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新潟市美術館を
大いに語る会
2010.
10/30(土)午後1時30分∼
会場:ホテル・イタリア軒 3F サンマルコ
〈 開 館 25 周 年 記 念 〉
今年10月13日は、新潟市美術館が開館して25年目の節目の日になります。
また、新潟市美術館協力会も、今年で15歳になりました。
近年の美術館は残念ながら往日の面影をなくし、開館25周年さえ市民に報じることもなく運営されているようです。
そこで急遽、新潟市美術館の歩みと真価を知る市民と有識者が集まり、
その創立記念のお祝いをかねて、
新潟市美術館の昨日・今日・明日の姿を大いに語っていただくこととしました。
どうぞ、多くの方々からご参加いただき、
出席者のスピーチに耳を傾け、
また大いに語りあっていただきたいと思います。
(同会チラシより)
報告書
新潟市美術館開館25周年/新潟市美術館協力会結成15年
「新潟市美術館を大いに語る会」報告書 新潟市美術館を大いに語る会実行委員会 編集・発行
2011
新潟市美術館開館25周年 新潟市美術館協力会結成15年
新潟市美術館を大いに語る会
● 日 時/
2010 年 10 月 30 日
(土)午後 1 時 30 分
● 主 催/新潟市美術館を大いに語る会実行委員会
● 共 催/新潟市美術館を愛する市民の会
新潟市美術館協力会
新潟市美術館を考える会
新潟市美術館を利用している市民のグループ
● 会 場/ホテルイタリア軒 3
Fサンマルコ(新潟市)
● 司 会/笹木繁男(新潟市美術館を考える会)
峰村一彦(実行委員)
、岡野韶子(実行委員)
1 開会宣言 岡野 韶子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
2 開会挨拶 峰村 一彦、岡野 韶子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
3 出席者紹介 笹木 繁男、岡野 韶子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
4 スピーチ(敬称略)
・・・・・・・6
(1)林 紀一郎 (美術評論家・新潟市美術館初代館長/新潟市美術館を考える会会長)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
(2)市橋 哲夫 (画家/新潟市美術館を考える会会員(新潟市在住))
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
(3)荒井 薫 (新潟市美術館協力会会員)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
(4)金多賀倍ヱ (新潟市美術館協力会会員)
* * * (休憩) * * *
(5)村田慶之輔 (川崎市岡本太郎美術館館長)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
*メッセージ代読
金澤 毅(美術評論家、成安造形大学名誉教授/新潟市美術館を考える会会員)より・・・・・・・・14
日夏 露彦(美術評論家/新潟市美術館を考える会会員)より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
江村 章夫(実行委員)より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
(6)名古屋 覚(美術ジャーナリスト/新潟市美術館を考える会会員)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
(7)本江 邦夫(多摩美術大学教授/新潟市美術館を考える会会員)
*出席者フリートーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
5 出席者と参加者のフリートーク
聞き手・笹木 繁男(現代美術資料センター主宰/新潟市美術館を考える会会員)
6 資料 「新潟市美術館を大いに語る会」参加者アンケート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
1
会議報告
1 開会宣言
司会(笹木)
○ 新潟市美術館が開館して 25 年、この節目の年に皆さまでお祝いをし、振り返ることがで
きることには、誠に感慨深いものがあります。
○ このたびの「新潟市美術館を大いに語る会」に名前を連ねて下さった「新潟市美術館を
愛する市民の会」、「新潟市美術館協力会」
、
「新潟市美術館を考える会」
、
「新潟市美術館を
利用している市民のグループ」、そして開催に尽力された各位に感謝します。
岡野
○ 「新潟市美術館を大いに語る会」開会宣言
2 開会挨拶
峰村
○ 私は建築の設計を生業とし、新潟に住んで 37 年になります。越して来た当時は住みづら
い町だと思っていましたが、学生時代に尊敬していた前川國男氏が新潟市美術館を設計す
ると聞き、その建物を見てから引っ越しても遅くはないかと考えました。そしてこの美術
館にひかれ、今日に至っています。
○ 前川氏の最晩年の作品である新潟市美術館は、この地区にちょうどいいスケールで、同
時期につくられた西大畑公園と一体となり、落ち着いたよい空間をつくり上げています。
ところがこの心地のよい空間が、3年ほど前から何となくざわついた嫌な雰囲気になり、
それを理由に自然と足も向かなくなりました。
○ 昨年7月、展示物からカビが発生し、
「展示室の空調能力が足りなかったことが原因で、
設計ミスによるものだ」とか、「ドアのすき間から外気が侵入したためにカビ生えたのだ」
など、理解に苦しむ話が耳入ってきて非常に心配しています。
○ 新潟市は、2003 年に前川建築設計事務所に老朽度調査を委託し、それに基づいて 2004
年から5年にかけて大規模な改修工事を行っています。ところが、2010 年6月、新潟市は
市議会に、緊急修繕工事と称した補正予算案を提出し、それが成立しました。そして翌7
月に、前川建築設計事務所に老朽度調査を委託しました。前回の調査からわずか7年足ら
ずで「老朽度」の再調査を前川事務所に依頼したこと、そして、調査の前に工事を決定し
ていたこと、これはおかしなことで、税金の無駄遣いのような気がします。
○ この 10 月 13 日は市美術館が開館して 25 年目、美術館協力会も 15 年目を迎えましたが、
2
このところの美術館は以前のようにあたたかく客を迎えてくれる様子もなく、ただのイベ
ント施設のような、ざわついた施設になっています。そして、市や美術館はこの節目の年
を市民に周知していません。
○ 新潟市美術館は、新潟市という行政組織とみれば市の機関の一つでしかなく、美術館を
めぐる一連の問題について、市民は、行政の立場からの考えと情報しか示されていません。
そこで、美術の専門の方々から、現在の新潟市美術館の状況について、また「そもそも美
術館とは何か、どうあるべきか」といった根本的なことについても世界的な視野からお話
を伺える貴重な機会だと思います。
岡野
○ 神奈川県から新潟に移り住んで 31 年になりますが、転居して数年後に美術館が建設され
るという大変うれしい出来事があったことを昨日のことのように思い出しています。
○ 今月の 13 日は新潟市美術館開館 25 年目という節目の日、お祝い申し上げます。また、
高橋建造美術館長にもこの会のご案内をさせていただきましたが、所用のため出席できな
いというご丁寧なお電話をいただいたことを申し添えます。
○ 美術館協力会も発足して 15 年。協力会は市民と美術館の双方の気持ちが一緒になって、開
館から 10 年後に十分に準備を重ねて発足したものです。私も会員となって 14 年が過ぎました。
展覧会のときの関連グッズの販売や作家の方々との交流が持たれる「オープニングふれあいパー
ティー」の準備、また、学芸員と一緒に県内外の美術館への研修旅行などに参加。現在は、事
務局員として会報の係をしています。まだ会員になっていない市民の皆さんとの架け橋として美
術館や協力会の情報をお知らせしたり、関心を持っていただけるように働きかけをしてきました。
○ しかし、近年の美術館の変貌ぶりには疑問を感じるようになりました。そこで、4月には美術
館の正常化を求めて「新潟市美術館を愛する会」を立ち上げ、
「新潟市美術館を考える会」の
皆さまとともに署名活動を展開し、
6,258 名の方に賛同していただき、
市に要望書を提出しました。
4月に新潟市が立ち上げた「新潟市美術館の評価及び改革に関する委員会」の発表では、
私たちが利用してきた美術館の姿とは大変かけ離れた内容に驚き、憤慨し、疑問を持ち、
「美
術館を利用している市民のグループ」として市への要望書も提出しました。カビの発生やク
モの持ち込み、国宝展の開催場所の変更など、一連の事件は、現在の美術館の体制のなかで、
学芸員の異動が大きな影響を与えていると思われます。知識と経験、実力もあり、開館か
ら 22 ~ 23 年にわたり美術館を支えてきた学芸員を、配置換えと称して資格に関係のない
部署で働かせるのでは、せっかくの学芸員の経験と見識を次の世代にバトンタッチすること
もできないと思います。その能力を市民のために発揮できないのでは、
税金の無駄遣いです。
○ 市美術館が将来どのような方向に進んでいくのか大変心配です。美術館としてよりよい
方向に進むために、
多くの皆さまに声をあげていただきたいと願ってこの会を開催しました。
3
3 出席者紹介
司会(笹木)
○ 本日の出席者を紹介します。
○ 林紀一郎様。新潟市美術館の初代館長です。池田 20 世紀美術館の館長も務められました。
近現代美術の美術批評家としても活躍されています。著書に荒川修作の
『意味のメカニズム』
の翻訳書をはじめ、美術関係のその他の著書があります。新潟市美術館館長時代に館長の
報酬は、同じ非常勤館長だった北川フラム氏とは比較にならないぐらい小額でした。非常
勤なのに新潟市内に常住し、得た給料はそのすべてを夜の新潟で消費して地元に還元され
たという、北川氏とはまったく対照的な業績を残されたとお聞きしています。本日は、美
術館の現状を憂慮されてご参加されました。
○ 村田慶之輔様。川崎市岡本太郎美術館の館長です。外見は若々しいが、関東の美術館の
館長では最長老の一人です。国立国際美術館の学芸員も経験されています。学芸員も館長
も長く務められており、美術界に確固たるご意見をお持ちで、本日も広い視野から美術館
の今後について、文化と行政のあり方などについて、ご自身の信念としての考えをご披露
いただけると期待しています。
○ 本江邦夫様。気鋭の評論、随筆、対談など広く美術界で活躍されています。美術評論家で、
多摩美術大学教授として大学院で近現代絵画を講じています。東京国立近代美術館の学芸
員を経て、府中市美術館の館長を8年間務められました。
『絵画の行方』など、刺激的な著
書も発表されています。本日は最近の新潟市美術館に見られる個別の問題点の総括をご自
身の経験を通してお話いただけるものと期待しています。
○ 名古屋覚様。新潟市の美術館問題に以前から関心を寄せておられ、つい2~3日前に海
外から帰国したばかりにもかかわらず、新潟に駆けつけて下さいました。鋭い感覚をお持
ちの美術ジャーナリストとして新聞などで活躍されています。海外の事情にも明るく、若
いアーティストにも積極的なアプローチをされています。本日はジャーナリストとして、
新潟市美術館問題をテーマにお話いただきたいと考えています。
○ 以上、東京からご参加の方々は新潟の現状を憂い、この「語る会」のために、事前の予
定をキャンセルされてまで手弁当で参加して下さいました。この場をお借りして厚くお礼
申し上げます。
○ 青木茂様、金澤毅様、日夏露彦様は、本日は所用で欠席されていますが、新潟の皆様に
よろしくとの伝言をいただきました。青木様は、美術についてのご意見番のような人で、
文星芸術大学特任教授、明治美術学会理事、美術史家。金澤様は、成安造形大学名誉教授
であり共立女子大学非常勤講師、元原美術館副館長で美術評論家。日夏様は、桑沢デザイ
ン研究所及び成蹊大学非常勤講師で、美術評論家。金澤様と日夏様からは皆さま宛にメッ
セージが届いていますので、後ほど披露させていただきます。
4
岡野
○ 新潟市民の出席者を紹介します。
○ 市橋哲夫様。新潟市在住の画家。高校の美術教師として美術教育に携わり、新潟市美術
館開館時には学芸係長としても務められ、美術館とは深い関わりを持っています。
○ 荒井薫様。美術館協力会創立会員。事務局の会報係として会報『ななかまど』の編集に
発足当時から携わっています。
○ 金多賀倍ヱ様。2002 年に美術館が募集したボランティアに応募し、それを契機に協力会
に入会しボランティア活動を続けています。
司会(笹木)
○ 私は現在、
「現代美術資料センター」を主宰し、戦中期以降の美術資料を収集し、それを
編さんして執筆をしています。要するに学芸員と図書館の司書をつなぐような仕事です。こ
のたび新潟で起きた出来事は、日本の美術館全体にとっての大きな事件だと思うので、資料
センターとしても関心を持ち、資料を徹底的に集めて、将来に残しておきたいと考えています。
○ 私と新潟との関係をお話しすると、ちょうど 50 年前、サラリーマンだった私が、静岡から
この新潟市に着任してきたことに遡ります。その年は大雪でした。汽車が全部止まってしまっ
たため、新潟で正月を迎えることになりました。こんなに雪が多いのが毎年続くのかとびっ
くりしましたが、
大雪はそのとき1年だけでした。新潟国体、
そして新潟地震も体験しました。
仕事の関係で、新潟大学の医学部と文理学部と農学部を担当していた関係で、脳外科の植
木先生、脳神経の椿先生、法医学の茂野先生、薬理学教授の松田先生、病理医学教授の藤巻
先生、小児科の酒井先生をはじめ諸先生には大変かわいがっていただきました。それから小
林茂孝さん、この方とはとても親しくつき合わせていただきました。娘が小学校4年生の夏
休みまで新潟にいて、また東京に転勤となりました。古町通りの商店主の方々にもお世話に
なりましたが、北光社ももうなくなり、50 年の月日は相当大きいと感じています。この会が
始まる前に久しぶりで、新潟市美術館の常設展も拝見しましたが、そういう意味で非常に懐
かしかったです。
○ このように新潟には親近感をもっていましたので、新潟市美術館が出来たと聞いて、東京
から度々出かけ、学芸員の方々とも顔見知りになりました。全国の美術館に負けないような
収蔵作品を持っているすばらしい美術館で、皆さんが誇りに思っていい美術館だと思いま
す。ところが突然、
おかしなことが起こり、
美術館が危機に瀕してしまった。それで、
私も黙っ
ていられなくなって、この「新潟市美術館を考える会」を立ち上げました。新潟市民の方々
には本当に危機意識を持っていただかないと、あの立派な美術館が再興できないと思いま
す。市民の皆さまとは今後も一緒に活動していきたいと思い、本日の「語る会」を楽しみ
にしてきました。
5
4 スピーチ
司会(笹木)
○ 出席者の方々にスピーチをお願いします。
林
○ この、
イタリア軒のサンマルコの、
このフロアに 25 年ぶりに立っています。
大変に懐かしい。
このサンマルコのフロアで、新潟市美術館の開館記念式典が行われました。当時の市長は若
杉元喜氏。行政主催の行事では、行政的地位が低い館長には話す機会が与えられないこと
が多いのですが、大勢の来賓が集まったところで、僕は初代館長として挨拶ができたのです。
僕はそこで、
「美術館というものは1年や2年でできない。100 年の大計。国家 100 年じゃ
ないけれども、美術館をつくったからには 100 年かけて育てる心構えが必要だ。そうして
美術館は、市民に開かれた美術館になっていくのだ」と演説しました。
「100 年の大計」を、たったの5年や 10 年で評価してもらっては困る。まだ 25 年しか経っ
ていないのに、今の姿だけしか見ようとしないから問題が起こってしまうのです。
○ 「美術館」を英語では museum というが、
その(綴りの)中に Muse(ミューズ)がいる。
ミューズがやどる館というのがミュージアム。しかしこの美術館は、最近、ミューズが宿
らないでカビやクモがやどるような箱になってしまった。悲しい。本当に悲しい。新潟市
美術館の建っている場所には昔、刑務所があって、その砂の上につくったからとは言わな
いが、まさに「砂上の楼閣」になってしまった。でも、これでは困るのです。
○ どうしてこうなってしまったのだろうか。美術館ができたころは有能な学芸員たちもい
ました。館長はあまり働かないものだから、学芸員が一生懸命に働いてくれました。新潟
市美術館は、どちらかというとオーソドックスで堅実な美術館なのです。博物館法を遵守
しつつ、作品をコレクションしたり、展覧会を企画したり、あるいは講座を開いたり、年
報や研究紀要をつくったりして一生懸命まじめにやっていました。ところが、現在の新潟
市美術館では、そういう仕事はしなくてもいいらしい。楽だなあ、今の学芸員たちは。何
もしなくていいらしい。しかし、まじめに働く美術館がかつての姿だったのです。
○ 伊豆半島の一碧湖畔に財団法人池田 20 世紀美術館があります。僕は新潟に来る前はその
美術館で参与、つまり館長の補佐役をやっていました。鹿児島の生まれですが、生まれて
すぐに満州の牡丹江に渡りました。戦後北から南へ帰ってきましたが、また北の新潟へ来
ることになった。昭和 59 年のことでした。この年は大雪で、もう帰ろうかなと思った。で
も、来たからには責任があります。そしてとうとう 10 年間新潟に住みました。
○ 今日は、これから「新潟市美術館をいかにすべきか」ということについて、熱意に燃え
た方々がいろんな問題を語ってくださると思います。
○ とにかく、私は、たとえ目新しくなくてもいいから、ちゃんと機能する、開設して 100
6
年たった時に、「美術館」が立派に育っているような、そういう長期的展望に立ったいい美
術館をつくってもらいたい、と願っている。
市橋
○ 近年の新潟市美術館で起きた事態は一体何だったのか、そして、これからどんな方向へ
行くのだろうか、大変気になるところです。私は、新潟市在住の美術作家ですが、美術館
開館当初に林先生と一緒にお仕事をしたこともあるので、双方の立場から述べたいと思う。
○ まず建設の経緯について。1978 年7月。当時は市民の美術館建設を望む声が高まり、
「新
潟市立美術館建設期成同盟会」が結成されました。同年8月、新潟市美術協会の 10 周年記
念事業として、新潟市立美術館建設の資金を集めるために作品展示即売会を開きました。
美術協会の主旨に市民が賛同したこの企画は、建設運動を促進する役割を果たしたのでは
ないかと思います。
その後、美術協会会員と市側の担当者とでいくつかのグループをつくり、東京周辺の先
進館を視察もして、その報告書を新潟市に提出しました。当初一般市民や美術作家が望ん
でいたことは、当時なかった、市展や美術協会展をやるくらいの広い展示スペースの確保
でした。それから、創作活動等ができる実習室、美術講座ができる講堂、それから、図書
室なども要望し、「友の会」の設置など、広く一般市民が参加できる体制をとりいれた本格
的な美術館建設を願ったのです。
○ 博物館法に則った公立美術館として、1985 年に開館した新潟市美術館は、美術資料の収集、
企画展、常設展、各種美術講座等の活動を行ってきました。美術館の運営とは、人と人の
信頼関係で成り立っているので、一度信頼を失うと回復するのは難しい。まさに 2007 年に
北川元館長が着任してから、状況が、それまでとはまったく一変してしまいました。市民
のコンセンサスをまったく得ることなく、市長と館長がいきなりブルドーザーで平らになら
してしまうかのような独断的な行動で、まさにファシズムじゃないか、と思うほどです。
そのことは、「入館者数の減少傾向があるので、人をいっぱい入れなきゃいけない、つま
り人がたくさん入るようなイベントを組んでいきたい」という考えだけの市長の発言から
うかがえるのです。そしてその発想から、美術館を「水と土の芸術祭」に使い、展示室に水・
土を持ち込むということが起こったわけです。
○ 北川元館長の在任3年間で変わったことは、<北川館長就任以前の学芸員をすべて人事
異動させた>こと、<美術資料収集活動の停止>、<教育普及活動が停止>していること、
<美術館協力会の方々との関係が大変希薄になってきていること>。
それから何といっても<新潟市美術館条例の無視>ということです。条例を無視してま
で、水と土を持ち込み、カビを発生させたわけです。
○ 一方、
新しくやったことといえば<「水と土の芸術祭」のステーション化>です。そして、
7
2012 年には、再び「水と土の芸術祭」を行うと、
市長は選挙マニフェストで公表しています。
○ しかし、これから最も注意深く見ていかなければならないことは、
「行政の管理体制の強
化」だと思います。もう既にそれが始まっているのです。
○ もう一つ大きな問題なのは、カビについての事実を一般市民に隠していたということで
す。これは重大な「真実隠し」です。表面内部全体にびっしりとカビが発生していたにも
かかわらず、表面のカビだけを拭き取って、
「もう大丈夫ですよ」と新潟市は市民に対して
説明しました。そして、新潟市美術展(新潟市美術協会が主催する市民の公募展)に会場
を提供したのです。
○ 私たち「新潟市美術館を考える会」と「新潟市美術館を愛する市民の会」は署名活動を行
いました。全国、
北海道から沖縄までの 6,258 人という大勢の方々から署名をいただきました。
しかし、その署名簿の提出や、いままで提出済みの質問書、要望書、陳情書などの民意とい
うのは、いまのところ放置されたままの状態です。いまだになんら返事がないのが現状です。
荒井
○ 新潟市美術館が開館して今月で 25 歳、私が参加している新潟市美術館協力会も、この3
月で満 15 歳になりました。私は、協力会がどのようにして、いまの組織になっていったの
か、知っている範囲でお話したいと思います。
○ 「協力会」はいわゆる「友の会」とは性格が異なります。市の美術館は開館以来、とても
魅力的な作品鑑賞会や、美術講座、実習講座など、たくさんの普及事業を行っていて、私自身、
いろいろな事業に参加し、月に何回も美術館に出かけるので、家族から「美術館に勤めた
のか」と、皮肉を言われていたくらいでした。
○ 講座に参加していると、学芸員の方から「企画展のポスターをご近所に貼ってもらえな
いか」とか、「企画展開催中に、ミュージアムグッズの販売の手伝いをしてもらえないか」
など頼まれるようになりました。そんなことが重なって交流の輪が広がってくると、今度
は「美術館とのつながりを持ちたい」それから、
個人レベルのボランティアではなくて「もっ
と大勢の人達とやってみたい」という気持ちが生まれてきました。そして、当時の学芸員
の方の後押しもあって、協力会の設立へと動き出しました。
○ ボランティアを始めるといっても、すぐに動けるわけがないので、1993 年の暮れに、美
術館の呼びかけで、美術館の受講生の有志、20 数名程が集まり、毎月第二土曜日の午後か
ら講堂で、美術館のことをもっと知ろうという勉強会を行いました。というよりは勉強さ
せられました。例えば「一つの企画展ができあがるまでにはどんなことをするのか」
、「美
術館にはどんな人達が働いていてどんな種類の仕事をしているのか」
、
「作品の保管はどの
ようにしているのか」、「空調の設備はどうなっているのか」など、美術館のいわゆる裏側
を学びました。そして「何を支援できるのか」を話し合ったのです。
8
○ 1994 年の 12 月 10 日、協力会の会報の準備号を発行して会員を募集しました。初年度は
200 名集まりました。その後だんだん増えてきて、9年目の 2003 年には、最高の 355 名の
会員が集まりました。それから 300 名台が続きましたが、実はこの2~3年でガタガタガ
タっと落ちてしまい、今年度は 169 名まで落ち込んでしまいました。
○ 1995 年の5月 21 日、協力会の発会総会を開きました。
最初は3つの種類のボランティアから始めました。ポスターを全国に発送したり、知り
合いや近所の方にポスターを貼っていただくという「広報支援部」
、新聞のスクラップを行
う「資料整理部」、解説部の前身である「研修部」です。その後、ミュージアムグッズの販
売を手伝う「販売部」が加わりました。
「研修部」は、
「解説部」と「研修講座部」に分かれ、
現在5つです。ボランティアは登録制であり、やるかやらないかは自由です。いつでも誰
でも参加できるボランティア活動を目指して、
「出来るときに、出来ることをやる」をモッ
トーにやってきました。
私たち協力会会員は、学芸員の方々をはじめ美術館職員の皆さんとの様々な交流を通し
て、対等な立場で、そしてお互いに一歩一歩信頼関係を築いて活動してきました。これか
らも、このような関係をずっと続けていきたいと思っていますが、みなさまもお分かりかと
思いますが、最近の様子を見ますと、そういう関係を続けていくことは無理なのでしょうか。
○ 協力会の会報「ななかまど」は、年2回発行しています。今日の私からの話の最後に、
協力会会報の 10 周年記念号のなかから一部分を読みます。
「10 年前、よちよち歩きで出発した協力会。試行錯誤の連続。新しい風を起こそうと、
人と人との輪、ボランティアの輪を広げながら、美術館のサポーターとして、心のふれあ
いを大切に新たな一歩を踏み出していこうと思います。
」
金多賀
○ 私は新潟市民の一人で、ここに並んでいらっしゃる先生方のような知識はありません。
でも、いまの協力会がもしかして終わるんじゃないかな、と考えた時、自分にできること
はないだろうかと考えて、この会に臨みました。市の美術館が開館して今月の 13 日で 25
年目です。協力会も 15 歳になりました。協力会と美術館とで一緒に記念の何かお祝いをし
たいなと、協力会の仲間の間では、そんな話が盛り上がっていました。でも、今の美術館は、
とてもそういうことはできる状態ではない。とても残念です。
○ 私が協力会に入会したのは 2002 年の「西海岸の風」という企画展がきっかけでした。最
初のうちは美術館に出かけて鑑賞して満足だったのですが、だんだん物足りなく思い始め
ました。そんな時、美術館でその企画展の展示ボランティアを募集しているという記事を
見つけて参加しました。そこでは、展示に参加するという貴重な体験があり、作家の方々
や学芸員、仲間たちとのふれあいがありました。そこで協力会の存在を知り、入会しました。
9
今は事務局員としても活動しています。
○ そうした中で、いろいろな事が分かってきました。資料整理部が行っている新聞の切り
抜きは、本当に貴重な資料としていろんな方に利用されていました。広報支援部で企画展
ごとにポスターを配る仕事は、直接、市民と市民がふれあうところになりました。企画展
のオープニングセレモニーに参加したり、
「ふれあいパーティー」を協力会が主催して作家
や関係者との交流も深めたりもしてきました。展覧会が開かれるまでの流れとか、美術館
の仕事などを学ぶ研修講座や研修旅行など、常に美術館の職員の方々、特に学芸員の方々
からいろんなことを学んできました。
余談ですが、エプロン姿で、展示室の照明を調節したり、壁を修復されたりしていた方
たちが、実は学芸員の先生方だということがわかったときには本当にびっくりしました。
それからますます美術館が好きになりました。美術館のなかはいつもやさしい雰囲気が流
れていて、私にとってはとても癒される場でした。
○ 2~3年前に、協力会の自主事業として「ラベンダースティックを作ろう」という講習
会を企画して実習室を借りて行いましたが、美術館側から「たとえ講習会だとしても生花
を使用するのはだめだ」と言われ、屋外のテラスでつくることにしました。
ところが去年、「水と土の芸術祭」の展覧会で、美術館の企画展示室に大量の泥を使った
巨大な作品を見て大変驚きました。私たち市民は、市民ギャラリーや実習室でさえ、そう
いうものを持ち込んではいけないと言われていたのに、なぜ美術館がそんなことをしたの
か、信じられませんでした。素人考えですが、そんなことは最初から想定できたのではな
いかと思うのです。
その翌年、「新潟への旅展」でも展示の作品からクモや虫が発生してしまいました。これ
らの問題が発生したということで、新潟市は 2010 年に「新潟市美術館の評価及び改革に関
する委員会」を設置しました。ところが、その委員会は「カビやクモの発生は問題ではあ
るけれども、それよりも大きな問題が北川フラム元館長の就任前からあった」と結論づけ
ました。何回目かの委員会では、「水と土の芸術祭」が原因で乱雑になってしまった実習室
を、
「以前から乱雑だった」と発言されたことを知りました。私たち美術館の利用者は驚き、
とても苦しく、悲しくなりました。傷つけられました。
○ いまの美術館の流れも、「前の美術館が悪かった」と結論づけようとしているように、私
には思えますが、長い間、美術館とともに活動してきた私たちは、まったくそのような印
象は持っていません。前の美術館の方が、新潟市民の一人として、とっても誇りに思える
美術館でした。そのことは、美術館が発行している「ウェーブ」や、協力会発行の「なな
かまど」を最初の号から読んでいただければ、誰でもすぐに十分納得して下さるはずです。
市民がどんなに前の美術館を誇りに思っていて、どんなに楽しんでボランティアをやって
いたか、きっと分かると思うのです。
10
○ 第6回委員会で、「開かれた美術館にするために」ということで提言されている内容は、
新潟市美術館では開館当時からずうっと継続して行われてきたことです。その成果の一つ
が、主体的に活動する「協力会」の誕生でした。そして、私たちは、15 年間、美術館とと
もに歩んできたボランティア組織の一員として、新潟市民として、誇りを持っていまも活
動しています。ただ、ただ、言いたいのは、美術館とともに協力会も一生懸命、ともにが
んばってきたということです。
○ 協力会も、美術館も、今の姿のままだと絶対にいけないってことは分かるのです。何と
か協力していい方向に向ければいいなあ。いえ、
「いいなあ」ではなくて、自分たちで「向
けなければいけない」と思うのです。そのためには協力できることは協力会の一員として
協力したいと思っています。みなさんからも、ぜひとも協力をお願いしたいと思います。
=== 休憩 ===
村田
○ 私はいま川崎市岡本太郎美術館で仕事をしていますが、その前は大阪の国立国際美術館
におりました。現在は、大阪市内に移転していますが、1970 年にできた万博美術館だった
建物です。世界の万博は、終了すると建造物を壊してしまっていたのですが、大阪府の有
識者が、特に万博美術館だけは残して大阪府立美術館として再生させてほしいと要望した
のですが、結果的には実現しませんでした。それで建物を国が引きとることになったのです。
当時私は、文化庁におりましたので、それを引き受ける形になり、第1号で、国立国際美
術館に行くことになったのです。
○ そこに岡本太郎の例のあの「太陽の塔」が残っていたのです。
「お祭り広場」というのが
その下に広がっていて、それこそ空中の巨大建築なのですが、そこに金属のパイプで組ん
だ 100 メートルくらいの大屋根があり、そこに 70 メートルの「太陽の塔」がニューッと天
を突いていたのです。丹下健三さんが設計した水平の大屋根に対して、太郎が垂直の「太
陽の塔」をぶち抜くプランだったのです。結局、万博後に大屋根は危ないからという理由
で外され、「太陽の塔」だけが残った。
太郎は戦後、兵役から戻ると対極主義を唱えました。
「弁証法」は、対立する両者を一段
上のところで統一させるというものですが、太郎の主張は「統一なんかしちゃだめだ。対
立したものをどこまでも対立したままでいく、そのなかで火花を散らして生きるのだ」、と
いう実践なのです。戦後、みんな空腹だった時代で、そんなことを考えている奴はいなかっ
たのです。太郎くらいなものです。
その太郎さんに「「太陽の塔」は、水平構造の大屋根がなくなって、何と対極するのです
か」と現場で聞いたら、太郎さんは「君ね、宇宙とだよ」と即座に答えた。
11
太郎は、戦前パリに 10 年いました。フランスの中学生の寄宿舎に入ってフランスの歴史
や何かの基礎知識を学び、それから絵を描き出したら描けない、考えや風土が全然違うから。
それで、思想を身につけなきゃいけないと、パリ大学に聴講生として通って、哲学や民族
学をやって、のちにパリ大学を卒業して帰ってきたのです。
○ 太郎のお母さんは、岡本かの子という小説家で、川崎の在の大地主の家に生まれた人です。
太郎は、母親の実家で生まれたので、川崎生まれということになります。それで、絵を希
望したら、太郎が「いや、俺は売らないからみんなあげるよ」ということで、川崎市に岡
本太郎美術館が出来たのです。
○ 新潟市美術館は、市民の皆さんの協力があってできたとのことでしたが、太郎美術館を
つくるについては反対運動があったりして、結局、美術館ができる前に太郎は残念にも亡
くなってしまった。だから、「新潟市の美術館はみんなに請われて誕生して、いいな」と思
うのに、
こんなことになって、本当に情けない思いをしているのです。新潟市美術館のスター
トは本当にすばらしかったし、それから学芸員、谷さん、神田さん、木村さん、本当にす
ばらしい学芸員です。だから、何回も、何回も、私は足を運びました。
最後に新潟に来たのは、去年2月、ここで開催された「岡本太郎の芸術風土記展」の開
場式の時です。前夜は学芸員たちと将来のことを楽しく語りました。それから1カ月くら
いで、
美術館から学芸員がいなくなってしまうという事態となってしまったのです。そして、
そのことによって起ったのが、「カビ」
「クモ」の事件なのです。
○ 「私はこの美術館がものすごく好きだし、こういう事態になって悲しい気持ちでいるから、
「考える会」の会員ではないので余計者かもしれないけれど、新潟でのこの「大いに語る会」
に、ぜひ参加させてくれ」と言ったのです。
○ 私のいる美術館は、市立の個人作家の美術館で、市長も理解を示してくれています。年
間の入場者は平均7~8万人です。いま日本の美術館は平均すると年に2~3万人くらい
だと言われているのですが、今、もっと下がりつつあるかもしれない。でも、東京などの
大きな美術館では、何十万人という入場者がありますよね。しかし、入場者を相変わらず
誇りとしているというのはどうなのでしょうか。その殆どの展覧会は、
新聞社がやっている。
戦後早くから新聞社は敗戦の日本の美術に大きな貢献をしてきましたが、新聞社が展覧会
やってくれるなんて世界のどこにもないですよ。それから、新聞社は、デパートでも展覧
会をやっていますが、それもよその国ではありません。デパートっていうのは品物を売る
ところです。ですから、展覧会も言わば売り物につながるわけなのです。
そして、こうした新聞社主催の展覧会を、多くの日本の美術館は巡回展として受けてい
るのです。そんな中で岡本太郎美術館もそうですけども、新潟市美術館はずっと企画展を
中心にやってきました。自主企画展を開催するということはものすごく大変で、学芸部門
の力量、経験が問われるのです。
12
○ これは、
「新潟市美術館の評価及び改革に関する委員会」が作成した「中間報告書」です。
ここには、企画展など学芸に関することではなく、管理事務のことばかり書いてある。学芸
員に事務手続きや管理体制をことさら厳しく押し付けてばかりいては学芸本来の仕事が進ま
ない。事務の専門として市職員がいるわけですから、学芸員は、必要なところだけきちっと
締めればいいのです。学芸員は、学芸の仕事をやるのが本来の任務なのです。ところが、こ
の委員会が言うことには、
学芸員は事務も大いにやらなければならないらしい。
「借用書」は、
館長ではなく市長までハンコをもらわなければならないとかで、やたらと大騒ぎしている。
しかし、カビや虫を発生させてしまっては、学芸員失格なのです。美術館というのは、
カビやクモがあってはならないところなのです。ただ、これは神田さんたちがいた時じゃ
ない。3人の学芸員が抜けてからですよ、そういう事件が起こりだしたのは。
○ 展覧会をつくり上げることは、クリエーション(創造)です。それが学芸員の一番の仕
事です。展覧会を開く。そのために研究をする。そのために必要な資料をそろえたり借り
たりする。それから、美術館のコレクションをつくりあげる。さらには、いろいろ普及関
係の事業も行う。それを新潟市美術館はきちんとやってきました。しかし、この「中間報
告書」では、これまでの学芸実績がまったく無視されている。これでは、正しい美術館評
価ではありません。
○ 建物だって凄くいいじゃないですか。先ほども見てきましたけど、図書室もある。これ
を「水と土の芸術祭」の会場として、あの美術館を使用して、人を呼ぶことだけが目的だ
というのなら、図書なんていらないのです。
○ 「中間報告書」には、「ホワイトキューブ」って盛んに言われています。皆さんもご存じ
でしょうが、「ホワイトキューブ」というのは「白い殿堂」の意味です。
「ホワイトキュー
ブは、世俗から切り離された崇高でストイックなイメージを与える」と、ここには注釈が
書かれています。それでいいじゃないですか。200 円でもいいからお金払って、そういう
空間に入って、じっくり見るっていう機会というのは、いいじゃないですか。カビやクモ
なんかがいるところで作品を見るよりも、ゆとりの場所でいいじゃないですか。この大事
な場所をなぜつぶす必要や理由があるのですか。
○ 私は、ここで新潟市民の皆さんにお願いするしかない。新潟市美術館の 25 年の歴史、その
歴史を無駄にしないでください。それを捨てようとしているのが、いまの状況です。歴史に
学ぶところは学んで、
それでゆっくりと歴史を超えていけばいいのです。
とにかく、
この問題を、
みなさんから、一人でも多くの新潟市民の方に、そして、文化人にもウワーッと広げてほし
いのです。3人の学芸員が戻って、また、楽しく明るい、そして真剣な場になってほしい。
○ 私は、虫も殺さぬ男なのですけれども、カビが生えかけているのですけども、大好きな
新潟市美術館がこのようなことになってしまって、これは何とかせねば、と思っていたも
のですから、本日、お話しました。
13
司会(笹木)
○ 新潟市美術館で問題が起った時、これは新潟市だけの問題ではなく、全国的な問題であり、
美術館というものの今後の行方にも関わってくる問題だと、私達は認識し、
「新潟市美術館
を考える会」を立ち上げました。その考える会の会員で、本日、諸事情で欠席した金澤さん、
日夏さん、そして地元新潟の実行委員の江村さんからメッセージが届いています。
岡野
○ メッセージを代読します。
金澤(メッセージ)
新潟市民の皆さん
今回の文化施設を巡る前代未聞の醜聞の末に、新潟市美術館を設計した大建築家、前川
國男氏の言葉を私は大きな感動をもって聞きました。
「本来文化というものは場所に根ざす、言わば風土と関わった概念として語られるべきも
のであった。ある場所が新たな建築や環境を獲得して活動を始め、それが風雪に耐えて生
き残っていく、その有り様を以って初めて施設は真に文化を奏でることができるのである。」
こうした精神をもって創設された社会の公器を大切に守ってきた美術館員や市民に対し
て、自己の政治的欲望と名声のためだけに利用しようとした時の為政者に対する唯一の抵
抗手段は、施設の一時閉鎖しかないと思われます。芸術文化の意味を解しない無能な首長
には、美術館を指導する力はありません。彼の任期中は閉館を続け、維持管理だけをして
は如何でしょう。人口 80 万の大都会のトップに相応しい人物が現れるまで数年間休館した
方が、ギクシャクした状態が続くよりはるかにいいように私には思えるのです。政治家は
地域の未来に責任があることをもう一度しっかり考えましょう。
金澤 毅(美術評論家、成安造形大学名誉教授)
日夏(メッセージ)
今回の美術館問題はわが国の“文化遅怠”を象徴する由々しいサンプルといっていい。
エコノミック・アニマルが文化を食い物にする醜い所業といってもいいだろう。
現代美術の名のもとに一部鋭い問題提起作品が含まれるにせよ、それをよいことに文化イン
フラとしての美術館装置に甚大なダメージを与える軽率なイベントを催し、かつ今後も続行す
るというのは、真の文化事業を“怠け、遅らせる”あるまじき公的背信行為といわざるをえない。
問題発生以前の堅実かつ粘り強い美術館運営の地点に戻らせ、とくに学芸諸氏を復帰させ、
新規巻き直しの展望で、
わが国の
“文化遅怠”
の汚名を晴らす手掛かりを構築して行くべきだろう。
日夏 露彦(美術評論家)
14
岡野
○ 最後に、協力会会員でもあり、また「新潟市美術館を愛する会」
、
「新潟市美術館を利用
している市民のグループ」の会員でもある江村章夫さん。江村さんは実行委員でもありま
すが、本日所用にて出席できないため、メッセージを寄せて下さいました。
江村(メッセージ)
私は、新潟市美術館のすばらしいコレクションを自分の言葉で語りたいと、美術館協力
会の作品解説部で喜びをもって勉強を続けてまいりました。
しかし、このところの美術館の状況に疑問をもち、
「新潟市美術館を愛する会」
「新潟市
美術館を利用している市民のグループ」の一員として活動を始めたのです。
近年を振り返って、芸術をつかさどる人については・・常日頃から、心清貧にして、誠
実に真実を求める人々を奨励し、且つ、人品豊かに他人の人格を尊重してことにあたれる
人でなければいけなかったのだ・・と思います。
本日、初代館長の林紀一郎氏のお人柄に接し、また、ご出席の専門家の方々の見識と美
術への情熱にふれ、皆様方におかれましては、それぞれの立場を超えて、美術館の原点と
これからのあるべき姿をご確認されることを願っております。
大好きな作品を目の前にしている時のように、希望を抱いて館を見つめ続けていきたいも
のです。
江村 章夫(実行委員)
司会(笹木)
○ それでは、スピーチを続けたいと思います。
名古屋
○ 私の名前は名古屋ですが、
単なる東京人です。東京から来た我々が急に偉そうなことを言っ
て、新潟市民の皆さんからむしろ反感を買うのではないかと、実は少し心配していました。
○ 私は「東京新聞」という新聞に去年の 12 月、今年の5月の末、それから今年の8月末と、
3回にわたって、この新潟市美術館のカビ・クモ問題に関してコラムを書きました。書く
たびに、新潟市の行政経営課長さんから抗議のメールが東京新聞に来ていました。しかし
それは、
「反論を載せろ」というのではなく、
「何でこんなものを載せるんだ」という趣旨
のメールなのです。反論があるのだったら、自分で、自分の役職名を添えて同じ新聞に投
書すればいいのに、そうはしないで、記事を載せさせないようにしようという、その手口
もちょっとぞっとしないのですが。
○ 私は、実は3回も記事を書いたにもかかわらず、今日初めて新潟に来たのです。はっき
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り言いますと新潟に取材に来ないで書いたのですが、逆に言うと、現地に来なくても書け
てしまうぐらいの、あまりにも単純で、かつ、あまりにも非常識な事件が、今回のカビ・
クモだったと思うのです。
○ なぜ、新潟にも来たことのない私が、東京に居ながら、東京の新聞にこれを書かねばな
らなかったのか、というのが大きな問題なのです。なぜ、私が書いたようなことが、地元
の新聞に載らないのか。載っていれば、
事態は何か変わったのかもしれないのに、
なぜか載っ
ていない。「毎日新聞」以外はほとんど、北川さんの肩を持つような記事しか載せていない。
だから、今回のこの問題というのは、美術館の問題というよりも、むしろマスコミの問
題であって、「美術館をどうするか」という以前に、日本の美術ジャーナリズムがおかしい
のではないか、ということを、私は言いたかったのです。
○ 現在のこの由々しき状態は、来月 14 日の市長選挙の結果を予想しますと、たぶんこれか
ら4年間続くと思うのです。ですから、あと4年間どうするかということを今のうちに考
えて、覚悟を決めて、金澤毅さんのメッセージにあったように、それこそ休館するのか、
あるいはまた4年後にどういう形で今のような問題を排除できるのかということを検討するべ
きではないでしょうか。
○ 結局、これは、美術館の問題というよりは、一つはマスコミの問題で、もう一つはやっ
ぱり政治問題なのです。ある意味で。ここでの政治問題とは、党派の問題じゃなくて、政
治を通して文化をどうするかという問題だと思うのです。いくらここでこういう会を開い
ても、結局、篠田さんは当選し、また4年間、こういう状態が続いてしまう。これが止め
られなさそうなのが、本当に残念です。
○ 「新潟市美術館の評価及び改革に関する委員会」が作成した「中間報告書」ですが、要す
るにカビ・クモという、誰が見てもおかしい問題があるのに、それを置いといて、林元館
長を含めて特定の人間が 10 年以上、美術資料選定委員会にいるとか、それから、借用書の
形式がちゃんとしていないとか、枝葉末節の問題を針小棒大に取り上げて、あんなものを
出して恥ずかしくないのかと思います。
こう言うと変に思われるかもしれませんが、例えば地方の美術館の場合は、地元の作家
さんなどとの良好な協力関係としての「癒着」は本来あっていい。それは「けしからん」じゃ
なくて「ほほ笑ましい」と言うべきだと思うのです。もちろん、事務作業も、別に新潟市
美術館がそうだったというわけではないのですが、多少のんびりしていてもいいのではな
いかと思うのです。変にそこばっかり、重箱の隅をつつくように報告書に挙げて、一体何
の意味があるのか。私の所にも中間報告書を一部送ってきましたけども、こんなことをす
るぐらいだったら、もうちょっと、収集予算など美術館の予算を増やした方がいいのでな
いかと思います。
○ とにかく、今の市長は、人気取りと体面を守ることにかまけていて、肝心の美術館とい
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うものには無関心。この金屏風の前で言うのもなんですが、新潟市美術館の今後4年間は、
非常に暗いという気がします。
○ 一つ提案なのですが、これからの4年間はもうじっくりと、臥薪嘗胆、将来に備えて戦
略を練って、その間に、新潟市美術館のような問題が今後、日本の別の美術館などで起こ
らないように、新潟から警告を発信したらどうでしょうか。
「新潟市美術館を考える会」も
含めて、こういう問題が全国に広がらないようにネットワークをつくれないものかなと考
えているところです。そんなことでも議論ができたらなと思いまして、今日、参りました。
本江
○ 私は新潟とはほとんど縁がありませんが、10 年以上前に、新潟県立近代美術館の分館と
して万代島美術館をつくるときの委員会の委員長として、その座をまとめたことがあり、
そのときに新潟には何回か来ています。新潟市美術館に関して言えば、私がシカゴ美術館
で見たルドンのすばらしいパステル画が日本に入ってきて、確か一時期フジカワ画廊にあっ
たのですが、その作品がいつの間にか新潟市美術館に収蔵されていたことを知り、
「ああ、
こういうものを新潟市美術館が買うのか(
「丸い光の中の子供」
、1994 年収蔵)
。いや、す
ごい見識がある美術館だな」と思った記憶があります。
私はこの問題が起こるまで新潟市美術館の学芸員の方と面識がなかったし、とりわけ新
潟市美術館と何かのつながりがあったわけでもない。しかしそういう私が、
「これはちょっ
と見過ごしがたい、許しがたい」と思うほどのこと、要するに「カビとクモの発生」とい
うことですが、今回、新潟市美術館で起こったわけです。
○ しかし、新潟市がこの問題の原因究明と解決のために立ち上げたはずだった「新潟市美
術館の評価及び改革に関する委員会」が作成した「中間報告書」では、
「昔の新潟市美術館
に何か悪いことがあって、その結果としてこういう問題が起こった」と、一貫してそうい
う論調なのです。読む人がそう思うように、明言は避けているが、そうほのめかしている。
私のところにもこの「中間報告書」が郵送されて来たましたが、この意図は送付状の文面
によくあらわれています。
「新潟市では4月にその問題」・・・その問題というのは、カビ・クモです。
「その問題の
解明と」
・・・いいですか、「その問題の解明と美術館の在り方についても併せて検証する
ために本委員会を発足しました。」
これは注意深く読まないと、
「この美術館には何か問題があったのだ。問題があったから、
こういうカビ・クモという問題を起こしたのだ」と、大体こういうふうに読まれてしまう。
これを全国に配っているのですよ、新潟市は。
○ 「中間報告書」には、この問題に関する新聞記事を載せていいて、新聞記事だけでも大変
なページ数をさいている。これも事情をご存じない市民や美術館関係者が読むと、
「新聞に
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これだけたくさんの記事が出たのか」と、つまりこれがすべてだとそう思わせるように非
常に邪悪な意図によってつくられている。実際、市にとって都合の悪い記事は、ここには
最初から載せていない。
「中間報告書」には邪悪な意図がこめられている、というのが私の結論なのです。
○ 毎日新聞社(東京本社)の学芸の記者から、去年、
「実は大変なことが起こった。これは
もう本江さんにお願いするしかない」と、夜遅く電話が来ました。新潟市美術館が展示室
に水と土による作品を持ち込んで、そこにカビが生えてしまった。これは毎日新聞として
も見過ごしがたいということで、コメントもらえないかということでした。私は、言いた
いことをはっきり言う人間なので、たぶんその記者も、私だからこそ、言いたいことを言っ
てくれるのではないかと思ったのでしょう。
私は「いや、それはちょっと聞いたことない。美術館としてあまりにも非常識なことだ」
と申し上げました。学芸員と言ってもいろんな考え方はあります。でも、例えばお医者さ
んであれば、盲腸とただの腹痛を見分けることができないなんてことはないわけで、この
問題は、そのレベルのことなのです。つまり、まっとうな美術館だったら絶対にこういう
問題は起こさないはずなのです。これを、皆さんによく分かっておいてもらいたいのです。
○ なぜこういう問題を起こしたかと言えば、市長が北川フラムさんを新潟市に呼んだ。そ
れも館長として。
私が北川さんと初めて会ったのは、東京都足立区の新庁舎にアートワークを入れること
に関わった時でした。作品の選定が終わり、実際にある作家の作品を新庁舎のどこに設置
するかとか、そういう具体的な話になったときに、区役所の方から「この方に会ってくだ
さい」と言われて、会ったのが、あの北川フラムさんだったのです。つまり、そういう斡
旋をして、そこでコミッションをもらうわけです。私はそのことがいけないとは言ってお
りません。ただ、公共的な美術館の館長に、そういう業種の人を据えること自体が、やは
りそこはちょっと非常識だと思う。まずそこからこの問題が始まっているわけです。
○ 美術館勤務の経験のない北川さんには学芸員が使いにくかった。それはそうで、古手の
学芸員なんてみんな使いにくいものです。私も府中市美の館長を8年間やったが、学芸員
というのは一国一城の主ですから、本来は上から命令するものじゃないのです。だから、
いろいろと話し合って、理解し合ってやっていく。ところが北川さんは、おそらくそうい
うことを全然しないままに「ああしろ」
「こうしろ」ということだったでしょう。当然、学
芸員の方だって反発しますよね。そこできちっと議論とかができればまだよかったのだと
思います。しかしずっとワンマンでやってきた人だから、
その議論がうまくできないのです。
北川さんには、みんなが「ウィ」「ウィ」と言ってくれていたわけですから。
そこで、結局、学芸員をかなり短い時間に配置異動した。配置異動したと言いますけど、
人事は市長の権限なのです。北川さんには人事権はありませんから。この市長は、聞いた
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ところによると「新潟日報」の学芸部長だったそうですね。これが学芸部長の見識でしょ
うか。
○ しかし、今回の事態はそういうことでは語りきれない。つまりこれは、本当は、新潟の
地域的な問題ではないのです。
私は、本当に新潟と何の縁もないのに、この「新潟市美術館を考える会」に入りました。
こういう前例がつくられ、
「美術館に学芸員なんていらないのだ」とか、
「学芸員よりももっ
と優秀な連中がいっぱいいる」などということが、全国に蔓延していってしまっては困る
のです。学芸員なんか要らない−これは北川フラムさんが常に言っていることなのです。
しかし「美術館」というのは、本来は文化財を保護していくところなのです。文化財を保
護して、研究して、企画、展示をしていく施設に、いきなりコンテンポラリー系の野外でやっ
ているようなものを持ち込むこと、それ自体がもう非常識だっていうことを全然、北川さ
ん自身が分かっていなかったということ、ここに本当の問題がある。
○ この「中間報告書」をつくって、「全部過去が悪かったのだ」というストーリーを捏造す
るということは、要するに身内のなかにわざわざ犯罪人をつくることです。新潟市長は、
新潟市美術館のなかに犯罪人をつくり、自分達の罪を隠ぺいしようとしているか、あるい
は目を逸らそうとしているのです。これは理不尽なことで、許しがたいことなのです。
しかも、他館の学芸員2名がその「評価及び改革に関する委員会」の委員として、この
ことに協力している。そういう委員会を設置するのはいいが、
「カビと虫の発生」は由々し
き問題なので、委員会をつくる以上は、あらゆる角度から検討した委員の構成というもの
がちゃんとなされてしかるべきです。しかし、今回のメンバーは、このように非常に重要
な問題を審議できる有識者なのかどうか、疑問です。新潟市の委員選出には、極めて意図
的な・・・邪な意図を私は感じます。
市長は、とにかく素直に反省をして謝罪するだけでよかったのです。それをしないで、
全部もともと悪かったのだとか、林紀一郎館長が悪かったのだとか、そんな言い方になっ
ているわけです。これはとんでもないことです。これは犯罪的なすり替えでしかない。
○ さらに私が非常に不愉快に思ったのは、
「評価及び改革委員会」とはまた別の委員会をつ
くって、内部調査のようなものを行ったことです。ここまでやると、普通の人は「ああ、
そんなにこの美術館はひどかったのか」と思ってしまう。
ここに、
その「新潟市美術館所蔵作品管理活用アドバイザー」による報告書(
「中間報告書」
中の資料6)があります。普通の美術館であればこんな人達は必要ないのです。学芸員を含
むこのアドバイザーなる3人が何をしたのか。つまり美術館の人間が、よその美術館に行っ
て「棚卸し」と称して作品を総ざらいしたのです。一方、委員会は裏側に回って、実習室の
シンクが汚いとか、そこここにゴミが散らかっているとか、その程度のことを延々とやって
いるわけです。実質的にやったのはそういう、要するにあら探し。重箱の隅をつついてあら
19
探しをする。それしかしていないのです。これがまっとうな学芸員のすることでしょうか?
○ 私達が考えているまっとうな学芸員というのは、研究も、日常的な業務もする、論文も
書く、署名原稿も書く、それから、コレクターとのちゃんとしたお付き合いもできる、アー
ティストに対してもやさしく振る舞って、人間的な魅力とその人の知識、能力というもの
で十分やっていける−これが、私が考えている「黒子」としての学芸員です。学芸員とい
うのは別に目立っていなくてもいいのです。でも、黒子として、立派にそういうふうに機
能できる、そういう喜びを持っている人間がずっと学芸員をやってきたのです、何十年も。
私の、あの 20 年(東京国立近代美術館での)
・・・要するに、これは、そういう黒子の学
芸員に対する冒涜なのです。それを皆さんによく分かっていてもらいたいと思います。
司会(笹木)
○ 私から補足させていただきます。いろいろお話がありましたが、カビの問題や虫の問題
というのは美術館ではあってはならないことなのです。それにもかかわらず、北川氏は、
「私
は仏像の専門家だ。専門家だから奈良の仏像展を私の手でやりたかった」と、言っている
のです。新潟市の美術館は博物館法に則った美術館だったのです。そして、文化庁から承
認された、重要文化財を展示できる新潟市の唯一の美術館だったのです。それなのに、カ
ビを生やしたこと、虫を発生させたことによって、文化庁から重文を展示するのに適切な
美術館ではないと判断されたわけです。要するに新潟の美術館を壊してしまったのです。
○ これは異動させられた学芸員のせいではない。ですから、新潟の皆さんから考えていた
だかないと、外で私たち「考える会」だけが声をあげても効果はないのです。新潟市美術
館はすばらしい美術館です。どうぞがんばってください。
林
○ 為政者というものは、たいがい、自分の在任中につくった箱物については責任を持つが、
その市長が辞めて次の市長になると、その箱物に責任を持とうとしないし、金も出したがらな
いものなのです。しかし、この美術館が開館した時の若杉市長は、川上前市長のプランを実
現してくれました。次の長谷川市長も若杉さんの気持ちを受け継いで私を支援して下さった。
○ ところが長谷川さんの次の市長、篠田君は、僕の大学の後輩ながら文化に理解を示そう
としない。彼が新潟市美術館にどのくらい足を運んだか、新潟市美術館のことをどのくら
い勉強したか。僕は残念で仕方がない。
いずれにしても、彼が市長であるかぎり、残念ながら新潟市美術館はあまり期待がもて
そうもない。市長が交替したときに、この我々の愛すべき新潟市美術館がどう展開してい
くか、僕はもうそれに期待するほかない。
20
村田
○ この「中間報告書」のことで、もう少し言いたいことがあります。
この中には、こんどの発端となったカビ、クモのひどい状況や問題点など、現在の新潟市
美術館が行ったことについての具体的な検討や意見、回答が、何故かみられない。
そのかわり、「前」のことについて、作品購入に「30 億円の資金を投じてきた」などと
書いてあります。資金、資金って書いてあるが、これは市民の税金ですよね。
「30 億円の
税金を投じて、いいコレクションができてきている」というのが、私たち美術関係者の見
解であるわけですが、どうも新潟市の側ではそう思っていない。もしも「これまでの美術
館は無駄金を使った」と言いたいのであれば、それが本当に無駄遣いかどうかも討議され
るべきだと思う。
○ 異動させられた学芸員たち、彼らは 25 年の間にすばらしい学芸員に育っているのです。
普通の会社なら、研究費を投じて、給料を払って、そしてエキスパートとして育った人材を、
よそなんかにまわしません。そこの仕事をさらに極めさせ、場合によってはトップ(館長)
にまで持っていって、その能力を活用します。新潟市では、それがどうやらなされていない。
○ それどころか「中間報告書」によると、今後の改革の方向性として、
「市内の文化施設と
の一体経営体制をつくる(学芸スタッフのプール化、人事異動・・・)
」というようなこと
が提起されています。これも専門性を無効とする方向への手配りではないかと思われます。
○ 「中間報告書」の中で言われている「市民に開かれた美術館」というのも概念的で実態が
ない。それゆえに便利な言葉として 90 年代辺りからか「市民に開かれた美術館」と盛んに
言われるようになった。「市民に開かれた美術館」というのは、本当に市民が満足できる美
術館ということです。美術館の使命の一つが作品の保存であり、そのためにはむしろしっ
かりと閉じられていなければならないのです。
○ 岡本太郎美術館では 12 ~ 13 回くらい岡本太郎芸術大賞っていうのをやっていて、年齢、
国籍問わず公募しているのですが、そうすると、まさにこのホワイトキューブのなかでじっ
くりと鑑賞するような作品よりも、新しいインスタレーション風とか、概念的なアイデアを
形にしようとする若者が、700 〜 800 人、応募してくるのです。そして 20 点程度が入選す
るのですが、するといろんな材料の作品が搬入されてくる。そういう時、美術館側は、虫
害などの懸念のあるものは、最初から外すか考慮してもらうのです。そういうことが現代美
術ではたくさんある。しかし、そういった、作品の保存や施設の環境保持に影響を与える
ような現代美術は、美術館の中じゃなくてもできるのです。もっとオープンで広い場所がふ
さわしい。そういうものを本気でやろうと思うのなら、新潟の野山も迎えてくれるでしょう。
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5 出席者と参加者のフリートーク
司会(笹木)
○ それでは、会場の方から何か質問がありましたら、どうぞ手を挙げてください。
参加者(1)
○ 私が一番知りたかったのは、何で北川先生が館長になられたのかということなのです。
実は私、母校の関係筋から「北川先生には近づくな」とか、
「協力会はやめたほうがいい。
何が起きるか分からないから」って言われていたのです。こんなふうに、かなりの方たち
が北川先生について「問題あり」と言っていらっしゃるのに、なぜ北川先生が館長に就任
されたのか。それが不思議でならなかったのです。
本江
○ 北川さんの評価というのはずっと前から分かれていて、皆が全面的に支持しているわけ
ではない。そういういろいろと毀誉褒貶(きよほうへん)がある人物をあえて新潟市の館長
として引っ張ってくる何の理由もなかった。私はそう思うのです。新潟出身ですか。
司会(笹木)
○ 新潟県の高田です。
本江
○ 普通の常識がある市長であれば、そこはちゃんと考えるべきだと思うのです。妻有の「大
地の芸術祭」と同じようなことを新潟市でも起こせないかと市長は思ったのでしょう。好
意的にはそういうふうに解釈できますけど。
参加者(2)
○ 私は協力会の資料整理部におりまして、新聞の切り抜き作業をしているのですが、日経
新聞の文化欄に、篠田市長が北川フラムさんとの関係を語っている記事のことを記憶して
います。
「学生時代から、もうすごく影響を受けたすばらしい人だ」と書いていました。こ
ういうことで北川さんを館長に選んだのだと思います。
しかし北川さんは、館長のほかに新潟市の美術企画監もやっていました。企画監という
のは何なのか分からないのですけれども。今回の「水と土の芸術祭」では企画料を取って
いるわけでしょう?企画監だったら、そのぐらいの提案をしたからといって別にお金を取
る必要はないと思うのですが、新潟市はそれも払ったのでしょう?
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参加者(1)
○ 美術館のことを話し始めると、私、涙が出そうになるんです。美術館が大好きですし。
司会(笹木)
○ 要するに、北川フラムさんは報酬も多額です。在任2年目には新津美術館の館長も、新
潟市美術企画監、新潟市美術館長と兼務したために月 40 万円を倍にして 80 万円にしたの
です。年間 1,000 万円近い収入です。それで、館に出勤したのは2年間の平均で月3-4
日ほどだと思います。新潟市は、それに対してこんな多額な金を払っていたのです。それで、
仕事をおやりになったのならいいのですが、新潟市美術館長としての文化的な仕事の実績
は殆どないですよね。そこが問題なのです。
○ 北川さんが館長を辞めたから、もう美術館問題は終わったという人が大半なのですけど、
そうではない。新潟市は、北川さんを擁護するために、前の体制が悪かったというイメー
ジをつくり出したのです。第三者委員会(評価及び改革に関する委員会)を設けて、作為
的な数字をやたらと挙げて、きちんと検証も行わずにマスコミに流したのです。
例えば、借用品の数が多過ぎるという事が大きく取り上げられていましたが、それなどは、
一人の作家について、作品以外の資料の写真1枚、葉書1枚を全部数えて、実際は数件の
まとまりを何百枚とか何千枚とかいう数字を出して、学芸員がいかにも大量に作品を借り
ているような言い方をするわけです。それに対して、学芸員の方は、
「市民による学芸員へ
の公開質問会」の場で誤りを指摘したのですが、報道されていません。委員会を傍聴され
た方もここにいらっしゃるようですが、あの委員会は、新潟市から出された「数字」を全
然疑わないで、そのまま受け入れて、そのままマスコミに公開する。マスコミはそのまま
報道する。ですからこの第三者委員会は、
「第三者」としての役目を果たしていないのです。
公平であるべき委員会が公平でない。実際に結果として不公平なわけです。
○ だから、委員会の言ったことの誤りや間違いが、一つ一つ暴露されてしまうわけです。
寄託品の数とか、未展示の作品の数にしても、展示しない作品はあって当たり前。例えば
遺族からまとめて作品を寄贈されたら、展示公開のときには、当然選別しますし、企画展
の場合には、その企画にみあった作品でないと展示できないわけです。公開しない作品も
市民の財産です。
○ そういう当たり前のことが、なぜ、こんな問題になるか、ということについて、本江さん、
発言をお願いできますか。
本江
○ 要するに委員会の委員たちには「見解の相違」という考え方がないのです。だから、正
解は1つ。それも、勝手に自分達で正解をつくってしまっている。これに合ってないから
23
だめだ、という問答無用の一方的な言い方になってしまっているのです。しかし、学芸員
というのはいろんな考え方があるし、美術館だっていろんな美術館がある。人間がやって
いるのですから、正解が1つしかない、ということはないはずなのです。だから委員会は、
重箱の隅をつつき、「何かあら探しをするための材料はないか」ということをやっているだ
けなのです。
この「中間報告書」には、館内が以前から乱雑だったという証拠として、たくさんの写
真が載っていますが、乱雑になったのは、あの3人の学芸員を排除したあとの話です。
○ 私の本当の結論を申し上げます。やはり、放逐した3人をちゃんとこの館に戻すべきだ
と思います。そこで初めてリセットができる。そこで初めてやり直せばいいと思う。本来は、
それだけのことは十分にできる能力を持っている美術館です。
林
○ マスコミの話題が出ましたが、この新潟市美術館問題については、朝日新聞が意外と取
り上げていない。僕が信頼する朝日のジャーナリストに「あなた、あれほどかつて先輩に
ついて大きく取り上げたのに、なぜ北川フラム氏の問題を取り上げないのか」と言ったら、
彼は口を閉ざして語ろうとしない。同じ芸大出身だから批判しにくいのだろう。その代わ
り若い記者に、多少語らせましたが、それ以外、この問題を朝日は取り上げてない。また、
かつての僕の部下だった者が新潟で美術評論家をやっているが、彼もどちらかというと北
川氏の側で書いている。残念で仕方がない。
○ ほんとうは、今日ここに、市長と新潟日報の関係者にいてほしかった。新しい館長がど
ういう人か僕は知りませんが、その人も来ていない。そういう方々がいない場で、我々だ
けで、反体制デモをやりかねない、そういった切羽つまった状況にあるわけです。これで
はどうしようもない。だからこそ、しっかりと状況を見極めた公正な取り上げ方を、マス
コミに期待したい。
司会(笹木)
○ マスコミの方がいらっしゃっているようなので、お願いがあります。
いままでの報道は「強者の報道」なのです。市側が提示する一方的な情報を報道するだ
けで、
「弱者の報道」をしていない。だから、
そういう市民を悲しませないでいただきたい。
「松
本サリン事件」で被害者が、一方的に疑われてたたかれたことがありましたよね。あれは
マスコミに問題があった。新潟市美術館の問題も、同じ根っこなのです。ですから、記者
である前に一人の人間として、市民の言葉を少しずつ拾って記事にしていただきたい。そ
れをお願いします。
24
参加者(3)
○ 私は、
「新潟市美術館を考える会」事務局の仕事を任されております三輪と申します。皆
さんのなかには会のホームページをご覧になっている方も大勢いらっしゃると思いますが、
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
○ 私は、関東に住んでおりますが、10 年ぐらい前のことですが、美術に関わる仕事をしな
がら、新潟に少しの間住んでいました。そのときに、短い期間でしたが、協力会にも在籍
していました。今日、協力会の方々のお話も聞かせていただいて、私も、前の学芸員の方々
が、どんなに作品を大事にしていたか、ということをお話したいと思いました。当時私は、
額装の仕事をしておりまして、前の学芸員さん達と仕事をさせていただく機会もあったの
です。例えば、阿部展也の作品、ジョセフ・アルバースの作品などを額装させていただき
ました。そのときは、作品保存の点から、アクリル板、マット、裏板をどうするか、また、
どのように作品を固定したらいいか、そうしたことをかなりの時間をかけて綿密に話し合っ
て、後世に残っていく作品だ、ということを肝に銘じて作品を額の中にセットしていきま
した。私は新潟出身ではないのですが、先ほど笹木さんがおっしゃったように、私にとっ
ても新潟は、第二の故郷です。そこで、後世に残っていく作品を額装するという誇りにで
きる仕事ができた、と喜ばしく思っておりました。
○ ですから、このような今回のカビ、クモ、虫の事件が起った時には、愕然としました。「10
年前にマスクをして、手袋をして、綿密な打ち合わせをしながら額装をした、あの仕事は
何だったのだろう」と、憤りを感じております。
○ 私はまだ子育て真っ最中の若輩者です。皆さま方の中でお子さま、お孫さまがいらっしゃ
る方は、お子さま、お孫さまに本日聞いたお話をていねいにお話ししてあげてください。東
京から来られている先生方のお話を教えてあげてください。きっと分かることもあります。私
もそう思って、小学生の子供に話しました。すると子供は学校で先生に話したそうです。遠
い新潟の話ですけれども、先生は「ああ、先生もニュースで見たよ」と言ってくれたそうです。
林先生がおっしゃった「100 年かけて育てていく美術館」
。お子さまたち、
お孫さまたちは、
いずれ大きくなって、美術館のことも考えられる年代になっていきます。
○ ぜひとも周りの方々にもどんどん広めていってください。草の根で、少しずつ新潟市民
の方達に、そしてもっと沢山の方達に浸透していってほしいことだと思っております。そ
のようにして、市民の皆さんが、以前の美術館に戻していかれることを望んでおります。
司会(笹木)
○ 時間がまいりましたので、開館 25 周年記念、協力会結成 15 年、新潟市美術館を大いに
語る会、これで終了させていただきます。ありがとうございました。
午後 4 時 15 分終了
25
「新潟市美術館を大いに語る会」参加者アンケート
回収:10 月 30 日/ 集計:11 月 2 日
参加者数合計:103 人/ 回収: 65 件(63.1 %)
性別
年齢層
45
45
40
40
35
35
30
30
25
25
20
20
15
15
10
10
5
5
0
男性
女性
無効回答
0
10 代以下
20 代
30 代
40 代
50 代
60 代以上 無効回答
居住地域
30
25
20
15
10
5
0
北区
東区
中央区
江南区
秋葉区
南区
26
西区
西蒲区
東京都
市内・区域不明
千葉県
無効回答
新潟市美術館過去25年の魅力
コレクションの内容・質
コレクションの量
落ち着いた雰囲気
賑わい
清潔さ
自由・開放的
展覧会の内容・質
スタッフの人柄
市民との親和性
行政・政策との一体性
建築の質
立地条件
信頼性・安心感
革新性・実験的
高度な専門性
分かりやすさ
魅力はなかった
無効回答
0
5
10
15
20
25
30
35
40
<その他自由回答>
自主企画/大変好意的に対応してくれた(過去)/有能な学芸員/
学芸員の方それぞれにそれぞれの魅力があった/市展、市民との密着性が大きかった/
職員の対応は良くない、笑顔がない(現)
27
感 想
天候の悪い中、よく集まってくださったと思います。旧学芸員、現美術館の職員、等々、
よく来て下さったと思います。それに東京からも熱い声援ありがとうございました。
(中
央区・女性)
昨年来大きな問題を抱えながらも、市民の皆さんが、美術館を見すてずに、長い目で期
待感を寄せている姿に明るさを感じました。
(東京都・男性)
とにかく、以前の様な美術館として機能してほしい。子供の講座(子供に与える影響は
大切)だけでも・・・。様々なお方の思いが聞けてよかったです。この問題をまわりに話
していきたいです。(西区・女性)
参加し大変感激致しました。不思議に思っていた事が少し解明されました。
(西区・女性)
この美術館をうれう各有識者のご意見に感銘しました。草の根の力で少しでもよくして
いく運動に賛同します。新潟市民はあの拉致問題を、新潟小学校の同級生と先生から始め
た実績をもっている市民です。必ず大きな波を起こせると思います。
(北区・男性)
先生方の市美を、一生懸命に考えてくださってる姿に感動しました。協力会の一員とし
て頑張ろうと思います。(中央区・女性)
参加させていただいてよかったです。美術館を良くしようというみなさんのお話でこれ
から良くなってくれる事をいのります。
(西区・女性)
林さんはじめ皆様の熱意とお考えに感謝いたします。この会がもたれたことが、美術館
をより深くしることになったと存じます。この会を機にこれ以後も将来に向け本来の姿を
とりもどし市民と親しめる美術館として成長することを願いたく思う。
(中央区・男性)
大変よかった。学芸員をもとにもどすこと。みんなの美術館だヨ !!(中央区・男性)
中央から市美の事を真剣に考えて下さっていることを知り、感謝致します。市美の今後、
絶対にこの様な事のなき様、目を向けていきたいと存じます。
(東区・女性)
市民のための美術館をめざそうとしている方々のお話が聞けて、
大変よかった。
(中央区・
女性)
28
今日は来て良かったです。色んな話を聞いて胸がいっぱいです。これだけ皆さんが美術
館の事、考えている事に、市民として感謝です。
(中央区・女性)
新潟市美術館に愛情を持って来られた方の存在に感動。市民がもっと深く考えるべきと
思います。市長に参加して欲しかった。
(東区・女性)
大変良い会でした。それぞれ専門の方達のお話が聞けた。今後の美術館の有り方を学ぶ
ことができました。今後、30、40 周年を機会にこのような会を開催していただきたいと
思います。市民の美術館、開かれた美術館であって欲しい。
(江南区・女性)
新潟市美術館のことを、市民ではなく東京在住の皆様が心から心配してくれており、我々
市民ももっと現状を知り立ち上がるべきと思いました。
(西区・女性)
今日の実情が分かった。また、以前のように、親しめて、参加できる館に戻ってほしい!
(西蒲区・女性)
感動的な話、評論家の話に感動。市民はもっと立ちあがらなければ。
(中央区・女性)
最近、講習会とか旅行とか(参加したいものも)ない。
(中央区・女性)
もっと市民の協力などをいただいたり、一般の方も参加できるとよい。
(西区・女性)
学芸員の方々を元にもどすべき。この方々は市の財産です。
(江南区・女性)
結局は現場の人の質-行政-選挙こう考えると問題は美術館個のことではなくなる。
(西
区・男性)
まだ沢山言いたい事、聞きたい事がありました。ぜひ又機会が欲しいですが、壇上の方
が言われたように、美術評論の方、新聞が書かなければコップの中でさわいでいるような
もの。いわれたように新潟だけでなく全国の美術館のこれからのために新潟から発信する
ためのお手伝いをしたいです。(中央区・女性)
29
県内に多くの画家、アーティスト等、他県におとらぬ程居られます。文化人も多く、何
度でも多くの市民に紹介されても、あきる事は無いと思います。くり返しの展示でもかま
わないと思いますので、市民の要望など募集したりして、市民ならではの良い美術館とし
て、建物の良さ共々愛されていくことを、祈るだけです。市長の権限で、美術・文化財管
理をまかせるというのは、問題があるのではないでしょうか。なぜなら、市長さんなどは、
選挙だけで選ばれるだけで、やはり専門分野の人が管理するシステムにすべきではないか。
(西区・女性)
問題が発生し、その解決方策が大変そこつであったことは明白です。為政者が何をした
いのか分からなかった自分がくやまれる。正常な美術館にもどす努力はおしまない。
(市内・
男性)
カビ・クモ事件の主たる責任は勿論市長ではあるが、直接現場に接し、直接の責任は北
川フラム氏にあります。その北川フラム氏は、この事件が起きて、本人は何ら市民に謝罪
することなく、古参の学芸員に責任をなすりつけるとは許せないことである。新潟市民を
「バカにするな」と北川フラム氏に言いたい。
(中央区・男性)
新潟市美術館の問題が、全国的レベルでの問題であり、何も解決されていないどころか、
いまだ深刻な事態であることを初めて知り、市民として知らずに過ごしてきたことをとて
も恥ずかしく思いました。しかし、市民には初めて聞くことばかり。パネラーの美術ジャー
ナリストが書かれた記事について、書くたびに市役所からクレームがついたという話を聞
き、また、委員会の中間報告書には、批判的な記事は載せていないことなど、情報統制が
あることも知りました。事実を表に出して広めるにはどうしたらよいのか。市民が自分た
ちの問題として真剣に考えていかないとだめだと思いました。
(北区・女性)
本江氏のお話は、本質的なことを突いていただき、すっきりといたしました。では、私
たちは今、具体的にどう動けばよいのか・・・。
(中央区・女性)
中央からわざわざ来て下さった村田、名古屋、本江氏のきちんと冷静にみつめた意見に
感動! 新潟市美術館はこの人達の言葉を肝に銘じ、元学芸員を戻し、本来の美術館とし
ての機能が働く場にして欲しいと切に望みます。
(東区・女性)
30
北川氏のことや、カビ・クモ事件のことは過ぎたことで、これから前向きに改めてゆけ
ば良いだろうと、正直にいえば本日までそのように思っておりました。ところが、私ども
市民が、市の行政や日報の報道を通じて、そのように思わされていたのではないかと、本
日は深く考えさせられました。これは大変恐ろしいことであります。東京からわざわざ先
生方がいらして心配なさっている理由がよくわかりました。
(中央区・男性)
真実を、大多数の市民が知らずにいること。今日の会の出席者ももっと多くほしかった
こと。マスコミに対するはがゆさを改めて痛感しました。今日、発言して下さった方々の
存在、
御発言に力強い味方を見出しましたが、
問題解決はまだほど遠いことを思います。
(西
区・女性)
どんなに市民が、何を言ってもマスコミは
(日報)
取り上げてくれない歯がゆさ。
(中央区・
女性)
名古屋さんが語られたように、これはマスコミの問題であり、地方政治の問題だと思っ
ています。一方的な報道がいかに真実を見えにくくしているかと思います。
「もうひとつ
の新潟」が見えてくるような発言でした。とても大切な場に出させていただいたと思いま
す。ありがとうございました。(北区・男性)
今まで一方的なマスコミ報道により捻じ曲げられてきた真実が、新潟の市民の皆様の前
で明かされてきたことは大きな事ではないでしょうか。この問題は「美術館好き」の「美
術愛好家」に対してだけの問題ではないという根の深さがあるということ。このことが、
新潟市にお住まいの皆様に届いて行けばと願っております。そして、日本中で同じ過ちが
繰り返されないことを願います。(千葉県・女性)
あまりにも単純な理由が、カビ・クモをまねいた。市長がまた四年続くと思うが、そう
したらこの四年間は美術館を停止すべきである。
(中央区・女性)
日報の記事でしか知り得なかった市美術館の問題が、多方面のパネラーによってより明
らかとなり、有意義でした。ギャラリーと絵画を愛し、巡りを楽しむ者として一刻も早く
従来の市民の立場にたった美術館の再建を願うばかりですが、現市長の継続が見通される
事では、100 年の大計で通すスパンも必要かも知れないと思います。
(江南区・女性)
31
大変、有意義な会だったと思います。せっかくのこの会を、イタリア軒サンマルコの会
場で終わりにしてはだめではないかと。公共の、あるいは新聞などのメディアに乗せてい
かないとだめではないかと思います。諸悪の根源は何なのか・・・。それは市長。市長選
をどうしたらよいのか・・・。考えないといけない時期に来ていると思います。
(西区・女性)
以前から思っているのですが、前市長の長谷川さんは、常設展の配置換がある都度、美
術館に来館され、学芸員の案内の下、質問をされたり、和やかに談笑している場面を良く
見受けましたが、現市長の姿を見たのは、今回のブリューゲル展のオープニングが初めて
でした。本来、市美術館は市民や市在住の芸術家の要望から誕生したものです。上目線か
ら見ないで、市民レベルの視線で考えてもらいたいです。
(西区・男性)
食事が体の栄養であり、芸術は脳の栄養であると思う。なぜこのような問題が起きたか
を考える時に、市長の発言を聞くにつけ反省どころかまるで他人事であるように聞こえて
いました。篠田市長は文化に無関心であるように思います。
(中央区・女性)
市長は美術館、フラム館長(元)の評価は誤ったと思う。高額な給与を与え、一部の市
民だけが好む「水と土」の大々的な芸術展は無駄であった。市民の税金を多額に使って効
果が少ない。問題の多い市美術館の責任をとって欲しい。市長を辞
(落選)
して欲しい。
(江
南区・男性)
今回の問題の発生、それはすべて市長の浅はかな行動に由来する。まず北川フラム館長
の任命、その後発生した事件。一つは学芸員の配置換え、二つ目は改革委員会という無能
な委員を選任したこと。これらの行為は今問題となっている「検察の筋書き通りに納めよ
うとする方式」と同じであり、税金の無駄遣いにも通じている。今後の改善は「放出した
学芸員の復帰」から事を始めるべきであろう。
(西区・男性)
今回のカビ・クモの問題がおこるまでは、何の疑問もなく、不満もなく、美術館の企画
展を見、たくさんの実習講座に参加し、ただひたすら楽しんだという思いしかありません
でした。それが突然、講座も行われなくなり、展覧会もなくなり、残念です。以前は経費
が減らされても、所蔵の作品をテーマをもって工夫し、素晴らしい企画展をやっていまし
た。市長は、美術館を政治の具としてほしくない。怒りを感じます。現在は、美術館は市
民に開かれていないばかりでなく、利用しにくくなっています。
(中央区・女性)
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