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歴史とフィクションの狭間で : ヴォルフラムの「 原典言及」をめぐって

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歴史とフィクションの狭間で : ヴォルフラムの「 原典言及」をめぐって
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<論文>歴史とフィクションの狭間で : ヴォルフラムの「
原典言及」をめぐって(第20号記念特集)
青木, 三陽
研究報告 (2006), 20: 1-17
2006-11
http://hdl.handle.net/2433/134475
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
歴 史 とフ ィ ク シ ョンの狭 間で
― ヴォル フ ラム の 「
原 典言及 」 をめ ぐって ―
青 木
三 陽
は じめに
12、13世 紀にお ける俗語 文学、特 にアル トゥース ロマーン をは じめ とす る宮廷叙 事詩の急 速
な展開 は、この時期に大 きな変革を見た ラテン的文筆文化か らの刺激 に負 うところが少な くない。
宮廷叙事詩 はまず フランス、特 に北フ ランスを中心に発 展 し、やがてそ の大 きな影響 を受 けた ド
イ ツ語 圏において花ひ らくが、それ は と りもなお さず これ らの地方にカ ロ リング ・ルネサ ンス以
来、ラテ ン文化 が保持 され ていたた めである。そのこ とを確 認す るには、例 えば俗語文学 の開花
が ほぼ1世 紀近 くも遅れ たイベ リア半島 とこれ らの地 域を比較 してみれば よい。
その よ うな条件の も とでは当然 のこ となが ら、宮廷叙事詩人は基本的 にラテ ン的文筆家の詩学
を受 け継 いでいた もの とい うこ とがで きる。両者 を比較 した とき 一 前者 の作品 は過去 に題 材を
とった とい う意味 で広義 の歴史文学 であ り、したがつて後者の作品の 内で も比較 倣 橡 として最
も有意義 なのは歴史記述 であ ろ うが ― 特に 目をひ く共通点は、自らの物語 にっいての真実 性追
及の姿勢 、な らび にそ の手法で ある。す なわち彼 らは共 に、自らの作 品に記 されてい る内容 が真
実で あるこ とを主張 し、それ ぞれ信 頼 に足 る証拠が存在 するこ とを強調 して見せ るのであ る。後
述す る ように、特 に宮 廷叙 事詩人 たちのそれは必 ず 、書物の姿 をとり、彼 らはそこへ の依 拠を主
張す る。
自分 の用 いた 「
原典 物語」に頻繁 に言及 する限 りにお いては、ヴォル フラムもそ の定石 か ら外
れ るものでないよ うに思 われ る。だが、1麟 也の詩燵
と大 きく異なるのは、撫
慎 難
を保
証す るはず のそれ らの発 言 の内容 が終始 曖昧 、しか も一貫 してお らず、それぞれ を比較 してみる
と非常 に相矛盾 した印象 を与 えるこ とであ る。
伝統 とい うものが権 威 として絶 対の重み を持つ中世 にあって、この規 範か らの逸脱 は大 きな危
険 とな りうる。原典言 及の曖昧化 、複 雑化が意図的なもので あるのな らば、それ は果 していかな
る意味 を持 ち、あるい は作 中において いかなる機能を担 うものであるのか。この問いに答 えるた
めに、本 稿ではまず ヴォル フラムが属す る宮廷文化 とその規範 となったはず のラテン的文筆 文化
の特 徴 とを比較 し、その 関係 性を探 る。その後 に 『
パル ツィヴァール』中における原典言及 箇所
一1一
を概観 し、この作品に とって真 実性証明の文 言が どのよ うな意味 を持 つのかを明 らか に したい。
1.
ラテ ン的文筆文化 と宮 廷叙事詩
中世 ヨー ロッパに流 布 したす べてのアル トゥー スロマ ーンの祖 ともいえる 『ブ リテ ン列王記 』
の著者 で ある聖職 昔ジ ョフ リー ・オブ ・マンモ スは、自らの作品 が どこか ら情 報を得て成立 した
ものなのか、す なわちその典拠について こ う述べ る。彼 が典拠 と した のは、 「
ブ リテ ン王の行為
をは じめか ら終わ りまで完全 に記 した、ブ リテ ン語で書かれた とて も古い書物」1で ある と。そ
のよ うな書物は今 日に至 るまで存在 が確認 され てお らず 、彼 以外の 口か ら言及 された ことさえ一
度 もない。そ もそ もケル トの文化は無文字文化であ り、その文学 は当然 口承 性を前提 と して いる
のだか ら、仮 にジ ョフ リーが本 当にケル ト文化の中に作品 の題材 を求 めたの だ として も、それが
文字で 「
書かれた」ものだ とい う主張は極めて信 愚性が薄い。 した がつて今 日では、この 「
書物」
なるもの はジ ョフ リー による捏 造 と考え られ ている。
で は、彼 は な ぜ わざ わ ざそ の よ うな捏 造 を行 な わ な けれ ば な らな か っ た の カ㌔ そ の 理 由 は 、 と
り もなお さず 彼 が ラテ ン 的学 識 を身 に っ け た 聖職 者 と して 、そ の 詩学 を用 い つ つ 、 自 らの 作 品 を
っ く りご と 丘面oで は な くて、 あ くま で真 実 味 を帯 び た歴 史historiaと
して 記 そ う と努 め た か ら
で あ る。そ して 、書 物 を持 ち 出す こ とで フ ィ ク シ ョン の物PqYこ歴 史 記 述 と して の 価 値 を与 え よ う
とい うジ ョフ リー の この試 み が成 功 した の か とい う と、意 外 な ほ どに うま くい った ら しい。2多
少 とも ブ リテ ン の正確 な 歴 史 を知 っ て い る今 日の我 々 の 眼 か ら見 れ ば 『列圧 記 』は 明 らか に フ ィ
ク シ ョン 文学 で あ るが 、 この 尺 度 は12世
紀 の 受 容 者に は あて は ま らな い 。 ど こ ま で一 般 化 で き
るか を言 うに は あ ま りに史 料 が少 な いが 、 当時 の か な りの受 容 者 た ち に と つて 、 『 1圧記 皿は真
実 の物 語 で あ り、 アル トゥー ス 王 とそ の騎 士 た ち は 、 た しか に実 在 した 人 物 だ った の で あ る。
彼 に続 いて 『列王記1を 翻案 したア ングロ ノルマ ン人 ワース3も 同様 に、 自らの作 品が歴 史記
述に属す るもの として受容 され るこ とを要求す る。彼 は、そ ういつた種類の作 品の1青
報源 として
は、口承の物 語を信頼 に値 しな いものとして排除 す る。彼 に とつて も、文字 として伝 えられた情
報 こそが、作 品の歴史記述 と しての信糠 性を保証するの である。
この ように述べ ると、これ らラテン的学識 を身 につ けた著作 家 は、口承文芸 にあ るよ うな伝承
1(臚offrey
2同
ofMonmouth:Flistaria
時代 人 に よる
Regzun
Britanniae
. Hrsg.¢N.
Wright,
Cambridge
1991,
V 132f
、 ア ー サ ー 王 文 学 の フ ィ ク シ ョ ン 性 を め ぐ る 証 言 の 収 集 、 分 析 に つ い て はV緋Barrichter,
Brigitte:Wahrheit
undFiktion.偽
Beiheft zu Pceti(;a 21, M
chen
伽
伽d勧
研
癌oη盈 魏 面 伽
肋
励'teratur
des I2. Jahrhunderte
1996, S―1任 彼 女の 収 集 例 か ら確 認 され る限 り、 「列 王 記 」 を 「
歴 史偽 造1
だ と見 抜 い た証 言例は 一 つ の み であ る。
3Waoel 1㎞ ∂ηoわ伽 孟HrsgL▽IvorArnol(L趾1
Paris 1938 , S―12.
一2一
時におけ る揺 るぎを―切 許 さない者 として、原典 の単なる複製者 にす ぎない よ うな印象を与えて
しま うか もしれ ない。だが、実際 に原 典を所有 していた著作 家た ちにおいて も、その 自由toi)作
能 力は決 して抹 殺 され て しま うわ けではなかつたのである。なぜな らば、彼 らに とって重要なの
は事実に忠実な単 なる復 元作業 ではな くて、あ くまで 「
真実 らしさJを 提示す ることであったか
らt
た とえ作 品の内容が事 実を取 り扱 った ものであった としても、その内容に よっては信{性
を疑われ るもの とな りえよ う。 その よ うなとき、作者 は 「
真 実 らしさ」への要求に応 えるため、
逆 に 自ら媚rl作 による様 々な要素 を挿 入す るこ とで作 品の保全 を図 らねばな らないのである。そ
の ような意味で、ホ ラテ ィ ウスが詩人 に要求 した 「
嘘 と真実の混合」4は 、中世において一般 的
な、文学上 ・修 辞学上 の必 要条件だ つた とも言われ る。5例 えば古典古代の民族的英雄を詠 つた
叙 事詩は、中世の学識 者に よつて た しかに歴史 として受 け取 られたが、同時に、その内容には歴
史 的真 実か らは逸脱す る作 為性intentioが 認 められ も してい る。彼 らの意見に よれば ウェル ギ リ
ウスはつ くりご と 」figinnentaの
挿 入によつて主人公の行為を よ り崇高な もの とする 「
詩人 に し
て歴 史家 」なので ある。6
だが これは決 して 、この時代の学識 者に よつてア リス トテ レス的 「
歴史 と詩の 分離」が完 全に
放 棄 され た とい うこ とではな い。中世 の人間 の 「
真 実の物語vera narratiorer㎜ 」へ の要求は、
作 中の個 々の事例 につ いて とい うよ りも、題 材全体 にっ いての方に重 きが置かれる とい うことな
のである。範 例 となるべ き もの は、基本的に信頼 できるものでな ければ ならない。学識 者たちに
よつて語 られ る物語 は、有名な信頼 で きる証 人によつて伝 えられてい ることが大前提 なのであ り、
したがつて、も しも原 典 の知 名度が 内容 の信懸 性を証明す るに不十分 であるな ら、そのテクス ト
は声高に真実 性を約束 する言葉 を叫ばねばな らな くなるであ ろ う。
アル トゥー ス王の物 語 を歴 史記述 として成 立 させ よ うとす る著述家 が書物 としての原典 を持
ち出 して、口承 の伝統 を無秩 序な 「
嘘 」として切 り捨て るとき、そ こには以上のよ うな意識 がは
た らいた結 果 と考 え られ るの ではないだろ うか。彼 らは歴 史を偽造す るか らこそ、そ こに描 かれ
る題 材その もの の真 実 性を保 障す る手段 として、よ り高い権威を有す る証拠品 を提示 して見せね
ばな らなかつた のであ る。
アル トゥー ス王 とその騎 士たちを取 り扱 つた題 材はこの後彼 らの手 を離れ、俗語の宮廷文学 の
世 界において爆 発的に広ま つてい くこ ととな るが、彼 ら世俗 宮廷社 会の住人達の意 識において、
情 報源 と しての書物 ・口承の物 語の概念は どう変化 していった のだ ろ う窺
4Ars
Uon
Pcetica
Moos,
, V.119
u.151f
Peter:PaeCica
爵加r1}uca凪TUb血gen
6諏)nes
, J. W.(Hrsg.)=The
tわBernardusSilワ
un(1伽
1976,
掘o認
S―93―130,
cnmmentaryofthe
θ5嬬.1よ)ndon
1977,1,
加
ル7ittelalter.7,zun
Mirnesis伽blem
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hier S―119.
6zstsix伽
Z.8-11.
一3一
曲
・勲
θ)Aeneid<ofVugilcnmm・nlyatlributeゴ
中世 の言語 と して、ジ ョフ リー が用 いたラテ ン語 はいわば教 会 によつて押 しつけ られた外国語
であるのに対 し、 ここで俗語 と総称 してい る諸言語はそれ ぞれ の民 族固有 の生きた言葉であ る。
宮 廷叙事詩以前に、俗 語における歴 史意識が、まずはそ の民族の過 去 を うたつた叙 事詩 一Epos
の訳語 として本稿ではこれ以後 「
英雄 詩」 と呼ぶが ― と して あ らわれ ていた ことは、注意すべ
き点で あろ う。
英雄詩 は過去か ら題 材を取 つてお り、これ もその意 味では、宮廷叙 事詩 と同様 、広 義の歴 史文
学 であるとい うことができよ う。が、両者 はそ の内容 の信{性 を どこに求めるか とい う点におい
て決定的に異な る。宮廷時代 に先立っゲルマンの英 雄詩 にお いて語 られ る内容 は、過 去の事件や
民 族的英雄の行 為が 口承 の伝統 によって語 り伝 えられ た もので あるこ とを前提 としてい る。7し
た がって英雄 詩は作者Autorと 語 り手Erz臧lerの 鴎IJを 必要 と しな い。両者 は共 に歌手S舅ger
の姿の中に統一 されてい るか らであ る。歌手は 自ら と受容 者両方 に親 しい真実 のみ を 口にす るの
で あるか ら、伝統その ものが語 りの主榊
となった。書物 は必 要 とされず、人 がこの文学に真実
性 を要求す る とき、それ は、共同体の記憶に遡 って得 られ る もので あった。
一方、ロマー ンの作者 は 「
書き手」であ り、語 り手 とは距 離を とる。 口承 性か ら文筆 文化への
移行が生 じ、物 語の作為 性Gemachtheitと
構造が意識 され るとき、作 者 と語 り手 の区別が必要
となつたのである。9そ してその よ うな、集団的記 憶に拠 りどころを求 める ことのできない宮廷
叙事詩人は、先ほ ど見 たよ うな ラテ ン的文筆家の姿勢 一 確 かな証拠 を持 ち出す こ とによ る真実
性 の追究 一 を受 け継い だとい える。10そ もそ も初期宮 廷叙 事詩 人 は 自ら僧p盤
を名 乗 つた
し、それ以外の者 も大部分は聖職 音、あるいはそれ に近 い身分で あった と推 測 され てい るので あ
る。ここで問題 となるのはおそ らく、彼 らの身分その ものではな く、それに付 随す る知的環境で
ある。宮廷叙事詩人は作 品中にお いて ことさらに 自らの 「
学識iを 強調 する。彼 らの誇る ところ
7も ちろん、今 目我hに 伝 えられてい るテ クス トは文字 と して残 された もの ばか りであ り、本 当の 口承文芸 と
しての性質が どれ ほど伝 えられてい るの脳 こは疑問の余地が ある。 それ で もなお、それ らの作.pAAは
宮廷 叙事
詩 とははつき りと区別 され る特徴 を残 してい るのであ る。
8Warning
, Rainer:Formen
n{㎜ativer
Iden漁
Odo
Marquard
und Karlheinz
Stierle. M chen
9「 作 者 」
、 「
語 り 手 」、 こ の 両 概 念 に つ い て はVgL
des Erz臧lens
Frankfixx・t a. M.
u. a.2001,
おkonstituUo
im
h6触hen
1979,5.553-589,
Roman―In:Identit舩
Hrsg.
v
η伽
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hier 5.575£
Schu,(:ornelia:協mα
励1蜘
砺
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S.1241王
10む ろん 、 口承 性 に よっ た文 学 と文 筆 文 化 の 文 学 とは あ る 時 期 を境 に は っ き り二 つ に分 かた れ る も の で は な 臨
両 者 の 間 に は 中 間 形態 と呼 び うる もの が 存 在 す る。 中 世初 期 のBuchepikな
どが そ れ で あ る。 例 え ば オ トブ
リー ト ・フ ォ ン ・ヴァ イセ ンブ ル クの 『福 音 書 』 は 口承 に よ る媒 介 を 前 提 と して い る が、 そ の文 体 にす でに
推 敲 され て 安 定 し たSchri$lichkeitの
特 徴 を示 して い る 。 VgL Ernst, Urlich:Formen
analytischen
Erz舁ens
im Parzival Wolframs
Mittelaltars.
Friedrich
ln;・秘
von Eschenbach.
血ukturen
WolFiettel.11ibingen
Marginalien
zu einem
derArtusli'teratuz.Forschungsge曲chte
1999,5.165-198,
hier
一4一
5.191.
narrativen
System
unゴ ηθ召θ編'tze.
des Hohen
Hrsg.
v
の 「
学識」とは、単な る専 門知 識の豊富 さを表わす言葉ではない。聖職者 となるべ く受 けた正規
の学校教育 と、それ に よつて習得 された ラテ ン文化の知識 ― むろん詩学 も含 めて 一 を指 して
いるのである。詩人 に とって重要 なのは、俗人た る受容者 との身分の差 を強調す るこ と自体 にあ
るのではな く、書物 に近 づ くこ とがで き、加 えてそれ らに対 する批判能 力の保持 を主張す る点 に
ある。 そ う考 えれ ば、ハル トマ ン ・フォン ・ア ウエが 「
学識 ある騎士 」11と 一見矛盾す る名乗
りをあげるのも理 解で きよ う。ラテン的学識 こそが、俗 人には閉 ざされて いる書物 への接 近を可
能 にす る。書物 への要求 は、ラテ ン的教養 と レ トリック教 育へ の入 り口と して、真 実性を追究す
る宮廷 叙事詩 の詩 学に とつて基 本的 なもので あつたのである。12
た だ し、宮廷叙事詩 を ラテ ン的文 筆家の著 作 と比較 した とき、同時 にある大 きな相違 点も見受
け られ る。す なわ ち、物語 の真 実 性証明の言葉l特
に原典 を引き合い に出す こ とによるlの
使用頻 度の高 さであ る。ラテ ン的文筆 家の著 作は しば しば、冒頭 でただ一度だ け真 実性の証明 を
行 な うこ とで満 足す る。それ に対 して宮廷叙事詩 は、我々の 目か ら見れ ば過剰 といえるほ どの回
数原典 を呼び出 し、物語の真 実 性に保証 を与 えよ うとす るので ある。
そ の理 由は―般 に、受 容者の文学 レベル に帰せ られ る と考 えられている。ラテ ン語 は俗人 に近
づ ける領 域にはなか つたので あるか ら、当然 なが ら、ラテ ン的文筆者 が対象 とす る受容者 とは、
同 じくラテ ン的学識の ある人 間であ る。それ に対 し、宮廷叙 事詩人が対象 とした のは、俗人貴族
であった。宮廷叙 事詩 人はいわ ば文筆 文化 と俗 人文化 の接点 ともいえるだ ろうが、これ らの受容
者 においてはまだ フィクシ ョンの意識 が発達 してお らず 、そのため物語 に 「
真実 らしさ」をよ り
強 く要求 した と考 えられ るのであ る。13
加 えて俗 語は、文語 として使用 され て後 も、下賎 ・低俗 の観念 がなかなか抜 けなか つた。それ
ゆえ中世盛 期の宮廷的受容 者は、俗語 の、しか もフィクシ ョン性が明 らかな物語の 中には価値の
低 い ものを見た ら しい。俗語 ロマ ーンの作者 として認 め られ よ うと望 む ものは、そ の物語 を歴史
記 述のよ うにカモ フラー ジュ し、フィクシ ョンを軽蔑する者達 の 目か ら保護 しな ければ ならなか
ったのであ る。特 に彼 らが 自 らの作 品を区別 化すべ き文橡 として視野 に入 れていたのは、まず雑
多な 口承文芸 と して流 入 して くる芸人や歌手た ちの作品であろ う。ジ ョフ リー らにおいて見た よ
うに、ラテ ン的文筆文化 は 自らを歴 史的伝統 に組 み込む ことで正 当性 を手 に入れた。 「
真実 性の
問題 」と直面 した俗語の宮 廷叙事詩人達 もまた、それに輪をかけた形で 、彼 らに とって高 い権威
<<Hartmann
Ludwig
12Buxnke
von Aue
Wb正Berlin
,
Iwein . Hrsg. v Georg Friedrich Benecke und Karl Lachmann.
1968,
Joachhn=Die.81uts卿
伽z'レaノ`Wolframsレan.踊
13Ne皿man
, Eberhard=隔
Neu bearb. v
V21―
勅
加6励
θ17加{カ.74ibingen
戯 ㎜
盈 剛
魏 鰭.
η偲
2001,
伽r階
Untersuchungen
1973,5.51.
一5一
肥 伽ung
und脳
θ㎜ 幡1面
zurl'lrrrktion(iesEz-r臧lers
Wiesbaden
S.133,
を持つ書物を持 ち出 して受容 者の要求 を満たす必要が あつた と考 え られ るのであ る。
2.自
己弁 明 一
口承 の 原 典 物 語?
ヴォル フ ラ ム の 『パ ル ツ ィ ヴ ァー ル 』 は 内容 、テ ー マ 、 そ して 形 式 に お い て も この 宮 廷 叙 事詩
の伝 統 に連 な る もの で あ り、そ こ に は ジ ャ ンル 意 識 と呼 べ る もの が はた らい て い る こ とが 認 め ら
れ る。14
に も関 わ らず 、ヴォ ル フ ラム は今 述 べ た よ うな 宮 廷 叙 事 詩 の 原 則 一 確 か な原 典 へ の 依 拠 の明
示 一 に逆 ら うよ うに見 え る の で あ る。彼 は 当 初 、 自分 の 物 語の 原 典 と して は 、書物 の 姿 を とる
の か ど うか も分 か らない 曖 昧 な 「
原 典 物pq diu舸entiure」
我 々 に告 げ る15と こ ろで は … 」(12,3)。16こ
を持 ち 出 す の み で あ る。 「
原 典物語が
の 表 現 は これ 以 後 頻 出す る が 、17具 体 的 に どの よ
うな も の を指 す の かは 当面 の 間 ―句 解 説 され な い。 そ して 、 どの 場 面 で あれ 、彼 は決 して 自分 が
「
読 ん だ」 とは 口に しな い 。
そ して、本編 が開始 され る直前18に 置かれたいわ ゆ る 「自己弁明Jで は、 ヴォル フラム 自身
の文筆文化 との 関わ りをは つき りと否定する ような言 葉 さえ見 られ る。
in特 に 同 じア ル トゥース ロマ ー ン であ る 『エ ー レク』、『イー ヴ ァイ ン』 との 連 続 性 を強 調 しよ う とす る努 力 は
顕 著 で あ る。 『パ ル ツ ィ ヴ ァー ル 』 中 にお け る両 アル トゥー ス ロマ ー ン へ の言 及 の 数 の 多 さ が それ を 証 明 し
て い る。 『パ ル ツ ィ ヴァー ル 』 にお け る間 テ クス ト性 の 問 題 につ い て はVgL
Wand,
Christine:既
∼
伽
㎜
働 θ吻 面 ㎜ ゴ㎞
凸㎜ ㎜ 五Hθ.血
獄 出 動 θ」
磁漁bη θη∂漁
加 ∂㎜ 珈 ㎞
「雇Heme 1989。
i5原 文で用い られ ている動詞はsagen 。一 見 して、『
パル ツ ィヴァール』 の原典物語が 口承 で伝 え られた こ と
をはつき り証明す る言葉の よ うにも思われ るのだが、この問題 を複 雑に して しま うのは、「
聴 く」お よび 「
読
む」 に関す る中高 ドイ ツ語の語 彙の意味が きわめて輪郭 不魚糊 なもので あつた とい う事実で ある。hceren
とい う言葉は 「
聴 く」のみな らず、広義に 「
知覚す る」 こ とも意味 していた。 また、lesenは 「
読む1、 「
朗
読す る」 とい う意味だけでな く、「
物語 る」 とい う意味 も持 っていた。sagenに は 「
言 う」のみ な らず 「
知ら
せ る」 とい う意 味 もあ り、schribenに
はつ ま り、lesenやschribenと
やsagenと
は 「
書 く」 のみ な らず
い う語 洲 吏わ れ て い るか ら とい つて 、そ れ をた だ ち に 口頭 に よ って 作:P
な して はな らな い とい うこ と を意 味 す る。Bumke,
im hohenMittelalter.
【6以 後
M
chen
、 『パ ル ツ ィ ヴ ァ ー ノ昭
1833,5.Ausg.
nこ
の
「
伝 え る」 とい う意 味 が あ っ た の で あ る。 これ
い う語 それ 自体 が 文 字=によ る普 及 を 証 言 す る も の で は な く、 同 様 にhcen=n
Berlin/Leipzig
「
原典物 謡
Joachim:H
fische
本 文 か ら の 引 用 はLachmann,
1891に
よ り 、 O内
Karl
Karl(Hrsg.):WohFam
とい う ヴォル フ ラ ム の特 徴 的 な表 現 につ い て は 、Lofinarkに
Lachmanns
―FrankfUrt
seit 1945.
Bericht
a M
Gesellschaft
revidiert
1994,5.514£
undBibliographie.
und
Karl:Wolfram's
kommentiert
並 び にBumke,
M
chen
von
Aschenbach.
Berlin
に は 段 落 と 行 数 を 記 す0
So㎜Reぬrenoe
(1972),5.820-844.
18「自 己弁 明 」 は 、 ヴォル フ ラム が 自 らの 立 場 を表 明 す る意 図 を もっ て 、 嘱 轍
の と推 定 され て い る。VgL Nellmann,
Eberhard:Wolfram
von Eschenbach.
漁1皿
und
1986,5.728.
羅 した リス トが 作 成 され て い る。Lofrnark,
Ausgabe
が媒 介 され た 証 拠 だ と見
Kultur. Literatur
v
Eberhard
Jbach㎞:Die
1970,5288.
一6一
よ って 、全 て の 使 用 例 を網
in Par血val
67
麦に こ の位 置 に 挿 入 した も
Parzival Bd且Nach
der
Nellmann.ワbertragen
Wolfram
In:MLR
uon.踊
v]?ieter
α2加(.hForschung
私 の正 しさを 目、 耳の 両方で確 かめたい人 を、欺 こ うとは思わない。 盾取る職 が私 の
本 務である。私 の勇敢 さが示 されないのに、謝 乍の点だ けで私 を愛す る人がいた ら、
そ の人には知 性が欠 けているのだ と思われ る。立派な婦人の ミンネ を求 めてお きなが
ら、その方 の ミンネ に値 する働 き を私が盾 と槍 とで成 し遂げ られなか つた とした ら、
そ の方は私 に対 してそれ相応 の態度 をとられ るが よい。騎士的な行為に よって ミンネ
を求 める者 は、高 い掛 け金 を賭 けて勝負 してい るのだ、婦人方がおべつか ととらなけ
れ ば、私はあなた方 にまだ知 られていなレ儲 を して、この物語 を続 けさせていただ く。
そ の ことを私に望 まれ る方は、 この物語に書物 を期待 しないでいただ きたい。 私は一
文字 も知 らない。 かな りの詩 人達がそこか らパ ン種 を取 ってい るのだが。 この物語は
書物 の舵 な くして進む。 この物語が書物 だ と思われ るよ りは、湯殿で タオル も持たず
に裸 でい るほ うが ま しだろ う。 柴の束 さえ忘れなけれ鵬19(115,27狛D
ラテ ン的文筆文化 の立場 か ら見れば、この文盲の告 白によ りヴォルフ ラムは宮廷叙事詩人に必須
な物語の真実 性証 明の努力 を放 棄 して しまつてい るよ うに思われ るであろ う。彼 は、そのために
拠 るべ き何物 も有 しない こ とになるのだか ら。果た して ヴォルフ ラムは、この発 言、権威 である
はず の書物 の相対 化 によ り自分の物語の フィクシ ョン性を明らか にしてい る20の であろ うp
だ が、書 物の権威 を相 対化 して しま うかのよ うな曖味 さは、実 は必ず しもヴォル フラムだけの
特 性 とい うわけではな い。一 見 した ところ物語の真実 性保証の ために顛rJな努力 をは ら うハル ト
マ ンや ゴ ッ トフ リー トに も、稀にでは あるが、そ うい った態度が見 られ るので ある。
『イ ー ヴァイ ン』 冒頭 、ア ル トゥー ス 王 に 「
泉 の 冒険 」の エ ピ ソー ドを報 告 す るカmグ
レナ
ン トは 、物 語 の 真 実 性 を 自 らの 体 験 に よ つ て保 証 す る。 「
そ れ は本 当 の話 で す 。 私 自身 が 経 験 し
た こ とな の です か ら」。21語
り手 自身 が 目撃 ・経験 す る こ とに よ って 物 語の 真 実 性が 保 証 され る
とい うの な らば 、そ うい つた 手 段 に頼 れ な い宮 廷 叙 事詩 人 は 、こ の言 葉 に よ って 宮 廷 叙 事 詩 とい
う文 学 ジ ャ ンル の フ ィ ク シ ョ ン 性 を ほ の め か して い る とい う こ とに な る だ ろ う。22ハ ル トマ ン
isこ の箇 所にお いて も、同 じアル トゥー ス ロマーンを扱 った 「
学 識ある騎 士」ハル トマンが強 く意識 され てい
るこ とは確かであろ う。Vgl. Wand,5.202ffだ が、 「
自己弁明」におけ る 「
書物」は複数形 であ り、っ ま り
あ る特 定のテ クス トを指 して いるのでは なく、もっと→ 股的 な概念 を表わす もの だ と考 え られ るのである。
したがってここはハル トマ ン個 人を意識 しての発言 とい うよ り、よ り大 きな文 筆文化全体 との脈 絡で とらえ
られ るほ うが相応 しいで あろ う。
20Haug
紺
211wein
盟VgL
, Walter:Lrteralzrz theorie im deu働
圃 〔
㎞
励 θ」
漁g2―,曲erarb―
θη 融 翻
勘
励(加
抽gen
bis zum
㎜d erw. Au仕Da㎜
壌dt 1992, S―12置
, V.259.
Schu
,5.154.
一7一
En(血
ぬ913
以 上 に 文 筆 文化 に 依 存す る こ とに よ つて 自 らの物 語 を武 装 した ゴ ッ トフ リー トさ え も、 『トリス
タ ン』 の愛 の洞 窟 の エ ピソー ドにお い て この 「目撃 証 言 」 を持 ち 出す 。r私 が この こ と を 良 く知
つ て い る の は 、 そ こ に行 っ た こ とが あ る か らだ 」。23
著者 はこれ まで、
歴 史を装 う作品 においてはこ とのほか 書物 への依拠 が主張 され 、それ以外の 、
信頼 性に劣 る情報源が否定 された と述べて きた。た しか に、真実 の追及 を説 く中世の歴 史家はま
ず第一 に、歴 史の真実 を得 る方法 として信頼 できる資料の使用 を挙 げる。そ の筆頭は もちろん 、
書物 である。例 えば、中世 の歴史記述の典型 世界年代記 にお いて 、天地創造(キ リス ト、あ るい
は アブラハ ムの誕 生か ら出発す る場合 もあ るが)か らの人類 の数 千年 の歴史 を保証す るのは、キ
リス ト教 世界 にお ける最 高の権威 としての聖書 と、聖職 者達の著作 であ る。だが、特 に記述 が(当
時の人間 にとって の)現 代 史に近づ くにっれ、目撃者、 口伝 な ど洲 言頼 性の程度 に よ り区別 され
つつ利用 され るこ とが多々あ る。 この際注意せね ばな らな いのは、 中世 では一般 に奇跡 、迷信、
伝 説がそのまま盲信 され る場 合が多いかの よ うなイ メー ジを我 々 は抱 きがちであるが、歴 史 を記
す方法 について学識 者―
たちの多 くが述べ るの は、 自ら見聞 して確 か に事実で ある と知 つた こと、
た しかな証拠に よ り、あ るいは信 頼すべ き人の書 によ り確 実 と され るこ と以外 は書か ない 、とい
う意見が数多 く存在す る とい う事実である。む ろん、歴史家 が真実 を追 究す る といつて も、それ
は単な る レ トリックであるこ とも可能なのであ り、こ こには深 い考慮が必要 で ある。だが少な く
とも彼 らの意識 の 中に、事実を記 述 しよ うとす る批判 精神 、そのた め事 実を確 定 しよ うとす る努
力があ る程度行なわれた ことは認め られるのである。否 定 され るのは、彼 らの批判 に耐 えない レ
ベ ルの雑多な信 じられ ない話、あ りえない話 である。彼 らの批判 を耐 える限 りにおいては、体験
談や 口承の情報 も真実 性を保証す る材料か らしめ出 され は しなか った。
宮廷叙事詩 人が稀に口にす る物語の 目撃 性 も、その よ うな 「
事 実」の とらえかたか ら説 明がつ
くのではないだろ うカ㌔アル トゥース王をめ ぐる物 語群 は、
先 ほ ども述べ たよ うに芸 人Spieluran
に よる雑多な 口承の形 によって も多数 ドイツ語 圏に流入 していた と言 われ る。宮 廷叙 事詩人達が
書物 とい う権威 を持ち出 して区別化 を図 らね ばな らない のはまず何 よ りもそ ういった雑多な、信
{u性 を欠 く口承 文芸か らであ って、批判 に耐 える範 囲で あ りさえすれ ば書 物以外 の1青報源が閉め
だ されて しま うわ けで はない。ま して、圃
生を明計
るな らまだ しも、勤
へ の徽
を酬
ヒ
してい るとい う事 実のみ によってヴォル フラムの作 品か ら真実 らしさを完全 に排除 ナる ことは、
当時の受容者 に もできなか つたはずである。ヴォル フ ラムが意 図 しているのは後述す る よ うな あ
z3 Gottfriedvon Stra゚burg:7Fistan und lsolde. Hrsg. u Friedrich Flanke. Dublin/Z
ich
1978, V.17100.
もっ と も、 こ の 直 後 に正 反 対 の 事 実 が告 げ られ 、 この 発 言 の 信 愚 性 もや は り日
蜘
ヒされ て し ま うの で は あ る
カ㌔ 「
私 は 十 一 歳 の とき か らこ の 洞 窟 を良 く知 つ て い た が 、コ ー ン ウォ ー ル ペ まま だ 一 度 も来 た こ とが な い」。
Tristan undlsolde. V.17136ff
一8一
る意図 をもつた 「
ほの めか し」であって、この時点で規範 に背 く態度 をあえて誇示 してみせ るわ
けで はない。
3.宮 廷的共同体 との対話
だがそれ に しても、ヴォル フラムの発言 は彼 の同業 者たちの控 え目な態度 と比 べれ ば、い ささ
か ラデ ィカルす ぎるよ うに見える。少 な くとも、受容者 が宮廷叙 事詩 とい うジャンルへ対 して抱
く期待 をこの臨 点で多少 とも裏切 つて しま う恐れがあ るだろ う。ここまで極端な表現を とる理 由
は どこにあるのだ ろ うカaO
そ の答 えは、彼 の、受 容 者た る宮廷 的共同体 との独特 な接 し方 を考察す ることか ら得 られる。
ヴォル フラムが対 象 としてい る受容者 は、明 らかにハル トマンや ゴッ トフ リー ト、フェルデ ケ と
い った他 の宮廷叙事詩人達 の作品 を熟知 する、文学的知識 を共有する人々である。24同 時代の
詩人達の 中で、ヴォル フラムほ ど他者 の作品に言及す る者 はい ない。彼 は作 中で他の詩人に話 し
か け、賞賛 し、議論 を挑 み、脅迫 しさえす る。 これ はむろん、受容者 たちがこの詩人た ちを よく
知 つているからこそ受 け入れ可能 なこ とである。そのよ うな受容 音た ちは 当然 、宮廷叙事詩人た
ちの、例の書物への依拠 を表 明す る言葉 をよく知ってお り、それ をパ ロデ ィー化 した言葉 を理解
す るこ ともで きる。ヴォル フラムが ここで例 の決ま り文句 を逆転 させて 口承 性をほのめかす とき、
それ は彼 ら文 学通 の受 容 者 との知 識 の 共有 を前提 と して 、伝 統 を相 手に した一 種の ゲー ム
Spiel25と な りうるので ある。 そ うして得 られた緊張感は、彼 の新 しい文学の可能 性を暗示す る
こ ととなる。
ヴォル フラムの宮廷的共同体の 関わ り方 につ いて考慮すべ き点 として、語 り手の権威 を自ら掘
り崩 し、その立場を受容者 と同 じ次元におきたがる とい う特 徴が ある。彼 は様i々な分野(天文学、
神学 、博物学等)に お ける識 者、情 報通 とい う役割 を演 じる こともあるが、同時に、(この 「自
己弁 明」におけ るよ うに)学 識 のな い者、知識の乏 しい者 を演 じるこ ともできる。そ して後者の
揚 合、たいて いは惨めな境遇 に立た され、恋 愛において も運のない、同 情に値す る人間 を装 うの
で ある。26そ の よ うな言葉 は受容 者に、語 り手の権威 を 自分達 と同 じ レベルにまで引 き下げ 、
視 線の高 さを同 じくす ることを可能 にす るのである。
挙 句 の果 て に語 り手 は 、物 語 の真 実 性 を 「
受 容 者 の 責任 に おい て」証 明 しよ うとま で す る。 「
あ
な た方 が許 して くだ さ るな ら 、 これ は真 実 です 」(159,26fl。 「
あ なた 方 自身 の 誓 い に か け て 、 こ
泌Vg上Wan己S
z'Schu
―15ff
,5.243.
Bumke(1997),5.154.
―9一
れは真実 です」(238,S
。これ らは 自らの作 品に対 す る究極 の責任 放棄 の言葉 のよ うに聞 こえる
が、そ うではない。これ らの言葉が発せ られ るのは、グラール が もた らす神秘的 な食事 にっいて
の説明がなされ る箇所 であ る。その描写は、ヨーaッ パ 中に広 く伝 説が伝わ り、当時 の人 間に と
っては実在の人物 であつたプ レスター ・ジ ョン(エ ピロー グでパル ツ ィ ヴァールの甥 として も登
場)の 書簡27と 内容が一致 してい る。 つま りここで 、グ ラール の王国 はジ ョンの キ リス ト教 王
国インデ ィアになぞ られてい るのである。書簡には、ジ ョンの王 国は他 の どの国 よ りも神 に近 く、
その恵 を受けたユー トピア として報 告 されて いるが、むろんそれ を 目撃 した者 は この世 にだれ も
いない。例 えば 、天国の存在 は、キ リス ト教徒のだれ もが知 り、か つ信ず べき もので あるの に、
それ を通常の人間が 自らの力 で 「
証 明」す るこ とは決 してで きないの と同 じで(通 常その行為 は
奇跡 と呼ばれ る)、ヴォル フラム も、あま りに も俗人世界 とは宗教 的次 元が異な り、誰 も見た こ
とのない ジョンの王国を 自らの責任において証明す る ことを断 念 し、共同体 と同 じレベル に身 を
お いてその共有 された知 識によ りどころを求 めるの であ る。艶
「自己弁明」の意味 は、こ ういつた宮廷的共同体 との取 り組み の一 部 として見た とき、は じめ
て正 しく理解で きよう。ヴォル フラムの意図は物語全 体のフ ィクシ ョン 性を示 す ことな どで はな
い。俗人貴族の特徴を 自らに取 り込み 、自らと受容 者を同 じ次元 にお き、しか も他の学者詩人達
を引き立て役にす るこ とによ り、テ クス トに共同体的価 値を獲 得す るこ となのである。ヴォル フ
ラムは、宮廷叙 事詩とい う文学 を共同体内での会話 に変 えて しま う。俗 人の文学活動の 自主性を
受容者 との共同体的行 為の中に見出そ うとしているのであ る。物語 は可能な限 り共同体的環 境に
根 を下ろ し、 こ うして宮廷社 会には じめて俗人 による俗 人のた めの文 学の可能 性が生 じる。29
4.キ
rプ
オー ト ― 星 の書 と歴 史 記 述 の 統 合
レス ター
Priester
DVjs
・ジ ョ ン 、 な ら び に そ の 書 簡 の 信z性
Johannes―Loherangrin―Der
65(1991)5.236-264,
hier
offne
に つ い て はVgl.
Schlu6
des
Bumke,
Parzival
Joachim:Parzifal
von
Wolfram
und
von
Feirefiz―
Eschenbach―In:
5.245ff
圏 さらに、回数か らいって例外的ではあるか もしれないが、共 同体的 意識 と結びつ いたヴォル フラム独 自の真
実性証明の方法が もう一 つ存在す る。物 語についての記 憶が今 日で もなお蜘 同体の間に共 有 されてい る、と
の発 言であ る。 「
ところでブラバ ン トには今 日でもなお 彼 ら二人(ロ ヘ ラン グ リー ンとその妻)に ついて、
彼女が彼 を迎 え、彼がその後去っていった こと、彼 女の問が彼 を立 ち去 らせた こ と、その間 どれ くらい彼が
そ こに滞在 していたか などを良 く知 っている人が今 日で もた くさんいる」(826,10H)。
凶 後 に ヴォル フ ラ ム と同 様 ア ル トゥー ス ロマ ー ン を扱 っ た ヴ ィル ン ト・フォ ン ・グ ラー フ ェ ンベ ル ク の言 葉 は
第 三 者 の 目か らそれ を証言 す る もの と して非 常 に 印 象 的 で あ る。r俗 入 太
い 」。Wirnt
von
Grafenberg:〃
團b蛤
・'derRi―ttermit dem
Berlin 1819, V.6346.
一10一
Rade.
Hrsg.
、
彼 ほ ど上 手 く物 語 っ た者 は い な
v Georg
Friedrich
Benecke.
こ ういった、受 容者 との交流に よる共同体的出来事 と しての文学の創造は、同時に、文学が 口
承 によつて伝 え られ 、管 理 された ころの環境 を思い起 こさせ る もので もあ る。場合によつては、
非常 に保守 的な態度 に見 える可能 性もあ るだろ う。だが、これを古 い文学への 「
逆行」 ととらえ
ては な らない。30な ぜ な らば、 ヴォル フラムにとって 口承性 をほの めかす のは受 動的な行為 で
はな く上述 のよ うな特別 な意 図があ つての ことであ り、さらに、彼は文筆文化の果た した機能 を
自らの作 品に持 ち込む 術 もまた知 っているからで ある。 「
舵 を持たない」物語がそのまま遠 くに
進みす ぎるのはあま りに危険 であ り、新 しい 目標 を 目指す に して も一定の方向 性が示 され なけれ
ばな らな い。
「自己弁 明」にお いて与 え られ ていた 口承性のイ メージ との取 り組 みは、原 典詩人(と ヴォル
フ ラムによつて 主張 され る)キ オー ト31の登揚に よ り新たな展 開を迎 える こととなる。『パル ツ
ィヴァール』 の物語 は、 キオー トによつて トレ ドB2で発見 された とい う異教の書物、 さらには
複数 のラテ ン語の歴 史記 述の 中に捜 し求 められた結果発見 され た もので あるこ とが明 らかに さ
れ る。キオー トの、複数 の材料 の中か ら史料壮伴1」
を行い、信頼に足 る情報のみ を収集 し、真実の
物語 を得 る とい う書物狂的 な態度,こ れは、当時の ラテン語 の歴史記述家 、そ して ヴォルフラム
以前の宮廷叙 事詩 人達 の態 度 をそ っ くり踏襲 している といえる。いわば ヴォル フラムに よつて一
度は放棄 され たかに見 えた物 語の真実 性証明のための一手段 が、キオー トの存在 によって再獲得
されてい るのであ る。
受容者 に とっては、先 ほ どまで曖昧 に紹介 されていた原典物語diu舸entiureに さかのぼって、
それ らもこのキオー トの手 に よるものだ と認識 され たか もしれ ない。この時点で、文筆文化に根
ざ した、信 頼 に足 る情 報源 を持 ち出 して 自らの物 語を保全す ることに関 しては、ヴォル フラム も
他の詩人達 と大 差ない手段 を手に入 れた こととなる。33
3D VgL
Green , Dennis
and
Wb澁am―In:Dennis
1978,5.163-264,hier
H;Oral
Pcetry
H
Green
and
written composition.
u―LPJbhnson:Appma(lies
An
aspect of the feud between
to Wolfram
von踊
の 立 場 とは 、Falkの
の 立 場 に分 か れ る。 そ
命 名 に よれ ば、 キオ ー トの 実 在 を信 じ るKiotisten、 キ オ ー トを複 数 の原 典 詩 人
の偽 名 とみ な すSynthetisten、
Vgl. Falk, Walter:Wc)lframs
1-63,hier
u―a―
S234ff
3瓦キ オ ー トな る 人 物 が 実 在 した か ど う脳 こつ いて 、 『パ ル ツ ィ ヴ ァー ル』 研 究 者 は3つ
の3つ
Gottfiied
θ四加{ぬ. Bem
キ オ ー トを ヴォル フ ラ ムに よ る完 全 な 捏造 と考 え るFiktionistenで
あ る。
Kyot und die Bedeutung
der>Que皿e<im
Mittelalter.互n=LitJb 9(1968),
S―3ffこ の 間 題 を め ぐ る議 論 は い ま だ 完 結 した わ け では な いが 、 現 在 の と こ ろFiktionistenが
圧
倒 的 に 優 勢で あ る。 テ ク ス ト比 較 に よっ て 、 ヴォル フ ラ ム の実 際 の 原 典 まク レチ ア ン ・ ド ・ トロ ワの 作品 で
あ る こ と が繍i見 され て い る か らで あ る。
訟 当時の トレ ドは実際、天文学 をは じめ とす るアラ ビア 語の諸科学書 をラテ ン語 へ と翻 訳する作業の中心地で
あつた。
33原 典 を持ち出す、そ の頻度に関 してもヴォル フラムは他の宮廷淑 事詩 人達 と同程 度である。もちろん、韻 律、
脚韻 を理由 とす る埋 草的 な言 葉の存在 も考慮 しなけれ ばな らないのだが、 「
原典 の告 げるとお りに…」 とい
う表現 の数だけに関 して い うと 『
パル ツィヴァール』78回 、『エー レク』38回 、『
イー ヴァイン』8回 、『ト
一--一
キオ0ト が利 用 した 、ア ラ ビア語 の書 物 とラテ ン 語 の 歴 史記 述,こ れ ら二 つ の うち前 者 は 、 ソ
ロモ ンの 子 孫 で あ り、 占星 術 の 矯 哉の あ る フ レゲ ター ニ ー ス に よ って 、星 の 中 に 「
読 まれ た 」 も
の で あ つた。 が 、フ レゲ ター ニ ー ス は異 教徒 で あ る が 故 に そ の 真 の 意 味 を理 解 で き な い。 キ リス
ト教 徒で あ る キオ ー トが は じめて 、そ の 正 しい解 釈 を行 な う こ とが 可 能 で あ り、さ らに 彼 は後 者 、
ラ テ ン語 年 代 記 か ら得 た 知 識 を補 つ て 、ヴォル フ ラ ム の 直 接 の原 典 とな る物 語 を 完 成 させ る ので
あ る。
こ こで は、占 星 術 と歴 史記 述 とい う種 類 の ま つ た く異 な る二 っ の ソー ス が 、い わ ば 相 互 補 完 的
な もの と して紹 介 され る。 鈎 キ オ ー トの持 つ 、 学 者 と して の極 め て 現 実的 性格 が 、 フ レゲ ター
ニ ー ス の持 つ 占星 術 師 と しての 神 秘 的 性格 と対 置 され る。 フ レゲ タ ー ニ ー ス の 占星 術 の 知 識 は 、
超 現 世 的 で 人 間 の 手 に よ る もの で は な い書 を解 読 可能 に した 。 こ の直 前 に、星 の 運 行 とは 神 が 自
らの意 志 を示 す 手FRの 一 つ で あ り、ま た ム ンサ ル ヴェ ー シ ェ で の 出 来 事 と も密 接 な 関 わ りが あ る
こ とが は つ き り と告 げ られ て い るの で あ るか ら(492,23ff)、
フ レゲ ター ニ ー ス が読 ん だ とい う
「
星 の 書 」 も 、限 りな く神 に近 い場 所 を想 像 させ る こ と とな る。 ― 方 で 、具 体 的 な 地 名(ア ン シ
ョ ウエ=ア
ン ジ ュー)を 挙 げ て紹 介 され る歴 史 記 述 とは 、そ の ジ ャ ンル の持 つ 性格 とあい ま っ て
極 めて 現 実 的 なイ メー ジ を―
与 える もの で あ る。物 語 の 当初 に 示 唆 され た 口承 の 物 語 、共 同 体 的知
識 へ の依 存 と並 んで 、ここで ま た新 しく二 種類 の 、性 格 の 異 な る 情 報 源 が 付 け加 わ る こ と とな る。
キオ ー ト問 題 の理 解 に と つて 重 要 な の は 、この 伝 承 史 に お い て 、異 な る種 類 の1青報 源が 互 い に
補 い合 っ て次 に 成 立 す る物 語 の真 実性 を保 証 し、 さ ら にそ うや っ て成 立 した テ ク ス トが 次 々 と
「
翻 訳 」 を繰 り返 して い く うち に、 そ の都 度 、よ り 「
正 しい 」 もの に な って い く とい う暗 示 で あ
る。35そ して 、フ レゲ ター ニ ー スが 物 語 の本 当 の原 典 詩 人 とな る に は 資格 を欠 い て い た よ うに 、
キ オー トもま た 自 らに比 べ れ ば 不 完 全 な存 在 で あ る こ とが ヴォ ル フ ラ ム に よ つ て示 唆 され る。36
リス タ ン』43回
1922.S―3丘
で ある。Blumenr臈er,
Albert=Die
Quwellenberuiungen
in dermhd
Dichtung.
Marburg
そ の頻 度 につ い て は 、 作品 の長 大 さを 考 慮 して み て も 『パ ル ツ ィ ヴァー ル 』 は 他 の 作q
て 決 して ひ け を とっ て はい な い こ とが 分 か る。 ちな み に 、真 実 性 証 明 の 言 葉 の使 用 は(VワYW8Y'「
の よ うに あ ま りに 強 い意 味 を持 たな い短 い言 葉 を 除 い て)、全 編 を 通 じて18回
に対 し
ま こ とに 」
で あ る。Nellxnann, Eberhard=
WolframsErz臧ltechnilr.
Untersuchungen
zurFunktrbn
desErz臧lers
Wiesbaden
1973,5.52.
1翼原 典 の 複 数 性 を 明 ら脳 こす る 手法 は ヴォ ル フラ ム の 発 明 で は な い。 「
私 の マ イ ス ター 」(Willehalm
76,24)
と呼 ば れ る フ ェル デ ケが す で に そ の表 現 を用 い て お り、ヴォ ル フ ラ ム は そ れ を模 倣 して い るの か も しれ な い。
VgL Gmos,
5.14.
:蛎Vgl
躁
A沈hur;1伽aη(吻
l?raesner
召加2卿
訪 θ鯉
, iArike=晦
甥 伽
㎞1ね
ノ8θ
脚, science, and
畝 ㏄ 々erz臧lte隔
隠
泌
伽'val
Frankfurt
quest in職
―lntertextuelle
a. M
1993,
撫η㊨伽'雇Ithaca
1995,
Verweise諮.磁`'ttelぬ'
S.394
お 例 えば 語 り手 は この 後 二度 キ オー トにつ い て 言 及 し、二度 と もそ の 権滅 を相 対 化 させ る発 言 を して い る。 「も
しキオ ー トが 正 し く語 つて い る とす れ ば ・―
」(776,10)。
読 んで い るの な ら… 」(805,10)。
一12一
「も し も かの プ ロ ヴ ァ ン ス 人(キ
オ ー ト)が 真 実 を
いったん権 威 として持 ち出 されたテ クス トの相対化 によ り、伝承史の最後の―部 分 である 自らの
作 品の正当化がはか られ る。テ クス トの正 当性 がプ レテ クス トのそれ をその都度凌駕 してい くと
い うヴォル フラムの このや り方は、結果 と して、原典 たる書物への遡 及に よる 自らの物語の正 当
化 と、最後 に位 置 する詩 人(ヴ ォル フラム)の 独 自性の強調 とい う、本来な ら相矛盾 するはず二
つ の要求を統合 して弁証 法的効果 を もた らす のである。ここには極 めて巧妙な、語 り手 の二重戦
術 とで も呼ぶべ きものが認 め られ なけれ ばな らないだろ う。
そ して この手法 は、物 語の結末部分 まで引き継 がれ る。
トロ ワの マ イ ス ター ・ク レチ ア ン は この物 語 を正 しく伝 えて い ない の で 、 キ オ ー トが
腹 を立 て るの も無 理 は ない 。 キ オ ー トは我 々 に正 しい物 語 を伝 えて い る。 〈… 〉そ し
て プ ロ ヴ ァ ン ス か ら ドイ ツ の我 々 の 下 へ 、 この 正 しい物 語 とそ の 結 末 が伝 え られ た 。
そ れ ゆ え私 ヴ ォ ル フ ラ ム ・フ ォ ン ・エ ッシ ェ ンバ ッハ は プ ロ ヴ ァ ン ス で あの マ イ ス タ
ー が 語 つた 以 上 を語 るつ も りは な い
。 私 は これ ま で あ な た方 に パ ル ツ ィ ヴ ァー ル の 子
供 た ちや 高 貴 な 一 族 の 名 を 、 正 し く 申 し上 げ 、彼 を あ らか じめ 幸 運 が 定 めて い た 場 所
に 導 いた の 芯
(827,1狛D
ヴォ ル フ ラ ム の最 後 の 引 き 立 て 役 と して持 ち 出 され る の が、 『パ ル ツ ィ ヴ ァー ル』 の真 の 原典 詩
人 で あ る(と 大 部 分 の 研 究 者 にみ な され て い る)ク レチ ア ン ・ド ・トロ ワで あ る。 キ オ ー トの原
典 を受 け た ク レチ ア ンが パ ル ツ ィ ヴ ァー ル の 物 語 を正 し く語 らな い とい うの な らば 、そ の 役 目 を
果 た す の は誰 な の か。 「
パ ル ツ ィ ヴ ァール の子 供 た ちや 高 貴 な一 族 の名 」。 これ らは ク レチ ア ンに
お い て は す べ て 匿 名 で あ り(漁 夫 王 に 至 るま で!)、
一人 一 人 に名 を っ け てす さま じく複 雑 な 系
譜 学 的 関係 を構 築 し、 そ れ を 受 容 者 に 明 らか に す るの は ヴォ ル フ ラ ム の 業 績 で あ る。37こ れ ま
で キ オー トとい う代 理 人 に よ って 獲 得 され て い た 物 語 の 正 し さを保 証 す る権 威 が、最 終 的 に ヴォ
ル フ ラ ム本 人 に 帰 せ られ る。「
キオ ー トが 語 つ た 以 上 を語 るつ も りは な い 」と言 っ てお き なが ら、
こ の 物 語 の 主 人公 を 「
定 め られ た 」 場 所 に導 い た の は 、 彼 ら原 典 詩人 で は な く、 あ くまで
「
私」
で あ るの だ か ら。
続 い て ヴォル フ ラ ム は 、 次 の よ うな言 葉 で物 語 を締 め く く る。
理 性あ る立派 な ご婦 人方 で、私 に好意を持 っていて くだ さる方々な らば、 この物 語を
37『 パルツ ィヴァール』が従来の アル トゥース ロマーンの範疇を超 えて 「
系譜 学白
鯛勿訥
る 。Vgl. Brau, Helmut=6撚
Amn.43
und
励 θ㎜dA轍
謡5掘
5.300.
一13一
伽zα
吻 伽5舳'曜Heide㎞rg
と曙 まれ る所以であ
1983, S84,
語 り終 えた 今 、 そ の こ と故 に 私 を 一 層 尊 敬 して くだ さ るだ ろ う。 この 仕 事 は あ る 女 性
の ため に な され た もの で あ る。 そ の 方 も ど うか 、 私 に優 しい 言 葉 をか けて く だ さい ま
す よ うに。(827,25舶
こうして、 「自己弁明」 との間 に橋 が架 けられ る。 ヴォル フラムは 自らの作品 を ミンネ奉仕 の一
環 として位置づ けるのである。ハル トマ ンら学者詩人 が最後 に神 への祈 りの言葉で物 語を締 め く
くつたの と対照的に、ヴォル フラムはあ くまで受容者 と同 じ世界 に身 をお く俗 人 と しての立場を
貫き、受容者 との対話で物語 を締め くくる。 まさに 「
俗人 の石」た るグラール につい て物 語 る詩
人に相応 しい態度 と言 えよ う。受容 者と語 り手、 その両者に共 有 され る、 「
我々」の財産 として
の 『パル ツィヴァール』物語は、これ らそれ までの宮廷叙 事詩か らは考 えられ ない ほ どの多様 な
材料 を自らの内で統合 して、キオ0ト に代 表 され る文筆文化 とは別 種の正 当性 を有す るもの とし
て提示 され ることにな る。
5lま
とめ と して
『パル ツィヴァール』にお ける原典、並びにその他の1青報源 についての言及箇所 を個 々に観察
してい くと、そ こか らは 、極 めてアンビ ヴァ レン トなイ メー ジが浮かび上が って くる。 『パル ツ
ィヴァール』の原典物語は、当初 口承 性をほのめかす、 しか し確 定 も しがたい極 めて曖 昧な姿 を
とつて登場す る。その後、書物 としての姿を与 えられ た原典 の代用 ら しきもの が登場 し、それが
文筆文化 の特徴 にな らって作 品の真実 性を保証す るもの として利 用 されるかの よ うに見え るが 、
その内容 は、従来 の宮廷叙事詩人のそれの よ うに一律で ない。物語 自体 の状態 は、星の書に よつ
て保 証 され る宗教的真実 性、歴 史記 述書によ り根拠 を与 え られ る現 実性、語 り手 の 自律性に支配
されるフィクシ ョン性 、 この三者の間で揺 らめいて いるよ うに も見 える。
ヴォル フラムにとっては、この複数 のカテ ゴ リーの存在 は場当 り的な ものではな く、自らの作
品がそのよ うな ものの総体 と して見 られ ることを要求 してい るので ある。共 同体穏識 形成の ため
に ラテン的文筆文化 に距 離を とるこ とで、彼の物謡 ま前宮 廷時代 の 文学へ の逆行 ともとらえ られ
かねない要素を作 中に持 ち込む こ とになる。だが、そ うや って ある特 定の文学 ジャンルへの方 向
性 を示 して見せ るこ とが彼 の本意で はない。ヴォル フラムは多様 な、次 元の異 なる権威を持 ち出
し、それ らをす べて 自らの作 品の保証 のためにつ なぎ とめてお く。共 有知識、 口承 の報告、天文
学、歴史記述 、それ らが互い を補い合い、ス トー リー の中で価値 を変転 させっ つ、最終的 に ヴォ
ル フラム 自身の姿において統合 され るよ う計画 され てい るので ある。そ して、ヴォル フラムは一
貫 して俗 人の宮 廷的共同体 の代表 として語 るので あるか ら、そ うや って手に入 れた物語の正 当性
一14一
の主張 を、新 しい共同体的文学 に通用す るもの として用いる ことが できるであろ う。詩 人の要求
は、歴 史的真 実性をそのま ま作 品に持 ち込む ことではないが、か とい って フィクション 性を明 ら
かにす るこ とで もない。フ ィクシ ョンカ歴 史か、といつた二者択一的な選 択ではない。詩 と真 実
の混交 によ り、よ り高い 「
真 実 ら しさ」 を獲得 し、自分達のために創作 され た新 しい文学 、それ
に相応 しい正 当性 を要求 する こ とにあつた といえるのではないだ ろうか。
一15一
Literatur zwischen Fiktion und Geschichte
— Über Wolframs Quellenberufung —
AOKI Sanyo
Der Verfasser der Historla regum Britanniae, Geoffrey of Monmouth,und seine
lateinischen Bearbeiter haben von vornherein jeden Zweifel an ihrer Richtigkeit
dadurch auszuräumen gesucht, dass sie darauf verwiesen, sich in erster Linie auf
schriftliche Quellen gestützt zu haben. Mit diesem Argument haben sie ihren
Anspruch, tatsächliche Geschichtsschreibungzu liefern, offenbar zumindest im Prinzip
glaubhaft machen können. Dabei schlossen sie mündliches Erzählen als authentische
Quelle für ihre Geschichtsdarstellung von vornherein aus. Bücher waren die höhere
Autorität, die die Wahrhaftigkeit ihrer Werke garantierte.
Die höfischen
gebildet
Büchern
waren,
Dichter
folgten
geschöpft
ungeordnet
des 12. und
diesem
zu haben.
und lügenhaft
Prinzip
13. Jahrhunderts,
und
Sie leimten
die überwiegend
lateinisch
behaupteten
ebenfalls,
ihre
die mündliche
Tradition
im Grunde
Stoffe aus
als
ab.
Es ist seit langem bekannt,
dass Wolframs Hauptquelle
für seinen Parzival
Chretiens Perceval war und ihm diese Quelle in schriftlicher Form vorgelegen haben
muss. Wolfram selbst bestätigt dies jedoch keineswegs, sondern bietet eine gänzlich
andere Version an. Er beruft sich zunächst
Überlieferung
immer
wieder auf eine mündliche
als Quelle, unterläßt jedoch lange bei dieser Quellenberufung
jegliche
Präzisierung. Es scheint, dass er mit diesem Vorgehen den durchaus begrenzten Wert
der Schriftlichkeit herausstellen will, um seinem eigenen übergeordneten
Standpunkt
Profil zu geben. Später beruft er sich dann plötzlich auf eine ganz andere Autorität, den
Provenzalen
Kyot, in dem sich die höchste Buchgelehrsamkeit
und das religiöse
Mysterium verkörpert hätten, und dem er wörtlich gefolgt sei. Die Berufung auf einen
ausschließlich mündlichen Vermittlungsweg der Geschichte wird damit korrigiert.
Im Parzival läßt sich also ein durchaus ambivalentes
-16-
Bild der Quellenberufung
konstatieren.
Wahrheit
Auch wird der Status
, Wirklichkeit
der Geschichte
und Fiktionalität
auf ambivalente
schwebend
Weise als zwischen
inszeniert.
Wo situiert sich dann aber Wolfram selbst auf dem Weg von der aufsufernden,
,ungeordneten` Oralität
zum schriftlich-programmatisch
Weg, auf dem Hartmann
konzipierten
Werk, jenem
oder Gottfried ihren französischen Vorgängern so erfolgreich
gefolgt waren?
Antworten
Durch
die
Mündlichkeit
erzählt
Erzählen
geht
selbst
stellt Wolframs
solcher
zu einer
ihm
,Wahrscheinlichkeit`
Analphabet
Erzähler
als Stellvertreter
volkssprachige
von iaien
Als ein
Literatur
sich aus seiner besonderen
Behauptung,
also quasi
formierende
Es
ergeben
Poetik
Stellung in der höfischen Literatur.
zu sein
sich mit seinem
der Laienkultur.
und
und
die
Publikum
Erwähnung
der
auf eine Stufe. Er
Es geht dabei um eine sich neu
um die Frage,
was denn
nun
das ,richtige`
fiir Laien ausmacht.
1'aie
fordert
bewußten
darum,
Wolfram,
Konfrontation
durch
dass
Vereinigung
des neuen erzählerischen
-17-
die verschiedenen
und Vermischung
dieser
Konzepts
genutzt
Kategorien
herauszustellen.
Kategorien
werden
die
der
sollen.
höhere
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