう。
1.病気
なかなか良くな らな いので、病院の先生が何か言 つていなかったか と私 に聞 いてきました。本人
は何で治 らな いのかわか らな いので不安だった と思 い ます。
1 . 病気
効果的な治療法や根治できるのかな どの悩みな ど。感染経路が不明な どのい らだちを訴えること
も多かった。
1.病気
元々の病気が治 ったのに、肝炎になつて しまった ことを悔やんで いた。
1.病気
いつ も気持 ちが不安 にな って いた
1.病気
、創部が感染 し、通院するもなかなか完治 しないことがかな り不安だった。
iFT後
1
:.病気
進行 状態 を気 に して いた 。
1
│.病気
医師か らの説 明 を知 らせて くれ 、治療方法 とか今後 たぶ ん辿 るで あろ う将 来 を聞か され ま した。
l . 病気
肝臓が悪 くなった現員が思 い当た らず困うて いた。入院、通院の辛さ。
l . 病気
常 に前向 きで したが、肝が んが再発す る度 に気 弱 さが 目立 って いた 。他 人の前で は常 に明 るい人
で あった。
1
l
1
l.病気
あとどのくらい生きられるか。
私 だけが何故 C型 肝炎にかかって しまったのか。
苦 しくてもう死にた い、耐えられな い.
1.病気
初期 の頃は完治する ものだ と思い、それほど思い詰めてはいなかった。故人は前向きに治療 し、
医師 の説明 にもノー トを取 り、肝炎 に対 して勉強 していた。
1.病気
食事療法
1 . 病気
病気 に関 しては自分で家庭 の医学書を読んできたみた いで、何回が言 っていたことがあった。
1.病気
1.病気
。肝癌 へ の移行
。家族へ の感染
血液 での感 染が あるので、故人 のカ ミソ リな ど使 うな よ !
2 . 経済 問な こ と 長期入院で給料 が減額になるか も。
2.経済 的な こと 今の状態が いつまで続 くことができるか と。
nU
2.経済 的な こ と 子 どもが 中学 。高校生だったので、進学問題で悩みました.
2.経済的なこと 今後 の生 活 に対 す る不安
2.経済的なこと 入院や手術等が長引いた ら大丈
2.経済的なこと 私もパ ー トに行 つて いま した ので、心配 な い と安心 させて い ま した。
2.経済的な こと 肝炎が重症化 し、仕事も辞めざるを得なかったため、治療費、民間薬の購入費等の援助を頼まれ
ることが多くなった。
2.経 済 的な こ と 晩年 2年 は仕事に行 けな くなったので、預金を使 い果た した。
2 . 経済 的 な こ と 入院、手術により多額の医療費が重な り、退院後はC型 肝炎感染により費用がかかった。子 ども
の結婚も重な り、出費が多かった。
2 . 経済 田 な こ と 子どもの養育 につ いて心配 して いた。
2.経 済 的な こと
成長期の子どもにかかる教育費は重く本人にのしかかり、病気を抱え
同 じで ある。
2 . 経済 的 な こ と
何十回も入院するので、毎月 の高額医療費を気にしていた。
兄弟、姉妹にも迷 惑をかけた こと。
2.経 済 的な こ と 入院中は給与が出なか ったので経済 的 に苦 しく、保健か らの給付金でまかなっていた。
2.経済 的な こ と イ ンター フェ ロン治療 は予算 の都 合上無 理。 しか し、受 けた い。
2.経済 的な こと 医療費 の負担 、 交通 費。
2.経済 的な こと 今まで二 人で働 いて家のロー ンな どを返 していたのにごめんね と言 っていた。 これか らは入院費
もい ると言っていた。
2 . 経済 的 な こ と
常勤仕事をやめ、不動産アルバイト 【
友人)の 手伝いで生計を立てていた。
3.家族 関係
.自
子どもにうつるのではないか と、 分でさわった どころ ( ドアノプ) な ど消毒でふいて気をつ け
ていました。
3.家 族 関係
父 (故人)は 近くに住んでいたが、介護などで負担をかげる夏 を気にしていた。
3.家 族 関係
眼の結婚 も見 届 けな い と残念 が って いた。
3.家族 関係
子 どものことが心配。
孫 の面倒がみ られない。
お父さんばか りに苦労させること。
3.家 族 関係
相談 で はな く、お 茶 を飲 みなが ら姉 、弟仲 良 くや って くれ るのが 一番 うれ しい と話 して いた。
3.家族関係
肝炎が子 どもにうつ らないか心配だった。孫が産 まれる時、子 どもにも孫 にも検査 をさせた。独
立 した子 どもに心配かけまいと努 力 していた。
3.家族 関係
息子 の 結 婚 につ い て
4〔
3.家族 関係
経済 的 に苦 しく離婚 した。
41
生差別や偏見
回りが田んぼで、団地なので噂がすぐ広がるので話さないようにしていた。
1差 別 や偏見
肝炎である原因がアルコールだ と言 う人がいて,お 酒が好きだったので誤解 された ことが あっ
た。
4Z
).百児 ・家 事
5.育児 ・家事
カロリー計算しても食事が進まないので、自分の好きなものを食べてしまう。
一切手伝うことができない。子どもを
連れて外出が困難。
・栄養士か らの指導 もあり、食事の関係に ついて。
。料理 の作 り方を妻か ら何回も教え られる。
ちょうど入退 院 を繰 り返 して いる時 が娘 の 高校 受験 と重な り、お願 いね と言 つて いた 。
4 ∼ 5 年 目位か ら、会社へは戻れないと思うようにな り、生きる者
いた。姉の私が、 「
病気を持っていても、良い人生を送るように」 と言 って も、本人の体の事は
よく分かって いたのか、諦めの人生 (日々)を 送って いた。
しで、職 場で の精神的苦悩があったようです。
も妻 か ら料理 を教 わ り、
料理 の事は全 く知 らなかっ
今 は、独 身 の老体 にむ ち打 って 、妻 か ら教わ った料 理 を作 って 、 生き延びて いる。感謝、
ある。
問3〒2故 人が肝炎に感染していることを知ったときのあなたの気持ち―その他
つて いたが 、
。フェプリノゲンとい う名称は昨年知った。
い ショックを受け、病院勤務の友人か らC型 肝炎の資料をもらい、勉強 した。食事にも気を使 った。
る よ うに」 と言 って下 さい
うちに、きっと良 くなると信 じていました。
そ うで したが、 私 も
のかが全く分からなかった。肝炎と聞いて、自分自身も故
染す るので は ? と の思 い もあ った。 治療法 も治療薬 も何 も知識がな く、今後病気が どう進行 していくのかが、
心配 で した。
ある ことも知 ら
と、今現在にお いても悔いが残って います。
S63年 4月 、
、 フ ィ プ リノゲ ン
10本投 与 され 、lヶ 月
を求めて読んだ ら、非A型 、非B型 と書いてあ り、それが始めで した.
問3-3故
人が闘病している時のあなたの気持ち―その他
て いた の で 、
と思 って い ま した。
入退院を繰 り返 していたので、
で、気 のゆるむ時がなかった。
く、常にどの位生
主人は入退院を繰 り返 した。会社に出勤 しても、月に,T3度 は休んで病院。10年程は病気と闘って、家族に気を
使い、会社に気を使つて可哀相でした。もし、会社から 「
退社したら」と肩たたきがあればどうしようと、心細い
事 も言っていました。亡 くなる 2週 間前お腹に水がたまり、その治療を始めようとする前に、突然吐血 し、気を
失ったまま亡 くなって しまいました。私 も子供達 も、病気 と闘っているばか りのお父さん、病気が良くなった ら
と、かすかな希望 を持 ちなが ら果たせ な くて 、 とて も残念 と しか 言 え ませ ん。病 院か らいただ いた薬 を、絶対 安全
だと信 じて飲 んで い ま した 。そ の 薬が原 因で 、亡 くな った とは信 じられ ませ んで した.
常思感や食欲不振をよく訴え、病気について 自分の置かれている状況など、よく聞かされていたが、私としては、
話を聞いてやるくらいしかできず、時には口論になったりすることもあったが、後で空しくなり、介護 している自
分もどうして良いか分か らず、悩んでいた。
にできることはしましたが、
に今 も残 って います。
さを取 り除 くこ
つた と思 います。それが、
多分知っていたであろう死期を、私だ
て いた主 人 を見て い
て、いつもありがと
て
、 いつ もあ りが とうと
うと感謝の
感 謝 の気持
気持ちでしたが、
ちで したが 、私
が 自分 の事 、 子供 の事 な ど将 来 の事 を考 え、 イ ライ ラ して 、つ
私が自分の事、子供
い病 人で ある ことを忘れて 、 幸 くあた って した 事 もあ りま した。 2 0 余年 沢 山の事 を考 え ま した。 どのよ うに書 けば
いいのか 、 ま とま りませ ん。 ア ンケ ー トを読 んで いて も、涙 が止 ま りませ ん。
に前向きであった本人が、子供 の成長だ
つて い る姿 を見 て、
い。助かる命を見 過 ごしたと思 うと、悔 しさと悲 しみで、今 もなお 悔 いが 残 って いる。
なら救 って あ
ミ
人が少
レ じつ
咲八″
もス厨 りひズ リヽよつに、相満 の百興折 り
ノ しで
り紙
泄 の手習
手 習 いを して、 現代円な和紙押 し絵をデザインか ら始
めて、作 品 の完成まで、故人独 自作品で190点、古典折 り紙は90点。展示会場に展示 して好評を得る。来場者の要雷
があ り、残った遺作品は20点のみ。一 生懸命故人が、病気 の事を忘れ作品を作る姿を見るにつ け、どうか妻の病気
が少 しでも良くなってほしいと、1人 手を合わせ涙をこらえていた。他界する 2年 程前まで の生活であり、私 も仕
事を辞 して専門に看病 した。
、そ の症状 は少 し
々心配 して い
問3-4故
人の間病中から死亡に至るまでのあなたの行動 ―その他
きっき り。亡 くな る 3日 前か らは、泊 ま りが けで した。
1人 の生活は無理だ と医師か ら言われ、姉 の私 と同居 していた。私
た。入院費 もかか ったが、通院 も特急 とタクシー 、又は、タクシー
営だ つた ので、
に も100%面 倒 をみ
だったので、お金が大変
でした。私が働いていなかったら、どうだつたのかと思う。
毎 日、地下鉄 の定期券を買 って病院へ、仕事が終わると行 つていました。ちっともしんどいとは思わず、
のよに思っていました。80才の母の面倒もみなければならないし、子供達はまだ学校だった し、私もよく頑張った
なぁと、今になって自分に感心 しました。
闘病中か ら亡 くなるまで、何度 も入退院を繰 り返 していたが、私 自身 も仕事 、家庭 を持 ち、1
で、正直、 このような毎 日が いつまで続 くのか と不安だった. 故 人は私 以外 に身寄 りがな く、
に通 う状況で した。
、できるだけ多 くの時間を付き添 いに充てた。又、
々の ラジオ波焼灼術や肝動脈塞栓術 の繰 り返 しで、入退院を していました。術後、病室 へ帰つた姿を見て、何度
を流 したか、数 えきれません。でも、主人 の事を思 うと、頑張ろうと自分に言い開かせていました。最後の手術
になった2009年8月 、本人は知 りませんで したが、家族 は告知 されていて、で も普段 と変わ りな く接 していたのが
母ちゃんあ りが とう、一杯 一杯あ りが とうな」 と言 って
とて も幸かつた。退院の 3日 前、 ロピーか ら携帯電話で 「
切れた。本人はもう死 を覚悟 していたのかも知れませんで した。私達は、普通以上に仲 の良い夫婦だった と思いま
す し、子供達 もそ う言って くれ ます。でも、 もう主人はいません。 こんなに悲 しいことは、誰にも味わって もらい
た くあ りません。私 の正直な気持ちです。
日々苦 しそ うな姿 を見 て いた ので、 呼 ばれ た時 、す ぐに行 け るよ うに、常 に主人のそ ばにいる ことを心 掛 けて い ま
一
同居であったので、 自分 も一緒に入院、通院で、行動は 緒で した。
問3-5故
人の病気に関して感じたこと一その他
を大切 に とい う考 え方 だ つた ので、介護 を優 先 した つ も りな ので 、弟 の 世話 は十分 で
病院 には、私たちよ りももっと辛そ うな人達がた くさんいらっしやいます。 しんどいのは自分だけじやない。その
うちにきっと良くなる。主人も私 もそ う信 じていたので、あま り悲観的にはな りませんで した。
こついて、 2人 で相談 していた。 これか らの ことが、いつ も心配であつた。
い将来、必ず新薬が開発 されると、 2人 でよく話 していました。度 々の検査で、医者か ら
と、言われ て いた と聞 いて い ます。
、親族 にまった く知 らされ ず 、転院 した病 院で状態 を知 った。亡 くな る まで lヶ 月余 りだ った。
感だけが今も残っている。
て くれた。子供 2人 も同様 で ある。
のた め、看病 す るのが大変 だ った。
で あ ったた め、故 人 も体 調が 悪 いなが ら、他 人 を頼 んで仕事 を して いたが、 それ も難 しくな り、 仕事 を辞 め
ざるを得ない状況でした。
lヶ 月ほど会社の休みを取って、妻 の看病に専念 した し、親戚の人も交替で面倒を見て くれた し、病院の先生、
師さんも良くして くれたので、大変良かった と思 う。
14
間4-1-1故
人が亡くなられた後の変化
約22年間看病 していて、家族 の苦労は大変で した。特 に、故人の母親は、死後精神的に落
る。
里偶 者 の ケ アが 大 変 で あ った 。
夫婦は、車の両輸のように支え合 って生きていますので、何かにつ けて充実感に欠け、空 しさを感 じることがあ り
ます。現在は、一 人暮 らしにも慣れ、友 も多 く楽 しんでいます。
肺の私が うつにな り、現在 も通院 している。
一 家 の大黒柱 を失 い、
収入面や家族 を養 う責任 を感 じ、不安 とな った。
1人 で子供 の 世話 を しな けれ ばな らな くな った。
気持ちの変化が一番大きい。介護か ら解放された思いと、虚無感。実生活では、やっと自分 の時間が持てるように
なった。
亡 くな って半年 ほ ど経 った 頃、急 に泣 けて きた り、将 来 の ことが 不安 にな って 、夜眠れ な い ことが 多 くな った。
故人の苦 しみを見ている私は、何 もする気にな らず、取 り残 された気持ちと、何故とい う気持ちが今 もある。
1
子供 との 関係 が 疎 還 にな った 。
寂 しさ、悲 しみはもちろんのことですが、家族が何 らかによって感染 していないだろうか との不安があ り、検査 し
た こともあ りました。
1
経済面で 困 った。
l
当分不眠が続きましたが、少 しずつ眠れ るI巧 百な ってπヽます。子供達 とも絆が、以前よ り増 して強 くなったよう
に思えます。廻 りの人に迷惑をか けな いよ うにと、以前にも増 して健康 に注意するようになった と思います。家事
以外は主人に頼ることが多かったので、その点苦労 しています。
1
経済問問題 と精神的な支えを失 い、又、主人の両親を支えて い くことになった。
1
当然の ことですが 、眠れな い 日々が続 き ま した。
1
孤独感。家事仕事の大変さを痛感しました。
1
攻人と2人家族でしたので、私が1人になるのを心配した二男が家に帰り、私と生活するようになりました。
突然 の 死 で び っ く りした 。
攻人の配偶者が、介護 の疲れ等 で精神的 に不安定 にな り、薬 を多用 したた め、副作用 によ リー 時体 調 を崩 した。
親子がバ ラバラになって しまった。故人が存命中は、豊か とは言えないが、笑 いの絶えな い一家であった。今で
も、母親の死が 自分を生んだせ いだ と思 っている子供。何 とか 自分の肝臓移植で、母親を助けたいと思っていた子
供。 しか し、当時の主治医は、そのことを尋ねた子供に、4,000万円かかると言 った。子供は失意で いっぱいの 日々
を過 ごした と思 う。未だに母を思 う子供が哀れであ り、悲 しみの傷は癒えることはあ りません。
妻 を失 って独 身生活 が 身に付 き、何事 も即断即決 、行動に直 ぐ移す。薬草の研究と古典文学の勉強を73才の老体
が 、病 院で の 治療 を併用 して行 って いる。それ に、 ●●●●●●の専任講師もしている (●●●関係)。 妻を失っ
て 7 回 忌 の私 の生活状況で ある。
家族の中心であった主人が亡 くな り、私や子供達の悲 しみは、月 日が経 って も癒えることはない。和解成立 し、給
付金 もいただきましたが、これか らの人生を考えると、不安で仕方がな い。
失意。 今 もず っと尾 を引いて いる。
1人 暮 らしになったため、1人 息子が (離れている)ほ とんど毎晩電話して、土曜日はよく帰ってきてくれるよう
です。
眼が精神 的 に不 安定 にな った。
51才 とい う若 さで亡 くな ったので、 とて も淋 しか った。 い っ ときは、毎 晩 のよ うに 1人 で泣 いて い ま した。
問6-1故
人に関することで経験したこと一その他
避けた のだ と思 った。
間6-1-1故
人に関することで経験した内容
│.医療 現場 で職 員か ら差Ell的な順Eを と られた
他の患者 と防疫処置をとられた と言つて いた。
1.医療現場で職員か ら差別的な態度をとられた
医者が弟 に一 度 も触 れ る ことがなか った。
1.医療 現 場 で 鷹 員 か ら麗 別 国 な 態 度 を と ら7Lた
薬害 について提出書類の求めに応 じて くれなかった。
2.普段の生活の場で差別的な態度をとられた
故人が肝炎 に感染 していると知って いる人は、やは り二 次感染
を気にして いる人が いた。
2.普段の生活の場で差別的な態度をとられた
同も しな いでだ らけた 生活 を して いる。
3.テレビやマス コミの報道で不快な思いを した
被害者意識が強 いみた いな報道があつたとき。
.テ レビやマスコミの報道で不快な思いをした
〕
詳 しい情報が得 られなかった時。
.テ レ ビやマス コ ミの報道で不快 な思 いを した
〕
情報が知 りた いのと、病気がそ の後 どうなるのかが心配で し
F・
・
_
1周 囲の肝 炎 に関す る何気な い会話が不快だ つた イ ンター フェ ロ ンの投 薬 、誰 で も簡 単 に行 えるそぶ り。金額が
高 い。
5 . 故人 が 聞病 中 に周 囲が 支 援 して くれ た
子 ども、兄弟等 のお 見舞 いや 手伝 い
5.故人 が 聞病 中 に周 囲 が 支 援 して くれ た
毎週末 に兄姉達 が見 舞 い に来て 励 ま して くれた。精神面 で も助
け られ ま した。
5 . 故人 が 闘 病 中 に周 囲 が 支 援 して くれ た
主人の兄が時 々お見舞 いに来て下 さって、励まして くださいま
した.
1
5.故人が闘病 中 に周 囲が支援 して くれた
配偶者や母 と姉 妹が 面倒 を見 た。
l
5 . 故人 が 聞病 中 に周 囲が 支 援 して くれ た
男親 の 代 理
5 . 故人 が 闘病 中 に周 囲 が 支 援 して くれ た
医療費の立て替え払 い、妹二 人の看病応援、子 ども二 人の看病
応援。
1
5.故 人が闘病 中 に周 囲が支援 して くれた
激 励 して も らった 。
1
5.故人が聞病中に周囲が支援 して くれた
入院 ・通院等 に運 転 が無理 な時 、友 人達 に軍 の送迎 を して も
らった。
1
71
問6-2肝
問6-4-2故
炎判明後 に生じた問題 ―その他
人が肝炎に感染したことに対して、あなたがした行動 ―その他
を して いた 。
日頃お つ きあい して いた 知 人 ・友 人な ど全 て の人運 に隠 し事 はせず 、正 しい ことを話 した。
問7-3医
1
師に対して
大字病屍、医FF団、学会でC型 肝炎の思者の広が りに、早い段階で疑間を持つべきではなかったでしょうか。残念
です。
S 6 1 年 4 月 に初投与されたが、その時点では、 この製剤は自血病治療に画期的な処方であった と、後に担当医師か
ら聞いたので、医師に対 しては別段悪 く思 っていない。
医師を責めていたわけでもな く、使用 した薬 の名前を開いて いるのに、カルテがない、何を使った のか分か らない
な どと、責任逃れが残念です。病院に聞きにもいけず、電話でも薬 の名前をなかな教えて くれず。 「もう死ななけ
ればな らないのだか ら、どうして も聞いておきたい」 という、せ っばつまった言葉が、 いつまで も耳か ら離れ ませ
ん。
薬害発生 0%が 理想でも、薬も異物であり、副作用が出る可能性もありうると思います。 しかし、使用前の検査な
どで、可否を判断するシステム及び副作用の説明も必要。臨床実験の重要性、リスク開示など、医師と患者のコ
ミュニケーションが大切である。
医師に対 しては、その当時最大限の治療を実施 して いただき、感謝 している.
手術 に使 用 した 時点で、 このような結果になるとは、分か らなかったのでは ?分 かっていた とした ら、絶対に許せ
ませ ん。
医師 に は 責任 が な い 。
当時にはC型 肝炎の原因が薬だ と分か らなかったので、先生を責めるわけあ りません。
度用のリスクについて、説明してほしかづた:
医師に対 しては、当時最善を尽 くして治療 してい ただいたので、感謝の気持ちだけです。病院に対 しては、カルテ
の開示拒否などがあり、不信感が残 った。
なんとも言えない気持ちです。信用できないという気持ちがあ ります。
]
医師 も安全 にもので あるか どうか、研修 した上で使ってほしかった。
1
問題が あ る と判 って いた ら、絶対 に使 って も らいた くなか った。
1
外科手術の困難は理解できるが、内外の研究等を怠ってほしくなかった。同時期、私は帝王切開でお産をしたがfT
肝炎にかかっていません。
1
手術 前 の 説 明で は、1 週 間 ∼ 1 0 日入 院 と聞 いて いたので、本 人 も家族 も深 刻 に受 け止 めて いなか ったが 、 フィプ リ
ノゲ ンを使用 しな けれ ばな らな い結果 を作 って しまった ( 2 回 の手術 ) 事 に対 し、憤 りを感 じて いた ので はな いか
と思 う。
あの時 点で は分か らなか ったので、 仕方がな い と思 う。
l
b臓 のバ イパス手術に関 しては、とて も良くして下さった ので、先生には感謝 しているくらいです。
1
やむ を得 な い と思 う。
攻人 の 場合 は、手 術 に必 要な薬剤 だ った と思 ってお ります。
どのような病気になって も、安心 して受け られる病院であ りますように。
よくしていただいたと思う。
出産時の出血が原因であるが、フィプ リノゲ ンという薬害 の根源の薬 しかなかったのか ?そ の時の先生は命を救 う
ための処置であ り、やむを得ませんが、当時の先生を身内が探 し当て、面会 して当時の事 を聞き、先生が 「ミ ドリ
はこの薬剤に対 してゞもっと重篤性があると説明するべ きであった。知っていれば、当時の対応 も注意深 くしただ
ろうに。何故、ミ ドリが言わなかったのか、不思議に思 う」 と言 った。
.
患者に対 して、製剤に関する事実の話をするべ きである。家族に対 しても同様である。
医師を責めるつもりはございません。
医師に対しては、特に何も思わないが、しかし、病気を治療のための手術で、命を亡くしてしまうことになった。
手術 を受 けな けれ ば良か った と思 った。
したか らといって 、安心 、安 全で はな い。
く見 て 、製剤 を使用 して ほ しい。 人の命 を預か
る立場にある者 として当然です.薬 害は、医者にも倫理的責任があると思 う。
S63年 4月 頃、医者 は
とい うものを、 ご存 知なか った ので しょうか。
は使 うことが多か つたので はな いか と思 う。 医師 に対 して は、 何 も思 って いな い。
い とされ る事が分か って 、や っ と医療機 関か ら通 知が あ った。 そ の態度 は、医療従事者 と して
ては、失格である。状況が違 って いれば、通知 していないのでは ?
して い る。
をあげに来てもらいたい。
nu
問7-3国
に対して
楽の隔床試験をきちんとして、ダメなものはすぐに排除 してほしい。厳しい目を光らせてほしい。
C型 患者の救済をお願 いします。
・薬害 に対する研究所があるので しょうか
。病院治療費
・働けな い人の生活費
・介護施設の費用
命のある限 り、保障 してあげて下 さい。
S61年 当時、 この製剤 によ りC型 肝炎 になる可能性があると判 っていた ら、それは罪です。
非加熟製剤が害を与えることが分かった時点で、すぐ
りません。 薬の恐ろしさをつ くづ く感 じている。 薬害で苦しむことのないよう、安心して治療できる国にしてほし
い。
薬害発生 0%が 理想でも、薬 も異物であ り、副作用が 出る可能性 もあ りうると思います。 しか し、使用前 の検査な
どで、可否を判断するシステム及び副作用の説明も必要。臨床実験の重要性.リ スク開示な ど、医師 と患者 の コ
ミュニケー ションが大切である。
恐ろしい肝炎で苦 しみ、イ ンター フェロンもだめで、 仕聖
事ができな くなって しまった弟が、原因を知った らどんな
言葉を発 したのだ ろうと思 う。悔 しさでいっばいで しょぅ。
国民の安全管理の徹底
三度と薬害が起きないよう、厚労省が国民の立場で安全第一を目指してほしい。
すべての薬品を、安易に認
1
薬害患者を早期救済し、苦しんでいる人を助け…
1
製薬会社 には、 どんな 事 が あ って も、絶 対 に害 にな るな んて 事 が あ って はいけませ ん。 国 は もっと強 くな って ほ し
い
。
1
もっ と早 い時期 に、使 用 を中止 して ほ しか った。
1
病気を治す薬で、新た に
1
思者の気持ちになって、早い対応をしていただきたい:患 者 とその家族は、苦 しんでいるのですか 「
危険な薬剤 を作 らな いよ う、そ して 、使用 しな いよ う、許可 しな いよ うに努 めて ほ しい。
1
問題があると判っていたら、絶対に便ってもらいたくなかった。
感梁拡大の被害を防止できなかった 国の責任を大きいと思 います。生命、財産を守る事をおろそかにした。
1
国は 1人 1人 の 民か ら成 り立 って いる と思 い ます。1人 1人 の生命が 国で ある と思 う。生命 を大切 に しな けれ ば、
コは滅 び ます 。結 果 に対 して必 ず原 因 を追及 し、正 しい対処 を して ほ しい。
もっ と早 く対処 して ほ しか った。
知ってて知 らん顔するな。
どのような基準 と安全性 によって判断 し、使用 したのか説明を求めます。
認可基準を見直しすること。
しっか りと した検 査 を して 、認可
一 して ほ しか った と思 います。
今もまだ苦 しんでいる人が、
日でも早 く救われますように願 っています。
原因の究明と対策を、もっとスピーディー に。
コは緩慢そのものである。非 を認めず、争 う姿勢を常 に持 っている。薬害 ( C 型 肝炎に限 らず) と い う重み、観念
が全 くなかった。国そのものが あ り方を変えな い限 り、薬害はな くな らない。反省の意味が判 らないのでは ?
医療費全額、生活費保障 (本人と家族)全 額
ある程度認識 して いた ので は ?こ れ か らは、二 度 とこの よ うな事 が起 こ らな い ことを祈 ります。
るために受けた手術で、十分な検査をされて いない薬で苦 しみ、亡 くな らなければな らなかった肝
患者。そ して、今もなお治療されて いる人々に、せめて医療費の免除をしてほしい。
そ の 頃、 ア メ リカで は使用禁止 にな って いる との情報 が入 つて いた で はな いで すか。疑 わ しき製剤 を国が許 可 → 被
害者続 出→ 国 の遅 い対応 。 こうい うことが 、今 まで何度 も繰 り返 され て き ま した。国 (厚労省)は 、儲 け主義 の製
薬会社 との馴れ合 い を止 めて 、国民 に信 頼 され るよ う、薬害 を未然 に 防 いで ほ しい。
って ほ しい。
っと早 く薬害を公表 して、対策をとってほしかった。そ うすれば、死なずに済んだか もしれない。 、
薬害肝炎 を全面的 に支援 して ほ しい。
っか りと薬行政を行 い、良い薬は早期 に承認 し、問題が疑われる場合、即、使用
さ。
早 く危 険性 を明 らか にす るべ きだ った.
こ来て も らいた い。
問フー3製 薬会社に対して
1
薬害患者を持った家族の苦しみは、攣済的にも精神的にも、一生背負って生きていかな
倒産しても、救済に全力を上げて下さい。
S61年 当時、この製剤
利益ばか り考えないで 、情報 をもっと敏感 に、絶対 に薬害 の被害が起 こらないよ う願います。
薬害発生0%が 理想でも、薬も暴物F● り、副作用が出る可能性もありうると思います。しかし、使用前の検査な
どで、可否を判断するシステム及び副作用の説明も必要。臨床実験の重要性、リスク開示など、医師と患者のコ ´
ー
ミュニケ ションが大切である。
・
利益を求めるだけではなく、もっとモラルを持って経営してもらいたい.命 を大切に考えること。
入節 を第 一 に考 え て ほ しい 。
リ
益優先が 、薬 害肝炎被害者 を増 大 した と言え る。 製薬会社 の 良心 を、国が 指導 す るべ きだ と思 う。
ト
製造は惧重にしてほしい.人 の命が第一 です:
今後、 このよ うな薬で苦 しむ事のないよう、十分に気をつけて 薬を作ってほしい。
1
害のある薬を世に出すことはダメ。それ雨蒲扇顧董可
もっと早 い時期に、使用を
1
l
患者の気持ちになって、早い対応をしてぃただきたい。患者とその家族は、苦しんでいるのですから。
1
責全な薬剤の研究と便用を考え、三度と薬害を起こすことのないようにしてほしい。
問題があると判 っていた ら:絶 対 に使 って もらいた くなかった。
社会的 に崇高な会社 だ と思 って い ま した が、患 者や 医療機 関 に責任 を押 し付 ける、二 枚舌の社会構造 を直 しては び
い b
1
生命を救 うのも薬であるけれ ど、 薬は毒にもなる事を考えてほしい。大黒柱を失った被害者を、 自分 の として考
事
えてほしい。心ある仕事をして下 さい。
1
許されな いことだ と思 う。今後、絶対薬害が起きな いようにしてほしい。
金 もうけばか りで、安 全 を考 えて は しい。
現在 、和解 して いな い患者 へ の、 一 律保 障 を望 顧
市の大切さを考えてほしかったです。長い闘病生活 を送って亡 くなった主人は、さぞ残念だったと思 います.私 も
残念でたまりません。
二度 とこのよ うな悲 しい事が起 こ らないように、安全な薬を作 ってほしい。
社会的責任 の 自覚
大量殺人集 団である。尊い人の命よ り、国 と一緒になって金儲 け。 このよ うな企業に対 して、法的制裁をしない
日
本の司法に幻滅を覚える。 名前を変えて、また こんな会社が 出るので あろう。失った大きな ものを、どうして も返
してほしい。
医療 費全額 、生 活 費保 障全額
まず製薬会社、長年の実験研究を重ねてほしい。
十分な責任 を取 った とは思 えな い。
国民はモルモ ッ ト (実験材料)で はない。被害者が出たので、保障 したではないか との安
易な無責任な考えでは、
斜は守れない。儲け主義では困る。他国の情報 も先手 先手で取 り入れて、安心、安全な薬、製剤を開
発、提供 して
ましい。
のた め に役立 って ほ しい と思 います 。薬害 は、大量殺 人 とあ ま り変わ らな いの で はな いか と思 つて い ます。
を把握 しなが ら、通 切な対 応 を怠 つた事 は、今 で も腹立た しいです 。
に、副作 用 の ある薬 を安 易 に出 して ほ しくなか った.
とそ うい う薬 を作 らな いで ほ しい。
て利益を得て いる以上、問題が発生 した場合、 しっか りと責任 をとるという姿勢、営業方針で
ば廃業せ よ。
を明 らか にす る べ きだ つた。
力■
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