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「ヒロシマま
マ ロ ヒ シ と「 ま 淵」 柵 嘲 1埴 の は び「 およ で 樺 llll柚 」 太厳〈 長 =「 いる て ノ を表し と「 癒L」 有」 胴 共 (1) い と うちあき 「 微笑 の沈黙」は著者 自身で もあろ う主 人 公 北村 高志 が妻 道 子 とわが子 ツ ヨシ と ヒロシ を得 てか らの記憶が中心 であ り、 「ヒロシマ まで の長 い道」'891F晩声社刊)は被爆者和子 との結婚 に至 るまで の経緯 と記憶が中心であ り、 また 「 樺太 よ遠 く孤独 な」 ('84年西田書 昨年 11月 29日 の読売朝刊 に載 つた ノー ベ ル 賞作家 ウオ レ 0シ ョイ ンカ氏 と大江健 三 店刊)は幼年時代 の記憶 か ら始 ま り、 ヒロシマ ヘ と到達す るのだが 、不 当に奪われた故郷樺 ‐ 太 へ の想 いが 中心に語 られて い る。それ は 卜 四才でくス トー イ ・止 まれ 〉と ソ連兵 に言われ 郎氏 の対談 (NIK教育TVで も放映)を読 んで 、直 てか ら、 ロシア貿易商社員 の現在 に至 るまで ちに私 の脳裏 に閃 いたのが長瀬隆氏 の小説 で 微 あ つ た。 ピー ス ピアNoF 8 6で久保文氏 が 「 止 まれ>と言われ続 けて い るよ うな憤 りの 1)く 笑 の沈黙」 ('95年 晩声社刊)の内容 を紹介 さ れた ので読 まれ た方 も多 い と思 うが、私 は世 記憶 で もある。 少 年期 ・青年期 ・家:庭と子 を もつた中年期 に分 け、それぞれ の時代 の F書 く」 こ と、 記憶す る 界的 な作家 二人がそれぞれ に語 る 「 十世紀 の傷 を担 う」 F傷が 力に よ つて 」 「:二 外ヘ テー マ 」 「 民族 主義 の 限界 を超 えて 」 「 「 書 こ う」 とす る 「日標 と内容 の変貌」 とそ の 「 契機 」 につい て リフ レイ ン され て い る。 正 義 は想 像力 で 」 「 人間 の絆 向か う祈 り」 「 「 信 じる」 未来 を形作 る想像力 を」等 々の文 「 樺太 よ」 の巻頭 には ロル カの騎馬行 の 一部 が示 され 「ヒロシマ 」 の 巻頭 にはデ ュ ラス 学 め使命 に対 し、それ は世界 の 平和 を希求 し て い る人 々 の交差点 と して在 る、平和事務所 の使 :命 感 に も通 じるもので もあ り、それ らの 「 微笑」 の それ に 愛人:」の抜粋 が掲 げ られ 「 は 「 わが老父母 に捧 げ る」 とあ り、十数年 の 作家 の軌跡 をよく示 しているよ うに感 じられ 人々 に とつて深 く共感 できる文 学だ と私 は感 る重厚 な 二部作 で ある。 じた のである。 大江氏は言 う、文学 において書 く人間が発 聯 笑 の沈黙」は、重 く疲れ る小説である。 揮す る能 力、読み手 に呼 び起 こそ うとす る力 物語 に よつて 引き込 まされ るよ うな ものでは は何 だ ろうか?そ れ は記憶す る力 と創造す る な く、 リフ レイ ンの よ うに、繰 り返 され る事 力ではな いだ ろうか、 と。 象 の 断片 に よつ て讀 む者 の思考は深 ま りはす るのだが 、現実 の 日常的な4L活面で の理角撃は 我 々が生 きている現在 は過去 とつ なが って いて 、 「どこか ら来たのか」 をは つき り確認 遠 ざか った り、近寄 つた りして くる独特 な文 し、受 け止 め、記憶す る力が大切だ、 と。 章な のである。 沈黙」 ミステ リア スの よ うに感 じられ る 「 同時 に未来 を構想 し、 自分の望む方 向に現実 の要因 が次 々 と読者 に問 いか けて くるのだ。 それ は著者 が 自身 に問 うと共に読者 の知性 を なけれ ばいけないだ ろう、 と。 「 微笑 の沈黙 」 は この課題 に全 くあては ま っ 識的に 「 過 去 と現在」 も問 うもので り、i意 :実と観 念」 を対比 させてい る文体 なのだ。 :事 「 てい るよ うに私 は感 じたのだ 、長瀬隆 の 三作 をい くらかで も形 づ くつて い く想像 力を持た )で ある。 品はそれ に応 えてい ると思 つたσ -2ノ 著者長 瀬は作品中で しば しば 「 書 くこ と」 「 「 かなけ 書 れば」 樺太を書 くこ とは― ヒロ シマ を書 くこ とである」 と述べ る。 「 樺太 よ 「 遠 く孤独 な」の最後 は ・・・英匁1を学ぶ と は ど うい うこ とだろ うか。」 と終 わ ってい る。 「 微笑 の沈黙 」 を読んで 、私は この難儀 な小 説か ら朗唱劇 ・木 下順 二の F子午線 の祀 り」 を連想 させ られた。 「 微笑 の沐 黙」は作者 が以前に書 い た 「ヒロ シマ までの長 い道」お よび 「 樺太 よ遠 く孤独 な」 に連 な る膨大 な背景 を含 んでお り、 「 樺 ヒロ シマの 太の 子 」 ツ ヨシが誕生す る必然が 重層 して描かれてい る。 作者 で 、ある主人公 の我 が子 の誕生か ら死 までを記憶 と推 量を駆 使 して とらえた新 しい ス タイルの小説であ ると解釈 し、私 は受読 し た。 平家物語か ら創 造 された本 下順 11の戯 山 「子午線 の 祀 り」 テー マ は、知盛 の F見 の る べ き の こ とは見つ 、 ・・ 」にあ りと解釈 し、 稗 それ に千鉤 の 重み を感 じてし :ヽ る私 だが 、 「 微 笑 の沈黙 Jか らも同様 な もの を感 受 して 、私 は不思議 に思 つていた。 本下戯 曲は 十 三分 に ドラマテ ィ ックであ り 私たちを堪能 させて くれ るが、 「 微笑 の沈黙 は」そ うではないか らだ。 だが 「 微笑 の沈黙」を読んでか ら、二月後 に 「 樺 太よ遠 く孤独な」を読み始 め 156ペ ージ(第4章 予期せ ぎる再会)至 って私はrll目 し理解 した。 「 樺太 よ遠 く孤独な」は 「 微笑 の沈黙」の 一年 も前に上梓 されてい るもの 十 で、樺太 0北 海道 の戦前戦後を知 る者の間に 相当の反響 を呼び起 こした ものなのであ る。 その 156ペ ー じに可能なことは見る こと、 そ して記憶することだ けで あった。 そのため 私は 『見 さえすればよいのだ』 と自分に言 い 聞かせ、 市場の ロシア人 と日本人の 取引 を眼 に 力 を込めて見た もので あ った」 とぁ り 十1rLl 才 の少 年 が人生の意味 と未来 を考 え、 「 今の 自分に何が可 能か」 と考えた姿 が ぁ っ たのだ。 村 との別れ を 一人決 意 し、峠か ら風 景 を眼に 焼 き付 けた少 年 の想 い が全編 を貫 い ていて 、 作品が 「 木 下戯 曲」 の よ うに私 に感 じられ た の だろ う。 自己の観念 と 「 記憶 」、 自身の周 囲 に起 き た こ と、 自身が起 こ した こ と、選択 したこ と を F書 く」 こ との意味 と重ね考 え続 け、四 十 一五 十年 を経 て 、文学 作品 として F樺 よ 太 遠 「 く孤独 な」な ヒロシマ までの 長 い道」 「 微 笑 の沈 黙Jな どに結実 させ たの で あろ う。 これ らを簡単に私小説 ・自分史 と言 つては よ くないのだが 、現在 の ロシアの チ ェ リノブ イル まで 出て くるので あ り時代 の まった だ 中 で苦悩 し、観察 し、分 析 し、 自身の形成 を も 表現 し得 た格段 の私小説 では な い か と思 う。 二 作 と も作者 の 自伝 ・自分 史であ り、文学 者 になろ うと した 青年が組 織 (大学 ・政党 ・会 社)と心な らず も連 な って ゅき、その 中で妻 と 子供 を獲得す る心の 因果 関係史 と も読 める。 これ らの作置:は大江氏や シ ョィ ンカ氏が 問 題 に してい る核時代 の 日本 と世 界 の文学その 哲学的課題 に提示 し得 た 一つ の文学試 案 では ないか と考え させ られ たので ある。 ヒロシマ と樺太 、 ロシアの覇権 と崩壊等 々 と何 百万 もの人 々が体験 し、味合 わ されたで あろ う (―― され た 一一 した とは述 べず ―― であろ うと表 現す る作者 の文体は 、過 去 と現 在 の比重 を計 ってい るかの よ うに読 める)真実 を文 章 として表現 した 1)のとして私 は感受 し た。 「 微笑 の沈黙 」 は、少年時代 に芽生 えたので あろ う著述家的個性 と、その生 活 、 自分 自身 を形成 した諸相 を内 面か ら分析 し、重層 した -3♂ 「 世界 と して描 き出す ことに成功 して い る。 「 微笑 の沈黙 」 は讀む者 に対 して記憶 を再生 そ の 印象 を特 に受 けた の は 「ヒロシマ ・・」 の終章 で作者 自身 が 自己を評 して 「 彼 の 場合 は生まれ育 つた土地か ら、またそ させ るよ うな特殊 な力がある。 (これぞ大江 の 希求す る文学 ではないか と感 じた のだが大 江 こでの人々か ら切 り離 されて生 きざるをえな の 文か ら私 は 自已の体験や記憶 を想起 し未来 か った者 の宿 命 であ り、偏 向であ つた 。彼 は を構想 したた ことは ないのだが )長 瀬 の文 は 過 去 。現在 を考 えるこ との好きな読み 手、特 自分 を確 かめ る手段 を欠 いて生 きて いて 、そ に戦後 の左 翼的運動 に連 な つた読者 に とつて は独特 な魅力 がある。 沈黙 の声 この小 説 の神髄部分 は、終章 の 「 のために配偶者 に被爆女性 を選 んでいたので ある。 そのよ うな彼 を矯 正 したのは遠淵村 の 同級生 たちであ つた。彼 は徐 々に、後 に は急 の ツ ヨシの別れ の言葉」 に凝縮 されて い るも 速 に樺太人 と しての 自己 を回復 したであろう。 一 ―― 一 とある。 「 偏 向を矯 正 し回復 した 」 の と私 は痛感 させ られた。優 しく、 わか りや と率直に人を信ず る温か さが伝わ って くる。 す く、詩的叙情 を感 じさせて くれ る章だ。 人が生 まれ て 、去 ってい くこ との原因 と結 この よ うに言 えるまで の屈折 と苦渋 の経緯 が 果 を求 める文学的 ・哲学的探索 に対す る 一つ 率直に書 かれ てい る。 人 に よつて は 「ヒロシマ まで の 長い 道」 の それ は核 の 時代 ・現代 の一 典型 で もある と 方 を高 く評価す るか も しれ ない。 また F樺太 よ遠 く孤独 な」は少年時代 の体 思 え るものだ。 ら始 ま るヾ幼年時代 の混 血者 へ の想 樺 太 力:ヽ 験 を中心に して当時 の記憶 と観念 を描 き、 ヒ ロシマ と樺 太 の共通性 を 自身 の 内面に獲得 し いか ら、被爆者 である道子 と出会 う青年時代 、 て 、 F書 く」 こ とが可能 にな つた もので あ り、 そ して ロシア 語を よくす るためにチ ェ リノブ イル にまで通訳 として出かける体験 の半生。 著者 の 出発点 ・原点 で もあろ う。 少年 の率直な眼 と想 いが解 りやす く読みや そ の背景や 要因 の膨大な記憶 ・印象 が 、 二五 人ペ ー ジ にも渡 つて分析 され、説明 づ け られ す い。 「ヒロシマ まで の 長い道Jと て作品 として結実 した もの と思 う。 したのが最近作 独 な」 二作 を上台に して '1達 の 「 微笑 の沈黙」で あ り、 この二作 を書 いた 二作品 を読 んで 、重 く心 に残 り、ある種 の 微笑 の沈黙」 癒 し」 を強 く感 じた の は 「 光明 「 ことで作家長瀬隆 の到達 した ものが 、 「 微笑 の 沈黙」 の 「 苦悩 と傷 の 共有」 癒 し」 であ り 「 である。重厚 な筆触 の 油絵 の よ うな作品 であ であ り、彼 自身 の書 くことの必 要性 と必然 に る。 な つた もの と私 は考 えるので ある。 の 回等 が提示 されて い るよ うに思 える。 これ に比 べ る と前 工作 は透 明感 を持 つた水彩 微笑 の沈黙Jは 重 い。 画 の よ うだ。 それ ほ ど 「 デ ッサ ン ・ス ケ ッチ ・水彩画な どが しば し ば人の眼 を奪 い心 を打つの は、画家 の率直な ′た真実 の描写力 眼 が 自己の腕 を飾 らず に描 、` を示す ばあいで あ り、 「ヒロシマ ・・」 にも 「 樺 太 ・・」 に もそれ は多分 に示 されてい る。 「 樺 太 よ遠 く孤 旅」か ら二七 年 を経 て 、 道子 と出会 つた 「 そ の旅 に至 る 自身 の軌跡 「ヒロシマ まで の 長 い道」 を文章に置 き換 えることが可能 にな っ 樺太 よ遠 く孤独 な」 たのであ り、それ以前 の 「 も書 ける契機 、 主題 が 消滅 寸前 にな って 、 そ F悩とそ の無意識 の記憶抹消) れま では沈黙 (μ -4- ′メ″ の時間が必要であつたのであ り、そ の経緯 が 明確 に意識的 に書かれたのが微笑 の沈黙 であ triし 」と 「 苦悩 り」 この中で作家長瀬隆 は 「 証人 とは文学であ つた り映画であ つた り、 様 々 な芸術作爵i として時代 を生 きる人々 を救 と傷 の共有」に到達 してい ると私は感 じる し、 それへ の希求が書 くことの必要 と必然 となっ 思 う。 てい ると思 う。 ぃ 、 F 癒 し」 を もた らす もので あろ うと私は 珍獣」 の よ うに 白雪姫 の よ うに寝続 け、 「 旅」 に 同行 し現 な つた道子 に とつて 、昔 の 「 在 の夫 を得 る前 の 自分 と夫 も知 る男女 の友 人 は、彼女 の 貴重 なアイデ ンテ ィテ ィそ の もの であ っただろ う。 文学 にせ よ映画 にせ よ、芸術作品は時代 の 証人 でなければな らず 、同時代者 を救 い 、 「 癒 し」 をもた らす もので なければな らない と私 は考 える。 「 微笑 の沈黙」は妻道子 とツ ヨシ (樺太 の ヒロ (2) 「 微笑 の沈黙」 は物語 りと共に書 くことの意 味 ・契機 が物語の時間軸 と空 間 と共 に述 べ ら れ てい る重層的な小説 である。 このために ソフ レイ ンが 多 く読みに くくもな シマの子)を触媒 とした北村 高志 のアイデ ンテ ィテ ィ小説 とも言 える。 また、 「 微笑 の沈黙」 には ドス トエ フスキ ーな どによる自身 の受 けた文学 の問題 を具体 妻道子 の病状 は大 に とつて も限界 を 二 十日 的 に詳細 に示 し、普通 は作家 が手の内に秘 め る課題 につい て も述 べ られ てい る。 も超 えた苦難 であ り、救 い を求めるよ うな 「 早 く死ね 」 との思 い 、それ を解 つて も死ね 普通は別途 に解釈 され 、青年期 の重要部分 と して 、独 立 させ るよ うな ものが 、月ヽ 説 の一 部 ない し、 自身 の病 因を被爆者 だか らだ とは認 めた くない道 子、な どについての短 い描写。 この箇所 は強 い 迫 力 0ア クチ ュア リテ ィ を感 と して提示 されて い る。 翻訳家 として の 一面をもつ著者 の選れ て学 ってい る。 じる。 術的 で もあ り見逃 せ ない 部分 で もある。 それは 「 樺太 よ遠 く孤独 な」 の 中にも見 ら 道子 の病状 がひ どく、か つて美 しか った容 姿が失われ 、 F笑 ゎ ぬ女」 にな つていた時期 れ 、 四五 万人 もの 日本人が留ま らず に樺 太か ら逃げだ して しま つた理 由 として、米 ・食 7rli 旅」に同行 した男女 の友人 の に 27年 前 の 「 活 の こと、そ の地で生 まれ育 った者 が少 4Fか 見舞 い を受 ける。 「 旅 」 に よつて 北村 と道 子が結 ばれた の を知 った ことな どの学術的分析や論 理的説明が非 故郷 を持 つ こ と、喪失 常に説得力 をもつて 「 る証 人 、 で もある友 人たち に励 ま され、それ す る こ と」 の重要 な意味 を鋭 く説 いてい る。 が契機 の よ うに道子 の健康 が回復 してゆ く。 松 山隆 と対比 され る岡田虎蔵教授 とのかか わ りや早稲 田大学 におけ る ロシア文学 と学生 被爆者道 子だけ でな く誰 もが、生 きてゆ く 上で 「 証人Jを 必要 とす る時があるだろ う。 証人不在 のために 自滅す る こ とは多 々 あるの 史的唯物論 の根本 命題」や遺 運動 、松 山 の 「 だ。 稿 につい て 、そ して 主人公 北村 こと長瀬 自身 -5♂ 「 の 「ドス トェフスキーの創造Jの 翻訳 につい に加 わろ うと した人 々 には、故郷 を奪 い 取 ら てな ど、 この部分 だけで も一 冊 の本 になる間 題 が小 説 の主人公 の重要 な問題 として述 べ ら れ る渦 中に棲み、 ヒロシマの心 に到 達す る北 村高志 ( 長瀬) の半生 は共感す るところが多 い れ て い る。 だろ う。 実 に入 り組 んで複雑 かつ 面 白くもある総合 的 な一 冊である。 ゴー ゴ リの F鼻」 を模倣 した ドス トェフスキ 彼 の時間 と空間 を超 えた 認識 、年 月を経て 微笑 の沈黙J は 重 い 造形化 され、書 かれた 「 実在感 が あ り、そ の語 る ところは、雄 々 しく ーの失敗作 の話 も面 白く、多 くの連想 を誘わ 変革 に加 わ つた人 々に対 しては強 い説得力 を れた。 樺 :太か ら ヒロシマ に至 る長瀬 氏 の 内面、沈 もつ てい る。 癒 し」 それ は時代 の変 革に参加 し疲労 し、 「 を求 め 、 「 傷J を 造形化 し得 た 、最 も今 目的 黙 と F自分 だけ の世界」 の 時期 とそ の在 りよ う、 一―それ らを苦闘 の末 に文章に造形 し開 な文学であ り、作者 の 内面 と対外認識 を読者 放 した もの と私 は受 け取 つた。 が共 有 で きる、稀有な作品 で もあるのだ。 一時期 で も、変革 の戦列 に参加 した記憶 を 書 くこと、描 くこと、彫 る こ と、紡 ぐこ と 等 々 、人間 は創 造 な く しては生 き られない も もつ 同世代 とそれ を引き継 ぐであろ う次世代 にぜ ひ とも読んでほ しい三冊である。 の な のだ ろ う し、長瀬 氏は少年 の頃 よ りそ の 特質 ・書 くことの意識 が生 きる ことにな り、 生 きて行 くた めには書かないではお られ な い 格段 の性質 を もつて いたのだ ろ う。 L海 便 三作 品は、 いずれ も記憶 を中心 とした事物 に対す る認識 を述 べ る ことの多 い 非映像的 な 文 章か らな って お り、三作 とも男性的で非女 性 的 であ リー 方的す ぎる よ うな認識記述が多 い よ うにも思 える。 特別 な男 の観 念的認識 か らな りた つてい る 作品 である。 り 須 田 育邦 私 は 2年 前 に独立 して以来 、頻繁 に上 海 に 出 か け ます。一つ は 自由な時間を過 ごすため であ り、 もう一つ は ビジネスを行 うためです。 中国語 は 30年 前 に東大 の学生 の時 に、第 2 外国語 として勉強 し基 礎 はあ りましたが、独 子宮 を もち子 を生み、普通 日常 の現実 を選 立 後す ぐに復旦大学 に lヶ 月留学 し、意外 に て生 きてい る女 の側 か らは、理解 しに く 択 L′ い 部分 が 多 いのでは な いか とも思 える。 も大 勢 の人 か ら発音 を誉め られて使 ううち、 結婚 式 を挙げて も同居 せ ず にい るので 、新 妻 は耐 えかねて、押 しかけるよ うに 上京 ・就 職 して くるので あ り、 この よ うに普通 ではな い生活 をす る、身勝手な北村 の特徴 も記述 さ れてお りこれ は理 解 しに くい。 しか し、少年 期 に敗戦 を体験 し時代 の変革 -6- たちまち日常生活 には困 らな くな りました。 帰国前 に大胆無謀 (?)に も、中国人 向け住 宅 を友人 になったばか りの中国人名義 で購入 する契約 を し、頭金 を払 って帰国 しました。 中国 の住宅 は内装 な しの居抜 きの状態 で販売 され ます。その後 内装設備家具 の購入 な ど、