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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title 金子みすゞの世界 Author(s) 佐久間, 正 Citation 長崎大学総合環境研究, 15(1), pp.13-30; 2013 Issue Date 2013-02-20 URL http://hdl.handle.net/10069/31096 Right This document is downloaded at: 2017-03-30T04:14:14Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 長崎大学総合環境研究 第 15 巻 第1号 pp.13-30 2013 年4月 【研究ノート】 金子みす Sの世界 佐久間正 TheP o e t i cWorldo fKan ekoMi s u z u TadashiSAKUMA ちひさい私の 私はこれまで金子みす;_. (1904~30) こころは大きいロ の詩の環 境教育における意義を指摘するとともに、近代日本 1 8 4 1 の環境思想を考える上で、みす刈立、田中正造 ( だって、大きい母さまで、 -1913) 、南方熊楠 (1867~1941) 、宮沢賢治 (1896 まだいっぱいにならないで、 ~1933) と並んで逸することのできない人物である いろんな事をおもふから。 ことを強調し、みす Yの環境思想について考察して 。その過程で、みす Yの詩の全体的検討がいま きたi 「こころ」は、お母さんの「おこころはちひさい」 だ不十分である現状を考えると、環境思想に限定す ることなく、詩によって表現されたみす Yの世界を という意表を突く詩句から始まる。一般にある人の 再構成し、その特質を明らかにすることが必要であ ることを痛感してきた。 例えば私たちは、みす Y の詩から対象を見る眼の 的確さと詩的表現の鋭さ、斬新さを容易に知ること l l ) と題された詩を読ん ができる。「こころ J (全集 i でみようえ 心が小さいとか心が狭いというのは、その人に対す る否定的表現である場合が多い。しかし第 2速を読 んで、私たちはその表現に納得する.こうして私た ちは、「こころJが、対象に対する心の二様のあり方 を誰もが判る平易な言葉で的確に表現した詩である ことを理解する.心の特質をこのように平易に、し どい れさ けひ いち はきのは ま大まろ さでさこ 母広人母こ お制大おお かし本質的に、そして鋭敏な詩的表現によって述べ た音寺がこれまであったろうか。 「お菓子J (全集1I)と題された詩を読んでみよ う 。 いたずらにーっかくした 弟のお菓子。 だって、お母さまはいひました。 ちひさい私でいっぱいだって たべるもんかと思ってて、 たべてしまった、 一つのお菓子。 私は子供で ちひさいけれど、 母さんが二つッていったら、 どうしよう。 *長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科 受領年月日 2 0 1 2年 1 0月 3 1日 受理年月日 2 0 1 3年 1月 2 3日 - 13 - 佐久間 正 おいてみて な世界を理解するととを妨げかねないと考えている。 とってみてまたおいてみて、 みす Yの詩は確かに、題材といい内容といい、童謡 それでも弟が来ないから、 として理解し得る作品が少なくない。また、みす Y たべてしまった、 自身がおそらく童穏という自覚を持って書いた作品 二つめのお菓子。 も少なくない。しかし、とりわけ、自死に至る不幸 な結婚時代の作品には、童謡として読むことのでき にがいお菓子。 ない、あるいは童謡として読もうとすると作品を正 かなしいお菓子。 しく理解できないものが少なくないように思われる@ 私がこれまで環境思想史研究の視点からみす Yの詩 みす Yはその詩で子どもの日常生活を的確にスケッ を取り上げてきたのも、一つには童謡詩人というみ チし、子どもの感情や心理の揺れを巧みに表現する。 す Y評に違和感があったからだ。だから、これまで 「お菓子」では、自分の分のお菓子を食べてしまい、 私は、みす Yの作品を詩として読むことに努めてき お菓子のうまさに抗しきれず、勝踏しつつも不在の た。そのとき、みす Yの詩的世界はどのようなもの 弟のために残しておいたお菓子まで食べてしまった として立ち現れてくるのだろうか。本稿は、それに 子どもの気持ちが、最終速の「にがいお菓子。/か 対する一つの回答である。 なしいお菓子。」という 2句によく示されている。 読者の便宜のため本稿の結論の主要な内容を先取 もう一つ「積もった雪J(全集 m )を読んでみよう。 りして記しておこう。みす Yの作品は、矢崎節夫氏 の用いる「みす Yコスモス J に倣って言えば、いわ 上の雪 ば〈みす Y哲学〉と言ってよい特有の世界観と自然 さむかろな。 観、そして人間観に支えられている。 世界は「神 (仏)J r 自然Jr 人間」から成る。この 3 者のI 債は価 つめたい月がさしてゐて。 値的序列でもある。後 2者は神の被造物であり、あ 下の雪 らゆる生きもののたましいは死後天上の神の固に行 重かろな。 く(極楽浄土に往生する)。私たちが生きている現実 何百人ものせてゐて。 の世界は、人間とそれ以外の生きもの、そしてそれ 想としては人間中心主義問自r o p ∞m仕 副nを超え た自然の根源性の把握であり自然中心主義 で ν ? な 。芳一 か半間 なみ ろも 雪し F 地 のみも 中さ空 らの根源的基盤である自然から成る。これは環境思 physioan仕ismの立場であるi i i 人はさみしさとや さしさを本源的に有している。さみしさの根源には、 みす Yの詩の技法の特徴の一つは、この作品に見ら 愛情にも物質的充足にも癒やされない人の単独者と れるように擬人法の多用である。擬人法は読者を著 してのさみしさがあり、そのさみしさは仏(神)の 者の示す世界に引き込みゃすいから童謡や童話では みが共有してくれる(同伴者としての仏)。やさしさ しばしば見られる技法である。そして、擬人法は肯 は、あらゆる生命がその根源的基盤である自然と繋 定否定の表現いかんに関わらず対象への深い共感を がり包まれているとと、また神の被造物としての同 前提とする。一面の銀世界、その雪を上中下に分け 質性によって支えられており、個の特有性の理解を 重かろな」と想像する て擬人化し、「さむかろなJ r 踏まえた多様性の肯定、多様性の讃歌に結びついて ことはできても、最終速のように上下を同質の雪に いる@これは環境思想の特質の一つである多様性 挟まれた中の雪のさみしさを読み取っていくのは、 d i v e r s i t yの尊重に他ならない。 みす Y独特の感性と言ってよい。さみしさは、とと くみす Y哲学〉を中心としてみす Yの世界を再構 では、同質のものに固まれていても異質の他者に接 成し、その特質を考察していく前に、短いみす Yの しえないことに由来しているのだ。 生涯における、詩作との関連で留意すべき事柄につ いて言及しておこう1 1 みす Yは童謡詩人と評されることが多い。しかし、 (1)相次ぐ喪失と別離。祖父の不在、父の死(み 私は本稿で明らかにするように、童謡詩人という側 す,. ' 2歳古、弟正祐の他家(叔母フジの婚家上 面のみでみす Yを捉えることは、みす Yの詩の豊か 山松蔵家)への養子 - 14 - ( 4歳)、無二の親友渡辺 金子みすゞの世界 ほほよ 豊身代の大津高等女学校退学 ( 14歳)、叔母 浜辺の石は唄うたひ、 1 5勝、母ミチの上山松蔵との再 フジの死 ( 波といちにち唄ってる。 1 6歳)、田辺(渡辺)聾身代の死 ( 2 2歳 ) 、 婚 ( 結婚による弟正祐(みす Yの最大の理解者) ひとつびとつの浜の石、 2 2歳)、祖母ウメの死 ( 2 4歳)等。 との距離 ( みんなかはいい石だけど、 る 、て lvAM 石へ ないだろう九 品偉か はを 石海 のて E とれらと深く関係していることは言うまでも 辺し 浜官官 みす Yの詩を理解する上で重要なさみしさが、 ( 2 ) 父の死と無縁墓への埋葬、それらに対する母 「浜の石」は何といっても、第 4速までの浜辺のか の態度。 ( 3 ) 故郷イ山崎・青海島での生活と 20歳で移り住ん だ都市下関の生活。 わいい小石の形状等を歌った後の、最終速の、浜辺 の無数の小石が海を抱えているという表現が私たち ( 4 ) 大津高等女学校卒業後結婚までの本屋(仙崎 をあっと言わせる。逆巻く荒海の波濡や雄大な海が の生家の金子文英堂、下関の上山文英堂)で ひねもすたゆたっている有様、あるいは海浜の絶景 の働きロみす Y にとって、働きの場であった を歌った作品は少なくないが、「浜辺の石は偉い石、 本屋が似の大学〉であり、詩の学びの成果 /皆して海をかかへてる。」と歌いきった作品がこれ 2 2歳入 は自選詩集『王鹿野集』の編纂となる ( まであったろうか。このような、最終連や最終匂に えら ( 5 )金子啓喜との結婚、出産、離婚、自死。 みん主主 おける鮮やかな視点の転換は、「浜の石」だけではな 詩作との関連で見ていくと、みす Yの生涯は大き くみす Yの作品にはしばしば現れる。 みす Yの代表作の一つである「大漁J(全集 I、『童 く 20歳までの仙崎・青海島時代と本格的な詩作が 始まった 20歳以降の下関時代に分けることができ 3・3) を見てみよう。 話』大正 1 だ 焼の 子だ札組だ 焼議酌羽漁 朝昨大槌大大 2歳までの結婚以前 る。そしてさらに下関時代を 2 と結婚以後に分けることができる。現存する 3冊の 手帳 (3巻の全集として刊行された)に自ら記した 作品はおおよそ、結婚以前の作品が第 1冊と第 2冊 L に、結婚以後の作品が第 3冊に収録されているV 500編を超える作品から読み取るととのできるみ す Yの詩の特質は、対象に対する視線・眼差し、詩 的表現、世界理解((みす Y哲学))の三つの側面か ら捉えることができよう。詩的表現の特徴について は作品を取り上げる際に随時言及することとし、他 はひ のどでらう りけかむら 祭だなのとだ はうの鮎万'のる 浜や海肋何叩組す 2 . の二つの側面について順次見ていこう。 みす Yは歌うべき対象をどのように捉えるか。み みす立はイワシの大漁に沸く祭りのような浜の喧騒 す Yは対象を複数の視点から捉えようとする。それ だけを描くのではない。みす Yは人に捕獲されたイ はしばしば私たちの意表を突くものであり、惰性化 ワシの弔いを想うのだ。喧騒と静寂、祝祭と弔い、 された日常性を鋭く衝くロ 人とイワシの対比を簡潔に平明な言葉で表現する中 で、人の生活が他の生きものの犠牲の上に成り立っ 浜の石 (全集I) ていることを私たちに強く訴えるのである。このよ うなみす Yの視線を「イマジネーションの飛動と v t 浜辺の石は玉のやう、 評したのは、みす Yが私淑した西僚八十である みんなまるくてすべつとい。 私も「イマジネーションの飛躍Jによってみす Yの 詩を理解していたとともあったが、下に示す今野勉 と 浜辺の石は飛び魚か、 の評に援し、その後は今野の鋭い指摘から多くを学 投げればさっと波を切る. んでいる。 - 15 - 佐久間 正 みす立は浜の漁師の祝祭から想像力を飛躍させ て、海中の鰯に思いを至らせたのではない。/ 大地を照らし、花を咲かせ、虹を架ける陽光の働き を順次歌うその表現はいかにもみす Y らしいし、ま 距離でひとつの眼差しで、ひとつの情景、ひと た取り上げられた陽光の働きは誰にでも首肯できる ものである。ただし、第 4速のみ「やさしい」とい つの世界として見ているのだ。その眼差しを成 う表現のあること、そして虹を天上の「神さまのお り立たせる内的な感性の世界が、二十歳のみ 国J( r 雪J 、全集 i l l ) にたましいがのぼっていく反り す Yの中にすでに形成されていたのだ@存在す 橋と見なすととが留意される@しかし、それ以上に 私が注目するのは最終速である。影を作るために陽 みす幻立、浜辺の漁師と海中の鰯を、同時に等 るものすべてへの思いやりが名もなきものへの 2 2 5頁))、アニミズム、一元的宇宙 思いやり J( 観.それらにもとづく死生観、その眼差しとそ 光があるという理解はみす Y特有のものだろう。そ が「大浪むを一瞬のうちに生み出したのであっ て、想像力をあれこれ飛躍させて作り上げたも I のではない。吋I ある。 して、ととに「さびしいJ という表現が現れるので このような、対象を捉える複数の視点(というよ 私は先に視点の複数性と評したけれども、今野は り視点の全面性と言うべきかもしれない)とそ、私 がその環境思想皿を評価するみす Yの詩的表現を特 そのような眼差しを成り立たせるみす Yの「内的な 色づけるものであった。自らの欲望の充足のために、 感性の世界J(私の言葉で言うなら〈みす Y哲学}に 人以外の生きものや自然を手段化し操作の対象とす 他ならない)の特質に留意する。「存在するものすべ る倣岸な人間中心主義を批判するみす Yの作品を読 てへの思いやり、アニミズム、一元的宇宙観。それ んでみよう。先に紹介した「大糠J もそのような作 らにもとづく死生欝むという指摘については後に改 2年 9月号に掲載 品として読めるが、『童話』大正 1 された、みす立の処女作のーっといってよい「おさ めて考えてみたい。 {みす Y哲学〉に基づく視点の複数性は、先にふ れたさみしさとやさしさに関わっている。 かなJ(全集I)は、冒頭と末尾の「かはいさう」と いう心情の直接的表現が詩としての感興を殺いでい るとはいえ既にその片鱗を見せている。 日の光 (全集I) さかな 海の魚はかはいさう e そろって空をたちました。 みちで出逢ったみなみ風 なにしにゆくの、とききました. るる れてふ られ日貨 くはを つか飼ふ愁 にでで 入場池 は牧お お牛山鯉 米はも おてんとさまのお使ひが、 、、レ、 たのう しくや まま撒る いにき い地で ひを事 使粉仕 おのお のりが りかな はいにる ななのれ からいら さななベ おにし食 の諮っ'に 海世一則私 ももらきて どにずし れんたう けないか とひん ひ﹁み うに さのめ しるた にかす 出嬉せる と咲く んをし ほ花の はおた り'はを と相私界 ひa ﹁世 ほんとに魚はかはいさう。 子よ い、の しのる さひけ やしか ひま橋 使たり おいそ反 の清る りはぽ 悦唱の 狭い瀬戸を挟んで仙崎と接しているみす Yの父の 故郷である青海島では、みす Yの生まれた頃には既 に消えていたが、かつては捕鯨が行われていた。捕 獲した鯨に対する人々の思いは、鯨の霊を悼む戒名 や鯨墓、そして今もなお行われている浄土真宗の鯨 さぴ 残ったひとりは寂しさう、 「私は、影をつくるため、 まりーしょにまゐりますけ ゃっi 法会等からうかがうことができるが、みす Yはその l l ) という作品で次のように歌 名も「鯨法会J(全集 i っている。 - 16 - 金子みすゞの世界 、ろ れと くる のれ 春ゐ抹 は明魚 同会同市 法鯨糊 何か、何か、 のぞくよ。 た しに 色ず の、かよ ま魚らな暗る さ秋タ附烏わ ん刀ぞ﹁がた き と がる 鐘た るわ 鳴を 寺制水 で時面 おて のれ 浜ゆ 村の語長が羽織着て、 浜のお寺へいそぐとき、 「鯨法会」と「魚市場」は同じようなシチュエーシ ョンを歌っているとはいえ、二つの詩の印象には大 〈ぢち 沖で鯨の子がひとり、 その鳴る鐘をききながら、 死んだ父さま、母さまを、 こひし、こひしと泣いています。 きな隔たりがある。海鳴りが低く響く夕暮れ、青黒 い空を真っ黒な烏が泣き声ーったてず渡っている。 競りが終わり人気のなくなった魚市場に、海から子 どもを捜し求める魚類の親の影が見え隠れしている。 海のおもてを、鐘の音は、 海のどこまで、ひびくやら。 「魚市場」は、みす Yの詩には珍しく全編除惨な雰 囲気に彩られている。余分な修飾を削ぎとったよう な簡潔な表現が効果的だ@みす Yの非凡な詩的才能 飛魚の躍る春の夕暮才し海に響くお寺の鐘の音、正 装である羽織を着て法会に急ぐ漁師という、視覚や 聴覚に訴える絵画的な光景の中で、みす Yが描くの は、人に捕獲された父母鯨を愛慕している子鯨の姿 である. r 死んだ父さま、母さまを、/とひし、とひ しと泣いています。」という第 4連の詩句を読むと、 は、同様のシチュエーションをこのように全く異な った表現によって示している。いかにみす Yが、人 が生きるために犠牲となっている生きものに鋭い視 線を向けていたかがよく判ると言えよう@ とのようなみす Yの視線の特質を遺越なく示して いる作品が、最もよく知られている作品の一つであ る「私と小鳥と鈴と J (全集班)である。 ふN e a 、いに もなうい てべゃな 、 げ飛のれ ろも私走 いといってよい。「鯨法会」では子鯨の捕獲された親 鯨に対する思いが欧われていたが、「魚市場J (全集 E戸では逆に、人に捕獲された魚類の子に対する親 の思いが次のように歌われている。 ひとはは をつ鳥く 手ち小帥速 両はるを が空ベ山市商 私お飛ゃ地 親を思う子鯨の哀切な思いが私たちの心にしみじみ と伝わってくる。ここにはもはや人と鯨の区別はな にく 戸ま潮 瀬押渦タ 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんな唄は知らないよ。 とほ;く 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 とどろく 夕晴 市のひけた 市場に、 「私」と人以外の生物である「小鳥J、そして無生物 である「鈴」をタイトルとし、最終連ではその順を 逆からたどって「鈴と、小鳥と、それから私、/み 海からかげが のぞくよ。 んなちがって、みんないい。」と結ぼれる。「みんな ちがって、みんないい。」というメッセージの鮮やか 子供は、子供は、 どこにと、 な強調表現と言ってよい。私はこの作品を多様性の 讃歌と呼んでいる。授業でこの作品を取り上げた学 生は、「日常生活の中で看過しがちなものにも眼差し - 17 - 佐久間 正 を向け、人間以外の生物を含め他者の特徴を的確に 土はひとりで 捉え、価値的序列を付けることなくありのままに認 育てます。 識することは、容易なことではありませんが、それ は環境認識に求められているものにほかなりませ 草があをあを 茂ったら、 ん」と述べているベ的を得た指摘である。 このようなみす Yの視点はまた、環境思想におい 土はかくれて しまふのに。 て基軸的な意味を持つ自然の根源性あるいは生命の 繋がりの指摘を可能にした。人間中心主義の批判も W 童話』大正 14・2) を見てみよ 読み取れる「土J( う 。 第 1連の土の擬人化と第 2速の客観描写の対比が効 果的であり、いわば生物に対する大地の無償の愛を ん ツて。 こはつよ 土なむ んるに生 つれ畠麦 ツたいい こぶ打よよ っ 示している。さらに「丘の上でJ(全集班)を読んで みよう. あたまの上には青い空 足のしたには青い草包 て ではつ。 ま土なよ 晩るにす られ柿路通 かまいを 朝踏よ車 お伽噺の絵でみたは、 きれいなきれいな王女さま。 けれども黄金の冠は、 青い空よりちひさいし、 きれいな黄金のあの靴も 打たれる土は 青い草よりかたいだろ。 踏まれぬ土は 要らない土か。 あたまの上には青い空 足の下に青い草。 いえいえそれは 名のない草の 丘に立ってる私こそ、 お宿をするよ。 まなおひめさま。 もっとりつl 人間生活に役立つ畑や道路となる大地の役割を指摘 この作品でみす Yは、「お伽噺Jr 王女さま Jr 黄金の し、そのような役割を果たさない地は不要かと自問 黄金の靴J r おひめさまJ といった童謡らしい 冠J r した後、最終速で、それは「名のない草のお宿」と 素材を用いながら、自然と繋がり自然に包まれてい なると答える。人聞にとっての効用性を超えた存在 る存在こそ何よりも素晴らしいと歌う。繰り返され として大地はあると言うのだ。踏まれるという受身 る「あたまの上には青い空/足のしたには青い輩。」 ぷ 表現に倣って耕作を土が「打たれる」というみす Y というフレーズはその象徴的表現に他ならない。 らしい表現や終助詞「よ」の効果的な使用は、童謡 対象を把捉しようとするみす Yの限は、視覚で捉 という評にふさわしいものだが、そのメッセージの えることのできる表面に止まらずその内奥まで見通 内容は深く重いものがあり、平明な言葉で事柄の本 そうとする眼であり、それは私たちの日常にわだか 質を掴むみす Yの詩の真骨頂が示された作品である。 まっている固定観念や常識を疑うものでもあった。 次に紹介する「土と草J(全集1I)も大地の、延いて 自に見えぬ昼の空の星と屋根瓦の隙間で冬を越そう は自然の根源性をさらに平明に歌っている。 としているたんぽぽの根に託して歌った「星とたん l 耳 元 まJ ' (全集引を見てみよう。 かあさん知らぬ なん千万の 青いお空の底ふかく、 海の小石のそのやうに、 草の子を、 夜がくるまで沈んでる、 草の子を、 - 18 - 金子みすゞの世界 みえない星 昼のお星は眼にみえぬ。 (全集 i l l ) 見えぬけれどもあるんだよ、 空のおくには何がある。 見えぬものでもあるんだよ。 空のおくには星があるロ 散ってすがれたたんぽぽの、 瓦のすきに、だァまって、 星のおくには何がある。 春のくるまでかくれてる、 つよいその根は限にみえぬ。 星のおくにも星がある。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 眼には見えない星がある。 みえない星は何の星e 言ってよい。「私は不思議でたまらない、」という詩 句を各連冒頭に置く『愛諦』昭和 3年 1月号に掲載 l l ) は次のように「不思議」 された「不思議J (全集 i TU 円ソ'レ しが表層に止まりがちな私たちに対する注意喚起と とのと ひ子ひ 、ま世踊ま のたたた 様なれい 王きらた い好見ゐ 多のにて のりなれ 供とんく おひみか 繰り返される「見えぬけれどもあるんだよ、/見え ぬものでもあるんだよ。」というメッセージは、眼差 を歌っている。 この作品は第 1速から第 4速までは自然的存在とし 私は不思議でたまらない、 ての「みえない星」を歌っていき、第 5速の「みえ 黒い雲からふる雨が ない星は何の星ロ」という聞いを媒介に、第 6連で、 銀にひかつてゐることが。 それまでからは想像できないような事柄を歌う。ま なる e らいが まてと たべこ でたる 議葉な 思のく 不惜桑白 ド 私車問叫憲 tLHb ミ t , z n さに「イマジネーションの飛躍動と言ってよい。そ こで、初めて私たちは、「みえない星」というのが、 外面からはうかがい知れない人の心に潜む思いの比 喰であることに気づく。「王様j と「踊り子」という e カ いの ながく ら抑顔叫関 ま制夕と たぬり でらら 議ぢば 思いで 不もり はれと 私たひ 童謡や童話にしばしば登場するキャラクターを用い ながら、その「たましひ」に言及していくととろに みす Yの特色があると言ってよい。「ひとりの好きな たましひと J r かくれてゐたいたましひと J (実に美 しい表現だ)とはみす rの密かな願いだったのかも しれない。 私は不思議でたまらない、 誰にきいても笑ってて、 あたりまへだ、といふことが。 3 みす Yの世界が〈みす Y哲学〉と言ってよい特有 の世界観と自然観、そして人間観に支えられている ことは冒頭で指摘した。自然観については既に述べ たが、以下、みす tの作品に即して〈みす Y哲学〉 l l ) はみす立 について述べていこうロ「万倍J (全集 i の作品の中ではあまり注目されないものであるが、 みす Yの世界観を知る上で重要な作品である。 圃 第 1速から第 3連で述べられる「不思議釦は、誰も が子どもの頃に一度は抱いた疑問かもしれない。そ の意味では童謡として読むことができる。しかし、 最終連はそれまでの疑問の延長上の疑問ではない。 それは、日常生活において判断停止を正当化する常 識を疑っているのだ。対象を把捉しようとするみ す Yの眼差しが、いかに物事の内奥までうかがおう とするものであるかよく物語っていよう。 世界中の王様の、 御殿をみんなょせたって、 その万倍もうつくしい。 墨で謡った夜の空。 - 19 - 佐久間 正 世界中の女王様の、 うのである。神の超越性と内在性をめぐっては、唯 おベベをみんなょせたって、 その万倍もうつくしい。 一の創造神の超越性を説くキリスト教においても神 一一水に操った朝の虹ロ ない。みす tのこのような神観念が仏や理(朱子学) 学的議論があることは承知しているがここではふれ の超越内在性と親和的であることに留意しておこう。 人はそのような神(仏)といかに関わっているの 星でかざった夜の空、 水に映った朝の虹、 か@あるいは、人はいかにしたら神の国に行けるの l。既に冒頭で、 か(極楽浄土に往生できるのか)困i みんなよせてもその上に、 その万倍もうつくしい。 人はさみしさを本源的に有しており、その根源には 愛情にも物質的充足にも癒やされない人の単独者と 一一一空のむかうの神さまのお国@ してのさみしさがあるとと、そのさみしさを仏のみ この作品も先に見た「丘の上」や「みえない星」等 と同じように、豪勢な王の御殿やきらびやかな女王 が寄り添い共有してくれる、というみす Yの理解を l l )を見てみよう。 述べた。「玩具のない子がJ(全集 i の衣服という童謡らしい道具立てだが、それらより 星のきらめく夜空や水に映った朝の虹の方が万倍も 玩具のない子が 美しいと歌う。そして、さらにそれらよりも天上の さみしけりゃ、 神の国が万倍も美しいと言うのだ。ここには王の御 玩具をやったらなほるでせう。 殿や女王の衣服という人為、星のきらめく夜空や水 母さんのない子が に映った朝の虹という自然、そして神の国という三 かなしけりゃ、 者の価値的序列がある。みす Yはここでは美的視点 母さんあげたら嬉しいでせう。 うれ 、 ノし さら や、かで はで箱で んな撫はれ さを具ぽ 母帥髪玩こ から述べているが美に限定せず一般化してよいだろ うロつまり、世界は(神(後にふれるように仏と言 ってもよい))、(自然(人以外の生物も含む))、(人 間)から成り、乙の順で価値的序列があると言うの だ。そして、「世界のものはみイんな、/神さまがお r みんなを好きに」、 っくりになったもの」である ( それで私の l l )。 全集 i みす Yの神がいかなるものであるのかを最もよく さみしいは、 示している作品は「蜂と神さま J (全集1I)である@ 何を貰うたらなほるでせう。 乙の作品で述べられる「私のさみしいJは、上に指 摘した、単独者としての人間の実存に根ざしたさみ 蜂はお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 ど喝通 お庭は土塀のなかに、 しさと言ってよいだろう(第 2速の「母さんをあげ 土塀は町のなかに、 る」という表現をめぐっては後に検討する), 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 のない子が」と呼応するかのような作品が「さびし いときJ (全集1I)である。 世界は神さまのなかに、 私がさびしいときに、 よその人は知らないの。 さうして、さうして、神さまは、 小ちゃな蜂のなかに。 私がさびしいときに、 神の超越性と内在性をこれほど平明に示したものを お友だちは笑ふの。 他に私は知らない。蜂を基点に同心円状に広がって いく花戸庭、土塀に固まれた地、町、日本、世界と 順次たどり、「世界は神さまのなかに」と神の超越性 i iそして一転して蜂における神の内在を歌 を歌う x - 20 - 私がさびしいときに、 お母さんはやさしいの。 r 玩具 金子みすゞの世界 すぐに怒ってしぼむだろ。 私がさびしいときに、 仏さまはさびしいの。 もしもお花になったって、 ゃっばしいい子にゃなれまいな、 お花のやうにはなれまいな。 他人、友だち、お母さんという順序が親密さの順で あることは論をまたない。第 3速で終わっていれば、 この作品は母のやさしさを歌った詩であった。しか し第 4連が続くのである e 母以上にみす Yにとって 切実で親密な仏さまは、みす Yがさびしいときにさ びしいのだ.私は、このような仏さまを、遠藤周作 の言う「同伴者としてのイエス Jxlvに倣って(同伴 者としての仏〉と呼びたい。 それでは、人はいかにしたら「仏さまのお国」に にはなれないと言うべそれは私が花と異なり、も のが言え、歩け(だから他人に対して悪さをする)、 怒るからだ。すなわち人であるからだのここでの文 脈からはややずれるが、みす Yの考えを知る上で重 . . どま 要な「打ち独楽J (全集 i l l ) を見てみたい。 、た たて てつ つや行た や 行 M流 れ は流がら がコめ コンと禁 ンチで かかな 散ったお花のたましひは、 み仏さまの花ぞのに、 ひとつ残らずうまれるの。 メパ校 はは学 いいみ た三つの作品を見てみよう。先ずは「花のたましひ」。 つつん 行けるのか(極楽浄土に往生できるのか)。私が〈往 生三部作}と読んでいる『全集』第 2巻に収録され (極楽浄土に往生できる)花が「いい子」とされる 一方で、私は結局「いい子」になれない。花のよう このごろ品持った持ち義桑も、 また学校で会められた。 だって、お花はやさしくて、 誰もかくれてみなしてる、 時にや私もしたくなる。 おでんとさまが呼ぶときに、 ぱっとひらいで、ほほえんで、 、と木 どこ草 れくや け踊歩石 、た すれを 出らと いめこ 恩と禁る はえあ 私さの 蝶々にあまい蜜をやり、 人にや匂ひをみなくれて、 風がおいでと呼ぶときに、 やはりすなほについてゆき、 なきがらさへも、ままごとの、 御飯になってくれるから。 第 1連から第 3速までの流れの中で、誰が第 4連の 転回を想像し得ただろうか。この作品もまたみす Y の非凡な「イマジネーションの飛躍」を鮮やかに示 全ての花のたましいは極楽浄土に往生する(この冒 頭のメッセージは強烈だ)。なぜなら、花は生きて咲 いている時も枯れて散った後でも他者のために役立 っている(仏教で言う利他行)からだとみす Yは言 う。それでは人はどうなのか。次に「お花だったら」 (全集引を見てみよう。 している。神に創造された石や草木は、その神によ と って歩くことが禁められているのであり、そのこと を人としての自らと対比させて考えよとみすぼは言 うのだ。「お花だったら」とは意味するものが異なる けれども、神の被造物である他の存在とは異なった 人の特質(利他行からの逸脱、自己中心性)に言及 していることは同じであると言ってよい。以上を踏 もしも私がお花なら、 とてもいい子になれるだろロ まえて、(往生三部作〉の最後の作品である「仏さま のお国」を読んでみよう。 ものが言えなきゃ、あるけなきゃ、 なんでおいたをするものか。 おなじところへゆくのなら、 み仏さまはたれよりか、 わたくしたちがお好きなの。 だけど、誰かがやって来て、 いやな花だといったなら、 あんないい子の花たちゃ、 - 21 - 佐久間 正 て、ら てとな せちの かたく き烏ゆ 唄るへ いれろ いたこ にう射と み鉄お なでじ ん砲な それでも お日さまこひしうて、 けふも一寸 また伸びる。 ちがふところへゆくのなら、 わたくしたちの行くとこは、 一ばんひくいとこなのよ。 伸びろ、朝顔、 まっすぐに、 一ばんひくいとこだって、 納屋のひさしが もう近い。 私たちには行けないの。 あるいは、各連「とのみちのさきには、」で始まり、 それは、支那より遣いから、 各連の最後に「とのみちをゆかうよ。」のリフレイン が響く「とのみち J(全集 l l ) は、読者に対するより との作品は第 1連と第 2連の前段と、第 3連と第 4 速の後段に分かれる、一見すると前段・後段とも仮 直接的な呼びかけである。一本榎や蓮池の蛙、田ん 定の条件文のように読めるため、丁軍事に読まないと ぼの案山子は学校へ行く道すがらみす立が親しんだ みす Yの真意を捉えることができない。私はこの「仏 ものだロそれらに、森へ、海へ、都へ行こうと呼び さまのお国」を阿弥陀仏の讃仰の詩だと理解してい かけ、最終連では未知のものに向かつてみんなで行 る。後段では、私たちは自力では極楽浄土には往生 できないとみす Yは言い、前段では、「いい子」の花 こうと力強く訴える。みす Yの詩には珍しいほどの 心情の霞裁的な表現だ。 はよz ょょ のきとの こ大ひと にう出榎う き ら jの か さあちゅ のがつを ち森ぽち みなりみ や鳥と同じように人が極楽浄土に往生できるのは阿 弥陀仏によるのだと言う。仏教(浄土真宗)信仰の 厚い仙崎・青海島で育ったみす Yならではの作品だ と思う。幼い頃からみす Yの生活の中に仏教(浄土 真宗)が浸透していたととは、既に見た「鯨法会」 をはじめ、いずれも『全集』第 2巻に収録されてい る「報恩講Jや「お仏壇Jからうかがうととができ とのみちのさきには、 る べ 大きな海があらうよ。 4 . 蓮池のかへろよ、 とのみちをゆかうよ。 極的に立ち向かつてみようという思いに誘なってく れるという評がある x m iみす Yの詩が現在多くの 人々に親しまれている理由の一つが、みす Yの詩の 、.よ。 のきびの と大さこ はよし子ょ にうか山う きらか案 3か さあな刊行 のがう{を ち都さち みなしみ みす Yの詩は読者の心を明るい方へ、やさしい方 へ、楽しくうれしい方へ、あるいは自らの人生に積 そのような側面にあることは否定できない。例えば、 このみちのさきには、 l ) を読んでみよう。 「朝顔の蔓J (全集 l なにかなにかあらうよロ みんなでみんなで行かうよ。 垣がひくうて、 朝顔は、 どこへすがろと さがしてる。 このみちをゆかうよ。 3 . 1 1東日本大震災後しばらくの間テレビから聞 l l ) は、人は稚でも こえた「乙だまでせうかJ(全集 i 西もひがしも 人に対する思いやりを持っているのだというみす Y みんなみて、 の人間讃歌と言ってよい作品である。 さがしあぐねて あす かんがへる。 「遊ぼう」っていふと - 22 - 金子みすゞの世界 「遊ぼう」っていふ. 鳥にとられちゃなるまいぞ。 と。 ふふ じ ゼ てで ν ' つつ か鹿鹿 ぽ馬馬 そこで、お百姓、健もって、 取りに来たのに、桜んぽ、 と かくれてたので採り残す。 「もう遊3 まないJ っていふと 「遊ぱなしりっていふ。 やがて子供が二人きた、 さうして、あとで そこでまたまた考へる。 さみしくなって 待てよ、子供は二人ゐる、 それに私はただ一つ、 「ごめんね」っていふと けんくわさせてはなるまいぞ、 「ごめんね」っていふ。 落ちないことが親切だ。 そこで、落ちたは桜中、 おほ 乙だまでせうか、 黒い巨きな靴が来て、 いいえ、誰でも。 りこうな桜んぽを島みつけた。 前半の第 1速から第 3連まではこだまのような聖書鵡 この作品については、矢崎節夫氏の次のような評 返しの返答を言い、第 4連以降の後半では、自分の がある。一一一みす Yは遺稿集に収められた詩の中で、 対応を反省すると、相手もやはり自分の対応を反省 2通の遺書を書いている。 1通は遺稿集の最後に載 r ( 反省の「ごめん っている「きりぎりすの山登り」であり、もう 1通 ね」という言葉も)こだまでせうか、/いいえ、誰 は「だれか尊いお方が、みす Yさんを通して、みす Y でも(同じように「さみしくなって」反省している さんのことをわたしたちに書き残してくれた遺書J すると言うのである。最終連は、 のです) J と私は理解している。 である「りこうな桜んぽJである。この詩は彼女の しかし、みす Yの世界はとのような明るい色調の 一生そのままであり、桜んぽ(=みす.;.')は「いつ みで描かれているのではない@特に『全集』第 3巻 も、いつも、いいほうに、いいほうにと考えたJ,r そ に収録されたいくつかの作品からうかがわれるのは、 して、時がきて落ちたのです。/黒い巨きな靴が来 おそらくは不遇であった結婚生活におけるみす Yの て、桜んぽを踏みつけてしまったとしても、それも 心意を反映すると思われる、しばしば虚無感すら感 どうというととはないのです。子どものととでとと じさせる陰聖書である。「り乙うな桜んぽ」を読んでみ ろをいっぱいにして落ちたのだからん よう@ んぽJ の、りとうなというのは、尊いだれかさんが r rりとうな桜 桜んぽにいってくれた、「おりとうさんだったねJと とてもりとうな桜んぽ、 いう声だったのでしょう。/いいほうに、いいほう ある日、葉かげで考へる。 に、善意に、善意に、いつもこころをいっぱいにし 待てよ、私はまだ青い、 て生きたみす Yさんにも、「おりこうさんだったね」 普蓄のわるい鳥の子が、 といってくれているような気がしてしかたありませ ん 。J x v i l i つつきゃ、ぽんぼが痛くなる、 矢崎氏の理解と私の理解が異なるのは、最後の 3 かくれてるのが親切だ。 そこで、かくれた、葉の轟だ、 行の理解に関わっている。矢崎氏は「黒い巨きな靴 烏も見ないが、お日さまも、 が来て、桜んぽを踏みつけてしまったとしても、そ みつけないから、桑め残す。 れもどうということはない」と評する。確かに、第 果的に用い、桜んぼの行為が一方でうまくいき、他 方でうまくいかなかったという状況を述べているか + 4 B た 滅私は前広 桜へたを姓 、考て木百 がで育のお たげをとた れか私、つ う熱葉、でと やまま待とあ てもよ木年 がたてのの 1速、第 2速では通常の表記と字を下げた表記を効 ら、第 3速の字を下げた部分(最後の 3行)もその 延長上で一応は理解できるように思われる。すなわ ち、子どものいない夜中に落ちたから子ども同士の - 23 - 佐久間 正 取り合いのけんかを見なくてすんだが、しかし黒い を一層際立たせているように恩われる。 さらに「あさがほJ (全集J[)を読んでみよう。 巨きな靴に踏みつけられ、桜んぼの生はピリオドが 打たれた、と。ここから矢崎氏はみす立の書かなか った第 4速を想像し、だから必然的に(死後のこと 青いあさがほあっち向いて咲いた、 尊いお方J (言うまでもなく神仏であ であるから) r 白いあさがほとっち向いて咲いた。 る)の存在が矢崎氏の見解において重要な意味を持 ってくるのである。しかし、やはりみす Yが第 4速 ひとつの蜂が、 を書いていないことに留意すべきである。矢崎氏の ふたつの花に。 言うように、「黒い区きな靴が来て、桜んぼを踏みつ けてしまったとしても、それもどうということはな ひとつのお日が、 ふたつの花に. い」と評するのは、誰も知らない真夜中に黒い巨き な靴に踏みつけられ(無懇にも生にピリオドが打た 青いあさがほあっち向いてしぼむ、 れ)たという表現の重みを軽視しているように思わ れる。それは、〈非情な不条理〉あるいは{この世の 白いあさがほこっち向いてしぽむ。 それでおしまい、 はい、さようなら。 無情さ〉の象徴的表現として素直に捉えるべきでは ないだろうか。それにしても、このように読むこと のできる作品に、「りとうな桜んぽJと表題を付けた みす Yの心意はどのようなものであったろうか躍。 字を下げた最終連の詩句は何だろうか。「このみち J とのように「りとうな桜んぽ」を読むととによっ 等を読んできた私たちには、とれが同ーの詩人から て、「野茨の花J (全集車)の意味するものもより明 発せられた言葉とは息われない。それは、一応は『全 瞭となる。 集』第 2巻から第 3巻への時間的経過、心境の変化 で説明できるかもしれない。しかし『全集』第 3巻 白い花びら 0編ほど前に「とだまでせう にも、「あさがほ」の 1 舗のなか、 か」が収録されているのだ。だから、みす Yの世界 には、みす Yが 1編の詩に歌ったように、明るい部 J 「おうお、痛かろ . そよ風が、 分のみではなく陰聖書の部分があると理解すべきだろ う。そのようなみす Yだからこそ、最もよく知られ 駈けてたすけに 行ったらぱ、 た作品の一つである「みんなを好きにJ{全集班)が ほろり、ほろりと 書かれたと言えよう。 トに Lw'ν 、な なん たみ りも なで ト好 、ず もら 同葱残 にん きか す好も はで 私何 散りました。 白い花びら さい も な かな れリ お日さまが、 そっと、照らして おた 「おうお、寒かろ。」 もな マき 土の上、 うちのおかずは、みいんな、 ぬくめたら、 茶いろになって 母さまがおっくりになったもの。 枯れました。 私は好きになりたいな、 誰でもかれでもみいんな@ 善意に基づく好意は必ずしも善なる結果をもたらさ いしゃ ないのだ。それは現実の世界では珍しくはないが、 しかしそのような事態を野茨の白い花、そよ風、お 日さまという童謡らしい道具立てで歌っているので ; 枯れました」と ある。それだけに、「散りましたJ r いう各連の最終匂の客観描写が現実の冷たさ、悲哀 - 24 - からす お医者さんでも、烏でも、 残らず好きになりたいな。 世界のものはみイんな、 神さまがおっくりになったもの。 金子みすゞの世界 、静仏日 人かな 、なか みす Yが死を正面から取り上げた作品である「雪」 いのど の自死を知っている私たちには、重く迫ってくる。 すす 、でで 車か日和 し絵の 拍忙もも やでで にれつ 表そい それにしても「あさがほJの最後の詩句は、みす Y (全集 E、『燭台』昭和 3・3) に示されているよう に、白と青は死の色であったことも想起される。 騒がしく忙しい下関生活の中でふとさみしくなって、 田舎の風景の描かれた絵を見ながら、その絵の世界 5 . の中に入り込み、あれとれ想像をめぐらしているみ みす Yの短い生涯は 20歳までの仙崎・青海島時 す Yの姿が自に浮かぶようだ。 代と 20歳の春に移り住んだ下関時代に二分される。 白 署 三方を海に固まれた仙崎と狭い瀬戸を挟んでその仙 いは、連作詩編である「仙崎八景」に愛情を込めて いにを な木こ らのと ま柑る た蜜ゐ す Y もよく遊びに行った。この故郷へのみす Yの思 てがで 青海島は父の故郷であり、島に住む伯母の家にはみ く哨柑れ た選出ラ熟 見いに す Yの故郷であり、 20歳までのみす Yの世界だった。 'はさ色 刷私小金 崎と接する日本海有数の島である青海島、それがみ (全集 I、『赤い鳥』大正 1 3・1 0 ) いちじ〈 とども 歌われている@その思いは短い一生の問、変わらな また、無花果がまだ子供で、 かったようである。関釜逮締船の発着駅であり、朝 木にかじりついてゐるとこを。 鮮半島を経て満州へと続くルートの玄関口である国 際都市下関。当時の下関駅は東京駅に次ぐ規模であ それから、畿に風が吹き、 った。大都会と言ってよい。みす Yの詩には、仙崎・ 重量が歌をうたうとこを。 青海島と下関を焦点とする田舎と町を対比させた一 私は行きたくてたまらない。 連の作品があるが、それらから、みす Yが町一都会 ど れ け うな ら、う だにら をテーマとするこつの詩が書かれている。いずれも 春日頃だ はっく のい咲 下関に移って 1年あまり経た後に、田舎への憧憶 うはが たに花 う木お がのな 雀柑ん 雲蜜ど をどのように捉えていたか見てみよう, 雑誌に掲載された。 い帥 田舎の絵 (全集 I、『童話』大正 1 3・8 ) 絵にしきや見ない田舎には、 絵にないことが、きっと、 たくさんたくさんあるだらうな。 私は田舎の絵をみます。 さびしいときは、絵の中の、 わたし 「私は見たくてたまらないJr 私は行きたくてたまら 白い小みちをまゐります。 、や 屋に 小中ん 車のさ 水あ山爺 は、お るどの えれ人 1 叫川崎 トト・ ν ' ν うなし かえさ む見や ない」の 2句がみす Yの思いのすべてを語っている。 田舎の捕かれた絵を見てさびしさを紛らわせたみ す Yだが、仙崎・青海島で育ったみす Yは実際の田 舎は絵の世界以上に豊鏡であるととを知っていたの であり、その一端はとの作品でも歌われている。「は ぐみ 小屋の小かげにや莱英の木に、 つ秋J(全集1)では、涼しいタ風の中で、初秋の田 あかい莱英の実熟れてましょ。 舎の風景に思いをめぐらせた後、みす Yは最終速で 「さびしい、さびしい、之の町よ、/家と、ほとり あす乙にみえる山かげにや、 J と歌う。田舎の自然の豊かさと都会 と、空ばかり . ちひさな村があるのです。 の自然の貧しさは、繊細な感受性によって描かれた 1 ) にも印象深く歌われている。 「般と子供J (全集 1 を よ花 くの ひ擦れ るはみ 附轍す 田舎の絵にある小みちには、 誰もいません、静かです。 - 25 - 佐久間 正 いっぱし会長痛まうとて、 石を様くように。 田舎のみちで。 どの子も、どの子も、町の子は。 けれど、どの子も知りゃしない、 子供はひろう、 野にある謡まみいんな、 小さな石を、 町へと売りに行くために、 花を摘むように。 田舎の人が摘んだのを。 都会生活の長くなったみす Yの故郷への憧僚は、 山の子浜 都会の中に故郷の痕跡を見出そうとする.r で。 りにに 、かのの いばふふ 湧芽まま 春、しし 、のてで もんれれ でほほほ 来はしし はぎばば 吋句もめめ r 節ょっ捕っ摘 都のまちで。 の子J (全集班)を読んでみよう。 手能、手龍、 大きな手能。 どの子も、どの子も、楽しげに。 町を見て来た山の子よ、 町には何がありました。 にちうま みつやり ごぽの居 人にひ灯て のずのれ 叫辻せ榊屋ぽ のもけ軒 ζ れれ一が 暮まのみ爽 日ふ踏森ぐ茶 と、た りにし 春まだ浅い田舎の野原にヨモギの葉を摘もうと町の 子たちが大きな手鑑を持ってやって来た。しかし、 ヨモギの若葉は田舎の人たちが町で売るために既に 摘んでしまった後であり、残された新芽はヨモギが 絶えないように田舎の人たちはわざわざ残したのだ。 町の子たちはそれも知らず、楽しそうにヨモギ摘み 町を見て来た浜の予よ、 町には何がありました。 に興じようとしている。「摘めばしほれてしまふの に」のリフレインは、町の人たちの行楽の背後にあ 電車どほりの水たまり、 る意識せざる生命の損壊と、田舎の人たちの自然へ の配慮とをよく表現しているように恩われる。そし 底のきれいな青空に、 さみしい昼の星のょに、 て、田舎の生活への町の人たちの無関心に対するみ す Yの批判は、第 2速の「けれど、どの子も知りゃ うろ乙 鱗が浮かんで居りました。 しない、」という強い口調の詩句によく表れていよう。 この作品は、都会に暮らすみす Yの、故郷の豊かな 自然と心安らぐ生活への切ないほどの思いをよく示 している。日暮れの人混みの中で踏まれもせずに落 ちていた赤いグミの実(r田舎の絵」にも登場してい 20歳になるとともに当時大都会と言ってよい下 関に移り住み、そこで、働き、詩人としての生活を 始め、結婚生活を送ったみす Yだったが、終にみす Y は都会化されなかったのである。 た)、電車通りの水たまりに浮かんでいた魚の小さな ウロコ、それらに故郷を見るみす Yの繊細な感受性、 6 . それを第 2連と第 4速のように平明な言葉で歌いき 本稿の最後に、みすゾは最も身近な家族について る鋭敏な表現力、みす立の詩人としての力量がよく どのように描いたのか、またみす Yは作品の中で自 らをどのように描いているのか、いわばみす Yの自 うかがわれる詩だと思う。 「町には何がありました」と問うみす Yの都会に 画像についてもふれておこう。みす Yの家族は既に 対する違和感は、そこに住む人たちへの違和感につ 述べたように、父、母、祖母、兄、弟だが、みす Y l l ) を読んで ながったようだ。「大きな手能J (全集 i の作品に登場する回数は圧倒的に母が多い。「冬の みよう。 雨 J(全集 i l l )等に描かれる、忙しくてみす Yをかま 手館、手館、 大きな手能。 広い野へ出て、この舗に、 l l )等 ってやれない姿、一方では「私の髪のJ(全集 i に描かれる、やさしくみす Yの世話をする姿を描い ている。こうした中で、みす Yの母に対する思いに 対してある陰聖書を感じさせるのは、既に引用した呪 - 26 - 金子みすゞの世界 具のない子がJ (全集1lI)であり、「天人J (全集I) である。前者の第 2速では「母さんのない予が/か 生きて、遠くに曇んでゐる、 お父さまのおむかへが。 うれ なしけりゃ、/母さんあげたら嬉しいでせう。」と歌 ゆ われる。あたかも物のように、母を「あげる」とい すぐに、私は髪結うて、 天人」では次 う表現には何か違和感を禁じ得ない. r 好きな手盤のおベベ着て、 のように歌われている。 赤いお馬車に乗るでせう。 てまり 赤いお馬車のゆくみちは、 ひとり日暮れの草山で、 夕やけ雲をみてゐれば、 白いさのみちでせう、 いつか参った寺のなか、 野菊もちひさく咲いてませう。 村、中 い品別の さの森 ち小寺い やさしい眉をおもひ出す。 るる暗 笛を吹いてた天人の、 てて つった た鳴っ ののめ 旗帥鐘し 暗い荷積の諺基に、 へらだ もうがの んのなる さ雲ひゐ 母な舞て のいてい 私れ着吹 、き引衣笛 とない、 つんすま きあうい そして、夕焼消えるとろ、 ろ むかうのむかうに城のよな、 大きな家がみえるでせう@ タやけ雲をみてゐれば、 なんだか笛の音がする、 お父さまは待ちきれず、 かすかに遠い音がする。 私も馬車から飛ぶでせう。 門から駆けてくるでせう、 、て v つ ど 、 し、う いしせ したで れつる うがあ かさが だも妹か 既にこの世にはいないのだ。しかし、この詩を書い たとき、母ミチはみす Yの身近にいたのである。同 ん H蜘 何 な釘相 ららは 朝朝け 極楽浄土で笛を吹いているのだろうと歌われるから、 かかふ 極楽浄土で妙なる音楽を奏でている天女のように、 せせし いが伝わってくる。第 2連では、「私の母さん」も、 ぶる んでいる。最終連からはみす立のしみじみとした思 つ ・ でで嬉 呼いり とてま J つん ま惜黙あ さ 父やり ﹁いま はやん 私いあ ひとり日暮れの草山で夕焼け雲を眺めながら母を偲 居していたと言ってよい。おそらく日々何回となく 母と顔を合わせながら、死後の母の姿を詩に描くこ 第 1連と最終連で繰り返し示されているように、朝 とは一般には心理的に抵抗があるように恩われる。 2歳の時の父の清国での死に対する母の対応 の蜘妹は、夕の蜘妹と違い、幸いを告げる吉兆だと みす~. いう俗信に先ず留意する必要がある。その幸いとは、 やみす ~'16 歳の時の母の再婚等が、多感なみす Y に 母も知らない、遠くに住んでいる父の迎えが来るこ とだ。みす Yの父は早くに中国で亡くなっているが、 何の影響も与えなかったとは考えにくい。 一方父にふれた詩は少ないが、それらでは亡き父 に対する思慕の思いが述べられている。みす Y と父 それをととでは上述のように歌っているのである。 全 と母が登場する唯一と言ってよい詩が「朝蜘妹J( 集1lI)である。 いく道すがらの情景を、「白いでのみち」、路傍に小 さく群れる「野菊」、「旗のたってる小さい村J、「鐘 のなってる寺の前J、「しめった、暗い森の中J と表 v つ 、しせ しいで たしる つれ来 がうそ さかこ も妹だ日 制蜘ん今 あ朝な ららと かかっ 朝朝き お母さまも知らないが、 そして、父の元に「赤い馬車J=に乗って向かって 現しているととが留意される。との情景は私には死 を努擦とさせる。とすれば、父の住む「城のよな、 大きな家」とは、死後の世界の、天国あるいは浄土 の宮殿だろうか。この詩を読んだ学生は「死への憧 様」と評した聞が私には首肯できる評であるロ - 27 - 佐久間 正 では、みす Yは作品の中で自らをどのように描い I ) を読んでみよう@ ているか。「光の健J (全集 I りすの山登り」は、矢崎氏の評するように、みす Y の遺書として読めるが、目指した山に登りきること ができなかったキリギリスの姿をユーモラスに描い ている。 私はいまね、小鳥なの。 、て にでふ 何纏れたの のほうな 光か飼唄鳥 、にけ小 げかだい か誰るい のいゐは 木なてか のえつは 夏み知私 ぎりぎっちょん、山のぼり、 朝からとうから、山のぽり。 ヤ、ピントコ、 ドッコイ、ピントコ、ナ。 山は朝日だ、野は朝露だ、 は 光の能はやぶれるの、 げんき とても跳ねるぞ、元気だぞ。 ぱっと遍さへひろげたら ヤ、ピントコ、 ドッコイ、ピントコ、ナ。 ナ コ 官 ト ・ ピ J 、 心やさしい小鳥なの。 。イ 空にコ の岬髭ツ 秋のド V﹂ ベぞト ん、コ て柑触ピ つるン 、 〆 山たヤ のめ あっ だけど私は、おとなしく、 鑑に飼はれて唄ってる、 ゆふぺ ー跳ね、跳ねれば、昨夜見た、 この作品が第 3連までで終わっていたら、木漏れ陽 と影が彩なす縞を光の纏に喰えたみす Yの表現の秀 お墨のとこへも、行かれるぞ@ 抜さを指摘し、その書置は実体のある簡ではないから 簡単にそとから飛び立つととのできる、そのような ヤ、ピントコ、 ドッコイ、ピントコ、ナ. 意志による自由への飛淘を歌っていると評してすむ だろう。しかし第 4速が歌われているのであり、み お日さま、遠いぞ、さアむいぞ、 あの山、あの山、まだとほい。 す Yは制約の下で詩作していると言うのである。『全 ヤ、ピントコ、 ドッコイ、ピントコ、ナ。 ナ 品 N た れ つ やた 、おれ 討梗、か 制桔ゃっ 朝から晩まで歌うたふ、 、おイ おしゃべり蝉は歌うたふ、 凶白う のだツ こ宿ド なお ょのヤ た夜 似昨 花、コ 集』第 3巻に収録された種棋を見てみよう。 誰が見てても歌うたふ、 山は月夜だ、野は夜露L いつもおんなじ歌うたふ。 露でものんで、寝ょうかな。 アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。 品 い 唖i O)蝉は歌を書く、 だまって葉っぱに歌を書く、 そして、との作品の後に「巻末手記Jが続くので ある。そとでは、登るととができず帰らざるを得な 誰も見ぬとき歌を書く、 誰もうたはぬ歌を書く@ かった山の姿は雲に隠され既に見えない。昭和 4年 の秋、 26歳のみす Yの心中には既に詩は存在せず、 (秋が来たなら地に落ちて、 おちる葉っぱと知らぬやら) : D蝉」はみす 瞳 みす Yはもはや詩人ではなかったのだ。やっと清書 が終わり、小さな締麗な詩集ができたのにみす Yの Y 自身なのだろうか@そうだとし たら、ととに描かれた自画像はあまりに悲しい。「朽 心は晴れない。短い「巻末手記」の中で「さみしさ」 が 3回、「むなしさ」が 2回繰り返されているととは ちる葉っぱJは誰も見ぬときに書かれた誰も歌わぬ 象徴的である. 歌が記された木の葉を指すだろうが、セミの生命が ひと夏限りであることを考えると( )で括られた 最終速は晶ゐ蝉」の最後を示すようにも思われる。 一ーできました、 できました、 『全集』第 3巻の最後に収録されている「きりぎ - 28 - かはいい詩集ができました。 金子みすゞの世界 ど れ ふ を司副 W 身ずょ がらき わどし とをみ 我心さ ざる わす 手ι地 心 、が U ぬわき けのし た更まな やひむ はつに ももだ 秋針た 夏暮れ 誰に見せうぞ、た 我さへも、心足らはず さみしさよ。 (ああ、つひに、 登り得ずして帰り来し、 山のすがたは 雲に消ゆ。) e s -刃 ら 何を書かうぞ さみしさよ@ h ザp , 、 りを J 知ま とるに ざくき。 にわふ更むし くき のた来 かし却灯ひて に な Eの だ き とむ秋た書 おす 明日よりは、 佐久間正「日本文学と環境思想金子みす Yの詩 2 0 0 9 、長崎大学総合環境研究、 1 1巻 2 を読むJ ( 号)。佐久間正「近代日本の環境思想ー金子みすゾ 2 0 1 1、佐久間正編『金子みす Yの の詩を読むJ ( 詩を読む』第 4集)。授業実践の記録として、佐久 2 0 0 8 )、 間正編『金子みす Yの詩を読む』第一集 ( 第二集 ( 2 0 0 9 )、第二集 ( 2 0 1 1 )、第凶集 ( 2 0 1 1 ) がある。 語以下、金子みす Yの詩の引用は、『新装版金子 みす Y全集.~ (以下『全集』と略す)全 3巻 ( 1 9 8 4 . JULA出版局)に拠る@ただし、雑誌等に記載さ れた作品は、『全集』付録の矢崎節夫『金子みす Y ノート』の「改題」掲載のものに拠る e i i i 環境思想における人間中心主義と自然中心主義 に関しては、佐久間正「日本環境思想史研究の課 1巻 3号)参照。 題 J (2008、『環境科学会誌~ 2 , . 金子みす Yの伝記的記事は、特に断らない限り 矢崎節夫『童謡詩人金子みす Y の生涯~ ( 1993 、 只JLA出版局)に拠る。 この点を明確にしたのは、夏祭「金子みす Yの生 '( 2 0 1 0年度長崎大学大学院生産科学研究科 と詩J 修士論文)である。 司 『全集~ (の基となった 3冊の手帳)の 3巻 構 成 巻名、詩をグルーピングした際のタイトル名、詩 願等の書誌学的研究はほとんどなされてい の掲載j ない。夏祭「金子みす Yの三冊の遺稿集をめぐる 考 察J (2011、『文化環境研究~ 5号)参照。 vu 例えば、『童話』大正 1 3年 1月号における詩評。 v i i i 今野勉『金子みす Y ふたたび~ ( 2007 、小学 。 館) 228頁 立私の「環境思想J の理解については、前掲「日 本環境思想史研究の課題」参照。 3冊目の手帳の「時のおじさんJ の頁には、「註 A印、なおしてみてよくなれば入れる。×印、け づってしまふもの。」とあり、この作品以降にはム、 ×の付いたものがある。現存の 3冊の手帳が未定 稿であったことがわかる。おそらく、このような 推敵を加えた新たな 3冊の手帳(いまだ発見され ていない)が西僚八十に贈呈されたものであろう。 なお「魚市場」には×が付されている。ママ 『金子みす Yの詩を読む』第二集 42頁参照。 副私はこの作品について大要次のように評したこ とがある。 日本を「世界」と「神」によって 鋭く相対化し得た詩を昭和初年に、地方都市に住 んでいた 20代前半の女性が書いたことに、次第 に歴史の表舞台から消えつつある大正デモクラシ ーの残映を見るととができよう(前掲「日本文学 ) 。 と環境思想 金子みす Yの詩を読むJ90頁 みす Yは神と仏をほぼ同義に用いているように 思われる。ただし、身近で切実なものとしては、 仏を用いているように思われる。 nv 遠藤周作『死海のほとり』等参照。 みす Yの詩を理解する上で、「いい子」が重要な 1 玄 潤 阻 町 - 29 - 佐久間 正 意味を持っているととに気づかせてくれたのは、 長崎大学環境科学部の 2 009年度の環境政策基礎 演習においてである J金子みす Yの 詩 を 読 む 第 二集』参照。 四 み す Yの詩を理解する上で、仏教が重要な意味 を持っていることに改めて気づかせてくれたのは、 長崎大学環境科学部の 2 009年度の環境政策基礎 演習においてである。『金子みす Yの 詩 を 読 む 第 二集』参照。今野勉は、浄土三部経をみす Yは読 んでいたのではないかと推測しているが(今野・ 前掲書、 251頁)、確証はない。いずれにせよ、仏 教信仰の厚い仙崎・青海島の空気を満身に受けて みす rは育ったのだ。 閉 その代表的な評者は矢崎節夫氏である。 罰百矢崎節夫『金子みす Y こころの宇宙~ ( 1999 、 ニュートンプレス) 232-37頁。引用文の強調の 点は佐久間による。 E 授業でとの作品を取り上げたとき、「りとうな」 という形容に一種の皮肉を見る見解も提出された。 『金子みす立の詩を読む 第一集 ~29 頁参照。 r 赤いお舟J(全集I)では、父は赤い船に乗っ て海の彼方からやってくると歌っている。みす立 にとって赤は特別な色なのだろうか。 x x i W金子みす Y の詩を読む第二集~ 75-76頁 。 = - 30 -