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タイの地方間格差:労働移動から考える

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タイの地方間格差:労働移動から考える
タイの地方間格差:労働移動から考える
池 本 幸 生 ・武 井 泉
はじめに
統 計 で見 る限 り、タイは地 域 格 差 の非 常 に大 きな国 である。その中 でも最 も平 均 所 得 の
低 いのが東 北 タイである。このことは繰 り返 し取 り上 げられ、東 北 タイは貧 しさの代 名 詞 のよ
うになっている。このイメージは正 しいのだろうか。本 稿 では、労 働 移 動 を分 析 することによ
って、このイメージは現 状 を正 確 には表 していないことを示 す。
労 働 移 動 (出 稼 ぎ i )は、貧 困 のイメージと密 接 に結 びついている。例 えば、田 舎 の「貧 し
い人 々」が家 族 を養 うために都 会 に「出 稼 ぎ」にやってきて、田 舎 にいる家 族 に送 金 する、
といったイメージである。しかし、労 働 移 動 はそれだけではない。人 生 の成 功 をかけて都 会
に出 て行 く若 者 にとって、都 会 は夢 と希 望 に溢 れた場 所 である。小 遣 い稼 ぎに都 会 に行 く
のかもしれない。このように多 様 であるべき労 働 移 動 という現 象 を貧 困 (所 得 格 差 )だけで
説 明 しようとするのは、誤 った理 解 に導 く。農 村 と都 市 の間 には大 きな所 得 格 差 が存 在 し、
所 得 格 差 によって労 働 移 動 を説 明 しようとすれば、その結 果 は、貧 しい農 村 の人 たちが豊
かな都 市 に出 稼 ぎに行 くという結 果 になるのは当 然 である。このことの問 題 点 は3つある。
ひとつは、農 村 を「開 発 すること」がこのことだけで正 当 化 されてしまうということである。実
際 には、農 家 の所 得 を増 やそうとして農 機 具 を買 わされ多 額 の借 金 を抱 え、そのために
「出 稼 ぎ」に行 っているのかもしれない。開 発 は貧 困 の原 因 なのかもしれない。そういうこと
を見 えにくくしてしまう。ふたつ目 は、上 述 のように労 働 移 動 の多 様 性 を見 ていないというこ
とである。そしてみっつ目 は、本 当 に支 援 を必 要 とする人 々を見 落 としてしまうかもしれない
ということである。例 えば、比 較 的 、平 均 所 得 の高 かった南 タイは開 発 政 策 では取 り残 され、
特 にマレーシア国 境 に近 い県 では貧 困 化 が進 み、それが治 安 悪 化 の要 因 のひとつとなっ
ている ii 。いずれの問 題 点 も、労 働 移 動 という多 様 な現 象 を、所 得 という限 られた情 報 だけ
で分 析 しようとするところに原 因 がある。正 しい情 報 的 基 礎 はもっと幅 広 いものでなければ
ならないし、人 々の暮 らしに視 点 を移 して、ケイパビリティの観 点 からアプローチする必 要 が
ある。
本 稿 の構 成 は次 の通 りである。次 節 では、まず東 北 タイとバンコクの所 得 格 差 を地 域 総
生 産 (GRP)で見 ればいかにその格 差 が大 きいかを示 す。第 2 節 では、社 会 経 済 調 査
(Socio-Economic Survey; 以 下 SES)を用 いて、世 帯 レベルの分 析 を行 なう。第 1 節 で
1
見 る大 きな地 方 間 格 差 とは違 うイメージが浮 かび上 がってくる。第 3 節 では、地 方 間 の労
働 移 動 者 数 を推 計 し、東 北 タイからバンコクへの労 働 移 動 はタイ全 体 の労 働 移 動 のごく
一 部 に過 ぎず、「貧 しい東 北 タイ」から洪 水 のようにバンコクへ押 し寄 せる「貧 しい人 々」と
いうイメージは適 切 ではないことを示 す。第 4 節 では、「貧 しい東 北 タイ」というイメージが作
られ、強 化 されていく様 子 を、1997 年 の経 済 危 機 を例 に示 す。最 後 は結 論 である。
1.地域総生産による格差分析
東 北 タイがタイの中 で最 も貧 しい地 域 であるというイメージを植 え付 けたのは地 域 総 生 産
(Gross Regional Products: GRP)の統 計 である。GRP をその地 方 の人 口 で割 ったもの、
すなわち、一 人 当 たり GRP がその地 方 の平 均 的 所 得 水 準 を表 すと考 える。表 1によると、
東 北 タイの一 人 当 たり GRP はバンコクの GRP の 12~13 パーセントでしかないこと、つま
り両 者 の格 差 は 8 倍 にも達 するということを示 している。このような大 きな地 方 間 格 差 は世
界 の中 でも極 めて珍 しいだろう。東 北 タイに次 いで所 得 水 準 が低 いのは北 タイであり、バン
コクの約 20%である。5 倍 という格 差 も世 界 的 に見 てもかなり高 い水 準 である。南 タイはバ
ンコクの約 30%であり、この数 字 だけを見 ると東 北 タイや北 タイなどに比 べて暮 らしはいい
ように見 えるかもしれないが、地 域 の中 を見 るとマレーシア国 境 近 くの県 で貧 困 化 が進 ん
でいるという現 実 は見 えない。中 部 タイに至 っては、90 年 代 半 ば以 降 、バンコクの 34.9%
から 63.5%まで順 調 に格 差 を縮 めてきている。
バンコクと東 北 タイとの間 のこのような大 きな格 差 が長 期 間 に渡 って継 続 している現 象 は
どう説 明 できるだろうか。経 済 学 的 には、二 重 経 済 モデルのように、労 働 が過 剰 で賃 金 の
低 い農 村 から、高 賃 金 が期 待 できる都 市 に大 量 の労 働 力 が移 動 し、その結 果 、農 村 の賃
金 は上 がり、都 市 の賃 金 は下 がり、所 得 格 差 は縮 小 し、労 働 移 動 も収 束 すると考 えられる。
このような調 整 メカニズムを妨 げる要 因 がタイの場 合 には作 用 していると考 えるべきなのだ
ろうか、それとも実 はすでに均 衡 していると見 なすべきなのだろうか。
2
表 1 地 域 総 生 産 (GRP)(単 位 :百 万 バーツ)
地方
バンコク
中部
北部
東北部
南部
項目
GRP
一人あたりGRP
人口(千人)
GRP
一人あたりGRP
人口(千人)
GRP
一人あたりGRP
人口(千人)
GRP
一人あたりGRP
人口(千人)
GRP
一人あたりGRP
人口(千人)
バンコクを100とした場合の値
中部
GRP
一人あたりGRP
北部
GRP
一人あたりGRP
東北部 GRP
一人あたりGRP
南部
GRP
一人あたりGRP
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003p
2004p
1,904,660 2,149,485 2,119,167 2,141,009 2,009,258 2,083,442 2,227,644 2,344,416 2,392,526 2,523,690 2,820,210
190,982 210,713 213,775 213,589 197,962 202,739 214,733 222,397 223,078 230,997 253,133
9,973
10,201
9,913
10,024
10,150
10,276
10,374
10,542
10,725
10,925
11,141
657,552 779,069 1,046,107 1,103,960 1,104,010 1,091,097 1,203,958 1,276,991 1,405,023 1,592,502 1,764,727
66,567
78,071 102,069 106,756 105,657 103,333 113,186 119,156 130,095 146,302 160,854
9,878
9,979
10,249
10,341
10,449
10,559
10,637
10,717
10,800
10,885
10,971
335,582 382,848 443,844 457,755 467,171 453,835 460,699 465,517 511,216 552,056 615,915
30,350
34,426
39,263
39,944
40,475
39,038
39,457
39,911
43,855
47,371
52,850
11,057
11,121
11,304
11,460
11,542
11,625
11,676
11,664
11,657
11,654
11,654
412,645 489,332 540,180 558,925 554,086 541,109 547,635 562,866 607,962 667,458 738,356
20,568
24,169
26,229
26,926
26,447
25,589
25,732
26,319
28,274
30,860
33,927
20,062
20,246
20,595
20,757
20,951
21,146
21,282
21,386
21,502
21,629
21,763
318,902 385,477 461,743 470,961 491,921 467,596 482,796 483,711 529,315 594,657 675,968
41,186
49,080
58,145
58,730
60,664
57,027
58,400
57,865
62,577
69,450
77,973
7,743
7,854
7,941
8,019
8,109
8,200
8,267
8,359
8,459
8,562
8,669
1994
34.5
34.9
17.6
15.9
21.7
10.8
16.7
21.6
1995
36.2
37.1
17.8
16.3
22.8
11.5
17.9
23.3
1996
49.4
47.7
20.9
18.4
25.5
12.3
21.8
27.2
1997
51.6
50.0
21.4
18.7
26.1
12.6
22.0
27.5
1998
54.9
53.4
23.3
20.4
27.6
13.4
24.5
30.6
1999
52.4
51.0
21.8
19.3
26.0
12.6
22.4
28.1
2000
54.0
52.7
20.7
18.4
24.6
12.0
21.7
27.2
2001
54.5
53.6
19.9
17.9
24.0
11.8
20.6
26.0
2002
58.7
58.3
21.4
19.7
25.4
12.7
22.1
28.1
2003p
63.1
63.3
21.9
20.5
26.4
13.4
23.6
30.1
2004p
62.6
63.5
21.8
20.9
26.2
13.4
24.0
30.8
(注 ) 2003 年 と 2004 年 は暫 定 値 。
(出 所 ) National Economic and Social Development Board (NESDB)、
http://www.nesdb.go.th/econSocial/macro/macro_eng.php
表2
GDP に占 めるシェア
(1) 農 業 (%)
(2) 非 農 業 (%)
就 業 者 に占 めるシェア
(3) 農 業 (%)
(4) 非 農 業 (%)
一 人 あたり GDP
(5) 農 業 (バーツ)
(6) 非 農 業 (バーツ)
(7) 格 差 (6)/(5)
ジニ係 数
農 業 と非 農 業 の生 産 性 格 差
1960
1970
1980
33.4
66.6
25.9
74.1
23.2
76.8
83.8
16.2
80.3
19.7
70.8
29.2
1,742
18,021
10.3
0.504
3,393
39,593
11.7
0.544
1990
1995
2000
12.5
87.5
11.1
88.9
10.4
89.6
64.0
36.0
51.4
48.6
44.4
55.6
27,728
235,253
8.5
0.403
36,743
253,074
6.9
0.340
9,657
13,836
77,271 172,189
8.0
12.4
0.475
0.515
(出 所 ) NESDB、http://www.nesdb.go.th/econSocial/macro/macro_eng.php、お
よび、タイ国 家 統 計 局 (National Statistic Office:NSO), Report of Labor Force
Survey , 各 年 。
3
農 村 部 と都 市 部 の所 得 格 差 の大 きさを示 す指 標 としてよく用 いられるものに農 業 部 門 と
非 農 業 部 門 の間 の生 産 性 格 差 がある(表 2を参 照 )。バンコクと東 北 タイの地 方 間 格 差 と
同 じほど驚 くべき格 差 の大 きさを表 すデータは、全 集 業 者 に占 める農 業 部 門 の極 めて高
い比 率 と、それとは対 照 的 に低 い GDP に占 めるシェアである。例 えば、1990 年 において
農 業 部 門 は全 集 業 者 の 64%を占 めているにもかかわらず、GDP に占 めるシェアはわずか
12.5%でしかない。このことが意 味 しているのは、一 人 当 り産 業 別 GDP で測 った産 業 別 の
生 産 性 は、農 業 部 門 で非 常 に低 く、非 農 業 部 門 で非 常 に高 いということである。表 2で最
も高 い値 を示 すのは 1990 年 の 12.4 倍 である。農 業 部 門 の生 産 は気 候 変 動 などによって
大 きな影 響 を受 けるため、この表 からトレンドを見 るには注 意 を要 するが、90 年 代 には両
部 門 間 の格 差 は縮 小 してきているように見 える。
このように大 きな生 産 性 格 差 は、それと同 様 に大 きな地 方 間 格 差 と密 接 に結 びついて
いる。なぜなら、非 農 業 部 門 はバンコクとその周 辺 部 に集 中 し、農 業 部 門 はその他 の地 方
で重 要 な産 業 であり続 けているからである。だから生 産 性 格 差 は地 方 間 格 差 に対 応 して、
大 きな値 を示 すことになる。
しかし、このような単 純 な統 計 は生 産 性 格 差 を過 大 評 価 する傾 向 がある。その理 由 のひ
とつは、労 働 投 入 量 が労 働 時 間 ではなく労 働 者 数 で計 測 されているためである。農 業 部
門 が農 繁 期 と農 閑 期 に分 かれることを考 えると、農 業 部 門 への労 働 投 入 は過 大 評 価 にな
っている。もし労 働 時 間 で測 れば、労 働 投 入 量 は減 り、それだけ農 業 部 門 の生 産 性 は上
昇 し、格 差 は縮 小 する。もうひとつの理 由 は、非 農 業 部 門 の生 産 が過 大 評 価 される傾 向
にあるためであるが、この点 については次 節 で論 じる。
1990 年 代 に農 業 部 門 と非 農 業 部 門 の間 の生 産 性 格 差 は目 覚 しく縮 小 し、2000 年 に
は 6.9 倍 まで低 下 したが、それでもこの数 字 は国 際 的 な水 準 から比 べればまだまだ高 い。
そのことを示 すために、生 産 性 のデータを用 いてジニ係 数 を計 算 してみた(表 2参 照 ) iii 。
ここでの仮 定 は、それぞれの部 門 内 で所 得 は平 等 に分 配 されているということであり、部 門
内 の不 平 等 を無 視 している点 で不 平 等 を過 小 評 価 する結 果 となっている。つまり、所 得 格
差 は生 産 性 格 差 よりもずっと大 きい値 を示 すはずである。そうであるなら、生 産 性 格 差 が
最 も大 きかった 1970 年 のジニ係 数 0.544 は、所 得 格 差 がそれ以 上 に大 きかったというこ
とを意 味 するはずである。しかし、実 際 には所 得 格 差 はこれよりずっと小 さかったのであり、
この推 論 は正 しくない。このことは、生 産 統 計 を用 いると所 得 格 差 を過 大 評 価 してしまうと
いうもうひとつの証 拠 である。
4
1990 年 代 は生 産 性 格 差 が縮 小 し、それ対 応 してジニ係 数 も 0.34 まで急 激 に低 下 した。
このことは、1990 年 代 に、タイが所 得 不 平 等 の転 換 点 を通 過 したということを示 唆 している
iv 。この転 換 点 は、クズネッツの逆
U 字 仮 説 と呼 ばれるもので、経 済 発 展 の初 期 段 階 では
格 差 は拡 大 し、その後 、格 差 は縮 小 するというものである。この転 換 点 は、日 本 や台 湾 な
どの研 究 では労 働 市 場 の転 換 点 、すなわち、過 剰 労 働 が消 滅 する時 点 と対 応 しているこ
とが示 されている。タイの労 働 市 場 が 90 年 代 に転 換 点 を迎 えたという可 能 性 は、農 村 部
で労 働 不 足 現 象 が 90 年 代 初 めに起 き始 めたことから窺 われる。労 働 移 動 の原 因 が、過
剰 労 働 によるプッシュ要 因 から、工 業 部 門 の拡 大 によるプル要 因 へと転 換 したとすれば、
労 働 移 動 の性 格 付 けに大 きな変 化 が生 じていたことになる。
2.労働移動を説明する指標は何か
もし東 北 タイからバンコクに移 動 するだけで所 得 が 8 倍 も増 加 するとしたら、誰 もがこぞっ
てバンコクに向 かい、東 北 タイに戻 ろうとする人 はいないだろう。しかし、多 くの人 々がバン
コクでの仕 事 をやめて、東 北 タイの村 に帰 って行 くことは広 く知 られている。考 えられる理
由 のひとつは、労 働 移 動 が単 に経 済 計 算 だけで行 われているわけではないからである。労
働 移 動 には、ライフサイクルに依 存 したいくつかのパターンがある v 。もうひとつの可 能 性 は、
実 際 にはマクロデータが示 すほどには地 方 間 の所 得 格 差 は大 きくないということである。仮
に所 得 格 差 がそれほど大 きければ、バンコクにある多 くの企 業 が、バンコクから低 賃 金 労
働 を求 めて地 方 に工 場 を移 転 すると考 えられるが、実 際 にはそうなってはいない。タイ政
府 は企 業 の地 方 移 転 を促 進 する政 策 を打 ち出 しているにも関 わらず、移 転 を行 った工 場
は少 ない。移 動 コストが低 く、人 々が頻 繁 にバンコクと地 方 の間 を移 動 している限 り、その
ような大 きな格 差 が長 期 間 継 続 することはないと考 えられる。農 村 と都 市 にそれぞれ分 断
された労 働 市 場 が存 在 しているのでもなく、ハリス=トダロ・モデルのように都 市 失 業 者 が
溢 れているような状 況 でもない。どこかで均 衡 していると考 えるのが常 識 的 である。
一 人 当 たり GRP のようなデータは、労 働 者 の移 動 の意 思 決 定 の分 析 のためには不 適 切
である。なぜなら、GRP には賃 金 以 外 に、労 働 者 に分 配 されない利 潤 などの項 目 が含 ま
れているからであり、そのような項 目 はバンコクに集 中 している。これは地 方 間 格 差 の一 側
面 であることは確 かであるが、その是 正 のためには地 方 間 で産 業 構 造 を同 じようにしていく
必 要 がある。しかし、産 業 立 地 は、港 へのアクセスといった地 理 的 な条 件 によって規 定 され
てくるため、産 業 立 地 が地 方 によって違 ってきても、それが不 公 正 であるとは必 ずしも言 え
5
ない。
GDP データを用 いることのもうひとつの弊 害 は、農 業 部 門 の GDP シェアが大 きいことが
後 進 性 の証 であり、農 業 部 門 を縮 小 させること(工 業 化 を進 めること)こそが開 発 であると
いう考 え方 を助 長 してしまうことである vi 。しかし、この考 え方 は農 村 での経 済 水 準 を過 小
評 価 することになる。農 村 部 の人 々の多 くが農 業 だけに従 事 し、農 業 活 動 からのみ所 得 を
得 ていると単 純 に仮 定 するのは適 切 ではない。全 人 口 の約 80%が農 村 部 に住 み、全 集
業 者 の約 40%が農 業 に従 事 しているということは、農 村 部 の多 くの人 たちは、非 農 業 活 動
に従 事 していることを意 味 する。実 際 、農 民 に分 類 される人 たちでも、その所 得 のかなりの
部 分 を非 農 業 活 動 から得 ている。農 村 経 済 が農 業 だけで成 り立 っているわけではなく、非
農 業 部 門 も大 きなシェアを占 めているのである。
本 節 での関 心 は、産 業 構 造 ではなく、労 働 者 が移 動 するときの判 断 材 料 とする所 得 格
差 である。それは、現 在 、農 村 で働 いて稼 いでいる所 得 と、移 動 先 で働 いて稼 ぐことのでき
る所 得 であり、その所 得 は世 帯 所 得 または一 人 当 り世 帯 所 得 である。表 には、バンコクと
東 北 タイの世 帯 所 得 が示 されているが、その格 差 は GRP が示 すよりずっと小 さく、約 3 倍
でしかない。一 人 当 り世 帯 所 得 で見 ても、約 4 倍 である。とは言 っても、この値 は他 の国 々
に比 べればまだまだ高 い水 準 である。
6
年
表 3 地 方 別 平 均 世 帯 所 得 と一 人 あたり世 帯 所 得 (月 額 )
全国
バンコク
中 部 タイ
北 タイ
東 北 タイ
平 均 世 帯 所 得 (単 位 :バーツ)
1986
3,597
6,922
1988
4,051
7,792
1990
5,470
11,309
1994
8,148
16,871
1998
12,271
25,742
2001
12,185
24,365
2002
13,736
28,239
平 均 世 帯 所 得 (バンコク=100)
1986
52.0
100.0
1988
52.0
100.0
1990
48.4
100.0
1994
48.3
100.0
1998
47.7
100.0
2001
50.0
100.0
2002
48.6
100.0
一 人 あたり世 帯 所 得 (単 位 :バーツ)
1988
1,006
2,201
1990
1,330
3,152
1994
2,166
5,385
1998
3,283
7,794
2001
3,404
7,520
2002
3,913
8,509
南 タイ
3,951
4,179
5,652
8,617
12,401
12,807
3,084
3,367
4,578
6,116
9,562
8,930
2,525
2,994
3,462
5,518
8,335
8,281
3,613
3,928
5,081
7,966
11,286
10,914
14,128
9,530
9,279
12,487
57.1
53.6
50.0
51.1
48.2
52.6
50.0
44.6
43.2
40.5
36.3
37.1
36.7
33.7
36.5
38.4
30.6
32.7
32.4
34.0
32.9
52.2
50.4
44.9
47.2
43.8
44.8
44.2
1,058
1,412
2,332
3,442
3,659
4,108
919
1,205
1,740
2,760
2,690
2,963
668
768
1,350
2,046
2,129
2,484
950
1,156
1,965
2,847
2,895
3,305
30.3
24.4
25.1
26.3
28.3
29.2
43.2
36.7
36.5
36.5
38.5
38.8
一 人 あたり世 帯 所 得 (バンコク=100)
1988
45.7
100.0
48.1
41.8
1990
42.2
100.0
44.8
38.2
1994
40.3
100.0
43.3
32.3
1998
42.1
100.0
44.2
35.4
2001
45.3
100.0
48.7
35.8
2002
46.0
100.0
48.3
34.8
(出 所 ) NSO, Report of Socio-economic Survey , 各 年 。
表 3によれば、バンコクと東 北 タイの格 差 は 1990 年 をピークに、その後 は縮 小 し始 めて
いる。1990 年 にバンコクと東 北 タイの格 差 は、平 均 世 帯 所 得 は、100:30.6、一 人 あたりの
平 均 世 帯 所 得 では100:24.4であったが、その後 、非 常 にゆっくりではあるが、東 北 タイ
の割 合 が上 昇 してきている。1人 当 り世 帯 所 得 は、世 帯 サイズの影 響 を取 り除 いているの
で生 活 水 準 の指 標 としてはより適 切 であり、それによると、中 部 タイと北 タイが1994年 に、
東 北 タイが1990年 に転 換 点 を越 えたことが分 かる。南 タイについても90年 代 に転 換 点 を
越 えたらしいことが分 かる。
7
所 得 格 差 が縮 小 しつつあるとはいえ、農 村 からバンコクへの移 動 を促 すには十 分 な格 差
が残 っているように見 える。しかし、仮 に統 計 上 は3倍 の格 差 があったとしても、それだけで
農 村 の人 たちがバンコクに行 けば3倍 の所 得 が得 られるわけではない。それは、ハリス=トダ
ロ・モデルが想 定 するように、バンコクで就 労 できない可 能 性 があるからというわけではない。
むしろ、都 市 で就 業 できる職 種 が、生 産 労 働 者 やサービス労 働 者 のようなものに限 られて
しまうからである vii 。農 村 の人 々がバンコクに働 きに行 くときに判 断 の材 料 となるのは、その
ような職 種 の賃 金 と、農 業 所 得 との格 差 である。表 4は、職 種 別 に見 れば地 方 間 格 差 がそ
れほど大 きくはないことを示 している。東 北 タイの自 作 農 で平 均 2,269 バーツ、小 作 農 で
平 均 1,732 バーツの月 額 所 得 を得 ている。もし農 民 がバンコクで一 般 労 働 者 として就 業 し
ても、その平 均 所 得 は 3,916 バーツにすぎず、所 得 格 差 は自 作 農 で 1.7 倍 、小 作 農 で
2.3 倍 に増 加 するだけである。もし農 民 が、生 産 ・建 設 労 働 者 の職 を得 られたとしても、所
得 の増 加 はそれぞれ 2.2 倍 と 3.4 倍 である。もし事 務 ・販 売 ・サービスに就 業 できたなら、
その所 得 はそれぞれ 3.2 倍 と 4.2 倍 に増 加 する。その差 は大 きいように見 えるが、各 職 種
の内 部 でも差 が大 きく、地 方 から来 た労 働 者 がそれぞれの職 種 の中 で低 い所 得 しか得 ら
れないとすれば、その所 得 は平 均 よりも低 く、したがって都 市 に出 てきて得 られる所 得 との
格 差 もそれほど大 きくはないだろう。
この表 で興 味 深 い点 は、バンコクの平 均 所 得 を 100 としたときの相 対 所 得 (表 4 の下 段 )
が、職 種 にかかわらず狭 い範 囲 に分 布 しているということである。例 えば、東 北 タイでは、
自 作 農 と小 作 農 を除 くと、専 門 職 ・技 術 職 ・管 理 職 の 45.3%から経 営 者 の 58.6%の間 の
値 をとる viii 。このことから、職 種 ごとに見 た場 合 には、地 方 間 の所 得 格 差 はそれほど大 きく
ないことがわかる。高 いリスクを背 負 っている経 営 者 でさえも、この範 囲 内 に収 まっているこ
とは驚 くべきことである。これらのことから、タイの所 得 格 差 を大 きくしている要 因 は、地 方 間
格 差 なのではなく、むしろ様 々な職 種 間 の格 差 と、その構 成 、つまりバンコクには高 所 得 の
職 種 が多 いということである。職 種 構 成 が地 理 的 条 件 によって、ある程 度 、決 まってしまうと
すれば、より注 意 を払 うべき不 平 等 は、職 種 間 の所 得 格 差 かもしれない。具 体 的 には、な
ぜ農 業 所 得 がこれほど低 いのかということである ix 。
8
表 4 地 方 別 ・職 業 別 一 人 あたり世 帯 所 得 1998 年
全国
バンコク 中 部 タイ 北 タイ 東 北 タイ
一 人 当 たり世 帯 所 得 (バーツ)
全職種
4,051
7,792
4,179
3,367
2,994
自作農
2,796
7,146
4,148
2,851
2,269
小作農
3,040
6,351
3,902
2,315
1,732
経営者
5,701
8,557
5,321
4,667
5,018
専 門 職 ・技 術 職 ・管 理 職
9,675
16,595
8,223
8,073
7,516
農業労働者
1,998
3,363
2,009
1,578
1,887
一般労働者
2,034
3,916
2,238
1,893
1,792
事 務 ・販 売 ・サービス
5,768
7,296
4,860
4,633
4,031
生 産 ・建 設 労 働 者
4,177
5,540
3,896
3,481
3,082
バンコク=100
全職種
52.0
100.0
53.6
43.2
38.4
自作農
39.1
100.0
58.0
39.9
31.8
小作農
47.9
100.0
61.4
36.5
27.3
経営者
66.6
100.0
62.2
54.5
58.6
専 門 職 ・技 術 職 ・管 理 職
58.3
100.0
49.6
48.6
45.3
農業労働者
59.4
100.0
59.7
46.9
56.1
一般労働者
51.9
100.0
57.2
48.3
45.8
事 務 ・販 売 ・サービス
79.1
100.0
66.6
63.5
55.2
生 産 ・建 設 労 働 者
75.4
100.0
70.3
62.8
55.6
(出 所 ) NSO, Report of Socio-economic Survey , 1998 年 。
南 タイ
3,928
3,357
4,003
4,964
8,435
2,167
2,126
5,153
3,504
50.4
47.0
63.0
58.0
50.8
64.4
54.3
70.6
63.2
さらに、各 地 方 で物 価 水 準 が違 うことを考 慮 に入 れる必 要 がある。なぜなら、バンコクで
の生 活 費 、特 に住 居 費 や交 通 費 、食 費 は他 の地 方 より高 いため、その実 質 所 得 は低 くな
ると予 想 されるからである。したがって、各 地 方 の「実 質 」所 得 で格 差 を測 った場 合 、地 方
間 所 得 格 差 はさらに小 さなものとなるであろう。正 確 な地 方 別 の物 価 水 準 のデータはない
が、もしそれがあったとして、実 質 所 得 の推 計 を行 ったとしても、地 方 別 の所 得 格 差 はまだ
残 るだろう。物 価 水 準 の差 を取 り除 いた後 に残 る所 得 格 差 は、バンコクへの移 動 を促 すイ
ンセンティブであると考 えられるだろう。農 村 の人 々がバンコクに移 動 する大 きな目 的 は、
郷 里 への送 金 や貯 金 である。そのためには都 市 で十 分 な収 入 がなければならない。田 舎
と同 じ程 度 の所 得 しか得 られないなら、わざわざ都 会 に出 てくる必 要 はない。都 会 に出 れ
ば、いつでもお金 は貯 められるということ、つまり、農 村 と都 市 の間 の大 きな所 得 格 差 はむ
しろ望 ましいものである可 能 性 さえある x 。もちろん、田 舎 でも十 分 な貯 蓄 をできることの方
が望 ましいことではあるが。
これまで述 べてきた議 論 が正 しければ、バンコクへ働 きに行 こうとする農 民 の視 点 に立 て
場 、所 得 格 差 はそれほど大 きくはない可 能 性 がある。農 民 の所 得 水 準 がその他 の職 種 と
比 べると依 然 として低 いという事 実 は否 定 できないが、農 村 ・都 市 間 の格 差 という点 では、
9
この状 況 は均 衡 状 態 と呼 んでもいいだろう。
最 後 に貧 困 指 標 について見 ておく。表 5は貧 困 線 によって区 切 られた貧 困 率 を表 して
いる xi 。この表 から、1990 年 代 に各 地 方 で貧 困 率 が大 幅 に減 少 したことが分 かる。東 北 タ
イでも1988年 の 48.4%から 1996 年 には 19.4%まで激 減 している。もしこの統 計 が信 頼 で
きるとすれば、この時 期 の急 激 な経 済 発 展 が貧 困 率 の低 下 に大 きく貢 献 したこと、すなわ
ちトリックルダウン効 果 が働 いていたということになろう。経 済 危 機 の翌 年 である 1998 年 に
は、貧 困 率 がわずかに上 昇 しているが、それが正 しいとすると、経 済 危 機 が貧 困 を増 加 さ
せたことになろう xii 。しかし、増 加 したと言 っても、1998 年 の貧 困 率 は 1994 年 の貧 困 率 よ
りもずっと低 かったということに注 意 すべきである。また、これらの数 字 が、経 済 危 機 の深 刻
な影 響 を受 けたのが貧 困 層 であるのかも慎 重 に検 討 すべき課 題 である。現 実 には、このよ
うな数 値 を根 拠 にして東 北 タイで大 型 の貧 困 対 策 プロジェクトが実 施 された。それが結 果
的 にだれを救 済 することになったのかも、また検 討 すべき課 題 である。
表 5 地 方 別 貧 困 率 (単 位 :%)
1988
1990
1992
1994
1996
1998
32.6
27.2
23.2
16.3
11.4
12.9
バンコク
6.1
3.5
1.9
0.9
0.6
0.6
中 部 タイ
26.6
22.3
13.3
9.2
6.3
7.7
北 タイ
32.0
23.2
22.6
13.2
11.2
9.0
東 北 タイ
48.4
43.1
39.9
28.6
19.4
23.2
南 タイ
32.5
27.6
19.7
17.3
11.5
14.8
全国
(出 所 ) NSO, Report of Socio-economic Survey、 2000 年 。
3.労働移動の現状
前 節 では、労 働 移 動 の決 定 要 因 は、一 人 あたり GRP のようなマクロのデータではなく、
移 動 者 が実 際 に農 村 で得 ている所 得 と、バンコクで得 られるであろう所 得 との比 であると主
張 した。移 動 者 は、都 市 で参 入 しうる労 働 市 場 は低 所 得 層 であるため、所 得 格 差 は実 際
にはそれほど大 きなものではないことも指 摘 した。一 方 、経 済 成 長 が東 北 タイの貧 困 を劇
的 に緩 和 させたことも示 した。これらのことは、極 度 の貧 困 から都 会 に働 きに行 かなければ
10
いけない人 々もまだまだ多 く存 在 するとはいえ、非 常 に貧 しい人 々が打 ちひしがれて大 都
市 に向 かうというイメージはすでに一 般 的 なものではないということを示 唆 している。
本 節 では、実 際 にどの地 方 にどこからどれだけの人 々が移 動 しているのかを見 ていくこと
にする。表 6 は、4 時 点 の人 口 センサスから計 算 したものである。この表 では、移 動 者 は、
「センサス以 前 の 5 年 間 に、他 の村 や行 政 区 に移 動 してきたもの」と定 義 される。流 入 人 口
と流 出 人 口 とを比 較 すると、東 北 タイから常 に労 働 力 が流 出 し、バンコクが地 方 の労 働 力
を受 け入 れてきたことが分 かる。北 タイや南 タイもバンコクへネットで流 出 している。労 働 移
動 の大 きな流 れは、東 北 タイ、北 タイ、南 タイからバンコクと中 部 タイへと向 かっている。しか
し、実 際 の状 況 はもっと複 雑 である。移 動 は、流 出 と流 入 の両 方 向 に移 動 し、地 方 間 の移
動 も盛 んに行 なわれている。東 北 タイからは、北 タイや南 タイで農 業 労 働 者 や漁 業 労 働 者
などとして働 くために移 動 する。現 実 は経 済 モデルが仮 定 するほど単 純 ではないということ
である。
表 6 地 方 別 の移 動 者 数 (単 位 :人 )
純移動者数
移動元
移動先
バンコク
1955-60年
バンコク
36,432
中 部 タイ
-41,208
北 タイ
-5,047
東 北 タイ
-17,855
南 タイ
-2,935
1965-70年
バンコク
95,504
中 部 タイ
-83,358
北 タイ
-21,909
東 北 タイ
-43,221
南 タイ
-20,375
1975-80年
バンコク
中 部 タイ
-29,042
北 タイ
-22,233
東 北 タイ
-99,602
南 タイ
-19,523
1985-1990年
バンコク
中 部 タイ
2,032
北 タイ
-70,369
東 北 タイ
-230,444
南 タイ
-44,236
純流入者数
純流出者数
2,935
-5,827
-635
-5,746
58,696
131,370
86,449
66,019
25,796
25,859
64,325
133,092
35,885
85,605
16,586
20,375
-3,498
-345
-6,705
298,791
207,978
120,031
100,182
42,647
129,928
288,348
113,691
185,188
52,474
340,792
284,785
103,855
73,876
53,886
170,392
235,331
121,568
268,691
61,212
630,771
450,131
115,530
142,891
80,053
287,754
289,300
217,298
521,803
103,221
中 部 タイ
北 タイ
東 北 タイ
南 タイ
41,208
123,762
14,710
-15,102
5,827
5,047
-14,710
90,702
-21,106
635
17,855
15,102
21,106
180,353
5,746
83,358
24,103
10,804
-17,290
3,498
21,909
-10,804
195,703
-17,790
345
43,221
17,290
17,790
330,486
6,705
29,042
218,084
-14,981
-63,748
233
22,233
14,981
172,211
-2,312
3,619
99,602
63,748
23,120
245,509
8,345
-2,032
219,103
-39,147
70,369
39,147
136,219
-14,575
6,827
230,444
118,705
14,575
243,169
15,188
-118,705
-947
131,083
19,523
-233
-3,619
-8,345
129,756
44,236
947
-6,827
-15,188
127,182
(出 所 ) NSO, Population and Housing Census , 各 年 。
11
このデータでは、移 動 者 の定 義 が 5 年 間 という長 い期 間 で捉 えているため、季 節 的 な短
期 労 働 者 はこの定 義 から外 れてしまっている可 能 性 がある。つまり、ここでの数 字 は、本 稿
の対 象 とする農 民 の季 節 的 な移 動 というよりも、長 期 的 または永 続 的 な移 住 に近 いため、
実 際 のタイの労 働 移 動 者 数 をかなり過 小 評 価 していると考 えられる。この点 を考 慮 してこ
の表 を見 なおすと、例 えば、バンコクへの純 流 入 は 1985 年 から 1990 年 の 5 年 間 で、わ
ずか 34 万 3017 人 (63 万 771 人 -28 万 7754 人 )であり、年 平 均 ではわずか 6 万 8603
人 でしかない。これはバンコクの人 口 の約 1%である。この数 字 を人 口 の自 然 増 加 率 と比
較 すると、人 口 流 入 は、バンコクで深 刻 な問 題 を引 き起 こすという程 大 きなものではないだ
ろう。問 題 というよりも、むしろこの労 働 流 入 はバンコクの経 済 発 展 のために必 要 であったと
考 える方 が自 然 であろう。
もっと詳 細 な人 口 移 動 のデータは、1997 年 に行 われた人 口 移 動 調 査 である(表 7)。この
表 では、バンコクへの純 流 入 は、-57 万 5127 人 となっており、実 際 には多 くの人 がバンコ
クから流 出 していることになっている。それとは対 照 的 に、東 北 タイではネットで 36 万 4671
人 が流 入 しておれ、その多 くがバンコクからである。この移 動 の流 れは、われわれが通 常 考
えているものと明 らかに逆 である。この現 象 は、乾 期 にバンコクに向 かった季 節 労 働 者 の
多 くが雨 期 に東 北 タイに帰 るということから説 明 できるだろう。この調 査 が 9 月 に行 なわれた
ということは、この事 実 と一 致 していると考 えられる xiii 。
表 7 1997 年 における純 移 動 者 数 (単 位 :人 )
移動元
移動先
合計
合計
0
バンコク
中 部 タイ
北 タイ
東 北 タイ
575,127
-164,934
-47,202
-364,671
1,680
-184,867
-58,708
-327,590
-3,962
5,378
-21,326
-3,985
96
-6,224
バンコク
-575,127
中 部 タイ
164,935
184,867
47,202
58,708
-5,378
364,671
327,590
21,326
-96
-1,680
3,962
3,985
6,224
北 タイ
東 北 タイ
南 タイ
-
-
-
-15,851
南 タイ
15,851
-
(出 所 ) NSO、 Report of Migration Survey、 1997 年 。
12
表 8 は、労 働 力 調 査 から 1998 年 の農 業 部 門 における雇 用 の季 節 変 動 を見 たものであ
る。農 業 部 門 の労 働 者 は乾 期 (2 月 )の 1160 万 人 から、雨 期 (8 月 )の 1650 万 人 へと 480
万 人 増 加 している。同 時 期 に、その他 の部 門 を合 計 した就 業 者 数 は 210 万 人 減 少 し、特
に製 造 業 では 73 万 4000 人 、建 設 業 では 76 万 2000 人 減 少 している。このことから、農
業 部 門 に従 事 し、乾 期 に農 業 部 門 で働 くのをやめた 480 万 人 のうち、210 万 人 はその他
の分 野 で働 いていたことが分 かる。この 480 万 人 のすべてがバンコクに移 動 するということ
はありそうにない。おそらく、200 万 人 がバンコクに移 動 し、残 りの 300 万 人 は地 方 に留 ま
っていたと考 えるのが自 然 であろう。もし 200 万 人 の労 働 者 が季 節 的 に地 方 間 を移 動 して
いたとすると、県 内 、地 方 内 、地 方 間 の全 ての移 動 を含 めた労 働 力 移 動 の調 査 (表 9)の
310 万 人 と整 合 的 である。バンコクからの純 流 出 者 の大 部 分 は(表 7 によれば 57 万 5127
人 )は、乾 期 にバンコクに流 入 し、雨 期 に農 村 に帰 る人 々と考 えられる。57 万 人 は、バンコ
クの人 口 の約 10%にあたる。もしこの数 字 が正 しければ、バンコクは心 臓 の鼓 動 のように毎
年 規 則 的 に変 動 していることになる。一 方 、57 万 5 千 人 という人 口 は、全 人 口 の1%にす
ぎない。東 北 タイからバンコクに向 かう労 働 者 の数 (36 万 4671 人 )は、東 北 タイの全 人 口
の約 1~2%にすぎない。タイの農 村 にバンコクでの失 業 者 を受 け入 れる余 力 があるかとい
う議 論 をするとき、必 要 な余 力 は地 方 のわずか数 パーセントの人 口 を受 け入 れる余 力 であ
ることに留 意 すべきである。
表 8 産 業 別 労 働 人 口 (1998 年 ) (単 位 :千 人 )
農業
鉱業
製造業
建設業
電 気 ・ガス
小売業
運 輸 ・通 信 業
サービス業
その他
合計
2月
11,640
58
4,923
2,042
192
4,742
1,074
4,728
13
29,412
5月
11,125
42
4,777
1,722
229
4,862
965
4,616
17
28,355
8月
16,472
41
4,189
1,280
177
4,464
923
4,584
8
32,138
11月
15,048
37
4,420
1,286
185
4,464
996
4,524
15
30,975
(出 所 ) NSO, Report of Labor Force Survey , 1998 年 。
13
表 9 労 働 移 動 者 数 (1997 年 ) (単 位 :人 、括 弧 内 は%)
現住所
全国
中 部 タイ
北 タイ
東 北 タイ
南 タイ
バンコク
合計
3,159,069
(100.0)
196,838
(100.0)
1,082,538
(100.0)
407,557
(100.0)
1,042,556
(100.0)
429,579
(100.0)
県内
移動
1,103,627
(34.9)
485,403
(44.8)
148,446
(36.4)
231,223
(22.2)
238,555
(55.5)
地方内
移動
524,652
(16.6)
156,693
(14.5)
80,115
(19.79
167,446
(16.0)
120,398
(28.0)
地方間
移動
1,474,573
(46.7)
189,916
(96.5)
434,868
(40.2)
170,176
(41.7)
616,884
(59.2)
62,730
(14.6)
海 外 または
不明
56,217
(1.8)
6,921
(3.5)
5,575
(0.5)
8,821
(2.2)
27,003
(2.6)
7,897
(1.8)
(出 所 ) NSO、 Report of Migration Survey、 1997 年 。
4.経済危機と労働力移動
1997 年 の経 済 危 機 は、タイ経 済 に深 刻 な打 撃 を与 え、全 ての人 が苦 しんだと広 く信 じら
れているが、必 ずしも全 ての人 に悪 影 響 が及 んだわけではない。危 機 以 来 、経 済 危 機 の
影 響 に関 する報 告 書 が数 多 く書 かれ、その多 くが貧 困 者 に対 する悪 影 響 を強 調 するもの
であった xiv 。しかし、バンコクでは危 機 が深 刻 に論 じられていた時 に、遠 くはなれた農 村 で
は農 民 たちはまるで何 もなかったかのようにいつも通 りに過 ごしていた。農 民 にとって経 済
危 機 は、新 聞 で読 んだり、テレビで見 たりするものでしかなかった。むしろバーツ切 り下 げは
輸 出 価 格 を上 昇 させたため、外 貨 建 て債 務 を抱 えていない限 り、輸 出 業 者 や輸 出 向 けの
生 産 者 にとってはチャンスであった xv 。農 産 物 の輸 出 業 者 も大 きな利 益 を得 た。バーツ切
り下 げの恩 恵 は、中 間 段 階 で消 えてしまわないかぎり、輸 出 向 けに生 産 していた農 家 にま
で届 いた。しかし、テレビや新 聞 では経 済 危 機 の悲 観 的 な側 面 ばかりを大 きく報 道 する。
すべてを失 って落 ち込 んでいる人 がいる時 期 に、幸 せな話 を報 道 することは不 道 徳 である
と考 えたのかもしれない。外 国 のメディアも同 様 であった。「危 機 の恩 恵 」を報 道 したものは
わずかであった。「危 機 」のイメージはますます「危 機 」を深 刻 なものとしていった。苦 しんで
いる人 々の声 は、利 益 を得 ている人 たちよりも大 きく、まるで全 ての人 が苦 しんでいるような
印 象 を多 くの人 に与 えることになった。
「出 稼 ぎ」の古 いイメージは、貧 しい「出 稼 ぎ労 働 者 」が「貧 しい農 村 」に帰 っていくという
イメージを膨 らませていった。しかし、農 村 では、人 々は何 ごともなかったかのように生 活 し
14
ていた。バンコクから戻 ってきた若 者 たちは、タイ経 済 が回 復 するまで田 舎 でブラブラして
いるつもりだった xvi 。若 者 たちにとって、いわゆる3K と呼 ばれる職 種 は、たとえ職 があった
としても就 くようなものではなかった。そういった職 種 は、周 辺 の外 国 人 労 働 者 が就 くべきも
のであった。
農 業 ・農 業 協 同 省 の農 業 経 済 局 の 1995/96 年 と 1998/1999 年 のデータを比 較 すると、
全 般 に 農 業 か ら の 現 金 収 入 は 大 幅 に 増 加 し て いる xvii 。 農 業 収 入 の 増 加 の 大 部 分 は 、
1997 年 のバーツの切 り下 げによって農 産 物 価 格 が上 昇 したことによると考 えられる。
これが危 機 の農 村 での実 態 であった xviii 。それがなぜ危 機 は貧 困 層 を直 撃 したというよう
な話 になっていったのだろうか。援 助 機 関 が途 上 国 を支 援 する際 に、貧 困 層 が深 刻 な打
撃 を受 けているとすれば、それを支 援 することは、途 上 国 の金 融 機 関 を支 援 することと比
べ て 、 人 々 の 支 持 を 受 け や す い 。 そ こ で 、 経 済 危 機 に よ っ てひ ど く 苦 し ん で い る「 貧 し い
人 々」を「見 つけ」なくてはならなくなった。農 村 の人 たちは貧 しく、危 機 によって深 刻 な影
響 を受 けているはずだと考 えた国 際 機 関 、各 国 の援 助 機 関 、NGO、研 究 者 たちは、タイ
でもっとも貧 しいとされる東 北 タイにやってきた。しかし、本 当 に貧 困 にあえいでいる人 たち
に出 会 うことは非 常 に難 しい。なぜなら、彼 らは人 前 に現 れず、「貧 しい」と思 われたくない
からである。一 方 、「貧 しい」と認 められれば多 くの恩 恵 を受 けられるということを知 っている
人 たちも多 い。そういう人 たちは、まるで自 分 たちが本 当 に貧 しいかのように質 問 票 に答 え
ることによって、その恩 恵 を受 けようとするかもしれない xix 。そのような調 査 を基 に多 くの報
告 書 が作 成 され、その多 くが危 機 によって如 何 に多 くの人 たちが苦 しんでいるかを強 調 す
る。報 告 書 を実 際 に執 筆 する人 たちの中 には、タイの実 態 をほとんど知 らず、実 際 に村 に
訪 れることもなく、非 常 に少 ないサンプルに基 づいて書 かれたいくつかのフィールド調 査 だ
けを参 照 しながら書 いた人 もいたであろう xx 。このようにして、「危 機 によって深 刻 な打 撃 を
受 けた貧 しい農 民 」のイメージは定 着 していった xxi 。
しかし、翌 年 になると、タイの農 業 はエルニーニョの悪 影 響 を受 け、農 業 生 産 は低 下 する。
エルニーニョは危 機 とは無 関 係 であるはずなのに、農 業 所 得 の減 少 は経 済 危 機 に起 因 す
るものと解 釈 された。上 述 のように、農 村 は都 市 失 業 者 の受 け皿 になったにもかかわらず、
そのような農 村 の余 力 を否 定 する議 論 もあった。しかし、実 際 には、農 業 部 門 の雇 用 は
1998 年 に 60 万 人 、1999 年 に 110 万 人 増 加 する一 方 、乾 期 における農 業 部 門 からの純
流 出 は 1996 年 から 1999 年 の 3 年 間 で 56%減 少 した。サービス業 への純 流 出 は 104%
減 少 しており、このことはサービス業 から農 業 部 門 への純 流 入 が起 こっていること、つまり
15
乾 期 においてもサービス業 から農 業 部 門 に労 働 者 は移 動 したことを意 味 する xxii 。
農 村 部 に大 量 の貧 困 者 がいて援 助 を必 要 としていると考 える人 たちにとって、農 業 部
門 は後 進 的 で貧 しい部 門 でなければならなかった。都 市 失 業 者 が田 舎 に帰 っていくという
現 象 も、農 村 に受 け入 れる余 力 があるという理 解 ではなく、貧 困 層 が貧 困 地 域 にますます
「滞 留 」するというイメージで解 釈 された。このような解 釈 は、貧 困 率 が上 昇 したとする政 府
の公 式 発 表 によって補 強 されていく(表 5 参 照 )。全 国 の貧 困 率 は、11.4%(1996 年 )から
12.9%(1998 年 )に上 昇 し、東 北 タイの貧 困 率 は同 じ時 期 に 19.4%から 23.2%へと上 昇
する。まさに経 済 危 機 の「深 刻 さ」を裏 付 ける結 果 となった。しかし、23.2%という値 は 1994
年 の 28.6%と比 べてみれば、94 年 から 98 年 にかけて大 幅 に減 少 したことになる。貧 困 が
悪 化 したとは言 え、数 年 前 と比 べれば状 態 はずっと改 善 していたのである。その他 の地 方
もほぼ同 様 のことが言 える。
「貧 困 」を理 由 に援 助 は投 入 されていく。危 機 の後 の日 本 からの援 助 は、当 時 の日 本 の
首 相 の名 前 で呼 ばれ、その名 前 はタイの地 方 でも有 名 になった xxiii 。巨 額 の資 金 が、あま
り役 にも立 たない道 路 の修 理 に使 われたりした xxiv 。その資 金 は、作 業 に参 加 した人 々に
ばらまかれた。ばらまかれたお金 はすぐに農 民 の手 を離 れ、経 営 不 振 にあえぐ金 融 機 関 に
流 れ、タイの金 融 システムを救 ったのかもしれない。そうであるなら、本 当 の目 的 は貧 困 対
策 ではなく、金 融 機 関 救 済 であったということになる。
タイ政 府 は IMF のガイドラインに従 って緊 縮 政 策 を採 用 した。IMF の言 いなりであった
緊 縮 政 策 は国 民 に不 人 気 で、それを野 党 は政 府 への攻 撃 材 料 に使 った。2001 年 にタク
シン政 権 が登 場 すると、拡 張 的 財 政 政 策 に転 換 する。与 党 の地 盤 でもある「タイで最 も貧
しい地 方 」(東 北 タイ)と、「2 番 目 に貧 しい地 方 」(北 タイ)はその恩 恵 を受 け、人 々はタクシ
ンを支 持 している。一 方 で、野 党 の基 盤 であり、イスラム教 徒 が大 多 数 を占 める南 タイは取
り残 されている。南 タイは、東 北 タイや北 タイよりも所 得 水 準 が高 いと考 えられているが、実
際 には貧 困 率 は北 タイよりも高 い。特 にマレーシア国 境 に近 い県 では状 況 はかなり悪 化 し
ているようである xxv 。イスラム教 徒 の暴 動 など治 安 も悪 化 している。治 安 が悪 化 している地
域 には援 助 機 関 や研 究 者 は入 りにくい。援 助 は来 ず、人 も来 ない。貧 困 はますます悪 化
し、治 安 も悪 化 するという悪 循 環 に陥 っていく。一 方 、東 北 タイは、交 通 の便 もよく、快 適 な
ホテルがたくさんあり、人 は入 りやすい。そのような場 所 でエアコンの効 いた快 適 な空 間 で、
いかに東 北 タイは貧 しいかというレポートが書 き続 けられている。そして、「豊 かな貧 困 」が
創 り上 げられていく。
16
結論
タイにおける地 方 間 格 差 は非 常 に高 いと考 えられてきた。その格 差 の大 きさは、人 々の
生 活 の質 の差 となって表 れ、東 北 タイの人 々の暮 らしは非 常 に貧 しいものであるに違 いな
いと思 われてきた。そのような大 きな格 差 は、「貧 しい東 北 タイ」から「豊 かなバンコク」へ洪
水 のような「出 稼 ぎ」を引 き起 こしていると考 えられた。しかし、現 実 にはそのような「出 稼 ぎ」
は生 じていない。安 定 した状 態 を保 っているという意 味 で、均 衡 にあるように見 える。このよ
うな現 象 は、「格 差 とは何 か」という問 題 を突 きつける。本 稿 で示 したのは、農 民 が田 舎 で
現 に稼 いでいる所 得 と、都 会 に出 て稼 げる所 得 とを比 べてみると、それほど大 きな差 はな
いということである。本 当 の格 差 は別 のところにあるのに、地 方 間 格 差 だけが強 調 され、「貧
しい東 北 タイ」が強 調 される。一 部 の人 たちにとって、「貧 しい地 方 」が必 要 なのである。
貧 しい地 方 のイメージは創 られ、固 定 化 していく。危 機 の時 にはタイを支 援 するために、
多 くの人 が貧 困 状 態 に陥 っているということを強 調 する必 要 があった。多 くの金 融 専 門 家
が、タイのことなど何 も知 らないのにタイに派 遣 され、金 融 の知 識 などほとんどない経 済 学
者 が金 融 の専 門 家 のように振 る舞 っていた。そして、まるで長 い間 危 機 が起 こることを予 想
していたかのように後 知 恵 を使 ってなぜ経 済 危 機 が起 きたのかを説 明 し、経 済 危 機 によっ
ていかに多 くの人 々が貧 困 状 態 に陥 っているかを分 析 するために統 計 をかき集 めた。そし
て、経 済 危 機 の深 刻 さを示 す数 多 くのレポートが書 かれた。博 士 論 文 を書 こうという若 い
研 究 者 たちは、タイは貧 しいに違 いなく、危 機 後 さらに貧 しくなったであろうという先 入 観 を
持 って、東 北 タイを訪 れ、タイ人 に対 して失 礼 な質 問 を繰 り返 しながら、貧 困 を誇 張 するレ
ポートばかりを読 んで、自 分 の先 入 観 を強 固 なものにしていった。
このようにして「貧 困 」のイメージは強 化 され、「豊 かな貧 困 」が生 まれてくる。その一 方 で、
本 当 に支 援 を必 要 としている地 域 には治 安 の悪 化 を理 由 に入 り込 むことができない。貧
困 はますます悪 化 し、治 安 も悪 化 する。このような現 実 を所 得 に基 づく貧 困 統 計 はどこま
で捉 えることができるだろうか。所 得 が増 えたことによって貧 困 がなくなったように見 えても、
現 実 には南 タイのような現 実 がある。手 の付 けやすいところから貧 困 対 策 を始 めれば、貧
困 解 消 の成 果 は着 実 にあがっていくが、その一 方 で取 り残 された人 たちを生 み出 す。この
ようなことをなくすためには、何 が貧 困 なのかを突 き詰 めて考 えておく必 要 がある xxvi 。その
方 法 が人 々の生 活 の質 を見 ることであり、ケイパビリティ(潜 在 能 力 )を見 ることである。それ
を見 ようとしない人 は、本 当 の貧 困 から目 を背 けようとしている人 である。
17
* 本 稿 は 、 Yukio Ikemoto and Izumi Takei ”Regional Income Gap and
Migration: The Case in Thailand” Harvard Asian Quarterly ,2004 Summer
http://www.fas.harvard.edu/~asiactr/haq/ を書 き直 したものである。
本 稿 を作 成 するにあたり、タイ・チュラロンコン大 学 経 済 学 部 イサラ・サンティサート準 教
授 から貴 重 な助 言 とコメントを頂 いた。ここに深 く謝 意 を表 するとともに、本 稿 における誤 り
は、いうまでもなく筆 者 に帰 することを付 け加 えたい。
参考文献
1 邦文文献
池 本 幸 生 、新 江 利 彦 「貧 困 政 策 とケイパビリティ:ベトナムの事 例 」『財 政 と公 共 政 策 』第
27 巻 第 2 号 、財 政 学 研 究 会 、2005 年
国 際 協 力 銀 行 『貧 困 プロファイル タイ王 国 』国 際 協 力 銀 行 、2000 年
セン、アマルティア『不 平 等 の再 検 討 -潜 在 能 力 と自 由 -』池 本 幸 生 、野 上 裕 生 、佐 藤
仁 訳 、 岩 波 出 版 、 1999 年 (Sen, Amartia, Inequality Reexamined ,
Oxford University Press, 1992)
チェンバース、ロバート『第 三 世 界 の農 村 開 発 :貧 困 の解 決 -私 たちにできること』穂 積 智
夫 、 甲 斐 田 万 智 子 訳 、 明 石 書 店 、 1995 年 (Chambers, Robert, Rural
development : putting the last first , Longman Scientific
&
Technical, 1983)
2 外国文献
Behrman, J. R. and Tinakorn, P. “ The Surprisingly Limited Impact of the Thai
Crisis on Labor Including on Many Allegedly ‘More Vulnerable'
workers, ” Thai Development Research Institute (TDRI), 2000.
Ikemoto,
Yukio
and
Uehara,
Mine.
“Income
Inequality
and
Kuznets'
Hypothesis in Thailand,” Asian Economic Journal Vol. 14, No.
4(December, 2000):421-443.
Institute for Population and Social Research (IPSR), Migration and The Rural
Family: Sources of Support and Strain in A Mobile Society : Bangkok,
18
Mahidol University Press,1997.
Harris, J. R. and Todaro, M. “Migration, Unemployment and Development: A
Two-Sector Analysis” The American Economic Review , Vol.60, No.1,
1970: 126-142.
National Statistical Office: NSO, Population and Housing Census , various
years.
_________, Report of Labor Force Survey , various years.
_________, Report of Migration Survey、 1997.
_________, Report of Socio-economic Survey , various years.
Sarntisart, Isra. “Poverty Problem during the Economic Crisis” ( タ イ 語 ),
Thammasat Economic Journal Vol. 16 No. 3, September, 1998:1-19.
_________, “Socio-economic Silence in the Three Southern Provinces of
Thailand,” a paper presented at the International Conference on
The Capability Approach to Human Development, The University of
Tokyo, Tokyo, 10-11 March, 2005.
World Bank, Thailand Social Monitor; Thai Workers and the Crisis , 2000.
i
「出 稼 ぎ」という言 葉 には「貧 しさ」のイメージが染 み付 いている。そのため、「出 稼 ぎ」とい
う言 葉 は用 いられなくなってきている。そこで、本 稿 でも、できる限 り「出 稼 ぎ」という言 葉 は
使 わないようにする。
ii Institute for Population and Social Research[1997]および Santisart[1998、
2005]。
iii ジニ係 数 は0から 1 の間 の値 をとり、完 全 に平 等 なとき 0、完 全 に不 平 等 なとき 1 の値 を
示 す。比 較 的 平 等 な国 のジニ係 数 は 0.3 程 度 、逆 に比 較 的 不 平 等 な国 のジニ係 数 は
0.5 程 度 である。
iv タイの転 換 点 に関 しては、Ikemoto and Uehara(2000)を参 照 のこと。
v バンコクと地 方 間 の労 働 移 動 は、武 井 の農 村 調 査 によるとおよそ 3 つのパターンに分 け
られる。
① 若 年 男 性 および女 性 が、中 学 または高 校 を卒 業 後 、数 年 間 、バンコクで働 いた後 、結
婚 のため帰 郷 する。
② 既 婚 男 性 および女 性 が、農 閑 期 にバンコクに働 きに出 る。
③ 既 婚 男 性 および女 性 が、子 供 を農 村 の両 親 に預 け、長 期 間 バンコクで働 き、ソンクラ
ーン(タイ正 月 )などに、年 に数 回 帰 省 し、通 常 は郷 里 に仕 送 りをする。
vi 非 常 に単 純 な農 産 物 加 工 まで製 造 業 に分 類 することによって「製 造 業 」を過 大 評 価 し
ようとするかもしれない。
vii Harris and Todaro (1970)参 照 。タイの場 合 には、友 人 ・親 戚 などのネットワークを使
って都 市 での就 業 を確 実 なものにしてから移 動 を行 うことが多 い。
19
viii
バンコクでは農 業 労 働 者 がほとんど存 在 しないため、対 象 から除 く。
農 業 労 働 者 と都 市 労 働 者 の賃 金 はつながっている。農 業 労 働 者 の賃 金 が安 ければ、
都 市 労 働 者 の賃 金 も安 くなる。それは工 業 化 に有 利 な体 制 である。
x 「貧 しい」発 展 途 上 の国 々から来 た多 くの人 々は、日 本 に来 て自 国 に送 金 するために貯
金 をする。彼 らにとって日 本 と自 国 との間 の大 きな所 得 格 差 は望 ましいものに見 えている
かもしれない。彼 らにとって、日 本 は定 住 するところではなく、働 いて貯 金 をする場 所 である。
数 年 の日 本 滞 在 ののち、彼 らは自 国 へ戻 り、家 族 と楽 しい時 間 を過 ごすのである。
xi 貧 困 線 による貧 困 の計 測 には、貧 困 線 を調 節 することによって貧 困 率 を容 易 に操 作 で
きるために恣 意 性 が入 り込 む余 地 がある。地 方 別 の貧 困 線 は各 地 方 の物 価 水 準 によって
調 節 しなければならないが、それを示 す正 確 なデータは少 ない。貧 困 線 に相 当 する物 価
水 準 は、貧 困 層 の消 費 バスケットを反 映 したものでなければならないが、この推 計 も稀 にし
か行 なわれない。したがって、貧 困 線 には相 当 の誤 差 が含 まれる。この誤 差 の範 囲 内 で貧
困 率 を操 作 することが可 能 である。いずれにせよ、貧 困 率 を取 り扱 う際 には、細 心 の注 意
が必 要 である。
xii 1998 年 の貧 困 率 の増 加 は、1997年 の経 済 危 機 の影 響 であると判 断 したくなるが、そ
の前 に更 なる検 討 を行 う必 要 があるだろう。前 の注 で述 べたような恣 意 性 はその理 由 のひ
とつである。
xiii 調 査 期 間 が 1995 年 の 9 月 から 1997 年 の 9 月 までであったことを考 慮 すると、経 済
危 機 の影 響 はそれほど大 きくなかったと考 えられる。
xiv いくつかの例 外 もある。例 えば、Santisart(1998)、Behrman and Tinakorn(2000)
などを参 照 。
xv 輸 出 指 向 型 製 造 業 では、バーツ切 り下 げによって安 くなったタイ製 品 を注 文 してくる外
国 企 業 からの対 応 に追 われていた。経 済 危 機 によって最 も大 きな影 響 を受 けたのは都 市
の富 裕 層 であると考 えられているが、実 際 には必 ずしもそうではなかった。最 も裕 福 な層 の
人 々は、常 に賢 く行 動 し、危 機 であっても利 潤 を得 たケースもある。
xvi 経 済 危 機 後 に失 業 したのは主 に若 年 層 であった。World Bank[2000]参 照 。
xvii タイ農 業 ・農 業 協 同 組 合 省 http://www.oae.go.th/statistics/index.html。ただし、
南 タイでは農 業 所 得 が 20%も減 少 したために、総 現 金 収 入 が減 っている。この点 について
は後 で取 り上 げる。
xviii 危 機 がもっと深 刻 であったはずのインドネシアでさえ、危 機 の後 のジャワでも同 じような
状 況 であった。
xix 武 井 が実 施 した東 北 タイでの農 村 調 査 で、村 人 たちの中 には「イサーン(東 北 タイ)は
貧 しいから調 査 に来 たんだろう」とか「貧 しい農 民 の暮 らしを見 に来 たのか」と口 にする人 も
いた。村 人 たちは調 査 者 の意 図 を敏 感 に感 じとっている。調 査 者 が「貧 しい」という先 入 観
を持 ってやってくれば、それを感 じとっている。村 人 たちにとって許 し難 いのは、外 部 の調
査 者 が実 態 も知 らずに「貧 しい」という偏 見 をもって調 査 対 象 にされているということである。
「人 の役 に立 ちたい」という気 持 ちも、相 手 を哀 れみの目 で見 ている(より正 確 には、見 下 し
ている)のかもしれないし、その裏 返 しとして、優 越 感 を持 って見 ているのかもしれない。
xx チェンバース[1995]も同 様 の指 摘 を行 っている。
xxi タイにおける経 済 危 機 の影 響 については、国 際 協 力 銀 行 [2000]などがある。
xxii World Bank、前 掲 書 。
xxiii 実 際 には宮 沢 基 金 とは関 係 のないものまで「ミヤザワ」の名 で呼 ばれていた。
xxiv そのような道 路 は雨 が降 ると流 れて消 えてしまった、と現 地 の新 聞 は報 道 した。
xxv Sarntisart[2005]参 照 。
xxvi この点 については、池 本 -新 江 [2005]参 照 。
ix
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