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<博士学位論文要約> シャトーブリアンにおける自由の表象 高橋 久美
<博士学位論文要約> シャトーブリアンにおける自由の表象 高橋 久美 シャトーブリアン François-René de Chateaubriand は、1802 年に『キリスト教精髄』Génie du christianisme で文学者として成功を収め、キリスト教の擁護者としての名声をすでに得てい た。そのあと、この作家が「キリスト教の勝利」を主題にして古代ローマ世界を舞台に執 筆した物語が、1809 年に発表した『殉教者たち、あるいはキリスト教の勝利』Les Martyrs ou le Triomphe de la religion chrétienne である。こうした主題の選び方そのものは不思議ではな い。しかしながら、『殉教者たち』を読んだあとにはある種の違和感が残る。第一に、彼の 代表的な作品『アタラ』Atala、 『ルネ』René の作中人物とくらべて、主人公があまりに素直 な性格である。第二に、複雑な筋のなかに、自然描写、超自然の存在、宗教、大旅行、地 方色、民族、といった数多くのテーマが盛り込まれていて、キリスト教公認という物語の 結末はむしろ影が薄く、何かほかに作家が伝えたかった意図があるのではと考えさせるも のがある。第三に、この作品を最後に、シャトーブリアンは文学作品を書くことはなくな り、彼のほぼ 80 年にわたる人生(1768.9.4-1848.7.4)の後半は、復古王政期の政治家としての キャリアと、歴史考察、政治論文、回想の執筆に費やされることになる。つまり『殉教者 たち』は、ちょうどシャトーブリアンの人生の分水嶺に位置するといえるのだ。 そこで、本論文では『殉教者たち』を中核に据えて、第一部ではシャトーブリアンをは ぐくんだ 18 世紀の文芸思想のキーワードのひとつ、「自然」を軸に考察を行い、シャトー ブリアンが初めて世に問うた『革命試論』Essai sur les révolutions を主に検討した。そして 第二部を『殉教者たち』の具体的な文学テクスト分析に充て、第三部において、シャトー ブリアンの他の文学作品も取り上げつつ、彼が後半生に記した歴史考察と政治論文を分析 し、この作家の向かった先を見定めようとした。以下が各部の詳細である。 第一部、第 1 章では、18 世紀にいかに大きく自然のイメージが変貌していくかを概観し た。第 1 節では、17 世紀に排除されたかに見えた自然に精神性を認める神秘主義が、古典 主義のなかで生き延び 18 世紀前期に蘇ってくること、18 世紀なかばには古くから続いてき た古典主義的世界観と自然の意志を認める世界観との共存状態が刷新され、新しい自然感 情の文学が開花することを確認した。第 2 節では、絵画、彫刻、庭園、建築といった、視 覚に訴える造形美術の中に、人間と自然の関係の無意識的な変遷をたどった。絵画のなか での風俗画(ジャンル画)と歴史画の対立、そして風景画の確立に注目し、とりわけ「廃 墟」を分析した。「廃墟」は、自然の力と人間の力との対決の結果を描き出すもので、大自 然の中の人間の忘却の証しである。廃墟を目にして抱く、人生のはかなさに対する憂いや あきらめは、そのまま 19 世紀ロマン主義に直結していくものだ。第 3 節では、エドマンド・ バークの提唱する「崇高」の原因である、描かれる対象物の「曖昧さ」「陰鬱さ」は、シャ トーブリアンの文学的テクストの特徴のひとつでもあり、ブルターニュ生まれのシャトー 1 ブリアンが、フランス的「明晰」の美学ではなく、むしろ同じ古のケルト文化圏であった アイルランド出身のバークの説く崇高美学の後継者であることを裏付けるものであると論 じた。そして第 4 節では、ヨーロッパ文学に描かれてきた「庭」のテーマのなかで、シャ トーブリアンの描く自然は、18 世紀までの「囲い」によって「閉ざされた庭」ではなく、 「開かれた庭」であるとした。もはや囲われて保護されていない、庭の外へと自然の無限 性へ開かれていく視点、自然の拡大と氾濫は、自我の拡大と氾濫に直結する。アンシャン・ レジームという「閉ざされた庭」が破壊されてフランス革命が到来するのである。 第一部の第2章では、シャトーブリアンにとってのルソーの存在の意味を分析した。第 1 節と第 2 節では、シャトーブリアンの『革命試論』に見られる『エミール』への高い評価 と同時に、欠点の指摘や暴力的な革命を引き起こしたこの作品への遺憾の意など、彼のル ソーへの共鳴と両義的な感情を検討した。シャトーブリアンはルソーに心酔していたが、 カトリック擁護者となって亡命先のロンドンから帰国し、ルソーへの態度を急転回させる ことになる。第 3 節では『革命試論』と帰国後の『アタラ』(1801)との比較を通して、この 二つの作品の間に見られるアメリカ・インディアンの描写の違いのなかに、文明と自然の 関係についての観念の、シャトーブリアンのなかで起こった変化を分析した。そのうえで 第 4 節では、シャトーブリアンはルソーへの批判的な態度の裏で、生涯感嘆の念を抱き続 けていたことを論じた。 第一部の第3章では、第 1 節でリンネとビュフォンの「博物学」を確認した。第 2 節で は、自然の概念が刷新されることで、18 世紀を通じてさまざまに分化し多様なものとなっ た無神論を扱い、なかでもドルバックの唯物論的な無神論に対抗しえたルソーとヴォルテ ールの理神論をとりあげた。この問題について、第 3 節において『革命試論』のシャトー ブリアンの態度を検証したところ、彼は理神論(自然宗教)と絶対的な唯物論との間で逡 巡を続ける懐疑論者であったといえる。第 4 節ではシャトーブリアンの抱く自然宗教観に 踏み込み、『革命試論』の宗教の原初形態について述べた箇所を検討した。そこではルソー の牧歌的自然状態における自由と平等を享受する自然人のイメージを、ベルナルダン・ド・ サン=ピエールの素朴な摂理思想を介しつつ、反映していることがうかがえる。 『革命試論』 執筆当時のシャトーブリアンは、ルソーの弟子として、人間の文明社会に対置させて、政 治的真理としての「自然状態の自由」を称揚していた。シャトーブリアンにとって「自由」 とは「独立」、つまり「あらゆる隷属からの解放」であった。第 5 節では、シャトーブリア ンは 18 世紀のあらゆる思想潮流によって育まれており、 『革命試論』では確固たる立場が 定まっていないけれども、18 世紀人であることが明白であると結論付けた。第二作目の『キ リスト教精髄』以降、啓蒙哲学に反抗する態度を意識的に標榜することで、19 世紀フラン ス社会での役どころを確保することに成功したものの、彼の論理は本音と建前との間でね じれが生じて、しばしば両義的なものとなってしまうのである。 第二部、第1章では、イタリアのキリスト教叙事詩『解放されたエルサレム』と、シャ トーブリアンとの関連を論じた。第 1 節では、タッソの叙事詩のなかの一挿話が、『殉教 者たち』の中では中心的な場面に格上げされていることを指摘した。第 2 節では、『殉教 2 者たち』の作中人物のなかに、いかにタッソの叙事詩の作中人物が反映されているかを分 析した。そして第 3 節では、シャトーブリアンが国民的叙事詩の創作を目指し、同じ野心 を抱いたヴォルテールを批判すると同時に参考にもしていた点を確認した。第 4 節で、シ ャトーブリアンはタッソに倣いキリスト教の英雄叙事詩と叙情的な恋物語との融合を図っ たが、単に手本に忠実だっただけではなく、独自の新たな人物像をつくり出していること を指摘した。ガリアのドルイド教の巫女ヴェレダは、ディドやアルミーダとは画然と異な って、恋人に恨みを抱くどころかかばいつつ、民族の誇りを宣言して最期を遂げる。生命 力と同時に死への狂気にも満ちたヴェレダは、シャトーブリアンの描く女性作中人物の中 でもとりわけ異彩を放っており、作家の原風景であるブルターニュの海や森のイメージに 刻み込まれた、荒々しいが優しいシルフィードの姿を提供しているといえる。 第二部、第2章では、第 1 節で、バトゥーやデュボス師の芸術理論を確認した。第 2 節 では、シャトーブリアンがこうした論に沿って『殉教者たち』を執筆し、ボワローが禁忌 としたキリスト教の驚異を用い、さらにコルネイユの『ポリウクト』がなしえなかった、 主人公の殉教による天上での栄光と、地上の結びつきである夫婦の愛との両立を成就させ て、古典主義文学理論に挑戦していることを論じた。 第二部、第3章では、絵画や彫刻といった造形美術に関しては単なる愛好家であって、 18 世紀的な意味での「大家」であったシャトーブリアンと同時代あるいは過去の芸術作品 を検証してみることによって、文学創造の内奥により深く迫ろうとした。第 1 節では、同 時代のプロテスタントの画家カスパー=ダーヴィト・フリードリヒの描く孤独な旅人の人 物像は、ルネを含めたシャトーブリアンの青年主人公たちに共通しており、18 世紀末から 19 世紀に移りゆく時期を生きる人間のひとつの姿であるとした。第 2 節では、シャトーブ リアンが『殉教者たち』において、あえて「驚異」le merveilleux を用いたことで生まれた 効果を検証した。キリスト教の驚異を用いるという禁忌を犯しつつ、超自然を提示するこ とで、文学の伝統を継承していることを示すのと同時に、一種の宗教画のような雰囲気、 古代ギリシア悲劇の舞台の空気をまとわせることに成功しているように思われる。読者は あたかも美術館のなかで古典主義や誕生しつつあるロマン主義の造形作品を次々と目の前 にするような錯覚に捉えられるからである。第 3 節では、当時ヨーロッパで流行した『オ シアン』をとりあげた。ヴェレダのエピソードはケルトの古い歌の体裁をとる『オシアン』 と結びついているのは明らかであるが、単にオシアン的であることを超えて、荒れ狂う波 に託された人間の情念の絶頂状態、さらには嵐を呼ぶルネの叫びと同じく、死の世界への 衝動が表現されているのである。こうして、自然描写と人間の欲望や衝動を結び付けた場 面にこそ、シャトーブリアンの作家としての面目躍如たる姿があるといえる。 第三部の第 1 章、第 1 節では、シャトーブリアンの旅行体験と紀行文との関係、歴史考 察論文、作家自身による『殉教者たち』へのコメントを検証し、『殉教者たち』が一定の同 時代性を備えることを示した。第 2 節では、大革命後間もない 19 世紀初頭における「殉教」 の意味と、形成されつつあるフランス国民意識を検討した。フランク族の戦闘場面や、ガ リア民族の反抗シーンは、洗練されてはいるがすでに退廃の時期に入ったギリシアやロー 3 マと明らかな対照を為している。年老いた社会は、新しく歴史に登場してきた蛮族の血と 混じりあい、いったんカオスに戻るが、やがて再生するという「蛮族の神話」を『殉教者 たち』は包含していて、革命後の混乱のなかから再生しようとするフランスの姿を『殉教 者たち』の蛮族に重ね合わせることができるのである。第 3 節では、 『キリスト教精髄』で 描かれる青年シャトーブリアンが、神の啓示ではなく、彼自身から発した償いの欲求から 回心するように、『殉教者たち』の主人公ウドールの物語も、二度の回心とそれにともなう 旅の物語であり、主人公の人間的成長の物語となっていることを論じた。シャトーブリア ンにとっては、万物の父なる神、その神に代わり地上での父権を担う王家、そして王権の 下で父祖たちが築き上げた祖国の伝統、それらへの反抗ののちに、懺悔してそこへ戻って くる「回心」という行為がきわめて重要だったと考えられる。しかし、祖国や伝統のため に完全なる自己犠牲に徹することが、「個の自由」に敏感なシャトーブリアンに可能であっ ただろうか?その答えを求めて、つづく第 4 節で、シャトーブリアンのほかの文学作品に 描かれた回心の場面を分析した。『アタラ』、『ルネ』、『ナチェーズ族』 、『最後のアバンセラ ージュ族の冒険』では、個の自由な感情と先祖・祖国への義務の間で逡巡する作中人物ら が描かれている。これらの人物のなかで、神から見放され、自分から祖国も捨てたルネは、 シャトーブリアンの描いた人物のなかでひとり際立つ存在であるといえる。宗教も、家族 も、祖国も、彼を繋ぎ止めようとするあらゆる鎖を、自我の命ずるままに断ち切ろうとす る点で、ルネはもっとも自由で革新的であると同時に、もっとも孤独である。こうした自 己破壊的なルネは、『キリスト教精髄』の青年シャトーブリアンと『殉教者たち』の主人公 ウドールの対極にあるといえる。シャトーブリアンにとって、思考・感情、そして行動の 「自由」は、旧体制下であろうと革命後であろうと、ひとりの人間にとって基本的なもの であり、常に欲し続けたものであった。しかし、それをめぐる闘争はあまりに血なまぐさ かった。無名の一青年を主人公にした『殉教者たち』は、作者にとって、兄やマルゼルブ を含め、革命で死んでいったすべての人々への鎮魂歌ではなかったのではないか。動乱を 生き残ったシャトーブリアンは、革命の犠牲者たちのことを、フランスが新しい社会へと 再生するための殉教者として考え、この作品をオマージュとしてささげたのではないのか、 と私なりの『殉教者たち』という作品の意味を導きだした。 第三部の第2章では、第 1 節、第 2 節で、シャトーブリアンの歴史考察である『フラン ス史の理論的分析』(1831)を主に検証した。シャトーブリアンの政治的理想は、正統王朝を 戴く自立性を備えた貴族政治であり、イギリス型の立憲君主制である。フランス革命以降 19 世紀の歴史の主役となった民主主義と民衆の起源をルイ 14 世の時代にあるとするシャト ーブリアンは、大革命を歴史の断絶と考えるのではなく、むしろその前後の連続性を重視 する。シャトーブリアンにとって、ルイ 14 世とナポレオンは対にして語られるべき専制君 主であった。そして絶対王政が進めた中央集権化により、政治、宗教、文学の自由が奪わ れたことを告発するのである。第 3 節では、シャトーブリアンの歴史の裏側を告発しよう という意思を、『墓の彼方からの回想』と、最晩年の『ランセ伝』(1844)に確認し、第 4 節 では、フランス王家の地下霊廟を「廃墟の帝国」と呼ぶシャトーブリアンの、この世の全 てに空虚を見る感受性を検証した。時間にはこの世のいかなるものも抗えないとし、すべ 4 ては空虚なるものとする悲観的展望は、『キリスト教精髄』から晩年の『ランセ伝』にいた るまで、シャトーブリアンの奥底に流れているのである。 第三部の第3章では、 『殉教者たち』以後のシャトーブリアンの社会活動を見るため、彼 の政治論文と『墓の彼方からの回想』を検討した。第 1 節で、1814 年時点では、シャトー ブリアンは自らの出身階級であるアリストクラシーが、新たな立憲王制において再び政治 的役割を奪還する可能性を信じていることを見た。第 2 節で、七月革命前後のシャトーブ リアンを検証した。彼はトクヴィルに先駆けて、フランス革命の象徴である「自由」と「平 等」が相反する性質をもつことを看破し、民主主義社会において自由を保証する手段であ る「出版の自由」を、いかにしてその濫用による暴力を防ぎながら実現していくべきかを 模索していたのである。第 3 節で、シャトーブリアンの闘いの最優先事項を確認した。そ れは、出版の権力からの独立であり、そのための検閲の廃止であった。言論の自由を求め て闘うシャトーブリアンは、サント=ブーヴの表現を借りれば「羽ペンの壮麗な決闘家」 であった。彼は、完全なる平等化という看板がいくら素晴らしくとも、その裏に、有無を 言わさず個の自由を剥奪していこうとする平等の専制主義を感じとっていたのだ。いかな る政体になろうとも専制主義に陥る危険は常に潜んでおり、「自由」という権利を保持しつ づけようと意識しなければ容易に失われてしまう、と同胞に警鐘を鳴らし続けることが、 シャトーブリアンが自らの後半生に課した重要な使命であったといえる。 論文全体を振り返ることにする。シャトーブリアンは、専制政治に対して抵抗し続け、 言論の自由を何にも増して大切に考えていた。したがって彼の文学的テクストには、18 世 紀以来の「自然な感情の発露」が自ずと現れ、それがいわゆるフランスのロマン主義文学 の先駆者としての彼を決定づけたのであった。ところがその一方で、古くからの貴族階級 に属する人間のプライドを、彼は死ぬまで抱き続ける。あらゆる束縛からの解放を求める 気質である一方で、家族、民族、国家の一員としての責務を重んじ、帰属する集合体の持 つ伝統を守ろうとする使命感を備えた彼は、革命の暴力性を目撃したことで、人間の情念 を抑制なしに発散することに対して恐怖や嫌悪感も抱いていた。シャトーブリアンには両 極端の価値観が共存しているといえる。すなわち、新しい時代の息吹を感じさせる自由へ の渇望と、先祖から引き継いだ名誉と義務、ノブレス・オブリージュである。彼はその文 学作品において、心の底から自ずと湧き出てくる感情と、祖国への義務との板挟みに悩み、 回心を迫られる人物を自らの分身として繰り返し描いているのである。 また、彼はこの世に存在するものに課せられた儚い運命に対峙して、しばしば空虚感に とらわれることもあったが、貴族の名誉心から祖国を憂え、自らを奮い立たせ、社会制度 としての言論の自由を守ろうと闘った。その美しい文章ゆえ「魔術師」とまで言われた作 家としての姿から、ペンの決闘家へと大きく変貌したかに見えるシャトーブリアンという 樹木には、自由への渇望という樹液が脈々とかよっていたのである。 5