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Քခٛ - 特定医療法人社団愛有会

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Քခٛ - 特定医療法人社団愛有会
第 208 号
2011.09
夏・秋号
Քခٛ೒૞
「これからを生きるために」
常務理事 ・ 久米川病院 院長 阿部 真也
「未来に向かい一歩ずつ」
理事 ・ 経営管理本部 本部長 髙野 英文
「変化と適応」
「医療と音楽」
経営管理本部 副本部長 浅野 孝幸
「一歩先へ !」
理事 ・ 三愛病院 院長 堀米 政利
「二年を振り返って」
指定居宅介護支援事業所 はぎやま 所長 高橋 佐知子
「想定外について思う」
愛有会 監 事 原田 忠昭
「水分補給と体力」
三愛病院 看護部長 舩越 俊子
「東日本大震災に寄せて」
三愛病院 経理課 課長 林 徳行
「チームワーク」
愛有会 評議員 盛口 誠司
「心と心を結ぶ言葉」
愛有会 評議員 澤 田 泉
「古希を記念してホノルルマラソンに挑戦」
理事 ・ 久米川病院 看護部長 佐藤 利枝子
愛有会 評議員 鶴賀 哲二
久米川病院 事務長 服部 智美
「東日本大震災を経験して学んだこと」
評議員 ・ 訪問看護ステーションはぎやま 所長 佐野 みゆき
「居宅はぎやまの現状」
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特別医療法人社団 愛有会
愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
愛有会の基本理念
私たちは人の命の重さをかみしめ、
病や障害に悩む人々が人間らしく生きていくことを
支援するために全力を尽くします。
そのために次のことを実践します。
1. 患者さまを自分の家族と思って医療・介護にあたります。
人としての尊厳を重んじ、人間への愛情と思いやりをもち、敬う心と親しみをもって、
患者さまやご家族に満足と喜びを感じていただけるように、仕事にあたります。
2. 相手の立場に立って、もし自分だったら何を望むかを考えて医療・介護にあたります。
医の心、介護の心をもって、患者さまの体と心を一体として癒すことにつとめ、
生きる希望と意欲をふくらませるように仕事にあたります。
3. わたしたちは、医療と介護を通じて患者さまの自立を促し、社会生活や家族生活に復帰
していただくことを目標とします。
命ある限り、どんな病気や障害にもあきらめることなく、手をさしのべ、共に生きなが
らいろいろな可能性を求めて仕事にあたります。
4. わたしたち職員は、前進と向上のために常に考え、学びながら、一致協力して誇りの持
てる仕事をします。
よりよい医療・介護の実践のために、どうすればよいのかを考え、勉強すること。
そして、職員同士が互いに敬意と信頼をもとに協調して、満足感・達成感のある仕事を
目指します。
5. わたしたちは、どんな環境にも負けない、しなやかで粘り強い組織づくりを目指します。
さまざまな環境の変化や社会の要請に対して、柔軟で前向きな思考でのぞみ、全職員の
力を結集して不可能を可能とし、人々の信頼に支えられた発展を目指します。
愛有会経営方針
1.地域、特に二次医療圏における医療と介護の拠点としての責務を自覚し、
2.安全で安心な全人的医療と介護の提供により信頼感を高め、
3.時流を見誤ることなく、組織の体質強化と持続的発展につとめ、
4.利用者の皆様に強く支持される医療・介護機関であり続けること。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
これからを生きるために
特別医療法人社団 愛有会 常務理事
久 米 川 病 院 院 長
阿部 真也
2011 年は我国の災害の歴史に残る年となった。
大正 12 年 9 月の関東大震災では、同じく太平洋プレート型の地震で
あったが、死者 9 万 9 千人、行方不明者 4 万 3 千人、負傷者 10 万人
を超え、京浜地帯は壊滅的被害となった。
東日本大震災の死傷者の多くが津波によるものであったのに対し、関
東大震災は火災によるものであった。
今回は被災者の節度ある行動が世界の注目を集めたが、関東大震災で
は、混乱に乗じて朝鮮人や社会主義者らを虐殺する事件が起きたことで
も歴史に残っている。
さかのぼると、江戸時代には明暦の大火があり、江戸城本丸を含む大
火で 10k㎡を焼失、死者 10 万余人と記録されている。太平洋戦争下の
昭和 20 年 3 月 10 日の東京大空襲では 40 k㎡が焦土となり死者は 10
万人に上った。
三陸地方は、地震動による被害よりも、リアス式海岸に起因する津波
の被害が大きい。この 100 年間に、明治 29 年(1896)6 月と昭和 8
年(1933)3 月に地震による大津波が発生し、それぞれ約 3 万人と 3
千人の死者を出している。
地震、噴火、台風、洪水から温暖化まで、地球という自然界に生きる
人間にとって、自然現象は避けて通れない。先人たちは、ありとあらゆ
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
る自然災害を経験し尽してきた。
一方で人災も忘れてはならない。残酷無残な戦争、公害、乱獲、乱開
発、そしてさらに今回は、原発事故という恐ろしい人災まで引き起こし
てしまった。
寺田寅彦が関東大震災後の調査に関わって曰く、「先人の苦難を忘却
して勝手な真似をして居た為にこんな事になったと思ふ。昔に比べて今
の人間がちっとも進歩して居ない、
進歩して居るのは物質だけでしやう。
却って昔の政府や士民のやり口は今より立派なような気もします」
(大
正 12 年 9 月 29 日筆)とある。
人間も、地球上の自然の一部である。人類だけの発展と生存はあり得
ない。自然を味方につけ自然と共存する知恵の大切さこそが、先人の遺
言であると思う。
未来に向かい一歩ずつ
特別医療法人社団 愛有会 理 事
経 営 管 理 本 部 本部長
髙野 英文
毎年8月は夏休みと終戦記念日、旧盆が重なる特別な月であります。
私にとりましても、8月は年末年始と同様に子供時代より印象深い月で
あります。私の子供時代、お盆には、真新しいシャツに着替えた父と和
服に着替えた母と共に、バケツに水を汲み花を持って菩提寺とお墓への
お参り、また夏休みの登校日、小学校の校長先生や担任の先生に連れら
れ、級友たちと共に学校横の高さ5m・幅3mもある忠魂碑(子供の私
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
には意味が分かりませんでしたが)への参拝が恒例の季節でした。北海
道の故郷から上京し東京の大学に入学後、専門の科目そっちのけで日本
の現代史や西洋政治史、第2次世界大戦の本や資料をむさぼり読んでい
ろんな意味で強い衝撃を受けた記憶があります。
この原稿を書いている間も、東京に来て以来毎年夏が来ると同様に、
頭の上から降るような蝉の鳴き声が聞こえています。戦争で亡くなられ
た方々や今回の大震災で亡くなられた2万人を超える同胞(私の故郷も
海辺の町でした)の方々に無念な思いと哀悼の意思をもって、両手を合
わせます。(合掌)
当法人の事業所である、久米川病院・三愛病院・在宅部門「はぎやま」
を利用されている多くの方々が、戦前・戦中を生きられ、戦後の日本の
繁栄を築き上げられました。
大切に、
大切に、
接して参りたいと思います。
私どもの法人の各事業所が利用者の皆様に満足して頂ける存在であり
続ける為には、やはり組織を再構築していく新しい人材の育成は必要不
可欠です。
人材の育成は、言葉だけで説明できません。各人に様々な体験をして
いただき、自分で考え行動し責任を取らんとする人物に育ってもらう事
が望まれます。
本部としましては、新しい未来に向けて、今年度から野口君には、本
部で学んでいただいた視野を広げるべく出向の形で係長として、三愛病
院の業務改善に取り組むよう、また、浅野君には久米川病院の次長から
法人全体を捉える視点も育んでいただけるよう本部の副本部長として、
人事異動を行いました。
上記二人に限らないことは言うに及びませんが、愛有会法人組織全体の
前進のために、職員の皆さま一人ひとりがそれぞれの担当する部署およ
び仕事で、持てる力を最大限発揮できるフィールドや視点および役立つ
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
情報・知恵を提供し続け人材を育成していくこと、それが本部の大きな
役割と責任と考えております。長い道のりも小さな一歩からです。未来
に向かいお互いの力を合わせて一歩ずつ踏み出していきましょう。
変化と適応
経営管理本部 副本部長
浅野 孝幸
本年8月1日より、久米川病院から経営管理本部へと異動になり、役
割と責務も新たに仕事をさせて頂くこととなりました。
業務的にもより一層、医療情勢の変動に着目することも多くなり、特
に今年は高齢化社会における医療体制の在り方についての議論を多く目
にします。
来年度は、介護保険制度の根幹である「東京都高齢者保健福祉計画」
の第5期改正の時期でもあり、同時に、診療報酬制度と介護報酬制度の
改正も実施されます。
国は「社会保障・税一体改革成案(平成 23 年 6 月 30 日)」の中で、
2025 年頃までの実現を目標として、財政改革を踏まえつつ地域の実情
に応じた医療・介護サービスの強化に取り組むとしています。具体的に
は、病院機能の分化と連携の強化(急性期/亜急性期/慢性期)
。在宅
医療の充実(診療所等での総合診療/訪問看護の整備)等が挙げられて
います。
これら基盤整備のための実行プランについては、与野党や医療関係団
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
体の中でも主張に違いがあって議論が重ねられていますが、何れにして
も、論点となっているのは、「地域の実情」と「将来的な予測」の捉え
方の違いであり、社会の「変化」に「適応」していくという視点では、
共通しているように思います。
私ども医療機関にとりましても「社会の変化」に即した機能を持ち「社
会に適応」していくことは永遠の使命であり、今後の社会制度の改革に
備え、地域の実情から将来のあるべき姿を予測した対応を図って参りた
いと思います。
また、私個人にとりましても、役割と責務の「変化」に「適応」して
職務を全うできるよう精一杯努力して参ります。今後ともご指導ご鞭撻
を賜りますようお願い申し上げます。
あきるの名所めぐり
(あきる野市上代継)
滝山街道の油平駐在所前交差点を西に向
かって行くと湧水で知られた白瀧神社があ
り、そこから秋川方向に向かって急坂を
下ったところに眞城寺があります。開山は
南北朝時代の観応 2 年(1351)で臨済宗
建長寺派の禅寺です。山門はないのですが、
入口から本堂までの長い参道が心を安らげ
てくれます。花の寺で、春は枝垂桜、夏は
百日紅が訪れる人を迎えてくれます。緑に
覆われた本堂の裏手に回ると、ここにも秋
留台地からの豊富な湧水が流れていて、と
ても涼しげです。
場所:J R 五日市線秋川駅より約 1Km。
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眞城寺
愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
一歩先へ!
特別医療法人社団 愛有会 理 事
三 愛 病 院 院 長
堀米 政利
投稿に先立ち、先ず東北地方の被災者の皆様に深甚なる哀悼の意を表
すると共に、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
この度の大震災、当院においては幸いなことに直接的な人的・物的被
害はなく、僅かに計画停電と言う形での影響にとどまりました。今後は
公益性の高い特定・特別医療法人として、その復興に向けた支援を行っ
ていくことが使命と考え、現在病院はその対象から除外されましたが
15 %節電に積極的に取り組んでいます。室温 27 ℃と言う温度は体温調
整の利かない高齢者にとっては少し厳し過ぎる数字であろうことを考慮
し、25 ∼ 26 ℃で管理しつつも現在昨年比 17%程節電出来ています。
又節電は、せめて「院内は明るく保っていたい!」と言う思いとはなか
なか相容れないところですが、消費電力の少ない照明機器への変換など
により、節電と明るい院内環境の両立をはかり、患者様が不愉快な思い
をされないで済むよう努力してまいる所存です。
介護療養型病院である当院においては、民主党への政権移行により
24 年度に計画されていた介護療養病床の廃止は6年間凍結されたこと
で、最悪の事態は回避できたと思っていますが、来年度予定されている
医療・介護保険の同時改定如何によっては多大な影響を受けることが危
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
惧されます。そんな時だからこそ、診療・安全・人事・経営などあらゆ
る面において、これまで通り常に一歩上の品質を目指し邁進することが
我々の使命であると考えています。
前回の日本医療機能評価機構認定病院の認可より5年、今年 11 月に
認定の更新を行います。昨年 10 月には全国的に見ても数少ない日本慢
性期医療協会から認定病院として認可を受けました。今後は、久米川病
院に続き、エコアクション 21、ISO:9001 といった第3者機関による品
質の評価にも耐え得るような取り組みを行って行きたいと考えていま
す。どうか皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。
二年を振り返って
三 愛 病 院 看護部長
舩越 俊子
三愛病院看護部長職に就き二年が経過しました。
年度目標、患者満足度の向上の検討等、トップダウンからボトムアップ
へ、職員の意識が変わり「選ばれる病院」を皆で作り上げていくと言う
機運が感じられる様になりました。
「終の棲家」としての介護療養ではなく、救急医療難民を防ぐための
役割、医療と介護が一体となりリハビリ機能の強化、地域支援医療拠点
として在宅との連携等慢性期病院の求められる使命は変化しています。
医療情勢が変化しても、国民は①安全・安心の医療②質の高い医療③
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
わかり易い医療を望んでいる事に変わりありません。求められる医療に
対して、患者不満足度調査結果による改善、日本慢性期医療協会認定病
院としての質改善の取り組み、職員の教育・研修、資格取得支援の充実
等は三愛病院として、医療看護・介護の質向上に対する評価として誇れ
る物だと思います。
今、病院機能評価更新(Ver. 6)を目前に、更に病院の質向上に対し
ての取り組みを行っています。
「患者・家族の意見がケアに反映されて
いる」かが審査の対象です。当院の受け入れ可能患者様の幅は大きく広
がったと自負しています。研修・資格取得で頂いた支援を活かせる時が
来たと思います。専門職としての知識・技術を活かし、心のこもった看
護ケアをする事。そしてこの為には、患者様を一人の人として尊重する
事、変化する患者様のニーズを知り適切なケアを提供する為、ベッドサ
イドケアの充実こそが、質向上に繋がります。更に高い質で「選ばれる
病院」として前進できるよう、「機能評価更新はスタートライン」であ
る事を全員で確認しながら精進したいと思います。
3.11 震災により最低限のニーズも満たされず将来に大きな不安を抱
きながらの生活を余儀なくされた方々、国民の力を結集して一日も早く
安心して生活出来る日が来る事を願ってやみません。
東日本大震災に寄せて
三愛病院 経理課 課長
林 徳行
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
3月 11 日午後 2 時 46 分、マグニチュード 9.0 という国内観測史上
最大の東日本大震災が発生し、東京でも震度5強を記録しました。丁度
その時、私は院内の会議室で行われていました予算会議に出席中でした
が、そこで揺れは感じたものの、それは緩やかなもので、後に事態の深
刻さを知って非常に驚きました。と同時に当院の建物の堅固さと耐震性
の高さを改めて実感させられ、安否を気遣い御連絡頂きました患者様の
御家族皆様にも、御安心いただくことができました。地震大国・日本に
いる限り、安全や安心など、それまでまるで空気のように日常に存在し
ていたものを、突然失う震災からは逃れられないのかもしれません。原
発問題などの複合的影響や、復興への財源捻出のための増税などの経済
問題も含めれば、国民全員が被災者と言え、これから痛みを共有し合う
日々は長期的に続くことでしょう。未曾有の大災害の過酷な現実、壊滅
的な被害状況を知るにつれ、何事も何かあってからでは遅すぎると強く
痛感しています。当院では、さらに自家発電機を追加し、その電力を非
常時に速やかに行き渡らせられるよう院内の配線補充工事を行います。
何があっても患者様と職員の無事と安全は、絶対に守られなければなり
ません。余震は数年続くと分析されていますが、我ら 三愛家族 のた
めに、一層万全を期してまいります。
三愛病院
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
チームワーク
特別医療法人社団 愛有会 理 事 久米川病院 看護部長
佐藤 利枝子
今年の 4 月から久米川病院 看護部長を務めさせていただいていま
す。早いもので 5 カ月が過ぎようとしています。
今年は 3 月の未曾有の東日本大震災があり、福島原子力発電の放射
能漏れや食の安全など、世の中も非常事態となっております。いまだに
ニュースを見ると切なくて涙が出ます。1 日も早く被災者の方々が安心
して暮らせるような対策が取られることを願っております。派遣された
医療者のお話を聞いたり雑誌で読んだりすると、今後の防災について、
真剣に考えなくてはいけないと思いました。
久米川病院では今年の取り組みとして、離床に力を入れております。
昨年度から 3 大合併症
(褥瘡・誤嚥性肺炎・尿路感染)
についてのケアワー
カーによる勉強会の成果を活かし、各部署で離床を進めています。離床
対象者を選定し、
車椅子で過ごす時間を増やすようにしています。また、
コメディカル部と協力し、
車椅子のよりよい座り方について研修を行い、
安全安楽な座位姿勢保持に努めております。車椅子で離床しているとき
の患者さんは表情が良いです。視界が広がり、
見えるものが「天井だけ」
でないのがとてもよい刺激になると思います。
一人ではできないことも、
チームで行うとより大きな力になると実感しています。今後もよりよい
看護・介護サービスが提供できるように努めてまいります。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
医療と音楽
久米川病院 事務長
服部 智美
私は音楽が好きなので、美しいメロディーを奏でている病院にしたい
と考えます。もちろん喩えての話なのですが、医療は音楽づくりと似て
いるような気がします。
良い病院を作ろうとする力は「良い治療や看護・介護の技術を提供し
たいという欲求」から生まれてくるものではないかと思います。
音楽も「良い演奏をしたい」「よい音楽を作りたい」という欲求から始
まります。オーケストラであれば、それぞれ楽器のプレイヤーが話し合
い日々技術を磨き、心をひとつにして演奏した時、素晴らしい音が響き
合います。
医療もそれぞれの専門家が知恵を出しあい、患者家族と共に考えより
よい生活に回復できるよう導いていき目標が達成できた時の喜びは大き
く美しい。事務職は不協和音を予測し、また、敏感に気づき修正のため
に協力し、土台を作る努力を重ねていきます。
ポールサイモンは
「たかが音楽いつだって辞められる」
とインタビュー
で話したそうです。
(ポールサイモン:シンガーソングライター
「ミセス・
ロビンソン」
「明日に架ける橋」等が有名)ある音楽家がなぜそんなこ
とを言ったのか憤慨して尋ねたところ「音楽は過去に向かってのみ進行
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
している。音は一ヶ所にとどまってくれない。音楽は一瞬の命。生み出
した瞬間に終わり、聞いてくれた人のものになる。
」と答えたそうです。
医療や介護も一ヶ所には留まっていてはくれません。一瞬の行為が命
取りになり、患者家族の心の痛手となります。また逆に、その患者の支
えになり、その人の幸福な人生の一部にもなっていくものともなります。
音楽づくりと同じです。良い音を出し続けようとしなければ、心に届か
ず、患者家族にとって居心地の悪いものになっていきます。
一音一音を大切に奏でていけば人の心に残る病院になるのではないで
しょうか。そんな魂が響き合う病院づくりに貪欲でありたいと思います。
東村山
名所めぐり
野火止用水
今年の夏は、 ゲリラ豪雨や雷雨が多く蝉の声をあまり
聞きませんでしたが、 お盆の頃から、 油蝉やミンミン
蝉の声が激しく聞こえるようになりました。 ある猛暑の
日、 涼求めを兼ねて野火止用水の取材を行いました。
野火止用水は、 1655 年 (承応 4 年) 野火止大地
や武蔵野台の灌漑用水として玉川上水から分水し、
野火止台地を経て新河岸川に注ぐ 28Km の用水で、 わずか 40
日間で完成させたということです。 別名、 伊豆殿堀とも呼ばれて
います。 澄んだ小川といにしえの武蔵野を伝える雑木林が残る「野
火止用水歴史環境保全地区」 には、 下里富士塚浅間神社があ
り、 地域の方々に大切に祀られています。 おさい銭をあげて、 ちょっ
と休憩をすると、 心がやすらぎ、 元気が湧いてきました。 その後、
武蔵野手作りうどんを食べて帰宅、 気持ちの良い時を過ごすこと
ができました。 (取材 : 久米川病院 3F 田沼)
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
久米川病院は、 平成 19 年 2 月に 「医療及び介護サービス分野」 で品質向上のためのマネジメントシステムを
取り入れている施設であることと認めるISO9001 : 2000の認証を取得し、 平成 22 年 3 月に、 ISO9001の2008年
版で認証の更新をしています。
久米川病院 ISO品質方針
1.より高い安全性を追求しミス・事故や患者トラブル・法令違反
のない病院であることを目指す。
前年度以下に低減することを目標とする。
2.前年度より、在宅復帰・施設復帰率及び回復率を高め、社会の
公器たる病院の適正かつ有効な運営を行なう。
3.高品質の医療・介護・健診の提供のために、機器の整備・人材の
育成及び研修を進め、利用者の高い満足度を得られるよう努力する。
4.品質マネジメントシステムを組織に広く浸透させ、その力を発揮させる
ために、新たな内部監査員の持続的な育成と、監査員の能力の
向上の為の研修の機会を設ける。
5.品質を支える職員の労働環境を継続的に
改善し、職員の心身の健康保持に必要な
整備を行なう。
登録番号:QAIC/JP/0101
久米川病院は、 平成 20 年 5 月に環境 ・ 資源の保全に取り組む施設であることを認めるエコアクション
21 の認証を取得しました。
久米川病院 環境方針
久米川病院では、 環境 ・ 資源の保全に取り組むために、
下記のとおり環境方針を定めます。
1. エコアクション21に準拠したマネジメントシステムを構築し
定期的な見直しを行いながら、 計画的に取り組みを
実施します。
2. 当院の環境 ・ 資源への影響と取り組みの状況について
定期的な把握 ・ 評価を実施します。
3. 取り組みを推進するために教育 ・ 研修を
行います。
4. 環境関連法規やその他の関連法規を
遵守します。
認証 ・ 登録番号
0002455
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
東日本大震災を経験して
学んだこと
特別医療法人社団 愛有会 評議員
訪問看護ステーションはぎやま 所 長
佐野 みゆき
はじめに、このたびの東日本大震災により被害を受けられた皆さまに
対し、謹んでお見舞いを申し上げます。被災地の皆さまの生活が少しで
も早く復旧されることを心よりお祈り申し上げます。
当ステーションでも、3 月 11 日はとても大きな出来事でした。まず
電話が通じなくなり、利用者様 ・ スタッフ ・ 家族の安否確認が大変困難
となりました。ステーションに戻り、皆の顔を見るまでは安心できませ
んでしたし、スタッフの東北にいる家族への連絡も翌日から翌々日まで
取れませんでした。震災当日はケアマネジャーと協力し、独居の方の家
へ向かい、安否を確認しました。家族のいる方は翌日の土曜日から翌々
日の日曜日に、電話が繋がるようになってから全員と連絡が取れ、無事
が確認できました。幸いなことに当ステーションの関係者に被害はあり
ませんでした。
しかし、ホッとしたのも束の間、次の計画停電の対応が週明け月曜日
から始まりました。テレビの情報に踊らされ、確実でないまま車を走ら
せました。人工呼吸器 ・ 在宅酸素 ・ 吸引器など医療機器のバッテリーが
足りず、ガソリンも少なくなる中、ボンベの確認をしたり、業者に連絡
を取ったり、吸引が必要な方には注射器とカテーテルを持って手動の吸
引方法を指導して回りました。どこのステーションも同じだったと思い
ますが、ひとつの事故もなく乗り切れたことに安堵しました。このこと
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
を踏まえ、災害時のマニュアルを作り直ししました。
次に、今年に入りましてスタッフがたくさん増えました。まず、常勤
看護師が2名、非常勤の理学療法士 ・ 作業療法士が5名、事務の常勤が
1名増え、総勢 26 名の大所帯となりました。お蔭様で念願の毎日リハ
ビリができる体制が整いました。
骨折してシーネ固定をしたまま在宅に戻ってきた 95 歳の女性が、歩
けるまでに回復したり、慢性閉塞性肺疾患で在宅酸素を使用している方
の呼吸リハビリが専門的にできたりと、利用者様や家族の方にも大変評
判が良いようです。地域の中で急性期のリハビリができるステーション
として確立できたらいいなと考えております。
これからもスタッフが働きやすい職場作りと、利用者様のニーズに合
わせた訪問看護ができるステーションを目指し、スタッフ一同頑張りま
す。今後ともご支援のほど、よろしくお願い致します。
居宅はぎやまの現状
指定居宅介護支援事業所はぎやま 所長
高橋 佐知子
東日本大震災から半年がたとうとしています。被災され、今なお大変
な思いをされている方々が多くいらっしゃると思います。心よりお見舞
い申し上げます。
3.11 震災時は、事務所にいました。今までに経験したことのない揺
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
れを感じ、外へ出て様子を見ていました。揺れがおさまった後は、電話
がまったく使えない状態で、利用者の方々に連絡がとれず、お一人暮ら
しの方、日中お一人の方からお宅を訪問して安全確認を行いました。ご
利用者全員の安全が確認することができました。
震災の影響で、マンションのエレベーターが動かなかったり、電話が
つながらなかったり、ガソリンがなかなか手に入らなかったり、いろい
ろ大変でしたが、同時に普通の生活のありがたみもとても感じました。
今なお、大変な暮らしをされている方が多くいらっしゃると思います。
一日も早く皆さんが普通の生活が送れるように私たちができることを
行っていきたと思っています。
最近の居宅の新規依頼について、
病院からの依頼が多くなっています。
その中でも末期癌の患者様で、訪問看護と一緒の依頼が増えています。
在宅に戻るにあたり、病院を訪問し、ご本人・ご家族の希望を伺い、無
事に退院できる様に、病院ときめ細かい連携をとっています。
入院中は、食事もほとんど摂れず、意欲も低下していた方が、在宅に戻
り食欲が出てきたり、表情が良くなる方が多くいらっしゃいます。自宅
で生活するということ、家族と一緒に過ごすことの大きさをあらためて
実感します。ご家族も自宅で看たいと思っても、どうしたら良いのか分
からず不安があったり、戸惑う事が多くとても大変なことですが、最後
には、短い期間でも家で過ごせてよかったと皆さん話してくれます。
私たちは、往診の先生や訪問看護師と連携しながら、患者様・ご家族
の負担を少しでも軽減し、ご本人・ご家族が望むより良い生活を、安心
して送れるようお手伝いしていきます。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
★特別寄稿★
「想定外」について思う
特別医療法人社団 愛有会 監事
公認会計士
原田 忠昭
今年の言葉を選ぶとしたら、
「想定外」で決まりであろう。辞書を引
いて見ると、
「想定」とは、
「仮に、こういう状況・条件であると決める
こと」とあり、
「想定外」とは、
「事前に予測した範囲を越えていること」
としかない。元々、使い勝手の良い言葉のようだ。
3.11 の地震、津波そして原発事故に関して、報道された言葉は、「想
定外」のオンパレードであった。想定外と言うからには、想定外とした
理由・根拠が、反対に、想定されたものについて、その想定した経緯と
検討項目・内容、想定されるものとして決定した理由・根拠、とともに
説明されるべきである。
私には、報道されていた「想定外」は、
暖昧な言葉として使われている、
としか思えなかった。
「想定外でした」の言葉だけでは、自分の都合で、
根拠もなく勝手に決めたことについても、想定外と言っていると思われ
ても、仕方がないと考える。
政府等のスポークスマンの発言には、後から訂正された重要な情報が
散見された。また、原発建設の許可取り消しを求めた裁判で、最高裁は、
原発は安全判決を下している。しかし、放射能汚染は、未だ解決の目処
もついていないようだ。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
本来、財務報告目的だけではなく、法令への準拠性、コーポレートガ
バナンスとともに、
適切な「リスクマネジメント」を支える内部統制が、
東電の「独立監査人の内部統制監査報告書」にもあるように、我が国で
は、
「財務報告のため」に限定されている。これは、日本の財界の、経
済的負担が大きいとの主張を、国が受け入れたからである。
被災地の現状、放射能汚染を目の当たりにして、取り分け放射能汚染
については、これらがすべて、この国の政治・行政・司法・財界・学者・
技術者等の想定外に起因するのかと思うと、口惜しく、また不思議でな
らない。何故なら、今回の " 想定外 " について言えば、10 メートルを
超える津波が来たら、原発にどんな影響があり、それにどう対処するか
をマニュアル化しておくだけのことだったからである。
リスクの想定外を出来るだけ作らないためには、想定されたリスクご
とに、その原因を出来るだけ多くの角度・切り口から分析し・把握して、
その原因ごとのリスクで、ある程度重要性のあるものについては、少な
くとも、それへの対処方法くらいは、明確にしておくことである。
「千年に一度に、
付ける予算はありません」
とおっしゃるそこのその人、
次の千年に一度は、明日かも知れません、そして、それを「想定外」と
言ってはいけません。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
★特別寄稿★
水分補給と体力
特別医療法人社団 愛有会 評議員
盛口 誠司
今年も暑い夏だった。去年よりも熱中症患者若しくは亡くなられる方
の人数が多かったそうだ。東北被災地のみならず全国的な節電気運の高
まりなどが特に高齢者や子供たちの発症の原因だと言われていた。そこ
で予防のためにテレビなどで小まめな水分補給や適度な休息を勧めてい
た。この様な現象がニュースになる一方、甲子園では汗まみれの球児が
活躍し、海や山では恒例の夏休みのイベントが各地で行われ、大人も子
供も精一杯の真夏を楽しんでいた。
この時期の日本人はいわば屋内派の体力温存組と屋外での真夏謳歌派
とでも言うべき二つのタイプに別れるように見える。恐らくウィンター
スポーツの季節も同様であろう。また、あるニュースでは日本の児童の
運動能力や基礎体力の低下が問題とされている。限界に挑戦して暑さ寒
さに負けない体力作りに励むことと決して無理をしないで体調管理のみ
を一義に暮らすのとどちらがいいのであろうか? この選択は多分に個
人の性格や嗜好の問題であり、さらには社会現象にまで普遍して考えて
みれば日本人もかつての元気な高度成長時代から高齢化の進んだ安定成
長時代に移行した現在単なる勇ましさのみにはコンセンサスが得られな
くなったと言う背景がある。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
老人ホームで静かに余生を送る高齢者や乳幼児、またはガンなどで療
養中の人々は決して体力的に無理をしない方がいいに決まっている。
しかし、私などまだまだ元気で人数も多い団塊世代は、かつて勇ましく
賑やかなことに慣れ、かつそう言うムードが好きな集団であっただけに
四季それも特に厳しい真夏や真冬の自然環境にドップリ浸かり切る楽し
みとその爽快さを知っている(だから中高年の山岳遭難が多くなるので
あるが)
。
そこで結論から申し上げると人間一人の命の源である水分(塩やミネ
ラル)の補給は個人の責任であり、誰のせいにも出来ないと言うことで
ある。そして体力増強や体調管理と言ってみても恐らく個人の体の様子
は単なる水分補給以前の基本的な問題として「その時の細胞内の体液の
バランスがどうなっているのか?」を問う事が先決である。恐らく日々
の食事や睡眠などの生活習慣に起因する体液やミネラル・イオンのアン
バランスは単なる一過性の水分補給のみでは正常化しないに違いない。
水分補給に加えてさらに親切なガイダンスをするなら人のせいにしない
であくまで自己責任による自己体液の日々の管理法を説くべきである。
出来ればこれぐらいの暑さの中でもビクビクせず少々水を飲まないで
も屋外作業の初志貫徹を貫く精神力と体力を鍛え毎日を楽しく過ごすべ
しと思う今日この頃です。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
★特別寄稿★
心と心を結ぶ「言葉」
特別医療法人社団 愛有会 評議員
前 東村山市 副市長
澤 田 泉
賑やかに 咲く向日葵に 問いかけし 終息を待つ セシウムなき日
3 月 11 日、東日本大震災のもたらした被害は原子力発電所を飲み込
んだ未曾有の恐怖をもたらした。災害知識や、経験で収拾策を知らしめ
たり、或いは数値化したりで、その恐ろしさを表現できない思いであり
ます。況して拙い私の知識からすれば、
唯、
只「未知の被災」
「無限の被災」
であります。その恐ろしさは、言葉を失い、表現できない計り知れない
史上まれな災害をもたらした。しかし、この問題の解決は、正に「今を
生きる人類の仕事」
(はぎ第 206 号・阿部院長執筆文中より)であるの
でしょう。被災者の皆さんに改めてお見舞いを申し上げます。
前後してしまいましたが、この紙面をお借りして自己紹介をさせて頂
きます。
23 年度から先輩先生方の御推薦を頂き、評議員に就任させて戴きま
した。東村山市職員として長年にわたり、東村山にお世話になって参り
ました。此の間、当市における人口の急増、都市化、福祉、医療、介護
など高齢社会を見据えての制度改革等々、多様な経緯の中、初代阿部院
長をはじめ、医療行政の重要性を先駆的に進言された当会先生方にアド
バイスを頂いてまいりました。救急から訪問看護等近年の市民ニーズに
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
対応する、行政と医療機関の基礎作りの時でもあったように思います。
縁あってこのような歴史ある当病院の評議員に就任させて戴いたこと
を誇りに思いますし、その任を全うしたいと思っております。愛有会を
サポートして頂いている関係者の皆さん、そしてこの「はぎ」の多くの
読者の皆さん、宜しくお願い致します。
私も昨年暮れに突然の心臓疾患に襲われ、21 日間入院生活を余儀な
くしました。自分自身、予想しなかったまさかの心臓手術、術後4日間
ICUで絶対安静、意識朦朧としながらも、幾つかのベッドに重症患者
が伏していて、何らかの形で集中、緊急治療を受けているらしい、隣の
ベッドから呻きが聞こえてくるICU治療室は喧騒の中、自らの意思が
少しづつ回復してくるに従って、医師の会話や救急車の昼夜を問わぬ出
入り、看護師さんたちのひっきりなしの忙しい動きなどが伝わってくる。
4日目の朝「もう大丈夫です」とオペをして頂いたドクターからの声を
聞いた時、幻想の世界から現実に戻ったような思いで、多分、蚊の鳴く
ような小さな情けない声だったのでしょう「有難うございます」
。「大丈
夫、大丈夫、手術は無事済みましたよ」とドクターの威勢の良い明るい
声に、大げさかもしれませんが、再生された自らの命に、自ら感激した
瞬間でした。
そして、素直に医術、医療、医学の発展に感動し、感謝した初体験で
した。この後も、時間の経過と共に順調に回復することができ、今の健
康があることに感謝しておりますが、入院中のドクターの一言一句に一
喜一憂したり、看護師さんの「脈拍、体温、血圧とも順調ですよ」と言
う言葉の重み、健康な時に解らない、患者のトラウマ的な神経を癒して
くれること、しばしでありました。
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
人と人を繋ぐ言葉、心の世界を垣間見ることのできる言葉の大事さ、
治癒の促進を図ってくれる言葉、その一言が医療従事者と患者特有な世
界との接点であり、改めてのこの大切さを知る機会でもありました。
愛有会の「基本理念」を反芻しながら、誰しも通る「生老病死」
、患っ
て受診・入院など、それぞれの患者さんの立場に立って、心通う、医療、
介護に、一層のお力添えを頂きますことを心より願っております。
★特別寄稿★
古希を記念して、
ホノルルマラソンに挑戦
特別医療法人社団 愛有会 評議員
西萩みどりヶ丘自治会 副会長
鶴賀 哲二
私は、平成 18 年 3 月末、65 歳でリタイアし、長い会社人生を終え
ることが出来た。
「サンデー毎日」と言う自由の身となったが、これか
らの人生で一番大事なことは「健康」である、それも足腰を丈夫に保ち
ながら。私は毎年スキーへ行っているが、一年を通して足腰を鍛えられ
る運動は何が一番良いか考え、ウォーキングだと思った。歩くスピード
は、目的によって多少異なるが、私の場合は大体時速6km 強(急歩)
で歩いている。この歩き方だとスキーでもジョギングの為にでも合うと
思う。私のウォーキングスタイルは、雨の日を除いて殆んど毎日 11km
(110 分で歩き、歩数は 14,000 歩位)歩いており、夏はなるべく朝 5
時半前後から、他の季節では朝食後の午前中にウォーキングする様にし
ている。リタイア後の3年間毎日ウォーキングをした結果、体重は7
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
kg 程減り、身体も軽く行動するにも動き易くなった。
68 歳になり、当然のことながら 2 年後には 70 歳(古希)になる。
古希を迎える歳に何かやりたいと思っていたので、ホノルルマラソンに
挑戦することとした。私は、ハーフもフルも一度も走ったことは無いの
だが、家族や友人たちに挑戦すると広言してしまい、自分自身を追い込
んでしまった。
さて、実行に移すとなると手始めにハーフマラソンを経験してみよう
と思った。初のハーフマラソンは、平成 21 年 10 月 25 日、「甲州市勝
沼ぶどう郷マラソン」だった。次の年の 1 月に米軍横田基地の中を走
る「横田フロストバイトロードレース」
、10 月に「甲州市マラソン」に
参加し、タイムは3回とも殆んど同じで、2 時間 25 分程で完走できた。
3回のハーフマラソンを経験し、いよいよ本番の初フルマラソンに挑
戦。初ホノルルマラソンは、平成 22 年 12 月 12 日、ハワイ時間の朝
5 時(気温 21℃)夜明け前の空に、
鮮やかな打ち上げ花火が打ち上げら
れ、号砲が鳴り響く中、世界各地か
ら集まったランナー 22,806 名(日
本人 13,490 名)が一斉にスタート
した。大勢の人が走る為、
私がスター
ト地点を通過したのは 12 分後だっ
た。
マラソンコースは、アラモアナ公
園をスタートして、アロハタワーか
らダウンタウン(クリスマスイルミ
ネーションを眺めながら)
、ワイキ
キ・ビーチを経由して、ダイヤモン
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愛有会通信 「はぎ」 第 208 号
ドヘッドの登り坂になる(スタートより 11km 位)
。丁度右手の海から
太陽が昇り、日の出の瞬間を見ることができた。日の出は美しく、朝日
に染まった輝く海は絶景で、最高のライジングサンだった。ダイヤモン
ドヘッドを登り切ると、いよいよ直線がずっと続くカラニア・ナオレ・
ハイウェイとなる。経験済みのハーフマラソン 21.1km を調子よく通過
し、未知の世界である 25km、30km、35km と走り抜けた。ここ迄は、
殆んど歩く事も無く走り続けることが出来た。35km を過ぎてからは、
歩いている人も多く、私の足の具合も疲れ切って、きつい状態になって
きた。何度か歩いたが、インストラクターからの「2分以上歩くと、そ
の後が走れなくなるから、必ず2分以内を守る様に」とのアドバイスを
守り、何とか走りきることが出来た。ゴールした時は、とても気持ち良
く、最高の喜びだった。
今や世界的に有名な市民マラソンとして親しまれているホノルルマラ
ソンの始まりは、心臓病予防にランニングの効用を説いた医師の呼びか
けによるもので、"LONG SLOW DISTANCE":「長い距離を時間をかけて
ゆっくり走ろう」という精神が今も変わることなく受け継がれ、制限時
間が設けられていないレースとなっている。
ランナーはそれぞれのゴールに向かって、自分なりのペースで楽しめば
O.K. ということだ。ハワイらしい大らかさと、沢山のボランティアの応
援が、走るパワーの源になり、私もそのお陰で完走できたのだと思う。
私はハーフマラソンを3度経験しただけの挑戦だったので、経験不足
と年齢から見ても少し無謀だったかなと思っていたが、何とか完走する
ことができ満足している。再度ホノルルマラソンに挑戦したいと思って
いる。80 歳になっても走れることが、私の大きな夢です。
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