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東京教区こどものミサ説教

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東京教区こどものミサ説教
東京教区こどものミサ説教
2009年10月11日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
聖書朗読 使徒パウロのエフェソの教会への手紙 2章14-18節
福音朗読 ルカによる福音 23章34-47節
みなさん、今年のこどものミサのテーマは「あなたは今日、わたし
と一緒に楽園にいる」です。これは、イエス様が十字架の上で言わ
れたお言葉です。
イエス様と一緒に二人の犯罪人が十字架につけられました。一人は
右に、一人は左に。その中の一人はイエス様をののしって言いまし
た。
「お前はメシアではないか。自分自身とわれわれを救ってみろ。」
もう一人の方は彼をたしなめて言いました。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。われわ
れは、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。し
かし、この方は何も悪いことはしていない。」
この犯罪人はどんな人だったのでしょうか?どんな犯罪をおかした
のでしょうか?人生の最後の場面で(まさに土壇場(=刑を行なう
場所)で)彼は回心しました。十字架にかけられたイエス様に出会
い、イエス様が苦しい息の中で言った言葉を聞きました。
「父よ、この人たちをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているの
かを知らないのです。」
イエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
(マタイ5・44)と教えていました。その教えの通り、自分を十字架
につけた人たちのため、天の父にゆるしを願ったのです。
この犯罪人は人生の最後のときに十字架にかけられたイエス様に出
会いました。イエス様の様子を見、お言葉を聞きました。この人と
くらべて何と自分の生涯は罪深いものだったことか、と思ったこと
でしょう。自分は当然の罰を受けている。もうやり直しはできない。
でも、こんな自分でも神のゆるしを受けて神のもとへ行くことがで
きないだろうか、罪深い自分でもすくわれないだろうか・・・。敵
のために祈るこの人にお願いすれば何とかなるかもしれない、と彼
は思いました。そこで次の言葉で出て来たのだと思います。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い
出してください。」
この必死の願いに対してイエス様は、
「はっきり言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒に楽園にい
る」
と答えられたのです。
「はっきり言っておくが」の「はっきり」の原語(=もとのことば)
は皆さんがよく知っている「アーメン」ということばです。わたし
たちは祈るときいつも最後に「アーメン」といいますがその「アー
メン」です。
「アーメン」は実際にイエス様の口から出た発音をそのまま伝えて
います。福音書の原文のギリシャでも「アーメン」となっています。
さらにギリシャ語から他の言語に翻訳されたときも「アーメン」の
ままでした。日本語になったときも「アーメン」のままです。
ただし今日のこの「はっきり言っておくが、あなたは今日、わたし
と一緒に楽園にいる」の場合は、「アーメン、言っておくが、あな
たは今日、わたしと一緒に楽園にいる」となると、言葉のつながり
が分かりにくくなりますので、「はっきり」という訳になったと思
います。
「アーメン」はもともと「確かに、きっと、必ず、本当に」という
意味です。イエス様はたびたび「本当にあなたがたに言う」と言っ
ています。この「本当に」が「アーメン」です。それは「わたしの
言うことは真実であり確実であり、必ず実現する」ということです。
イエス様はこの犯罪人に、
「アーメン、言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒に楽園に
いる」
と言われました。ですからこの犯罪人が楽園に入るのは確実なこと
になったのでした。
この人はどんな悪いことをしたのか、分かりません。彼にできたこ
とは、ただただ人生の最後の時に、「イエスよ、あなたの御国にお
いでになるときには、わたしを思い出してください」とイエス様に
お願いしたことだけです。それなのに、人生の最後の場面で、救い
をいただくことができたのです。
人間は誰しも罪をおかします。しかし失望してはなりません、人は
誰でも罪のゆるしを受けて、新しく生まれ変わることができます。
父である神はわたしたちの罪をゆるし罪人を救うためにおんひとり
子イエスをお遣わしになりました。おん子イエスは十字架によって
すべての人のあがないをなしとげられたのです。
誰でも自分の罪を認め、悔やみ、ゆるしを願うならゆるされ、楽園
に入ることが出来ます。
きょうわたしたちも「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」
というお言葉をいただいたのです。このことばはわたしたちの一人
ひとりにも向けられています。ですからわたしたちはいつも聖母マ
リアに祈るのです。「・・・・今も死を迎えるときも祈ってくださ
い。」
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