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第3回 夏への扉 私の住んでいるアパートの近くに一匹の猫が住んでい
第3回 夏への扉 私の住んでいるアパートの近くに一匹の猫が住んでいます.黒猫ではありませんが,部 分的に黒いところがあるので私たちは‘ クロ ’と呼んでいます.首輪のような紐をつけて いますので,だれかが飼っているのかもしれません.彼か彼女は,ときおり出てきて,私 の車の下で丸くなって寝ていたり,陽だまりでひっくり返っておなかを見せたりしていま す.車を出そうとすると,邪魔にならないようにきちんとよけて私が出て行くのを眺めて います. 「クロ,元気か」と声をかけると,その眠そうな細い目でこちらを見て, 「ニャー」 と答えますが, 「あい変わらずおまえはアホだな」といわれてるのではないかと,私は実は びくびくしています.何かその落ち着いた風情は人生を達観しているように見え,私など は思わず自分のいたらなさに恥じ入ってしまうのです.世の中には猫好きと犬好きの両派 があるそうです.私はどちらでもありませんが,猫好き必読の本というのを知っています. 挿話 3.1 何年か前の私の数学の講義の時ですが,確か教科書の計算問題を解いてもら うという,いわゆる演習を行っていたときのことでした.私が教室の中を回って,問題を 解いている人たちの様子を見て,時に質問に答えたりしながら,教室の後ろの方に行きま すと,その計算問題には目もくれず,一生懸命文庫本を読んでいる学生に行き当たりまし た.たいていの場合,そのような時は,私のような教師が近づいていけば,読んでいる文 庫本をあわてて隠してさも数学の問題を解いているような振りをするのが普通でしょうが, その学生は私が近づいても一向あわてる様子もなく,隠すでもなくその本を読みふけって います.私は彼の机の前に立ち止まり,少しむっとしながら「ずいぶん熱心に読んでいる ね.その本は何の本だい」と聞いてみました.彼は悪びれもしないですなおにその文庫本 を私に示しました.表紙には,光の差し込むドアの隙間を一匹の猫がのぞきこみ,その向 うに光にかすんだ男の顔が描かれていました.私はその本を手にとり,表題を見ました.ロ バート・A・ハインラインの‘ 夏への扉 ’1 .何か初夏の空気の爽やかな肌さわりが,その 言葉だけで感じとられるような実に魅惑的な題名です. 「おもしろいかい」と私が尋ねると 彼はゆっくりとうなずいて照れくさそうに少し笑みを浮かべました.そのときは,それだ けだったのですが,私はその後すぐ,本屋でその本を探し購入しました.例によってその 本を読んだのはだいぶ後のことです.もうすでに読んだことがあり,内容をごぞんじの方 もいると思いますが,一種のタイム・トラベルもののSFです.私はその文庫本を取り上 げ‘ 夏への扉 ’が具体的に何を意味するのだろうかと,この本を読み出してしまったので すが,私が予想したような展開にはなりませんでした.つまり‘ 夏への扉 ’などほとんど 出てこないのです.これは結局,具体的なものではなく,どうやら漠然とした希望のよう なものを表しているのだと勝手に解釈しました.その望みは紆余曲折がありますが,小説 の進行とともに意外な形で実現されていきます.ピートという名の猫がときおり出てきま す.ともかく,SF小説としてとてもおもしろいもので,まだ読んだことのない方は読ん でみるとよいでしょう. ところで‘ 夏への扉 ’とは何なのかよく分かりませんが,それは小説の最初と最後にだ 1 ロバート・A・ハインライン,夏への扉,福島正実訳,ハヤカワ文庫SF,早川書房. 1 け言及されます.それを引用してみましょう. 引用 3.1 「その冬が来るとピートは,きまって,まず自分用のドアを試み,ドアの外 に白色の不愉快きわまる代物を見つけると,もう外へは出ようとはせず,人間用のドアを あけてみせろと,ぼくにうるさくまつわりつく.彼は,その人間用のドアの,少なくとも どれか一つが,夏に通じているという固い信念を持っていたのである.これは,彼がこの 欲求を起す都度,ぼくが十一カ所のドアを一つずつ彼について回って,彼が納得するまで ドアをあけておき,さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければならぬことを 意味する. 」2 夏を求めつづける猫のピートには何かぐっとくるものがあり,なんとなく‘ クロ ’の仕 草と重なってきます.最後はどうかというと, 「ただし,ピートは,どの猫でもそうなように,どうしても戸外へ出たがって仕方がない. 彼はいつまでたっても,ドアというドアを試せば,必ずそのひとつは夏に通じるという確 信を,棄てようとはしないのだ.そしてもちろん,ぼくはピートの肩を持つ. 」3 なかなかいい小説の結びですが,私はこの英語版を読んでみました.ここの部分が原文で はどうなっているかというと, 引用 3.2 However, Pete, being a proper cat, prefers to go outdoors, and he has never given up his conviction that if you just try all the doors one of them is bound to be the Door into Summer. You know, I think he is right.4 なのです.ここで注意してもらいたいのは,all がイタリックになっていること,つまり 原文ではここが強調されているということです.私はそのために,思わずこの部分にアン ダーラインを引いてしまいました.日本語訳の「ドアというドアを試せば」では,ここが 強調されているということは分からないかもしれません.ここは‘ すべてのドア ’をとい うことであり, ‘ 行き当たりばったりに試していけば ’ということではないわけです.この ピートの信念が実は私の考える‘ 数学的な考え方 ’の1つに他ならないのです.では,そ のことを数学風に定理として表現してみましょう. 定理 3.1 有限個のドアがあり,そのうちの少なくとも1つは夏に通じているとする. このとき,その有限個のドアに欠落のないようにそして重複なく順番をつけることができ れば,その順に従ってドアを開けていくと,必ず夏に通じるドアを開くことができる. 定理ですから,証明が必要かもしれませんが,むしろ公理と呼ばれる証明の必要のない 命題かもしれません.まあ,いずれにしてもこの事実が間違えだという人はいないと思い ます.もちろん,ドアの数が12どころか膨大な数であれば,自分が生きているうちには 2 3 4 夏への扉,ハヤカワ文庫SF,p.8. 夏への扉,ハヤカワ文庫SF,p.307. Robert A. Heinlein, The Door into Summer, Ballantine Books, p.291. 2 見つけ出せないということもあるかもしれません.これが4つとか5つなら,だれでも難 なくできるということも分かりますし,欠損と重複がないように順番をつけることができ るなら,実は無限個のドアがあってもいつかは夏に通じるドアに行き当たるということも 分かるはずです.こんなことは当たり前のことであって,どこが数学的なのかと思う人も いると思います.私が‘ 数学的 ’だと思うところは,まずドアを開いていく前に,すべて のドアに欠落と重複がないように順番をつけるというところです. ‘ 順番通りに ’とは小説 には書いていませんが,そのような丁寧さが感じられます.これは,数が多ければむずか しい問題になる場合もあると思いますが,少なければ別にむずかしいことではないはずで す.そして,順番をつけた後,浮気心を起して順番を替えたりすることをしないで,その 順に従って開けていくということが数学的なのです.ただ, ‘ 少なくとも1つは夏に通じて いる ’と仮定するところが少しくせものです.ここのところは,ピートの場合は,通じて いるドアはひょっとしたら1つもないかもしれないが,それはあると固く信じているとい う信念でかわしているわけです.あるかどうかこれは,夏に通じるドアではなくても,他 の場合でも実は大きい問題になります.ともかく,あるとしてしまったら,上の定理に文 句をつける人はいないはずです. 1つ1つに当らなくても一発で夏への扉を見つけ出すことができればいいのかもしれま せんし,そのような方法を考えるほうが早いし,むしろその方が数学的だと考える人もい るのではないでしょうか.もちろんそのよう方法を見出すことができる場合は,それに従 うのが数学的です.しかし,一発で答えを見つけ出すことができない場合というのはけっ こう多いのではないでしょうか.そのような例を実際に後で挙げていきます.また,この 事実はあたりまえのようだけど実践しようとすると,けっこうむずかしいのです.どうし てかというと,1つ1つ試していってもなかなか目的のものにぶつからない,そんなとき はがまんしきれなくなって,付けた順番を無視してしまう,あるいはいくつかの事柄を試 さないで飛ばしてしまうなんてことがけっこうあるからです.そのようなことのないよう に,順番に1つ1つ無心にすべてを試していくことがたいせつなわけですが,このことは やはりデカルトが‘ 方法序説 ’の中で規則として挙げているわけです. 規則 3.1 「第三は,わたしの思考を順序にしたがって導くこと.そこでは,もっとも単 純でもっとも認識しやすいものから始めて,少しずつ,階段を昇るようにして,もっと複 雑なものの認識にまで昇っていき,自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間 にさえも順序を想定して進むこと.5 」 単純なものから複雑なものへ,仮に順序がついていなくても順序を想定して進むことと いうわけです.この‘ 順番を付ける ’という手順についてはまた後で考察しますが,12 個のドアの内に夏に通じるドアがあるならば1つ1つ試していけば,必ずそのドアにぶつ かるという事実を考えてみます.たとえば,11個のドアを試してみて,夏への扉ではな かった.その場合は,残りの1つのドアが夏への扉のはずであり,これは‘ 開けてみなく ても ’分かります.この事実には誰も異論を差しはさまないでしょう.ところが, ‘ 数学 ’ 5 [D,p.29] 3 が苦手だと自称する人たちには,実はこれを信用することができないという人が多いとい うことに私は気がついています.もう少し,話を単純にしてみましょう. 公理 3.1 鳩が1羽います.巣箱が2つあり,それをA,Bとします.私が後ろを振り 向いている間に,一人の人が鳩をどちらかの巣箱に入れました.私はAの巣箱を開きまし た.鳩はいません.このとき,鳩はBの巣箱に入っているとしてよい. 鳩がBに入っているということは,この場合もその巣箱を開かなくても,つまり‘ 見なく ても ’分かります.ところがこのことが信じられないという人がけっこう多いのです.なぜ 信じられないのでしょう.まず考えられることは,鳩を入れた人が手品師のようにトリッ クを用いて,その鳩を巣箱とは別のところに隠してしまうということです.だから,巣箱 のBを開けて鳩の姿をまのあたりにするまで信用できないということも考えられます.そ の人がそのようなトリックを用いないとはっきりしている場合は,まのあたりにしなくて も信用できそうですが,意外にこれができないのです.ここで,物事の理解の仕方を2つ に分けて説明していきましょう.再び,この講義だけの言葉の定義を行います. 定義 3.1 たとえば,夏への扉でも鳩でも何でもいいのですが,そのものを探している とき,そのものが‘ まのあたりに見えたとき ’に,見つけたと理解する仕方を直観的理解と 名づけます. 定義 3.2 公理 3.1 の場合のように,そのものをまのあたりにしなくても,他の方法で そのことを結論付ける理解の仕方を論理的理解と名づけます. 君たちの中にも,ものごとには,特に算数的あるいは数学的事実にはこの2種類の理解 の仕方があるということに気がついている人がいると思います. ‘ 直観的理解 ’は非常に 明晰な理解であり,すっきりした印象を与えます. ‘ 論理的理解 ’は分かるんだけど,何か すっきりしないという印象を与えます.そして, ‘ 算数 ’は見えるものが対象ですから,直 観的理解の得やすいものです.ところが‘ 数学 ’はほんらい見えないものが対象ですから, ここで定義した意味での‘ 直観的理解 ’はありえないことになってしまうのです. ‘ 数学 ’ 的なものの理解は, ‘ 論理的理解 ’の積み重ねなのです.見えないものが,さらに見えない もので判断され,そしてそれが幾重にも重なってくるわけです.まさに‘ 闇のなかを歩く 人間 ’なのです.逆に,日常生活でこの‘ 論理的理解 ’を使うと,それが2重,3重くら いでもすごい推理の達人に見えてしまいます.あとの章で,推理小説に出てくる名探偵た ちの推理の仕方を私流に分析してみますが,名探偵たちはこの‘ 論理的理解 ’で物事を判 断していきます.ですから,その場に居合わせなくても,盗難にあった宝石のあり場所を 言い当てることができたりします.それに対して,何か間の抜けて見える刑事や警部たち は‘ 直観的理解 ’で物事を進めて行き,物的証拠がない限りは事件が解決したことにはな らないのです. 数学の例を出してみましょう. 4 定理 3.2 △ABC の辺 BC の中点を M とすれば, 2 2 2 2 AB + AC = 2 (AM + BM ). これは中線定理と呼ばれる3角形の図形に関する性質ですが,この定理は高校の教科書 に書かれています.それを見ますと,座標を導入し,線分の長さを計算して導き出してい ます.まさにデカルトの考案した解析幾何学です.この証明の仕方を私の研究室に来た学 生に説明してみましたが,よく分からないというのです.どこが分からないのかと聞いて も首をかしげるだけです.一行一行式の変形を問いただしていくと,それはすべて分かる というのです.でも分かった気がしない.そう,この学生は直観的理解を求めているので す.そして解析幾何学は論理的理解の積み重ねです.君たちの中でこの定理を直観的に理 解できるという人はいますか.この場合,直観的理解は2等辺3角形であるとか特別の場 合でないと,むずかしいのではないでしょう. ‘ 直観的理解 ’は実は‘ 数学 ’の場合にもあります.見ただけで,それが正しいと何の説 明も必要としないで理解される場合です.第1回で述べた‘ 数学的発見 ’はこの‘ 直観的理 解 ’によるものです. 「博士の愛した数式」の数列の和の公式を求める話はこの‘ 数学 ’に おける‘ 直観的理解 ’のありさまを小説としてうまく表現しています.要するに普通に言 う‘ ひらめき ’に相当するものです.ただし,この直観的理解は個人的なものであり,イ メージはかなり鮮明なのですが,そのイメージを直接他人に伝えることができないのです. それは‘ 数学 ’そのものが実体を持っていないものだからなのですが,他の人に伝えるた めには,その理解を論理的理解に表現し直さないと伝えられないのです.この論理的理解 を現実的なものに適用することもできますが,それがいかに不思議なものに見えてくるか の例をあげましょう. 定理 3.3 k は0以上の整数,n は2以上の整数とします.kn + 1 羽の鳩と n 個の巣 箱があり,すべての鳩をこれらの巣箱のいずれかに入れたとします.このとき,どのよう な分け方をしても巣箱のうちの少なくともどれか1つには k + 1 羽以上の鳩が入っている. これを鳩の巣原理(ディリクレの部屋割り論法)というそうです6 .ちょっと聞いただけ では,何かとても不思議な事実に聞こえたりします.これは次のように考えると説明がつ きます. n 個の巣箱を並べて順に調べていきます.1番目から n − 1 番目までの巣箱の鳩の数を 数えたとき,そのうちのどれかに k + 1 羽以上いたとしたら,それは直観的理解で見つけ られたことになります.それがすべて k 羽以下だったとします.このとき, n − 1 個の巣 箱に入っている鳩の総数は k(n − 1) 以下になります.したがって,最後の n 番目の巣箱 に入っている鳩は kn + 1 − k(n − 1) 6 ‘ 秋山仁+ピーター・フランクル,数学オリンピック 1984 ∼ 1989 全問題詳解,日本評論社 (1990), p.141. ’ 5 以上いるはずです.これが論理的理解です.すなわち,このときは最後の巣箱に k + 1 羽 以上入っているわけです.そしてこれは定理 3.1 をもうすこし発展させたものであるとも いえます. 具体的な数字で考えてみましょう. k = 20, n = 5 として 101 羽の鳩を5つの巣箱に入 れたとき,どのような分け方をしたとしても,5つの巣箱の中の1つには 21 羽以上の鳩が いるというわけです.君たちにはこれが直観的に分かりますか.巣箱を直接見ないで, 21 羽以上の鳩がいる巣箱があることを前提として行動する人がいたとしたら,その人は不思 議な能力を持っている人に見えるはずです7 .そしてどうしてそう分かったのかとたずね られて,その人が英語を話す人だとすると, I put two and two together. と答えるでしょう8 .論理的理解の1つ1つは,見えないけれど単純な事実の集積なので す. ここで,公理 3.1 に戻ります.私たちがなかなか B だと断定できない理由の1つに鳩を 入れる人がいんちきをするかもしれないという懸念があることは前にも述べました.それ は相手が人間の場合だからで,その鳩を入れる人に相当するものが‘ 自然 ’そのものだっ たら,そのような心配はないでしょう. 挿話 3.2 私は現在,札幌の自宅と静岡の研究室を頻繁に往復しています.札幌の自宅 に向うときはいつもノート・パソコンを持参しますが,研究室に戻ってきたとき,パソコン のある付属品が紛失していることに気がつきました.なくてもかまわないものですが,何 となく気になりました.途中ではパソコンを使っていないので,札幌の自宅の部屋のどこ かにあることは確実です.自宅に再び帰ったとき探してみたのですが,見つかりません.そ の後,その付属品のことはすっかり忘れてしまっていたのですが,2,3ヶ月たってから, 家のソファーの足の部分に何気なく手をやりますと,小さなものがあります.手にとって みても,それが何であるか私にはすぐには分からなかったのです.しばらくながめて,な くしたパソコンの付属品であることに気がつきました.これは,私がすっかり忘れてしまっ ていたものですから,なくてもそのまま物事は波乱もなく過ぎていったはずですが, ‘自 然 ’はごまかしはしないものだと,私はそのときあらためて思ったものです. 現実世界の‘ 自然 ’には超常現象なんかがあるかもしれませんから,あるはずの物が忽 然となくなるということもあるかもしれません.しかし,それを認めていたら,朝もろく ろく安心して目覚めることができないでしょう. ‘ 自然 ’はごまかしをしない,少なくとも ‘ 数学的自然 ’はごまかしを決してしない,このことを認めれば,公理 3.1 を素直に受け入 れることができて,論理的理解が受け入れらてくるのではないだろうかと私は思うのです. 7 私の講義に出席した学生達に聞きますと,彼らは何も不思議はないと答えました. これは日常でけっこう使われる表現のようですが,アメリカの作家ジャック・フットレルの小説に出てく る‘ 思考機械 ’と呼ばれる探偵はこの言い方を口癖にしています. 8 6 まのあたりにしなくても,B の巣に鳩がいるとする.これは現実の問題の場合は1つの賭 けになります. ‘ 数学的自然 ’ではこれは賭けではなく事実になります.君は安心して,こ の帰結に自分の全体重を乗せることができます.仮に何かの間違いで,ずぶずぶと沈んで いっても,数学では君は溺れることはないのです. 7