...

の現場で - 東北電力

by user

on
Category: Documents
127

views

Report

Comments

Transcript

の現場で - 東北電力
とどける
「つくる・おくる・ともす」
の現場で
社員の声で綴った記録
101
1
社員の声で綴った記録
CONTENTS
・
(原町火力発電所)
3 「つくる」の現場で(女川原子力発電所)
15 「おくる」の現場で(石巻技術センター)
19 「ともす」の現場で(釜石営業所・宮古営業所)
23 被害〜復旧のあらまし
29 当社原子力発電所の状況について
32 東日本大震災後の主な出来事( 2012年2月末現在)
﹁なんとしても電気をとどける﹂
。
「つくる・おくる・ともす」
の現場で
電気をつくる、
電気をおくる、
電気をともす⋮
(仙台火力発電所・新仙台火力発電所)
社員の声で綴った記録です。
東日本大震災は、私たちの郷土東北にかつてない甚大な被
害 を も た ら し ま し た 。当 社 に お き ま し て も 、太 平 洋 側 の 火 力
発 電 所 を は じ め と す る 各 設 備 が 、多 大 な 被 害 を 受 け ま し た 。
2011年末、
当社は﹁CSRレポート﹂を東日本大震災特別版
として発行し、
同レポートで被害の状況や復旧の概要を整理し
お知らせいたしました。
本誌は、同レポートでは紹介しきれなかった発電・送電・変
電・配電・営業など、
それぞれの災害復旧現場で従事した社員た
ちの声︵記事内容は社内用記録資料を再編集して掲載︶を通し
2
て、震災以降の復旧・復興に向けた歩みをお知らせする冊子と
して取りまとめたものです。
とどける
の現場で 女川原子力発電所
つ
く
る
﹂
午 後2 時 分 、激 し い 揺 れ 。1 号 機 か ら3 号
機まですべて設計通りに原子炉が自動停止し
原子炉を起動しているところでした。
た。2号機はちょうど定期検査の終盤を迎えて
地 震 発 生 直 前 の 女 川 原 子 力 発 電 所 は 、1 号
機・3 号 機 は 安 定 し て 発 電 を 継 続 し て い ま し
本
店
と
の
連
絡
体
制
が
確
立
で
き
た
。
当
社
独
自
の
保
安
回
線
が
生
き
て
い
て
、
家族 の 安 否 も わ か らないまま
休むことなく作業を続けました。
﹁
本店へ状況を伝える必要があったため、各号機
緊 急 対 策 室 に 集 合 し ま し た 。ま ず 、発 電 所 か ら
止 を 確 認 。揺 れ が 続 く 中 、関 係 者 が 事 務 棟 内 の
後 に は 原 子 炉 の 水 温 が 100 度 未 満 の 冷 温 停
ま し た 。2 号 機 は 起 動 し た ば か り で あ り 、3 分
46
3
の中央制御室から緊急対策室へ各号機ごとの
連 絡 ラ イ ン を つ く り ま し た 。地 震 直 後 は 、一 般
電話回線や携帯電話がほとんどつながらない
状 況 に あ り ま し た 。後 で わ か っ た こ と で す が 、
周辺の道路も寸断され、発電所が孤立した状態
でした。それでも当社独自の通信設備である保
安回線が通話可能であり、本店との緊密な情報
連 絡 体 制 を 確 保 す る こ と が で き ま し た 。本 店
には、被災状況や冷温停止作業の進行状況を逐
次、報告するとともに、応援要員や食料・水をは
じめとする物資の調達を要請しました。
3 月 日に発電所の運転にあたっていた運
転員たちは、天井から化粧板や蛍光灯が落ちて
後の
日午前0時
時間
10
分に、
3 号 機 は 同 午 前1 時
操 作 を 進 め ま し た 。そ し て1 号 機 は 、約
ないまま、休むことなく冷温停止に向けた運転
床に散乱している中、また家族の安否も分から
11
58
子炉を 止
「 める
込める 機
」 能 が 健 全 で あ っ た こ と か ら 、発 電 所
冷やす 、
」「
」放 射 性 物 質 を 閉
「じ
分に冷温停止に至りました。このように、原
12
周辺への影響はありませんでした。
女川原子力発電所長
渡部 孝男
発電部発電管理グループ発電課長
佐久間 一男
︵2012年3月1日付で他所属へ異動 ︶
総務部総務グループ副長
目黒 桂一
4
17
﹁
の現場で 女川原子力発電所
つ
く
る
﹂
分に消火を確認しました。高圧電源盤︵発電
粉末消火器を使って消火活動を行い、最終的に午後
時
した電気の一部を発電所内の機器に供給するため
ギリの状態でした。その後、二酸化炭素消火設備や
きて扉を開けた瞬間に残量警告が鳴るというギリ
で確認しながら行動していましたが、階段に戻って
が充満している状態でした。酸素の残量をメーター
で炎が出ていないことを確認しましたが、大量の煙
で下りた後、地下1 階の現場まで上りました。現場
ました。酸素ボンベを背負い、いったん地下2 階ま
りました。その階段をあきらめ別のルートを見つけ
寄りの階段を使おうとしましたが、黒煙が視界を遮
ました。タービン建屋に入り、
現場に向かうため、
最
がすぐ名乗りをあげ、防火服に着替え現場に向かい
織して消火活動にあたることにしました。メンバー
防署などに連絡した後、発電所内で自衛消防隊を組
煙が立ち込めている﹂との情報が飛び込んできまし
55
の設備︶
の焼損でした。
10
た。火元は1号機タービン建屋地下1階でした。消
プラントを安全に止める運転操作をしている中、
緊急対策室に﹁火災報知機が鳴っている。真っ黒い
新
た
な
情
報
が
飛
び
込
ん
で
き
た
。
﹁
火
災
報
知
器
が
鳴
っ
て
い
る
﹂
。
土木建築部土木建築課長
大宮 宏之
保全部タービングループ技術主任
内海 靖宏
5
2 号機の原子炉建
火災報知機が鳴っている間に、
屋付属棟に水がたまっているとの情報が入ってき
ました。この水がどこからきたのか、発生源を特定
できなかったので、まず水の分析を行いました。海
水 だ と 分 か っ て か ら 仮 設 ポ ン プ8 台 を 使 っ て く み
上げることにしました。浸水していたのは付属棟の
地 下3 階 に あ る 補 機 冷 却 水 系 熱 交 換 器 室 で し た 。
地 下3 階から地上まで一度にくみ上げることがで
海水が流入した2号機の原子炉補機冷却水B系熱交換器室。海水の浸入を防ぐ
ため流入元となった海水ポンプ室にある潮位計に閉止板を取り付けました。
きず、途中に中継点をつくって水をため、再度そこ
から水を上げるというように、
2 段階でのくみ上げ
を行いました。
海水ポンプ室に設置してある潮位計の収納箱が、
津波により下から突き上げられるような形で海水
が 流 入 し 、さ ら に 建 屋 と 配 管 の 隙 間 な ど を 通 っ て
付 属 棟 地 下 に 浸 水 し た も の で し た 。こ の 浸 水 先 に
あ る2 系 統 の 原 子 炉 補 機 冷 却 水 ポ ン プ の モ ー タ ー
な ど が 浸 水 し ま し た が 、残 り 1 系 統 は 別 な と こ ろ
6
に 設 置 し て あ る た め 、冷 却 機 能 に 問 題 は あ り ま せ
んでした。
高圧電源盤内のしゃ断器が地震の揺れで短絡し、発生した火花によって
ケーブルの絶縁被覆が溶けて発煙。当該電源盤は、耐震性の高いしゃ断
器を使用している設備に取り替えました。
下
か
ら
突
き
上
げ
る
よ
う
に
、
海
水
が
流
入
し
て
き
た
。
﹁
の現場で 女川原子力発電所
避
難
さ
れ
た
方
の
中
に
は
津波が到達した後、午後4時過ぎくらいに、女川
原子力発電所の南側に位置する石巻市 鮫 浦 地区の
した。帝王切開での出産予定日が翌週に迫っていた
た方もおり、発電所の緊急用の酸素ボンベを使いま
タ ー に 助 け を 求 め て 来 ら れ ま し た 。た だ 事 で は な
寒 着 な ど も 用 意 し ま し た 。近 く で 土 木 工 事 を さ れ
ん 。使 い 捨 て カ イ ロ を 配 っ た り 、毛 布 や 作 業 着 、防
かしPRセンターは停電しており、
暖房は使えませ
所員が乗り込み、
仙台市内の病院に向かいました。
入されている方と一緒に看護師免許を持っている
ました。帰りのヘリコプターに、妊婦さんや酸素吸
には物資を積んだヘリコプターが発電所に到着し
12
ていた方も避難して来られたので、
総勢 人くらい
いと思い、すぐにPRセンターを開放しました。し
食料、水、毛布などが不足していたことから、物資
の迅速な調達を本店に要請したところ、翌 日の朝
阿部行政委員︵区長︶をはじめ、数人の方が﹁全部流
中には、津波で酸素吸入装置の酸素ボンベが流され
出
産
予
定
日
が
翌
週
に
迫
っ
て
い
た
方
も
。
妊婦さんもいました。
﹂
さ れ た の で 助 け て ほ し い ﹂と 女 川 原 子 力P R セ ン
つ
く
る
長 に 今 後 の 対 応 を ど う す る か 相 談 し ま し た 。原 子
と も に 女 川 原 子 力 発 電 所 で 過 ご し ま し た 。所 員 に
3月 日には360人を
避難されてきた方々は、
超えるほどになり、6 月6 日まで約3 カ月、所員と
と っ て 、人 と 人 と の つ な が
した。
えてもらった大切な期間で
ませんが、所長から﹁こちらに避難しても
難 さ れ た 方 も い ま し た 。避 難 さ れ た 方 の
P R セ ン タ ー で は な く 、発 電 所 に 直 接 避
りの大切さをあらためて教
14
ら い な さ い ﹂と 連 絡 が あ り ま し た 。ま た 、
になりました。辺りが暗くなってきたので、発電所
力発電所は、
一般の方が簡単に入れる場所ではあり
40
添川 信夫
総務部総務グループ
柏谷 明美
地域総合事務所課課長
土田 茂
総務部広報グループ課長
センター所長︶
︵女川原子力
P
R
7
石巻市鮫浦地区
(2011年3月)
センターでした。発電
流され、区民をどこへ避難させようかと思ったとき、すぐ
石巻市鮫浦地区は避難所に指定していた建物もすべて
に頭に浮かんだのが女川原子力
センターが停電していたこと
私たち地域住民が発電所を頼ったのは、
常日頃からのつ
ながりがあったから。東北電力の方たちが頻繁に地区に顔
供していただいたそうです。
事は所員さんの分を制限して私たち避難者を優先して提
で親戚等に連絡することもできました。後から聞くと、
食
温かいごはんまでいただきました。震災後3日目には電話
れの人には防寒服を貸していただき、
夜はレスキュー用の
もあり、
バスで発電所に移動させてもらいました。ずぶ濡
かったですね。その後は
で快く受け入れてくれ、
本当に感謝しきれないほどうれし
難者の受け入れについてお願いに行ったところ二つ返事
所も含め安全だと思ったので自然にそう思いました。避
P
R
を出してくれ、
信頼関係ができていたからこそです。
8
P
R
地域の皆さんが避難した
女川原子力発電所体育館
二
つ
返
事
で
快
く
受
け
入
れ
て
く
れ
て
、
本
当
に
う
れ
し
か
っ
た
。
感
謝
し
て
い
ま
す
。
の現場で
つ
く
る
﹂
原町火力発電所
にタービン建屋屋上に避難、本来3階の執務室
流れ、
発電所にいた全員が事務本館5階に、
さら
しました。まもなく大津波を告げる構内放送が
たため、パソコンで地震についての情報を収集
安否確認を行うとともに、まだ電気が通じてい
る状況の中で、まず発電所員や関係会社社員の
キャビネット類や機器類などがすべて倒れてい
館5 階が非常災害対策本部となりました。大型
激しい揺れがあり、
第二非常体制が発令、
事務本
きつけられました。
その後、
津波は事務本館3階
揚炭機の高さほど持ち上げられた後、海面に叩
の8万トン級の石炭運搬船は、
津波に翻弄され、
揚炭機2台が簡単に海に落下し、また荷揚げ中
ないかと感じるくらいの波の壁となりました。
え、見る見るうちに自分の目線より高いのでは
に 下 が り は じ め 、ほ ど な く 、水 平 線 に 白 波 が 見
えました。
しばらくすると、
湾内の海水面が急激
が流入して、駐車場の車が浸水していくのが見
事務本館5 階の東側の窓から外を見ると、海
がどす黒く盛り上がり、じわじわと構内に海水
きるだけ高いところに﹂
という判断でした。
原町火力発電所に襲来した津波
が津波の避難場所と定められていましたが、﹁で
震災当日、ふだんと何ら変わらない金曜日の
午 後 で し た 。突 然 、過 去 に 体 験 し た こ と が な い
すさまじい大津 波 により、
事務 本 館 3階まで浸水しました。
﹁
原町火力発電所長
樋口 康二郎
技術グループ副長
冨士原 伸
9
天井まで到達しました。
当日の夕方は雪が降ってとても寒い状態でし
た。この時はもう電気がつかなくなっていたこ
とから、
電気がつくところを探しました。たまた
ま計算機用の電源が残っていたため、仮設の照
明で暗闇から開放され、
安堵しました。メーカー
や協力会社の方も含め約150人がその明かり
の中で一晩を過ごしました。水が引いたのは翌
日になってからでした。
事務本館4階で火災が発生し、
消火活
地震後、
動にあたりましたが、津波警報により消火活動
コンを抱えて行き、そこから本店に電子メール
らは通信できないので最寄りの営業所までパソ
日には、所員で手分けして設備の被害状況
の写真を撮影して取りまとめました。発電所か
本店に現地の状況を伝えることができました。
通信手段が途切れている状態で、 日に本店
から状況確認のため社員が派遣され、ようやく
ツリレーで消火活動をしました。バケツも数が
しあって、懐中電灯の明かりだけを頼りにバケ
協力会社をはじめとする方々もいっしょに協力
全然使えません。
所員だけでなく、
発電所にいた
さなくてはと、夜になってから消火活動を再開
はくすぶっている状態でしたので、とにかく消
を一時中断せざるを得ませんでした。
しかし、
火
で連絡をしました。設備の被害状況
少なく、
ゴミ箱や掃除用具など、
水がくめるもの
敷地建物まで流入してきた津波
で事務本館5 階に移動し、そこから4階に下り
タービン建屋1階から津波で流れ込んだ海水
をくんで3階まで持って行き、さらに連絡通路
しました。
電気もない状態ですので、
消火設備も
を詳細に報告できたのは、それが最
なら何でも使いました。
ルトコンベアや揚炭機が横倒しにな
初でした。石炭をボイラーに送るベ
るなど、たくさんの設備に被害が出
ていました。
る。
これを一晩中繰り返し、
朝方ようやく鎮火に
こぎ着けました。
津波によって倒壊した揚炭機(石炭を石炭運搬船から荷揚げする設備)
10
12
12
13
の現場で
﹂
原町火力発電所
協
力
会
社
の
皆
さ
ん
と
一
緒
に
、
そ
の
日
そ
の
日
、
つ
く
る
原町火力発電所は東京電力福島第一原子力発電
所 か ら ㎞ 圏 内 に あ り 、3 月 日 に 屋 内 退 避 指 示
が出ました。そのため、
常駐での業務遂行は不可能
15
発電環境グループ副長
我妻 典夫
総務グループ副長
庄子 圭吾
日まで屋内退避区域に指定されていました
設備を復旧する上では、まず被害の実態を詳細
に確認する必要がありました。原町火力発電所は、
4月
要領に従って作業を進めていき
ので、安全に作業ができるよう要領を定めて、その
本部としました。また、
所員の多くは自宅や実家な
りに行くなどということもありました。
なく福島市に資材を送ってもらい、発電所から取
になかなか運んでもらえず、
やむ
心配して資材や機材をこのエリア
ました。しかし放射線の影響を
他に残っていた協力会社の皆さんも集まって、
その日その日、今日は何ができるのかということ
を確認しながら、全員で懸命に復旧作業に取り組
みました。
石崎 潤一
運営企画グループ副長
放
射
線
の
影
響
を
心
配
し
て
もらいました。土木構造物などは地中構造物もあ
設備のメーカーの方にも同行していただき調べて
に設備の調査に入れるようになりました。機械や
路を確保し、ゴールデンウイーク明けから本格的
ボイラー、タービン建屋内のがれきを撤去し、危
険個所を区画するなどして、何とかパトロール通
資
材
を
運
ん
で
も
ら
え
な
か
っ
た
。
応にあたりました。
どに避難することになり、管理職十数人が残り、対
と判断し、 ㎞圏外にある社員寮を非常災害対策
21
30
今
日
で
き
る
こ
と
を
確
認
し
な
が
ら
。
30
﹁
震災直後
灰処理設備沈殿槽周辺にあった多数のがれきは撤去されて、静かに復旧の時を待つ
現在
11
土木グループ主査
南場 浩二
るため、津波で水没している状況では、水を抜かな
いと構造物の健全性が確保されているのかが把握
できません。地震により地盤がどのように変位し
たかは、実際に地質調査などをしてみないとわか
斎藤 靖浩
技術グループ 課長
は発電所を起動させる際の補助燃料ですが、復旧
たから、重油の処理にも時間がかかりました。重油
あって処理会社の方もなかなか来られませんでし
倒壊した油タンクの重油も設備の被害調査をす
る妨げとなりました。屋内退避区域ということも
きな目標に向かって思いを共有し、
日々の業務に励
思いました。所員一同、﹁原町火力の復旧﹂という大
ん。﹁ここはもう災害現場じゃない。建設現場だ﹂と
町火力発電所。しかし、今ここに悲壮感はありませ
の猛威により、
想像を絶する甚大な被害を受けた原
﹁津波の被害に遭った自分たちの手で、この発電
所を復活させる﹂
。
そう覚悟を決めていました。
自然
の際には重油の使用をやめ、軽油のみを補助燃料
がいつも所員の背中を押してくれています。
。
早期復旧
﹁原町火力を南相馬復興のシンボルに﹂
は自分たちだけの願いではない。
地域の方々の期待
て、
試行錯誤を重ねながら格闘する毎日です。
﹁できない理由を考えるのではない。どうすれば
できるのか﹂。早期復旧とコスト低減の両立に向け
んでいます。
らないということもありました。
災も
害う
現
場
じ
ゃ
な
い
、
建
設
現
場
だ
。
として、
そのタンクは高台に設置する予定です。
3 階に執務室があった事務本館については、5
階に執務室を設け、津波に対する安全性を考えた
設計に変えることを計画しています。
所 員 、メ ー カ ー 、協 力 会 社 の 皆 さ ん と 力 を あ わ せ
て、原町火力200 万㎾ の一日も早い復旧に向け
て全力を注いでいきます。
12
震災直後
割れたガラス、横たわるタンク、自動車などが撤去され、事務本館周辺も整備されてきた
現在
の現場で
つ
く
る
﹂
仙台火力発電所・新仙台火力発電所
し た 。火 力 発 電 所 と し て は 致 命 的 な 被 害 で 、お そ
すべて浸水、2 階の制御装置も機能しなくなりま
仙 台 火 力 発 電 所4号 機 は 、地 震 の 約1 時 間 後 に
襲来した津波で、電気設備が集中する1 階部分が
せいいっぱいという状況でした。
およそ1 年半、20 12 年夏に間に合わせるのが
ないと損傷の具合もわかりません。どう考えても、
ていました。ガスタービンや発電機は分解点検し
した。発電所が発電できなくなった、ただただ悔
に、みんな心をひとつにして取り組みを進めまし
しい思いでした。
最初は﹁どう直そうか﹂そんなことを考えること
もできませんでした。2 日目、3 日目、通信手段が
た 。関 係 者 の 総 力 を あ げ た 取 り 組 み が 功 を 奏 し 、
できました。
月8日に営業運転を再開することが
て 重 要 な 課 題 で し た 。こ の た め 早 期 復 旧 を 目 標
途絶えている中、メーカーや協力会社の方も続々
2012年
復旧工程の検討が行われました。発電所構内は、海
いっぱいでした。発電所の被災状況調査が行われ、
と集まってきてくれました。もう感謝の気持ちで
し か し 、多 く の 発 電 所 が 被 災 し 、供 給 力 が 大 幅
に落ちている状況の中で、早期復旧は当社にとっ
らく復旧には長期間を要するだろうと直感しま
水と泥、がれきに覆われ、建物の壁や天井も崩落し
そ
れ
が
悔
し
く
て
し
ょ
う
が
な
か
っ
た
。
発
電
所
が
発
電
で
き
な
い
。
2
仙台火力発電所 発電技術グループ副長
髙橋 一成
何 があっても、
必 ず 冬までに間に合わせる。
その思いをひとつにして復旧作業。
﹁
予定を前倒しし、2012年2月8日に運転再開した仙台火力発電所4号機
13
新仙台火力発電所1号機が
2011年 月 日、
営業運転を再開しました。当社の火力発電所にとっ
27
した。
津波被害からの困難を極める復旧作業。日々、
状
況が変化しました。しかし所員全員が﹁ 月の発電
12
が、
自分たちの力を出し尽くして取り組んだ結果で
で早い復旧はできなかったと思います。所員全員
であるボイラーのことだけを考えていては、
ここま
て、
大きな節目となる再開でした。
もし、
自分の担当
12
この目標のもとに発電所全体の歩調がぴったり
再開﹂
という目標に突き動かされていました。
現在
策を導き出しました。こうして長い苦闘の末にこ
しグループ全員で話し合いを重ね、翌朝には改善
と重なりました。不具合があれば、
繰り返し繰り返
新仙台火力発電所 技術グループ
生田目 宏明
仙台火力発電所
の日を迎えました。みんな特別な思いで迎えた一
日でした。
新仙台火力発電所
14
震災直後
自
分
の
担
当
の
こ
と
だ
け
考
え
て
い
た
ら
こ
こ
ま
で
早
い
復
旧
は
で
き
な
か
っ
た
。
震災直後
現在
被災した当社火力発電所としてはじめて、
2011年12月27日に運転再開した
新仙台火力発電所1号機
の現場で
お
く
る
﹂
石 巻技術センター
すると、石巻技術センター管内の全変電所が電
報がしきりに鳴っています。系統監視盤を確認
跳ね上がっています。監視制御システムから警
うくらい揺さぶられ、配電線もヒュンヒュンと
では、電柱が根元から折れるのではないかとい
とができず、
地べたに座り込み、
道路の向こう側
場から戻って来た工事会社の方が立っているこ
地鳴りとともに揺れが始まり、
ま
3月 日は、
もなく所内の電気が消えました。
駐車場には、
現
めて確認することができました。
変電所の被害状況は上空から撮影した写真で初
たくわからない状態です。気仙沼市にある鹿折
で崩れているのか、津波が来ているのかもまっ
通信手段が途絶えてしまい、巡視中の情報が
なかなか入ってきませんでした。変電所が地震
う情報が入ってきて、
初めてわかりました。
ことは、翌日の朝に志津川の町も流されたとい
然としました。志津川変電所が流されたという
11
所内が停電になったので非常用発電機をすぐ
に運転しました。テレビには真っ黒い津波が田
送電鉄塔が倒壊した様子が、テレビの中継で
放映されました。気仙沼のフェリー乗り場に鉄
んぼや家屋をのみ込む映像が映し出され、ぼう
圧・電流ともにゼロの停電状態でした。
ま
さ
か
鉄
塔
が
こ
こ
ま
で
流
さ
れ
る
の
か
。
監視 盤 を 見 ると、管内の
全変 電 所 の 電 圧・電流が ゼロでし た。
﹁
15
体は、耐震性があり、地震に強いものです。しか
流されるのか﹂と、思いました。電力流通設備自
つ か っ た よ う で し た 。﹁ ま さ か 鉄 塔 が こ こ ま で
津波警報が出ていて沿岸部には近づけない。と
そこから電気を通していくことにしました。大
そこでまず大きい変電所を中心に巡視を行い、
発電所側からひとつずつ復旧して
電気は、
いかないと、
配電線まで送ることができません。
きました。
し 、時 間 の 経 過 と と も に 、沿 岸 部 の 津 波 被 害 の
にかく内陸部の変電所から復旧していこうと基
塔がありますが、その鉄塔が津波で流される瞬
様子がわかってくるにともない、津波によって
本方針を立て、
復旧していきました。
間 が 映 り ま し た 。船 が 流 さ れ て き て 、鉄 塔 に ぶ
鉄塔や変電所が流失・倒壊したことがわかって
確 認 し て 、使 え る 、使 え な い の 判 断 を し て い き
性が保たれているかといったことを一台、一台
圧器関係の内部から油が漏れていないか、絶縁
そのバッテリーもなくなってきます。無線も場
リーを用意していますが、時間がたつにつれて
て き ま し た 。変 電 所 で は 停 電 に 備 え て バ ッ テ
停電が長期化した地域では、保安回線をはじ
めとした通信手段も、だんだんと使えなくなっ
送電設備は、
鉄塔やがいしに異常がないか、
電
線が切れていないかなどを巡視し、健全性が確
また変電所に戻ってということを何回も繰り返
出て、
無線が通じるところまで行って通話して、
変 電 所 は 、現 地 で 外 観 上 異 常 は な い か 、ま た 変
ます。
認されて初めて送電できます。目視で一基ずつ
さなければなりませんでした。
所によっては通じません。いったん変電所から
確認するよりほかにありません。
石巻技術センター所長
山田 佐佳
送電課副長
渡辺 啓喜
制御所制御主査
千葉 利行
16
設
備
の
復
旧
は
一
台
、
一
台
。
一
基
、
一
基
。
目
で
確
認
し
な
が
ら
。
﹁
の現場で
石巻技術センター
くなどがそうです。そういったところは、
実際に倒
けない場所がありました。石巻の重吉変電所の近
変電所につながる送電設備の復旧を進めようと
しても、地域によっては津波被害で、人が入ってい
回の震災では当社の事業用地を管理する用地セン
都度、土地の所有者を探さなければなりません。今
たりすることがありました。こうした場合はその
津波の被害を受けた鉄塔や変電所の復旧のため
に、別の場所に仮鉄柱を建てたり、変電所を建設し
津波注意報が発令されると退避しなければならな
復 旧 作 業 の 中 で 怖 い の は 、余 震 で し た 。当 セ ン
ターの管内では鉄塔倒壊が 基あり、余震により
13
の代替変電所は、地元の方々の協力のおかげもあ
り、
わずか一カ月で復旧させることができました。
した。そのような身の危険を感じる場所で、巡視・
現場では、まず最初に今地震が来たらどこに逃
げるか、それを確認してから作業を開始していま
事業所・支店・本店、そして他電力会社の応援など
があって初めて成し遂げられたことでした。他の
が進んだわけではありません。地域の方々の支え
こ の 大 震 災 の 復 旧 活 動 で 感 じ た の は 、人 の 力 、
人と人とのつながりでした。一事業所だけで復旧
点検・仮鉄柱建設などの復旧作業にあたりました
バックアップも非常に大きかったと思います。
ところが大きいと思います。
に一致団結して昼夜を問わず対応したことによる
早く復旧させて届ける﹂という強い使命感のもと
地元の電気工事会社の皆さんが﹁電気を一日でも
が、それが達成できたのは所員と関係会社、そして
い状況でした。
てることができましたし、流失した志津川変電所
壊した鉄塔の詳しい状況を確認するまで数日かか
一
事
業
所
だ
け
で
は
で
き
な
い
、
ターの所員が機動的に対応し、早期に仮鉄柱を建
多
く
の
支
え
で
復
旧
で
き
た
。
りました。
現
場
で
は
、
ま
ず
地
震
が
来
た
ら
﹂
ど
こ
に
逃
げ
る
か
確
認
し
て
。
お
く
る
発変電課発変電主査
菅井 匠
安全主査
今野 克也
17
送電課送電主査
最上 浩之
仮設の志
宮城支店用地センターの迅速な対応で、
津川変電所の用地が決まりました。その後、この変
電所に引き込むための送電線が急ピッチで設計さ
れました。
これまで課内において事故対応訓練を何回も実
施し、復旧時のノウハウを蓄積してきていました。
工事会社の皆さんとの連携を密にし、
さまざまな知
見を復旧のために生かしました。
工事会社やメーカーの方たち、
そして社内の関係
者すべての協力があって、より多くの経験や知識、
技術が生きてきます。
それを今後本設の志津川変電
所の復旧に生かしていきたいと思います。
18
津波により原形をとどめない志津川変電所、
志津川線鉄塔
被災後約1カ月で仮復旧した仮志津川変電所、志津川線仮鉄塔
2011年3月
2011年4月
関
係
者
す
べ
て
の
協
力
が
あ
っ
て
技
術
が
生
き
て
く
る
。
の現場で
と
も
す
﹂
釜石営業所
の移動指示が出ました。携帯電話のワンセグに
性があることから、さらに隣町の当社社員寮へ
ましたが、
到着してまもなく、
大津波襲来の可能
向かいました。ここは浸水想定区域の外にあり
地震直後、全員営業所からの退避指示が出さ
れ、営業所から西に約1㎞にある一次避難所に
が急きょ非常災害対策本部となりました。この
釜石営業所は、建物2階床上まで浸水したこ
とから、所員の退避先となった社員寮の集会所
主的な避難準備など、
訓練通りの成果でした。
る訓練は行っており、
即時の避難指示、
各課の自
す。これに従い日ごろから一次避難所へ避難す
れ ぞ れ に ︶安 全 な 場 所 へ 逃 げ ろ ﹂と い う も の で
釜石湾の岸壁を乗り越える津波が映し出され、
仮設本部を拠点として、 日夜明けとともに復
釜石をはじめ三陸沿岸には言い伝えがありま
した。﹁地震が来たら津波が来る。
てんでんに
︵そ
した。
衝撃を受けるとともに事態の深刻さを予感しま
復
旧
さ
せ
ま
し
た
。
ま
ず
病
院
や
避
難
所
を
優
先
し
て
配電線路を設計する
システムもない、
経験と
創造 力 だ け が 頼 りの作業でした。
﹁
する必要がありました。北上技術センターの社
れてくることに備え、配電線などの巡視を実施
旧活動を開始しました。変電所まで電気が送ら
12
風間 敬一
釜石営業所長
配電課技術サービスグループ副長
増川 昭彦
︵2012年3月1日付で他所属へ異動︶
19
員が直接本部を訪れ、内陸西側の変電所から復
旧していくという連絡があり、釜石営業所は病
院や避難所を優先して送電するという方針を定
いきました。
当初、道には大量のがれきが横たわっていま
したので、
まず道路をつくるのが先決でした。
し
避難所の場所を特定するためには市役所に確
認しないといけませんが、市役所も被災し職員
登録されていた図面も、持ち出すことができま
所にあった設計システムが使えず、システムに
かし、
道路が通行できる状態になっても、
電柱を
は県の振興局に詰めていましたので、そこに確
せんでした。デジタルな機材もIT技術もない
め、
復旧を急ぎました。
認に行きました。振興局には毎日通い、
避難所の
状態。
住宅地図を材料にして、
あとは所員の経験
建て配電線路を設計するのが大変でした。営業
電気の復旧のため情報収集するとともに市に対
と創造力だけが頼りでした。
配電課運用グループ副長
佐藤 晃司
20
して情報提供をしました。下水処理場やゴミ処
当社社員寮集会所に設置された対策本部
理施設などで早期送電の要望もありました。市
から事情を聞き、調整をはかりながら復旧して
震災直後の釜石営業所
﹁
の現場で
釜石営業所
仮設の非常災害対策本部に、臨時にお客さまを
お 迎 え す る テ ン ト を 組 ん で 窓 口 と し ま し た 。ブ
ルーシートで囲んだだけの簡素なものでした。こ
こには、お客さまの情報が入ったシステムはあり
ません。地図でお客さまにお住いの場所を教えて
いただき、それを担当者に渡して、一軒一軒個別に
送電していきました。
津波をかぶってしまったお宅の方で﹁片付けを
したいので電気を通してほしい﹂と切望されるお
客さまもいましたが﹁浸水している場合には漏電
のおそれがあるので、お客さまのお宅の中の電気
の配線を改修してからでないと今は送電できま
せ ん ﹂と 申 し 上 げ る し か な い 、辛 い 場 面 も あ り ま
した。
﹁電気の復旧情報を知りたい﹂というご要望があ
り、大槌の避難所の代表者会議に営業所長が出席
させていただいたこともあります。皆さん一様に
不安な表情でしたが、復旧情報をお伝えすると、不
お客さまセンター担当副長
古川 幸守
震災直後
﹂
お
客
さ
ま
を
お
迎
え
し
ま
し
た
。
仮
設
の
テ
ン
ト
で
と
も
す
震災直後
寒風が吹きこむなかでの受付
総務課副長
髙橋 隆弘
211
﹂
お客さまセンター副長
自由な避難所生活の中でも、皆さんいくらか安心
持ちで活動しています。
少 し で も 笑 顔 を 、と い う 気
配 っ た り 、被 災 し た 方 々 に
緒に栽培した野菜や果物を
た り 、地 元 の 幼 稚 園 児 と 一
ン ﹂を 設 置 さ せ て い た だ い
ら げ る た め の﹁ 緑 の カ ー テ
仮設住宅に夏の日差しを和
とで、わずかなことですが、
ところからの支援というこ
考えています。また、できる
復興に携わっていきたいと
て、地域との連携を強くし、
所として地域と一緒になっ
さ せ て も ら い 、第 一 線 事 業
復興委員の一人として参加
た。釜石営業所では、所長が
取り組みが行われ始めまし
電 気 も 復 旧 し 、次 第 に 行
政が主導して復興に向けた
現 在
されている様子でした。それでこの後も、
適宜情報
現 在
提供を行うようにしました。
地域の方々には、私たちの方が助けていただい
た り 、お 世 話 に な る こ と も 度 々 で し た 。配 電 の 応
援隊が100 人規模で入るというとき、前線基地
としてぜひ使ってくださいと、すぐお客さまの所
には宮古技術センターの一角を事務所として業務を再開し
ました。しかし、設備や資材など何もかもが足りませんでし
た。
時間の経過とともに新たな送電依頼が増えていきました
が、
お客さまが求める期日でお送りすることはできませんで
6月に野菜の苗植えが行われたちびっ子農園
被
災
し
た
地
域
の
方
に
少
し
で
も
笑
顔
を
。
有地を貸してくださったり、支援物資をたくさん
持ってきてくださったお客さまもいらっしゃいま
した。道路事情が悪いなか、
地区の区長さんが交通
整理をして、復旧作業の車両を優先的に通してく
宮古営業所
津波の浸水により宮古営業所も避難を余儀なくされまし
た。
しかし、
立ち止まってはいられませんでした。
震災の翌日
ださったりしました。
の現場で
と
も
す
秋田 智
した。
一日も早く電気を送り届けたいと思いましたが、
ご要望に
応えることができず、
つらかったです。
震災から3カ月後の6月 日、
ようやく検針業務が再開しま
した。
少しだけ日常を取り戻し、
ほっとした瞬間でした。
22
13
﹁
待
っ
て
い
た
だ
く
し
か
な
か
っ
た
。
つ
ら
か
っ
た
。
被害∼復旧のあらまし
◎非常災害対策本部
全社に非常災害対策本部を設置。
錯綜する様々な情報を集約し、
全部門が課題を共有して早期復旧にあたりました。
からの応援派遣計画や停電解消に向けた方針な
停電状況などの把握に努め、
被災していない店所
立ち上げ、断続的な余震が続くなか、設備被害や
本店は社長を本部長とする非常災害対策本部を
所に非常災害対策本部を設置しました。
復旧するなど、
中央給電指令所、
発電所、
送変配電
な工業用水や特殊な薬品を作る工場を速やかに
に停電を解消させるために、
発電所の運転に必要
ました。停止した発電所の運転を再開して、早期
の発電所が停止して需給バランスが大きく崩れ
需給調整を行っていますが、
今回の震災では多く
地震発生と同時に、第二非常体制︵防災体制の
最高レベル︶
を発令し、
本店および全支店、
全事業
どについて、各部門で課題を共有し、迅速に対策
部門が情報を共有し連携を密にして取り組みま
た た め 急 き ょ 本 店1 階 会 議 室 に 代 替 非 常 災 害 対
者も、共通した目的意識のもとに、力を出し合っ
なく
最前線の作業員などを支える後方支援も、
てはならない存在でした。どの役割、どの立場の
した。
策本部を設置し、
ワンフロアで各部門が連携しな
も大きな原動力になりました。
て、支えあって取り組めたことが、早期復旧の最
に復帰︶
。
がら震災対応を進めました
︵2011年3月 日
甚大な被害を受けた宮城県を管轄する宮城支
店においては、
宮城支店が入居する建物も被災し
を展開しました。
中央給電指令所は、
電力需要が常に変化するな
かで周波数が安定した電気を送るため、
シビアな
各
部
門
が
確
認
し
合
い
、
協
力
し
合
っ
て
復
旧
に
立
ち
向
か
い
ま
し
た
。
22
23
宮城支店非常災害対策本部の様子
震災直後に開催された本店非常災害対策本部会議
停電の早期解消な
甚大な被害にあったものの、
ど災害対応を可能にしたのは、
非常災害対策本部
と各現場、
各現場での社員同志が緊密に情報交換
し、
あらゆる面で連携したことが大きな要因でし
た 。太 平 洋 側 の 設 備 は 甚 大 な 被 害 を 受 け ま し た
が、日本海側の被害は軽微でした。健全に機能し
ていた日本海側から、電気の送電、復旧応援隊の
派遣、
物資・食料・燃料の後方支援などを行いまし
た。停止を免れた新潟火力発電所、東新潟火力発
24
電所からの送電で、
順に通電を復旧させることが
できました。
中央給電指令所
日
本
海
側
と
太
平
洋
側
。
東
北
だ
か
ら
で
き
た
こ
と
。
被 害 ∼ 復 旧 の あ らまし
◎広域大規模停電に対する復旧
震災当日はそれぞれの現場で、
配電作業や電力工事業務に当
たっ ていました。地震直後電気が寸断され、
電話も繋がらず
社員全員の安否確認もとれない状況でしたが、
社員一人ひと
りが、
自 発 的に﹁今 私たちができること﹂を 考え﹁やるべき 仕
事
︵電力設備の復旧作業︶
﹂
に懸命にあたってくれました。
私たちの営業基盤である多賀城市は街の三分の一ほどが津
当社社員のほか、
企業グループ各社、
これらは、
地 元 の 協 力 会 社 、そ し て 他 電 力 会 社 の 応 援 隊 な
ようです。未 曾 有の 震 災の 中、
力を 尽くすことができたの
に着手可能な地域の停電をすべて解消すること
ができました。
いたのだと思います。
員 全 員に 自 然に 身に 付いて
ンを 担 っ ている 使 命 感が 社
あっ たからです。ライフライ
けており、
すぐに 復 旧 作 業ができたのは 私たちだけだっ た
波の 被 害を 受け、地 域 内の 電 気 工 事 会 社も 多 大な 被 害を 受
験したことのない広域大規模停電が発生しまし
ど、
あらゆる力を結集した懸命な復旧作業によっ
停電約 万戸の7倍にものぼります。
当社は地震発生直後よ
この大規模停電に対し、
り直ちに復旧作業を開始しました。
% を解消。
3 月末時点で
80
6 月 日には津波による流失地域や震災の影
響で現地への立入が困難な地域などを除き、
復旧
た。
これは、
1978
︵昭和 ︶
年宮城県沖地震での
は約 %の停電を解消しました。
ஷ
෋
ஐ
໨
ƞ
Ё
੿
ƞ
Ơ
Ჭ
Ɯ
૞
Ͻ
Ƥ
ƕ
Ʒ
ơ
ി
‫ח‬
ơ
Ÿ
ƕ
ǀ
ƴ
ƍ
ƕ
ᲊ
若林電気工事株式会社
(宮城県多賀城市)
代表取締役 三浦 裕一さん
53
多くの当社事業所も被災していたなかで全力
の取り組みにより、
震災後3日で約 %の停電を
解消し、
8 日後には約
94
18
は
﹁どんな状況でも電気を送り届けなければ﹂という思いが
3 月 日、地震と大津波により、東北地方のほ
ぼ全域で延べ約486万戸という当社がかつて経
協力会社の声
東 北 地 方 の ほ ぼ 全 域 、約 486万戸が停電した
未 曾 有 の 事 態 に 全 力 で 復 旧 に 取 り 組 み、
3日後 には、そ の 約 %を解消しました。
80
96
て達成されたものです。
11
68
25
仙台港変電所で移動用ケーブルを敷設する作業
被災地での建柱作業(岩手県大槌町)
26
がれきの中で続けられる建柱作業
(宮城県女川町)
被 害 ∼ 復 旧 の あ らまし
◎新潟・福島豪雨でも被災
太 平 洋 側 の多くの設 備 が被害を受けるなか、
7月の新 潟・福 島 豪 雨 でも被災。
いまな お 設 備 の 復 旧 が 続いています。
大震災の発生以来、当社はまず停電を解消し、
被災地に電気を供給することを第一に、
復旧作業
原町火力発電所1 2・号機は、津波によりター
の製作や修理を進めています。また、当初予定の
ビン建屋1 2・階の電気・機械設備が浸水すると
ともに、電気集塵器が破壊、揚炭機が損壊するな
しかし、
太平洋沿岸を中心に当社設備にも大き
な被害が発生しました。
発電から送電・変電、
配電
20 13 年 夏 か ら 20 1 2 年 度 内 の 運 転 再 開 へ
旧を目指して全力で取り組んでいます。
ど甚大な被害を受けており、現在、損傷した設備
に至るまでの多数の設備が倒壊・損壊・流失・浸水
前倒しする方向で検討を行うなど、
一日も早い復
発電所の被害も当社にとって過酷なダメージでし
た。
現在、
当社の原子力発電所は停止しており、
そ
の不足した電力を確保するために火力発電が担う
べき役割は大きく、
稼働可能な火力発電所をフル
東日本大震災では、水力発電所の供給力への影響
は比較的軽微でありましたが、
7 月末に発生した新
減少する
潟・福 島 豪 雨 で は 、 カ 所 の 当 社 水 力 発 電 所 が 設 備
被 害 に よ り 停 止 し 、供 給 力 が 約100万
20 12 年2 月末までに計
カ所が復旧しました
大 き な 被 害 を 受 け ま し た 。懸 命 な 復 旧 作 業 に よ り 、
kW
29
が、なお、 カ所が停止中で、復旧への取り組みが続
15
稼働させるなど負担が重くなっています。
燃料調
達の面でも、
燃料油やLNGの所要量が大幅に増加
するなか、
燃料を発電所の稼働状況にあわせて安
定調達することが求められています。
いています。
14
また、大震災に加え2011年7月末に新潟県
と福島県会津地方を襲った豪雨水害による水力
などの被害を受けました。
に取り組みました。
懸
命
の
復
旧
作
業
が
続
く
原
町
火
力
水
力
発
電
所
の
復
旧
も
道
半
ば
濁流にのみこまれる新郷発電所
2011年7月の水害で被災したダム放水路の復旧作業
太
平
洋
側
の
多
数
の
設
備
で
被
災
27
●主な発電所の復旧状況および見通し(2012年2月末現在)
●新潟・福島豪雨による水力発電所の被害状況(2012年2月末現在)
28
当 社 原 子 力 発 電 所の状況について
◎女川原子力発電所 ❶
原子炉を安全
地震による自動停止後、
に冷温停止させ、
その後も安定した状態
ましたが、
津波が敷地を乗り越えて建屋に及ぶ
そのものがビク
二波以降も法面
ても、第一波、第
回の津波におい
置 し ま し た 。今
にコンクリート防護工を9・7mの高さまで設
げました。
このため敷地の法面を強化するため
さをそれまでの3m 程度から9・1mに引き上
波対策についての検討が行われ、
津波の想定高
新知見の収集や我
2号機を建設する際には、
が国で初となった貞観津波の痕跡調査など津
ゼル発電機を冷却する設備が浸水した
地下3階に海水が流入し、
非常用ディー
波の影響で、
2号機の原子炉建屋付属棟
ただし、
地震発生約 分後に来襲した津
のディーゼル発電機も使用可能でした。
保することができました。また、非常用
線の1回線が使用可能であり、
電源を確
回線を有していますが、
地震後も松島幹
2回線、および塚浜支線1回線の、計5
電源として、
牡鹿幹線2回線と松島幹線
に重要です。
女川原子力発電所では外部
を維持するためには電源の確保が非常
ことはありませんでした。﹁敷地の高さをもって
と も せ ず 、十 分
ため、
2号機の3台ある非常用ディーゼ
も目を向けながら議論を重ね、
敷地の高さを ・
らに貞観津波、
慶長津波など古い時代の津波に
その検討の中で明治三陸津波、
昭和三陸津波、
さ
外部の学識経験者を含む社内委員会を設置し、
あるとの認識をもっていました。1968年に
当社は計画当初から津波対策が重要な課題で
を津波から守りました。
1号機の建設にあたり、
分後に到達し、
約 m の高さで発電所を襲い
13
安全側に立った設定としました。
電所敷地付近での津波の高さを大きく上回る
8m に決定しました。過去の記録などによる発
14
の電源融通も可能でした。
機のものはすべて健全であり、
各号機間
りました。しかし、残りの1台と他の号
40
13
影響で現在は約 ・8m ︶
。
津波は地震発生の約
津波対策とする﹂
という設計の考え方が、
発電所
に機能を果たし
ル 発 電 機 の う ち2 台 が 使 用 不 可 能 と な
地震前の女川原子力発電所の敷地の高さは
海抜 ・8m ありました
︵地震による地殻変動の
重
要
な
電
源
の
確
保
。
未 曾 有 の 津 波 をくいとめた ・8mの敷地の高 さ。
安 全 に 対 する 姿 勢、備 えの思想こそ守りの要でした。
14
ました。
14
法
面
防
護
対
策
は
強
固
で
し
た
。
安
全
に
設
計
さ
れ
た
敷
地
の
高
さ
が
、
何
度
も
押
し
寄
せ
る
津
波
に
も
、
津
波
を
防
い
で
く
れ
ま
し
た
。
40
29
◎女川原子力発電所 ❷
電源装置は、
海抜 m の高台に設置されていま
ます。
2012年2月に運用を開始した大容量
に、
防潮堤の設置などに計画的に取り組んでい
緊 急 安 全 対 策 を 直 ち に 実施し、
さ ら な る 安 全 性 向 上 のための対応策に
計 画 的 に 取 り 組 ん で います。
﹁東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏
まえ、緊急安全対策に直ちに取り組み、実施状
況を報告すること﹂
という経済産業大臣の指示
︵2011年3月 日︶
により、
当社では女川原
子力発電所における緊急安全対策を策定すると
ともに訓練を実施し
︵同年5月 日︶
、
緊急安全
す。
定格出力5000 の発電機3台を備えてお
り、
原子炉の冷温停止に必要な設備にも電源供
給が可能です。
た、
シビアアクシデント
︵過酷事象︶
対応に関する
女川原子力発電所では、
震災以前からさまざ
まな耐震対策を実施していました。
1号機運転
社では建屋内にある非
さらなる安全性向上の
た め の 対 応 策 と し て 、当
6600カ所で実施しました。
事務棟について
造物について耐震裕度を向上させる工事を約
までに建屋の中の配管やケーブルなどの支持構
した状況で操作・監視ができるように中央制御
開始時から地震の揺れの際にも運転員が安定
日︶
しました。
常用ディーゼル発電機の
は、
免震構造を採用した新事務棟を建設してい
室の制御盤に手すりを設置し、
また、
2010年
代替が可能な大容量電
10
不測の事態が発生した場合に備えて、
旧事務棟
にも筋交いなどの耐震補強工事を実施しまし
た。
今回の地震において、
これらの対策が効果を
発揮し、
設備に大きな被害はありませんでした。
日
常
的
な
訓
練
が
育
ん
だ
52
報 告 書 を 提 出︵ 同 年6 月
対策に関する報告書を提出
︵同年5月 日︶
。
ま
kVA
震
災
前
か
ら
取
り
組
ん
で
き
た
ましたが
︵2011年 月完成︶
、
工事期間中に
シミュレーターを使った全交流電源喪失時の
運転訓練や消防訓練など様々な訓練を日常的に
実施してきました。
震災時において的確に対応
することができたのは、
これら訓練の成果だと
考えています。
30
30
源装置を設置するととも
シミュレーターによる全交流電源喪失時の
運転訓練
11
災
害
時
の
対
応
力
。
筋交いで耐震補強工事をした旧事務棟
14
18
地
震
対
策
。
緊
急
安
全
対
策
、
シ
ビ
ア
ア
ク
シ
デ
ン
ト
へ
の
迅
速
か
つ
適
切
な
対
応
。
◎東通原子力発電所
東通原子力発電所は、
地 震 や 津 波 に よ る 設 備 への
被 害 は ありませんでした。
東 通 原 子 力 発 電 所は、
地 震 発 生 時は 定 期 検 査のため 停 止 中でし
た。地 震 発 生 後、
発 電 所 設 備において、
地 震の 揺れによる 被 害が
ないことを 確 認しました。また 発 電 所 港 湾 施 設にも 津 波が 押し
寄せましたが、
この 津 波による 被 害もなく、
現 在 も 原 子 炉や 使 用
済燃料プールは安定した状態で管理しています。
東通原子力発電所
さらなる安全対策と、緊急事態に備える訓練を重ねています。
◎水素爆発防止対策
緊急安全対策の実施状況
◎がれき撤去用の重機の配備
当社は、2011年3月30日、
経済産業大臣より「東京電力福島第
これに 基づき、東 通 原 子 力 発 電 所におけるシビアアクシデン
一原子力発電所事故を踏まえ、緊急安全対策に直ちに取り組
トへの対応措置を策定するとともに、その実施状況を取りま
み、実施状況を報告すること」との指示文書を受領しました。
とめ、6月14日、
経済産業大臣へ報告しました。
この指示では、津波により以下の3つの機能が喪失した場合
6月16日、
経済産業省原子力安全・保安院による立ち入り検査を
であっ ても、
炉心損傷および使用済燃料の損傷を防止し、放射
受け、18日同院より適切に実施されているとの判断をいただき
性物質の放出を抑制しつつ、原子炉施設の冷却機能の回復を
ました。
図るための緊急安全対策を講じることが求められたため
◎交流電源を供給する全ての設備の機能
原子力防災訓練の実施
◎海水により原子炉施設を冷却する全ての設備の機能
◎使用済燃料プールを冷却する全ての設備の機能
11月4日、
緊急安全対策について確実に実行できることを確
の3つが喪失した場合の具体的な想定事象と必要な対策の検
認し、発電所員の技能向上を図るため、約180人(うち本店対策
討を進め、東通原子力発電所における緊急安全対策を策定す
電源確保訓練の様子
本部50人、
協力会社20名)が参加し、原子力防災訓練を実施し
るとともに、4月20日、
緊急事態に備えた対策の対応能力の強
ました。
化を図るため、発電所構内において緊急安全対策訓練を実施
また、10月5日、
視界が制限される夜間でも緊急安全対策が確
し、その実施状況を取りまとめ、4月22日、
経済産業大臣へ報
実に実行できることを確認するため、約110人が参加し、夜間
告しました。
総合訓練を行いました。
東通原子力発電所の緊急安全対策については、5月6日、
国よ
り適切に実施されているとの判断をいただいています。
ストレステストの実施状況
発電所での訓練では、
全交流電源が喪失したとの想定のもと、
原子炉を安全に停止・冷却するため、
電源確保訓練、
海水系ポ
ンプ 電動機交換訓練、
建屋内海水浸入対応訓練、
消防車による
7月22日、
原子力安全・保安院より福島第一原子力発電所にお
電源喪失を想定した運転員の
シミュレータ訓練
注水訓練など多岐にわたる項目を継続的に実施しています。
ける事故を踏まえた既設の発電用原子炉施設の安全性に関す
る総合評価の実施について指示文書を受領しました。
これに基づき、東通原子力発電所1号機の安全性に関する総
合評価(ストレステスト)の一次評価を実施し、12月27日、
原子
シビアアクシデントへの対応状況
力安全・保安院へ報告しました。
6月7日、経済産業大臣より福島第一原子力発電所事故を踏
評価の結果、安全上重要な施設・機器等は、設計上の想定を超
まえたシビアアクシデント
(過酷事象)への対応についての指
える事象が発生した場合でも十分な安全裕度を有しているこ
示 文 書を 受 領しました。これは 万 一、シビアアクシデントが
とを確認するとともに、これまで実施してきた緊急安全対策
等により、安全裕度や安全機能の多重性・多様性が向上してい
発生した場合でも迅速に対応するため、
次の5つの事項につ
いて取り組むことが求められています。
◎中央制御室の作業環境の確保
消防車による注水訓練
ることを確認しました。
今後とも、福島第一原子力発電所の事故や地震・津波に対し
◎緊急時における発電所構内通信手段の確保
て、知見の収集を行い、
必要な対応を行っ ていくことで、
より
◎高線量対応防護服等の資機材の確保及び放射線管理のた
一層の安全性向上に努めていきます。
めの体制の整備
31
東日本大震災後の主な出来事(2012年2月末現在)
2011年3月
11日
14時46分、
三陸沖を震源とする M9.0、
最大震度7の地震発生 電力供給設備に甚大な被害が発生し、
延べ約486万戸が停電 本店・各店所は第二非
常体制を発令し、
海輪社長を本部長とする非常災害対策本部を立ち上げ
12日
3時59分、
長野県北部を震源とする M6.7の地震が発生
秋田火力発電所2∼4号機が運転再開
13日
能代火力発電所1号機が運転再開
福島第一原子力発電所事故の影響による女川原子力発電所のモニタリングポスト指示値上昇に伴い原子力災害対策特別措置法第10条に基づき通報
14日
能代火力発電所2号機が運転再開
15日
計画停電実施の可能性を公表
20日
東日本大震災総合対策本部を設置
八戸火力発電所3号機が運転再開
27日
4月
7日
東北地方太平洋沖地震による津波を踏まえた当社原子力発電所の安全対策を策定
23時32分、
宮城県沖を震源とする M7.2、
最大震度6強の余震発生
11日
17時16分、
福島県浜通りを震源とする M7.0、
最大震度6弱の余震発生
12日
14時07分、
福島県浜通りを震源とする M6.4、
最大震度6弱の余震発生
22日
東通原子力発電所における緊急安全対策の実施状況を経済産業大臣へ報告
28日
東通原子力発電所における更なる安全性向上のための対応計画を策定し経済産業大臣へ報告
5月
6日
津波に起因する原子力発電所事故を踏まえた省令改正に伴う東通原子力発電所の原子炉施設保安規定変更認可
12日
平成22年度決算で過去最大の赤字、
平成22年度期末配当の減配を公表
18日
女川原子力発電所における緊急安全対策、
更なる安全性向上のための対応計画を策定し経済産業大臣へ報告
31日
東新潟火力発電所港1号機が運転再開
6月
1日
津波に起因する原子力発電所事故を踏まえた省令改正に伴う女川原子力発電所の原子炉施設保安規定変更認可
8日
当社管内における電力の需給状況に関するデータをホームページに掲載開始
13日
女川原子力発電所のモニタリングポスト指示値上昇に伴う原子力災害対策特別措置法第10条に基づく第1緊急体制を解除
14日
女川、
東通両原子力発電所におけるシビアアクシデントへの対応に関する措置を策定し経済産業大臣へ報告
18日
東日本大震災に伴う停電について、復旧に着手可能な地域の停電を全て解消
北部基幹系統「北上幹線」
が運用開始
25日
北部基幹系統「十和田幹線」
が運用開始
29日
電力需給非常対策本部を設置
7月
1日
電気事業法第27条に基づく電気の使用制限開始
11日
東北電力でんき予報をホームページに掲載開始
21日
計画停電を実施する場合の新たな運用を公表
下旬
30日
新潟火力発電所5号系列が運転開始
8月
4日
電力需給逼迫に伴う東京電力からの電力融通を初めて受電
9日
平成23年度夏季最大電力1,246万kWを記録
26日
9日
月
10
新潟・福島豪雨により只見川・阿賀野川水系の水力発電所を中心に甚大な被害発生
東新潟火力発電所港3号系列
(緊急設置電源)
が運転開始
電気事業法第27条に基づく電気の使用制限終了
10日
女川原子力発電所1・3号機の定期検査を開始
22日
台風15号による被害発生
30日
風力発電導入拡大に向けた実証試験の実施、
全体で200万kWの系統連系を目指すことを公表
28日
平成22年度中間決算で過去最大の赤字、
平成23年度中間配当の無配を公表
森吉発電所が運転開始
11
月
12
8日
第1回
「原子力のあり方に関する有識者会議」開催
22日
八戸火力発電所5号機
(緊急設置電源)
のコンバインドサイクル化を公表
30日
新仙台火力発電所3号系列の新設工事を着工
1日
女川原子力発電所における防潮堤の工事開始
相川火力発電所3号機が運転開始
20日
27日
当社初のメガソーラー 八戸太陽光発電所が運転開始
東通原子力発電所1号機の安全性に関する総合評価(ストレステスト)
の一次評価を原子力安全・保安院に報告
新仙台火力発電所1号機が運転再開
2012年
1月
2月
32
27日
東北電力グループ中期経営方針
(平成24 ∼28年度)を策定
31日
新潟火力発電所6号機
(緊急設置電源)が運転開始
2日
平成23年度冬季最大電力1,362万kWを記録
(現時点)
8日
仙台火力発電所4号機が運転再開
写真提供/東北六魂祭実行委員会
33
送電鉄塔、
変電
太平洋側の火力発電所がことごとく被災し、
所、
電柱の多くが津波にのまれ、
ほぼ東北全域が停電するとい
う非常事態。しかし、それでも震災発生から3日後には、その
%を解消するまで復旧できました。
どうしてそのようなことが可能だったのか。
電気をつくる、
おくる、
ともすに関わる全ての人間の
それは、
﹁なんとしても電気を通したい。
一秒でも早くお客さまにとど
けたい﹂
という強い使命感に他なりません。
雪まじりの暗いなか、
寒さと地震と津波の恐怖にふ
あの日、
る え た 東 北 に 、電 気 と い う 安 心 を と ど け る 、そ の 想 い こ そ が
我々を衝き動かす原動力でした。
震災から一年がたちましたが、傷ついた人々の心の平穏や
東北の復興はまだまだ緒についたばかりです。
しかし東北には、歴史や自然に育まれてきた豊かな文化や
暮らしがあり、美しいふるさとを心から愛する沢山の人たち
がいます。
この大切な東北の人たちとともに、
電力の安定供給
我々は、
を通じ、
東北の復興に向けて力を尽くしていきます。
34
80
発行/2012年3月
100
Fly UP