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第103号 - 全国社寺等屋根工事技術保存会

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第103号 - 全国社寺等屋根工事技術保存会
古
文
化
古文化
受け継がれる、日本屋根の伝統美。
103号
第
龍 源 院
[京都市北区紫野]
表紙 ● 古文化にロマンを求めて
大徳寺塔頭
りょう
げ ん
い ん
龍 源 院
[京都市北区紫野大徳寺町]
沿 革
一 枝 坦
京都紫野の臨済宗大徳寺の塔頭で、南派の法源地本院
龍源院の方丈前庭を「一 枝坦 」という。これは当院開
然と位置している大徳寺中で最も古い寺である。
よって大悟せられ、その師、実伝和尚より賜った室号の、
臨済禅で唯だ一つのみ存続している松源一脈の “ 源 ” の
「蓬莱山」とは仙人の住む不老長寿の吉祥の島である。
として、由緒の殊に深く、朱色の大徳寺山門の前に、厳
その名称も大徳寺の山号「龍寶山」の “ 龍 ” と、今日の
両字よりなっている。
今より約 500 年前、文亀 2 年(1502)大徳寺の御開山、
とうけいそうぼくぜん し
大燈国師より第八代の法孫である東溪宗牧禅師(1455 〜
1517 /時の後柏原天皇より特に仏恵大円禅師の号を賜
る。
)を開祖として、能登(石川県)の領主であった畠山
義元公、九州の都総督であった大友義長公(大友宗麟の
い っ し だん
ね ん げ みしょう
祖の東溪禅師が、釈尊の拈 華微 笑という一則の因縁に
りょうぜん い っ し の け ん
霊山一枝之軒より銘されている。
方丈を背にして、庭の中央から右よりの石組が蓬莱山を
現し、右隅の石組みが「鶴島」であり、左の方の円い形
の苔山が「亀島」で、白い砂が大海原を現している。こ
の雑物一つなきそのままの端的な独創性の作庭は、おそ
らく他に全く類をみない庭園であろうかと思われる。
祖父)らが創建された。
明治の初め頃、神仏分離によって現在大阪の住吉神社
の内に在った往時の慈恩寺と、岐阜高山城主 金森長近
公が大徳寺に創建した金竜院とを合併して、今日に至っ
ている。
方 丈(重要文化財)
室町時代の禅宗方丈建築として、その遺構を完全にと
どめている唯だ一つのもので、我が国の建築史上、最も
枢要な存在である。方丈の棟瓦は、附玄関、表門の棟瓦
と共に、京都八坂神社楼門の棟瓦と同じ室町時代最古の
様式のものである。一重入母屋造、檜皮葺。
(表紙写真)
室中の襖絵「竜の図」は作者不明、年代不明だが桃山
~江戸時代の作といわれている。
方丈室中襖絵「竜の図」
方丈前石庭「一枝坦」
■庭園略図
檜皮採取者養成研修 第14 期生 及び
平成 25 年度 檜皮採取中級研修 始まる
平成 25 年度の檜皮採取者養成研修事業は、今年度も 4 名
の研修生が入講し、8 月 20 日から京都市文化財建造物保存技
術研修センターで、座学やへら作りを行った後、8 月 26 日よ
り福井県越前市の大瀧神社の社有林において、実技研修を開
始致しました。荒皮での採取研修になりますので、初めて作
業を経験する者にとっては、葺材料として価値のある檜皮を
採取することは大変難しい作業になりますが、檜皮葺にとっ
て大変重要な仕事ですので、しっかりと基本を身に付け色々
な講師の技術を学んでほしいと思います。
また、中級研修生については、今年度は 32 名で岡山県内
にある民有林での黒皮採取の研修をかわきりに、国有林での
黒皮・荒皮の採取研修を行っていきます。技術レベルの高い
者は初級研修生の指導にも当たってもらいます。人に指導す
る事により自分の技術をもう一度見直し、いっそうの技術の
レベルアップにもつながると思います。
国有林をはじめ山林所有者の方々には今後ともご理解とご
協力をお願い申し上げます。
第 14 期研修生は下記の 4 名です。
[檜皮採取者初級養成研修
第 14 期生]
◦髙島 優雅
/ ㈲社寺工芸大紀堂
◦白川 将士
/ ㈱児島工務店
◦片岡 海舟
/ ㈱児島工務店
◦山城 直也
/ ㈱友井社寺
1
平成 25 年度
文化財研修会 開催
いてを学ばせて頂きました。時折、落語調の語りを織り
期 日 ● 平成 25 年 9 月 27 日金
交ぜながら話され、参加者からは笑いが漏れる場面も多
ずいりゅうじ
会 場 ● 高岡山 瑞龍寺
(富山県高岡市関本町 35)
く、皆一様に興味深く拝聴しておりました。お話の中に
ありました文化財建造物、歴史を途絶えさせることなく
後世に引き継いでおられるご苦労は大変なものと感じま
本年度は前田家と縁の深い瑞龍寺で開催いたしまし
したし、四津谷様を始め瑞龍寺の皆様の熱意と努力には
た。保存会正会員・準会員、諸関係各者、約 70 名の参
感銘を受けた次第です。
加者の下、現場見学と講演会を開催しました。保存修理
毎年、いろいろな場所を回り研修会を開催しておりま
現場見学では(公財)文化財建造物保存技術協会 賀古唯
すが、当保存会に対する期待は非常に大きいと常々感じ
義様に説明を頂き、
「伽藍瑞龍」と呼ばれる美しい伽藍
ております。今後もこういった活動を続け、資質の向上
を回りながら建築構造、修理概要などの説明を受けまし
に努めてまいりたいと思います。
た。地方色や時代変遷、これまでの修理工事での問題点
最後になりましたが公務ご多忙の中、我々の研修会に
など、様々な角度からお話を頂きました。
ご協力を頂きました(公財)文化財建造物保存技術協会
また、講演会では副住職の四津谷道宏様にご講話を頂
様、そして貴重な研修場所をご提供頂きました瑞龍寺様
き、瑞龍寺が建立されてから今日に至るまでの変遷につ
よ
つ や
に紙面をもちまして厚く御礼申し上げます。
どう こう
四津谷 道宏プロフィール
●1969 年富山県高岡市生まれ。
●駒澤大学仏教学部を卒業。
●大本山総持寺で修行。
●平成5年から瑞龍寺副住職になる。
●瑞龍寺において、落語的拝観説明が好評
となり、各地で講演活動を行う。
●瑞龍寺でコンサートやライトアップなど
を企画し、ボランティア活動も積極的に
行い、開かれたお寺の形を模索中。
●個人的には、学生時代からの機械好きが
高じて電気自動車を製作・登録もさせて、
環境問題にも取り組む。
伽藍瑞龍の仏殿
2
平成25年度[第2回]
特 別 講 座(全4回)
「伊勢の遷宮と御造営工事」
伊勢神宮式年造営庁 造営部
技 師 宇 津 野
金彦
径材まですべての木材を調達するには 100 年以上かかる
日 時 ● 平成 25 年 8 月 3 日土 14:00 ~ 16:00
見込みですが、利用頻度の高い末径 45 ㎝前後の原木は、
会 場 ● 文化財建造物保存技術研修センター
あと 40 年ほどで賄えるようになる見込みです。いずれ
にしても本来あるべき姿として、聖域である内宮、その
【講演内容要約】
周囲の山から原木を調達したことは注目されますし、ま
た今日的には「自給自足」
「循環型」のシステムとして評
私は神宮の技師として、前回に続き今回の第 62 回式年
価することができると思います。その意味で今後のいわ
度の御造営工事を通じて切に感じたことは、
「宮造りは人
いかと思います。
の繰り返しが遷宮の御造営工事を支えてきたと思います。
承してゆくことを心掛けています。便利な電動工具が多
いて、20 年に一度、正殿をはじめとする諸殿舎御門御
また正殿の簀屋根にはホイストクレーンを設置しました
て、東から西、西から東へと大神を本宮から新宮へとお
柱(ジンポール)を用いて作業を行いました。クレーン
同 6 年(692)に外宮の遷宮が初めて行われて以来、1300
ない場合には、このような人力を基本とした伝統的工法
だしその 61 回の遷宮がすべて順調に行われたわけでは
また、木材と萱の耐久性を向上するため、学識経験者
遷宮の御造営工事にかかわることができました。この二
ばメルクマール(今後の指標)となる御造営工事ではな
作りであり、人作りは宮造りである」ということです。こ
御造営工事を通じましては、伝統的な技術や工法を継
神宮の式年遷宮とは、東西に相接して並ぶ御敷地にお
くありますが、部材の切組と仕上げは手道具が基本です。
垣の造替と正殿殿内に奉安する御装束神宝の調進をもっ
が、棟持柱等の建方に際してはクレーンに依らず、坊主
遷しする儀式のことです。持統天皇 4 年(690)に内宮、
を使えば安全で早く作業ができますが、重機を使用でき
年余の歳月のなかで 61 回の歴史を重ねてきました。た
に依らなければならないからです。
なく、中世の戦乱期には両宮とも 120 年以上に及ぶ遷宮
や専門家の方々とともに様々な調査研究を行いました。
す
や
ね
かや
木材は、地中に埋まる柱根部分に銅板を被覆しました。
中絶期がありましたが、その後近世初頭に再興されまし
おそらく20 年過ぎても健全で、その部分の再利用が期待
た。1300 年余に及ぶ伝統と 120 年余の空白を埋めてな
おかつ再興されたという史実は、遷宮というシステムに
できます。屋根の萱につきましては、天然系の水溶化木
力が内在していることを物語っています。
のない建物に葺きました。環境に優しく、また植物性の
ちの約 24 %を神宮の宮域林から準備しました。全体の 4
多くの方々のご協力ご理解と神宮に対する想いによ
酢油に萱を浸け、自然浸透によって処理した萱をご神座
古代以来の民族的志向を基層にした強靭な持続力と復元
当度の御造営工事では、造営に必要な原木丸太のう
萱屋根を長期に亘り健全な状態で維持できると思います。
分の 1 程度でしたが、およそ 730 年ぶりに本来の御杣山
り、今回の御造営工事が粛々と進められましたことに改
むなもちばしら
めて感謝するとともに、このような伝統文化を今後に
である内宮周辺の山から調達しました。棟持柱などの大
しっかりと継承してゆきたいと思っております。
1300 年以上の長きにわたり連綿と引き継がれてきた
技術と伝統文化を後世にしっかりと伝えていくため、現
場の第一線で指揮を執っておられる宇津野氏のお話を大
変興味深く拝聴いたしました。造営工事も佳境に入り、
大変お忙しい時ではあったかと思いますが、当会講座に
お越しいただきましたこと、この場を借りて深く御礼申
し上げます。
3
平成25年度[第3回]
特 別 講 座(全4回)
「町家のくらしと、しきたり」
西陣くらしの美術館
株式会社 冨田屋
代表取締役 田
中 峰 子
も知って頂くことで本物の京都を伝えることができると
日 時 ● 平成 25 年 9 月 7 日土 14:00 ~ 16:00
考えています。また、京都では暮らしそのものが文化で
会 場 ● 文化財建造物保存技術研修センター
すから様々な体験をとおして〝生きた町家〟に触れて頂
ければと思います。
京の女達が代々受け継いできた風習やしきたりを守る
今年度 3 回目となる特別講座では、西陣くらしの美術
のは、容易なことではありません。息をしている町家か
館(株)冨田屋より田中峰子様をお招きして、町家のく
らでる「気」を感じて頂き、そして、西陣に伝わる心身
らしとしきたりについてお話いただきました。
共に美しく生きる知恵を少しでも後に残していきたいと
【講演内容要約】
願っております。西陣には伝統と歴史があることをア
ピールすることで、また昔のようにたくさんの人が来て
くれる町にしなければいけないと思っています。冨田屋
室町の町家は門構えの大きな家ですが、西陣の町家は
をはじめ、とにかく西陣に来ていただいて、触れて頂き
典型的な町家で間口がせまく奥行が長い家になっていま
たい。現在ではいろいろな文化を体験することもできま
す。質素倹約を旨とし、家の奥に行くほど人に見せない
す。これからも力のおよぶ限り行事やしきたりを守って
ような空間になっており、その空間でお茶や能を楽しん
いきたいと思います。
でいた習慣がありました。
町家には、有形の建物が残っているだけでなく、その中
にしきたり行事や神事ごとなど無形のものも残っていま
す。昔から町家の「くらしの一部」として、皆が祈りを
着 物 の 街、 西 陣
ささげ家内安全、無病息災というものを願っていた心の
支えといえるものが、今も町家のくらしに残っているよ
に脈々と伝わる
うに思われます。
しきたりや暮ら
現在も老舗呉服商を営む冨田屋は、西陣で女性が着物
し方を、終始穏
受け継がれる精神(こころ)が生活をより上質にすると
お話しされてい
を着て生活するという美しさ、所作へのこだわりや代々
やかな表情で
いった文化の大切さを広めるべく、
「冨田屋」を公開し、
たのが非常に印
古き良き時代の生き方を伝えています。
象的でした。代々
伝わる家を守ること
はたやすいことではな
西陣の歴史と暮らしを
今に伝える生きた町家
いと思います。講演を通じ、
忙しない日常生活の中でともすれば忘れ去られがちな日
神様と共に暮らすしきたりがあります。今も毎朝、炊
本人の「暮らし方やしきたり」の大切さを改めて考えさ
き立てのご飯と神水(井戸水)を各神様にお供えするこ
せられたように思います。より多くの方々に伝統文化を
とから一日が始まります。心に住んでいる神様に…、物
知って頂くことは我々の使命でもあります。先人たちの
を大切に敬い奉る心に…、これが京都の伝統を守ってき
想いや知恵を大切に守りながら、さらなる精進が必要だ
た原点の精神
(こころ)
です。
そのこころを伝えるために、
と感じています。
代々受け継いだ冨田屋を京の歴史や文化を伝える建物と
最後になりましたが、ご講演頂いた田中峰子様にはお
して保存するとともに公開しています。
忙しいところ貴重なお話を頂戴しました。この場を借り
建物をただ見学頂くだけでなく〝暮らしのありよう〟
て厚く御礼申し上げます。
4
「日本の技 体験フェア」
開催
ふれてみよう! 文化財を守り続けてきた匠の技
ぶまれていましたが、幸いにも無事開催することができ
期 間 ● 平成 25 年 10 月26日土、27日日
ました。しかしながら、当会のブースは当初屋外に設置
会 場 ● 鶴ヶ城体育館
(福島県会津若松市城東町 14-51)
予定でしたが、風雨の影響から急遽屋内の設置に変更に
なり、おなじみ唐破風模型のお披露目とはいきませんで
した。
より身近に伝統技術を知ってもらおうと、これまでの
二日間でのべ 1400 名の来場者を迎え、伝統的な屋根
「伝統の名匠」から「日本の技 体験フェア」に名称を改め、
工事技術の展示、実演、そして屋根葺き体験コーナーと、
選定保存技術保存団体 29 団体が福島県会津若松市に集
会津の地で当会の魅力を存分に発揮できたのではと思い
まりました。当地は、大河ドラマ「八重の桜」で脚光を
ます。冷え込みが厳しくなってくる季節ではありました
浴びており、多くの観光客が訪れ賑わいを見せていま
が、鶴ヶ城体育館のなかは匠の息づかいと参加者の熱気
す。
で、冬を通り越し、桜咲く春のような雰囲気が漂ってお
この度のイベントは、台風の影響で直前まで開催が危
りました。
檜皮拵えの実演
竹釘を打つ檜皮葺体験コーナー(子供も大人も興味津々)
今年度のPRポスター
準備風景(会場の鶴ヶ城体育館)
5
京都の森を守ろう!
匠の技に歓声!
「清水の舞台裏を探検」
檜皮採取の見学会
に参加
in 南木曽
期 日●平成 25 年 9 月28日土
期 日●平成 25 年 10 月30日水
会 場●高台寺山国有林(京都市東山区)他
会 場●賤母国有林
(長野県木曽郡南木曽町南吾妻)
しずも
京都伝統文化の森推進協議会(以下協議会)
から依頼を受け、当会から大野浩二理事と森山
長野県の南木曽町南吾妻の賤母国有林で、南
長が説明を行いました。このイベントは、協議
採取の実演見学会を行いました。実演は糸賀一
淳希原皮師が採取の実演を行い、村上英明副会
木曽小学校 3 年生の児童約 40 人を対象に檜皮
会が清水寺をモデルに、舞台の修復、檜皮屋根
道原皮師が行い、説明は栗山弘忠理事が行いま
の葺替、その他修復に関わる材料を育てていく
した。
「
《京都の森=歴史・文化の森》を考えるきっか
南木曽小学校は、毎年「総合的な学習」の時
けをつくること」を目的として行われました。
間を利用し山林の有効利用について学んでおら
当日は快晴の中、約 200 名の参加があり、檜
れ、参加児童からは「怖くないですか?」
「どこ
皮採取のほかにも森林インストラクターの案内
まで登るのですか?」など多くの質問が飛びま
で、修理中の清水寺奥の院や阿弥陀堂の内部を
した。初めて見る原皮師の技に、児童たちは興
見学したり、木工体験、最後にはお楽しみ抽選
味津々見入っている様子でした。
会があったりと盛りだくさんの内容でした。
当保存会は南木曽支署と連携・協働しなが
ら、檜皮の森づくり、檜皮の安定供給に向けて
の取り組み、森林環境教育を始めとした諸活動
を行っており、こうした取り組みについて新聞
に取り上げられるなど、地域に向けた PR も図
られています。
檜皮採取を見学する親子
森に関心を持ってもらおうと小学生親子の参加者を募った
長野県の地域新聞「市民タイムス」に紹介された記事
6
温故
知新
● 現場レポート
第8回
竹林山
しょうじょうじ
常勝寺
檜皮採取
[正会員]大
野 浩二
立されましたが、それでも寺運は上向かず、遂には慈眼
当保存会の会員によって施工されている、現場の様子
院のみとなりました。様々な歴史を重ね、そしてようや
をお伝えする「温故知新」
。今回は、施工に必要な資材
く学徳秀れた第十六世実應法印が自ら霜をふんで山林経
である檜皮を竹林山 常勝寺で採取したときの様子をお
営に粉骨し、入りては法灯を高くかかげ、諸堂修復に砕
届けします。
身され、この後寺運日を重ねてよみがえり、今日に至り
ます。本堂には国指定の重要文化財「千手観世音菩薩
立像」と「薬師如来坐像」が安置されています。
由緒ある常勝寺の歴史と檜木
今回このような大変歴史あるお寺での採取作業になり
ます。山の中腹にある本堂まで真っ直ぐに延びる 365 段
の階段を登り、途中にある仁王門をくぐって、更に階段
竹林山 常勝寺は孝徳天皇の大化年間(645 〜 650)はる
をしばらく登って行くと、ゆうに 300 年は越えると思わ
増しに栄え、僧坊七十余りの一山地となりましたが、永
りきるとようやく本堂に辿り着きます。
ました。その後、泉州槙尾山の浄意上人が来山して、本
ます。檜皮葺の建物もたくさんあったため、かなり昔か
乱の兵乱により全山堂宇残らず焼失しました。
くある檜木の中で、この山では中くらいの檜木(直径 70
かインドより渡来した法道仙人により開基され、寺運日
れる杉と檜木の木立が目に入ってきます。この階段を登
保年間(1081 〜 1084)の出火により、堂塔すべて焼失し
本堂のまわりには数百本の檜木の大径木の森が広がり
堂はじめ諸堂を建立されたが、天正三年(1575)戦国動
ら檜皮の採取がされていたようです。今回はそんな数多
じげん
㎝)の採取の様子をお話ししたいと思います。
慶長十三年(1608)の記録には慈 眼院はじめ十箇坊の
名が記されています。当山住僧智光法印が再建に着手し
せい
ましたが工半ばにして遷化。その後、時運至ず空しく星
そう
霜を重ね、大塔中堂は中絶し、ご本尊等は山麓の里坂本
名 称●竹林山 常勝寺
ご じ
の小宇に安置し、里人により護持されておりました。元
場 所●兵庫県丹波市山南町谷川2630
こしなた
禄十年(1697)ようやく良海法印が本堂を修復し、寺坊
道 具●ヘラ、ぶり縄、腰鉈、胴切包丁など
七舎のうち慈眼、松林、普賢、蓮乗、宝樹の五ヶ院が建
7
常勝寺での檜皮採取
3
1
にぶり縄を掛けていくのですが、この木は太く、
手が回りませんでしたので、ぶり縄の両端ともあ
らかじめ皮の下に通しておきます。
最初のヘラ入れは、檜木根元の外周形状に注意し
て最もスムーズにヘラが入れられる箇所を決めま
きぬかわ
す。木を傷つけないように充分注意しながら絹皮
(樹皮下の形成層表面の皮)をなるべく残さない
ように、この木では 20 ㎝前後の皮幅で手が届く
4
ところまでヘラを使い、皮が割れないように注意
して剥きます。
2
根元の剥き作業が一周終わるとたこ足状の皮の下
ヘラが届かなくなると、皮を両手でしっかりと持
ち、下方に引っ張るように木から徐々にたぐり上
げていきます。そこそこ絹皮がついてきたので、
この木は 3 m 50 ㎝ほどの高さまで剥き上げました。
8
皮が折れたりしないように注意しながら、皮の下
に通したぶり縄を一段目、二段目と掛けます。二
段目は剥き上げているギリギリいっぱいの所に掛
けます。
5
二段目まで登ると、一段目をふりほどき腰縄にし
て、両足とも二段目のてぎ(ぶり縄の端に付けた
木の棒)に登り、ナタで皮を切り落とします。こ
の木は斜面にあり根元で木の表と裏では 50 ㎝ほ
どの差がありましたので、切り落とす時は 20 〜
30 ㎝の段差をつけて切り落としました。
8
6
ていると思います。高い所から皮を下に落とす場
合、地面で折れ曲がったりしないようにする為、
水平に着地するように注意して落とします。
登ってから次の段にぶり縄を掛けていく場合、絶
対にロープを離さないようにします。登ってから
は 3 mの長さを目安に採取していきます。
9
7
枝がある所まで登ってくると高さは 10 mを越え
枝が多い所になってくるとぶり縄を使わず、枝を
足場に作業します。檜木は枯れ枝になっても大変
丈夫なので充分体重を支えてくれます。枝の中で
ロープを使うと大変手間がかかりますので、少々
危険ではありますが注意して作業し剥き上げてい
枝がある近くまで登ってくると、この木では、風
きます。このあたりで高さは 15 m程でしょうか。
によるゆり切れが見られました。中の絹皮までは
枝も密集してきて短い皮しか採取できないので、
切れていないので、外皮は使えませんが、剥き上
もう少しで採取は終了です。
げることにしました。短く切れてしまうような木
は採取をやめる場合もあります。
9
12
10
採取した檜皮はきれいにそうじをして小束にして
から結束して、集積場所まで担いで運びます。後
の荷造り作業がしやすい平らな広い場所が、今回
は比較的近い所にありましたので、助かりました。
よい場所がない場合は、20 〜 30 分担ぐこともあ
ります。
採取作業が終わると、ぶり縄をつたって地上に下
ります。この時は両足で木をはさみ、手はすべら
ないようにしっかりと持ちかえて握りながら下り
ます。
檜皮採取を終えて
今回採取した木は直径 70 ㎝で、剥き上げた高さは 15
m余りと思われますが、作業にかかった時間は 3 時間弱
ほどでした。一般的に採取される 10 年前後を今回はか
なり過ぎていたので、厚皮になり、表皮は風化していて
使えない部分もありましたが、これまで何度も採取され
ていますので充分に使える檜皮が採取できました。この
ような大径木が数多くある森は、経験の浅い若い職人達
にとっては技術向上において大変よい修業の場でもあり
ます。
今後もこのような森が守られていくことを願います。
11
森が守られる事によって技術も継承されていくことで
地上に下りると、垂れ下がっているぶり縄を長め
しょう。
に持って左右に勢いよく振って落下させます。
発 行 所
京都市東山区清水二丁目 205-5
文化財建造物保存技術研修センター内
あ と が き
年の瀬も迫り、慌しさが増す今日この頃です。
今回の古文化も年内最後の発刊となりました。全 4
回を催す特別講座も今号が届くころには全てを終
了していると思われます。当会の会員のみならず、
一般の方も対象にした講座は毎回その参加者数も
増え、技術的な分野から日本の歴史、風習、文化
と広がり、一般の方にも興味のある内容となって
おり、今後もより多くの方に参加して頂けるよう
続けていきたく考えております。
TEL 075-541-7727 FAX 075-532-4064
http://www.shajiyane-japan.org
古文化 第 103 号
平成 25 年 11 月 30 日発行
10
●北から南から
■ ふ
る
さ
と
探
訪 ■
松 村 正 義 さんの古里
「 近 江 の 千 両 天 秤」
松村正義さんが住む滋賀県東近江市は琵琶湖の東岸に
近江商人の経営哲学は「三方よし」という言葉に集約
の出身地でもある。商人は日本中にいるにもかかわらず
とっても良い商売をする必要があるというのだ。他国で
位置し、中世から昭和にかけて全国で活躍した近江商人
近江商人がわざわざ出身地の名を冠して呼ばれるように
なった理由のひとつに地理的要因が挙げられる。細長い
日本列島中央部がくびれた部分である東近江には江戸と
京・大阪を結ぶ街道が伸び、西日本の産地から東日本の
消費地へ、またその逆方向へ運ばれる物資の多くがこの
地を通過していった。目の前を行き来する物産を眺めて
情報収集し、必要とされる物を必要とされる場所に運ん
で販売するようになったのが近江商人である。
てんびん棒の両端に商品を下げ、歩いて売りに行くのが
彼らの商売のスタート点だった。本拠地で固定客がつく
と、歩いて行けないほど遠く離れた消費地まで販路を広
げるために支店を設けたことで、近江商人の名は全国に
知られるようになった。今日では一般的となった支店開
されている。売り手、買い手に良いだけでなく、世間に
商売をするためには土地の住民に快く迎え入れてもらわ
なくてはならない。出先で得た利益の一部をその土地に
還元するよう経済貢献に努めたことで、近江商人は他藩
でも経済活動を許された。自由経済となった現在でもそ
の気風は色濃く残されているという。
東近江市内には故郷に錦を飾った商人たちの家が多数
残されていて、白壁の大邸宅と贅を尽くした日本庭園に
は立身出世をなしとげた者の満足感が溢れている。しか
しその門前には雨合羽を来て天秤棒を担いだ人物像が立
ち、豪商もその始まりは身一つを粉にして働く行商人
だったという「近江の千両天秤」伝説を今に伝えている
のだ。
設という手法は、彼らが手がけた画期的な販路拡大方法
だった。高島屋デパートや日本生命保険、総合商社の丸
紅、伊藤忠商事も近江商人の流れを汲むとされる企業で
ある。
(文・イラスト 米林 真)
古 文 化
古文化
第
103 号
Fly UP