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第9回 発明の事業化-トマス・A.エジソン
産業と技術の歴史 第9回 発明の事業化 -T.A.エディソン 2011年6月13日 吉備国際大学 国際環境経営学部 大谷卓史 本日の目標 • 発明(研究開発)の事業化、アメリカ式生産方 式など、T.A.エディソンが研究開発や製造に 持ち込んだ新規な試みについて理解する。 • 起業家としてのエディソンの生涯について理 解する。 • エディソンの時代の知的財産権制度について、 簡単な理解を得る。 T.A.エディソン “Genius is one percent inspiration, and 99 percent perspiration…” 目次 • • • • • • • • T.A.エディソンの生涯 エディソンの修行時代 エディソンの発明と事業 エディソンのライバルたち マシン・ショップ文化 発明の事業化-発明工場の発明 アメリカ式生産方式 まとめ T.A.エディソンの生涯 • Thomas Alva Edison (1847-1931) • アメリカの発明家・起業家 • 電信・電話の改良、映画、 蓄音機の発明、電力システ ムの開発などで有名。 • 生涯に1093件の特許を取 得(共同特許含む、世界記 録)。 • 「発明工場の発明」、アメリ カ式生産方式の採用でも 知られる。 75歳の誕生日のエディソン。 エディソンの生涯 • • • • • • • • • • • • 1847年2月11日、オハイオ州生まれ。 1863年、電信士見習いとなる。 1867年、ファラデーを読み、影響を受ける。 1869年、フリーランサー発明家として独立。最初の特許。 1877年、蓄音機の発明。 1879年、白熱灯の発明。 1881年、メンローパーク・ラボ建設。 1887年、ウェストオレンジ・ラボ建設。 1891年、映画の発明。 1892年、ジェネラル・エレクトリック社設立。 1926年、トマス・A.エディソン社の社長退任。 1931年、死去。 電信と電機の時代 • 1821年、マイケル・ファラデー(英)、最初の電 動機(モーター)を発明。 • 1831年、ファラデー、電磁誘導の法則を発見。 • 1832年、ヒッポリト・ピクシー(仏)、最初の発 電機を発明。 • 1844年、サミュエル・モース(米)、ワシントン・ ボルティモア間の電信に成功。 • 1856年、ウェスタン・ユニオン社(初の全米電 信ネットワークを建設した企業)設立。 マイケル・ファラデー • Michael Faraday (17911867) • 貧しい家庭に生まれ、独学 で科学を学ぶ。 • 物理学者ハンフリー・デー ヴィと知己になり、助手とな る。 • 化学、物理学(電磁気)の 分野で傑出した成果を残す。 • 電動機の発明、電磁誘導 の発見、電気分解の法則 などを発見。 1841-42年に描かれた肖像画(Thomas Phillipsによる)。 電信の初期の歴史 • 1837年、サミュエル・モース(米)、モールス符 号による電信を発明。 – 当時、モースはナショナル・アカデミー・オブ・デザ インの所長。美術教師。 • 1840年、モース、電信の特許取得。 • 1844年、モース、ワシントン・ボルティモア間 の電信に成功。 • 1856年、ウェスタン・ユニオン社(初の全米電 信ネットワークを建設した企業)設立。 幼年時代から修行時代 • 1847年、オハイオ州オデッサの中産階級に生まれる。その 後、家族はミシガン州に移住。 • 7歳で小学校を放校。 – 絶え間なく質問をし続ける。自己中心的な言動が多すぎる→現代か ら見れば、ADHD? • 以後、家庭で母親が読み書き算盤(Three Rs)と「聖書」を教 え、父親が本を読むことを奨励。 – 歴史と英文学を好む。 – 11歳で地域の図書館で学ぶ習慣をつける。 • 科学への強い興味を示すようになり、両親は物理学の家庭 教師をつける。 – ニュートン物理学を教授されるが、理解が難しく幻滅。しかし、ニュー トンの方程式の単純な美しさには魅了される。 アメリカ合衆国 Map of U.S.A.(http://www5a.biglobe.ne.jp/~rd_kyk/usa/ )より。 幼年時代から修行時代 • 1847年、オハイオ州オデッサの中産階級に生まれる。その 後、家族はミシガン州に移住。 • 7歳で小学校を放校。 – 絶え間なく質問をし続ける。自己中心的な言動が多すぎる→現代か ら見れば、ADHD? • 以後、家庭で母親が読み書き算盤(Three Rs)と「聖書」を教 え、父親が本を読むことを奨励。 – 歴史と英文学を好む。 – 11歳で地域の図書館で学ぶ習慣をつける。 • 科学への強い興味を示すようになり、両親は物理学の家庭 教師をつける。 – ニュートン物理学を教授されるが、理解が難しく幻滅。しかし、ニュー トンの方程式の単純な美しさには魅了される。 幼年時代から修行時代 • 12歳で親からの独立を志し、商売を開始。14歳で、 地域新聞「ウィークリー・ヘラルド)を発行(内容は、 電信局に届くニュースを盗み見たもの)。 • もうけたお金で地下室の実験室と列車のロッカーを 借りる。実験三昧の日々。 – 列車で硫黄が燃え出して火事を起こし、こっぴどく車掌に 殴られる→難聴の原因? • ある日、裕福な駅長の息子を事故から救ったことか ら、電信のモールス符号を教えてもらう。15歳で、ほ ぼ電信技術を習得。 幼年時代から修行時代 • 1863年、ウェスタン・ユニオン社の電信局兼雑貨屋にもぐり こむ。南北戦争開始1年後であり、電信需要の拡張期。 • 失職を繰り返しながら、職場を渡り歩き、読書と実験で科学 や技術の知識を深める。 – 二重通信方式の電信回線の敷設を工夫。電信士組合の雑誌に取り 上げられる。 • 1869年、22歳のエディソンは独立→フリーランサーの発明 家になる。 – 「T.A.エジソン氏はウェスタン・ユニオン社ボストン事務所におけるか れの地位を辞し、かれの時間をかれの発明を世に出すために捧げる だろう」『電信士』1869年1月30日号(名和小太郎訳) エディソンの発明と事業 • • • • • • • • 電信と電話の改良 蓄音機の開発 電力システムの開発と事業化 映画の開発 選鉱の事業化 映画の事業化 蓄音機の事業化 蓄電池の事業化 電信と電話の改良 • 電信の改良・・・高速化と多重化 – 高速化:1872年、自動電信機の改良。 • タイプライターに似たテープ穿孔機とその他の改良→ 毎分1800語の通信を実現。 – 多重化:1874年、四重通信方式の発明。 • 同時に双方向で4つのメッセージを送信できる装置。 • 多重化装置をウェスタン・ユニオン社に売り込 むが、5000ドルの特許使用料のみに終わる。 – ウェスタン・ユニオン社は、四重通信方式の導入 で年間50万ドルを節約。 電信と電話の改良 • 1876年、アレクサンダー・グラハム・ベル(米)、電話 の特許出願。翌年、ベル・テレフォン社を設立。 – ベルは聾唖者向けの教育者で、教育機械として音声の記 録、送信装置を研究。 – 酸性の水溶液の振動によって、音声と電気の変換を行う。 • 1877年、エディソン、電話の送話器を実用的なもの に改良。 – カーボン式送話器。その後、長く使用される送話器の原 型。炭素粒子の振動によって抵抗を変化させて、音を電 気に変換。 • その後、ベルとエディソンは、電話をめぐる特許紛争 に。。 蓄音機の開発 • エディソン以前に、音を記録する多数の先行研究が存在→ 音を記録する欲望と技術は整備されつつあった。 • 1877年、エディソン、フォノグラフを発明。 – 錫箔の円筒(シリンダー)に鋼鉄の針で音の振動を打ち込む。 – 音の記録は難しく、大声で叫ぶ必要があり、手回し式のため、再生は 安定しなかった。子音が聞き取りにくい難点もあった。 • 1878年1月、エディソン・スピーキング・フォノグラフ社設立→ ニーズの開発に迷う。 – 口述筆記の道具?視力障害者向けの書籍?雄弁術の教材作成 機?音楽・娯楽用レコード?家庭の記録?オルゴール?授業のタイ ムシフト?電話メッセージの保存? →会話用記録装置として、エディソンは認識。その後確立した用途とは かけ離れていた。 蓄音機の開発 • 1886年、ベル、アメリカン・グラフォフォン社を設立。 – チチェスター・ベルとサム・ティンターによるエディソン式蓄音機の改 良(特許取得)→音質の改良。 • 媒体:ワックスをしみ込ませたボール紙 • 針:ナイフ(刻み付ける方式) • 振動板と針との結合の改良→録音のひずみの低減。 • 共同研究を持ちかけたベルとティンターをエディソンは特許 侵害で提訴。 • 1887年、エミール・ベルリナー、ディスク型蓄音機の特許を 取得。翌年、公開実験。「グラモフォン」。 – 原盤:亜鉛ディスク。 – 記録方法:耐酸性ワックスをディスクに塗り、表面に音声の軌跡を残 す→腐食させて、軌跡の溝をでぃすくにつくる。 – 針の振動:左右方向(現代のレコードは上下方向) 蓄音機の開発 • 1887年、エディソン、フォノグラフの仕事に復帰。改良を再開 →スペクタクル/M型の発売。 – 媒体にワックスを採用。 – 針:サファイア、振動板:マイカに変更することで、子音の再生を明瞭 に。 – 小型電動機を駆動に利用。 – 記録時間:2分。 • 1889年、記録・再生方式と再生専用の方式のフォノグラフを 発売。 – 記録・再生方式:ビジネス分野の口述機→そこそこ成功。 – 再生専用式①:玩具(人形に内蔵)→故障多発から失敗。 – 再生専用式②:ニッケル・イン・ザ・スロットマシン→かなり成功。 蓄音機の事業化 • シリンダー型蓄音機vsディスク型蓄音機の事業化 は、ビジネス路線vs芸術路線の戦いに。 – シリンダー型蓄音機の事業化:エディソン・フォノグラフ社 とコロンビア社(グラフォフォン) • ビジネス分野での記録・再生機+娯楽用の素朴な音楽の再生機。 • グラフォフォン社は芸術路線→直売方式が行き詰まり。 – ディスク型蓄音機:ビクター社 • 当時の流行オペラ歌手やクラシックなどの芸術の再生専用機。 • 代理店方式による全国販売の成功。 • 20世紀に入り、ディスク型+音楽や芸能の娯楽が 蓄音機の主流になる。 – 20世紀半ばまで、エディソン式の蓄音機は改良が進み、 利用が継続。 エディソンのライバル • アレクサンダー・グラハム・ベル – 電話と蓄音機における競争相手。 – 電話の事業化はベルが勝利者。エディソンは送話器技術で名を残す。 – 1922年死去すると、エディソンの性格が変化(木村哲人説)。 • エミール・ベルリナー – 蓄音機における競争相手。 – 1929年、ベルリナーの死後、エディソンは蓄音機市場から撤退。 – 蓄音機の事業化では、ベルリナーの技術を引き継いだビクター社が勝者。 • ニコラ・テスラ – 電力システムにおける競争相手。実用的な交流発電機、実用的な電動機の発明者。 – ユーゴスラビアからの移民で、当初エディソンの研究所で働くが、仲たがいして独立。 ウェスティングハウス社が、テスラの発明を引き継ぐ。 – 晩年はオカルト的な研究にハマり、貧困の中で死去。死後、FBIが発明に関する書類 を押収したという伝説がある。 – 電力の事業化は成功。しかし、発電方式は、ウェスティングハウス社の方式が主流に。 エディソンの技術を引き継ぐGE社も繁栄するが、直流方式は消える。 マシン・ショップ文化 • 19世紀のマッカー&マシンショップ文化が、エディソンの経験 主義をはぐくんだ。 – マッカー(mucker):機械に精通した機械工。 – マシンショップ:マッカーが出入りし、たむろしている仕事場。 – マッカーの職業上の知恵=技能型知識(バーナード・カールソン) • • • • • • • 行為あるいは伝承による学習。 熟練にもとづく知恵。 視覚的要素による表現と塾考。 経験則、書房、説明書での表現。 職人の手と心にやどる知識。 職人の転籍あるいは徒弟訓練による移転。 →反抽象的、反形式的、反数学的。 →エディソンの所属していた19世紀の電信士コミュニティは、マシン ショップ文化の中にあった。電信士の多くは発明家でもあった。 発明の事業化-発明工場の発明 • 「発明工場の発明」=「発明プロセスのシステム化と 量産化」がエディソン最大の発明(名和小太郎)。 – 1881年、メンローパーク研究所開設→世界で最初の研 究開発を行う企業研究所の設立。 • 「メンローパークの魔術師」の異名を獲得。 – 1887年、ウェストオレンジ研究所開設。 – 「エジソンの最大の発明は、科学的ではなく経済的な発明 であった。それは産業の科学研究所というものの発明で あり、これはかなり大きな訓練された技術者のチームが 一人の中心人物の指揮の下で日常業務として発明の仕 事に取り組む研究所である」(ウィナー、鎮目恭夫訳)。 発明の事業化-発明工場の発明 • エディソンの発明は、個人的なものではなく、集合的なもの だった。 – 報酬は良好、ただし、発明の権利はすべてエディソンのもの。 • 給与は実力主義(問題解決能力)による。 • 発明の対価を部下に分配。 – 「私は数学者を雇える。数学者は私を雇えないが」(ウェスティングハ ウス社との特許紛争におけるエディソンのことば) – 「エジソンは質問を作った。私は質問を解いた」(フランシス・アプトン) • エディソンの役割は、商業化可能な発明を見定め、問題設定 と解決の方向を示すことが主。 – 反面、科学的に価値がある現象を見逃すことがあった。例、「エディソ ン効果」の発見(1883年)とその意義の無視。 発明の事業化-発明工場の発明 • 「メンローパーク・ギャング」 – フランシス・アプトン:物理学者。中央発電所シス テムの設計。エディソンは「教養」というあだ名を つける。白熱電灯の収益の5%を受け取る。 – チャールズ・バチュラー:親方職人。遊び友達兼 パートナー。 発明収益の10%を受け取る。 – ジョン・クルージー:精密機械工。エディソンのス ケッチから装置をすぐに製作。 – アーサー・ケネリー:電信技術者。発電機や計測 器の開発。後にエジソンから独立し、電離層発見。 「アメリカ式生産原理」とエディソン • アメリカ式生産原理(生産方式):互換性技術 +流れ作業+機械化による大量生産方式 – 互換性:部品の仕様を統一し、組み立て・交換を 容易にすること。コルト社の銃器製造から開始と される。 – 流れ作業:食肉工場が最先端。 – 機械化:専用工作機械による製造(馬具、家具の 製造) 「アメリカ式生産原理」とエディソン • エディソン、「アメリカ式の生産原理」という言葉を初 めて意識的に使用する(D.ハウンシェルの説)。 – エディソンのフォノグラフ取引企業への宣伝:「フォノグラフ は、鉄砲やミシンのように部品の互換性にかんするアメリ カ式の原理によって製造される。人手による製作はきりの ない混乱を引き起こすだろうから」(名和小太郎訳) • 1890年、自動化した磁気選鉱工場(オグデン工場) を建設→T型フォード工場の原型 – ベルトコンベアーによる鉱石の運搬と自動的な処理→保 守要員以外の人間を必要としない工場。 – 同工場は、H.フォードがT型フォードの製造プロセス建設 に当たってアイデアを借用したと証言。 まとめ • T.A.エディソンの生涯 – 独学の読書により科学への興味を培養。 – 電信士としてキャリアを開始、マシンショップ文化 の中で発明家として独立。 – 生涯に1093の特許を取得(世界記録)。 – 電信・電話の改良、蓄音機の開発・事業化、映画 の開発・事業化、電力システムの開発(直流方 式)などの発明と事業家。 まとめ • 「発明工場」の発明 – 1881年、メンローパーク研究所開設→世界で最初の研究開発を行う 企業研究所の設立。 – 「メンローパークの魔術師」の異名。 – エディソンの発明は、物理学者や職人の協力による集合的なもの。 商業化・ニーズの察知と技術との結合、リーダーシップ、自己宣伝の 力が、エディソンの重要な能力。 • 「アメリカ式生産原理」の開発 – アメリカ式生産原理(生産方式):互換性技術+流れ作業+機械化に よる大量生産方式 – フォノグラフの製造における「アメリカ式生産原理」への言及。 – 自動化した磁気選鉱工場(オグデン工場)の建設→T型フォード工場 の原型。 本日の課題 • ベンチャー企業家(起業家)としてのエディソ ンの仕事について、あなたがおもしろいと思っ たものを取り上げて、そのどこがあなたにとっ て興味深かったか説明してください。 参考文献 • http://www.thomasedison.com/