...

Page 1 安倍総理が真珠湾でスピーチ 日本時間12月28日朝、安倍晋三

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

Page 1 安倍総理が真珠湾でスピーチ 日本時間12月28日朝、安倍晋三
安倍 総 理 が 真珠湾 で ス ピー チ
日本時間 12月 28目 朝 、安倍 晋 三 首相 はハ ワイの真珠湾 でオ バマ 米大統領 と最後 の首脳会
談 を行 った後、 ア リゾナ記念館 を訪れ て献花、 ス ピー チ を行 つたc
■安倍総 理大 臣 の スピー チ
オ バマ 大統領 、ハ リス lll令 官 、 ご列席 の みな さま、そ して全 てのア メ リカ国民 の皆様 、 パ
ール ハ ー バー 、真珠湾 に今 、私 は 日本 │コ 総理 大臣 として立 ってい ます G
耳 を澄 ます と、寄せ ては返 す波 の音 が聞 こえてきます。 降 り注 ぐ陽 の柔 らかな光 に照 らさ
れ た 、青 い 、静 か な入 り江。私 の後 ろ海 の上 の 白いア リゾナ ・ メモ リアル 。 あ の慰霊 の場
を、オバ マ 大統 領 とともに訪れ ま した。 そ こは私 に沈黙 を促す場所 で した。 亡 くな っ た軍
人 た ちの名 が記 され ています。祖 国 を守 る崇高 な任務 のた め、カ リフ ォル ニ ア 、 ミシガ ン、
ニ ュー ヨー ク、 テ キサ ス 、 さま ざまな地 か ら来 て乗 り組 んでいた兵 士 た ちが あ の 日、爆撃
が戦艦 ア リゾナ を二つ に切 り裂 いた時、紅蓮 の炎 の 中で死 んで い つた。
75年 がたつた今 も、海底 に横 たわ るア リゾナには、数知れ ぬ 兵 士た ちが眠 つていますc耳
を澄 ま して心 を研 ぎ澄 ます と、風 と波 の音 とともに、兵 士た ちの声 が 聞 こえて きます。
あ の 日、 日曜 の朝 の 明 る く寛 いだ 、弾む 会話 の声 .自 分 の未 来 を、そ tノ て夢 を語 る若 い兵
士 た ち の声 .最 後 の瞬 間、愛す る人 の名 を叫ぶ声 3生 まれ て くる子 の幸 せを祈 る声。 一 人
ひ と りの兵 士 に 、そ の 身 を案 じる母が い て 、父 がいた。愛す る妻や恋人 がいた。成長 を楽
しみ に してい る子 どもた ちが いたで しょ う。 それ ら全て の思 いが 絶 たれ て しまつた。 そ の
厳 粛 な事 実 を噛み しめ る時 、思 う時 、私 は言葉 を失 い ます .そ の御霊 よ安 らかなれ。 思 い
を込 め、私 は 日本国民 を代表 して兵 士が 眠 る海 に花 を投 じま した。
オ バマ 大統領 、 ア メ リカ国民 の皆 さスノ、世界 の 、 さま ざまな国 の皆 さま。私 は 日本国総理
大 臣 として、 この地で命 を落 と した人 々の御霊 に 、 ここか ら始 ま つ た戦 いが 奪 った 、す べ
ての勇者 た ち の命 に、戦争 の犠牲 とな った 、数 知れ ぬ 無事 の 民 の魂 に、永劫 の 、哀悼 の誠
を捧 げます。
戦 争 の 惨禍 は、 三度 と繰 り返
tノ
てはな らな い。 私 た ちは、そ う誓 い ま したcそ して戦後 、
自由で民主的 な国 を創 り上 げ、法 の 支配 を重ん じ、 ひ た す ら不戦 の 誓 い を貫 いて まい りま
したし戦後 70年 間 に及 ぶ平和 国家 と しての歩み に、私 た ち F]本 人 は静 かな誇 りを感 じなが
ら、 この 不動 の方針 を これ か らも貫 いて ま い ります。 この場 で 、戦艦 ア リゾナ に眠 る兵 士
た ちに 、 ア メ リカ国民 の皆 さまに、世界 の 人 々 に、固 い そ の決意 を、 日本国総理大 臣 と し
て表 明 いた します。
昨 日、私 はカネオ ヘ の海兵 隊基地 に、 一 人 の 日本帝 国海軍 士官 の碑 を訪れ ま した。 そ の人
物 とは 、真 珠湾攻 撃 中 に被 弾 し母 艦 に帰 るの をあ き らめ夢│き 返 し戦 死 した戦 闘機 パ イ ロ ッ
ト、飯 田房太 中佐 です。彼 の墜落地点 に碑 を建 てたの は、 日本人 ではあ りませ ん。攻撃 を
受 けた側 にいた米 軍 の人 々 です。 死者 の 勇気 を称 え、石碑 を建 てて くれ た。碑 には 、祖 国
のた め命 を捧 げた軍人 へ の敬意 を込 め 「日本帝 国海 軍大尉 」 と、 当時 の 階級 を刻 んで あ り
ます 。
“
The brave Кspectthe bFaVe“ 、「勇者 は 、勇者 を敬 う」
。 ア ンブ ローズ・ ビアスの詩 は言
い ます。 戦 い合 っ た敵 であって も敬意 を表す る。憎 しみ合 った敵 で あ っ て も理解 しよ うと
す る。 そ こに あるの は 、 アメ リカ国民 の寛容 の心です。
戦争 が 終わ り、 日本 が 見渡す 限 りの焼 け野原 、貧 しさの どん底 の 中 で苦 しんでいた 時、食
べ るもの 、着 るもの を惜 しみ な く送 っ て くれ た の は 、米 国 で あ り、アメ リカ国民で あ りま
した。皆 さんが送 って くれ た セー ター で 、 ミル クで 、 日本人 は未 来 へ と命 をつ な ぐ こ とが
で きま した。 そ して米 国は、 日本 が 戦後再び国際社 会 へ と復帰す る道 を拓 いて くれ た。米
国 の リー ダ ー シ ップの 下、 自由世界 の一員 と して、私 たちは 平和 と繁栄 を享受す る こ とが
で きま した。
敵 として熾烈 に戦 つた私 たち 日本人 に差 しのべ られ た 、 こ うした皆 さん の善意 と支 援 の 手、
そ の大 い な る寛容 の心 は、祖 父 た ち、母 た ち の胸 に深 く力 まれ てい ます 。私 た ちも覚 えて
い ます 。子や孫 た ち も語 り継 ぎ、決 して忘れ る ことはな いで しょ う。
オバ マ大統 領 とともに訪れ た、 ワシン トンの リンカー ン・ メ モ リアノ
れ そ の壁 に刻 まれ た
言葉 が 、私 の心 に去来 します。
「誰 に対 して も、悪意 を抱 かず 、慈悲 の心 で向 き合 う」「永続 す る平和 を、われ われ す べ
ての あい だに打 ち立て、大切 に守 る任務 を、や りとげ る」。 エ イブ ラハ ム・ リンカー ン大統
領 の言葉 です。私 は 日本 国民 を代表 し、米 国 が 、世界 が 日本 に示 して くれ た寛容 に改 めて
ここに心か らの感謝 を申 し上 げます。
あ の 「パ ール ハ ー バ ー 」 か ら 75年 。歴史 に残 る激 しい戦争 を戦 つた 日本 と米 国は、歴史 に
まれ な、深 く強 く結 ばれ た同盟 国 とな りま した。 それ は今 まで に も増 して世界 を覆 う幾多
の 困難 に共 に立 ち向か う同盟 です 。 明 日を拓 く希望 の 同盟 です。
The POwor ofreconciliatiOn“ 、「和
私 た ちを結 びつ けた もの は、寛容 の心が もた らした 、“
ル ハー バー で 、 オ バマ 大統領 とともに 、世界 の人 々に対 して
解 の力」 です .私 が ここパーヽ
訴 えたい もの。 それ は、 この和 解 の 力です。
戦争 の惨禍 は、未 だ に 世界 か ら消 えない。憎悪 が憎悪 を招 く連鎖 は無 くなろ うと しない。
寛容 の心 、和解 の 力 を、世界 は今 こそ必 要 として い ます 。憎悪 を消 し去 り、共通 の価値 の
下、友情 と信 頼 を育 てた 日米 は 、今 こそ寛容 の 大切 さと、和 解 の 力を、世 界 に 向 か つて 訴
え続 けて い く任務 を帯びて い ます。日本 と米 国 の 同盟 は、だか らこそ希望 の 同盟 な のです。
私 た ちを見守 っ て くれ て い る入 り江 は、 どこまで も静 かで す。 パ ール ハ ー バ ー 、真珠 の輝
きに満 ちた、 この美 しい入 り江 こそ 、寛容 と、そ して和解 の象徴 で ある。私 た ち 日本 人 の
子 どt)た ち、そ してオ バマ 大統領 、皆 さんア メ リカ人 の子 どもた ちが、 またその子 どもた
´
て 脚:界 中 の人 々 が 、 パ ール ハ ー バ ー を和 解 の象徴 と して記憶 し続 けて
ち、孫 た ちが、そ し
くれ る事 を私 は願 い ます Gそ のた めの努 力 を、私 た ちは これ か らも、惜 しみ な く続 けて い
く。 オバ マ 大統領 とともに 、 ここに、固 く、誓 い ます 。
あ りが と うご ざい ま した。
Fly UP