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自由開業医制の再検討

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自由開業医制の再検討
46
社学研論集 Vol. 20 2012年9月
論 文
自由開業医制の再検討
― その歴史的使命の転換と主体的変革 ―
山 下 耕 司*
はじめに
でもある自由開業医制を私は取り上げるべきだ
と思った。というのは,次のような理由からで
医療は身近で重要な生活の一部である。今日
ある。需要者と供給者との間で何らかのバラン
それに莫大な費用を要しており,少子高齢化が
スが偏っていれば制約が必要なはずである。医
加速するおり,今のままでは医療制度の維持が
療は専門性が極めて高く,サービスの提供者と
困難となるとして様々に論じられている。この
需要者との間に情報の非対称性があり,力のア
問題は資源の投入や費用のあり方及びその負担
ンバランスが存在する。だから,供給者に何ら
に関り,数字を挙げて色々シュミレーションさ
かの制限があってしかるべきなのに,こと開業
れている。しかし,この課題を考える場合,目
については全く自由である。しかも,江戸時代
前のそれらの数字は確かに重要だが,制度の抱
以来脈々と続いている。医療はかつては富裕者
える構造あるいは我が国固有の特徴で見直すべ
層のためにあり,戦後は高度成長の恩恵で国民
き点がないかも検討すべきである。
全てがそのサービスを受けることができるよう
制度・構造はその国独自の生成の結果であ
になった。しかし,今は厳しい状況に直面して
る。だから,歴史的に形成されてきた我が国の
いる。このような状況で相変わらず不均衡がそ
制度の特徴に注目すべきなのである。なぜな
のままで良いのであろうか。
ら,歴史の変遷と共に状況は変化するので,今
そもそも自由開業と言う名のとおり個人主
ある特徴がかつて極めて優れたもの,あるいは
義,個人,つまり人が自分の欲望を正直に追求
現実的なものであっても,今後は足かせとなる
するという考え方が自由開業医制の根底にあ
こともあるからである。
る。このような性格がある自由開業医制が江戸
日本の医療制度の特徴はいくつかある。国民
期に成立し,今まで生き延びてきたのである。
皆保険制度や診療報酬の出来高払い制,そして
しかし,医療は公共性と深く関わり,需要者の
フリーアクセス等があげられる。これらの制度
必要に応じて提供されねばならない。その一
の前提となっている自由開業医制もその特徴の
方,個人中心主義は利益追求と親和性が高い。
一つである。これらの中で,各々の特徴の前提
このような公共性と個人中心主義をともに持つ
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程4年(指導教員 田村正勝)
自由開業医制の再検討
47
制度は相矛盾するものを内包しており,医療費
医師は同じく採用された官僚組織の下級官僚・
が確実に増大する現実を前に,維持・存続が可
下部組織として組み込まれていた。律令制が機
能か疑問である。そこで,この解明を少しでも
能していた時代には,医師は国家管理のもとに
してみたいと考えたのである。
あった。しかし,その後律令制の衰退とともに,
官から離れ職人として活動するようになった。
第一章 自由開業医制度の形成
また,日本にはキリスト教の慈善の精神に基
まず,自由開業医制とはどのようなことを言
づく救貧活動や寄付又病院のような施設は育た
い,それがどのようにして形成されてきたのか
(6)
国家や宗教を背景とするような組
なかった。
を確認することからこの研究を始めたい。
織的な医療,救貧の仕組みも殆どなかった。
つまり,家業として,あるいはまた,個人が
第一節 自由開業医制とは
主体的に,さもなければ共同体のなかでの役割
我が国では,医療法で定められた方法で医療
として人は医師になった。このようにして自生
機関を開業することになっている。自由標榜制
的に医師という職業が形成されたのである。
のもと,法に定められた標榜科目の中から自由
ではどのようにして医師になったかという
に選んで医療機関を医師は設立できる。つま
と,師について学ぶか,自分の経験で治療法を
り,施設基準を満たせばどこでも自由に医師な
見出すか,あるいは書物から学んで知識・技術
(1)
ら開業できる。
を身につけて医師となった。ある意味簡単に医
単純に言えば,医師資格を取れば,自由に開
師となることができたのである。例えば,忠臣
業でき,保険医として認められれば各種の保険
蔵では赤穂浪人が身を隠すために医師になって
(2)
これが自由開業医
を取り扱うことができる。
(7)
当時書物からの知識だけで
いたものもいた。
制である。
医師になることもできたので,それが奇異に映
これは諸外国では当たり前のことではない。
(3)
ることも無かったのである。つまり,それなり
ドイツでは,保険医数の制限がある。 また,
の知識があり,職業を名乗り,周囲が認めれば,
(4)
日本のように
開業医は定員制で定年もある。
自由にどこででも医師になれたのである。
自由に開業でき,廃業するのも本人次第という
ただ,そうはいっても,本気で医師になろう
のはいわば我が国の特徴なのであり,これが歴
とする者は師について徒弟として修行を行った
(5)
史的に形成されてきたのである。
し,師としてもいい加減な弟子を独立させると
自分の評判にも関わるので,長く時間をかけて
第二節 日本における医師の歴史的生成と展開
しこんだ上で一人前として独立させた。また身
第一項 自生の伝統
分的にも,医師になれば士分のように苗字帯刀
歴史的な医師の身分は職人であった。中国で
も許されたので身分の枠から飛び出すことがで
は古代「方技」と言われ,わが国でも中国の制
きた点も注目すべきである。
度が取り入れられ,そのように言われていた。
つまり,中国の律令制の仕組みを導入した時に
48
第二項 為政者と医療
江戸時代の為政者の医療政策は「医は仁術」
とするキャッチフレーズの言葉以外に特段何も
第二章 自由開業医制と個人主義・集団
主義の関係
なかった。ただ,この言葉を一種不可侵的に
我が国の自由開業医制は封建時代に成立し
扱って医師を褒賞,督励,叱責する際の決まり
た。封建社会は,共同体という集団色の強い時
文句としていた。
代であり,そのような時代に如何にして個人が
幕府の民衆に対する基本姿勢は自治責任主義
自立できたのか。その根本的理由を知ることが
政策だったので,封建体制の根幹に影響する恐
研究対象とする自由開業医制の本質に近づく第
れがなければ放任した。医療も同様であった。
一歩となる。
だから,医師がどのような暴利を貪ろうが当局
一方,明治に入ると自由開業という個人主体
は関知しなかった。ここで注目すべきは,「医
の動きだけでなく医師会という集団の活動も活
は仁術」という言葉が倫理規定となっていた点
発化し始めた。従って,個人と集団の関係の検
である。例えば,代金を患者が払わないとして
討も必要となる。
医師が患者を訴えても,為政者は取り合わな
かった。そのため,明治以前の診療報酬はあい
第一節 個人主義と集団主義
(8)
このような形で,江
まいなところがあった。
人は孤立して生活はできないので,集団の中
戸期に自由開業医制が根を下ろすとともに,実
で生きている。そうだとしても,一定の要件が
態はどうあれ「医は仁術」という医療倫理もま
整えば個人は自由を求め,そして個人主義が台
た世人に受け入れられていたのである。
頭する。そして,この個人の欲求を満たすため
に,個人がまた結集して集団行動をとる。この
第三項 医師と自立
ことを,テンニエス,ジンメルらの理論に基づ
封建社会という身分が固定された時代の中で
いて考察する。
自由というと,不思議な感もするが,幕藩体制
という地縁,血縁,村落共同体が生きていた時
第一項 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
代にも,全ての人間が決められた身分に縛られ
人は社会集団の中で生活している。テンニエ
るのを必ずしも由としていたわけではなかっ
スはその集団を,一つはそもそもの集団である
た。身分の枠から飛び出すことを望むものはそ
ゲマインシャフト「共同社会」であり,もう一
れに挑戦していた。医師になるというのもそう
つを選択的目的で集まるゲゼルシャフト「共同
いうことの一つであった。
利益」とした。その端的な説明は次のとおりで
そして,このように明治維新以前の社会の中
ある。「すべての信頼し合った親密な閉鎖的共
で形成された自由開業医制が,維新以降も存続
同生活は,ゲマインシャフトとしての生活と
(9)
し続け,現代に至っているのである。
解せられ,公共生活や世界は,ゲゼルシャフ
トである」〔Ferdinand Tonnies, 1887: Gemeinschaft ud
Gesellschaft 重松俊明訳(1963)P36から引用〕
自由開業医制の再検討
49
これをもう少し噛み砕くと,次のようにな
で機械的に結合して形成されているにすぎな
る。ゲマインシャフトの要件は了解と一体性に
い。この機械的とは,有機的と異なり,関係が
ある。この了解とは,あらゆる真の共同生活・
なくなれば機械の部品のようにバラバラになる
共同居住・共同作用の内的本質と心理性のもっ
ことを意味している。
とも単純な表現で,暗黙の裡に形成された一体
人間は本質意志と選択意志を持っているの
性を持つということである。これが,ゲマイン
で,ゲマインシャフトもゲゼルシャフトもそれ
シャフトの特質である。そこでは人々は本質的
ぞれ形成される潜在性がある。ただ,テンニエ
に結合し,結合している人々のために,別な言
スは著書の結語でゲマインシャフトの時代にゲ
い方をすれば,利他のための行動が日常的に行
ゼルシャフトの時代が続くとしている。しか
われる。
し,このゲゼルシャフトが資本主義と結合する
それに対し,ゲゼルシャフトとは,人間があ
と,労働者階級をいわば搾り取られた価値とい
る目的達成のため作為的に形成した観念的・機
う存在,形式的主体に変えてしまう。即ち,形
械的組織体としての社会とされ,例えば,都市
ばかりの主体になり下がってしまうのである。
や国家,企業などがそれである。組織体自身に
それを回避するために,ゲゼルシャフトとゲマ
目的が認められ,それに参加する個人は組織の
インシャフトの融合した共同体の形成をテンニ
目的に沿って行動する。つまり,個人はその組
エスは期待した。ゲノッセンシャフトである。
織に入ることで利益を見出しそこに参加するの
つまり,契約に基づくものでありながら,ギル
である。だから,ここにいる各人は契約に基づ
ドの様に一体性のある共同体の形成がこの問題
き未来に対する利益のためにその集団の核とな
を解決する糸口になると考えた。
る盟約のもと参集したに過ぎないのである。
この組織自身と人は分離した存在で,組織が
第二項 社会権の拡大と集団の分化と個人主義
提供するものに個人が自分の理性で評価して価
個人は微力なので生きていくために,集団を
値があると思えば,自分が提供できるものと交
形成する。ジンメルによると,この集団の規模
換することで関係を結ぶ。個人とその組織との
が狭ければ狭いほど個人の個性の自由は小さく
関係の例を挙げると企業と労働者とあるいは企
なり,個人の利己心も小さくなる。反対に,そ
業と資本家との関係である。企業自身の目的と
の個人が所属する集団自身が,個性を持つよう
は別に,資本家は配当を得るために資本を出し
になり他の集団と区別されるようになる。つま
て企業を作り,労働者は労働を提供する代わり
り小さな集団では人はテンニエスのゲマイン
に報酬を得る契約をその企業との間に交わす。
シャフトのように有機的に結合し,その集合体
つまり,各々は自己のためになると評価してこ
自体が独自の個性を持ち,有機的結合体として
の関係を作る。だから,反対に自己のためにな
集団自身がその構成員に大きな責任を持つよう
らなくなれば資本家も労働者も企業との関係を
になる。
解消することになる。
反対に,集団の拡大とともにその集団の中で
このような集団は個人にとって利益があるの
分化が進むと,諸集団の成員との間で分化した
50
もの同士が類似し近接するようになる。すると
び将来の行動及び方向付けの切り口を見出せる
集団同士の境界が取り除かれその中で個別化が
ことにもなるからである。
進み,やがて,個々の集団が元々持っていた求
個人主義の定義も色々あるが,ジンメルは歴
心力ではなく,他の集団との橋渡しとなる遠心
史的展開の中で個人主義を見いだした。個人は
的傾向が今度は強くなる。そうなると集団の枠
社会という特殊形態を形成するものでありなが
を超えて結合するものが出てくる一方で,集団
ら,また,社会の諸要求と執行力とに対立する
自体の求心力喪失で崩壊する集団も出てくるこ
者でもある。つまり,個人は社会を構成する要
とになる。いずれにせよ集団が大きくなると,
素として逃れがたく組み込まれる一方で,社会
その影響力は薄れ,いわば社会圏となる。
が個人に対する要求に反発する存在である(11)。
この大きくなった社会圏は成員に消極的責任
近代以前,個人は自由を求めながらも集団・
を負うだけとなるため,集団の外での発展可能
組織に組み込まれていた。個人の人格は,社会
性がその成員に広がる。そうすると,個人の自
的な利害関係の中に溶け込んでいたのである。
由度も一層広がるし,個人の利己心も強くなる。
しかし,近代は人間をここから解放した。解放
更に社会圏が交錯すると,ひとつの大きな集
された人間は自己の欲求を希求する。そして,
団に所属しながら複数の集団に属するものも出
解放され自由となれば,その先に平等を求め
てくる。例を示すと,労働組合に属しながら地
る。平等が得られれば,今度は不平等を求め,
域の自治会にも属するということである。その
他との区別を求めるようになる。
ため,集団が小さな時点では,個人の結合が強
ジンメルは,以上のような個人主義を二つの
く集団と融合し集団自身がそれぞれ特性を持っ
面から特質を抽出した。その一つが個人の自由
ていたものが,集団が大きくなると個人の結び
と平等を求める量的個人主義「18世紀的個人主
つきが緩まり,集団の中で自立した個人が登場
義」である。もう一つが他人との区別を求める
(10)
するようになる
。
質的個人主義「19世紀的個人主義」である。
以上のようにいわば個人と集団の伸縮・結
さて,自由になる為に人間がまとうものを取
合・分離運動の流れの中に,個人の動きをみと
り去ると,普遍的で人間的なもの,即ち,自然
ることができるし,そこに個人主義と集団の関
法則としての人間が残る。こうして残った人間
係を見出せる。これと同様の経過を経て後に述
の人間性は彼の中だけでなく他の人間にも普遍
べるように,江戸期の都市部で開業医は自生し
的に存在するものなので,誰もが常に平等であ
ていったのである。
るという根本性がそこに見出せる。だから人間
は自由で平等であり,又原子化し孤立的なので
第三項 個人主義
ある。この原子化することで,無数に存在する
集団が拡大するとその中で個人の自立が生ま
人間「個人」が,自然が与えた事態に対し,個
れる。この項で明らかにしようとするのは,人
人的利益にこだわらずあるがまま無心に努力し
が医師になるのを目指す原動力となった個人主
競争すると自ずと調和する。これが量的個人主
義の性格にある。それを理解することで過去及
義である。
自由開業医制の再検討
51
この量的個人主義が持つ自由と平等の理論
特徴を述べたのは後に自立した開業医の欲求及
は,自由競争の精神史的基礎となり,この考え
び可能性をどのような観点で見出すことが可能
方が自由競争を社会的に正当化する形而上学を
かを考察するためである。
もたらした。これなどはアダム・スミスの『道
徳感情論』で論じられた人々の活動を思い起こ
第四項 個人主義と自立的集団に必要なもの
させる。自己の利益に固執せず競争するとは
一度解放された個人は,そのままではそのネ
「公平な観察者」の視線を意識することとも相
ルギーを押さえつけることはできない。この
通じると思われる(12)。
次に,質的個人主義である。生きた具体的な
“more and more”という力のほとばしりは推進
力にもなるし破壊力にもなる。そしてこの個人
人間はその集団の中で独自性,質的唯一性を主
のエネルギーが集団としてまとまればより大き
張する。なぜなら,社会に存する全人間の一般
な力となる。だからゲゼルシャフトと資本主義
的なことだけではなく,社会に対して客観的作
が結び付くと弱者に一層の貧困をもたらすと危
用を独自に為そうという利己主義的な欲望が個
惧されたのであり,その解決のためゲノッセン
人にはあるからである。人は自由を求め,その
シャフトに期待が寄せられたのである。
上で平等を求めた。これが量的個人主義であ
そもそも集団といってもゲゼルシャフトは個
る。しかし,人は更に他との区別を求める。区
人の利益を追求して纏まったものに過ぎず,全
別とは個性であり不平等でもある。他人とは違
体の利益が個人の利益と共通ならそれは強固な
うということ,つまり,独自の個性を求めると
団結となるが,個人の利益と相反すると,集団
いうのが質的個人主義の特徴なのである。
に強制力がないので一枚岩になれない。
そして,その欲求が特殊的であればあるほど
ところで,西洋の場合にはギルド,ツンフト
相互的補充が必要となる。しかし,原子化し孤
の伝統があり,そこには,二種類の規則があっ
立していてはその欲求を満たせない。それを求
た。一つは対外的なもので,もう一つは対内的
めるには人は分業的分子として行動しなければ
なものである。特にこの対内的なものが注目さ
ならない。そうした結果,それらの分子の作用
れる。つまり,同業者としてその商品の質を守
反作用を包摂する有機体の上に確立されるのも
ることが責務とされ,そのためにギルドで独自
また個性なのである。人とは違うという区別を
に検査を行い,基準を満たさないと同業組合が
求める者はこの個性を持とうとして,自ら組織
組合員に対し組合の倫理規則に則って懲罰を下
的権力を要求するようになる。組織を引っ張る
した。つまり,単なる利益共同体ではなく,競
ことも個性であり,ここに分業の形而上学が見
争を排除するためとはいえ,倫理的に共同体と
(13)
出される
。
してより高みを目指す仕組みができていたので
以上のように個人主義は単に束縛からの開放
(14)
この点は重要である。特に公共的なも
ある。
だけでなく,量的・質的個人主義は競争と分業
のを扱う場合,扱う者の倫理は必須であり,そ
という経済的実在的な生産様式としての特徴を
れを自ずと守るようにする規範・仕組みが備
人にもたらす。以上のようにここで個人主義の
わっているか否かで,その団体の存在意義に雲
52
泥の差が生じるからである。
第二項 江戸期の医師と個人主義
ここで述べたことを参考に,開業医が集団を
江戸期はゲマインシャフト的な色彩が濃厚な
形成する場合に内部統制機能を具備する可能性
時代であった。特に村落ではその傾向が強かっ
を後で検討する。
た。例えば,前述のように,百姓になれなかっ
たものを村で救うために医師にした(20)。
第二節 医師の個人主義と集団主義
一方,結や講といった相互扶助を目的とした
本節では,日本で医師になることの意味を歴
組織も作られた。これは共同利益のための組織
史的経過の中で見出し,それと前節で確認した
でありゲゼルシャフトともいえる。共同体が医
事項とを関連付けて考察する。
師を雇うこと,即ち,村抱えは,村落共同体自
身の構成員を守る為に個別に医師と契約をした
第一項 江戸期に医師になる意味
と考えれば,医師と村人との共同利益のための
江戸時代という身分社会では,流動性が乏し
ゲゼルシャフトとみることもできる。
く各々が自分の基盤とする地域で身分に応じた
都市部では,村落と違ってこのような形での
生活を送っていた。そういう時代に医師になる
医師の在り方を見いだせない。元々単位の小さ
のは,地域共同体の封建的な制度に縛られず経
い村落では個人は集団に依存せざるを得ず,有
済的に自立をすることでもあった(15)。
機的一体性の傾向が強かったのに対し,人が流
ただ,同じ医師でも都市と村落では違う。
入する場所でもある都市はより大きな集団であ
村落でも医療の需要は当然あった。そのため
り,そこでは社会集団が分化し人々の原子化,
地域共同体が医師を村抱えとして雇い入れるこ
孤立化が進んでいたからである。
とがあった。その一方で,百姓ができない村落
封建制度下とはいえ江戸時代は経済・文化が
共同体の一員を医師としたりもした。つまり,
発展していた。だから,集団が拡大し,拡大し
運命共同体的な農村では,その構成員を守るた
た集団の中でそれが分化して原子化が進んでい
めに医師を必要とし,各構成員のために医師を
たのである。そして,その原子の一つが,医師
雇うこともあれば,共同体の一員で通常の生産
なのである。原子化した個人が自立するのは社
活動に耐えられないものにその役割を担わせた
会が拡大した証左である。つまり,都市は有機
(16)
りもしたのである
。
的な社会集団ではなく,集団の分化が進んだ社
一方,都市部では,医師には経済的自立とい
会圏だったのである。
う富の魅力や準士分・苗字帯刀という身分の魅
このような社会圏の中で,看板を掲げて生計
(17)
力があった。 また,儒医という教養人の側面
(18)
を立てるとは,経済的自立であり,また,苗字
もあった。 更に,自分の技術を高めそれを試
帯刀を認められると,ある意味自由と平等を得
したい,役立てたいという欲求も当然医師とい
ることであった。これらのことから,医師にな
(19)
この
う職業の属性としてあったはずである。
るとは自由,平等そして競争という量的個人主
ような個人の欲求を動機として人は医師を目指
義の要件の実現であった。
したのである。
有名な師について徒弟として修業を積み,師
自由開業医制の再検討
53
から代診等を許されて独立を認められて開業し,
第一節 人口分布と医師人口
そしてさらに一派を為す。これが当時の王道で
最初に明治早期の人口分布と現代との対比す
ある。色々学んで特殊を形成すれば,分業的分
ることから始める。下記の表1がそれである。
子でありながら質的区別ができることになる。
つまり,質的個人主義も既に実現されていた。
以上のように,人間の開放による個人の自立
が明治以前に量的にも質的にも既に整っていた
のである。このような封建社会の束縛からの開
放による個人の自由の獲得は,個人の欲望解放
と結合して,人をしてその理性と欲望を追及し
結合させ,物質的欲望を追及する権利主体とし
(21)
このことが個
ての人間を無条件で肯定した。
人の自立を促したのである。
そもそも江戸期の為政者にとっての医療は
「医は仁術」という建前が全てであった。時の
為政者は民衆の医療体制について無関心であっ
た。だからこのように,自生的に自立した医師
が登場し,個人主義が根を下ろすこととなった。
第三章 近代化草創期の自由開業医制の
意味
前章で我が国では近代以前の江戸期に既に個
人主義と結びついた医師が広く存在していたこ
明治初期と現代の人口対比
総務庁統計局資料から抜粋 表1
道府県
全国
大阪府
新潟県
愛媛県
兵庫県
愛知県
広島県
東京都
福岡県
千葉県
長野県
岡山県
熊本県
埼玉県
静岡県
鹿児島県
茨城県
山口県
三重県
岐阜県
福島県
京都府
神奈川県
2010年
128,057,352
8,865,245
2,374,450
1,431,493
5,588,133
7,410,719
2,860,750
13,159,388
5,071,968
6,216,289
2,152,449
1,945,276
1,817,426
7,194,556
3,765,007
1,706,242
2,969,770
1,451,338
1,854,724
2,080,773
2,029,064
2,636,092
9,048,331
1884年
37,687,645
1,653,157
1,589,304
1,511,820
1,448,199
1,370,576
1,259,148
1,217,542
1,135,496
1,113,651
1,043,341
1,037,239
1,001,011
985,889
982,512
935,094
929,747
897,296
877,666
873,020
857,833
851,246
831,151
対比
3.40
5.36
1.49
0.95
3.86
5.41
2.27
10.81
4.47
5.58
2.06
1.88
1.82
7.30
3.83
1.82
3.19
1.62
2.11
2.38
2.37
3.10
10.89
とを述べた。こういう下地の上に医療の近代化
人口は今のように集中しておらず,人口分布
が明治に入って目指されたのである。
は実はこの130年の間に大幅に変動した。人口
富国強兵,殖産興業,廃藩置県,四民平等等
が比較的多い地域も明治の頃は他の地域とあま
様々な改革が行われた明治期ではあるが,暮ら
り差はなかったことがわかる。だから,人口が
しの中で国民が必要とする医療を政府自身の力
それ程遍在していなかったので自生的に存在し
だけでは一変させることはできなかった。新政
た開業医もマーケットがあるので全国に極端に
(22)
府にそこまで余裕はなかったのである。 その
偏在することなく存在した。
結果,自由開業医制は温存され,逆にむしろ強
表2を見ると明らかなように,医師の数は明
化された。そうなった理由とその後に与えた影
治初期のほうが昭和の初めより10万人あたりで
響について次にみていく。
見ると寧ろ多い。当時漢方医が23,015人であっ
たのに対し洋医は5,274人いた。合計で28,262人
54
表2 年代別10万人当たりの医師の人数
年次
明24
34
大元
昭元
45
人口
医師数
10万 : 医師数
32,794,897
28,262
40,718,677
40,123
98.3
52,524,227
40,088
76.3
45,446,369
63,069,489
103,720,060
図1
33,508
45,900
118,990
86.2
73.7
72.8
114.7
人口は『日本帝国統計年鑑』による。
医師数は『医制八十年史』807ページの表による。
昭45年は厚生省大臣官房統計による。
第一項 開業医と病院
表2を見ればわかるように,人口対比の医師
いたのである。これは,人口10万人に86.2人の
の数は明治に入ってから一時増加したが,その
医師がいたことになる。
後減少し,昭和の初め頃は寧ろ明治初期より少
これが医療に関する当時のインフラである。
ないぐらいとなった。戦後しばらくしてからよ
この医師の人数は民間で自生的に生成された結
うやく明治の初めより多くなった。明治政府は
果であり,この数は昭和元年のそれをも凌いで
当初は公立病院中心の改革を試みたが,病院を
いたのである(23)。
広く設立するには多額の資金を要するので撤退
また,日本では西欧とは異なり,病院は殆ど
し,結局民間中心となった。そのため,技術的
なかった。これは図1から見ても明らかであ
近代化を上から推し進めたが,その実質的普及
る。そもそも幕府や藩に明確な医療政策が貧困
は,自生的に発達してきた開業医が医療体制の
だった。また,当初は官中心に設立された病院
基盤整備を進めたのである(25)。
にしても民間の病院が急増した。医療体制はそ
医療を近代的統制下に置くならば,ドイツの
の国によって異なるが,我が国の場合少なくと
ように国家主導の政策をとるべきである。しか
も医療サービスの供給は,開業医を中心とする
し,ドイツは中世以来の教会や諸侯等が設立し
民間主導であったことがわかる。
た病院というインフラがあったため実現できた
明治政府も当初は病院の新設等に力をいれて
のであって,我が国のように殆どそのような基
いたが結局は多くの課題を前にそれを断念し,
盤がないと状況が異なる。政策の実行は核とな
医療の近代化は既存のインフラである開業医中
るものがなければ現実的でない。我が国の場合
心に進められたのである(24)。
その核となったのが開業医だったのである。明
治初期の各地の人口は分散しており,各地に存
第二節 明治期の自由開業医制存続の意義
在したインフラともいえる開業医を徐々に近代
自由開業医制は明治以降の医療の近代化の推
化することが現実であったのである(26)。
進力としてその力を発揮した。その点をここで
そうはいっても日本にも病院も作られた。し
確認しておくこととする。
かし,その役割は,患者の治療より医師の養成
が主眼で,地方の公立病院など将来開業医にな
自由開業医制の再検討
る者の修練の場と化していたのである(27)。
55
めることで形成された。そして個人主義的思考
を持った開業医が事実上主体となって,それを
第二項 医療倫理
やり遂げたのであり,その意味で自由開業医制
西洋の病院と日本の開業医「診療所」の違い
が近代化を進めるための実際的役割を果たした。
で理解しておかねばならない点は,西洋の病院
一方,近代化の代償として,サービスの対価
にはキリスト教の伝統に基づく慈善の仕組みが
の明瞭化,その取立てを政府が後押ししたこと
あったのに対し,我が国の場合にはそれがな
が,過去少なからぬ影響を持った倫理の陰に
かった点である。明治の為政者は,この自由開
あった利益追求主義を助長することになった。
業医制を温存するだけでなく建前であいまいに
個人主義の持つ特性,例えば束縛からの開放
なっていた医療サービスの対価に関する債権
による自由の獲得が“more and more”という
を,むしろ積極的に肯定したので,貧者に対し
利益追求主義的エネルギー及び競争をもたら
て従来にも増して厳しい時代をもたらした。
し,個性の獲得への動機が,新技術の獲得にそ
そもそも開業医も医師とはいえ利益を追求す
の意欲を向けさせたのである。
る個人に過ぎず,対価の確保は重要である。に
個人主義のエネルギーは,このように医療の
も拘らず,医療を単純に経済活動の一つとして
西洋近代化への推進力となると同時に,利益追
開業医の経済活動を実質的に政府は推進し,救
求のエネルギーも増大させたのである。
(28)
貧を脇に追いやったのである
。
利益追求一辺倒なら,利益の生まれないとこ
日本が手本にした西洋には病院に慈善の伝
ろへサービスは行き渡るわけがない。お金がな
統があり,医療の近代化と慈善は両立してい
ければ医療サービスを受けられず我慢するしか
(29)
しかし,そのような慈善の制度を除いた
た。
ない。明治以前も実際には医療の提供を受ける
形で技術面のみに着目した近代化が日本では行
ことができないものが多くいたが,それがこの
われた。つまり,法制度の近代化,個人財産制
ような形での近代化の推進で表面化したのであ
の明確化の波の中で,営利的欲求の側面を逆に
る。その結果,資本主義の進展で生まれる貧民
強化するような形で開業医の支援がされ,自営
の医療対策が,社会的な課題となった。しかし,
業者としての開業医を後押しするような政策が
それへの対処は,施薬施療の大勅による済生会
とられた。そうした結果,慈善の伝統があまり
の設立や,実業家と社会主義者の医師による実
ない我が国でのこのような形での近代化は,開
費診療所の設立まで具体的な動きを待たねばな
業医の繁栄の基礎を築く一方で,貧窮者の医療
らなかった(30)。
を放棄することにもなってしまった。
第四項 開業医を中心とした集団の形成
第三項 近代化と開業医
開業医は政府の政策とも相まって,漢方から
前節で述べたように,我が国の場合の医療の
西洋医学への転換を果たすと共に,治療を行う
近代化は,前時代に自生的に形成されていたイ
主体であり続けた。そして,単に主体であるだ
ンフラを基盤として,教育,技術面の整備を進
けでなく,利益追求のための集団を形成した。
56
廃藩置県で封建的な垣根が取り払われ,社会
味をまとめると次のようになる。明治に至り,
圏が拡大し,その中で近接・類似するものが共
藩という枠組みがなくなったことで,全国的に
(31)
通の利益を求めて結合できるようになった。
社会圏が広がった。その一方で,村落共同体は
明治はそれ以前にあった共同体が破壊され,そ
衰退した。そして中間組織が衰退し破壊された
れまでそこに眠っていた様々な動きが表面に浮
結果,個人と国家が社会の主要な構成要素と
上する時代であった。ただ,個人が開放されて
(34)
こうした中で社会圏が拡大し,個人
なった。
もそれだけでは欲求の充足の実現が難しいの
の活躍する機会が増えた。だから,その中で個
で,欲求を実現するために集団が作られた。そ
人の自立を可能とする自由開業医制の存続は,
うして作られた集団は利益共同体であり,ゲゼ
個人主義の持つ特徴を発揮する機会を広げ,個
ルシャフトであったと言える。
人の自立,経済的利益の追求,それを実現する
明治期に作られた集団には,次のようなもの
ための権利の擁護を求めることとなった。そし
があった。例えば,明治初期には西洋医学に抗
て,個人だけではその欲求を実現できない場合
して漢方医はその身分保障を求めて集団を形成
には集団を形成することで,その実現を図った
(32)
した。 又,明治の医師たちは自分たちの権威
のである。
擁護や身分を確立するため団結した。この団結
これらの集団は一定の目的のために個人が集
は,その集団の母体の意図から集団同士の意見
合したものなので,集団の外部に対しては構成
の異同や対立もあったが,やがて今の日本医師
員共通の利害にかかわることについては,開業
会のもとになる任意設立された大日本医師会が
医の代表として目的に沿った行動をした。
法定化され,その後日本医師会にその事業が引
このようにして,開業医は日本の医療体制に
き継がれることで対立は終息した(33)。
強い影響力を持ったのであり,戦前戦後と医療
このようにして共同利益を中心とした集団が
政策に影響力を及ぼし続けたのである。
全国横断的に形成されたのである。
考えなければならないのは,個人主義の欲求
以上のような集団の設立の動きは,個人が解
は利益追求だけがその本質ではなく,それ以外
放され個人主義のエネルギーが発現した結果と
にもその職業にまつわる倫理の実現も含まれて
思われる。また,これは幕藩時代と異なり,医
いるという点である。しかし,集団を構成した
師の社会圏が全国に広がったためでもある。し
場合最大公約数がどうしても行動目標となって
かし,西洋のギルドとは異なり,その質を強制
しまい,経済的な目標に集約されがちである。
的に集団として自ら高めるような仕組みは,日
学問的業績や倫理の向上という点について貢献
本の開業医の集団には生成されなかった。この
することを,各個人が自分たちの総意としてま
点が特に提供するサービスの特性を考えた場
とめ,その達成を成員に拘束するのが難しいの
合,課題となる点である。
である。これらを掲げてもできなければ,単な
る利権集団の域を出ないことになる。
第五項 個人主義と集団化の意味
自由開業医制と個人主義及び集団の結成の意
自由開業医制の再検討
第四章 自由開業医制度の現行医療体制
に与える影響と目指すべき方向
57
顧客から平等に選ばれるようにした。その一方
でそのために集団内部の統制力を持つことで品
質管理を行ったのである。つまり,顧客から平
既述のように開業医個人それぞれの欲求はか
等に選ばれることが,内部統制を実現するイン
ならずしも利益追求一辺倒ではない。しかし,
センティブだったのである。
前章でも述べたとおり,何かを実現するのは一
それに対し,我が国には皆保険制度があり,
人より集団の力が有効であり,個人の集合体で
開業医自身が努力して内部統制を図らなくて
ある医師会の行動はそういう点で大きな意味を
も,一定程度外部からは平等に選択される蓋然
持っている。しかし,その力の発揮は各自の最
性が期待できる。ここに問題の一端がある。皆
大公約数となってしまう。利得目的が組織の目
保険が未来永劫維持され,そのおかげで顧客に
的になってしまっているため,ギルドと違って
困らず,かつ,社会保険医として外される危惧
個人主義の欲求の内にある質の命題の実現は徹
がないなら,内部統制への動機は低いものとな
底できていない。そこで,現行の集団活動が実
るからである。
際いかなる影響を及ぼしているかを改めて確認
し,そのうえで,個人主義の持つ質の問題の実
第二項 医師会の影響
現について考えてみる。
医師の集団である医師会は,任意団体である
ため集団構成員の共同利益に関連することでし
第一節 集団の共通目標の影響
か力の発揮ができない。つまり,加入者への強
利害関係で集まった集団はその構成要素の利
制力はなく,できるのはせいぜい“呼び掛け”
益のために行動する。それを開業医の集団に当
でしかない。そこで,実際医師会が,どの様な
てはめると,報酬や開業の場所が関心事とな
点で力を発揮してきたのかを以下に述べる。
り,そのための利権を守るための行動が目的と
① 戦前・戦後とも医療報酬単価の政府との交
なる。このような利害中心の行動が現代抱える
渉で,少しでも高い報酬を得ようとした。
問題を結果的にどのような影響を与えてきた
② 「保険医療機関及び保健医療用担当規則」
か,また,どのような弊害をもたらしたかを考
による保険診療の規制に,医師の主体性と
察する。
専門性の自由を侵害するとして反発してき
た(35)。
第一項 ギルドの特質
③ フリーアクセスを守ろうとしてきた(36)。
ギルドは価格競争を行わない代償としてその
④ 家庭医・専門医への分化へ猛反発をしてき
商品の質を対外的に担保しようとした。つま
た(37)。
り,集団として対外的に商品の質を保証する代
以上のように直接利益に関わることや,どこ
わりにどの所属メンバーからでもユーザーは同
でどのように開業するかといった自身の利害に
一価格で財やサービスを購入することができる
関連することがその中心であった。また,これ
ようにすることで,ギルドのメンバーの誰もが
らの実現のために,保険医を総辞職するという
58
ような,いわば人の命を質にとるような姿勢を
主義の持つ質の側面とも通じる。また,開業医
戦略とした過去もある。
の主要な収入源である社会保険制度の維持のた
医師会のしてきたことは,確かに自由開業医
めにも必要なはずである。
の基本的なことを守ることにあったし,社会に
寄与することもあった。例えば,特に都市部で
第二項 個人主義と職業専門家
は開業医同士が競合することで,その質を高め
我々が生きる現代は,最早利得への欲求を限
る効果もあり,フリーアクセスがサービス・財
りなく求める“more and more”が許容できる
の内容の向上に貢献しているのも確かである。
時代でないのは誰もがわかっている。その中で
しかし,その反面,リスクが高い診療科や,僻
個人としての自立・自尊を持った専門職業人と
地等ではそこで開業するものも少なく,フリー
してどうあるべきかの参考になるのが,先に述
アクセスどころの話ではない状況もある。
べたゲノッセンシャフトやギルドの特性であ
ただ医師会も利益一辺倒ではない。2011年の
る。理念を持った専門集団として,自浄効果も
東日本大震災では,医師会として医師団を被災
含めた積極的活動ができるかどうかのカギがそ
地に派遣するような活動も行ったし,倫理規範
こにあると考えられるからである。
(38)
を作ろうとする動きもある。 しかし,これら
その参考になるのがドイツの州医師会であ
に拘束力はないので,飽く迄自主的な賛同の範
る。ドイツでは医師は州医師会に強制加入させ
囲内の行動でしかないのが問題なのである。
られるが,その一方で様々な権限が医師会に与
えられ,個人の自主性と共に効率的な資源配分
第二節 自由開業医制の見直し
や,公共資源とも言える医師の質的能力の向上
第一項 現行制度の限界と改革のための理念
が実現されてきた(39)。
前節で述べたように,現行の集団は,個人事
つまり,専門家として望む医療を行うために
業主の共通利益がどうしてもその最大公約数に
は自主管理が必要であり,それを死守するため
なってしまう。確かに過去において近代化への
にも,規範に従った活動が医師会で実行されて
開業医の果した役割は大きい。しかし,成熟飽
いるのである。先に述べたギルドやゲノッセン
和経済を迎えた今,自由開業医制をそのままに
シャフトの特質を実現しているともいえる。
したままでは,直面する困難な課題をいつまで
医師としても望ましい医療を実現するのは,
たっても解決できないのは容易に想像がつく。
個人では容易でない。体制に積極的に参加する
医療サービスは,病に倒れたり,傷つけば,
必要がある。この医師としての個人の欲求,つ
「人の尊厳」を考えると,誰も等しく受けられ
まり,あるべき医療の姿を実現したいという共
なければならない。これを可能とするように,
通利益を基に組織が作られたモデルとして,自
医師自身その自主性を保ちながら,高度な専門
主管理の権能がドイツでは州医師会にある。あ
職として自らがこれらの難問に取り組むべきな
るべき医療を行いたいという医師の欲求は利益
のである。その理念のために利益追求と折り合
追求とは別の根源的な欲求でもあるため,よく
いをつけることも必要な事であり,それは個人
機能している。
自由開業医制の再検討
ただ,ドイツは医師の年収が他の国と対比し
て低く,医師が国外に流出する現象も出てお
り,よくよく制度は調べ,導入の可否を検討す
59
も作ることを検討しなければならない。
結び 公 共性と開業の自由の折り合い
「サプライ中心の医療から社会医
る必要がある(40)。
学の再構築へ」
第三節 個人の倫理の実現と集団の在り方
日本の自由開業医制について検討し,この制
ギルドについて触れた時に消費者に平等に選
度が問題を生じさせる原因になる点を明らかに
択してもらうために内部統制があったと述べ
した。
た。それに対し,我が国では国民皆保険制によ
医療サービスは公共性の高い,また,専門性
り内部統制をせずとも,平等に選択される仕組
の高い職業であり,そこで自己実現を図るのは
みが出来上がっている。そのため,医師会では
素晴らしいことである。そのために,サービス
内部統制がとりにくい状況にある。
の需要者の観点から供給者としてどのように医
しかし,全員が強制加入となれば,加入しな
療を提供したらよいのか,また,どうすれば限
いと仕事もできず,集団規則の規範を守らざる
られた公共資本を有意義に提供できるのかを,
を得なくなる。逆に,今のように任意加入なら
医師自らが,自主的に取り組めるような見直し
拘束力は弱く,活動についても自主参加にとど
が必要なのである。
まる。確かに任意加入であっても倫理規範をつ
その際の糸口はゲノッセンシャフトであり,
くれば心ある会員はその遵守に努めるであろ
参考になるのはドイツの州医師会の在り方であ
う。しかし,全ての会員がそうするとは限らな
る。しかし,どうしても商業ベースになる話が
いし,当面の利益に反することは,会として推
巷間ではもっぱら話題となり,ビジネスチャン
奨しにくい。
スとなるのが前向きな対策であるかのようにも
だから,日本の現行の医師会は任意加入のた
てはやされ勝ちである。しかし,誰もがその
め,その力の発揮するのは,会員の共通利益と
サービスを必要に応じて受けるようにするに
なる利益追求や自己都合の担保といった点に小
は,そのような方法では実現できるわけがな
さくまとまってしまう。
い。利益誘導ではなく,その職業に自ら携わる
自然の調和に任せると全てがうまくいくとい
者自身が全体を考え専門職業人としての自尊を
うのは神話にすぎず,実際には各自の自主性に
実現するような行動をとるような仕組みの研究
よる自由放任では,様々な破壊を生み機能不全
が,今こそ必要なのではないだろうか。
となってしまうことを我々は学習済みである。
この論文が誠にささやかではあるがそのよう
従って,個人の欲求を満たすことも含め,集団
な研究の一つのきっかけなればと思う。
の在り方,個人の自由の在り方について,やは
り見直しを行わなければならないし,必要とあ
れば,個人の自由に倫理という規範を被せるた
めに,強制加入を前提とする医師会を我が国で
〔投稿受理日2012. 5. 26 /掲載決定日2012. 6. 21〕
注
⑴ 1985年の医療法改正で若干の制限が開業医にも
課せられるようになったが,現在も自由開業医制
60
が続いている。
⑵ 府 川 哲 夫, 磯 部 文 雄『保 健 医 療 福 祉 制 度 論 』
(2011)ミネルヴァ書房 P20 病院を開設するに
は,衛生上の観点等から都道府県知事の許可が必
要である。一方,財政上の観点から医療保険の指
定は厚生労働大臣が行う。医療機関の管理者は医
師でなければならず,開設者=管理者=医師とい
う構造があるのは日本の特徴である。そして,経
営主体の一つである医療法人は,当初は医師が3
人以上参加することを要件としていたが,現在は
1人でも可能。
⑶ 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
京大学出版会 P139
⑷ 南和友(2009)『こんな医療でいいですか?』は
る書房 P52
⑸ 現行法であれば医療法42条でも規定されている。
⑹ P. ディンツェルバッハ・J. L. ホッグ編(2008)
『修道院文化史事典』八坂書房 P25 序章 病人
や巡礼者の世話をすることを特に自分たちの使命
であると考える修道会が登場した。病院修道院で
ある。
阿部謹也(1987)『甦える中世ヨーロッパ』日本
エディタースクール出版部 P116 ヨーロッパの
病院はローマ時代の軍団の傷病者の収容施設に始
まり,キリスト教の慈善行為と結びついた施療院・
宿泊施設としての病院 Hospital が十字軍以降各地
に作られ,それが発展したものである。
⑺ 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 P126
⑿ アダム・スミス(1759)『道徳感情論』岩波書店
⒀ ジンメル(1763)『社会学の根本問題』堀真琴訳
世界思想教養全集ドイツ19 河出書房新社)284~
289
⒁ J. ギ ー ス F. ギ ー ス(2006)『中 世 ヨ ー ロ ッ
パの都市の生活』青島淑子訳 講談社学術文庫
P130~131
⒂ 医師になれば経済的に自立できる可能性があり,
名誉として名字帯刀が認められた。
⒃ 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 P125
経済的自立の形の中には,百姓になれないものが
医師になるということもあった。
⒄ 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書医師に
往診してもらうと専属の籠での往診で,その駕篭
かきにも御礼が必要であった。
⒅ 医師ではなく,医士という呼称にこだわりが
あったこともこの証左である。
⒆ 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 杉田
玄白の解剖や出版,華岡青洲の麻酔等の行為がこ
れである。
⒇ 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書百姓が
できない者を医師にする場合は,百姓として年貢
を納められないので,届け出が必要であった。
田村正勝(2000)『新時代の社会哲学』早稲田大
出版部 P40~41
島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
京大学出版会 P34 地方財政が逼迫する中で乏し
い財源を医学校に充てることを政府は危惧し,府
⑻ 布施昌一(1979)
『医師の歴史』中公新書 P99~
県立医学校の費用を地方税から支出するのを禁じ
⑼ 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
� 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 P26
100
京大学出版会 P32 1874年の医制で医師開業は,
た。
東京医学校の最初の卒業生が出たのは明治9年で
医学校の卒業証書を持ち,内科,外科等の専門科
あり,それ以前の洋医にしても政府が目指した資
目について2年以上修業をした者に免状を与える
格のある医師ではない。
とした。つまり,この条件をクリヤーすれば開業
� 菅谷章(1981)『日本の病院』中公新書
ができるとしたのである。
� 菅谷章(1981)『日本の病院』中公新書 P37~
⑽ ジ ン メ ル(1890)『社 会 的 分 化 論 』 石 川 晃 弘,
41 明治7年に医制が定められた。この中で医師
鈴木晴男訳 世界の名著58 中央公論社(1980)
になるには資格が必要なこと,資格があれば自由
P427,P431参照
に開業できること,更に医薬分業と治療費の取り
⑾ ジンメル(1898)『近代文化における貨幣』ちく
ま学芸文庫 ジンメル・コレクション 北川東子
鈴木直 火薬(1999年)P262)「人間は村や領地,
立てができることが明文化された。
� 菅谷章(1981)『日本の病院』中公新書 P78~
81 明治の当初は公立病院が貧困者の施療救済の
封建組織や協同組合組織にのがれがたく組み込ま
役目を担っていたが,明治10年以降その開設のテ
れていた」
ンポは緩まり,施療機関としての機能も薄れ,中
自由開業医制の再検討
等以上の収入のある市民のための医療機関に変質
していった。
� 菅谷章(1981)
『日本の病院』中公新書 P65~66
� 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
61
� 南和友(2009)『こんな医療でいいですか?』は
る書房 P39~40 ドイツの州医師会は行政権限
を持っている。医師会には開業医,勤務医の別な
く全ての医師が加入することを義務付けられ,州
京大学出版会 P33 1874年に制定された医制の48
政府は医師会に医師を監督するように命じている。
条で,患者が診察料を支払わない時は,医師の申
更に専門教育とその認定,職業倫理規則の策定や,
し立てで医務取締及び区戸長が患者から取り立て
医学部教育と国家試験への関与,医療過誤をめぐ
る旨の規定が設けられている。
菅谷章(1981)『日 本 の 病 院 』 中 公 新 書 1981
P40 営利主義を基調する旧医師法の基礎が築か
れ,私立医療機関の助成が図られ,医療次第に営
る鑑定など,様々なことに関わっている。
� 岩村偉史(2006)『社会福祉国家ドイツの現状』
三修社 P54~56より下表を引用。
病院勤務医の年収比較(2002年)
(単位 : ドル)
利化・資本主義化していった。
� J. ギ ー ス F. ギ ー ス(2006)『中 世 ヨ ー ロ ッ
ドイツ
パの都市の生活』青島淑子訳 講談社学術文庫
スペイン
P169~170 施療院は修道院や大修道院と並んで
デンマーク
キリスト教信仰に支えられた事前行為の受け皿で
スウェーデン
あった。つまり,ヨーロッパの病院には慈善の伝
オーストラリア
統があり,それが現代に続いている。手続き面の
オランダ
合理化が進んでも慈善の精神が揺らぐことはない。
イタリア
日本のようなかりそめのスローガンとは異なる。
フランス
� 菅谷章(1981)
『日本の病院』中公新書 P89~90
イギリス
アメリカ
� 田村正勝(2012)『社会哲学講義』ミネルヴァ書
房 P139 幕藩体制の時代には地域の共同体は独
35,000~56,000
42,000~67,000
49,000~73,000
56,000
59,000~203,000
64,000~175,000
81,000
104,000~116,000
127,000
162,000~267,000
自の文化を持ち人々はそれらに基づいて生活して
参考文献
いた。そして,地域相互間の横のつながりを欠い
アダムスミス(2003)『道徳感情論』水田洋訳
ていた。
岩波
文庫
� 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 P143
Adam Smith THE THEORY OF MORAL
学校を作ったが,卒業生に医師の資格認定が与え
ジンメル『社会的分化論』石川晃弘,鈴木晴男訳
政治団体として温知社をつくり,それが自らの医
られない漢方医の西洋医学への巻き返しは失敗し
た。
� 布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書 P164
� 作田啓一(1981)『個 人 主 義 の 運 命 』 岩 波 新 書
SENTIMENTS 1759
世界の名著58 中央公論社(1980)
Georg Simmel: Sociale Differenzierung
ジンメル(1963)『社会学の根本問題』堀真琴訳
世
界思想教養全集ドイツ19 河出書房新社
P91 中世的な中間集団が近代国家の成立により衰
Georg Simmel: Grundfrageder Soziologie, Individum und
� 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
ジンメル(1999)『近代文化における貨幣』鈴木直訳
退させられたのである。
京大学出版会 P69
� 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
京大学出版会 P47
� 島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東
京大学出版会 P94,P320
� JMAT という日医災害医療チームが継続して派
遣されたし,また,医の倫理のため「医も倫理綱
領」
「医の倫理綱領注釈」の作成が進められている。
Gesellschaft, 1917
ジンメル・コレクション ちくま学芸文庫
Georg Simmel: Das Geld in der modernen Zeitschrift des
Oberschlesischen Berg-und Huttenmannischen Vereins,
35/1896 Cultur.
テンニエス(1963)『ゲマインシャフトとゲゼルシャ
フト』重松俊明訳世界思想教養全集ドイツ19 河
出書房新社
FerdinandTonnies 1887: Gemeinschaft ud Gesellschaft
62
フーコー(2006)『社会医学の誕生』フーコー・コレ
クション6 ちくま学芸文庫
Michel Foucault: El nacimient de la medicina social(≪La
naissance de la medecine sociali≫: trad D. Reynie), Revist
centroamericana de Ciencias de la Salud, n0 6 , janvier-avril
1977 , pp. 89-108
P. ディンツェルバッハ・J. L. ホッグ編(2008)『修道
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KULTURGESCHICHTEDER CHRISTLICHEN ORDEB IN EINXELDARSTLLUNGEN
herausgegeben von Peter Dinzelbacher und James Lester
Hogg 1997 by Alfred Kroner Verlag Stuttgant
J. ギース F. ギース(2006)『中世ヨーロッパの都市
の生活』青島淑子訳 講談社学術文庫
LIFE IN MEDIVAL CITY 1982, by Joseph Gies & Frances Gies
阿部謹也(1987)『甦える中世ヨーロッパ』日本エ
ディタースクール出版部
池上直己,J. C. キャンベル(1996)『日本の医療』中
公新書
岩村偉史(2006)『社会福祉国家ドイツの現状』三修
社
作田啓一(1981)『個人主義の運命』岩波新書
菅谷章(1981)『日本の病院』中公新書
堂目卓生(2008)『アダム・スミス』中公新書
南和友(2009)『こんな医療でいいですか?』はる書
房
布施昌一(1979)『医師の歴史』中公新書
島崎謙治(2011)『日本の医療 制度と政策』東京大
学出版会
田村正勝(2000)『新時代の社会哲学』早稲田大出版
部
田村正勝(2012)『社会哲学講義』ミネルヴァ書房
中垣洋子(2005)『社会保障を問い直す』ちくま新書
府川哲夫,磯部文雄(2011)『保健医療福祉制度論』
ミネルヴァ書房
原中勝征(2012)『医療再生』共同通信社
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