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早稲田大学博士論文概要書 環境犯罪の処罰範囲に関する試論 −日中の
早稲田大学博士論文概要書 環境犯罪の処罰範囲に関する試論 −日中の刑事法制の比較から− 早稲田大学大学院法学研究科 石 亜淙 序章「環境犯罪の問題所在」は、本論文の問題意識、研究範囲、研究方法を述べたも のである。 今日の中国において、環境汚染が深刻化しているにもかかわらず、刑法による対応が 十分でないのは、環境犯罪の構成要件が不明確だからである。そこで、環境犯罪に適切 に対処するために、日本の環境犯罪を参照する価値がある。また、現在では、公害犯罪 の時代とは異なり、人の健康には直接関連しない環境侵害も処罰対象とすべきであり、 環境犯罪の範囲の拡大も課題である。 本論文で検討対象とする環境とは、大気、水域、土壌という環境媒体である。環境犯 罪とは、単に環境媒体を経由するものではなく、環境媒体を侵害するものであり環境媒 体を行為客体とする犯罪である。公害犯罪は環境汚染による人の生命・健康に対する侵 害を問題にするのに対し、環境犯罪は環境媒体自体に対する侵害を問題とし、生活環境 に関する侵害も包摂するものである。また、広い意味での環境犯罪には、環境媒体を破 壊する犯罪、環境資源を破壊する犯罪、さらに、自然資源を破壊する犯罪が存在してい る。自然資源破壊犯罪は、希少野生生物の捕獲や森林伐採等であるが、本論文では直接 の対象としない。 本論文が問題とするのは、環境媒体を客体とする犯罪の法益として、個人の生命・身 体・財産といった伝統的法益等のほかに別個の法益を考えることができるかということ であり、それを通じて適正な処罰範囲を確定したい。法益保護原則を基礎とすれば、処 罰範囲の確定に際しては、法益侵害の有無と程度が重要となる。また、刑罰による保護 にとっては、刑法の謙抑性、最終手段性を考慮すべきである。特に環境犯罪については、 殺人等の一般的な犯罪とは異なり、刑罰以外の多様な手段との併用が考えられることか ら、以上の考慮が極めて重要となる。処罰範囲の明確化のためには、行政命令前置の処 罰方式の意義についても検討しなければならない。 第1章では、日本、中国の両国における環境罰則と、それをめぐる議論状況について 概観し、それぞれの法制度の特徴と問題点とを明らかにした。 第1章第1節では、日本の環境罰則の概観・分析を行った(公害罪法、飲料水に関す る刑法典上の犯罪は除き、各種の環境行政罰則のみを考察対象とした)。環境法学にお いては、環境に対する負荷・悪影響が(1)「フロー型環境負荷」、(2)「ストック 型環境負荷」の二種類に分けて考察され、それぞれの局面に応じた規制のあり方が検討 されている。日本の環境行政罰則も、(1)前者(排出行為による影響)に対する規制 を主眼とするものと、(2)後者(汚染の蓄積による影響)に関する規制(処理行為の 適正化)を主眼とするものとに分けることができる。本論文では、主として(1)に関 わる規制立法の例として「大気汚染防止法」、「水質汚濁防止法」を、専ら(2)に関 わる規制立法の例として「土壌汚染対策法」を取り上げ、これらを考察対象とした。更 に、日本の環境罰則による規制の現状を分析・評価するにあたっては「廃棄物の処理及 び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)の検討も必要不可欠である。廃棄物処理法は、 専ら廃棄物という汚染産出物の処理過程に着目し、その不法投棄等の各種行為を規制す る立法であるが、同法がその規制を通じて環境媒体の保護立法としての機能・実効性を 1 有している点は否定できない。本節では、検討対象とするこれらの立法の経緯と内容に ついて、冒頭で概観した(一)。 これらの環境行政罰則の正当性・合理性を検討するためには、その前提として、それ ぞれの罰則が、実質犯(実害犯、危険犯)、形式犯のいずれの性質を持つ規定として理 解されるべきかを確定する必要がある。そこで本節では、続いて学説に目を向け、日本 の諸学説が、環境行政罰則の性質をどのようなものとして捉えているかを確認した (二)。学説においては、処罰対象とされる行為が、①「環境に直接作用する行為」で あれば抽象的危険犯、②「環境に直接作用しない、何らかの義務違反行為」であれば形 式犯としてこれを理解する、という立場(二元論)が多数を占める一方で、「純然たる 形式犯」であればおよそ処罰対象とすべきではなく、何らかの実質的な法益侵害性(必 ずしも「環境法益」に対する侵害とは限らない)との間に関連性を有する義務違反行為 に限って、処罰対象とすることが許される(実質犯一元論)、という反対説(処罰範囲 に対する限界設定を重視する立場)も主張されている。しかし、この両説の違いはある 程度まで表面的な「説明の仕方」の違いにとどまり、後者の立場を採ったからといって、 直ちに処罰範囲の限定が帰結するわけではない。むしろ実質的に問われるべきなのは、 ②の種類の行為(環境に直接作用しない義務違反行為)が刑罰の対象となるためには、 その義務違反行為が、(間接的であったとしても)あくまで「環境法益」との関係にお いて侵害性・危険性を持った行為である、という条件が課されるべきではないか(逆に 言えば、環境法益以外の何らかの法益の保護や、行政手段の実効性の確保といった政策 的目的を根拠にして、この種の義務違反行為の処罰を基礎づけることが許されるのか)、 という点である。 本節では、以上のような問題意識に基づき、①と②の種類に属する罰則を幾つかのグ ループに分け、そのグループ毎に各種罰則の保護法益を検討した(三)。まず、環境罰 則は、上述の通り、「環境媒体に直接作用する行為」(①)と「環境媒体に直接作用し ない行為」(②)を対象としたものに二分できる。①の行為に対する規制は、更に二つ の種類に分けられる。第一に、行政基準や行政規定に違反すれば直ちに刑罰を発動する という直接罰の規定(①−1)、第二に、行政取締規定に対する違反があった場合に、ま ず行政命令を下し、その行政命令に違反する行為があって初めて刑事罰が発動されると いう間接罰の規定である(①—2)。②の行為に対する法規制も三つの種類に分けること が可能であり、その第一が、処理行為等が適正に行われることを物的に保障する行為 (処理施設の届出等)に関わる規定(②—1)、第二が、処理行為等の監視・記録等を要 請する規定(②−2)、第三が、処理担当者の資格保障に関わる義務規定である(②— 3)。 ①−1の「環境に直接作用する行為に関する直罰規定」の典型は、排出基準違反に対す る罰則(①—1−1)である。「排出基準」という一律の形式的基準によって処罰範囲の 明確性が保障される、という点は否定できないが、問題は、排出基準違反と環境法益侵 害との間に(常に)実質的な連関、相応関係が認められるかという点にある。更に、廃 棄物不法投棄に関する罰則規定(①—1−2)もこの類型に属する。本罪規定の特徴は、 2 排出基準違反罪とは異なり、条文の示す構成要件が簡潔であるため、その処罰範囲が広 範に及ぶ可能性がある、という点にある。また、緊急時・事故時の行政命令(①—1−3) も、その性質は上述の排出基準と同じであると考えられる。 ①—2の「環境に直接作用する行為に関する間接罰規定」としては、環境を汚染するお それがある場合に出される行政命令に対する違反(①—2−1)、排出基準に違反しては じめて出される行政命令に対する違反(①—2−2)、の二種類が挙げられる。 ②—1の適正な処理行為等を「物的に保障する義務」(届出義務等)に違反する罪、② —2の処理行為等の監視・記録義務に違反する罪、②—3の処理担当者の資格保証義務に 違反する罪に関しては、その犯罪の罪質(形式犯か否か)、環境法益に対する侵害・危 険との関連性の有無について検討を加える必要がある。 第1章第2節では、中国の環境犯罪規制について、その現状の概観・分析を行った。 本節では、はじめに、1997 年の現行刑法典(特に 338 条の汚染環境罪)の制定に至る までの、中国における環境規制に関する立法の形成過程を概観した(一)。 その上で、2011 年の「刑法修正案(八)」による 338 条の重要な改正について、検討 を加えた(二)。同改正においては、改正前の 338 条に存在していた「重大な環境汚染 事故を生じさせ、公私の財産に重大な損失を与え又は人を死傷させる重大な結果を発生 させた」という要件が、「環境を著しく汚染した」へと変更された。この新しい文言の 解釈をめぐっては、本罪の罪質の捉え方とも連動する形で、学説上様々な見解が示され ている。このような議論状況の中で、本罪の成立範囲を見定めるためには、338 条が生 命、身体等の伝統的な個人法益のほか、他の種類の法益をも保護対象とした規定と考え られるべきか否か、という点について検討を加えることが必要不可欠である。また、 「環境を著しく汚染した」という文言に関しては、司法解釈(2013 年 6 月 19 日「関与 辦理環境汚染刑事案件応用法律若干問題的解釈」)が存在している。この司法解釈にお いて例示列挙されている各種行為には、その「行為」の性質に着目してここに含められ たと考えられるものと、それが惹起する「結果」事態の方に着目することでここに含め られたと考えられるものとがあり、この混在した規定の状況が、338 条の罪の罪質をめ ぐる理解に再考を促す契機となっている。更に、司法解釈の最後に置かれた概括条項を めぐっては、再び、処罰範囲の画定をめぐる問題が生じてくる。 また、338 条をめぐっては、「国家規定に違反して」という要件に関しても、そもそ もそのような要件の要否について、またはその意味内容について、理論的な検討が必要 とされる。 その後、本節では、中国法にとっての日本法の参照価値について、解釈論のレベル、 立法論のレベルに分けてこれを小括し(三)、本節のしめくくりとして、中国における 環境罰則の持つ問題点をまとめ、検討すべき課題を提示した。 第2章では、環境犯罪の構成要件を解釈し、環境侵害行為の範囲を確定する際の指針 となる保護法益を明らかにすることを試みた。 第2章第1節では、まず、環境犯罪の保護法益をめぐって従来主張されてきた三つの 学説(生態学的法益論、人間中心的法益論、生態学的=人間中心的法益論)を検討した 3 (一)。検討の結果、いずれの見解も、保護法益の方向性を示すにとどまり、具体的な法 益を見出すことに成功してはいないことが明らかとなった。しかし、これらの議論の検 討によって、環境犯罪の保護法益を論じる際の基準(評価基準)については、法が人間 のためのものであり、また、刑法が人間の共同生活に不可欠な条件が侵害された場合に のみ介入しうることから、「人間中心主義」を維持すべきであることが確認された。 続いて、環境犯罪の具体的内容を提示しようと試みる見解を検討した(二)。まず、行 政利益説には、刑法が制度そのものではなく、制度の背後の法益、すなわち制度が設定 する目的を保護するものであることと相容れないのではないか、との疑問が生ずる。ま た、人の伝統的な法益論(健康説および公共危険説)には、そのような法益のみでは処 罰範囲が狭きに失することになるという問題が存在する。そこで、何らかの形で保護法 益を拡張する見解(次世代の法益論、累積犯説、法益内実拡張説(具体的生活利益への 拡張説および環境権への拡張説))が注目されることになるが、いずれの見解もそれぞれ 問題を有しており、そのまま支持することはできない。しかし、これらの見解の検討を 通じて、環境が「人間の公益的な享有財」・「公共的財産的性格」を持っていること、「累 積」という方法も環境媒体を侵害する方法の一つであること、環境が万人の共有の物で あり、個人が排他的に独占的に利用してはならないこと、さらに環境の人間に対する効 用が健康上の効用に限定されないこと、などの示唆を得ることができた。 以上の知見を踏まえ、環境犯罪の新たな法益を探究したのが第2章第2節である。第 2節では、まず、環境犯罪の法益の内実を再考する必要性およびその可能性を論証した (一)。日本における最初の環境汚染行為は人の生命・身体に直接作用を及ぼしうるもの であったが、近時の環境汚染は少量、広域、人の健康への影響の不確実性といった特徴 を有しているため、犯罪の成立範囲を人の健康への作用に限定していては妥当な結論が 得られない。また、人の生命・身体・財産を直接侵害しない行為をも規制する現行法の 多くを正当化するためにも、新たな法益の内実を追求する必要がある。他方で、現在の 社会的実態に鑑みれば、人の健康に直接関係する公害以外にも環境汚染が存在すること は明らかである。そして、環境の機能が人の生命・身体にとっての有用性に限られない こと、あるいは人の健康に関係しない環境も保護すべきであるとする環境倫理が確立し ていることから、環境犯罪の新たな法益を論ずる可能性も肯定される。そこで、次に検 討しなければならないのは、新たな環境法益の内実である(二)。ある利益を刑法上の法 益と解するには、それが「経験的な実在性」と「人間関係的有用性」を有していなけれ ばならない。前者については、新たな環境法益が環境媒体に具現化されていることから 問題なく認めうる。したがって、検討を要するのは後者である。まず、「環境権」という 概念は、環境媒体が人間に有用であること、すなわち幸福で快適な生活の追求を保障す るものとして、健康で文化的・生産的な生活水準・生活条件を維持・提供するものとい える。また、「純粋環境侵害」の実体として民法上主張されている「集団的損害構成」は、 環境が国民全体の公共財、生活基盤、社会インフラであることを示している。次世代の 法益論も、環境媒体が万人の公共財であり、財産に類似した利用可能性を有しているこ とを前提にした主張であった。かくして、新たな環境法益の内実は、公共財、生活基盤、 4 社会インフラという意味での有用性(「環境公共財」)に求めることができる。 最後に、このような環境公共財としての新たな法益が刑罰によって保護される必要が あるものかを検討した(三)。この点については、現在の社会状況では環境が希少で価値 あるものと解されていること、人間が人間らしい生活を維持するにあたっては環境が重 要な役割を担っていること、経済がある程度発展した現在においては、生命・身体には 直接関係しない生活基盤としての環境公共財を刑罰によって保護することは妥当である ことから、刑罰の必要性は肯定できると思われる。 第3章では、環境公共財侵害の刑罰による規制範囲について検討を加えた。環境媒体 の汚染を通じて、刑法の核心領域に属する伝統的な個人法益(人の生命・身体・財産) を侵害する場合には、直接に刑罰を用いて規制することが許される。これに対して、生 活基盤又は社会インフラとしての「環境公共財」は、刑罰の核心領域に属しない、新た な法益であることから、刑罰の適用範囲については慎重に検討することが要請される。 検討の前提として、環境犯罪における刑罰の補充性について確認を加えた(一)。環境 保護において主導的な役割を果たすのは行政手段であり、刑事規制は二次的な役割を果 たすに過ぎない。それは以下の理由によるものである。まず、経済の発展を踏まえた、 効率的な環境保護のメカニズムを構築するためには、柔軟な行政法規による対応が望ま しい。さらに、環境は一度破壊されれば取戻しがつかないことから、事前的な予防が重 要である。その点でも、事後制裁を重視する刑法に比べ、行政手段の方がより有効な機 能を果たすであろう。加えて、環境犯罪の発覚し難さや、因果関係の判断の複雑性から、 捜査などを含めた刑罰実現のコストが膨大となりうることも、刑事規制が補充的にのみ 用いられるべきことの根拠となる。 以上の補充性原則を前提として、環境公共財侵害の刑罰の規制範囲を明確化すること を試みた(二)。まず、刑法の二次的地位を考慮すれば、環境公共財が「重大な程度」に 侵害されたことが刑罰適用の必要条件とされるべきである。また、そのような侵害行為 があれば直ちに刑罰を適用するのではなく、刑法の謙抑性、行政手段と刑事規制の特徴 と機能、侵害行為の具体的性格などを考慮して、適切な規制手段を選択しなければなら ない。本論文は、刑罰を用いるかどうかを判断するためのモデルとして、二つの段階に 基づく判断方法を提示した。 第一の段階においては、刑罰発動の必要条件としての「環境公共財侵害の重大性」の 有無が判断される。侵害の重大性が認められる場合としては、(1)環境媒体それ自体が 深刻に破壊される場合、及び、(2)他人の環境媒体の利用が侵害された場合の2つが挙 げられる。 (1)環境媒体それ自体が深刻に破壊される場合として、まず、①環境媒体の自浄能 力を超える場合が考えられる。このような場合、環境媒体の本来の性質が改変され、人 間が生存するための基盤が崩壊するおそれがあることから、刑法による規制が必要とな る。また、②環境媒体に与える損害が高額である場合も、環境媒体それ自体の深刻な破 壊が認められると考えてよい。損害額は侵害の程度を徴表するものであると評価するこ とが許されるためである。 5 (2)他人の環境媒体の利用を侵害する場合としては、①自己に割り当てられた環境 媒体の利用限界を超える場合が、まず考えられる。「公共財」としての環境媒体は、人々 の共有に属する有限の資源であり、各人は自己に割り当てられた限度内でのみ、その利 用が許される。利用限度の逸脱は、環境基盤を崩壊させるおそれがあるため、環境犯罪 となりうるのである。さらに、②環境媒体を心理的に長期間利用不能にする場合も、環 境媒体の利用に対する重大な侵害行為といえる。 第二の段階では、以上で確定された環境公共財への重大な程度の侵害行為に対して、 即座に刑罰を発動すべきか(直罰制)、あるいは、命令前置式の間接罰により対応すべき かが判断される。本論文は、それぞれの方式が採用される傾向を、日本法における豊富 な具体例を参照しつつ明らかにした。具体的には、義務内容が法律上明確に示されてい る場合や、行政の対応の遅れにより被害の拡大が懸念される場合、命令が一旦履行され ても再び違反がなされる可能性が高い場合、行政のリソース不足により、違法行為に対 して行政命令を出すことが困難である場合には、直罰制が採用される傾向にある。これ に対して、義務内容が不明確な場合や、すべての義務違反行為が刑罰に値する程度の 「非難可能性」を有するといえない場合、義務履行の期待可能性が乏しい場合には、命 令前置式の間接罰が採用される傾向にある。 以上の段階的な判断を経ることで、環境公共財侵害の刑罰による規制範囲とその適切 な方式が明らかとなるのである。 第4章第1節では、第2章で示した法益論、第3章で示した規制の方式論について、 日本の具体的な処罰規定を素材として展開することで類型的な処罰範囲の確定を試み、 さらに立法論的提言を行った。 まず、日本の環境罰則の保護法益は人の生命・身体等の伝統的法益と環境公共財の双 方を含むことが確認される。環境公共財を法益とする環境罰則は、①環境に直接作用す る行為と、②環境に直接作用しない行為に大別される。 ①環境に直接作用する行為は、さらに、排出基準違反、廃棄物不法投棄といった直罰 方式の規定(①-1)と、環境を汚染するおそれがある場合の行政命令を担保する間接 罰方式(①-2)に分けられる。まず排出基準は個人の排出行為の限界を定めるもので あり、これに対する違反は他人の環境媒体利用を侵害するという意味で重大な環境公共 財侵害といえるため、原則として直罰方式をとることができる(①-1-1)。廃棄物 不法投棄は、法律の規定からも読み取れるように、廃棄物それ自体の性質、投棄の場所 及び投棄の量といった要素を総合考慮して環境公共財に対する重大な侵害がある場合に 処罰対象を限定すべきである。さらに、廃棄物不法投棄の規制が十分に成果を挙げてい ない現状からすれば、不法投棄に事後的に刑罰を科するだけではなく、そもそも廃棄物 の発生を抑制し、行政監視体制を強化するなど、予防的な措置を充実させる必要がある (①-1-2)。行政命令を担保する罰則は、行政命令への違反だけではなく、環境公 共財への現実の重大な侵害があってはじめて処罰をするように限定的に解釈すべきであ る。たとえば排出基準違反のおそれがある場合には、行政命令違反に加えて実際に排出 基準に違反した場合に処罰が可能となると解すべきである。これに対し、排出基準違反 6 後にだされる行政命令の場合、直罰を科すことも可能であるが、謙抑性の観点から立法 者意思を尊重して間接罰方式を維持することも許される(①-2)。 ②環境に直接作用しない行為の場合、環境法益侵害との関係を明らかにすることで刑 罰を科す必要性を精査しなければならない。排出行為等を適正に行うことを物的に保障 する義務の場合、義務違反があり、かつ排出行為等を行う直前の段階に可罰的になると 解すべきである(②-1)。排出行為等の実施状況を監視し、記録する義務の場合、そ れが適切に行われない場合は排出行為等も適切に行われない高度の危険性が認められる ため、刑罰を用いることは許されるが、排出行為等自体に対するものと整合的な規制方 式が選択されなければならない(②-2)。汚染物処置の担当者の資格保障義務では、 担当者の処理能力は環境法益侵害の危険と密接に関係するため刑罰を用いることは許さ れるが、実務上、危険の程度に応じた量刑がなされるように配慮すべきである(②- 3)。 以上のように、日本の環境刑法の中核は、環境行政罰則の集合体である。しかし、環 境罰則を体系化し、行政基準が存在しない場合にも環境法益侵害行為を実質的に捕捉す るためには、環境犯罪の一般規定を立法することが有益である。 第2節では、中国における環境罰則の処罰範囲を検討した。中国刑法 338 条の環境汚 染罪は、国家規定に違反して環境を著しく汚染することを罰している。ここで著しく汚 染したといえるのは、第一に、人の生命、身体、健康などに実害または危険を与えた場 合であり、第二に、環境公共財に重大な侵害を与えた場合である。この環境公共財への 重大な侵害には、環境媒体の自浄能力を超えること、環境媒体の損害額が高いという結 果も引き起こすこと、他人の環境媒体を利用する行為を妨害すること、及び当該環境媒 体を利用する一般人の心理的に長期利用不能にすることが含まれる。このことから、338 条の保護法益には、人の生命、身体だけでなく、環境公共財も含まれる。2013 年 6 月 19 日の司法解釈は、この侵害の内容として、「公私財産を 30 万以上損失させる行為」や 「30 人以上を中毒させる行為」のほか、「水道の水源からの取水を 12 時間以上中断さ せる行為」、「群衆を 5000 人以上分散し移動させる行為」、「5畝以上の基本農用地、 保安林地、特殊用途林地に 、10 畝以上の他の農用地に 、20 畝以上の他の土地につい て 、それらの基本的な機能を喪失させ、またはそれは永久性的に破壊される行為」、 「森林又は他の林木を 50 立方メートル以上枯死させ、又は幼い樹木を 2500 株以上枯死 させる行為」などを例示しているが、これらには伝統的個人法益に対する侵害のほか、 環境公共財に対する侵害が含まれている。一方、「国家規定に違反して」という要件は、 行為自体の制限を示すものである。 人の生命、健康を害する行為も、338 条に含まれる。これらは、本来の刑事犯なので 行政に従属する必要はないはずである。この場合には、刑法の構成要件に当てはまるこ と自体が、国家規定に対する違反になる。この場合の環境汚染罪は、危険物質投放罪と 一部重なり合うものであって、その場合には両罪の観念的競合になる。 環境公共財を侵害する行為は、一定の重大性を備えてはじめて 338 条で罰せられる。 この場合には、大気汚染防治法、水汚染防治法、固体廃物汚染環境防治法、海洋環境保 7 護法、環境保護法等の法律や国務院より出された実施細則が「国家規定」となる。排出 基準違反の場合も、他人の環境利用を侵害しているので、環境汚染罪になりうる。総量 規制違反も、排出基準違反の補充規定として、環境汚染罪になりうる。このほか、事故 時・緊急時の行政措置命令違反行為や汚染除去命令違反も、国家規定違反として環境汚 染罪になりうる。 立法論としては、環境を著しく汚染する行為に限らず、汚染する危険のある行為にも 処罰を広げるべきである。また、中国では、土壌汚染処理に関する規制および罰則が欠 けているので、日本の規定を参考に、土壌汚染の特徴を考慮して、有害物基準を超える 地域を指定し、それを前提に汚染除去措置命令を出すといった制度を考慮すべきである。 終章では、日中の規定方式の長所・短所を比較検討することにより、環境犯罪に関す る罰則の法典化の方法について検討し、中国における法典化に関する試論を提唱した。 中国の環境犯罪処罰規定は、刑法典の内部に規定されている。この方式は、環境犯罪 の重大性を国民に知らしめ、大きな威嚇力をもち、国民に行為の限界を提示するという 長所がある反面、中国の環境犯罪は「国家規定に違反する」という付加的条件が付され ており、この国家規定の具体的な内容が明らかではないこと、環境行政規則(これ自体 に刑罰は科されていない)に反する行為のうちどこまでが刑法上の環境犯罪に当たるか が明らかではなく、行政機関と司法機関との速やかな連携を困難にしていることが問題 視される。 一方、日本の環境犯罪処罰規定は、環境行政法の中に置かれている。この方式は、環 境犯罪の構成要件が比較的明確であり、犯罪事実の認定が容易であり、行政機関と司法 機関との連携を可能とするという長所を有する反面、刑法典に規定する方式に比べると、 威嚇力が弱く、処罰規定が各個別の行政法規の中に散在するため、環境犯罪の総論的な ものが存在しなくなることが問題となる。 そこで、以上の2つの方式の長所を活かしつつ短所を克服するために、統一的な「環 境特別刑法」の形式を採用することを提唱した。 これは、「刑法」という名のついた法律に規定することで、強い威嚇力をもたせるこ とができる。また、刑法典ではなく、独立の法律によって規定することで、行為類型の 複雑な環境犯罪を明確に規定することができる。また、特別刑法とすることで、行政従 属型の環境犯罪のみならず、行政独立型の環境犯罪も規定することができるとともに、 事前の予防手段のような刑罰以外の規制手段と連携させることができる。 この環境特別刑法の具体的構成は、第2章で論じた環境犯罪の保護法益論から展開さ れるべきである。 まず、公衆の生命・身体という伝統的な法益の侵害・危険は、行政規定から独立した 形で公共危険犯として規定されるべきである。ここでは、公共の危険の捉え方や因果関 係の推定に関して日本の公害罪法が参考になる。これに対して、環境公共財を侵害する 行為は、予め行政基準を定め、その違反に対して刑罰を科すという方式を採用すべきで ある。この行政基準は、公共の財産としての環境に関する個人の利用限界を定めたもの で、他人の環境媒体の利用を侵害した点で法益侵害性が見出される。 8 行政基準に対する刑罰の方式としては、侵害の程度や政策的考慮によって直罰方式と 間接罰方式を使い分ける必要がある。この点については、日本の大気汚染防止法や水質 汚濁防止法等の規定が参考になる。 9