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スペインシューズが着地した新たな地点
スペインシューズが着地した新たな地点 スペイン靴産業の現状と可能性 靴ジャーナリスト ●生産、輸出ともに足数減・金額アップで、量 大 谷 知 子 て、スペイン靴業界の現状と可能性を探ってみ から質へ転換 たい。 いまさら言うまでもないが、近年のファッ 最初に、現状を数字で追ってみよう。 ション・ショップの主流は、セレクトショップ まず生産量だが、200 0年は、2億26 0万足(別 だ。ワンブランドショップに対して、ショップ 表参照) 。前年比伸び率は、4 .84 %減。199 8年の ごとの狙いに合わせて、複数のブランドをセレ 2億2 ,0 80万足をピークに減少している。しかし クトし組み合わせた編集型ショップのことだ。 金額は、1 999 年の約4 ,92 3億ペセタに対して、 もちろん、セレクトショップは洋服だけではな 20 00年は5 ,04 7億ペセタと、2.5 0%の増加を示 く、靴やバッグを含むトータル構成だ。そして、 している。 靴も、というより靴が好調に売れているとのこ 次に輸出を見ると、20 00年は、1億4, 170 万 とで、靴専門、あるいは靴を中心にした、いわ 足・3, 26 2億ペセタで、前年比は、足数1 .4 6%減・ ゆる雑貨のセレクトショップも登場している。 金額5 .8 0%増となっている。 そしてもう一つ、セレクトショップがセレクト このように生産、輸出ともに、足数減・金額 しているブランドは、海外ブランドが主力だ。 増の傾向を示している。これが何を意味してい こうしたセレクト型のショップで、ここ2、 るかと言えば、言うまでもなく、単価アップ。 3年、目立って来ているのが、スペイン製の靴 それを素直にとれば、数量拡大の時代は終わり、 だ。それ以前に、スペインの有力ブランドが、 質的アップ、価格追及の時代にはいり、それが 百貨店にインショップを出店するなど注目を浴 マーケットに受け入れられていることを示して びているが、それ1ブランドではなく、複数の いると言えよう。 ブランドが、日本の市場に進出し始めているの では、対日本マーケットの状況はどうなって だ。これは、スペインの靴全体がパワーアップ いるかと言えば、対日輸出は好調だ。スペイン していることを示していると言えよう。 貿易庁のコメントによれば、199 9年の対日靴輸 では、 なぜなのか。 それを検証することによっ 出 は1, 940 万 ド ル だった の に 対 し、2 000 年は スペインの靴産業 単位 足数:1 00 万足 金額:百万ペセタ 年 項目 19 9 6 19 9 7 19 9 8 19 9 9 20 0 0 生産 足数 金額 19 6 2 0 7. 5 2 2 0. 8 2 1 2. 9 2 0 2. 6 3 96 , 61 8 4 60 , 07 8 4 94 , 12 1 4 92 , 39 9 5 04 , 70 2 輸出 足数 金額 1 3 7. 7 1 5 2. 5 1 5 0. 5 1 4 3. 8 1 4 1. 7 2 52 , 03 3 3 10 , 07 0 3 17 , 24 7 3 08 , 37 6 3 26 , 26 3 輸入 足数 金額 5 0. 7 59 , 59 7 5 7. 1 91 , 67 0 5 9. 9 90 , 87 7 7 3. 6 94 , 46 5 8 0. 1 11 , 46 7 データ:スペイン靴工業会 2 スペイン靴輸出の相手先別実績(単位:百万ペセタ) 1 99 6 年 1 99 7 年 1 99 8 年 1 99 9 年 2 00 0 年 フランス 34 , 70 3 44 , 17 7 44 , 78 8 50 , 16 3 58 , 62 5 ドイツ 50 , 89 4 54 , 00 3 55 , 89 0 57 , 95 8 51 , 09 6 イギリス 28 , 08 6 34 , 53 8 36 , 54 6 38 , 21 5 38 , 12 9 8 , 12 8 10 , 26 9 12 , 61 7 15 , 20 3 17 , 39 8 オランダ 11 , 39 2 14 , 64 9 13 , 48 4 12 , 90 5 12 , 65 7 イタリア 8 , 13 4 10 , 25 1 11 , 44 3 12 , 25 6 12 , 42 8 アメリカ 47 , 07 0 58 , 89 0 57 , 63 7 50 , 66 2 57 , 68 3 8 , 46 4 6 , 44 3 4 , 17 9 3 , 48 4 6 , 19 1 ポルトガル 日本 データ:スペイン靴工業会 スペイン靴産業の地区別シェア(20 00 年金額ベース) ムルシア 3. 2% アラゴン バレアレス リオハ 4 . 5 % アンダルシア 0 .9 % その他 3 . 5 % 5 .6 % 6.6 % バレンシア 6 4 . 5 % カスティーリャ・ラ・マンチャ 10 .5 % データ:スペイン靴工業会 3 ,44 0万ドル。7 0%以上の増だ。また20 01年の1 品であり、特にトラッドシューズの愛好者に珍 ∼5月期も、前年同期が1, 600 万ドルだったのに 重されている。 対し、1, 700 万ドルの実績となっている。これは、 このコードバンとは、 「コルドバの革」という 1 996 年以降下落傾向にあったことの回復でもあ 意味だ。コルドバは、スペイン・アンダルシア るのだが、日本の経済状況が変わらず、不況が 地方の中心部市。スペインは中世において長い 続く中での回復は、評価できるものだ。 間、イスラム教徒の支配を受けたが、コルドバ これらのデータからすると、スペインシュー は、そのイスラムの王朝である後ウマイヤ朝の ズは量から質の時代に転換し、その転換に、日 時代に交易都市として栄えた。 本のマーケットが敏感に反応していると言え そしてイスラムはアラブの文化をヨーロッパ る。 にもたらしたが、その一つに馬があった。アラ ブ馬は、馬の血統を代表する一つだ。そして中 ●主要産地エルダのピークは、196 0∼70年 世世界では、交通の手段として、また戦の戦力 では、 転換はどのように行われたのだろうか。 としても、優れた馬は欠かせない存在だった。 それを明らかにするには、スペイン靴産業の歴 そこで、馬の飼育が盛んになる。スペインには、 史に触れる必要がある。 カルトハーノという言葉があるが、これは馬の スペインの皮革産業の歴史は古い。余談めく 飼育場を意味している。そして、こうした中か が、興味深い話を紹介しよう。 ら、軍馬として名高いアンダルシア馬が生まれ コードバンという革がある。業界関係者には るのだ。 説明の必要はないが、馬のでん部の革だ。高級 こうした流れを背景に、交易都市コルドバを 3 ベースに、馬の革、コードバンがヨーロッパ全 わったのだ。スペインは、経済的には一歩遅れ 域に広まったに違いない。 ていたが、それがメリットとなり、自国での生 そしてさらには、英語の「コードウェイナー 産がコスト的に厳しくなった先進国にとって、 (cor )」は「靴職人」を意味するが、 dwai ne r 皮革文化に支えられた良質で、しかもコストメ 「コードバンをよく扱う者」というところから リットのある靴を作れる産地となったのだ。特 来ているのだそうだ。 に米国が、エルダの多くのメーカーに大きな こんな歴史を えると、 靴職人のオリジンは、 オーダーを振った。 コルドバ、すなわちスペインにありと言いたく だが、その状況は、そう長くは続かなかった。 なってしまう。 80 年代に入ると、アジアが低コストの産地とし さて、靴製造の産業化が始まるのは、1 9世紀 てクローズアップされるようになり、今度はス のことだ。これはヨーロッパ全域がそうであっ ペインが、取って代わられることになる。 たように、産業革命によるものだ。 その時の状況を、エルダの有力婦人靴メー その中心は、現在でも靴産地として知られる カーの社長は、次のように語っている。 エルダのあるバレンシア地方だ。スペインの地 「今から15年前、エルダはアメリカの生産拠 域別靴生産シェアは別表に示したが、バレンシ 点だった。当社も、 生産の大半が米企業向けだっ アは金額(20 00年実績)で60 %以上を占めてい たが、ある日、突然のようにオーダーが来なく る。 なった。エルダは一気に静かになり、当社も存 エルダにおいては、185 0∼18 85年に靴産業が 続さえ危ぶまれるという状況だった。」 主要産業として定着し、19 世紀末には4 00名を超 80年代以降のスペイン靴産業の課題は、この える従業員を抱える大工場が生まれたという。 状況からいかに脱し、新しい着地点を見つける そして、19 60 ∼1 970 年にピークを迎える。 かになったのだった。 この経緯をヨーロッパの主要国と比べてみる と、イギリス、ドイツなどが靴を盛んに生産し ●自社ブランドによる販路開拓に活路を見出す ていたのは、60年代に至るまでで、それ以降は 前出の婦人靴メーカーでは、この打開策につ 急速に衰退に向かっている。その要因は、経済 いて、次のように続けた。 発展に伴う人件費を中心としたコストアップ 「アジア諸国とコスト競争をやっても、とう だ。 てい勝てない。そこで、これまでのように言わ しかしスペインは、それに取って代わるよう れるままに作るのではなく、ニッチではあって にピークを迎えたことになる。実際、取って代 も、確実なニーズがあるゾーンを狙える製品を 作り、それによって自社の販売ルートを開拓す る方針に切り替えた。 そのゾーンとは、コンフォートだった。現在、 この企業はコンフォートのオリジナルブランド 某有力婦人靴メーカーの製甲ライン 全景 CADとつなげた自動裁断機の導入も進んでいる 4 を二つ持ち、生産の40 %を日本を含む世界各国 かぶマヨルカ島に本社を置く。 業は197 5年と に輸出。昨今の不況下にあっても、売上を落と 新しいが、マヨルカで初のグッドイヤーウエル さず、堅調な業績を維持している。 ト式工場として、187 7年に 業した歴史ある また、スペイン国内で、キャリア層のステイ メーカーの3世代目が興したものだ。また、こ タス的ブランドを企画・販売する婦人靴メー のグッドイヤー工場の流れを汲むメーカーも、 カーは、19 56 年の スペインではステイタス性のあるメーカーとし 業。かつては、やはりアメ リカを中心とした OEM(相手先ブランドによ て、現在も存続している。 る生産)を主力としてきたが、80年代以降に、 マヨルカはリゾート地として知られ、その産 自社オリジナルブランドを推し進める形に切り 業の主たるものは観光だが、実は、それに並ぶ 替え、9 1年には製造部門を切り離し、工場を持 ものとして位置付けられているのが、靴産業だ。 たないメーカーとなった。 その結果、企画とマー 特に高級靴の産地として知られている。 ケティングに専念できるようになり、自社ブラ で、その某社であるが、こうした伝統を背景 ンドの狙いが明確化し、積極的な販売政策が取 に持ちながら、工場を持たないメーカーとして られるようになった。それによって国内では前 スタートした。生産は、隣国のポルトガルなど 述のような地位を確立すると共に、海外マー の工場に委託している。ポルトガルは、スペイ ケットも拡大。現在、輸出比率は7 0%。近年特 ンより製造コストが安い。しかし、他社に製造 にイタリア市場が拡大しており、ブランド知名 を委託しているのは、コスト削減だけが狙いで 度も上がっているという。 はない。某社を訪問した時に、広報のスタッフ こうした行き方を先鋭的に展開し、成功を収 に「なぜ、工場を持たないのか」と質問したと めたのが、現在、世界的なブランドとして認知 ころ、 「クリエーションに専念するため」という されている某ブランドだ。日本にも10 年近く前 答えが返ってきた。 から進出。アパレルのブティックを中心とした 某社の特徴は、企画、生産、販売、それらに 販売から始めたが、販売量の増加に伴い、日本 からむマーケティングまでを、一つのコンセプ オフィスを設置し、現在は有力百貨店でイン トで貫いていることにある。そして、そのコン ショップ展開も行っている。商品では、ここ数 セプトとは、ライフスタイル・シューズの 年、革スニーカーがヒットしさらに注目を浴び だ。ライフスタイル・シューズとは、生活スタ た。こう書けば、たいていが何というブランド イルにマッチした、あるいは生活スタイルに合 かは予想がつくだろう。 わせて履きこなしがきく靴ということだ。とい 造 うことは、靴が本来備えていなければならない ●工場を持たないメーカーが世界市場で成功を 歩行における快適性を持ち、またノンエージで 収める あり、シンプル、加えて価格の買い易さも不可 このブランドを展開する企業は、地中海に浮 欠、そして何年代調というようなファッショ 機械と手による作業がうまく組み合わされた工場が目 コンフォートも、スポーツ感覚を入れたものが主流に 立つ なっている 5 工場で仕上げを待つブーツ カジュアル感があるのが最近のスペインシューズの特 徴でもある ン・トレンドではなく、もっと広い意味のトレ ンド、時代の気分といったものを反映した靴で で、スペインシューズの展示会が行われたこと なければならない。最近でこそ、ライフスタイ があるが、その時のスペインシューズのキャッ ル型商品などと言って、こうした狙いのゾーン チフレーズは「中価格・ハイファッション」だっ が注目されつつあるが、まだ70 年代のことだ。 た。当時、それを聞いた時、確かに中価格では それは、それまでになかった靴を あるが、ハイファッションという部分では首を 造するとい うことであり、それを実現するのは、実際の靴 傾げたくなる面もあった。それが、ここに来て、 づくりにおいて、さまざまな手が必要になるか まさしくそのキャッチフレーズどおりの形で実 もしれない。それを を結んできている。 えると、製造部門を持つ ことは決して得策ではない。それより自分たち 一つのプロジェクトが成果を見るには、10 年 が意図する靴を確実に製造してくれる工場に生 スパンの年月が掛かるということなのかもしれ 産を委託し、それを確実にコントロールできる ないが、それを促進させたものもある。 システムを確立した方が得策である。 それは、EU への加盟だ。スペインは198 6年に 前述の答えを咀嚼すると、こんなことになろ 9年には、ユーロにも参加して EU に加盟、また8 う。 この いる。ユーロは、この1月から一般市場にも出 え方は、ギャップやユニクロなどの 回り始めたが、これでヨーロッパが経済的に一 SPA(製造小売業)のベースにある SCM(サプ ライ・チェーン・マネージメント)という手法 つの国になるという構想が、現実の姿になって に似ている。SCM は、簡単に言えば、企画、製 スペインは、EU に加盟以来、こうした国境の 造、小売までを一つの輪で結ぶという経営手法 ないマーケットヘの対応を進めてきたが、 実際、 だ。某社は SPA ではないが、ショップを重視し スペインを訪れると感じるのは、予想以上に国 ており、81 年にスペイン国内に1号店、9 0年代 内マーケットが成熟していることだ。例えばマ に入ると、パリ、ミラノなどに出店、現在はロ ドリッドの目抜き通りを歩いてみると、ヴィト ンドン、ニューヨークなど、世界の主要都市で ン、プラダといった、いまや世界中のどこの都 ショップを展開している。 市にもあるブランドではなく、スペイン固有の 歩き始めた。 ブランドが目立ち、それがしっかりしたマー ● EUへの加盟が与えたインパクト チャンダイジングのもと、ショップ展開されて 個々の企業だけでなく、 80年代以降、 世界マー いるのだ。 ケットにおけるスペインシューズの新しいポジ スペインは、経済発展ではドイツ、イギリス、 ションを確立しようと、業界を上げて取り組ん フランスに遅れをとったが、かつては世界をも できた経緯もある。日本でもスペイン靴工業会、 制覇しようとした大国である。その歴史と文化 スペイン貿易庁が主催、あるいは後援し、これ が作り出した潜在的なインフラは大きいのだ。 をスペイン大使館商務部がバックアップする形 それが、EU 加盟というインパクトを得て、グ 6 モーダ・カルサードが行われるマドリッド郊外にある 革スニーカータイプは多くのメーカーが手掛けている 見本市会場 ルサードへという転換は、こうした意味を持ち、 ローバリゼーションの実現という形で、外に向 それがスペイン靴産業が目指そうとする方向に かって開かれ始めたのだ。 マッチしていたと言える。 実際、モーダ・カルサードの来場者は年々増 ●産地型から消費地型=情報型に転換し、魅力 えていると聞くし、また訪れてみると、おもし を増した見本市 ろい見本市だ。 また、スペインの靴メーカーをまとめるスペ さらに、スペイン靴工業会では、モーダ・カ イン靴工業会が果たした役割もある。 ルサードを世界の靴見本市スケジュールの中に 10 年余り前までは、スペインの靴見本市と言 組み入れようとしている。秋冬向けで言えば、 えば、エルダで行われる見本市だった。それが、 見本市は2月のラスベガスでスタートを切り、 今はマドリッドで開催のモーダ・カルサードだ。 3月に入ると、ミラノのミカム、デュッセルド 一時期、 二つが開催されていたこともあったが、 ルフの GDSと続くが、この後にモーダ・カル 最終的には、モーダ・カルサード一本に集約さ サードという形を恒常化し、世界の見本市カレ れた。 ンダーとしてスケジュール化。それによって、 これが何を意味するかと言えば、産地型から 来場促進を図ろうという狙いだ。世界の見本市 消費型への転換、言い換えると、モノ型から情 を回るバイヤーにとっては、ミカム、GDSの後 報型への転換だ。 に必ずモーダ・カルサードが開催されるように エルダは、産地である。そこで行われる見本 なれば、出張予定が立てやすくなり、来場が促 市に来場者が求めるのは、自分が意図する製品 進されるというわけだ。 を、出展メーカーに作らせることである。しか こうした施策が総合的にからみあって、スペ し、生産基地としての魅力を失った状況下では、 インシューズは、新しい地点に着地しようとし 製造に重きを置いた見本市は魅力薄となる。ま ている。その地点とは、決して安くはないが、 たそれと並行して、靴メーカーは、他社製品を 買える価格で、トレンディ。そして、それは生 作ることから脱却し、自社ブランドによる市場 産地型から脱し、自社ブランドによる販路開拓 開拓に向けて動き出していたのである。そこに を自ら図ることによってもたらされたものだ。 必要なのは、プレゼンテーションの場。つまり、 しかし、それが仮の地点なのか、これからもそ 情報発信型の見本市だ。そして、それを開催す のポジションをキープできるのか、それともさ るには、靴に限らず情報が集まり、交通の便の らにステップアップできるか。それは、これか いい立地の方が向いている。 らに掛かっているのは、言うまでもない。 エルダの見本市からマドリッドのモーダ・カ 7