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平成27年度 - 北海道大学

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平成27年度 - 北海道大学
平成 27 年度
総長室事業推進経費による
研究支援事業
研究成果報告書
北 海 道 大 学
研 究 戦 略 室
所 属
代表者名
研 究 題 目
■戦略的チーム型研究支援(HokREST)
工 学 研 究 院
長谷川
靖哉
新型融合プロジェクトを展開し、光産業バレー創成を目指す
・・・・・ 2
■若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
医 学 研 究 科
藤岡
医 学 研 究 科
木 村
創 成 研 究 機 構
礒 部
地球環境科学研究
院
加
獣 医 学 研 究 科
松 野
獣 医 学 研 究 科
山
農 学 研 究 院
加 藤
北海道大学病院
夏
理 学 研 究 院
吉 田
インフルエンザウイルスの受容体タンパク質の同定とその標的薬剤の探
索
・・・・・ 4
俊 介
顎骨の骨細胞における機械的刺激に対する骨代謝応答の解明
・・・・・ 6
繁 人
イオン伝導制御を用いた革新的水素貯蔵材料の開発
・・・・・ 8
容一朗
藤
盛
賀
優
啓 太
徹
知 道
健
紘 行
貴金属フリー酸素還元電極触媒の反応部位空間配置制御と反応機構解明
・・・・・ 10
マダニ細菌叢のウイルス感染症マーカーとしての可能性
・・・・・ 12
腫瘍転移巣の術中迅速診断を目標とした新規近赤外発光イメージング技
術の開発
・・・・・ 14
我が国の作物生産性の歴史に学ぶ気候変動に対する適応策
・・・・・ 16
炎症とユビキチン化が制御する毛髪の成長機構の解明
・・・・・ 18
遷移金属化合物における新電子物性開拓
・・・・・ 20
1
1.戦略的チーム型研究支援
(HokREST)
平成27年度
戦略的チーム型研究支援(HokREST)
研 究 成 果 報 告 書
提案領域名
産業創出を目指す光機能マテリアル研究開発
構想題目
新型融合プロジェクトを展開し、光産業バレー創成を目指す
チームリーダー
所属・職・氏名
大学院工学研究院・教授・長谷川 靖哉
<研究の目的>
光産業はディスプレイや通信機器だけでなく、医療分野やエネルギー分野へも影響を与える重要な産業分野である。その
光産業を北海道から発展させるため、本研究では北大のクロスカップリング反応を基盤とした光機能マテリアル(工学、理
学、地球環境科学)を創出し、北大の伝統的な研究分野である「農学」および産業動向を担う「経済学」および「産学推進本
部」が融合した最先端の産業創出型マテリアル研究推進を目的とする。
光機能マテリアルとは、次世代の光科学技術分野(国内生産額第2位:8兆円規模)の新規開拓につながる最先端物質の
ことである。その光機能マテリアルとして、照明、ディスプレイ、光センサー、光情報システム、光エネルギー変換材料などの
開発がターゲットとなる。本研究では分子型の光機能マテリアルを重点的に開発し、北海道の広大なエリアにおけるエネル
ギー変換システム(太陽電池や植物工場)や光情報伝達システムなどへと応用展開することを目的とする。このプロジェクト
では20年後に北大が光産業の世界中心拠点となることを目指す。
本チームはマテリアル開発を行う工学・理学・環境科学の研究融合に加え、最先端の農学および経済学が連携する、新し
い形の新規融合型プロジェクトである。本プロジェクトでは、企業や他研究機関とも連携し、北大から社会への研究成果の還
元を行う。このプロジェクトを推進することで、➊北大内研究融合の促進:文理融合、➋ 北大研究の新方向提示:新研究創
出 、そして➌北大と社会の密接なリンク:産学連携 を実現する(図1)。
図1 光機能マテリアル研究開発の構成
平成27年10月より本プロジェクトを開始するため、平成27年度では研究グループの研究立ち上げと連携体制の確立を
行う。さらに、各グループが連携し、融合分野の立ち上げを行う。経済学部や産学連携本部および他大学の協力により、拠
点形成を目指した研究推進を開始する。
<研究成果・波及効果>
【光機能マテリアル開発】
希土類を用いた分子性の強発光物質開発を行い、400℃でも発光する熱耐久型の新発光体の合成に成功した。この発
光体を用いることで高温領域における温度の可視化(高速移動する乗り物および化学反応装置の表面温度計測)が可能に
2
なった(長谷川&伊藤グループ:(Nature 出版 Sci. Rep.)。また、次世代の光情報通信システムに対応した分子性の希土類
クラスター開発に成功した。この光機能マテリアルは光情報を暗号化する新しいシステムとして注目された(長谷川&小西グ
ループ:Nature 出版 Asia Mater.)。希土類発光体の構造および量子論的理解を深めるため、理工連携を開始した(長谷川
&武次・加藤グループ)。
量子計算では、光反応素過程の理論計算による発光量子収率の議論を検討した。さらに、蒸気によって応答する光機能
マテリアルの形状記憶機能創出に成功した(武次・加藤グル−プ)。合成に関しては、金イソシアニド錯体の新しい合成方法
を開発し、多くの新しい光機能マテリアル合成に成功した(伊藤グループ)。環境制御に関しては、発光性金属クラスターの
環境(配置)と理論の相関を始めて明らかにした(小西&武次グループ)。各グループでの発光体開発が精力的に進められ、
学術論文100報を発表した(グループ全体での Nature 出版6報)。
【応用展開】
開発された希土類発光物質をシリコン太陽電池用の表面保護シートの中に導入
した(希土類シート:民間企業との連携)。この希土類シートをシリコン太陽電池に装
着することにより、紫外光から可視光へ効率よく光エネルギー変換が行われ、太陽
電池の光エネルギー変換効率は2%向上した(朝日新聞および日経新聞に掲載:
図2)。希土類発光体を用いた光情報研究においても、民間企業との共同研究を開
始した。
光機能マテリアルの農学応用に関して、希土類シートを用いた植物育成実験(ホウ
レンソウ育成)を道総研の花・野菜技術センター(滝川市)にて開始した(長谷川&渡
辺・小池・佐野グループ:図3)。農学部での解析の結果、高濃度の希土類シートの
処理区では葉の周囲長がフィルム無しの処理区よりも増加し、葉面積については葉
図2 シリコン太陽電池に応用(日
経新聞にプレスリリース)
縁長が増加することがわかった(論文化の検討)。
【文理融合・グループ連携】
産学推進本部・城野らによって光産業動向の調査が行われ、ディスプレイ・固体
照明の分野が順調に伸びており、7兆円規模の出荷額が見込まれるなど、この分
野の重要性が高まっていることが確認された。さらに、各グループの融合を目的と
した全体相談会を開催し、経済学部・谷口による研究推進のアクティビティーと関連
する「研究室運営」の講演および相談会が行われた。全体相談会にて各グループ
の結束が高まり、次年度に向けての協力体制を作ることができた。
平成27年度10月に本プロジェクトがスタートし、各グループの共同研究体制も始
まり、相乗的な効果が現れつつある。学外への外部資金獲得申請については、加
藤および伊藤らが中心(長谷川は連携研究者)となり、検討を開始している。
図3 光機能マテリアルを用いた
植物育成実験(花・野菜技術セン
ター(滝川市))
<今後の展開>
初年度にあたる平成27年度は、本プロジェクトの立ち上げおよび共同研究を開始した。この結果、多くの学術研究進展お
よび融合領域の新規展開を行うことができた。平成28年度もこの研究体制を維持し、さらなる研究推進を行っていきたい。
光機能マテリアルの学術研究をこれからも大きく推進し、他大学とも連携をとりながら世界トップの研究を多く生み出すことに
よって、北大の特徴ある研究となることを目指す。
さらに、応用研究(社会還元)も積極的に行う。特に、農学部と工学部の研究連携「光機能マテリアルを用いた植物育成試
験」の継続的な研究推進、企業との連携による太陽遠地開発および光情報関連展開へも、継続的に進めていきたい。本プ
ロジェクトによって新規開発された光機能マテリアルを産業界へと展開する
ため、企業との連携を積極的に進めていく。
本プロジェクト「産業創出を目指す光機能マテリアル研究開発」を今後も
促進し、最終的には、北大・北キャンパスの光産業バレー構想( 新しい光
産業を創出する産業都市開発:図4)を目指す。その光産業バレーでは様
々な研究施設(北大の学術サテライトラボ、民間企業による産業開発ラボ
など)が設置され、北大の光機能マテリアルに関する世界トップ研究および
産業開発に関する最先端研究の発信基地となることを目標とする。この光
産業バレー(研究開発拠点)によって、北大を世界トップの開発拠点へと発
図4 光産業バレー拠点構想
展させていきたい。
3
2.
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援
(Fusion-H)
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
研究代表者
所属・職・氏名
インフルエンザウイルスの受容体タンパク質の同定とその標的薬剤の探索
大学院医学研究科・助教・藤岡 容一朗
<研究の目的>
ウイルス感染症はいまだに我々の脅威であり、新興・再興感染症は現在の生命科学研究における大きなテーマ
として挙げられる。とりわけ、インフルエンザは毎年世界中で流行を繰り返し、最近では高病原性鳥インフル
エンザの脅威も迫ってきている。したがって、毎年流行するインフルエンザウイルス感染をコントロールでき
る社会の実現が望まれているが、現行の対策ではいずれ限界を迎える。その対抗策として、宿主細胞側のタン
パク質を標的とした治療を行うことができれば、耐性ウイルスを出現させない理想的な方法論となりうる。し
かし、これまでの研究はウイルス側に着目した研究がほとんどであり、宿主細胞の応答は未知な点が多かった
。特にウイルス感染に鍵となる受容体タンパク質は分かっていなかった。これまでに我々は、インフルエンザ
ウイルスが細胞に感染すると、細胞内のカルシウム濃度が上昇し、細胞の本来持っている機能であるエンドサ
イトーシス(外来物質や受容体の細胞内への取り込み機構)が促進すること、および促進したエンドサイトー
シスに乗じてウイルスが細胞内に取り込まれるという巧妙な感染戦略を明らかにしてきた【Fujioka et al 2011
PLos One; Fujioka et al 2013 Nat commun】。しかし、インフルエンザウイルスが細胞内カルシウム濃度を上
昇させるメカニズムは未知であった。そこで、本研究ではタンパク質科学を専門とする薬学研究院の加藤いづ
み助教とFusionし、真に感染を制御する「インフルエンザウイルス受容体タンパク質」を、ウイルスによる細胞
内カルシウム濃度上昇機構の解明を通して、同定しようと試みた。
図
本研究の概要
4
<研究成果・波及効果>
蛍光色素でラベル化したウイルス粒子を培養細胞に感染させ、細胞内カルシウム濃度変化を蛍光プローブによ
りモニターしたところ、感染直後にウイルス粒子の結合部位周辺で、細胞全体でのカルシウム上昇に先行する
一過性のカルシウム上昇が生じることが明らかになった。また、インフルエンザのHemagglutinin(HA)タンパ
ク質はシアル化されたタンパク質に結合することが分かっており、シアル酸を切断するシアリダーゼ処理によ
りウイルス感染依存的な細胞内カルシウム上昇が完全に抑制された。以上の結果から、インフルエンザは細胞
侵入の際に自身のHAタンパク質を介して細胞膜表面上のシアル化タンパク質と結合し、細胞内にカルシウムを
流入させることが示唆された。そこで、カルシウムの流入を促すシアル化タンパク質を探索したところ、HAタ
ンパク質と結合する細胞膜局在型膜タンパク質を同定がされた。免疫沈降法をはじめとする生化学的手法を用
いて、HAタンパク質とこの膜タンパク質の相互作用を解析したところ、C末端領域でHAタンパク質と相互作用
することが明らかとなった。さらに、この相互作用には糖鎖修飾が必要かどうか検証するために、糖鎖修飾さ
れない変異型膜タンパク質を作製し、HAタンパク質との相互作用を解析した。その結果、C末端側の2つのアミ
ノ酸残基がHAタンパク質との相互作用に必要なことが分かり、詳細な相互作用様式が明らかとなった。また、
この膜タンパク質を発現抑制もしくは機能阻害すると著しくウイルス感染を抑制した。以上から、この膜タン
パク質がインフルエンザウイルス受容体タンパク質であることが強く支持される。これまで、インフルエンザ
研究はウイルス側に着目した研究が主であり、宿主側の研究は大きく遅れていた。事実、インフルエンザウイ
ルスが細胞にエンドサイトーシスで侵入することが明らかとなってからすでに40年近くが経過しているが、い
まだ受容体タンパク質は同定されていなかった。したがって、本研究成果によりインフルエンザウイルスの受
容体タンパク質が同定されたことは、ウイルス研究分野だけでなく、広く社会にインパクトを与えると考えら
れる。また、受容体タンパク質の同定は、我々が行ってきたインフルエンザウイルスの細胞内侵入機構研究に
おける最後のピースであり、遂にその全貌解明に向けて大きく前進したと考えられる。
<今後の展開>
今後は、本研究で同定したインフルエンザウイルスの受容体タンパク質とHAタンパク質の相互作用を阻害する
ような少分子化合物のスクリーニングを行う。そのためには、薬学研究院の加藤助教とさらにFusionする予定で
ある。具体的には、精製したインフルエンザウイルス受容体タンパク質とHAタンパク質の相互作用を減弱させ
る少分子化合物を北大ライブラリによりスクリーニングする。この相互作用を阻害するような少分子化合物が
同定された際には、培養細胞でウイルス感染抑制効果を有するか確認するとともに、マウスにおけるウイルス
感染抑制効果も検討する。将来的には、ウイルス感染対策基盤へと発展することが期待される。
5
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
研究代表者
所属・職・氏名
顎骨の骨細胞における機械的刺激に対する骨代謝応答の解明
大学院医学研究科・助教・木村 俊介
<研究の目的>
一見不変に見える骨は吸収と形成によって常に新しく生まれ変わる代謝
の活発な組織である。特に咀嚼時の歯からの圧力を受けとめる顎の骨、顎
骨は体内でも最も骨代謝の盛んな部位であると考えられている。顎骨は歯
という体内で最も硬い組織を支える骨としての役割を持つ。顎骨の骨代謝
維持における歯の存在は大きく、歯周病などの原因で自歯を失うと顎骨は
吸収過多となり、骨量が低下する。これにより、義歯の装着、歯科インプ
ラントの設置が困難になり、生活の質に大きな影響を及ぼす。自歯消失後
の顎骨吸収のメカニズムの研究は進んでおらず、不明な点が多い。本研究
では歯の消失に伴う顎骨への圧力の消失に着目し、顎骨吸収の機序と顎骨
力学的環境の変化との関連を明らかにすることを目的とした。
図 1 歯と支える歯槽骨
顎骨の延長である歯槽骨は骨からの圧
力を受け止める
<研究成果・波及効果>
本研究では圧力が及ぼす骨細胞への効果を検討した。培養骨細胞としてMLO-Y4-A2細胞を用いて、圧の負荷を行
った後に、細胞からmRNAを回収し定量的PCR法により発現分子量を測定した。圧は伸縮が可能な培養基質上に細胞
を接着させた後に、培養基質を収縮させることによる負荷を行った(図2)。
図 2 細胞への圧力負荷
シリコン製の培養チャンバーで細胞を
培養し、左右から圧縮することで圧を負
荷した。ストレックス社(大阪)の
STB-140 を使用
骨代謝制御因子としてReceptor activator of NFκB ligand (RA
NKL) mRNA (Tnfsf11), Osteoprotegerin mRNA (Tnfrsf11b)を含
めた10種類について解析を行った。その結果、骨吸収を促進
するRANKL mRNA (Tnfsf11)は圧力の負荷によって減少し、骨
吸収を抑制するOsteoprotegerin mRNA (Tnfrsf11b)は増加すると
いう結果が得られた。他の骨代謝制御因子については全て圧力
負荷に伴い増加するという結果であった(表1)。つまり、圧
力によって骨細胞が発現する骨代謝因子は骨の形成・吸収の両者が増大されていた。今回測定した分子は全て細胞
から分泌される分子、もしくはその合成に関わっている。骨細胞は骨の中に埋没し、機械的刺激を検知して骨表層
の破骨細胞、骨芽細胞の制御を行うと考えられている。我々の結果は骨細胞が圧を検知することで、制御分子の分
泌が促進され、骨形成と吸収の両者が刺激されることで、骨代謝が促進されていることを示している(図3)。
6
図3 圧力と骨細胞による骨代謝回転の促進
圧力を感知した骨細胞は骨形成・吸収の両者を促進することで、骨の代謝を促進する。
<今後の展開>
本研究では骨細胞の培養細胞株を用いて、圧力と骨代謝因子の変動を解析するin vitro実験系の構築に成功した。
今後、圧力を感知する分子機構と生体における歯からの圧力と顎骨の骨代謝回転の関係性を明らかにする。現在以
下の研究プロジェクトを進行中である。
【圧力を感知する分子機構の解明】
細胞が圧力のような機械的刺激を感知する受容体として、Transient Receptor Potential (TRP)ファミリーの存在が
知られている。現在25種類のTRPファミリーの骨組織における発現を解析中である。骨組織における発現の高いT
RP受容体を見出し、その中から免疫組織化学解析を行い骨細胞で発現する受容体を見出す。
MLO-Y4-A2細胞を用いたin vitro実験系を用いて、候補分子の機能解析を行い、骨細胞が圧力を検知する分子機構
の解明を目指す。
【マウス抜歯モデルによる顎骨吸収モデルの作成】
抜歯による顎骨の吸収モデル動物の作製を目指す。実験動物としてマウスを使用し抜歯後の顎骨の骨量を測定し
、マウスでもヒトと同様に骨吸収が起こるかを検討する。組織化学的に破骨細胞、骨芽細胞の密度の計測、骨代謝
因子、TRPファミリーの発現解析を行い抜歯後の顎骨吸収機構を明らかにすることを目指す。
7
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
イオン伝導制御を用いた革新的水素貯蔵材料の開発
研究代表者
創成研究機構・特任助教・礒部 繁人
所属・職・氏名
<研究の目的>
化石燃料に代わるクリーンエネルギーの重要性が高まっている現在、水素貯蔵材料の開発に大きな期待が寄せら
れている。特に、無機化合物は水素ガスと反応することによって安定な水素化物をつくるため、安全に水素ガスを
貯蔵する材料として注目を集めている。しかし、無機化合物が水素化物へと転移する過程が非常に遅く、容易にガ
スの貯蔵・放出を行えない点が、実用化に向けての足枷となっている。本研究は、リチウム複合酸化物を添加する
ことで母材の水素吸放出反応速度を向上させ、より高性能内水素貯蔵材料の開発指針を得ることを目的とした。
研究代表者はこれまでに、Li3NにLiTiO2を複合化させることによって、Li3Nの水素吸脱着を促進できることを発見
している(ACS Catalysis 2015, 5, 1552)。これは、Li3NとLiTiO2の複合化によってLi移動度が向上しており、水素
化物への転移に伴う原子再配列が促進されるためだと考えられる。Li3Nと複合化させる材料には「高いLiイオン伝
導性」と「Li3N表面への高い分散性」が求められる。そこで、連携研究者が合成するLiイオン伝導体(酸化物微粒子)
とLi3Nを複合化することで、水素吸蔵能のさらなる向上が期待できると考え、本研究に取り組んだ。連携研究者は
錯体微粒子の焼成によって、保護材を用いずに酸化物微粒子を合成する方法を開発している。表面が保護材に覆わ
れていない酸化物微粒子は、固体間のイオン伝導を妨げるものがないため、Li3Nと複合化する材料として非常に適
している。具体的には、対イオンにLiを含む金属錯体の微粒子(Li2Co4(OH)2(pivalate)8)を合成し、空気下で焼成す
ることによってLiCoO2の微粒子へと変換する。得られたLiCoO2微粒子はLi3Nと混合することによって表面に固着さ
せる。層状酸化物であるLiCoO2は高いLi伝導度を有するため、水素吸脱着時のLi3Nの構造転移を促進し、高い水素
吸蔵能を発現すると期待される(図1)。
図1.
層状酸化物とLi3Nの複合化による水素吸蔵材料の開発
8
<研究成果・波及効果>
図1にLiAlH4の昇温時の熱量変化のグラフを示す。LiAlH4は2
段階の反応で水素を放出する。熱量変化のピークは融解、水素放
出のそれぞれの反応を示しており、170 ℃付近に見られる大きな
吸熱ピークはLiAlH4の融解反応のピークである。その他に見られ
る発熱及び吸熱のピークはLiAlH4の水素放出反応のピークであ
る。図1を見てわかる通り、LiAlH4の試料では180 ℃付近に見ら
れる反応ピークが5 mol%のLiMn2O3を添加した試料では160 ℃
程度に低下している。さらに230 ℃付近の吸熱ピークは2段階目
の水素放出によるもので、そのピーク温度及び反応終了温度も大
きく低下している。加えて、Kissinger法による2段階の反応の活
性化エネルギーの算出も行った。その結果2段階目の反応の活性
化エネルギーが著しく低下していた。これらの水素放出温度を考
慮すると、LiAlH4はLiMn2O3と複合化することによってその水素
貯蔵特性を向上させることが明らかになった。即ち、本研究によ
って、水素貯蔵材料と酸化物微粒子の複合化による水素放出特性
の向上が実証された。
図1 LiAlH4 の水素放出反応温度
<今後の展開>
現在の燃料電池自動車には、水素70MPaの高圧ガスタンクが搭載されている(TOYOTA: MIRAI)。このガスタン
クは、高強度プラスチックに炭素繊維ライナーで補強することによって強度を確保しているが、そのコストは非常
に高い。また、本体のコストに加えて、高圧ガスの取り扱いはインフラ整備にも大きな負担がかかる。そのため、
社会的・産業的な観点からも、安全に水素の吸脱着を行える水素貯蔵材料の開発が切望されている。本共同研究で
は、従来の方法とは異なる水素貯蔵の機構を提唱しており、今後の材料開発の指針を与えることによって、水素貯
蔵の分野に新たな潮流を創ることが期待される。
今後、本研究では無機材料の混合によってイオン伝導性を向上させることを計画しているが、固相での混合によ
るイオン伝導性の変化は未だ解明されていない部分も多い。イオン伝導性が向上する機構を明らかにすることがで
きれば、水素貯蔵材の開発だけではなく、イオニクス材料の分野にも重大な知見を与えることが可能である
参考文献
Effect of Lithium Ion Conduction on Hydrogen Desorption of LiNH2–LiH Solid Composite
T Zhang, S Isobe, M Matsuo, S Orimo, Y Wang, N Hashimoto, S Ohnuki
ACS Catalysis 5 (3), 1552-1555, 2015
Lithium metatitanate enhanced solid–solid reaction in a lithium–nitrogen–hydrogen system
T Zhang, S Isobe, Y Wang, N Hashimoto, S Ohnuki
RSC Advances 5 (24), 18375-18378, 2015
9
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
貴金属フリー酸素還元電極触媒の反応部位空間配置制御と反応機構解明
研究代表者
所属・職・氏名
大学院地球環境科学研究院・助教・加藤 優
<研究の目的>
水素社会は水素を燃料としたクリーンかつ持続可能なエネルギー社会であり,石油に依存した現代のエネ
ルギー社会からの脱却を我々にもたらすと期待されている.水素社会を実現するためには,様々な克服すべ
き技術課題があるが,その中でも特に克服困難な課題の一つが固体高分子形燃料電池(PEFC)における「高活
性貴金属フリー酸素還元反応(ORR)電極触媒の開発」である.
PEFCは電極上で燃料である水素の酸化反応と空気中の酸素の
還元反応を触媒することで,二酸化炭素などの温室効果ガスなど
を排出することなく化学エネルギーを電気エネルギーに効率よ
く変換するデバイスである(図1).しかしながら高価な白金系電
極触媒により水素酸化反応および酸素還元反応(ORR)が触媒さ
れているため,PEFCの普及化が進んでいないのが現状である.
これら二つの反応のうちORRは水素酸化反応に比べて反応が著
しく遅いことが知られている.そのため,安価でかつ高活性なO
図 1.固体高分子形燃料電池の模式図
RR電極触媒の開発が,PEFCを普及化には必要不可欠である.
本研究では,高活性貴金属フリー電極触媒を調製するためには,「触媒反応部位の空間配置制御」と「導
電性材料内部への触媒反応部位の埋込」の両立が重要であると考え,空間配置を精密制御した対面型コバル
ト錯体と酸化グラフェンを出発物質として用い,それらを短時間高温加熱処理することで,多核金属コア構
造を導電性グラフェンシート内に内包した新規貴金属フリーORR電極触媒の調製および電極触媒活性評価
を試みた.
<研究成果・波及効果>
対面型コバルト錯体と酸化グラフェン(図2)をそれぞれ調製し,そ
れらの混合物を出発物質として用いて短時間高温加熱処理により
新規電極触媒を調製した.得られた触媒の酸素還元電極触媒活性は
電気化学測定により評価を行った.
触媒調製条件を最適化するために,加熱処理温度(800℃,900℃,10
0
0℃)の違いによる電極触媒活性への影響を調べるために,酸素雰囲
気下での電気化学測定(Linear sweep voltammetry, LSV)を行った(
図3).その結果,900℃で加熱処理した電極触媒の酸素還元開
10
図 2. 出発物質として用いた(a)対面
型コバルト錯体と(b)酸化グラフェン
始電位が最も正側であったことから,900℃で加熱
処理した電極触媒が最も高い触媒活性を示すこと
が明らかになった(図3).また,900℃で加熱処理し
て得られた触媒の電極触媒活性のpH依存性を精査
した結果,塩基性条件で高い酸素還元触媒活性を示
すことが明らかとなり,その触媒活性は白金のそれ
に匹敵するということが明らかになった.
以上の結果から「触媒反応部位の空間配置制御」
と「導電性材料内部への触媒反応部位の埋込」の両
立という合成戦略の重要性が本研究を通して明ら
かになり,塩基性条件下という条件付きではあるも
図 3. 本研究で調製した電極触媒の LSV (pH 13).
のの,比較的高い触媒活性を示す貴金属フリー酸素還元電極触媒の調製に成功した.本研究で培った触媒合
成指針を出発物質の注意深い選択などにより更に発展させれば,より高活性な貴金属フリー酸素還元電極の
開発が可能になると考えている.
<今後の展開>
本研究で得られた電極触媒は塩基性条件において比較的高い酸素還元触媒活性を示したが,実用的なPEF
Cにおける酸素還元電極としての応用展開を考えると,酸性条件下での更なる触媒活性の高活性化が必要で
ある.本研究では触媒反応部位としてコバルトの導入を検討したが,今後の研究展開としては異種金属との
融合による新規貴金属フリー電極触媒の合成が挙げられる.
また,触媒調製法としては加熱処理法のみを検討したが,触媒調製法の違い(例えば,還元剤による化学
的還元法や電気化学的還元処理法など)が触媒活性に影響を与える可能性が考えられるので,最適な触媒調
製法の探索も今後必要であろう.
本研究では加熱処理により電極触媒を調製したが,加熱処理によって調製された貴金属フリー電極触媒の
触媒反応部位の構造や触媒反応機構については不明な点が多く,専門家の間でも統一的な見解が得られてい
ない.そのため今後は触媒活性評価のみでなく,触媒活性条件下でのX線吸収分光測定などを駆使すること
による触媒反応部位の構造や触媒反応機構の解明などを進めていきたいと考えている.反応部位の構造や触
媒反応機構の解明などが進めば,それらの知見に基づいた新たな合成戦略の提示が可能になり,貴金属フリ
ー電極触媒研究がより活性化されると考えている.
11
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
マダニ細菌叢のウイルス感染症マーカーとしての可能性
研究代表者
所属・職・氏名
大学院獣医学研究科・講師・松野 啓太
<研究の目的>
目的:マダニが媒介するウイルス感染症流行の発生を予測する。
近年、西日本を中心にマダニ媒介性のSFTSウイルス感染による死者が相次いで報道されている。SFTSウイルスは2
011年に中華人民共和国で発見された新しいウイルスで、日本では少なくとも2007年には存在していたことが分かっ
ている。このように、医療体制の発達した日本においてさえも新規マダニ媒介性ウイルス感染症の発生を予測する
ことは難しい。これは、ウイルスの高い遺伝的多様性およびマダニ内の低いウイルス陽性率が、新規ウイルスの発
見・検出を困難にしているためである。つまり、これまで行われてきたマダニのウイルス調査では、未発見の病原
ウイルスを発見できる可能性が極めて低い。そこで、本研究では新規マダニ媒介性ウイルス感染症の発生を簡便に
予測可能な新規手法の開発を目的とした。
マダニ媒介性ウイルスはマダニの唾液腺や中腸で増殖し、吸血時に哺乳動物の体内に侵入すると考えられている
。一方で、マダニ中の細菌のほとんどはマダニと安定的な共生関係を持つ共生細菌である。したがって、マダニ中
の微生物叢において、ウイルスと共生細菌とはリソースを争う競合的微生物であり、ウイルス感染マダニと非感染
マダニでは微生物叢が質的に異なる可能性が高い。
そこで、本研究では、SFTSウイルスを含むフレボウイルスをマダニ媒介性のウイルスのモデルとして、①野外調
査で採集したマダニ内のフレボウイルス検査、および②フレボウイルス感染マダニと非感染マダニでの微生物叢比
較を行うことで、マダニ内のウイルスの有無(あるいは量)と関連して増減する細菌群を特定することを目指した
。このウイルス感染マーカーと推察される細菌群について、細菌量とウイルス量の関連性を記述した数理モデルを
構築することで、マダニ内のマーカー細菌群により、間接的にウイルス感染を検出できるようになると考えた。
<研究成果・波及効果>
日本全国で2千匹以上のマダニ成体を採集し、外観的特徴により種鑑別した。5属21種に分類されたマダニ1匹ずつ
からRNAを抽出し、ダニ媒介性フレボウイルスを検出するRT-PCR法(Matsunoら、2015)によりフレボウイルス遺伝
子を検出した。その結果、3属9種に属する87匹のマダニからフレボウイルス遺伝子が検出され、全体のフレボウイ
ルス陽性率は4.3%、種ごとではオオトゲチマダニ(Haemaphysalis megaspinosa)の2.0%からヤマアラシチマダニ
(H. hystricis)の13.8%まで陽性率は大
きく異なった。また、今回検出されたいず
れのフレボウイルスも、SFTSウイルスを含
む既知のフレボウイルスとは遺伝的に異な
っており(図1)、日本のマダニ中にはSFTS
ウイルス以外にも未発見のダニ媒介性フレ
ボウイルスが複数存在することが明らかと
なった。
図 1. 本研究でマダニ中から発見さ
れたフレボウイルスの系統関係
12
次に、フレボウイルス遺伝子が検出されたマダニ種のうち、もっとも多種多様なウイルスに感染していると考え
られたシュルツェマダニ(Ixodes persulcatus)について、細菌叢の解析を行った。なお、シュルツェマダニは冷
涼な気候を好み、北海道でよく見られる種である。フレボウイルス遺伝子が検出されたシュルツェマダニ25個体な
らびにそれぞれの個体が採集された日時・地域が近いウイルス遺伝子陰性の25個体のRNAから、16S rRNAのV1-V3可
変領域のアンプリコンを作成し、次世代シークエンサーで解析した。得られた塩基配列情報からBLSOMs(中尾ら、2
013)を用いて細菌叢を構成する細菌属を同定した(図2)。
図 2. シュルツェマダニ 50 個体の細菌叢解析結果
さらに、細菌叢のそれぞれの細菌属について、フレボウイルス遺伝子検出との相関関係を調べたとこ
ろ、Lisinibacilus、Gluconobacter、Paenibacilusの3属の細菌群が、ウイルス遺伝子陰性と強く相関し
ていることが明らかとなった。すなわち、これらの細菌群はフレボウイルスの非感染マーカーとなりう
ることが示唆された。
<今後の展開>
今回我々は、日本のマダニ中に存在する複数の新規フレボウイルス遺伝子を検出した。この結果は、マダニ中の多
様な未発見ウイルスが存在していることを示唆しており、日本国内外でのさらなる調査が必要である。我々は今後も
マダニ中のウイルス探索を日本各地・世界各国で推し進め、マダニ中のウイルス分布の全体像を調べる。
また、本研究では、ウイルスと細菌という生活様式のまったく異なる微生物が、マダニ体内を舞台として競合し
ている可能性を示した。これは、マダニ中の病原微生物の動態を理解するには、これまでそれぞれ単独で調べられ
てきた病原体だけでなく、その他の微生物も含めたマダニ微生物叢を理解する必要があることを示している。
我々は現在、様々な種のマダニコロニーの樹立を試みており、人工的な環境下でのマダニ微生物叢の研究により
、マダニを介した病原体の伝播様式に関する新しい知見が、微生物叢解析より得られるものと信じている。
13
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
腫瘍転移巣の術中迅速診断を目標とした新規近赤外発光イメージング技術の開発
研究代表者
所属・職・氏名
大学院獣医学研究科・准教授・山盛 徹
<研究の目的>
固形がんによる死因の多くは、原発がんの転移・浸潤によるものである。現在のがん治療において、
がん微少転移巣の診断はその有益性にもかかわらず十分に確立されているとは言い難い。したがって、
簡便かつ実施容易な転移巣の術中診断法の開発は、医療・獣医療における意義が大きい。近年、新規画
像診断技術として、光(蛍光・発光)を利用した光イメージング技術の医療応用が試みられている。し
かしながら、既存の技術は大きな二つの欠点を抱えている。一つは、現在最も一般的な発光系であるル
シフェリン-ルシフェラーゼ反応では可視領域波長の光を発するが、この波長の光は生体組織(特にヘ
モグロビン)により吸収されてしまうため、組織透過性が非常に低く生体への応用が困難であること。
もう一つは、蛍光技術は外部光源による色素の励起を必要とすることから、光が到達しない深さの組織
では使用できないことである。申請者らは、最近開発されたウミホタルルシフェラーゼの糖鎖に近赤外
線有機蛍光色素を導入した組換えタンパク質であるfar-red bioluminescent protein (FBP)を利用する
ことでこれらの欠点を回避し、腫瘍転移巣の術中迅速診断に応用できるのではないかと考え、その技術
開発を行うことを本研究の目的とする。
<研究成果・波及効果>
これまで申請者と共同研究を実施している尾崎らのグループでは、既知のがんマーカータンパク質の一
つである Dlk-1 を過剰発現したがん細胞株を用いた担癌マウス実験により、FBP と抗 Dlk-1 抗体とを結合
した近赤外発光プローブによる Dlk-1 の in vivo 検出に成功している(Wu et al., PNAS, 2009)。しかし、
本手法の臨床応用には、腫瘍内で内因性に発現している抗原を検出する必要がある。これを達成するた
め、その標的として適当な抗原を選択することを本研究の第一の検討事項とした。本検討では、既に腫
瘍マーカーとして知られているタンパク質である 3 種類の抗原について、各種がん細胞株における発現
レベルを免疫染色により評価し、細胞の種類に依らず高い発
現レベルを示す抗原を選択することとした。本研究では、癌
胎児性抗原(CEA)、上皮膜抗原(EMA)、上皮細胞接着分子
(EpCAM)の 3 種の抗原の発現を、ヒト乳がん、胃がん、大腸
がんに由来する細胞株それぞれ 2 種類、計 6 種類の細胞株に
ついて評価した。その結果、EMA および EpCAM については細
胞の種類により発現状態にばらつきがあったのに対し、CEA
の発現はすべての細胞株で陽性であった(図 1)。したがって、CEA を標的抗原として選定し、以後の評
価を行うこととした。
次に、FBP と抗 CEA 抗体を結合した近赤外発光プローブ(FBP-CEA プローブ)を作出し、CEA 発現腫瘍細
胞の in vivo 検出を試みた。この目的のため、CEA 陽性ヒト乳がん由来細胞株である MDA-MB-231 細胞を
ヌードマウスに接種し担癌動物を作出後、FBP-CEA プローブおよび発光基質をマウスに腹腔内投与し in
14
vivo イメージングシステムにてシグナルの検出を試みた。しかしながら、今回の実験では CEA に由来す
るシグナルを十分に検出することができなかった。この理由として、今回使用したプローブは細胞膜を
通過しないため、細胞表面に存在する CEA 分子のみにしかアクセスすることができず、その結果十分な
シグナルを与えることができなかったのではないかと推察した。そこで次に、細胞内の抗原分子を検出
可能なシステムを構築することを目的に、連携研究者の山田らのグループで開発した細胞内送達キャリ
アを FBP プローブと組み合わせ、①FBP プローブのがん細胞内への送達、および②細胞内でのプローブ
と発光基質との反応による近赤外発光の実現を試みることとした。まず、抗体送達キャリアの最適化を
実施した。異なる組成からなる試験キャリアを 5 種類調製し、
これを蛍光標識 IgG と混合してヒト胃癌由来細胞株である MKN45
細胞の細胞培養液に添加し、細胞による抗体の取り込みの程度
を FACS 解析により計測した。その結果、キャリア No.5 を使用
した際に最も高い抗体の取り込みが観察された。このことから、
キャリア No.5 を抗体送達キャリア(Ab-DDS)として採用した(図
2)。本キャリアは抗体と混合して 30 分程度インキュベーショ
ンするだけで細胞内に取り込まれることを確認しており、この
簡便さから抗体以外のタンパク質の細胞内へのデリバリー法としても本キャリアが応用できる可能性が
示唆された。
さらに、今後のin vivoにおける近赤外発光プローブの有効性の検証実験のため、動物モデルの作出を
行った。本研究では、がんの動物モデルとして、「胃がん腹膜播種モデル」を選択した。このモデルを
選択した理由としては、本モデルは胃がん進展の後期過程で
ある、原発巣から腹膜中皮へのがん細胞の浸潤・転移の病態
をよく反映しており、がん微小転移巣をin vivo検出すると
いう本研究の目的に適うと考えたためである。本年度の検討
事項として、MKN45細胞を用いた移植腫瘍モデル作出の条件
確認を行った(図3)。MKN45細胞を複数のKCN-Slcヌードマ
ウスの腹腔内に注入し、経時的に解剖を行い、腫瘍進展の様
子や腹膜播種の程度などを確認した。また、腹膜に形成された腫瘍およびリンパ節に形成された腫瘍か
ら組織切片を作出し、CEA抗体にて免疫染色を行ったところ、どちらの腫瘍でもCEAが強く検出された。
これらのことから、マウスへの細胞接種数、腫瘍形成までの期間、CEA発現レベル等が確認され、今後の
FBP-CEAプローブを用いた検討に向けて基礎的なデータを得ることができた。
<今後の展開>
今後、近赤外発光プローブと抗体送達キャリアを用いて腫瘍微小転移巣が光イメージングにより検出
できるかどうかを検討していく予定である。そのための段階として、①新鮮腫瘍組織を用いてAb-DDSがe
x vivoで有効であることを確認したうえで、②担癌モデルを用いてAb-DDSがin vivoで有効であることを
検証する。最後にAb-DDSと近赤外発光ローブの組み合わせることで微小腫瘍組織が光イメージングによ
り検出できるかどうかの検討に展開する。これらの検討から良好な結果が得られれば、腫瘍転移巣の迅
速診断という医療応用に向けた一歩となることが期待される。また、今回利用した近赤外発光プローブ
は付加する抗体を変えることで異なる抗原を認識できるため、その応用範囲は広く、さまざまなアプリ
ケーションに利用できる可能性があると考える。
15
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
研究代表者
所属・職・氏名
我が国の作物生産性の歴史に学ぶ気候変動に対する適応策
大学院農学研究院・助教・加藤 知道
<研究の目的>
人口の急増とともに食料増産の要求が年々高まるが、将来の気候変動は、世界の農業生産に大きな影響を与え
ると予測される(IPCC, 2014)。そのため、気候変動が農業生産力に与える影響を調べることは、将来の地球の
食料生産能力を予測する上で非常に重要である。
これまで、数十年程度の近い過去については、すでに作物収量と気候変動の関係が調べられて来た(Lobell et
al, 2011, Science など)。しかし、0 より長期に渡って調べることは、資料が分散している上にデジタル化さ
れていない等の理由で、試みられていなかった。
本研究で対象とする日本では、世界でも稀に古くは 1900 年前後より、全国の作物収量が記録され出版されて
おり、大学・自治体・統計局に紙媒体文献として保管されている。さらに、肥料・農機具などの営農体系に関
するデータも掲載されている場合が多く、統計的なデータ処理により、作物生産性に気候変動のみが与えた影
響を抽出することが可能であると考えられる。
そこで本研究では、過去約 110 年間(1901-2012)の主要作物栽培についての県別の農業統計資料、農業試験
場の栽培試験結果、作物収量モデルシミュレーションを組み合わせ、
① 反収(10a 当たりの子実収量)と、遺伝的形質(主要品種の標準収量・窒素反応性)・窒素施肥量・気候(気
温・降水量・日射・CO2 濃度)変動との関係を解明する。
② 気候変動(CO2 濃度・温度上昇)が反収に与えた影響について、本研究で調べた結果と他の作物モデルと FACE
・室内実験で求めた結果を比較し、推定精度と不確実性を明らかにする。
③ 将来予測される気候変動による水稲収量の減少をさけるための適応策を提案する。
<研究成果・波及効果>
3つの作業工程について、個別に研究成果・波及効果を説明する。
①農業統計資料の取得と解析: 県別の主要作物収量・窒素施肥量等
のデジタル資料の取得と紙媒体資料のデジタル化は完了した。その初
歩的結果から、各作物の 110 年間の収量の増加率には大きな地域差が
あり、特に北日本での増加率が顕著に高かった(図1:水稲とかんし
ょの例)。また県別主要品種作付面積割合のデータの作成は、北海道
の水稲のみが完成しているが、北海道では非常に多くの品種が開発さ
れ、その作付面積の割合構成が短期間に入れ替わっていることがわか
った。これらのような統合的なデジタルデータベースは、様々な農業
・経済研究に応用ができるため、非常に有用である。
②農業試験場栽培試験データの取得と解析: 北海道の水稲について
の奨励品種の栽培試験データの取得・デジタル化が完了した。その
16
図 1. 主要作物の収量の変化倍率
(1900s に対する 2010s の⽐;
例:⽔稲(上)とかんしょ(下))
北海道の主要水稲品種の窒素感受性は、時代ごとのシフトが見られた(図2)。さらに、全国・北海道の窒素
投入量の増加に対して、水稲反収は1970sを境に、上昇から下降へ転じることがわかった(図3)。これは、19
80s以降の水田土壌の慢性的な窒素過多や、最新品種では窒素感受性のピークが下がっている傾向にあることが
原因であると示唆された。このような、データは資料がほとんど紙媒体である上に一括した保存がなされてい
ないために、保管されている場所を特定することすら困難であった。その中で、北海道の水稲についてはほぼ
データを収集できたことは非常に意味がある。今後同様に着々と全国各県へデータ収集を広げることで、日本
の主要作物の主要品種の生産性を包括的に保有したデータベースが作られることが非常に期待される。
700
全国
北海道
水稲単収(kg/10a)
600
500
400
時間の流れ
300
200
100
0
6
8
10
12
14
窒素投入量(kg/10a)
図 2. 北海道の⽔稲品種の窒素感受性
③作物モデル:
図 3. 窒素投⼊量と⽔稲収量
本研究で利用するプロセスベースの作物モデルMATCROの原型が完成した。本モデルは茨城大
学増冨准教授によって開発されており、本年度は水稲用のコードが完成し、つくば市の水田にて検証が行われ
た。次年度以降は、本モデルを利用し、過去の水稲収量の再現及び、気候要素(気温、降水量、日射量、CO2濃
度)ごとの感度実験を行う予定である。
<今後の展開>
本研究申請の際には、平成27年度は、基礎的な資料の収集に充てる予定であり、短い助成期間に対して十分
に達成されたと思われる。 次年度は、北海道の水稲についてのモデルシミュレーション及びそれらデータを統
合した解析を行う。その後、他県の水稲・他作物へと徐々に研究を広げていき、最終的に過去の気候変動が引
き起こした作物生産性への影響の検証と、それらのデータを利用して今後の気候変動下での作物生産性維持の
ための適応策の提案につなげたい。
次年度の具体的な目標は以下の通りである。
①農業統計資料:
県別主要品種作付面積割合のデータを、北海道以外について集める。
②農業試験場栽培試験データ:
③作物モデル:
他府県の水稲データの収集を進める。
MATCROによる北海道における気候変動要素別の過去110年間のシミュレーションを行う。
④データの統合解析:
北海道において、統合解析を目指す。
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平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
炎症とユビキチン化が制御する毛髪の成長機構の解明
研究代表者
所属・職・氏名
北海道大学病院・助教・夏賀 健
<研究の目的>
毛髪は、人体において主に頭皮に分布しており、その色や量そして長さは個々人のアイデンティティとして捉え
られている。したがって、円形脱毛症や男性型脱毛によって病的に毛髪の成長が阻害されると、個体としての健康
状態に影響がないにもかかわらず、心理的に大きなダメージをもたらす。現行の脱毛症の治療法は、いずれも劇的
に効果をもたらすものではないため、必要に応じて高価な義髪を用いざるをえず、脱毛症患者の負担は大きい。こ
のため、脱毛症に対する新規治療法の開発は社会的な要請であるが、発毛の制御に関する分子基盤が確立していな
いことにより、効果的な戦略が立てられていないのが現状である。そこで本研究では、治療法開発の基盤となる発
毛制御の新しい分子機構を明らかにすることで、将来的に脱毛症の新規治療法を開発することを目標とする。その
ために、下記に記すマウスから独自に得られた発毛に関する新しい分子機構を、in vivoとin vitroの両面から詳細
に検証する。これによって発毛制御に関する新たな分子標的が同定されれば、次に化合物ライブラリーを用いた標
的因子に対する阻害薬スクリーニング、同時にヒト脱毛症患者検体を用いた解析や候補阻害薬の治験へとつながり
、最終的に脱毛症の治療法開発が実現できる。
研究代表者と連携研究者のグループは、ユビキチンリガーゼ(E3)Xのノックアウト(-/-)マウスにおいて、皮膚に
対する脱毛処理に応じて毛周期が早期に成長期へ移行することを、偶然見出した。E3としてのXの機能はほとんど
わかっていないが、この実験結果から、Xは毛周期の進行に重要な因子(群)をユビキチン化し、分解へ導くことで
、毛周期のブレーキ役となっている可能性が示唆される。さらに、皮膚に対する炎症刺激だけでも、X-/-マウスの
この表現系を再現した。従って、炎症が毛周期を促進する未知の機構が存在し、そこに対するブレーキ役としてX
が存在するという、新たなモデルを提唱するに至った。本研究では、このマウス由来の組織を用いた網羅的遺伝子
発現・蛋白発現の解析に加え、in vitroでの解析を通して、毛周期を制御する分子機構を解明する。
<研究成果・波及効果>
平成27年度は、以下の実験成果を得た。
1) E3リガーゼX-/-マウスと同腹仔の+/+マウスで
は毛の発生に差がない
E3リガーゼX-/-マウスと同腹仔の+/+マウスに
ついて、毛の形態形成5期、形態形成8期、毛周期の
退行期、休止期、成長期にそれぞれ相当する生後1
日、8日、17日、25日、34日齢の毛周期を比較した
ところ、いずれの時点でも差が見られなかった(各
群n=3; 図1として1日齢のデータのみ提示する)。
18
2) E3リガーゼX-/-マウスでは、抜毛後早期に毛
が成長期へと至る
7週齢のマウスの毛をワックスあるいは用手的
に抜毛し、その1週間後に毛周期を評価した。E3
リガーゼX-/-マウスでは、同腹仔の+/+マウスと
比較して毛の成長期への進展が早かった(各群n=
3; 図2としてワックス抜毛のデータのみ提示す
る)。
3) E3リガーゼX-/-マウスでは、TPA塗布によっ
て早期に毛が成長期へと至る
TPAはホルボールエステルで、皮膚への塗布に
よって皮膚炎が惹起される。7週齢のマウスにTPA
を塗布したところ、E3リガーゼX-/-マウスでは
、同腹仔の+/+マウスと比較して毛の成長期への
進展が早かった(各群n=3;
図3)。
<今後の展開>
本研究の今後のステップとして、1) E3リガー
ゼX発現細胞の同定
2) E3リガーゼXの基質同
定と、E3リガーゼXが毛周期を調節する分子メカ
ニズムの解明 3) E3リガーゼXの阻害剤スクリ
ーニングを計画している。
1)に関しては、mRNAの発現データベース解析より、E3リガーゼXの発現はマクロファージに限局している可能性が
ある。作成済みの皮膚切片標本を抗E3リガーゼX抗体とマクロファージ特異的抗体(抗CD68抗体など)で共染色するこ
とで、この可能性を検証する。2)に関しては、1)で確定した細胞をin vitroで培養し、E3リガーゼXの強制発現やR
NAiによるノックダウンで、ユビキチン化が増減する分子を同定する。さらに毛包表皮細胞とのin vitro共培養系に
おいて、毛周期を調節する分子機序を調べる。3)北大薬学の化合物ライブラリーから、E3リガーゼXの活性を阻害す
る化合物をスクリーニングする。2)で同定したE3リガーゼXの基質のユビキチン化を指標とする。野生型マウスにこ
の阻害剤を適用するとE3リガーゼX-/-マウスと同様の表現系を示すことを確認し、最終的に本研究の成果を、脱毛
症に対する治療法開発へと応用させる。
19
平成27年度
若手研究者異分野連携型萌芽研究支援(Fusion-H)
研 究 成 果 報 告 書
研究課題
研究代表者
所属・職・氏名
遷移金属化合物における新電子物性開拓
大学院理学研究院・助教・吉田 紘行
<研究の目的>
本プロジェクトでは革新的な物質を設計・合成・評価する事で新しい電子物性の開拓、理解を目指す。その舞台
として我々は強相関電子系に着目した。強相関電子系物質は、磁性を担うスピン、電導性を担う電荷、構造を支配
する軌道の電子の持つ三つの自由度が顕著に現れ、また互いに密接に相関することで、高温超伝導や金属絶縁体転
移、超巨大磁気抵抗効果などの多彩な電子物性・機能性が実現する魅力的な系である。
近年、強相関系においてアボガドロ数個ほどの巨視的な数の電子が一つの凝縮状態を形成する量子多体液体状態
が注目されている。超伝導は量子液体の一つの例であり、電気抵抗ゼロや完全反磁性、ジョセフソン効果など基礎
的観点のみならず応用上も有益な性質を示すことが知られている。新たな量子液体状態を探索することは、現代の
物性物理学の最重要課題の一つである。我々は電子の持つスピン自由度に着目し、新たな量子液体の候補として巨
視的な数のスピンが形成する量子液体状態(スピン液体)の実現と性質の解明、機能性の探索を目指す。これまで、
スピン液体はフラストレート磁性体という特殊な磁性体において実現すると予想されていたが、良質なフラストレ
ート磁性体を合成することは非常に困難であった。
本プロジェクトでは、水熱合成法等の特殊合成法を用いることで、通常の手法ではアプローチできない温度・圧
力・雰囲気下に存在する良質なフラストレート磁性体の新物質開発を行う事、また得られた物質について磁化や比
熱、NMRを中心とした高周波物性測定を行うことで、スピン液体の実現とその物性解明を目指す。
<研究成果・波及効果>
図1は正三角形が頂点を共有してネットワークを形成したカゴメ格
子である。三角形上のスピンに反強磁性相互作用(反対方向を向く力)
が働くと、全てのスピンに働く力を満足するユニークなスピン配列を
取ることができない。このような状況を称して幾何学的フラストレー
ションと呼ぶ。通常の磁性体では温度を下げると↑↓↑↓のように特
定の磁気秩序(スピン固体)が形成されるが、フラストレーションが働
く場合には通常の磁気秩序は抑制され、絶対零度までスピンが揺らい
でいるスピン液体状態が実現すると期待されている。しかし、カゴメ
格子を実現する物質は非常に少なく、また実在する物質には格子の歪
図 1 カゴメ格子反強磁性体とフラスト
みや不純物、結晶性の低さなどの問題が存在し、カゴメ格子本来の磁
レーション
性は実験的にはあまり明らかになっていなかった。
本プロジェクトにおいて、我々は水熱合成を用いた低温反応法により新たなカゴメ格子反強磁性体の合成に成功
した。図2に示すように、我々の発見したカルシウム銅塩は三方晶に属し、磁性を担うCu2+イオンは歪みのないカゴ
メ格子を形成する。また、構造中に乱れがないこと、高品質試料を得られていることなどから、理想的なカゴメ格
子反強磁性体のモデル物質であると考えられる。
カルシウム銅塩では磁気相互作用が60 Kであるにも関わらず、7 Kまで磁気秩序の形成が抑制されることが明らか
となった。本物質の帯磁率は通常の強磁性、反強磁性、弱強磁性とも異なる特異な振る舞いを示した。比熱測定
20
図2
カルシウム銅塩の
結晶構造。a 軸及び b 軸
から眺めた図。 磁性を
担う Cu2+ イオンはカゴ
メ格子を形成する。
からは7 Kにクロスオーバーを示唆するブロードな異常が観測されたが、通常の磁気秩序形成に伴うピークは観測さ
れなかった。また、NMRによる緩和率測定の結果から、7 Kでスピンの揺らぎが遅くなる振る舞いが観測された。以
上の結果は、カルシウム銅塩において通常とは異なる何らかの磁気状態が形成されたことを示唆している。
本研究における非常に興味深い成果として、比熱測定で観測された温度比例項の存在をあげることが出来る。通
常の金属では、物質内を動き回る電子に由来して比熱に温度比例項が現れる。一方で、絶縁体では電子が動けない
ため温度比例項は存在しない。我々の測定により、本物質は絶縁体であるにも関わらず、通常の金属より大きな温
度比例項を有することが明らかとなった。このことは7 Kで発達するカルシウム銅塩の磁気状態が通常の磁気秩序と
は異なり、新しい磁気状態が実現している事を明確に示している。
理論的にはスピン液体状態のモデルである共鳴原子価状態(動的なスピンシングレット状態)において、壊れたス
ピンシングレット対で記述されるスピノンと呼ばれる準粒子が励起し、空間を動き回ることで比熱に温度比例項が
現れると期待されている。カルシウム銅塩で見出されたこの温度比例項の起源が理論で期待されているスピン液体
状態のスピノン励起と一致するかはまだはっきりしていないが、特異な低エネルギー磁気励起が存在する事は明ら
かであり、本物質の基底状態の異常性を明確に示す重要な結果の一つである。
以上の成果はフラストレートしたカゴメ格子反強磁性体の基底状態を実験的に明らかにした点で重要である。ま
た、カルシウム銅塩で観測された揺らぎの強い基底状態はスピン系の量子液体状態の候補となるものである。従っ
て、本成果はフラストレート磁性の実験的解明のみならず、量子多体状態の物理学の理解にとっても大きな進展を
もたらすと期待される。
<今後の展開>
本研究ではカルシウム銅塩の粉末試料に対して磁化、比熱、NMR測定を行い、特異な低エネルギー励起を伴う磁気
基底状態の発見に成功した。現在までに、良質な単結晶を得る事に成功しており、今後の展開としては、より本質
的な磁性を明らかにするために単結晶を用いた物性測定を行う予定である。特に、単結晶を用いた精密比熱測定に
よる準粒子励起の観測、極低温NMR測定によるスピン揺らぎの観測を行う事で、本物質の磁気基底状態の性質が実験
的に明らかになるだろう。また、海外の実験施設を利用した弾性中性子回折実験、非弾性中性子散乱実験、mSR実験
をNMRと相補的に行う事で、磁気相互作用、磁気励起構造、磁気構造、スピン揺らぎの周波数等を決定し、実験的に
本物質の特異な磁性を解明する。更に、数値計算等の理論的な解析を加える事で、実験・理論両面から本物質の磁
性が解明されると期待される。
21
Fly UP