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No.20 Dec2014 - WordPress.com

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No.20 Dec2014 - WordPress.com
ゆくえ
6月のコラムでも紹介しましたが、ルードヴィッヒ・ヴィト
彼はイギリスの技術系の大学に行ったあと
(ロケットエン
ゲンシュタインは20世紀最大の哲学者の1人といわれてい
ジンの原理となる技術を発明し特許を持っています)、哲学
ます。私はヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
と後期の
の根本問題に興味を持って、バートランド・ラッセルがいる
翼の途方
死後出版本「哲学探求」を読了するのに約20年かかりまし
ケンブリッジ大学を訪ねます。
ラッセルはヴィトゲンシュタ
た。あほですね。持続は力ともいいますが、乗りかけた船だ
インの哲学的問題の取り組みを聞いて、即座にこの男の天
メルボルン在住 現代美術家雑記帳
からしようがない。毎朝起きがけに1、2章を読み、散歩に出
才性を見抜き、大学入学を許可します。
かけたものです。御丁寧にも、
「 探求」の前書きに、
「 私の文
第20回
ヴィトゲンシュタインという哲学者①
章はゆっくり読むようできている」
とウィトゲンシュタイン自
かくして、
ヴィトゲンシュタインはケンブリッジで、哲学的
身書いています。時間に追われていては哲学はできません
思索に没頭します。
この時に同じ大学の学生で優秀な数学
ね。今回からヴィトゲンシュタインの人となり、哲学的問題
者で恋人とも噂される デビッド・ピンセント と出会います。
についてお話します。特に現代美術との関係で重要な、意
ヴィトゲンシュタインはイギリス国内旅行に、贅沢にも2人
味とイメージの問題をゆっくりと取り上げていきたいと思っ
だけで列車を借りきりました。それとは反対にフィンランド
ています。
に1人で出かけては、自分の手で断崖絶壁に粗末な山小屋
を建てて食うや食わずの生活もしています。極端ですね。
ヴィトゲンシュタインはユダヤ系のウイーンの鉄鋼王の
息子で、今でいうビル・ゲイツの富に匹敵する、20世紀前半
しかし父が亡くなったあと、財産を全て放棄し
(芸術家援
巨大財閥のファミリーの出です。
しかし厳格な父のもと、不
助基金に一部資金を提供:詩人リルケも受給者の1人)、第
幸が重なります。上の兄三人は自殺。そのひとつ下の兄
一次大戦にドイツ側で志願。防空壕の中で最初で最後の著
ポールは蛮勇から第一次大戦で右手を失いましたが、左手
作「論理哲学論考(論考)」を校了します。上の兄達同様、自
だけで演奏する著名なピアニストになりました
(有名なラベ
殺願望も手伝って、前線に率先して出ていき、手柄を立てま
ルの「左手のためのピアノ協奏曲」は彼のために作曲したも
したが、最後はイタリアで捕虜になりました。解放後「哲学
の)。彼の姉はウイーンの耽美派で有名なクリムトのモデル
的問題は全て解けた」
として、
ケンブリッジに帰らず、戦後ウ
にもなりました(クリムトもウィトゲンシュタイン家がパトロ
イーンの教会の庭師になってしまいます。かっこいいです
ンでした)。
ブラームスやマーラー、
ブルーノ・ワルターとい
ね。彼の哲学の業績があまりに重要なためケンブリッジに
う音楽家を始め、彫刻家のロダン、作家のハイネ等も一家
呼び戻され、バートランド・ラッセルの後をついで哲学科の
のゲストでした。
教授の職に収まります。毎週の講義は、家具は全て特注品
の自分の屋根裏部屋で行われました。なぜかいつもうるさ
おもしろい話に、アドルフ・ヒトラーが高校でヴィトゲン
く扇風機が回っていたそうです。騒音で外からの音をかき
シュタインと同じクラスであったという史実があります。
ヴィト
消し、集中力を高めるために使ったとのことです。哲学的思
ゲンシュタインは学校に上がる前に自宅で多くの家庭教師
索に疲れたあとは、映画館で好んでアメリカ・ウエスタン
上左よりポール・ヴィトゲンシュタイン、
ヴィトゲンシュタイン家玄関、
についており、学力は飛び抜けていました。一方ヒットラーは
ムービーを一番前の席で、光のシャワーをあびるように見
ルードビヒ・ヴィトゲンシュタインとヒットラー、
ヴィトゲンシュタイン。
凡庸で、一年落第してしまいます。学業優秀でユダヤ系の大
ていました。
登 榮一 (とさきえいいち)
ディーキン大学(ドローイング他)講師。メルボルン大学哲学科
名誉フェロー。W: bimanualdrawing.wordpress.com
金持ちの息子ヴィトゲンシュタインに対して、裕福でなかっ
たヒットラーは反感を持ち、後のユダヤ人嫌いはヴィトゲン
来月はヴィトゲンシュタインの哲学的な問題について少
シュタインに始まったと書いている歴史家もいます。
しご紹介します。
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