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ルイス・キャロルの翻訳をめぐる風景

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ルイス・キャロルの翻訳をめぐる風景
清水孝純
ルイス・キャロルの翻訳をめぐる風景
はじめに
ルイス・キャロルの二つの物語﹃不思議の国のアリス﹄﹃鏡の国
のアリス﹄は、翻訳という点では最も難しいものの↓つではない
だろうか。それはなによりも言葉遊びがこれらの作品の生命だか
らだ。これほど縦横無尽に言葉遊びに徹した作品はすくないので
はないか。にもかかわらずこれほど世界中の様々な言葉に訳され
てきているものも少ないというのも面白いことだ。勿論日本語で
の翻訳もじつに多くの訳書を数える。恐らく世界の中で、絵本と
か児童向けにアレインジされた抄訳を除いて、完全な翻訳の形で
の翻訳がこれほど多く出され、なおだされつつある国はないので
はないか。もっともこれはキャロルの書物には止まらず、シェイ
クスピアにせよドストエフスキイにせよ同じことが言えるのだが、
しかし特にこの二つの作品の場合には、翻訳の多様性においてそ
のような傾向に拍車がかかっているのではないか。それはなぜか
といえば、そこに訳者の情熱を掻きたてるものがあるからではな
いか。いわば、言葉遊びの翻訳というものが困難を感じさせれば
させるほど、翻訳者の挑戦の意欲をかき立てるということがある
のではないか。いろいろな翻訳を読んで、そこに訳者の翻訳上の
新しい工夫の数々を見ていると、なんとなくそんな思いがされて
ならない。というのも、キャロルの言葉遊びを盛るに、日本語の
豊かさ、柔軟さ演、絶好の受け皿になっているからであろう。
元来言葉の上のユーモア、しゃれ、遊びといったものは翻訳の
困難なものである事はいうまでもない。それは夫々の文化システ
ムのなかに深く根ざしているという構造的な理由によるものであ
ると同時に、その時々の状況という移ろいやすいものに笑いの契
機を有しているからだ。翻訳という観点からすれば、シニフィア
ンとシニフィエの結合のこれほど固いものはない。キャロルの翻
訳の困難はこの点にあるわけだが、日本の翻訳者の挑戦は実に見
事なものだ。言語系統の根本的違いにも拘らず、目本の翻訳者は
挑戦を重ね、さらに挑戦し続けている。その挑戦はいかなるもの
か。それを具体的に翻訳の現場において確かめてみたいというの
が本稿の狙いだ。
言葉遊びは、同音異義、両義性を利用する、あるいは文法上の
約束を逆手に使う、また当時流行の歌謡のパロディーといった方
法による、そういった具体例を幾つかの翻訳によりながら考えて
みたい。そのような操作を通して、日本語訳の多様性、そこを流
れる日本の翻訳者の工夫を考察する。この場合仏訳・独訳・露訳
をも考察の参月即したい。
テキスト
はじめに使用したテキストを掲げておく。以下、テキストをつ
きあわせて論ずることが多いので、そのほうが便利だろうと思う。
まずbo≦δO角旨。嵩の原典については次のものを参考にした。
一 99一
︾旨8、u。b侮<o昌言冨。満庭≦σ昌“o匡箇巧匠︵巨Q◎⑦α︶”血肝⊆自昌︼W8犀㎝℃
H㊤癖Φ
独訳≧皆㊦一B≦ゴ昌窪。匡獅昌斜孚。尾毒言け<o昌Oぼδ試餌ロ
国5国。昌自駐げ。醤①5Hβo・o一目β。。陰。げ。昌げ鋸。戸δ<Qo
﹃不思議の国のアリス﹄の翻訳については専ら文庫本に収録の
露訳口℃籠§8漏①口国角︾員国。目国。昌,偶餌。曙肩oPO雷8ぴ。。Φも男袋8
国昌薗①昌q。げ。お。“冒q慶巴瓦殖gげ。昌げ琶ドμO刈潜
>崔8ぼ9霞号昌Q◎且。αq9目鳩dず。崩9恥く。昌Oげ巨の鉱9雪
ものを使った。
類自。冨寓旨国器員9︾員国$国員国曾国8国・。器昌白垂ぴP口昌①巴勲
日ぼ。ロσqげ昏①ぎ。巨αq9器。・︵H◎o“bo︶u貯男自聲頃8冨﹄漣◎。
角川文庫︵福島正実訳、 一九七五︶
国.寓’泪。一穏畠。芦国麟同鋸弘Oくqo
なお、引用文のそれぞれの訳者については注記せず、文庫名の
ち く ま 文 庫︵柳瀬尚紀訳、一九人達︶
二成社文庫︵芹生↓、一九八O︶
福音館︵生野幸吉、 一九七二︶
角 川 文 庫 ︵岡田忠軒、一九五九︶
新 潮 文 庫 ︵矢川澄子訳、一九九四︶
文庫本を使用した。
﹃鏡の国のアリス﹄の翻訳についても福音館のものをのぞいて
旺 文 社 文 庫︵多田幸蔵、二〇〇〇︶
などはできない。それはほとんど意味を成さないだろう。キャロ
ということだ。この場合、忠実な翻訳というものを期待すること
ような言葉遊びを核とした作品の場合の翻訳について考え始めた
比べてみることから、改めて翻訳というもの、そしてとくにこの
いるうちに、邦訳の訳しぶりのあまりにもさまざまなのに驚き、
直接関係は無い。読書会で細かくキャロルの二つの物語を読んで
ような翻訳論をてがけることになったのは、そのような風潮とは
なものが始まってもいいのかもしれない。とはいって、僕がこの
本でもこれまでの外来作品の主要な翻訳についての総点検のよう
て、その翻訳の是非について議論がかまびすしいが、そろそろ日
最近は亀山郁夫氏訳の﹃カラマーゾフの兄弟﹄のブームもあっ
以下、仏訳はぽ瞑。、独訳は冒。・巴、露訳はZ碧冨で示す。
ち く ま 文 庫︵柳瀬尚紀訳、一九八七︶
河 出 文 庫 ︵高橋康也訳、一九八八︶
集 英 社 文 庫︵北村太郎、一九九二︶
略記をもって訳者名にかえた。次に仏訳、独訳、露訳についてだ
ルの言葉あそびの工夫を伝えるためには、それなりの創意工夫が
新 潮 文 庫 ︵矢川澄子訳、一九九四︶
が、残念ながらこれらは一種類にしか当たることが出来なかった。
必要となる。その点で、翻訳者自身多分に創作者でなくてはなら
を原典とにらみあわせて、引き出してゆくことでなくてはならな
ない。従って、ここでの翻訳論とは、おのおのの訳者の創意工夫
仏訳 いoq。﹀︿o詳昌①。。臼、﹀犀。①卑gもg。同。駐90㊨目。辱。巳。の O①
ρ就と8①俘。‘<僧島⑦一、回書器&ま畠仁日首9さ津帥“仁。葺。昌9q凶ρ‘ou陰
娼拶唱零Ω巴胃B簿噌9目O㊦日
一 100 一
いずれにせよそこからあぶりだされてくるのは、結局のところ、
というものの豊かさ、可塑性というものも見えてくるに違いない。
いだろう。そうすることによって、そこに受け皿としての日本語
言語に訳された﹁アリス﹂﹄の著者ウオレン・ウィーヴァーの分類
スに彩られる。しかも翻訳の焦点はそこにこそある。楠本氏は﹃多
の不断の突発的使用によって、味付けがなされ、無限のニュアン
に楠本君恵氏の﹃翻訳の国の﹁アリス﹂;ルイス・キャロル翻
ところでこの問題に関しては、先行の論文、著作がある。とく
A詩 B言葉遊び Cキャロルの考案した語またはナンセ
としては次の五項目があげられている。
次のようなものだ。その分類では他言語への翻訳の場合の・問題点
を参照してその翻訳論を進めておられるが、その分類というのは
訳史.翻訳論﹄︵未知谷、二〇〇一Vはこの問題についてのもっと
ンス語 Dロジックを含む冗談 E 意味のひねり
一 種 の 根 本的な文化の深層における衝 突 な の だ 。
も系統的な研究となっている。楠本氏は日本における翻訳の状況
扱っている。仏訳・独訳・露訳にも目を配って極めて周到なもの
こに>9︶国の項目を組みいれればよいのではないか。というわけ
う観点で締めくくればしないだろうか。それを大項目として、そ
この分類はより大きな視点からみてみれば、Bの言葉遊びとい
といえる。ただ筆者としては、より共時的立場に立って、夫々の
で、筆者としてはそれらを参照しつつ、その言葉遊びの手法を筆
について、史的にていねいにたどり、かつ共時的に翻訳の問題を
翻訳の内的メカニズムといったものを引き出したいと考えた。そ
者なりにまとめてみた。
アリスはうさぎの穴に落ち込んで、体が伸びたりちぢんだり、
1 文法上の間違いを利用して
こに貫かれている、文化的衝突に目をむけていきたいと思った。
ここでは翻訳の優劣を問題にするよりは、翻訳の苦心、工夫、情
熱というものを引き出したいと願った。勿論、最終的には翻訳の
優劣、いわばその価値というものの判定に帰着するのであろうが、
まったく予期しない体験にあう。第二章の冒頭はその奇妙な体験
の驚きから始まる。キャロルの工夫は、アリスの言語感覚が瞬間
しかし、このような場合、そうしたキャノンを設定することから
してまず問題となるのではないか。ということで、とりあえずは、
的に撹乱され混乱したことを、彼女の文法感覚の錯乱によって示
霊起昼巴一楽魯ま吋爵。目自δ昌酔。。冨ρ巳ε貯繧q9け。ミ8巷。卿犀
、、O詣巨。唱q自室牌昌告。目零話。㌦、o卑賎葭8︵。・げ。≦器oo目昌鼻
ろだろう。
磁気を失う。そのような言語の瞬間的混乱は誰しも体験するとこ
すことだった。丁度、磁石が激しい打撃を与えられると、一瞬、
それぞれの翻訳家の手法、工夫といったものを浮かびあげたいと
思う。
言葉あそびの形成
この二作品の生命が言葉遊びにあるということはいうまでもな
いだろう。突拍子もない幻想も、鋭い機知と、思いがけない洒落
一 101 一
σ◎o亀国ロ讐穿・5・♂ミ昌◎oこ。︶
説明するまでもないだろうが、形容詞2ユ8。。の比較級は目。話
うか。
口。恩罫。,酔,o昌唱言oo巳oq翌日
踏まえた冗談からだろうが、しかし、アリスのこの勝手な変則流
流変則変化はよく使われているというのだ。もちろんこの箇所を
女にふさわしい言語感覚ではないか。面白いことに、このアリス
だ。これは言語規範ががっちり脳のなかに出来上がっていない少
こにアリスは瞬間的に自己流造語の変則変化を選んだと言うわけ
自然だろう。寓。器西下。β。慶 では迫力にかけるのではないか。そ
することで一層驚きを強調した。驚愕の叫びは一語によるほうが
されているわけだが、キャロルはさらにアリスの言語規範を撹乱
にブロークンな比較級が重複されることで、ますます奇妙と強調
ヨ匡鴨誉旨島⇔建仁
者は巳匠σqという言葉をとり、βを#に換えた。
いう規則はないから、この場合はやはり工夫がいる。そこで独訳
と言えるが、しかし三音節以上の形容詞には冒。器を前に置くと
比較級の形成において形容詞語尾にΦ㎏をつければよい独語は楽
きで、合成的になったら、言葉の衝撃力は弱まる。その点では、
補ったわけだが、大体こういう驚きの表現としては一語であるべ
しかしそれでは文法的侵害にはならないので、なかに砕をいれて、
るということはない。そこで覧器を形容詞の前につけるしかない。
語は比較級はあるが、一般的に覧器をつける。語尾に窪をつけ
これが仏訳だが、通常の表現に峠という発音が入っている。仏
文法にもそれなりの真実があったということなのではないか。と
巳家σQはヴァーリヒ独語辞典によれば、滑稽という意味だが、口
2比。自の でなくてはならない。ここでは混乱のまま思わず文法的
ころでこの翻訳ということだが、比較級など持たない日本語では、
語的には﹁奇妙な﹂という意味を持つと言う。元来が低地ドイツ
語からでてきたもので、学生語として使われたものらしい。それ
そうした言語の規範の侵害という点で、アリスの驚愕の甚だしさ
を表すことはできないから、他の表現にかえる、
をさらに発音を間違えさせる、そんなところに独訳者の工夫もあ
つまり驚きを強
くあらわす言葉を使うしかない。ただこの場合、 言葉のシラブル
ではロシア語ではどうか。
ったようだ。
︵角︶変 で こ り ん な の 、 お か し い の 1
国89ぢ錦国ぴ目。国趙僅臣目。回
を か え る と いう工夫をしている訳者もい る 。
︵ちくま︶奇妙れてきつ!奇妙れてきつ!
いずれにせよ、仏語・独語・ロシア語の訳者もそれぞれに工夫
窪旨ぴ日。邸の比較級αo自げ日。などの変化が混入したものか。
。昌櫛口属ooになる。O弓釦国げ目㊦というのは言うまでもなく誤りだ。
英語の。鶏δ騒はロシア語では。弓鎚国緊陣だが比較級は
ロシア語の場合はど
︵河︶ますます、妙だわ、ちきりんよ!
︵集︶てこへん、へんてこ!
︵新︶へんてこんて、へんてこんてえ1
英 語 と 共 通 する言語構造を持つ仏語、独語 、
一 102 一
している。
正 意味を二重に掛けた言葉遊び
術のいろいろ、つまり野心︵足し算︶、気晴らし︵引き算︶、醜
悪化︵掛け算︶、それと嘲笑︵割り算ご︵bニミ臭話刈︶
ここでも国oo目昌σq︵よろめく︶11漏話象ロαq︵読むこと︶、壽屋ぼ昌σq
名前といえる。さてこの動物が自分の教育を自慢していう。
いう名前なので、真実と虚構の逆転したこの世界にはふさわしい
き回っても一向に差し支えばない。ただこの場合は、﹁にせ亀﹂と
ドも手足を持って動くこの世界では、料理の名前が動物として動
け心は料理の名前を実在の動物名にしたことだ。トランプのカー
ッポン・スープで、子牛の頭のスープだそうだ。キャロルのふざ
全く亀の呼称ではないということだ。日oo断言昌δとはにせのス
しておきたいことは、ウミガメモドキ︵り画OO犀⇔‘N評一〇︶というのは
ば、初等教育がパロディー化されているといっていい。なお注意
教科が人間社会の初等教育と重ねられている。それによっていわ
するところだ。そこでは、ウミガメモドキらしい海の中で受ける
ガメモドキの物語﹂のウミガメモドキが自分の受けた教育を自慢
もっとも多用されている手法だ。そのなかでも傑作なのが、﹁ウミ
ざまな話術において用いられることだろう。キャロルにおいても
ても相手を愚弄する、茶化す、手玉に取る、皮肉るといったさま
せるのはやや苦しいというべきかもしれない。角川文庫のものは、
いるといえるが、それでも﹁よろけ方トから﹁読み方﹂を連想さ
意味がずれるのは仕方がない。ただ旺文社の訳はかなり工夫して
いずれの訳語も読み方と書き方をそのなかに含んでいる。勿論、
︵旺︶よろけ方と、もがき方
︵新︶酔いかた掻きかた
︵集︶飲み方、炊き方
︵河︶酔いかたとかみかた
は英語に倣って、ふたつの意味が重ねられた訳語にする。
用した。しかし訳語となるとこれまた極めて難しい。まず邦訳で
日常的に体験するところだ。そうした機微をキャロルはうまく利
うに、ちょっとした綴の変更で全く異なった意味になる、これは
たうち﹂というものになるというところに滑稽さが潜む。このよ
からいっている。ただ海の動物だからそれは﹁よろめき﹂とか﹁の
としての読み書きいわば基礎教育も受けているということを裏側
重ねられている。モック・タートルの自慢は、海に棲息する動物
︵のたうつ︶”爵匡昌αq ︵書くこと︶というように、おもしろく
.ぎ。犀口αq曽昌里謡辟匿口恥oh8ロ冨。讐8げ。管詔診ぼ㌔昏。竃8閃
ルビを振ることで、この困難を回避しようとするが、ルビ自体、
ひとつの言葉に二重の意味を与えるというのは、一.般的にいっ
犀邑¢ 器℃冨畠⋮♂昌画 酔げ。昌菅 島監げ器暮 ぴ話口。げ雷 亀
ロ。昌⑳ぢ戸..﹁もちろん、まず始めによろめき︵読むこと︶・のた
変わったのではちくま文庫のもの。これはいつそのこと不可能
︵角︶よろめき方にもだえ方
リユリング ライジング
匿爵目9甘一昏営8P ロ謎育零甚平﹁dσq姦盗馨P 凶口傷 ちょっと解読困難ではないだろうか。
うつこと︵書くこと︶、とウミガメモドキは答えた、それから算
一 103 一
への挑戦は放棄して、搦め手から行こうというわけで、いわば英
文 の こ こ ろ をとって訳すと言うもの。
曾︸崔ΩP⇔腱訂碧菖oPq量薗註。口り薗至心⇔o匡。ざ口・
これは容易にわかるように、︸目ぼ菖。ロ︵野心︶には﹀侮三吟。昌
言う具合に二重にもじりを重ねているところに工夫がある。もち
海洋感字は海洋漢字のもじり、海洋漢字は当用漢字のもじりと
る。なお、d㈹冒ゆ$寓8という言葉は、bd雷9与から
算︶が⇔o昌。・δロ︵嘲笑︶にはU貯邑8︵割り算︶が掛けられてい
算︶が、dσqロ自$試8︵醜くすること︶には寓巳葺覧要論葺。μ︵掛け
︵足し算﹀が、Uδ珪舘鵠。昌︵気晴らし︶にはω&訂器註。昌︵引き
ろん、原文の意味からは大きく離れるにしても、そこに一種の知
虚髓香フ9ご昌がつくられているように、坦αq犀塗から創られたも
︵ちくま︶海洋感字の読み書き
的遊びをもりこめればいいというわけだ。それでは仏語、独語、
独訳は二三03。。8β巳侮塁困冨巨oZ昏。冒。ぽだが、正直言っ
うだ。
いうわけだか解らないが、原文とはかなり離れてしまっているよ
アンスは全くなくなってしまう。ところで独訳だが、これはどう
をかける。しかし、これでは海の動物らしい基礎教育というニュ
に年。︵読む︶をかける。冒巴皆。︵悪くいう︶に仙自貯①︵書く︶
まず仏訳の場合 壁忠目a貯。となっている。 目糞。︵笑う︶
な意味を持っている。ここでもシニフィエとシニフィアンの結び
本的教育が野心、気晴らし、醜化、嘲笑というのはなかなか皮肉
だろう。こうした二つの言葉の共鳴は偶然的なものだろうが、基
背後に暗示させるこれらの言葉はそれなりの意味を持っているの
造語のように響いて、機知を響かせることもあったろう。算術を
ある。小生所有の研究社の新英和大辞典第四版にはない。従って、
が遡る。また口αq崔ぼ碑葺。ロという名詞が登録されていない辞書も
つくられた言葉らしい。国。薄野臣$鼠。ロのほうは一六世紀に初出
のだ。oゆOUによれば一八二〇年が初出というから、比較的新しく
てこれはよくわからない。直訳すれば、大きい膀の痛みと小さい
つきが強固なので翻訳は非常に困難と言える。では邦訳ではそれ
ロシア語ではどうか。
膀の痛みということだが、さっぱりわからない。独奏の不可解さ
らの困難にどう対処したか。
︵角︶野心算、失意算、台無算、嘲笑算
アンビション ディストラクション アグリフイケユシヨン デリジ ヨ ン
はその次にも続く。その点についてはすぐあとに触れる。
d国図帥自剛国昌国貝自国
角川文庫のこの翻訳では算をそれぞれに付して、かろうじて算
補っている。ちくま文庫は相変わらず、大胆に変換した。ここで
これは露訳だが、ここでは幽三図角自国︵くしゃみをした︶に油類弓踊り
けられている。この葺合でも仏訳と同じ問題がある。さてこの読
は必ずしもいわゆる算術四則にこだわらず、数学一般に拡大して
術に係わる語であることを示している。そして英語をルビにして
み書きの問題に続いては、いわゆる日本語でいえば﹁読み書き算
いる。
︵読む︶と、口口眉餌自麟︵不平を言った︶に目昌。讐♂︵書く︶がか
盤 ﹂ の ﹁ 算 盤﹂に相当する言葉がくる。
一 104 一
bd
野心を大志と訳し、タシとルビでよませたのは成功していると
︵新︶大志算、贔辰算、見せカケ算、よワリ算
新潮文庫版はなかなかの工夫を見せている。
︵集︶だし算、御酒算、ひっかけ算に水わり算
と同工異曲といえるが、大体においてお酒に連想づけている。
肉をもりこんで面白い。次の集英社文庫のものはこの河出文庫版
ケ算・ワリ算をたくみに⋮織り込んで言葉を作っている。意味も皮
まあなんという、訳者自身の言葉遊びか。タシ算・シキ算・カ
ッカケ算、クルクルメガマワリ算
︵河︶イイコノワタシ算、ワルイコノソウシキ算,イッパイヒ
者の工夫は凄まじい。
れば可としなければならないだろう。とにかくこのあたりの邦訳
どんなにかけ離れて見えようとも、ユーモアの創出に成功してい
ている。重要なことは、言葉遊びが仕掛けるユーモ.アにある以上、
のそれぞれのもじり。そしてそれぞれに皮肉なニュアンスをこめ
なく鶴亀算のもじり、因数分海は因数分解、侮数計算は分数計算
海程式は海底と方程式を結びつけたもの、釣亀算はいうまでも
︵ ち く ま︶海程式、釣亀算、因数分 海 、 侮 数 計 算
にも出てくるのだが、全く原典からは離れている。
るということなのだろう。このことはこのあとのアリスとの対話
にか。ぎ諺暮Nとは質に入れることだから、これは家を質に入れ
のことだが、言葉の漿果とはなにか。さらに国碧磐霞鶏欝とはな
はよくわからない。切①霞。というのは漿果、いちごやぶどうなど
げ‘昌αq︵正書法︶にでもなるか。しかし o自一碧げ。ぎ。Φ器というの
ω。ぽα器。冨①ま。目︵美しく書く︶、男。。窪超①浮二八σqは国①。崔駐。ぼ£
種﹂に変えられている。oD。ゴα昌。。。げ≦Φ浄ロ︵美しく反らせる︶は
この音訳においては、原典の﹁算術﹂が﹁ドイツ語と全ての亜
。・冨子嚴躍唱9莚島。嵜8富舘昌島出櫛蕾≦藷暮薗
Uo鐸訂。げ彪昌山巴 od口盆冨詳。β一qαo﹃αロ器薯。臣炉寄。げ寸
数四則だったのにたいして、独訳ではつぎのようになっている。
修科目というのはどんなものかと聞く。それに対しての答えが算
自分.は必修科目だけは受けたというのをうけて、アリスがその必
る。一寸そこらあたりを引用しよう。原典ではウミガメもどきが
独語はこれまたまったく原典とはかけ離れた翻訳へと雪起い出
﹃巴詠笛富銘。頃︵B巳甘甘ぎ謡。巳。⇔U仙ユ滋養︵三聖8昌︶
含巳 ﹀日ぴ智ざ昌 ︵陣目ぴ註。蔓 一掃。。曾三拝曾 盆2雪転。匡。巳
だ。仏語はほとんどそのままでいい。
かいでいしき つりかめざん ぶすう
いえよう。しかし成功はそこまでで、以下は原典から離れてしま
さてこの秘隠の勝手気ままなやくしぶりに圧倒されて、ロシア
タ シ ヒ キ
み き
う。ここでいっそのこと、算術四則などにこだわらずにいこうと
語訳に目を転じると、ロシア語訳ははるかに忠実なのにほっとす
る。
鯨O︼円国O
︵乞簿巳田︶O開自適n雷国♂ξ圏昌国臣ρ<艮国鵠国田国昌。・国産。・
いうのが、次の旺文社文庫版か。算術の四則からは加法、減法の
法を方としてとって、あとは意味だけにこだわる。
︵旺︶のぞみ方、はらし方、ばかし方、なぶり方
フランス語、ドイツ語、ロシア語は日本語に比べれば楽なはず
一 105 一
ここでO犀。墓雷旨①︵滑ること︶は。員。萸①踏旨。︵足し算︶だし、
口も目直嵩”属国。︵号泣︶は団三国轟国国。︵引き算︶であり、<呂国員①国国。
︵感動︶は遵餌。舅。属属㊦︵掛け算︶国ω出①冒。舅。目。︵疲労消壷︶は
狛。筒Φ国国①︵割り算︶となる。なおロシア語訳にはこのところでも、
欄外に言葉遊びについて丁寧な註がつけられている。
なお亀.もどきの言葉遊びは学習の学科をめぐって続けられる。
B壽戸昏霞。舞。寓二選望、−昏。冒。魚介巳曾呂冨9
8縄暮巨σqo南昏①ロ豊09。。oロ匿自碧冨話憎騎、,,置矯日自学量
フランス語で目望。・酔。越は目嘱。・酔曾。だから歴史ぽ。・8貯。と音が
かけ離れるので、げ貯け。甘①と音の近い象牙︵引くOμ尾O︶を選んだもの
か。ただこの象牙という言葉から歴史が連想されるだろうか。さ
て独訳だが、この場合も大きく離れる。
︵冒。巴V国剛き。霞昏巳。目騨ロ昌島。﹃昌。の。巨m鴨凹﹃β
これは﹁あわ立ち生クリームつきの、またそれのないいちご栽
培法﹂とでもなるか。いずれにせよ原文の意味はまったくここか
らはうかがわれないといっていい。
99ロ909魯昌島日6住。旨6ミ一爵のom5鴨聖恩ξ”茜。昌U厚様目口σ◎⋮昏。 ︵出塁◎昌丁重︶泪噂雷国。陣著。皇国国国泪”雷国。冒団霞爵
ローマ﹂がでてきたというわけだ。
︵神話︶をかけたものだろう。その連想で﹁古代ギリシャと古代
代ギリシャと古代ローマ﹂と訳している。これはも麟曾匡に旨国脅匿
口H琶ロ﹃Q−目雷8H類三軸59隣8口二月、oor昏9。⇔口。・巴88目 。ロシア語訳では重器8昌をも旨仔国︵暗礁︶と訳し、続けて﹁古
o口8陣記oo厨同。冨ロ管酔蕊⇔鳳9零=口σq”oα言08ぼ昌鱒簿七島
三巴一一σq宣Oo濠︵︾・≦こ図旨刈︶
ここでも訳は実にさまざまだ。まず 寓矯。。審§陣昌。δ暮騨巳
まえていっていることは明らか。だが訳はどういうわけか、さま
だ。−鴨碧ξは記述的学問を示す接尾辞だから、ここでは意味と
の造語だろう。Ωφoσq巴碧ゴ同︵地理︶のもじりであることは明らか
さて学習科目のひとつqD雷。σqH碧ゲ団だが、この言葉はキャロル
ざまな.訳が現れている。
しては海の様相を叙述する学問という意味だ。簡単な言葉だが、
言。島①諺︵神秘それも古代と現代の神秘︶は閏溢8昌︵歴史︶をふ
︵角︶古代秘密と現代秘密︵ちくま︶古代と近代の慨然︵河︶
ここでも邦訳は多様だ。
露訳は﹁海﹂のかわりに泥を持って来た。
︵皆琶 鼠置曾。窟質匡① ︵冒器弓 oΩ①8署.冨
なら醤電、ドイツ語ならq慶$をもってくればよい。
一方仏・独訳は英語の。瞬。岱をそのままかえたもの。フランス語
地学︵新︶汐理学
シオグラフィ
︵角︶海理学︵ちくま︶海理学︵河﹀世界チリヂリ︵集︶海底
シオ グラフィ
古代の溺死と現代の溺死︵集︶古代、近代ミステリ︵新︶古代
と現代の霊奇史
礫史、溺死、霊奇史には歴史が踏まえられている。そこに訳者
の工夫もあったのだ。
仏訳はどういうわけか、日曳。自ε昌が冒。ぼ。︵象牙︶になってい
る。
︵ぽ自。︶HぐO骨Obロ90ロ函南くOぼO蜜O侮①旨O
一 106 一
さらに電気ウナギがおしえてくれる学科︼︶暴零巨gq・
泥沼学とでもいおうか。
︵2魯巳6V 犀 角 。 。 国 。 口 調 爵 田 δ
沿っていると言える。それにたいして素雪はどういうわけか、
かける。勿論完全ではないにせよ、これらの訳は原文の意図には
りをする︶と訳して勺。首脅①似財餌ρ5胃巴Φ︵水彩で描く︶にひっ
は辞書に登録されてはいないが、寓婁霞が拷問とか苦難と言う
U暴乱貯σqを崔帥詳①月鉾ヨ皆げと訳した。もちろんこんなドイツ語
をのばしてゆっくり話すこと、形容詞ではのろの・うした︶は
意味だとすれば、﹁拷問・苦難が私を襲えよかし﹂とでもいう意味
轣B言ぼ口αq・国章口酔言可﹃口Oo出。についてだが、露岩≦犀昌αq︵母音
U冨毒貯αΩ︵絵をかくこと︶のもじりだ。以下ずっと絵画に関する
になるのではないか。 一応そう理解してその先を見れば、
熈@8巨口ぴqや局勢貯酔貯σq宣09﹃の訳語であるべき語がいずれも
もじりの言葉となっている。そこでU財9。乱言σqは
ド ロ リング
︵角︶のびのび臥︵ちくま︶蛤作︵河︶躁病法︵集︶伸び絵︵新︶
と︶をふまえる。
次の。ロ言。言巨激闘︵引き伸ばす︶は。。寄酔9旨αΩ︵スケッチするこ
な ど の さ まざまな訳がでてくる。
し絵︵新﹀海画・衰彩画
訳も同じだ。露訳は︼︶噌弩犀ロαqを竃胃ぴ麟害舞①鑓︵ふきたんぽぽ
従って独訳は全く関係のないものに化している。その点では露
笑いのめす︶
︵意味はともに苦しむ、あくせく働く、はげが拡がる、破壊を
N昌。◎9日目。口ρ麟9,ぜPき目葺﹃oP昏匡降。﹃器ロ面割傷弱尾口包邑9、o﹃o巨
ぞうした意昧のも.とに統一されているように思える。
︵角︶のろのろ早宮︵ちくま︶貝画︵河︶図画島工作︵集︶流
腺病画
一これは薬用植物︶となっている。さらにそのあとには
ところでこの箇所では絵画に関係づけて訳したのは仏訳だけで、
ガマの油で絵.を描く︵集︶糸釣り絵︵新︶遊彩画
︵角︶とぐろ 臥 ︵ちくま︶捻努細工︵河︶ガマブラエ“
9げ︵油絵︶。
てそうしたものに逃げ込んだのかどうかわからないが、まあ、日
関係がない内容になっている。独訳にせよ、露訳にせよ訳しかね
う。e舘国畠。§属は観相学のことで、いずれにせよ原文とは全く
ら竪国岩匡。旨。昌国昌は恐らく日豊昌3頃。岩。起旨国︵三角法︶のことだろ
弓窟昆。顕。目Φ唇属旨とe塁国。馨ロ臼麟という言葉が続く。
フ お イ ン ヂィングのインのコイル ねん ど き い く
独訳と露訳は全く異なった意昧を与えている。仏訳を最初にみる
皿 諺など、内容と形式の結合がより強いもののパロディーの
ろう。
本での翻訳の忠実さというものが逆に浮かび上がるとも言えるだ
ストレ ッチング ニうきく
国画暮巨σq貯O&。駐︵とぐろをまいて気絶する︶ は℃量5。σq5.
Q駿
と、⇔窮≦笹生αqはピ雰聖王︵けちけちする︶と訳す。これは島。器巨零
︵デッサンをする︶にかけている。oDす。言げ言σqは厚oρ二霞︵交換
する︶と訳す。これは自oρ崖霞︵クロキーに描く︶を暗示する。
さらに周巴美言讐昌Ooロ。。は周。貯脅①激賛寓霞①員。︵石蹴りするふ
一一 @107 一
o慶
翻訳はこれまた困難だ。
いるようだ。とくに角川文庫、ちくま文庫、新潮文庫にそれが明
の武士の名乗りのパロディーになっている。﹁目にも﹂を﹁意味を﹂
らかだが、傑作なのはちくま文庫のものだろう。これは万人周知
爵 o B 。 自 。 τ o。。. ︵㌧r.≦、HHμM嗣α︶
に換えた。厳密にいえば、原典の意味と正確に対応はしないかも
目艮。。母。書芸。叢丸紅、鋤藩臣①毎職量乱=群①。震・。h
こ れ は 次 の諺の言い替えだ。
しれないが、しかし機知の創り方においては十分原典の意図をつ
たえているといえる。新潮文庫もまた慣用句をうまく生かして見
日量。器。=冨舌早き葺違濫燃鉱酬毛白爵:器。h
爵①目。駐07$・ ︵一ペンスを節制すれば、おのずと大金は集まつ
せた。
仏訳、昆劇、露訳は大体おなじようだ。
てくる︶
キャロルは℃①口8を。・①ロω①に、娼oρ口説を。・o鎧特筆に換えること
︵ま津oVO8遍。脱ぎ話島g。・窪。。甥。酔8。・目9q。。。.o。2冨3暮
︵冒Φ巴の。お。臣9ロ霞詳覧q器謬。・多目山q法類貯ぎ日量けぐ。口
で、パロディーとした。いかにもイギリス人らしい処世訓的世間
のずと言葉の響きはやってくるというのだ。これは内容としては
¢重げq。立
島閣①‘×・H員⑪目5堕・
たいしたことはないが、翻訳は難しい。こんなにうまい具合に全
︵乞隅蝦犀餌︶餐曽邸oo呂筆意ρ麟自。臣昌国碧8蜜国
智の意味から、文学的なものに換えた。意味に気をつければ、お
く同じ文章がPをsに換えただけで、意味が換わってしまうなど
︵新︶以心伝心、声は二の次
出てくるよ
︵集︶ことばの意味に気をつけなさい。そうすりや声も正しく
じにするであろう
︵河︶意味をだいじにせよ、そうすれば音は自分で自分をだい
︵ちくま︶遠からん者は音にも聞け、近くば寄って意味を見よ
︵角︶意味に気をつけよ、さすれば音は自ずからきまる
者はどう挑戦したか。
となるとこれは困難極まりないだろう。ではこの困難に日本の訳
︵角︶どえらくかにをつかまえたものさ︵オールをこぎそこね
目げ鉾≦9。。n牌巳80旨げ矯。ロ畠昌σq匿一︵b。︵ミく団⇔獣︶
なる。
という意味がわからないとここの面白みは解らないと言うことに
の面白みがあるわけだが、オールを漕いでいて、カニを捕まえる
両者の会話は各自の理解の線に沿って進行する。そこにこの箇所
する。アリスにはその意味がわからない。文字通りカニととる。
がボートを漕いで下って行く。羊がカニを掴まえないようと注意
これは﹃鏡の国のアリス﹄からだが、羊とともに小川をアリス
W 慣用句を利用したしゃれ
ということはそうあるものではない。そこに⋮機知が潜むが、翻訳
全体として諺という形式を何とか保ちたいという工夫が現れて
一 108 一一
︵僧︶みごとにかいをとられたもんだね
︵新︶そら、カニさんにわらわれた!
︵ちくま︶ほれ、蟹の横這いじゃないか!
︵福︶たいそうみごとにかいを取られたね!
たこと︶
のをつぎつぎにあげる。
という字のつくものなら、なんでも描くといって、Mで始まるも
の底で生活している姉妹の話をする。姉妹は絵を習っていて、M
ネズミとアリスが茶会をしている。その時のネムリネズミが井戸
﹃不思議の国のアリス﹄第七章に浮かれネズミと帽子屋と眠り
V 一種の連想ゲーム的言葉遊びにおいて
oぎ暮巨αΩ闘魂9管。。三曲ぽ薗ロ寓.・.﹄暮け器日2器・貯碧P
。簿島騨⇔鎚げとは慣用句で漕ぎ損ねてオールが水にひっかかる
ことをいう。水中のカニがオールを離さないという戯言からきた
している。
点に気をくばったものだろう。なお、仏訳、独訳はそのままに訳
のニュアンスは伝わらない。ちくま文庫、新潮文庫の訳者はその
の場合、一番無難なのは英語の発音をルビにして、日本語による
目本語においても↓致することはほとんどないからだ。そこでこ
遊びもまた直訳はほとんど不可能だ。頭文字Mと意味のふたつが
これは一種の連想ゲームといっていいだろう。このような言葉
弩鼻冨08戸9注目。目。§胃二目ぎ冨$。︵kP・宅、ぐHH︼.O臨9︶
︵ま岸。︶冒9。毒貯暮卜定曾﹄ずδ口U o 居 。 岩 冨
意味につける。あるいはいっそのこと、英語をそのままつける。
ものだろうというが、裏の意味だけを表現したのではそのあたり
︵冒器一︶U僧冨。・貯含暮霞。旦肖。・。ぽ。,口。口国3ぴq・αqo律鵠。昌
たとえば、
り︵日。郵。。o,書舗。・︶月︵目ooロ︶記憶︵目。巨。越Vそれからまあま
︵角︶Mの字で始まるものは、みんなです⋮たとえば鼠と
どっさりなど
マ ッ チネス
︵集︶Mで始まるのは、たとえばネズミとり、お月さん、記憶、
マウスロトラップ ム ン メモリ ただフランス語やドイツ語にはこのような慣用句がないから、
言い替えには問題がないとしても、独仏の読者には正確な意味は
伝わるはずもないだろう。言語構造の近親性が逆に翻訳において、
工夫を欠くということの一例がここにあるといえる。 一方露訳で
は、そのような点を考慮してだろうか、間接的な表現の理解困難
匂qo℃o臣は烏のことで、ときに阿呆という罵りにもなる。つま
︵署陶百冨︶缶団国g愛国巴
ることにする。これなら全く問題はない。
そこでMのかわりにたとえば﹁ね﹂をもってきて、それで統一す
訳者によっては、そのような抜け道を潔しとしないひともいる。
あ︵H口賃OけHPO口自O︶などです
り露訳はそのものずばりで羊の皮肉を直接的に﹁阿呆!﹂とする
︵ちくま︶ねの字ではじまるものはぜんぶです⋮たとえば
を 避 け て 、 端的な罵りに変えた。
こ と で 、 テキストを一挙に読者に近づけ た と い え る 。
鼠捕り、ねぼすけ、念力、ねほりはほり
ねんウき
一 109 一
︵河︶ネではじまるものならなんでも⋮たとえばネズミト
リとか、ネムノキとか、ネンリキとか、ネッキリとか
この場合、﹁ね﹂で始まる言葉のどのようなものを選ぶか、セン
スがとわれることになるだろう。それならいっそのこと、Mで統
一し、しかも意味をもすくい上げる工夫をしようではないかとい
う わ け で 、 一肌ぬいだのが、矢川訳だ。
︵新︶マのつくものならなんでも⋮まりつきネズミだの、
数量詞をならべるなど、
える.。
原典の精神を重んじている訳しぶりとい
珊 全く奇想天外の造語詩への挑戦
キャロルの作品の中に出てくる詩のなかでも、特に翻訳家にと
りて手ごわいのは、﹃鏡の国のアリス﹄のジャバウオッキ
酷頃国歩OO昏という詩だろう。これはまったくの造語詩だ。
れの工夫がみものだ。
の連想ゲームにはなんらかの機知が必要だ。その点で訳者それぞ
ろうと努力している。いうまでもないことだが、このような場合
さすが意味が完全に一致とまではいかない那、極力近似値を創
る。
ないだろう。ここではとりあえず、原詩の最初の一節だけをあげ
もないのだから、これは結局、訳者が自信の考えでっくるほかは
で造ったような.詩だ。従って、それに対応する訳語などあるわけ
につめこんだような言葉で作ったといっている。まるでブロック
キャロルは旅行カバンのように二つの概念をひとつの言葉のなか
仏独露訳の場合も全く同じことが言える。
項司遊げ睦αq剛勤口島。暮ξ8≦Ψo
説明によれば、ぴ邑犀聾暮とげぎ臣言αq︵肉を表る︶の合成語で、輝
一 110 一
まんまるお月さんだの、孫の手だの、まるごとだの
フランス語はaで、ドイツ語はsで、ロシア語は原典に忠実に
葭B一Bo賢司96昏6げ。囑。碧くoqロ
U達題器①日侮量ビ巨匪①類簿げ。“
︵ま一ざ︶9。←画$暮幹量娼。・日。ぎぼ。。。︵はえとり草︶”麟$麟。野芒看・
㌧百傷臣。目。目。旨爵oo四更昏。︵b・O、ぐ口髭ρ♂︶
mで統早した。
︵星宿﹀り侮。。櫛時。菖O匿︵愛情︶﹄o。9.弓。鐸傾盃。︵いい加減のこ
るのにとどめたわけだ。この詩の意味については、幸い作品のな
この詩はなお続くのだが、第一連が特に難解なのでこれをあげ
︵H島。ご q自←oゆ下直浮。置︵鎌鷺足︶琶高ooo口器 ︵太陽︶自巳
かに解説がある.のであるていどは推測がつく。とにかく言葉をブ
と︶
noげOおO︵魂への配慮・司牧﹀ 万口“000浮。・臣O霊︵自己自身︶
ロックのように結び付けているので、そのブロックの単位からし
以上の訳のなかで露訳は結構忠実に訳しているようだ。また仏
かしい肉を料理する時というので、午後四時ごろを指す。Q。年ξ
てときほこしてゆかねばなるまい。まず最初の全霊おというのは
訳でも、ネズミ捕りとはえとり草との類似のほか、天体、抽象語、
緒雪。緒胃国是︵数学ン属国。興。自国。︵多数︶
︵Z碧犀聖日←匿屠095国謁国︵ネズミ捕り︶鳩揖。富月︵月︶鳩
0ロ
さてこのへんてこ極まりない詩の訳やいかんということで以下
まはるかの中に環動穿孔
は一諄①拶昌貸。。岸日気づまり扉ザ。︵しなやか、柔軟︶に。・崔日網︵泥
のようなものといって、それら三つの特性をもつという。そして
すべて哀弱ぼろ鳥のむれ
見てみよう。
かれらは日時計のもとで生活し、チーズを食べて生きているとい
やからのうースぞ胞価したる
まみれの︶を合成、ぬるぬるして柔軟なと言うほどの意味。
う。 O饗。はジャイロスコープのように回転するものだし、
︵福︶ときしもぶりにく、しねばいトーブが、
︵角︶あぶりの時にトーヴしならか
毎目三〇はαq一旨げ♂静︵T字型ねじきり︶のようなもの。 壽げ①は
くるくるじゃいれば、もながをきりれば、
犀く①。・はげ巴㎎Φ誘︵穴熊︶ぼ㊤巳。。︵トカゲ︶8爵。陰。器毛。・︵栓抜き︶
日時計のまわりの草地のこと、目一日白。層は好目。。気9ロ俵暮δ①話菖。
すっべらじめなポロドンキン、
ちからのピギミイふんだべく。
つ ま り 脆 い、薄つべらなそして哀れなと い う こ と 。
⇔コ。同。鵬。<oq。は9。夢貯。慶げ餌げξ,♂o置昌㎎ぼa零#ケ騨。・紫雲げ。屡
えでたるとんじらほしゃずりけり
いともかよわれなりしぼろぐろげら
前後突角に転し濁しけり
焼く夕暮れがきて、︶
。置昌曝qo暮巴ζo鐸昌鋤i8目騨ぽ昌αq匡犀。9ロ<Φ日。も︵痩せた、み ︵ちくま︶あぶりぐれきたりて ぬらたかなるとなげら︵肉を
すぼらしい、羽が四方につきでた、モップ雑巾のような鳥︶だと
いう。男暮︾は緑のブタ、目。巳。は守。岩7。巳。の省略形、つまり
日。日㊦蜀爵のは道を失った緑のブタだ。O碁σq舞げ置㈹はキャロルは
。暮αq嵐まぎ讐と言いなおして、それはげ巴。≦貯αq︵吼える︶と
︵新︶ゆうまだきらら しなねばトオブ︵夕方はやく、輝く時、
しなしなして、ねばねばしたトオブ︶
毛匡。。註昌げq︵口笛を吹く︶の中間でクシャミをするようなものと説
明している。
まわるかのうち じゃいってきりる︵回転して錐のように穴を
あける︶
以上を踏まえて拙訳をこころみてみれば大体次のような意味に
なるかと思う。
いちかよわれの おんボロゴオヴ︵弱ったぼろぼろのボロゴオ
ヴV
輝 か し い 料理の時、ねばねばした、しな や か な 、
穴 熊 と も 、トカゲとも栓抜きともいえる ト ー ブ が 、
え、くしゃみしつつ
ちでたるラアス ほさめずりつつ ︵家を立ちいでた緑豚、ほ
モップのような痩せ鳥ボロゴオヴはどれもこれも弱っている
︵借︶ そはあぶときなり ぬらなやかなる︵それは肉をあぶ
日時計のあたりの草原で、くるくる回っては穴をあける
そして迷子の緑のブタ、ラースはくしゃみをしていた
一 111 一
。。
トーブらじゃいりぬ まひろきりして︵トーブら回転して入っ
曾冒︶
次は仏訳をみることにしよう。
は、吼え、くしゃみをし、あしずりをした︶
てきた、広い草原に錐の穴をあけて︶
目9聾讐Φロ器⋮げ。駐巴甘言。帽図酔。≦器
る時なり ぬめらかで、しなやかな︶
もろじめなるもの みなボロゴーブぞ
犀暮穿。同。昌国陣ロ牌貯ロニ。切げoNo鴨く$
O胃巴。暮。口=、邑巳巳09重訂。暮⋮
ら、ほえくしゃみしてさえずる︶
富qn︿霞。ぽ。口。ま際目淫。げ。巨口堕貯ロ“
やはなれラースら ほしゃみえずる︵やH家離れ、ラースら汝
︵角︶あぶりの時にトーヴしならか豆肉を表る時にトーヴはし
仏訳によれば、¢q尾ロげ。珪①というのは六時ごろ、つまり肉を
ま は る か の中に煽動穿孔︵回って、穴 を う が つ ︶
やか︶碧霞︵活発な︶8。言Φ長︵油状の、滑らかな︶の三つが入
鵯自零︵焼く︶し始める時間という。◎ゆ貯9①目×はの。ξ8︵しな
なやかに︶
すべて哀弱ぼろ鳥のむれ︵すべて哀れで弱い六事鳥の群︶
ったもの。O胃。尾はジャイロスコープのように回転するもの
く匡乞霞は出ロ。︿邑♂︵錐︶のように穴をあける、一、巴互巳。は日
や か ら の うースぞ胞博したる︵ブタは吼 え て い る ︶
︵福︶ときしもぶりにく、しねばいトーブが、︵時しも表り肉の
いる。国ぞ。器轟は博貯巳。と三巴冨①自①員からなる。︿曾。げ。鵠
時計から出発する並木道。ここには巴冨。とざヨが組み込まれて
くるくるじゃいれば、もながをきりれば、︵くるくる回転し、
はoo。げ。昌ぐ。昌︵緑の豚︶ま葺鵡百q慶はま日盛。矯診︵みちに迷った︶
時、しなやかでねばねばするト!ブが︶
すっべらじめなポロドンキン、
田。肩書匡巴。昌叶はげ。βαQδ尾︵牛が暗く︶。ゆ5霞︵口笛を吹く︶の二
譜曽は︵取り乱した︶も①巳口。。︵迷った︶の三語による造語。
︵ちくま︶あぶりぐれきたりて ぬらたかなるとなげら.︵肉を
つからなる。
ちからのピギミイふんだべく。
あぶる夕暮れがきて、ぬらぬらして、しなやかな、とかげのよう
る。ただ、原典では二語をカバン語としているが、仏訳では三語
以上みてきたところでは、仏訳はだいたい原典に忠実といって
一面穴を開けて回った︶
の概念を一語にいれている。では独学はどうか。
な ・ 穴 熊 の様な・栓抜きのようなものは ︶
いともかよわれなりしぼろぐろげら︵たいへんかよわいお前だ
∩昌器⇔
よいだろう。もちろん言葉自体は異なるが、精神は受け継いでい
つ た な 、 ぼろでぐうの毛をもつとりの よ う な も の ら ︶
ぐσ匡櫛匿菖σq詔鴛。。吻昌昌ユ唯薗。・器財①げ。口
前後普角に起し喫しけり︵まったく無我夢中のさまで、そこら
えでたるとんじらほしゃずりけり︵家をでて彷甘い出た豚児ら
一 112 一
O葭。冒重臣三角円二二団冒。冨暑9◎口岸”
ωo巳冨ロ‘げM︿2μ鳥二二蘭超一①o自富
閑09霞8μ碧回診財鹸陸BO①日99巳門罰
口℃居墨自旨︵跳ねた︶邸ob累旨旨。げ︵回転した︶からつくられる。目。
からの合成語でそのそれぞれの特性をもったもの、口端凶旨国。ぴは
は図。写塁︵臭猫︶と国揖魯国月観︵とかげ︶と逆順。目ob簿︵栓抜き︶
図員潤輿国Φは義国口閑国。︵もろい︶と員。寄目。︵巧妙な︶から、旨。も舅国
@旨δ鴻国は。。Φ昌。属図㊦蛋仁恕δ冨︵緑の七面鳥︶となる。寓δ屋一塁
着δ盟q田舞は砦δ臣白げ︵豚が捻った︶No要目帥自︵笑った︶から
ており、日時計のもと右にも左にも広がる草原のこと、
属牌器の国9国9は国引目b岱。︵右へ︶属卑幕切。︵左へ︶からつくられ
d口島自。窓げげ。昌ωOぽ類。綜巴ぼOぴ㊦昌
くσ巳悶蕩酔黄というのは食事をく霞量暮︵消化した︶がなお
q葺。・註σq︵のどの渇いた︶午後四時ごろという。O冨器は覧鉾e︵滑
らかな︶そして昌牌のの︵濡れた︶ヨ。げΦロだ。これはU碧げ。。㊦︵アナ
グマ︶のようなものであり、聞達舘冨①︵とかげ︶のようなものであ
り、国◎蒔①昌巳。ゲ霞︵栓抜き︶のようなもの。男。鉾①彦は同。註Φ器昌
は鳥であり、国匡。冨。︵道に迷った︶で、その羽はa①員臣㊦ 昌。も雷
もある。その鳥のようにうなり笑っているという意味だという。
︵哀れな鳥の羽︶のようであり、また器属麟閑 ︵枝隊︶のようで
Q①日餌昌犀は日時計のまわりの広場だという。国罫旨bは。富昌侮︵惨
露訳は全体としてかなり簡略化されているように思える。それに
で、速く回転する。Oo降甘ぽはすべてコルクをほがすもの、o甘
めな︶と薗星彩日営︵ぼろぼろの︶からなる。頃ピ。犀。毫直営犀はや
緑の豚はどういうわけか緑の七面鳥になっているし、また簿ロ︿o
まとめにかえて
えるかもしれない。
ヨob︵モップの生きもの︶が枝箒になっているのもロシア的とい
せた醜い烏で、生きたモップのようだ。oロ。げ零⑦貯9はσq急昌。
ωoげ毒①ぼ︵緑の豚︶、¢q昏げ㊦口は︿o日壽αq讐︵迷った︶であり、
博貯げΦ昌はb自。頴ロ︵吠える>Zδ器昌︵くしゃみをする︶からでき
ている。それに口笛が伴うという。以上独訳の場合も・原典にそく
し て 訳 し ているようだ。では露訳の場合 は ど う か 。
今回は言葉遊びを中心に問題を考えて見た。これはキャロルの
の翻訳にかかわる問題の一切であるはずはない。翻訳ということ
︵豪き冨︶
H三碧目。り口。国四国。’
を問題とするならば、さまざまな問題がそこに現れてくるはずで
翻訳の場合、とくに中心的部分を占める問題だとしてもそれがそ
国忌6慧昌国器自舅国u
ある。従って、このエッセイはあくまでもキャロル翻訳の一部分
国餌憾渥二恩。串・屡日切盟国。目obり属国
屠櫛閑国霞ω国興国切置O国。伽
でしかない。それも不十分な一部分であろうかと思う。なにしろ、
仏訳、国訳、露訳に関しては一種類しか資料を扱うことができな
⇔δ碧思碧。串は国碧周い︵煮る︶と畠Φ弓勢亭主︵輝く︶からつ
くられ、午後.四時置とびとが料理をする時刻となっている。
一1ユ3
。。
かった。この点は批判を免れないところだろう。現行の邦訳につ
いても全体を網羅することはできなかった。従ってこの風景はど
こまでも、筆者の小さいレンズに映じたものでしかない、しかし
筆者にはそれだけですでに楽しい風景であったことを申し述べて
筆をおくことにする。いうまでもなく、いっかまた、この風景を
より大きな、そして正確なものにできたらと願っている。
参考文献
楠本君恵﹃翻訳の国の﹁アリス﹂ールイス・キャロル翻訳史・
翻訳論1﹄未知谷、二〇〇一年三月
﹃別冊現代詩手帖 第一巻第二号 ルイス・キャロル﹄一九七
二年六月
︵本稿は二〇〇八年七月五日の日本比較文学会創立六〇周年記
念九州大会︿九州大学﹀におけるシンポジウム﹁文学の翻訳をめ
ぐって﹂の発表原稿に加筆訂正を施したものである︶
一 114 一
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